MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/03/20
森 博嗣「クレィドゥ・ザ・スカイ」(中央公論新社'07)

 押井守によって映画化される「スカイ・クロラ」シリーズ全五冊の最終巻。このシリーズについては装幀が五冊それぞれ美しい空の写真が使われており、透明感溢れる雰囲気が作品内容と重なって非常に良い印象を持っている。個人的にもこのシリーズは森博嗣氏の趣味と世界観が合致して独特の雰囲気が醸し出されている点、高く評価している。

 病院で気付いた”僕”。なぜここにいるのかよく分からない。ほとんど着のみ着のまま病院を勝手に抜け出し、行く当てもなかった僕はかつて馴染みだった娼館にいるフーコに迎えにきてもらう。フーコに匿われるかたちで一夜を過ごした僕は、病院から勝手に逃げ出したことで自らが心の底から望んでいる”空を飛ぶ”ことからも遠ざかっていくことに漠然とした焦燥を感じている。一方、自らの周囲にある世の中のしがらみから逃げ出したがっているフーコ。会社のパイロットである僕を匿うことで娼館から睨まれることを覚悟して僕を旅に誘う。車に乗って知らない街へとゆこうとする僕たちだったが、僕は入院してすぐに現れた相良の電話番号を回す。キルドレたちの生みの親ともいえる相良は、自身も組織からマークされる状況下にあったが僕を匿うことを了承、僕は時々襲われる幻覚に悩みながらもフーコと別れ、相良のもとへと向かう。しかし、僕が向かったことで相良とそのサポートをする面々が窮地に……。

むしろ深まるシリーズの謎。一方できれいに浮かびあがるシリーズ通じての共通感覚――。
 どちらかというと各巻たうたうように読んでいたので細かな設定を捕らえ切れていない。その意味では本書における他の巻との”繋がり”が微妙に思えるが(どうやらこの作品、最終巻ではあるものの、本作自体が時系列で最後ということではないようだ)、それもまたこのシリーズの特徴である。時系列を曖昧にして、登場人物を全て”僕”の一人称にすることで、個体とは別に精神的な繋がりを一連の物語のなかに溶け込ませているようにみえる。ちなみに主人公格の人物は、その人物が誰であろうと”僕”を使用するキルドレ(Children)の一人称。身体は少年・少女の状態のまま成長を止め、基本的には子孫を残すことが出来ないという彼らは、(少なくともシリーズに登場する限りのキルドレは)、飛行機と共に空にあり、空で極限の戦いをすることが人生の目的である点が共通している。
 面白いのは、それぞれが栗田だったり函南だったり草薙だったりと、一人称の視点を持つ主人公の名前は各巻異なっている(本書に関しては明示されない)のだが、その精神構造・思考回路は似通っているという点を超えて全く同じ。この点は本シリーズを読み解く鍵になるのではないかと思う。
 また本作もそうなのだが、本シリーズにおける短文で改行しまくって描写される飛行機による戦闘シーンが秀逸。主観と客観が入り交じり、飛行機を我が身体の一部のように操作し、対象と命を賭けたダンスを行う。地上においては緩慢にすらみえた彼らの動きが、思考がピンと張り詰め、そして集中している様子がうかがえる。音はあるのに音のないような静謐さを湛えた戦いとでもいえば良いのだろうか。端的に、このシリーズの印象はこういった戦闘シーンに集約されているようにも感じられる。

 自らにとって至高の価値のある”何か”、これに特化して生きてゆきたいのに、その何かを得るために煩わしい世間とも向き合う必要があって……といった感覚は、どこか森博嗣の他作品の登場人物にも共通しているように思う。本書はそういった感覚をさらに集約させたシリーズだともいえるのではないか。いずれにせよ、感覚的に読む方が吉で、あまり細かな分析が似合う作品ではないだろう。


08/03/19
田代裕彦「キリサキ」(富士見ミステリー文庫'05)

 田代裕彦氏は、2004年に『平井骸惚此中ニ有リ』で第3回富士見ヤングミステリー大賞を受賞しデビュー。ラノベながらミステリ系統の作風を誇り、同シリーズ他作品を刊行している。2007年には『赤石沢教室の実験』を初の一般向け作品として発表、MYSCON9昼の部にゲストとしておいで頂いた。以前に読んだ『赤石沢』に続き、本家ラノベ領域の作品を読んでみた。

 俺は死んでいた。死んだことを自覚していた訳ではないが、気付くと三途の川のようなところにいた。そこに居た人物は、若くして不慮の事件のなかで亡くなった姉の顔を持っていた。『案内人』だという。ナヴィと名付けた彼女は「やり残したことがある」という俺を生き返らせてくれるのだという。しかし、俺の意識が覚醒した場所、それはもともとの俺の身体ではなかった。俺の死と同じ頃に自殺を敢行した女子高校生・霧崎いづみの身体。これが新たなる俺の生きる場所となった。両親を喪っているいづみは、姉と二人で親戚宅に身を寄せており、その環境を利用して俺は周囲にばれないよういづみとして当面は生活を行うことにしていた。しかしそんなところへ『キリサキ』が現れ、いづみのクラスメイトを殺害する事件が発生してしまう。そのニュースを知った俺は愕然とする。そもそも『キリサキ』というのは俺のことのはずなのだから――。いづみ=俺はキリサキのことを知ろうとするが……。

び、びっくりしたなあ、もう。ミステリ的ロジックをベースに築かれる特殊ファンタジー
 幾つか本作品特有のルールがあるものの、基本的には人格の入れ替わりをベースにした作品。これが普通の男子と普通の女子の入れ替わりであれば、どこかで見たようなSF作品になるのだが、ところがどっこい一筋縄ではいかない設定になっている。基本的に一人称で語られるそれ、最初のショックは巷を騒がす連続殺人鬼『キリサキ』が、実はこの主人公であること。更には、その殺人鬼でもある主人公にも覚えのない時期に『キリサキ』の犯行とみられる事件が発生してしまう。
 序盤の展開はテンポが良く、すいすいと物語に引き込まれる。主人公による偽『キリサキ』探しは、結局は自分自身の身体を使っている「誰か」が殺人事件だと当たりをつけてゆくのだが……。
 霧崎いづみという仮の身体に未練を持たない主人公。そして内面”俺”は外見”俺”との対決の時を迎え、この世界の秘密が解き明かされるのだ。一部は開示されているものの、ここで世界のルールが明かされながら、例えば主人公の姿をした誰かが、誰なのかといったところが判明する。新たに明かされるルールにより、誰がいったい誰なのかという複雑な背景について、非常にロジカルに人格が割り振られていく。ただ、するっと読んだだけでは意味が分かりにくいところも多く、読み終わってから頭の中を整理してようやく納得。ミステリの手法(というかロジック)を援用して世界を再構築している印象が強く、微妙に謎解きのカタルシスとは異なっているようにも感じた。
 一方、ミステリ的に思わぬところにミスリーディングが張ってあり、注意深く読んだつもりでいてすっかり気付かず驚かされた。 別の視点人物(刑事たち)を登場させている意味がきっちりと存在するのだ。伏線の張り方といい、こちらはきっちりミステリしている。

 振り返ってみても後半、結果的に忙しすぎ、一読しただけで意味が分かりにくいところはエンターテインメントとしては弱点のようにも思う。とはいえ、これだけ様々なロジックがちりばめられ、そして最後に何度も世界を反転、反転させていくテクニックは買える。 個人的な評価のなかではSFミステリというよりも、ミステリ的手法を使った並行世界ファンタジー分類だが、様々な方が述べている通り、コアのミステリファンであっても面白く読めるライトノベルだという点には同意したい。


08/03/18
竜騎士07「ひぐらしのく頃に 第四話〜暇潰し編〜」(講談社BOX'08)

2002年のコミケで発売された同人サークル07th Expansion製作の同人ゲーム『ひぐらしのなく頃に』。その作品を原作として、ドラマCD、マンガ、、アニメ、PS2(ゲーム)とメディアミックスが進み、その最終形態(?)といえるのが、作者自身の手によるこの小説化。「出題編」ばかりが七ヶ月連続刊行される、その最後の一冊。本書のみ単体での刊行である。

 昭和五十三年の夏。時の建設大臣の孫が通学途上で行方不明となり、その誘拐の証拠が大臣の机の中から発見された。誘拐犯からの脅迫電話を大臣は受けるが、その大臣自身も知らないうちから警視庁の公安部はその事実をつかみ、極秘裏に、そして大々的に調査を開始する。大臣自身、様々な方面から恨みを買う可能性があったが、そのなかの”薄い”可能性があるという候補のなかに建設中の雛見沢ダムの建設反対運動が挙げられ、新米にして新婚、近々子どもが生まれるために妻が入院中という警部・赤坂衛(あかさか・まもる)は、泣く泣く首都から遠く離れた雛見沢村へと送り込まれた。雛見沢村に近い鹿骨市興宮警察の公安で、ダム建設反対運動を行っている鬼ヶ淵死守同盟がかなり暴力的集団であることを匂わし、その近辺の有力者が陰に日向に運動を支援していることを知る。彼らなら大臣の孫誘拐も有り得る――直感する赤坂はさらに突っ込んだ捜査を行うため、地元警察の名物男・大石警部を通じて村の内情を探ろうとする。一人で観光客を装って村に潜入した赤坂は、そこで一人の少女と出会う。村人、特にお年寄りから崇拝を受けているようにみえる彼女の名前は古手梨花。反対運動の活動拠点でもある古手神社の一人娘だった。彼女は赤坂を気に入って、村内の様々なところを案内するが、その途中で突如豹変、赤坂に東京に帰るよう警告を発する――。

異邦人として遇される男が味わう、得体の知れない恐怖。そして雛見沢村の呪いはどこまで――
 本書ではいわゆる時系列が同じ、しかし平行世界――といったこれまでに刊行された出題編三作とは展開がかなり異なる。その意味、そして実際の時系列においても番外編を務める作品にあたるが、これまでの三作において、漠然と触れられていた過去に発生した雛見沢村事件の前提となる、様々なエピソードが挿入されており、番外編とはいえどシリーズ全体のなかでも重要な役回りをもった作品だといえるだろう。
 基本的にはサスペンスになるか。 大臣の孫が誘拐される事件もインパクトがあるが、本書の場合、その実行犯がどうやら首都から遙かに遠い、雛見沢村から出ているというあたり、更に強い印象が残る。つまりは、雛見沢の人々は目的を得るためには手段を選ばない。こういったところから、ホラーというよりも本書の場合はサスペンスに分類されるように思うのだ。
 また、村人(個人及び集団)が発する”不気味さ”はこれまでの作品以上。とにかく公安刑事である赤坂衛が村の内部に侵入してきても、あくまで静かに日常を貫いているようにみえる点、却って不気味だし、そのことに気付いているのかいないのか分からない赤坂の平和ボケぶりがまた、雛見沢との対比となっている。また、実際の実行犯はとにかく”村の意志”という得体のしれない何かが村全体を覆っているようにもみえる。古手梨花の変貌といったところも怖さをかき立てるポイントでもある。また怖さという意味では先の本編に比べて更に「村は何でも知っている」というかのような全能感が雛見沢にあるところが際立っている。(赤坂に警告が出る場面だとか、全てお見通しといった雰囲気が実に怖い)。
 また、全体として登場人物も村そのものも(ある種の)狂気が感じられた他の問題編に比べると、本書の物語展開はまだ読みやすい方だといえる。赤坂が巻き込まれる一連の事件にしてもそうで、中盤まで読めばその先の展開はある程度見えてきてしまう。ただ――見えたその先が、実に厭な感覚に満ちていることには違いはない。

 この作品だけ読んでもあまり意味はなさないが、シリーズの他の作品群における問題編を読んだ後で本作を読む分には、過去の事件や人間関係についてが情報量としてかなりの意味合いがあるように思われる。


08/03/17
高田崇史「毒草師 白蛇の洗礼」(朝日新聞出版'08)

 題名における「白蛇」は「はくじゃ」と読む。昨年刊行された『毒草師』に続くシリーズ二作品目で、前作は幻冬舎であったが、別の出版社から刊行されている。(ノベルズ版が講談社に移ったことを考えると出版社が三つ関わっている)。書き下ろし。

 前作の事件の結果、心にも身体にもひどい傷を負った医学雑誌『ファーマ・メディカ』の編集部に勤務する西田真規。彼は、再び”退かずの遠藤”こと編集長から、世田谷で発生した謎の死亡事件にまつわる調査を命ぜられる。事件は、茶道・裏千家の教授・大澤の家の茶室で発生。濃茶の回しのみをしていた客のうち、その大澤家の次男が茶席の途中で苦しみだし、そのまま死亡したというものだった。その死亡は毒によって引き起こされており、容疑者は準備をした人物か、茶席に同席していた人間に絞られた。事件発生後、西田はその重要容疑者の一人である神崎百合が務めるカルチャーセンターの茶道教室に入門、事件の手掛かりを探す前から神崎百合に惚れてしまう。彼女が疑いを掛けられていることを知り、仮説をもとに奔走するが、彼女の周囲では続けて事件が発生、前の事件の関係者が次々と謎の死を遂げてしまう。西田は、自分の命の恩人でもある隣人・御名形史紋に謎解きを仰ごうとするのだが……。

本格ミステリのなかに敢えてタブーを大胆に持ち込み、突き抜けた物語へと仕上げる大胆さ
 前作の『毒草師』にもいえることなのだが、このシリーズ、通常の本格ミステリにおけるタブーを意図的にか意図せずにか突き抜けて、その枠組みからはみ出しているところに独特の味がある。例えば前作であれば、密室だと思ったら(ネタバレ部反転)抜け穴がありましたというところや、怪奇現象の原因は実は、特定の毒物を摂取したためです、といったところ。これらは本来本格を指向するミステリであればまず禁じ手であるはず。本シリーズではそういったタブーを、タブーと一目見ただけでは分かりにくいかたちでさらりと取り込んでしまっているのだ。
 本作では、茶道の一流派に関係する人々が謎の死を遂げてゆく。毒殺なのだが、その毒物がよく分からないうえ、投与された経路が不明……。物語の流れ以上に関係者がばたばた死んでしまうこともあってじっくりと謎解きをしてゆくというよりも、息をもつかせぬサスペンスといった印象が強い。真相については当然ここで明かすわけにはいかないが、これもまた普通のミステリでこういった方法で解決されたら反則だろうなあ――と思わないでもない。ただ、この作品は通常の意味でのミステリの範疇を超えてしまっている。 作者・高田氏による実に詳細なる毒物学に加え、ギリシャ神話から古典文学に至るまでの様々な蘊蓄が事前に並べらており、それぞれが丁寧に解説される結果、いつの間にかこういった「アイデア」が”あり得る世界”に物語の舞台が変貌しているのだ。その結果、客観的にみるとかなり無茶をしているようにもみえる「アイデア」が、しっくりと物語中に溶け込み、違和感なく読み終わることができるようになっている。本格として評価できるかどうかは別にしても、得られる味わいは非常に近しいように感じた。結果的に人が次々に殺害されていく凶器となる「何か」がかなり強烈であるのだけれど、それもまた前半部に伏線が張られている点なども驚きだ。
 前作に引き続き、毒草師・御名形史紋の性格も極端になっている一方、「QEDシリーズ」ではなかなか捉え処がなかったその性格が、捉え処の無さが増大した結果、奇妙なまでに物語にマッチしているようにみえる。(結局のところ、桑原嵩と性格的に被っていたということかもしれないが)。また、あくまで医学雑誌の編集でしかない主人公(?)西田と、事件との関わり方についてだけは前作同様、今回もちょっと強引に過ぎるように思えるところが目に付くか。ただシリーズが続けばパターンとしてすり込まれることになるのかもしれない。

  西田真規の哀しい恋愛が今回も伴奏となって物語を彩る。三作目でも同じような目に合わされるのだろうなあ……などと思うと、ちょっと彼が可哀想ではあるけれど。次作以降も楽しみなシリーズとなってきている。


08/03/16
高原伸安「予告された殺人の記録」(講談社ノベルス'91)

 未だに(最近ではMYSCON9でも)問題作・話題作として取り上げられることの多い作品。高原伸安氏は、著作が本書のみという状態が長く続いたが、2003年に文芸社より『乱歩先生の素敵な冒険』という作品を刊行している。

 物語の主人公にして心理学者の平田一郎はロサンゼルス在住の日本人。訪れたニューヨーク近代美術館で若い日本人女性と巡り会って、一目見た瞬間から恋に落ちた。間宮由実と名乗る彼女は二十三歳の花嫁修行中(つまりは無職)の女性で、ロサンゼルスにいる友人を訪ねて米国に入り、現在はNYに遊びにきているのだという。意気投合した二人は一緒にロスへと戻ってくるが、空港で友人の私立探偵・オコーネルと出会う。彼は一郎に話があるというのだが、それを話す前に寄ったスーパーマーケットを襲った強盗によって射殺されてしまう。更にオコーネルの同僚・ボウイが毒物によって死亡し俄かに一郎の周囲はきな臭くなる。一郎が居候するオッペンハイマー教授の隣人・チャップマンはコンピューター業界で斬新な発明をする富豪だったが、彼の妻をはじめ複雑な人間関係が絡み合う。そのチャップマンと秘書のピーターが、パーティの最中に死体となって発見された。密室内で死亡していたチャップマンが、彼を強請っていたピーターを殺害して自殺したようにもみえたが、一郎はこれが殺人であるのではないかと疑い始めた――。

ベースとなるアイデアは大胆。だが意気込みが強すぎて小説とのバランスが……という怪作
 米国を舞台に軽ハードボイルド風に物語が展開する。心理学の若き研究者が主人公で彼が陥った運命の恋、更には自分にメッセージを残そうとした友人の死、隣人が巻き込まれた殺人事件、ダイイングメッセージはカトレアの花。――とコジャレた設定を用意しているのだが、どうにも登場人物の描写が軽すぎ台詞も甘っ怠く、下手な芝居を見せられているような印象が拭えない。密室殺人事件が本格ミステリ風に処理されている点については(少々使用されているトリックに時代錯誤感があるにしても)評価できるのだが、むしろ本作が問題作視されるのはその点ではない。
 推理の結果示されるとんでもない犯人像、そしてあとがきにある「一人八役、二人十六役」という作品そのものの狙いにある。 志(こころざし)については、めちゃくちゃに高く、そして「そういった作品を生み出したい」という意欲については買う。だが、いかんせん小説技術がその高い志についていっていないところがあまりに痛痛しい。通常の意味での謎解き――(これは本格ミステリとしてのオーソドックスなそれ)までは、普通のミステリであったのに、とってつけたかのような終盤の段落による「志の実現」によって、それがぼろぼろになっていくようにみえるのだ。「無理すれば、そう解釈できないこともないかもしれません。ただ、その答えには全く納得がいきません」では、その奇抜なアイデアがアイデアのみでしかなくなり、小説全体がばたーんと倒れてしまっているように見えてしまう。

 良くも悪くも話題になりやすい作品ではあるけれども、そもそもエンターテインメントとして失敗してしまっているのはどうしても否定できない。荒削りだが素晴らしい発想を持つ作家のデビュー作品。ただ、本来の高原氏の実力がどれくらいなのかは、その後の作品がかなり途切れてしまったこともあって検証しきれない点は残念である。


08/03/15
高田崇史「毒草師」(幻冬舎'07)

 『QEDシリーズ』が幅広い世代に高い人気を誇っている高田崇史氏。メフィスト賞出身ということもあってか、これまでの著作の全てが講談社から刊行されていたが、初めての他社刊行作品となるのが本作。但し、探偵役は「QEDシリーズ」の近作にも登場する御名形史紋が担っている。また題名の「毒草師」なる言葉も彼を指す。つい最近、普通に講談社ノベルス入りした。

 医学関係の出版社が発行する雑誌『ファーマ・メディカ』の編集部に勤務する西田真規は独身のひとり暮らし。親戚の所有する久品仏にあるマンションを格安で借りて生活している。『ファーマ・メディカ』が親しくしている一ノ関医師の紹介で現在隣人になっているのが、奇妙なファッションセンスと奇矯な言動が目立つ御名形史紋である。西田は、編集長からの命令で墨田区の名家・鬼田山家にて発生した密室連続失踪事件について調べていた。当主の浮気や離婚の結果、複雑な過程背景を作り出す鬼田山家の主治医が一ノ関先生だったことが縁である。その鬼田山家では、広大な敷地内に作られた離れから、もう何年かにわたって中に籠もった家族が失踪してしまう事件が発生していた。また失踪直前には、”一つ目”のおばけがしばしば目撃されている。今回は、鬼田山家当主の後妻にあたる久乃がその離れから消え失せていた。新聞にも報道されている事件ということもあって通勤電車のなかなどで御名形と事件について語り合う西田。御名形は、事件に対して仮説を持っているようだがなかなか口を開かない。当主は既に無くなっている鬼田山家では、続いて長男が何者かに毒殺されてしまう。その死には毒物が関係しているようなのだが、警察の必死の捜査においてもその毒物が何なのかが不明だった――。

「一般に知られていない毒」という禁じ手を物語のなかで敢えて試みる冒険。そして探偵役に強い個性
 ミステリには様々なタイプがあるが、こと好まれるのは「現実的にあり得ない」というような奇妙な事件。それらが論理的に解き明かされていく過程に魅力があるのが、近年の本格ミステリの基本的趨勢だといえるだろう。
 本書でも、人々が目にする一つめの化け物や呪い、さらには密室からの消失事件と謎の毒物による殺人事件にダイイングメッセージと、物語上で発現する事件については「現実的にはあり得ない」奇妙な事件群。 ついでにいえば、捜査活動にあたる部分、関係者がいろいろと謎についてディスカスする部分などあって、最後になって探偵役を務める御名形史紋がその事件の謎を解き明かす――という展開だけをとってみれば、一般的な「本格ミステリ」の枠組みにあるようにみえる。
 だが、そこは高田崇史さん。普通の本格ミステリと本書は一線を画している。なんというか本格マニアが、ミステリについて徹底的に考察した結果、まだ誰も行ったことのない抜け穴を見つけた――というものではなく、むしろ高田氏がその該博な毒薬に関する知識をベースに、敢えて禁じ手に突っ込んでいったような印象なのだ。一つの核となるのは伊勢物語。その伊勢物語に関する高田流の解釈が謎解きとなっていて、伊勢物語成立の真実に迫る過程(多少あっさりとしている印象もあるが)がまずスリリング。その伊勢物語をはじめとする宮中文学の世界観がミステリと二重写しになっているあたりは絶妙のセンスだといえるだろう。(但し、その根本的な考え方はQEDシリーズにて何度も披瀝されている史観と重なっているところもある)。
 もう一つは、毒。 むしろこちらの方がクセ者だ。一般人にとってはいくら症状がその毒物に対して的確に描写されていてもそれはヒントと成り得ない。古今東西の毒物がどういった性質を持ち、どういった苦しみを齎すものなのかは、予備知識として備えている人はやはり少数派であろう。そんななか、ある意味大胆な毒が本書では用いられる。特殊といって良いだろう。ミステリとしては禁じ手といって良いのだが、知られざるまま実存するその毒にスポットを当てることにより、物語が、歴史がまた異なる見え方になってくるところも事実。 この冒険の結果、普通の意味でのミステリとは微妙に外れながらも、物語としての魅力が高まっているようにみえるのだ。

 また、探偵役・御名形史紋の独特の個性も発揮されている。傲岸不遜というか、我が道を行くというか。しかしこの物語にとっては彼のような探偵役でなければ勤まらない何かがある。とりあえずQEDシリーズ読者にとってはこの世界観とこの謎解き、そして展開に違和感はないのではないだろうか。


08/03/14
北野勇作「北野勇作どうぶつ図鑑その6 いもり」(ハヤカワ文庫JA'03)

 『SFが読みたい!』2004年度版で第12位(微妙)を獲得した、全六冊のシリーズの最後の一冊。SF界のどうぶつ博士(?)こと北野勇作さんによる文庫オリジナル短編集。五冊目と六冊目はカバーの裏側に絵が描かれており、西島大介さんの絵が何か幸せな気持ちにしてくれるというおまけがある。(いやそもそもは、付属の折り紙の置き場らしい)。『SFマガジン』2000年6月号発表の『曖昧な旅』、2002年4月号発表の『イモリの歯車』にカメリ短編が書き下ろしで加わって掉尾を飾る。

 その小さな駅で来るはずの列車を待っていると夜になってしまった。言葉が通じないなか僕は安宿を探し、その土地土地にある何かに惹かれては見学をする。或いはぼんやりと時間を過ごす。そして新たな街へと出掛け、街角を散策する。そんな僕は、旅先で様々な経験をする……。北野流旅行記。 『曖昧な旅』
 干上がりかけた水たまりにいたイモリを助けた僕。何かお礼をというイモリに対して僕は、結婚した後、二年前に亡くなった妻の代わりを要求、三日という期限付きで家に戻ってきたのは妻だった。どこからみてもそれは妻で、僕は妻を連れて旅に出る。しかしイモリもまた追いかけてくる……。 『イモリの歯車』
 夢のハワイ旅行があたる商店街のくじ引き――。喫茶店の常連のお客さんから沢山の抽選補助券を貰ったカメリは、福引きに挑戦する。しかも出てきたのは主催者が予想もしていなかったハワイ旅行を引き当てる。そもそも当たりくじなどない筈なのにカメリは、同僚のアンの手助けもあって「ハワイ旅行」へと出掛けることになる。 『【カメリ 第三話】カメリ、ハワイ旅行を当てる。』 以上三編。恒例の折り紙と前述のジオラマがおまけに付く。

そして、北野作品の登場人物は読者と共に、知らなくとも懐かしい何処かへと旅に出てゆく。
 この「どうぶつ図鑑」シリーズの六冊目にして最終巻。ここで取り上げられている三作品は、その強調される部分がどうあれ、”旅”がテーマになっている。作者の北野氏自身、時々海外(欧州とか)にふらりと出掛けているようでもあり、そのご自身の経験がベースになっているのだろうか。ただ、本書に取り上げる作品はいわゆる旅行記(架空旅行記)とも少し異なる。むしろ、その光景・風景が断片的であり、旅という線が物語となる冒険譚のようなタイプではなく、むしろ動く絵はがきというか、旅行のなかでのほんのちょっとしたエピソードを繋げて物語化しているようにみえるのだ。
 また場面場面が旅のクライマックスとは限らないのもポイントかもしれない。あくまで断片的に、旅のなかでのちょっとしたエピソードが中心なのだ。実際に海外旅行に出た際に、その旅行中の出来事を思い出す感覚に近い。結果的にはむしろ物語というよりも、旅人エッセイ、もしくは旅ドキュメントのような味わいがある。 もちろん、それでいて作品中にはファンタジーめいた空想があり、設定そのものにSF(的な何か)が加わっていて、普通の人間にとっての旅行記などではなく、しっかりと物語として成立しているのではあるが。
 このどうぶつ図鑑シリーズを通じていえることでもあるが、北野勇作という作家は四次元感覚を持っている。空間にしろ時間にしろ、もっともインパクトがある部分のみを、すっと抜き出してしまうのだ。空間や時間といった制限が全くなく、一方でそのエピソードは結構保守的な内容だったりもする。その結果、編み出されているのが、読者にその体験や経験自体を知らなくとも強烈な懐かしさを喚起する北野ファンタジー、ないし北野SFということなのだ。詩的にしてどこか懐かしい。北野文学全体を通じての味わいが、全六冊というボリュームを得て遺憾なく発揮されている。

 六冊全てが別々のコンセプトで形成されていながら、全てに北野勇作らしさが発揮され。どこかとぼけているようで、どこか懐かしい感覚に満ちている。そして何よりも優しくて、哀しい。極端なことをいえば、人がどこから来て、どこへゆくのかという命題をとぎれとぎれのエピソードを掻き集めることで模索しているかのようなシリーズだった。満足。


08/03/13
多島斗志之「《移情閣》ゲーム」(講談社ノベルス'07)

 講談社ノベルス25周年記念イベントのなかの一つが、本作を復刻させた。同ノベルスの看板ともいえる作家・有栖川有栖・綾辻行人の二人がセレクトする復刊セレクション十二冊のうちの一冊が本書だ。もともとは'85年に刊行された、作家・多島斗志之の初長篇作品であり、翌年に『龍の議定書』と改題されて文庫化されているが、もう二十年以上も入手が叶わなかった幻の作品である。

 日本の最大手広告代理店『宣通』を訪れた一人の中国人。劉偉南と名乗るその人物は台湾出身でシンガポール国籍の華僑なのだという。彼が所属する在外華僑団体で持ち上がった企画、それが冷戦状態にある中国と台湾とを一気に融和させるある方策であった。中国、台湾のいずれでも人気が高い革命家・孫文。中国では孫中山と呼ばれるその人物は、かつて日本に滞在していた。神戸にあり、現在は舞子浜に移設されていた移情閣を、孫文記念館とする計画が在日華僑のあいだであり、その全世界の華僑が集まる開館記念式典の会場に、中国からケ小平を、台湾から蒋経国を呼び、劇的な和解の握手をさせようというものだった。実は二人の大物政治家自身は和解することに異議はなく、そういった雰囲気をお膳立てすれば、この計画は実現不可能なものではないのだという――。『宣通』の腕利き広告マン・塔原はその計画を任され、マスコミを巻き込んで様々なキャンペーンを日中台の三カ国に打ち出し始める。しかし、その過程で革命家・孫文の隠れた歴史や、様々な妨害などが浮かび上がってくる。塔原自身も一人娘が巻き込まれ――。

歴史が絡んだ重厚な設定と周到な構成。物語の妙味と深い余韻。よく出来た物語特有の深い後味が素晴らしい
 エンターテインメント小説としての発表時の位置づけだけを考えると、やはり八十年代に一世を風靡した国際謀略スリラーの系譜に連なる作品ということになるのだろう。やはりスパイとか謀略といったテーマは欧米が主流であるのだろうけれども、この時期の国産作品においても素晴らしい作品が多数生まれている。本書もその”素晴らしい作品”にもちろん含まれる。(この後も幾つか、国際謀略テーマで多島斗志之は作品発表しており、それぞれ奇想が凝らされて素晴らしい出来なのだが、それは別の話)。
さて、本書は冷戦状態下、米ソが緊張状態にあった時期、それとは別に、中国・台湾両国間の緊張状態がベースになったストーリーである。今なお決して仲が良いとはいえない両国、本作の発表された八十年代は一触即発の状況にあった。まず、多島斗志之の凄さは、この中国・台湾の国際謀略戦が行われる場所を日本とする必然、さらには多数の日本人が巻き込まれる必然を作品内にきっちりと成立させているところにある。そもそもこの謀略の仕掛け人として、広告代理店という民間人を突っ込むアイデアは独創的にして秀逸だといえるだろう。
 そしてまた、主人公の塔原、その助手役ともいえる紺野、塔原の御目付役として派遣されている潘恵子、塔原の跳ねっ返り娘であるゆかり、自称もと教授にして孫文の日本の研究家であり、現在は日雇い労働者として働く笠井……。登場人物一人一人の造形がまた深い。 彼らには彼らの表の顔や裏の顔があり、主義主張があり、そういったところを含めて関係者が過不足なく配置されているところも周到である。
 そして、キャンペーンを通じて浮かび上がる、孫文その人に関するある疑惑。実際のところがどうだったのかはこのあたりの歴史に疎いのでよく分からない部分(小説に気持ちよく丸め込まれている部分)がある。とはいえロンドンでの誘拐・脱出といった文献から歴史の裏側事情を汲み出す展開が、エピソードの一つながらもスリリングなのだ。
 最後の最後に虚々実々の駆け引きの裏側が明かされ、さらにはラスト、たった二行による結論もまたシンプルながら余韻が深い。長編一冊目にして物語のツボを知り抜いた作者(それは後の作品でも証明されている)ならではのセンスと深みがしっかりと味わえるのだ。

 この新しい講談社ノベルス版の巻末には佳多山大地氏による解説があるのだが、佳多山氏が挙げた仮説もまた、本書の内容に相応しい。舞子浜はしょっちゅう通るので、いずれ移情閣を眺めるために途中下車してみたいとわたしも思う。冒険小説に抵抗がある人でもするする読め、発表年代から二十年以上経過しても今なお面白い。やはり復刻されたのも伊達ではない。(個人的には十年ぶりの再読なのだけれど……、初読時と同じような興奮があった)。


08/03/12
海堂 尊「医学のたまご」(理論社ミステリーYA!'08)

2005年に刊行された、第4回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作品『チーム・バチスタの栄光』から連なる、桜宮という架空の街・東城大学という架空の大学を舞台にした一連の作品を矢継ぎ早に打ち出し、大好評を博している海堂氏。本書は「ミステリーYA!」収録作品ながら、初出は『日経メディカル』2007年2月号から2008年1月号にかけて連載されていたという異色作品。

 桜宮中学一年生・曾根崎薫。ゲーム理論の第一人者であり、マサチューセッツ大学に所属し、一年のほとんどを米国で過ごす父親はほとんど家におらず、母親代わりのシッター・山崎さんと事実上の二人暮らし。本当は双子の片割れ・忍がいるのだが、母親と一緒に僕たちが生まれてすぐに出て行ってしまった。そんな薫がいきなり中学校の副校長から呼び出される。なんと、彼は日本中の中学生が受験する『潜在能力試験』で全国一位を獲得してしまったのだ。しかし、実はその問題を作ったのは薫の父親。薫はメールで父親と問題についてディスカスしていたため、答えを知っていたという絡繰り。しかし、そんなことは周囲には分からず、薫は、いきなり東城大学医学部に飛び級のスカウトをされてしまう。総合解剖学教室教授・藤田が直々に薫を迎えにやって来たため、薫はスーパー中学生として医学部と中学校の二足のわらじを履く生活を開始することになる。いきなりの英語論文や参考書の山を、中学の同級生で医学オタクの三田村や、幼馴染みの美智子らの力を借りて乗り切った薫だったが、更に偶然に立ち会った実験で世界中が注目するような大発見をしてしまったのだ――。

医学を真面目に考え、世の中の汚い側面を見せながら、そしてきっちりエンターテインメントになっている
 横書き小説となっている点、ちょい読みにくい。(横書きの必然性があるかというと、そう英文が多数出ている訳でもなし。リーダビリティ(真の意味)を考えると縦書きでも良かったのではないかと思うのですが)。
 レーベルが「ミステリーYA!」ということもあり、中高生向けに若干平易な文章に改められているものの、これまでのバチスタ&桜宮市シリーズのノリはそのまま。更に物語の舞台となっているのはお馴染み桜宮市で東城大学医学部というあたり、これまでの作品との繋がりも深い。(ただし、設定はかなり未来の段階だ) 先に述べておくとこれまでのバチスタシリーズやサイドストーリーに登場してきた面々や係累がいろいろなかたちで登場しており、その点を探し出すのもファンならではの楽しみだといえるだろう。(いや、あの人やあの人が出世していたり、東城大学医学部に様々な出来事が起きていたりと、かなりこれは……、という内容もありますよ。本書の本筋とは無関係ですが)。
 物語の方はシンプルで、偶然に偶然が重なった結果、単なる普通の中学生が飛び級の飛び級で医学部にて研究活動をすることになるお話。術語に論文、専門用語が英語混じりで飛び交う現場で研究なんて所詮無理……なはずが、これまた偶然によって画期的な発見が見つかって。但し、もちろんいいことずくめでは終わらない。彼のことを最初から利用しようとする権勢欲が強く、狡猾な担当教授の思惑が見え隠れ。この教授の唯我独尊な振る舞いに否応なく振り回される曾根崎少年の姿や、そういった環境下で立ち回る周囲の人々の姿などは海堂・医学ミステリの独擅場ともいえる場面。さらには、知らず知らずのうちに窮地に追い込まれた主人公が、ゲーム理論学者の父親の力を借りて大逆転してゆく場面もまた、同じく海堂・医学ミステリのこれまでの作品のクライマックスと重なる興奮が味わえる。

 読んでいるうちに元もとがジュヴナイルレーベルであることを忘れてしまいそうになる作品。それでいて、藤田教授の扱いなど”大人”の小説のそれであり、その結果、医学に対する人々の真摯な気持ちや(恐らく作者自身の)思いまでもがきっちり込められている点、素晴らしい。これまでの海堂ミステリのファンであれば、間違いなく受け入れられる、いや必読の書だというべき長編だ。


08/03/11
藤ダリオ「出口なし」(角川書店'08)

藤ダリオ氏は「映画、テレビアニメ制作を経て、本作で作家デビュー」とあるだけで、詳しいプロフィールはよく分からない。帯背にあった『「CUBE」x「SAW」の衝撃!』というコピー、杉江松恋さんの推薦文で何となく衝動買い。

 一辺が十メートルくらいの真四角の部屋。壁は一面銀色の金属板。そして「Room NO.3」と大書されている。床は弱いクッションのクロス。天井からは八個のライト。まるで近未来SFに登場するような無機質な部屋、そして部屋の真ん中にはPCが一台。ドアはもちろん、一切の出口が見あたらない部屋。小野寺裕太はそんな部屋で目を覚ました。横にいるのは川瀬由紀。彼らは初デートの帰り道のタクシーから記憶がなかった。部屋にいたのは建設会社部長の中年男、そして男の部下で三十代後半の女性、さらに自殺志願の男の合計五人。彼らは完全に閉じ込められていた。しかも壁には電流が流れている。PCにアクセスしてみると謎の指令が。ふざけた文面ながら「あなたたちが無事にお家に帰るには、クイズの答えを探して、ゲームに勝つしかありません。」。PCに内蔵された検索サイトに、要求されたキーワードを打ち込めば正解、間違えればお仕置きが行われる。PCの掲示板を経由して、他に四つの部屋にて同じような”ゲーム”が開催されているらしい。制限時間は十二時間。タイムオーバーになると酸素の供給が止められてしまう……。命を賭けたゲームの果てに待つものとは?

人間を駒にした目的不明の”ゲーム”。究極の状態で人間心理の深奥が晒される。
 どのあたりが嚆矢になるのか、寡聞にして分からないのだが小説でも映画でもテレビドラマでも「何か大きな組織が企画する殺人含む非合法ゲームにクローズドサークル内で主人公たちが立ち向かう」 作品が近年多数出てきている。パソコンの脱出系フラッシュゲームなどもその類になろうか。つまりは、大した理由なく集められた人々が、作品内のゲームやルールのなかで知恵と決断力を試され、脱出を目指すという作品だ。この場合、どうしても登場人物は知恵を使い、主催者側や仮想敵(これまた偶然の巡り合わせで居合わせる競争相手)と直接的・間接的に戦っていく必要が生じる。この知恵の使い方はミステリと、そして脱出できない不安感はサスペンスと、姿の見えない大きな何かはホラーと(厳密には異なるが)親和性があるのだ。その結果、シチュエーション・サスペンスのような作品群が次から次へと生まれてくる。
 前置きが長くなったが本書もその系譜のど真ん中。拉致されてきて四角い箱状の部屋に監禁されている五人組が、他の部屋に同様に監禁されている五人組と知恵を競い合い、主催者のいうところの”正解”を探り当てる作品だ。ただ間違えた時の対価は苦痛で支払うという恐怖も待っており、志願して飛び込んだわけではない登場人物たちが抱く絶望感・恐怖感の演出は巧く描けているものと思う。一方、現実味を重視する読者であれば、理由のない監禁というあたり、序盤でアウトという作品になってしまうかもしれない。
 個人的な感想をいえば、正直中盤あたりまでは、主催者(作者)の奇妙な作為が鼻につくところがある。しかし一方で、手掛かりが揃ってくると、その明かされた手掛かりのなかに大逆転のヒントがあったり、禍転じて……といったところに意外性があった。特に、第二の勝負に関しては描写に割かれている分量は少ないながら、明々白々な事実が伏線となって機能しているなど構成の手堅さを感じさせる。
 一方で、登場人物誰にも感情移入できないという、この手の作品における宿命めいた問題点は本書にもある。どうしても人間を駒扱いせざるを得ず、かろうじて主人公一人がその狭間で揺れ動いている分、少しだけ人間らしく描かれている。また、最後まで「なぜ」「誰が」こういうゲームを行ったのかが分からないまま終わる(下手に理由を作っても確かに仕方ないのだが)あたりの余韻も不気味でGOOD。

 『SAW』『CUBE』といったゲーム系のサバイバルサスペンスがお好きな方であれば、取り敢えず読むだけの意味はあるかと思われる。文章的にひっかかりもなく、するすると読める。一方でこの文章の軽さが物語全体を軽く見せているという部分もありそうだ。(もちろん、こんな内容の作品をあまり重く描かれても、というところもあり、これはこれで良いのだと思う)。