MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/05/10
半村 良「戦国自衛隊」(ハルキ文庫'00)

 半村良氏の著作のなかでも、最も人口に膾炙した……といっても良い本作、元は'71年『SFマガジン』九・十月号に分載された作品で、'74年に刊行された『わがふるさとは黄泉の国』に中編として収録された。独立して長編扱いとなったのは'75年にハヤカワ文庫に入ってかららしい。その後'79年に千葉真一主演で映画化され、最近も2005年に、本作を原案として『戦国自衛隊1549』として映画が作成されるなど、息の長い支持を集めた作品だといえるだろう。

 昭和のある年。陸上・海上自衛隊による大規模の演習が新潟・富山の県境で実行されていた。境川の河口付近には臨時の補給書が設営され、各方面から輸送科や補給隊が終結、更に警備のために最新の60式装甲車を伴う普通科の部隊も集まった。各部隊の混成のため、意思の疎通を欠きどこか気まずさが残る集団……そこに”ずしん”と大地が揺れると共に、そこにあったはずの補給物資の山と隊員たち、装甲車、ヘリコプターに哨戒艇が一瞬にして消えてしまったのだ。伊庭三尉をはじめとする部隊は気がつくと同じ岩場にいた……が、それまであった筈の道や人工の建造物が見あたらない。そして現れたのはちょんまげを結った男たち……。彼ら、自衛隊の一個中隊は戦国時代にタイムスリップしてしまったのだ。彼らを迎えたのは長尾景虎を名乗る人物。すなわち後の上杉謙信である。当初はタイムスリップの揺り戻しを期待して現場に留まっていた伊庭らだったが、やがてその火力を利用して景虎の天下取りに力を貸すようになってゆく――。

シンプルな物語に様々な想いが。後世の二次創作者を引き付けて止まない魅力的なテーマ
 SF小説でありながら、様々な命題を内包している。本書の解説の笹川吉晴氏がきちんと言い尽くしているので、例えば自衛隊が自衛隊らしく活躍できる場がこういったかたちでしか与えられないだとか、現代に小市民として生きるよりも戦国時代に名武将として(最新の火器を利用し、歴史の知識をフル活用できるというアドバンテージを最大限活かして)生きる方が、生き方として遙かに魅力的であるとか。そういった社会的テーマ、ロマンティシズムという側面が本書にはある。そして(これも解説で初めて知ったのだが)、漫画版などではこの時代にタイムスリップしてしまったことによって引き起こされる人間的なトラブルも描かれているのだという。……確かに小説版では、これまで生きていた世界と引き離されてしまったことによって発生する葛藤であるとか、悩みだといった部分は重要視されていないように思われる。個人ではなく、集団でタイムスリップするという発想が勝っているとでもいえそうだ。
 ただ、いずれにせよ我々が知る過去の戦国時代とも微妙に異なるパラレルワールドに飛ばされたという点で、物語の興味は尽きない。後の戦国武将たちが物語に人物として登場しなかったり(織田信長とか)、歴史の改変に対して神経質にならなくても良いだとか。その結果、まさに自衛隊員はやりたい放題で戦国武将と渡り合い、時に一方的に虐殺し、時に戦国時代の人々の勇気に恐怖したりと、現代人の優位性を保ちつつ、何かと困惑があるのだ。
 特に中盤以降は火器のストックが切れたり、ガソリンが無くなったりと、自衛隊員も結局のところはこの時代に順応したかたちでの戦いが強いられる。この点、どこか架空戦記といった趣に近い。 ――と、それがラストのオチに繋がっているところなど、流石に上手いことももう一つポイントだ。特にこの作品におけるオチは皮肉にして暗いユーモアが漂っている。発端は激しくても、この手の作品の巻き方はかなり難しいことも改めて分かってしまうのだが。

 ごくごく短い作品ながら、自衛隊の問題や人間の生き方の問題といったところに深く斬り込んでいるのが特徴。 そしてそれが逆に無類のエンターテインメント性を引き立てているのは奇跡的ですらある。この設定を採用したり、設定のみ利用して更に最新型の兵器を利用して別の話を作ったりといったところ、何かと後から創作者が付け加えたくなるところ理解できる。とにかくこれだけスケールの大きい設定のなかできっちりオチまで含めてオリジナルを作成した半村氏の才能、改めて噛み締めるのもまた楽し。


08/05/09
本岡 類「愛の挨拶」(新潮社'07)

 残念ながら自らのWEBサイトを通じて「ミステリ断筆」を宣言。2005年発表の『夏の魔法』から、その方向性を変更し、本書は路線変更後の二作目となる。

 証券会社勤務の五十代サラリーマン・仁科透はヨーロッパからの国際電話で叩き起こされる。かつてヴァイオリンを学ぶために滞在していたオランダに一人旅に出ていた妻の布由子が現地で命を喪ったという報せだった。仁科はオランダへとすっ飛んでゆくが、妻は亡骸となって彼を出迎えるのみ。妻と一緒にいたというローレンスという男が妻の死について仁科に教えてくれるが、仁科は亡妻とローレンスの仲を邪推する。その妻の頼みで、仁科は大人のピアノ教室に通っていた。定年後、仁科は妻と合奏で『愛の挨拶』を奏でたいと考えていたのだ。人生の目標を喪った仁科は、惰性でピアノ教室を続けていた。しかし、そこにはそれぞれが様々な理由でピアノを学ぼうとする人々がいた。派遣社員のOL、IT企業家、製薬会社のサラリーマン。それぞれがそれぞれに事情を抱えている。さらに偶然彼らが出会った、ミャンマー人親子との関わり、そして難民認定への戦いと、ピアノ教室の面々はそれぞれに現在立ちふさがっている問題を乗り越えようとしてゆく……。

ミステリらしい演出はあれど、やはり人間の運命・生き方について真剣に考えさせる作品
 当初は、定年を間近に控えて妻を喪った男の再生の物語なのかな――と思わせる展開。読了してみれば、確かにそれもまた物語の重要なファクターであるのだけれども、むしろその他のピアノ教室生徒のいろいろを描くことにより、群像劇といった味わいの方が少し強い。 他の登場人物にしてもピアノ教室の先生から始まり、五歳の音楽は天才、だけど貧しいミャンマー人の少女や、都会に出てきたはいいものの目的を見失いつつある若い女性、非常に不純な理由から家族に隠れてピアノを練習しようつする中年男性など的確に配した中盤に至る展開からは、そこはかとないユーモアが交えつつもじっくりと一人一人の人間をしっかり描いて行こうという気概が感じられる。結果、先生+生徒たちの個性は引き立てられていて、読者としても周囲にこんな人いそうな……という錯覚にすら陥ってしまう。特に刊行当時にはまだ話題になっていなかった筈の、中国政府による少数民族弾圧(少々違うけれど)なども、資料か取材か不明ながらがしっかりとそして客観的に描いている。とはいえ、残念なのは(以前の作者の宣言通りなのだが)、やはり本格ミステリではないこと……に尽きるか。
 とはいえ冒頭の妻の死に若干の謎が残り、ミステリの香りもやはりあることはある。……が、敢えてそこに困難な謎解きを配さず、あくまで一般小説的な解釈にて物語が進められている点、本格ミステリ(ないし社会派ミステリ)の本岡類を知る人間としては一抹の寂しさもある。ただ、これまで培われてきた人間観察と、人間描写の妙味はしっかりとこの作品でも活かされており、普通小説としてはしっかり読ませる内容になっているといえるだろう。

 わざとミステリとしての定型を外してはいるものの、ミャンマーや難民の問題など社会性のあるテーマをもまた貪欲に取り入れた作品でもある。その社会的テーマをそのまま登場人物たちの心の交流や、心情の変化に役立ててゆくあたり、本岡類氏の”らしさ”はしっかり味わえる。とはいえ、やはり普通小説。「ミステリではない」、その覚悟をもって読む必要のある作品かもしれない。


08/05/08
道尾秀介「ラットマン」(光文社'08)

 『ジャーロ』2007年夏号・秋号に二度に分けて発表された長編作品の単行本化。

 高校の同級生だった姫川亮・竹内耕太・谷尾瑛士の三人は今年で揃って三十歳になる。彼らは十二年間ずっと、エアロスミスのコピーバンド『Sundowner』を続け、年に二回ほどライブも行ってきた。高校当時のドラマーは小野木ひかり、そして二年前から、ひかりの妹・桂がドラマーをしている。ひかりは彼ら行きつけのライブスタジオでアルバイトをしている。姫川はひかりと交際しているが、避妊を続けてきたにもかかわらずひかりは妊娠、何も言わずに堕胎しようとしていることから関係は悪化。また姫川自身、ボーイッシュな桂にまた魅力を感じ初めていた。姫川には子供の頃、早くに父親を病気で亡くし、その直前に姉を謎めいた事故で亡くすという過去があった。母親はその時以来、姫川に心を開いてくれない。ひかりの妊娠を隠したまま、背徳い思いで他のメンバーや桂と接する姫川。そしてライブを二週間後に控えたある日、桂に姫川は自分の思いをぶつけてしまう。そして一週間。再び練習の日がやって来た。マスターは不景気で近々このスタジオを閉鎖するといい、ひかりは倉庫で楽器や器具の整理、そして『Sundowner』メンバーは練習……。そんななか、ひかりが密室となった倉庫の中で謎の死を遂げてしまう……。

さまざまに交錯する想いをいろいろな手法を駆使して描きあげる。本格ミステリを超える青春小説
 道尾秀介には既に様々な作品があるが、一部強く本格ミステリを趣向に入れた作品を除くと間違いなく全てに青春小説のテイストが含まれる。むしろ、青春小説を描くためにミステリという手法を取り入れていると言ってもそれほど間違っていないように思う。本書も扱われているのは殺人事件だし、倒叙と謎解きが混じり合った特殊な手法を用いているとはいえ、ミステリの体裁からは外れていないし。だけど、紛うことなき純粋なまでの青春小説、というのが小生の理解、そして評価だ。
 これまた他の道尾作品にも共通していえることでもあるが、登場する人物には心のなかの(ないしは肉体的な部分であったりもするが)何かが欠けている。そして何かを喪っている。この『ラットマン』の場合、登場するのは三十歳前後の人物たち。それよりも若い人たちからしてみれば、三十歳で青春小説って……といった印象を受けるかもしれないが、それを超えた者たちからすればこのあたりが(何か青臭いが)青春と、そういう青臭さを喪う”大人”との境目になっているように思う。(もちろん個人差はある。それに青春青春書くのは既にもう、ちと気恥ずかしいなあ)。その青臭い何かと登場人物が順に訣別してゆくのが本書のテーマのように思うのだ。主人公は、若い頃に姉を亡くし、そのことで母親との関係が断絶状態にあるし、また恋人本人には確かめられないながらも肉体的に裏切られたような思いを抱き煩悶する。自分だけが不幸もしくは欠落していると思い込む気持ち。姉、妹、友人たち。そういった関係性、若い頃からずるずると引きずってきた何か。それがエピソードによって次々と崩れ、または再構築されていく。殺人事件を通じて、見たいものしか見えなかった自分、見たいようにしか見ていない自分に気付いてゆく。その過程にミステリを二重で重ね合わせることで効果を倍加(いや、三倍、四倍増にも)させている。そしてここにきて『ラットマン』という題名が心にじんわりと響いてくる。
 ミステリとしてみた場合でも、半倒叙ともいえる作品上で行われている試みはかなり面白いと思う。……が、作者の道尾氏自身、新しいミステリ手法として本書を創り上げようとする意識は無かったのではないか。結果的にとんでもない(ミステリ小説として)高度なテクニックが遣われているのだが――しかも、そのテクニックを十分に使いこなしたうえで、小説として一段の高みに作品を持ち上げている。やはり、これがセンスというものか。

 結局、この感想を書くのに再読を余儀なくされました。しかし二度目にある程度物語の内容を把握しながら読んでもまた、新鮮な驚きがある……ことにまたびっくり。初読で予測不可能な展開は、二度目読んでもやはり予想は難しい。それでも何か様々な人の優しさや主人公の成長が心に改めてしみ入ってくる良さがある。稀代の語り手の面目、更に躍如。 高度のテクニックをそう気付かせずに創り上げ、そう気付かせずに読ませてしまう職人芸。しっかり味わいたい。


08/05/07
田中芳樹「月蝕島の魔物」(理論社ミステリーYA!'07)

 ミステリーYA!同様、少年少女をメイン読者に据えた「講談社ミステリーランド」から2005年に刊行した『ラインの虜囚』で田中芳樹氏は、2006年「うつのみやこども賞」を受賞。本書はその『ラインの虜囚』から繰り下がること二十数年、一八五六年からスタートとなり、時代が微妙に重なった新シリーズ。名付けて「ヴィクトリア朝怪奇冒険譚(ヴィクトリアン・ホラー・アドベンチャー)三部作」で、この後二作品が予定されているらしい。

 クリミア戦争に騎兵として出兵し、終戦と共に英国に帰国したエドモンド・ニーダム。彼を待っていたのは唯一の親族で姪のメープル・コンウェイ、十七歳だった。ニーダムは職をミューザー良書倶楽部に得、付き添いに来ていたメープル共々、出来たばかりの貸本屋兼出版社で働き始める。二人とも適性があり、社長の信頼を得るようになり、チャールズ・ディケンズ宅に遣わされ、さらに彼のもとに遊びに来ているデンマークの童話作家・アンデルセンとも交流を持つようになる。ディケンズらは、北海に消えた冒険家・フランクリンを捜索する一隊を見送りにスコットランドに向かう。折しも、その近辺では”氷山に包まれた無敵艦隊の戦艦”の噂で持ちきりだったが、一帯の大地主・リチャード・ポール・ゴードン大佐は、その船があるという月蝕島には無関係な者を近づけたりしなかった。ディケンズ一向は、一時期一世を風靡したメアリー・ベイカーにも出会うが、彼女もまた借金の関係でゴードン大佐に引っ張られて行ってしまう。スコットランドの新聞記者の協力もあり、ディケンズらは秘密裡に月蝕島へと向かうのだが……。

深い教養と知識があるからこそ描き出せる、正統派少年少女向け冒険ストーリー
 ストーリーを単純に追うだけで、大の大人が読んでも十分楽しめるし、もちろん本来の狙いである読者層である少年少女といった層が読んだとしても夢中になれるだろう作品。
 という単純にして完全無欠のエンターテインメントながら、物語から流れ出てくる香気には大作家の風格が感じられる。最近、皆川博子さんの講演を聴いたので特に感じられるのかもしれないが、田中芳樹という作家は、山田風太郎など大作家と同じく、歴史を改変できる作家の一人である。巻末に六頁にわたって記された「主要参考資料」のボリュームからも分かる通り、この時代のことを作者は徹底的に調べ、手の内に入れている。(『ラインの虜囚』も多数の資料が挙げられていた)。つまりは、歴史を手の内にいれ、この時期の人々の考え方、政治、風俗、国際状況から市井の人々の生活に至るまですっかり頭の中に入れ込んだうえ、更にディケンズやアンデルセンといった実在の人物をエピソードと共に描く。それだけではなく、その隙間にするっと血湧き肉躍る冒険譚をすんなりと、切れ目が見えないように溶け込ませてしまうのだ。
 どうしてもミステリーYA!や、ミステリーランドの諸作品の多くは、少年少女向けということで一般的日常が舞台だったり、作者が子供の頃を舞台にしたりとする傾向が強い。ミステリとして、物語としてよく考えられてはいる舞台ばかりだけれども、その背景部分に知性と教養がこれほど溢れている作品は、他にそう無い。物語と直接関係のない描写に至るまで、一種執念深くこの時代を再現しようとしている。そこまで調べてはいないが「あってもおかしくない歴史」を描けるというのは大作家であるという証左の一つだといえるように思うのだ。(そして事実、田中芳樹は大作家である)。
 ベースとなるのは悪辣な独裁者との対決に、未知の化け物との戦い。さらにそこに歴史上実在した人物を絡めることによって不思議なリアリティを付け加える。また(それほど深く人生までは知らないまでも)そういった有名人たちを更に冒険させてしまうことよって、その人物たちや作品にもまた興味を向けてゆくというプラスのスパイラルまで働いている。駆け出し作家などにはそう簡単に創り出せるような世界ではない。

 三部作の第一作目で、巻末で『髑髏城の花嫁』『水晶宮の死神』の続く二作品の題名も発表されている。しかし、こういう作品を少年少女の段階で読める、現代の子供たちは幸せだと思う。ここから物語の魅力に嵌っていく子供がいてもおかしくない。


08/05/06
山口雅也「キッド・ピストルズの最低の帰還 パンク=マザーグースの事件簿」(光文社'08)

 山口雅也氏のキッドピストルズ・シリーズといえば、新本格ミステリ華やかなりし頃のエース格といっても過言ではなく、その先進性と特異な背景設定、更に強烈なキャラクタと様々な意味でインパクトの強い作品であった。確かに、その後新作がないような気はしていたのだが……。そうですか十三年ぶりですか。お帰りなさいませ。

 冒頭がキッドの死亡シーン。古武具コレクターのロビン卿のもとを訪れたブル博士とキッド、そしてピンク・ベラドンナ。ロビン卿の弓道の師匠・ジャクエモンが絶対に届かない塔と塔のあいだを矢で射抜くのだという。反対側の塔ではそのジャクエモンが密室のなか、矢で射抜かれて死亡、ロビン卿の放った返し矢のせいなのか? 『誰が駒鳥を殺そうが』
 オーストラリアで休暇を楽しむキッドとピンク。しかし近くのクルーザーで殺人が発生、三つ子が容疑者となったが見た目そっくりの彼らのうちの二人は、常に海中にある水中ハウス内にいたという。果たして実行犯は……? 『アリバイの泡』
 一本道を通り抜けてくるはずの新興宗教の教祖と、彼の七人の信者たち。しかし道の途中で彼らは消え失せてしまう。果たして彼らが行ったのはどういうことなのか? 『教祖と七人の女房と七袋の中の猫』
 《三匹の盲目の鼠》というバンドのメジャーデビューを聞きつけて現れた、裏切り者の元マネージャー。彼がライブの途中で奇妙な状態で死亡する。バンドのメンバーに犯人がいるのか、そしてその犯行方法は? 『鼠が耳をすます時』
 超能力を持つ子供たちが集団教育をされている研究所。そこから探偵士ルイスのもとへ、子供からの助けを求めるメッセージが。捜査に訪れたルイスやキッド、そしてピンクの前で子供たちは超能力を披露。しかしそのうち一人が密室内で死亡してしまう……。 『超子供たちの安息日』  以上五編。

作者充電後の充実。キッド・ピストルズならではの野性的で論理的な魅力溢れる作品集。
 収録作のうち『アリバイの泡』が「野性時代」一九九五年八月号発表、『鼠が耳をすます時』が「小説TRIPPER」一九九五年冬号収録と、二十世紀中の作品であり、残り三作が二〇〇七年から二〇〇八年にかけて『ジャーロ』に発表された、近日の作品ということになる。その発表年代を鑑みた時に、作品集から感じさせられていた違和感が逆にかたちになるような気がする。先に挙げた二作に比べ、残り三作の方がキッド・ピストルズらしい論理と構成に満ちているように思えるのだ。充電前、充電後といったイメージとも重なる。
 その『アリバイ』にしても『鼠』にしてもレベルが低いというつもりは全くないのだが、どうもマザーグースよりもシチュエーションにこだわりすぎているようにみえるし、その裏側の思想的な部分に面白みが少ないようにみえる。(ただ、本作品集自体、ミステリの思想に斬り込むような鋭い作品は少ないのだが)。とはいっても『アリバイ』は、凡人には考えつかないような超絶シチュエーション下のアリバイトリックであるし、『鼠』については海野十三のある作品のオマージュのようにもみえるし。いずれにせよ一筋縄で行かないことは確かなのだが。
 ただ、禅の思想を作品に織り込み、マザーグースでも最も有名ともいえる(パタリロ!のおかげ?)「誰が駒鳥を殺したか」を織り込んだ『駒鳥』は、ニュー・キッド・ピストルズの幕開けを飾るに相応しい作品。事件の奇妙さ、シチュエーションの奇天烈さ、そして論理の痛快さに登場する人物のユニークさと、様々な条件が揃った一品だ。そこから論理とマザーグースの歌の面白さを取り込んだようにみえるのが『教祖と七人の女房…』。本当に肝心なものを隠すのに、題名を含めミスリーディングが様々な方向に凝らされている点や、人間の物事の見方はいずれにせよ偏ってしまうあたりを鋭く浮かび上がらせる社会性というか普遍性を物語に込めている点も面白い。そして、本作品集中の話題作『超子供たちの安息日』。これは超能力を前提にするといったSFミステリ特有の面白さのなかに、教育や子供、親子といった問題をさらりと沈めている。それでいてこの世界前提の論理的な謎解きがある点、さらにその真相にも(超能力があるから余計に)意外性を持ち込むという離れ業が演じられている点、様々な意味で驚かされる作品であった。この作品については長編、最低でも中編を支えるだけの内容の濃さがある。

 ということで、久々にパラレル英国を堪能。五つの作品の合計ポイント、即ち本書はミステリ、SFのどちらのサイドからも素直に歓迎されることだろう。本書だけでも面白く読めようが、やはりキッド・ピストルズ世界を先にきちんと味わってからの方が、よりこの荒唐無稽なパラレル英国に親近感が湧くことになるだろう。


08/05/05
小林泰三「モザイク事件帳」(東京創元社'08)

 ホラー・SF小説作家として認知されている小林泰三氏。だが、独特のスタンスから繰り広げられるSFミステリしかも本格ミステリも『密室・殺人』をはじめ幾つかものにしている。本書はそんな小林氏の作品にこれまで登場してきたキャラクタが、再登場してミステリのパロディを繰り広げるというマニアックな連作集。『ミステリーズ!』Vol3.4号に発表された犯人当てから、Vol.23にかけて発表された短編に、書き下ろし最終作品が加えられている。

 辺鄙な森のなかに住む非情の金貸し、蓮井錬二が密室内で殺害された。当日、彼に借金を申し込んだり返済の猶予を申し込みに来ていた数名がその邸宅に滞在しており、犯人はそのなかにいると思われる。犯人当て。 『大きな森の小さな密室』
 編集者・乙田は、人気女性作家との愛人関係を消滅させるため、ホテルにいる彼女をある方法で殺害し、アリバイを設ける。しかし飛び込み弁護士の西条が現れて、自分勝手な推理を開始、乙田のいらいらはつのる。 『氷橋』
 コンビニ勤めの早苗の友人・菜穂子に恋人が出来たという。しかし、その男はニューサイエンスの研究所に勤め、自ら飛ばしの携帯を売り捌くという人物。彼の名前で届いたメールに菜穂子は研究室に出掛けるが、そこで彼の死体を発見してしまう。 『自らの伝言』
 その道の権威という学者に裏付けられた百五十年前の地層から、女性の遺体が発見された。遺体は現代のものとしか見えなかったが、百五十年前に殺害されていたという理屈から、犯人捜しが進んでゆく。 『更新世の殺人』
 雪の山荘に集められた、遺産相続をする甥姪、迷いこんだ運転手に執事、そして名探偵を職業にしだした丸鋸遁吉と、その女性助手が現れる。そしてお約束の当主の死。果たして動機を持つ者は……。 『正直者の逆説』
 他人の短期記憶を頭の中に入れることに成功し、同意もないまま犯罪捜査の手伝いを行うことに。彼・田村二吉が手がけているのは、愛人を巡る夫婦の争いで……。 『遺体の代弁者』
 数日おき、路上のほぼ一定の個所にパン屑が落ちているという事件。岡崎老人は、前向性健忘症を患い、自分が探偵という記憶のない田村二吉に、その真相を解き明かすよう命ずる。 『路上に放置されたパン屑の研究』 以上七編。

トンデモあり、メタあり、SFあり。なんともヘンテコな、一筋縄ではいかない本格・変格ミステリ連作集
 『密室・殺人』は面白かったのだけれど、ディティールが今ひとつよく思い出せないなあ……と思って振り返ってみれば、既にあの作品が発表されたのは十年も前だったのか。年取るわけだ。
 この作品集、非常に面白く、楽しく読めた一方で本格ミステリサイドから見ると、どこか微妙。 あくまで印象なのだが、本格の鬼の人が、既存の本格ミステリの矛盾やポイントを突き詰めてパロディ化したものとはひと味違っている。むしろ幾つかのシチュエーションを設定して「こうしたらおもろいんちゃうん?」「いや、こっちの方がおもろいでー」(なぜか大阪弁)で、アイデアをひねくりまわしたらこんなのが出来ました! というような連作になっているようにみえる。逆説的な効果として、本格プロパーな人が思いつかないようなパロディ作品となっているので、そこはそれ、本作の意義とも重なっている。
 とはいってもパロディらしいパロディといえるのは、最初の大前提がおかしいまま推理に突入してしまう『更新世の殺人』と、犯人が折角アリバイトリックを弄しながら、その点に誰も触れてくれないという『氷橋』、さらには、作者の言葉をメタ化して、作中人物同士の推理ではなくクイズで犯人が特定されてしまうという『正直者の逆説』くらい。『路上に放置されたパン屑の研究』は、それまでの登場人物の変なところを繋げたような作品ながら、もしかすると「日常の謎」など幾つでも解決があるんじゃないの? という懐疑から出来ているのかもしれないのだが。
 とはいいつつも、個々の短編自体におけるディティールは凝っており、そのトンデモな推理や珍妙な決めつけがあってもおかしくない世界観をもって物語全体が支配されている点は特筆すべきだろう。その意味で、最も非現実なのが探偵だというところも面白い。一方で『自らの伝言』あたりは、ニューサイエンスを小馬鹿にしつつ、ミステリとしてはかなりオーソドックスな内容になっている点も逆に興味深いところだ。
 最終的に登場する探偵たちのプロフィールがなぜか「最後」の物語のあとに添付されている。これが無ければ、本作に登場する探偵たちが、他の作品集にも収録されている作品内で既に登場しているというところには気付けなかったかも。更に、この探偵一覧表により、どんなにヘンテコな探偵たちによって物語が支配されていたかというところにも改めて感じさせられるのである。うう、やっぱり変な作品集ですよ、これ。

 とはいっても、これまでの小林作品を全部読んでいなければならないかというとその必要はない。また、SF作家としての小林泰三さんのファンという方も、ミステリとはいえこれだけ様々な奇想が込められていることからも、見逃せない作品集となっているといえるだろう。


08/05/04
松尾由美「人くい鬼モーリス」(理論社ミステリーYA!'08)

 '91年に『バルーンタウンの殺人』で作家デビューした松尾由美さんは、SF系設定を活かした本格ミステリからファンタジー、近年では恋愛小説に活動域を拡げていたが、さらに児童書『フリッツと満月の夜』を刊行し、その幅広い作風にて読者を拡げている。本書は書き下ろしのミステリだが、モーリス・センダックの有名な絵本『かいじゅうたちのいるところ』がモチーフに使われているなど、ある意味では松尾さんの総合的なセンスが込められた作品である。

 高校二年生の村尾信乃は、義理の父親の村尾さんから「女子高生限定のアルバイト」をしないかと持ちかけられる。いかがわしいものではなく、避暑地に出向いて小学校四年生の女の子の家庭教師をしないかというものだった。気に入らなければすぐに帰らされるという条件で気軽に現地に出向いた信乃は、教え子にあたる美少女・阿久根芽理沙と出会う。彼女は世界的に高名なデザイナーの娘。なぜか彼女に気に入られた信乃は、到着した夜中、芽理沙に「見せたいものがある」と屋外にある納屋に連れて行かれる。そこにいたのはたてがみのある大きな動物。目、鼻、口が人間のように大きく恐ろしく、そして哀しそうな顔をしたその生き物のことを、芽理沙は「人くい鬼モーリス」と呼ぶ。人くいは、食いではなく、ひらがなの”くい”。モーリス自身は決して手を下すことはなく、自然に死んだ直後の生物の魂を食べる。その魂が食べられた死体は消えてなくなってしまう。またモーリスは、大人にはその存在が見えない。芽理沙の祖父がその存在を見つけ、母親がモーリスと名付けた生き物は、かなり弱っているのだという。芽理沙の家庭教師になる資格は、芽理沙に気に入られることと、このモーリスが見えることが条件だった。そのことを除くと快適な信乃の別荘暮らしが始まったが近隣に二軒ある別荘に滞在している住人を巻き込んで、この平和な地で最初は雑誌ライターが亡くなる事件が発生、その死体が消えてしまった。

ファンタジックにしてロジカル、そしてハートウォーミング。松尾由美さんならではの本格ファンタジーミステリ
 女子高生の一夏のアルバイトと遭遇する奇妙な事件、謎めいた美少女とセレブな生活――とミステリのなかでは定番めいた設定を利用しつつ、そこに「人くい鬼モーリス」を放り込むことで、ミステリとしてもファンタジーとしても独特の手触りへと変質している。この総合的な感触こそが、特になかなかストレートな展開を潔しとせず(バルーンタウン然り、本当に安楽椅子の安楽椅子探偵だとか)、本格ミステリながら変化球を投げつけてくる松尾由美作品の特徴だ
 本書もまた変化球的本格ミステリでもあるが、そのニュアンスは設定が頑として存在する他の作品とは微妙に位置がずれているように思われる。「人くい鬼モーリス」という魂を食べ、死体を消し去れる能力のある存在、これが「子どものサイド」からしか認識できないのだ。死体消失事件が発生……となった際に、当然関係者による推理が行われるのであるが、大人側からはモーリスの存在は知覚できず、どうあれ真相に至らないということになる。主人公・信乃、そして芽理沙らが真相を見抜かなければならない……というあたりがポイントで、前提が間違っている推理と前提は合っているが推理能力に不安のある推理の二本立てなのだ。とはいえエピローグで三つの事件(週刊誌ライターの死体消失、別荘関係者の絞殺死体消失、そして関係者の死体消失2)について解き明かされるが、本当の事件を解き明かす探偵役は彼女たちではなかったりするところがご愛敬。ただ、全てとはいわないまでもモーリスの存在と事件とが密接に絡み合っており、その角度からはファンタジー本格ミステリと称しても良いと思われる。また、手掛かりや伏線がモーリスに限らず、様々な方向から引っ張ってこられるあたり結構驚かされた。(ある理由から狭義の本格には含まれないとは思うが、手掛かり等が明示はされている)。

 エピローグの終わりの方は、二人の少女のその後の話であり、一般少女小説的切なさまでもが味わいに加わっている。どうしてもミステリサイドの視点から紹介してしまうが、普通に主人公の気持ちになってどきどくわくわくの同時進行で読むのが普通だろう。本書に登場するモーリスのイメージと、センダックの描く「かいじゅう」とのイメージが頭のなかで重なり、このミステリーYA!の作品自体が不思議な雰囲気を醸し出している。 装幀も渋く可愛く、素敵なのではないかと。


08/05/03
山田正紀「私を猫と呼ばないで」(小学館'07)

 月刊「遊歩人」(文源庫)2005年5月号から2007年6月号まで「男と女のいる舗道」というタイトルで連載された20枚の短編を集めて刊行した作品集。単行本化に際して大幅に加筆がされているという。

 昔ながらの船を使用した結婚式。エリート男性との結婚に悩む滋子は、祖母の依頼で初対面の老人から「消えた花嫁」の話を聞かされる。 『消えた花嫁』
 とあるシングルマザーが息子の「なぜ僕にはお父さんがいないの」という質問に対して、運命のこうのとりの話を滔々と。 『親孝行にはわけがある』
 夫は今日も会議で遅くなる。結婚仕立ての妻は、自分の母親が行き詰まった時に猫の会議で相談していたことを思い出す。 『猫と女は会議する』
 熟年になり離婚が決定した夫婦。サラリーマンの夫は、自分が故郷の北海道から青函連絡船に乗って上京していた頃のことを思い出す。 『津軽海峡、冬景色』
 スーパーの片隅で、トンカツ売り場で販売しているキャベツを毎日三袋食べてゆく女性。警備員の私は、彼女の排除を命ぜられるが。 『つけあわせ』
 朝早くに職場に支給する残業代を、田舎のATMに引き出しにいった女性が出会う災難。 『女はハードボイルド』
 出世競争に敗れて入院中の専務が、元腹心の部下に対して出した依頼は、専務の恋人が口にした「窓の見える天窓」を探して欲しいというものだったが。 『窓の見える天窓』
 冷凍食品会社で次世代の冷凍食品の開発が、新たな室長のもとで開始される。わたしは筑前煮で勝負をかけるのだけれど……。 『恋の筑前煮』
 質屋にブランド品を売りに来る女。しかしその日は、彼女の異名「カゴ抜けのお新」を知る男に店で捕まってしまった。ブランド品置き場に連れて行けという。 『カゴを抜ける女』
 四十代で自信家っぽい男。彼はある目的をもって海辺にある”スイサイド・ホテル”を訪れてきた。そこには自らをそこに縛り付ける女たちが……。 『スイサイド・ホテル』
 ある男の子を好きになった女の子。男の子がバイトしているコンビニで告白に及んだところあっさり振られてしまう。女の子はポテトチップスに逃避するが……。 『恋のコンビニ愛のチップス』
 一つの部屋をセンスの良い家具で満たすことのみに専念してきた若夫婦。その関係が破局を迎えつつあるが、二人とも家具に未練があって仕方がない。 『足りないものは何ですか?』
 社内の派閥争いに際して協力を依頼された派遣社員の女子四名。彼女たちがひっそりと目立たず仕事しているところを逆に評価されたかたちだが……。 『壁の花にも耳がある』
 さあこれから愛の時間というところで男の女房に刃物を持って踏み込まれ、慌てて窓の外に私は逃げ出すがここはホテルの八階で。窓伝いに覗いてゆくとホテルではさまざまなドラマが。 『私を猫と呼ばないで』 以上十四編。

山田正紀らしくないさらりとした物語と山田正紀らしい含蓄に富む変な話。軽めストーリーながらファン必読の書
 通常の短編が原稿用紙三十枚なのに対して、本書は全て二十枚という長さで描かれた物語。一般的な短編作法とは明らかに異なる長さのなかにて物語が綴られる結果、普通の意味での短編小説とは異なる面白さが全体的に滲み出てきている印象だ。これが平凡な作家であれば、単に短編を更に縮めて短くしただけのような作品が並ぶことになるのだろうが、そこは山田正紀。見ようによってはショート短編で特に実験的なものではないながら、その形式や短い物語を有効に利用して読者に対する効果を鋭く狙った作品が多い。――ちなみに、ミステリっぽい作品も散見されるものの、基本は普通小説であると考えた方が良いです。
 どのあたりが山田正紀風か。……例えば、”何か”に対して普通の人にはありえないくらいの強いこだわりがあるとか、人と人のどうしようもなく運命的な縁であるとか、ちょっとしたコン・ゲーム風、知恵比べのような作品であるとか。個々にテーマを抜き出すと山田ミステリや山田SFでもテーマとして取り上げられるような内容なものが目立つ。ただ一方では山田長短編ではこれまで書かれてこなかったような作品もあるので、その形式以上には簡単にひと言には纏められない。
 短い短編であること。それがショートショートでもなく短編でもない枚数制限のなか、起承転結が綺麗に入っていなかったり(起承転、だけだとか)、そもそも起承……だけで終わる物語もある。全体的に抑制された筆致と短いながらよく練られた構成、そしてもちろん山田正紀のセンスがそれぞれの作品を引き立てている。
 地味で静かで謎めいた作品群と、少々派手目でツイストの効いた作品群とがあり、どちらもそれぞれの味わい、良さがあるのだ。わかりやすいのは泥棒や事件を扱った作品群だろう。『女はハードボイルド』『カゴを抜ける女』『私を猫と呼ばないで』は、山田作品の派手な部分が濃縮されている――ため、一般ファンにはこちらが入り込みやすいだろう。一方で『スイサイド・ホテル』『消えた花嫁』といった人間関係を鋭く見つめた話、『恋のコンビニ愛のチップス』のようなポップな恋愛譚も入っているところがやはり面白い。

 山田正紀さんの懐の深さというか、小説技巧というか。堪能しました。客観的に作品のみでみるとそこそこ面白い小説集――程度の読み方になるが、山田正紀さんであることもまた重要。特に様々な要素が盛り込まれており、どんなかたちであれ、山田正紀ファンであれば間違いなく楽しめるし、むしろ必読の書かと思う。


08/05/02
法月綸太郎「犯罪ホロスコープT 六人の女王の問題」(光文社カッパノベルス'08)

あとがきによればエラリー・クイーンの短編集『犯罪カレンダー』に発想を得て黄道十二宮で十二の本格ミステリ作品を発表する――という作品集(の前半)。法月綸太郎親子が探偵役を努める。他の作品に登場した準レギュラークラスの登場人物 がちらほら出ているあたりは興味深い。『ジャーロ』二〇〇七年春号〜冬号にかけて掲載された四編に『あなたが名探偵』収録の一編、さらに『ミステリーズ!』の犯人当てに使用された一編を加えた六編から成っている。

 特ダネライターの飯田才蔵はホームレスの体験取材を敢行。世話になったアリョーシャと渾名される人物がホームレス狩りらしき男女に襲われるのを目撃、自身も怪我を負ってしまう。現場からは飯田のミリタリージャケットが持ち去られていた。 『ギリシャ羊の秘密』
 売れっ子ライターの虻原サトルが連載中の雑誌に謎めいた暗号と自らの死をほのめかす言葉を残し、彼がかつて所属していた劇団の主宰者で遺恨のある赤星剛太郎の住むマンションで転落死を遂げた。 『六人の女王の問題』
 高級リゾートホテルで缶詰で原稿執筆を行う法月綸太郎。このホテルのオーナーは双子同士が結婚し、新婚旅行で片方のカップルが亡くなっているという。食事中に現れた恐喝屋はオーナーを呼び出し、オーナーは綸太郎に相談を持ちかける。しかしその恐喝屋が殺されて……。 『ゼウスの息子たち』
 蟹江陸朗は一人暮らしの妹を自殺に追い込んだ”ヒラド・ノブユキ”なる人物を捜し候補を三人まで絞り込んでいたが、返り討ちにされ殺害された。犯行後に犯人は蟹江の部屋を荒らしていたが、なぜか五枚もの軍手を使用した形跡があった。 『ヒュドラ第十の首』
 女王様との異名を持つ女優・仙道美也子が、自宅のある高級マンションの地下駐車場で死体となって発見された。片方のピアスがなく、そのピアスが発見された交際相手と噂される新人シナリオ作家が犯人と思われたが……。 『鏡の中のライオン』
 水の飲み過ぎ=水中毒で入院した女子大生。意識不明の彼女からメールが届くという都市伝説さながらの怪談を飯田才蔵から聞かされる綸太郎。しかし、見舞いに訪れた友人の一人が熱中症で死亡する事件が発生していることが分かり……。 『冥府に囚われた娘』 以上六編。

玉もあれば石もある。法月綸太郎の推理展開もさることながら、ミステリ作りの難しさを感じる六作品
 黄道十二宮の星座に合わせて発生する十二の事件。それぞれが星座と事件と何某かの関係がある短編となっている。さらに更に全てが本格ミステリの代表的探偵・法月綸太郎(登場人物の方)による鮮やかな推理が冴える本格ミステリ! ――という建前。もちろん幾つかの作品は今年の本格ミステリを語るのに外せないクラスの完成度を誇っている。しかし一方ではミステリの問題編部分を作るのに星座絡みの趣向が若干だが縛りになっているように見える作品もある。その結果、「むう……」という作品と「お、これは凄いぞ!」という作品とがまだらになってしまっている印象。個人的にあまり暗号ものを高く評価しない部分があるので、そういった意味では表題作でもある『六人の女王の問題』や冒頭作品である『ギリシャ羊の謎』といったところは、若干評価を下げてしまう。特に『六人…』は題名が洒落ており、実際この作品集の表題作でもあるわけだが、劇団の新規性や登場人物の奇妙なネーミングであるとか些事の方にどうしても頭が行ってしまい、作者の意気込みほどには物語に入りきれなかった。『ギリシャ羊の謎』の方は、星座への絡ませ方と事件との関係など巧さを感じさせるものの、ミステリとしては若干弱い。
 一方、もともと犯人当ての趣向のもとで発表された二作『ゼウスの息子たち』『ヒュドラ第十の首』。ヒュドラの方はある科学的な事象に着目したところからトリックが始まっているが、物語とトリックの親和性が高く、終盤にも一つどんでん返しを仕掛けられているところなど読みどころは素直に多い。『ゼウス・・』も、ミスリーディングの妙がきりりと効いた快作で、平易な本格だがその筋道を楽しみたい。いずれも懸賞金がかかっていたせいか(?)非常に緻密な構成になっており、本格ミステリ作家としての素晴らしいセンスを感じさせられる。
 残り二作『鏡の中のライオン』『冥府に囚われた娘』は共々に、近年の法月綸太郎(作者)のセンスが行き渡った作品だと感じた。サスペンス感覚を盛り上げる序盤における都市伝説、様々な分野(捜査でも家電でも)における最新情報をベースにした説得力のある推理展開は見事。特に『冥府・・』の後味の悪さは本作でもピカ一。

 各々冒頭に配されたギリシャ神話と星座にまつわる話も素直に興味深い。また、その程度に差はあれ星座と物語が絡み合ってできているところには苦心の跡もみえる一方で、物語としての味わいを深める効果は確かにある。素直に「法月綸太郎久々の本格ミステリ短編集」という味わいで読むのが、結局のところもっとも相応しそうだ。


08/05/01
結城昌治「ゴメスの名はゴメス」(光文社文庫'08)

 密かに再評価の気運が高まりつつある結城昌治。光文社文庫ではこのたび新たに〈結城昌治コレクション〉が開始され、その記念すべき第一冊目が本書。二冊目として『白昼堂々』も刊行されている。'62年、早川書房から「日本ミステリ・シリーズ」の第四巻として刊行されたのが元版で、その後に文庫化される際などにも少しずつ内容が書き改められ、光文社文庫の底本は、'96年刊行の中公文庫版。

 一九六三年、日南貿易に勤務する坂本はかつて駐在していたヴェトナム・サイゴンを再び訪れた。彼に代わって駐在していた香取が帰国するという連絡を残したまま行方不明となっており、坂本は本来業務以上に香取の消息に興味を持っていた。坂本は日本で香取の妻と情を通じており、香取の失踪はその関係の微妙な変化を意味している。坂本の到着早々、香取がヴェトナムで愛人にしていたらしいリエンという女性が近づいてくる。香取の妻と面影の似た彼女に坂本は惹かれるものを感じるが、香取の足取り調査を開始した。バーの女性・ヴェラと最後は一緒だったらしいのだが、香取だけでなくヴェラもまた姿を消してしまっている。米国支援を受けたゴー政権下、反共・独裁政治に反対するベトコンや第三勢力が活動を活発化させており、外国人の失踪・誘拐といった事件は現地では決して珍しいものではなくなっていた。現地当局の見方もまた同じ。坂本とかつてから親交のあった合同新聞記者・森脇もまた当局と同じような見方をしていた。森脇の紹介で安アパートに落ち着いた坂本だが、隣家のトウ、同じくズックら怪しい人物が周辺におり、更に知り合ったラシェットなる女性の失踪する。坂本を尾行していた男が別の何者かに殺害され「ゴメスの名は……」と坂本に言い残し死亡した。

確かにスパイ小説――ではあるのだが、その裏側にいる、スパイとなった男たちの心情に標的を絞った名作
 国産エスピオナージュ(謀略・スパイ小説)の先駆的作品にして傑作というのが歴史上の本作評価。そしてそれは間違いない。とはいえ確かにスパイを主題にした作品ではあるのだが、政治力学であるとか組織間の抗争であるとかいった時流(本書の場合はヴェトナムの混乱期)という部分は、あまり本質とは無関係だと感じられる。むしろ結城昌治が後に傑作を打ち出してゆく独特のハードボイルド小説から来る感覚、即ち人間の深いところに隠された感情といったの方が遙かに強く打ち出されている印象だ。
 とはいえ背景的な部分や当時ならではの風俗についておろそかにされている訳ではない。むしろそういった部分を丁寧に描くことで小説としてのリアリティを高めているように思う。後から知って驚いたのは、現地取材を実は一切行わずに発表された作品だという点。結城昌治の想像力と表現力の確かさを思い知らされた。
 様々な人物が登場し、実はほとんどの人間に「裏」があり、そもそもスパイではない坂本が集中的に狙われるという展開。坂本自身、多少外国語が操れる以外は何の武器も特徴もない普通の日本人男性だ。ただ、そのなかでの坂本の心理については個人的には同調しづらいものがあった。失踪者の妻との未来のない関係を復活させるためにその夫を探し出そうという動機もそうだが、中盤以降、何のために暴力行為に耐えて意地を張り続けなければならなかったのか。小生が深みを理解できないだけかもしれないが、人間心理の不可解さが強調されているように感じられた。ただ、その頑なにもみえる信念は、やはりハードボイルドのそれと共通するものがあることは確かだ。坂本個人が巻き込まれてゆく「謀略的な何か」が全体的に醸し出すサスペンス感覚もまた特徴的である。

 幸い、中公文庫や光文社文庫で結城昌治の名作がまた本書のように復刊されつつある。こうやって著作に触れると松本清張らとは別の角度から推理小説を大人のエンターテインメントへと昇格させようとしていた作家であることが強く感じられるのだ。