MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


07/06/20
乙一・恩田陸(他)「七つの黒い夢」(新潮文庫'06)

「傑作ダーク・ファンタジー7選 オリジナル・アンソロジー」という副題通り、人気作家七人(新人からベテランまで微妙に出自がバラバラなのが逆に特徴めいている)による、短編アンソロジー。とはいえ、恩田陸作品のみ紀伊國屋書店が発行していた『アイ・フィール』という冊子に発表されているものの、残りの作品は『小説新潮』誌に一九九五年から二〇〇五年にかけて発表されたもので統一されている。

幼稚園に通う息子・遊馬はお絵かきに際して不思議な能力が発揮する。その非常識な間違いに母親の私は常に目を光らせている。 乙一『この子の絵は未完成』
海沿いにある母の実家で、私は一度だけ会ったはずのない母方の祖母と出会ったことがある。冠婚葬祭か何かで部屋に臥せっていたあの日、突然潮騒の音が消えたのだ。 恩田陸『赤い毬』
酔っ払った美人の後輩を仕方なく自宅に連れ帰った安西。寝ないという彼女と安西は戯れに百物語を始めようと提案、部屋のなかの電気を一つずつ消してゆく……。 北村薫『百物語』
受験に悩む中学三年生の伸照は、憧れのコンビニ女性店員と偶然に河原で出会う。宇宙の真理に興味がある伸照の話を彼女”天使さん”は初めは柔らかく聞いていてくれたのだが……。 誉田哲也『天使のレシート』
故郷での正月休み、最悪の合コンを経て帰りの東京行き飛行機に乗った沙理奈。機体の不良で引き返したところ、様々なトラブルが空港と飛行機で発生して……。 西澤保彦『桟敷がたり』
小さなIT企業に転職した”ぼく”。仕事はSPAMの文案を考えること。そしてすぐ、近所の小さなコンビニに入荷する魚肉ソーセージを巡るトラブルに巻き込まれる。 桜坂洋『10月はSPAMで満ちている』
お嫁に行った姉が戻ってきた。弟はかつて姉が自分に与えてくれた様々な行為とそして語ってくれたお話を次から次へと思い出し、語り出す。 岩井志麻子『哭く姉と嘲う弟』 以上七編。

統一感の無さが逆に統一感? 日常を半歩踏み出した先にある何か
乙一の大きく分けると二つある作風のひとつ、リリカル系統の作品と思わせながら、母親の描き方が独特で奇妙な手触りが同居する『この子の絵は未完成』。恩田陸らしいレトロな雰囲気を保った幻想感覚が、音と共に独特のリズムを創り出している正統派の和風ファンタジー『赤い毬』、日常から非日常への踏み込み方が絶妙。現代的な光景が徐々に暗闇に支配されていく演出がラスト二行の恐怖感に向かって嵌ってゆく『百物語』……と、作品のタイプがばらばら。さらに西澤保彦や桜坂洋の作品については、ほとんど超自然やファンタジーめいたところのないミステリ系統の作品でもある。なかでも異彩を放つのが誉田哲也の『天使のレシート』。これは短編でありながら青春小説からとんでもないファンタジーへと変じたかと思うとパラドックステーマのSFといった結末を迎える作品で、コンビニの唐揚げなど小道具の使い方を含めて印象に残る”良い意味で変な”作品だ。一方、岩井志麻子の作品は、特に初期のシマコ節が炸裂というか、耽美と背徳を独特の語り口で紡ぎ出す妖艶な演出が純和風の狂気を醸し出す。短編ファンタジーの座敷牢。他に比肩できない情緒が醸し出された作品である。

……といったかたちで、七つのダーク・ファンタジーという形容詞が本当に相応しいかというとそうでもない。ただ、日常の延長のなかに非日常や途轍もない他人の悪意がほんのちょっとしたきっかけで忍び寄ってくる……というテーマは期せずしてか共通しており、振りまかれる強烈な毒によってあまりハッピーとはいえない読後感が味わえる。文庫オリジナルアンソロジーでもあり、安価であっても一定の手応えがある点はやはり特筆しておきたい。


07/06/19
福澤徹三「黒本―平成怪談実録―」(新潮文庫'07)

デビュー作の『幻日』(文庫化されて『再生ボタン』と改題)以来、特に短編小説では実話怪談的エピソードを織り込んだ作品が多く、福澤徹三氏には何となく怪奇実話作品集も数多いような印象があるが、本書以外にまとめられた作品集は『怪を訊く日々』だけなのだという。つまり、書き下ろし刊行の文庫オリジナルでもある本書は、福澤氏にとって二冊目となる実話怪談短編集ということになる。

ヘルパーのIさんは老人の孤独死と遭遇することがある。毎日日記を残していた老婆がやはり亡くなった時に、日記には不思議な記述があり、仏壇には誰もあげていない線香が……。 『孤独死』
美容師のHさんの母方と父方の祖父は相次いで老衰で亡くなった。一代限りながら事業に成功してしていた母方の祖父には盛大な葬式があげられたのであるが、父方の祖父はサラリーマンであったこともあり地味な葬式だった。一連の葬儀が一息ついたあと、母方の親戚が集まって記念写真を撮影したところ……。 『顔』
Hさんが中学生の頃、山の中腹にある家に引っ越した。住みだしてからHさんは金縛りに遭うようになり、夜な夜な何かに覗き込まれているような気がするのだ。更に家では天井から男性がぶら下がっているだの、Hさんは奇妙な光景を次々目撃・体験するのだが家族の者は相手にしてくれない……。 『手押し車の老婆』
ほか『三周目』『水音』『樹上のひと』『N荘』『なにかいる』『かにさん』『青い帽子』『あしあと』『銀色の物体』『黒い心臟』『蝋燭の炎』『来客』『石』『カラオケボックス』『鏡張りの部屋』『白光』『ままごと』『フィッティングルーム』『運転手』『I峠』『夕方の釣り』『リネン室』『白い眼』『洟』『遺影』『ライフセーバー』『足摺岬』『過去のある家』『廃屋の女』『さようなら』『百物語』『電話』『怪談と祖母』

”いる”と思えば何かがいるし、”いない”と思っていても実はどこかに何かがいるような……。
福澤氏が織りなす怪異の描写は、それがどんなに突飛な事象であってもどこか現実っぽさが漂っている。語り手となる人物の視点や表現力に依るところも大きかろうが、ご自身が題材から”その怖い何か”選び出す勘所が優れている印象なのだ。単純な恐怖を求めるのではなく、何やら読者が経っている地平線と地続きのところに作品があるかのようなさりげなさが福澤怪異譚の大きな特徴となっている。
このさりげなさが生きるのは、個人的にはむしろ福澤フィクションの内部に取り込まれた時ではないかと考えていた。福澤氏には怪異を取り上げた短編集や、いくつか恐怖的なテーマを取り入れた長編があるのだが、その内部にて描かれる現実の延長線上の部品としてのエピソードががとにかく巧い。賑やかしというか雰囲気を盛り立てるというか、エピソードを細かく積み重ねることによって読者の恐怖感を煽っていく作風に魅力がある。(これは恐怖譚に限らず、青春小説の分野においても細かなエピソードが巧い)。
さて、本書は実話系の怪談ということになる。ならば、これが向いていないかというと決してそうではない。短いながらも、ツボというかキレを重視した内容でしっかりまとめられていて、読者にとってフィクションと求めるところが微妙に異なるところにマッチしている。それでいて、個々の作品はしっかり語り口に独特の艶がある福澤節でまとめられている点、感心を通り越して小憎らしくさえある作品集だ。特に、実話怪談に対してこのようなことをいうのは何なのだが、世の中にはそういった、通常の人だと見えない何かを”見える””感じる”人がいるというのだという考え方が自然と全体を覆っている点がさらに巧い。

本書の”まえがき”の中段で福澤氏が現代における怪異について述べている一文がある。結局、世の中が便利になり健康健全になっても「偽りの明るさのなかでは、怪異はむしろ一条の光である」ということで、むしろそういう世の中だからこそ怪異が求められるという意見に感銘を受けた。理屈に合わない、説明がつかないという怪談話は、単なる”怖いもの見たさ”以上に、そういった世界から一時の逃避を求める人々によって、需要としてこれまで以上に増えてくるものなのかもしれない。


07/06/18
蘇部健一「六とん3」(講談社ノベルス'07)

六枚のとんかつ』が第3回メフィスト賞を受賞して刊行されたとき、まだ端緒だったインターネットでどれだけ物議を醸したかというのは今は昔のお話(だって十年前のことだもの)。その『六とん』『六とん2』としっかり文庫化もされ、なぜか今や人気シリーズとなっている。小生も好みが変わったのか評価軸が広く(甘く?)なったのか、実に楽しく読ませて頂けるようになった。

苦労しながら支えてきた真一が愛鳥と共に引っ越した先に、かつての恋人・綿貫ほのかが乗り込み、真一を刺し殺した。証拠はない筈だったが、ほのかの元を訪れた半下石警部は、事件当時の隣人が争う声を聴いた証言をしていたという。否定したほのかに、更にもう一つ証言が。それは彼の飼っていた鳥だった……のだが。 『もうひとつの証言』
プロ野球の実力派バッターはフリーエージェントの資格と女子アナとの交際のために、古くからの恋人を殺害する決心をする。試合中に球場を抜け出して首尾良く恋人を殺害する計画はうまく行ったかのように見えたのだが。飛行機雲が。 『アリバイの死角』
これまでの人生であまり良いことのなかった看護婦の香澄。モーニングショー三つの番組で今日が最高の運勢になる日と出た。ラッキーアイテムはしかし白いブリーフ。しかし香澄はそのブリーフのおかげで一日のうちでお金や恋人が出来る最高の一日を過ごし、友人に自慢しまくったほろ酔いの帰り道……。 『生涯最良の日』
ほか『×××殺人事件』『殺ったのはだれだ!?』『瞳の中の殺人者』『死ぬ』『嘘と真実』『栄光へのステップアップ』『秘めた想い』『赤い糸』『あとがき』(あとがきは作品に入れちゃだめですかそうですか)。

「玉石混淆」というレベルの差、それ自体が魅力と化しつつある不思議なシリーズ。時々ヤられます。
商業出版として許されるかぎりぎりなのではないかという下ネタを使用した「下品」な作品と、ドラえもん風やライトSF系統の設定を利用したリリカルな作品まで。どれを玉としてどれを石と考えるかはその読者の感性次第だと思うので特定はしないが、あまりにも作品ごとに元になったと思しきアイデアに幅がありすぎて、評価に困る。一方で小説として文章などはさすがにこなれてきており、アイデアが小さくとも普通に物語として読むことが出来るし、以前に比べるとやはり作品としてしっかりしている。
恐らく、普通にもっとも受けるのは『秘めた想い』だとか『赤い糸』だとかいったリリカル系統の作品なのだろうが、個人的にはオチをイラストで表現している『もうひとつの証言』だとか『栄光へのステップ』といったところが好み。というのも、イラストを見た瞬間というよりも、見て「はて、これは一体どういうこと?」と一瞬(一瞬考えれば分かる)考える、その間のあいだが実に楽しい。そしてそのオチの脱力感が素晴らしい。
一方で夢のある話やリリカルを装いながらもブラックなオチがある『嘘と真実』『死ぬ』といった後味がめちゃくちゃダークな作品も割と好み。それぞれ救いようもないくらーいオチでありながら、黒い笑いが伴われている。後味の悪い小説は世の中にいくらでもあるのだが、蘇部さんの作品の後味の悪さはカラッとしていながらも、実は強烈なのだ。 (それが好みってのは趣味悪いですかそうですか)。

昔に『六枚のとんかつ』を読んだ時は、なんてひどい作品なんだ! と怒っていたような気もしますが(気のせいではない)、今となっては愛し方を学んだような印象。あまり頭を使わず、ある意味では安心して読める作品集です。ただ、頭を使ってミステリを読み込むタイプの読者はやっぱり腹を立てちゃうのかな。(『六とん』を経験してダメな人は、そもそも明らかなシリーズ作品的題名であることだし、そもそも読まないか。


07/06/17
宮部みゆき「楽園(上下)」(文藝春秋'07)

ライターの前畑滋子を主人公とする大作『模倣犯』の続編となる作品で、前作解決から九年の時が経過したという設定となっている。『模倣犯』と同じく新聞連載で、「産経新聞」2005年7月1日から2006年8月13日にかけて発表されたものが初出にあたる。

『模倣犯』の事件から九年。当時、事件に関して大きな活躍をした前畑滋子はあまりに巨大な闇に飲まれ、当時のことを本にすることもなく一旦はライター生活から離れていた。家族に変化もあったことから最近ようやく書きたい気持ちを取り戻し、フリーペーパーの編集手伝いを開始してしばらく経ったある日、知人から萩谷敏子という女性を紹介される。敏子は、交通事故で十二歳にして亡くなった彼女の息子が、超能力のようなものを持っていたのではないかという。母子家庭の敏子の息子・等は非常に絵が巧かったが、時々頭のなかのもやもやを整理するといい、稚拙な絵をノートに書き残していた。そのなかの一枚は、16歳の少女・土井崎茜が十五年前に両親に殺され、自宅の地下に埋められている場面を記した絵だと思われた。等がその絵を描いたのは、警察が茜の死体を発見する前。等を思う敏子に心を動かされた滋子は調査の手伝いをすることにしたが、等の残したノートには『模倣犯』の関係者しか知り得ない事実が描かれた絵もまた残されており、滋子はショックを受ける。滋子は事件のことを発表しないと関係者に約束しながら関係者から話を引き出してゆく。等は、土井崎一家と何らかの関係があったのではないか? 滋子は土井崎一家の痕跡を辿ろうとするが、そちらも不可思議な点が多々ある事件であった。調査の過程で滋子は土井崎茜の妹・誠子と面談を果たし、更にはあることを依頼されてしまう……。

宮部みゆきだから描ける犯罪の周囲。人の想いを丁寧に織り込みつつ社会派犯罪小説を仕上げてしまう妙
まず最初に。本書では ”九年前の事件”として『模倣犯』の事件が物語中で重要なモチーフとなっている。犯人の名前も本書で明らかに記されていたりするため、『模倣犯』未読の方は、まずそちらを読まれてから本書に進まれることを強くお勧めする。

現代的な犯罪を描きつつ、謎解きのみならず丁寧な人間描写によってさまざまな犯罪の周囲の人々を描いて複数の社会派テーマを取り込んだ傑作『模倣犯』。長さも『模倣犯』ほどではなく扱われている作品も(あくまで『模倣犯』に比べると)多少は地味ではあるが、扱われている主題や方法についてはやはりシリーズならではの近似が感じられる。
結末から逆算すると、本書は犯罪加害者の家族の物語ということになる。前作ではむしろ被害者の家族といったテーマが多かったように記憶しているが、『楽園』ではさまざまな人間が抱え込んだ秘密を通じて最終的に浮かび上がってくるのはやはりこの問題だと思うのだ。ただ、ストレートにそのテーマに斬り込むわけではないのが宮部みゆきの宮部みゆきたる所以。
というのは、登場人物の日常描写が秀逸なのは宮部作品において今に始まったことではないが、本作では特に主人公の前畑滋子のみならず、脇役を務める女性陣男性陣の”日常”が素晴らしく個性的なのだ。萩谷敏子、土井崎誠子といった副主人公格の登場人物はもちろん、土井崎家の隣人たち、弁護士とその若い弟子、萩谷家の親族たちといったいわゆる平凡な日常を送る人たちの姿全てに、ひとりひとりの”個”が感じられる。この点に関しては日本でも有数の書き手だろう。そのため、主題・テーマといった部分が日常にとろり溶け込んで直接的には見えにくくなっている。
さらに一筋縄で本作が捉えにくい点にはもう一つ理由がある。過去の作品を知る人ならご存じの通り、宮部作品において科学や論理で説明がつかない不思議な現象があった時に、ミステリとしてきちんと(しかもアクロバティックに!)謎解きをして説明をするケースと、不思議なことは不思議なまま超常現象として処理するケースが両方あるからだ。なので本格ミステリの基準で宮部作品を読むと思わぬ肩透かしがあったりもする。本書の場合は後者になるのだが、ただそこに至るまでに丁寧に段階を踏んでおり、別の可能性を排除するため前畑滋子は動き回り、加えて萩谷敏子の過去など徹底して設定を作り込んでいる。結果、物語世界にその現象がしっかりと溶け込んでいて違和感がなくされており、ちょっと読者が文句を付けようがないような周到な構成となっているところがポイントだ。
後半部のクライマックスに相当するシーンは若干腰が砕けた印象もあるが、そう何作も『模倣犯』クラスの緊張感を味わうよりか、実はこういった締めくくり方の方がこちらも安心できる。そのあたりを読み終えた時にはじめて、漠然と主題があることに気付かされるという算段なのだ。身内に犯罪者や鼻つまみ者がいる家族。さらに『模倣犯』同様、マスコミの軽薄な残酷さや、無責任な”世間”といった部分の描写も相変わらずリアルにして巧みだし、犯人像の創造の仕方も絶妙。そしてさらにその主題に対して宮部みゆきは物語の内部では決して結論を出さない。幾つかの方策、いくつかの考え方についてはこの作品にあるものの、どう考えるかについては読者に委ねられているという印象だ。ただこの恐るべき宮部リアル描写は、読者の(つまり自分自身の)身の回りで同じようなことが起きたらどうするか? といったところまで想像力を促してくれる。

読了してからストーリーを振り返ると普通の作家であれば、もしかするとこの半分、多くても三分の二くらいで済ましてしまいそうな筋書きなのだ。それが堂々の上下二巻になっている。その差、その余剰が宮部作品の情であり、魅力なのだと思う。 それだけ書いても間延びせず、むしろ情を引き起こす宮部みゆきのテクニックが前提でなければ描けない物語である。巧く、そして凄い。


07/06/16
西尾維新「刀語 第七話 悪刀・鐚」(講談社BOX'07)

講談社BOX刊行記念、十二ヶ月連続刊行は清涼院流水、西尾維新ともに順調に七冊目となった。連続時代活劇・七冊目。ちなみに「鐚」は「びた」と読む。「びた一文」の「びた」ですね。

双刀・鎚を苦戦の末に手に入れた奇策士・とがめと、虚刀流当主・鑢七花。一旦尾張に戻るはずだった二人だが、鎚を巡る戦いの舞台となった蝦夷踊山にて、実質的な真庭忍軍の頭領格である真庭鳳凰から「何者か」が死霊山を襲ったと聞いて行く先を変更した。目的地は剣士の聖地ともいえる刀大仏がある四国・土佐。その港で彼らを待ち構えていたのは洋装にして奇妙な言葉を語る人物・左右田右衛門左衛門だった。彼は尾張にいるとがめの宿敵・否定姫の腹心だった。彼は、二人に対して情報を提供する。刀大仏を守護する清涼院護剣寺の武装僧侶のうち半数が惨殺され、その「何者か」が、無理矢理客分として護剣寺に居座っているのだという。その「何者か」こそは、鑢七実。鑢七花の姉にして同じく虚刀流を「見稽古」で身に付けた”天才”であった。彼女は、凍空一族を一人を除いて全滅させた後、さらに死霊山を守護させる一族を皆殺しにして、その死霊山に祀られていた「悪刀・鐚」を入手して、とがめと七花を待ち構えているのだという。果たして、兄妹による勝負の幕が切って落とされた。

こういう骨肉の争いは最後に持ってくるもんじゃないの? 物語の定石を破壊するセンスは相変わらず見事
十二人の敵と十二本の刀を争う――という多数物品争奪ものという内容は、漫画にしても小説にしてもエンターテインメントの定石というか「物語」という形式に読者を引きずり込みやすい定型のひとつ。今のところ(あくまで今のところだが)、この点に関しては西尾維新は頑なに守っている。ただ、その戦いそのものや敵の扱い方については、全くもって定石から外れていると言わざるを得ない。例えば、序盤から「日本最強」として形容され続けてきた天才剣士・錆白兵。彼との戦いについては、なんと直接描かず結果だけだった。最強の敵の戦い描写を省くという手法そのものはこれまでのエンタの系譜のなかにもあるけれど、普通それは終盤の終盤だろう。そのはずが最強を前半にあっさり持ってきてしまうのだ。
本書もまたその定石外れの一作。 鑢七花の姉で病弱ながら七花より遙かに強いというエピソードを持つ七実が、まだ半分を超えて少ししたところで七花に立ちはだかってしまう。そしてこれが化け物じみて(というか化け物以上に)強い。七花が幼女一人に手こずってあまつさえ怪我まで負わされた凍空一族全員を完璧に全滅させ、さらに本作では死霊山の一族を全滅させ最後の一人は足で踏みつぶし殺し、さらに護剣寺の戦闘要員をほぼ全員殺害するなど、精神的にも壊れているか良心がないかのどちらか――というような描写なのだ。説明を後回しにその七実と七花が物語冒頭で戦う場面から始まる。この展開も読者の予想を完全に裏切るものだ。戦いとその結末については本書の眼目なのでここでは触れないが、物語という展開の先を全く読ませない点については、西尾維新、やはり独特のセンスを持っている。

いや、単純に面白いし、いろいろと試みが面白い。引き続き読みます。


07/06/15
東野圭吾「夜明けの街で」(角川書店'07)

『野性時代』二〇〇四年九月号〜二〇〇七年四月号にかけて連載されていた作品の単行本化。巻末に作品のなかの登場人物がスピンアウトした番外短編『新谷君の話』が付く。こちらも『野性時代』(二〇〇六年二月号)に掲載された作品。

建設会社の電気系統部門で働く渡部。三十代後半で主任の地位にある彼は、交際を続けてきた妻・有美子と幼稚園に通う娘・園美との三人暮らし。数年前にマイホームを購入して平和な暮らしをしていた。そんな渡部の会社に派遣社員として仲西秋葉という女性がやって来た。確かに美人ではあるが、渡部は特段の興味を示したわけではなかった。ただ、学生時代の友人と飲みに行った後に訪れたバッティングセンターで、熱心にバッティングに興じる彼女と遭遇、渡部らと秋葉はそのままカラオケボックスに雪崩れ込む。ハイピッチで飲む彼女は酔いつぶれ、送っていった渡部はスーツの上着に吐瀉されてしまう。後日、彼女は渡部に対して謝罪と称して現金を持参するが、誠意が見られないと渡部は受け取りを拒否。なぜかその一連のやり取りから渡部は彼女に対して異性としての魅力を感じ始め、不倫の関係を結ぶようになる。さらに時折理解できない突飛な行動を取る秋葉は、十五年前、彼女が高校生の頃に殺人事件に巻き込まれるという過去があった。

バブルの残滓が色濃く残るあたりが奇妙にリアル。真面目に書いた皮肉な不倫小説
痛い。主人公と同世代ということもあって、色んな意味で痛いです、この作品。不倫恋愛そのものの甘美さと同時に、バブル時代にいわゆる若者世代を送った自分世代はみんな痛いのではないか。結婚生活を送る男性・女性がパートナーとは別の異性に惹かれるという事態は否定しない。そういうこともあるだろうし、まあそれも恋愛の一つの形であろう。繰り返すがただ、主人公の考え方が共感はできないまでも”理解できる”自分が痛い長編。これはあの時代を経験されていない方には恐らく分からない世界だと思う。
特に主人公が異常なこだわりをみせるクリスマスイヴ、バレンタインデーにホワイトデーというイベント日。このイベント日重視はマニュアル恋愛たけなわのバブル時代の遺物。主人公の、家族に様々な嘘をついて、友人に家族工作を頼み込んでまで、アニバーサリーに愛人と共に居ようとする性根、さらにど根性についてはまさにバブル世代の感覚として身に覚えがあるもの。(年食った現在まで引きずっているかどうかはとにかく)。また、ところどころにバブル期の若者の姿(金もないのに、更に恋人すらいない段階で夏のうちからシティホテルのクリスマスイブを予約するだとか、そういったアホで虚しい行動の数々)が、挿入されるところに痛い感を強くする。
とはいえ、その反面、この不倫の結果、男性が陥るであろう地獄絵図について繰り返し作者は可能性について触れており、そういった意味で奇妙に”日常のサスペンス”(日常の謎ならぬ)が作品内部で盛り上がる。まさかそういった小市民的な感情の流れを作者が描きたかったわけではなかろうが、作品中に奇妙な緊張感が漂っていることは事実だ。
またミステリとしても、ヒロイン・秋葉の謎めいた行動を中心に、いわゆる”意外な動機”が最終的に明らかにされるが、このあたりは本筋と深い関係があるようなないような。ミステリとして長編を支えるにはいかにも弱いながら、先に述べた”日常のサスペンス”との合わせ技でミステリーたり得ている印象だ。

番外編にある「首を絞めて……」というくだりは愛ルケのパロディなのか? と思って吹き出した。不倫をへんに芸術めいて描くのではなく、あくまで現実的な緊張感と共に描いている点が最大の特徴だと思う。あまりの考えの浅い主人公の突き進み方が実は不気味ながら、それはそれとしてサスペンスとして最低限の仕事になっている。また番外編『新谷君の場合』にしても、小説というよりかはノンフィクションのようで、番外編といえど同じ系統に連なる作品だ。


07/06/14
清涼院流水「パーフェクト・ワールド What a perfect world! Book.7 Seventh Heaven〔最上の天国〕」(講談社BOX'07)

講談社BOX刊行記念(?)怒濤の十二ヶ月連続刊行は後半戦に突入。京都と英語と運命を描いた大河小説は、先にあったエピソードを回収しつつも確実に物語が進行し始める。

クローバから教えられた予言によって、実はエースは○○○であることが伝えられるのだが、エース自身にはそんな気持ちは実感として湧かない。ただ、この七月に命を喪うことが運命として決まっている、身体障害を持つ愛らしい明神きららのことをエースは好きで好きで堪らない状態になっている。彼女の命を救うことが出来るのであれば、自分の生命すら投げ出しても構わないというエースは、クローバのいうような人物なのか。きららの兄・サトルから、京都の各所に残された「ケモノのニオイ」の謎について聞かされるエース。闇の陰陽師たちによって京都が転覆させられると、結局日本全体の運命が終わってしまうのだという。折しも祗園祭で街中がクライマックスを迎えようという七月半ば、教え子の誕生会すら断ってエースはきららと共に過ごすことに決める。さらにその時、実は今までエースに明かされなかった不思議な力をきららが持っていることを知らされる。

いくつかの伏線回収が意外とキレイ。新規登場人物もどんどん加わって、物語が加速、展開中。
7月といえば、宵山。京都の祭のなかでは日本でも最もポピュラーな祭典を背景に物語が進んでゆく。主人公のエースは、前半部で仮想敵として機能していたクローバの孫娘、明神サトルと仲良くなり、更にその妹・明神きららのことを心の底から好きになる。エースの心の中の恋人は、それまで別の人物だったのがここに来て急転換している。(まあ、これまでのエピソードで彼女の過去が明らかになっているので仕方ないのかもしれないが……)。その彼女の命が今月限りという部分に対する葛藤がこの巻のポイントかと思いきや、段々と物語全体の構想が明らかにされていくではないか。
特に、前の巻でエース宅にホームステイしているレイモンド・クォーツの秘密が明かされているが、そのレイがこれまで取ってきた謎の行動や、ちょっとした微妙な発言などについて、この巻である事実を知ったエースが的確に指摘してゆくパートが興味深い。「ダイジョウブ、コレハ、アメジャナイ」「テニス?」など、なんでこんなところでこんな発言が? と一瞬感じさせつつもスルーしてきた事柄の背景はこういうことだったのか。(だがもちろん、あくまで本書の設定のなかでの論理性という意味でだが)。意外というのも失礼ながら、清涼院流水がミステリ畑出身であることを改めて感じさせられた次第。
さらに後半では、明神きららの持つ不思議な能力から、新登場人物、そして急展開が待ち受けている。次巻の冒頭は暗そうだなあ、と思いつつこの巻はここまで。

英語のパートも着々と進展中(といいつつ微妙に足踏みしている印象も)。どうでもいいが、本書で使用されているようなカタカナ発音を中学校の英語の教科書に掲載した方が、日本人の発音は良くなる気がするなあ。I go shopping. は通常「アイゴーショッピング」なのだろうが、本書だと「『ア』エ→(ィ)・ゴゥ・シュ『ア』ップェ→(ィ)ン」になる。ただし、この読み方の正確なルールは本書を引いて頂く必要がある。ただ、カタカナでもネイティブの発音に近づけることは十分に可能という意味では革新的だと思うのだが。


07/06/13
藤岡 真「白菊」(創元推理文庫'06)

ゲッベルスの贈り物』『六色金神殺人事件』でマニアを狂喜させた藤岡真氏。本書は『ギブソン』と同時期に刊行された書き下ろし長編。ノンシリーズ、ないしは今後のシリーズ第一作となるべき作品。

調査会社を駆使したインチキ超能力でタレントとしての活動を行う、銀座の画商・相良。彼には宝生志摩子をはじめ、優秀なアシスタントが周囲に居た。そんな相良のもとに持ち込まれたのは、骨董市で入手された、キュビズムの技法が用いられた「白菊」の絵。ロシア人の画家を絵を、あの大黒屋光大夫が模写したのではないかと考えられたが証拠がない。持ち主はワラにも縋る覚悟で相良のもとを訪れ、相良は行きがかり上、その調査を引き受けた。しかし、その調査依頼人、大学助教授・久村皓平は間もなく車を残して失踪してしまう。一方、その久村宅で目が覚めた女性は、自分の記憶が喪われていることに気付く。わたしは誰? そして私はなぜここにいるのか? 部屋にあった手掛かりから、どうやら久村皓平が命を狙われており、その協力者が自分であることに彼女は気付く。

戦前の絵・白菊の謎、命を狙われる調査人、そして記憶喪失の彼女が果たす役割は?
実は刊行当時に一読していたのだが、どうにも不思議な手触りで「いずれ再読してから――」と感想を書かないままPCの横に積むこと一年少し、ようやく再読すること相成った。メインのトリックそのものは覚えていたものの、二読目ならではの伏線確認など味わいある読書であったおかげで、やはりその不思議な手触りと繋がっていた弱点のようなものも同時に見えた印象。
一応の物語の軸となるのは、画商にして超能力者の相良蒼司の物語。超能力者という世間的な触れ込みゆえに様々なしがらみや葛藤がありながら、持ち込まれた「白菊」という絵の秘密を探ろうとする。この「白菊」ちおう絵に魅力がある。折れ釘が散らばったようにしか見えない抽象画のなかから、角度を変えてみると白菊の絵が浮き上がるというもの。イラスト等があるわけではないので想像するしかないながら、実際にあるのであれば見てみたいと思わせる絵だ。一方、見知らぬ家で目を覚ました記憶喪失の女性が陥った混乱が描かれるパートが、ところどころに挟まれている。何か犯罪の計画が進行しているようなのだが、一体なんなのかが分からない――。基本的にはこの二つの物語がどう絡むのかというところがミステリとしてはメインのトリックとなる。また、群像劇のように相良以外の登場人物が多数登場し、それぞれ勝手な発言や行動をしているのだが、それらのほとんどに意味や裏があって終盤に向けて伏線となって機能していく過程は読みどころだと思う。
ただ、本書の魅力と弱点は紙一重となっている。記憶喪失の女性というある意味都合の良い存在がなぜ存在できたのか、そして彼女がいったい誰なのかという謎。確かにこの結末は予想していなかった。ただ予想していなかったのはミスディレクションがあるにしても、あまりにも変なところから人物を引っ張って来すぎているように思う。この結果、メイントリックのはずが、そこで物語のバランスが一気に崩壊してしまっているのだ。この奇妙ともいえる崩壊加減が藤岡真という作家の真骨頂だという考え方もあり、個人的にも許容範囲ではあるのだけれど、やはりどこか考えこんでしまう。その結果、折角の「白菊」の絵の美術ミステリとしてのスリリングな展開や、インチキ超能力番組の更に舞台裏など、プロローグから前半で提示してきた魅力的な部分が霞んでしまっている。
別の角度から考えると、サプライズのために物語全体すら犠牲にしてしまっているという意味で大胆な演出だともいえる。こういったことが許されるのも藤岡真という作家の特殊性かもしれない。安心して読ませておいて最後に不安にさせられるというアンバランスさを魅力と捉えるか、弱点と捉えるかによってこの作品の評価はがらりと変わるように思う。

そういった全てを含めて個人的には愛したい作品。現代に現れた異形の本格ミステリであり、驚かせてやろうという基本精神に敬意を表したい。ただ、そこが一般読者に受けるか受けないかという点についてはやっぱり微妙なのかなあ。


07/06/12
多島斗志之「白楼夢―海峡植民地にて―」(創元推理文庫'07)

元版は1995年に講談社より刊行されていたハードカバー作品。なぜか文庫化されないまま今に至っていたもので、今回、創元推理文庫による《多島斗志之コレクション》の一冊として初めて文庫化される。

一九二〇年代の英国領シンガポール。日本からの移民をはじめ、様々な勢力が入り乱れるこの街に身ひとつで訪れた青年・林田は一年半のあいだに顔役として幅をきかせるようになる。その林田がふとしたことから大物華僑・呂大龍の娘で呂白蘭を殺害した容疑を掛けられ、姉のことを慕う次男の虎生や、警察の追及から必死で逃れるパート「白蘭殺人事件」。一方で、初めてシンガポールを訪れて旧友でもあった呂家の長男・鳳生と旧交を温め、狭い地域内の日本人社会で発生していた諍いを鎮め、華僑に認められて着々とその力を蓄え、のし上がっていく様子が時系列で描かれるパート「回顧」。この二つが混じり合い、林田は自分のことを恨み、そして現在自分のことを追い落とそうとしているのが誰なのかを追われながらも探ろうとする。冷酷で高慢ながら、凄まじい魅力をもった呂白蘭と林田との出会い……、果たしてその黒幕は一体だれなのか?

歴史の狭間を描いた小説であり、逃亡サスペンスであり……物語複数の魅力をぎっしり取り込んだスーパー冒険小説
多島斗志之らしい抑制の効いた筆致により、あまり血湧き肉躍るような印象はないのだけれど、やはりこの作品に関しては根っこにあるのは冒険小説のスピリットのように思われた。歴史の描写、さらにそこに降り立った日本人たちといった、歴史の狭間からエピソードと物語の骨組みを創り上げる多島氏の腕前は十分に本作にも活かされていると思う。だが、本書は殺人の汚名を着せられて、その理由を探りだしながら逃げるというサスペンスの興趣がより強い
植民地で名を成し遂げた男が、どこかで恨みを買って逃げ回る――という展開が、過去→現在のかたちで語られるならば普通の作品なのだが、本書はまるで倒叙ミステリのように過去と現在とが並行して語られる。どちらのパートも魅力があるのだが、本書の場合、過去が読者の前に晒されるにつれ、むしろ謎の方が大きくなってゆくという構成が魅力なのだ。そしてまた、一方では過去のエピソードについては大人の恋愛小説の衣をも纏う。それもまた静かな魅力となって物語を下から支えている。こういった複数の要素を「いかに読者に見せるか」という点で最大の考慮が払われた作品だといえるだろう。
戦前の植民地下という風俗、その時期の国家や社会の状況といったところまで描写のみならず物語の本質的部分に織り込んである。更にそういった部分が後半に仕掛けられたどんでん返しの鮮やかさに繋がってゆく。一読、通常のエンターテインメントでありながら、物語はここまで高みに至ることができるのだ。素晴らしい。

小生が下手に物語の魅力を分析しても仕方ないと、ここまで書いてまた思う。ラノベのような浮ついた華やかさはないが、力強い物語と、そのエピソード構成、そして全体のバランスと非常によく出来た”大人向け”のミステリ。終わってみると物語全体の完成度も高く、充実した読書時間が過ごせることだけは間違いなし。物語を引っ張る”ツボ”が巧みに張り巡らされているため、どんな読者傾向を持つ読者であっても本書の凄さは読めば理解できるはず。多島ファンでなくとも一読をオススメしたい逸品である。


07/06/11
森福 都「吃逆」(講談社文庫'02)

森福さんは'96年『長安牡丹花異聞』にて第2回松本清張賞、同年『薔薇の妙薬』にて第2回講談社ホワイトハート大賞優秀賞を受賞してデビュー。主に中国を舞台にした作品を発表しており、本書もその系譜にあたる。元版は一九九九年に講談社より刊行されており、更にその出典は三編中二編は『季刊歴史ピープル』の一九九七年、一九九八年の盛秋特別号に発表されたもの。最後の一編は単行本刊行の際に書き下ろされた作品。

三十歳にして科挙合格の悲願を達成したものの、あまりの低位合格のだったため陸文挙は職に恵まれなかった。そんな陸にはしゃっくり(吃逆)と共に物事の真実の姿が見えたり、推理が働いたりといった特技があった。彼は周季和なる人物の訪問を受け新設新聞社「陂b小報」の「偵探」として働くことを承諾する。最初の事件は遊女たちが次々と身投げするという奇妙な事件だった。 『綵楼歓門』
都城の側に作られた人工池では天子の行幸を受けての定例行事。絡繰人形を使った出し物が喝采を博す。そんななか官費流用の疑いのある人物を追って「偵探」の陸文挙は人々の様子を探っていた。活動中、島の中で人形のみと一緒にいた人物が喉を切られて死亡している場面に陸は出くわす。 『紅蓮夫人』
夜中に開催される市、鬼市子。陸と周は連れだってこのイベントに参加するが、周はある店の品物全てをまとめ買いする。一方で天子の信任厚い・呂首相の血縁者が毒殺される事件が発生。毒は砒素。誰にも毒を投じる機会はなかったはずなのだが……。 『鬼市子』 以上三編。

幻想小説にミステリに中国歴史小説にして陰謀小説。通常の意味とは異なるがこれもまたジャンルミックスの面白さ
中国は宋の時代を舞台にした一風変わったミステリ譚。とはいえ森福さんにとって本書のような中国、特に宋の時代描写はお手の物であり、まずその点については安心して読める。読者が決して体験したことのない時代であるのに、描写が鋭く的確なため場面場面が目に浮かぶようだ。しかし、単にその中華の描写以上に優れているのが、それぞれの作品における謎の配置とその全体構成だ。
主人公にして視点人物の陸文挙の特徴である、吃逆と共に幻視や推理が飛び出すという当初の設定は実は後半ほとんど無効化されてしまっている。正直、後半に行けばゆくほど題名に使われている程の効果はなくなっている。ところが一方で、例えば「陂b小報」を発行し、陸文挙を掌で弄ぶかのように使う美男子・周季和や、陸が想いを寄せる美人料理人の蓬仙、更に陸の上司にあたる劉氏など、登場人物に付与される個性が素晴らしい。そして彼らのあいだには複雑な人間関係がある。最終的に解きほぐされるこの関係、そして背景が、実に細やかに謎として機能している点に驚かされる。 なぜ季和は幼なじみにして将来を誓ったはずの蓬仙に対して冷たいのか、季和はなぜ父親である劉氏に対して決して名乗り出ることがないのか。そういった人間関係の謎を背景におきながら、別に三つの大きな謎解きがそれぞれ中編クラスの物語を成している。
最初の謎は吃逆がうまく物語効果を現す巌窟王的物語で、謎解きというより犯罪が重なった結果の悲劇ものといった印象。ミステリファンであれば注目は二編目の作品で、大きな庭園内部の池の島で、絡繰人形と二人きりだった男が殺害されている事件。あたかも人形が男を殺害したかのようにみえるこの事件の真相は、本格ミステリ的であり美しい構成だ。 三編目については、一気に人間関係に分け入っていくストーリーだが、それまでの物語でさりげなく語られている背景などを巧みに織り込み、単なる人間関係を解きほぐす以上に重厚な印象を受ける。また、題名にもある鬼市子の幻想的光景もまた素晴らしい。

もともと個人的にこういった時代の中国を舞台にした作品が好きなので、その意味でツボだし、さらに素敵な謎解きが味わえる点も良い。歴史上の人物を巧みに配し、それでいてしっかりオリジナルの謎解きを堪能させてくれる贅沢な作品だといえるだろう。