MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/06/10
北森 鴻「なぜ絵版師に頼まなかったのか 明治異国助人奔る!」(光文社'08)

 副題は「めいじおたすけガイジンはしる」と読む。数多くのシリーズ探偵を擁する北森鴻氏による連作短編集。明治時代の東京大学を主な舞台に日本政府のお雇い外国人・ベルツ先生とその仲間、さらにベルツの助手格・葛城冬馬が活躍する。『ジャーロ』二〇〇六年春号から二〇〇八年冬号にかけて連載された作品の単行本化。あれ? 裏京都ミステリーはいずこへ?

 明治時代になって十数年、頑固な祖父の命令で未だに丁髷頭の若者・葛城冬馬は単身上京し、東京大学医学部に招聘されているベルツ先生の給仕として働き出す。ベルツや彼のもとに出入りする外国人は、皆怪しげな服装に身を包み変わった性格で冬馬は辟易とするが、一方で彼らは皆、まだ若い日本という国家のことを真剣に考えていた。そんな折り、横浜港で米国人水夫同士が決闘する事件が発生、彼らのうち一人は「なぜエバンスに頼まなかったのか」ともう一人に迫ったのだという。 『なぜ絵版師に頼まなかったのか』
 東京大学予備門の生徒となった冬馬。旧知の歌之丞は骨董屋に鞍替えし市川扇翁となった。骨董屋が長屋で毒殺される事件が発生、その容疑が扇翁にかかる。彼らは独自の捜査でその真相を探ろうとするのだが……。 『九枚目は多すぎる』
 扇翁は小山田奇妙斎と名を変え小説家を目指す。ベルツは京都へ。そして東京では上野の見世物小屋の活き人形が町を闊歩しているという奇妙な噂が流れていた。その人形を作るのはれおな堂多弁児なる人物。果たしてその噂と狙いは……。 『人形はなぜ生かされる』
 奇妙斎は鵬凛と名乗る住職に。芝にある倶楽部・紅葉館。妾館でもあるこの建物で偶然冬馬はベルツと出会う。ベルツは政府の要人を診察した帰りで脚気を発症しているという。その紅葉館で芸妓が一人、毒を飲んで死亡する事件が発生した。 『紅葉夢』
 ベルツの下、大学の解剖学研究室に所属する冬馬。校内にある寄宿舎より火事があり、焼け跡から男の死体が発見された。冬馬は遺体に下駄を履き慣れない擦り傷を発見する。鵬凛から改めて新聞記者・仮名垣魯人は、その事件のことを執拗に冬馬に尋ねる。 『執事たちの沈黙』 以上五編。

個々のミステリの出来には満足も、北森氏には珍しく全体の意図が空回り気味?
 国内外の有名ミステリ作品(紅楼夢は違うけど)に引っかけた題名で綴られる、維新から十数年後の明治時代に日本に滞在した、これまた有名な外国人たちが探偵役に不可能犯罪を追いかける。その事件の発端は些細なことであっても当時の日本の政治や経済、文化に密接に関連しているというあたり、北森氏の意欲が感じられる。特に時代の結節点にみられる小さな事件が、実は「明治日本の裏歴史」と繋がっている――というセンスは、近年では北森氏の得意とする分野でもあり、個人的にも大好き。
 一方で、北森氏の狙いが、明治期の日本の変化と躍動をミステリを通じて描き出す――という部分にあるのであれば(たぶんそうだと思うのだが)、そのテーマ、本来は長編三部作くらいのボリュームで表現しなければならないところではないかとも感じた。つまりは日本の成長と、その暗喩である葛城冬馬の成長、さらには諸外国の良いところを受け入れ変わり身の早い草創期日本と、更にはその象徴である市川歌乃丞(他)。そういった風俗と人間、更には当時の政局や時節といった部分をじっくり対比的に描くことが出来ていればまた作品全体の印象が変わったに違いない。短編五編で作中で十数年の歳月が流れてしまうのは、感覚的に少し急ぎすぎている。その部分のみ残念。とは言いつつも、この短さのなかで最低限この主題は書ききっているあたりに北森鴻氏の歴史観とテクニックが感じられるあたりは良く出来ているともいえるのか。

 作品のテーマと装幀他の印象とがかけ離れてしまっているのも若干マイナス。(裏京都の路線であればこれで良いのだけれど)。北森ファンならば、やはり手に取るべき連作集ではないでしょうか。恐らくシリーズとしてこれ以上続けるのもまた難しそうです。


08/06/09
森村誠一「日本アルプス殺人事件」(角川文庫'77)

 '69年『高層の死角』で江戸川乱歩賞を受賞し専業作家となった森村誠一氏は、『虚構の空路』『新幹線殺人事件』『腐食の構造』といった、後の代表作となる長編を次々と発表していった。本書はそんな上り調子一辺倒だった時期の森村氏の作品で昭和四十七年('72年)二月から『週刊小説』誌上に八回にわたって連載された作品。

 まだ開拓されていない日本アルプスへの観光事業に対し、ケーブルカー敷設やバス路線延長といった利権を求めて「帝急」「西急」「中台興業」の観光三社は、中央官庁に対して猛烈な許認可陳情合戦を繰り返していた。キーポイントになるのは、官庁の局長である門脇の意向。その門脇が一人娘の美紀子を連れ、上高地へと旅行に来た際にも、情報を得た三社からは弓場、村越、国井という三人の男たちが待ちかまえていた。三人はそれぞれの会社のエリートであったが、同じ大学でワンダーフォーゲル部に所属する仲間でもあった。しかしこの観光開発案件では三人とも重大な任務を与えられているライバル同士。さらに三人はこの旅行を通じて知り合った門脇美紀子に対して、それぞれが個人的なアプローチを開始するようになる。しかし、そんななか、国井のマンションに呼び出された美紀子は、国井が殺されているのを発見する。村越は事件当夜、夜中に友人宅を訪れていたというアリバイがあり、弓場はアリバイについてはあるというが黙秘を貫いていた。捜査の結果、弓場のアリバイは上司の妻と不倫をしていたためと発覚。弓場はエリートの地位を追われてしまう。捜査陣によって村越のアリバイが一転して疑われるが……。

この時代にしか成立しないがちがち本格と野望に燃える男たちのどろどろした醜い争いと
 山スキーに出かけた男女。悪天候に見舞われ女のスキーが外れる。麓に救助を求めに男は一旦現場から去るが戻ってきた時には女は死んでいた。ホテル火災。その日初めての女性と愛を交わした男。裸同然で屋上に逃げ、ヘリコプターの下ろした救助梯子に捕まる。自分に捕まった彼女の体重に耐えきれなくなり、男は女を高空から蹴り落とす。冬の山中。ドライブに来ていた男女の車が故障。強烈な腹痛に襲われ苦しんでいた女を置いて、救助を求めに山小屋へ男が行く。しかし、女は既に死んでいた。

 ……とまあ、オープニングからして身勝手な男と彼らに弄ばれ悲劇に見舞われる女たちの点景が三種類も描かれる。さらにそれに加えて、高度成長期のがむしゃらに競争社会を生きるエリートサラリーマンたちの身勝手で自分本位の生き様が本編に加わる。彼らにとって女性は性欲のはけ口か、政略結婚の道具でしかなく、ライバルを非合法な罠にかけても自分が上昇することを望む……。この時期のエリートというのはそんなもんか。読者もそんな彼らが殺されようと人生を転落しようとあまり罪悪感を持ち得ないだろう、というところまでは計算のうちかもしれない。
 ミステリ的には、アリバイ崩しが2点。深夜にラジオで聞いた深夜放送の問題、そして日本アルプスを登った時に撮影した写真の問題。双方、よく出来ていると思うのだがいかんせん執筆当時の時代というかハードウェアに依存しているものであり、現代に至ってそのまま評価できる類ではない。ただ、カメラと写真を使ったアリバイについては、その具体策はデジカメ主流の現在は実現は難しいものの、ミステリのトリックとして応用するところ、その発想については非凡なものがある。
 とはいってもやはり、エリート社会に生きる男の身勝手さがあくまで物語の中心であり、さすが男女のどろどろした関係を書かせると森村誠一の筆は走る走る。 特に、最後の数ページ、身内に殺人犯を抱えてしまった美紀子が自ら投じる自虐的行為を予見させるラストの”黒さ”には、普通の小説では味わえない程のどろどろ感を覚えた。うへえ。

 なんとなく男女のどろどろした作品が読みたいなあ……と手元の森村誠一作品を探して読んだところ、その意味では大ビンゴ。時代色が強く出ているため、現代日本と重ならないところが一抹の救いではあるが、あの時代の日本ってやはりこんなんだったのかしらん。(コンプライアンスのうるさい今となってみては、あり得ない営業活動の数々……)。


08/06/08
加納一朗「女王陛下の留置場」(角川文庫'82)

 副題は「殺人珍道中シリーズ1」。ちなみに殺人珍道中シリーズ二作目も角川文庫収録で『パリの空の下 死体は流れる』という作品がある。元版は昭和四十九年一月に書き下ろし刊行されている。

 体つきも顔もふくよかで色黒の田尻喜悦(たじり・きえつ)と、長身で色白、派手な服装の男前・小野塚常二(おのづか・じょうじ)のコンビは私立探偵。浮気調査で香港に乗り込んできたのは良いものの、カジノで調査費をすってしまった挙げ句に尾行対象者はさっさと帰国。ホテルの料金が支払えなくなって香港の雑居房にぶち込まれてしまう。そこで知り合ったのが香港の実業家張(チャン)老人。彼は、自分の調査依頼を引き受けてくれれば留置場から出してやるという。張老人によって支払われた保釈金で自由の身を得た彼らは、日本に留学していた老人の息子と結婚していた日本人女性・殿村茜を探し出して欲しいと依頼を受ける。その息子は、茜と結婚した直後に飛行機事故で死亡、その女性は三日後から行方が解分からなくなっているのだという。張の娘で美人の秋芳が彼らの御目付役として同行。帰国後、すぐに調査を開始するが、友人関係も住居の周辺情報からも難航。更には写真を貰い受けに行く約束をしていた茜の知人女性が、彼らの到着前に殺害されてしまっていた。

ユーモア・サスペンスがベースのどたばたストーリーに、思いも寄らない事件の構図が映える
 いきなり映像化が意識されたわけでもないだろうが、田尻と小野塚の掛け合いが本書では命だろう。性格の異なる二人がマシンガン漫才よろしく事件に際して大声で意見を交換しながら突き進む。そういった意味では 基本的にはユーモア・サスペンスの体裁をまとっているといえる。田尻と小野塚の掛け合い漫才のようなやり取りがポイントとなる一方、残念ながら今となっては多少時代がかった感と下品に徹しきらない下品さが微妙かも。時局ネタが出ているわけではないのだが笑いのセンスが現代とずれている点は仕方ないか。ただ、面白さという面では、この二人の息の合ったやり取りよりも、例えば小野塚が捜査中に出会った人妻との会話だとか、バーでのやり取りだとかそういった多少ピントがずれた会話の方が面白みといった部分は普遍的で強いかも。
 事件の方は、行方不明者を捜すうちにその対象の消息を知る人間が殺される事件に巻き込まれて……といった展開。物語全体に関する人間関係の構図に思わぬトリックが仕掛けられていて、その犯人の存在が消えてしまうところがお見事。特に、日本で暮らす普通の日本人が陥りがちなある錯覚がさりげなく織り込まれている点にオリジナリティを感じる。最終的に明かされる人間関係は、これもまた微妙にチープだったりするのだけれど、そのわかりやすい人間関係を最後まで隠し通すところにプロット作りでの妙味はあるか。

 加納一朗氏のミステリの特徴であるサスペンス感覚は本作ではちょっと控えめ。ユーモアを前面に押し出しつつ、プロットで謎を作る構成は、周到であり、この部分は現代ミステリにも通じるか。また登場人物全体が洒落ていて、泥臭さが感じられないところも美点。加納一朗氏の熟練した巧さが詰まった作品であるといえそうだ。


08/06/07
蒼井上鷹「まだ殺してやらない」(講談社ノベルス'08)

 小説推理新人賞受賞作家ながら、蒼井上鷹氏、遂に講談社ノベルス初登場。あおいうえたか。あいうえお。たか。(深い意味はありません)。

 連続殺人犯・カツミに最愛の妻を殺害された犯罪ノンフィクション作家・瀧野和一。彼は怒りと悲しみを糧に自らの経験を武器に、友人の探偵事務所長・藤樹の協力と共に犯人捜査に乗り出す。その一環として、長野県の人里離れたペンションにてカツミにより殺害された被害者の遺族を集めた捜査会議を行い、その結果、犯人らしき人物のあぶり出しに成功した……。しかし、それはカツミではなく、カツミは別の女性を襲おうとして失敗、その女性の機転によって逮捕されてしまった。しかし、瀧野のもとには別の人物から脅迫が。「カツミが捕まっても、俺は捕まらない」 その結果は、妻に続いて事件の捜査で協力関係にあった私立探偵・高瀬のぞみが残酷な方法で殺害されるという結末だった。無気力状態に陥った瀧野のもとに藤樹は、若手ながら優秀な探偵・米本を新たに派遣。元から瀧野作品の大ファンでもあった米本は、そんな瀧野を励まそうと、知恵を絞るのだが……。

物語は今ひとつ、但し! 最終的なアイデアに関しては斬新にして強烈、ついにアレを完遂する作品が出来た
 本書、正直わっかりにくい話だなあ、というのが第一印象。家族や恋人のパートナーをじわじわと責め殺し、その光景を自由を奪った別の人間に見せつけるという冷酷非情の連続殺人犯・カツミ。そのカツミの暗躍に乗じて、彼を犯人と装わせて殺人を行う一般人。前半部のペンションの一角に集められた被害者の会……といった展開は、それだけで一個の短編小説を構成するようなアイデア(出来はとにかく)となっている。ただ、サイコキラーが多数いる……というあたりで、どうしても物語が不安定になる。
 そのあたりに要因があるため敢えて厳しく書くが、後半部はどうも理屈っぽく退屈な内容だ。妻を殺された犯罪ルポライター。かつては自ら私立探偵事務所と組んで犯人捜しをしたり精力的に活動していたのだが、妻に続いて犯人らしき人物から、担当の私立探偵を殺され失意の日々を送っている。彼のもとには携帯メールや他の手段を用いて次々と周囲の人物が危険に巻き込まれるのだが……、ここにいわゆるサスペンス感が全く感じられないのだ。読者を巻き込むほどの切迫感があってはじめてこの手のストーリーは盛り上がると思うのだが。
 真犯人と動機も意外性という意味では確かに高い。が、動機はこの作品ではこう説明されているのだからこうです、というもので、読者の納得を促しているものとは思えない。(現実的ではないことが問題ではなく、説得性の低さが問題)。
 とまあ、最後の一行を読み終えても「うーん」という評価だった。だが最後の一行の後にちょっとした情報が。読書という行為にプラスして一手間が必要なのだが、作者の指示通りにパソコンに向かってよいしょととあるサイトへ誘導されて……、そこで強烈に驚いた。 これまで数多のミステリ作家が実現しようとして(事実上)出来ていなかったある試みが実現しているではないですか! (最近の講談社ノベルスでもあったなあ)
 この試みの作品は幾つかこれまでもあるのだが、普通うさんくささとか、無理矢理だとか、説明しないとわかりにくい、すっきりしないところが必ずつきまとっていた。が、それが一気に解消された素晴らしい解が隠されていた。

 あくまでこの部分に奉仕するために一冊の物語があったのであれば、許せるし素晴らしいと思う。読後に評価ががらりと変化する一冊であった。 ネット環境にある人には間違いなくお勧めである。その一方で、アナログ環境の方にはあまりお勧めできないかもしれない点が難。


08/06/06
牧 薩次「完全恋愛」(マガジンハウス'08)

 大作家・辻真先氏の、特に本格ミステリサイドからみた際の代表的探偵といえばやはりスーパー・ポテトに代表される、牧薩次・可能キリコのコンビ。その牧薩次は作中でも、ミステリ作家を志し、実際にデビューを果たしたということになっている……、という設定からスピンアウトして、初登場より三十年以上が経過し牧薩次名義の著作が遂に刊行された。(まあ、あとがきで名前が出ていますから、辻真先の名前を出すことに問題はないと判断しました)。

 戦後を孤高に生き抜いた美術家・洋画家・美術評論家である柳楽糺。彼の生涯を描いた物語。柳楽(本名・本条究)は太平洋戦争の空襲で一瞬にして両親と妹を喪い、福島県刀掛温泉で旅館を営む遠縁の親戚のもとに預けられた。その離れには洋画家の大家・小仏榊が滞在しており、そこに現れたのは彼の娘で、柳楽糺が生涯を掛けて愛し抜くことになる「小仏朋音」という女性だった。戦争が終了し進駐軍が闊歩するようになると刀掛旅館もまた、米国人のたまり場となった。酒癖と女癖の悪い大尉、ジェイクに朋音は目を付けられる。そしてそのジェイクが他殺死体となって発見された。増水した川で発見された死体には胸を包丁で刺し貫かれていた。包丁は刀掛旅館の厨房から持ち出されたものであったが警察は、その凶器が偽装であると判断、旅館の主人が持つ誉丸という日本刀が真の凶器だと目すのだが……。

愛情を貫く波瀾万丈の一代記。……にして見事な”愛情”をトリックと共に謳いあげた本格ミステリの傑作
 物語の方も、主人公・本条究こと柳楽糺がただ一人愛した女性「本条朋音」と、その忘れ形見たちへの愛情が下敷きとなっている。彼の生涯には、三度の殺人の絡む大事件があり、それぞれが不可能状況下にして犯人不明。 横暴な米国人が刺し殺される第一の事件については、意外とあっさり明かされるその真相もさることながら(もちろん、伏線であるとかはびしっと決まってます)、同じく伏線から導き出される誤解と隠蔽の方にものすごく驚かされた。単なる性格描写と思われた点が伏線として利用されているのは、流石としか。
 また、第二の殺人も福島で殺人者が沖縄にいる女性の殺害を予告、実行してしまうという驚愕の不可能犯罪。また、第三の犯罪は、犯人が柳楽本人であることがはっきりしている究極のアリバイ崩しである。
 これらミステリ部分についても非常にレベルが高いトリックが使われている。特に第三の犯罪については、かなり冒頭に近い部分の伏線が効いてくることから、アンフェア感あっても煙に巻かれたように納得させられてしまうし、その推理を開陳するのが牧薩次本人(この場合)。つまりは本書の作者が探偵役として登場する。 (ただ、ここで登場するべきなのは、敢えて”辻真先氏”の方が探偵役としては面白かったのではなかったかとかとも思う)
 全体を通じては、一人の芸術家の生涯を綴った物語であるのだが、本格としての読み所はもちろん充分。本書を傑作たらしめているのは物語全体を貫いた壮大な構想にある。
 「他者にその存在さえ知られない罪を完全犯罪と呼ぶ では 他者にその存在さえ知られない恋は 完全恋愛と呼ばれるべきか?
題名からして「完全恋愛」。 帯にある惹句、そして題名が意味するところ。本格ミステリと、人間ドラマとが頒ちがたく結びつく。 ここまで積み重ねてきたものをひっくり返し、かつこの大きなドラマの側に流れている愛情が発露する。大きなドラマを積み重ね、さらにそのミステリ要素が全て巨大な流れのなかの伏線であるという潔さというか、壮大さというか。全てがきっちり結びつき、人の愛情の深さ、そして少しの空しさが絡み合うような独特の余韻を醸し出しているのだ。 辻真先、おっと牧薩次、凄え。

 辻真先氏には歴史に残るべき傑作作品が幾つもあるが、本書もまたそういった傑作群と間違いなく肩を並べる出来だと思われる。本格ミステリのファンであれば間違いなく読んで損はない作品。本格分野では今年のランキングに入るだろう。
 (これで息子が自分の身の上に気付いておらず彼女の独白のみで終わっていたら、完全恋愛だったのになあ……。)


08/06/05
篠田真由美「闇の聖杯、光の剣 北斗学園七不思議2」(理論社ミステリーYA!'08)

 ミステリーYA!のシリーズも着実に刊行されており、本書もその第一期に刊行された『王国は星空の下 北斗学園七不思議』に続く、第二冊目。当然、謎めいた北斗学園が舞台で、中学生三人組がストーリーの進行役を務める。

 鬱蒼とした森のなかに幼稚園から大学までの一貫校として男女の寮や教職員宿舎までその敷地内部に配置する私立北斗学園。学校がある地域は新ブロックと呼ばれ、一方学園の半分は戦前の建物などが並ぶ旧ブロック。旧ブロックへの侵入は戒められており、その周辺には生徒の口で伝えられた様々な謎がある。オレことアキ、そしてハル、タモツの中等部二年生の三人組は、皆外部から中等部に編入したクチで、性格はそれぞれ見事なまでに異なるが仲は良い。彼らが所属する新聞部では文化祭に向けて、普段は記事に関わらせてもらえない中等部の生徒もコンクールのかたちで新聞が作っても良いということになっており、目下彼らはその題材探しで頭を悩ませている。そんな時、理事長からは招待状が届いて七不思議を調べるよう焚き付けられ、体操部の高飛車な同級生・井坂ミチルからは、七不思議の中に恋を叶える儀式がないか問い合わせを受ける。その翌日、井坂が女子寮から旧ブロックに入り込んだきり、行方不明になっているとの情報がもたらされ、三人は旧図書館の館長・淵野先生や記念博物館・館長の巫鏡子先生らから、井坂の件を問いつめられる――。

物語はミステリーからオカルト寄りに。ナチスドイツの亡霊やモンスターも登場、混沌。
 篠田真由美さんには幾つかの顔がある。本格ミステリ作家、幻想小説家、ファンタジー作家。おおよそシリーズによって使い分けているようだが、前作ではこの「北斗学園七不思議」がどう進むのかまだ見えないところがあった。本作で一気に急展開したようなところがあり、どうやらオカルト系ファンタジーに向かっているようにみえる。登場人物が超能力や魔法、武器を使うわけではないものの、百年以上前から続くナチスドイツが絡んだ因縁が、この日本でなぜか蘇り、幾つもの勢力が北斗学園を舞台に権謀術数を凝らして戦いを行っていく……といったのが二冊目にして読みとった内容だ。確か前作でも第二次大戦中(もしかすると戦前?)のラブストーリーめいたエピソードが描かれており、唐突というわけではない。ただ、前作では本格ミステリ寄りに揺り戻すこともまだ可能だった印象が、ここにきてはっきりとファンタジー側に渡ってしまっている。(恐らく引き返せない)。本格ミステリサイドからすると残念。――つまりは、彼らの登場もまたあり得なくなったから。
 その意味では、主人公扱いの三人組はパワーとしつこさと賢さを備えているものの、やはり狂言回し。自分たちで活動しようと思えばできる一方、子供扱いされ庇護される立場、即ち”中学生”という微妙な年代なのが、良くも悪くもポイントだ。従って学園内で主導的立場を取ることはあり得ない。一方で学園内部を巡る抗争では、旧ブロックを中心に学園の有力者・役職者、訳のわからない人物やバケモノが多数登場して着々と混沌としてきており、その戦いにしてもちょっとなんというか……(言葉を濁したくなる)。七不思議を順番に主人公たちが解いてゆく物語からは少し外れてしまって、既に関係者が七不思議の真相を巡って争っている話なのですね。

 登場人物が多く、その誰が何を担っているかよくわからないところがあり、そのあたりの謎めいた部分が今後の展開への求心力になってゆくのだと思う。ただ何というか、篠田作品には珍しく物語背景のバランスと、登場人物たちのバランスとが崩れているようにみえる。もしかするとこの作品背景は皆川博子さんの最近の作品から微妙な影響を受けられたのかもしれないな、とか少し思う。


08/06/04
福井晴敏「平成関東大震災」(講談社'07)

 副題が「――いつか来るとは知ってはいたが今日来るとは思わなかった――」。ノベルス形式ではなく、いわゆる新書のかたちで刊行された作品。『週刊現代』2006年9月16日号から11月4日号にかけて連載され、関東大震災に関する学術的、更にはサバイバルに関するコラムが章間に挟まっている。

 東京墨田区に一年前に三十年ローンで家族四人で暮らす新築一戸建てを購入したサラリーマン、西谷久太郎。四十代前半でデスクマットを販売する会社の中堅営業マンだ。彼が仕事で新宿にある都庁を訪れていたところ、エレベーター内で強烈な地震が発生した。震源は羽田沖地下20km、マグニチュード7.3、新宿での震度は震度6強。エレベーター内でパニックに陥りかけた彼に、冷静に地震について教えてくれる男がいた。甲斐節男と名乗る彼は豊富な知識と適切なアドバイスで西谷を窮地から救い出す。地震発生後の大混乱、そして流言飛語、パニック。懸命に救助にあたる人々。西谷は自宅のある墨田区京谷まで、新宿から徒歩で戻ろうとする。家族は無事なのか、そして彼自身は大丈夫なのか?

過度に誇張せず、適当に安心させず。淡々と地震後の東京を現出させようとする試み
 阪神淡路大震災のことを当然思い出す。本書の描写は当時の経験から考えると実に妥当――というのが印象だ。過度に誇張していることもなく、かといって過度に安心させているでもなく。現状の日本と地震の規模から考えた時のシミュレーション小説としては非常に良く出来ているといえるだろう。つまりは、誇張でもなんでもなく、本書に書かれている程度のことは、”最低限”起きうるということ。そもそも大地震が発生するなど一般的には全く情報すら無かった阪神淡路の時に比べれば、こういうことが起きる可能性がありますよ、と言われている関東・東海の方がまだしも準備は出来ようというものだ。阪神の時は通信関係が本当にダメで、細かな情報を得るのに苦労した記憶があるけれど、そのあたりは本書のように備えられて来ているものなのだろうか。(どこかで確かめよう)。
 福井晴敏氏による、西谷久太郎(さいやく・たろう、ではなく、にしたに・ひさたろう)自身の描写、さらには彼の目を通じて描かれる震災後の東京というのが非常にリアル。地震災害は国家の損失であり、個人の損失である。一方で助け合うことができれば、そこから這い上がる可能性は短期的にも長期的にも大きく伸びる。こういった描写やエピソードをさりげなく、しかもきちんと配する目配りが良い。恐らく、福井氏の筆力にかかれば、こういった個人視点ではなくセンセーショナルな部分を強調したパニック小説としての強烈な震災シミュレーションを描くこともできるだろうし、それはそれで恐い物見たさで読みたい気がする。

 その意味では震災シミュレーション小説がパニック小説と同義になるケースが多いなか、淡々と個人の視点で地に足を下ろして帰宅難民を描いたこの作品、それだけで意味があるように思う。 中身が気になる方はご一読、そして”その時”に向けた個人レベルでの備えを怠らないようにしましょう。


08/06/03
陳舜臣「方壺園」(中公文庫'77)

 副題には「推理小説集」(但し奥付には『方壺園』としか記載なし)。正確に確認していないが、陳舜臣の初短編集(1962年発表)となる作品が文庫化されたもの。現状はこの中公文庫版も絶版。かなり探した。(が、陳舜臣は古書になる作家なので、リサイクル系よりも通常の古書店を回った方が見つかりそうだ)。

 唐代詩人・高左庭が居候していた商家・崔朝宏の邸宅内には、非常に高い壁に囲まれた一角があった。人呼んで「方壺園」。かつて巨大な書庫だった建物が中途半端に取り残されたのだ。そこを高左庭が占領していたが、ある晩に彼が友人を招き、帰らせた後、翌朝になって内部で殺されているのが発見された。しかしそこは中から閂がかかった密室状態であった……。 『方壺園』
長期間にわたって病気療養をしてきた王界は砂漠の中にある拠点、大南営に、旧友の顔基に呼び出されて騎馬で向かう。同じような建物の並ぶ営舎は、現在は守備兵しかおらずがらがらだった。顔基と旧交を温める王界であったが、顔基と対立していた劉応東が殺害される事件が発生した。 『大南営』
 一九三四年、南京の国民政府に反旗を翻した革命家にして詩人の史鉄峯が捕らえられた。日本人で彼の詩の訳者でもある高見は彼に相まみえるため、彼が囚われている福建省の九雷渓に向かう。果たして彼は衰弱していた。そんななか、彼を監視する張上尉が何者かに撲殺され、川に投げ込まれた死体となって発見された。 『九雷渓』
 大学の文化史研究所に勤める浅野は、夜中に研究室で一人でいたところを急に襲われ、怪我をして入院した。フラッシュのような光が浴びせられたかと思うと、肩を短刀のようなもので抉られたのだ。犯人を彼は目撃していないが入院しながら考えるに、なんとなく彼に心当たりが出てきた。 『梨の花』
 戦時中、中国から日本に招かれた鄭清群。線の細い彼は来日してすぐに、用心棒としてあてがわれた日本人が密室で殺される事件と遭遇、その時から魂を抜かれたような存在になってしまっていた。 『アルバムより』
 インドのムガール帝国の四代皇帝の長子・フスラウはこの世を去った。政治の激しい争いのなか殺害されてしまったのだ。更に盲目だったフスラウを支えていた叔父もまたほぼ同時に殺害されたが、事件には不審な点も多かった。そして二十年が経過して、その不思議が明らかにされてゆく……。 『獣心図』 以上六編。

不可能犯罪が扱われつつ歴史的・風俗背景との絡み、さらに人間心理との組合せが絶妙
 全てがそうだとまでは言わないが、ノンシリーズながら傑作も多く粒ぞろいの作品集である。単純なかたちで現代日本を扱った作品はほとんどなく、唐代の中国からインドの王朝までその背景は様々。また現代日本を扱ってはいても『アルバムより』などは、やはり日本の過去が色濃く物語に影を落としているし、『梨の花』にしてもまた日本の歴史上のあるものが重大なトリックの要となっている。(まあ、『梨の花』は、本作品集においては、異色だともいえようが、こちらはこちらで現代のファンからは喜ばれそうな要素がある)。
 陳舜臣の場合、歴史をミステリに絡めたから凄い! といった単純な喜びではない。歴史とミステリに絡めることによって、その背景に点々と存在する人間の情だとか、愛だとか、そういった事柄をより生々しく浮き上がらせる点が素晴らしいのだ。『方壺園』で、我が世を謳歌していた筈の人物はなぜ急に死に至ることになったのか。なぜ革命家は易易と捕らえられ死を黙って待っていたのか。物理的、心理的トリックを織り交ぜながら明かされる真相。それは殺人計画の結果というよりも、それ以前に人間たちが抱える心のなかの”何か”をそれぞれ浮き彫りにして読者の前にさらけ出すのだ。
 また、歴史上の事件や人物と絡ませることはもちろんなのだが、もう一つ本書の特徴は、意外にも物理トリックが大きなウェイトを物語上で占めている点。表題作の方壺園からして、引っ掛かりのない高さ数メートルの壁に囲まれた密室にて被害者が絶命している。そもそも、何故殺されなければならなかったのか、誰がやったのかは少なくとも問題。ここで新たなトリックが使われている。(前例も思い浮かぶが)。いずれにせよ、ミステリとしては不可能犯罪など多く採用されていて、その分も余計に面白く感じられる。
個人的には物理トリックと人間心理とが見事に絡み合った『九雷渓』がお気に入り。その心理はもちろん、一方でトリックらしいトリックも採用されている点も驚き。加えて、作品途中で挿入されている漢詩が思い切りの良いアクセントになっていることも後から気付かされるわけだ。その他『大南営』は、人間感情の面で一歩ゆずるが舞台背景とトリックの組合せ妙味が手堅い作品。あと、あまり目立たない作品だが『アルバムより』は情が強い作品で、トリックもあるものの、こちらはドラマ的な面白さが良い。

 特に決まった探偵役がいるでもなく、舞台もばらばら。だけど、何か心を打つという点では作品集全体で共通した主題が整えられているような気がする。比較するのは、双方の作家にとって失礼かもしれないが、連城三紀彦氏のノンシリーズ作品集とも、どこか近しい香りがするように思われた。


08/06/02
竜騎士07「ひぐらしのく頃に 第二話〜罪滅し編〜(上)」(講談社BOX'08)

 怒濤の七ヶ月連続刊行を果たした『ひぐらしのなく頃に』。全七冊の出題編の後、2008年5月より刊行再開された解決編となる『ひぐらしのなく頃に解』の三冊目。物語としては二つ目に相当。

 ダム建設跡地……。今や不法投棄のゴミの山、そしてレナにとっては宝の山の一角で部活メンバーは、レナの「一世一代の頑張りの物語」を聞いていた――。
 いつものように部活が行われる六月のある日。全校生徒を巻き込んで部活メンバーは水鉄砲対決をしていた。過酷なルールに過酷な戦い。魅音の卑怯な武器を振り回す魅音を倒し、勢いで強敵の後輩二人を葬った圭一、沙都子のトラップを交わして一気に勝負に出たレナ。二人の対決は……。さらに彼らは日を改めて、エンゼルモートでの部活メンバーの罰ゲーム、更には挑戦者を交えてのレナと圭一の再戦……。一日一日、充実して毎日が楽しく、こんな日がずっと続くと圭一は信じていた。……が、一方のレナはそう考えていなかった。幸せな日はいつか終わりが来る。かつて雛見沢に暮らしていたが、親の都合で茨城県に引っ越したレナ。そこで起きた両親の不仲、そして別れ。さらにオヤシロさまの祟り……。いつも明るくみえるレナの背景には実は様々な事件が起きて、ここまで来ていた。そんな竜宮の家に接近してきた若い女・間宮リナ。彼女が父親に取り入り、父親がそれを受け入れる度毎にレナの居場所は無くなってゆく。そんな時、偶々出掛けた興宮の町中で、レナは間宮リナの正体に気付いてしまう……。

また新しい雛見沢の日々。裏側にある竜宮レナの苦悩。そして部活メンバーの決断は?
 問題編四編含め、これまでの主人公格の前原圭一のすぐ側に位置し、時にヒロインとして時にナビゲート役として本編を盛り上げてきた重要登場人物のひとり・竜宮レナ。これまでの作品では、その時々の(問題編では主に前原圭一の)一人称視点で展開は描写されてきた。(恐らく、それを補完するかたちでTIPSというかたちの挿入話があった)今作では初めて圭一とレナ、二人の一人称を交互に(場合により同時に)使用している。その結果、一人の視点では見えなかったもの、更には能天気な発言が生む軋轢といった、これまでは見えなかった感情の動きがみえるようになっている。
 ただ、一応は祟殺し編に対応する「解」ということになっているようなのだが、本編は少なくとも(上)の段階では、この物語自体が完全に独立した内容になっている。これまでのエピソードで明かされている幾つかの要素は既に登場人物にとっても既知となっており、やはり世界を同じくし時間軸的に並行して存在する別の物語だというニュアンスで捉えるべきなのだろう。
 また、本編のTIPSや挿話では、物語全体のコンセプトにまつわる発言と思える内容もあり、そこから類推するに、ある登場人物が、全体の謎においてはかなり重要な役割を担っていることが想像できる。(そういう意味ではあるSFの要素が全体を通じて存在しているということなのだろう)。
 しかし、本編の主人公はやはりレナ。 雛見沢出身の彼女が茨城県に引っ越し、”何か”があったというところ、これがレナの内面から描かれる。精神の変調というよりも、どこかの薬物中毒者が見る幻視のような当時のレナ(正確には礼奈)の行動には鬼気迫るものがある。この感触、かなりやばい。また、これまでも”楽しいこと”に常に貪欲でありながら、どこか説教(でなければ解説)風に、圭一に対してコメントをしていた彼女に、彼女自身が常にそのことを意識される家庭環境にあったという点が何とも哀しい。 (逆にいえばそういった描写が全て伏線だったことに驚かされるわけだ)。この(上)で心に残るのは、レナの引き起こす行為そのものよりも、その後の圭一を中心とする「語り」。家族とは何か、仲間とは何か。 膨大なテキスト(これまでだけでも結局九冊分!)にて描かれてきた”心の絆、人と人との関わり”といった部分の、ひとつの集大成といった展開を見せている点は特筆すべき点だろう。

 多少は(下)への展開へと続くエピソードで切れているものの、(上)における謎のほとんどは(上)のうちで解決しているようにみえるところがあり、ここから(下)へと、どう繋いでゆくのか現段階では全く想像ができない。また、それが「ひぐらしのなく頃に」の魅力となっていることは確かなのだが。


08/06/01
樋口有介「枯葉色グッドバイ」(文春文庫'06)

 2003年に文藝春秋より刊行された単行本の文庫化作品。ノンシリーズ。

 大田区・羽田空港近くのマンションで一家三人の惨殺事件が発生した。被害者は坂下吉成・雅代の夫妻と中学生になったばかりの娘・いづみの三名。犯人の遺留品も多く、捜査は楽観視されたが、半年が経過しても犯人の目処すら立たず、捜査本部も縮小されてきている。捜査一課に入ったばかりの女性刑事・吹石夕子は、当日外泊していた十六歳の長女・美亜が事件に何か関係していたのではないかと睨む。その犯行当日に彼女と一緒に男友達のところに宿泊していた少女・大間幹江が、今度は代々木公園近くで扼殺される事件が発生。吹石は事件の繋がりを考え、渋谷署に出向いて協力要請を行ったあと、事件現場の代々木公園に出向く。彼女はそこで、かつての警察学校での先輩・椎葉によく似たホームレスを見かける。果たして、そのホームレスはかつて優秀な刑事でありながら家庭内の不幸な事故の結果、離婚し警察を退職した椎葉本人であった。藁をもつかむ気持ちで椎葉に協力を求める吹石。結局、椎葉はホームレス仲間の病気もあり、アルバイトとして彼女の捜査を手伝うことになる。

ホームレスらしからぬホームレスが探偵。これまでの樋口テイストを維持したうえでの傑作のひとつ
 時系列通りに樋口作品を捉えきれていないのだが、感覚としては最近寄りの文体である。つまりは登場人物、主に主人公の一人称で描写されてきた物語が、この作品の発表される前後から1.5人称といった語り口に変わり、事件をはじめとする様々な事象に対する登場人物の距離感が強調されるようになってきている。本書もまた、その距離感の在り方が絶妙で、この作品のキモとなる部分については、その距離感があってこそ出来上がっている部分もある。
 物語の冒頭では、羽田近くで発生する一家三人惨殺事件が犯人視点で描写されており、いきなり物語は重苦しい。その事件に直接捜査員として関わる夕子、被害者一家の生き残りである美亜、そして彼女たちから何故か慕われるホームレス・椎葉の三名が物語を切り回す。特に、自身が確信をもって人生から逃げ出している椎葉の造形が秀逸。誇りをもったホームレスというか、ホームレスとしてのプライドを持った生き方というか、本来高い能力を持ちながらあえて苦界に身を落としている彼の姿には(吸止をせこく集め、焼酎を手放さないとしても)何か不思議な格好良さといった感覚が伴われる。一方、不良娘扱いされながらも、その裏側に非常に繊細で純粋な心を持つ美亜、何かと椎葉に苛められながらも、彼のことを思い続ける夕子とも、樋口作品に登場する”いい女”の系譜をしっかり守る美女二名。 樋口作品の特徴ともいえる軽めのワイズクラックが彼女たちとのあいだで交わされる様には惚れ惚れする。
 そういったシチュエーションだけではなく、発生する二つの事件、一つは一家惨殺、もう一つは女子高生扼殺という痛ましい事件ではあるのだが、そこに残された誰も目に着けなかったような証拠から、事件の真相を暴き出す椎葉の頭脳が凄まじい。何が凄いって、椎葉の推理がほぼ百パーセント的中と思わせておきながら、真相そのものは微妙に変化球となっている点。 つまりは、椎葉の推理も百パーセントではなく、局面局面で間違えていたりするところが面白い。特に二番目の事件で、ホームレス仲間が次々と犯人として指名されながら、思いも寄らない動機が最後に登場して真犯人が明らかになる点、ミステリとしても素晴らしい発想だと思う。ただ、その推理に到る過程は実は本格ミステリのそれ。 微妙に鎖が弱いところもあるけれど、読者の目の前にあった材料だけで鮮やかに真相を見抜く椎葉の発想に舌を巻く。

 樋口有介という作家は傑作揃いなのですが、近作のなかでは本書もその傑作の仲間に入れることに躊躇しない作品。若干ボリュームは嵩張れど、幾つものどんでん返しもあり、人間関係の妙味もあり、一旦進み出すと読むのを止められない作品。エンディングのとぼけた味わいもなんとも良く、傑作揃いの樋口有介作品のなかでも、本作は上位に位置する作品だと断言できる。