MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/04/30
友成純一「魔界ハンター〔2〕切り裂き魔降臨」(ソノラマノベルス'91)

 現在のところ通算三冊が刊行されている「魔界ハンター」シリーズの二冊目。前作にして一冊目の『魔王降臨』から僅か四ヶ月。立て続けに刊行されているが、友成クオリティは万全。

〈地獄の炎〉教団による魔の手から東京を救った”魔界ハンター”・村雨正人。相棒となった週刊誌記者の額田希美子の企画第二弾の関係で、東京からロンドンへと渡欧していた。怪奇現象や心霊現象研究が盛んなロンドンにあって、百年以上の歴史を誇る”超心理学研究所”で村雨の能力を測定。さらにロンドンに数多く存在する怪奇スポットを回り、数々の謎に挑戦。名付けて「魔界ハンター 魔都ロンドンを探る!」というのが希美子がぶち上げた企画であった。しかし、超心理学研究所の所長・リチャードは、実は〈地獄の炎〉教団に属しており、正人の身体を監視下におき、魔王降臨に向けて役立てようと考えていた。正人はその能力はキープしたまま、リチャードの奸計によってその能力は封じられ、近くにいる魔物にすら気付けないような状態となっていた。一方、リチャードが個人的繋がりをもつ、猟奇専門のビデオ会社エブリマンズ・ビデオは、街中のパンク少年・少女に声を掛け、残酷なビデオ撮影をやって欲しいと依頼する。そのうちの一人、うすのろで仲間にも馬鹿にされかけていたブライアンが、なぜかその役をやらせると活き活きと残酷な行動を取るようになってゆく……。

ブライアン最高! 魔界ハンターの次なる戦いよりも、いきなり目の前の、その周辺状況が重要。
 世界中にその触手を伸ばす〈地獄の炎〉教団。東京などという辺境ではなく、本家本元はやはりヨーロッパ。今回の敵は、超心理学研究所の所長をしているリチャードとその一味。彼らは、霊界と現実の境目を薄めてしまう村雨正人の超能力を使って、伝説の殺人鬼”ジャック・ザ・リッパー”、即ち切り裂きジャックを呼び出してしまうのだ。荒唐無稽というか御都合主義というか、しかし”自然に”人間破壊を行える環境を作者が整えるのに、このロンドンという選択は日本国内以上に重要だったのかもしれない。(友成氏にはロンドンを舞台にした作品やエッセイ、評論が多数あり、ホームグラウンド的存在であったことも大きいとは思う)。
 本作におけるヒーローは、やはり村雨正人ということになるのだが、友成氏は彼に対してヒーローらしい扱いを行わない。彼はむしろ触媒としての存在の方が重要視され、本書における主人公はエブリマンズ・ビデオの依頼で残酷な殺人場面を録画してゆく、ウルフとブライアンのコンビにありそうだ。特に、中盤から明らかに切り裂きジャックに精神を則られているブライアンが最高。相棒のウルフをして、まさかお前に、変態の才能があるとは思わなかったよ。このヤラシイ奴め、ヘンタイめ」と言わせてしまうブライアン。中盤の盛り上がりは、彼の猟奇的な人体解剖場面にあるといっても過言ではない。徹底して描写される人間の汚い部分。さらにブライアンと、ウルフの愛人であったジュリーとの交流(?)は、徹底して気持ち悪さが先に立っている。まあ、それでこそ友成純一氏なんでしょうが。
 ラストにリチャードを裏切る科学者一派の戦いも、ユーモアと残酷さが微妙に同居。さらにリチャードが失敗した最大の理由というところも笑える内容。こういったグロさと、それに伴う変なユーモアが発揮されるとますます友成作品にのめるこむ契機になっていく訳で。

 設定にしても、その描写にしても凡百の、市井の作品より遙かに刺激的。とはいうものの、友成純一氏の一連の作品群においては、その両者とも控えめといって良いだろう。ただ、友成作品の根底にある安っぽいヒューマニズム批判や、人間は皮一枚向けば単なる汚物――といったコアとなる要素はきっちり演出に使われており、総合的には実に標準的友成作品だ、というのが本作の評価。


08/04/29
三雲岳斗「少女ノイズ」(光文社'07)

 ライトノベル出身ながら一般向けSFやミステリなど、ジャンルを問わない活躍を続ける三雲岳斗氏。本書は『ジャーロ』二〇〇六年春号から二〇〇七年夏号にかけて発表された五つの短編からなる連作集。

 写真関係の特殊な趣味を持つ理系大学生・高須賀克司(愛称・スカ)。異常犯罪を専門に研究する三十代でひと目を引く外見を持つ女性法医学准教授・皆瀬梨夏と一種共生関係にある。その梨夏からスカは大手進学塾の雙羽塾での講師のバイトを押しつけられる。担当する生徒は斎宮瞑。成績優秀な美少女ながら問題児。塾にいる間は立ち入り禁止の場所でじっとしていることが多いが、スカはその裏に彼女にかけられた多大なプレッシャーがあることを知る。そんな二人が遭遇する五つの事件。
空から降ってきた何かにあたって担任教師が死んだ。その部分が空白の記憶となっているスカと、彼が講師を務めさせられる斎宮瞑との出会い。 『Crumbling Sky』
身体の一部を切断してゆく高校生連続殺人事件。最初の現場に忍び込んだスカは、瞑と同じ学校に通う納戸愛美と出会う。次々と発生する殺人事件の真意は……? 『四番目の色が散る前に』
スカが雙羽塾の屋上で飛び降りを考えているようにみえる少女・浦澤華菜と出会う。彼女は塾内で何者かに狙われているらしいが……。 『Fallen Angel Falls』
自分につきまとうストーカーを刺したという森澤恵里。しかし密室中でその痕跡ごと被害者は消えた。彼女は幽霊を刺したのか……? 『あなたを見ている』
スカと共に塾の試験官をしていた名村遥香が、試験中に撲殺された。生徒もスカも気付かないなかでの殺人でスカは第一容疑者。更に暗室で火事にも巻き込まれ……。 『静かな密室』 以上五編。

ラノベテイスト強い青春小説に、がちがちの本格ミステリが絡む独特の風合い
 主人公の大学生・高須賀のある特殊な趣味や気弱なタイプという造形、また彼に平気で飲み物を奢らせる傍若無人の女性准教授・皆瀬梨夏、そして対外的には超優等生でありながら、主人公の前では無礼かつ怠惰な天才無気力少女・斎宮瞑。主人公がワトソン役となり、天才少女が探偵役となるミステリとしてはオーソドックスな形式を取りつつ、この三人を中心とした人間関係と、個々の人格に個性を貼り付けるやり方はラノベのそれ。青春ミステリとしては、はいはいお好きにどうぞー、という苦いようでいてひたすら甘い(作品内表現では苦いばかりかもしれないが)作品。見た目、美女と下僕の関係にあるようでいて、精神的には実は逆転している関係性など甘酸っぱいものが。(嫌いではないが)。
 ただし、謎解きの方は、ばりばりの本格ミステリ指向。 特に二作目の『四番目の色が散る前に』は年度級の傑作。また四作目の『あなたを見ている』も、新本格を突破した破天荒な発想と設定が作品に映えている。特に『四番目…』では、『ABC殺人事件』を想起させながら、その結末までが二転三転。短編の割に登場人物が若干多く、最低中編くらいでまとめて欲しかったきらいはあれど、中身がその分詰まっている。登場人物の性格までにも踏み込んで意外性を演出する巧みさも作品のサプライズに繋がっており、自己主張は少ないながらセンスは確実にお持ちの作家だ。
 また、個人的には最後の作品『静かな密室』の超絶不可能トリックにも目が行く。試験官の二名のうち一人だけが、生徒にも気付かれずに死ぬことができたのか。これら他の四作は作品世界との親和性の高いエピソードが用いられているものの、トリックの新規性はそれほど高くない。そのトリックという意味では、この五作目が抜群にクオリティが高い(というか初めて見るのでそう思うだけかもしれないが)。また、ラノベ特有の結界(?)にあった主人公が、警察の取り調べで趣味を暴露される場面があり、そこから更に現実風に展開するか(登場人物が現実に投げ出されるか)と思ったが、それは気のせいだった。

 さすがラノベ出身だけあって読みやすいことはもちろん、エピソードの細かな若者心理の動きなどもしっかりと描かれておりレベルは高い。本格ミステリとしても、大トリック、小トリックちりばめられており、人間心理に裏打ちされた動機など特筆すべき点が多い作品だ。 あとは続編が出るのか出ないのか。このあたりも少し気になるところ。


08/04/28
太田忠司「百舌姫事件」(トクマノベルズ'08)

 あいだに短篇集『狩野俊介の記念日』を挟むとはいえ、書き下ろし長編としては『久遠堂事件』以来、は実に七年ぶりの狩野俊介シリーズ作品。その期間が長きにわたったこともあり、表紙絵のイラストレーターさんも変わってしまっている。

 三月の終わり、野上と俊介の住む町に奇妙な人々が現れるようになった。薄い鞄の中に隠れてしまう犬。袋のなかに消えてしまう女性。そんな彼らが指し示すのは3月29日という日付だった。野上英太郎は、喫茶〈紅梅〉のアキや、狩野俊介の友人・遠島寺美樹らから様々な噂を聞き、二人も謎の道化師が操る風船人形と出会う。彼らは「那賀操車場跡地」というキーワードから、同じく現地に向かおうという高森警部らと合流、そこで巨大なトラックに乗って現れた須黒魔術団なる一団と出会った。彼らはこれから町で公演を行おうとしており、その宣伝のために町中で様々なパフォーマンスを行っているのだという。一方、野上は宝飾店輝美堂の店長から相談を受ける。須黒魔術団が訪れた街では、手品としか思えない方法で宝石盗難事件が発生しているという噂を気にしたのだ。まだ事件は起きていないが、野上は魔術団のことを調査することを引き受ける。更に彼ら旧知のマジシャン・滝之水梨花もまた、今回の公演で雇われマジシャンとして一時的に魔術団に参加しており、野上は内部調査を依頼する。そして須黒魔術団公演の初日。野上と俊介は警部らと見物に出向く。様々なマジックを楽しんだが、最後の演目は街の人々もほとんどが知らない伝説「百舌姫」をテーマにした魔術劇。マジックは凄かったがシナリオの後味が悪い劇であり、終了後に街の有力者が激怒していた。更に、輝美堂からはダイヤの指輪が盗まれ、容疑は須黒魔術団のメンバーへと向いたがその人物は失踪、さらに初日に劇をみて怒っていた有力者の一人が、庭木に貫かれ、あたかも百舌の早贄を思わせる状態で死亡しているのが発見された。須黒魔術団は事件とどう関係しているのか……?

狩野俊介のじっくりとした成長譚に、宿少シリーズのエッセンスが加わった長編
 調べてみると初めて狩野俊介がトクマノベルズで登場してから既に十七年が経過している。シリーズ十四作目にして、作品内の時間の経過はようやく一年。 でも、その一年で着実に狩野俊介の内面が成長しているのがこのシリーズの良さであり、特徴だと思う。ミステリのお約束である、一年のうちに何回殺人事件に遭遇するんだ! というようなつっこみを抜きにすると、この間に例えば野上との擬似的とはいえど親子のような関係を創り上げ(これはむしろ野上の側の戸惑いと悩みの方が大きい)、クラスメイトときちんと友人関係を結び、〈紅梅〉のアキからは実の姉のような様々な教育指導を受ける。最初は戸惑いつつも、しっかり受け止められるだけの幅の広さを持つようになり、更に本作では自分の信念を他者に主張できるまでになっている。そういった部分を読むだけで何となく安心させられる。
 さて物語の方。冒頭から種の分からない奇術めいた趣向が多く凝らされ、俊介らの住む世界が煙に巻かれる――。この展開ってどこかで……と考えると思い浮かぶのが、先に完結している『新宿少年探偵団』、いわゆる「宿少」シリーズの前半作品に印象が近いのだ。まさかパラダイムはシフトさせないとは思うが、太田忠司さんの持つ怪奇なもの、不思議なものへの憧れといった感覚が再び強く感じさせられる。
 ただ物語としては魔術団という奇妙な存在に加え、宝石盗難事件と百舌の早贄のような殺人事件が絡むため、長編とはいえ若干詰め込みすぎてしまっているようにもみえる。確かに個々の問題についてはきちんと解決されるし、その解決に至る背景はあるのだが、不可能犯罪に対するミステリのトリックとしては個々は残念ながらシンプルに過ぎるように思われた。(ミステリファンの贅沢かもしれませんが)。

 個の作品としてよりも、やはり狩野俊介シリーズの切り離せない一部として評価すべき作品。本作に限っていうと事件の真相よりも狩野俊介の成長の方に興味が進んでしまうところがある。太田忠司さんの作品を大事にする優しさが良くも悪くもこのシリーズの特徴なのだと改めて感じられた。


08/04/27
薬丸 岳「虚夢」(講談社'08)

 『天使のナイフ』で第51回江戸川乱歩賞を受賞してデビューした著者の三冊目にあたる長編。(二冊目は『闇の底』)。書き下ろし。

 四年前、雪の北海道の平和な児童公園を襲った通り魔。訳の分からないことを呟きながら次々と弱者を刺し殺し、妻の佐和子に重傷を負わせ、娘の留美の命を奪った男・藤崎。しかし日本の法律は藤崎は「心神喪失」で罪に問われることはなくマスコミも報道を控えてしまう。佐和子の支えでミステリー作家を志し軌道に乗っていた三上の生活は破綻、佐和子とは離婚し現在はススキノの風俗ライターとして荒れた生活を送っていた。佐和子から離婚以来の連絡が入る。「娘を殺した犯人が目の前を歩いている!」たった四年で、なぜ藤崎は大手を振って世間を闊歩できるのか。半信半疑の三上もまた藤崎を見つけ出す。ただ、再婚していた佐和子は藤崎の幻影に怯え、異常な発言を繰り返し、再婚相手もまたそんな佐和子に愛想をつかす。一方、ススキノのキャバクラに勤めるゆきは、店を訪れた孤独な影を持つ青年に心を惹かれる。彼は藤崎と名乗り、ゆきは一夜を彼と共にする。ゆきには風俗で働く事情があり、ストーカーめいた客・田代の借金問題に絡んで田代に襲われる。そのゆきを救ったのは藤崎だった。しかし藤崎は少しずつ言動がおかしくなりはじめて……。

犯罪そのものだけでなく、その後の「断罪」を通じて浮かび上がる人間心理とその模様
 雪の北海道を舞台に様々な思いが交錯する社会派人間ドラマ。『天使のナイフ』以来、薬丸氏はこういった犯罪者・犯罪被害者の心理を中心にさまざまな物語を紡ぎ上げており、本作もその系譜ど真ん中に連なるものである。通り魔という(本書発表後に秋葉原の事件がまた発生してしまった)、被害者にとっては避けようもない状態で殺害され、子どもの命を喪っただけでなく平穏な夫婦生活もまともな暮らしも何もかもが理不尽な犯人に奪われてしまった元夫婦。犯人は心神喪失と診断され、さらに心神喪失者による犯罪は、日本の法律上、罪に問うことは出来ない……。「誰を憎めばいいんだ!」という主人公・三上の心の叫びこそが本書の内容を端的に表しているといえるだろう。
 一方で、北海道のキャバクラ(は、どうやら本州以南のそれとは異なるシステムらしい)に勤めるゆき。身体障害者の弟と共に育てられ、彼を守っていくうちに心に負った傷がまた、痛い。家族に発生した問題は、家族で受け止めるシステム。このシステム故に友人や周囲から更に理不尽に傷つけられていく。そんな彼女と、先の事件の犯人である藤崎が寄り添っていく過程もまた本書の主要な演出のひとつである。
 そういった人間関係のなか、ゆきにつきまとっていた客が藤崎によって殺害され、藤崎自身も狂気の度合いを再び深めてゆく。そして、彼の存在を知って付け狙おうとする佐和子、それを抑える三上。風俗嬢として働くゆき自身も含め、物語上では明かされていなかった様々な秘密が徐徐に明らかにされてゆく。
 本書を支える根幹部分となるあるアイデアについては、古くは高木彬光作品あたりから前例がある。そして他にも類例はある。ただ、ミステリの内部における取り扱い方が本書ではドラマティックであり、オリジナリティ上の問題はあまり感じない。むしろ、それだけ長期間にわたってこの問題、法律の壁が日本の犯罪被害者史における、どうしようもない壁として横たわっているものだということに哀しい感慨がある。

 この作品のみで何かの答えの出る問題ではない。が、やはり自分が同じような立場になった時、どうするか――といったところは否応なく考えさせられる。そんな作品。


08/04/26
樋口有介「雨の匂い」(中公文庫'07)

 創元推理文庫、文春文庫と共に樋口有介を積極的に文庫化しているのが、この中公文庫。本作は著者デビュー十五周年ということで2003年に中央公論新社より書き下ろし刊行された長編を文庫化したもの。

 新宿百人町に住む三流大学生・柊一は、癌で入院中の父親・友員と、口は達者だが寝たきりの祖父・寛治の介護を淡淡と行う毎日。交際していた彼女に手ひどく振られた雨の降るある日、柊一が子供の頃に家を出奔した母親が急に父親の入院先に現れ、父親の生命保険の一部を自分に融通するように言ってきたが、柊一は気分を害するがあまりそれを表面に出さない。その柊一は、週に数日、歌舞伎町のアダルトビデオ店でアルバイトをしており、その店のオーナー・志万の持つ飲食店『ブラックハウス』によく顔を出している。ブラックハウスを切り盛りするのは志万の愛人・木音子といつの間にか志万の家に住み着いた若い娘・亜依。海外放浪の経験が長い志万は女遊びが盛んで、今晩も謎めいた黒ずくめの女性が『ブラックハウス』を訪れる。翌日、ビデオ店にいた柊一の前に、再び前夜の女性が現れ、一本のAVを借りると個室に籠もった。柊一はその女性がそのAVに出演している首藤李沙であることに気付く。一方、柊一の住む町の近所に、ゴミを大量にため込むゴミ屋敷と呼ばれる家があり、その向かいの緒川家の塀を塗る仕事をしないかと、柊一は隣人の鈴木ハツから頼まれる。かつて祖父は塗装屋で柊一も子供の頃はよく手伝っていたが、さすがに難易度が高い。断るつもりで下見方々緒方家を訪れた柊一は、そこで緒方家の娘で女子高生の彩夏と出会う。

様々な読み方が可能。実直で優しくて孤独な青年の、危険で静かな物語
 題名に雨が入り、実際に梅雨時の物語でありながら物語自体はむしろ乾燥した感覚に覆われている。主人公を中心とした1.5人称ともいえる特徴的な文体によって紡がれるこの物語、ミステリといえばミステリに分類されるのかもしれないが、むしろ犯罪小説になるか。ほとんどの場合、犯人を捜す立場の人間から物語が描かれる樋口作品にいての逆パターン。いってしまうと主人公が犯罪を行うに至るまでの経緯が、本当に淡々と書き綴られてゆくのだ。
 本作の場合は探偵に相当する人物がおらず、その分のサスペンスは別のところから立ち上る。やはり特筆すべきは主人公の境遇、そして不思議な行動様式。 真面目で優しく、人の話はきちんと聞くし自己中心的な印象もない。女性にもそこそこもてるようだし、理不尽な実母のたかりに遭うとはいえ、経済的な不安もない。だが、彼は冷静に、さらに特段の躊躇もなく犯罪を犯してゆく。 小説内で語られる彼のバックボーンにその萌芽を読み取る人もいるだろうし、逆にその動機と実行内容のギャップに恐怖する人もいるだろう。感覚的にはいずれも正しい。作者・樋口有介は、職人芸的な文体とその特異なセンスとで、物語をあくまで読者に提供するのみ。作者自身、正しい読み方を想定していないのではないかとも思える。

 個人的に「うあ凄い」と唸ったのは(ストーリーの中心に触れるので伏せ字)李沙の自殺後の柊一の行動だ。彼女の携帯履歴を確認→(物語的には李沙の空虚な人生を強調する一齣)志万の番号に掛けてワン切り→(李沙に対して不義理をし、苦労をかけた木音子を裏切った志万に対する復讐の一種)、そして自分の居た痕跡を消して立ち去る→(死んだ人間へのドライな柊一の態度!) 読んでいる間に柊一のミスは指紋かな……と思ったが違った。柊一は志万から助けてくれと相談を受け、彼のことを何も知らない風を装いつつ思い切りいたぶりながら、最後にアリバイに協力する。ここですここ。志万に対して恩を売るように見えるのだが、これってしっかり自分自身のアリバイも確保しているってことじゃないですか。しかも、向こうから偽証を持ちかけさせるという高等なテクニック。(ここまで)これを凄いと言わずしてなんと言います?

 作品内で主人公が口にする特徴的なフレーズ。相手がとうとうと自分について語った際の相槌として「立場は分かる」「理解は出来る」という返事が多い。一方的・自己中心的に自分のことばかりの周囲の人々、そして頭の良い柊一は彼らの感情の動きを、頭で理解し心で同情しない。 李沙がセックスで不感症だったことにも呼応するように、柊一もその点、身内であれど一定の距離感を保っているようにみえる。かといって表情に出さないが、自分の考えや感情はある。その考え、感情を文体によってわざと制約を設けて、作者はわざと読者から柊一の本質を見えなくしている風にも受け取れる。樋口有介のミステリでは動機に意外性があるケースが多いが、その意味でも本書はそういった一連の作品の裏返しにあたるのではないか。

 珍しくはっきり言えることなのだが、本作に限っては、何作品か樋口有介を読んでいる方向け。 この作品単体で読むことももちろん可能だけれど、樋口有介という作家の試みとは全く見当違いの読み方になってしまう可能性が高い。異色作扱いということになっているようなのだが、決してそんなことはなく間違いなく樋口有介の系譜にある作品だ。ファンならば逆に必読である。


08/04/25
貴志祐介「狐火の家」(角川書店'08)

貴志祐介初の本格ミステリ! という触れ込みで高い評価を得た『硝子のハンマー』。同書に登場した弁護士・青砥純子と、防犯ショップを営む謎めいた人物・榎本径が再登場。密室づくしの四中編。『野性時代』二〇〇五年十一月号、二〇〇七年二月号、二〇〇七年十一月号にて発表された三作品に書き下ろし『犬のみぞ知る』が加えられている。

 長野県の田舎にある民家で女子中学生が突き飛ばされ、頭を打って死亡しているのが発見された。第一発見者は父親で現場が鍵のかかった密室状態であったこともあり、容疑者にされてしまう。父親の弁護を引き受けたのが青砥純子。しかし彼女はその密室に頭を悩ませることになる。 『狐火の家』
 外国産の大きな蜘蛛を何種類も飼育するコレクター。そのコレクターが自分の飼っていた毒蜘蛛に刺されて死亡する。密室内で発生した事故か殺人か。別の熱狂的コレクターと、被害者の妻とがいがみ合うなか青砥純子が仲裁に入るが……。 『黒い牙』
 将棋の大きなタイトル戦・竜王戦が行われている当日、将棋連盟に所属する若手棋士・竹脇五段がビジネスホテル内部で殺害されているのが発見された。現場は内側からチェーンが掛けられた密室状態。現場に呼ばれた榎本は実は将棋マニア。竹脇と交際している将棋界のアイドル・来栖奈穂子が気になり、独自に捜査を開始。 『盤端の迷宮』
 劇団「土性骨」に所属する松本さやか。彼女が青砥純子に相談を持ちかける。劇団の座長が撲殺され、その犯人は劇団の二枚目俳優・飛鳥寺だと思われるという。しかし座長は凶暴な犬を飼っていたため、飛鳥寺は座長の家に入ることが出来ない。ならば、入れたのは犬に慣れたさやかではないかと疑われるかもしれないというのだ。 『犬のみぞ知る Dog knows』 以上四編。

既に手慣れた印象すらある、スマートにして直球ど真ん中の本格パズラー作品群
 青砥純子と榎本の軽妙なやり取りや、作り込まれた事件背景にまず目が行くところ。確かに二人の漫才的ですらあるやり取りは面白く(特に『犬のみぞ知る』に至ってはユーモア・ミステリに範疇に入るだろう)、また事件背景についても、特異な状況下に細かな設定が加わった周到に作り込まれたもの。特に背景については、SF作家でもある貴志氏の職人芸的な世界作りの丁寧さがが、良い方向に現れている。ただ、そういう表層の面白さがあるにしても、本質的にはかなりかっちりした密室テーマの本格ミステリであると理解したい。 見せ方・見え方はどうあろうと、この作品集の本質は、いわゆる本格パズラー小説。つまりは、一般ミステリファンにも楽しく読めるように作り込まれた、本格ミステリ小説ど真ん中の作品ということだ。
 興味深いのは、密室の構成方法。特に表題作でもある『狐火の家』は凝っていて、視線の密室でもあり、物理的な密室でもあり……といったマニア好みの内容だ。個人的に驚いたのは、一旦その密室が密室ではないことを榎本が無理矢理に証明する場面。一応、筋道が通っているのだが何か怪しさがつきまとう。その証明の方法が論理ではなく力業に近いところに現実味を感じた。真相自体は前例のないものではないのだが、そこに物語からの哀愁を込めることによって複雑な余韻を持つ作品に仕上がっている。
 また『黒い牙』は、大量の毒蜘蛛が飼育されている密室という特殊環境下での本格ミステリ。多足系の虫が苦手の人にとっては身の毛もよだつ作品である。この虫という存在を仲介とした物理トリックも面白いが、虫を愛する人、そして徹底的に嫌う人といった差違によって同じ状況でも見え方が変化する点もポイントとなっている。また『盤端の迷宮』は、メインとなる密室トリックそのものは将棋とはあまり関係がないが、そのアリバイを崩すきっかけになる場面が興味深い。さらりと流しておいて、そこが重要な手掛かりだと思わせないテクニックが光っている。
 最終話『犬のみぞ知る』は先にも述べた通りに、登場人物が皆変態というユーモアが勝ったミステリ。この作品の青砥純子さんの役回りが可哀想というか、それもまた面白いというか。とはいえ、ゲストで登場する劇団関係者の変人ぶりが際だっている。

 とまあ、シチュエーションが様々で、更に榎本の防犯/泥棒の手口紹介や、青砥純子のキャラクタなど読みどころ多い作品。それでいて、最後の詰めに関してはすべてきっちり論理に導かれている点が素晴らしい。全体を読み通しても端正につくられている印象が強く、オーソドックスなかたちで今年の本格ミステリのジャンルベストの上位にかっちり組み込まれる予感がある作品集だ。


08/04/24
皆川博子「倒立する塔の殺人」(理論社ミステリーYA'08)

 吉川英治文学賞を授賞した『死の泉』の作中、野上晶の訳書として奥付部に記されていたのが(当時まだ未刊行だった)『薔薇密室』、そして本書『倒立する塔の殺人』。まさかその頃から構想が温められていたわけではないと思うが、今回めでたくミステリーYA!の一冊として刊行された。

  太平洋戦争も終わりに近づく頃。都立**高等女学校の生徒、阿部欣子と三輪小枝(さえだ)は二人で組んで、空襲で焼けた学校の片付けをしていた。”わたし”こと欣子の家は空襲で焼け、更に機銃掃射で母が死に、衰弱していた妹も相次いで死んだ。一方の小枝も、母と弟妹は疎開先の沼津で空襲に遭いやはり全員焼死。叔母と二人暮らしをしていた。近くにあった**女学院が空爆され、小枝は「上月さんが死んでしまった」と錯乱する。欣子には知らない名前だったが、勤労奉仕先の工場で小枝が仲良くしてもらっていたのだという。そして唐突に戦争が終わり、**高等女学校の生徒は、**女学院の校舎を借りて学業を再開する。小枝は上月さんが亡くなったという場所をみて、その死が何故起きたのかをいぶかしむ。さらに小枝は高熱を出してしまい、その際に引き出しの中に入っている一冊の本をみせる。『倒立する塔の殺人』と題された手書きの本。最初の方を設楽久仁子という、人との距離感を取るのが苦手な生徒が、更に上月さん、そして小枝がその本を書き綴っていたのだという。書かれた物語は、いつの時代か**女学校が舞台で、赴任してきた外国人教師が、己の過去と謎めいた少女に翻弄される、謎めいたものだった……。

時代を超えても変わらない。他人とは異なる感覚を持て余し、世の中に抗い、拠り所を求め彷徨う少女たち……。
 正直、戸惑った。皆川博子を何冊も経験してそれなりに読書経験も積んでいる小生にして、本書を構成する入れ子構造が複雑で一度では頭に入らない。作品の主人公は、個人というよりも彼女たちのあいだで回される一冊のノート。描かれる小説を巡って、人間関係があり、謎解きがあり……といった展開で、どの部分が果たして信頼に足る記述なのか甚だ迷わされる。
――ただ、一つ。本書で示されるような物語の眩瞑感は皆川文学の特徴のひとつ。無理に理で割るよりも、騙されても良いくらいの鷹揚な気持ちで入った方が、むしろ物語世界を楽しむことに繋がってゆく。異国に赴任した外国人教師が味わう疎外感と疑問。西洋風の教育を受ける二人の女学生の日常。戦時中の非日常でも鋭敏な感覚を維持し続ける少女たち。個々のガジェットが独特の美学で美しく彩られている。
 そもそも誰が何のために『倒立する塔の殺人』という書物を生み出したのか。内容として記述されている物語は、現実に即しているのか、何のための物語なのか。当初に目されていた目的は、事実関係が明らかになっていくにつれ曖昧になり、別の人間の強烈な思惑が後から浮かんでくる。そしてそれがまた美しく、とてつもなく残酷な動機が背後にあるのだ。この精神的に屈折した愛情はまた、皆川文学の定番要素のひとつでもあるのだけれど。
 また、本書には様々なかたちでの芸術、特に当時であってもアウトサイダーめいた芸術家たちの名前が連なる。文学でこそドゥフトエフスキーであり、ランボオであったりするが、絵画ではシーレ、音楽ではショパンのポロネーズといった具合。そして倒立する(恐らくは人々の一般的常識、考え方、感じ方に逆らうという趣旨の暗喩)少女たちは、異端の芸術に惹かれてゆくのだ。そういった精神的な共鳴を或いは受け入れ、或いは体現することでしか、強烈な時代下において倒立する少女たちは、それでも倒立することを止められない。 通常感覚と異なるセンスを持つ、或いは時代や世の中に迎合して生きてゆくことに怖れを抱く少年少女(恐らくは作者である皆川博子さんの少女時分)のための、生き方・在り方について描いた作品でもあるといえるだろう。

 『倒立する塔の殺人』という作中作の秘密は、一応作品のなかで解き明かされる。ガジェットを美しく用いたその真相にしても、抑圧され鬱積した感情が吹き荒れる内容にしても、舞台背景は美しいのにどこか頽廃的な印象がある。死が日常となっている時代だからこそ、更に必死で生き抜く少女たち。――しかし、説明抜きでこの作品が「ミステリーYA!」に収録されてしまう(皆川さんからすると提供してしまう)ところも凄いよなあ、と改めて感じさせられる。


08/04/23
西澤保彦「腕貫探偵、残業中」(実業之日本社'08)

 '05年に刊行された『腕貫探偵 市民サーヴィス課出張所事件簿』に続く、”腕貫探偵”シリーズの第二作品集。「月刊ジェイ・ノベル」2005年12月号から2007年9月号にかけて発表された作品がまとめられたもの。

 街でも評判の通好みの洋食屋。押し入ってきた男たちによる立て籠もり事件が発生。客としてその場にいた老人や女子大生、そして個性のない男などが人質とされてしまう。 『体験の後』
 積雪が珍しく、何気なく撮影された写真。しかし写真のなかに写り込んでいた車は、最近発生した殺人事件の状況をひっくり返すものだった。 『雪のなかの、ひとりとふたり』
 偶然発見した、当時の憧れの彼女と二人きりで撮影された二十年前の写真。しかし全く記憶がない。男は仕事の偶然もあり、かつて住んでいた櫃洗へと向かう。 『夢の通い路』
 謹厳実直で知られた退職女性教師が自宅で死亡。死自体に疑問は無かったが、死の直前、五千万円もの現金が彼女自身によって引き出されており、その行方が分からない。 『青い空が落ちる』
家が隣同士の中学生の男女。至近距離の窓を開けて深夜に会話を楽しんでいた。男の子が女の子の家に引っ張り込んでもらった晩、彼女を中心に大惨事が発生する。 『流血ロミオ』
同棲している彼女と別れたいばかりに、新しい恋人とホテルを利用したアリバイをつくって彼女を殺害する計画を立てた男。しかし計画は狂いまくって……。 『人生、いろいろ。』

よくぞこんなシチュエーションを考えるもの。奇想と論理の西澤マジック健在
 前作では無色透明な探偵役という役柄がかえって新鮮な探偵像にみえた市民サーヴィス課の腕貫さん。今回の作品では、腕貫さんとは別に、ユリエと真緒という美人女子大生コンビが登場。当初、立て籠もり事件で一緒に被害者になって以降、美味いもの好きのユリエが、同じく美味しいものに関する知識豊富な腕貫さんにつきまとうという展開。もともとは彼女自身が抱えている疑問を腕貫さんが回答するところから始まり、あちこちの謎について腕貫さんを引っ張り込む。題名では残業中となっているものの、むしろプライベートの腕貫さんが相談を受ける場面が(ほとんど食事が絡む)多い。その結果ではあるが、無色が特徴の腕貫さんにも着々と人格が与えられているような印象もある。 探偵役についてはそんな感じか。
 しかし本作の魅力の源泉は、やはりその特異なシチュエーションにあるだろう。新しい恋人と協力してアリバイを作り、かつての恋人殺害を目論む男の様子を倒叙形式で描く『人生、いろいろ』、隣家の窓越しの他愛ない世間話が、幾つもの死という結果を引き起こす『流血ロミオ』、消えた五千万円という日常の謎から奇妙な悪意に繋がってゆく『青い空が落ちる』、西澤ミステリにしばしば登場する記憶の混乱を描いた『夢の通い路』等々、なんでこんな状況を思いつけるのだろう? という作品がずらり。個々の論理展開には緻密に検討すると弱点を抱えているものもあるとはいえ、別の角度から光を当てた結果、とんでもない結末が見えてくる展開はやはり魅力だ。結末で呆然という意味では(真相を確認することは出来ないにせよ)『流血ロミオ』の結末は凄いよなあ。
 全体として西澤ミステリの水準に達しており、一部登場人物の奇矯な性格だとか、とんでもない犯罪の動機だとか、少々ひねくれた観点から物語を創り上げられる西澤作品としての魅力も併せ持つ。腕貫さんも特徴が出てきたとはいえ、やはり目立つ存在ではない。なので余計に物語の謎がするりと心のなかに入ってくるようにも感じられた。

 最近は刊行点数こそ一時期に比べると減っている西澤保彦氏ではあるが、内容については「さすが」のひと言。発表される以上は、本格ファン(特に新本格から入ったファン)が安心して読めるだけのクオリティが詰まっている。最近、発表されていないように思われる、あのシリーズやあのシリーズはどうなっているのだろう。腕貫探偵も勿論良いのだが、また彼らとも早く再会したいもの。


08/04/22
森 博嗣「キラレXキラレ」(講談社ノベルス'07)

 森博嗣の「Xシリーズ」の二冊目。書き下ろし。本来二段組の講談社ノベルスも、少なくとも森博嗣の本シリーズについては一段組にて刊行している。確かに多少読みやすいかもしれないが、なんか単価の割に情報量が減ったような気がしてならない。

 SYアート&リサーチという会社で椙田泰男なる人物に雇われている小川令子。彼女は同業の鷹知祐一朗の依頼により、出向のかたちで彼の調査を手伝うことになる。鷹知が抱えているのは、最近世間を騒がせている連続切り裂き魔事件。満員電車のなかで三十代の女性が背中を傷つけられるという事件で、命に別状のある話ではないにもかかわらず鷹知のクライアントはその事件に巻き込まれ、容疑者にされかかったという会社社長で、その時の被害者が社員なのだという。鷹知と小川はその伝手を辿って、他の被害者との共通点がないかの確認を開始、うちの一人が、別の被害者を精神科のカウンセリングで見かけたような気がすると言い出した。そのカウンセラー・佐久間はようやくといった表情で鷹知と小川を迎え入れる。守秘義務があるといい口の重い佐久間であったが、いろいろ聞き出した結果、切り裂き魔の被害者四人が四人とも、実はこの佐久間クリニックに通っている、ないし通っていた時期があったのだ。佐久間は個人経営なので名簿を見られることはないと断言、しかし、その四人に共通するというある人物の名前を挙げてくれた……。

”森ミステリィ”から、もしかすると新たな境地へ?
  二冊読んだだけでの独断を書いてしまおう。このXシリーズ、既に”ミステリィ”は指向されていない。初期の森作品においては森ミステリィは本格ミステリなのか? といった議論があったが、このXシリーズに至っては、その初期の森ミステリィが保有していた独特の趣さえも失せてしまっているようだ。 本作も電車の切り裂き魔がテーマ。いわゆる通り魔的存在に、被害者同士に意外な繋がりがあった……というものだが、幾つかの偶然と幸運によって発見されたものであり、そこに推理の入る余地はない。強いていえば超満員の首都圏の電車内部でどうやって肩先を切り裂くことが出来たのか――という問題は多少はある。(答えは結局どうだったのか。あれは実際に使われたのか?)
 ただ、更に発生する殺人事件、そして犯人探しといったところにしても、多少のサスペンスはあれども謎解き要素はあまり無い。最後の方のミスリードも、登場人物が勘違いしたとしても読者で気付かない人間はそういないものと思われるレベルだ。
 ならば、何なのかといわれると、これまでのS&Mシリーズ、Vシリーズといった世界観、登場人物が誰がその後どうなって……といった主要登場人物のシリーズを超えた人間関係を最大のミステリとしているシリーズだと回答したい。明らかな名前をもって登場する西之園萌絵はとにかく、その他、素性の怪しい人間がぞろぞろ。軽薄な大学生・須藤にしても言動はアホだが頭脳の能力的には高く、誰かの係累ではないかとも考えられる。椙田はもちろん、彼だと思われるがもしかするとここにもどんでん返しが仕込まれている可能性もあって……、と。ただ、シリーズ全体を読んでいる読者以外にはあまり興味ないですよね、こんなの。
 もう一つ、都会風景の切り取り、分析についてはクールな一面がある。特に都会や現代が綺麗になりすぎてゆくなか、満員電車の問題がいつまでたっても(根本的に)解決されないといったところは、斬新な見方だと感じた。

 既にシリーズを読まれている人のための作品。ミステリとしては残念ながら、他の森作品含めてももっとも低いレベルにあるように思われました。(近作もあまり話題にされないけれど、森作品には光るトリックがあったりすることがあるのですが、少なくともこの作品は違う)。


08/04/21
愛川 晶「神田紅梅亭寄席物帳 芝浜謎噺」(原書房ミステリー・リーグ'08)

 落語同好会出身の著者が満を持して打ち出した(?)『道具屋殺人事件』が意外な好評を博した(と思われる)ことから、発表されたシリーズ二作目。前作同様に身体の不自由な山桜亭馬春が探偵役となっている。書き下ろし。

 落語会の世話役《桔梗屋》の義理の息子が福之助の「野ざらし」を聴き、落語はくだらないと言い捨てる。演劇をやっているという彼は、登場する若い娘の幽霊について福之助に疑問をぶつけるが、福之助は答えられず悩み込む。一方、福之助の妻・亮子は反りの合わない親戚から「死体を探す手伝いをしろ」ととんでもない依頼を押しつけられる。 『野ざらし死体遺棄事件』
福之助の弟弟子の亀吉が、南房総の故郷での独演会で『芝浜』を演じる必要があることが判明。ある部分が非常に難しい『芝浜』はどうアレンジすれば良いのか。更に紅梅亭でダイヤの指輪の盗難事件が発生……。 『芝浜謎噺』
亀吉の独演会の当日。福之助夫妻は南房総市を訪れた。しかし当日、ゲストで呼んでいた小福遊師匠が釣りの途中で行方不明に。観客が騒ぎ始めた頃合いに高座に現れたのは、身体が不自由な馬春師匠であった。果たして高座は……? 『試酒試(ためしざけためし)』 以上三編。

真面目に真面目に落語について考える。その結果得られる落語新解釈は、ミステリの謎が解き明かされるが如し
 近年多少そのムーヴメントがまた活発になってきた「落語ミステリ」という一ジャンル。そのなかでも本書は、非常に真面目に落語という文化に取り組んでいる印象がある。そもそも、数多くの噺家を経て内容が微妙に変化し、洗練されてきている落語そのものにおける矛盾や表現といったところに着目している点が独特だ。寿笑亭福之助という研究熱心な噺家を主人公(?)格に立てて、彼がその表現や展開に悩み、解決していくという点が本書の眼目のひとつ。普通に噺を聞く分には気にならないようなところに眼を付け、真剣に悩み、そして最適解を発見して自分の落語に取り入れるまでが物語。実はこの展開が実にスリリングなのだ。 落語を知れば知るほど、その着目のオリジナリティに驚かされることになるだろう。
 その一方で、落語に絡めての現実事件が各中編に込められている。しゃれこうべや、ダイヤ紛失など。それもまた落語で解決してしまうという力業が各編にある。ミステリ作家としての愛川晶氏ならではの趣向で、恐らく創作も相当に苦労されている部分ではないかと想像される。一種、本歌取りとなっているこういった謎解き部分も当然興味深いのだが、個人的には先に述べた落語の解釈の方がスリリングに感じてしまう。
 特に今回の趣向では、三つの中編でありながら全体としては福之助の弟弟子・亀吉の物語として繋がっている点も興味深い。ビルドゥイングス・ロマンとまでは行かないまでも、一連の物語展開は読者を物語世界とその展開に馴染ませるのに役立っている。特に『試酒試』において、まさか最後にあの人が登場するとは思わなかったので、ある意味拾いものだとすら感じた。
 個人的な考え方かもしれないが、この作品は生み出すのに相当な苦労と計算が重ねられているにも関わらず、最終的には落語そのものの面白さに還元されてしまうように思える点がどこかもったいない。作者による新解釈にしても元の落語に魅力があってこそ成り立つもの。その意味では、作者の努力よりも落語そのものの面白さが主人公になっているように思える部分がある。 とはいっても、ここでの新解釈はミステリの謎解きにも似た、得心感というか充実感は確かに存在しているので、作者の努力が無駄だというつもりは毛頭ないのだけれど。

 とはいっても、作品全体が濃密にして面白く読めることも事実。落語を知らなくとも解説めいたコメントも多く、古典落語の紹介も適切。江戸落語の面白さ(微妙に上方落語と異なる気がするのは気のせいか)が、ミステリという新たな出会いによって更に広がってゆくことを希望します。