MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


07/05/31
折原 一「丹波家殺人事件」(講談社文庫'94)

元版は'91年に、なんと日経新聞社より刊行されている作品。講談社文庫にて'94年に文庫化されたあと、2004年になって光文社文庫から再刊行。その際には題名が『丹波家の殺人』と改められている。折原氏の操るシリーズ探偵の一人、密室大好きの黒星警部が探偵役を務める。

建設会社を一代で興したワンマン会長・丹波竜造。悪天候を出帆したヨットが消息を絶ち、彼は遭難したものとみなされた。発見された彼の手記により船内で遺言書が認められたと考えられたが、その遺言書そのものが見つからない。竜造には先妻とのあいだに三人の息子と長女がおり、更に連れ子のある後妻、愛人と豊かな人間関係を誇っていた。葬式が執り行われ、丹波家の顧問弁護士によって取り出された遺言書には長男に遺産の大部分が贈られる内容が記されていたが、その晩、相続税対策で竜造が作っていた仏間で長男・健太郎が謎の死を遂げる。現場は密室状況で駆け付けた黒星警部は異常な興奮を示すが、他殺であるという証拠は見つからない。その健太郎の葬式を終えてしばらく、新たな遺言書が銀行の貸金庫から発見される。内容は後妻の千春に財産の過半を譲るというものだったが、千春はそんな大きな遺産は必要ないという。しかしそんな夜、雪で覆われた離れにある密室にて、竜造の長女・末子が何者かに襲われ殺害された。しかし被害者と発見者以外の犯人の足跡は見あたらない……。

トリックもユニークだが、それ以上に丁寧なレッドヘリングに満ちた構成そのものが光る
いかにも「骨肉の遺産争いをしてください」というばかりの家族構成。それゆえに登場人物が少なくはないが、それぞれが独特の個性を持っていて読んでいて混乱させられるようなことはない。本書の骨子だけを述べると、遺産を巡って丹波家の一族が、一人また一人と密室など不可解な状況で殺害される――というもの。しかしながら、その不可解犯罪のみを注視していると別のところから一撃を食らうことになる。
確かに、仏間の密室や何者かが争う光景が複数人物に目撃されながらの雪密室からの犯人消失など、本格ミステリらしいガジェットは興味を引く。ただ、次々と新たな遺言が発見されて、同じ丹波家の内部での人間関係の状況が読み進むにつれて変化し、遺産相続権を持たない三男が現れるなどシチュエーションとしての奇妙さもまた本作の魅力。多くの部分で語り手となる後妻の娘で竜造と血の繋がりを持たないリエを巡るサスペンスなどもスパイスが効いている。様々なポイントを効果的に配した結果、総合的なサプライズへと向かっていくのだが、これは読み終わってから初めて分析できること。叙述トリックともまた異なる、作者一流の読者を煙に巻くような周到な構成が見事な作品かと思う。パズルに徹するでもなく、現実性という意味ではあまりに推理小説的ながら、巧みな構成がエンターテインメントの核を成している。

今、なぜこの作品を取り上げたか――というところに深い意味はなく、手元にあった未読作品を消化するなかの一冊。発表当時の”新本格ムーヴメント”の流れに内容やガジェットとしてしっかりと乗りながら、後の折原ワールドに通じる構成の周到さが感じられ、なかなか興味深い読書時間となりました。


07/05/30
京極夏彦「旧怪談(ふるいかいだん) 耳袋より」(メディアファクトリー'07)

怪談雑誌『幽』一号(二〇〇四年七月刊)から六号(二〇〇七年一月刊)までに掲載された『旧耳袋』に加筆訂正された作品群に、『稲生モノノケ大全 陽之巻』に収録された「もう臭わない」が加えられた作品集。江戸時代の旗本にして好事家・根岸鎮衛が残した随筆『耳嚢』から、特に怪異譚を選んで現代風に訳している。原文も弊録。

暴風雨の中のお役目。当番仲間の緊急の呼び出しに応じた武士のUさんは、一本道の路肩にうずくまる女性の姿を見た。その時は通り過ぎたが、共侍が様子を見に戻ろうかという。同僚と合流した後に振り返ってみるがもうそこには誰もいない――。 『うずくまる 番町にて奇物に逢ふ事』
大坂で開業医をしているFさんが真田山の知人の所を訪ねたところ、夕暮れにものものしい雰囲気の男が現れた。遠くに出向くので暇乞いをしにきたという。遠くに帰るという男に不審を覚えたFさんは知人にあれは何者かと尋ねたところ、人ではなく狐なのだという。 『覚えていない 獣の衣類等不分明事』
ほか、『ただいま 妖談の事』『ぼろぼろ 貳拾年を経て歸りし者の事』『真っ黒 外山屋敷怪談の事』『どすん 戯場者為怪死事』『妻でも狐でも 霊氣狐を頼み過酒を止めし事』『遺言にするほど 猫の怪異の事』『見てました 魔魅不思議の事』『正直者 鬼僕の事』『つけたのは誰 不思議なしとも難極事』『誰が作った 下女の幽霊主家へ來りし事』『何がしたい 怪竈の事』『どこに居た 狐狸の爲に狂死せし女の事』『寸分違わぬ 河童の事』『引いてみた 幽霊なきとも難申事』『もう臭わない 藝州引馬山妖怪の事』『なぜに虻 人魂の事』『小さな指 頭痛の神の事』『可愛がるから 猫の怪の事』『やや薄い 赤阪輿力の妻亡霊の事』『あっちも 奇病の事』『がしゃん あすは川亀怪の事』『座頭でないなら 妖怪なしとも申難事』『設定 不義に不義の禍ある事』『効き目 貧窮神の事』『プライド 義は命より重き事』『気のせい 怪刀の事(ニケ條)』『もうすぐ 怪妊の事』『百年の間 菊むしの事 於菊虫再談の事』『抜ける途中 人魂の起發を見し物語の事』『血は出たけれど 上杉家明長屋怪異の事』『別人 作佛祟の事』『さわるな 神祟なきとも難申事』『とりかえし 猫人に付し事』

”新耳”風にして京極風な現代訳を取るか、それとも原文から立ち上る雰囲気を取るか。
帯にあるように「侍のUさんがお化けを見た!」といった書き方が、江戸時代の原作に付けられている。このミスマッチは明らかにわざとやられており、本家(?)の木原浩勝・中山市朗による「新耳袋シリーズ」における書き方が強く意識されたものだ。江戸時代の物語のなかにミーティングだとかクーリング・オフだとかわざと現代カタカナが挿入されていたりと旧怪談とはいいながらも、従来型の怪談ではないところが良くも悪くもポイントだろう。
ただ――、怪異にあたった際の人の気持ちだとか、そこから類推される思考方法だとかに京極夏彦らしさが垣間見える。 原文では淡々と事実を述べているだけなのに、その隙間に挿入する感情や気持ちといったところにセンスがあり、単なる現代語訳ではなくて京極夏彦の創作としての味わいが含まれている。それでいて、原作(『耳嚢』)に、物語自体は忠実。本書そのものは、京極作品→原文の順で掲載されているのだが、原文→京極作品の順に読むと京極夏彦の物語センスがよく分かる。単純に原文の順序に淡々と現代語化するのみではなく、巧みにエピソードの前後を入れ替え、隙間にありそうな設定を挿入し、といった職人芸を経て現代的な怪談譚を創り上げている点に感心させられる。また、原文は原文で丁寧に送りがなが付けられているため結構普通に読める。その原文がシンプルながらも行間に含むものが多く、考え考えしながら読む分、微妙に異なる怖さを内包しているように思われた。京極訳とは別の味わいが原文にあり、京極セレクトのみを楽しむ読み方もありそうだ。
収録作は古い話ではあるけれど怪異がパターン化されていないため、じわりと怖い話が結構含まれている。原因が不明だったり、祟りのパターンではないのに祟られたりといった話が不意打ちのように登場したりと、想像力があればあるだけ物語の深みを味わうことが出来る内容なのだ。また、当時の知識のなかで説明がつかないことを怪異として処理するという流れもまた、京極夏彦の妖怪シリーズと似たテイストになっているように感じられた。

成り立ちが特殊であるゆえ、誰もが楽しめる――といった内容ともまた少し違う印象。従来型の怪談や恐怖譚には飽きたという方や、京極夏彦ファンといった方々に、面白みを感じるツボを提供するのではないか――そんな印象の怪談集である。


07/05/29
島田荘司「島田荘司のミステリー教室」(南雲堂'07)

もともと島田荘司による講演集のかたちで企画されたらしいが、更にそこに作家志望者による南雲堂での創作質問会での質疑応答が編集して加えられ一冊となった本。ミステリ作家を目指す人の道しるべに、そして現在の島田荘司が持っている様々な価値観がうかがえる内容となっている。

『創作質問会』
第一章「執筆の準備」 梗概の書き方、句読点やダーシやリーダーの使い分けといった小説を構成する文章を執筆する以前の段階のルールや、参考文献の集め方や利用の仕方など基本的なところについて島田荘司が丁寧に解説する。
第二章「構成と文章」 短編中編長編の分量、その執筆準備、文章の流れや描写の量といった全体部分から、粗筋や場面転換の方法、人物設定など具体的な小説のいろはについて島田荘司が丁寧に解説する。
第三章「トリックの着想」 ミステリ作品に使用するトリックやアイデアのひねり出し方、人生経験などの必要性など発想に関するポイントについて島田荘司が丁寧に解説する。
第四章「創作の精神」 このあたりは島田荘司の価値観について作家志望者が自由に質問する内容。海外生活やハードボイルドに対する考え方、小説に向かう精神などについて島田荘司が丁寧に解説する。
第五章「台湾メディアとのQ&A」 島田荘司の大ファンと思われる台湾のメディアの方がインタビュー。本格ミステリーや新本格といったムーヴメントの定義、個々のシリーズ作品に関する質問に島田荘司が丁寧に解説する。
『講演録』「日本のミステリー史と「本格」発想の意義」 本格ミステリーの日本における歴史、そもそも本格のミステリーとはどのような小説のことを指すのか、そしてその役割、今後の方向性について。

本格ミステリー飽和の時代においても、今なお新しいもの新たな才能を求め続ける島田荘司の考え方
前半が島田荘司が「A」の部分を受け持つQ&Aで構成されている。わざとなのかどうなのか分からないが、最初の質問は『「漢字をひらく」「梗概」「字下げ」「地の文」といった用語が分からない』というようなもの。思わず「調べたら?」と突っ込みたくなるけれど、まずこの段階から島田氏は実に丁寧に解説をしてゆくのだ。こういった文章教室的な部分が冒頭にある一方、固有名詞の扱い方などへの配慮など、あまりきちんと考えて読んだことのない部分に関する配慮なども知ることが出来て創作志望者ではなくとも、感心する部分が多数あった。また偉大な天才・島田荘司でさえアイデアやトリックのストックについては非常に苦労されている点をかなり赤裸々に(?)述べているところか。無尽蔵にアイデアが湧き出る泉を脳内にお持ちのような勝手な印象があったのだが、普段から何か思いつくたびにメモをされている由。小説執筆とは別にアイデアを作る時間を捻出しているからこそ、レベルの高い作品を長く書き続けることができるということのようだ。
一方、島田史観による日本のミステリー史。少なくとも発生してきた現象に関しては一般的な”推理小説史”と同じか。ただ、その個々の現象における解釈が、島田氏ならではの価値観がベースとなって解釈されておりその点が面白い。また「ミステリー」の持つそもそもの神秘感覚が現代は人間の脳内にあるという点について細かく具体例を引いて解説している部分についても島田氏らしい主張があって楽しめた。

確かにそのような部分も半分くらいを占めているので「ミステリー教室」という題名の付け方は仕方ないにしろ、島田ファンにとっては「今、現在の」島田荘司の考え方、方向性が窺い知れるという意味での価値がある本。これがあまり肩の凝らない軽めの読み物として構成されているところも大きい。本格ミステリファンであれば、目を通しておいて損はない一冊だと思う。


07/05/28
田代裕彦「赤石沢教室の実験」(富士見書房'07)

田代氏は'04年に『平井骸惚此中ニ有リ』で第3回富士見ヤングミステリー大賞を受賞しデビュー。その後、平井骸惚シリーズ(全五巻)や『キリサキ』といったライトノベル系統作品を富士見ミステリー文庫に発表してきた。本書は田代氏初の一般読者向け作品で、帯に有栖川有栖氏による絶賛のコメントがある。

人里離れた山奥にある片桐芸術高等学校。芸術を学ぶというよりも芸術で身を立てるくらいに思い詰めた生徒たちが通うこの学校には「赤石沢教室」というエリート集団がいる。赤石沢宗隆――視覚芸術を中心に〈現代のゴヤ〉と呼ばれた世界でも高名な芸術家。彼は全国各地から才能ある若者を集めて指導をしてきたのだという。その弟子たちのなかからも世界で活躍できる人物を輩出してきた。ただ、赤石沢自身は既に死亡しており、この「赤石沢教室」にいる四人の生徒はかつて彼の指導を受けた過去を持っている。尾瀬弘一、江藤恵子、伊地知一平、鵜殿つばき。――一方、二年前に亡くなった兄の後を追ってこの高校に入学した片桐あゆみ。彼女は才能はありながらあまり芸術に対して詳しくない。彼女のそばにいるのが尾瀬弘一の妹の尾瀬深雪と清水藍子。深雪の紹介で「赤石沢教室」のアトリエに行ったあゆみは、自殺した兄の死に「赤石沢教室」の四人が関わっていたことを知り、殺意を覚える……。

二人称小説の必然に多重構造のサイコサスペンスの周到。何よりも赤石沢宗隆の妄念は読みどころ
一般小説に登場してくるような普通の大人、一般的な社会は登場せず、芸術家の人生と特殊環境下の高校生活が中心となった物語の背景は、ライトノベルの延長線上にある印象は拭えない。だが、殺人を描くのに編集部の許可を得なければならない富士見ミステリー文庫ではちょっと実現しそうにない、強烈なサイコサスペンスとしてはこれで十分。
冒頭から二人称で物語が描かれる。この形式自体は多少珍しいものの、全く過去に存在しないやり方ではない。ただ、この二人称については、ある必然があってその必然こそが本書に仕掛けられたトリックの眼目となっている。女子高生によって演じられる四人の連続殺人計画。事故や自殺、失踪といった方法を駆使する計画自体も見どころではあるが、単純な三人称や一人称では得られない、その過程における感覚をこの二人称記述が引き立てている。主人公以外に登場する人物の個性も際だっており、描写力に過不足がないため非常に読みやすく、物語がすいすいと進んでゆく印象だ。このあたりは厳しいライトノベルの世界で揉まれてきた作者ならではのものかもしれない。
個人的には、本書において最高に感心したのは実はこの周到なトリックの方ではない。むしろ印象に強く残るのは、夭折した芸術家・赤石沢宗隆が抱えていた「漆塗りの闇」と「死」への飽くなき興味を描写している部分。 一見、後進の教育まで熱心だったと思える芸術家・赤石沢の内面が描かれ、その第三者から見た時の彼の活動と、彼自身が抱えていた行動原理との表裏の激しい隔たりが凄まじい。彼は何故弟子の死に涙したのか。彼はなぜ若い教え子を全国から集めたのか。生まれながらにして壊れた芸術家である赤石沢に対する執拗な内面描写は、これこそが「芸術家」であり、一般的な人間とは異なる存在であるのかが見せつけられるのだ。その狂った価値観がこの作品を支配しているといって良い。真紅のカバーが印象的な装幀であるけれど、実際はその赤いカバーを剥ぎ取った後に本作品の本質がある。

実験的なミステリ作品として読まれるのが普通だと思う。ただその本質にサイコサスペンスならではの巧みな設定と演出があり、その演出がこの実験作品を裏側からがっしりと補強している。歪んだ感覚を植え付けられてしまった人間描写が凄まじく、その凄まじさが悲惨な事件を奇妙なかたちで説明している。サイコと本格との奇妙なる融合にして、作者の周到な計算が印象的な作品。


07/05/27
鳥飼否宇「痙攣的 モンド氏の逆説」(光文社'05)

奇想天外のトリックとプロットにより着々と「バカミス作家」(もちろん良い意味で)としての地位を高めつつある鳥飼氏の少し前に刊行された作品集。季刊『ジャーロ』誌に二〇〇三年春号から二〇〇四年秋号までに発表された作品に書き下ろし『人間解体』が加わって単行本化されたもの。

音楽雑誌でメンバーを募集し合宿形式で録音。徹底的に匿名性を貫いた伝説のバンド「鉄拳」は最初のライブで十数分演奏したあと、プロデュースした音楽雑誌主宰者・宇部譲の死体を残して消え失せてしまった。その謎に挑んだ新進の音楽評論家が、その反論をした男と酒場で会談するのだが……。 『廃墟と青空』
新進のパフォーマーたち四人の共演のプレイベントに呼ばれた評論家の寒蝉主水。死を表現するパフォーマー、動物解体をするパフォーマーなど集まるなか、懇親パーティのなか一人が他殺体で発見される。その死体は棺桶に詰められ、不謹慎ながら非常に美しい屍体となっていた。 『闇の舞踏会』
新進アーティスト・栗須賀零流が行うパフォーマンスの見学に離島に渡った寒蝉主水。一般観客は招待客二名に限り、後は報道や評論家のみが招待された限定イベントは、雷を人為的に誘導して芸術にしてしまおうというものだった。そのイベントの最中、不慮の落雷が会場を襲い、準備していた鉄塔が倒れ多数の犠牲者が出るなか、栗須賀もまた不可解な死を遂げる。 『神の鞭』
イカの特性を利用して人間の感覚を他人のものと取り替えるという技術が完成した。綾鹿イカ学研究所の職員・老田美香は他の三人の被験者と副所長の愛田と共に実験に参加する。実験室の真ん中にイカの水槽があり、そのイカ「モンド氏」の気まぐれによって人間の感覚が入れ替わるのだ。しかし実験の最中、被験者が殺害される事件が発生……。 『電子美学』
『電子美学』の事件のあと、イカ学研究所に乗り込んできた警察。しかし刑事たちはこれまでの常識からはかけ離れた異様な光景を目にすることになる……。 『人間解体』 以上五編。

一体なんですか、これは。本格のようでいて更にその形態をメタレベルで破壊して。
例えば冒頭の作品『廃墟と青空』などは、いわゆる端正な本格ミステリといって良い作品だと思うのだ。完全密室となっているロックバンドコンサート、そのステージ上で殺人が実行され、バンドメンバーは完全に全員が消失してしまう。事件の演出も映像的であるし、時間と空間を巧みに錯覚させたトリックも美しいし、更にはバンドメンバーがなぜプロデューサー殺しに至ったかの動機にしても、奇妙にでいながら説得力のあるものなのだ。過去を振り返りながら謎解きをしていく展開に過不足はなく、非常に幕切れにしてもいい感じ。本格ミステリとして上等……というのが序盤の感触。

二作目『闇の舞踏会』に至ると怪しげなパフォーマーたちが繰り広げる人間模様のなか、芸術に命を賭ける人々の凄まじい様子が描かれる。ただこちらは背景に力がある一方で、事件の解決に至ったところで「おいおい、そうくるか」という領域に踏み込んでしまっている印象。三作目『神の鞭』も、アーティストが活躍する離島の演出が巧みで、事件そのもののカタルシスと不可解さが絶妙。二作目に比べると彼岸が出てくるとはいえ、トリックはシンプルで効果的か。
問題は四作目と全体を締め括る『人間解体』。まあ、アリといえばアリなんですが。 本来ミステリでは禁じ手に近い「夢オチ」を正々堂々と前面に出し、更にイカによる感覚交換というこれまでの作品で見せてきた現実性から一気にジャンプしてしまって別の世界に読者を連れ込んでしまう。その別世界で起きる犯罪にしても、あまりにも現実離れした状況ゆえ、フェアなのかアンフェアなのかすら区別がつかない。更に『人間解体』に至っては、物語は締め括られるにしても「えええ? これが真相?」てな脱力感に包まれるもの。ネタは明かせないが、凄まじいオチであることだけは確かである。

少なくとも、作者の発想が常人離れしていることだけは間違いない。本格ミステリの意味を知りつつ、それをネタに何か読者の予想を遙かに上回ることをルール無用でやってみました……といった、そんな作品集かと思う。少なくとも小生の印象はそんな感じでした。


07/05/26
斎藤 栄「火の魔法陣(上下)」(集英社文庫'84)

日本で一番長い推理小説を書きたい――という作者の企図のもと開始されたのが斎藤栄を代表するシリーズでもあるこの「魔法陣シリーズ」。最初の作品である『水の魔法陣』の続編がこの『火の魔法陣』で『空の魔法陣』と合わせ「魔法陣三部作」と称される。「赤旗日曜版」に一九七八年一〇月二二日より一九八〇年六月一日まで掲載され、一九八〇年六月に集英社より単行本として刊行されたのが元版。

静岡に実家がある受験生がひとり暮らしの横浜のマンションでガス自殺を図った。駆け付けた母親の目の前でマンションの部屋は爆発した。天然ガスがもたらした悲劇であったが、保険会社でその事故の査定を担当した岩佐は自殺ではないかと両親に難癖を付ける。しかし内縁の妻と暮らすその岩佐のマンションで火事が発生、その焼け跡からは首を刺された岩佐の死体が発見された。その前の京都行の際に妻の満美子は、岩佐が何者かに脅されていたことを感じ取る。一方、その火事では岩佐の隣人・図師千恵子の行動が問題となった。彼女は消防隊の到着後、余りにも遅いタイミングで半裸で逃げだそうとして避難梯子から逃げだそうとしていたのだが、その梯子が巧く動作しなかったのだ。消防隊によって救助された千恵子は重傷、しかしその挙動からは彼女が犯人を知っているのではないかと捜査陣は疑う。一方、新聞記者の梶は都市内危険物問題をまとめようとしており、両方の現場を訪れていた。梯子に問題があったのではないかと販売元の花井防災を尋ねたところ、そこには梶の恋人・悌子の親友・月村志津子が販売担当として在社していた。

社会問題と人間の問題を使って各種トリックを引っ張る。まさにストリックの特徴全開の展開
魔法陣三部作のうちの二番目の物語は千二百枚と第一部、第三部に比べると比較的少ない原稿量とはいえそれでも上下組。ただし全くだれることなく、全編緊張感と謎への興味が満ちている。 本作のメインとなるのはマンションの放火及び殺人事件。これが難問で、犯人の目撃者であろう人物は口を閉ざしてしまって何も語ろうとしないうえ、物語の中途で殺人者の刃に倒れてしまう。入り口付近には人がいたが、不審な人物は目撃されていない。犯人が火を付けたことは間違いない。しかし、相当する人物が見あたらない……。ただ、その不可能犯罪への興味は、絶対アリバイのある人物に動機があることが浮上して……と流れるように「謎」の焦点が次から次へと物語から発せられる。ストーリー+トリックのストリックが実践された内容だ。
ダイイングメッセージや、逆に密室に閉じ込められたことで生じるアリバイなど、本格ファンにとってもくすぐられる要素はあるが、本書の最大のポイントは意外な犯人とその動機にある。
何か、陰謀の匂いをさせてみたり、犯人候補を仕立てたりと作者は目まぐるしく物語を展開させていく。圧巻なのは、最も怪しいと思われる消防隊員が、海水浴場で発生した大規模な交通事故で獅子奮迅の活躍をみせるところだろう。周到な作者は、その事故を社会問題的背景をもって演出しつつ、海水パンツひとつで火の中に飛び込み、全身火傷を負いつつも救命救助に命を賭ける人物を実に魅力的に描いている。最大の容疑者が警察から表彰を受けるような活躍をなぜ行ったのか。新聞も警察もその点に翻弄されてしまう。ただ、一連の事件にある隠れた補助線が犯人を浮かび上がらせるのだが、この補助線の隠し方も巧み。最終的に(実際に)使用されていたトリック自体は今となっては陳腐ながら、この補助線によって浮かび上がる人物の動機の意外性がその陳腐さを遙かに上回る感銘となって読者に迫るのだ。
更に、一連の社会問題は付け足しではなく「火の魔法陣」の「火」の部分に密接に関係している。一連の「都市型危険物」それに関連するデータやエピソードを巧みに物語に取り入れた結果、社会派推理の側面をもこの作品は持っている。ラストがちょっとセンチメンタルに過ぎる気もするが、それはまあ斎藤作品のお約束みたいなものか。

厚みにびびるシリーズではあるが、一旦読み出すと読みやすく物語の魅力も高い。「魔法陣」三部作全体に仕掛けられた謎がいったい何なのか、この段階では全く分からないが、とりあえず本書を読んだことでパワーを得たので、(上中下)の大作『空の魔法陣』に引き続いて挑戦してゆこうと思う。


07/05/25
柄刀 一「空から見た殺人プラン」(祥伝社NON NOVEL'07)

副題は「長編痛快ミステリー 天才・龍之介がゆく!」。柄刀氏の創造した代表的探偵・IQ190を誇る天才・龍之介が登場する作品集。シリーズ八冊目。『小説NON』誌2005年5月号から2006年5月号までに発表された作品に書き下ろし「神域の波打ち際」が加えられて単行本化されている。

連続無差別殺人犯バード・ケージ。年齢性別全く無関係な被害者たちに逆の意味で共通する意味とは。その厄介な犯人の狙いとは……? 『秋田・仁賀保 誰にも見えない4号室』
身内を詐欺によって酷い目に遭わされた女性が、その詐欺師を特定して復讐に走る。その行為を止めるべく龍之介たちは手を貸すのだが……。 『長野・諏訪 龍神の渡る湖』
かつて同棲していた男性を殺人事件で喪った彼女。彼女の同僚には暴行犯の嫌疑を掛けられた人物がいて、その事件は同日に発生していた。 『三重・鳥羽 真珠とバロックとあたしの部屋』
龍之介一行が宿泊した厳島神社近くの民宿。この家で過ごす彼らは、足跡無しに窓ガラスにぶつかった何かなど、いくつもの不可解な現象に遭遇する。 『広島・厳島神社 神域の波打ち際』
カルスト台地特有の帰り水。本来、何もないところに突如現れる湖。その湖のなかから男性の死体が発見された。カルスト台地を巡って行われた犯罪の内容は……。 『山口・秋吉台 空と大地の迷宮』 以上五編。

地域性+トリックを強く打ち出した作品群。成功している作品の破壊力は抜群
「天才・龍之介」シリーズもいつの間にやら八冊目。長短編いずれのタイプにおいても柄刀氏らしい本格トリックが込められており、その事件の謎を解き明かしてゆく――という一作一作のお約束とは別に、個々の作品で少しずつではあるが全体の物語が進行している。本書でもこれまでに龍之介が「学習プレイランド」という目的に達した後、その施設で働く人をスカウトして回るというストーリーで、実際何人かのスカウトに成功している。その過程で各地の、特に自然を生かした名所旧跡に行く必要が生じているという設定だ。
とはいえ、物語一個一個がミステリとしてどうか、という点が柄刀作品群のなかでの善し悪しの目安となる。本作では『真珠とバロックとあたしの部屋』『龍神の渡る湖』、そして『空と大地の迷宮』といったところが、その土地ならでは個性と柄刀氏のトリックとが融合していて楽しめた。書き下ろしの『神域の波打ち際』も良いが、土地というよりも別の名所ならではの秘密がトリックのメインとなっており、本書で描き出そうとした面白さの質とはちょっと手触りが異なる印象。
『真珠…』は人によってはそれほど高評価は得られないのではないかと思われるが、真犯人を追い詰めてゆく過程での証拠の突きつけ方が絶品。また『秋吉台…』はカルスト台地ならではの謎と、また重体の被害者に対して、その傷つけた過程について頑として口を噤む犯人の狙いに前例のない意外性があり、かなり驚かされた。また『龍神…』については、アリバイトリックの裏を掻く龍之介らの機転に「犯人対名探偵」の息詰まるような展開があって良かった。その息詰まるようなやり取りについては『秋吉台』にもあり、そちらの奇妙な感覚も一読忘れがたい。

龍之介シリーズを知る読者向けなのはいうまでもないが、本書一冊でもトリック・ミステリのお好きな方であれば斬新なセンスと初めて見るトリックが楽しめるはず。……それにしてもこの調子だとシリーズ、このまま結構続きそうだなあ。


07/05/24
清涼院流水「パーフェクト・ワールド What a perfect world! Book.6 Sixth Sense〔第六感〕」(講談社BOX'07)

講談社BOX刊行記念(?)怒濤の十二ヶ月連続刊行のうち遂に半分到達。京都と英語と運命を描いた大河小説も気付けば六冊目。 『刀語』に比べるとストーリーというか筋書きは一筋縄ではいかない感じで、先行きの読みにくい作品になりつつある印象だが……。

昨月、クローバ(黒老婆)に衝撃的な予言を受けてしまったエース。絶対外れないという彼女の予言のあまりに深刻な内容にエースの神経は打ちのめされる。一方で、かつて一角英数が少年野球〈東山イーグルス〉のエースだった頃の監督・神田徳太郎(本書のなかでは別の姿で登場している)より、エースの変身(一日に一分間だけ、不随である下半身をモノともせずに超人的なスピードで走ることができる)の秘密が判明したとの連絡を受ける。その仮説は、かつての監督が励ましの言葉として自分に投げかけた内容が”一分間”の理由になっているのではないかというものだった。その仮説に基づき、封印を解こうとやってみるが流石にうまくは行かないようだ。さらにエースを悩ませるのは、留学生として自宅にホームステイ中のレイのこと。”ケモノノニオイ”や秘密めいた行動……レイには何か秘密がある――そのことを確信したエースは、遂にレイと対決することになる。その結果明らかになった更なる真実とは?

全体の物語が着々と進行中。主人公にとって厳しい問題が山積み、ショッキングな真実が次々と
確かに京都の案内であるとか、英語の基本的な言葉遣い考え方といった、これまでも重要な役割を果たしていたパートは本作にも込められているのだが……。物語の記述者でもある主人公・一角英数のもとに、次々と衝撃の新事実がもたらされた結果、彼の神経がずだぼろになっていくため、本来の物語である「運命」のパートがひどく目立つ構成になりつつある。
本書のあとがきで、清涼院氏が様々なこの作品に関する現況と約束事を書いている。気付いていたこともあれば、え? と思う事実もあったり興味深いのだが、なかでも作者は現在進行形で物語を突っ走らせているのが現実のようだ。……さもありなんとも思う。次々とエース、そしてレイにまつわる新事実が明らかになり、その結果、彼らが行動を起こさざるを得ない展開になりつつあり、物語のグルーヴ感覚は増している。これは作者自身の混乱というか、完全に整理のつかない状態のまま敢えて突っ走っている点とも無関係ではあるまい。
――作者が何を狙っているかはまだ現段階では分からない。ただ、分からないながら様々な登場人物が様々な役割を持って登場し、その底が割れていないという物語の六巻目、丁度「謎」と「物語」のバランスが良い感じになってきたように思う。六冊目にしてどうよ、という気もするがそれでもようやく流水らしくなってきたので良し。

さて、次回はレイとエースが対決するのか。彼らの抱える能力の真の意味とは。是非とも着々と解決を進め、さらに新たな謎を提示していって欲しいもの。


07/05/23
西尾維新「刀語 第六話 双刀・鎚」(講談社BOX'07)

講談社BOX刊行記念(?)怒濤の十二ヶ月連続刊行のうち遂に半分到達。西尾維新の時代活劇、十二本の刀を集める奇策士とがめ、そして虚刀流を使いこなす鑢七花の物語も六冊目。

賊刀・鎧の所有者、薩摩の国の海賊・校倉必に気持ちよく送り出され、尾張に向かった筈の奇策士とがめと虚刀流七代目当主の鑢七花。だが、二人が乗せられた船は蝦夷行きだった。丁度、蝦夷の踊山には所有者と名前の分かっている最後の刀・双刀・鎚があるということで、蝦夷に到着した二人は大した準備もせずに極度の豪雪地帯ゆえに壱級災害指定地域である踊山に無造作に踏み込んでゆく。……のだが、あまりの寒さに引き返すことも進むことも叶わなくなりかかる。そんな彼らを救ってくれたのは、凍空(いてそら)一族の十にもならない小娘・こなゆきだった。彼女は小さな身体ながらとがめと七花を二人合わせて洞窟に連れ込み、介抱してくれる。しかし、彼女の所属する凍空一族こそが、双刀・鎚を所有し守っている人々なのであった。しかし、こなゆきの話によれば山頂にあるという凍空一族の村は、こなゆきを除いて雪崩れで全滅しており、刀も恐らく埋まっているはずらしい。しかし、とがめたちに懐いたこなゆきは、そうそう苦労した様子もなく、村に戻って刀を持参して戻ってきた……。

刀そのものと、刀を守る一族に隠された秘密がGOOD。後への伏線も十分、充実の六冊目
ネタバレというか、本書の根幹に関わる秘密なので決して具体的には書かないが、絶対凍土の中に住み着いた一族が所有する”刀”の在り方というか具体的な設定に度肝を抜かれた。ちょっと普通の人間に扱うことができないという特殊な特徴を持つ刀。その刀の存在意義ゆえの凍空一族の存在意義。この設定は実に巧み。また、刀が刀としての意味を持たないところがあるのだが、そのこと自体は無茶かと思いきや、きちんと意味らしきものが後の伏線として機能しているところも面白い。
また、真庭忍軍の扱い(本来、十二冊に十二人の設定だったのではないかと思われたのだが)も、インフレで悲惨な目に陥っていくところ、面白がるわけではないがこれもまた後の伏線としての意味があるのだと思われる。最もショックを受けるのは、既に登場しているある人物の影がそこかしこに見え始めること、そしてもう一人の幕府内部のとがめの敵が着々とその姿を現しつつあるところか。既に合理的な判断とはいえない「刀探し」に対して、ちょっと引いたかたちで考えられる現代的思考方法が立ち現れてきているところも、後の展開における期待として繋がってゆく。
また、シリーズ読者に向けたサービスというか、笑えるネタが随所に配置されていることもポイント。特に一定の緊張感を孕んでいたはずの、とがめと七花のあいだは既に漫才クラスのギャグの応酬になりかかっている。文芸作品としては褒められないかもしれないながら、エンターテインメントとしてはもちろん合格だ。

ひと言。七冊目も読みます。


07/05/22
樋口有介「林檎の木の道」(創元推理文庫'07)

樋口有介中期以降の業績のなかでも”傑作”の呼び声高い作品。単発の青春ミステリ作品で『風少女』と物語的には対をなす存在だと考えられる。'96年に中央公論社より刊行され、同社より一旦文庫化されているが今回、再文庫化となった。

東京の下町で暮らす高校二年生、”ぼく”こと広田悦至。バナナを研究する植物学者である母親との二人暮らし。退屈な夏休み、悦至はかつて祖父が共に暮らしていた頃に池があった自宅の屋上で穴を掘り、夜は祖父とその年若い愛人が経営する居酒屋に入り浸る毎日を過ごす。そんな悦至のもとには高校に行くのを止めてしまった友人・マツブチが入り浸っている。そんなある日、悦至が半年前、ごくわずかな期間付き合っていた元彼女・宮沢由実果から渋谷にいるので出てこないかとの誘いの電話が自宅に掛かってくるが、悦至は断る。しかし、その晩、彼女が千葉の御宿で自殺をしたとの報せが入った。アイドルを夢見て芸能事務所に所属していた彼女はなぜ自殺したのか。彼女の通夜の席で、悦至は幼稚園が由実果と、そして悦至と一緒だったという凉子と出会った。凉子はその日、凄まじい目つきで悦至のことを睨み付けてきたのだが、なぜか悦至と凉子は二人で由美果の死の謎を解き明かそうと動き始めることになる。

視線の向け方、主人公の考え方。類似の経験もないのに極上の切なさが味わえる至高の青春ミステリ
かなり昔に別れた”元彼女”の突然の死。納得できない遺族ないし関係者が主人公を誘ってその死の真相を探るべく動き回り、活動しているうちにその美女・美少女が主人公のことを徐々に慕い始める……という展開は、『風少女』も『林檎の木の道』も確かに同じ。真冬と真夏、前橋と東京、大学生と高校生、車と自転車など、数え上げると双方が対になるような設定がいくつもあり、十年近くの発表年月の差異はあれど作者が前作を意識したのではないかと思われるフシも多々ある。(ただし作者が公式にそのような発言をしたかどうかは定かではない)。
そんな物語展開や設定もよく似ている一方で、小生はむしろ、『風少女』とのあいだにある差異が気になった。
例えば、『風少女』は、大学生がかつての恋人のについて同級生に聞いて回る話であり、視点はフラット(同世代向け)で過去を振り返る話だった。この場合は、同年代でいろいろな人生を過ごしてきた主人公以外の脇役の遍歴などがいろいろな意味で目立つし、個々の登場人物が存在感を示していた。一方、本作『林檎の木の道』では、同級生とはいいながら亡くなった由実果の知られざる側面の関係上、高校生が大人の世界をかいま見てしまう部分がある。同級生から芸能界へと焦点が移るに従って視線が徐々に上向きになってくる。またそのせいか、『風少女』にくらべると脇役(犯人候補を含んでも)の存在感は薄いように感じられる。
また、二作を比較した時にわかる(恐らくは鮮烈な青春小説パートゆえに印象に残りにくいことも確かなのだが)犯人の動機については明確な違いがある。こちらのインパクトというか青春小説ゆえの残酷さは『風少女』の方がよりキツイように思われる。どちらが良いというものではないが、個人的にはエンディング含め『風少女』の方(少なくともリライト後のやつ)が心に強く残る感じか。いや、両作品ともすごく好きなのだけれども。

結局どうしても最後には『風少女』との比較になってしまうのだけれども。とりあえず青春ミステリがお好きな方には、どちらも読んで欲しい。切実で誠実な若者像、その苦さや痛さ、そして青春小説特有の前向きな気持ちを得ることができる作品だから。


07/05/21
石田衣良「眠れぬ真珠」(新潮社'06)

今をときめく人気作家の一人・石田衣良氏による恋愛小説。『小説新潮』誌に二〇〇四年一月号から二〇〇六年三月号に至る奇数号に連載されていた作品が単行本化されたもの。

若い頃に結婚に一度失敗し、四十五歳現在独身の版画作家・内田咲世子。逗子湾を望む披露山庭園住宅に、愛犬のパウルと暮らし、愛車の黒いフォルクスワーゲン・ポロを駆り、イメージを温めるため行きつけの「リキッドカフェ」に深夜訪れる。直面している新聞の挿絵のためにいろいろなイメージをクロッキー帳に走らせていた咲世子は突然のホットフラッシュに見舞われる。更年期障害。幻覚を伴う症状に彼女は気を喪っていたが、彼女を助けたのが新入り店員の徳永だった。その徳永のイメージが頭に残ったまま、呼び出されて愛人である画商の三宅の宿泊するホテルを訪れる咲世子。セックスパートナーである彼と激しく乱れた翌朝、買い物をして徳永にお礼を言うために再び「リキッドカフェ」を訪れた咲世子だったが、徳永のそばには美しく若い女性がいた。CMなどで活躍する女優・椎名ノア。二十八歳の徳永は、実は新進映像作家として活躍し始めていており、制作途上のトラブルで東京を一時的に離れているのだという。ノアは彼の学生時代からの付き合いでかつては恋人同士だったが今は関係が微妙なのだという。一方の徳永は、版画家としての咲世子のドキュメンタリーを撮影したいと彼女に申し出ていた。

コンプレックスを強烈なアクセントにして恋愛小説を一本。うまいというかずるいというか。
ああ、もう。この作品に限ったことではないけれど。
もう理想的なまでに「いい男」と「いい女」を石田衣良氏に描かせると実に巧みなことは先刻承知。特にその「いい男」「いい女」たちが”天然”なのがずるい(?)←単純な一読者としての嫉妬感ばりばりだと思いねえ。いやもちろん人生に対しては妥協せずにひたむきな努力をしていて、その生き様は敬服に値する人物ばかりなのだが、その「モテる」という行為に対して全く「素」なところがポイント。「モテたくてモテる」のではなく、「自然にモテる」タイプを描かせるとやっぱり巧いのだ。本書でも強烈なキャラクタ「四十五歳独身版画作家・内田咲世子」と「二十八歳独身映像作家・徳永素樹」といったところを二名ばかり、その周辺にもまた「いい男」と「いい女」が適宜配置されるという周到さ。
物語のポイントは、もうひと言。「年の差」。しかも女性が男性より十五歳上というコンプレックスをスパイスにして、惹かれ合う男女を巧みに描き出す。そこはそれ、もう大人の年代であるのだけれど一般的な二十八歳は十二分に大人の年代のはずだが、その素樹ですら子供扱いし、その子供扱いしていた筈の素樹にめろめろになってしまう咲世子。分別と気持ちとの狭間に揺れる咲世子の感情の振れが物語を進めてゆく。一方の素樹の方はむしろ一貫しており、マザコンなどではなく真の咲世子の魅力を魅力として認める人物として描かれる。しかし、彼の台詞はたぶんこの世代の女性がいわれるとめちゃくちゃに「来る」のでは。
咲世子の不倫相手及び、その不倫相手の別の愛人のストーカー行為、獣のように貪り合うセックスなどアクセントもいくつかあるけれど、基本的にはやっぱり恋愛小説。大人の生き方、大人の恋愛。それぞれ一つの形ではなく、さまざまなものがあるものだなあと感心させられました。

ここで取り上げてみましたが、全くもってミステリの要素はございません。どことなく背徳的(実際は独身同士だしそんなことはないのだけれど)だけど、現代的でスマートな大人の恋愛模様ってやつを堪能させていただきました。ごちそうさま。