MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/04/20
小路幸也「スタンド・バイ・ミー 東京バンドワゴン」(集英社'08)

 『東京バンドワゴン』『シー・ラブズ・ユー』に続く、東亰バンドワゴンシリーズの三冊目。例の如く春夏秋冬を網羅した四中編から成り、刊行もほぼ一年おきとなっている。つまりは、スタート段階から着実に、毎年一歳、登場人物が年を取って成長するということ。(厳密にいうと、今回の最初の話は『シー・ラブズ・ユー』の最後の話と季節が被っているのだが)。

 勝手に並び替えられてしまう店の古本に、紺を人殺しだと告発する本への落書き。我南人を中心とした下町の取材は、紺の学生時代の辛い想い出と繋がっていく。 秋『あなたのおなまえなんてぇの』
 かつて米国に行っていたことのある勘一。小料理屋〈はる〉の美人女将・真奈美さんに求婚された板前のコウさん。米国から届いた古本のなかには、本当に凄まじい価値のある秘密書類が隠されているのか? 冬『冬に稲妻春遠からじ』
 研人のことを熱心に追いかける同級生・メリーこと芽莉衣ちゃん。京都の曰く付きの古本業者の集まりに勘一の名代として派遣される青とすずみ。そしてメリーちゃんは、羊に追われているのだという。 春『研人とメリーちゃんの羊が笑う』
東亰バンドワゴンの隣地の風呂屋が改造されたミュージアムと反対側にあと一軒。大女優と我南人の落胤である、青の秘密が結婚式での一件を引き金に、マスコミに感づかれた? 池沢さんの事務所社長を巻き込むやり方に関係者は激怒するが……。 夏『スタンド・バイ・ミー』 以上四編。

賑やかになればなるほど世界は楽しい。人数増もなんのその。東亰バンドワゴンはLOVEで貴方を包む
 ある一方でテレビドラマ、それもホームドラマの定型を愛し、一方で小説としての逸脱と冒険を好む。 このシリーズの面白さは、作者である小路幸也さんの相反する二つの性向がうまく作用して出来上がっているように感じられる。
 定型。その一つは物語の形。テレビドラマが三十分なり、六十分なり時間が決まっているなかでお約束の場面が幾つかあるのと同様、この『東京バンドワゴン』のシリーズにもお約束が多数ある。堀田家の亡くなったお婆さん・サチさんの一人語りであること、冒頭に賑やかな食事の場面が会話だけで描かれること、本にまつわるトラブルと家族にまつわるトラブルが一短編のなかで描かれること。そしてラストに紺とお婆さんの会話で締め括られること。もちろん各話とも素晴らしくハッピーエンドで物語が終わることも、そこに加わるだろう。こういった器の部分が実にテレビっぽいのだ。
 一方で、小路さんは物語をマンネリに落とし込まない。 枠こそ決まっていても、その枠の中、もしくは枠など気にせず登場人物それぞれが精一杯に活躍し、目一杯に生命力を溢れさせている。その結果、登場人物たちが枠を超えて活き活きと活躍するわけだ。過去に登場した人物を無視せず、彼らを取り込んでどんどん東京バンドワゴンの世界は大きくなってゆく。しかし、その大きさは、どこかで必ず我南人いうところのLOVEで結ばれているため、混乱や悩みと無縁なのが嬉しい。
 また、このシリーズでもう一つ凄いのは、最初にも書いたが登場人物がきちんと年齢を重ねていること。特に本書は、冒頭に出てくる赤ん坊二人が成長する過程が随所に登場しており、その結果、時の流れがきちんと感じられるようになっている。同時に季節ごとの章立てが、日本の喪われつつある季節感をも感じさせてくれるというおまけ付き。これもまた、昭和のあの頃を思い出させてくれるための重要な役割を担っている。
 そして一つ一つの中編のなかで複数の事件やエピソードがあり、それぞれが良い味を醸し出している。本書では京都の六波羅探書の一件など、個人的にはツボだった。

 三冊目にして安心して読めるシリーズへと完全に成長した印象。但しやはり順番に読んでいく必要はあるだろう。ありそうで今まで無かった四世代同居の家庭(?)小説。 もっともっと人気が出て、いずれは国民的人気小説になってゆくであろうことも想像に難くない。誰が読んでも面白いと思える作品というのは希有ですから。


08/04/19
中町 信「三幕の殺意」(東京創元社'08)

 近年、旧作をリライトした長編が創元推理文庫入りし、鮮やかな叙述トリックが新しい読者を呼び寄せている中町信氏。2000年に講談社ノベルスより刊行した『錯誤のブレーキ』以来、七年ぶりの新作長編。……内実は、昭和四三年に双葉社の『推理ストーリー』に発表した「湖畔に死す」という中編を長編化したもので、純然たる新作とは言いづらい。

 昭和四十年。水芭蕉咲く観光地として、歌でも有名な尾瀬沼の湖畔にある山荘・朝日小屋。冬の訪れを控えた十二月下旬の週末、幾人かの男女が泊まりがけで同地に滞在していた。小屋の側には元教員で方方に顔が利き、詐欺まがいの取引や巧妙な恐喝を生業としている日田原聖太という人物が住んでいたが、この時の滞在客は彼に対して殺意めいた恨みを持つ者ばかり。彼を交えた宴会はとげとげしい雰囲気のなか終わりを告げ、宿泊者はめいめい好きなように夜を過ごした。その翌朝、朝日小屋の離れの中で何者かによって殺害されていた日田原が発見された。死因は撲殺。宿泊客や従業員、誰もが犯行可能な状況で折しも激しく降り出した雪により、現場は陸の孤島と化しており、第三者の犯人は考えづらい。そのなかで宿泊し、実は動機もあったため容疑者の一人でありながら現職の刑事でもある津村が、関係者や客からアリバイを聴取、少しずつ新たな事実や殺人の前後関係が判明してゆくのだが……。

イメージは旧き良き時代、黄金期の影響強い昭和期の国産本格。そこに現代風の悪意を少し注いで。
 作中にも固有名詞が多数登場することで判断されるが、少なくともベースになるのは黄金期の本格推理小説が強く意識された作品だ。プロローグで関係者それぞれが抱える日田原への殺意の事情が描かれ(但し、殺意があることは分かるがそのほとんどは具体的に何をもって脅されているのか分からない)彼らが、三々五々日田原との決着を付けるべく尾瀬に向かう――というプロローグを経て本編に入ってゆく。このあたり、普通のミステリ以上に注意して注意して読んだのだが、本書は実はアリバイトリックが主眼のミステリということもあって、そうまで注意する必要はなかったことに後で気付かされる。
 被害者たるべく登場した悪役が殺される、までは良いが、その後は自己申告をベースとした、ちまちまとしたアリバイ確認に手掛かりの検証。確かに鮎川哲也など、こういった展開の作品はあるにはあるが、どこかテンポが悪く鮎川の堅牢といった感覚と重ならないのは表現力の問題か。一つは殺害時刻がはっきりしないまま、アリバイ調べが進行するからか。その頼りない自己申告アリバイをもとに殺害時刻を類推するがゆえに、どこか足許がふらついている印象が残ってしまうのだ。
 そして面白くも、読者を突き放している感もあるのは、真の謎解きがエピローグ以降で行われていることだろう。登場する謎の男の正体も興味深いが、トリックや殺害方法は個人的にはちと微妙。計画犯罪の割に偶然に依る(結果的に)ところが多すぎないか。また、作者が後から付け加えたというラスト三行。これは決してトリックや本筋には関係ないのだが、この中町氏らしい悪意、後味を悪くすることには成功しているといえるだろう。
 ここに佳多山氏によるノリノリ(?)の解説が付け加えられているのだが、これはまたなんというか。解説でSSっていうので良いのでしょうか。(こういう趣向は嫌いじゃないんですけれど)。

 洗練された現代本格ミステリしか知らないような読者には、本作は向いていないと断言できる一方、昔から本格ミステリ一筋といった旧くからの読者はこの作品を歓迎するのではないかと思う。本格の道具立て、考え方が昭和期の即ち黄金期の本格のやり方に近しい印象があり、このあたりが良くも悪くもポイントになるだろう。2008年刊行ながら、初期の中町氏らしい作品だと感じられた。ま、原作が初期作品である訳ですから、そりゃそうなんですが。


08/04/18
結城昌治「死体置場は空の下」(講談社文庫'80)

 元は1960年代前半に『漫画読本』といった雑誌に発表された連作短編を集め'63年にポケット文春にて刊行されたのが元版。その後、この講談社文庫に収録、さらには青樹社版や漫画化されたバージョンもあるようだ。(詳細はきちんと調べておりません)。

 夫の不貞の調査を依頼した人妻が、殺人事件の被害者に。久里十八は、フリーの私立探偵・佐久に生き残った夫に調査費用を請求するよう依頼するのだが……。 『死んだ依頼人』
 先妻の娘が誘拐されたと後妻が久里探偵事務所に依頼を。しかし金満家の夫は放っておけば良いと冷たい態度を取る。その裏側にある計画とは……? 『遠慮した身代金』
 チンピラによる美人局の恐喝事件。簡単な捜査の筈が久里が、隣室のタイプライター・加山春江を巻き込んだことからややこしいことに。春江が殺人事件の容疑者にされてしまう。 『律儀な恐喝者』
 不動産絡みの取引で発生した三千万円を部下が持ち逃げした――。ヤクザまがいの男たちの依頼だったが、そこに殺人事件が絡んでしまい……。 『儲けそこない』
 美人タレントの素行調査を受けていた久里だが、そのタレントが自室で殺害された。久里への依頼人が容疑者となってしまったために佐久が一肌脱ぐことになるが……。 『意地悪パーティ』
 久里十八が神宮外苑での夜の散歩をしていたところ、女子高校生の死体を発見してしまう。かなり遊び回っていたらしい彼女の様子を友人たちを通じて知った佐久は……。 『死体置場は空の下』
 愛人や二号たちが多数住むアパートを見張っていた久里。しかし裸の体操に目を奪われている間に、殺人事件が発生する。容疑者は久里が目撃した人間とどうも外見が違うようだが……。 『オメカケだって楽じゃない』
 車で人を轢き殺したはずなのだが、改めて見に行くとその死体が消えていた。奇妙な依頼を受けた佐久と久里。佐久は数日後に別の場所から発見された死体に着目する。 『川を越えた死体』 以上八編。

国産”軽”ハードボイルドの嚆矢ともいえる作品では? 滅法面白い連作推理
 三年前に妻に先立たれ、五人の子どもを抱え、隣室のひまわりタイプ社の加山春江に恋慕の情を示し、しかし本業の探偵の腕は今ひとつ、お客との契約こそなんとか取ってくるものの、実際はフリーの私立探偵で本編の主人公である佐久の力を借りなければ事件を全く解決できない――久里十八なるパートナーのキャラクタが、本書のユーモア部分を引き立てている。久里と佐久、二人の掛け合いは受け責めの関係にあって面白いのだが、一方の佐久の内面というか人間背景をほとんど描き出さないところが巧い。まあ一人称である以上、余計な説明は不要といえば不要なのだろうが、その片方に寄りかかった人間描写が本書の不思議な魅力に繋がっているように思われる。(面白さ、という意味では結城昌治の他作品にも登場する郷原部長刑事などの存在も小さくない)。
 また扱われている事件の方が、小粒ながら素晴らしいものばかり。 単に装いだけが面白いのではなく、ミステリファンとしてはこのツボがしっかり押さえられている点の方がより重要。発生している事件そのものは、そう派手なものではない。交通事故で撥ねた筈の死体が別の場所で発見される『川を越えた死体』だとか、身代金誘拐事件なのに身内が冷たい『遠慮した身代金』だとか、せいぜいが「ちょっとだけ妙」なところがある程度といった事件。だが、佐久の冷静な分析と観察によってもたらされる結末が、非常に論理的で、かつ微妙なアクロバティックな着地をみせているところ、たまらない魅力となっている。 単純に事件を巡る主人公たちのやり取りが面白いだけでは、この作品集にこうも魅力は湧かないはずだ。やはり、事件があって、かつその捜査、そして読者も共有しているはずの佐久の見つけた手掛かりのなかから意外な結末が導かれる――という、良いミステリのお手本のような条件が揃っていること。それが本シリーズの最大の魅力となっているのだと思う。
 また、もう一点、あまり風俗めいた内容に偏っていないところも重要。不良娘や若者の流行りなどに一定の風俗描写があるものの、数十年経過した現在で致命的に訳が分からないことになっていない。(性的な面ではむしろ現代よりも堕落しているかも)。根本的な主題として描かれているのは、親と子の問題であるとか、男女の愛情や、ヤクザの面子といった普遍的な内容。だから現代の読者が読んでも全く違和感なく読める。この点は非常に大きい。

 結城昌治の作風は多岐にわたりすぎていて、どの手法が代表作だとか言いづらい面がある。だが、その作風の多彩さが、何より結城昌治の魅力である。本シリーズは上述した通り、現代読者が読むのに十分に堪えられる価値がある。 機会があれば、是非一読を。


08/04/17
東野圭吾「流星の絆」(講談社'08)

『週刊現代』二〇〇六年九月十六日号〜二〇〇七年九月一五日号にかけ、約一年にわたって連載された長編作品の単行本化。乱歩賞、推理作家協会賞、直木賞等受賞している東野圭吾氏については今さらここで触れる必要はないでしょう。

 ハヤシライスが名物の洋食屋『アリアケ』を経営していた夫婦が深夜、何者かに殺害される事件が発生していた。被害者の子どもたち、小学六年生の長男・有明功一、四年生の次男・泰輔、そして小学校一年生の長女静奈(後の矢崎静奈)ら三人は偶然、その晩訪れるというペルセウス座流星群を見るために深夜に家を抜け出していたために無事、しかし発見者もまた彼らだった。被害者の人間関係を中心とした捜査は難航、担当する柏原、荻村杜萌に必死の思いで駆け回るが、容疑者すら挙がらない状態が続いていた―――。そして事件から十四年。施設に預けられ、苦労して成長した兄妹たちは、再び連絡を取り合いながら生活を続けていた。彼らは、成長する過程で遭遇した詐欺事件の経験から、三人が組んで計画的な詐欺を行っていた。基本は、魅力的な女性に成長した静奈が、女性に不自由そうな男性をたらし込んで、残り二人が芝居をうって大金をせしめるという方法だ。そんななか彼らが標的として定めたのが、新進料理チェーン『とがみ亭』の跡取り息子・戸神行成。しかし『とがみ亭』のハヤシライスは、彼らの父親が作ったハヤシライスと全く同じ味。どうやら行成の父親で『とがみ亭』を創業した政行こそが、三人兄妹の”仇”となる人物である疑いが濃厚になった。功一は、敵討ちのため様々な計画を立案実行を開始するのだが――。

復讐にコン・ゲーム。浪花節に純愛恋愛、そしてスリリングな犯罪計画に意外な結末
 読了して最初の感想をひとことでまとめると「東野圭吾、巧い! だけどあざといっ!」だった。悲劇に見舞われた少年少女が成長して、けじめのために両親を殺害した容疑者に対して復讐を仕掛けるという展開、その敵の息子に惚れてしまうヒロインの静奈、そして何よりもミステリ作品らしい結末における意外な展開。巧い! というのは全体の物語構成や、物語途上における細かな伏線と回収、登場人物の性格付け、配置。さらには中盤、成長した兄妹が陥るロミオとジュリエットの心境もろもろ。このあたりのスムースな展開については文句の付けようがございません。 加えて、細かな点でいえば、中盤で繰り広げられる女性に対する愛情を手玉にとった詐欺の数々も、実際に行われていても不思議がないような緻密なものだ。
 一方、あざといと思わされた点は、そのロミオ(行成)とジュリエット(静奈)との心の通い方。普通の人間感情であれば、決してその真意がどうあれ、その目的やら状況が判明したところで破綻するはずの関係が、なぜか強引にハッピーエンドに持ち込まれる点。ある意味では、ここだけ奇妙にメルヘンチック。不都合な点に目を瞑り、ハッピーエンドにまっしぐら。そこまでのリアリティを保つ節度ある創作姿勢はかなぐり捨てられ、一般読者が一番読みたい結末に突き進む。まあ、それはそれでいいのだけれど。(後味の悪い結末を見せつけられるよりかは)。
 仇討ちの物語が、いつの間にか悲恋の物語へ、そして意外な結末へ。ミステリファンとしては、最終的に登場する真犯人については、いくら伏線があろうとも微妙に納得しづらいのですが。(しかも、その犯人を持ち出すことによってほとんどの登場人物が不幸にならずに済むというおまけがつく)。こちらも「あざとい」方面かもしれないながら、決して許せない訳ではないのは過去のミステリにおいても同様のケースがあることを知っているからか。

 読みやすさはもちろん抜群で文章もしっかり。細かな描写が丁寧という程ではないけれど、ペルセウス座流星群など小物を見事に作品に絡めている点はやはり当代の人気作家の手腕。読み終わってすっきり。恐らく公約数的東野圭吾ファンにとっては満足のゆく作品ではないでしょうか。 ちょっと珍しい食材を、実力シェフがそこそこ高級料理店風に分かりやすく料理した。そんな感じ。


08/04/16
友成純一「魔界ハンター〔1〕魔王降臨」(ソノラマノベルス'91)

 現在のところ通算三冊が刊行されている「魔界ハンター」シリーズの一冊目。たぶん書き下ろしだと思う。著者近影があるものの、著者コメントやあとがきがないのが残念。ちなみにシリーズ三冊、たった九ヶ月のうちに刊行されている。

 魔王の力を背景に人類支配を目論む〈地獄の炎〉教団の大司教らが、二十年の下積みを終えて幹部の仲間入りを狙うウォンケイに命じたのは、極東日本・東京の攻略だった。ウォンケイは新進華僑の衣を身に纏い、政財界の上層部とのコンタクトを図る。もともと金儲けの話で寄ってきた政治家や官僚、企業家たちは、様々な魔の力に取り込まれ、ウォンケイの手足となって働くようになる。ウォンケイが目指すのは東京の中心部・千代田区全域を利用して、政府の新庁舎建設を隠れ蓑に〈地獄の炎〉教団の神殿を創り上げようというものだった。一方、週刊タイムの記者・額田貴美子は、自ら特集する「東京怪奇スポット探訪」にサイキックだという村雨正人を指名する。冴えない風貌を持った村雨は、性格的にも冴えなかったが、この企画がきっかけで〈地獄の炎〉教団の妖魔たちと接触、その能力を伸ばし、魔界ハンターとして覚醒することになる。テレビ局を巻き込んだ特集番組に出演した村雨正人。しかし、彼には秘密で進められていた霊媒師による降霊術で本物の使い魔を呼び出してしまい、スタジオ内部で大惨事が発生する……。

友成作品にしては主人公が普通、友成作品にしては一応筋が通っていて。 かえって戸惑う。
 いや、普通にまとまっているから「戸惑う」というのも失礼な反応なのですが。先生申し訳ありません。
 ただ、やはり今になって思い出したかのように友成本に手を出しているのは、脳味噌蕩けるようなはちゃめちゃな展開が楽しみたいから――というのがある訳で。その意味から本書をみると、これまで出会ってきた作品に比べると多少大人しいような気がする。大筋では、伝記エンタとしてはごくごく普通の展開。 地球征服を狙うワルモノと、特殊能力を得た人類代表との戦い。ワルモノが悪、人類代表のヒーローは善という二元化がはっきりしている。友成作品では、この二元化が曖昧だったりすることが多いのだが、その点に逆に驚く。村雨正人、いいやつ!
 ただ、局所的に読むとやはり友成作品。限度を超えた暴力に人間は潰れ、臓物ははみ出し、眼球が飛び跳ねる。このあたりのグロい描写に関しては全く手抜きをしていない。 常に人間なんて皮袋、尊厳なんてクソ食らえといった、媒体を考えない丁寧な仕事は、やはりファンを狂喜させるものがあるだろう。特にテレビ局内での、魔物が暴れる実況放送の壊れっぷりは凄まじい。仕事熱心なディレクター氏がいい味を出している。
 一方で、終盤にとりあえず東京・千代田区の魔の大群と、魔界ハンター・村雨正人が戦う場面。こちらは何がなんだか訳わからなくなって、その場でいきなり登場する設定があるなど意味不明。その意味不明のなかでも「ああ、なんか凄いことになっている」というのが伝わってくるので結果OKなんです。最後のウォンケイと、村雨の死闘にしてもなんかもうわけ分かりません。ま、だからいいんですが。かくして一時的ながら東京の平和は守られたのです!

 たまたま古書店で三冊揃いで入手しているので、この続きが手元にある――という幸せ。果たして魔界ハンターはこれからどうなっていくのだろう。次はどうやらロンドン編のようです。わくわく。(でも考えてみると、友成入門には比較的この作品分かりやすくて良いかも、とも)。


08/04/15
貫井徳郎「夜想」(文藝春秋'07)

 題名は「やそう」と読む。『別冊 文藝春秋』二六一号から二六九号にかけて連載された作品の単行本化。(読了後すぐに感想が書けなかったので約一年ぶりに再読しました)。

 愛する妻とまだ幼い娘を突然の交通事故で喪った三十二歳の自動車会社ディーラー・雪藤直義。復職は果たしたものの、心ここにあらずの結果仕事のうえで平凡なミスを繰り返して、同僚に迷惑を掛けていた。当初こそ同情していた周囲も、徐徐に態度が冷淡になってくる。そんななか、落とした定期入れを拾ってくれた女性が「シンクロした」といって涙を流す事件が発生する。カウンセラーに通っても心も晴れない雪藤は、自分のために泣いてくれた通りすがりの女性のことを知りたくなり、仕事中に待ち伏せを行って再会を果たす。天美遙と名乗った彼女は喫茶店アルバイト。しかし相手の所有物から残された感情を読み取るという不思議な力を持っていた。当初は自制していた雪藤だったが、いつしか遙が自分を救ってくれる存在ではないかと考えはじめ、彼女の力・考え方をもっと世間に知らしめるべきなのではないかと考え始める。一方、地方都市に住む子安嘉子は、娘の亜由美が家を出て行くことに困っていた。自分自身は規則正しく清い生活をしている筈なのに、いつしか娘の亜由美は自堕落な生活になってしまっている。自分の意見を言っても彼女は全く聞き入れてくれない。ある日、遂に亜由美は姿を消してしまい、嘉子は亜由美が交際していた若者と一緒に町と自分を捨てて上京してしまったことを知る。

貫井徳郎の才能と特徴が密に詰まった作品。魂の絶望の遍歴、そしてその救いとは何なのか
 突然の事故で妻子を喪った男と、その男に頼られることになる女の物語。平凡な日常を送る人間には想像することしかできないのだが、突然”被害者”となってしまった主人公の荒んだ心情を、主人公の立場から描ききってしまうのが作者の手腕。前半部は普段通りに振る舞おうとしながら、様々な感情の振れに振り回される様子、そして後半は感情を制御して立ち直りつつあるようにみえながら、実際はまだ完調ではない様子、そして終盤はもう一歩進んだ状態が、1.5人称にて描かれてゆく。その変化があまりに自然に描写されているので気付きにくいのだが、この雪藤の心の変化(それは途轍もない悲しみに遭遇してしまった人々にある意味共通する心情だろう)が、この作品の重要なテーマのひとつである。
 一方で、天使のように描かれる天美遙。雪藤がひたすらに縋り、一方で守ろうとする彼女と、雪藤との微妙なすれ違いも巧い。雪藤が鈍感に過ぎるようにみえるかもしれないが、何かに心が囚われてしまっている人間なぞこのようなものだろう。彼女が最終的に完璧ではないことを雪藤が気付き、認めるところもまた、この作品のテーマとしては重要な部分だ。再読して気付いたがその意味では雪藤、遙の二人以外、笠置や三森、マスターといった脇役格にしても、様々な背景を持ちながら、それを表出させずに淡々と動いているところに本書のテーマに沿った意味合いが隠されている。
 本書のテーマとは、即ち心の絶望と悲しみ、そしてそこからの立ち直り。 本書で描かれている方法が救いの唯一無二の方法とはいえない。しかし、本書で触れられるあることに気付くことは重要なことだろう。(実際に悲しみの淵にある人がこの哀しい物語を読むことがあるのかどうかは別の問題だ)。浅薄な読み方だと新興宗教を裏側から描いた作品のように受け取られるかもしれない。しかしあくまでこのテーマのなかで必要だったことに気付きたい。そこに吸い寄せられる人々がどれだけ心に傷を負っているのかも。
 そして一方では、貫井徳郎氏らしい微妙なトリックがある。二つの章がどのように交錯してゆくのかという点はまたお馴染みのサプライズともいえようが、もう一つ、主人公雪藤が、再度の絶望に陥ったあとの描写に凄まじさを感じた。心はこうまで壊れてしまうのか。そこまで絶望に至ったあとだからこそ、表紙カバーにあるような、闇夜に一筋の光明というラストに心が癒されてゆく。

 本格ミステリ指向や純エンターテインメント系の特徴を持ついくつかの作品群以外、貫井徳郎氏は常にといっていいほど物語性、テーマ性を重視する創作姿勢を崩していない。 この点は、貫井作品の初期から現在に至るまで変わらない、むしろ一時期以降は強く重視されつつある要素であり、『慟哭』のサプライズや『プリズム』のゲーム性ばかりが印象的に重視されるとこの作家の本質を見誤る可能性がある。むしろ鮎川賞時代から貫井氏を知るような旧くからの読者の方が(恐らくは本格ミステリ寄りであるが故に)、この点に誤解があるようにも思う。

 テーマ性にしろ展開にしろ、そして仕掛けられた企みにしても、これまでの貫井徳郎氏がさまざまなかたちで描いてきたテーマを更に押し進め、発展させた内容。そしてそれらが一冊に凝縮されているのが本書だと思う。そしてそれでいてきちんとリーダビリティを保っているところもまた作家としての成長を示すものだといえるだろう。発売後約一年、残念ながら超話題作になるには至らなかったようだが、貫井徳郎氏の他の代表作に十分肩を並べる作品だと思う。


08/04/14
関田 涙「晩餐は「檻」のなかで」(原書房ミステリー・リーグ'07)

 関田氏は2003年『蜜の森の凍える女神』で第28回メフィスト賞を受賞してデビュー。その後も講談社ノベルスを中心に著作を発表。本書はもちろん、書き下ろしの長編作品。

 かつて漂流社という出版社からハードボイルド作品でデビューしたものの、鳴かず飛ばずに終わり、現在は著作が発表できずにいる作家・錫井イサミ。書きためて持ち込んだ原稿は、漂流社の編集・渡部からけちょんけちょんの評価を受けるが、新たな叢書のために本格ミステリを書いてみないかと誘われる。ミステリの素養がない錫井は一計を案じ、パラレルワールドの日本、そして奇妙な舞台と設定を作って、過去の類例とネタが被ることを避けることにした。――その世界では死刑廃止が叫ばれており、日本政府はその代替案として仇討ち制度を新たに発足させていた。匿名で七人の人間を三日間、脱出できない特殊な生活をさせたうえで遺族が犯人を殺害することを認めたのだ。しかし、様々なルールがあり犯人、遺族の他にも探偵役がおり、遺族が犯人を殺害したとしても探偵役がその遺族を特定した場合は様々なペナルティが課せられる――。彼らはヤギやイヌ、サルとネーミングされている。そして今回、七人の男女が三階建てで真ん中に螺旋階段のある奇妙な建物に集められた。 独立した個室はあるが、その扉がガラス製、さらに鍵はかからない。ここでどんなドラマが引き起こされるのか。一方、執筆を進める錫井であったが、近所の奥さんにエッセイ集出版の踏み台となるために誘惑されたり、売れっ子美少年作家に犯されたりと多忙な日々を送っていた。

仕掛け満点。異端本格ミステリ作家らしい、実にヘンテコなミステリ
 まず普通に感じるのは、売れない作家が送る日常風景が恐ろしいほどリアルな点。単行本はおろか、発表の機会さえない家族持ち専業作家。働いている妻の代わりに専業主夫のまねごとをし、編集者に阿り、作品の発表のためならプライドも捨て去る。メール交換していた若い読者は権威あるライトノベルの賞を取り、自分は売れっ子作家への人身御供となってしまう……。ふんふんと感心させられるこのパート、ここが単なる内情話ではなく、実はミステリの主要なパートであるところが関田涙の真骨頂。
 一方で、メインともいえる作中作『檻の中の七匹の獣』。こちらの出来は正直、芳しいものとはいえない。設定の背景となる仇討ちのシステムが込み入っている割に効果が薄く、また折角のクローズドサークルでありながらサスペンス感覚も皆無。謎解きにしても「犯人を当てなければ次は自分が犠牲者かも……」といった切迫感無く、どこか暇潰しで推理しているようにみえる。だからこそ、この作中作とメインパートの組合せに不気味な面白さが発揮されているのは計算の内なのか外なのか。
 特に終盤に見せつけられる数多い関係者の錯綜と交差が本書の読みどころ。 伏線だと思われた部分は捨てられ、些細な設定が重要視され、人は入れ替わり時空を飛び交わす。このあれよあれよという展開と、同時に「ありゃなんだったの」という脱力感。ある意味流石である。

 ただ――危惧されるのは、普通の意味でのエンターテインメントとしてはぎとぎとどろどろと、様々な趣向が交わっていて理解されにくいであろう点。ミステリマニアの局所には馬鹿受けするであろう作品だが、その局所以外には微妙な評価となりそうだ。個人的には楽しく読めたが、そういう意味で広くお勧めできるか――というと微妙に難しいところ。奇妙な作品であることは確かなのだが。


08/04/13
近藤史恵「モップの魔女は呪文を知ってる」(実業之日本社JOY NOVEL'07)

 近藤史恵さんの近作においても独自の輝きを放つシリーズのひとつが、この掃除人・キリコを探偵役としたものだ。現在のところ『天使はモップを持って』『モップの精は深夜に現れる』の二作が刊行されており、本作品集がシリーズ三冊目となる。月刊『J-novel』や週刊『アスキー』といったところに掲載された作品に書き下ろし「コーヒーを一杯」が付け加えられている。

 スポーツクラブのアルバイト・殿内亨はフリーインストラクターの村上芹香が気になっている。そんな亨の楽しみは深夜、スタッフも全員帰った後に素っ裸でプールで泳ぐこと。そんなお楽しみの最中に女性が現れて悲鳴が。もちろん彼女は清掃員のキリコ。そしてプールでは水中で急に火傷が出来るという奇妙な出来事が発生して……。 『水の中の悪意』
 大学の為に東京に出てきた鶴田奈津。友人も出来なかった彼女が恋に落ちた。相手はペットショップにいた猫。しかしその猫は高価だった。奈津はその費用を稼ぐために昼夜別々のアルバイトを入れ、生活費を節約。身体を痛めつけるアルバイトの様子を心配する同僚となったキリコ。しかし猫は別の飼い主に買われてしまい……。 『愛しの女王様』
 新人看護婦で小児病棟に配属となった只野さやか。しかし入院している子どもたちは性格が悪く、彼女は振り回される毎日。そんな病院に、この病院には魔女がいる――という噂が立った。更に入院中の井上雪美の母親には、わざと娘を病気にさせているのではないかと疑われる行動が……。 『第二病棟の魔女』
 坊野美穂は女社長として必死の思いで通販会社を経営していた。その彼女の唯一の身寄りで妹の果穂が会社に乗り込んだ挙げ句、あまりに我が儘を。そしてある深夜、発作的に美穂は果穂を殺害してしまう……。 『コーヒーを一杯』 以上四編。

頭脳の回転の速さのうえに積み重なる優しさ。人間関係の奥深さや優しさも重要なスパイス
 このシリーズにおける探偵役は、紛うことなく清掃員・キリコ。だがこの作品集を読んでいると彼女の方がむしろ脇役に思えてしまう。四作品それぞれに視点人物が異なり(その短編における主人公クラスの人間が物語を語っている)、キリコの登場している場面も決して長くない。謎解きの役目こそ作者から与えられているものの、全体的に実に控えめな存在として、物語の舞台袖に引っ込んでいるような印象だ。
 その一方で、四つの作品を引っ張るのは個々の短編で主人公格としての役割と視線を与えられた登場人物たち。特に今回の四つの作品で顕著なのは、視点を割り振られた人物はみんな「お金を稼ぐ」人物であるという点。 現実にもそうだが、社会人になる=即ち、生活の糧を得るという行為にはなにがしかのストレスが発生するもの。他人からみれば好きなことをしているように見える人間であってもそれはまた同様。そのストレスが人に与える影響は人によってさまざまで、本書の場合そこからドラマが始まっているかのような印象を感じる。
 ミステリとして、途轍もないアクロバットが仕掛けられている作品集ではないが、ミステリという形式を選ぶことによって登場する人間たちの様々な心理模様がより深く浮き彫りにされている。また必ずしもキリコのみならず発される、人間の優しさが物語自体を温かく包んでいる。一方で悪意の描き方も鮮烈で『第二病棟の魔女』の展開は、なかなかにスリリングであった。また『コーヒーを一杯』におけるラストの犯人の改悛などもこのシリーズらしさをみせている。

 シリーズが進むにつれ、必殺掃除人的なキリコの存在が薄まってきているように思えるが、それでも要所に顔を出しては事件に始末を付けていく最低限の展開だけは維持。むしろ、キリコ自身を巡るさまざまな変化がサイドストーリー以下の微妙な描き方がなされている点が気に掛かる。そろそろ長編で大活躍といったものも読んでみたいところ。


08/04/12
芦辺 拓「裁判員法廷」(文藝春秋'08)

 法廷ミステリというジャンルは地味ながら数々の佳作をものにしているミステリの一ジャンルといえるのだが、その法廷ミステリを超えた、裁判をテーマにしたミステリ作品が本書。帯にある通り、まさに「裁判員ミステリ」である。三中編から形成されており『オール讀物』2006年4月号発表の「裁判員法廷二〇〇九」が改題された『審理』、『J-novel』2006年10・11月号に発表された「評議――裁判員法廷二〇〇九」改題の『評議』、そして書き下ろしの『自白』にて構成されている。

 裁判員法廷、即ち裁判への市民参加が決定した後。読者である”あなた”は裁判所からの呼び出しによって法廷に座っている。裁判員は裁判の様子、即ち検察側と弁護側がたたかわせる意見を聞き、事件を吟味して被告の有罪無罪、そして量刑についても関与することになる。検察側に登場するのは若き女性検事・菊園綾子。そして弁護するのは森江春策。彼らは事件を巡り、被告の有罪無罪を狙って丁々発止のやり取りを繰り広げる。さらに裁判の市民参加に熱心な藤巻裁判長に、ベテランの貫禄と魅力を兼ね備えた玉村君枝、若手裁判官の青井の三名青井涼太という職業裁判官と、”あなた”を含む六名が審理のやり取りを注視している――。
 殺意をもって被害者の事務所に赴いた被告。しかし被告は指一本、被害者には触れていないという。状況やアリバイからは彼が真犯人であることは確実にみえる。罪を固めようと躍起になる綾子に対し、森江春策は一見、何を主張しようとしているのか分からない――。 『審理』
 マンションに住むどら息子。彼に捨てられ自殺した友人の仇をうとうとしていたのが被告の女性。密室内で相手と共にいたはずの彼女は、相手を殺していないと主張。有罪と無罪が裁判員のあいだで分かれ、彼らはその日何があったのか議論を尽くす。 『評議』
 自費出版希望者を食い物にしてきた作家が殺害された。その日訪れた複数の人物が生存中、死亡後の被害者を目撃しており、犯人はアリバイによって確定したと思われた。更に被告自身が有罪を宣言、無罪を信じる森江春策は――。 『自白』 以上三編。

裁判員制度を意欲的に描いた、最初の作品がいきなり傑作。
 芦辺氏は以前に『十三番目の陪審員』を発表している。この作品も一般市民が裁判に参加する設定を用いていたが、その段階ではあくまで架空の設定。そういった実績を持つ芦辺氏が、裁判員制度が近く施行される――というこのタイミングで、裁判員制度導入後を想定したこれまでにない新しいミステリを生み出した。
 もちろんほとんど現場は裁判所内部。事件も裁判所のなかで再現されるため、ミステリとしては安楽椅子探偵小説の部類に入るだろう。しかし上記した通り、法廷ミステリとしてはどこか異色の作品となっている。まず一つ特筆すべきは、その新しい裁判員制度そのものを法廷ミステリとして活かした点にある。また、そして、法廷ミステリにおける最大の特徴である、弁護側と検察側の行き詰まる攻防――においても、もちろん数多く名場面があるのだが、単に弁護士と検事のたたかいを眺めさせるだけではなく、発生した事件について読者(これは即ち裁判員として当該裁判に参加する「あなた」を意味する)に推理する余地をしっかりと残している点に工夫がある。検察=悪・弁護=善(ないしその逆)といった単純な構図に事件がなっていないため、各作品にメリハリが、対決以外のところにも取り入れられている。それはまた物語の深みへとも繋がっている。
 また、どうしても裁判員ミステリというその形式ばかりに目が行きがちだが、事件の方も地味(?)ながらきっちり全てにどんでん返しを仕込んであり、ミステリとしてのサプライズも得られる仕掛けとなっている。そのサプライズの意味では最終話にあたる『自白』が最高。 詳しくは書けないが、中編の三作品目で既にこの形式に慣れたであろう読者の常識を裏返すような仕組みになっているからだ。すっぱり騙されましたよ。(またこの『自白』は、ミステリに詳しい方であればモデルになった人物に思い当たろうし、それはそれでマニアックな面白みに繋がっているところがある)。
 そして裁判所における丁々発止のやり取りもまた印象に残るところ。恐らく頭は抜群に良いだろうが哀しいかな常識的に過ぎる考え方を持つ菊園綾子と、弁護士だけでなくこれまで数多く彼がこなしてきた探偵としての実績から戦術を使う森江春策。双方、正義を為すことに躊躇いはないものの、どこか微妙なライバル関係にあるところなども今後に向けての期待のしどころだ。
 細かな点をいえば、難解な裁判の方式を藤巻裁判長などの登場人物を通して分かりやすく説明してくれているところや、それぞれの人称の使い方など細かな点にまで非常によく気が回っている。また三作品が三作品とも、微妙に作品としての構図が変化している。そういった読者を飽きさせない工夫も様々な場所に仕掛けられている。

 常にミステリの”在り方”を考え続けている著者だけが(現段階では)執筆できる作品ではないか。芦辺ミステリといえば、いわゆる旧き良き探偵小説を下敷きにしているように思える作品が多いというのが一般的だろう。しかし本書から感じられるのは昭和後期のミステリの雰囲気。 決して時代は遡っていないのだけれど、裁判員制度を新しい風俗と捉えることで地に足がしっかり着いた作品に仕上がった、そんな印象を受けた。本格ミステリとしても、エンターテインメントとしても十二分に楽しめる、年末にかけてのランキング等で今年度の話題作品のひとつとなることは間違いないだろう。


08/04/11
永嶋恵美「白銀の鉄路 会津〜奥只見追跡行」(祥伝社文庫'06)

 永嶋さんは2000年『せん−さく』にてデビュー。第三長編『転落』、ミステリフロンティアで刊行された『一週間のしごと』が話題作となった。本書は著者初の文庫書き下ろし、かつ長編トラベルミステリということになる。

 福島県で発生した老人夫婦の心中事件の再捜査のため、交通課を経て刑事課に配属されたばかりの三尋由香里は、ベテラン刑事・藤之木と共に東武電鉄特急で会津方面へと向かっていた。途中、よく喋るが身体の調子の思わしく無さそうな老女と、マスクをして仏頂面をした年配の男性とのカップルと出会う。「会津なんとか」に行くと言い残した彼らにあった何か不自然な様子。藤之木は彼らが老夫婦ではないことを見抜いていた。一方、三尋が所属する浅草署管内で放火事件が発生。年配の男性と女性、一組の遺体が発見された。しかし、この二人も夫婦ではなく、二組の老夫婦のそれぞれ妻、夫であることが判明。身体の不自由な彼らは心中したのか、それとも殺されたのか。老夫婦の一人、行方不明となっている鈴木花子なる女性が、会津で自分たちが出会った老夫婦風カップルの一人であったことに三尋は気付き、彼らの足取りを追おうとするのだが折しも大雪でダイヤが乱れていた……。

トラベル・ミステリに高齢化社会の問題という社会派テイストを絡めた意欲作
 作品内に時刻表が登場し、東武特急による出張の様子が冒頭から展開されるなど、鉄道好きによるミステリという雰囲気がぷんぷん漂う。 ただ一方で事件の方は鉄道とも旅情ともあまり関係のない高齢者の心中・殺人事件。彼らが故郷に向かう列車が該当する鉄道路線を走るというところが、トラベルと事件との唯一の繋がりにあたっている。個人的に鉄道関係に強い思い入れがないせいもあるかもしれないが、鉄道に関するTipsといったような内容もそれなりに揃っているのもファンには魅力となるのだろうか。
 そういったなか、ミステリとして感心したのは真犯人が職業的立場を利用して行うある詐欺行為について。当然詳しくは書かないが、これは実際に行われたとしても現代の世相のなかではほとんど発覚しないのではないだろうか。また真犯人が犯罪に走る心の闇というのも、決して大仰でもなく、近年の格差社会のなかでは当然すぎるほどあり得る話。近年の状況のなかでは、ここまで極端ではなくとも貧富や幸不幸を起因とする嫉妬心は、現実であっても従来から、よりかき立てられてゆく方向にあるのではないだろうか。
 終盤で犯人も確定、あとは保護だけ、という場面になってからの描写はちょっと冗長。彼らの行動が特定できた段階ですっぱりと物語としては区切ってしまってもいいかもしれない。

 トラベルものとしても、謎解きとしても、すっきりこなれた文章そのクセの無さゆえに読者を選ばない作品。ミステリが好きな人はもちろん、そうでない人にとってもハードルをあまり感じさせないように思われる。