MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/08/10
西尾維新「傷物語」(講談社BOX'08)

 2006年に同じく講談社BOXより刊行された『化物語(上)』『化物語(下)』。そのストーリーよりも、抱腹絶倒の男女会話が記憶に残るという凄まじい(個人的印象)シリーズの前日譚。

 友人を作らないことで自分力を高めるという普通の高校生・阿良々木暦。しかし、偶然に出会った学校でも有名な委員長にして超優等生・羽川翼は阿良々木のことを覚えているばかりか、なぜか彼につきまとい友人になろうと積極的に接触してくる。そんな彼女に対しても冷たい態度を取る彼だったが、夜道で美しい吸血鬼と邂逅してしまう。その吸血鬼から一旦は逃げ出した阿良々木だったが、自分自身に対して投げやりになっていたこともあり、その吸血鬼に対して自分を差し出してしまう――。しかし、目が覚めると廃墟のなか、さらに外に出ようとすると身体が焼け死にそうになる。十歳くらい金髪少女の姿になっていたその吸血鬼・キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードによれば、彼は彼女の生涯二番目の眷属となっているのだという。更に、人間に戻りたければ、彼女の身体の一部を持ち去った三人の吸血鬼ハンターと対決し、彼女の身体を取り返せば良いというのだが……。

120%趣味で書かれた……という割に、前作よりもむしろ丁寧な物語作りに少し驚く
 前作というか、本作からみると後日譚にあたる『化物語』では、本当に主人公・阿良々木暦と、戦場ヶ原ひたぎや神原駿河といった女性連との会話ばかりが面白かった。物語はどうでも良いというと作者に失礼ながら、そちらのインパクトが強すぎ、そのあたりが西尾維新氏の趣味なのかなー、とか思っていたのだが。

 非常に失礼致しました。

 前作(というか、化物語自体は中編集といった構成につき)にて、下敷きになっていた、即ち阿良々木暦は過去にある事件に巻き込まれ、それ依頼バケモノ体質になっていて……という、「過去の事件」の物語。 後に、この一連の事件についてよく覚えていないという羽川翼のエピソードなども加わるかたちで、なぜ彼がバケモノ体質となっているのかについてがかなり説得性の高いストーリーとして描かれているのだ。もちろん、その続編にて暗示されている”何故”ばかりではなく、本書そのもので吸血鬼眷属の阿良々木暦vs吸血鬼ハンター三人の戦い(+α)を含んだ、一冊のエンターテインメントとしてもまた成立している点も特筆に値しよう。戦いそのものは、まあ、『刀語』のシリーズと微妙に近しく、伝奇系のアクションみたいな奇想がベースになっているのだが、それはそれでアイデアが含まれていて面白いし。
 そしてある意味このシリーズのお約束、男女の不毛な会話(第三者的に抱腹絶倒系)もまた、羽川と阿良々木のあいだで交わされており、それはそれでまた一種の読みどころともいえる。結構、吹き出したし。ただ、この長い名前を持ち、五百歳だと自己主張し、超絶の能力を実は持っているらしい吸血鬼の残酷にして少々センチメンタルな造形は、どこか戯言シリーズの赤い人とキャラが被るようにみえたりもする。このあたりの方がむしろ西尾維新氏の趣味が反映されているのかもしれない――とも少し感じた。

 現段階(↑にかかわらず今は2008年10月)『化物語』の方はどうやら、アニメ化も決定しているらしいうえ、既に後日譚にあたる『偽物語』の刊行も開始されている。さりげなくもこのシリーズ、講談社BOXの屋台骨を担いつつあるのかもしれない。


08/08/09
島田荘司「Classical Fantasy Within 第一話 ロケット戦闘機「秋水」」(講談社BOX'08)

 2007年は西尾維新・清涼院流水が成し遂げた、講談社BOXの「大河ノベル」第二期は、島田荘司氏によるもの。ただ、もう年末近いのであれだが、第一部として三冊が刊行され、最近になって第二部として再開されているので、十二ヶ月連続刊行といった話にはなっていない。遅れて読み始めているが、まずは一冊目。おっと、イラストは士郎政宗氏です。

 1945年夏。大日本帝国の敗色は濃厚となり、爆撃機が日本本土を襲うようになってきている中、筑波にある日本軍研究所分室では、ドイツから導入されたり、日本国独自の開発技術を用いた武器が粛々と開発を進められていた。ただ、日本軍のモラルも低下しており、その研究所に通う「ミツグ叔父さん」や「深町さん」は、その研究内容を、小学生の”僕”に対しても聞けば教えてくれるようになっていた。僕が、そういった人々から可愛がられていたのは、実は元英語教諭の母親が若くて美しかったから。僕の父親は硫黄島に出征してしまっており、その生死が不明のなか、若い男性は僕の母親に何かと便宜を図ってくれていたのだった。一方で村の人々は、そんな母子に対して冷たく、何かと嫌がらせをしてくる。そんななか、家に下宿している深町少尉が、日本軍が研究開発しているジェット戦闘機「秋水」の試験飛行に飛び立つことになった。僕は、その日、無理に飛行を見学させてもらおうとするのだが……。

とりあえず、日本軍末期の科学技術を下敷きにした展開から。漠然とファンタジーの方向性が見え始める
 全十二冊となる予定の一冊目、ということでサクッと読んだが、まだまだ序盤の説明と背景に終始している印象。通常の島田荘司氏が発表する書き下ろし長編あたりと比べると、全くまだ第一章すら終わっていない、というところで一冊目が終了している。そんな感じ。
 ただ、そういった文量の話はさておき、さすがは島田荘司。 奇妙なミステリー的事象を提示せずとも、物語の序盤からだけで、読者を吸引する力は並々ならぬものがある。SF、ファンタジーはそれほど詳しくないので断言できないが、この戦争終盤に日本が行っていた科学開発・兵器研究を下敷きに、プラスαを描こうとしているとみた。その時期の日本科学力のリアルと、材料が入手できず、満足に試験ができないことの葛藤。人的資源の枯渇といった、太平洋戦争ならではの悲劇的な事実を淡々と、しかししっかりと少年の眼を通したかたちで描き出し、さらにそこに幾つかのフィクションを付け加えていく。 当然、当時の日本社会の閉塞感や理不尽さなど、島田荘司は見逃すはずもなく、人間ドラマが付随して描かれている。(その意味では社会派的要素も微妙にあるといえばあるか)。
 本書で題名にもなっている「秋水」あたりは、実際に歴史上でも名前があり、事前に知識として知る飛行機であった。だが、読了後にwikipediaとかで改めて調べると、本作における試験飛行の風景もかなり実際の飛行状態を下敷きにしていることがわかり、興味深さが深まった。恐らく、こういった兵器に詳しい方が読んでも、それなりに描写などは満足されるのではないだろうか。

 本書ではそのあと、更なる秘密兵器の存在が明かされ、さらにその稼働条件といったところまでが物語に登場しており、次巻あたりからファンタジー色が強くなっていくのであろうと予感される。 また、本シリーズの目玉の一つ、士郎政宗氏のイラストは、精緻にして美しすぎ、むしろ芸術品のような気品が感じられる。むしろ若いイラストレーターや絵師を招聘して、ラノベの延長のように中身をまとめている講談社BOXシリーズの他作品とは、確実に一線が引かれている。あくまで本作の場合はイラストではなく、挿画だと思う。


08/08/08
矢作俊彦「凝った死顔(しにがお)――マンハッタン・オプ(1)――」(光文社文庫'85)

 「FM東京」で一九八〇年五月から一九八三年九月まで放送されたラジオドラマ用の台本から、厳選して抜粋・加筆された短編集。最近、マンハッタン・オプの本シリーズは、ソフトバンク文庫にまとめて再収録されているところ。

 伝統を重んずる陸軍将軍の未亡人。ワシントンに住み、同じく陸軍将官と結婚している彼女の娘が誘拐されたのだという。警察を信用していないという彼女は「私」に同行を依頼。車の後部座席に私は潜んで雪の中、身代金の受け渡し場所に赴く。しかし、私が車から出る前に銃が発射され、雪崩が発生し……。 『YOU DO SOMETHING TO ME』
 ベッドを共にしようとした行きずりの少年を殺してしまったかもしれない……。画家からの依頼でそのアパートを訪れた「私」だったが、ベッドはおろか、部屋自体に入居者はおらずもぬけの殻だった。 『YOU'LL NEVER KNOW』
 自らに三十万ドルの生命保険を掛けたバイオリン演奏家。そのボディガードを引き受けた「私」だったが、二人で車に乗っているところを狙撃され、演奏家だけ死亡。私は警察の取り調べを受けることに……。 『WRAP YOUR TROUBLES IN DREAMS』
 娼婦から人が死にかけているので来て欲しいとの依頼。しかし彼女とベッドを共にしようとしていた男は、恐らく電話の前から死んでいた。男の浮気の証拠をでっち上げる恐喝ビジネス。更に男は麻薬を使っていた。 『STAIN DOLL』
ほか、『FOR ONECE IN MY LIFE』『THANKS FOR THE MEMORY』『GHOST OF A CHANCE』『ALL ALONE』『SECRET LOVE』『THE SHADOW OF YOUR SMILE』 以上十編。

本場米国を舞台にすると、国産でもハードボイルドは本場の香り。作者の偉業? 場の効果?
 と、題名はジャズのスタンダードナンバーから。ハメットの「コンチネンタル・オプ」を下敷きにされたといわれるこの「マンハッタン・オプ」は、ニューヨークに暮らす私立探偵「私」の一人称小説。あたかも海外作品を翻訳したかのような、全く日本人の登場しない、本・米国の場の雰囲気に同化した物語仕立て、及びその展開は全く”国産”であることを感じさせない。 さらに、米国人よりも米国人らしい感覚がミステリとしても存在しており(例えば、冒頭の『YOU DO SOMETHING TO ME』の動機など、戦前ならばとにかく、現代の日本人には思いつきにくいものだ)、さらに余計にその米国的な雰囲気が強調されている。
 ただ、本来のハードボイルドが持っているはずの国家権力へのあくなき反抗であるとか、主人公の反骨心といったところは実は(皆無ではないが)あまり感じられない。巻き込まれ型、ややこしい事件に巻き込まれつつも、機転や経験で解決に結びつけてゆくという、その根本的な内容としてはむしろ探偵譚である。 その一方で、米国らしい雰囲気を、独特の格好良さ、色気、洒落っ気と共に描き出す点には、超絶的に長けており、結果、非常に格好良く、お洒落なミステリという風に見えるようになっている。つまりは、日本人が感じる、米国ハードボイルド小説の面白みを抜き取って、さらに日本人好みの事件でまとめあげたという内容になっているものと受け取れた。米国を舞台にしながら、日本人向けの純粋培養ハードボイルドとなっているものと感じられた。

 ただ、繰り返す通り、日本人が受け取っているハードボイルドの面白さ、格好良さを素晴らしい濃度で抽出しているがため、読んでいて逆に違和感がない。あまり深く裏を読みとるようなことをせず、普通に読んで素直に「ああ、格好ええのう」と感心できる作品集である。


08/08/07
三木笙子「人魚は空に還る」(東京創元社ミステリ・フロンティア'08)

 三木笙子さんは1975年秋田市生まれ。第二回『ミステリーズ!』新人賞最終候補。その最終候補作品を改稿、連作化して本書刊行に到ったという、近年でいうと微妙に珍しいタイプの出自となっている作家。当然、書き下ろしの本書がデビュー作品にあたる。

 至楽社という雑誌社に勤める里見高広は、ある理由から帝都でもその絵が表紙を飾るだけで雑誌が完売してしまうという超人気の天才絵師の有村礼から、奇妙に気に入られていた。その理由は、高広が持つルートから入手できるストランド・マガジン、そしてその雑誌に連載されているコナン・ドイルという作家の描くシャーロック・ホームズの物語であった。もちろん高広もまた、この時代に珍しく英語を流暢に読むことができた。その至楽社に尋常小学校四年生の女の子が訪ねてきた。行方不明になった中学生の兄を捜して欲しいのだという。その兄は広告図案募集で若くして一等を獲得した人物だった。 『点灯人』
 銀座の一流店・美妃真珠から「プリンセス・グレイス」と呼ばれる見事な真珠が三粒消え失せた。そのうち一粒は、なぜか店の裏手の金魚鉢の中から発見されたが、後の二つは依然行方がわからない。 『真珠生成』
 浅草の見せ物小屋にいる美しい人魚が大人気。有村のファンである小川のコネによって有村と高広は人魚を見物する。しかし、有村の知り合いの天真爛漫な女性によって、その人魚は悲惨な運命に巻き込まれかけていた。 『人魚は空に還る』
 成金の大富豪・大黒が近頃帝都を騒がす「怪盗ロータス」の挑戦状を受けた。彼の所有する絵を彼が受け取りにくるのだという。 『怪盗ロータス』 以上の四作品。

帝都探偵物語という枠組みは普通なれど、この探偵&ワトソン役は、従来のミステリとはひと味違う
 天は二物を与えずというが、一般的なミステリの場合はむしろそうではない。大抵の探偵役は人をもうらやむ美貌を持ち、人から話を聞き出したり、体力気力といったところに他人以上の能力を持っていることが多い。(もちろん、頭脳だけ、という場合もありますが)。そして大抵の場合、彼ら名探偵からワトソン役を任じられた人間は、大抵は平凡な人間で、頭脳は一般人なみ、特段の特技もなく、一般的読者が心情を投影できるような常識人であるパターンが多い。
 が、本書ではその探偵役とワトソン役に対して、恐らくは自覚的に変な設定を持ち込んでいる。 背景だけに限っていえば明治期の日本を、現代的文体と現代人なりの感覚で描いているところまではむしろファンタジーっぽくて、ありがち。だが、登場人物の属性がやはり普通のミステリとはひと味異なっている。
 まず、探偵役が視点人物なのだ。ワトソン役が美形の絵描き。場面場面を記憶する能力を持ち、探偵役を助けるところまでは良いとして、こちらがわがまま放題で、探偵役がワトソン役に対して(やおい的感情というのか)、仲良くして欲しいという気持ちを強く持っている。探偵役に対して、この謎を解け解けとあくまで強気にがんがんけしかけるワトソン役というのは、あまり他で見ない構図だろう。下手をすると類型的になりがちなパターンでありながら、小生も全く読んだことのない探偵vsワトソンの関係を築いている。
 じゃ、一方で探偵役は頭脳だけで何もないかといえばそうではなく、強力な政治的なバックと潤沢な資金を使えるという立場だったりする。 なんとも倒錯した二人の関係性が、四つの中編で炸裂している一方で、不思議なのはミステリとしてトータルで眺めた時にいかにも地味な解決となってしまう点か。謎と解決に関しては水準を少し超えたレベルにあるし、決して地味ではないのだけれど本格ミステリとしてのインパクトを求めるならば、それぞれの解決(一ひねり)に対して、もう半分ひねりか、一ひねりが欲しいところ。ただ、本作でも充分に解決は論理的なのでこれ以上望むのは読者のわがままでしかないのだけれど。

 本書が初単行本とは思えないほどに文章は読みやすく、上述の通りファンタジーめいた明治期の描写も的確、その情景そのものは目に浮かぶよう。上記の探偵役とワトソン役の特殊性もあって、読了後のインパクトがそれなりに強い作品となっている。


08/08/06
井上ひさし「十二人の手紙」(中公文庫'80)

 1978年に刊行された同題の単行本が文庫化されたもの。直木賞はもちろん、数多くの受賞歴を誇る戯曲・劇・放送作家でもあった井上ひさし氏の数ある著作のなかでも、もっともミステリファンに評価されていることで一部で有名な作品。ただ、この中公文庫版以来、復刊はなされていないようだ。

 就職で上京した若い女性が妻子ある社長に見初められ、結婚の約束をするが……。 『プロローグ 悪魔』
 高名な作家の元に送られてきた戯曲。年老いた母と娘の二人劇の内容は……。 『葬送歌』
 出生届から始まる、一人の女性の人生がほぼ公式文書のみで描かれる。 『赤い手』
 北海道旅行のペンフレンド募集にて多数の返信を受け取った女性が選んだ男は……。 『ペンフレンド』
 障害者による洗濯ばさみ工場で働く古川さん。全く喋らない彼が発した言葉は……。 『第三十番善楽寺』
 新婚の夫はオーストラリア。妻は隣人の様子をつど夫に報告するが犯罪の匂いが……。 『隣からの声』
 山奥にスケッチに出た高名な画家。彼の妻からの手紙には留守宅の様子が刻々と……。 『鍵』
 婦人会からの一日母親の申し入れに対する回答は「桃」という短編小説だった……。 『桃』
 田舎から飛び出して演劇スクールに通う女性がオーディションで合格して……。 『シンデレラの死』
 病弱な父親のために、酒造会社の役員の妻に収まった若い女性。堅苦しい文章の理由。 『玉の輿』
 大作家の助手をしている若者と恋仲になった女性。若者が致命的な過ちを……。 『里親』
 今は人妻となった高校時分の片思い女性に宛てたラブレターとプレゼント。そして……。 『泥と雪』
 ある人物がホテルで人質を取って立て籠もった。その理由、そして結末は……。 『エピローグ 人質』 プロローグから十二の手紙とエピローグから成る。

手紙や文書に凝らされた各々絶妙なる数多くの趣向――そしてそれらを総ざらえするエピローグもまた一興
 手紙や往復書簡、公式記録等のみで短編を成立させており、エピローグでそれらが意外なかたち繋がるという手法を用いた作品。若竹七海をはじめとする”日常の謎”の連作短編集の元祖ともいわれる作品ではあるが、現在の刺激に慣れた目からするとその集大成については些か無理矢理に各作品を繋げている印象の方が強く、あまり洗練されているとは言い難い。ここは、発表年代ゆえの本当に先例のないオリジナリティ、そのアイデアそのものの歴史的意義を感じ取るべきなのかもしれないが。
 と、まあ、少々突き放したような書き出しになってしまったが、一方で、手紙などの文書のみによって構成された個々の短編のインパクトは今なお素晴らしい。 特に、ごく一部を除いて役所等に提出する公式文書二十数通のみで、一人の人間が生まれてから、生きて、死ぬまでが描写される『赤い手』、そして、冒頭と最後を除き、ほとんど典型的な手紙の文例集(短編の最後に参考書の記載あり)からの引用に固有名詞を当て嵌めるだけで短編が成立してしまっている『玉の輿』。この二作は、アイデア段階と、その完成形のレベルの高さにまず目を瞠る。
 一見は普通の戯曲にみえる作中作の矛盾を作家が鋭く分析したうえで別の角度からの落ちまでつけている『葬送歌』、サイコサスペンスとして後世にも繋がるテーマを巧みに処理した『隣からの声』などは、物語展開と落ちの付け方が巧み。また、手紙の匿名性を利用して、犯罪やその他の狙いを実現してゆく作品群として『ペンフレンド』『泥と雪』等々が挙げられる。短編構成に縛りがあることによって、むしろそのアイデアが大量に注ぎ込まれている印象だ。また、ほとんど同じパターンが無く、結末がどのようにつけられるのかそれぞれの短編で予想が出来ないところも吉。読み出したら止まらなくなった。

 問題はエピローグで、これはこれで本格ミステリめいた趣向もあるのだけれど、それぞれの作品の関係者も登場、後日譚の役割を同時に果たしている。先の短編では描かれなかった結末がいきなりこの最後の作品内で提示されていたりするところも興味深い。ただ――、その最終話にしても作品集全体の見え方がひっくり返るほどのインパクトはなく、現代的なミステリ読みの視点からすると、この点の弱さは気に掛かる。

 とはいえ、やはり瞠目すべきはその技巧で、趣向に凝った井上ひさしさんらしい独特の発想が全体的にのびのびと活かされている印象である。トータルとしてはあくまで連作短編集の始祖的作品とはいえ、個々の作品のうち一部は現在もなお通用する新しさを持っている。


08/08/05
柳 広司「ジョーカー・ゲーム」(角川書店'08)

 『新世界』『トーキョー・プリズン』に続く、柳広司氏による第二次世界大戦を扱った小説。表題作の『ジョーカー・ゲーム』は『野性時代』二〇〇七年十一月号、『ロビンソン』が同じく二〇〇八年五月号に発表されているが、残り三作は書き下ろし。(読もうと思いつつ買い逃して、先日購入したら再版でした)。

 自ら海外でスパイ活動を実践し、傷付いて帰国した結城中佐の肝煎りで発足したのが”D機関”と呼ばれる陸軍内組織。当時の日本ではスパイ活動は卑劣であるという常識を打ち破る、スパイ養成機関であった。「スパイとは見えない存在であること」「殺人や自死は最悪の選択」といった戒律が訓練生に叩き込まれ、思考が囚われないよう天皇制ですら疑うことを推奨するこの機関は、官僚制のはびこる陸軍組織内部から猛反発を浴びる。
 親日家で知られる米国人技師の家を捜索を命ぜられた佐久間。陸軍から”D機関”をスパイするよう言われていた彼だったが、実は彼ごと陸軍は”D機関”を謀略に嵌めようとしていた。既に憲兵隊による徹底捜査が終わっている米国人技師宅の盲点となっていた場所とは……。 『ジョーカー・ゲーム』
 英国総領事・グラハム氏のスパイ容疑を調査する命令を受けた蒲生。服飾店員を装ってグラハム宅に出入りするようになり、調査をするが、背景は怪しくも彼自身にそんな素振りが見えないことに焦燥を覚える。 『幽霊(ゴースト)』
 ロンドンの写真館業者として潜入業務をしていた伊沢は、慎重に活動していたにもかかわらず外務省の失態によって英国の組織に捉えられてしまう。二重スパイを申し出た彼は、英国諜報部からニセの電文を打電するよう強制された。 『ロビンソン』
 上海にて長年務めている憲兵大尉・及川。派遣されて三ヶ月の憲兵軍曹・本間は及川から組織内にいるらしいスパイを炙り出すよう命ぜられる。租界である筈の上海では抗日運動が激化。日本兵やそのシンパが頻繁にテロに遭っていた。そして及川の自宅が爆破され多数の死者が……。 『魔都』
 表向きドイツの新聞記者で、ドイツとソヴィエト共産党のダブルスパイと言われるカール・シュナイダーが青酸カリで自殺。もともと生前から彼を監視していた飛崎は結城中佐から改めて調査を命ぜられる。 『X・X(ダブル・クロス)』 以上五編。

超人たちによる「ゲーム感覚」の饗宴。本格ミステリとスパイ小説の希有なる融合
 まあ、昔の探偵小説ならば、その主人公は結構超人的要素を兼ね備えた人物だったりしたもの。抜群の運動神経を持ち、常に冷静沈着に判断を行い、流暢に数カ国語を操り、変装術から解錠術まで何でもござれ。あまり現実感のないこういった超人を第二次世界大戦の最中に登場させるのが本書だ。スパイ養成機関”D機関”。厳しい訓練すら易易こなせる人材しかもともと所属せず、一旦、”卒業”するや世界でその姿を現さずに暗躍する――。現実には難しいこの設定をぎりぎりのところでリアリティをもって描き出した段階でこの連作は成功が約束されたようなものである。
 冒頭の外国人が変な日本語を喋っている段階では小説として微妙な印象を受けたのだがとんでもなかった。スパイ小説をベースに様々なエンタの要素が混じり合い、極上の物語が五編提供されているのだ。 冒頭の『ジョーカー・ゲーム』では、陸軍たたき上げの軍人がその常識を捨てさせられる場面が描かれるのだが、これもまた伏線。見えない人ならぬ、憲兵隊には見えずにD機関と外国人スパイにしか見えない場所を明らかにするという、一種の本格ミステリ
 続いての『幽霊』は、相手に気付かれずにスパイ行為を行う行動が逐一描かれる、二作目にしてスパイ活動のイントロダクション的物語。三作目の『ロビンソン』は、いきなり捕らえられたスパイのぎりぎりの判断と選択が試される超絶冒険譚となっており、四作目『魔都』は、D機関員を主人公から外し、第三者からの視点で描かれる謀略が飛び交う作品で、本格風の伏線が拾われる結末が見事な作品。そして最終話『X・X』もまた、一作目にループするような密室内の毒殺という器のなかに本格ミステリを思わせるトリックを仕掛けた作品となっている。
 どれもこれも、超人的な活躍をする”D機関”の人間が別々に登場。それぞれ舞台も場面も異なっているが、結城中佐の教えをいかに守るかという点、軸足としてはしっかりしており、物語全体は確固たる信念に貫かれている。 それでいて一切先を読ませず、さらに何らかのかたちでサプライズが訪れるという希有なレベルに全ての作品がある。諜報戦ならではの緊張感、命のやり取りすらゲーム感覚の登場人物。極限を超えた頭脳戦に、読者は痺れっぱなしという図式が全編に維持される。帯にある「2008年最高のエンタテインメント、ついに登場」という言葉もそれほど誇張ではなく、本年のエンターテインメント小説の収穫であることは間違いない。

 むしろ『はじまりの島』など、文学作品や歴史上の有名人を探偵役に起用する本格ミステリ作家という印象でデビュー以来、柳広司氏を捉えていたのだが、本作ではその殻を完全に打ち破った感がある。このシリーズは継続してもらいたいという素直な欲求がある一方で、このまま傑作の一冊で終わって欲しいというアンビバレントな気持ちに陥ってしまう。いずれにせよ、柳さんへの注目が高まるのは良いこと。


08/08/04
畠中 恵「うそうそ」(新潮社'06)

 『しゃばけ』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞後、江戸時代人情譚+妖怪を扱った、この”若だんなシリーズ”で幅広い読者を獲得した畠中さん。本書はそのシリーズの五作目にあたる作品で『しゃばけ』以来となる長編作品。『小説新潮』誌に二〇〇五年十二月号から二〇〇六年五月号にかけて連載された作品の単行本化。

 江戸でも一番栄えた通町にある廻船問屋兼薬種問屋の長崎屋。その若だんなである一太郎は病弱で、大甘の両親と、実は妖である二人の兄やにべたべたに相変わらず甘やかされている。その一太郎も、これまでの経験のなかで少しずつ精神的に成長しているが、自らの身体の弱さはいかんともし難い。そんな頃、江戸で地震が頻発し、一太郎は自分のことを殺す……といった幻覚をみていた。一太郎の母、おたえは、一太郎を湯治に行かせてはと言い出す。世話が大変になったり環境が変わることで一太郎が悪化することを恐れる周囲をよそに一太郎は乗り気で、最終的に目的地は箱根と決まった。小田原までは長崎屋の船で、仁吉・佐助二人の兄やと実兄の松之助が同行する船旅のはずだったのだが、乗船した直後から仁吉と佐助の姿が見えなくなる。不安に思いつつ小田原についた一太郎と松之助は、結局強引な雲助の駕籠にて宿屋に運ばれる。しかし、その近辺では更にひどい地震が起きており、なぜか「若だんな」を狙う集団が跋扈していた。

江戸を離れた御一行にふりかかる災難。ファンタジーは継続でミステリから離れ、ささやかな冒険譚へ
 まだシリーズは絶賛継続中につき、断定的な物言いは出来ないが、これまでの短編集などではお江戸妖怪ファンタジーという装いのなか、物語としては謎と解決を伴うミステリ的手法が採られていることが多かった本シリーズ。今回は長編ということもあってか、全くといって良いほどミステリ的な興趣がない。(物語の流れのなかでの謎はあるが、いわゆる謎解きというかたちになっていない)。一方で、箱根の地を舞台に、なぜか若だんなが地元の様々な人々(謎の侍や地元民、さらには天狗たち)から狙われ、仁吉や佐助がいないなか(途中から合流するとはいえ)必死で逃れ、その狙われることになった原因について考えさせられる。この展開からは、冒険小説、ないしはファンタジーアドベンチャーの要素がより強いように感じられた。
 箱根に住み、かつて人間たちの身勝手から悲しい思いをさせられた比女、彼女を狂信的に守ろうとする天狗、さらにはその身の上には様々な謎がある、雲助の新龍といった新たな登場人物が入り交じり、中盤で物語が多少ごちゃついていることは否めない。ただ、「他人に迷惑ばかりをかけている自分が何のために存在しているのかわからない」という比女と、それと似た境遇にある一太郎の両者を配することで、彼らの思いが伝わってくるような仕掛けにはなっている。
 また終盤近くにおける、天狗たちと仁吉・佐助らとの戦いは、その背景で頻発する地震とも相まってこのシリーズには珍しいアクションシーンが展開されており、その点もまた読みどころの一つだといえそうだ。

 ただ、これまでの短編集などとは異なり、本作一作のみを読んでも今ひとつ世界観や背景はわかりにくいと思われる。シリーズ読者を対象とした、一太郎がまた一段と成長してゆく姿を愉しむというニュアンスが強く作品だといえるだろう。


08/08/03
結城昌治「裏切りの明日」(光文社文庫'08)

 光文社文庫で刊行中の「結城昌治コレクション」の三冊目。創元推理文庫の復刊とは異なる傾向の作品が登場しており、非常に有り難い。本作は、'65年にカッパノベルスにて『穽(あな)』という題名で書き下ろし刊行され、'75年、中公文庫収録の際に現状の題名に改題された。登場人物は重ならないが、作者のなかでは『夜の終わる時』と同系列の警察官小説という位置づけだという。

 刑事の沢井は、小峰製粉という会社の管理係長をしている牛窪の依頼を受け、小峰製粉の取引先・古賀商店からの焦げ付きかけていた債権回収を手伝い謝礼を受け取った。牛窪も元刑事で現役時代から少額の強請りを行って小金を貯め、その金で妻にアパート経営をさせ自分もまた当時の顔で仕事をしている。沢井自身は、戦時中の幼い頃に両親を亡くし孤独と飢餓に苦しむ幼年時代を過ごした後、不正と卑劣を憎む警察官にだった筈だった。彼は牛窪のやり方を軽蔑しながらも自ら同じ道を辿り初めている。人生が歪み始めた理由は、結婚まで考えていた恋人が、自分を捨てて金持ちの青年との結婚を選択したことに始まっていた。一方、一介の小僧から会社を興し、現在は二部上場となっている小峰製粉社長の小峰は、愛人に料亭の経営をさせるなど会社を私物化、自分とその子飼いの利益を優先する体制を築き上げている。そこに眼を付けた阿久津という青年が小峰製粉株を少しずつ買い増し、敵対的な買収を仕掛けようとしていた。

暗黒警察官小説の原点的作品にして、企業小説としても読みどころ多い。大人向けエンタ
 もともと真っ当だった筈の刑事が、ある理由から堕落してゆく物語。クライムノベルの系統にあたり、現在活躍している馳星周などの暴力と性描写のどぎついノワール系統の作品を読み込んだ身からすると、かなりソフトである印象もあるけれど、発表年代を考えるとそういった作品群の原点にあたる作品といって良いのではないだろうか。
 そのソフトだと思える理由、恐らくは「金のため」という欲望が、非常に分かりやすい点か。幼い頃に貧乏で苦しい思いをしてきた、更に恋人が金に目が眩んだ。現代ノワールであれば、既に満たされていながらも更に心の闇に落ちていくパターンが多いと思うなか、こういったシンプルな理由で金や女に執着するのは分かりやすい。
 ただ、一方で経済小説としての側面が強いのも特徴だ。この当時の商法に基づいた株の買い占め合戦。最近も外資を巻き込んだ敵対的買収と、経営陣の防衛策など恐らく似たような状況はあるように思うが、株価の値上がりや勝ち馬に乗りたい第三者など双方の戦いがリアルに描かれる。この部分、つまり会社の行く末を廻る鞘当ての烈しさ、スリリングさは、むしろ主人公・沢井の生き様よりもダイナミズムに満ちているように感じられる。むしろ、こちらの方が現代読者にとっては共感を呼ぶのではないだろうか。
 最終的に、窮地にある小峰製粉に止めが刺されるような経済犯罪の捜査過程で、自らの衝動に負けてしまう沢井。そして、彼の迎える結末もまた、現代ノワールに通じる虚しさがある。(言い換えると先読みが可能なのだが)。物語が持つ、強烈な虚しさが本書の最終的な味わいとなってじわりと染みる。

 お子様には勿体ない、渋い味わい。国産クライムノベル、国産ノワールの原点としての面白さをじっくり楽しめる方向けでしょう。いやしかし、結城昌治という作家の幅広さは素晴らしいを飛び越えて、どこか空恐ろしいものがありますね。


08/08/02
大倉崇裕「生還 山岳捜査官・釜谷亮二」(山と渓谷社'08)

 大倉崇裕氏の六年越しの大作『聖域』に続いて刊行された山岳ミステリ中編集。山岳系の雑誌『山と渓谷』に2007年4月号から2008年3月号にかけて連載された三つの中編に、書き下ろしの『英雄』が加えられている。

 山岳遭難救助隊は昭和三十五年から長野県警にて発足した、山岳遭難者の救助活動や登山の安全活動を行う部隊である。なかでも釜谷亮二は、県警の捜査一課から遭難救助隊に志願した変わり種で、現在は元刑事という経歴から遭難事故で不審な事案を捜査する「山の特別捜査官」としての任務を担っていた。松本署にいた原田は、体力はあっても登山経験はほとんど皆無のなか、その釜谷の弟子として働くことになった――。
 四月中旬に北アルプス黒門岳付近で発見された女性の滑落死体。彼女は黄色いジャケットをナイフで刺し貫いた状態で死亡していた。恋人と山頂で出会おうという奇妙な単独行、几帳面だった彼女の性格などから導かれる結論は――? 『生還』
 北アルプス南方にある奥千岳。その山小屋の主人が水場のポンプを補修に出たまま戻らず、頭に傷を負った状態で発見された。釜谷と原田は、事件現場の血の飛び散り方などから不審を覚え、山小屋の人間関係について調べてゆく。 『誤解』
 息子が薪股岳に登ったまま帰ってこない。通報から遭難救助隊が捜索を開始するが、入山記録も無く、武藤というその若者が実際に山に登ったかどうかわからない。無駄だと暗に主張する周囲をよそに、釜谷は地道な捜査を継続する。 『捜索』
 北アルプス南端・七冬岳。雪崩に巻き込まれた学生の救助で救助隊が山に入るが、別の死体が発見された。荷物も雪崩で流されており、幾つかのレシートから男は評判の悪いライターであったことが判明する。 『英雄』 以上四作。

大自然という巨大な存在を相手にしているからこそ、人間の信念の強さが試される
 『聖域』とはまた異なるアプローチで、ミステリと大自然の融合が図られた作品集。今回の主人公は、山岳救難救助隊。遭難した登山者を救おうとする一方で、事件としてみられる事案捜査をも手がけるという異色の存在・釜谷亮二を、新米捜査官である原田昌幸の視点で描き出す。釜谷が登山の大ベテランで気力体力ともに充実しているだけに、大自然の脅威と対決する――といった側面はあまり本作にはない。どちらかというと、山がらみで発生した事件を、山男たちの心理に従って解き明かしてゆくというミステリ寄りの作品群だといえそうだ。
 ただ、その山に関わる者たちの心理描写はあまりに巧み。自分の体力の衰えと山への愛着とをうまくコントロールできない人物。自分なりの楽しみ方が山との接し方として間違っていないと信じ込む人物。他人の迷惑を顧みず、無茶をする人物……等々、登山という行為を通じながら、結局は個々それぞれに異なる人間を描写しているところが、面白さの一つだと思う。また、釜谷をはじめとする主要な登場人物たちがそれぞれみせるストイックな部分が渋い。一流の登山家でもあるからストイックなのか、ストイックであるから山で仕事ができるのか。通常の地上であれば単なる頑固者(これは『英雄』の捜査場面などで強く感じられる)にしかならない男たちが、山のなかではとても頼もしくみえるのだ。
 そして、山岳ならではの事件、そして解決。冒頭の『生還』は事件に複雑な構図があるものの、他の作品では事件自体はシンプルだ。また、放っておいても被害者にせよ、加害者にせよ、山に入ってしまった以上は生き残れるかどうか、遭難から日が経過してまだ生きているかどうかといったところに問題があるため、自然とサスペンスが醸成されてしまう。無理して難題を作らなくとも、山が絡むと一連の物語が何らかのかたちでミステリなのだ。 更にそこに大倉氏ならではの、本格ミステリ的構成が加わるため、それぞれの作品に序盤から吸引力があり、それでいて読み終わるまでずっとスリリングな感覚が持続する。

 掲載誌がそもそも山岳雑誌であることが多少バイアスになっているところもあるかもしれない(真面目な登山者に基本的にワルモノはいない)が、例えそうだとしても四作品、ミステリとして微妙にタイプが異なるし、悪意は悪意としてきっちり描いている。太田蘭三や梓林太郎といった先駆者はいれども、後に続く作家の少なかった国産山岳ミステリ分野。『聖域』がフロックではなく、大倉氏がこの分野の書き手であることを証明した作品集だともいえそうだ。


08/08/01
谺 健二「肺魚楼の夜」(光文社'08)

 谺健二氏久々の新作。探偵役として『未明の悪夢』以来数作に登場する有希真一が、実際の時を経たかたちで再登場している。書き下ろし。

 阪神大震災から約九年。四歳の時に震災に遭遇して両親を喪った、現在中学一年生になる少女・氷野真理亜と、裕福な生活をしていながら震災の前年に夫を癌で亡くし、娘と孫を震災で喪ったという七十四歳の岩威佐代は、ボランティアを通じて文通を開始した。何度か文通を通じて親しくなった真理亜は、ある日、須磨の岩威邸を訪れる。「冬景楼」と呼ばれるその館のなかで通報があって訪れたボランティアが発見したのは、自殺未遂と思われる女性と中学生の少女だった。少女は最近製造されたカメラ内に震災当時の背景で撮影された時間旅行とも思える写真を所持しており、一方の女性は巨大な肺魚に襲われたのだという……。家に帰りたくないとNPOの事務所に閉じこもってしまった被害者を持て余した理事の加賀は、知り合いの探偵事務所の有希真一にその不思議な事柄の解決を依頼する。二人の手紙のなかで肺魚のバケモノによる犯罪が示唆されており「冬景楼」はなぜか窓が内側から鉄板で留められていた。捜査の過程で有希は、屋敷をしばしば眺めていた女子高生・美嶺と知り合う。その美嶺はかつての有希の友人・雪御所圭子にそっくりだった。

ミステリとしては微妙も、震災とその後という主題がむしろ浮かび上がる構成
 谺健二氏は、阪神大震災や神戸という地域に根差した創作を行ってきた一方で、大胆不敵なトリックメイカーとしての貌を持つ作家だ。本作に限っていえば、現在はあまり陽が当たりにくい、震災に遭遇した人々の心というテーマを取り上げている一方で、トリックを弄したミステリの方は微妙な結果に終わっている。もともと社会派と本格派の両面から作品を構成してきた作家であり、本書はそのうちでも社会派の側面が少し強まった作品だといえるだろう。
 なぜに肺魚? という疑問が浮かぶ。まさか須磨水族園が近くの現場だから、ということもないだろうけれど。序盤にお婆さんの手紙のなかでしか登場していない肺魚(孫が大切に飼っていたのが肺魚だったという伏線はある)が、探偵役に襲いかかる場面があり、そこで読者は驚かされるはず。ただ、その真相は現代の本格というよりも、むしろ戦前の探偵小説風のもの。(ほとんど江戸川乱歩の少年物のノリ、といえば分かりやすいだろうか)。また、時間旅行と思しき写真も、むしろレンズ付きフィルムの性能で……? という疑問の方が強い。だが――、やはり本書からは被災者の心の問題の方が強く主題からは感じられるのだ。実際、小生自身遭遇した災害であるし、街並みや生活からはその痕跡がほとんどぬぐい去られているものの、問題は人の心の方。今なおどういうかたちであの災害が残っているのか。事件を通じて浮かび上がる関係者の心の動きに本書の眼目はある。 ただ裏側で発生している事件が残酷な点など、地震による心の傷以上に「犯人とその親との異常な関係」なども浮き彫りにされてしまうため、家族小説としても一定以上の重さを内包している。

 トリックがあまりにも(現代的基準でみると)あれなので、その観点だけからみるとバカミスの部類に入れられてしまう可能性はある。だが、その内側にある作者の真摯な思いについては最低汲み取っておきたいところだ。