MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


07/04/20
平山夢明「鳥肌口碑」(宝島社'03)

独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回推理作家協会賞短編賞を授賞して一気に時の人となった平山夢明氏だが、やはり圧倒的に多いのは同氏が自ら収集する実話系の怪談や恐怖譚がまとめられた作品集である。本書もその系列に連なる一冊で、単行本版のショッキングピンクの表紙に奇妙に惹かれた。現在は宝島社文庫にて『実録怪談集 鳥肌口碑』という題名で発売されている。

『怪の鳥肌』として、この世ならぬ存在が感じられる作品群、三十五編
「寄せ事」「市松人形」「野営」「トイレまち」「電話」「うしろの人」「床の間」「赤猫」「嫌われて」「お遍路」「唄」「旅行嫌い」「邂逅」「烏啼き」「水」「自動描画」「漬物石」「夜釣り」「酔歩」「コンビニ」「医者」「痣」「呪い」「逢魔が時」「夜の声」「ATM」「椅子」「洗髪」「チャイム」「中央線奇譚」「きりきりきり…」「歯」「肝試し」「指輪」「絵」
『狂の鳥肌』として、人間がもたらす恐怖が連なる作品群、三十五編
「すき焼き」「羽音」「評価」「しゃぼん玉」「折鶴」「遺書」「赤い手」「生贄」「アロマ」「夜道」「婚約指輪」「ゴミ箱」「厭感」「夜警」「耐性」「カクテル」「イタ電」「沼」「見世物小屋の子」「特技」「囲まれて」「再開」「仏壇」「ダイエット」「手びねり」「金縛り」「エレベーター」「痒み」「車座」「インプラント」「セールス」「落書き」「コンタクト」「蜂の巣」「想い出の人」

さまざまな人間にとって、本当に怖いものは怪異なのか、それとも人なのか。
……こんな譚(はなし)を聞いた。」から始まる、七十もの掌編集。七十という数字だけを聞くとボリューム満点のように思われるが、その物語の長さもまちまちで、正直読み始めていきなりぐいぐいっと引き込まれ、その後はラストまで一気に読まされた。感想。切れ味鋭い怖い話が多く、それもジャンルが多岐にわたっている。
『唄』『想い出の人』など、怪異や狂気を扱っていても「ちょっといい話」という作品も幾つかは収録されているのだが、基本的には怪異と遭遇して命からがら逃げ出しただとかちょっとした僥倖によって助かったとか、命こそは無事ながらひどい目に遭っただとか、結局はそういう話。この「怪異」と「狂気」のサンドイッチが効果的で、supernaturalな現象に恐怖を覚える人と、逆に霊や怪異は怖くないけれど狂った人間の所業が怖いという人との嗜好が両方味わえるのが特徴だ。
個人的にツボに入ったのは『怪の鳥肌』のうち、「トイレまち」「夜釣り」「洗髪」といったところか。共通点はないのだが、夜中に一人でいるところに何かが襲ってくるという状況が怖いらしい<自分。あと別格なのは「肝試し」。こちらはホラーでは定番といっても良い、肝試しに行った若者たちが怪異に襲われるというものなので、「ああ、またか」と反応できたら良いのだが、本作は掌編レベルの長さのなかに次から次へとショッカーが打ち出されてくるので、それにやられたか。
またもう一方、『狂の鳥肌』に関しては、「すき焼き」「仏壇」「見せ物小屋の子」といったあたりに興味が引かれた。やはりミステリ読みの血がそうするのか、人間がもたらす恐怖となると物語につい意外性をもとめてしまうのかもしれない。特に「すき焼き」の終盤に「恨みゃしないから、その代わりたらふく食べるんだ」という台詞の迫力にはびびった。あと「折鶴」。ちょっといい話のようでいて実に絶望的な話。

実話怪談系作品が好みの方であれば、恐らく既にチェック済であろうけれど、この作品集は実に構成がよく出来ており、その分野から一冊という意味ではお勧めできます。とにかく”怖さ”のみ様々ということでなく、”結末””読後感”にしても同じく様々なバリエーションがあり、単なる恐怖、厭な気持ち、嫌な気持ち、いろんな気持ちが一冊で体験できるという作者の希有なセンスと広い視野が光ってます。


07/04/19
青柳友子「ミスティ・ガール紅子 消えた死体」(角川文庫'88)

ユーモア・ミステリーの連作シリーズとして長編五冊短編集二冊の作品がある(すみませんもしかすると正確ではないかも)「ミスティ・ガール紅子」シリーズのうち長編。本書は'87年にサンケイ出版より刊行された作品の文庫化。

昼間は典型的なおばはんの格好をして辣腕実業家として複数の飲食店を経営する平岡ハル。その正体は二十代後半のセクシー美女・平岡紅子。実業家としての彼女の片腕として働くのが国守大次郎。頭は良いが不格好であまりモテるタイプではない彼だったが、故郷の竹原市で持ち込まれた縁談がうまく行き、とんとん拍子に和服の似合う若い女性・勢津子との結婚することが決まっていた。その大次郎が突然社長室にやってきて号泣。その勢津子が急に自殺したというのだ。平岡ハルとして大次郎に同行し、竹原市を訪れた紅子。しかしその勢津子の実家の様子がどうもおかしい。その後、ハルを訪ねて上京してきた勢津子の妹・まゆみにより、勢津子の自殺がそもそも偽装だった事実が知らされる。勢津子にはかつて不倫関係の恋人がおり、一旦別れたものの結婚の決定を機に再び彼と再会して駆け落ちしようとしたというのだ。更にまゆみの夫もなぜか事件後に失踪しているという。好奇心旺盛な紅子は相棒のノブオと共に再び竹原市に向かい、強引に探偵活動を開始する。事件に関係した医者や葬儀屋の話を聞くと、紅子が訪問した通夜の段階では生きていた勢津子は、葬儀の直前に何者かに毒殺されて死亡、更にはその死体が少し目を離した隙に消えてしまったのだという。

男の身勝手、女の不幸。紅子とノブオのコンビがストレートに暴く
そもそも青柳友子という作家が目指した方向性というのか、ミステリ以外の要素について、文体は軽いのに触れられる事柄が非常に多いのが一つ特徴。カフェバー『クロ』のある乃木坂の様子だけでなく、瀬戸内海に面した街や島々を観光案内ないし旅情小説風に綴ってみたり、その土地土地の名物や珍味について結構しっかりと触れていたり、さらに瀬戸内海の様々な風習や俗習といったところまで筆は及んでいる。紅子=ハルの一人二役や、彼女に惚れているのに言い出せないノブオとのやりとりなどユーモア要素もそれなりに(大笑いするほどの場面はないので)加わっており、軽妙、そして洒脱といえる雰囲気は本作でもしっかりと健在だ。
一方で、謎の提起方法が独特。題名は単純に「消えた死体」だが、実際は偽装自殺に偽装葬式、さらにはその最中に殺人、そして死体消失という段取り。さらにその一連の動きに関わった人物が次々と行方不明になっていくという展開。トリックというほどのトリックではないのだけれど、謎の提示方法が巧みでさらに続けざまに人間が失踪するサスペンスが加わっており、手堅い物語展開にかなり作品に引き込む力がある。最終的に明かされるのは、あくまで身勝手な男たちの群像、そしてそれに振り回され哀しい運命を受け入れてゆく女たちの群像。その歪みがこの一連の事件を引き起こしているのだというと妙に得心できてしまう。

決して後味の良い展開ではないのに、紅子のからっとした性格と、青柳さんの軽妙な筆致がよくマッチしていて、ミステリーとしての上手さが素直に感じられる作品となっているといえるだろう。とはいえ、青柳さんが目標とした小泉喜美子作品ほどの強い印象を刻むものではなく、実作となると微妙に二人の路線は異なっている点が興味深い。


07/04/18
星乃彗理「乙女座の兇劇 別荘地に散る死体」(トクマノベルズ'94)

若桜木虔氏と矢島誠氏による合作・星乃彗理。十二ヶ月連続刊行(予定)のうち『血塗りの殺人カード』に続くシリーズ六冊目にして最後(まあ、あくまで現在のところですが)の作品。本作は若桜木氏の担当分。当然、全体を覆う謎は明かされないまま終了しております。

前回の事件で星占いに強い信頼を置くようになった東京地検の検事・早乙女蘭。上司の多田が死亡して別の上司がついているが、現在捜査中の事件にも十二星座の関係者ではないかと疑われる人物がおり、友人の聡美の力を借りる。その人物・製薬会社社長の菱刈栄治を内々に調べて欲しいと恋人である蘭から依頼を受けた指名手配中の魚住純は、新聞記者を装い菱刈に探りを入れたところ、葉山の別荘に来て欲しいといわれた。予定通り、人気のない別荘地を訪れた魚住は、サングラスを掛けソバージュをかけた若い女性と道行きですれ違う。いざ菱刈の別荘を訪れてみるとカギが掛かっていて入れない。外から様子を窺ったところ、中にバラバラにされた死体らしきものがあった。菱刈は、ライバル会社の新薬発売を妨害するために贈賄を行っていた疑いがあり、地検から捜査の手が伸びていた。電話で呼び出された菱刈の秘書が発見した死体はやはり菱刈のものと思われた。果たして犯人は贈収賄に絡む人物か、それとも菱刈の財産を狙う妻なのか、さらには一連の十二星座の事件の犯人が、やはりこの事件に関与しているのか……。蘭と魚住は協力しながら真相を探るが……。

シリーズ未完ゆえに残される謎が微妙な魅力に。細かなトリックも吉
シリーズとして読んできているので、登場人物描写が薄っぺらいだとか、事件への魚住&蘭の巻き込まれ方が不自然だとか、そういった特有の事情はもうここまでくるとあまり気にならない。むしろシリーズを通じて設定されている奇妙なシチュエーション、即ち殺人事件の容疑者として警察に追われている元刑事と敏腕にして美女の現役検事というカップルが犯罪を警察以上の能力をもって犯罪捜査をする――というかたちが面白く感じられる。もちろん、やられキャラとして設定され、魚住を徹底的に追い回すエリート・洞沢警部の間抜けっぷりが強いアクセントになっていることも事実。全体の謎は未完ゆえに解決されなくとも、シチュエーションそのものを楽しむミステリとしてこの六冊で十分楽しませてもらった。
で、残念ながら最後の一冊となったこの作品。バラバラに刻まれた死体が別荘地で発見される――というもの。バラバラにした理由の一つは、死体のある機能を利用する必要があったというもので(ただ真相に行き着くと若干ニュアンスは変化するが)、最近では珍しくないが発表当時としてはまだ新しいアイデアだったのではないかと思う。真犯人を覆うアリバイトリックにしても、それほど衝撃はないものの辻褄としては合わせてきている印象。とはいえ、前作ほどにはミステリ部で大きく感心するものではなく、むしろ「見せかけの犯人を追及すればするほど、黒幕の真犯人から離れてゆく」というシリーズ特有の矛盾点がピックアップされるものとして印象が残った。シリーズがここまで進むと、単純な実行犯が黒幕ではないことは読者は分かっている訳で、その点を逆手に取ってサスペンス感を強調している点は巧みだと思う。
また本筋とは少し離れる、魚住と蘭との愛情関係に嫉妬の炎を燃やす洞沢クンの、法律から逸脱して個人の欲望を満たそうとする情熱、さらには蘭らにコケにされるシーンはこれまた読みどころ。前回ほどの半死半生とまではいかないまでも、今回もずっこけてくれるのでこの点は実に楽しい。

ということで、六冊全て読んでみた印象としては決して悪くないというのが結論。結局、黒幕の狙いや正体については全く不明なままでありながら、かえってそれが良いことのようにも思われた。魚住と蘭の関係がハッピーエンドにいずれ行き着くことは間違いないのだろうけれど、それを想像の域のまま留めておける未完の状態の方が何かと読後感としてはかえって強い印象を残して終わるように感じられるから。
順番に、かつある程度の冊数を読むことで面白さが分かるシリーズ。そう普遍的に勧められる作品ではないと思いますが、それなりに楽しい読書時間になることは間違いないかと思います。(ただし、それなりにですが)。


07/04/17
上遠野浩平「酸素は鏡に映らない」(講談社ミステリー・ランド'07)

'98年『ブギー・ポップは笑わない』で第4回電撃ゲーム小説大賞を受賞、同シリーズは大人気を博して一世を風靡する。しかし上遠野氏はラノベ分野に留まらず講談社や祥伝社のノベルスなどの一般向けにも進出、はっきり調べたわけではないが本書は上遠野氏初のハードカバー作品になるのではないか。

小学校五年生の男子・高坂健輔は、空を飛ぶ昆虫のような影に気付き、大きな道路に挟まれた公園に入り込む。その虫、クワガタは公園でブランコに乗った人物の膝に止まる。影の薄いその男は「欲しいものをあきらめるか、死ぬかどっちがいい?」と健輔に尋ねる。一瞬の躊躇のあいだに、二人の間に茂みを突き破って大きなバイクが飛び込んできた。バイクを運転していた男は彼はスキャンダルを恐れて大慌て。彼はかつて特撮ヒーロー番組「無限戦士ゼロサンダー」で主役を張っていた池ヶ谷守雄という芸能人だったのだ。謎の男は、「明日ここに来るか、転落するか二つにひとつだ」と言い残し、自分のことを「”オキシジェン”もしくは”柊”」だと言い残して現場を去る。――翌日、守雄と健輔、そして健輔の姉の絵里香が公園に集まると金貨をいじる猫が現れる。その金貨はエンペロイド金貨という特殊なもの。さらに現れた柊は、その金貨を寺月恭一郎という人物が遺したものの一つだといい、力が欲しいならそれを探すといい――」と言い残して公園から去ってゆく。その金貨に掘られた”GAUCHE”という言葉と、数年前に亡くなった大企業の会長・寺月の名前をヒントに、柊のいう謎について探るべく行動を開始した。

人間と人間の関わりについての奇妙なテーマが前提、設定も物語も世界も全てが謎めいた印象
世界を支配する者なる謎の人物と邂逅した少年と、その姉と好人物が、与えられた謎を解くべく行動してトラブルに巻き込まれ、冒険になっていく――簡単にいってしまえばそういうストーリー。例えば、秘密の地図を入手した少年探偵団が冒険をする、といった話と大枠としてはそう変わるものではない。だが、そういったシンプルな筋立てにもかかわらず、個々の要素が微妙に定型から外れている結果、全体としてはあまりすっきりせずつかみどころの難しい物語となっている。確かにストーリーとしては完結しているのだ。謎のヒントからあるイベントに潜り込み、そのイベントに突如発生したトラブルで命の危険に晒され、しかし機転と勇気によって大逆転! ……やっぱり完結しているようにみえる。なのだが、そこに作中作として「無限戦士ゼロサンダー」が入る(面白そう)以上に、主人公が一人で柊と再会して交わした会話の結果、一種の悟りを得てしまうところだとか、その悟りの結果、素晴らしい機転によってトラブルは終結させられるにしても、登場人物の行動がどこか不安定にみえてしまう。素直でないといえば良いのか。
基本的にその裏側に、人間は酸素のようなもの、という微妙に哲学的ともいえる問答があり、それを主人公が体現しているのがその理由。人を信じることが毒、世界を支配する、といったテーゼが伝わる人に伝わればといった、ちょっと投げ出されたような感覚で物語の随所に浮かび上がっている。この作品世界自体も、後半部に思わせぶりな記述がある通り(本編の主人公の一人・絵里香が”博士と呼ばれる先輩”と出会う場面など)、まあ、恐らく上遠野浩平ワールド(つまりは『ブギー・ポップ』シリーズ世界)とも繋がっているようで、それを完全に踏まえたうえでないとちょっと理解しづらいのかもしれない。(少なくとも小生はシリーズは一冊読んだきりなので世界観は理解できてないし)。……単純に小生の読解力不足に起因するだけかもしれないので、言い切れないのだけれど。

このミステリー・ランドのシリーズは基本的に単発なのだけれど、シリーズキャラクタを登場させる手法は他の作家も使っているし、世界観の再利用というやり方、これはこれでありなのだろう。ただ、全く先入観無しに本作を読んだとしても、全てとはいわないまでも「作者の言いたかった何か」は少しなりとも伝わると思う。これは物語全体の不安定さを魅力として楽しむ作品かもしれない。
(後、文中に「金より重い質量が鉛や劣化ウラン」という記述があるが間違いだと思う)。


07/04/16
風見 潤「出雲神話殺人事件」(廣済堂文庫'88)

主にジュニア小説の書き手として知られていた著者が初の一般向け作品として発表したのが、'85年にエイコーノベルズにて刊行された本作。文庫化にあたって徹底的に手が入れられたという。あとがきによれば本書のトリックはジュニア向けにソノラマ文庫にて先に発表している『喪服を着た悪魔』『古都に棲む鬼女』『死を歌う天狗』から作者の好みのものを流用したのだという。

バストもウエストもヒップも激しく人並み以上のボリュームを誇るトラベル食べ歩きライターの朝倉麻里子。その先輩で元推理小説研究会会長で現在は大学院で民俗学の研究をしている羽塚たかし。二人は麻里子の友人・基子からの招きで出雲の諸手船神事とその近くの村で行われる出雲歌舞伎の見学に訪れる。その加賀戸村では七不思議という言い伝えが手鞠歌のかたちで残されており、その七不思議のうち二つ、五百羅漢に火が灯る現象と夜の洞窟から歌が聞こえる現象が発生しているのだという。さらに一年前に海で遭難して行方不明になった筈の村の有力者・那智慶一郎が、再度近くの街で目撃される事件が発生していた。加賀戸村は網元である那智家が支配しており、現在は次男の龍次郎が取り仕切っている。麻里子とたかしは、五百羅漢や海に面した洞窟を調べるが、たかしは特に洞窟の現象はテープレコーダーによるものではないかと看破する。翌日、加賀戸村は歌舞伎の練習の真っ最中だったが、第三の七不思議の伝わる漆淵に死体が浮かび、さらにそのそばには歌舞伎の稽古場から紛失した龍の置物が発見された。さらに村では伝わる七不思議の通りに人が死んで……。

からっとした探偵役に似わない、七不思議伝説見立て殺人に複雑な一族の関係。トリック満載の本格推理
豊満な美女とそれに敷かれる探偵というコンビが、グルメ取材方々出雲へ、そこで巻き込まれる地方の有力者一族の連続殺人事件……。設定の方は、横溝的というか古い探偵小説を思わせるような日本的な事件。 ”網元””親族同士での婚約””行方不明者の帰還””地元に伝わる伝説”といったガジェットが並ぶ。一方で、その推理をするのは地元の友人の伝手で、一応推理しにきたカップル。この探偵役側の軽さとそこはかとないユーモアは、昭和後期ならではのユーモアミステリーの系譜に連なりそう。(実際は、それほど笑える場面があるわけではないが)。ちょっとミスマッチのような事件と登場人物なのだが、そこはどうしてトリックを連発することでぎりぎりのところで巧みに繋いでいる。
事件そのものは連続殺人で、いくつかのトリックがある。ただ個々のトリックよりも、本書での最も重要なサプライズは”連続殺人が発生するに至った背景”の方にある。関係者がばたばた死亡するため、中盤から後半にかけてはかなり忙しい印象で、事件そのものを個別に吟味するためには、かなり丁寧な読み方が必要になる。むしろ本作は、最終的に明かされる真相による、真犯人の狙った構図の巧みさに最も感心した。 七不思議に沿った見立て殺人による効果自体はクリスティあたりとネタが被るような気もするし、確かに考えられてはいるもののそう目新しいものではない。けれど、実際に犯人の思惑全てが実現した時にどうなるのか? という点が最後に明らかになった段階では、その悪魔的な構図に戦慄させられた。これだけの深謀遠慮があったのか……、という点、でも途中で全く意識させないところは偶然なのか作者の力量か。
様々な伏線の使い方も巧みで、かつきっちり読者に対して手掛かりも提供されている。探偵小説&ユーモアミステリーの見せかけにもかかわらず、読者サイドできちんと検討するに値する、十全たる本格ミステリでもある。

多すぎる登場人物の書き分けが弱いとか、折角日本的な舞台装置があるのにその描写が今ひとつであるとか、気になる点もいくつかはあるのだけれど、それでもやはりこの複数トリックによって織りなされ、最終的な計画に突き進んでゆく事件の本質については高く評価したい。好事家向けかもしれないが、今でも読む価値のある作品だ。


07/04/15
折原 一「タイムカプセル」(理論社ミステリーYA!'07)

もともと理論社がティーンエイジャー(とはいっても対象は小学校高学年から大人まで)向けに刊行していた叢書が「YA」のシリーズ。そこに様々な分野で活躍する、今が旬のミステリ作家を多数投入、新たに分化して建てられた新叢書がこの「ミステリーYA!」だ。本書は山田正紀、篠田真由美らと同時に刊行された第一回配本のうちの一冊。書き下ろし。

フリーの駆け出しカメラマン・石原綾香は二十五歳。少しずつ仕事が認められて軌道に乗り始めている。その綾香が新たに思いついた企画は中学卒業後の同級生をテーマにするものだった。「タイムカプセル――今、あなたは何をしていますか?」そのネタの卒業アルバムが見つかってすぐ、偶然にも中学の同級生・三輪美和から連絡が入る。彼女の元に謎の同窓会の招待状が届いているのだという。「栗橋北中学校、三年A組のみんな、元気にしていますか?」から始まる手紙は、十年前に有志で埋めたタイムカプセルを掘り出す招待状だった。美和によるとその招待状はオートロックのマンション玄関を抜け、直接家に届けられたのだという。綾香は他の同級生にも連絡を取り、当時少し恋愛感情を抱いていた湯浅孝介や、ライバル関係にあった富永ユミらからも取材を取り付ける。孝介は商社マン、富永は編集者となっていた。彼らの元にもあり得ない状況で招待状が届いていた。だが、一部の同級生は連絡先が分からない。綾香は孝介とともに中学のあった栗橋を訪れる。今もう学校は廃校になってしまってその跡地だけが残されている。彼らはタイムカプセルに関わった他の友人二人の行方を突き止めようとする。だが、その二人、不破勇と大河原修作は中学時代から不登校で担任を悩ましていた。更に綾香以外のメンバーに通じる「ホール」という言葉の意味とは?

サスペンスフルな展開に加えて入れ子構造もしっかり。容赦ない折原節がYAでも真っ正面から
こういう若い世代向けのレーベルでありながら、巻末部分が袋綴じになっているのも珍しい。中学卒業後、十年が経過して訳ありのタイムカプセルを開封する場面がまるまま読めないようになっている。もちろん、それまで提示されてきた謎の真相解明もその部分にあり、立ち読みでは内容が分からないようになっている。(立ち読み対策とかそういうのではなく、折原氏の「ミステリーにはこんなやり方もあるんだよ」という遊び心によるものだと思うが)。
ただ近年の折原作品同様、サスペンス部分が強烈なのが印象的だ。直接的に暴力的な場面を演出するのではなく、得体の知れない何かに追われているような感覚。 本書の場合は、「選ばれ死君たち」に宛てられた招待状が関係者に届けられる場面が秀逸。普通は通れないマンションの玄関をすり抜け、あるいはシャワーを浴びている間に部屋の中に直接放り込まれ、さらには主人公の訪問先に直接届けられる消印のない招待状。果たして誰がどうやってこんなことを? という疑問以上に、その場面場面にて登場人物が体験する恐怖が描かれ、読者のそれに飲み込まれてしまう。更には、主人公以外に共通する「ホール」、その十年前、タイムカプセルを埋めた時期のことを綴る作中作。どれもが思わせぶりで、さらには主人公が頼りにしていた湯浅が行方不明になってしまう。果たして何が、誰が。――というような感覚が頂点に達したところで袋綴じのクライマックスへ。小憎い演出だと思う。
招待状が様々な場所に届けられる理由、タイムカプセルを掘り出す際に現れる意外な人物。 これまで提示された真相は過去と現在の話が入り乱れて、思わぬ登場人物が関係していたりとサプライズはあるものの、若干唐突感が強いようにも思えた。(とはいえサプライズではある)。それでも読み通すときちんとすっきりした感覚に戻っている。このようなストレートな結末がかえってこの作品には似合う。

二十五歳になった若者たちが、十五歳を回顧する――という年齢設定は微妙ながら、サスペンスだけで押し通すだけでなくきっちりと青春ミステリとなっているところも不思議。真相というか犯人にしても、逆にこの二十五歳という年齢が微妙に効いていてそういう設定も成功の要因だと感じられる。深読みをせず、怖がるところは怖がり、謎の部分には疑問を持って。 折原マジックに素直にひたりながら読むのが吉でしょう。


07/04/14
鮎川哲也「消えた奇術師」(光文社文庫'07)

光文社文庫で再刊行が続いていた「鬼貫警部事件簿シリーズ」が一段落したところで登場したのが本書。もちろん続いては鮎川哲也を代表する探偵の一人「星影龍三シリーズ」である。先に長編『朱の絶筆』が刊行され、続くのが短編集である本書。星影の登場する短編十編のうち、半数が収録されている。この後『悪魔はここに』という短編集にて残りが収録されるようだ。(『朱の絶筆』にも短編を二編収録)。

密閉された大学の法医学解剖室。その解剖台の上から女子学生の梱包されかけたバラバラ死体が発見された。大学のエリートと恋の鞘当てが生み出した恐るべき犯罪の真相は? 『赤い密室』
大雪の降ったある日、女子学生が指導教授のもとを訪ねたところ、見知らぬ男が顔を出し「教授は殺された」と告げる。相手が医学生だと知ると確認させてから警察に電話をかけようという。 『白い密室』
劇団員専用のアパート南風荘では、ドンファンの演出家・樫村が女性関係のトラブルを多数引き起こしていた。その樫村が施錠され、青い光の満ちた自室で殺害されていた。『青い密室』
ストリッパーのリルは「黄色い悪魔」と名乗る何者かから脅されていた。そのリルが雪密室となった家の浴槽でナイフの刺さった死体となっているのをパトロンにより発見される。 『黄色い悪魔』
奇術師の舞台上でトランク内に入った美人助手が青酸ガスによって殺害された。奇術団四名は海外で賞を獲り多額の賞金を入手する予定だった。更に舞台再開後に惨劇が。 『消えた奇術師』
戦争中のことわたしの友人・鳴神は、有名なダイヤモンド『シバの眼』をインド人芸人のカリ・シンが持っているという。鳴神はわたしを誘い、カリ・シンを襲う計画を立てる。しかし廃屋のなかでそのカリ・シンは消え失せてしまった。 『妖塔記』 以上六編。

時代を経ても本格ミステリの佳品という地位は不動。再読、再々読に耐える作品群
よくある鮎川哲也作品に対する質問に「鬼貫派or星影派?」というものがある。(なぜかこういう設問の場合、三番館のバーテン派という設問があまりないような気がする)。じっくりとアリバイを中心に犯人を追い詰めてゆく鬼貫と、条件さえ揃えば閃きで全てを見通す星影、どちらも魅力的な探偵ではあるが、こと短編という意味では星影の方に分がありそうだ。(もちろん長編ならば逆のことがいえる)。その星影が探偵役を務める作品ばかりが六つ、というのは非常に贅沢な取り合わせだといえる。他の作品集でも「赤い」「白い」「青い」密室までをまとめたことはあるが、ここに更に「黄色」を持ち込んで四色まとめてしまう遊び心も楽しい。(このシリーズは事実上、山前譲(編)) 特に密室というシンプルな状況のなかで、読者をいかに驚かせるかという部分に知恵が絞られており、いたずらにトリックそのものにこだわりがあるわけではない。『赤い密室』のトリックはあまりにも有名かもしれないが、その密室構成方法にしても、さまざまな周辺状況を使って作られる「心理の死角」といった部分が、そのメイントリックを覆って見えにくくしている。それらの試みが有機的に組み合わさっているからこその傑作なのだ。
特に本作品集収録作品の多くに使用されている「心理トリック」。後で種明かしされると「なあんだ」というものかもしれない。トリックのみ抜粋してもあまり面白そうに見えない可能性もある。これは周辺状況と登場人物と舞台と視点人物と全てがまとまってこそ機能するから、作品まるまる読まないとその面白さに気付けない種類のものなのだ。そういう意味で読み返すとまたいくつか発見があったりするので実に楽しい。

出版芸術社版『青い密室』『赤い密室』はまだ読んでない関係で、一部未読作品あり良い体験だった。既読の複数作品にしても再読して味わい濃いは、今さら改めて誰かに勧める必要もないだろう(というか読んでないなら読みなさい)。本格推理小説界の第一人者による密室を中心とした本格推理なのだ。何度読んでもいいくらい。あと、巻末に天城一によるオリジナルエッセイも収録されている。そちらのファンの方もお見逃し無きよう。


07/04/13
山田正紀「雨の恐竜」(理論社ミステリーYA!'07)

もともと理論社がティーンエイジャー(とはいっても対象は小学校高学年から大人まで)向けに刊行していた叢書が「YA」のシリーズ。そこに大量の(?)ミステリ作家を投入し新たに分化して建てられた新叢書がこの「ミステリーYA!」。そのWEBサイトをみても分かる通り、非常に豪華な執筆陣が今後も刊行を予定している。本書は折原一、篠田真由美らと並び三冊刊行されたその第一期配本分の一冊。山田正紀氏の作品のなかでもこの世代向けに意識された新作は珍しい。

中部地方にある福知県K**市に住む斉藤ヒトミ。彼女には幼い頃、幼馴染みの茅崎サヤカ、そして勇魚アユミと赤い夕日のなか、恐竜、それも福知県で発見されたフクチリュウの背中に乗り、ともに遊んだという記憶があった。「何か困ったことがあったら、わたしが助けたげる。約束だよ――」 それから歳月が流れ、今やそのヒトミも中学生。小学生の時に叔父からもらったビデオのおかげで映画の世界に興味を持ち、ヒトミという名を嫌ってモウマクと呼ばせようという少し変わった女子中学生となっていた。そんなヒトミに担任の飯島先生から電話が。ヒトミの所属する映画研究会の顧問・浅井先生が急に亡くなったのだという。場所は東谷渓谷で現場の状況は「恐竜に突き落とされた」のだという。ある理由から教員室に寄って捜し物をしたヒトミは現場に駆け付ける。そこには恐竜に詳しいサヤカがいた。日本の恐竜研究の第一人者・佐伯教授の帰国についてきたらしい。一方、ヒトミは浅井先生から「恐竜が映ったテープが見つかった」との謎の伝言を受け取っていた。現場の様子をさらに探ろうとしたところに突然の人影。見つかりそうになった彼女たちを救ってくれたのはアユミだった。

ファンタジーミステリの新たなる道標。「恐竜の殺人」から受ける、作者の狙い通りのインパクト
山田正紀の作品にはどこか独特の”匂い”があるのだが、本書においてはそれが非常に薄く、むしろ作者の個性のような部分をわざと殺して書いたのではないかと感じられる。 あとがきで作者が述べている通り、山田正紀クラスの大御所が十四歳の少女の一人称小説を描くこと自体かなり冒険なので、わざとそういう意識で文章が綴られているようだ。――とはいえ、この奇想・構想は山田正紀のそれ。文章や会話文、つまりはインターフェイスの部分のみ平易で癖がないこと、三人の少女がそれぞれ個性豊かに描かれていること――普通なのはこれくらい。
「恐竜が人を突き落とした」という状況。吊り橋の切断されたロープ、そして恐竜のものと思われる足跡。元よりヒトミには被害者からのメッセージもある。さらにかつて同じ地域で、佐伯教授のライバルと目されていた有能な学生が恐竜に殺害されたかのような状況下で不審な死を遂げていたという事実。このあたり、徐々に雰囲気を作ってゆく。何よりもいくつかの過去の人間関係が浮かび上がることで事件は急展開で解決するのだが、このちょっと早急なところに山田ミステリらしさがにじみ出ていてにやりとさせられた。また使用されたトリックもその現場との関係性が深くユニークである。
ただ、何よりも鮮烈なのはラスト。読者によって幾つもの解釈が可能なこの場面、恐らく正解はない。 だが、この一場面によってこの作品は一段物語としての格を引き上げている。実に印象的だ。
もうひとつ、中盤から終盤、ヒトミは大人が持つ”嫌な””醜い”部分を散々見せつけられる。確かに我々の読むミステリはだいたいがそういう作品だし、実際に生きている現実もそうだし、さらに先行する『ミステリー・ランド』にも同様の傾向はあるのだが……、果たしてそのようなエピソードは必要だったのか。このあたりは個人的な感想でしかないが、レーベル第一弾であることを考えると敢えて誤魔化してくれても良かったのに、という気持ちが少々ある。(中学生あたりが読むことを想定してますが)。

全体としての事件の構造に対して、三人の少女を配したセンスの良さが光る。うまく説明できないが、本来一人でも物語は成立するところを敢えて三人凸凹の少女たちを登場させ、恐竜の殺人、少女たちの成長といった別々の主題を手際よく処理して一編の物語にまとめている。冒頭で山田正紀らしくないと書いたが、その実、この構成はやっぱり山田正紀の才能ならではなのだと感心させられた。一般の本格ミステリファンにも十二分にお勧めできる作品レベルの高い一冊。


07/04/12
渡辺浩弐「ひらきこもりのすすめ2.0」(講談社BOX'07)

ゲームクリエイターなど多彩な才能を誇る渡辺氏。講談社ボックスからは『iKILL』という小説を刊行しているが、同レーベルからの二冊目はもともと'02年講談社現代新書から文字通り「新書」として刊行された啓蒙書(何というのが正しいかよく分からない)のリニューアル版。五年の経過を踏まえて大幅改稿して元の本の倍くらいのボリュームになっているのだという。西島大介氏のイラスト入り。

論旨としてはこんな感じ。従来型日本社会における大企業・ブランド大学・「働くことが偉いこと」といった価値観は、バブル経済期とITバブル、そしてその崩壊によって完全に崩れ去った。これからはその従来型の生き方にしがみつくのではなく、インターネットや、各種の技術の進歩をうまく取り入れて、嫌々学校・会社に行くのを止め、自分の才能を引き出してそれを発信することで生きてゆくのが吉。これからは全ての分野において、むしろその道のプロや企業ではなく、個々の情報を個人のセンスにてより分ける人々がムーヴメントの中心になっていくはずだ。引きこもり・おたく。そういった人種の持つ希有なセンス、情報量がカギ。ひきこもるだけではなく、そういった人々が情報を発信しクリエイティブな仕事をこなすことによって「ひらきこもる」ことを目指すべきなのだ。(いわゆるWEB2.0に近い) また今までの企業や組織もそういったインターネットや、プロではないが情報を発信できる人々をうまく活かした方向に舵を切らないと時代においていかれる可能性がある。とにかく個々人は今後「社会の変化を見据えて、覚悟を決めて、ひきこもって、自分を探し、そこから発信して、ひらきこもっていく」ことを推奨する。また、そういったシステムをサポートするために、インターネットを介した投げ銭システムのようなものを提唱。(但し、具体的方策はアフィリエイトの延長のような考え方までしか提示されていない。)

いわゆるソフトウェア、IT、クリエイター関連業務、またはその方向を目指す人々向け。
2002年の段階で既にWEB2.0の状態を予言していたあたりや、インターネットとそこから始まる現状認識などには的確な視点があり感心させられる部分がある。実際に個人のブログが大ヒットしてその内容が出版されてベストセラーになったり、WEB出身のクリエイターが各方面で活躍していたり……ということがちっとも珍しくない時代になりつつある。本書において大胆なのは、そういう個人が飛び出してゆく事態自体が決して選ばれた特別な人間のみに起きる状態なのではなく、現在ひきこもっていたり、嫌々企業勤めをしている一般読者であってもそういう成功が可能だと宣言している点だ。
一人一人が自分にしかないオリジナルなセンスを磨き、インターネットで情報発信することで(最低限の)生活費を稼いであくせくしないで生きていこう。理想論としては確かに面白い。だがネットでの情報発信が金を稼ぐ手段と直接リンクしていないのが今の段階では現状であろう。氏の主張する通り、個人が発信する興味深い情報に”投げ銭”のように対価を支払い、それがステータスになるような社会はなかなかに難しい。(もしかするとSNSあたりであれば、ビジネスモデルとしてそれも可能になってくるのかもしれないが……)。今のところは日々の確実な収入を捨ててまで「ひらきこもる」のは、何らかの後ろ盾(例えば親のすねをかじれるとか)がなければちょっと無理だよな、というのが正直な印象だ。また全ての日本人が情報発信に特化してしまったら、地道に働いている人々で維持されている日常生活は誰がするの? など、作者の描く将来像そのものにも細かな疑問が幾つかある。
ただ、巻末にかなりの文量が挿入されている、講談社ボックス編集長・太田克史と、本書の著者・渡辺浩弐の対談は非常に面白い。講談社の組織人としての太田氏のこれまでの経歴がかなり赤裸々なかたちで告白されていたり、今後の新人発掘の姿勢について述べられていたり。太田氏が冒頭に差し挟む本書への異議も、小生の疑問と一部重なっておりちょっとすっきりした。確かにクリエイターとしての業界は、渡辺氏の主張するムーヴメントのなかで今後を考えていく必要があることがよく理解できた。

一方、著者が意識的に省いているのかもしれないが、いわゆる”ものづくり”を職業にしている人には本書の理想論にしても簡単に当てはまるものではない。上述したようにITや広告、ゲーム業界など元もと個性を発揮できるクリエイティブな職業に関してのみ有効。個人的には旧来型資本主義は決して崩壊していないと思うのですよ、少なくとも実際の日本経済においては。作者が本書で描くサラリーマン像こそえらく前世紀的で、今の日本経済とそこに属する人々はもっと強かで柔軟ですよ。


07/04/11
杉江松恋「口裂け女 novel from the movie」(富士見書房'07)

2007年3月に公開された映画『口裂け女』(主演:佐藤江梨子・加藤晴彦・水野美紀、監督:白石晃士、脚本:横田直幸)とほぼ同時に発表された、公式ノベライズ作品。杉江松恋氏はもちろんミステリでは評論家として有名だが、『バトルロワイアル』の公式ノヴェライズ『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』などの実績があり、ノヴェライゼーションの分野でも評価は高い。また、本小説版と同時に「comic from the movie」としてコミック版も刊行されている。

母親と二人暮らしの紀伊羅ひいろは港を見下ろす坂の街に住む女子中学生。母親の朱音はこの街でレストランを経営しており、毎日忙しく働くが自分勝手なところがある。母親はひいろには厳しく、街、特に港には近づいてはならないと厳命されている。父親はいない。ひいろは、なぜ自分に父親がいないかを誰からも聞かせてもらっていないのだ。そんなある日、隣町で女子中学生が行方不明になる事件が発生した。更に「緊急事態発生」のメールに呼ばれ、ひいろが親友のジュリの家を訪れると、そこには看護婦の母親から虐待を受け避難してきていた級友の須賀田リラがいた。彼女もひいろと同じ母子家庭だが、離婚した父親との関係がうまくいっていないのだという。ひいろは生まれて初めて「口裂け女」の話を、親友のジュリから聞かされる。隣町の行方不明も、その口裂け女が犯人だとまことしとやかに噂になっているらしい。リラはジュリの家に泊まることになり、ひいろは一人バスに乗って帰宅しようとした。その途中、彼女はバスの中から、大きなマスクをして長い髪、薄い色のコートを羽織った女を目撃する。

日本オリジナル・最恐の都市伝説「あたし、きれい?」の意味が意外なところから浮かび上がる
すみません、映画見てません。が、公式サイトで情報を見た限りではこの小説版と映画はかなり異なる内容のようだ。(もしかするとネタバレに相当する根本部分が同じなのかもしれない)。従って、映画を観ても観なくても、本書のみで新たなストーリーが楽しめるような配慮がなされている印象。作品自体もボリュームたっぷりという訳ではないが、ポイントでの描写では映像が伝わってくるような印象を受けるので物足りなさはない。(個人的な部分にもなるが、実際「口裂け女」が初期に流布した頃から知っているわけで、数々のイメージが既に頭のなかにあり、それと本書における描写が重なるがゆえに余計にイメージが増幅させるのかもしれない)。
本書では、主人公以外の登場人物描写に巧みにミステリ的なレッドヘリングが用いられており、サスペンスの効果を高めている。大きなマスク、手に怪我といった一般人に巧みに紛れる変装。果たして誰が口裂け女なのか? というあたりを小道具によってその疑惑をうまく散らしているため、”生霊”扱いと合わせなかなか正体が見えてこない。また、作品内において一旦暴走し始めた口裂け女の理不尽さの描写が凄まじく、最後の場面における戦いの迫力も素晴らしい。(肉体的な苦痛の描写が多いところは賛否ありそうだが)。
あと個人的に非常に感心したのは、定番の台詞「あたし、きれい?」の意味づけ。 オリジナルの都市伝説では、むしろ子供を脅すための言葉として機能しているのだが、本書ではこの言葉の真相に迫っている。そもそも口裂け女でもなければ、なかなかこんな台詞を現実に口にすることはないのだが、こういうシチュエーションなら確かに「あり」だと思える状況が、そのまま物語の真相へと繋がっていく。少なくとも整形手術の失敗だとか巷間に溢れる従来の噂群からは一線を画したオリジナルな処理であることは確か。

怖い怖くないでいうと、むしろ気持ち悪いに軍配が上がるがこのあたりは原作があってのことなので仕方なし。むしろ、あっさり何も考えずに読もうと思えば読めるし、じっくりと楽しもうと思えば楽しめる、その二面性が不思議な作品。
映画公開記念で「佐藤江梨子と口裂け女」のサイン色紙が当たるキャンペーン実施中。しかし佐藤江梨子はとにかく、口裂け女のサインて。一体?