MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/08/20
横溝正史「黄金の指紋」(角川文庫'78)

 角川文庫の黒背時代の後半に刊行された「推理ジュヴナイル」と呼ばれる一群の作品のうち一作。黒背に黄色の題名が特徴で、それまでの中島河太郎にかわり、山村正夫氏が監修。何気なく手にとってしまったのだが、解説を読んで本作に限っては『怪獣男爵』『大迷宮』の続編ということ。読む順番失敗。

 東京から岡山県の南方、瀬戸内海沿いの下津田という町に夏休みを利用して訪れていた野々村邦雄少年。彼はある晩、難破船の座礁を報せる半鐘の音で飛び起きる。沖で客船が座礁しており、多くの人が流されてきているのだ。邦雄は親しくしていた灯台守のおじさんの様子を調べにゆく途中、胸を撃たれた青年と出会う。彼から黒い小箱を託され、これを金田一耕助という東京の探偵のもとに届けて欲しいと頼まれた邦雄だったが、助けを呼んで戻ってきてみると青年の姿は居なくなっていた。現場で目撃された義足の男。彼は青年を海上保安庁のボートを強奪して連れ去ってしまう。一方、邦雄はその箱を開けてみると中から黄金で出来た豪華な燭台が。そしてその台座の部分には黄金色の指紋がくっきりと付けられていた。新幹線で東京に戻る旅の途中、隣席に座った女性から毒リンゴを振る舞われた邦雄は眠ってしまい、持ち物のボストンバッグを奪われる。しかも別の人物に彼自身の身柄を拘束されてしまうのだ。黄金の燭台を巡って、三つの勢力がぶつかり合い、互いを出し抜く熾烈な争いが繰り広げられた……。

江戸川乱歩に怪人二十面相がいるように、横溝正史には怪獣男爵がいるのだ。
 戦後間もない頃に偕成社向けの児童文学として『怪獣男爵』という作品が発表された。この作品には金田一耕助は登場せず、悪魔のような大悪人として「怪獣男爵」が初めてその姿を現すというもの。(そちらはいずれ読むとして)本作はその続編にあたる作品で、当時の少年向け探偵小説らしいある意味チープで、かつ乱歩少年物とも非常に近しいガジェットを含有している長編。 で、どうかというと非常に楽しめてしまった。
 金田一耕助=明智小五郎、怪人二十面相=怪獣男爵、その部下多数=その部下多数、小林少年=野々村邦雄といったかたちで、この人物を互いに入れ替えたとしても大筋では物語自体はそう変化がないんじゃなかろうか、というストーリー展開。生きながら袋に入れられ海に沈められる探偵、悪人に囚われながらも機転を効かして脱出する機会を窺う邦雄少年、酔っぱらいに変装して敵のアジトに乗り込む金田一耕助、さらには最終クライマックスとなる場面は、わざわざサーカスへの関係者の呼び出しときている。(しかも、金田一はよりによって、○○○○に扮して敵を待ち構えていたりもする)。こういった場面やガジェット、そしてエピソードの個片は、まさに「どこかでみたことのある物語」の断片である。
 横溝正史らしい、くっきりとした光と影といった物語作りではなく、あくまでジュヴナイルの常道を当たり前に、そして一種扇情的に盛り上げるストーリー展開は、込み入っておらずスピード感覚に溢れている。 明智小五郎に比べて、多少もさっとした印象のある金田一耕助も、このシリーズにかけては変装したり、トラックの裏に貼り付いたりと身体も使って敵地にばんばん飛び込む積極性を見せている。一方、ミステリ的にはトリックは無いに等しく、分かりやすい謀略と分かりやすい策略が、探偵側、犯人側それぞれから発されて、ひたすらにそれを追うだけの展開。 まあ、その分、展開に素直に委ねられるのが吉な読み方であろう。

 横溝正史のジュヴナイルも意外と多数刊行されており、何よりも嬉しいのはこういった角川文庫(大人向け)にかつては普通に収録されていたこと。多少の古書価は付くのは仕方ないにしても、今なお読むことが出来ること、それ自体が貴重だ。先にも書きましたが、本シリーズに関しては、とりあえず『怪獣男爵』(かつてやはり角川文庫収録)から読み始めることをお勧めしておきます。


08/08/19
馳 星周「9・11倶楽部」(文藝春秋'08)

 先に述べるが表紙が良くない。確かに9・11のテロと行動としては近しい部分があるかもしれないが、この表紙では作者が馳星周だということとも相まって中東のテロリストが暗躍するような物語しか想像できない。……全く違いますので。

 かつて地下鉄サリン事件で妻子を亡くした救急救命士、つまりは救急車に乗り組む隊員のなかでも隊長格の織田。子どもの通報で新宿の大久保付近に急行したところ、女の子が倒れていた。しかし、そこには数人の少年たちが同時に待ち構えており、救急車の備品を掻っ払って逃げ去ってしまう。織田は脅されながらも、倒れていた女の子が貧血であることを見て取り、首謀者格の少年に声を掛ける。その帰り、新宿で一人で飲んでいた織田は、再び明と名乗るその少年と再開、倒れていた笑加(えみか)の具合が悪いので看て欲しいと頼まれた。明や笑加は彼らを筆頭に十二歳くらいから十五歳くらいの少年少女六人でマンションで暮らしていた。彼らの両親は都知事のクリーン作戦に引っ掛かり、国外退去させられていたが、彼らは日本で生まれ育っていた。そんな彼らにかつて地下鉄サリン事故で亡くした妻子の姿を重ねた織田は、自分の出来る範囲で子どもたちをサポートしようとする。当初は見返りを危険視し反発する彼らだったが、徐々に織田にうち解け始める。一方で、重度の貧血を患う笑加の容態は悪化、闇で治療を受けようとすると多大な費用が必要となることが判明、金を得るために少しずつ織田も危険な橋を渡り始める……。

馳星周と新宿というベストマッチ。性と暴力が控え目になりエンターテインメント性がUP
 どちらかというと、本来は真っ当で尊敬される職業に就いている救命士。彼ら自身には何の罪もないが、政治に翻弄される大人の都合によって、誰の助けも得られないなか自分たちで生きていく必要のある無戸籍の少年少女。彼らが交わるだけであれば、例えば政治の理不尽さを嘆く社会派小説にも、本来交わるべきでない彼らの感動物語にでも、登場人物を少しいじくるだけでいろいろに料理が出来そうなところ。
 だが、そこは新宿の暗部を描くのに長けた馳星周、安易に登場人物に安らぎは与えない。ただ、初期作品と比べて変化したなあ……と思うのは、こういった辛い境遇にある少年たちの生き様について、例えば被虐、もしくは暴力、あるいは性風俗といった観点からだけでは、描かなくなっている点だ。 冷酷さ、残酷さだけの狂気小説から、確実に進化を遂げているようにみえるのだ。確かに、生活費を稼ぐために未成年ながら笑加は、風俗店で働いているという設定だが、一方で周囲の少年たちはそうせざるを得ない彼女を何とかしたいと強く考えているのだ。また、中国人マフィアの大物や、跳ねっ返りのチンピラもおかしくない程度に登場して彼らの生活を脅かす。ただ、そういった脅威の存在は、むしろ市井の一般人だった主人公・織田の性格変化の方に強い影響を発揮している。一人の人間が「堕ちてゆく」結果は同じなのだが、その志が従来作品とは全く違っているのが、この作品のポイントである。
 子どもたちのために、いつの間にか織田は身体と魂を売り渡し、中国人マフィアの仕事を目を瞑って手伝い、少年たちに危害を加えようという人間をも殺してしまう。それが良いことではないし誤った判断であるとしても、己の欲望のために堕ちていくのとは異なる辛さが存在する。この点が従来の馳作品と異なるようにみえるところだ。
 その結果、物語全体が何とも哀しい雰囲気を常にまとっている。子どもたちも、織田も弱者のまま。最終的には警察からも追われ、だけど彼らの情熱は(それもまた正しいとはいえないのだけれど)自らの手で9・11を再現する――という方向に向かってゆく。これが題名の所以なのだけれども。このあたりに「なぜ、そのような行為に走るのか」子どもたちにはとにかく、大規模テロで妻子を亡くした過去を持つ織田には、その行動をサポートする理由はないようにみえ、小説の構成上あまり論理的だとはいえない。……が、感覚的にはいつの間にか、どこか共感してしまう自分がある。物語のラストの光景についてはここでは書かないが、どうにも複雑な余韻が残される。

 ただ、主人公が基本的に善人である、子どもたちも社会の被害者である、という大前提もあって彼らが見舞われる災難を想像するだに頁を捲る手が止まりそうになる。そういった意味では馳星周の持つ特有のドライヴ感覚というは、本作はかなり控えめになっているといえよう(後半は流石に凄まじく勢いがつくのだが)。それでも、現代を切り取った図式でもある本作を読み終わったあとに残る様々な生々しい余韻は、ずしりと重たい。


08/08/18
島田荘司「Classical Fantasy Within 第二話 怪力光線砲」(講談社BOX'08)

 講談社BOXの「大河ノベル」第二期、島田荘司&士郎政宗氏による全十二冊予定の”超弩級”本格ファンタジー&ミステリ。第一部として三ヶ月連続刊行された分の二冊目。

 雷が鳴る大雨の日、研究者であるミツグ伯父さんは僕に「怪力光線砲」の建物に入れてくれた。この砲は、大量の電気を消費しながらも、日本の上空に迫る爆撃機に対して間接的ながら致命的な被害をもたらすことの出来る日本陸軍の秘密兵器である。第二次世界大戦も末期にさしかかった時期、ほとんどの研究者は信州に疎開しており、ほとんど残っていない。研究所の天窓が開き、五階建ての建物にすっぽりと入った巨大な機械に「ぼく」は圧倒される。そしてこの光線砲には、軍も知らないような生命に関する秘密が隠されていたのだ。生命を複製する機能、今の言葉でいうと「クローン」。雷の大電力を受けて動き出した光線砲は、操作盤の上に無造作に置いてあった雑誌「軍国少年」を頁の折れ曲がり具合から何からそっくりに複製することに成功。しかし装置の側には何故か、ぼくの母親が立っていた。ミツグ伯父さんは「今夜、シンちゃんのお母さんを二人にするよ」と言い、ぼくの制止も聞かず実験を強行、さらにその瞬間に装置に落雷してしまい……。

旧日本軍による科学装置のこれまでの説得性をひっくり返す「え?」な展開。むしろそれに驚き
 とりあえずまだ第一部の二冊目。だが、かなり目眩く(ある意味では頭の痛い)展開となっている。島田荘司氏のお得意であり、最大の特徴である”人知を越えたミステリー”な状況がいきなり本作から進められるのだ。電磁波を利用した破壊兵器といったところまでは、現在の科学でもまだ理解は出来るものの、その秘密の機能が「生命体複製装置」というのは、さすがにファンタジー(言い換えると、現実に立脚した視線で物語をみた場合は「それはないだろう」ということ)。むしろこの頃の一中学生にとっては、いずれにせよ理解の範疇外という意味ではどちらも同じなのか。
 ただ――、一冊目読了と、この二冊目読了のあいだに知ったのだが(本来はもっと早く認識しておくべきことなのだろうが)、本シリーズは島田荘司氏によれば「一冊一冊はファンタジーとして、そして全十二冊を読んだ時には本格ミステリとなる」(大意)予定なのだという。だとするとむしろ、表面上の科学ファンタジーよりも、この裏側にある本格ミステリ的な狙いを深読みしながら読むのもまた一興ということになる。本書の場合、トンデモ科学と幻想的場面が多発されているのだが、それらもまた別の側面から出来事を現実立てた結果として、いずれ説明があると考えられるわけだ。(その部分が、大人のどろどろした事情に終始しないことを今から希望しておく)。
 本作は、少年と「母親」との微妙な関係もまた一つのテーマ。個人的には、科学者たちや母親よりも、視点人物である「ぼく」の感覚の方が歪められているものとみる。当然、まだまだこのあたりの結論が出るのは先のことなのだろうけれど、謎が深ければ深いほど、そして光景が幻想的であればあるほど、後々の楽しみが増えようというものだ。

 但し、毎回購入しているけれど微妙にコストパフォーマンスが……。士郎政宗氏のイラストと、島田荘司氏の小説、どちらも大ファンだ! と言い切れる人でないと追随するのは辛いシリーズになる可能性がある。(だって長編一編分が、1万2千円超になる計算だし)。


08/08/17
石持浅海「ガーディアン」(講談社カッパノベルス'08)

 「ガーディアン」なる守護神を持つ二人の女性を描いた中編x2で両者を繋ぐ間章を挟む。『勅使河原冴の章』は「週刊アスキー」誌二〇〇七年三月二十日号から六月二十六日号にかけて『ガーディアン』の題名で発表された作品で、間章が書き下ろされて挟まり『栗原円の章』が『ジャーロ』二〇〇八年春号に『ガーディアン2』という題名で発表され、二作が一つの作品集にまとめられた一種の作品集。

 健康・清潔をアピールする会社のプロジェクトに抜擢された若きOLの勅使河原冴。彼女は幼い頃に父親を亡くしていたが、その頃を境目に、彼女自身のことを無言で守ってくれる「ガーディアン」なる存在が現れた。彼女自身の意志では何の現象も起きないのだが、ひと度彼女に害を為す存在であれば、かなり強烈な力で相手をやっつけてくれるのである。プロジェクトに同様に参加した仲良しの菅井美穂が「てっしーにガーディアンがいる」と飲み会で吹聴する。その場では聞き流していたメンバーも、帰りの電車で彼女に触ろうとした痴漢の指が関節と逆側に全て折られているのをみて驚愕する。そんななか、メンバーの一人・根岸繭子が、同じくメンバーの原田健介と良い仲になっていることに冴は気付く。しかし、その帰り、原田が両腕を腰に当てたまま階段を落下、そのまま地面に首から激突して死亡してしまう。事件は事故として片づけられたがメンバー間には微妙なしこりが残る結果に。 『勅使河原冴の章』。そして冴が家庭に入り、ガーディアンは栗原円に乗り移った。中学生の円が友人と共に訪れた郵便局。そこに逃走中の強盗の一団が雪崩れ込んできた。ガーディアンに守られた円の態度が彼らの気に障るのだが、悪意は強盗団に次々はね返されてゆく……。

前半は特殊設定の本格ミステリ、そして翻って設定そのまま後半はサスペンスへ。
 石持氏の作品のなかでは他にも『温かな手』など、SF的設定を持ち込んだ作品はある。本書もまたその系譜に連なる作品であり、SF設定を前提とした物語作りが特徴になっている。このガーディアン=守護者という設定そのものが、非常に魅力的かというとそうでもなく(いやまあ魅力はありますが)、超能力のなかではいわゆる専守防衛に属するバリヤーのようなもの。攻撃を受けそうになると、その悪意の多寡によって襲撃者が反撃されるというものだ。石持浅海氏のうまいのは超能力そのものが法則通りであるにもかかわらず、奇妙な発動をしたことによって生じる謎解きと、更にはその能力を否応ながら所持している若い女性の悩みを両立して物語化させているところだろう。物語そのものが持つ吸引力と、謎解きのバランスが絶妙に組み合わさり、前半部の物語『勅使河原冴の章』が成立している。その真実そのものは微妙な部分もあるのだけれど、それでも勅使河原冴の視点で描かれる物語のハッピーエンドに至るため、非常に安心して読めるのだ。
 一方の『栗原円の章』は、謎解きを狙った作品からわざと一歩離れたサスペンス構成の作品になっている。最初からガーディアンの存在に抵抗のない主人公、その存在に戸惑う強盗。謎というよりも、その両者の駆け引きが持ち味。さらに外部的には、立て籠もる強盗犯人たちに対する警察のプレッシャーという要素が加わって、緊張感が勝った構成になっている。後味としては、やはりあまり良くしようという意志もないようで、前半部を「白石持」だとすると、後半部は「黒石持」。ある意味、この石持浅海の持つ両方の味わいが一冊に詰まったところに本書の最大の持ち味があるようにも思える。

 石持ファンであれば、安心して読める内容にしてやはり一定水準を超えた内容。本作の場合は比較的動機といったところに突飛さがないため、一般のミステリファンであっても違和感は少ないのではないかと思う。ガーディアンの存在を有るとしながらも、無理に説明をつけていないところも逆に味わいを深めている。冊数が増えてもこの水準の作品が出続けるのであれば、石持氏のキャリアは今後も当面安泰だろうと余計なお世話な感想を持つ次第。


08/08/16
桂 美人「マラリア」(角川書店'08)

 『ロスト・チャイルド』で第27回横溝正史賞を受賞した著者の受賞後第一長編。書き下ろし。

 永平寺で修業をする雲水として日々穏やかに生活する唯慧(ゆいけい)なる青い目の若い僧侶。彼はかつてヴァチカンで発見された捨て子で更に誘拐を経て七歳になって戻ってきたため、奇蹟のアンジェロと呼ばれた過去を持っていた。そして長じてからはヴァチカンの暗黒面を担う《裏窓》の一員の暗殺者として活動、数年前にはアフリカのシェエラレオネで弟分のレオを含む数人のチームを組みスタニスワフ枢機卿を暗殺する任務に就いていた。チームの一部と連絡が取れなくなり、アンジェロはその困難な状況下で狙撃に成功したかにみえたが、その裏側には別の陰謀が働いていた……。一方、高名な書家を祖父に持つ神坂将史は、青い目の検察官として東京地検に勤務していた。外交官だった彼の父親に絡み、ヴァチカンが動き出しているとの情報がもたらされるが、彼にはそれが何を意味しているかわからない。そして欧州を中心に様々な地位の人々が、右眼を打ち抜かれるという方法によって同一の銃にて殺害される事件が発生、そして運命の歯車が少しずつ廻り始める。

世界中を舞台に様々にして多数の人間が登場して繰り広げられる壮大な――家族のお話。
 イタリア、ヴァチカン、シェラレオネ、そして日本。過去の襲撃事件をきっかけとする世界各国で発生する同一手口による殺人事件、世界の様々な場所を舞台にヴァチカンの教皇の地位を廻る謀略戦と、彼らと関わり謎めいた過去を持つ神坂一族の秘密が三つ巴で交わるストーリー。前作に引き続き、物語のスケールは文句なしに大きく、また各国の文化や生活習慣なども丁寧に描写され、現実をテーマにした裏付けといった小説としての誠意と、物語に対する勢いは引き続き実現されている印象だ。
 ただ、その物語全体が持つ勢いとは裏腹に、非常に読んでいてつらい(読みにくい)。これは文章が、というよりも 前作『ロスト・チャイルド』にしてもそうだったが、今回の作品においても登場人物がやたら多いことがまず主因。多いだけではなく通りすがり級の役割しかない人物も含めて、このノンシリーズの一冊だけで数十人の名前が登場するのだ。特に序盤は主人公格の視点人物となる二人(アンジェラと将史)以外の誰が重要で誰が通りすがりなのかさっぱりわからず、その度毎に「む?これは誰?」と引っ掛かるため、甚だリーダビリティが良くない。また、その分余計な文章が多くなり折角の勢いを削いでしまっているところがある。
 例えば、シェラレオネにおけるアンジェロたちチームの襲撃場面。ここは謀略に戦術、計画と裏切りが重なりあう迫力ある展開で非常に面白い。冒険小説プロパー作家に並ぶとも劣らない構成となっている。場面としてはこの部分が最高で、残りの大部分については、実はあまり魅力がない。恐らく本書のテーマが世界をひっくり返すような謀略……といったホラ話に至らず、これもまた前作同様なのだが、血の繋がりがどうとか、誰と誰が実は親子だったとかの、広い意味での家族話にオチをもってきてしまうところにある。(二冊続くと作者の癖なのかなあ、とも思う)。拡げた風呂敷のオチとしてまとめやすいのかもしれないが、エンターテインメントを指向するのであれば「はあ、そうですか」というこの手の結末はどうかなあ、と正直思う。

 結果的に冒険・謀略系の小説としてはやはり中途半端な印象が強いし、もちろん本格ミステリ系統の謎解きを狙った作品でもない。家族の絆だとか、そういったところをエンターテインメント内部に求める読者向け。あと、登場するが(これも前作に引き続き)いい男がやたら多いので、そういった読み方をされる方にも向くかも。


08/08/15
倉阪鬼一郎「紙の碑に泪を 上小野田警部の退屈な事件」(講談社ノベルス'08)

 「講談社ノベルス+倉阪鬼一郎」という組合せに外れなし。 (講談社ノベルスでは)問題作『四神金赤館銀青館不可能殺人』以来となる書き下ろし作品。今回初登場の上小野田警部はシリーズ化されるのか。でなければ、ノンシリーズの扱いとなる長編である。

 文化人として多方面で活躍していた西木遵が東京・八王子の自宅マンション内部で殺害された。その犯人はその頃、遠く離れた渋谷のホールでクラシック演奏家のコンサートを聴いていたのだという。間接的ながらもアリバイが存在し、その犯行はとてもではないが不可能と思われた……が、超絶的名推理を身上とする上小野田警部が、その犯人の壁を突き崩した。そして、その犯人との対決の場面。上小野田警部は、喫茶店内部に捜査員を配置したうえで優雅に犯人と対決場面を演出しようとする。テーブルの上には関連資料、しかし犯人はまだやって来ない……。上小野田警部は、少しぬるくなったブラックコーヒーを口にして、読みかけの本、即ちジャック・ホーント・アニイという無名作家が発表していたという『紙の碑に泪を』という作品を読み始める。米国南部の小さな街で、自らが犯人として行動した殺人事件を小説にしてしまうという作家が書いた作品だ。主人公は、殺人を実行するのみならず、その街の保安官になってしまった。彼が考えているのは忍者による殺人だった……。

行け行け日暮里のコロンボ・上小野田警部。本格ミステリ的にはもの凄く斬新なトリック有
 先に斬新ではないトリック……アリバイトリック。新宿でコンサートを聴いていた筈の人間が、そこからスタートしながらコンサート終了までに八王子で殺人を実行して戻ってくることが出来るのか。地形と時刻表、東京の私鉄のからくりを駆使した現代風都市型アリバイトリックで、これ自体は(小生は都民ではないけれど)一定の現実性を伴った内容だと思えた。特に名物特急や地方都市の路線を時刻表で処理するようなアリバイミステリではなく、感覚的になるほどと思えるところに味わいがある。特にこうしたアリバイトリックであっても、現代風にして都市型というのは本格系の作家が最近はあまり取り組んでおらず逆に面白みがあるといえる。
 そして斬新な方。これはある意味では倉阪ミステリの独擅場ともいえる方針というか。インターネットのブログを中心に、次々と捜査資料を再確認する上小野田警部。読者にもその内容は同時進行で開陳されているわけだけれども、その登場人物のなかに犯人がいる――という仕掛け。最後に喫茶店のテーブルの上に並べられた資料を執筆した人物に犯人が――? というこの意外性はかなり究極。さすが、倉阪さんというファン納得の仕掛けが楽しい。
 作中作『紙の碑に泪を』も、めちゃくちゃぶりが素直に面白い。恐らくはジム・トンプソン作品を嗜む人にとってはもっと楽しいのだろうけれど、そこは小生の場合は仕方なし。シンプルに繰り広げられる主人公の壊れっぷり、さらには物語自体を破壊しつくしてゆくラスト。真面目な人にはつらかろうが、破天荒を楽しめる読者にとってはこれは最高の御馳走である。
 また、この「名探偵vs名犯人の美しい探偵小説のラスト」に憧れるという主人公の設定が、マニアックにして魅力的。当然お約束としてそのようにならないのだけれど、そこに現実の厳しさというか、主人公の悲哀がそこはかとなく漂って、作品全体のイメージをなんとも奇妙な(良い意味で)ものにしている。
探偵役というか主人公・上小野田中生(かみおのだなかお)、何かのアナグラムだと思っていろいろ試したみたのだけれど、結局わかりませんでした。ローマ字でいじくってNakanai kodomoとか出てきたけど、字余りだし。

 なかなか講談社ノベルスで普通に「本格ミステリ」が刊行されにくくなっているなか、やはり出てくる作品は既成の何かを打ち破っているところがあり、読むだけの価値あるように思える。最初に書いた通り、「講談社ノベルス+倉阪鬼一郎」という組合せに外れなしのジンクスはまた継続しているものだといえよう。これぞ倉阪ファンにとって最高のエレガンス。


08/08/14
七河迦南「七つの海を照らす星」(東京創元社'08)

 第18回鮎川哲也賞受賞作品。噂によると授賞式には本人が現れず、友人が代理に立ったらしい……などということもあって七河氏の詳細プロフィールは不明。まさかとは思うのだけれど、作品構成は加納朋子、作品題名は若竹七海と来て、その立ち位置は北村薫を気取っている……なんて訳はないだろな。

 DVや、両親の不在といった事情があって、自分の家庭で暮らすことが出来ない、小学生から高校生までの子どもたちが生活する児童擁護施設「七海学園」。学園に勤務しはじめて二年目となる北沢春菜は、担当の子どもたちの行動に手を焼いていた。周囲からの勧めもあって児童相談所の海王さんに相談してみたところ、春菜にとって頭の痛かった彼らの行動は「良い子」のそれと変化し、そして学園に伝わる「七不思議」が少しずつ解き明かされてゆく――。
 なかなか周囲と溶け込もうとしない葉子。彼女の心には自分に優しくしてくれた先輩・玲弥の存在が……。 『第一話 今は亡き星の光も』
 七海学園の近くにある廃屋には時々幽霊のような女の子の声が聞こえる……。 『第二話 滅びの指輪』
 子どもをいずれ引き取るという愛情深い父親、しかし彼が別の意味の言葉を……? 『第三話 血文字の短冊』
 かつて学園に僅かな期間だけやって来て、あっという間に姿を消した少年……。 『第四話 夏期転住』
 七海学園の裏庭にある大きな扉。手の届かない筈の閂を開けようとする手……。 『第五話 裏庭』
 最近は使用しないトンネルに女の子が六人で入ると、別のもう一人の声が聞こえる……。 『第六話 暗闇の天使』
 学園七つの謎、そして春菜が気付かなかったそれらに共通していたある出来事とは……? 『第七話 七つの海を照らす星』 以上七話構成の連作集。

大きな驚きはないけれど、スリリング無縁、安心してまったり読める連作短編集
 先に感心したところを書く。舞台が学童養護施設という点。もしかすると本書の価値はこの社会的存在をミステリに持ち込んだ一点に尽きるのではないか。直接的な描写はないまでも、DVありネグレクトありといった大人のエゴによって集中的に辛い目に遭ってきた子どもたち。事件そのものではなく、その動機の部分が実に現代的で生々しい。事件そのものの謎解きはそう困難ではないけれど、例えば『滅びの指輪』の真相など極端ではあるけれど、そこまで追い込まれてしまった子どもたちまで思いを馳せると心が痛む。学園内は多少のイジメなどがあっても基本的には平穏であるにもかかわらず、この七海学園のなかでも外洋にあたる世間というのが実に悪意と哀しみに満ちているということ(もちろん、そればかりではないですよ)がじわりじわりと心に染みこんでくる。鮎川賞応募作とはいえ、長編の賞は今や完全なるパズラーだけでは受賞が難しくなっているという点にも繋がるところだ。
 ただ――、受賞作品ということながら、その構成は一世を風靡した連作短編集を通じての短編それぞれが繋がる仕掛けも含め、先行する作家が生み出したものと同じであるし、七不思議にせよ個々の謎解きにせよ、「こんなの、初めてみた!」といった瞠目のトリックが仕掛けられているというよりも、これまでの本格ミステリや日常の謎系統の作品で使われていた様々なトリックをうまく舞台にアレンジしたものだという印象が強い。連作短編集としての最後のインパクトにしても、物語全体がいきなりひっくり返るほどのインパクトはなく、ああ、綺麗に繋げてみせたなあ、という感慨を抱くタイプのものなのだ。確かに、それら一連の短編の構成や処理方法、物語としての自然な流れといった部分、更に養護施設に所属する子どもたちや、主人公らの人物設定といったところには受賞するだけの小説的巧さはあるので、商業作家としての一歩を踏み出したことに対しては何の違和感もない。……が、鮎川哲也賞という”レーベル”に過剰な期待を抱いてしまうのが本格ミステリファンとしては仕方ないところでもある訳で。

 先に書いた通り、小説としては十二分の出来上がりとなっている。また、直接的には大悪人や極端な悪意も登場していないため、強く心を乱されることもない。(むしろ、直接的に描かれていない、彼らを七海学園に追い込むきっかけとなった”大人たち”には強い悪意とエゴイズムを感じる)。なので、鮎川賞というレーベルを気にしない読者であれば、安心して読むことのできる作品だといえるだろう。


08/08/13
竜騎士07「ひぐらしのく頃に 第三話〜皆殺し編〜(下)」(講談社BOX'08)

  問題編として『ひぐらしのなく頃に』全七冊の出題編の後、2008年5月より刊行再開された解決編となる『ひぐらしのなく頃に解』の六冊目。本作、特にこの下巻において、本編で発生している様々な”避けられない”事象について裏で何が起きていたかも含めてほぼ全ての説明がなされている。

 暴力的な叔父・北条鉄平の雛見沢帰宅によって、自由を完全に奪われ、精神的・肉体的な暴力に晒される北条沙都子。前原圭一をはじめとした部活メンバーは、それぞれが持つ、持つはずのない過去の記憶から互いの衝動的行動を戒めあい、興宮の児童相談所に対し北条沙都子の即時保護を訴える、という真っ正面からの行動を取っていた。彼らの活動に共鳴し、大人も子供も含めた多くの仲間が行動を共にしてくれたが、役所の壁は厚かった。その役所の壁を取り払うべく、圭一たちは雛見沢に巣くう亡霊、即ち北条家の生き残りである沙都子に対する言われ無き誤解を解こうと行動を開始する。得意の弁舌を振るって雛見沢の町会の長老たちを味方につけた圭一は、その総本山ともいえる雛見沢を影から支配する園崎家のお魎のもとへと乗り込む。互いに頑固で一歩も引かない言い争いを制した圭一たちは、改めて児童相談所に乗り込むのであった。一方、それらの動きの裏側ではある人物が綿流しの祭を舞台にした、新たな伝説作りの準備を進めていた。これこそが雛見沢を襲うオヤシロさまの祟りの根幹であったのだ……。

シリーズにおける解決編中のコアにあたる解決編。”ひぐらし”世界における”裏側”が遂にベールを脱ぐ
 これまでに、様々な悲劇・惨劇を自らの手によって繰り広げてきた部活メンバー、前原圭一、竜宮レナ、園崎詩音といった面々が過去に自ら犯した過ちを繰り返さないよう進んでゆく物語。最悪とも呼べる北条沙都子崩壊のシナリオすら回避させてしまう彼らのパワーは前途洋々に見える……のだが。最後の最後で、本書の題名があくまで「皆殺し編」であることの意味が重くのしかかる展開となっている。
 ただ、この後半に至っていわゆる”オヤシロさまの祟り”として、視点人物が行ったのではない、奇妙な出来事、例えば綿流しの日に必ず死亡する富竹ジロウ、遠く離れた岐阜県で発見される鷹野三四の死体といった事件や、更にはこれまでの流れのなかで、ほぼ確実に発生してきた「雛見沢大災害」の理由に至るまで、意外なかたちでの説明が行われている。いわゆる本格ミステリ的に、それまでの手掛かりを繋げれば見つけられるというタイプの謎解きではないが、これだけの事態がなぜ、そして何者によって引き起こされたのか……についての補助線が引かれるといったかたちだ。
 唐突といえば唐突なのだが、例えば「鬼隠し編(下)」において逃げる圭一を追い詰めていたのは一体誰なのか。そういった謎も今回登場する補助線によって解かれてゆくのだ。その意味では、これまたオヤシロさまの祟りによるものではないのに、古手梨香が綿流しの数日後に残酷な死体が晒されて死亡するという点に関しても合点がいく。もちろん、現実的な視点に立ち返るとこの設定にはかなり無理があることは承知も承知。だが、既に輪廻転生をはじめとする超現実的な事態が物語中で発生している以上、この程度の風呂敷であればかわいいものと考えざるを得ない。

 ここに至ってようやくスッキリ。 だが恐らくは、今回初めて登場した事態そのものすら打ち破るであろう、「解」最後となる次の作品自体を待ち遠しく感じてしまう。本作の終盤、これまでのように「残酷」ではないまでもやはり哀しい結末だったことだし。


08/08/11
山田正紀「創造士・俎凄一郎 第一部 ゴースト」(講談社ノベルス'07)

 刊行されて一年近く。本の整理をしていたら積ん読の山の中から発見したので慌てて読了。小説現代増刊『メフィスト』に二〇〇五年一月号から二〇〇六年五月号にかけて掲載された『予備役刑事 トリプル・クロス』の改題、加筆修正が加わった作品。講談社ノベルスと山田正紀さんといえば、『篠婆 骨の街の殺人』の続編は? 最近でいうならば『アリスの国の不思議』シリーズの二巻目は? と色々突っ込みたくもなるのですが、この作品も一年経過しましたが二冊目『ビースト』はまだですのようですね。

 十五年程度の歴史しかない蒼馬市。十年前にこの市の鎧橋交差点でトラックを運転中に六歳の少年を轢き殺し、さらに交通刑務所で他の受刑者から襲われて、正当防衛とはいえ相手を殺傷してしまった男・太田が、刑期を終えて交差点に戻ってきた。かつての係累を頼り、殺してしまった少年の位牌に手を合わせるべく、両親を訪ねまわる彼は微妙な違和感に気付く。果たして十年前、太田が六歳の”柴田恒男”を轢いてしまった事件の真相は。両親が子供を突き飛ばしたように見えた理由とは。全体の謎――『鐙橋五叉路交差点』  俎凄一郎なる建築家によってグランドデザインされた街に、必ず不幸が訪れるのだという。その街の一つである蒼馬市の秘密を探ろうとする法務省呼疫課ならぬ予備役課のメンバー・善知鳥悪鳥。更に市民が絡む不思議な事件が絡み合って……。
 ケーキバイキングで四人の女性客のうち一人が毒殺。ウェイトレス含め誰がどうやって殺人を行ったのか。 『甘い殺意』
 風俗店の集まった二つのビル間に挟まれた女性のように見える遺体。果たして殺されているのは一体誰なのか。 『パラダイス・シフト』
 一年前の交通事故の運転者は果たして誰なのか。ぼやけた写真を見詰めるガソリンスタンドの店主が毒殺される。 『角砂糖、いびつに溶けて』 様々な断片が挟まって、大長編の一部を構成してゆく模様。

じめじめとして暗く、人々もまた蔭を持ち昏い情念が飛び交う不思議な街。都市伝説幻想ミステリの開幕
 山田正紀流幻想ミステリ。 『サイコトパス』あたりがその代表作になるのかもしれないが、謎めいた現象を本格の論理で割り切らず、敢えて余剰や欠量を解決に際して加えることで現実を揺らがせる、だけどやっぱりミステリ。一時の本格ミステリ指向から、徐々にミステリの手法を取り入れたままホラーや幻想小説を発表するようになっている山田正紀氏の、本書はまた集大成(無事に完結すれば、だが)に成り得る作品だ。
 本作、本編の交差点での事故の謎以外に、三つの中編で描かれる謎が存在する。まず第一部とある以上、宿命なのかもしれないが未回収と思しき伏線が大量にある。なので、本書一冊ですっきりした気分にはまずなれない。更に困ったことに、後半に行けば行くほどに、事件自体の輪郭が緩やかにぼやけ、関係者の証言すら怪しくなってゆき、不快というか不信というか、果たして作品内における一定の解釈が本当に正しいのか分からないまま物語が進められてゆくようになっている。また、読者に対して、解決のための手掛かりが事前に提示されていないケースもあり、少なくとも本格ミステリを指向していないこともまた確かだ。
 一方で、捜査する側の警察側すら事件の方に入り込んでしまっており、全体として雰囲気は沈鬱にして昏い。冒頭の人は何度でも死ぬ……といった独白からして、少なくとも明るい作品ではないことは想像されるところだが。また、装画のみならず藤田新策氏によるイラストがところどころに挿入されており、醸し出す雰囲気もまたホラーテイスト(か、それに似た感情を)喚起させるものがある。

 まあ、いずれにせよ第一作目。山田正紀ファンならば、かなりこの暗めのテイストを好まれる方も多いのではないだろうか。今後どのような展開になっていくのか楽しみではあるのだが、それはそうと次が出てくれないことには。


08/08/11
芦辺 拓「月蝕姫のキス」(理論社ミステリーYA!'08)

 ミステリやSFなどさまざまな人気作家がジュヴナイルの書き下ろし作品を精力的に発表しているレーベル「ミステリーYA!」への書き下ろし作品。芦辺氏のジュヴナイル作品は既に「ネオ少年探偵」シリーズがあるが、一連のそれら作品よりも読者としての対象層を多少上目に狙っている印象。また、ミステリを指向した作品であるにもかかわらず、芦辺作品の代名詞的探偵役である森江春策が全く登場しないノンシリーズ長編となっている。

 高校生の暮林一樹は、一旦物事にこだわりだすと、何事も論理的に突き詰めて考え抜かなければならない――という厄介な性格の持ち主。学校イベントの創立祭にあたり、頼まれもしないのに徹底的なタイムテーブルを作成してしまうが、発表する機会もなく自己嫌悪に陥っていたところ、クラスメイトの行宮美羽子がそのノートを見付けて褒めてくれた。そして、彼は美羽子に対して仄かな恋心を抱いてしまった。そんなある日、学校帰りに通る一本道を歩いていたところ、前から不審な男性とすれ違い、コインロッカーの鍵らしきものを拾った。翌日、その男性がその道の途中で刺されて死亡していたと聞かされる。暮林より先を歩いていたという、クラス委員長カップルは男は既に殺されかかっていたというが、暮林はそんなことは無かったと主張。警察の事情聴取に対して鍵の存在を思い出すが、なぜかその鍵は通学鞄から消えていた。警察に対する反発もあり、ロッカーの駅名と番号の記憶を頼りに暮林は張り込みを行うのだが、そのロッカーに仕掛けがあり、さらなる殺人事件に彼は巻き込まれてしまう――。

論理的名探偵 vs カリスマを誇る名犯人。仄かな恋心を絡めた美しい出会い、そして……。
 複数の殺人事件が発生する前半部、特に冒頭の事件あたりまでは、芦辺作品らしい展開。 一本道での発生した事件の謎を論理的に解き明かす部分は、これまで数多い本格ミステリの謎解きと普通に重なるものだし、また、誘拐された少女を追って、親友と二人謎の屋敷に乗り込んでゆくという中盤の、乱歩少年物を彷彿とさせる展開にしても、これまでの作品で似たケースが存在する。ジュヴナイルらしい、高校生による無茶な冒険や無鉄砲な行動も含め、ある意味、この中盤までは安心して読めていた。
 だが、探偵役の暮林一樹が自分の立ち位置の微妙さ・不自然さに気付いていくあたりから、これまでの芦辺作品では見られなかった、不思議な展開へと変じてゆく。 この中盤まで視点人物にして探偵役の暮林は主人公として物語をコントロールしている。だが――、その自らの立ち位置の奇妙さについて「気付き」を得た後半部に至り、その立場は揺らぐ。同時に、「月蝕姫」・行宮美羽子の魔性性が少しずつ明らかになってゆくことで、主人公は物語内部での主導権を失い、受け手として、語り手として純化してゆく。そして、その行宮美羽子。主人公にとっての魔性の女。ファム・ファタル。喩えになるような、ならないような謎めいた言葉を残して暮林を翻弄し、探偵の論理的解決の上を行く存在として物語の上位に君臨する。 この物語の中盤からの変化はこれまでの芦辺作品では見られなかった展開である。
 また特徴的なのは、中盤以降に発生する殺人を含む事件が、その現象としては論理で説明できるにせよ、動機であるとか背景であるとかが、わざとピントが合わないようになっている点。物語の内部では整合性は取れているものの、この周辺部分が読者にとっての「現実」から遊離してしまっている。これまで、どんなに突飛な謎であっても、現実とぎりぎりでも接点を探ってきた芦辺作品において、この現実からわざと遊離させた流れは相当に異質なものに感じられる。事件そのものよりも、探偵と犯人の宿命的な図式に重みを置く展開ゆえのことか。
 ただ、――その一種ファンタジックな展開だからこそ、森江春策は登場せず、ジュヴナイルのノンシリーズ作品というこの舞台が選ばれているようにも思われるのだ。探偵的素質をもった少年が真の意味の探偵になり、モリアーティ教授の要素を持った人物が魅力溢れる名犯人になる。そのライバル関係の萌芽にして、矛盾した愛情関係。 これらの関係が謎めいたかたちで描かれ、そして完全には決着をみない、それでいて余韻をもって幕を閉じる……。(あくまでこれが一旦、だと信じたい)。

 例えば、ホームズ対モリアーティ、明智小五郎対怪人二十面相といったライバル関係が、これまでの探偵小説には存在するが、本書はそれを本当の意味で出会いと宿命から描こうとした作品であるといえよう。少々ロマンティシズムの香りが強いところもあるが、そこはそれ。むしろ成熟した大人になった暮林と、成熟した色香(?)を持った美羽子の、今後の対決を、いずれ見てみたいと強く感じた。(本書はむしろ、その悲劇的宿命的対決のためのプロローグではないか、とも思うのだ)。