MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/04/10
竜騎士07「ひぐらしのく頃に 第一話〜目明し編〜(上)」(講談社BOX'08)

 怒濤の七ヶ月連続刊行の最後を飾る『ひぐらしのなく頃に 第四話〜暇潰し編〜』終了後、数ヶ月の間を開けて再開されたのが、解決編となる『ひぐらしのなく頃に解』が開始された。また本書刊行の2008年5月、10日から『ひぐらしのなく頃に』の実写映画が公開されている。

 昭和五十七年の初夏。園崎魅音の双子の妹・園崎詩音は、園崎本家の意向により退屈な全寮制お嬢様学校に閉じ込められていた。様々な計画を凝らした結果、詩音はこの学校から脱走。世話役の葛西に連れられ、鹿骨市へと帰還を果たした。本家からは隠れて暮らす必要があったため、頭の柔らかい親戚と姉・魅音の協力を得て詩音はアルバイトをしながら日々を送ることになる。そんななか知り合ったのが北条悟史。トラブルに遭った詩音を、学校の同級生である魅音と間違えながらも不器用に助けてくれたのだ。表立って詩音を名乗れないため魅音の振りをしながら、少しずつ悟史と接近してゆく詩音。しかし北条悟史はかつて、ダム建設に賛成していた家の子どもであるという事情を抱えており、綿流しの祭りの夜に両親を喪って親戚宅に身を寄せていた。妹・沙都子はその親戚と折り合いが悪く、悟史はそんな沙都子を庇うのに疲れきってしまう。魅音と入れ替わりに学校に出た詩音は、悟史の最近の冷たい態度は沙都子が悪いと思い込むのだが……。

『綿流し編』の前日譚。「転校」した北条悟史を巡る周囲……。
 解決編……というつもりで読んでみると、またもや前日譚。『暇潰し編』が、かなり以前の雛見沢村を描いていたことに比べると事件の前年なので、本編のほんの少し前ということになる。問題編では「転校」してしまったということで、一年前の綿流しの日に発生した事件のなかでも、最も象徴的、かつ圭一以外の関係者に暗い影を落としている北条悟史が、園崎詩音の視点によって描かれる。一方で、北条悟史を描くということと同時に、本書では園崎一族についてであるとか、詩音・魅音の関係であるとかが補助的に描かれているので注意も必要だ。
 結論が既にはっきりしている通り、悟史は「失踪」してしまう。ある意味意外であったのは、悟史の犯罪(?)についても、その動機こそ描かれているものの、事件自体はあまり具体的ではないようにみえる点。むしろ、悟史失踪後の詩音が迎えるある儀式の場面の強烈な描写の方によりインパクトが感じられた(というか、この部分は様々な意味で、この上巻を象徴している)。『綿流し編』のラストのような身の毛のよだつような怖さとはまた異なる、具体的な痛みが想像できるような怖さ。また鷹野三四と詩音との出会いと協力体制、魅音と詩音との繋がりといった、以降の作品ではさらりと扱われている(ようにみえる)人間関係についても一部、本書のエピソードが伏線(説明)となっているようだ。
 ただ、いずれにしてもまだ明らかになっていない場面、情報が多々あるはずで、このままゆくと「目明し編」の下巻は、改めて昭和五十八年の雛見沢へと突入してしまう。恐らくは問題編で発生した事象を裏側の視点から眺めることになるのだと思うのだが……。それはそれでやはり怖く、そして知りたい。

 ここまで来ると色々なことを知りたいがゆえにゲームをプレイしても良いように思えてきた。……が、暫くは小説を刊行順に読むことに徹したい。


08/04/09
横溝正史「幽霊座」(角川文庫'73)

 黒背の角川文庫のなかで、金田一耕助が探偵役を務める三中編をまとめた作品集。『幽霊座』は「面白倶楽部」昭和27年11月号〜12月号に発表、『鴉』は「オール讀物」昭和26年7月号に、『トランプ台上の首』は昭和32年一月号に発表された作品である。『トランプ台上の首』は後に表題作として角川ホラー文庫に収録されてもいる。

 大正のはじめ、佐野川鶴右衛門という名門歌舞伎役者によって設立された《稲妻座》。今から十七年前、その《稲妻座》で若手の人気役者を揃えての公演があった。人気を二分していたのは佐野川鶴之助、そして水木京三郎の二人。しかしその千秋楽の日、鶴之助は『鯉つかみ』を演じている途中で衆人環視のなか失踪してしまったのだ。以来十七年、その噂と建物自体の老朽化で渾名通りの《幽霊座》となっている《稲妻座》で鶴之助の異母弟・紫虹と遺児である雷蔵が同じく『鯉つかみ』を公演することになった。十七年前も目の前で失踪を許した金田一耕助。再び『鯉つかみ』のなかで惨劇が……。 『幽霊座』
 あれから三年――衆人環視の蔵の中から美しい妻を残して謎の失踪した貞之助。スーツケースが無くなり、現金が引き出されていた。蓮池の家ではその三年が経つということで当時捜査を担当していた磯川警部を呼び寄せる。たまたま訪れていた金田一も同行したところ、やはり山では悲劇が――。 『鴉』
 隅田川の河岸ぎりぎりに建った聚楽荘というアパート。川縁から船で晩のおかずを売りに来るのが《飯田屋》の宇之助だった。独身者の多いそのアパートでは、多くの女性たちが宇之助の料理をあてにしていた。その宇之助は最大の得意先であるストリッパーのアケミの部屋に異変が起きていることに気付く。管理人と共に部屋に入った宇之助は、トランプ台の上に首を切断されたアケミの生首が乗っているのを目撃してしまう。 『トランプ台上の首』 以上三編。

この時代の世相と風俗、そして当時ならではの本格ミステリの在り方を思わせる――。
 まず『幽霊座』。これは横溝正史作品にありそうであまりない、梨園を舞台にした作品。古い舞台に据え付けられているという『鯉つかみ』のケレンを図入りで示している(本格っぽい)一方、十七年前に発生した事件が、その関係者によって同じようなかたちで再び蘇るという構図は因縁(黄表紙っぽい)めいている。梨園ならではの人間関係やライバル関係といったところも事件と深く関わっており、この設定を活かしているといえるだろう。(戸板康二作品等とはまた微妙に異なるアプローチだといえるか)。殺人事件のトリックそのものはどこかで……という気もするが、それでも真犯人の配置の仕方など横溝正史らしい佳作だといえるだろう。
 続いて『鴉』だが、衆人環視のなかでの人間消失がメイン……といいつつ、そのトリックは現代的な視点からみれば反則に近く、サプライズも少ない。むしろ事件全体を構成する人間関係が最後に次々と現れ、なぜ密室が作られたのか、なぜ書き置きが残されたのかといったところに得心がゆく展開の方に面白みがある。
 最後は『トランプ台上の首』。 これは昭和の風俗・世相を色濃く映した猟奇的かつ扇情的な一編でありながら、同時に謎解きミステリとしても優れているという希有な一品だ。河岸に面した窓からザルを下ろして夕餉のおかずを買い求める独身女性、逢い引きや密通、更には腹にくっついた蜘蛛……といった背徳と猟奇が前面に押し出された展開。 この側面もまた横溝正史だといえる。更に特筆したいのは顔のない死体ならぬ「顔だけの死体」。なぜ犯人は身許がすぐ分かる生首だけを現場に残したのか――という謎に論理的な解決を付けてゆく。(現代の視点からすると単純なトリックだが伏線の張り方が巧い) そのエログロな表現により好悪分かれるところもあろうが、興味深い作品だ。

 金田一ものの三中編、それぞれ微妙に趣向が異なっており、それでいてそれぞれが充実した内容を持っている。特に三中編のなかでも『幽霊座』は、梨園といった背景と事件内容ともに密接な関係を持っており、梨園ならではのキリッとした品位も感じさせてくれる。正史ファンであれば必読といって良い作品だろう。


08/04/08
宗形キメラ「ルームシェア 私立探偵・桐山真紀子」(講談社ノベルス'07)

 二階堂黎人氏はこれまでも愛川晶、黒田研二ら各氏と共同筆名で作品を発表してきたが、今回新進気鋭の評論家(但し、評論活動は別名義)の千澤のり子さんと組んで、三つ目のハウスネームとなったのがこの宗形キメラ。早くもシリーズ化の予定あるという。千澤のり子さんにとっては本作が小説デビュー作品ということになる。

 元婦人警官で同じく警官だった夫と不幸なかたちで離婚せざるを得なくなった桐山真紀子。体力は抜群にあるがそう美女でもないという彼女は、その後は私立探偵兼ボディガードといった職業に就いていた。ボディガードの仕事である政治家を襲う暴漢の楯になった彼女だったが、入院の結果、回復して日々を少々持て余し気味にしていた。彼女の姪・早麻里から連絡があり、彼女がルームシェアしていたまま荷物を置いて失踪した当摩雪江なる女性の行方を突き止めて欲しいという依頼があった。早麻里の部屋には、当摩の残した高級化粧品があり、さらには壁一面を覆うようなマジックによる罵詈雑言が残されていた。真紀子は、当摩がどうやらアルバイトしていたらしいソリトナ化粧品に探りをいれるが、少なくとも正社員としては働いていた記録がない。僅かな手掛かりと早麻里が思い出した新たな情報をもとに、当摩の元のルームシェア相手などにあたるうちに、少しずつだが手掛かりが集まってゆく。果たして彼女はなぜ半年でシェア相手の前から消えてしまうのか。そして彼女が抱える秘密とは……?

ハードボイルドの定番に女性作者ならではの感覚が混じる。良くも悪くも合作らしいミステリ
 いわゆる女性視点・女性主人公によるハードボイルドという物語構成が原型。どうしても女性一人称視点の場合、作者が男性だとどうしてもその考え方や生活に関して微妙な違和感がつきまとうケースが多いのだが、本書はそこを女性執筆者がうまくサポートしてクリアしている印象。女性ならではの化粧に関する考え方、そもそも本書でも重要なテーマとなる化粧品(特にCM提供しているような高級化粧品)の情報、生活習慣などが自然なかたちで物語に含まれている。また一方で、デブ専風俗や出会い系サイトといった情報も絡み、これは男性執筆者の発想だと感じられた。
 とはいっても物語はハードボイルドの基本、人捜し。 単に人から人へと話を聞いていくだけではなく、ここに細かなTipsを加えてあるのが現代風か。特に何者かにストーカーされているという女性の話など、現代の世相の隙間を突くエピソードとなっており印象に残る。さらにルームシェアを巡って様々な現代人の生活や考え方の断片を切り取ってくるあたりは鋭さがある。……だが、一人称である肝心の主人公がよく分からなかった。ハードボイルドであれば、主人公の生き様だとか信念が伝わってくるもの(だと個人的には信じてる)があるのではと期待した部分があったが、残念ながらあまりそういった自己主張は無く、むしろ第三者風の分析的な性格であったように思えた。
 あと敢えて述べておくと個人的に微妙かと思うところが二点。当摩雪江本人の謎の方は特に問題なく一定のサプライズに繋がっているものと思う(前例があることもあとがきにあるが、それはそれ)が、その背景にある化粧品会社やその組織というのが妙に安易な存在にみえること。(日本で許されない行為だということは当然だとしても、場所さえ外国であればそれは許されるのか? とか)、もう一つは犯人の狂気を演出している罵り言葉のボキャブラリ。演出過剰というのともちょっと異なるセンスは私には合わなかった。

 総じて細かな謎解きに魅力があり、かつ全体としてのテーマ選択、真相の内容も悪くない。一方で作品内部に様々なかたちでのギャップがあって、合作という制作形態がそのまま作品から透けてみえるところが良くも悪くも特徴となっている。 この続きがどのように展開していくのか、次回作にて確認してゆきたい。


08/04/07
太田忠司「奇談蒐集家」(東京創元社'08)

 本格ミステリの書き手でもあり、かつ幻想譚にもその高い手腕を発揮する太田忠司氏の長所が結実した連作ミステリ。『ミステリーズ』Vol.12よりVol.22まで隔月で発表され、最終話が書き下ろしで付け加えられている。

 【求む奇談!】新聞の片隅に掲載された広告。そこには自分の体験した奇妙な話を披露してくれれば、内容によって謝礼を支払うとある。その資格があると思う者は、半信半疑で「strawbelly hill」という名のバー、更にその奥に設えられた一室で【奇談蒐集家 恵美酒一】なる人物にその話を聞かせる――のだが、氷坂という秘書のような人物がその奇談を解釈してしまうこともある――。
 いつしか自分の影にひとつ多く影が紛れ込み、自分自身の本当の影とは違う動きをする、その影によってついに身体を刺されてしまったという公務員の男。 『自分の影に刺された男』
 大学時代、古道具屋にあった鏡のなかに若く美しい女性の姿を見、一目惚れ。その鏡を買い取った夜、中の少女が現れ、さらに再会し今は彼女が妻となっているという大学教授。 『古道具屋の姫君』
 フランスで修業時代に出会った手品師は不器用。だが自分の手品を魔術と呼んでいた。その彼が予言する火事、そして別れ。語るのは今や大物となったシャンソン歌手。『不器用な魔術』
 子どもの頃、少年探偵団ごっこの過程で当時世間を騒がせていた連続少女殺人鬼の犠牲者を発見してしまった男。それは水色の魔人のような姿だったと今は落ちぶれた男がいう。 『水色の魔人』
 地方都市。女子高生がふと下りたバス停側の洋館で美しい男に様々な薔薇を見せてもらう機会が。館に来ないかと言われ心動くが数日のうちにその役目は他の者に。主婦の思い出話。 『冬薔薇の館』
 酒酔い運転の車に撥ねられ、妹が死んでしまった少年。夜遅くまで公園にいた少年はナイコと名乗る邪眼の少年に、夜の子どもとして遇される。少年は恵美酒らに逆に真相を問う。 『金眼銀眼邪眼』
 雑誌ライターの男が都市伝説について調べるうちにぶつかったある事象。どこかに奇談を集めて人の話を聞く男がいるらしい。その噂を求めていくうちに具体的な相手の名前や場所が浮かぶのだが……。 『すべては奇談のために』

奇談六割、ミステリ四割。奇談比重の微妙な高さが物語のクオリティを高めている
 赤い夢というか、なんというのか。わざわざ他人の奇談を聴くために新聞に広告を出し、バーの奥に趣味溢れた部屋を用意し、謝礼を準備して奇談を話す人を呼び寄せる。奇談蒐集家という肩書き、謎めいた秘書。こういった舞台装置だけをとりあえず取り上げると、いわゆる幻想小説の連作ないし短編集を想起させるものだ。
 また、自分の影に刺されたという男から始まり、鏡の世界に棲む美少女、パリの魔術師に邪眼を持つ少年……と取り上げられる話もまた、幻想趣味。ただそこから微妙に違うのは自らの体験こそが奇談という人々のエピソードを、冷静な秘書格の氷坂が現実の世界で解釈してしまうこと。 そもそもほとんどのケースにおいては奇談を話す側の人間は、自分の経験の真実を解き明かしてもらおうとせずに登場している。氷坂の解釈は、その彼らの住む・解釈していた世界を粉々に打ち砕いてしまう。その一種の残酷な結末が本書の読みどころの一部を形成している。 自分の考えていた真実が、全くの第三者の解釈によって全く異なる見方をされて初めて気がつく何か。使用されているのはあくまで本格ミステリ的な論理的な解決方法、だが、むしろ物語のスポットは自分を形成している奇談を打ち砕かれた人々にあるようにみえる。
 もう一つ興味深いのは、その結末の更に先の物語を最終話で紡いでいるところ。最終話の趣向がミステリよりも幻想小説方向に傾いている点が本書の味わいを高めている。このあたりは読者によって好みの方向性があろうが、なぜ恵美酒が奇談をこれほどまでに求めているのか――という答えの出にくい部分について敢えて回答を用意しているところは面白いと思う。

 従来から多数おり、また作品によっては新たに登場する探偵役が解決する本格ミステリとは一線を画した内容となっているため、全体としては太田忠司テイストに溢れていながらも若干手触りは異なる。ただ、それも太田氏によってこれまでに発表されてきた数々の作品が持つ、様々な要素が逆に一冊に集約されたためだとも解釈できるように思う。個人的な評価では従来から一ランク上を目指した作品集のようにも感じられた。


08/04/07
近藤史恵「モップの魔女は呪文を知ってる」(実業之日本社JOY NOVEL'07)

 近藤史恵さんの近作においても独自の輝きを放つシリーズのひとつが、この掃除人・キリコを探偵役としたものだ。現在のところ『天使はモップを持って』『モップの精は深夜に現れる』の二作が刊行されており、本作品集がシリーズ三冊目となる。月刊『J-novel』や週刊『アスキー』といったところに掲載された作品に書き下ろし「コーヒーを一杯」が付け加えられている。

 スポーツクラブのアルバイト・殿内亨はフリーインストラクターの村上芹香が気になっている。そんな亨の楽しみは深夜、スタッフも全員帰った後に素っ裸でプールで泳ぐこと。そんなお楽しみの最中に女性が現れて悲鳴が。もちろん彼女は清掃員のキリコ。そしてプールでは水中で急に火傷が出来るという奇妙な出来事が発生して……。 『水の中の悪意』
 大学の為に東京に出てきた鶴田奈津。友人も出来なかった彼女が恋に落ちた。相手はペットショップにいた猫。しかしその猫は高価だった。奈津はその費用を稼ぐために昼夜別々のアルバイトを入れ、生活費を節約。身体を痛めつけるアルバイトの様子を心配する同僚となったキリコ。しかし猫は別の飼い主に買われてしまい……。 『愛しの女王様』
 新人看護婦で小児病棟に配属となった只野さやか。しかし入院している子どもたちは性格が悪く、彼女は振り回される毎日。そんな病院に、この病院には魔女がいる――という噂が立った。更に入院中の井上雪美の母親には、わざと娘を病気にさせているのではないかと疑われる行動が……。 『第二病棟の魔女』
 坊野美穂は女社長として必死の思いで通販会社を経営していた。その彼女の唯一の身寄りで妹の果穂が会社に乗り込んだ挙げ句、あまりに我が儘を。そしてある深夜、発作的に美穂は果穂を殺害してしまう……。 『コーヒーを一杯』 以上四編。

頭脳の回転の速さのうえに積み重なる優しさ。人間関係の奥深さや優しさも重要なスパイス
 このシリーズにおける探偵役は、紛うことなく清掃員・キリコ。だがこの作品集を読んでいると彼女の方がむしろ脇役に思えてしまう。四作品それぞれに視点人物が異なり(その短編における主人公クラスの人間が物語を語っている)、キリコの登場している場面も決して長くない。謎解きの役目こそ作者から与えられているものの、全体的に実に控えめな存在として、物語の舞台袖に引っ込んでいるような印象だ。
 その一方で、四つの作品を引っ張るのは個々の短編で主人公格としての役割と視線を与えられた登場人物たち。特に今回の四つの作品で顕著なのは、視点を割り振られた人物はみんな「お金を稼ぐ」人物であるという点。 現実にもそうだが、社会人になると
08/04/06
西村京太郎「消えた巨人軍(ジャイアンツ)」(徳間文庫'80)

 西村京太郎氏の比較的初期の作品で、元版は1976年に同じく徳間書店から刊行されている。後に、十津川に次ぐ西村京太郎氏のシリーズ探偵役となる私立探偵左文字進(とその恋人・史子)が初めて作品に登場した作品にあたる。

 日曜日の後楽園球場で中日ドラゴンズとの三連戦を終えた巨人軍は、翌日月曜日からの阪神タイガースとのナイター三連戦のために日曜日の夜、大阪へと新幹線で移動した。日常茶飯事の選手の移動には球団広報課長の田島もひかり号の見送りを行い、何も問題がないかのように見えた。しかし翌日、巨人の選手たちが大阪の指定ホテルに宿泊していないことが判明、球団社長の青木のもとに脅迫電話が掛かってきた。身代金は五億円。月曜日の夜までに選手を解放して貰わなければ大変な事態が発生する――。事件を憂慮した青木は、新聞記者に悟られぬよう調査をできる人間に誘拐された選手達を取り戻すことを依頼した。彼こそが米国帰りの私立探偵・左文字進。球団で五億円の身代金を準備、左文字は選手たちの消息がどこで消えたのかを、球団秘書の藤原史子と共に調査を開始する。しかしその間に、球団側で犯人の要求に従ったところ、五億円もの身代金は犯人たちの手に落ちてしまう結果となった――。

新幹線という移動手段における思わぬ死角。もしかすると今なおこの誘拐方法は可能かも……?
 西村京太郎といえばトラベルミステリの第一印象が強いが、初期作品には社会派や海難もの、誘拐ミステリ等幅広い作品がある。一連の「名探偵」のパロディシリーズも初期作品である。ある時期よりトラベルミステリーにほぼ全面移行してしまうが、初期作品については本格ミステリ愛好家からも高い評価を受ける作品は多い(この点、既にご存じの人にとっては当たり前すぎる話ですね)。
 本作はそのなかの「誘拐もの」の代表作。 人によっては、国産作品における誘拐ミステリを代表する作品に挙げる人もいる。誘拐そのものは蓋を開ければ「なんだ」という気がしないでもないが、それでもその周辺を固めている細かな設定に見どころは多いし、もう一つ、誘拐ミステリにつきもののサスペンス感覚が横溢している点は、率直に素晴らしいと思わされるのだ。
 そもそもが、屈強な体力を持ち、決して頭脳も悪いわけではない三十名もの人間を新幹線の車内から消し去ってしまうという、誘拐というよりも不可能犯罪の様相を呈す冒頭から序盤にかけてが良い。さらに身代金の受け渡しの妙、左文字により犯人に肉薄していく捜査がスリリングであり、更にはあまりにも頭脳的な誘拐犯の悪魔的な思考が開陳されていくところは、知的興奮を超えた空恐ろしさが感じられるのだ。実際のところ、冒頭の巨人軍消失の実現が可能かどうかはたぶんに偶然に助けてもらう必要があって微妙かもしれないが、岐阜羽島という東海道新幹線でも微妙な駅を利用しているあたり、……あるかもしれないという気持ちにさせてくれる。誘拐に関しては大筋よりも細かなディティールというか、犯人の心配りの細やかさに唸らされた。
 それでいて文体は簡潔にして平易。特に文学的表現があるわけではないが、この読みやすさは流石は西村京太郎。登場人物配置にも無駄が少なく、左文字と史子の軽口なども作品の雰囲気を和らげるのに役立っている。その意味では、重厚なトリックを支える手掛かりがしっかりと記されつつ、無駄のないすっきりした構成になっている点もポイントとして挙げられよう。

 ただ――巨人軍の選手に実在の選手名を使用するなど、時代色については現在となっては色濃く感じさせられる。それでも「国民の大多数がプロ野球を大きな娯楽としていた当時」を懐かしみつつ読む分には気になる点ではない。西村京太郎という作家の持つ、様々な要素が絡み合ったレベルの高い誘拐ミステリである点に異論はない。(本格ミステリか、といわれると微妙ではあるので注意)。


08/04/05
あさのあつこ(他)「妖怪変化 京極堂トリビュート」(講談社'07)

 各界の人気作家が京極堂ワールドに挑戦! といった触れ込みで刊行された京極堂トリビュート・アンソロジー。当然参加するのは京極シリーズをリスペクトしているという共通感覚を持つ、漫画や落語、映像の世界も含めた当代の人気作家たち。

 眩暈坂の道ばたで倒れそうになった娘を中禅寺敦子は京極堂の元に運び込む。彼女は『私は鬼だ……』と呟いており、人間の生き肝を食べるのだと告白を始めるが……。 あさのあつこ『鬼娘』
 死を間際に迎えた祖父からの手紙を受け取った孫。祖父の告白は奇妙なものだった。彼はある日、家に戻るとこれは自分の家族ではないという違和感を覚えたのだという。 西尾維新『そっくり』
映画『魍魎の匣』の監督を務めた原田眞人は映画を完成させて失踪。その原田がいかに「魍魎」を映画にするのに思い悩み、試行錯誤を繰り返したか――の記録を実録風にまとめた風変わりな作品。 原田眞人『「魍魎の匣」変化抄』
関口と榎木津の幻想的な語らいを描いた(としかいいようがない)――。 牧野修『朦朧記録』
ある噺家に取りついた、貧乏で年寄りの顔をした死神。その死神は、なんと噺家に憑き物落としをやって欲しいのだという。 柳屋喬太郎『粗忽の死神』
イラスト。 フジワラヨウコウ『或る挿絵画家ノ所有スル魍魎の函』
漫画。京極堂のもとにやって来た少女は、主人であるお嬢様の飼い猫が逃げたと相談する。彼女は後日、猫を捕まえたと京極堂に報告するが、その”猫”はなぜか榎木津礼二郎であった……。 松苗あけみ『薔薇十字猫探偵社』
漫画。由緒ある家格の倉から見つけられた妖怪絵巻。記載されている妖怪は、あまり似た前例がなく特異な形状が描写されている――。 諸星大二郎『百鬼夜行イン』 以上八編。

原作の圧倒的な存在感ゆえか、各界のクリエイターが投げる球もまた変化球ばかり……。
 結局は同人誌ノリということになるのだろうか。小説あり、漫画あり、イラストあり。それぞれの業界で一流の人々が、自らの得意とする分野で京極堂シリーズを再構築する試み。 試みとしては面白いし、込められたアイデアも確かに一流だ。……が、何となく物足りなく感じられるのは、本家・京極堂シリーズをリスペクトしている点についてはひしひしと感じられるので良いものの、どこかリスペクト止まり、乗り越えようという気概までがあまり感じられないことか。
 恐らく最も京極堂・本家と親和性の高いのが西尾維新『そっくり』。これは本家の某作品のなかにあるエピソードを巧みに利用して、そのなかにまた”不思議”を強調する出来事を創り上げている。サイドストーリーとして、京極氏が短編ネタとしても使用してもおかしくないような内容で、文体や乾いた登場人物の感情など模倣という意味では本作品中最もレベルが高い。ほんの少し勿体ないと思うのは、作中作形式にしてしまっているところ。作者にその意図はなかろうが、微妙に逃げ道を用意しているような印象を受けた。また漫画両作品は、完全にイメージのみを借りてきた印象。登場人物が重なろうとこちらは、それぞれの漫画家オリジナルのような内容で、このあたりに先に述べた同人誌ノリを感じてしまう。また、落語である『粗忽の死神』、ドキュメント風『「魍魎の匣」変化抄』にしても、自らの芸域に作品を引き込みすぎていて、核となるアイデアこそあるものの、なにか違和感の方が大きい。特に『変化抄』についてはアイデアとして面白いものはあるけれど、こういった媒体に収録されること自体が微妙のように思えた。
 個人的には『朦朧記録』の大胆さに惹かれる。 この作品、設定即ネタバレのようなところがあるため、詳しくその理由は書けないのだが、京極世界の”暗部”と牧野作品の”普通”(=どろどろした暗部)が溶け合って独特の暗い雰囲気を醸し出している。自ら創った登場人物ではないにもかかわらず、これだけひどい目に彼らを遭わせてしまう牧野氏の大胆さも不可思議感覚を増幅している。恐らく好悪でいえば、悪の方が多いだろう作品だが、何やら底知れないパワーに個人的には強く惹かれた。

  個人的に直接知見はないが恐らく――、巷間のアマチュアによる京極同人誌であっても、本作品集と同レベルかそれ以上のものもありそうだ。京極堂シリーズのファンというだけならば、この作品を無理に手に取る必要はない。トリビュートといえど本家ではない。どちらかといえば、京極夏彦もいいが、本作の執筆作家に興味があって……といったケースの方がこの作品集は喜ばれるのではないだろうか。


08/04/04
乾くるみ「クラリネット症候群」(徳間文庫'08)

 『イニシエーション・ラブ』『リピート』のスマッシュヒットにより、すっかり時の人(しかし相変わらず非常に寡作)となった乾くるみ氏による中編集。表題作が書き下ろし。もう一作は、かつて徳間デュアル文庫にて単独作品として発表され、近年は入手が難しくなっていた『マリオネット症候群』。

 マリオネット症候群についてはリンク先にて。
 母がかつて内縁関係だったことから、ジャズクラリネット奏者である関さんと共に暮らす僕・犬育翔太。母親が出奔し、高校生の翔太は養父となった関さんと二人暮らしをしている。高校の上級生で童顔・巨乳の本庄絵里さんがジャズが好きという話を聞いて、翔太は関さんのクラリネットを借り、川辺で演奏の練習をする。神の采配によって偶然通りかかった本庄さんに話しかけられたまでは良かったが、昔のいじめっ子の曽根とも再会、曽根らによって大切なクラリネットが壊されてしまう。その瞬間から僕の耳がおかしくなった。ドとレとミとファとソとラとシの音が聞こえなくなってしまったのだ。そんななか関さんがヤクザの梅田会によって連れ去られ、僕は楽器ケースに残された暗号を解くことに……。 『クラリネット症候群』

独特のユーモア感覚に青春の皮肉、そこに加わる暗号ミステリの変奏曲
 『マリオネット症候群』の時から感じていたことでもあるが、少なくともこの「症候群」二冊については、初期の西澤保彦さんの作品群にて発表されていた設定から微妙な影響を受けているように思われる。即ち、日常のなかに微妙なSF設定を持ち込みつつ、その設定のある世界内部でミステリを演出、そして回収してゆくのだ。設定だけ似ているといった他のSFミステリの作品よりも、全体的な軽めのユーモア含みのテイストや、登場人物のドライさ加減などに微妙に近しさがあるようにみえる。
 特にユーモアという面では、「クラリネット」の冒頭、童顔巨乳(イメージは、文中でも触れられている、ほしのあきかな)の上級生から「ねえ、てかホ……テル、行こうよ」の名台詞(?)から始まる妄想モード全開の会話が楽しい。 彼女の発言が額面通りの意味ではないことは、少し後に”クラリネット症候群”の説明があれば、読者は百パーセント理解しているはずながら、言われた本人だけが気付いていないというギャップ。少なくとも、本筋の途中でこのエロ会話の正体を(健全な男子ならば)解き明かそうと思わず、考え込むはずだ。
 ただ、このドレミファソラシドが聞こえないという設定を用いた暗号や、楽譜に込められた暗号など、暗号ミステリとして何重にもひねりを入れているところが特徴。単なる軽めのSFミステリに終わらせず、しっかりと本格ミステリの流儀を守っている。 さらに後半に向けて物語に加速をつけたうえでのどんでん返し連発は、細かな伏線もキリッと効いていて非常に素直な流れのなかできっちり驚かさせられた。また、絵里さんの処遇というか、翔太の恋の行方といったあたりも、これまでの乾ミステリ同様、主人公にとっての皮肉で哀しい結末になっているところもどこか世界観のようなものを感じさせられる。モテるのはいつも他人というか何というか。

 『マリオネット症候群』ともども、癖が少なくSF設定といいつつもそう極端なものではない。少なくとも新本格を通過したミステリファンであれば普通に看過できる設定だろう。そんななか、乾くるみらしさがしっかり打ち出されたミステリが読めるのは幸せなこと。というか、普通に年に一作とか新作読みたいんですけどー。


08/04/03
芦原すなお「ユングフラウ」(東京創元社'08)

 直木賞作家・芦原すなお初の恋愛小説という触れ込みで刊行された単行本。『小説すばる』誌に一九九八年十二月号から、二〇〇一年六月号にかけて不定期で掲載された作品が長編にまとめられたもの。恐らく『小説すばる』の版元である集英社からは刊行がされなかったため、東京創元社で改めてまとめたように見受けられる。

 女性編集者の翠。最近、学生時代から交際していた恋人・優太と微妙に心が離れてしまっていることを感じている。とはいえかなり忙しい仕事をもっている翠はその事実を棚上げしたまま、生活を送っていた。そんななか、向川さよりという明るく、どこかピントがずれた後輩から相談を持ちかけられる。彼女が担当する人気エッセイスト・厚木基安と彼女が不倫関係にあるというのだ。そのことに気付いた編集長の鍋島蕗子は担当替えを命じ、厚木の担当はさよりから翠に変更された。翠はその厚木と仕事を開始するのだが、厚木からは熱烈なラブコールを受け取るようになる。一方、優太とは気まずいままで、さらに大学の後輩である真美がどうやら優太へと急接近しているようだ。そんな複雑な気持ちのなかで翠は、一緒に仕事をしているカメラマンの岩下からプロポーズを受けてしまう。彼が会社を辞めて撮影修業に出る前にどうしても気持ちをはっきりさせたかったのだというのだが……。

男と女、どいつもこいつも。
 恋愛小説という作品群には、客観的な評価基準がない。 ミステリやSFにしたって客観的ではないのだが、例えばトリック、さらにはセンス・オブ・ワンダーといったところには、ある程度の基準が読者にとってあるのが普通。だが、明確な正解もなく、気分によってすら展開が異なっていく恋愛小説に関しては「読者がの主人公に共感できたから」良い小説になったり、陳腐な内容であってもスリリングな恋愛が描写されていれば、それなりに評価されたりする。
 そういった意味で、あくまで個人的にとは断っておくが、本書の恋愛観は少々読んでいて辛かった。特にちょっとしたことがあると、同じタイプの向川さゆりを非難しつつも、次々と男とセックスに走ってしまう翠のキャラクタがきつい。そこで別れるだろう、そこは謝るところだろう、そこは我慢するとか――といったツッコミをどうしてもいれたくなる。また、相手の男たちもなんだか未練たらしく、だらしないし節操がない。そういったつまらない男たちに魅力を感じて付き合ってしまう翠のいい男判定能力も鈍い、鈍すぎる。主人公はもちろん、脇役にもほとんど感情移入できずに本筋となる物語については、傍観者的に「あらあら」といったかたちで読まされてしまった印象だ。
 一方で、最後まで関係を持たない売れない中年作家・梨原と翠との会話のみ、非常に自然に良い感じで描かれているようにみえる。恐らく、芦原氏自身が投影されていると思しきもてない中年作家・梨原との、掛け合いのような言葉のやり取りがもっとも本書で面白かった。微妙にセクハラじみていながら、実はいい人である梨原のキャラは、これまでの芦原作品に登場するちょっととぼけた人物たちとも通じ、この点のみ芦原作品らしい良さが滲み出ている。

 ラストについても、ある程度普通の読者であれば展開が読めた内容で、事がここまで至らなければ判断できない翠の情けなさが際立ってしまっている。ただ、こういうだめだめな人たちに感情がどっぷり投影できる人も多分いると思うので、恋愛小説としての評価は難しい。少なくとも小生には合わなかったなあ。


08/04/02
浅暮三文「広告放浪記」(ポプラ社'08)

 浅暮三文さんの自伝的エッセイ風小説。牧野出版のウェブマガジン『パブリデイ』に二〇〇六年十月から二〇〇七年一月まで連載された「大阪堂島物語」に加筆修正された作品。以前に光文社文庫で刊行された『嘘猫』の前日譚にもあたる。

 今から二十数年前、”僕”は二十二歳、社会人一年生。第二次ベビーブームの余波で大学時代に勉強もしていなかった僕が落ち着いた就職先は、大阪の堂島にある某新聞社系列の広告代理店だった。そこで与えられた仕事はいわゆる三行広告という新聞のなかでも最小の広告欄。しかもその広告を取るための営業の仕事だった。「行ってこい!」のひとことで外に放り出され、飛び込みで店や会社を回って広告を取れという。最初のうちこそ真面目に営業活動をしていた僕だったが、徐々にさぼりを覚えるようになっていく。だが、そんな中でも広告を出そうという客もいれば、ひょんな人情にも触れてみたり、さらには僕自身が色々と経験を積み重ねることになっていく。しかし、このまま代理店の営業のままで良いのか? 自問した僕は、仕事をそのままにある目的のために勉強をするようになり、そして……。

あの頃の大阪が舞台の義理と人情に怠惰と美食。そしてアサグレミツフミのビルドゥングスロマン
 エッセイ風私小説というのか。SF・ファンタジー・ミステリと広くその才を発揮する浅暮三文氏は、もともとコピーライターであったことは有名。その浅暮氏の若き時代、単身上京し、コピーライターの駆け出しから苦労して這い上がっていく自伝的エッセイが『嘘猫』。本書は上記の通り、更なる前日譚であり、大学を卒業したばかりの人間がコピーライターを志して駆け出しとして認められるまでがテーマ。だが、実際のところは当初からそんなモチベーションとかがあって、大学卒業から一貫してそういう思いを抱いてはいなかった、というのがむしろ重要なテーマのように思う。
 本書における浅暮さんの、営業活動の描写、これが実に嫌そうなのだ。よほど合わなかったことと、いくら老舗代理店の名刺を持っているとはいえ飛び込み、そしてほとんど成果の出ない営業活動が、なぜか活き活きと描かれる。こんなに嫌な仕事はありません。だけど、思い出してみればそれでも印象的な、ちょっと良かった話もあるなあ、という筈なのだけれど、ところどころに挿入される成功エピソードが効果的に効いていて、まさに悩み多き社会人一年生の生活と日常が魅力的な物語となっているのだ。人間の描き方、街の描き方が実に巧みで、さらりと書いているようでいて実は後半エピソードの布石になっていたり、青年の思いや悩みが赤裸々に描かれていたりといちいち感心させられる。同じような社会人一年生苦労話といった内容であっても、微妙なユーモアがスパイスとなって効いている本作は読みやすく、そして考えさせられやすい。
 特徴ある人間(どうやら実在していた人々による)やり取りや掛け合いといった関係も面白い一方、八十年代の大阪の街を記した風俗小説としての一面もある。そして主人公の”僕”と、この大阪の街との関係もまた魅力になっている。ホテルのエピソード、一緒に外回りした先輩のエピソード。辛い話であっても全体が独特の温かみに満ちている。

 事実は小説よりも奇なりというが、そのフレーズを実証しているかのような(あ、一応フィクションということになるのか)数々の事件。その業界ならではの面白さと、そんななかで生き続けることを捨て上京に至までの心境の変化が丁寧に描かれていて、伝記、ないしビルドゥイングス・ロマンといった読み方もできる。 女っけもなく、ひたすら代理店のお仕事を描いた作品であるのだけれど、読んでいてやめられず、読み終わると感慨が湧く。目立たず刊行されたものながら、内容は非常に濃いように思われた。


08/04/01
早瀬 乱「サトシ・マイナス」(東京創元社ミステリ・フロンティア'08)

 早瀬乱氏は2003年に第11回日本ホラー小説大賞長編賞佳作を『レテの支流』で受賞してデビュー。その後の2006年『三年坂 火の夢』で第52回江戸川乱歩賞を受賞している。本書はそのどちらともまたイメージの異なる異色青春小説。

 理工系の大学生・稲村サトシは就職を決めていた金融エンジニアリング会社を辞退し、美術系の大学を受け直し、八年交際していた一つ年上の吉沢カレンと結婚する――気弱な彼は一大決心のもと、以上を母親・稲村里香に報告しようと実家に戻っていた。サトシの父親と母親・里香は十一年も前に離婚。父親は画家になるために、高校教師の職を捨て、母親のもとを飛び出て実家に戻っていた。実家が建設関係でお嬢様でお金持ちでもあった里香は、夫に未練はあったものの、一度も会おうともせず、週に一度サトシに様子を見させていた。実家を出てボロアパートでひとり暮らしをするようになった父親。そしてそのアパートに住んでいたのが不登校児・吉沢カレンだった――。会社勤めの里香が戻るのをカレンと共に待っていたはずのサトシは実家で眠り込んでしまい、目が覚めると母親の帰宅はまだ、そして何よりもカレンの姿が消えてしまっていた。過去のサトシは、その複雑な境遇に溶け込むために、「サトシ・プラス」「サトシ・マイナス」の二つの自己を形成し、現在残っているのは気弱な優等生「サトシ・マイナス」の方。しかし眠り込んでいるあいだに元気な十四歳人格の「サトシ・プラス」が目覚めてしまい、実はカレンに指示を与えていた。同一の身体を持つ二人は、二人の人格を分けることになった二十五項目のリストを目指し、中学生当時の友人・オカベの元へと向かう――。

文体と表現が繊細にして大胆。めちゃくちゃ奇妙な、そしてなぜか明るく元気な青春物語
 ところどころゴシックで強調される文章。さらには主人公の独白や登場人物の心情が地の文で描かれている特殊。一人称でも二人称でも三人称でもない表現。強いて言うと二.五人称(?)とでもいうテンポの良い文章が、読んでいるこちらのなかにするすると入り込んでくる。『レテ』や『三年坂』ではあまり感じられなかった、凝った文章が物語全体のテンポとリズムを規定しているようで、もうその段階でこの作品の手触りが独特になっている。
 また、複雑な家庭環境にて育った二人、稲村サトシ、吉沢カレンの生き様がユニークで、一応多重人格を扱った作品ながら、あまり精神的な部分に偏らず、むしろ後天的な状況として多重人格を自ら生み出してしまったという点も興味深い。少年から青年にかわるなかでの挫折や変化といったところを、友人のオカベやノッピーといった脇役の描写含め、エピソードとして無茶のない範囲で突飛に盛り込んでいる。ヘンテコな流れを持つ物語のなかで、その周辺人物の個性が小さすぎず、かといって乱れすぎずというバランスが取れている点もセンスを感じる。その微妙な登場人物の変さ、物語自体の突飛さも含めて、ぎりぎりのところで普通小説に留まっているところも巧い。
 一方、関西国際空港と、りんくうタウンといった大阪の南端(明記されているわけではないし、作品内で関西弁は使用されていないけれども)、田園と都市とが入り交じった風景があり、象徴的に登場するマクドナルドやブックスKといった全国展開チェーン店舗、一方で超がつくほどのボロアパートなど、日本の街の濃淡が印象的に対比されている。そこまで作者が意図していたのかどうかはとにかく、こういった風景ともまた物語の主題とが奇妙にマッチしているようにみえる。 その裏側で起きている人間同士のすれ違いや、ストレス、プレッシャーといった明暗があるところもまた。

 文体だけでなく、登場している人物も株取引で巨万の富を得たオカベ、鞄に包丁を忍ばすもといじめられっ子ノッピー、夫との離婚の結果、釣書だけで再婚相手を決める里香。そういった登場人物に囲まれて、それでも真っ直ぐに生きるカレンとサトシ。テーマは多重人格かもしれないが、平成の時代を映した発展型青春小説といった印象が強い。