MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


07/06/30
北野勇作「ウニバーサル・スタジオ」(早川文庫JA'07)

よくもこの題名でそのまま刊行できたものとも感じる、北野勇作&大阪テーマパークの一冊。文庫書き下ろし。

ウニバーサル・スタジオはその名称からも想像がつく通り、外見は棘を生やした饅頭のような形。内部構造は五放射相称形で、中央部に体軸があってそこから放射状に様々なアトラクションやイベントが配置されているテーマパーク。もちろん、テーマは”大阪”。ゲストは巨大ウニに食われるというスリルを通り抜けると別世界。立っているのは大阪ミナミの道頓堀。阪神タイガースの優勝という妄想感覚イベントも巨大なタコが絡みついた水上バスへのライドも、四天王寺を舞台にした巨大カメ型メカとザリガニ型生物とのバトル体験となんでもあり。更にはアルバイトのクルーたちの血と汗と涙の物語あり、舞台を裏側から支える裏方のお仕事あり、東京にはウニバーサル・スタジオ大阪のライバル、東京ネズミランドあり、フロッグコートを着たケロリストたち会場を走り回り――とにかく、大阪のいいとこが何でも体験できる(変なかたちで)のが、このウニバーサル・スタジオ、なのだ。

架空のテーマパークを北野勇作的妄想ガジェットで彩り、はんなりと脳内に浮かび上がらせる
ウニバーサル・スタジオ。この名称からは想像もつかないであろうが、実在する大阪にあるテーマパークが一応のモデルとなった作品で、核となるこのスタジオを中心にモザイクノベル、ないしオムニバスのような形式でその周辺エピソードを描いている。この方式そのものは北野勇作のこれまでの作品(特に長編)でも散見されるものだが、本作品の場合、その核となるテーマパークの想像がつきやすい分、同形式の他作品よりもとっかかりやすいのではないかと思われる。
で、本家を知れば知るほど(知らない人は東京ネズミランドを想像すればよろしい)、この設定と個々のエピソードの持つ深みが味わえる。もちろんどこのテーマパークでもそうだろうが、お客さんを一旦招じ入れたからには、とことんそのパークの世界に浸ってもらうことが至上命題。そこで働く人の意識統一は欠かせない。テーマパークの外側、内側の人々の苦労を、北野勇作らしい世界観でもって描き出す。 そこここに上方落語を意識したサゲや、脳内妄想テーマが絡み合い、ストレートなかたちのエンターテインメントとは言い難いところがあるが、物語にすいっと溶け込めるタイプの読者にとっては、この世界観は心地よいもののはずだ。
テーマパークの持つ特性をうまく活かして、そこから派生する妄想をエスカレートさせる一方で、どこか醒めた大阪人から観た大阪感覚が物語全体に通底していて(他の地方の人間からみた大阪ってイメージはこんなもんやろ? という感じ)、荒唐無稽でありながらも不思議な落ち着きが作品全体から感じられる。

北野作品からしばしば感じられるノスタルジー感覚が若干薄いかわり、北野氏自身が得意なテーマをうまく作風に取り込んでいる分、地に足着いた世界観がある。ところどころに北野SFや北野ファンタジーが混じり合い(というか、ほとんどがそう)、相変わらず独自世界を形成している。そこが面白いところ。
個人的には本書を本家○ニバーサル・スタジオ・ジャパン内部で読んだことがまったく意味のない自慢。


07/06/29
米澤穂信「インシテミル」(文藝春秋'07)

ライトノベル出身ながら、青春小説として抜群のストーリーテリングを武器に着々と人気作家の地位を固めつつある米澤穂信氏。本書は書き下ろし(ですよね)。表紙はなぜか西島大介画伯によるもの。

実験モニター・時給「1120百円」と書かれた記事。コンビニでバイト雑誌を立ち読みしていた貧乏学生の結城理久彦は、車を購入するに際してバイトにでも行くかと立ち読み目当てでコンビニへと出向く。そこで出会ったのは、とても格が違うとも思われる若く美しいお嬢様女性。彼女は須和名祥子と名乗り、借財があるのでやはり彼女もバイトを探しているのだという。そんな二人が見つけたのがその記事で、理久彦は軽い気持ちで冗談半分にそのバイトに応募してみる。そんな彼に当選の通知が。そして、その掲載された金額は決して間違いではないという。理久彦は断れないまま列車に一人乗せられて目的地へとやって来た。そこには同じように応募してきたと思しき十数人(そしてそのなかの一人がなんと須和名祥子だった)がおり、 その実験の詳細内容は聞かされないままに、実験施設へと送り込まれる。その設備の名前は〈暗鬼館〉。彼らには殺し合いの期待がされていたのだ。とはいえ、参加者に意志がない以上、そんなことにならない筈であったのだが……。

本格ミステリそのものではなく、上質の本格ミステリが持つサスペンスを強調した変奏曲(結果的に)
人工的な館、クローズドサークルといった舞台装置はそのまま本格ミステリの定型ガジェットだし、古典ミステリを警句として登場する凶器群もまたパターンだし、そもそも犯人役と探偵役が期待されている設定であるし……と、特に物語の舞台装置に関しては、いわゆる新本格で様々な形式で用いられる不自然で現実的に普通はあり得ない”館”である。米澤氏御本人のWEBサイトを覗いてみると、ミステリ作家である以前に、恐らくミステリファンである氏が、まずこういったシチュエーションの作品を書きたかったであろうことが朧気に推測される。
また、作品内で登場人物の行動について、様々な推測や証拠に基づいて推理する場面や、犯人を指摘する場面などがあるし、本格ミステリと普通に考えても別に差し支えないとは思う。ただ――個人的には、本作の本質は本格ミステリの皮を被ったサスペンスのような印象を受けた。 (この点については、少なくとも作者が最初から狙ったものではない。あくまで結果的にそのような作品になってしまった?)。
なんたって人を殺せば大金が転がり込むわけだ。そこに、館の構造、及び館における主宰者ルールがシンプルに過ぎることによる関係者同士の不信、恐怖、疑心暗鬼が増大してゆく。殺人事件を起こしてまで金に困っていない筈の人々が、殺人鬼の影に怯えてゆく過程。 ここに本書の最大の面白みがあるように思う。加えて、登場人物同士が互いのことを全く分からない知らない状態、鍵の掛からない個室、各部屋に備え付けられた凶器と「殺し合ってください」とばかりの主催者の要望まで含め、普通の”嵐の館”系統の作品よりもより人工的にサスペンスが喚起される設計となっている。この臨場感、不安感こそが最大の読み所ではなかろうか。もちろん、意外な犯人であり、意外な動機である。だが、一方ではその動機から類推するしか、(暗鬼館)の最後の謎は解けないように思う。(補足すると、この作品を本格ミステリとしてみた場合、どうしても真犯人の行動理由はとにかく、さらに突っ込んだこの動機の説明が不十分なことが引っかかってしまう)。とはいえもちろん、作品内での辻褄はきちんとしておりますよ。

米澤穂信らしい、主人公の独特の感性もあってエンターテインメントとして面白く読めたけれど、やはりこれは謎解きというよりも、上質の本格ミステリ特有のサスペンス部分の面白さだったのではないかと思うのだ。米澤作品にしては、人がばったばった死ぬし、これもまた新境地だといえるのかもしれない。


07/06/28
古川日出男「サマーバケーションEP」(文藝春秋'07)

『別冊文藝春秋』に2006年5月号から2007年1月号にかけて掲載された作品の単行本化。

人間の顔を全く識別できない特徴を持つ”僕”は、二十歳になったので許可が出た、なので冒険に出かける。井の頭公園。動物や人と接し、神田川の源流となる”お茶の水”にて、一人の青年と出会う。名前は”ウノ”さん。彼もまた、会社から長い夏休みを取っていた。井の頭公園の水門にて再開した彼らは、木の上にいた女性、”カネコ”さんと知り合う。彼らは、そこから神田川に沿って海に向かうことに決めて歩き出す。そんな彼らになぜか様々な人々が合流をする。井の頭公園で口論をしていた大きな外国人とヘソを出した小柄な日本人女性のカップル。結婚を控えた彼らは弁財天の呪いを解くために、なぜか海まで同行しようという。三人の小学生、離婚協議中で息子を遠目に眺めたい謎のおじさん、そして彼が連れてきた中国人の双子女性。自分の足だけを頼りに彼らは、神田川沿いをひたすらに海を目指して歩き続ける。

シンプルな筋書きながら、青春小説として格好良くそして都市論として濃い。
古川日出男の独特のエッジの効いた文章で、訳の分からない(つまりは目的として一般的な意味での価値などない)ことに一生懸命な人々が描かれる物語。 その目的はシンプル、過程はちょっとだけ複雑。また、主人公となるのは独特の、常人とは異なる能力を持つ青年。その特定のテーマが何か、主人公の持つ特徴が何かという点はそれぞれ違えど、古川作品において、こういったモチーフは様々なかたちで取り上げられており、本作の場合はそれがむしろシンプルなかたちで現れているといえよう。
ただ――素晴らしいのは、その単純にしてシンプルな物語の持つ吸引力だ。確かに、神田川沿いに歩くメンバーの個性はそれぞれ際だっているし、その交わされる会話も、それぞれの人物に似うもので違和感がない。特に小学生三人組の会話で用いられる語彙感覚は”天才”としかちょっと形容できない。また、ちょっと小生意気な女性にしても、少し気の弱いお兄さんにしても、会話とやりとりの加減が初対面だというのに絶妙だ。そういった様々な装飾(?)を経てなのだろうが、単に人々が集団で歩くだけの物語に起伏が付き、そして先へ先へとどんどん共に進みたくなる感覚が読者にも共有されるのだ。
物語全体、即ち主人公を含む集団に人々が加わったり別れたりというのは微妙に”川”という特性とも被るところがありそうだ。ただ、本作の場合、吉祥寺から月島に至るまでの光景が、様々に、特に虚心な態度で再発見されており、都市文学としての意義もある。また、現在は東京に住んでいない自分にとっても、過去の生息地域を様々なかたちで横切るので、非常に現代的でありながら、個人的には何か懐かしさを伴う作品でもあった。現在、東京にお住みの方ならこの感覚は尚更なのではないでしょうか。

物語だけであれば、作家以前にそれこそ小学生の絵日記(物語に出てくるわけだが)でもあり得る展開であるのに、それがエンターテインメント文学として成立させてしまうのは、やはり古川日出男のセンス。物語を複雑にしようと思えばいくらでも可能な作家が、敢えてシンプルな筋書きで勝負した。そんな印象です。


07/06/27
荻原 浩「千年樹」(集英社'07)

2005年『明日の記憶』にて第18回山本周五郎賞を受賞。その前後よりコンスタントに作品を発表し続ける荻原氏。本作は『小説すばる』2003年12月号から2006年12月号にかけて掲載された連作作品が単行本化されたもの。

都育ちの公惟は東国のあるあたりを治める国司として派遣されてきた。しかし郡司の浅子季兼の謀反により妻と息子と共に山に逃げ出した。隣国へ向け彷徨うが力尽き、妻、公惟、そして息子とが命を喪ってゆく……。 『萌芽』
米国の爆撃に晒される町。誠次は家族ともはぐれて一人で自分の宝物を抱えて逃げていた。彼は子盗りの噂のある神社に逃げ込んだのだが……。 『瓶詰の約束』
日方神社の大きなくすのきの下が、高校時代から啓子と博人との待ち合わせ場所。北海道の大学に行った博人は最近冷たいが、啓子は彼が来るのをそこで待ち続ける……。 『梢の呼ぶ声』
城の台所組に務めていた忠之助。殿が食べたいと所望する飯に庶民の食べ物であるところてんを推薦、しかし殿は怒り、忠之助は切腹させられることになってしまう……。 『蝉鳴くや』
山道に入り込んできた女とその従者。山賊あがりのハチは太刀で従者を殺害すると女の着物を奪おうとした。しかしハチより年上のその女性はきれいだった……。 『夜鳴き鳥』
連れ子同士をもって再婚した寿久と純子。その子供、美穂と郁也も少しずつ仲良くなりつつある。そんな彼らはドライブの最中、人気のない郷土資料館を見つけ、そこに入ることにするが……。 『郭公の巣』
二十三歳の真樹は、自分の祖母・バァバの危篤に勤め先の市役所から飛んで帰ってきた。おばあちゃん子だった真樹に、この町で生まれ育ったバァバは色々な話をしてくれた……。 『バァバの石段』
県の文化財になり損なった”ことりの木”。市役所に勤める雅也は、最近その木にまつわる事故が急に増えてきたことを実感している。雅也はその木に対してある思い出があったが……。 『落枝』 以上八編。

千年もの時代を超えて。一本の木にまつわる様々な出来事がクロスオーバーしてゆく……。
現代文芸における新しい試みは、もしかするとミステリ発というものが結構あるかもしれない――などと考える。無念の想いを残した親子がきっかけになって生えた一本のくすのき。そのくすのきの周辺で発生する物語が様々なかたちで描かれる。ミステリ風と思うのは、その時代を世代を超えた人々の名字が繋がっていたり、同一人物の幼年期と青年期だったりとエピソードが伏線の如き繋がりを見せるから。 注意深く読むと気付くのだが、同じ登場人物がその属性を変えて二度、三度と登場してくる点だ。最大のポイントは序盤で描かれる日方神社が経営していた幼稚園の最後の学年の子供たち。彼らが中学生となり、大学生となり、そして社会人となって様々に人間関係を変えながら物語全体に絡まってくる。これはあたかも一本、堂々と屹立しているくすのきと、その幹に群がる蔦のごとき様相なのだ。ミステリの叙述トリックの仕掛けられた物語にどことなく感じや雰囲気が近いように感じられる。
また、このくすのきには精霊が住んでおり、その精霊は更に友だちを増やそうというのか、このくすのきの側に近づく人々を不幸へと誘っていく。古い樹齢の木には精霊が宿り、それ自体が妖怪と化すという伝説がある一方で、これだけ立派な木であれば御利益だってありそうなもの。だが本書にはそれがなくあくまで不幸が中心なのだ。そういった意味では、少しホラー系統のテイストも含まれている。登場人物が陥る辛い気持ちや哀しい気持ちといったところを巧みに精霊たちは突いてくるから。このくすのきがそういう意味で幸福の象徴でもなんでもなく、いつの時代も疫病神的であるところなども、逆説的で面白い。

ほとんどの作品で主人公は代わり、一つの短編のなかでも過去の物語と現代の物語があるなど構成自体が巧みで、かつ個々のエピソードもまた読ませる内容。読み終わって何が残るといったタイプの作品ではないながら、いろいろ気になる(木になる?)ところの多い連作集である。


07/06/26
垣根涼介「真夏の島に咲く花は」(講談社'06)

WEB-SITE『MouRa』に二〇〇五年九月二十二日から二〇〇六年九月二十日にかけて連載された作品が単行本化された作品。垣根作品では初めて南洋リゾートが扱われている。

南太平洋にある観光国家・フィジー。この島に移住してきた両親と共に育ち、三年前にフィジーに帰化した日本人・織田良昭・二十四歳。フィジー観光の玄関口・ナンディタウンにある日本食レストラン『織田』を切り盛りしている。十六歳以来この島に住む良昭は、両親が土産物屋を営むインド系フィジー人・サティーと付き合っていた。良昭の高校時代の同級にはフィジー人のチョネがおり、彼はガソリンスタンドで働きながら、日本人で観光会社でワーキングビザを取って働いている茜と交際している。のんびりしたフィジーの人々は身体は大きく、よく食べるが行動はのんびり。彼我の文化の違いを理解しつつ、うまくコントロールしながら彼らは暮らしていた。そんなある日、インド系とフィジー系が拮抗する国会にて、フィジー系人によるクーデターが発生した。ただ、首都での騒乱はこのナンディタウンにまではすぐに波及してこない。日々の生活は変わらないなか、観光客だけが着実に激減していった。更に、クーデターが中途半端な処理で終わったことから、日頃からうっすらと対立しているインド系とフィジー系の人々とのあいだに微妙なヒビが入り始める。

楽園フィジーを舞台に描く、人種と文化の静かなる対立。何かやるせないがこれも現実
もともと垣根氏は海外の”現地の風景”を描くことに長けた作家ではあるが、本作はまず物語構造以上にその”現地”の丁寧な描写に特徴がある。この作品を読むまで全くフィジーについて知らなかった小生の知識不足のせいかもしれないが、昔からいるフィジー人と、英領で労働者として連れてこられたインド系の人々との文化の違い、性質の違い。そのインド系の人々のなかでもイスラムとヒンディーとの違い、日系人、中国系人の勤勉さと真面目さ、南洋ならではののんびりした気質――といったところが的確に描写されているのだ。それも教科書的ではなく、適宜に配置された登場人物の性格や生まれ育ちを描くところで実現している点が素晴らしい。(そのせいでストーリーそのものの展開が序盤から中盤にかけてややもたついてしまうのだが、それは有る意味仕方ない)。互いに好き合っていても、その生まれや人種の差によって実らない恋、またそれを乗り越えてしまう恋といったラブストーリーが静かに描かれる。描かれているのは、若い人たちそれぞれの恋模様であるのだけれど、それがいつの間にか、この国自体の成立背景というか状況という点の理解に繋がっている点が実に巧い。
後半には、クーデターを背景に不穏さを増してゆく状況が描かれ、登場人物を巻き込む暴動事件がクライマックスに繋がってゆく。ここまで登場人物のことが描かれていて、更に彼らが興奮状態になってゆく点が自然にして非常に虚しいところがポイント。いわゆるこれまでの垣根作品でみられた単純なエンターテインメント性がかなり薄くなり、何か大騒ぎなのにもの悲しいという不思議な味わいが後半を占める。ただ、この南洋世界を舞台にしてこんな味わいを描ける作家も垣根氏しか恐らく日本にはいないだろう。

シンプル・単純なエンターテインメントを期待する読者にとっては微妙に合わないかもしれないながら、この作品ならではの味わいが深いことは事実。別の人種や異なる背景を持った人々は、本当に日本人とは様々な点が違うのだなあ、ということを実感させられる。ある意味ではこういった”違い”を描くことに関して垣根氏の巧さは際立っていると改めて感じさせられる一冊でもある。


07/06/25
化野 燐「呪物館 人口憑霊蠱猫」(講談社ノベルス'06)

前作『件獣』のエピソードを引き継ぐ続編にしてシリーズ五冊目の長編。

『本草霊恠図譜』が奪われた! 諏訪苑子と龍造寺のうち「ぼく」とが画策した強奪劇に小夜子や白石は怒り心頭。古書肆文車堂で看板娘の車持由妃さんを相手に口説きを開始していた龍造寺「おれ」は二人に襲われる。激しい戦闘の末に誤解を解いた龍造寺「おれ」は、もう一つの手掛かりをベースに彼らを追う集団に加わることになる。目的地は”呪物館”。東京に国の博物館が設立された際に裏の機関として洛北山中に設立された博物館で治外法権扱い。その存在こそ学芸員のあいだで噂されるものの実存を知る人間は少ない。博物館、骨董品店、神社や寺社が持て余す”曰く付き”の品々ばかりを収蔵するのだという。かつてその”呪物館”と関わりのあった龍造寺「おれ」は彼らの案内を務めた。既に苑子と龍造寺「ぼく」は『本草霊恠図譜』を売りつけに呪物館へと向かっており、様々な妨害のなか、一行は呪物館に到着する。そこには大量の”曰く付き”の品々と変人めいた学芸員たちがいた――。

何よりも”呪物館”の設定が素晴らしい。アクション場面も満喫、充実の一冊
冒頭三冊、長めの序章を通じ一通り登場人物が揃って、更にそのキャラクタ(性格付け)が明瞭となってきたこともあり、妖怪アクション、ないし現代風伝奇シリーズ作品としての充実を感じさせられつつあるこの『人口憑霊蠱猫』。今回の作品は作品背景を利用しながら独立したシナリオとして非常に充実した素晴らしい内容となっている。「『本草霊恠図譜』が奪われた!」という展開にならざるを得ないのは多少お約束もあるけれど、その持ち込まれた先、呪物館の設定が深いのだ。いわゆる「曰く付き」の品々ばかりが持ち込まれる”影の博物館”というだけで、わくわくするものがあるし、蘊蓄絡みで描かれるその博物館自体のおぞましさがなんとも印象的。この博物館自体が”キャラ立ち”している感がある。
その博物館を舞台に、本草霊恠図譜を巡っての闘いが繰り広げられるというのが単純にしてシンプルな本作のストーリー。なのだが、博物館員が次々と彼らに襲いかかってくる場面がそれぞれ微妙にシチュエーションを違えてのアクションシーンとなっていてこのあたりの展開が巧い。手を変え品を変えた博物館員の個性、その能力といったところが独特で強烈なサスペンスはないながら、ページを次々と繰らせる力が物語にあるのだ。

「妖怪」だとか「オカルト」だとかの物語への関わらせ方にセンスが感じられるため、これまでもあった単なる伝奇アクション小説に留まらず、ジャンル内部でも一つ上のステージに物語があるように思える(これはちょっと褒めすぎかな)。個人的にはいわゆる”キャラ萌え”は一切なしに読んでいるにもかかわらず、これだけ面白いと思うのはやはり物語としての、原初の力を備えた作品だからなのではないかと思うのだ。


07/06/24
北村 薫「玻璃の天」(文藝春秋'07)

第137回直木賞候補作品。選前の予想では受賞は確実視されながら惜しくも受賞を逃した悲運の作品となった。本格ミステリマスターズより刊行された『街の灯』に続くシリーズ二冊目で、昭和初期の貴族階級・花村栄子と彼女付きの女性運転手・別宮(通称:ベッキーさん)による中編集。

遠い過去に相手の死亡広告を新聞に出したことで不仲になった兄弟。その孫同士が恋人関係に陥ってしまう。なぜか相談を受けた花村英子は、ベッキーさんのアドバイスを求める。祖父に直接すがるべきというベッキーさんの言葉から、家族が少しだけ融和し、段倉という人物の講演会にその男性が招かれることになる。『幻の橋』
読んでいる本の話題がきっかけで綾乃という友人が出来た英子。しかしその英子は謎の暗号を残して家出してしまう。外聞もあり内密に事情を訊かれた英子はやはりベッキーさんに相談をする。 『想夫恋』
資生堂パーラーでミートクロケットを頂く英子。吹き抜けを挟んで反対側に芸術家然とした白い服を着た男と黒い服を着た隙のない男の二人組を見かける。黒い服の方は末黒野といい大財閥の番頭の息子で切れ者なのだという。英子は百貨店で白い服の男が謎の行動を取っているのを見かけ、後に晩餐会で一緒になった末黒野に彼のことを尋ねる。白い服の男は建築家の乾原という人物で末黒野の自宅も彼が建てたのだという。成り行きで末黒野邸に招かれた英子はそこで事件に遭遇する。 『玻璃の天』

凛としたベッキーさんの正体の片鱗が明らかに。お嬢様物語のなかに確とした主題が見えつつある
死亡広告の謎、持参した浮世絵が消失する謎、暗号、家出の謎、百貨店での不思議な男の行動、そして天窓のステンドグラスを突き破って死亡した男の事件――。北村薫お得意の日常の謎から、物理的なトリックが凝らされた殺人事件に至るまでミステリとしての諸要素がそこかしこに見え隠れしている。この昭和初期の貴族階級というなかなか現代文学で取り上げられることのない背景を嫌味なく描き出し、その当時ならではの風俗や考え方を込めた謎解きがある――という前作でも魅せた設定と構成は本作でも活かされているものの、徐々に北村氏がこのシリーズにて描き出そうとしている主題のようなものも少しずつ浮かび上がってきているように感じられる。
この時代ならではの文化、そしてその文化や時代背景を使うことによって明らかにされる、現代日本の基礎的な考え方……。自分のなかで言葉でまとめきれていないのだが、特権階級を描くことによってその特権階級ならではの現実や、またその特権階級だからこそ考えなければならなかった日本という国家に対する様々な事象などがシンプルに浮き彫りにされていくようにみえる。庶民からすれば贅沢に過ぎる暮らし、安定した生活を所与のものとして受け入れている層の物語だからこそ、考えることができる日本の現状と将来といった内容が、様々な場所で描かれているように思うのだ。
ミステリとしての謎解きも北村さんならではの美学でまとめられていて、暗号にしても日常の謎にしても、特に落としどころが素晴らしく美しい。一方で、その現象の背後にある動機といったところが、また作品主題と関わるというか、当時の日本の事情(階級制、美徳、文化といった)が反映されている点、興味深い。

文章はさすがにこなれているし、下地が豊かな物語から得られる感覚も豊饒。ただ、その主題よりもミステリが強く浮き出た分が直木賞を逃した理由になるのだろうか(奇妙な政治力学があるのでなければ)。個人的には、受賞作ではなくとも素直に北村作品のうちでも名作に分類される作品だと思う。


07/06/23
森 博嗣「ηなのに夢のよう」(講談社ノベルス'07)

森博嗣氏の”Gシリーズ”、六冊目の書き下ろし作品。(現在は既に新シリーズの”Xシリーズ”が開始されているのだが、Gシリーズが本作で最後になるのかは未確認)。これまでの作品同様、加部谷恵美、山吹早月、海月及介らが登場するが影が薄く、真賀田四季の存在感がクローズアップされてきている印象。森ワールド全体に対するピースのひとつ。

朝、散歩していた数学者・深川恒之は近所の神社の境内にぶら下げられた首吊り死体を発見する。死体は二十一歳の大学生のもので地上十二メートルもの高い場所にぶら下がっていた。どう考えても単独実行は不可能……という状況にマスコミは湧き、加部谷恵美は、事件現場の近所に住む友人の森宮から話を聞く。森宮と共に現場を訪れた加部谷は、白いキレに書かれた謎の文字を発見する。「ηなのに夢のよう」とあった。二人は「η」が読めず悩むが加部谷宅を訪れた山吹五月、海月及介らはそれがギリシャ文字の「イータ」ではないかと指摘する。加部谷は、西之園萌絵にその事件の話をし、萌絵は自らのネットワークで類似の事件の存在を知る。今度は池の中にある島の真ん中で、同じく奇妙な状況下で首吊り自殺事件が発生していたのだという。やはり現場には「η」の文字。そして更には、西之園萌絵の友人・反町愛の自宅ベランダでも首吊り死体が発見され、愛は事件直前「ηなのに夢のよう」と題された差出人不明のメールを受け取っていた……。事件の裏側にはやはり真賀田四季の存在があるのか。そして西之園萌絵の両親を奪った、十年前の飛行機事故の真相とは。

相手にしているのはシリーズ読者だけ? ただしシリーズ全体の謎が少し
とりあえずGシリーズの区切りとなる作品で、今回は「η」。冒頭、とても足場のない高い場所での首吊り自殺、足許が池という状況での首吊り自殺――と、奇妙なシチュエーションでの事件状況が次々と提示されるつかみは良かった。前作にあたる『λに歯がない』にて、久々に不可能犯罪+素晴らしいトリックを堪能させてもらったこともあり、これまで知るミステリの奇妙な首吊り殺人トリックなどを思い浮かべながら読んでいたところ、この点に対しては肩透かしをくらってしまう。明確な理由というか説明はなく、登場人物の類推のみで片付けられ、その類推自体も物理的な問題ではなく背景の説明にしかなっていないというものなのだ。森ミステリィらしいといえばらしいので、まあこれはこれで仕方ないですねという印象以上でも以下でもなし。
全体としては、真賀田四季という人物の影が再び重要関係者の周辺に手を伸ばしてきている印象。特に今回はサブキャラ扱いだと考えられていた西之園萌絵が本作では主要登場人物として役割を果たしている。(その分、Gシリーズメインキャラの筈の加部谷恵美や山吹早月、海月及介らの影が薄い)。とはいっても、これもまたそういう雰囲気と情報の欠片が読者に提示されているのみであるため、シリーズ通しの読者以外は(?)だと思われますが。
むしろ気になるのは、赤柳初朗の正体だったりするのだけれど、(青柳ういろう?)どうもその正体探しも、作者の掌で踊らされているようで何だかなとも思う。

ゆるいシリーズ読者として、今後もゆるゆると読んでゆきます。(ただ、この作品に関しては中身もゆるゆるのような気が……) 


07/06/22
曽根圭介「沈底魚」(講談社'07)

第53回江戸川乱歩賞受賞作品。曽根氏は1967年生まれ。乱歩賞を受賞する前に、2007年「鼻」で第14回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞している。

公安部外事二課に所属する不破は、同僚の若林とマル対を監視中、十数年ぶりの同級生である伊藤真理と出会う。不破らが監視しているのは東亜貿易副社長という肩書きを持つ中国人・呉春賢。彼は中国の国家安全部の高官であるという情報が警察庁からもたらされていたが、どうやら監視は空振りに終わりそうだった。ただ、真理はどうやらその呉と会っていたらしい。さらに翌朝、毎朝新聞のスクープにより現職国会議員が中国に機密情報を漏らしたというニュースが飛び込んできた。一旦はその情報もとにあたる、米国にいる中国人が信用できないとして外事としては無視することになった。しかし、直後に警察庁から理事官として赴任した女丈夫・凸井美咲は、不破や、不破とそりの会わない同僚・五味らに対してこの事件を調査することを命ずる。現職国会議員はマクベスと呼ばれている大型の沈底魚、すなわちスパイだがそれが誰なのか特定ができない。このスリーパースパイはマクベスというコードで呼ばれており、次期総理大臣とも目されている芥川という若手国会議員ではないかと思われた。伊藤真理は現在、その芥川の秘書として働いているのだ。

受賞作に似わない落ち着きと話運び。手堅いスパイストーリー
公安を舞台にしたスパイ捜査の物語。組織や国家の対立状況、日本国内を舞台にした機密のやり取りや二重スパイといった物語運びは、よく調べられた情報をもとにしっかりと噛み砕かれた文章で描かれており、まず違和感を覚えることはない。その結果、よくいえば手堅く、悪く言えば地味な話運びとなっている。主人公の存在感はまずまず(普通レベル)だが、脇を固める若林や五味、反町、凸井、シベリウスといった登場人物にそれぞれの魅力と個性がしっかりとある点には好感した。特に五味一家と形容される団結力のあるメンバーと、主人公のような一匹狼との対立軸を同一組織内に配することで作品全体のテンションを一定以上に常に維持している点は興味深い。
後半部で次々と新事実が暴露され、次々とスパイたちの言っていることや彼らの正体が二転三転してゆくところは”ミステリー”のお手本のよう。 これでもかというくらいのひねり方によって、主人公を除く登場人物が誰も信用できなくなっていく邪悪さは一つ本書のポイントになるだろう。後半、あまりにも目まぐるしく”その瞬間”の真相が変化する結果、抗いがたい大きな政治パワーに翻弄される個人の哀しさも浮かび上がってくる。
ただ――、もちろん本書は商業出版レベルにある作品であることに異論を唱える気はさらさらないのだが、受賞作としてのインパクトには若干欠けるような気がする。あくまで個人的な感想ではあるけれど、地味な登場人物が手堅く動いており、ラストに一瞬盛り上がりがあるものの、その盛り上がりまでどこか地味な印象が残った。80年代から盛んに発表された”スパイ・スリラー”の二十一世紀の和製作品としては、強烈な新しさやアピール点がないように思うのだ。また派手さという意味では、序盤にヒロインとして活躍するかと思われた伊藤真理が意外なかたちで退場してしまい、最後まで物語に残るのは”女丈夫”と形容される凸井理事官だけという点もどこか寂しい。これが公安の現実だと言われればそれまでだが、フィクションだからこそ出来ることもあると思う。王爺と主人公の交流もどこか中途半端であり、その分ラストが軽く見えてしまうところもある。

もちろん作品に吸引力はあり、謎の設定からスパイストーリーならではの様々な変転など物語としての魅力はあり、実際面白く読めた。面白く読めたからこそ、さらに何かプラスアルファを求めてしまうのは読者の我が儘。今後も同様のスパイ系の作品を発表していくのか、それとも全く別傾向の作品を仕掛けてくるものなのか、そのあたりについても注目しておきたい。


07/06/21
中町 信「空白の殺意」(創元推理文庫'06)

新人賞殺人事件』 → 『模倣の殺意
散歩する死者』 → 『天啓の殺意』
『高校野球殺人事件』 → 『空白の殺意』……。解説で折原一氏が指摘している通り、オールドファンにはこの『○○の殺意』というのは覚えにくい。高校野球殺人事件でいいじゃん。(確かにぱっと見た時に印象の良い作品じゃないのだけれど)。『自動車教習所殺人事件』は『運転の殺意』?(たぶん違うと思う)。

群馬県にある春見野高校に勤める女性教師が遺書めいた日記の断片を残し、農薬を飲んで死亡した――。二日前にその高校では女子生徒・追貝弓江が何者かに扼殺される痛ましい事件が発生しており、女性教師はその事件に関係していると思われた。その女性教師・角田絵里子は栃木県の春野見高校に勤務しており、その春野見高校は昨年夏に初めて野球部が甲子園出場を果たし、県下にその名を広めたところであった。さらにその甲子園出場には別の優勝候補の高校が暴力事件を起こして出場辞退した結果とみられていた。その暴力事件にて被害を受けたのが追貝弓江、さらにその事件を告発したのが絵里子だった。事件で混乱する春野見高校だったが、更に甲子園出場を果たした野球部監督の金子が事件の前後から行方不明に。そして彼もまた毒殺死体となって発見された。事件の背後には、私立高校間の熾烈な甲子園出場を巡る競争があるのではと世間は感じ取るのだが……。絵里子の妹の真庭百世は、姉が自殺するはずがないという思いを胸に、独自の調査を開始する。

冒頭のミスリーディング以上に端正に手掛かりを配置した全体構成と企みに恐れ入る
『高校野球殺人事件』を含め、この作品の感想を書くのは初めてなのだが、実は今回の読み返しを含め都合三回通読した。決して印象が薄いわけでも、犯人を読み終わったらすぐに忘れてしまったりするわけでもないのだが、何となく作者が読者に対して仕掛けた様々なワナをきちんと見通していないような気がしてしまうのだ。それほどまでに全体の構成と、その構成に服従するかたちでの伏線や手掛かりが丁寧に張られた作品なのである。
本格推理小説を意図して執筆され、そして結果的にも本格推理小説として完成されている。 特にこれまでの創元推理文庫での復刊における中町作品では、叙述トリックそれもかなり難易度の高いものが使用されており、良くも悪くもそれがメイントリックとなっている。だが、本書はプロローグにこそ思わせぶりな死体発見現場の様子が描写されているものの、安易な登場人物の錯覚で終わる作品ではない。(但し、このプロローグ自体も当然のようにラストのサプライズに大きな役割を果たしているのだが)。どちらかといえば、一発ネタというよりも「端正な本格」をあくまで目指して、それが実現できた作品という風にみえる。何よりも一見無駄と思える記述や事象にもきちんと意味を配しており、初読より二度目、三度目に読み通して「ああ、こんなところにも伏線が」と後から気付くことでより味わいが深くなることが証拠。
また、レッドヘリングで教師の不倫が教え子に目撃された、だのラブホテルの駐車場に車が停められていたなど、微妙にB級っぽい場面が登場するようにもみえるが、これらにもまた別の意味を示してしまう作者は実に周到。その構成の完成度ゆえに、登場人物の魅力といった部分は他の作品に譲るが、高校野球というイベントに様々な人々が取り込まれている状況を皮肉に描くことで社会派としての側面を持たせることには成功している。この妄執を丁寧に描くことで事件の背後にある構造が、現実よりの説得力ある骨組みを持っている点も巧みだといえるだろう。

人によって好きずきはあるとは思うが、純粋に本格の評価軸でみた場合、(創元推理文庫の復刊のなかでは)本書がもっともその完成度が高い。最後の一ページまでサプライズにこだわる姿勢に敬服したい。本格ファンの方で、まだ本書が未読の方がいらっしゃるようでしたら是非手にとって欲しい作品である。