MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/05/20
平山夢明「他人事」(集英社'07)

 題名は「ひとごと」と読む。高レベルの現代的恐怖小説を打ち出す平山夢明氏の短編集。『小説すばる』2004年9月号から2007年8月号にかけて発表された短編六編に、ケータイ雑誌『the どくしょ』にて2006年9月から2007年9月にかけて配信された短編八編が加わり、十四もの作品がまとめられている。

 車で崖から転落し大怪我をしながら車内に閉じ込められた男女。人気のない山の中、そこに男が通りがかるが……。 『他人事』
 夫は妻に、引き籠もりで家庭内暴力が凄まじいことになっている息子の殺害を提案する。追い詰められた末の決断だったが……。 『倅解体』
 料理評論家の家に届いた、娘誘拐の脅迫。男が持ち出した条件は、その男の作った料理を評論家が食べること……。 『たったひとくちで……』
 父親からの暴力に晒される女友だちを助けに乗り込んだヒロ。しかしその父親に返り討ちにされそうになる……。 『おふくろと歯車』
 静かなひとり暮らしを望む、足の不自由な女性宅に押しつけられる捨て猫。しかし彼女を襲った災厄はそれに留まらない……。 『仔猫と天然ガス』
 日本の法律が変わった結果、定年を過ぎた瞬間に権利が全て有料化される。今日晴れの定年を迎えたイノヤマは……。 『定年忌』
 ヤクザに売り込みをかけてきた謎の老人と外国人少女。彼らは他人の恐怖を喚起することができる……。 『恐怖症(フォビア)召還』
 心優しいチサは大学を中退し服飾デザイナーを目指そうとしていたが親にそのことを告げられない。彼女の支えはサチと名づけた猫……。 『伝書猫』
 二十四歳のトオルは四十六歳の妻・ソソミと四歳の息子タイゾウとBBQに出掛ける。川沿いで火をおこすが奇妙な物や人が彼らの前に現れる。 『しょっぱいBBQ』
 金満家の子供たちが通う学園で、水面下でイジメが進行している? 学校側は謎の投稿からその実態を探ろうとするのだが……。 『れざれはおそろしい』
 辺境惑星開発基地内で、男たちの性欲処理の女性型ロボットが急遽反乱。殺戮の限りを尽くし始める……。 『クレイジーハニー』
 唯一の生計である仕事をクビにされそうになったモーリは、無理矢理に運転手のアルバイトを引き受けさせられる。その真の仕事は……。 『ダーウィンとべとなむの西瓜』
 夜中。自殺の名所である橋で、若い女と男が偶然に出会う。双方死にたがっており、相手がどこかに行くよう説得をするのだが……。 『人間失格』
 高校時代から仲の良かった三人組。社会人になっていろいろあったが、まだ友人同士だった。一人が子供が生まれたことを機に夜の動物園に入り込むが……。 『虎の肉球は消音器(サイレンサー)』 以上十四編。

えげつない奇想に不条理な奇想。人間の下世話な心理を知り尽くすことで描かれる限りなく不幸な物語
 基本的に厭な話ばかり。しかしなぜか引き付けられ、一旦ページを捲り始めるとあっという間に時間が経過してしまう。この一冊のなかには人間心理の弱さや醜さ、そして弱い人間が更に追い込まれてゆく不条理な物語が詰まっている。十四の物語があるが、特にそれらに一本筋の通った何かがあるわけではなく、時に下品に時にリリカルに人間たちは追い込まれ、自覚的に、無自覚に不幸へと突き進んでゆくのみ。 ひたすらに。そんな作品集だ。
 その意味では、SF設定の『クレイジーハニー』『ダーウィンとべとなむの西瓜』、一方で倒叙ミステリ風味がある『倅解体』だとか、安い人間の人生を描きながら唐突なオチが強烈な『虎の肉球は消音器』だとか、物語の形式というところからみても何かしら、こだわりがあるようにみえない。むしろ一つ一つの物語の文章量は少なく(ケータイ配信なども関係有るのだろうが)、その短いなかで様々な恐怖を喚起するという文章術、それがそのまま作品が存在する目的のようにもみえる。
 個人的にツボに嵌ったのは『定年忌』。 自分がサラリーマンということもあろうけれど、いわゆる卒業式におけるお礼回りを会社生活にも当て嵌めてしまったところがミソ。上司として厳しくあればあるほど部下たちからひどい目に遭わされるという事態そのものもユニークな設定だが、その当人が加害した事実(本作の場合多少言いがかりのような部分もあるけれど)を忘れてしまっているところが恐ろしい。この場合会社生活だが、加害した側は害を受けた側に比べると何も覚えていない――という事態自体は真理であり、誰の身でもどこか当てはまるような、読んでいて空恐ろしい気分になる。
 他、『しょっぱいBBQ』『ダーウィンとべとなむの西瓜』といったところは、社会的な弱者が更にどん底に落ちてゆく話で、設定段階で既に残酷。ただ、そういう主人公たちを眺めつつ「ああ、間抜けだよなあ」と読者に思わせてしまう作者もまた邪悪だと思う。

 いわゆる読んでいる読者側の足許が揺らぐような純粋なホラーとは微妙に怖さが異なる。どちらかというと登場人物に微妙に感情移入させておいて、その不条理な恐怖の世界に誘い込まれるようなテイストが目立つ。それがまた奇妙に快感になってしまうのが平山作品集の不思議な魅力となっている。


08/05/19
竜騎士07「ひぐらしのく頃に 第一話〜目明し編〜(下)」(講談社BOX'08)

 映画版『ひぐらしのなく頃に』も好調だった模様。怒濤の七ヶ月連続刊行を果たした『ひぐらしのなく頃に』全七冊の出題編の後、刊行され始めた解決編となる『ひぐらしのなく頃に解』の二冊目。

 園崎詩音は園崎本家において”けじめ”を着けた結果許され、表向きに生活出来るようになっていた。しかし詩音が真剣に恋をした北条悟史は、綿流しの日に失踪したまま一年間戻ってきていない。そんな折り、興宮の街で不良にからまれた詩音は、彼女を助けようとする一人の少年と出会う。彼は前原圭一。双子の姉、魅音が仄かに恋心を寄せる、雛見沢に引っ越してきたばかりの人物だった。悟史のことを思い出しつつ涙する詩音は、彼がオヤシロさまのシステムに取り込まれ、消されてしまったことを確信するようになる一方、常に身近に悟史の影を感じるようになっていた。そして今年の綿流しの祭が行われる夜。詩音は、部活メンバーとはぐれた圭一を騙し、禁断の祭具殿に侵入しようと試みていた鷹野三四、富竹ジロウらと合流。彼らは祭のクライマックスの裏側で、祭具殿に祀られた禁忌の品を目撃する。ドタンバタン。奇妙な音を詩音は中で聞くのだが、詩音に聞こえるその音は圭一には聞こえていないらしい。そしてその晩、雛見沢の園崎の本家に泊まった詩音は、魅音と婆さまの会話から、富竹と鷹野の死を知る。詩音はそこである決意から行動を……。

事実上の解決編のひとつ。本格ミステリとしての倒叙回答という斬新な手法が目を引く
 今回はさすがにこの『解』を読むにあたって、謎の方に該当する『綿流し編』を読み返してから臨んだ。迂闊なネタバレはいいたくないが、改めてはっきり述べておきたいのが、この『目明し編(下)』は様々な意味で凄い作品であること。 圧倒的な物語としての迫力のなかに、繊細な謎解きであるとか更に物語全体へと繋がる幾つもの伏線が敷かれているなど、さまざまな要素が密接に絡み合い、それでいてしっかりとまとまっているのだ。
 まずは『目明かし編(上)』からの繋がり。上巻でなぜこれほどまでに詩音と悟史のエピソードがじっくりと描写されるのか――というところから、この(下)、そして『綿流し編』に到る大いなる伏線が始まっている。昭和五十八年初夏の雛見沢から、『目明し編(下)』が開始され、基本的には『綿流し編』にて圭一視点で味わった事件が、今度は詩音の視点によって描写されてゆく。その結果、圭一にとっては衝撃・重要な情報も、以前からの住人という立場に近い詩音にしてみればさして大した意味合いがなくなり、一方で鈍感な圭一のところどころにみせる反応が、詩音の心と行動を乱していたという背景が少しずつみえてくる。詩音からの毎晩の電話あたりは謎としては大したことはないのだが、終盤部に到る盛り上がり、そして『綿流し編』では推理の妨げになっていた、最後のエピソードにおける関係者のアリバイや死亡時刻の関係について発生した大いなる謎、これがすっきりと解決してしまうところも感心した。なぜ圭一や詩音ではなく、直接に関係ない村長や梨花、沙都子が鬼隠しに遭ったのか。詩音の電話の真意は……。こういった点を見事に解決編では論理的に満たしてゆく。それだけでなく『綿流し編』において看過してしまったいくつもの事象が、本編で伏線として取り上げられているところも驚き。
 ただ――読んでいて気になったのは、あくまで基本的にしか『綿流し編』と同じではないところ。エピソードは同じであっても、交わされている会話などに微妙なズレがあり、「?」を感じたところが幾つかあった。恐らくは、全体を通じての本書のテーマに繋がっている(あるSF設定を想定すると、収まるところはあるのだが)のではないかと感じた。
 物語としては、園崎詩音が喪失感と嫉妬から鬼と化して犯罪を繰り返してゆく物語。この豹変、そして落ち込んでいく闇の世界は、暗黒小説のよな手触りを持つ。表層の見え方を読者は知りながら、その犯罪一つ一つに付き合わされてゆく読者の気分も重くなろうというもの。ただ、繰り返される誤解と後悔。殺人の意味。そういったテーマ性もまた微妙にあるように思う。

 テキストとしての分量はかなりあるため、読むのも大変。厳密にいうと本格ミステリには分類できそうにもないが、そういったすれた読者ですら驚愕させる仕掛けがある。この下巻は、これまで読んできた『ひぐらし』の作品群のなかでも最も驚くことが出来、物語のスケールの大きさを感じさせる作品であった。


08/05/18
草野唯雄「クルーザー殺人事件」(角川文庫'87)

 読売新聞2007年10月21日付の、一介の主婦(たぶん)の質問と、それに対する千街晶之氏の回答の結果、下手をすると草野唯雄作品のなかで二十一世紀最も読まれることになってしまう作品になるかもしれない……長編作品。草野ならまず『鳴き竜』だとか『瀬戸内海』じゃないのかとか、おっさんとしては思うわけだが。いうほどにはあまり読んでないけれど。

 神奈川県・三浦半島。早朝に散歩中の老人が、停泊する一艘のフィッシング・クルーザーが突如炎上するのを目撃した。聞こえた微かな悲鳴。老人の通報により、火は消し止められたが内部から男女の遺体が発見された。男性は田代長治、六十二歳。資産家で川崎市に自宅があった。もう一人の若い女性は、長治の命を救った元海女で、漁師の娘・野中綾と思われた。火元はクルーザーの燃料タンク、更に船室の扉は外部から施錠されていた。警察は計画的な放火殺人を疑い、遺産を受け取る立場にある長治の妻・茂子、そして子供二人・進と園子に疑いの目を向ける。茂子は別に子供がいる後妻で、事業を引退した長治の変わりに事業を切り盛りしていたが、長治が綾という愛人を作るなど夫婦関係は良好なものとはいえなかった。一方の進と園子にはアリバイがあり、更に隣家の住人の証言で茂子にもアリバイがあることが判明。しかし茂子にはダイビングの経験があり、現場近くから茂子の指紋の付いたダイビング装備が発見されたことから、警察は一気に茂子犯人説に傾く。そんななか、素人探偵として名乗りを挙げたのが、茂子の娘・篤子とその恋人菊川武夫の二人だった。

犯人当てるのは、まず無理! 結果的駄作にもみえるが、実は事件の構図に独特のアイデアも
 まず先に述べておくと、読者による犯人当てはまず無理である。いわゆる本格ミステリのお約束をわざと破るかたちで犯人が設定されており、推理にてこの結末に辿り着くことはまず不可能。とはいえ、犯人は序盤に登場はしているので、本格を意識しないミステリーという意味であれば、まあ「あり」ではある。ただ、真面目に推理する読者を裏切る内容であることもまた確か。
 具体的には、本格ミステリとしては規格外の、例えば氷と糸を使って作った時限装置を用いた放火トリック。実行犯が実は共犯相手でした、という真相。ただ、現実の犯罪においてはそんなもんかもしれない。だが、ミステリを楽しむ、読者という人種にとっては逆に非日常にして横紙破りの構成としかみえないもの。 個人的には放火の方のトリックはぎりぎり許せても、外から扉の鍵を掛けたというトリックは、その実行犯のみではなく真相についても、何か読んでいて哀しくなるような内容だと思う。
 ただ、それとは別に被害者の後妻がアリバイによって守られていたにもかかわらず、状況証拠で犯人だと警察に決めつけられてゆく展開が面白い。唯一のアリバイ証言者が偽証ということでますますピンチになってゆく展開は、犯人サイドの捨て身の攻撃が嵌っていたと後で判る。この、真犯人が後妻を犯人に仕立て上げてゆく過程は、捜査する立場の心理を逆手に取る、実に巧みなのものなのだ。 警察ですら信じた真犯人の企みを暴き立ててゆく中盤部から後半部にかけての、恋人同士の素人探偵の捜査と推理は後半の山だといえる。そこで、冤罪の母親を救い出し、本来の首謀者を断罪していたら、この作品はここまで(逆の意味での)特徴ある作品ということにはならなかったのではないかと思う。
 その終盤部がひどいのだ。まず犯人ありきで捜査も囮捜査、罠にかけて犯人を炙り出してゆく過程。本来では次に面白くなるべきパートが、ひどくやっつけ仕事。 文章や描写ががたんと雑になり、トンデモな犯人を物語から引っ張り出してゆく。明らかにそれまでのパートに比べて、構成そのものが浮き上がっている印象が強い。日記にも書いたが、このあたり「犯人を当たらなくする」がために、編集者が強い圧力をかけたのではないか――と思えてくる。その結果、本格から外れ、、文章も雑になり、物語そのものもなんか投げやりになってしまっている……のだとすると、自分のなかでは平仄が合うのだが。

 少なくともミステリ史上に残る傑作にはなり得ない作品であり、名作と駄作のあいだに置くならば、やはり駄作寄りの一冊。バカミスというものともまた異なる。誰もが先を争って読むべきなどということは勿論なく、草野に興味がある人や偶然の機会があった方のみ読めば良い作品かと思う。


08/05/17
深水黎一郎「ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!」(講談社ノベルス'07)

 遅ればせながらようやく読了。第36回メフィスト賞受賞作品。深水黎一郎氏は1963年、山形県生まれの大学教員。'08年、同じく講談社ノベルスから長編第二作目となる『エコール・ド・パリ殺人事件』を刊行している。

 新聞に小説を連載している”私”のもとに、名前に記憶のない人物・香坂誠一からの手紙が届く。その手紙には推理小説の流れと、ミステリーの現状を憂える文章があり、そのなかで最も意外な《読者が犯人》が成立するトリックのアイデアがあることが示唆されていた。日々の連載内容に苦しむ私は、その提案に興味を持つが、連絡先一切が記されていない。私は、超能力を研究する古瀬博士のもとに通いつつ、また昔からの読書好きの友人・有馬に相談を持ちかけるが、詐欺ではないかという意見だった。そして第二通目が届いた。消印は前回の東京中央とは別の場所、山形県となっている。引き続き、アイデアの買取を持ちかける内容で、金額は一億円。絶対にこれは負けられないのだという。更に二通目からは、香坂がどんな人物であるか――ということを私小説風に綴った、覚書なる文章も同封されている。ただ、覚書は多感な少年の幼少期の様子を描いたもので、取り立てて内容があるようにも思えない――。

《読者が犯人》ワンアイデアのトリックの出来はいかに。伏線は綺麗も、物語のまとまりが微妙
 《読者が犯人》と事前に明かしているわけで、ご丁寧に表紙カバーに銀色ピカピカの円が印刷されており読んでいる貴方の顔が映るようになっている。(ちなみに、同様に読者=犯人トリックを使った同じ講談社ノベルスの某作品では、読者側を指差すようなデザインがあったなと、ふと)
 まず究極のトリックと題されたこの作品、そこまでいうならトリックがどうかというところが評価のポイントになろう。これだけ読者を挑発する以上、ある程度は仕方ない。このテーマについては既に先行作家たちが名作を(《読者が犯人》というニュアンスはそれぞれ異なるが)打ち出しているため、やはりそれらとの比較となってしまう。
 結論からいうと……微妙か。 読者が犯人という点については、作中に設定された前提をベースにすれば読者が犯人だという考え方はできる。が、読んでいる自分自身が犯人か? と問われるとノーになってしまうから。読者犯人である一方、貴方犯人ではない。(作中の新聞連載同時進行=その読者という設定と、単行本という形式=その読者との差違)。ただ、設定そのものは他に類を見るタイプではなく、その意味ではユニークなトリックだとはいえるだろう。
 もう一つ、香坂誠一の覚書であるとか、彼がこのような仕儀をしでかすに至った人生転落の過程であるとか、その部分の設定は必要充分。また途中で私のもとに唐突に現れる保険屋であるとか、伏線については丁寧に仕込まれているといって良いかと思う。
 一方で気になったのは、作中でさんざん触れられる超能力実験とメイントリックとの連関の薄さ。超能力を持つと称する人々がおり、様々な実験で本物と認定される。最終的にそのトリックを博士が見破るのだが、むしろそちらで仕掛けられていたトリックの方に惹かれるものがあった。五種類のカードを姉妹が数百枚のテストを行って正答率95%という結果。これを覆すトリックが良い。強いていうと、超能力があるのでは……という登場人物も登場するのだけれど、トリック自体は別に超能力というわけではないし……。小生の読みの浅さかもしれませんが、正直よく解らない。

 文章や文体にこれといった特徴はなく、読みやすいことは読みやすいので、このトリックに興味を引かれる方は、素直に手にとってみても良いのではないでしょうか。うーん、この程度かなあ。


08/05/16
和田 竜「忍びの国」(新潮社'08)

 和田竜氏は'69年、大阪府生まれ。2003年、映画脚本『忍ぶの城』で第29回城戸賞を受賞。2007年同作を小説化した『のぼうの城』にて作家デビュー。同書が大ヒットとなり、第139回直木賞候補となった。(これを書いている段階では直木賞の発表はまだ)。本書は、小説第二弾。書き下ろし。

  天正四年。近畿・伊勢の国の戦国大名・北畠具教の六女を貰って養子に入っていたのが織田信長の次男・信雄。その信雄は、北畠譜代の重臣、長野左京亮と日置大膳、そして柘植三郎左衛門を伴い、北畠具教のもとへと向かっていた。具教を討つためである。稀代の武将でもあった具教を倒すのに、多少手間取ったものの、なんとか信雄は具教を倒すが、その状況を伊賀の忍者が見つめていた。追ってやってきた信長。そして信長は、伊賀を攻めるのに非常に慎重であった。一方、当時の伊賀の国は守護が不在で、少規模の土地を所有する地侍がそれぞれ配下を集め、彼ら同士が争いを繰り広げていた。だが、彼らは一旦他国からの侵入があるとなると一致団結して立ち向かうのだ。ただ、下人、即ち忍びの者たちは平素は農業をして暮らし、金を支払ってくれる相手のために戦うことを徹底。そのなかでも伊賀一番の忍者と呼ばれる無門は、その傾向が強かった。ただ、無門は広島から攫ってきた、お国という女性に惚れ込んでいた。が、金が稼げず、彼女に約束した暮らしを与えられないことで尻に敷かれていた。隣国、伊勢が落ちるにあたり、伊賀を統べる十二人家は一計を案じた。伊賀の忍者を高く売るために、敢えて有利な条件を作り上げ、信雄に対して戦争を仕掛けようというのだ……。

多数の資料に立脚した歴史エンターテインメント。文章の堅さと荒削りのストーリーが魅力か
 どうせならば『のぼうの城』も読んでからレビューを書きたいところだったが(まだ読んでいない)。いずれにせよ最近はもちろん、これまでの時代小説(リアルタイムの)の流れについてよくわかっていないので、あくまで本作を中心に感想を書く。
 まず、意外だったのは数多くの史記・資料を紐解いて、その積み重ねのなかに物語の原型を作っている点。単純に『のぼうの城』の表紙絵から想像した自分もよくないが、戦国時、あくまで舞台のみを借りた時代劇アクション系の作品(及びそういう作家)だと思い込んでいたら、良い方向に裏切られた。むしろ実際の歴史(まあ、史書においての話だが)をしっかりと下敷きにしたうえで、登場人物をその設定のなかで戦わせている……といった印象を受けた。実際、史書からの文章そのものの引用も多く、物語の臨場感や説明不足を巧みに補っている点、新人らしからぬ余裕を感じる。一方で、小説という意味では多少まだ不親切なところもあり、特に序盤、さまざまな登場人物の視点と内心の台詞がごちゃごちゃ交錯して、誰が何を言っているのか非常に分かりにくいところが気になった。但し、これはドラマで演じられるのであれば問題なく、やはり小説ゆえの難しさだといえそうだ。
 ストーリーは基本的にシンプル。様々な駆け引きがあるとはいえ、伊賀の忍者たちと、そこに攻め込もうという騎馬武者たちの戦いぶりがやはり読みどころ。また風太郎忍法帖などと異なるのは、忍者たちの特徴が、多少の工夫はあれどいわゆる忍法とはほど遠い点。手裏剣、身のこなし、刀。道具はもちろん普通だし、人体改造にしても不可能ではない(但し○○雑伎団であれば)レベル。もちろん終盤に到っての戦いは目まぐるしく、迫力も大きい。さらに戦いといえどあくまで現状・歴史に立脚している点も素晴らしい。しかし、本当のポイントは忍者ならではの悪魔的な心理戦にある。この部分は、ミステリの視点からみても、サプライズめいた展開に繋がっており興味深い。

 ただ――、これまで時代劇を読んだことのある人々であれば、手放し絶賛というのもちょい奇妙。むしろこれまで時代物を読まなかったような人々を取り込んだところに意義があるのか。基本はあくまで映像表現するための材料といった印象が強く、物語として大絶賛とまではいかないのように個人的には思えました。いえ、とても面白いのですよ。


08/05/15
大倉崇裕「聖域」(東京創元社'08)

 構想数年(?)、綿密な構想がちりばめられた落語ミステリや、趣味全開のオタク系ミステリ等で活躍する著者は、実は大学時代山岳系同好会に所属して山に登りまくっていたのだという。(いや、てっきり落語研究会に所属されていたのだと……)。その著者が満を持して放つ、本格山岳ミステリ。(もちろん、この場合の本格は、山岳にかかる)。

 三年前にある事故に関係したことから登山から離れていた草庭正義は、三年ぶりに大学時代の同好会仲間である安西浩樹の誘いで冬の両神岳にアタックした。卒業して五年、安西だけは本格的に登山を続けており、マッキンリーをも極めていた。そんな安西は近く、本格的な登山隊の一員としてカムチャランガを目指すという。かつて安西には牧野絵里子という恋人がいて、出発前に彼女が亡くなった塩尻岳に行き、報告してゆくと言い残す。山を降り、本業の酒類問屋の勤務に復帰した草庭。しかし、そこに安西が塩尻岳で滑落、遭難したとの連絡が。事故なのか、それとも自殺なのか。一旦は山を諦めた草庭は、難易度の低い塩尻で安西がそんな目にあったことが信じられない。その背景を調べてゆくうちに、安西がそれ以前に遭難死した絵里子の死因に疑問を持っていたことを知り、草庭もまたその足跡を辿ってゆく。どうやら絵里子の死は、タレント紛いの活躍をしている人気登山家と、その周辺人物たちと関係がありそうなことがわかってゆくのだが……。

自然との闘い。登山のシンプルかつ重要な描写が映え、命を預け合う緊密な人間模様が浮かび上がる
 ついに出た。 思わず調べてみたが、毎年の「このミス」における「私の隠し玉」のコーナー、大倉崇裕氏が初めて「山岳ミステリ」という言葉を載せたのが、2004年版(つまりは2003年暮れ刊行の分)だ。そこから毎年のように「山岳ミステリ」「山岳ミステリ」とあって、いつ出るのだろう……? と思っていた作品が遂に陽の目をみた。軽く構想五年ってことですよね。それがこの『聖域』である。
 そして、その内容。時間をかけてじっくり熟成しただけのことはある。これまでの大倉崇裕の諸作、どちらかというと綿密な構成はあっても、全体としてはさくさく読める作品が多いというこれまでの印象を覆す、濃厚な一品となっている。まず、雪山をはじめとする自然描写の妙。登山者独特の心理と考え方。もちろん登山に関する知識の深み。背景となる、そもそもが自然との闘いという、雪山登山のスリリングな様子がきっちりと描写されている点。 山岳・登山を扱う作品ならではの自然そのものの猛威、日常では大したことのないほんのちょっとした油断が山では命取りになるという怖さ。経験者でなければ、絶対描き得ない深みが作品の背景にしっとり溶け込んでいる。
 一方、その自然描写に負けないだけの、濃い人間関係が物語を動かしてゆく。草庭、安西、それに絵里子。敵方(?)にあたる登場人物含め、山に登る理由やその経歴や、ここに到るまでの関係が小出しながらも、最終的には全てが明らかにされていく。もちろん、物語はミステリ仕立て。なぜ現役にして高い能力を持つ登山家の安西が、難易度の低い山で遭難したのか。なぜ絵里子もまたその山で遭難してしまったのか。草庭が追い求める関係者が、なぜ次々に謎の死に襲われるのか……。あえて極端な言い方をすると、この作品自体がミステリであることは必須ではない。だが、ミステリの形式をとることで各々の関係者の思いの深さが強く打ち出される。 そんなイメージが残る。ついでにいうと、草庭という青年のビルドゥイングス・ロマンといった読み方もありだと思う。
 とはいってもミステリとしても、物語の終盤部分に明かされる真相についてはかなり意外だった。確かにあり得るし、反則等ではないのだけれど、この前半〜中盤に到る自然描写の強烈さがむしろレッドへリングとなっていて、そちらに思いを到らせることができなかった。これもまた計算だとするとお見事。

 趣味だとかオタクだとかに偏らず、ストーリーも直球であるという理由から、大倉崇裕という作家の今後は代表作として紹介されるべき作品だと思う。素直に物語としての完成度は高いから。登山を趣味とされる方、書斎で登山に思いを馳せる登山好きの方、そして山に(まともに)登ったことのない小生のような人。恐らくその誰もを物語にぐいぐい引き込むだけのパワーがある作品だ。


08/05/14
結城昌治「罠の中」(集英社文庫'77)

 結城昌治の初長編は最近創元推理文庫で復刻された『ひげのある男たち』で、続いて同じく郷原部長刑事ものとして『長い長い眠り』が発表されている。この『罠の中』は実は第三長編にあたる作品で、'61年に新潮社より刊行された。出来も悪くない作品だと思うが、文庫版は'08年の段階ではこの集英社文庫版しかないようだ。

 刑務所からの出所者や軽度の犯罪を犯した無職の者を集め”更正保護事業”の美名のもとで印刷工場で働かせている矢次収造。以前は警察にいたが、この事業に目を付け補助金を受け取りながら詐欺同然の低賃金で人々をこき使っている。自分では意識すらしていない極端な吝嗇と、強情にして自分勝手、かつ酷薄な性格ゆえに彼を憎む者は多い。息子の啓一と娘の由利、ただ一人の男性従業員の野見、事実上愛人でありながら女中としか扱われていないアキ。さらに矢次は戦時中、ソロモン諸島で全滅寸前の状態の部隊を率いており、部下を見殺しにして下士官の森川と二人だけで戦地を脱出した過去もあった。その森川が、すげなく矢次に借金を断られ、工場の裏庭で首を吊って自殺した。この事件を境に、矢次の旧悪を暴露するという怪電話や脅迫状が舞い込み、謎の人物が家の周囲をうろつくようになる。更には愛人の筈のアキが、従業員の一人と共に歩く姿が目撃され、また、収造と衝突後、家を飛び出したまま戻って来ていなかった矢次の息子が無惨な姿でしかも家の中で発見された……。

欲得が入り乱れる人間群像のなかでのサスペンス。真犯人の歪んだ動機がむしろ現代的ですらある
 もともと他人から嫌われまくるような厭な人物を設定して、その人間が命を狙われることでパニックになる――という展開自体は、例えば多岐川恭であるとか、結城昌治氏と同時代の作家もまた試みている設定だ。人間描写に巧みな結城氏の筆によるこの作品は、ちょい役含めて様々な人物が登場、それぞれが虚実入り交じった過去を抱え、何やら秘密めいた動きを取っている。お金もなく、大した夢もないけれども妙にずる賢く非常に人間的にタフで逞しい。 そういった人間たちが集う、厚生保護事業という設定が大きく効いている。さらに、命を狙われてもおかしくないという主人公(?)の設定もうまい。
 ただ、動機については「懲らしめてやりたいけれど、殺すほどでは……」という人々を周囲に配しているのがミソ。最終的に明らかになる犯人の、社会的、かつ自己中心的な暗い動機がかえって心にしみ通る。こういった周囲の状況を眺めているうちに、自分の欲望を正当化してしまうという犯人像は、どこか現代の実際の事件とも通じるものがある。(こういった弱者の反撃というのは時代を超えているのかもしれない)。
 一方、濃密なサスペンス……というか、収造の周囲にて連続的に発生する奇妙な事件も面白い。 そのあたりでは見慣れない男、怪電話に投げ込まれる怪文書、怪しげな新入り入所者、従業員の奇妙な行動。こういった個々の事件それぞれに意味があり、分解していくと確かに本筋の犯人探しの手掛かりとなっている部分もある。犯人を推理(当て推量ではなく)するのは現在となっては特殊な知識も必要なためかなり難しいとはいえ、一応手掛かりはきっちりと本文中にある。個人的にはユーモア・ミステリに分類する作品だが、見方によっては本格ミステリとして括ることもできるだろう。

 再刊されている、どこからみても名作といった結城昌治の作品群ももちろん素晴らしいが、こういったあまり陽の目をみない作品であっても、きっちり職人芸的な仕上がりをみせている。 この時期の実力派作家の作品て、本当に手抜きがなくしっかりしている。最近の復刊で初めて結城昌治に興味を持たれたという方にも機会があればぜひ触れて頂きたい。


08/05/13
今野 敏「隠蔽捜査」(新潮社'05)

 今野敏氏は2006年に本書『隠蔽捜査』にて第27回吉川英治新人文学賞を受賞、ドラマ化もされている。本書発表段階では単発作品だったが、現在は続編にあたる『果断 隠蔽捜査2』も刊行され、山本周五郎賞を受賞するなど、元もと警察小説を得意とする今野氏にとり、このシリーズは新たな看板になりつつあるようにみえる。

 東京大学を卒業後、警察官僚(いわゆるキャリア)への道を踏み出した竜崎伸也。警察官僚としてのプライドと達観したエリート意識に凝り固まった彼は、着実に出世街道を進み、現在は四十六歳で警察庁官房で総務課長を務めている。彼の同期には警視庁の刑事部長という職で現場に留まりたがる伊丹がおり、小学校が同級という関係もあって、周囲からは彼らは仲がよいものと見なされていた。情に厚い伊丹と警察官僚の仕事に誇りを持つ竜崎。彼らは互いを変人扱いしつつも奇妙なコンビを形成していた。そんな折りに発生した殺人事件。当初は暴力団同士の抗争と思われたが、被害者は過去に誘拐・監禁・強姦・殺人を行った極悪不良グループで服役の経験があった。続いて、同じグループに所属していて同様に社会復帰していた人物が同一の銃で殺害され、連続殺人事件となった。マスコミ対策に追われる竜崎と、現場で実際に指揮を執る伊丹。しかし事件の裏側には警察機構を揺るがす大きな問題が横たわっていた……。

読み出し、めちゃくちゃ嫌な奴のはずが、読んでいるうちに魅力的になっていく不思議な主人公
 普通、東大卒のキャリア、更にはエリート至上主義というのか、主人公の竜崎の一人称からくる考え方は、まず独特である。官僚主義ここに極まれり。俺達が国を動かしているという官僚特有の驕り(?)のようなものとその仕事にかける情熱(そして家族に対する無神経)。官僚制度の絶対肯定。さらには自分の信念が常に正しく、東大以外は大学ではないと有名私立に合格した息子を東大ではないという理由から浪人させてしまう神経、家庭はあくまで激務である公務を行うための休息場所でしかないといった考え方……。自分は正しく、その有能な自分がより多くのことを決定する立場を得るための上昇志向。 内面から彼の考え方をみるに「ああ、この国の官僚はこういったことを考えているのだろうなあ」と思う一方、少なくとも序盤はこの主人公は、単純に嫌な奴にみえる。
 ただ――読み進めるうちに、この竜崎という人間が徐々に不思議な魅力を発揮してくる。結局のところ、官僚という仕事に誇りをもって取り組み、その責任をきっちりと受け止める筋の通った生き方をしているところがわかってくるから。人によって態度を変えず、信念は多少のことがあって枉げない。自分の息子が不祥事を起こしても逃げず(悩むが)、真っ正面から受け止め、そして筋の通った解決方法を模索する。つまりは官僚という職業であっても、私利私欲とは本当に無縁の責任をきちっと取ろうとするところに(凡人たちとは別の意味での)人間臭さが出ているのだ。
 事件そのものは、この主人公と、もう一人のキャリア・伊丹の前ではもはやおまけ。そもそも少年法にて保護された凶悪犯罪犯人たちを社会復帰後に連続殺人するという事件。誰が犯人なのか――追及していく姿勢と方法には工夫はあるものの、犯人の意外性は、物語の展開の方に重点的に寄与している。こういった常識はずれの構成・そして絶対に敵役にしかなり得ないような登場人物を主人公に起用する取ることで、これまでに無かったタイプのエンターテインメントが生まれてきたのだ。ある意味、主人公は自分に正直な人物であり、堅物であろうと、くそ真面目であろうとその言動になぜかカリスマめいたものすら感じられる。

 『果断』も大ヒットしており、当然その竜崎のデビュー作にあたる本書もさらに連動して売れてきているようだ。警察小説として一流だし、エンターテインメントとしても一流。つい最近、文庫も出たようなので今が一番の読みどきかも。


08/05/12
近藤史恵「タルト・タタンの夢」(東京創元社'07)

 多数のシリーズ作品を持つ近藤史恵さんによる、新たなシリーズ作品。『ミステリーズ!』誌のVol.3(2003年12月)に最初に掲載されてから、不定期連載され、収録最終話が発表されたのが同じく『ミステリーズ!』Vol.15。ちなみに人気シリーズとなったせいか、第二弾も既に刊行されている。

 下町にある小さなフレンチレストラン、『ビストロ・パ・マル』。「悪くはない」という意味を持ち、カウンターとテーブル席が幾つかというこの店は、語り手であるギャルソンの高築のほか、料理長の三舟、有名店で働いていながら三舟を慕って働くシェフ・志村、俳句好きの女性ソムリエ・金子の四名で切り盛りされていた。家庭的な雰囲気と、心づくしの料理が売り物の店はそこそこ繁昌しており、時折客が持ち込んでくる謎もまた三舟によって解き明かされてゆく。
小劇団の人気女優と婚約した常連客が、彼女の手作りのフランス料理で体調を崩した……。『タルト・タタンの夢』
とんでもない偏食の常連客に出したある料理。一緒に来ていた愛人の女性は、彼を妻から奪い取る決意をするが……。 『ロニョン・ド・ヴォーの決意』
クリスマスの夜、志村の妻である歌手を店に呼ぶことに。フランス時代に知り合った彼らにはちょっとした秘密のエピソードがあった。 『ガレット・デ・ロワの秘密』
前触れもなく別居してしまったおしゃべりな妻。夫の取った間違った行動はなんだったのか。『オッソ・イラティをめぐる不和』
近所の老舗甘味屋の若主人。彼の高校時代、一滴の酒もない筈の合宿所で後輩が酔っぱらいとなって暴れた。酒はどこから現れたのか。 『理不尽な酔っぱらい』
有名エッセイストの、在仏時代の恋人。彼が誕生日前日に作ってくれた鵞鳥のカスレはなぜ不味かったのか。 『ぬけがらのカスレ』
不機嫌な顔で食事をしていた男女。勘定の時に男は最後のチョコレートに文句を。しかし事実、チョコレートの質がいつの間にか落ちていた。チョコレート屋の彼が持つ屈託とは。 『割り切れないチョコレート』 以上七編。

謎解ける時には、笑顔も泣き顔もあれど、美味しい食事のあるところ、必ず笑顔
 『ミステリーズ!』連載作品ということもあって、やはり分類はミステリになる連作集ではあるのだが、物語の(特に文章の)比率においては、この小さなフレンチレストランの魅力を感じさせるエピソードに重きが置かれているように感じられる。結果的にいえるのは、飾らないフレンチの魅力と奥深さ、料理を生業としている『ビストロ・パ・マル』メンバーの仕事への真摯な態度、そして料理に対して妥協しない生真面目な態度だ。読んでいて唾がわき、接客に心がこもっていて実に気持ちがよい。この店が繁盛しているという設定は決しておかしくない。
 一方で日常の謎が各作品に配されているのはもちろんミステリだから。それぞれ、当然殺人など物騒な謎はなく、本格ミステリというには軽めに過ぎるエピソード。解決のためにはちょっとした知識が必要だったりするものが多く、いわゆる読者に謎解きを要求するようなレベルと作者の意図はない。○○と○○の取り合わせが美味しいとか、○○を加工しない目的は○○であるとか、○○の作り方で工夫すれば謎が解けるとか……。知らない場合は謎解きそのまま蘊蓄学習の時間になる。そういう謎解きだ。
 また、読了して考えたのだが、それぞれ読者ひとりひとりの置かれたシチュエーションであるとか、個人のテイストによって「この作品が一番好き」というものは変わってきそうだ。個人的には本作の最終話(続編が出ているので、最後の作品ではないですよ)の、なぜ詰め合わせのチョコレートが素数なのかというあたりがツボだった。裏側にこういう考え方を持ってくるのは巧すぎ。

 ただ、その豆知識の披露がミステリとしてのキモではなく、その結果浮かび上がる心情であるとか、隠されていたある人物の本心であるとかがポイント。その意味ではミステリだと構えて読むのではなく、それこそ家庭的フレンチを気軽に楽しむ感覚で読むのが吉
 近藤史恵さんがMYSCONにゲストで来られた折に、モデルとなった店が小生の行動範囲に存在するらしいことを聞いているので、一度行ってみるつもり。フォアグラ……。


08/05/11
北方謙三「渇きの街」(双葉文庫'99)

 国産ハードボイルド作家のなかでも大御所中の大御所・北方謙三氏。'81年に『弔鐘はるかなり』を書き下ろし刊行してデビュー後、『眠りなき夜』で第一回日本冒険小説大賞と第四回吉川英治文学新人賞をダブル受賞し、その後も数多くの名作を発表した。本作は'85年に第35回日本推理作家協会賞を受賞した作品である。

 高級クラブ『オリエンタル』でアルバイトのボーイとして働く川本高志。エマという二号と時々情事を持つ二十五歳の彼はつい最近、単独で友人の仇を半殺しにしていた。その彼は店で、室田という男を殺気立って探している男たちと対決。その一人を殴り倒したところ、それが店の客の家族だった。詫びを入れにいった帰りに集団に囲まれて暴行され、店に戻ると馘の宣告が待っていた。以前の事件で行きずりで助けた室田を頼って新たに、仕事を引き受ける川本。彼のもとには『オリエンタル』にいた美恵子が恋人気取りで出入りする。室田が川本に振る仕事はかなりやばいものが含まれていると同時に、これまでの川本には考えられない高給が付随していた。室田は詐欺同然の仕事を金儲けの手段としており、その仕事は後ろ暗いものばかりであったが川本は持ち前の頭の回転と、身体のなかからの暴力衝動と共に、着々とその仕事をこなしていった……。

叩きつけるような独特の文体とリズム。そして若者特有の少々歪んだ一本気が虚しさを増幅
 北方謙三作品の文体は独特である。とはいっても別に極端に読みにくいということはなく、むしろ歯切れ良く、読みやすい。フレーズひとつひとつにビートが効いており、文章にリズムがあるのだ。……とはいっても、この文章をとって文学的といった持ち上げ方をすることまでには少々首をかしげざる得ない。ただ、この点については北方作品の読了絶対数が少ない現在に論じても仕方ないことかと思うので、今回はここまで。
 ただ、内容と展開には感心させられる。理不尽なのだ。 その理不尽さが25歳の持たざる者の刹那的な生き方と奇妙にマッチしている。世の中には大人も子供もなく、因果応報すら存在せず、人生はその瞬間、瞬間を生き残り勝ち残るための戦いである――といった虚無的な人生観があまり表に出ていないまでも物語全体に通底している。そしてそんななか、自己中心的なのに奇妙に義理堅く、打算的なようでいて計算外れの行動をする主人公からはダーティ・ヒーローの魅力がぷんぷんと発揮される。 おそらくは友人としても恋人としても嫌な奴、しかも筋が通っているのか通っていないのか分からない。だがなぜかこの主人公に引き込まれる。フィクションである以上、彼自身と全く同じ生き方をする人間なぞは当然存在すらしないわけだが、それでいて彼を通じて(当時の、そして現在も同じく)エネルギーの吐き出し場所すら分からない若者ならではのパワーが読者にひしひしと伝わってくるのだ。
 この川本の存在は世間的には困った人物ということになるのだが、その内面の滾りも含めて描き出すことで、閉塞感ある世界で生きざるを得ない人間の苦しみの物語として作品自体が独特の重みを発するようになっている。(もし作品を文学的だと論ずるのであれば、文体よりそのテーマ性にあるととりあえず思う)。

 たまたま手に取った北方作品であり、以前に他の作品を読んだのも遙か記憶の彼方。現在は、『三国志』など、様々な分野の作品を発表している現代エンターテインメントの巨匠格ではあるが、この作品には(恐らく)当時の北方謙三にしか描き得ない何かが込められているような気がしてならない。