MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


07/05/20
有栖川有栖「正しく時代に遅れるために 有栖川有栖エッセイ集」(講談社'06)

本格ミステリ系の作家のなかでも有栖川氏はエッセイ集の刊行に熱心で(周囲がそうなのかもしれないが)'98年に刊行された『有栖の乱読』以来、本書が六冊目となる。そのおかげか、本書は拾遺的な内容で新聞発表の日常系エッセイから追悼文まで含まれており、却って興味深い内容となっている。

日経新聞夕刊に寄稿した大阪に住む一作家の日常系のエッセイを中心にまとめられた『身辺雑記』
読売新聞夕刊に「映画はミステリー」と題して寄せた映画レビューを中心にまとめられた『映画はミステリー』
手塚治虫やいしいひさいちといった漫画、「上方芸能」という雑誌に寄せた能に関するエッセイなど、有栖川氏の本流とはまた別の文化に対して寄せたエッセイや解説など『漫画から文楽・能まで』
「ASKAデラックス」という漫画雑誌に寄せたミステリ作品お勧め、「週刊現代」に掲載したミステリ書評、更には各種のノベルスなどに寄せた帯の文章まで。本流・ミステリに関する諸エッセイ『エラリー・クイーンから有栖川有栖まで』
選考委員を務めた第七回〜第十回鮎川哲也賞、更に第九・十回創元推理短編賞などの選評を再掲した『選評』
鮎川哲也、笹沢左保、中島らもら夭折された先輩作家に捧げる文章、そして存命だった当時に恩人である宇山日出臣さんに捧げた手紙など『惜別』 以上からなるエッセイ集。ちなみに章題にはそれぞれフランス語の副題が付けられている。(『身辺雑記』には「C'est la vie」など)。

テーマが様々であることによって、かえって有栖川有栖という人物が立体化していく
まさか、ノベルスの帯に描かれるような推薦文まで収録されているとは思わなかった。一方で、いわゆるエッセイらしいエッセイである周辺雑記あり、新人賞の選評あり、解説ありと有栖川有栖という作家が、その作家の名義として書いた様々な文章が一冊にまとめられている。
あくまで印象だが、文章が短い時とある程度まとまった文章となった時の両者で「キレ」があり、中途半端な、本でいえば2ページ分くらいの文章量の時に「あれ?」というようなまとまりの苦労が感じられる。本の推薦辞など、本質をずばりと突いたひと言でまとめられていて感心するし、お勧めの作品などを丁寧に解説する場合は、その紹介する視点の鋭さや角度に感心させられる一方、身辺雑記などは何か歯切れが悪いようにみえる。エッセイ慣れとかそういう問題ではなく、主題が引き延ばされているか圧縮され過ぎているかどちらかにみえることが主因だろう。
もうひとつ、本エッセイ集は一つ一つの文章の末尾に発表された媒体が記録されている。そこから分かるのは、有栖川氏が非常に丁寧に「どういった読者がこの文章を目にするか」という点を考え抜いている点。個々のエッセイの文体であるとか説明の仕方などであるとか、そもそもテーマの取り上げ方であるとかが、相手によっていちいち異なっている。このあたりの的確さは素晴らしい。
そして内容はさまざま。特に一貫して主張がある印象はなかったが、「トリックの詩学」というエッセイで密室ものよりもアリバイものが好きだという点から、人間は「空間」よりも「時間」に対して自由にならないという角度からその二種類を比較している点に驚いた。もう一つ、長らく本格ミステリ愛好家をしてきた立場から「時代遅れ」であってもいいものはいいのだと強く主張し続けている点には感銘した。これは「「時代遅れ」を愛して」というエッセイでまとめられているのだけれど、発表された媒体が「上方芸能 2005年9月号」と普通には目に出来ない雑誌であり、このような主張の強い文章が今眼に出来るという点、こういったかたちでエッセイ集がまとめられる意義を感じる。

本書では、ミステリに限らず様々なテーマに向けた文章が数多く収録されている。この結果、その様々な事象に対して有栖川氏が何を考え、どういった印象を持っているのかが見えてくる。何か有栖川氏がより身近に感じられる気がする一冊だ。そして終盤にまとめられた恩人たちへの追悼文、これがまたまさに愛惜という言葉に相応しい気持ちに満ちている。これを早くにまとめたかったという作者の心情もまた深い。


07/05/19
太田忠司「忌品(いみしな)」(徳間ノベルズ'06)

太田忠司さんといえば、書き下ろしのシリーズ長編、ないしは雑誌発表の短編であってもシリーズ作品が一冊にまとめられることが多い。その太田さんが『問題小説』やアンソロジーなどに二〇〇〇年から二〇〇六年にかけて発表したホラー系の短編に書き下ろしを加えたものが本書。初のホラー作品集となる。

四十二歳になったばかりの邦彦は老眼だと友人の医師にいわれた。眼鏡を作るよう勧められた彼は、用事があって実家に戻り、たまたま入った亡父の部屋にあった眼鏡を掛けてみる。その眼鏡を掛けて一冊の革表紙の本を手に取ったところ白紙のなかから……。 『眼鏡』
子宮の全摘出手術を受け、なおも美しい入院患者・山形寿美子と礼儀正しく彼女に熱い愛情を注ぐ彼女の夫・恒之。最近、夫と別れたばかりの看護婦・峰子はその夫婦に対していいようもない嫉妬を覚え、ある日着替えて恒之の勤務先の近くを訪問する。 『口紅』
最愛の娘・桃子を幼くして事故で亡くした原因のことから妻との仲がこじれ、離婚調停中の蒲生政二。現在はひとり暮らし。押し入れに突っ込んだバッグの底から生前、娘にプレゼントするはずだった靴が現れた。アパートの隣にはちょうど桃子くらいの娘が住んでいるようだったが……。 『靴』
パソコン嫌いの中年会社員・松浦。彼の許に見知らぬ差出人からのメールが届く。指定されたアドレスに向かうと既に亡くなった同級生によるホームページに辿り着いた。しかしそのページは本人が亡くなった後も更新が続いている……。 『ホームページ』
ホームで飛び降り自殺をした男。その男が死ぬ直前に渡してきた携帯電話。失業中の富谷大輔はその携帯に残された写真の女性に魅せられる。その携帯にかかってきた、どうもその女性からの電話にて示された時間と場所を探して大輔は街を彷徨する。 『携帯電話』
子供を狙った連続殺人鬼を捕らえてみると十二歳の少女だった。そのニュースが世間を席巻するなか、作家の狭川充樹は三十年前に自分が巻き込まれた事件について、ルポライターの取材を受ける。現在の事件と以前の事件に類似点が多いのだという。 『スケッチブック』
ピアニスト、画家、万華鏡作家。華々しく活躍する芸術家を輩出した藤崎家の最後の一人、十九歳の藤崎華子。誕生日に憧れの武彦叔父から亡くなった綾香叔母が作ったテレイドスコープを受け取る。その万華鏡を覗き込むと藤崎家の秘密が……。 『万華鏡』
病に倒れて死期を間近に控えた作家から妻に当てた手紙。妻も娘も病院には訪れないようだが、旧知の編集者から彼の雑誌発表作品をまとめて作品集にしたいとの手紙が届く。作家の記憶は混濁しつつも作品集の話が進んでゆく……。 『手紙』 以上八編。

定型やギミックにこだわらずに醸し出される怖さ。その源泉は”物語”が持つ力。
確かに作品から受ける印象は、ホラー。人間の恐怖を喚起する理不尽でsupernaturalな要素を含む物語群なのだ。だが、いわゆる怪談やモダンホラーなど伝統的で一種定型的な恐怖とは、この物語群は一線を画しているような気がしてならない。確かに怖いという意味では怖いといえる作品なのだが、普通に恐怖小説を読む感覚とは異なる何かがある。
作品の裏表紙にある通り、作品の共通テーマとしては「”道具”に秘められた魔の力」がある。どの作品においても題名になる道具がテーマとなっていて、その道具は既に亡くなった誰かが登場人物に残したものなのだ。かといって、その道具に恨み辛みが込められている作品ばかりかというとそうでもなく(込められたものもありますよもちろん)、道具は触媒として主人公の人生を変貌させてゆく触媒として機能しているようにみえるのだ。全てを読み終えて、作品全てを俯瞰しながら考えるに、道具そのものよりも、その道具をきっかけに、人間の持つ秘めた欲望や願望、秘密が顕わになっていく過程がポイントのように見えてきた。
中年男性から、若い男女まで主人公を務めさせられる人々の設定も性別もさまざま。ポイントとなる”道具”すなわち遺品にしても、手に取れる”モノ”からホームページや手紙といった”情報”までさまざま。だが、共通しているのはその道具を手にしたことをきっかけに登場人物の人生が変じてゆくことにある。短編でありながら、その人生の変化を恐怖として描けるのは、背景にある物語がしっかりしているからこそ。文章が平易で描写が的確ゆえにするりと読めてしまう、太田作品特有の良さがこういった恐怖譚において活かされている。無理に濃密な文章にせずとも物語の背景がしっかりと描かれていれば、重文に怖さを喚起することができるのだ。
個人的には『口紅』の壊れた登場人物+ラストの訳の分からないまま幕が下りてしまう相乗効果と、『万華鏡』の太田作品には珍しいエロティシズムの漂う腐敗した耽美感覚あたりが印象に残った。

とはいえ、太田作品として表だって代表作品集に数えられることはないようにも思えることも確か。 ”裏・太田忠司”としてファンがひっそりと、そして全く太田作品を知らずにホラーという言葉に惹かれた読者とがこの何か後ろめたさを伴う物語を楽しむべきなのではないかと感じられた。


07/05/18
篠田真由美「聖女の塔」(講談社ノベルス'06)

建築探偵シリーズ、第三部の二冊目、通算でいえば短編集含み十六冊目となる長編。書き下ろし。既に発表されているように、この第三部全五冊にて建築探偵シリーズは完了する予定だという。

2002年。大学を休学して病気の母親を看取った蒼は再びキャンパスに戻ってきた。どこか不安定な気持ちを抱えた蒼は、以前の事件で知り合った女の子・川島美樹から彼女の友人・及川カンナがキリスト教系のカルト教団に監禁されているのではないかと不安を訴えられる。蒼は美樹に協力を申し出、二人して教団を訪れるのだが、教団の有力者・マテル様よ、カンナは内部で修業を続けているとの話を聞かされる……。一方、京介は深春の知り合いというルポライターで宮本信治と名乗る人物から、取材協力の要請を受けていた。長崎の平戸近くにある現在は無人島の波手島で、複数の女性が火に焼かれて死亡する事件があったのだという。警察有力者により事件報道は控えめだったが、カルト教団の集団自殺が考えられた。その犠牲者の一人が残した遺書に京介の名前があったことから、京介は宮本と共に現地である長崎へと向かった……。

単発での面白みをかなぐり捨て、シリーズとして着々とクライマックスへと向かう
いわゆる”操り系”の本格ミステリの発想がベースにあるように思われるのだが、そのアイデアを京介の”敵”の狂気と不可解な存在、そしてその心の闇が持つ強大な力と才能といったところを誇示するために使用している印象。ノンシリーズでこの設定を用いて、ミステリとしてブラッシュアップすることも十分に可能だと感じられるテーマにもかかわらず、ここでを惜しげもなく”シリーズ”のために費やしている。なので、これまでの人間関係や設定といったところがそこかしこに伏線として用いられていることもあって、(仮に全作を読破しているファンであっても)本格の意味で本書の最終的な真相を見通すことは困難ではないか。重ねていうがミステリとして(多少の無理矢理感はあるものの)深みのある作品なのだ。
一方でその”シリーズ”設定を十二分に活かしていて、敵の京介に対する挑戦の度合い、登場人物のレッドヘリング、思わぬ人物が思わぬ役割を果たしていたりするなど、思いがけないところにサプライズが仕掛けられていたりするなど「巧い」と唸らされる点も多かった。こういった点から考えるに、本作は恐らく本シリーズを収束させるための、一序章として位置づけられるエピソードであり、これまで以上に周辺作品との繋がりが重要になってきている。(事実、巻末に示されている『桜闇』(のなかの短編)『月蝕の窓』以外の作品からも、重要な役割を果たす登場人物が本作に顔を出している。

本作の読み所は読者のタイプによっていろいろだと思うが、(ラスト近辺での翳の叫びなど、思い切りウケた)少なくとも、シリーズを読んできていないお初の読者を本作ではもう相手にしていない印象だ(本作からだとシリーズ逆読みが必要になるだろう)。本格テーマを扱いつつ、蒼や京介が陥れられるシチュエーションが醸し出すサスペンスが強烈。 シリーズ読者は読み逃すなかれ。


07/05/17
森見登美彦「太陽の塔」(新潮文庫'06)

刊行時から何かと話題となっていた『夜は短し歩けよ乙女』が本屋大賞で二位を獲得したり第20回山本周五郎賞を受賞したり直木賞候補となったりと本当の意味でのスマッシュヒットとなりその他の作品も売れ知名度も上がって本上まなみとの対面を果たし今をときめくモリミーこと森見登美彦。2003年、第13回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した本書がデビュー作。この文庫版の解説もまた本上まなみだったりする。

京都大学農学部をある理由から休学中の”私”には、かつて水尾さんという恋人がいた。毎日が愉快な日々、しかしその水尾さんはあろうことかこの私を袖にしてしまう。私は彼女から研究停止を宣告されながらも、水尾さんの研究観察を続けていた。そんな私の生活に「遠藤」なる人物が関わってきた。彼は私に彼女につきまとうことを止めろという。しかし私は別に水尾さんにつきまとっているわけではない。そういっても遠藤は遠藤で一歩も引く構えがない。私の持つ男臭い友人たちは、それぞれ己の道を行き、互いに影響し合う。「彼らは根本的に間違っている。なぜなら我々が正しいからだ。」一抹の疑念を感じつつも、そう信じる私たちは平和に恋人たちが睦み合う、クリスマスイブの京都に対してあるムーブメントを巻き起こそうと日々地道な計画を練る。

男子学生の清く正しい濃縮された男臭さがぷんぷん漂うなか深い筋書きは無し。それでも面白い不思議な物語
清く正しい自意識過剰な男子学生たちが織りなす魂の饗宴。非モテ系で不器用、流行に左右されないとはいっても限度があるだろうにでも別にそこに居ること自体迷惑でもなんでもなく、ひたすらに生真面目に生活し日々妄想を育む若者たちの赤裸々といえばこれ以上ないほどに赤裸々な生態。独善的でだけど持て余すエネルギーの使い方を知らず、ないしは使い方を間違えていく姿が、独特の文体で綴られていくのを眺めているだけでもとりあえずは楽しい。
また、後半に行けば行くほど独自のファンタジー世界に入り込んでゆくのだが、それもまた”若者ならではの妄想”がキーワードになっているところも楽しい。山本周五郎賞を受賞した『夜は短し恋せよ乙女』とも、一途な(そしてちょいと迷惑な)恋心が鍵になっている点は共通しているが、こちらの方の彷徨う魂の方がむしろ荒削りで男汁度が高い。それでも広範な支持を受けるあたりはユーモア交えたその語り口が軽妙で、かつ重々しさ(本人にとっては)が、読者に対してエンターテインメントとして伝えられているからか。
なんとなく、本作については本文中にあるこの一文が全てを語り尽くしているような気がした。

 「ただし、苦いからと言って良薬である保証はどこにもない。毒薬もまた苦いのだ。

とまあ、面白さという意味のとらえ所がなく、どこか読んでいるこちらもまた身を切られるような痛さ切なさの方が上にくる。その痛さは恐らく森見文学共通の主題であるともいえるし、作者もまた大変だよなあと思う次第。少なくとも異色作の多いファンタジーノベル大賞の一連の受賞作のなかでも相当な異色作だといえる作品でしょう。(森見作品群のなかで浮いているわけではないけれど)。


07/05/16
福田栄一「エンドクレジットに最適な夏」(東京創元社ミステリ・フロンティア'07)

福田栄一氏は1977年生まれ。2003年に光文社から刊行された『A HAPPY LUCKY MAN』にてデビュー(現在光文社文庫)。シチュエーションコメディから青春小説まで、緻密な構成と抜群なリーダビリティが光る作家である。

”俺”こと浅木晴也は、巨体を持ち建設現場でバイトをする俊喜と二人暮らしをしている貧乏学生。そこに友人の和臣が依頼ごとを持って現れる。彼の友人で銀座でアルバイトをしている女子大生・能見美羽が何者かにつきまとわれているので、その相手を特定してストーカー行為を止めさせて欲しいのだという。彼女が支払う報酬は二十万円。俺は彼女から心当たりを聞き出す。一人は、元彼だという彼女のサークルの先輩の大学四年生・大谷で、もう一人は銀座での客・カメラ会社社長の馬場といった。まず俺は、同級の坂本葵に渡りをつけてもらい大谷と会う段取りを付ける。さらに実際に美羽の部屋で不審者を見張っていた俺は、早速戸外に立ちつくしてマンションを見上げる男を見つけた。男に話しを聞いてみたところ別に不審者ではなく、美羽の隣室に住むという妹の様子を案じていた兄だった。その妹と連絡が取れなくなっているという男からの依頼をもまた俺は引き受けてしまう。翌日、大谷と話をした俺は彼は無関係であると判断、その大谷は別の容疑者候補として、美羽にかつてつきまとっていた内藤という人物の名前を挙げる。一方、カメラ会社社長の馬場もあっさり俺との面談を認めたかと思うと、実は別のトラブルを抱えていたことが判明……。

芋づる式トラブルシューティング。小気味良い展開とさっぱりした内容が清々しい青春ミステリ
羊の皮を被ったオオカミというよりも、オオカミたちに鍛えられた羊という感じ。主人公の設定は、荒れた中学校にて自分を失わずに生き抜いてきた三年間の経験を糧に、さまざまな駆け引きと暴力への対処と面倒見の良さを兼ね備えた好人物。彼が引き受けた一つの依頼をきっかけに、次々と他人のトラブルを解決してゆく――というのがストーリー。ひとことでいえば、”十分成熟した大人の判断力と行動力を兼ね備えた大学生”といった感じで、実際こういう人物が学生時代に身近にいれば、誰もが頼りにしたくなるだろう。良くも悪くも本書はこの主人公・浅木晴也の造形が中心となって回っている。 素直に彼の持つ魅力に従って読むのが吉。「こんな奴いねーよ」とか「こんなにトラブルは横につながらねーよ」とか、ここで作品自体の骨格を否定してしまうと小説自体の御都合主義(当然あってしかるべき構成上の綾だが)がやたら目についてしまうかもしれない。
こういった主人公が引き受けるトラブルもまた絶妙なバランスで割り振られる。普通の大学生にとって微妙に荷が重いというレベルであり、(本格的ヤクザや、やばめなサイコさんが登場しないという意味で)本人たちの奮戦により何とか普通に解決に向かってゆく。事件が事件を呼び、解決した事件が別の事件解決のヒントを提供し、重要人物がどこかで繋がっていたりと、不自然ではない範囲で伏線(というか設定)に繋がりがあり、それが最大の特徴となっている。この結果、物語自体がコンパクトにまとまっている印象を創り出せている。これは決して悪いことではない。また主要な脇役たちにも総じてそれぞれに人間的な魅力があるし、いわゆるキャラ立ちもきっちり。ラストに描かれる微妙な苦みも決して嫌味がなく、その苦みによって青春ミステリらしさが引き締まっている点も巧みだと感じた。

現代的な大学生活が普通に設定となっており、誰が読んでも楽しめそうという意味では間口の広い作品。扱っている犯罪はそれなりに毒がありながら、その毒をぎりぎりのところでえげつなさを消しているところも巧い。恐らく誰が読んだとしてもするするとラストまで楽しめることと思う。


07/05/15
古川日出男「アビシニアン」(幻冬舎'00)

ちょっと実験的に感想の書き方を本書に関しては変えてみる。

現在は第二長編にあたる『沈黙』と第三長編にあたる本作がカップリングされ一冊となって角川文庫にて刊行されている。古川日出男に関しては、小生読む順番がバラバラなのでこちらも傑作と名高い、その『沈黙』も未読(というか後の楽しみに取ってある感じか)。ただ、文庫化の際にわざわざ両作品をくっつけたという点に関しては、作者なりの意図があるはずで、今回のように単行本で読んだでしまうと”その作者の意図”については感じることが出来ない――ということに後から気がついた。

 ……ただ、正直にいうと『アビシニアン』一冊でお腹はかなり膨れる。(『沈黙』もそういう系列の作品だと聞くが)。

 物語の端緒から、その背景はほとんど語られない。「わたし」は中学を卒業後、かつて飼っていたが引っ越しの際に親が保健所に引き渡してしまった純血腫の猫・アビシニアンを求め、数年ぶりに都内の公園を訪れる。そのアビシニアンが保健所ではなく、なぜ現在公園にいるか――についても、背後に語られないドラマがありそうなのだが作者はそれを敢えて省略している。そして「わたし」は、アビシニアンと公園内のバード・サンクチュアリに入り込んで自らのための巣(ネスト)を作り、アビシニアンと互いに敬い合いながら共に暮らす。公園に遊びに来た人々が残した食べ物や着物、夜中に”狩り”にて手に入れる食料と、元もと所持していた僅かな現金とで彼女は暮らし……そしてアビシニアンは天寿を全うし、「わたし」は 言葉を読むことが出来なくなる。いわゆる文盲になったのだ。

 一方、都内で大学生活を送り始めた「ぼく」はシナリオを書く。中学生の頃から始まった突然の視野狭窄と強烈な偏頭痛が、あるきっかけから引き起こされる体質。「ぼく」は大学の友人と共に訪れたとあるエスニック料理屋で”エンマ”と呼ばれる彼女と出会い、その野性的な瞳と「文字が読めない」という彼女に強烈に惹かれてゆく。

 文学として描かれる、文字を喪失する物語。 特に根本的ツールである文字が否定され、文字の読めない世界を内側から感覚のみで描く第三部は圧倒的な迫力をもって読者に挑みかかってくる。恐らく今自分が、例えば中東あたりの街に放り込まれたら味わうであろう(書いてあるものの意味が理解できない)という心細い感覚と、その状態を前向きに戦いとして捉えている精神力の描写に打ちのめされた。

エスニック料理屋を経営している西繭子という女性の人生。アップダウンの厳しい人生を駆け抜けた彼女も加わって、最終的に物語の登場人物は通りすがりを除くと三人と一匹に増量される。が、文字を持たない二人の、感覚のみの物語は、都会を荒涼とした大地へと変え、各種の匂いで世界を感じ取る都会というジャングルで生きる野性の二人の物語へと収斂してゆく。そして、その収斂は絶妙なラブストーリーへと姿を変えて幕を下ろす。ただ物語の幕は下りていても、未来へと永遠に続く圧倒的な小宇宙がここにある。

原稿用紙四百四枚。書き下ろしの宇宙。欠けていることでより研ぎ澄まされた感覚が形成する新たな世界。そんな物語。


07/05/14
近藤史恵「ふたつめの月」(文藝春秋'07)

連作短編集『賢者はベンチで思索する』にて登場した若き社会人・久里子と赤坂老人によるシリーズ二作目。(続編があるとは思っていなかったのでちょっと嬉しかった)。『別冊文藝春秋』262号から268号まで連載された作品。

契約社員から一般社員へと昇格した七瀬久里子。しかし一週間後にプロジェクト縮小の結果、上司の女性からクビを宣告される。就職を祝ってくれた周囲の手前、言い出せない久里子。彼女は出勤している振りを続けて周囲と自分とを欺いていたが、その日々のなかで久しぶりに赤坂老人と再会を果たす。 『第一話 たった一つの後悔』
八月から料理の修業のためイタリアに行ったきりの弓田譲。クリスマス前、彼が帰国してきたのだが、久里子の期待していたような展開にならない。料理を披露してくれるという彼の自宅に赴いた久里子は、弓田の幼馴染みという女子高生・明日香と対面させられる。 『第二話 パレードがやってくる』
お互いの気持ちを確認した久里子と弓田。久しぶりに赤坂老人に報告に出掛けた久里子だが、少し話をして別れた直後、赤坂老人が車に撥ねられてしまう。命には別状はなかったが赤坂は久里子に、公園の街灯を壊して欲しいという不思議な依頼をする。一方、警察にマークされている赤坂の事情を訊きに久里子のもとにも警察が訪れるが……。 『第三話 ふたつめの月』 以上三編。

若い女性の揺れる心を描かせるとさすがに巧い。”人生”と”ミステリ”のほどよいミクスチャ
本編には、三つの作品に三つの「日常の謎」が込められていて、それぞれが職人芸といえるほど巧いのだけれども、それ以上に強烈な印象を残すのが弓田譲と七瀬久里子の恋愛模様。 決して美男美女ではなく平凡な男と女の(と描写されている二人の)一瞬のドラマティック、複雑な感情な揺れが丁寧に描写されている。この部分については論評を差し挟むのは苦手なので避けるが、前作から続く、惹かれ合いながら今一歩が踏み出しきれない二人の微妙な関係を、作を追うごとに徐々に発展させていく作者の手腕は素直に見事だと思う。この二人に感情移入できる読者はずぶずぶにこのシリーズに嵌るのではないか。個人的には(久里子をやきもきさせる)弓田の身勝手とはいかないまでも真面目すぎるがゆえに誤解を招く態度が印象に残った。こういう男、いそうだよなあ。
一方でミステリ。いわゆる本格とも微妙に違うのだけれど、そういった恋愛小説としてのストーリー展開に沿ったかたちで人間の微妙な心理を「謎」の内部に取り込んでいる点が絶妙。 特に二話目、なぜ弓田が久里子を招くのに別の女性を呼んだのか、その明日香がなぜ久里子につきまといさまざまな表情を見せるのか。実際の恋愛譚のなかでもありそうな話ながら、本質を読者から隠しながら最終的に強烈な物語上のインパクトを見せつけてくれる。このエピソードがあってこそ、後半の恋愛小説部分が更に引き立つようになっている。
その他の話にしても、謎と謎解きの「部分」だけを羅列するとそう深いものではない。だが、周辺人物の描き方、久里子の自然なようでいて謎解きという意味での微妙な立ち位置など、細かな配慮と微妙な演出によって「謎」「謎解き」(というより本作の場合は「疑問」「真相」といった感じか)が、その内容以上に物語内部の重要な起伏として活き活きとしたかたちで立ち現れてくる。巧い。

近藤ミステリのつもりで読み始めたところ、恋愛小説としての比重が従来作品より重きを置かれている作品であった。が、ミステリ部分に手抜きがあるわけでなく、恋愛ミステリとしてきっちりとした仕事をしている点に安心。一般的には女性にお勧め……ということになろうが、男性が読んでも全然おかしくありません。


07/05/13
芦辺 拓「迷宮パノラマ館」(実業之日本社'07)

国産ミステリ作家では(断定するのは憚られるが)我孫子武丸による『小説たけまる増刊号』以来となる”ひとり雑誌”形式の作品集。短編集やエッセイ集とは異なり、これまで各種メディアに発表してきた芦辺さんの様々なジャンルの作品群を雑誌のような形態で一冊にまとめてしまったもの。芦辺氏高校生の時代の作品まで加わった、貴重な一冊だといえよう。

(梗概をここに書くよりも、本来は目次をスキャンして掲載したいのだが)
プロローグとして『千二夜目の物語』。続いては、十九世紀・太平天国の乱にて激動する中国に身を投じた西洋人が体験する怪奇冒険活劇『太平天国の邪神』と、十四世紀・大ハーンの都にたどり着いたインドからの使者の幻想的かつ探偵小説的経験を描いた『カンバリクの盗賊』のメインディッシュ級中編二本立て。ここにディープなミステリファン向けの三掌編『グラン・ギニョールの夜』『読心術師』『ブロードウェイの聖夜』が入る。更に、本作のもう一つの目玉、作者十代の頃に執筆された森江春策もの探偵小説『二つの扉』『飛蝗亭事件』『カイン屋敷』の三本。ミステリ系ショートショートを挟んでは講談の原作が二つ『講談・江戸川乱歩一代記――乱歩と神田伯龍』『講談・海野十三一代記――火星からの伝言』。幻想系ショートショートを四編味わったあとはレトロなSF冒険譚『太陽系七つの秘宝』が控えている。続くのはSF系ショートショートがあって、珍しいラジオドラマのシナリオ『坪井警部の事件簿――少なすぎた容疑者』が。パロディ系のショートショートを幕間に楽しんだところで幻のデビュー作品『絶景十津川郷』から、物語を主題にとったショートショート、そしてエピローグにてひとり雑誌はおしまい。

エンタメのあらゆる方向性を一冊にて楽しむ。既定の「枠」から飛び出してこその”ひとり雑誌”
冒頭作品が歴史幻想冒険伝奇ロマン&ファンタジック探偵小説といった、エンタメ各方面ごった煮の作品から始まっているせいもあり気付きにくいが、伝奇〜ミステリ〜幻想〜SF〜ファンタジーといった流れを徐々に変化させるかたちで作品が並べられている。収録されているのは、通常の短編集に収まっても良い作品と、通常の単行本出版ではどうしてもはみ出てしまう作品との両方であり、これらが両方混じり合って、この短編集からは独特のテイストが感じられる。つまり、全編が作者・芦辺拓によるものであって最低限の統一感(作者が同じだから当たり前なのだが)が取れている一方、テンションもノリも異なる、次に何が飛び出すか分からない作品が次から次へと目の前に現れる。この結果、読者を飽きさせない構成となっているのだ。
ひとり雑誌から離れて、個々の作品を俯瞰するに、作品の発表(執筆)年代は1970年代の未発表作品から二十一世紀になってからのものまで非常に幅かある。単行本にするにあたって手も入ってはいるのだろうけれど、本書のような作品からは芦辺氏デビュー前から現在に至る、通常は表に出てこない執筆姿勢が垣間見えるところも面白い。決して最初から探偵小説一本を指向して、それを貫いているという現在、多くの方が持たれている”芦辺拓”のイメージを覆すものでもある。一方で、近年強く打ち出している、”物語”という存在へのこだわりが当初からあって、手を変え品を変えてしっかりと実践して来ていることもよく分かる。

個人的には冒頭の伝奇二本立てに込められた奇想の数々が目を引いたことと、未発表だった森江春策の習作が意外と(?)きっちりまとまっていることに驚いた。また本書の題名のもととなったと思しき毎日新聞連載という《超短編パノラマ館》からのショートショート群が、これまた驚きの連続。出来の良い作品の比率が実に高いのだ。(一部、苦しいかなというものもあるのはご愛敬)。この”ひとり雑誌”という体裁にこだわらずとも、単純に「面白い!」といえる作品が多い点も本来は評価されるべきところかと思う。また収録された二本の講談は、さすがに『名探偵ナンコ』で生聞きしていることもあってかなり感慨深いものがある。
苦言というか希望というかを少し。 本書自体がハードカバーであり、雑誌特有のチープさがあまり感じられない。また、雑誌とはいっても週刊誌などの通常の雑誌というよりも、文芸誌(しかも小説が娯楽の中心だった往年の)にイメージは近い。それはそれで良いのだけれど、もし次に同様の企画で”ひとり雑誌2号”が刊行されるとするならば。もっと本来の”雑誌”のイメージに近づくよう、グラビアとかクイズとか、読者コーナーや自著の広告などまで入れてくれると楽しいな……などとも感じてます。

少なくとも、近年ほかにあまり類のない形式でまとめられた短編集であることは確か。また、収録作もこれまで単行本に収録されてこなかったのは出来の問題ではなく、単に従来の短編集の「枠」に入りきらなかったものばかり。こういった越境作品が一冊になって楽しめるなんて、贅沢なことです。


07/05/12
岡崎隼人「少女は踊る暗い腹の中踊る」(講談社ノベルス'06)

岡崎隼人氏は1985年12月22日生まれ、岡山県在住。本書で第34回メフィスト賞を受賞してデビュー。

両親から受け継いだ、岡山市内にあるコインランドリー二店を管理する仕事で日々を過ごす北原結平。十九歳になる彼には、幼い頃に仲良くしていた女子高生”えみさん”の死に関して深いトラウマを抱えつつも、それなりに生きてきた。しかし深夜のコンビニエンスストアで駐車中のバイクのメットインに、制服を着た美少女が何かを入れていったことで生活が一変する。岡山を騒がしている連続赤子誘拐事件と繋がりそうな中身、それは手足を切り取られ、奇妙な扮装をさせられた赤ん坊の死体だった。警察に通報せず、結平は死体を一旦自宅に隠して、その美少女の正体を探ろうと奔走する。徹底した身許調べの結果、小学生であることを突き詰め、その自宅などを探すうちに、レイプされかかっていた彼女・蒼以を発見、自宅に連れ帰る。また彼に”ウサガワ”なる人物から接触があり、赤子誘拐事件など二軍に落とすという犯行予告を残し、実際に一家惨殺の事件が発生した。一連の事件は、過去の結平が体験した事件は、どう繋がってゆくのか……。

激情を伴いながら静かに進行する狂気狂気狂気。心の闇ではなく闇の心。そこへの光は幻。
読んでいる途中で、何度も抛り投げようかと思った。残虐でも冷酷でもなく、のっけから非道のオンパレード。 乳児は手足を切り取られてバイクに詰め込まれるわ、主人公は死体を隠して犯人捜しをするわ、連続殺人鬼は一家を皆殺しにした上に、奇怪な装飾を施すわ、小学生の女の子の皮膚が切り刻まれるわ、主人公は別の少女を犯人代わりに殺害を決意するわ……。
ホラー・スプラッタ系の小説作品を読んだ時の「人間は所詮肉と皮」といった割り切りもなく、むしろ精神的な歪がこちらに伝わってくるような作品。本書の主人公や登場人物たちは、他人を衝動的に殺害することに躊躇いがなく、その痛みや苦しみといったところには感覚が進まない。むしろ登場人物の考え方が伝わる度に、常識とはかけ離れたその思考論理に対して怖気を感じるような作品だ。本人たちなりに納得した理由、目には目を、大切な何かを喪った者は無制限の復讐を……といった歪んだ理由があるだけに余計にたちが悪い。読者として彼らに協調しないように読み進めたこともあろうが、客観的にこれだけ”変”な人間を登場させてゆき、かつ全くぶれない作者のセンスに戦慄してしまう。
ただ――こういった心の歪そのものは、ここまで激烈なかたちでの発露はないにしても、青少年が心の中に鬱積させているものと共鳴するところがあるだそうし、この世代のむちゃくちゃな心の闇をここまで徹底的に描き出したことそのものは驚嘆に値する。(但し驚きはするが、あくまで個人的には肌合いが合わなかったが)。一応、幾人もの物語が繋がり、エピソードと関係者は一点に集約されていくのだが、何か、歪んだまま突っ走り、そして歪んだままラストまで走りきってしまっている印象だ。

これもまた一つの才能であり、こういった作品を描く新人ということでメフィスト賞の受賞は妥当かと思う。そしてまたメフィスト賞以外では世の中に飛び出してくること自体がなかなか困難だとも思う。個々の人間の歪を突き詰めてゆくと、物語世界自体が異形の存在として屹立するということなのか。単純に評価し辛い作品である。


07/05/11
北森 鴻「暁の密使」(小学館'06)

そもそも鮎川哲也賞の出身で美術品ミステリからユーモアミステリまで、様々な要素をミステリに取り入れてきた北森鴻氏。本書はまたそのバラエティを深める作品で、日露戦争開戦前夜の大陸を舞台に、実在の人物を活躍させた壮大な歴史冒険小説だ。『文芸ポスト』誌に2003年春号から2005年春号まで連載された『暁の使徒』が加筆改題された作品。

一八九九年、日清戦争に勝利して湧き上がる日本は次なる外患に備える必要があった。不凍港を是が非でも手に入れたい露西亜のシベリア南下政策に対抗しなければならない。日清戦争で勝利したとはいえ、日本はまだ亜細亜の三流国と見なされている現状では、欧米の列強は強い圧力を仕掛けてきており、日本にはそれを拒否できるだけの国力は未だ無かった。清国を巡る”グレートゲーム”に日本は加わる必要があった。そのための一つの方策は、英国との同盟、そして清国を挟んで反対側にある小国・西蔵(現在のチベット)との同盟であった。しかし西蔵は極端な鎖国政策を取っている上、その道程は険しい。東本願寺の僧侶・能海寛は自ら願い出て、西蔵にあるという「チベット語大蔵経」を入手して日本仏教を再興することを目的に大陸に渡る。能海の目的は純粋であったが政府は彼に金を出し、その手伝いをした。様々な思惑が交錯するなか、能海はひたすらに西蔵を目指して旅を開始する――。

権謀術数に加えて自然の脅威と異国の脅威と。困難で静かな冒険行に賭ける男の夢
明治維新の後、対外的に激動の時期を迎えつつある日本の熱狂。亜細亜の覇権と利益を巡っての国際的な緊張感。そういったいろいろな背景が描かれる。もちろん、そういった実際にその様々な国際的な駆け引きが本筋た、主人公・能海寛の冒険の道行きに少なからぬ影響を与え、様々な思惑に変じて彼の身に関係し、災厄となって降りかかってくる。ただ――本書の背景についてはそういった、一九〇〇年代前後の国際謀略が少なからぬ影響は与えているとはいえ、その焦点は自らの目的――純粋に故国の仏教のことを思い、愚直なかたちで西蔵(チベット)入りを目指そうという意志の人の物語にある。自分が利用されたり、何かに使われることを知りながらも、あくまで善意の人として生きようとする能海の姿は、ある意味もどかしく、ある意味清々しい。
また、未開の時代の中国奥地の描写が淡々としていながらも拡がりを持っており、異国の雰囲気(時代も)を満喫できる。そういう意味では化け物=軍部や西欧列強、西蔵法師=能海、猪八戒や沙悟浄=揚用、洪水明、義烏、明蘭といった北森版「西遊記」といった様相をも呈している。とはいえ、「能海寛」という人物自体は実在した人物であり、その判明している史実に物語が則っている以上、フィクションとはいえ一定の縛りが存在している。ただ、その縛りのなかでこういった人物配置を行うことで物語の躍動感を高めており、結末に至る運命が彩られてゆく。
とはいえ、あくまで心に残るのは目的に対して真摯であり、有能であり、勇気もあり、一定の業績を残しつつも志半ばにして散ってゆく男のなかの男の姿。能海寛という人物の魅力と運命を、物語のかたちで描き出すという部分に関して成功している。静かで強い。そんな小説だ。

本格ミステリの要素は皆無といって良いが、物語の質は高く北森ファンであればその期待を裏切るものではないだろう。また、こういった歴史小説系を好まれる読者であっても、恐らくは特に違和感なく入り込めるだろう作品。成長というと烏沽がましいが、北森氏の創作に関しての懐は実に深い。