MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/02/10
柄刀 一「密室キングダム」(光文社'07)

単行本にしてページ数923、定価2,940円(税込)、原稿用紙にして千七百枚超もの大著。足かけ三年にわたる執筆期間を経ての書き下ろし長編。結果的には『本格ミステリベスト10』3位、『このミステリーがすごい!』では16位となっている。

 昭和が最後を迎えようとする直前の年、”壇上のメフィスト”と渾名されるオカルト・マジシャン、吝一郎の十年十ヶ月ぶりの公演が札幌で行われようとしていた。実年齢の四十より老けて見えるようメイクを施した細身の男は、第二部公演として自宅に数十名の観客を招待し、第一部会場から棺桶に入って自宅に移動した。手を縛られ無線で会話しながら第二ステージへ進んでいたはずのメフィストであったが、音声は何かの異変を伝える言葉を発して途切れてしまう。自宅の部屋に安置された棺桶に関係者が走るが、まず部屋には錠が下りていて開かない。無理矢理に扉がこじ開けられ、密閉された棺桶の中からは、無惨にも心臟に杭を打ち込まれて死亡している吝一郎の死体が発見された。会場に姉と共に訪れていた若き南美希風は推理を行い、ある程度までそのトリックは見破られたかと思われたが、そこには犯人が脱出できないという第三の密室状況が立ちはだかった。鉄壁とみえる密室に存在する隙、その隙すら更に弄んで更なる難解な密室を構成する悪魔的犯罪。さらに吝家の過去を知る老婆が密室内部で殺害され、吝家を巡る連続密室殺人事件は継続して発生、推理する者を嘲笑うかのような周到さと緻密さに関係者は頭を悩ます。

真っ向から密室に取り組み、密室をもって巨編を形成する。ジャンルの本質・本格への真っ正面からの挑戦
 『ミステリーズ!』にあった柄刀一のコラムによれば、この『密室キングダム』は、そもそも多作な著者が生まれて初めて書き上げた長編がベースなのだという。ただ思うに、手品師の一族等々や凝りに凝った館など、今の本格ミステリ界においてもかなり特殊で人工的な状況を、あえて背景に持ってきている点が良くも悪くもポイント。これが薄っぺらい力量のもとで描かれたのであれば、いくら密室トリックが凄まじかったとしてもやはりそれなりに浅薄な作品に終わっていたはずで、柄刀氏自身が作家としてのキャリアと経験を獲得したことが本書刊行の大いなる理由となっている。不可能犯罪の状況にしろ登場人物にしろ、そこそこの奥行きを加え、初めてこのレベルに引き上げることが出来るようになったのではないかと類推される。(但し残念ながら人物描写についてはミステリとして読むに違和感のない一定レベルにあるが特段素晴らしいわけではない)。
 そういった成立過程を経てきての本作、本格ミステリとしてみた場合は紛う事なき傑作だと思う。(長大であるという点と、伏線をかっちり張っている点を両方長所として捉える必要はあるけれど)。全編合わせて五つもの密室殺人事件、それぞれが物理トリックとしてまず凝っている一方、「なぜ密室にしたのか」という心理的な背景をそのまま謎として最後まで引っ張っていく構造が特に良い。トリックだけならば糸と針で出来るかもしれないが、近年の本格ミステリにおける「なぜ密室にする必要があるのか」という必要要素がそれぞれ満たされている点、評価のうえで重要なポイントになると考える。
 また、個人的には二つ目(になるのかな)、和室での密室トリックにいたく感心した。一般的な密室が密室であることの条件というか、検討内容の一つに、被害者自らが殺害現場を密室にする必然性があったというものがある。本書で採用されている密室にした動機、これがが従来もありそうで全くない新しいものではないかと思った。一般的にこの密室は、犯人から身を守ろうとするためだとか、意識せずに施錠していただとか、本当に覚悟の自殺だったとか、そういった理由、ないしバリエーションに分類されそうなケースに見える。しかし、他の場所で致命傷を受けて引きずられたような痕跡を残して和室に密室を作った理由、これがそれらと全く異なるのである。逆の発想というか、密室にすることで、犯人の不在をアピールするというのは、ミステリを読み込んだ読者の先入観を逆手に取るもので衝撃的ですらあり印象に強く残った。
 他の密室殺人にしろ、外連味というか装飾が過剰にも思われるものの、被害者をマジシャンとしてその邸宅を舞台にしているがために、不思議な説得力が備わっている。この被害者、この犯人であれば、わざわざ”悪魔的な仕掛け”を施す意味がある。(恐らく、本格ミステリでもっとも難しいところがこの適用できる環境作りではないか)。それぞれ大きく五つの密室が更に入れ子構造になるという複雑なトリックが弄されており、その凝り方は尋常ではない。(なので、本格ミステリファン以外の方にはむしろお勧めできない内容だと思われる)。ただ、トリックが好き、密室が好きといった方にとってはこれほどのプレゼントはないものと思う。

 本格ミステリとして一定のサスペンス感覚はあるものの、SFも幻想も、さらには特定分野の蘊蓄もなく、ミステリ以外の要素によって着飾り、膨張させることなく、徹底して事件と推理のみで巨大な推理小説を構成している点が最大の特徴の作品。 この推理小説=ミステリ自らの過剰さゆえに記憶と記録に残る本格ミステリとなることも間違いなかろう。


08/02/09
西尾維新「刀語 第十二話 炎刀・銃」(講談社BOX'07)

講談社BOX刊行記念、十二ヶ月連続刊行の十二冊目。四季崎記紀の変体刀収集の旅路、ついに完結。

十一本目の変体刀・毒刀・鍍を首尾良く収集を終え、尾張へと向かおうとした奇策士とがめと鑢七花。しかし、彼らの前には炎刀・銃を持った否定姫の腹心・左右田右衛門左衛門が立ちはだかる。彼がいきなり発射した二発の弾丸はとがめの腹部を貫通し、とがめは小さな身体を吹き飛ばされてしまう。いきなりのことに呆然とする七花に、右衛門左衛門はとがめ成敗の理由を語る――彼女が先の大乱の首謀者・飛騨鷹比等の一人娘であるから。そのことがばれたのが自分のせいであることを七花は知らされる。右衛門左衛門の手加減によってとがめはまだ息があり、七花は彼女の最後の言葉を聞き届ける。そして――。(シリーズ全体のネタも割れるのであまり詳しく書きません)。

この期に及んでまだ物語世界にどんでん返し。使い捨ての新キャラ引っくるめたクライマックス
 十一冊は、奇策士とがめと鑢七花の物語であったが、最後の一冊は事実上、鑢七花の物語へと変化する。まあ、物語の始末をつける意味でも加速せざるを得ないところはあろうけれど、とがめが付け狙い、直接お目通りをして復讐を遂げるために変体刀集めを行っていた目的の人物、今回がほとんど初登場となる家鳴将軍に向けて鑢七花は突っ走ってゆく。家鳴将軍家には御側人十一人衆が控えており、本来であれば一人一人個性的な敵となるはずの武人が使い捨てでばっさばっさと登場しては退場するを繰り返す。(もちろん物語上、これらを語ることに意味はある)。
 その緊迫感溢れる過程のなか、もう一人の重要人物・否定姫もまた、この物語の真の意味について回答を提示する。なぜ変体刀十二本が、当時あり得ない未来の技術によって作られていたのか。占い師でもあった四季崎記紀の狙いはなんだったのか。そもそも、この『刀語』という時代活劇がなぜ一般的な歴史時代小説のフォーマットが取られていないのか。 これもまた奇想であり、ありきたりの表現ながら興味深いところ。
 一冊目を読了した時に本書のイメージから山田風太郎の名前を感想に挙げた。一回りしての本作で、再びある風太郎作品が頭の中に浮かんだ。やはり忍法帖シリーズになるが『忍法封印いま破る』。こちらの主人公、おげ丸と刀語の鑢七花。この十二冊目の中盤以降の展開、味わう感覚が実に近しい。また、風太郎忍法帖の持つ、所詮忍者も人も時代の流れのなかでは塵芥に過ぎない――といった命題については、西尾維新の物語論(本シリーズでももちろんそうだが、他のシリーズ作品においても個のキャラクタに凝る割には、簡単に消費してしまうという意味で)とも共通するように感じられた。ついでにいえば、歴史に対するifの持ち込み方の方法論が異なる(山田風太郎は歴史の隙間を捉え、西尾維新は歴史そのものを捉える)ものの、その風呂敷の広げ方と歴史に対する姿勢もどこか近しい。

 恐らく、山田風太郎の読者と西尾維新の読者とがそう沢山重なっていることもないだろうけれど、読了後の感覚は特にこのシリーズにおいては非常に近い。荒唐無稽の時代活劇、堪能させていただきました。 普通に読んでシリーズの余韻を楽しめるよう、この最終巻では生き残った登場人物のその後とか入っているのも良い感じです。十二ヶ月連続刊行、お疲れ様でした。(西尾維新の場合、このシリーズを続けながらもその間に新刊が出るところ、執筆ペースが化け物じみてます)。


08/02/08
近藤史恵「サクリファイス」(新潮社'07)

近藤史恵さんの書き下ろし、ノンシリーズの長編。福澤徹三『すじぼり』と共に第10回大藪晴彦賞を受賞した。

 陸上界のホープとして、周囲の求めに応じて勝ち続けることに倦んでしまった白石誓は、ある夜見た自転車ロードレースの、特にアシストという存在に魅せられ、進路を変更して自転車競技への道へ踏み込んだ。今は、日本のロードレース界でも有力どころ、チーム・オッジに所属している。チーム・オッジのエースは石尾で山岳に強い選手。一方、誓の同期で自己顕示欲の強い伊庭はエースの座を狙っていることを隠そうとしなかった。日本各地を転戦する最高峰レース、ツール・ド・ジャポン。ラッキーな要素が重なり序盤の山岳ステージで一位を獲得してしまった誓は、スペインの名門チームが日本人選手を探しているという情報を得る。自転車競技では後進国である日本人選手にとってヨーロッパのレースを走れるということ自体が夢であった。しかし成績を上げてゆくにつれ誓は同僚からは石尾に関する不穏な噂が聞かされる。かつてライバルと目された若手選手がレース内で石尾に潰され、再起不能にされたというのだ。その選手、袴田は車椅子生活のなかで誓の元恋人・香乃に出会っていた。袴田は香乃を通じて石尾の危険を誓に伝えようとする。

青臭さが逆にスパイス。自転車競技さらにはアシストという存在がミステリと密接に絡む
 刊行直後に一度読んでいたのだが、感想を書きあぐねているうちに時間が経過したので再読してみた。
 まずは自転車競技の特殊性が本書のポイント。自転車競技においては最先頭を走行する選手が風を受けて不利になったり、先頭集団と中位集団との駆け引きなどがあり、誰もが勝ちを狙いにいくのではなく、明確に勝ちを狙う選手と、その勝ちを狙う選手をアシストする選手という色分けがある。漠然とは知っていたものの、本書を読むにつれその点が理解されるようになった。またもう一つ、非常に紳士のスポーツである点。紳士というところと、スポーツであるというところを両立している点もミステリとしての真相に密接に関係している。 物語の流れのなかで必然的に発生していく選手それぞれの想いがそれぞれ謎めいた味わいを生み出し、そこに多少青臭さがあるのだけれども、そのスポーツ選手らしい(らしからぬ)青臭い気持ちが物語の爽やかさ、そして謎解きに繋がっているところが面白い。
 本書で中心となっているロードレース、なかでもアシストという存在は自己犠牲を意味している。実際はこういった縁の下の力持ちは縁の下だけに終わってしまうことが多いだけに、献身的に他人を助ける人間にスポットライトが当たるといった点、多数の読者の共感を得たのではないだろうか。それがどんな局面であれ、勝利という道筋に至るまでには裏方含め様々な人々の協力があってのことであり、一人だけの努力(も重要だが)だけで勝ち上がることなどあり得ないということなのだろう。
 一方でミステリとしてはあくまで個人的には微妙なところも。悪意ある計画が次々と露見し、その真相も二転三転する展開はスリリングで良いのだが幾つか引っ掛かりがあったことも事実。(例えば、そんな犯人は長い台詞をレース中の選手にかけられるものなのだろうかだとか、そもそもアルコールを試合前に摂取しない前提でそういう贈り物に効果が期待できるのだろうかだとか)ただ、そういう点を引っくるめて”心理戦”としてのスポーツなので、これはこれで気にする当方がおかしいのかもしれないが。

 別の文学の賞はとにかく、ちょっと大藪晴彦賞は(大藪晴彦の諸作を考えると)ミスマッチのような気がするが、それでもミステリプロパー作家の受賞は喜ばしいこと。恐らく本作が、今後の近藤史恵さんの代表作品として数えられることは間違いないだろう。


08/02/07
桂 美人「ロスト・チャイルド」(角川書店'07)

第27回横溝正史ミステリ大賞大賞受賞作品。桂美人氏は1973年福井県生まれ。なお「美人」は「よしひと」等ではなく、そのまま「びじん」と読む。

 慶應大学医学部の若き美人助教授の神ヒカルは、大塚の監察医務医院に監察医として非常勤勤務していた。大崎から運び込まれた身元不明死体を調べようとしたところ、旧知の公安警察官・速水優人が現れた。アングロサクソン系の死体は女性に見えたが、染色体検査をしないと男か女か分からない人物。この人物は『ジュリエット』として警察にマークされていた。そんななか、いきなり三人の外国人テロリストが医院を襲う。銃で武装した一団は何人かを躊躇いなく殺害、残された神らを人質に立て籠もった。彼らの目的は『ジュリエット』。彼女の身体には何らかの秘密が埋め込まれていた。なかでも主犯格のマリーと名乗る人物は、神ヒカルの忌まわしい過去、両親が何者かに殺害され、兄もまた難病で亡くしている――まで把握しているようだった。警察の包囲が整う前にマリーは脱出、残り二人も最終的には死亡。事件は謎に包まれる。九死に一生を得た神ヒカルは事件の周辺にある事柄から、再び危地に陥っていく。彼女に隠された秘密とは――?

飽和する登場人物、溢れる能力に超能力。圧縮された物語と数多い既視感
 神ヒカル、速水優人、小野悟、早川恵、マリー、アラン、グエン、長島管理官、黒須警視、友倉警視長、ケリー、レオとマオ……登場人物の名前をぽろぽろ挙げた。が、恐らく物語上で通りすがり以上、それなりの役割を果たす人物の名前は、この倍はいる。 数百枚の長編であるにも関わらず、きちんと整理して登場人物表を作ったら恐らく四十名以上になるのではないだろうか。ひとことでいうと、登場人物、多すぎ。男は渋い男からイケメン、女は美女か美少女、子どもたちも天使のよう……という外観はまあ良しとしても、それぞれが天才的才能を持ち、それだけならとにかく超能力まで持ち、過去に親族絡みでトラウマがあって……といった次々と出てくる設定もまた盛りだくさんに過ぎ、地に足が着いていると言い難い。特に中途半端に過去が見えるといった超能力の絡みはこの物語において本当に必要だったのか。
 さらに遺伝子工学をテーマに外資系の謎の製薬会社という設定にも既視感があり、本来かなりの難病を抱え病弱のはずの主人公が都合良く大活躍してしまうあたりも違和感を拭えない。また、事件の凄まじい派手さに比べての最終的な着地点についても、これはいくらなんでもしょぼくないですか。なんというかこれまでにあった様々な小説・映画・漫画等々から派手な設定や派手な性格、派手な能力などを美味しいトコ取りをして、さらにまぜこぜにして煙に巻く作品という印象だ。視点人物は目まぐるしく入れ替わり、場面描写についても決して巧みではないため読者が状況と背景を想像力で補う必要が大きく、明らかに負担を強いている。本来、この3倍くらいの文章が必要な物語を無理に圧縮した結果、物語のスピード感が増したという偶然の要素が作用したかのようにみえる。
 大賞に推した人々を批判するつもりはないし、何か小生には分からない才能、輝きといったところが作品にあった、それがアピールしたもののだと思う。が、少なくともこの作品単体としてはどうにも中途半端な印象が拭えない。むしろこの作品がメフィスト賞であって、大量の原稿枚数でしっかりと個々が描写されていれば全く評価は変わっていたように思う。横溝賞という賞で出てきたことが最大の違和感か。

 ここまで”詰め込む”ことが出来、これだけ数多い登場人物を操ることができるという点、凄まじい才能なのかもしれない。ただ、エンターテインメント小説の分野で生き残るためにはもう少し読者のために整理をなさってはいかがでしょうか。書きたい要素を書きたいだけ詰め込まれても、受け取るこちらも大変なのです。(小生の頭の悪さがこういう受け取り方になってしまった原因かもしれない点、否定しませんが)。


08/02/06
拓未 司「禁断のパンダ」(宝島社'08)

 第6回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞授賞作品。拓未氏は1973年、岐阜県生まれ。大阪あべの辻調理師専門学校卒業後、神戸のフランス料理店に就職、その後さまざまな飲食産業に従事した経験の持ち主。

 柴山幸太は神戸・三宮でフレンチ・ビストロ〈ビストロ・コウタ〉を経営する新進料理人。毎日市場に出かけて安くて美味い旬の食材をセレクト、それを独特の感覚で料理して人気を博していた。その実力はある程度認められてはいたものの、神戸でトップを走るのは超人気のフレンチレストラン〈キュイジーヌ・ド・デュウ〉。常に長期間の予約待ちでなかなかその食事を味わうことはできない。幸太は、妊娠中の新妻と共に〈キュイジーヌ・ド・デュウ〉で行われた妻の友人・美佐と、神戸で貿易会社に勤める木下貴史との結婚披露宴に出席する幸運に見舞われ、確かに素晴らしいその料理を堪能する。更に、貴史の祖父で人間離れした味覚を持つ料理評論家である中島弘道老人とその場で知り合った。後に中島は〈キュイジーヌ・ド・デュウ〉の天才シェフ・石国努を伴い、幸太のビストロへと現れた。一方、披露宴の翌日、神戸の湾岸から男性の刺殺死体が発見された。被害者は貴史の勤める貿易会社の番頭格・松野庄司。捜査にあたった兵庫県警の青山は、貴史の父親でその会社社長の義明もまた失踪していることを知る。青山は、違法な貿易が背後にあるものだと感じ、関係者に事情を聞いてゆくのだが……。

素晴らしい料理人とスペシャルな料理が下敷きとなる、(あくまで)ある意味究極の味覚ミステリ
 食の世界を扱う小説としては面白いと思うし、料理の描写は確かに上手である。ただ、小生はあまり高級食材やフレンチをしょっちゅう食べているわけではないのでいくら材料名やスパイス、ソースが並べられようとも、これは凝った料理なのだなあというところまで、頭で理解できてもダイレクトに唾が湧くといった印象はなかった。(これは個人差があるので、あくまで私感に過ぎないことはもちろんである)。一方、料理ミステリの描写という点だけ抜き出しても、小生の狭い読書範囲でも、北森鴻の「香菜里屋シリーズ」の一連の肴の描写や、霞流一による作品におけるB級グルメと酒呑みの場面の素晴らしさといったところの方が個人的には「そそられる」。美食家の方々はこちらの方が良いのかもしれず、あくまで料理小説としては高い評価を得ることについて別に文句はない。
 加えて、料理”人”小説として、店の経営のことや、厨房の裏方のことなどまで含め、細かな書き込みがあり、そっちの意味の蘊蓄小説としては一定の面白みがあると思う。
 とはいえ「このミステリーがすごい!」大賞である以上、ミステリとして期待するなという方が無理というもの。そちらの味わいは残念ながら薄い。新味はなく、怪しい人物は最後まで怪しく、さらに結局のところはそいつが犯人だし、彼らの考えていることについても途中のエピソードでおおよそのところが見えてきてしまう。これがネタだったら嫌だよなあ、というネタで落ちる点は、ベテランならとにかく新人賞がこれで良いのかなあと漠然と感じてしまう。
 神戸弁は身近だし地理的にご近所なので、その意味での親近感は湧くのだけれども、物語をわざわざ関西弁で綴る時のお約束、ボケとツッコミについてももう少しセンスを高めた内容にして欲しいなあ、というのもお願いとしてある。一方で、美食家たちの冷たくも熱い情熱については、それなりに説得力があり(その説得力は、この料理のすばらしい描写に立脚している)、理解はできる。その告白めいた場面についての不気味さは心に残る。

 とはいえ、これまでの「このミステリーがすごい!」大賞の大賞受賞作(全部は読めていません)に比べると、ミステリ度・エンターテインメント度ともに落ちるのではないかという懸念は拭えない。拓未氏には今後、料理以外のストーリーテリングでも美味しい作品を上梓していただきたいものだと思う。


08/02/05
北野勇作「北野勇作どうぶつ図鑑その2 とんぼ」(ハヤカワ文庫JA'03)

『SFが読みたい!』2004年度版で第12位(微妙)を獲得した、全六冊のシリーズの二冊目。SF界のどうぶつ博士(?)こと北野勇作さんによる文庫オリジナル短編集。『SFマガジン』『小説王』といった作品に発表された作品に、書き下ろし「トンボの眼鏡」が一編。折り紙付き。

職場に新しい機械がやってきた。頭が良くて力が強いのだという。歯車を作る工場に勤めるぼくたちは、ムカデに似たその機械におそるおそる接するが、いつの間にか職場がキカイに都合の良いように変えられてしまう。そのキカイから出た特殊なヘルメットを被ると、ぼくたちは新しいことを覚えなくても新しい仕事ができるようになるのだという。 『新しいキカイ』
世界中の自動機械で誤作動や故障が頻発。それは「ウイルス」の仕業ではないかと噂された。自動作業機械の認識している世界を視覚化する特殊な眼鏡で見ると、そこには巨大なトンボの姿があった。ぼくたちはそのトンボを捕まえてゆくのが仕事だが、最近は様々な場所にそいつらは出現するのだ。 『トンボの眼鏡』
ソフトウェア会社に勤務するぼくたちに衝撃が走る。ライバル社のムラマツ工学で先行発売されたソフトはぼくたちが開発していたものより数段性能が良かったのだ。ぼくたちのチームのメンバーは最近、それぞれ何か妙なものに凝っていて、同僚の一人は仕事中に西瓜が食いたいなどと言い出す。 『西瓜の国の戦争』 以上三編。

それが機械であっても、何かであっても、西瓜であっても。結局は貴方の脳味噌に侵入してくるわけで
 トンボのメガネは水色メガネ、あーおいお空を飛んだからー飛ーんだからー♪
 とまあ、この巻はトンボの巻であるはずなのだが、書き下ろしの「トンボの眼鏡」以外は謎のムカデ型機械と、謎の能力を持つ西瓜と異星人たちとの謎の交流(謎だらけ)の作品である。無理矢理トンボの巻としているようにもみえるが、まあ気のせいだろう。気のせいということにしておこう。
 ただ、そのテイストは全体的に共通している。侵略、である。 しかも北野勇作氏の描くところの侵略には武力制圧や、その人類と異なる何かとの戦いは描かれていない。人が気付かないうちに日常が、別の何かによって変質させられてしまっていたり、記憶そのものをいじられて侵略自体に気付きもしないといった、心の占領がテーマとなっている。北野勇作さんの描く主人公はヒーローではなく、市井のごくごく小市民であることが多く、本書に登場する人物もまたそういった境遇の人物なのだ。人類の指導者でも、カリスマ市民でも、テレビを賑わすタレントでもなく、普通に働いて日々の幸せを噛み締めたり、小さな幸せにほっこりしていたりといったそんな小市民が侵略されていく話になる。特に目立たず、侵略されたとしても大勢に影響は全くない――といった人物たちが、あえて侵略されていくのを見せつけられる。 ユーモア混じりの文体のなかで、この部分から静かな恐怖が忍び寄る。また、この恐怖は侵略された側が、侵略されている自覚がないことにも喚起される。いつの間にかちょっと奇妙なことから変質していく日常。これが北野作品から感じられる恐怖に繋がっているのだよなあ……とぼんやり考えさせられた。

 二作目にして、こんなにいろいろ北野作品について書いてしまった。果たしてまだ書くことが残っているのだろうか。次は「かえる」だ。


08/02/04
樋口有介「月への梯子」(文藝春秋'05)

 刊行当時のことをいえば『船宿たき川捕物暦』以来、約二年ぶりとなる書き下ろし作品。この段階では「柚木草平シリーズ」の創元推理文庫での再刊も開始されておらず、もしかすると本作の出来が創元社を踏み出させたのかもしれない……などとも考えたりもる(確証はないですよ)。

少し頭の働きの遅いボクさんは四十歳の一人暮らし。母親が残してくれたアパート”幸福荘”の大家兼管理人として暮らしている。多少行動に時間がかかるけれどボクさんは真面目で近所の総菜屋で元同級生の京子や、善良なアパートの住人たちに囲まれ、日々幸福荘の修繕や花壇の手入れといったことを行いつつ、長年幸せに暮らしてきた。しかしある日、屋根の修繕で梯子に上ったボクさんは、幸福荘の住人の一人である女性が部屋の中で死体となっているのを目撃してしまい、梯子から転落、頭を強く打ってしまう。意識不明の状態から目覚めたボクさんは、自分が以前と何か変わってしまったことに気がつく。打ち所のせいなのか頭の働きが活発となって、これまで体験したことや思考能力が人並み以上になってしまっていたのだ。あふれ出る言葉に戸惑いながら、幸福荘に戻ってきたボクさんは住人がなぜか全員、逃げ出してしまい一人も残っていないことを知る。人並み以上に頭の働くようになったボクさんは、そこから推理を巡らしてゆく。

序盤の幸せ、中盤のスリル、そして終盤の哀しさ。読者の情動を素直に絡め取ってゆく傑作長編
 下敷きとなっているのはダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』であることは間違いない……というか、作者が違うと主張したとしても比較されてしまう点は仕方がない。とはいえ、その劣化コピーということはない。むしろ踏み台にして高みに上っている。 云ってしまえば確かに、あまり頭の回転の速くなかった人物が、あるきっかけを経て頭が良くなるものの最後は……といった大筋は「アルジャーノン」にかなり近い。(ラストについては通常ならば反則技めいたヒネリがあるのだが、本作に限っては物語の哀しみを倍加させる効果を高める要素となっている)。
 展開についても、樋口有介作品が共通して醸す軽ハードボイルドの味わいを絡めつつ、これまでボクさんが見てきた世の中と、通常人としてのボクさんが見せつけられる世の中の違いが、時に爽快感、時に憤りをもって読者に迫ってくる。 同じ事柄であっても、見る人が違うとこんなにも違うものなのか。もちろん、立場の弱い人に対する世間の狡さに対する憤りもあるけれども、それ以上にボクさんの受け取り方の変化の方が重要な気がする。
 頭の良いことは本当にいいことなのか、幸せとは何なのかといった問いかけがしばし読者の胸に浮かぶ。しかも、心に残るのはボクさんのエピソードばかりではない。 若くして世間から逃げ出さざるを得なかった文香の苦しみ、視線のフィルターが変化したことによって浮かび上がる京子の哀しさ。苦しく哀しいのはむしろボクさんではなく、それぞれ事情を抱えてボロアパート・幸福荘に集まっている人々の方だったりもする。ボクさんの有形無形の活躍によって、彼女たちが救われることが物語自体の、特に中盤の暖かみを高めている。この段階で既に読者は本書の虜になっているはずだ。
 最後に触れておきたいのは、樋口氏の地味ながら素晴らしい小説技巧。構成の点は読めば判ることなので良いのだが、ボクさんの状況を描写する二人称に近い地の文からして細かく変化を加えている。主旋律を物語とした場合の副旋律にあたる事柄だと思うが、こういった部分へのこだわりもまたこの物語の価値を高めているといえるだろう。

 ミステリとしてはシチュエーションを主にしたものであり、密室等も登場するもののむしろトリックは肩すかし。ただそこが主題となる物語ではないことは強調しておく。読んでいる間のどきどき感覚と読み終わった後の言葉にできないような哀しさ。 物語としてじっくりと読んで欲しい、樋口有介の中期傑作として数えるべき作品だと断言しておく。


08/02/03
恩田 陸「ネクロポリス(上下)」(朝日新聞社'05)

 『小説トリッパー』二〇〇一年冬季号から二〇〇五年春季号まで連載されていた長編を大幅に加筆修正した長編作品。藤田新策氏による装画がどんぴしゃに嵌り、白く半透明のカバーがそのまま作品イメージを投影している。

 ファーイースト・ヴィクトリア・アイランズ――通称V.ファーという国は、古来より英国と日本の文化が混淆され独自の文化が発達してきた国家。この国の聖地「アナザー・ヒル」は特殊な環境下にある孤島であり、近親者を亡くしたV.ファーの人々はヒガンと呼ばれる時期にこの島を訪れ、『お客さん』となり時折現れる死者と再会する――。東京の大学生・ジュンイチロウ(ジュン)は、女子大生ハナ、学校教諭マリコ、映画館経営者リンダら親戚の伝手を辿り、ヴィクトリア大学で教鞭を取 るシノダ教授らと共にヒガンに参加する。ヒガンには近年V.ファーで亡くなった人々が、あたかも普通の人間がごとく現れることがあるといい、訪れた人のうち運の良い人は彼らと会えるのだという。さらにV.ファーでは最近、切り裂きジャック(ジャッキー)と呼ばれる殺人鬼が跳梁していたが、まだ犯人が捕まっておらず、その被害者から犯人の名前が明らかになるのではないかという期待があった。なぜなら『お客さん』は嘘をつかず、その言葉は裁判でも証拠能力があるため、被害者がヒガンに現れれば一気に解決だと考えられていたからだ。しかしヒガンの季節、アナザー・ヒルに近づいた彼らを待ち受けていたのは、切り裂きジャック(ジャッキー)の手によって鳥居に吊り下げられたと思しき死体。犯人はアナザー・ヒルに訪れているのか? 不可思議な風習や考えられない天変地異のなか、人々はこれまでのヒガンでも考えられないような体験をする……。

奇妙な和洋折衷に独特の世界観。恩田陸のファンタジー世界を楽しむ――べき作品
 作者が舞台に淫している――。 読み終えた後に感じたのはまずそのこと。
 架空の国の架空の歴史に立脚する架空の文化が物語の舞台。更には死者が当たり前のように蘇る空間のなかで発生する連続殺人事件に密室殺人と、大きな意味でクローズドとなっている島の中での犯人捜し。近年の新本格ミステリの流れであれば、特殊ルールで縛られた本格ミステリを指向しそうなところだが、今回、恩田さんにはあまり本格に則る必要性を感じなかったようだ。 連続殺人鬼の正体であるとか、作中に登場する黒の貴婦人が密室で大量の血液を残して失踪する事件であるとか、ミステリアスな事件は確かに発生している。それらに対して最終的には答えは答えとして明かされてはいるものの、その回答は本格ミステリで得られるカタルシスからはほど遠いもの。おおまかに筋書きをかき合わせ、唐突に登場する新設定によって辻褄を無理に合わせているにすぎない印象なのだ。こういった点から理に綺麗に落ちない本書を苦手とする人もいるだろう。(あともう一つ気になるのは終盤に急激にばたばたと店じまいする恩田長編によくあるパターン。これもマイナスといえばマイナスか)。
 一方で読書中は作者として世界を支配する恩田さんの嬉々した表情を感じた。 というのは、本作は「この世界を創り出すこと」それ自体に大いに意欲を燃やされたのではないかと思える節があるのだ。そもそも、英国と日本の文化が混じり合うという独特のV.ファーという国の成り立ちからして確信的。基本的に洋風の風習・文化のなかに登場する曲解された日本文化によるミスマッチが独特なのだ。他人を糾弾するために始まる提灯行列、西洋人たちが伝統的な鍋を囲んで歓談し、お稲荷さんにはタマゴが添えられる。ほか、百物語やざしきわらし等々、民俗学者が目をむくような日本古来の風習が、奇妙に歪んだかたちで世界に取り入れてあって、それぞれが読者を魅了する。
 読みながら「さて、次は何が飛び出てくるのかな?」という物語世界の唐突感や不可思議感を楽しむことができる読者であれば、ストーリーとしての物語が多少ぎくしゃくしているところなど気にしないはずだ。

 ミステリの体裁もまとうがやはり本質は異世界ファンタジー。 ファンタジーの世界そのものを楽しめる読者には最上の作品だと思われる。ある意味、この幻想的な装幀に惹かれて購入ないし、読み出してみたというようなタイプの読者に向いているかも。


08/02/02
清涼院流水「パーフェクト・ワールド What a perfect world! Book.12 Perfect Twelve〔完全な12〕」(講談社BOX'07)

講談社BOX刊行記念、京都と英語と運命を描いた大河小説十二ヶ月連続刊行の十二冊目、即ち最終巻。西尾維新の『刀語』ともども、リアルタイム進行、十二ヶ月十二冊の”大河ノベル”企画、遂に完結。

元もとは少年野球の天才ピッチャー、一角英数。エースと呼ばれる彼は、交通事故によって車椅子生活を余儀なくされているが、「変身」と唱えると一分間だけ超人的な活動を行うことができる秘密があった。一角家にやって来た米国からの留学生・レイから一月に「ワンネス」という言葉を初めて聞いてから約十ヶ月。秘密めいたレイの行動、黒老婆との戦いを経て、明神サトル、きららの兄妹との出会い、黒の陰陽師との英語を通じての戦い――様々な出来事があり、「ワンネスの十三人」を友人たちによって揃えることが出来たエースは、深夜の烏丸御池に立つ。なんの力が働くのか、二十四時間人も車も絶えないはずの烏丸通り、御池通りから人の気配が一切消えた。十字路の中心に「ワンネス」があると確信したエースは、全員を伴って歩き出す。空気の強烈な圧力にめげず、ワンネスに飛び込もうとしたその時、エースは突き飛ばされてしまう。エースを死なせたくない一心の”レイ”の仕業であった。

完結。最後まで残されていた謎が明らかになり、世界は平和へと繋がってゆく
 ワンネスとは何なのか、エースが車椅子生活に至った交通事故の真相とは、一年のあいだレイが見せていた不審な活動の正体とは――といった内容が、一渡り説明がつけられすっきりとする。一年間のあいだにきっちり伏線が敷いてあったあたりは(多少無理筋ではあっても)、よくぞ仕込んでいたものと感心する。
 総括。 十二冊分の物語としては、いわゆる新聞連載小説と同様の側面、即ち考えながら書かないと間に合わないという側面があり、勢いがある一方でやはり文章そのものは乱暴になってしまっているか。元もとアイデアは面白くとも文章力・表現力が高い作家ではないだけに、書き急がざるを得なくなってしまっている点は仕方なくも残念。今後、文庫化される等の展開があるのであればじっくり修正して貰えればと思う。文章の問題としては折角の京都の名所旧跡にしても観光ガイド的な説明は満たしていても、その旧跡なりイベントの良さが文章のみで伝わってくるとは言い難い部分がある。著者自ら撮影したという写真でのカバーも白黒では限界もあるようだ。
 また急いでこの点はストーリー全体にもいえることで、数多くの登場人物を物語に登場させ一応ラストに集結させてはいるものの、彼らの個性・特徴・能力を活かさないまま仕舞われてしまっている。さすがに準主人公のレイについては見せ場があるが、それ以外の十一人は単に選ばれて集まっただけ。この点は物語の風呂敷を大きく拡げてきただけに、むしろもったいなさの方が大きい。彼らが個人として能力を活かすようなクライマックスに出来ていれば(無理を承知で)なあ、と感じられるのは無いものねだり(ボリュームの制限もあろうし)になるか。
 一方で英語のレッスン部分についてのアイデアは非常に良かった。 一般的な参考書等では拒否されそうな英語学習方法ではあるのだが、いきなり実戦に向かうという姿勢は正しく、試験勉強のための英語ではなくあくまでコミュニケーションツールとして英語の骨法を知り、意志表示をしてゆく姿勢を形成するには、本で読む英語の本のなかではもっとも役に立つと断言できる。この十二巻におけるエースのノートにしても意味があり、I can not speak English. であっても英語でのコミュニケーションであるという点なども目からウロコである。

 考えてみると横書き、英語記載という体裁は、時代物、縦書きという西尾維新の『刀語』と対を形成している。 対照的な両者ではあるが、まずは無事に完結したことについておめでとうと言いたい。あとがきで読む限り、舞台裏はかなり大変だった模様。一冊づつリアルタイムではなく十二冊分一気で読む場合は、恐らく物語性の薄っぺらさがネックになるかなあ。繰り返しですが、英語のパートはオリジナリティが高く素晴らしいです。


08/02/01
北野勇作「北野勇作どうぶつ図鑑その1 かめ」(ハヤカワ文庫JA'03)

『SFが読みたい!』2004年度版で第12位(微妙)を獲得した、全六冊のシリーズの一冊目。SF界のどうぶつ博士(?)こと北野勇作さんによる文庫オリジナル短編集。『SFマガジン』『SF Japan』といった作品に発表された作品に、書き下ろし「かめさん」が一編。折り紙付き。

ぼくとキミコがキスをしている最中、その男「改造局員」は二階の窓から礼儀正しく入ってきた。「あたたのこの部屋が、カメ天国に選ばれたのだ」と彼はいう。 『カメ天国の話』
二足歩行型模造亀のカメリは、最初はガメラと呼ばれていた。オタマ運河側にあるカフェで泥コーヒーとか泥饅頭を作るのが仕事で、毎日数多くのヒトデナシの相手をしている。 『【カメリ第一話】カメリ、リボンをもらう』
世界の終わりが近づいているある日、妻とともに土手沿いを歩き、慎ましいながらも幸せな暮らしをしているぼく。妻の仕事は夢をみること。亀の夢をみること。そして妻とぼくはある宇宙船に乗っている。 『かめさん』
お猿電車、蛍雪、蟻の行列、桜に亀。 『生き物カレンダー(一月〜四月)』

独特の世界観が様々な角度から。カメづくしの奇妙な作品集
 短編が三編とショートショート四編と、付録からなる、通常刊行される短編集の半分程度のボリューム、ごく薄い短編集。北野作品は長編で読むことが多いこともあって、短編を断片的に読めるこの作品集はまたいつもと異なる角度から、”北野世界”を眺めることが出来る分、別の面白さがある。
 その”北野世界”(まあ、きたのわーるどと読むのか)、長編であってもその世界観は常に揺らいでおり、モザイクのように様々な話が寄せ集められたようなかたちで形成されていることが多い。そして、どのエピソードが現実でどのエピソードが記憶で夢なのか、記憶そのものが確かなものなのか妄想なのか、後から他人の手によって作られたのか読者には不明であり、それが溶け合って不思議な余韻となって心のなかに残る。世界観の揺らぎによって読者の立ち位置が不安定にさせられるところが味わいなのだ。(もちろん、昭和を思わせるエピソードが発するノスタルジーが、世界観の隠し味になっていることはいうまでもない)。
 この作品集においても、短編として区切られていながら、そういった”北野世界”を描いた長編と味わいは共通している。 その特徴が感じられる最たる作品は収録されているなかでも『かめさん』か。 アキレスと亀のエピソードを拡大解釈することによって製造された宇宙船。さらにはその乗務員の夢によって構成される世界。その世界の不条理さ加減。細かな特徴が北野作品のこれまでの特徴と合致する。短いながらも、味わいが深いのだ。ほんとに。
 あと、この世界とは無縁だが「生き物カレンダー」のなかの「お猿電車」というショートショート、爆笑。 電車に続々と乗り込んでくるテロリストたちが(なぜ電車?)、計画を諦めるまでの顛末を描いたものだが「これじゃしょうがないわな」と思わせるオチは、ほとんど落語である。

 折り紙付きでお得(?)。一冊一冊噛み締めるようにして読んでゆくことといたしましょう。しかし果たして六冊目に至った時に、まだ書くことが残っているかどうか。