MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/02/29
吉村達也「樹海」(角川ホラー文庫'03)

吉村達也氏の角川ホラー文庫十冊目の作品。一部の登場人物が重なるかたちとなっており、九冊目の『卒業』の続編にあたる。

 前作で主人公を勤めた神保康明。その事件から二十年が経過し、三歳だった娘・真美は大学で生体電磁波に関する研究を行っている。さらに彼女には大学二年生になる弟・神保透がおり、彼にはスプーン曲げをはじめとする金属を念じることで実際に曲げてしまう能力を持っていた。その透の家庭教師先の美少女・村木ルイが本編の主人公。ルイは幼い頃から同じ悪夢を定期的に見続けている。鬱蒼とした森の中をどこかに向かって走り抜ける不吉な夢だ。どうやら彼女は記憶を喪うような辛い経験を幼い頃にしていたのだというのだが、そのことについては両親とも黙して語ろうとしない。またルイには兄を自殺で喪い、両親に反抗的な態度を取る親友・栗田杏奈がいる。透とルイはお互いが引き合いあうように、ルイの両親には黙って交際を開始、ルイは透の能力を見ても驚かず、むしろ自分の悩みを深めていた。自分の幼い頃に何があったのか。なぜ幾つかの有名なおとぎばなしに関する記憶が彼女にないのか。夢のなかに現れた謎の老婆、そして『樹海』という表紙を持つ本の意味とは……。彼ら三人は自らそれぞれが持つ謎の解決を求め、富士山麓の青木ヶ原樹海へと足を踏み入れる。

超能力や悪夢といった内容を独自の解釈で定義し、サイエンスホラーの領域へと進む
 吉村ホラーについては読みやすさというキーワードが伴っていることが多い。本書、その読みやすさがどうしても先に立ち、展開が軽めにみえてしまうのだがどうして、物語を支配する世界観には非常に興味深いものがあるのだ。そのキーワードは生体電磁波。 つまりは、人間の発する電磁波なのだが、これによって世の中の解明できない様々な事象が物語内で説明されてしまう。他にも、人間はなぜ子どもを成すのかといった点についても興味深い解釈が述べられており、物語の背骨を形作る”解釈”に説得性とオリジナリティが両立している点が、実は本作の最大の特徴のように思える。
 いわゆる疑似科学という考え方に近いが、例えば村木ルイが繰り返しなぜ同じ夢をみるのか、人間はどうやって金属を曲げるのかといったところを不思議と科学的解釈がつくようにみえる方法で説明されてゆく。同じアイデアを理系出身者のSF作家あたりが料理してもおかしくないような内容なのだ。この点、吉村氏の場合は蘊蓄や科学といった部分への突っ込んだ説明が多少弱く(あくまでSF系ホラーに比してだが)、確信的に物語のリーダビリティを高くする一方、世界観にあまり深みがないという問題点もあるように思う。ただ、アイデアそのものは一貫しており、ホラー要素よりもSF要素の方が物語のうえでは強い。その結果、ホラー色が作者が意図しているものより弱くなってしまっており、後半、若い三人が夜中に樹海に入り込み神秘的な体験をするといったクライマックスにあまり怖さがない。ただ世界観をベースにした謎解きの要素の方が圧倒的に強いため、読み進めたくなる気持ちは十二分に維持できる。
 また、本書で語られるエピソードのうち、本書だけで説明のつかない幾つかは『卒業』にてメインエピソードとなっており、この点から続けて読む方がより良いように思われる。もちろん本作だけを読んだとしても十分面白いものだとは思うが。

 表紙に蛍光塗料で色を塗ってしまうという製本上の大胆さ、表紙を捲った最初のカラーページにある「この先地獄」という言葉と写真といったところに作者の少なくない意欲が感じられる。ただこういった小道具は抜きでも、物語だけで十分興味は維持できる作品だと思う。


08/02/28
太田忠司「久遠堂事件」(トクマノベルズ'00)

太田忠司さんを代表する探偵のひとり、「狩野俊介シリーズ」の十二作目。長編としては『銀扇座事件』に続くものの、このあと短編集『狩野俊介の記念日』が刊行されているのみでこの長編が2008年現在最新の作品ということになる。

 石神探偵事務所にやって来た中井田靖。明子が高校時代通っていた塾講師で、教え方もうまく明子の信頼を得ていた人物だ。その中井田の父親は、建設会社等を発展させ一大財閥を築いた立志伝中の人物。会社は別の息子や娘婿が引き継いでいたものの、靖はそんな父親に反発し自ら塾を経営していた。その靖の依頼は父親を捜し出して欲しい――というもの。父親・邦泰は宗教を信じない人間であったはずなのだが、六年前に親族に経営を譲り、昔からの仕事のパートナー高富と共に西巻村というところに隠棲、そこで山を刳り抜いて巨大な釈迦涅槃像を造ってしまったという。ただ、子どもたちが揃って邦泰に会いに行こうとした数日前に現地で失踪、今なお行方が知れない。その後、靖の兄・保時はその釈迦涅槃像の内部に宿坊とお堂を造り、観光地として開発しようとしている。その西巻村には仏教に帰依しない天狗の伝説があるともいう。再び親族がそこに集まるという日、野上と俊介、そしてジャンヌは靖の友人を名乗って現地に赴くのだが――。

奇妙な建築物とその謎、さらに凄惨な事件の真相。ここでながらくシリーズ停車中なのが惜しい
 ……とはいっても、本書にも絡む後日エピソード満載の短編集『狩野俊介の記念日』が後から刊行されてはいる。長編の大きな事件という意味では本書を最後にもう八年停止していることになる。ただ、このシリーズは人間関係がある程度煮詰まってきているこの段階から進もうとすると、物語(事件)のうえでの成長エピソードだけでは動かしきれなくなりつつある感もあり、進め方がかなり難しいことも理解できるのだが……。太田先生、頑張ってください(としか)。
 さて物語の方は一種定型になりつつある序盤だといえるだろう。石神探偵事務所に持ち込まれる依頼、関係者の待つその建物へと赴く野上と狩野俊介。背後に複雑な人間関係が絡み、亡くなった父親が傍若無人天上天下唯我独尊な人物で、家族がそれに振り回されいたという設定……、等々あまり目新しさはこの点にはない。
 本書の読みどころは、それ以降。山を刳り抜いて作った釈迦涅槃像。その中に作られた謎めいた構造を持つ建物。その建物に野上が泊まった晩からいきなり現れる殺人鬼、そして消えたその人影は白骨死体となっていたという非常に謎が多い展開が魅力を醸す。 事件そのものも興味深いが驚かされるのは、このヘンテコな構造を持っていると思えた館に、実はきちんと説明される背景がある点だ。多少現実離れしているのではと危惧されるこの久遠堂が、補助線を一本さらりと引くときちんと意味の通る存在であることが明らかになる。その補助線の持つ説得性が非常に高いのだ。ただ、このアイデアの裏返しでミステリとしての本格度合いは多少低めにならざるを得ないのだが、本作の場合はそれも致し方ないことと思う。
 その代わりといってはなんだが、明かされていく人間関係のどろどろしたところがまた狩野俊介シリーズ特有の読後の哀しみを引き立てている。本作含め、執拗に描かれる歪んだ親子関係は太田ミステリ全体を通じての終わらないモチーフだともいえるだろう。

 個人的には、とりあえず本書読了でシリーズの未読作品が無くなってしまった。ここで狩野俊介の成長が(新作がないという理由で)停止しているのは実に惜しい。確かに長い年月をかけて作品数が重ねられながら、俊介が事務所に現れてから一年しか経過していないという時の流れの勘所をすぐに取り戻すのは作者にも難しいのかもしれない。だが、やはり彼がどうなってゆくのか最後まで見届けたいという欲求は止められない。


08/02/27
畠中 恵「おまけのこ」(新潮文庫'07)

しゃばけ』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞後、江戸時代人情譚+妖怪を扱った同シリーズが大人気となっている畠中恵さん。近年は、現代物をはじめ様々な分野に意欲を出している。本作は、その「しゃばけ」シリーズの四作目。元版は2005年8月刊行、その文庫化。

 係わる者に仇を為すという噂があり、近づく者はおろかその周囲まで不幸に落とし込むといわれる妖・狐者異(こわい)。彼が若だんなの離れを訪れる。狐者異は、天狗由来の職人の腕を上げる薬を持つといい、若だんなは、友人で菓子職人の栄吉のためにその薬を欲しがる。しかし他にもその薬を欲しがる人々がいて……。 『こわい』
 本シリーズにしばしば登場する紅白粉問屋の娘・お雛。彼女は相変わらず顔に塗りたくった分厚い白粉化粧を止めることが出来ない。若だんなのところから、間違えて持ち帰った印籠により、若だんなのところにいる妖・屏風のぞきが夜中に訪れ、彼女の悩みを聞く。 『畳紙』
 若だんなが五歳の頃。その頃は妖は見えてはいたが友人ではなかった。そんな若だんな=一太郎が影が勝手に動く影女の噂を確かめに、子供たちと共に探偵・冒険を開始した。 『動く影』
 吉原の禿を足抜けさせたい――いきなりの若だんなの発言に驚く人々。もちろん話には裏があり、父親の藤兵衛と花魁を抱える大店主人との秘密の約束があった。 『ありんすこく』
 長崎屋を訪れた大店の主人が持っていた大粒の真珠。鳴家(やなり)はあまりの美しさにお月様と勘違いする。その細工を頼まれていた職人が、何者かに殴られて気を喪う。真珠の袋は鳴家が持ち去ったと看破した若だんなは、危害を加えた犯人を三人の容疑者から見つけ出す。 『おまけのこ』 以上五編。

正統派の謎解きは小さくなれど、人情話の味わいが大きく、そして素晴らしく。
 このシリーズ、時代ファンタジーとしての要素がもちろん大きいが、これまでの作品のなかでは本格に近い正統派ミステリめいた謎解きが込められたものが多くあった。本書においてそうだといえるのは傷害犯人さがしの過程が込められた表題作の『おまけのこ』くらいで、、ミステリ者の視点からすると多少物足りなさはある。広い意味でのミステリとしても少年探偵団的展開と子供時代の若だんなの知恵が交わって味わい深い『動く影』あたりまでか。
 ただ既にこのシリーズはその観点のみで評価する作品ではなくなっているということ。むしろ、短編作品としての出来は『こわい』であり『畳紙』といった、ほぼ純粋に人情ものに特化した作品の方が上だといえるだろう。特に『こわい』は展開が秀逸で、嫌われ者の妖が持つ魅力的な薬を巡って人々が争う話で、人間心理のどうしようもない欲望であるとか、気持ちであるとか、またいわゆる江戸っ子らしい思い切りであるとか、様々な角度から実に鮮やかに描かれている。また『畳紙』にしても、読者ならば誰でも彼女の気持ち自体は判るものの、一方でその気持ちを解きほぐしてゆく過程に味わいがある作品だ。
 あと、全体的に、文体が以前に比べると軽くなった気がするのだが、このあたりは個人の好みの範疇か。妖怪が躍動する分、江戸情緒というよりも定型的な「しゃばけ」シリーズとしての世界が充実してきたということの裏返しと判断すべきかもしれない。

 (当たり前といえば当たり前なのだが)あまり分析的に考えて読むのではなく、もう完全に馴染みになったレギュラー登場人物の行動や考え方、それぞれの関係について素直に楽しく読む作品。特に連作形式でありながら、必ず過去のエピソードを踏まえており、どうしても順番に読みたくなる(読まざるをえなくなる)構成になっている作者の狙いが成功している。


08/02/26
戸梶圭太「下流少年サクタロウ」(文藝春秋'07)

トカジが描く「教育崩壊」青春小説との触れ込みで書かれた作品。書き下ろし。

 東京都墨田区立逆撫小学校に通う小学校五年生・輪島朔太郎(十一歳)。安い自称舞台演出家の父親と暮らす父子家庭で、父親はほとんど育児放棄状態。そもそも学校の先生もやる気はなく、授業など聞く気もない。給食を食べに学校に行き、友人と遊び、カツアゲを恐れて、ただ一人先輩にして恋い焦がれる”股下八十四センチのスーパーレッグアイドル”杉町レイラ(十二歳)の腰巾着として生きている。晩ごはんは毎日ポテトチップス。友人にはデブの牛尾海人(十一歳)。隣のクラスには正論をもってクラスを支配する藤原亜土夢(十一歳)がいる。教師をみてもまともな人物は皆無で、完全に授業を放棄し生徒の名前も覚えない三枝をはじめ、ボロ車で出勤してから車から一歩も出ないゴーストなど、教師のやる気もない。生徒たちも保健室に溢れ、真っ直ぐ走れない、運動神経も集中力もない子ばかり。そんななか、一つめの赤ん坊を赤ちゃんボックスから拾ってきたり、猫殺しの生徒探しが学校で行われたり、モンスターペアレンツたちも学校に押し寄せる。給食費未払い問題に端を発する学校内抗争によって居場所を喪いかけたサクタロウは父親とも決裂、そして……。

伝えられる教育崩壊の現場を戸梶流にエスカレートさせ、グロテスクに昇華する
 新聞などで時折報道される「今どきの小学生は」「今どきの学校は」といったテーマを相当に極端に濃縮したうえに、その個々の登場人物のキャラクタを戸梶流安い人間に変換、更にとんでもないテーマをエピソード中に放り込むことで成り立った作品。その個々のエピソードが相当にえげつなく、はっきりいうと戸梶小説がどういうものか知らない人にはキツイ作品です。
 単純なイジメ問題などはもう過去のもの(もちろん描写されているけれど)体力が低下して真っ直ぐ走れない、走るとすぐにこけてしまう小学生、学級崩壊はもちろんのこと、その学級崩壊を何とかしようともしない教師(登校して車から出てこない、生徒の名前を覚えない、無気力、無関心……etc)。さらには、学校警備員、保健室への逃避、母子、父子家庭、ネグレクト、虐待、ちょっと何かあるとすぐに学校に文句をいうモンスターペアレンツに加え、その動きを扇動するような親。学校裏サイトでの恐ろしいまでの誹謗中傷に赤ちゃんポストから赤ちゃんを拾って飼育を始める子どもたち。いやもう、凄まじいとしか。
 中盤まではそういったエピソードを組み立てて作品が出来ていたところ、給食費不払い問題を発端に、払った組が払わない組と給食分量を差別させるところから物語が加速。もちろん払っていない組で無能な父親のため、給食だけが栄養補給手段というサクタロウは窮地に……。非合法な金銭調達手段を経て父親の非道によって誘拐され、全くサクタロウのことを気にしない父親を刺して家を飛び出し……、と題名通りの下流少年のサバイバル生活へ。悲惨すぎ。

 物語として何かが残る作品ではないのだが、新聞だと「ふーん」という程度だった記事が頭と心に刻まれる作品。エンターテインメントというには悲惨すぎる気がするので広くお勧めできなので、お好きな方にはどうぞ、としか。


08/02/25
森 博嗣「イナイ×イナイ」(講談社ノベルス'07)

西之園萌絵、犀川創平らがいる世界を中心に(恐らくは)時系列がずれて展開するシリーズ。『ηなのに夢のよう』にてGシリーズが終了し、この『イナイ×イナイ』からは『Xシリーズ』が開幕した。既に数冊刊行済みだが追いかけきれていないワタシ。

 美術品鑑定を本来の仕事としている椙田事務所。所長の椙田はほとんど外出していて事務所にはおらず、貧乏美大生の真鍋瞬市が、時々奢ってもらえる晩ごはん目当てに留守番をしている。他にほとんど押しかけで椙田の”助手”を自認する妙齢の女性・小川令子が事務所関係者の全てだ。いつものように一人で留守番をしていた真鍋のもとに、黒衣の美女が訪れる。「兄を捜して欲しい」と彼女はいう。佐竹千鶴と名乗った彼女は、椙田が美術品鑑定に訪れた金持ちの娘で、渡された名刺に「調査・探偵」という言葉があったことから依頼を持ち込んだのだ。佐竹では一族を支配していた父親が死亡、千鶴の双子の姉の千春、さらには血の繋がらない母親や大勢の使用人がいるが、彼らとは別に屋敷内に「兄」がいるはずだと彼女はいう。兄・鎮夫は数十年前以来、地下牢で幽閉されて今に至っているという。ノリノリの小川令子の判断と椙田のアドバイスもあって都心の一等地にある広大な佐竹の屋敷を訪れた令子と真鍋。彼らはそこで鷹知と名乗る佐竹家ゆかりの探偵と知り合い、いきなり事件に遭遇する。複雑な事情を持つ旧家、その探せと言われたはずの地下牢のなかで一族の人間・千春が殺されていたのだ。

森博嗣流の奇妙な登場人物たち×古式ゆかしいニッポン探偵小説系の事件
 別に特段に否定するような事柄でもないが、この複数のシリーズによって数多くのレギュラーキャラクタが登場した結果、新シリーズキャラクタたちが登場しても「あ、この人どこかで見たような」かたちで、性格・人格というあたりが被ってしまっている。今回のXシリーズでいえば、主人公格の二人、真鍋瞬市と小川令子。彼らは非常に親しみやすい反面、従来の森ミステリィで登場した幾人かとはっきりいえばキャラが被る。 (椙田はこれまで別のシリーズに登場していたある人物であろうし、別の探偵役である鷹知についてはまだ登場場面が少ない)。
 そういったどこかお馴染みの登場人物が遭遇するのが、浮世離れしたお金持ち一族の爛れた関係のなかで発生する奇妙な事件。逆に、こちらの事件の方が、これまであまり森作品のなかで描かれなかったようなタイプでこの世界においては新鮮だ。とはいっても、血縁や親族間での奇妙な風習や約束事が、その一族を束ねていた人物の死によって異常性が噴出する――といった展開は、探偵小説の頃から日本のミステリでは定番といって良い設定であるのでその意味では珍しくない。
 しかし、敢えてその異常な一族だけではなく、そこで発生する”見た目”不可能犯罪が扱われているところも興味深い。(謎解きの意味では、設定を隠しているだけでトリックとは言い難いが)。このあたりも旧型本格を意識したものなのかも興味深いところ。ただ、相変わらず薄味の文章で読みやすい反面、底が浅いのでシリーズを通じての人物はとにかく、この作品で消費される登場人物に関しては深みが感じられないのはいつも通りである。そのこと自体、既に森ミステリィの特徴となっているような気もする。

 既に一連のシリーズは、作品個々に発生する事件よりもシリーズ全体を通して投げかけられている謎の方が興味深いことが分かっているので、のんびりと全体を森ワールドの一部を楽しむ方向で読み進めたい。


08/02/24
竜騎士07「ひぐらしのく頃に 第三話〜祟殺し編〜(下)」(講談社BOX'08)

2002年のコミケで発売された同人サークル07th Expansion製作の同人ゲーム『ひぐらしのなく頃に』。その作品を原作として、ドラマCD、マンガ、、アニメ、PS2(ゲーム)とメディアミックスが進み、その最終形態(?)といえるのが、作者自身の手によるこの小説化。「出題編」ばかりが七ヶ月連続刊行される、その六冊目。

 唯一の家族である叔父による虐待により、部活メンバーの北条沙都子の様子が日々おかしくなってゆく。そんな状態を見かねた前原圭一は奔走し、学校の先生を巻き込んで県の福祉保護司とわたりをつける。しかし児童相談所の訪問を沙都子は自ら追い出してしまう。沙都子には過去に虚言によって彼らを欺いた過去もあり、行政はもう手を打ってくれないらしい。登校してきた沙都子の様子がちょっとしたきっかけからおかしくなるのを見た圭一は、頭の中で決意する。沙都子の叔父を排除するしかないと……。ありとあらゆる可能性を脳内で検討した圭一は、綿流しの祭りの晩に沙都子の叔父を呼び出して、沙都子の兄・悟史のバットで撲殺する計画を立てた。綿流しの夜に沙都子を呼び出してもらうため、圭一は魅音に電話をかけるが、魅音の様子もおかしい。かつて悟史が同じことを魅音に依頼したらしいのだ。そして悟史は失踪……。そして綿流しの祭当日、圭一は沙都子の叔父殺害を決行する――。しかし、計画は思った通りにはゆかず、深夜の自宅への帰り道では看護婦の鷹野さんとも遭遇してしまう。さらに翌朝、学校に行ってみると圭一は綿流しの祭に参加したことになっており、さらに叔父はまだ生きているという。圭一を襲う恐怖はここから拡大してゆく――。

前半のクライムノベルと後半のパニック・ホラーと。厭で厭でしょうがない加速感が特徴
 前半部(つまりは上巻)から予感はあったが、この祟殺し編における前原圭一は、他所からの転校生でありながら非常に当事者意識が強い。その当事者意識から、雛見沢の村に伝わる因習に巻き込まれるのではなく、それを利用して人助けのためとはいえ、犯罪に手を染めようという物語。上巻までにその動機については延延と述べられており、下巻はその動機が沸騰した結果の行動の場面が前半部の中心となっている。その犯行にしても計画から実行まではかなり考え込まれており、超一流とまではいかないものの、サスペンスフルなクライムノベルのような趣がある。 また決行の過程でさまざまな齟齬があって計画通りに動かないところもまた実際的な展開だ。
 ただ――本書のキモになる部分は、その実行される犯罪そのものではなく、その後にもたらされる前原圭一の世界の変質にある。すぐ後ろを誰かが歩いているような感覚、犯行実行した当時に自分自身が祭りに参加していたという友人たち。翌朝になっても同じように叔父からの暴行の痕跡を残したまま現れる沙都子……。更に圭一が死んでしまえと念じた関係者が次々と実際に死んでしまう事態に至り、完全にホラー的物語に世界が変質していくのだ。この後半の迫力こそが本書の中心となるべき部分だろう。
 犯罪を犯したことにより、更なる地獄を味わう圭一を最後の最後に突き落とすような悲惨な結末。理由はとにかく、関係者がほぼ全員死亡という末路については戦慄を突き抜けて「おいおい」という気分になるのだが。

 祟殺し編全体は、残酷な直接描写が少ない一方で心理的に追い詰めてゆく過程が読みどころとなっている。 まさに祟り+殺し。問題編については、あと一冊、暇潰し編にて終了ということになる。


08/02/23
石神茉莉「人魚と提琴(ヴァイオリン) 玩具館綺譚」(講談社ノベルス'08)

 石神茉莉さんは1999年『幻想文学』にてデビュー。『幻想文学』や『異形コレクション』を中心に短編作品を発表してきた幻想小説家。今回初の長編作品を書き下ろしにて発表した。とはいえこの「人魚と提琴」は同じ題名の作品が、'01年にカッパ・ノベルスより刊行された『異形コレクション綺賓館 4 人魚の血』に収録されている。響をはじめ、一部の登場人物や設定は本書に近く、同作品の世界が広まったものだと考えて良いだろう。

 短大を卒業後、普通に就職、OLをしている北原凉子。彼女は幼い頃、突然誘拐(?)され、山の上にある閉鎖的な村で”ヒメ”と呼ばれて暮らしていた時期があった。福井県小浜近くにあったその村は瑪瑙の加工で生計を立てており、一部の少年こそ小学校に通ったりしていたが、外部とは商売その他最低限の関わりしか持っていなかったという。年に二回の村の人魚まつり。彼女はあまり耳が良くなかったが、ヴァイオリン弾く役割を担う若きミナモリの音色に聞き惚れていたところ、人魚が現れ、さらに村に火が出て人々は次々に水に飛び込み村は全滅……した。凉子と、そのミナモリ(水守恭司)は助かったものの、その他の死体は一切発見されなかった。凉子は両親の元に戻ったが、母親の奈緒美は娘を喪ったショックから強い神経症を発症、キリスト教への過度の依存と娘の外出に恐怖するようになっていた。その凉子は内面的で大人しいまま育ったが、ふとしたきっかけから『三隣亡』という、ホラー系のアイテムショップに出入りするようになり、店員の美珠や店長のTと知り合いになる。更に、幼い頃聞いた、ヴァイオリンの音色を確かめるために、今や大人気のヴァイオリニスト・水守恭司のコンサートに出向こうとするがチケットが入手できず、その姪だという水守響のコンサートに訪れる。恭司と凉子が同じ村にいたと知った響は凉子に興味を持ち、二人は友人となった。恭司の唯一の弟子である響は恭司と同じ音色を引き継ぎたいと強く願っていた。

美しく可憐な、醜くも愛らしいさまざまなガジェットと共に、滅びもまた美しく描かれる純粋幻想譚
 不思議な雰囲気と不思議なテンションを保ち続ける小説だと思う。
 ホラーというほど恐怖を強調していないし、エピソードの断片から大きなストーリーが回収されるものの、音引きのミステリーともまた違う。もちろん青春小説や恋愛小説といった括りにもちょっと似わない。少女同士の他愛ない会話、ホラーショップ店員との交流といった描写はあれど、結局のところはまさに幻想小説という名前に収斂してゆくしかない気がする世界観が作品全体を覆っている。
。  その幻想を支えるのは、作者の独特なセンスに他ならない。特に美的センス。何を美しく、何を綺麗に感じるかという点にブレがないのだ。綺麗なもの(石)、かわいいもの(猫とか)、不思議な物語(不思議の国のアリスとか)への傾倒を隠さない一方でグロテスクなもの(ホラーグッズ)、ゾンビ(生きた屍w)などに対する愛もまた存在し、その一見アンビバレントな両者の感覚が共存しているのだ。実際のところの人間は、綺麗なものしか興味がない、穢いものしか興味がないというのは、むしろ少数派で、本来はこういった様々な嗜好が混ざっているべきなのだろうが、主人公の(作者自身の?)その嗜好が、それぞれかっちり作品世界のなかで位置を与えられているような印象を受けた。このあたりの補強が長編となった本作品を背後から強く支えている。
 物語そのものは、主人公・北原凉子の過去と、天才ヴァイオリニスト恭司、さらにその姪・響の人生が、謎の村に遡ることで繋がっていて、そこに人魚伝説や、演奏されていた伝説的なヴァイオリンの音色が絡む展開。凉子の家庭も複雑ながら、暗い一方ではなく、特に玩具屋『三隣亡』の店員兄妹を交えたユーモアめいた展開もある。全体的にパーツがばらばらな印象を受ける前半が嘘のように、後半では様々なガジェットが繋がりをみせる展開は見事。しかして物語は現実に帰ってこず、あくまで幻想めいた、アンリアルの光景のなかで続いてゆく。 最終的にはクトゥルー? などとも思わせる展開なのだがこの点についての明言はなされていない。(イメージはされているのではないかと思うのだが)。  むしろ、直接聴いただけで死を招く音楽などよりも終盤近くで二つの死体が並ぶところでころころと笑い合える女性たちの姿の方に、この作品の真髄があるように思うのはうがちすぎだろうか。この浮世離れした感覚こそが作者のセンスであり、この物語の立ち位置なのだと思う。

 版元が講談社ノベルスという点がある意味意外ではある。小生は好みの世界観であり、深読みしようとすればいくらでも深くなりそうな印象だ。元の短編とは筋書きはほぼ同じながら、本書の方がさらに世界に厚みが感じられる。
 石神茉莉さんはもともと友人なので感想にバイアスがかかっていたら申し訳ありません。が、客観的にみても幻想趣味に溢れる良い作品だと思います。


08/02/22
はやみねかおる「あやかし修学旅行 鵺のなく夜 ―名探偵夢水清志郎事件ノート―」(講談社青い鳥文庫'03)

ご存じ「夢水清志郎事件ノート」の長編。位置的には『「ミステリー館」へようこそ』と『笛吹き男とサクセス塾の秘密』の中間に刊行された作品で正編としては九冊目。中学三年生の三姉妹らの修学旅行がテーマ。

 様々な生徒からの好き勝手な要望を集めて整理し、できるだけ希望を叶えられる地を探し出した修学旅行実行委員会。目的地はO県T市の星降り荘に決定。この街、そしてこの旅館には、鵺の伝説があり、埋蔵された宝物の伝説があり、三重密室殺人事件の過去があり、持ち帰るなの石の伝説があり、枕投げに最適な枕が旅館にあり、幽霊掛け軸に怪談……と盛りだくさんのイベントが可能なのだ。ただし今回の修学旅行のために一年生の時から積み立ててきた旅費では足りないので、虹北商店街でのアルバイトが必須。あまりにも熱心に働きすぎるために商店街での労働禁止指令が出ている中井麗一はどうすれば、旅費を稼ぐことができるのか。あまりにも熱心に計画される修学旅行計画。そして学校に舞い込んできた脅迫状もあり、なぜか校長先生代理ということで大食漢にして意地汚い名探偵・夢水清志郎がこの修学旅行に同行することになってしまった――。

小さな謎と大きな謎と。細かなトリックとネタを贅沢に鏤めたはちゃめちゃ修学旅行
 シリーズのなかではかなり分量の多い一冊。あまりに謎が沢山出てくる一方で、そもそも学校生活最大の祭りという意味での修学旅行での生徒や関係者の浮かれっぷりが激しく、緊張感はあまり感じられない。とはいえ恐らくはイベントの趣旨もあり、あえて緊張感がなく楽しいところを強調しようとした作者の狙いがあるのだと思う。
 ……それにしても、謎というか不思議なことは本当に数多く発生する。 なぜ超能力者に扮したレーチが透視をすることが出来たのか? 持ち帰るなの石、龍を殺した村の伝説の真実は? なぜ和尚は鵺の作り物の剥製を神体としているのか。夜に口元に血が浮かぶ掛け軸の謎。そもそも”鵺”はなぜ修学旅行を中止させようとしていたのか――。
 細かな謎については、ある程度予想のつくものも多い一方、個人的には”鵺”の正体とその狙いが感心した。中学三年生という微妙な年代、夜中に企画されていた緊急避難訓練という多少無茶な設定が、ギャグを狙ったものではなくきちんと謎解きに繋がっているという不思議。これは巧い。
 また、三姉妹とそれぞれの彼氏及び彼氏候補による仄かな関係なども微笑ましく、全体を通じても少しずつ物語が前に進んできていることは感じられる。(最新作品ではない作品でこういうことをいうのも何ですが)。数々の謎、遊び心、各所にちりばめられたユーモア、そして祝祭空間としての修学旅行をきっちり再現させる手腕。祭りの瞬間だけではなく、その裏側に大きな関係者の苦労もしっかり描写、全てを理解したうえで生徒を信頼する先生の存在があるあたり、良い世界の話だと思う。
 宿泊場所がそもそも「星降り荘」であり、その女将の名字が倉知であるところだとか、バスの座席表の名前のところにさりげなく「霧舎巧」「鯨統一郎」「石崎幸二」「太田忠司」といった名前があるところだとか(「村田四郎」や「太田克史」という人も乗ってます)、ミステリファンがニヤリとするようなtipsがそこここにあるのはお約束。本来の読者であろう小学生が分からないかもしれないところに、こういった遊びがあるのも奥深い。そもそも「鵺がなく夜」は、係り結びで「は恐ろしい」と続くんですけれどね。

 シリーズのなかでも特にバランスが取れた一冊に数えられる作品だと思う。 はやみねかおるという作者のセンスが、様々なかたちで良い方向に示された印象深い作品だ。


08/02/21
北野勇作「北野勇作どうぶつ図鑑その4 ねこ」(ハヤカワ文庫JA'03)

『SFが読みたい!』2004年度版で第12位(微妙)を獲得した、全六冊のシリーズの四冊目。SF界のどうぶつ博士(?)こと北野勇作さんによる文庫オリジナル短編集。『SFマガジン』に発表された中編二編に『異形コレクション8 月の物語』に発表された「シズカの海」が加わった三作品。当然? 猫の折り紙付き。

再開発地域で発見された遺跡。あの赤い鉄の塔があるあの街。あの鉄塔はかつて「東京タワー」と呼ばれ、未来を指向する建物だと言われていた。それがなぜ今喪われているのか。何が起きたのか。意識パターンを同調することでその謎を探る職業『墓掘り』のぼくは、田代教授の依頼でその謎に向かってゆく……。 『手のひらの東京タワー』
「夜に口笛を吹くと蛇がくる」祖母にそう言われていた良介。その祖母も亡くなっていたが、一年ほどしてから家に帰ってきた。良介は人と違うことがあると嫌な目に会うことを知っているからそのことを言わない。彼は、実はスプーンが曲げられるのだが、そのことで色々な嫌な体験をしたのだ。 『蛇を飼う』
シズカはアポロが初めて月に到着した頃のことを回顧する。父親と一緒に見たテレビ。月にある「静かの海」。万博会場。あの映像は捏造だと主張した後に行方不明になった学校の先生。事故に遭って亡くなった男の子。その母親が流した化け猫の噂。そして……。 『シズカの海』 以上三編。

昭和の時代を象徴するテレビがもたらす共通文化。その共通意識がもたらす共同幻想……
 わたしが語るのは十年早い(というか十年年長の人が語るのと意味合いが異なる)のだが、昭和の、特に後半期に子ども時代、青春期を迎えた人々にとっての昭和文化はテレビ文化だったと思うのだ。生活パターンが同じ人々、例えば小学生、例えば主婦、例えば勤め人。彼らは基本的に同じテレビ番組を見ていた。 その事をテレビの外、つまりは直接会っていた時に語り合う。テレビで特別なイベントがある時には、その家族全てが同じ番組を見る。

 ……つまりは本書はそういった時代を背景に持つ人々、がテーマのようにみえる。名前を挙げるとネタバレになるので控えるが、誰もが知る特撮映画や、一時期大ブームになったあの能力、そして国民的ともいえるアニメ番組。それぞれがテーマになった作品である。登場しているのはリアルその時代ではなく、それから遙か未来に生きる人物だったりするのだが、そういった下敷きになる昭和文化の共通理解があって初めて感慨深く味わえる作品群なのだ。
 また、その文化を表層ではなく、恐らく心の底でツッコミながらも言葉にほとんどすることがない事象を取り上げていることもまたポイント。あの○○は当然、対自衛隊だけでなく普通の人々にも甚大な被害を与えるはずだとか、あの○型ロボットがあの少年のもとに訪れる必然だとか。また、予備知識がない者がその存在を眺めるとどう思うか、等々。こういったところに「あ、巧い」と思わせる技巧がさりげなく込められている。

 昭和風景を未来と重ね合わせて独特のノスタルジーを喚起させることに長けた北野作品群。なかでも本書のようにピンポイントでそのテーマを扱われている作品を読むと、その裏側に北野勇作氏が少年だった頃の様々な思索(?)が背景にあるのだろうなあ、と想像するのである。たぶん、ちょっと発想が変わった少年だったのではないか、とか。ただ、これら昭和文化への愛情が本物でないとこういった作品は生まれない。