MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/01/31
恒川光太郎「雷の季節の終わりに」(角川書店'06)

 第12回日本ホラー小説大賞を『夜市』で受賞、同作収録の単行本は第134回直木賞候補にもなった。本作はその『夜市』後の長編第一作目にあたる作品で、受賞こそ逃したが第20回山本周五郎賞の候補作品にも選ばれている。書き下ろし。

 春夏秋冬の四季とは別に、冬と春とのあいだに雷の季節を持つ「穏」という土地。現代日本と並行に存在しながらも、日本の地図には掲載されることはなく隠れ里のようにずっと昔から存在する。この地独特の数々の掟があり、長い歴史のなか稀に訪れる外部からの迷い人が定住して小さなコミュニティを形づくって歴史を刻んでいた。この「穏」で暮らしているみなしごの少年・賢也。彼はこの土地になじめずにいたのだが、穂高や遼雲といった昔から「穏」に住む一族の友人を得て少しずつ社会に溶け込み始めていた。賢也には年の離れた姉がいた筈なのだが、ある雷の季節にその姉は行方不明になり、その頃から賢也の頭のなかに「風わいわい」という目に見えない生き物が住み始めている。穏では風わいわいが憑いた人間は忌み嫌われるため、賢也はそのことを必死で隠そうとしていた。そんななか、穏と外部との境界にあたる土地で、賢也は穏の有力な一族で穂高の兄であるナギヒサが、人を殺していた証拠を見つけてしまう。賢也のことに気付いたナギヒサから襲われそうになった賢也は逆にナギヒサを刺し、穏の外に出る決意をするのだが――。

どこか懐かしい異郷と異境。重厚にして緻密な別世界、登場人物、物語――。
 四季の他に”雷の季節”があるというだけでなく、文明の恩恵から微妙に取り残され、独自の規範・規律・風習によって運営されている「穏」。「風わいわい」といった妖怪めいた存在を許容し、二昔前の日本の田舎のようなのどかで平和な風景を持つ「穏」、さらに外界との境界線上にある墓町、その境界を守る闇番……といった「穏」を構成する様々な要素ひとつひとつが丁寧に形づくられ描写されている。懐かしさがある分、異世界であっても親しみやすく、一方で謎めいたルールなどが多数あり興味も引かれる。この世界に馴染まない主人公が少しずつ世界の秘密を知るという序盤の展開は、我々の現実においても少年少女が少しずつ社会のルールについて学んでいく過程とも重なっている。
 またこの世のなかには、現実世界と近いけれども普通の人の目には見えない別世界がある、というコンセプトは、「穏」の在り方は前作収録の『古道』あたりとも被り、この発想が恒川世界観を形成しているようにもみえる。(まだ二冊目だけど、読んだの)。
 また、後半では義母に虐待される佐竹茜という少女の物語が描かれる。彼女は普通の日本にいるが、母親に殺されかけて家を飛び出したことをきっかけに「穏」出身の刺客に捕まってしまう。これが前半の物語と意外なかたちで絡み合ってゆく。
 本書の面白さは、設定のオリジナリティのみに寄りかからず、各登場人物の多面性がしっかりと描かれているところにあると思う。人間の根源に繋がるテーマや、少年少女の成長を読み取ることももちろん可能だし、秩序の維持のために個を当たり前に犠牲にする怖さもあれば、理解のできない存在によってもたらされる恐怖もある。こういったもろもろの要素を取り込んで、平易な文章ながらも非常に洗練された”物語”に仕上げているところに素晴らしいセンスがあり、これが恒川ワールドの魅力に繋がっているといえよう。
 序盤から中盤にかけての盛り上がりに対して、後半は緊張感はあるものの一部物語の視線が別人物に移ったり、例えば茜を救った大学生がそのまま物語から姿を消したりとなんとなくもったいなさも感じる。ただ、こういった多数の人物を一部「捨て石」に使うことも作者のテクニックのうちなのかという見方もできそうだ。異世界に仮託して、普遍的な人間の在り方について問いかけてゆく、そんな物語。

 未読だが、三冊目の『秋の牢獄』も傑作らしいし、寡作ながらも質の高い作品を打ち出してくる作家だと思う。また当然ながら物語が特定の時代に過度に依存していないため、時間が経ってもその新鮮さが失せそうにない強みもある。強靱な物語が持つ豊かなイメージをしっかりと味わい続けたい作品である。


08/01/30
芦原すなお「海辺の博覧会」(ポプラ社'07)

芦原氏の小学生時代を自伝的に綴った連作短編集。冒頭にある表題作品「海辺の博覧会」は『野性時代』一九九四年七月号に掲載され、後に角川書店から刊行された『微熱の夏休み』というアンソロジーにも収録されているが、第二話以降は『ポプラビーチ』二〇〇六年三月号より同誌に発表されたものが加えられ、まとめられている。

 五十八歳になって身体のさまざまな衰えを感じ始めた”ぼく”。過労と高をくくっていたが段々視力がおかしくなってくる。事物の色が段々薄れてきて、目にするもの全てが無彩色になってきたのだ。総天然色映画が白黒映画へ。たまらずぼくは妻に病院に連れて行ってくれと頼む。その道筋のカーナビ、地図の代わりに小学校四年生くらいの子供たちが四人写っていた。ランニングに半ズボン、昭和三十年代の光景だ。さらに女の子が一生懸命道案内をしているのだが、ようやく到着できたのは「塚田医院」。そこで突き刺された注射によって意識を喪ってしまったぼく。そうして目を覚ましたぼくの前には四人の子どもたちが立っていた。そう、ぼくたちは”海辺のわるすんぼ”。トモイチ、アキテル、アキテルの弟のフミノリそしてマサコ。ぼくは「おっさんになった夢を見た」と彼らに告げる。そう海辺の町に帰ってきたのだ。海辺を根城で遊び回るぼくたち。海辺では博覧会が開かれ、港のわるすんぼと争い、コイをし、運動会や祭りが開かれた。そんなぼくたちの刺激的な毎日が描かれる。

心の中だけに残る懐かしい風景。昭和三十年代中盤に小学生といった大人世代にピンポイント
 七話からなる連作短編集で、各作品は登場人物と舞台となる町が一貫しているのみで基本的に個々独立した物語となっている。基本的には昭和三十年代(一九六一年といった年代も記される)の小学生を、その小学生になりきった視点で描いている。舞台となっている海辺の町は、作者の出身地である香川県の観音寺周辺か。(固有名詞で登場する”枇杷山”では特定できなかったけれど)。
 仲良しの小学生同士が海辺で遊び、様々なイベントに臨み、世の中の動きに驚き……といった展開で、全体を通じて何かを成し遂げる物語ではないし、作品を通じて成長が描かれるふうでもない。それでいて、徹底して方言にこだわった会話や、子どもならではの単純な活動からは、後の芦原作品そのものの独特のユーモア感覚がにじみ出てきていている。ここに小学校の高学年がまだ無邪気だった時代の良さと面白みがあってこの作品世界を支えている印象だ。明らかに作者が子どもの回顧しながら書いた作品であるのに、大人らしい分別とは無縁。徹底的に子どもの視点から世界を描き出している。 この結果、違和感無しにこの世界に没入できる面白さが出てきている。大人の世界にいろいろある(例えば、男性相手の後家さんの飲み屋であるとか、供応しまくりの選挙運動であるとか)多少の汚い出来事にしても、あくまで子どもの視点、考え方で善悪を判断したり、ちゃっかりその動きに乗っかったりするところ、徹底しているのだ。
 エピソードとしては、町の選挙に伴い登場する「選挙犬」が面白い。女性の政治進出を訴える女性候補、呑めや歌えやで旧来の選挙方式を取る男性候補の動き、選挙になると現れる選挙犬に、小学校の級長選挙が絡められて面白可笑しい話になっている。このユーモア感覚が全編にわたって繰り広げられているのがこの作品というか世界の強みであろう。

 小生もおっさんだが、さらに上の世代の物語。一部の人にはピンポイントで突き抜けようが、ノスタルジーだけを狙った作品でもないかと思う。作者自身の子どもの頃の体験をベースに、今はどうも少数派になった「悪ガキ」の生活を綴った日記といった面持ち。個々のエピソードがシンプルなのでジュヴナイル扱いになってしまうのかもしれないが(子どもが読んでももちろん面白いと思う)、あらゆる世代の大人が往時の昔を懐かしむ作品――になるのかなやはり。


08/01/29
森奈津子「シロツメクサ、アカツメクサ」(光文社文庫'06)

森奈津子さんが発表してきた短編のうち、主に『異形コレクション』に掲載された作品を中心に編まれた作品集。文庫オリジナルだが、一部作品は『エロティシズム12幻想』や『黄昏ホテル』などのアンソロジー収録済み作品もある。

小学五年の夏休み、田舎の祖父宅に滞在していた正彦。彼は一つ上の真吾とさんざん遊び回る。そんななか、真吾はエロ本があるからという理由で正彦を納戸への探険に誘うが、正彦は断り、真吾は一人で納戸に行く。 『一九七七年の年の夏休み』
息子・一郎、父親・一馬。一郎は普通の父子家庭として育った。親戚はおらず母親の写真もない。成長するにつれ一郎は父親が年を取らないどころが着々と若返っているという事実に気がついてしまう。 『一郎と一馬』
同じ大学に通う彰と設楽。貧乏な設楽は巨漢デブでお気楽な性格だった。たまたま二人が歩いていた時、二人のクラスにいた美少女・尾崎さんが交通事故死した場所に差し掛かったところ、いきなり公衆電話が鳴り出す。 『美少女復活』
通称「黄昏ホテル」でカンヅメで原稿を書く女性作家。自らの見た目にコンプレックスを持つ藤崎は、編集の井田に恋をしていたが言い出すことはできず、容姿端麗で有能な女性が活躍する「鮮やかな憂鬱」という原稿を仕上げようとするのだが……。 『カンヅメ』
高校、短大を経て小さな広告代理店に勤める未来子は、世界は様々な世界が重なってできているのだという信念があった。彼女は同性愛者の上司から、仲間を見つける秘密の方法があることを聞かされる。彼らは仲間の背中に翼が見えるというのだ。『翼人たち』
八月一日に宿泊すると幸せになるといわれるホテルのバー。バーテンの私の前に、かつて二十年前に恋人だった女性とそっくりの女性が現れる。彼女は私を、宿泊している部屋に誘うと……。 『過去の女』
アラウンド・ザ・ワールドというカクテルがあれば、意識を世界中の同じカクテルを飲む人物に飛ばせるモナミ。彼女には官能小説家でアルコール中毒の洋子という親友がいた。モナミは引きこもる彼女の世話のため、洋子のもとに酒瓶を持って訪れる。 『グラスの中の世界一周』
三つ子姉妹の末っ子・信。彼女の姉、愛と望は二人仲が良く、信はいつもつまはじきにされていた。愛と望が秘密の遊びに耽るのにも信は仲間に入れてもらえない。そんな信は、古びた洋館に遊びに行った時の出来事から一計を案じた。 『シロツメクサ、アカツメクサ』
麻衣子は幼い頃から、父の書斎に置いてあるなんの変哲もない石が喋ることを知っていた。石は博学で、若い男のような語り方をするため、麻衣子は「お兄ちゃん」と石を呼ぶ。祖母が危篤になった時に石は麻衣子に連れてゆけとせがむ。 『語る石』 以上九編。

少年少女及び若い女性の、無垢で傷付きやすい心がみせる美しく哀しい幻想の数々
 例えば傑作作品集である『西城秀樹のおかげです』に代表される、オバカながら独特の魅力を発する百合小説とは微妙に異なる、森奈津子さんの魅力を別の角度から集成した作品集。 まあもちろん同性愛的なテーマはそこここにあるとはいえ、その繊細で研ぎ澄まされた感覚が描き出されている作品が多いように感じられた。少年の密やかな経験がホラーに転換していく『一九七七年の夏休み』、非モテ系女性作家が自らの創作に乗っ取られてゆく『カンヅメ』、アル中の友人の頭の中を感じ取ってしまう『グラスの中の世界一周』、幼き頃の幼い、それでいて取り返しの付かない犯罪の結果、精神に変調をきたしてゆく表題作『シロツメクサ、アカツメクサ』。 こういった作品からは森奈津子さんらしい、独特のセンス溢れる繊細な心理描写が見え隠れしており、どれも読み出して一瞬にしてその世界に嵌り込む。
 さらに、同性愛をまともに捉えたファンタジー『翼人たち』、SF的奇想ワンアイデアを絶妙の表現で短編に圧縮した『一郎と一馬』、さらにもてない冴えない男たちをユーモラスに描きつつ、独特の切なさ(と怖さ)を感じさせる『美少女復活』等々も、”らしさ”がある。なかでも気に入ったのは、本来的には森奈津子さんらしさが見えにくい(リリカルに徹しすぎているところが、逆に特徴的ではある)、『語る石』。この作品では百合もユーモアも完全に姿はなく、一人の少女と一個の石との交流、そしてその真実を短編の長さのなかに凝縮して描いている。もちろん幻想・SF系の作品になるが少女の、そして石の軽妙な会話のなかに溢れるさまざまな交流が温かい。さらに、ここで「肉体は魂の錘」というフレーズが出てくる。健康な肉体は魂を引き留める力があるが、肉体が弱ると魂が天に昇りたい力に負けてしまうという趣旨のことばである。これはこの物語自体のテーマとも密接に繋がるのだけれど、この考え方自体がどこか魅力的であると同時に説得力があるようで、時を感じさせてくれる物語と共に、このフレーズ自体がとても心に残った。

 森奈津子さんの物語はとても、そして独特の魅力があるのだけれども、多くの作品集ではかなり毒が強すぎてなかなか一般読書人に薦めづらいところがある(と思うのはわたしだけ?)。しかし、この作品集ならば、森奈津子さんらしさがちらちらと垣間見ながらも、ぎりぎり普通小説の範疇で読めるのではないだろうか。ということで、森奈津子作品群の入り口としてお勧めです。


08/01/28
斎藤 栄「赤蛇家の惨劇」(ケイブンシャブックス'83)

この段階で「書き下ろし」という扱いになっているが、この「赤蛇家の惨劇」という作品は、斎藤栄氏が『殺人の棋譜』と同時に杉内格という名義にて江戸川乱歩賞に投じた作品(原題は『炎の記憶』)だという。それまで二年連続で乱歩賞最終候補に終わっていた斎藤氏の執念か。同題でケイブンシャ文庫に収録されている他、文春文庫で刊行された『呪われた天女』という作品集にも収録されている。

 神奈川県の宅地係長に任命されたばかりの栗田は、戸塚区の長者ヶ久保に眼を付けていた。用地買収に不動産業者を通していては安価な住宅供給が困難なため、地主と直接交渉して土地を入手しようとしていたのだ。この地区には大河原という一族が地主として君臨していたが、その一族の胸には赤い不気味な痣があったため、”赤蛇家”と呼ばれていた。当主の大河原光太郎を訪ねた際に同時にお手伝いとして入った加奈子に引かれた彼は、しばしば大河原家に出入りするようになる。大河原家には、農業を営む弟や、盲目の美女の妹、さらに精神障害で繋がれて生活している妹と、複雑な境遇の人物がいた。趣味で新種のキノコを開発に成功したという光太郎のパーティに呼ばれた栗田は、一計を案じて加奈子と一夜を共にするが、その晩光太郎が斬殺される事件が発生した。栗田の下手なアリバイがばれたため警察に疑われてしまい、役所での立場もあって自ら犯人捜しに乗り出す。しかし、大河原家の人々は次々と謎の死を遂げてゆき、生き残った薄倖の美女・盲目の桜子にも魔の手が――。

社会派と恋愛と怨念によるまとまりないプロットの上に輝く、類を見ない超絶のトリック
 刊行当時の基準に沿って(?)構成されたどろどろの大河原一族。差別的な言葉、不適切な生活環境など、現在ならば編集段階で間違いなく止められるような状況が赤裸々に描かれる。この一族に必然的に関わる主人公に、若く野心逞しい小役人を持ってきた点は面白い。少々奇妙な出来事があろうと一族のことを知ろうとするし、更には登場人物の一人と深い仲になったがために、抜き差しならないところに追い込まれてしまう。一方で、もう一つの主人公ともいえる大河原家。精神異常者は遺伝するといった設定に加え、鎖で部屋に閉じ込められた精神障害の女性等々、現代では怒られそうな誤解(当時は常識だった?)に基づいた、えらくどろどろした一族を創り上げたもので、リアリティはとにかくとして一人一人が個性的ではある。
 その一族を襲う連続殺人事件。ミステリとしてトリックが凝らされているのは一つめの事件ながら、とりあえず三つめ以降の殺人事件が凄まじい。(ちなみに一つめの事件は見た目は普通だが、真相が凄まじい)。対象が住む住居の近くにある豚舎に火を付けるというものだが、豚が火達磨になって家に突っ込んできたがために一人が焼死してしまうのだ。火達磨の豚ですよ、豚。 更に、四つ目の事件ではどう考えても犯人ではない関係者同士がお互い激昂して殺し合いをさせ、乱暴に一族の人間を舞台から下ろしてみたり。呪われた一族ではあるけれども方向性については疑問符浮かびまくり。また、探偵役・栗田も先に辞めたお手伝い・久保洋子の存在を確認するために、捨てられた生理用品をもとめて汲み取り式の便所を漁ったり、常識では考えられない”捜査”をやってのけるのだ。(ただ、彼が小役人で保身のために関わってしまった事件の捜査を自らせざるを得ないという設定には、一定の説得力がある)。
 様々な曲折を経ながら、栗田は真犯人に到達する――のだが(読者にはとりあえず真犯人は見え見え)……。前述の通り、そのトリックが嘔吐するほど凄まじい。大河原光太郎の死亡時間は、自ら開発品と称して口にした(本来毒性のある)ベニテングダケの消化時間から逆算されていたのだが、その消化時間を誤認させるトリックが本書のキモをなす。これが……。 いや、普通誰もこんなことしないだろう……というもの。少なくともインパクトはもの凄い。

 本格ミステリっぽい雰囲気を持ちながら、ちょっと本格とは違うだろうという作品。物語構成としては決して褒められるものではないが、前例が無く後世にも真似を決して許さないトリックを使っている点、少なくとも衝撃という意味では非常に高い作品である。バカミス愛好家の方であれば、あるいはお気に召すかもしれない。


08/01/27
石田衣良「美丘」(角川書店'06)

『野性時代』誌の二〇〇四年十二月号から二〇〇六年二月号にかけて連載された長編作品の単行本化。

 美しい丘と書いて美丘。それが君の名前だった。本書の主人公・橋本太一が十三ヶ月のあいだ共に走った恋人。特に美人だったわけでも目を引くほどかわいかったわけでもなく、性格にもかなり問題があった。だが太一は美丘のことを忘れることはない――。都内にある明知大学。そこそこのレベルながらこれといった特色もない大学二年の秋の終わり。友人の笠木邦彦と北村洋次と三人で二十二階にあたる大学の屋上にいた。そのフェンスをよじ登り反対側にこともなげに降り立ったのが文学部二年の峰岸美丘だった。彼女は空の近くに少しでも寄りたかったのだという。更に同じ週のランチタイム。学食で美丘は痴話喧嘩を大声で演じていた。美丘がある女性の彼氏を寝取ったのだという。大声で、そのことを声高に言い争う美丘は昂然としていたが、僕たちは彼女をその場から連れ出す。それから僕たち三人と女友だちである麻理と直美の五人グループは、美丘を仲間に加えて六人で遊ぶようになるのだが、美丘は実に変わった性格をしており、僕たちはそれに振り回された。しかし、美丘には実は秘密が……。

悲劇的なラブストーリーと普通には読むのだろうけれど。
 本書の感想を書くにあたっては内容に踏み込まざるを得ないので、とりあえずほとんど反転させることになります。
 本書を要約すると、難病ヤコブ病によって若くして死が運命づけられた女性と、ひたむきな主人公との愛の物語、ということになる。死による別れが義務づけられた恋愛小説というのは一種定番の展開となるわけで、その過程は多少でこぼこしたエピソードがあろうとも、どうも石田衣良は敢えてその展開を石田衣良風に描くことでオリジナルにしようとしているという印象。それはそれで悪くない。
 この美丘という起伏の激しく小悪魔的な狡さと大胆さを秘めた女性という造形。この彼女の若さゆえの破天荒さ、エピソード等々、男女関係の様々な愛情を独自の視点で照らし出す石田衣良らしい迫力と魅力がある。ただ、それだけだと単なる悪女物語になってしまうところに実は彼女は……という展開。書いていても思うがやはりありがち、類型的という評は免れまい。
 ただミステリ読みの性なのか、小生はラストの部分については一種のクライムノベルであり、操りテーマの犯罪小説といった読み方をしてしまった。最後の場面。主人公はほとんど生活反応が無くなった美丘を自らの手で最後に命を奪ってしまう。一見、究極の愛情とも取れるが、もちろんこれは犯罪。主人公・太一は自ら望んで行為を行っているが、これはまた結果的に美丘の刷り込みであり、彼女の究極の欲望だったわけだ。直接的に彼女はそのリクエストを行っていて、太一は結局それに従う。確かに愛情なのだろうが、美丘は最後にまんまと感情も肉体も無くしながらも、自らの命を最後に使って太一の心を縛り付けることに成功したということ。プロローグに戻るとそれで太一は後悔のないようなモノローグを述べているのだけれど、それは本当にそれで良かったのか――? 心の底から洗脳されてしまっているだけではないか――? とか、ひねくれたことを考えてしまう。

 まあ、普通に悲劇的で現代的な恋愛小説として読むべき作品でしょう。終盤の手前で、太一に対して美丘が自らの思いをテープで告白する場面には、不覚にもうるっと来ちゃいましたし。


08/01/26
高田崇史「QED 諏訪の神霊」(講談社ノベルス'08)

遂に高田崇史さんデビュー十周年! おめでとうございます。その十年目にしてQEDシリーズでは十五冊目となる書き下ろし長編。しかし各方面に及ぶとはいえQEDに注ぎ込まれる豊富なアイデア、ほとんど落ちない刊行ペース、本当に尽きることなくよくぞここまで。実に素晴らしい。

 長野県諏訪の名物ともいえる御柱祭。木落坂を大木と共に滑り落ちる行事は怪我人が多数出ることでも知られている。ある年、一人の男が柱から振り落とされて死亡した。一ヶ月後。桑原崇に誘われ、棚旗奈々は珍しく妹の沙織や小松崎良平を抜きに二人で諏訪を訪れることになる。諏訪の地では、新興住宅地・月見ヶ丘で六十歳になる栗山寅蔵という人物が殺害される事件が起きていた。彼は自宅ではなく旅行中の燕沢という人物の家で、しかも死体には死後松の木が突き刺され、一面に塩が撒かれ白兎の死体が残されていた。続いて、その燕沢と警察OBの黛が同じ住宅地のなかで殺害されるに至り、事件は猟奇的な様相を見せ始める。一方、桑原と奈々を茅野駅で迎えたのは、以前の事件で桑原らと知り合った女性・緑川由美子、そして桑原の中学時代の友人である鴨志田、さらに二人の友人で諏訪の歴史に詳しいという百瀬麻紀。彼らは揃って月見ヶ丘に住んでいた。とはいえ彼らの案内によって桑原たちは諏訪の名所旧跡巡りを開始する。諏訪に祀られているのは、この地に落ち延びてきた建御名方神、しかし地元には別にミシャグチ神が祀られていたが、それを建御名方神が乗っ取ったかたちになるのだが、御柱が象徴するものがそのミシャグチ神だとすると建御名方神を守護するには弱すぎる……。

壮麗な御柱祭、そして諏訪周辺の祭りに隠された真実、そして猟奇的殺人の奥底にある理屈とは……。
 ここのところ日本に伝わる伝説における矛盾や怪奇現象は、歴史に残らない、記録されなかった敗者たちによって齎された結果である――という趣旨でQEDは進んできたが、本書はまたその角度からは異なるQEDが楽しめる。もちろん、そういった敗者の視点という物の見方については健在ながら、日本でも類を見ない、御柱祭をはじめとする奇妙な諏訪の祭が伝える意味について徹底的な考察が行われているのだ。物語上で名所旧跡を丹念に回ることによる知識、更に桑原ほか登場人物が持つ元からの知識とが重ね合わさることによって浮かび上がる表面上の意味。恐らく歴史学者たちや市井の研究者たちもそこには辿り着くのだろう。だが、そこから逆転の発想ともいえる視点の転換を加えることによって、この地に封じられたはずの神が、もっと弱い神によって囲まれているという意味が見えてくる。積み重ねられた議論と考え方の矛盾が、見方を変じることでぴたりぴたりと当てはまってゆく。QEDシリーズで得られるこの知的興奮は癖になる。
 一方で、明らかに見立てと思しき不自然な猟奇殺人事件が物語の背景で進行している。全ての情報を与えられたとしても、この見立て殺人の狙いはなかなか読者からは見えない。ただ、今回に限ってはその「読者から動機が見えない」という事実自体が動機であり事件の焦点でもあるわけで、事件自体は(犯人や動機が)不自然であってもこうせざるを得なかったのだといえる。桑原たちが解き明かした一連の諏訪の謎と一連の殺人事件は、相似形を為すようでいて微妙な位置ズレが事件にあって、そこがまた一筋縄でいかないこの地の神々たちの伝説を彷彿させるという不思議に入り組んだ物語構造となっている。ただ最後の最後に鴨志田がついた嘘を桑原が見破るあたりに、本格らしい展開がみられて面白い。

 やはりQEDの謎解きが主で、事件が従。殺人事件がもしもなくとも歴史の謎解きだけでも十分スリリング、そしてそれでも起きてしまう殺人事件の謎解きもスリリング。構想のしっかりした作品だといえるだろう。
 それにしても桑原と奈々の仲は、牛歩の進み方ではあるが進展しているといえるのだろうか。


08/01/25
高田崇史「QED〜flumen〜 九段坂の春」(講談社ノベルス'07)

メフィスト賞受賞による刊行以来、ほぼ十年、高い人気を保ち続ける「QEDシリーズ」の十四冊目にして初めての連作短編集。「〜ventus〜」とは別に新たに付けられた「〜flumen〜」レーベルとして初めての作品となり、主要登場人物の過去が語られるという試みがなされている。

名門私立・九段坂中学に通う鴨志田翔一は、変わり者の同級生・桑原崇と時々会話を交わすようになる。鴨志田は学校の帰りに桜の枝が背に刺さり男性が死亡する場面に遭遇。桑原は年上で博学の女性教師・五十嵐弥生と様々な意見を交換していた。『九段坂の春』
鎌倉にある、雪ノ下女学院高等部に通う棚旗奈々。鎌倉湘南大学附属高校の空手部員・須藤真司とは恋人未満の関係にあった。その頃、鎌倉宮では何か不審な光が見えるとの噂がたち、管理人の五十嵐勝が死体となって発見される事件が……。 『北鎌倉の夏』
明邦大学空手部一年の小松崎良平は、吾妻橋高校の一年後輩の優里と交際していた。その優里から連絡があり、彼女の姉が見知らぬ男性と無理心中のような死体となって発見されたと相談される。その男性は姉の交際相手ではないと優里はいう。一方、その事件現場で、鴨志田翔一は謎めいた蘊蓄を語る老人と知り合った。 『浅草寺の秋』
紀伊和歌山大学の大学院生・御名形史紋は従兄弟の福森麗奈と共に、彩子の家での「新年会」に訪れる。少し前、麗奈は、小舟の上で全身真っ赤に腫らして死んでいる地元実業家・深影佳勝の死体を発見、その深影はまだ女子高生の彩子に執心していたというが……。 『那智瀧の冬』 以上四作品。

軽めながら深い謎、人間関係を貫く一本の糸。QEDらしい味わいを殺さずまとまった連作短編集
 まずはQEDシリーズ特有の歴史の謎。「三島由紀夫の『豊饒の海』の五冊目はなぜ薄いのか」「古来の和歌における”袖”の意味とは何か」「楠木正成は湊川の戦いで自害していない」「山本勘助の正体」「浅草寺の本来の姿」「天狗や恵比寿の正体とは」……といった、歴史の謎、また一般的常識への懐疑が描かれる。長編作品に比べると些かtipsめいたところもあるが、逆に一つのテーマに絞られず、年代時代が限定されずに様々な話題が取り上げられる点がかえって面白いと思われた。もちろん独自の説得力があるため、
 また、それぞれの作品で事件、それも殺人の絡む謎めいた刑事事件が発生しており、主要な登場人物が微妙に事件に関わっている。本格ミステリの謎解きというにはトリックや手掛かりという点で多少無理が(謎解きを読者が行うには)あるが、その過程こそ異なるとはいえ、真相を知る、明らかにすることの苦みは強い。 実はQEDの登場人物たちは皆、青少年期にこの苦みを体験していることになる。とはいえ前半二作における謎が解体された際の切れ味は強烈。
 ただ、仕方ないことと理解しているが連作短編集という体裁ゆえに、四つの作品を繋げる糸となる人物が登場する。さすがにこのスーパーな人物、多少とってつけたような印象は否めない。とはいってもその人物によって作品の印象が歪むということはないのだけれど。また桑原、小松崎、奈々らの友人関係には、本人たちも知らない奇妙な繋がりがあるところなどは、素直に面白い。このあたりは今後のシリーズ全体への伏線として繋がってゆきそうな予感がする。

 本書から読んでもそこそこは面白いかもしれないが、やはりシリーズを読んで登場人物を理解してこその作品集。実は刊行されてすぐに読んで、それから再読してからこの感想を書いている。なので本書に登場して桑原崇との再会を想像している鴨志田翔一クンが、本書の次作となる『諏訪の神霊』できちんと再登場してきた時に思わず唸りましたですよ。


08/01/24
はやみねかおる「笛吹き男とサクセス塾の秘密 ―名探偵夢水清志郎事件ノート―」(講談社青い鳥文庫'04)

 夢水清志郎シリーズが刊行されはじめてから十年が経過したタイミングで刊行された、夢水清志郎シリーズの十二冊目の長編作品。作中では二年と八ヶ月が経過。亜依、真衣、美衣の三姉妹も中学三年生。(リアルタイムで読んでいなくてごめんなさい)。

 中学三年生の夏休みももうすぐ終わり――。夢水清志郎の家を訪ねた三姉妹は、丁度訪れていた上越警部と岩清水刑事が「笛吹き男」について教授に質問している場面に出くわす。深夜に徘徊していた中学生が「笛吹き男」を見たのだといい、二人は事件を未然に防ぐために教授に知恵を借りにきていたのだ。また、戦時中の日本にも「笛吹き男」が現れ、少年兵を密室から逃した事件があったらしいが、この謎は教授があっという間に解いてしまう。季節が過ぎ冬に差し掛かる頃、『セ・シーマ』の伊藤さんは、教授に『謎解き紀行』の取材を要請する。入塾した生徒が必ず成績をアップさせている虹北にある「サクセス塾」を取材するのだ。ちょうど受験を意識し始めていた、三姉妹とレーチは「サクセス塾」の体験コースを受けることに決め、レーチはぶっ続け、三姉妹は美衣の名前で三交代でサクセス塾の合宿に臨む。一方の教授は元論理学教授の肩書きを使って塾講師として潜り込むことに成功するが、全く働く意志がない……。

あの記念碑的作品のオマージュがこんなところで! ミステリマニア狂喜? の一冊。
 現代に蘇る「笛吹き男」の謎と、絶対成績の上がるという学習塾の謎。その二つが不思議なかたちで結び付く。笛吹き男という存在は、夜の夢こそまこと……っぽい、江戸川乱歩の怪人を、また学習塾については、例えば新興宗教組織に潜入捜査するようなサスペンスを思わせる。これらの相性はあまり良くないと思うのだが、あいだに夢水清志郎という赤い夢の住人を置くことによってなぜかマッチしてしまうのだ。多少ファンタジーめいた設定も許される、この夢水世界を作者自身うまく活かしているようにみえる。しかししかし、マニアが喜ぶのはサクセス塾に込められたあるトリック(断言)。
 少なくとも小生は、口をあんぐりと開け、その一瞬後、手を叩いて悦びました。
 まあ、そうなるにはいわゆる新本格に属するある有名作品を読んでおく必要がある(この点は小中学生にはハンデだよなあ)。ただ、その前提にはなるとはいえ、例えば合宿形式の徹底した受験向け講習という設定があり、例えば携帯電話や時計、パソコンなどを一時的に没収、持ち込み不可にすることは全くおかしくない。更に、その某作品とは全く異なる意味合いでそういったトリックが仕掛けられる目的がきちんと存在しているため、もともと大胆なトリックではある以上に、緻密に周到に構成されていると後から感じられた。
 また、笛吹き男にしても序盤から関連する謎解きが少しずつあり、興味を引っ張りつつ物語を進めるところはいつも通り。さらに後半のクライマックス(のはず)のサクセス塾爆破予告。その予告すら無視する生徒たちや教師たち。このあたりには「はやみね氏からの子供たち、親たちへのメッセージ」が込められているようで感慨深い。個人的に印象深かったのは、合宿期間中に起きる部分月食について受験生に見る暇はないと言いつつも、実は見せたくて仕方ないという理科教師。受験という建前と、本来生徒たちに向かって欲しい学問との狭間にいるこの教師の姿は、どこか現代の学校教育を象徴しているようにもみえるのだ。

 もちろん、夢水清志郎シリーズ、読後感は爽やか。さらに亜依にレーチだけではなく、真衣、美衣それぞれにもいろいろな男の子が出てきだすところも微笑ましい。さらに後書きでは、はやみね氏が自らシリーズのここまでの「題名」について解説をしている。やはり、あのあたりの作品が題名で意識されていたのか……、とこのあたりはマニアが喜ぶところ。


08/01/23
稲見一良「男は旗」(光文社文庫'07)

九つの作品(エッセイ集含む)を残して夭折した作家・稲見一良。未だに『この文庫がすごい!』に復刊作品がランクインされるなどその評価は高い。本書は稲見氏五冊目の作品で、'94年2月、氏の生前に最後に刊行された長編作品。新潮文庫で文庫化され、恐らく『この文庫』効果であろうか、光文社文庫から復刊されたもの。

 かつて”七つの海の白い女王”とまで呼ばれた豪華客船シリウス号。今は”提督”をオーナーに船上ホテルとして第二の人生を送っている。十三歳から船に乗り”ボーイ”として親しまれている安楽さんをはじめ、船のクルーたちには腕利きが揃っていたが、長年の赤字続き。それが大資本の三星商事に眼を付けられ、買収されることになりかかる。そんななか、海岸で暴走族相手に一人戦いを挑んでいた風太を安楽さんは拾い上げ、ボーイとして従業員に雇うことを決めた。風太は機械に詳しい兄の徹も船に呼びたいという。なかなか買収に応じようとしないシリウス号とそのクルーのもとには三星商事の面々や、更には船に隠された宝を求めてガラの悪い男たちも現れるようになる。一癖も二癖もあるクルーたちが決断して実行したのは……。

稲見一良唯一の海洋冒険譚にして大人のファンタジー。躍動感・生命感溢れる登場人物たちに深い魅力
 別に超自然的要素があったり現実と遊離した設定があるわけではないけれど、この海洋小説はファンタジーでも楽しめる気持ちに余裕のある人に向いている。(既に稲見一良の魅力にどっぷり嵌っている人は別ですよ)。
 もともと第一部のみで完結する話に第二部が継ぎ足されている結果、長編作品としてのバランスが今ひとつだったり、もともと安楽さんの側にいるコクマルガラスの視点で物語が進んでいた筈なのがところどころ視点にばらつきが出てしまうなど、本当はもっとブラッシュアップが可能だったのではないか……と思うところもある。(技術的に小説としてだけみた場合は、他の完成度の高い稲見作品に届いていないことは残念ながら事実)。ただ、そういった技巧であるとかテクニックだとかを全てを乗り越えたところに、個性豊かな登場人物が織りなす破天荒な冒険譚としての勢い、そして面白さがある。この作品はその勢いに乗り、迫力を楽しむべき”小説”なのだ。特に主人公格のボーイ、安楽さんをはじめ、提督、風太、トレーシィ、ボブ、シャーリィ、ハナさん、志津さん……といった個性的な面子が、それぞれ活き活きと得意分野で活躍してゆく様が一人一人は短いながら的確な描写で表現されている。
 映画のような悪役が、映画のようにやっつけられる場面が多数あり、それもまた痛快。そもそも船舶型のホテルの経営危機を救う方法が、現実的な意味ではちょっとあり得ない(実際にやったとしても根本的解決にならない)ところが、むしろエンターテインメントとしての極致。 この物語は現実的ではないなんて陳腐な台詞を吐く人間には稲見一良を読む資格、ないです。現実的ではないからこそ、読者の心のもやもやを晴らすかのようなとことん明るいこの小説が良いのではないですか。

 全部読んでしまうのがもったいないもったいないと、最後まで置いておいた個人的稲見一良最後の一冊。全九冊、読んでしまいましたが、稲見作品は再読が十分効きます。あいだをおいて読み返す価値がある作家、そして作品につき、この復刊が書店に並んでいるうちに購入すべきでしょう。


08/01/22
北森 鴻「香菜里屋を知っていますか」(講談社'07)

推理作家協会賞を受賞した表題作が題名となった『花の下にて春死なむ』の発表から十年。『桜宵』『螢坂』といった作品群を得て、本作について謎が解かれるビアバー「香菜里屋」遂に閉店。『IN☆POCKET』二〇〇六年八月号から二〇〇七年六月号にかけて掲載された四編に表題作となる最終話が書き下ろしで加えられた作品集。

《プロフェッショナルバー香月》を経営する香月圭吾はかつて工藤と同じ店で修業をした男。彼が贔屓にしているのが《BAR谷川》。谷川真介という老紳士がバーマンをしている店でマティーニが絶品なのだ。しかしその晩、香月が味わったマティーニはいつもと違っていた。そして《BAR谷川》は閉店……。 『ラストマティーニ』
フリーライターで《香菜里屋》常連の飯島七緒。彼女は結婚して山口に引っ越すことになった。かつて彼女は笹口ひずる、峰岸明美らと「プレジール」と称して飲み歩いていた。ひずるは落ち着いたが、明美は祖母、そして母の介護で大変だった。その明美、銀座の店でもつ煮込みを食べると急に吐いてしまった。 『プレジール』
《香菜里屋》常連で四十代半ばの独身会社員の東山。彼は《香菜里屋》で初めて会った客と山田風太郎で盛り上がっていたが、実は人生にかかわる重大な決意をしていた。その東山宛に《香菜里屋》を届け先に馬肉が届く。心当たりはないのだが……。 『背表紙の友』
いつもと同じなのだが、何かが違う。《香菜里屋》の常連客は工藤との会話を楽しみながら何かを感じ取っていた。定番のタンシチューがメニューから消え、いつもより丁寧に店の掃除をしている。香月はその変化から工藤の今後の行動を予想してしまった。 『終幕の風景』
三軒茶屋にあった香菜里屋というバーを知っていますか。古物商・雅蘭堂の越名集治は香菜里屋の食器を引き取っていた。そこに時田と名乗り、工藤の行方を追っているという人物が現れた。彼は香月のもとにも、冬狐堂・宇佐見陶子のもとにも、連城那智の研究室にも現れた。工藤が店に香菜里屋と名付けた理由、そして事件。 『香菜里屋を知っていますか』 以上五編。

関係者総ざらえ。だけでなくマスター工藤の過去未来、そして。深い余韻を残す店じまい
 ああ、活字を辿るだけで唾が湧くような四季折々の創作料理がもう味わえない……。登場人物ならずとも、「香菜里屋」にて供される料理の数々は、それだけで読者を魅了するような「美味しそうさ」に溢れていた。もちろん、するりと謎を解く工藤の存在も、この店に集まる個性的な人々にも会えない(北森ワールドはシリーズがミックスされているので、どこかで再会できる可能性はある)のも残念だが、何よりも度数の異なる四種類のビールと共に魔法のようにカウンターの上に乗る料理が「読めなく」なるのがとても悲しい。
 とまあ、シリーズに対する思い入れはかなり深いものがあるのだけれど、本作はまたそういう寂しい気持ちが増幅されるような展開をみせる。 作者自身にもやはり感傷があったのではないだろうか。五編からなるうちの前三編は、これまでの《香菜里屋シリーズ》にも登場した常連客が香菜里屋を去る話であったり、老舗のバーが閉店する話であったり。後半の一つは閉店そのものがテーマになった短編で(それでも謎解きがあるのがある意味凄まじい)、更に最後の一編は、北森ワールドの別シリーズの主役級が登場、工藤自身の過去の事件を推理する(厳密には違うが)という展開だ。(ここにも、料理評論家と工藤の恩人とのタンシチューに関する謎があるのも凄まじい)。どの作品にも北森鴻らしい、キレのある謎とこれまでの《香菜里屋シリーズ》に相応しい、安楽椅子探偵・工藤による名推理を織り込みつつ、それでいてシリーズ全体の幕引きをしっかりと、そして叙情が溢れたかたちで演出している。 それでいて感傷に溺れずに謎解きだけは「きりり」とした謎と推理が楽しめる。最後の最後まで、客だけではなく読者を楽しませることも《香菜里屋》工藤哲也は忘れていないのだ。
 しかし、過去の登場人物のこの作品集への関わらせ方、予告というか閉店を予感させる短編を冒頭に配置する作品集構成、主人公の工藤自身が登場しない最終話等々、念入りにシリーズ最終巻という点を意識し、周到に下ごしらえが為されている。最後までお付き合いしてくれた読者へのボーナストラック的要素もあるのかもしれないが、やはりこれはシリーズ最終巻のお手本のような締め括り方だと断言できよう。ここまで丁寧な料理を最後に差し出されたら、読者ももう諦めるしかないもの。ああ。

 《香菜里屋シリーズ》は、どの作品から手にとっても楽しめる本格ミステリ連作ではあるが、この作品に限ってはシリーズの最後に読むことを義務づけられている。 また本書まで読まなければ《香菜里屋》は語れないファン必読の書。但し(しつこいが)他のシリーズ作品を読み尽くしてから読むこと。


08/01/21
石持浅海「温かな手」(東京創元社'07)

 今をときめく本格ミステリ作家にして短編の名手・石持浅海氏。本書は、東京創元社『ミステリーズ!』Vol.11(二〇〇五年六月号)からVol23.(二〇〇七年六月号)にかけて隔月発表された連作短編の単行本化。

 大学の研究室に助手として勤務する畑寛子の同居人・ギンちゃん。そしてごく普通のサラリーマンの北西匠の同居人・ムーちゃん。そのギンちゃん、ムーちゃんは実は人間ではない。人の余剰のエネルギーを手から吸い取ることで生きている未知の生命体である。無垢な心と清らかな精神を持つ宿主のエネルギーがもっとも美味しいということで寛子・匠は彼らから選ばれていた。まず、寛子の研究室で週末に修士課程にある優秀な女子学生が刺殺される事件が発生。なぜか彼女はロッカーにしまった自分の白衣ではなく、出しっぱなしになっていた寛子の白衣を着ていた。現場をひと目見て証言を聞いたギンちゃんは、一瞬にして犯人を見破ってしまう。『白衣の意匠』。 一方、匠とムーちゃんが揃って電車に乗ろうとした時にホームに出来ていた人だかり。痴漢の疑いのある若者が、腹を刺されて死亡する事件がそこで発生していた。ムーちゃんは三週間前に、被害者であるその痴漢と遭遇、生命エネルギーを吸い取って撃退しており、ちらりと状況をみたムーちゃんもまた事件の真相を一瞬で言い当てる。『陰樹の森で』 ……といった寛子と匠が次々と遭遇する事件を、パートナーのギンちゃんとムーちゃんが解き明かしてゆく連作短編集。ほか、『酬い』『大地を歩む』『お嬢さんをください事件』『子豚を連れて』『温かな手』 の七編。

確かに地球最強の名探偵兄妹かも。特異な設定と石持流ミステリのキレとの共演がGOOD
 作者がここだけのあとがき【Webミステリーズ!】で述べている通り、確かに本格ミステリにおけるツッコミどころのひとつ、「なぜ探偵役やワトソン役の人々は、目の前で殺人事件が起きているのにパニクらずに、冷静な推理ができるのか?」という命題に対する、本書はひとつの回答でもある。
 ……が、確かに設定が特殊で関係者の冷静さが売りではあるものの、決してそれだけの作品ではなく、やはり石持浅海という短編の名手が放つ、ロジカルな本格ミステリとしての味わいがあってこその連作集だといえるだろう。
 また、このギンちゃん、ムーちゃん(その名前の由来は最終話で明かされる)たち、その冷静さを飛び越えて、推理が実に投げやりですらある点もひとつ特徴。 投げやりといっても決して論理的におかしいということではない。そもそも推理する当事者が人間ではないため、事件がそれぞれ他人事以下、せいぜいが動物たちの行動を見守る観察者ないしは、器物損壊の理由を淡淡と想像する風なのが彼らにとっての推理スタイルであるから。その結果、かなり飛躍した結論であっても(物語の展開上それが正解という扱いになるのだが)、あっさりとその推理が口にされてしまう。各たる証拠もなしに犯人を指摘してしまうのは一般人ならためらうところ、そこに躊躇がないのが彼らの推理スタイルだといえるだろう。何しろ、事件に付随する人間の動揺や悲しみにしても、彼らのエネルギーにすぎず、美味しい、美味しくないに還元されてしまうのだから。ただ、一方で事件に関係してしまう寛子と匠は事件の度に相応に落ち込んでおり、人間臭さと人間臭く無さがうまく対比されている。
 とはいっても普通の短編ミステリとして読むことももちろん可能(というかそれが普通)。続編を予定していないせいか、最終話のインパクトが強い。彼らの明かされていない生態についてや、一方で謎めいたままラストに向かう展開など、そこに至るまでの余韻が深く滲み出るものとなっている。ロジックだけでなく、こういった叙情性を物語に組み込むのも石持氏らしいといえそうだ。

 ミステリとしての事件の方に異彩を放つために奇妙なパラレルワールドを扱った『人柱はミイラと出会う』とはまた異なる味わい。石持浅海氏の引き出しの多さがまたまた味わえてしまった。本格ミステリの連作短編集の佳作として味わい十分。