MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/06/30
我孫子武丸「警視庁特捜班ドットジェイピー」(光文社'08)

 『ジャーロ』誌二〇〇六年春号から二〇〇七年秋号にかけて掲載された作品の単行本化。表紙裏表紙と、作中に挟みこまれる喜国雅彦さんのイラストが雰囲気を盛り立てている。

 度重なる警察の不祥事に業を煮やした警察上層部が立ち上がる。愛人宅でさまざまな物思いに耽る警視総監。内閣総理大臣が決断したの広報戦略の重要性を具体化する必要に駆られたのだ。警視総監は、日本の警察イメージを良くするため、警視庁全体からハンサムで特殊な能力を持つ男たちと、同様に美貌と能力を兼ね備えた女性たちが、集められた。拳銃マニアでストイックに身体を鍛え抜いた三枝博信。コケティッシュな魅力で世の女性を虜にする天性のナンパ師・窪寺類。コンピューターマニアで警察の情報通・一ノ瀬瑛次。さらには、モデル並みの美貌とスタイルを誇り直感型で場面を記憶に残すころが出来る沢渡香蓮、最後に合気道から柔術まで武道の達人ながら、ロリ系巨乳少女にみえる早峰綾。さらにボスとして経理課から往年のテレビドラマタレントに似ているという理由で引き抜かれた高崎邦夫。彼らは「警視庁特捜班ドットジェイピー」というユニットを組んで、警察のシンボルとなって日夜広報活動に励んでいた。そんななか、かつて綾を襲おうとして逆襲され半殺しの目にあった樺島が回復。ドットジェイピーに対して妨害活動を開始するのだが……。

大人のための妄想と変態の詰まった楽しい楽しいラノベ風ファンタジー・アクション。
 筋書きは比較的まともだと言って良い。本来真面目に頑張っている警察が、警察広報のために警察内部から三人のイケメンと二人の美女を選び出し「警視庁特捜班ドットジェイピー」(このネーミングセンスも、実際問題そう悪くない)という集団をつくり、外部アピールのために動員する。実際にそういう動きがあってもおかしくないし(税金を使っている以上、公にするかどうかは別にして)、それに近い存在もあるかもしれない。迷宮入りした事件を専門で解決する課だとか、超能力を使用して事件捜査する課などよりかは現実味がある。
 が、登場人物のオタクっぷり、変人っぷりが凄まじい。体力と武器、コンピュータをはじめとする知性、女性を籠絡する天然の色気、さらに外見と裏腹の格闘技センス、そして記憶力。これだけなら普通に戦隊もの風、七十年代向けの刑事ドラマ風、どちらにでも物語は進められた筈なのだが……、(恐らく敢えて)作者は作品を大人向けギャグ路線へと突っ走らせる。一瞬、戸梶圭太? とか浮かんだが、個々人のキャラクタの人並み外れた妄想をベースに笑いを取るところなどは、丁度装画とイラストを担当されている喜国雅彦さんの漫画の展開とどこかイメージが被る。 特に男性相手に物怖じせずモデル風で毅然とした美人ながら、実はやおい系腐女子という沢渡香蓮のキャラクタは、喜国漫画から抜け出てきたかのようだ。(違いは彼女に媚びる変態キャラがいない点か)。彼女の存在と、ナンパ師・窪寺類の存在が本書を微妙な方向に走らせているといえるだろう。彼らの妄想ベースの行き違いなどが笑いを呼ぶところも警察小説(そうだったのか!)としては独特だ。
 その一方、事件の方はかなり考えられていると思う。 犯人像については序盤から登場しているので謎はないが、彼がドットジェイピー相手に行う、卑劣な手がひとつひとつ意外に効果をもたらす。テレビ露出のある警察官という立場がどのようなものか、という点まで踏み込まなければこの発想にはならないだろう。ただキャラクタが立ちすぎているがゆえに、最終的な事件に際してのまとまりがバラバラになってしまっているところは残念かも。ただ、その結果笑える部分は五割増しなので構わないのだけれど。

 漫画を読む感覚、ラノベを手に取る感覚で読み進められる軽快なエンターテインメント。ラノベレーベルであれば、と編集部から禁じられるような場面がそこかしこにあるあたり一般読者向けだが、ツボに入れば大笑いできること間違いなし。ここまで出来上がったキャラクタたち、この一冊で終わらせるのは勿体ない。続編を強く希望。


08/06/29
北林一光「ファントム・ピークス」(角川書店'07)

 北林一光(きたばやし・いっこう)氏は'61年長野県生まれ。'00年に『瞑れる山』で第7回日本ホラー小説大賞最終候補に残り、'05年第12回松本清張賞の最終候補に『幻の山』(本書)が残った。結局、正式受賞はないまま次回作を執筆中'06年に癌を発症して他界。本書がデビュー作にして遺作となっている。

 長野県の安曇野。妻の体調不良を理由にこの地に越してきて、現地の生駒建設で働くようになっていた三井周平。しかし、健康恢復のために山歩きに出掛けたまま、妻は失踪。地元の人々の必死の捜索にもかかわらず発見されず、半年後に失踪地点とはかなり離れた場所で頭蓋骨が発見された。それから暫く、失意の日々を送る周平は、山の中でサルを観察しているという信州大学助手の女性・山口凛子と出会う。そして五月のある日、カップル二組で山に入った男性の一人が、連れの女性が急に姿を消したとの連絡が警察に入った。渓流釣りをしていた男性を撮影しようと女性は川上の橋にいた筈なのだが、買ったばかりの高級カメラと帽子を残して姿が見えなくなったという。周平も捜査に協力するなか、今度は祖父と共に山の中に入った女性とその娘の二人も行方不明との連絡が。一体何が起きているのか。捜索本部に、失踪した娘を背負った女性が現れる。一旦雰囲気は落ち着くが、娘は行方不明を伝えられた少女であったが、その女性は山口凛子であり母親は依然行方不明。その少女もショックのあまり口が利けなくなってしまった。果たして山の中では何が起きているのか――?

ストーリーをひねらず、一本道にすることで強烈なテンションを最後まで維持。パニックサスペンス
 まず大前提として、山と隣接して暮らす人々からみた山の雰囲気の表現が巧い。都会からのハイカーでなく、また学者でもなく、一方で山小屋暮らしといったところでもない。自然の息吹を日常生活の延長のなかで感じ取る生活を日々送っている人々がこの物語の中心となる。そういった彼らが感じる自然との距離感の描き方が巧いのだ。その結果、読者もまた物語のなかにするりと入り込むことになる。その大前提が、特に本書のストーリーにおいては重要なのだ。
 そして、展開されるのは当初は次々と奇妙な状況で発生する失踪事件。痕跡も残さずに人々はどこへ消えるのか。ある程度、状況から読者は推測する。推測して先が読める。だが、一旦入り込んだ物語のなかでのテンションの高まりは読者をも巻き込むため、先が読め、謎の何かの正体が見え見えであってもページを捲る手が止められない。 本書の価値はここにあると思う。同様の事柄をテーマにした作品は他に、内外いくらでもある。更に、本書の場合は物語の最初から最後まで、ミステリ的な妙なひねりや作為がない。その場その場の状況があり、その状況に応じた判断があり、パニックがあり冷静な考えがある。とはいえ、一本道。その一本道を作者の画策によってひたすら走り続ける訳なのだが、読書をしていてその「乗せられている」感覚が心地よいのだ。
 いやいや、中身はパニックサスペンス。人はばたばた死ぬし、残酷な描写も必要以上ではないとはいえそこかしこに見受けられる。また、後半で一種の犯人探しを行うくだりのみ若干冗長だと思える部分もある。それでも全体のテンションの高さを最初から最後まで、多少のでこぼこはあるにしても基本的に高いまま維持させる。やはり作者が映画関係出身者である点も、作品の演出と関係していそうだ。

 既に故人となられているとのこと、とても残念。基本的な筆力であるとか展開力が非常に高く、個性が強い訳ではないのだけれども強烈に印象づけられる作品である。藤田新策氏によるカバーの装画も秀逸。


08/06/28
大崎 梢「平台がおまちかね」(東京創元社'08)

 東京創元社のミステリ・フロンティアで'06年に刊行された『配達あかずきん』によるデビュー後、書店員や本屋を舞台にした作品を発表、これまた書店員の圧倒的な支持を受けている大崎梢さん。本書は『ミステリーズ』Vol.24から27にかけて発表された作品に書き下ろしが加えられて単行本化されたもの。

 老舗ながら中程度の出版社・明林書房の営業マン・井辻智紀。首都圏をはじめ、前任から引き継いだ百あまりの書店の営業が仕事だ。少しずつ仕事を覚えていくなかで彼が巡り会う幾つかの事件――。
 頼みもしないのに明林の本を平積みにしてくれている町中の小さな書店。噂を聞いた井辻が訪れたところ、その仕掛け人たる店長がどうも彼に対して素っ気がないのだ。 『平台がおまちかね』
 出版社の書店員たちにとってのマドンナ格であるハセジマ書店の望月さん。積極的に売り場を構成するのが得意の彼女が最近、誰かに何かを言われたのか落ち込んでいるのだという。 『マドンナの憂鬱な棚』
 明林書房の抱える新人賞の受賞パーティ当日。大賞を受賞して当日授賞式という新人作家が行方不明に。井辻は授賞式のあるホテル入り口で、その彼に対する伝言を老人から受け取るのだが……。 『贈呈式で会いましょう』
 先輩のリストに合わせて東北地区の営業に出掛けた井辻。だが、目当ての一軒だったユキムラ書店はつい最近店じまいをしてしまったのだという。絵本販売に定評のある店だったのだが……。 『絵本の神さま』
 書店の営業員たちに自社と他社の推薦本のポップを作らせ、販売数を競う企画が開始された。井辻のライバルである佐伯書店の真柴の本、何か配列がおかしい……? 『ときめきのポップスター』 以上五編。

出版・書店業界の裏側を今度は別の角度で御紹介。ミステリらしさより人情譚が主に
 出版社の編集者が登場するミステリは数あれど、営業を主体として描いた作品は国産ミステリとしてはほぼ本邦初ではなかろうか。これまで書店員の立場から「書店」について描写を重ねてきた大崎さんが次に選んだのは、書店とも密接な関係のある出版社の営業を主人公とする物語。営業といえど(たぶん現実には例外もあるのだろうけれど)、本が好きでやっている人なので、そもそも本書を「本」で読んでいる読者にとっては親和性の高い世界だといえるだろう。出版社側の窓口として、書店とそのお客さんの動きを見守る立場である営業は、どうしてそれなりに専門性の高い職種であることが見受けられる。(当然あるであろう嫌な局面や苦労という点では、恐らく本書では描き足りていないと思う。あくまで個人的推察だが)。明林書房はほとんど東京創元社のイメージ。また、『贈呈式で会いましょう』は、鮎川哲也賞とミステリーズ短編賞そのまま。
 ただミステリとしてはかなりぬるいと言わざるを得ないだろう。日常の謎にしても、謎が恣意的に過ぎるか、小さすぎる。謎が謎として提示された段階で、変則的暗号ミステリである『ときめきのポップスター』を除くと、回答に到る条件が揃うか揃わないかのうちに、ある程度答えが透けて見えてしまうレベルだ。唯一、その『ときめきのポップスター』に登場する暗号部分はミステリらしくはあるのだが、その動機と手間とのバランスがちょっと頂けない。
 むしろ、個々の話は人情譚として読ませる話が多い。特に人情譚という意味でいうならば『絵本の神さま』は秀逸。 設定が物語に勝ってしまっている側面があるとはいえ、人間関係と土地柄、関係者の使い方が非常に巧い。特に、書店の老夫婦を直接に登場させるような安易な選択をせず、きちっと童心と情愛にて物語をまとめているところに面白みがある。
 『贈呈式で会いましょう』ではパーティの雰囲気、特に裏方の苦労がよく描けている点に興味がゆく。華やかさの裏側で発生した事件は、パーティ当日という物語の舞台設定があったからこそ引き立っていると思われる。

 オールフィクションかと思いきや、書籍の名称には実際の作品名や作者名をうまくブレンドしてあり、全体的な違和感は薄い。また最後の一話で「成風堂」シリーズとの接点を持たせているところなども吉。ばりばりの謎解きではなく、いい話、少し泣ける話を求める人により向いていると思う。


08/06/27
門前典之「浮遊封館」(原書房ミステリー・リーグ'08)

 第11回鮎川哲也賞に『建築屍材』にて受賞した作家・門前典之氏による、受賞後初の長編。(受賞前に門前氏には『死の命題』という長編がある)。え、何年ぶりになるのでしょう??

 飛行機がハイジャックされ墜落した。現場では乗客数と発見死体の数が足らず、結果百三十名もの遺体が未収容に終わった。しかしその事故から一年以上経過した後、その乗客のものとみられる遺留品が発見された――。新宗教団体”奇蹟の光”の修業場。宗教団体に身内が出てしまい戻らなくなった家族達が監視体制を引くなか、三十五人の若い男性が修業所に入り込むが、どこかに脱出した形跡のないまま、半数ずつの姿が見えなくなり、最後は一人だけが帰っていく現象が――。自殺の名所を抱える役所。そこで発見された身許不明の死体処理に怪しいところがあるという指摘が、職員に対して謎の人物からなされた――。そして今、探偵事務所を抱える蜘蛛手とその友人で、三十過ぎなのに大学に戻って学生をしてる宮村のコンビ。彼らの事務所が、蜘蛛手によれば見張られているのだという。わざと事務所に隙を作ったところ、二人組の男が侵入してきていた。彼らは、蜘蛛手事務所と同一ビルにある”奇蹟の光”事務所を狙っていたといい、彼らは事情を聞き出す。どうやら”奇蹟の光”教団の周辺では、奇妙な事態が起きているらしい。しかも、彼らが関係しているマンションの上階には、その幹部クラスが住みだしたのだという……。

壮絶なる不可解状況、それを上回る極限の真相……。ここまでくればリアリティ糞くらえ状態かも
 謎の設定は凄まじくもミステリファンの興趣を誘うもの。墜落飛行機の遺体が足りない(しかも、その場面以前にはハイジャックされたばかりの機内の様子が描写され、乗客が犯人グループによる不可解な指示を受けていると来た)、明らかに身許不明死体を不当になんらかの目的で利用している役人の存在、そして宗教施設における人間消失事件。加えて、物語が進行する流れのなかでは、雪によって構成された密室状態のなか、口の中に剣を突き立てられて死亡する人間の事件が加わり、不可能犯罪これ極まれりといった状態に物語は持ち込まれる。このあたりまでの、読者を引っ張る力は、謎の凄まじさも加わって非常に高い。この吸引力は間違いなく存在する。
 ただ――、これらの事件を着地させる地点がどうも微妙……に思えてならない。作品のなかの狂人なら狂人としてのロジックは通っているし、その奇想は良識的一般人の想像の域を超えている。これだけなら素晴らしい本格ミステリ足り得るのだが、、気に入らないのは動機の点。異形の論理を持つのが新興宗教団体であり、多数の人間がその宗教の教義に染まっていたからこれだけ奇妙な事件が発生させることができたのです、というのは現代小説としては致命的弱点だと感じる。新本格ミステリを論ずる際に、しばしば指摘されてきた、ミステリを成立させるための現実性無視、社会性の欠如を思い切り実践してしまっているようにみえるのだ。謎を成立させている異形の論理は面白いし、これだけを実現させるためには多人数の共同幻想が必要である点は仕方ないのだけれど、その結果、どこか物語世界全体が彼岸に遊離してしまっているとしか見えなくなっている。ある意味では、多くの本格系ミステリ作家が創作において腐心し続けてきた部分をあっさり棄てることでこの作品は成立しているともいえる。逆に肯定的に捉えるならば、今年最大のバカミスの収穫、ということであれば、それはそれで良いのだが。(そういう読み方をするのがむしろ正しいようにも思う)。

 『建築屍材』から引き続き登場する探偵・蜘蛛手とワトソン・宮村の関係も、特殊ではあるものの今となってはどこかステロタイプで新鮮味は薄い。連発する不可能犯罪事件の派手さは途轍もないことだけは事実なのだが……。ある意味、読者の本格ミステリに対する読み方のスタンスが問われる作品だともいえるのではないだろうか。帯にある通り、「怪作」という形容詞が相応しい一冊だ。


08/06/26
黒川博行「蜘蛛の糸」(光文社'08)

 『オール讀物』『小説宝石』といった媒体に一九九三年から二〇〇八年にかけてごく偶に発表されていた黒川氏の短編をまとめた作品集。一部には「彫刻家の遠野」というキャラクタが共通して登場するが、基本的にはノンシリーズと考えるべきだろう。

 ブロンズ専門の彫刻家・遠野のもとにやって来た抜群のプロポーションを持つモデルの亜美。遠野は原始的欲望に燃え盛り、亜美相手になぜか賭け野球拳を行うハメに。 『充血性海綿体』
 四国のキャバクラでUSJのディレクターだと詐称していた広告代理店営業の佐々木。来阪する瑠美のために散々散財して当日も何かと頑張るのだが……。 『USJ探訪記』
 作家の麩所は、先輩作家の野上より作家志望の警察官・山路を紹介される。彼の作品の添削アルバイトをして欲しいというが、警察を舞台にした彼の作品はすさまじく……。 『尾けた女』
 夜遊びが大好きな彫刻家の遠野。行きつけの医者に栄養剤を注射して貰ってから、知人の女性とうまく行きかけるのだがその都度激しい邪魔が入り、なぜか警察に追われることに。 『蜘蛛の糸』
 飛び降り自殺を試みてマンション工事現場にいる男が、なぜか刑事”伴進平”を呼べという。現場に行くと男はドラキュラ伯爵になりきっていて……。 『吸血鬼どらきゅら』
 キャバクラの馴染みの娘が引っ越しをしたいという。高校教師の春沢は唯一の自慢の外車で彼女の引っ越しを手伝うつもりだったが、車検が切れてしまっていた。 『ユーザー車検の受け方教えます』
 彫刻家の遠野のもとに映画プロデューサーが訪れ、出資を募る。遠野は胡散臭くも思いつつ、周囲に乗せられて出資することにさせられてしまう。 『シネマ倶楽部』 以上七編。

男って男って。単純でアホでスケベな生き物なんです。はい。
 もうこれ以上の説明があろうか。メタミステリの様相を呈す『尾けられた女』以外は、全て中年男性のはちきれんばかりの邪な欲望が醸し出す、はちゃめちゃ人間模様。昔、樹下太郎あたりが書いていたサラリーマン小説の舞台を大阪にして、登場人物を関西人にして、更に下品なところをきっちり下品に描いた――といった印象だ。恐らく上品にまとめるとこの作品群は、無味乾燥なつまらないものになってしまうに違いない。関西弁、そして下品さが必須の物語なのである。
 若い女の子の裸が見たいがため、ベッドインを狙うがゆえ、男たちは、まさに狂奔し、その狂奔の結果、更なるドツボへと落ちてゆく。読者は黙って読んで、その浅ましさを嗤えば宜しい。一部諸兄にはどこか心当たりに近いものがあるかもしれないが、それはそれでまた良し。下品な文章にいろいろな感想はあるだろうけれど、本書の場合、とことんまで下劣に下品に男性を描くことで、関西スケベオヤジのリアルを小説化することに見事に成功しているといえるし、繰り返すがこれは必須事項なのだ。
 傑作は表題作でもある『蜘蛛の糸』。どたばた喜劇として、ここまで悲惨に、そして滑稽に中年のおっさんを描いた小説にはなかなか巡り会えない。やっていることがめちゃくちゃなのだが、主人公の中年ならではの厚かましさと天然のボケを大量に分泌することで本人大真面目、回り大爆笑という場面を数々作り上げている。

 非ミステリ。 なので黒川流のハードなミステリ作品を想像していると、単純に笑わされしまう。関西をベタで書かせるとしかしうまいなあ。ただ、男の浅ましさ以外の何をも訴えない小説でもある。カバーや背表紙は大真面目なのだが、内容とのギャップに注意。


08/06/25
多島斗志之「聖夜の越境者」(講談社文庫'89)

 多島斗志之氏の長編第二作(『ソ連謀略計画を撃て』と同年同月刊行なので、こちらが長編第二作の可能性あり)。もちろん初期多島作品の中核を為す、謀略・スパイ小説の系譜に連なる作品だ。

 ペルシャ語で「光の国」を意味するヌーリスタン。アフガニスタンの山域にあり、独自の欧州系の民族が住み、更に自治区として政府関係者ですら寄せ付けずに生活する”謎”めいた場所。そこに一九七七年、アフガン政府に特別のコネがあった日本人考古学者・片桐卓也と、同僚で農学者の前沢栄二との二人が、外国人としては初めて同地に入ることに成功した。その七年後、京都の大学教授となっていた片桐が失踪、捜索願が出される。その直前に片桐にはブルガリア国籍の船員が接触していた事実が判明、さらに前沢は既に米国で交通事故で死亡していた。どうやら片桐はKGBのによって誘き出され、そのまま国外に出てしまったらしいことが判明する。この一連の事件の背後には、ソビエト連邦がアフガニスタン侵攻を決意したある理由があった。ソ連は実はこの段階では、米国から大量の小麦を輸入する関係となっており、冷戦状態のなか、その食料取引はソ連にとっては大きなリスクを備えていた。前沢、そして片桐は、そのソ連の食糧事情を改善するための大きな鍵を知らず握っていたのだ。片桐はある理由から承諾したとはいえ、ソ連内部、そして米国との壮絶な謀略合戦に巻き込まれてゆく。

これぞ謀略小説の醍醐味。国家を動かす小さな重要機密、更に裏切りの恐怖
 冷戦時代を背景に「なぜソ連はアフガニスタンに侵攻したのか?」という、当時、国際的な非難を囂々に浴び、国内的(当時のソビエト連邦にとって)にも地理的にそう魅力もない、第三者による客観的には無意味とされるソ連の行為について、多島流の分析がまず加えられている。まあ、ノンフィクション的にどうかといわれると、さすがにこういった背景は作りすぎだとは思うが、フィクションとしては上々。
 そのある理由を背景にすると、ソ連はどうしてもアフガニスタンに侵攻する必要が生じてしまう。そして同時に必死に米国がそれを妨害する理由もまた。こういった作品内リアリティの作り方は絶妙としか言い様がない。ソ連のお膳立てによって、個人的に事情を持つ日本人がソ連の先導を行う……といった点、平和ボケした日本人が徐々に戦場の雰囲気に慣れざるを得なくなるあたりのリアリティがうまく醸成されているように思う。ただ、最も本書のサスペンスを緊密にしているのは、ソ連内部の政治的主導権を争う闘いが、アフガニスタンの辺鄙な土地にまで影響を与えている点だ。当時のアンドロポフと次期書記長を狙うゴルバチョフの政治闘争、更にはもう少し我々からするとマイナーな政治家たちが互いに権謀術数を凝らし、それが”現場”に大きな影響を与えているのだ。いかにも当時のソ連を考えると「ありそう」であり、その手管の凄絶さには感心すると同時に一種呆れる気持ちすら感じさせられる。しかし、これが冷戦直下のソ連の在り方だったのだろう。

 冷戦を背景に、全体のボリュームとしては決して大きくないに関わらずソ連と米国のせめぎ合いや、現地の戦闘員たちの緊張(表から裏から)といったところが丁寧に描写されている。感動する――タイプの小説ではないが、そのリアリティであり、緊密な展開や壮大な構想に、多島斗志之の職人芸的な巧さがにじみ出ている。国際謀略小説としては十分に読む価値のある作品だろう。(日本人離れしてます。この発想)


08/06/24
江戸川乱歩「猟奇の果」(講談社江戸川乱歩推理文庫'88)

 初出は〜『文藝倶楽部』'30年の.1月号〜12月号まで連載されていたもの。ちなみに当時の『文藝倶楽部』の編集長は横溝正史。長編としての出来が良くないことで逆に有名で、全集クラスでなければなかなか収録してもらえない作品。

 名古屋に住む資産家の次男坊青木愛之助は既に妻もあった。恵まれた境遇にあった彼は人生に退屈してしまっており、刺激を求めて様々な体験をする。探偵小説を読みふけったり、秘密クラブで人々による猟奇話を聞いてみたりしていたものの、最初の刺激はしばらくするとすっかり色褪せてしまう。ある日、九段坂に出ている見せ物小屋を見物にいった愛之助は、そこで意外な人物を見つける。愛之助の旧友で科学雑誌の編集長をしている品川四郎であった。品川は常々、猟奇を好む青木を批判しており、自身は現実主義者を標榜していた。彼は見せ物小屋といった存在を嫌っている筈であった。ふと興味を覚えた愛之助は、品川らしき男の後をつける。彼はスリを働き、石垣の下に財布を隠している。思わず声をかけた愛之助であったが、その人物は彼のことを全く知らないという。後日、雑誌社に品川を訪ね問いただすが、彼は見せ物小屋などに出かけてはいないという。果たして、これほどまでにそっくりな人物がこの世にいるものなのだろうか……?

愛すべき駄作。白コウモリ団バンザイ!
 本書の前半部と後半部の話が全く異なるというのは有名な話で、小生も何とはなく知ってはいたのだが(むしろビブリオマニアの会話で、前半部のみバージョンの本が存在するとかしないとか、そういう話だったような気が)、改めて直面すると、何というか、はあ、これは凄い。
 前半部は、講談調の章題がつけられ、猟奇好きが嵩じた一種の変態高等遊民の青木愛之助と、その友人の現実主義者の科学雑誌編集長の物語。この編集長にうり二つの人間が存在するらしい、という点を執拗に描いているのが前半だ。単にそっくりさん登場! だけではなく、そのそっくりさん同士が例えば、秘密の逢い引き場所でかつ覗き穴を通じて出会うといった俗悪趣味のなかで邂逅させられるといった演出が凝らされている。……が、中盤以降、物語展開がパターン化されてしまった結果、全体の緊張感がだれてきてしまって、なんというか些か退屈な点は否めない。正直、乱歩の好きな一人二役でも、実際にそっくりさんがいて恐るべき犯罪が企てられたとしても、それはそれでどうでもいいじゃん! というのが正直な印象なのだ。
 その理由。乱歩自身がその小説自体の執筆に厭いてしまった、ということが後の書で明かされている。面白い。横溝正史編集長の勧めでいきなりルパン調の(ないし、二十面相調の)予告殺人であるとか、ある陰謀を持った犯罪集団の話になり、明智小五郎が登場して……というのは、また極端な変化だと思う。こちらはこちらで、物語の展開がミエミエなのがまたむしろ楽しい。しかし、いくら顔がそっくりだからって、いくらなんでも気付よ誰か! というツッコミは入れたくなるのだが。すくなくとも序盤の雰囲気と後半の雰囲気の落差、これが逆に本書の特徴となっている。これが通常のかたちで終わるよりもむしろ良かったのではないかと愚考する。

 たまたまダブった江戸川乱歩推理文庫で読んだが、近年刊行された光文社文庫の全集には『猟奇の果』の幻の前半部のみ完結編が掲載されているそうだ。ただ、この前半部と後半部のギャップこそが本書を愛すべき作品(駄作は駄作だけれども)として昇華していると思えるため、これはこれで良いように思う。


08/06/23
小森健太朗「星野君江の事件簿」(南雲堂'08)

 '07年に刊行された『探偵小説の論理学』で第8回本格ミステリ大賞評論・研究部門賞を受賞した小森健太朗氏。本書は、『大相撲殺人事件』に続く、二作目となる作品集。「チベットの密室」は雑誌『幻影城』の幻となった第5回新人賞公募に応募するために、十四歳の時に書かれた作品で、小森氏の事実上の処女作品。同短編は『小説NON』誌の一九九六年九月号に発表されており、「ロナバラ事件」が書き下ろしで、他は同じ「小説NON」誌や、新世紀「謎」倶楽部によるアンソロジーに書き下ろされた作品の再収録等。

 探偵事務所を営む女探偵・星野君江。彼女を手伝っている”私”こと常田は駆け出しの作家だが、君江のわがままを何かと受け止める必要があるのだった。そんな私の元にチベットに滞在していた頃の宿屋の主人から手紙が。密室内部で中国の高官である宿泊客が殺害された事件で容疑者にされ、名探偵の知り合いのいる私に助けを求める手紙であった。 『チベットの密室』
 インド在住の婦人からの依頼で、ボンベイの街にやってきた星野君江と私。君江のパスポートが摺られてしまい領事館を訪れたところ、殺人事件の容疑者にされかかっているという日本人がいた。彼らには急行列車に乗っていたというアリバイがあったというが、現地警察は運行状況など全く問題にしてくれないのだという。 『インド・ボンベイ殺人ツアー』
そのインドでの元々の事件。不倫の疑いがあった日本人妻が、インド人の夫を二階から突き落として殺害した疑いがある事件。実際に彼女はフランス人男性と不倫関係にあった。『ロナバラ事件』
 池袋の名所、池ふくろう近くの公衆トイレの小便器に立ち続けている中学生。彼はなぜそんなことを? 『池ふくろう事件』
 1985年、なぜ阪神タイガースは優勝できたのか。その裏側にはその前年、優勝を目ざしながら果たせなかった巨人の影が……。 『一九八五年の言霊』
 EDS外国人推理科。米国の大事業家の娘と結婚した兄。しかしその娘であるルーシーが大阪市内で殺害された。兄が容疑者となり、さらにその無罪の証言をしてくれそうな人物が車に轢かれ、弟は恋人と共にEDSへに解決を依頼する。 『死を運ぶ雷鳥』
 作家の兄とその妻。激しい夫婦喧嘩を行っている最中に弟が訪ねてゆく。どうやら夫婦の片方が、何者かから浮気を種に脅迫されているようなのだ。弟に詳しいことを語ろうとしない彼らはどちらが嘘をついているのか。 『疑惑の天秤』 以上七編。

分かり易すぎる本格ミステリとオリエンタルな味わいと
 小森健太朗作品のひとつの特徴であるオリエンタルなものに対する造詣の深さが味わえる。他の作品でも登場する南アジア系の舞台を描かせるとその筆はよく走るようだ。特に『ボンベイ』の二作品における、地べた視線でのインド旅行記の部分や、食べ物に関する部分など、いわゆる旅情ミステリとしての当事者にしか描き得ない面白みが滲む。 ……が、評価できるのは正直ここまで。アリバイトリックは、列車は時刻表通り走るのが日本、では海外は、というネタでバカミスといって良いものだし、チベットのアリバイもそこまでこじれる前に普通当事者が気付くと思うもの。また、インドの密室転落事件はなんというか、ちょっと伏線とひねりが欲しい。
 『池ふくろう事件』もテーマとしては面白いが、提示されている答えにひねりが少ない。また『一九八五年の言霊』は、タイガースアンソロジーに収録されていてこその作品で、単体の短編集のなかではちょっと浮いている。『死を運ぶ雷鳥』は英語ネタがあまりにも陳腐なのだけれども、構成でぎりぎりミステリ足り得ている。また本書でもっとも良いのが『疑惑の天秤』なのだけれども、これもアイデアの処理をもう少しスマートに出来る気がする。
 個々の作品を通じて、謎に対する回答が読者でも何番目かに思いついてしまう軽い回答である、という点が気に掛かる。むしろ『一九八五年の言霊』でみられるような奇想の方が、実は面白みがある。このネタだけは答えが想像できないわけだし。

 総じて謎に対する回答の比重というか内容が軽すぎて、ミステリ読みの視点に晒した場合は物足りなさが残る作品集。その謎の源泉となっているのがほんのちょっとした豆知識か、どこかでみたことのあるトリックの焼き直しである以上、尚更物語のうえでは、ひねりをしつこく行うべきではなかったかと思う。


08/06/22
高田崇史「QED 神器封殺」(講談社ノベルス'06)

 高田崇史氏の看板でもある「QEDシリーズ」は、刊行されてすぐに毎回読んでいるのだが、シリーズ十一冊目にあたる本書は、何故か感想を書きあぐねていた一冊。後半部に袋綴じがあるが、これは読者への挑戦というよりも、今回の作品の眼目にどうしても地図であるとか、見取り図が重要になってくるための、ぱらぱらと捲ってしまう読者に対する配慮だという。

 『熊野の残照』のあと、引き続き和歌山に滞在している桑原崇や棚旗奈々、そして小松崎に沙織。前作に引き続き、神山禮子もまた一行に同行している。熊野の寺社仏閣巡りを行う崇と奈々、もともと和歌山訪問のきっかけとなった病院オーナー殺人事件に関する情報収集に向かった小松崎と沙織。そして禮子は改めて父の墓参のために那智へと向かう。その禮子、帰り道で偶然に幼馴染みの御名形史紋と出会う。能面のように変わらぬ表情に、自分の興味ある分野は徹底的にうるさく、記憶力抜群の変人。禮子は桑原崇に感じていた無意識の反感は、この御名形に近かったことではないかと思い出す。殺害された病院オーナーの息子と知り合いでもある御名形は、禮子の話を聞いて桑原たちとも興味を覚え、彼らは和歌山市で合流。毒草師を名乗り、神話をはじめ歴史に詳しい御名形と桑原は、よくわからないままに意気投合。一旦、一行たちは帰途につくのだが、桑原は途中で病院オーナー殺人事件の真相がわかったと引き返すことに。その引き返した先では、桑原たちが引き返すことを予見していたという御名形が待ち構えていた。彼もまた真相に到達したのだという。

御名形史紋登場。そしてQED史上もっともスケールの大きな”日本の謎”が解き明かされる
 事実上、『熊野の残照』の続編。 というのは、前作で小松崎が急遽和歌山に来る理由として紹介されながら、事件の詳細が語られなかった「和歌山病院オーナー殺害事件」が本書では中心になっているから。彼らも和歌山県に滞在したまま、本書でも事件終了後まで帰京していない。
 事件の方は、首と右手首を切断され、奇妙な状況下で発見されるという殺人事件。犯人はこの段階で浮かび上がっており、謎としてはもう一つ、被害者と加害者が同じ物を食していたのに被害者だけ毒物死した方法は……? という点が桑原たちによる推理で解き明かされる。後者の謎は、高田氏ならではの専門知識が絡むため一般人による推理は不可能だが、前者の謎は……これまた奇妙。犯人の価値観が一般的ではないので、こちらも普通のミステリ感覚での謎解きは同様に不可能だ。ただ、この謎解きと袋綴じの内部で明かされる、日本という国家、京都御所、伊勢神宮、出雲神宮、そして熊野三社などをひっくるめてのスケールの大きな、QEDらしい解釈と密接に繋がっている。
 そして、袋綴じのなかにて明かされる日本の神社に関する不思議。これは確かに偶然では片づけられないように思うし、かつの日本の人々は、確かにこういったことをしっかりと考えながら、辺鄙なところにも神社を設けていたのか……と驚きに落とされた。
 もう一点、本書で特筆すべきは、神山禮子が前作に引き続き登場したこと、そして御名形史紋の新登場。 これまで四人組以外の登場人物は、小松崎の叔父の岩松を除くとほとんど一冊毎に使い捨て状態だったこのシリーズに女性のレギュラークラスの新キャラ・神山禮子が定着していること。そして(この段階では桑原崇とキャラが被るなあと思っていた)、新たな名探偵役として御名形史紋もまた、本書で初登場している。御名形はこのシリーズの他作品に登場する他、『毒草師』をはじめとした、別シリーズの主人公を務めるまでになっている。その意味では、本書はシリーズのターニングポイントにあたる作品だともいえるだろう。

 このシリーズは順不同で読んだとしても、現段階では崇と奈々の恋物語(?)もほとんど進展がなく、特段の問題がないようになっている。ただ、この『神器封殺』に関しては、やはり『熊野の残照』を読んだあとに手にとって頂きたい作品だ。


08/06/21
小路幸也「モーニング Mourning」(実業之日本社'08)

 月刊『J-novel』誌の2007年1〜2月号、5〜6月号、9月号、12月号に掲載された長編作品の単行本化。

 二十五年前。大学生で一つ屋根の下、五人で暮らしていた仲間の一人、木下真吾が交通事故で急死した。彼の住む福岡に集まった残り四人。同じ大学に通い、バンドを作って四六時中一緒に過ごしたのは、私(ダイ)、ワリョウ、ヒトシ、そして淳平。社会人になり、結婚したり家業を継いだりした結果、住む場所も離ればなれになっており、なかなか全員が揃う機会がなかった。葬儀が終わり、帰りの飛行機に向かう車のなか、俳優を続けてきて最近、中年になって少しずつブレイクしはじめた淳平が、とんでもないことを言い出した。「他のみんなを空港で降ろしたあと、この車で一人でどこかに行って自殺する」 友人の本気の台詞に慌て、説得するために残りの三人は、急遽その車でそれぞれの家まで帰りながら、道中で淳平を説得することになった。かつて五人が一緒に暮らしていた頃にその原因がある……。その原因を言い当てたら淳平は自殺を断念する。……淳平が当時真剣に交際していた茜さん、そして懐かしく輝かしき日々。あの日に帰るロングドライブが始まった。

本当に仲の良い友人たちであっても、時の流れは過去を回顧する余裕を奪ってゆく。
 『Q.O.L』もロングドライブものだったよなあ、とまず思う。そして特に冒頭にいきなり提示される「「自殺する」原因は、彼らの共通の過去にある、それを思い出しながら推理せよ」という設定は、もしかすると途轍もない変化球的な本格ミステリの傑作にあたるかもしれない……とどきどきしながら読み進めた。結果的に、そのあたりは微妙に外れていたのだが(本格ミステリではないという意味で)、彼がそのことを言い出した真相はなかなかに切なく、そして結果的に悪ふざけに近い内容であっても、彼らにとっては素晴らしい経験だったことが窺える。
 長時間のドライブのなか、当然登場人物たちが了解している事柄、人間関係、事件といったことが少しずつ彼らのクチから明かされていく。そのあいだ、当然「何にも知らない」側にいる読者は「え、なんでなんで?」と引き込まれるわけでこのあたりの読ませるテクニックは抜群だ。読み出すまで気付かなかったのだが、この『モーニング』の副題、MorningではなくてMourningなのだ。意味は哀悼だとか嘆きだとか服喪だとか、そういった意味だ。(単語の試験で間違えそうですね)。ただ、恐らくはその服喪という意味とはべつに普通にモーニングといった時に連想する、morningの「朝」もダブルミーニングで掛けていることも間違いなさそうだ。物語ラスト近くの朝、横浜近くの砂浜の場面は、本書のポイントの一つであろう。 線香のように砂浜に突き立てられた四本の煙草。心に残る。その裏側で語られる事情には意外性もあり、一連の物語の説得力と高めている。本格とはならないまでも、実は間違いなくミステリー作品なのだ。
 ただ一点、作中で大学生時代の主人公たち五人が、具体的描写は少なくとも一方的暴力を相手に振るう場面がある。どんなに彼らの意識では”後悔のない良い思い出””仇討ち”であろうと、法に背いた一方的私刑。見識あるはずの年齢になってもその行為自体を全員が肯定しているところに、違和感と微妙な怖さを感じた。

 とはいえ、その一点を除くと、おっさん世代が旧き良き青春時代を思う存分懐かしむという変格青春小説であり、基本的には爽やかでほろ苦い物語である。小生とは、微妙に登場人物たちの年代は重ならないが、大学時代特有の熱気は共通。新しい作品なのにどこか懐かしい。