MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/09/20
牧野 修「都市伝説探偵セリ(1)リコーダー・パニック」(フォア文庫'08)

 牧野修さんがいわゆるYAのレーベルから『水銀奇譚』を発表したときには驚いたが、本書の書き下ろし刊行は、それ以上の驚天動地の事態。だってあの少年少女向け文庫の名門にして、児童文学出版社四社協同で構成するフォア文庫ですよ、フォア文庫。牧野さんが良く書かせて貰えたなあ、と……あ、なるほど。理論社繋がりかな。

 元気が取り柄で勇気が自慢な小学校五年生の女の子・天端セリ。オカルトや都市伝説に詳しい一方、現実にはかなりの恐がり、さらにセリのことが少し気になっている男の子、新倉岩魚(通称・キョワナ)。きっかけはセリのところに届いた差出人不明の封筒だった。中には少し難しい曲の五線譜に「吹いてはいけない」との言葉が書かれている。岩魚がいうには、その曲を上手に吹くと願いが叶えられ、失敗したら殺される……という都市伝説があるのだという。怖い物知らずのセリは、面白がってその曲に挑戦するのだが、案の定失敗、すると……。また、クラスメイトのみんなが認めるお嬢様で、同姓が見とれるほどの美少女・甘粕美優が加わった三人は「都市伝説探偵団」を結成。最初のリコーダー・マンに続き、ゲンマン、隠しんぼ、といった怪人が登場する恐ろしい都市伝説に真正面から挑戦していく。

甘口カレー以前のベビーカレー。まだ児童文学の枠内ながら、ここからの強烈なスパイスに期待
 主人公が小学校五年生ということもあって、読者層として標的にしているのは、どうもそのあたり。イラストの方も(こちらは小生無知なので米田仁士さんという方をよく知らないのだが)ライトノベルという程には浮ついておらず、現代的ではあるが、ジュヴナイル系統のおとなしめの画という印象を受ける。少なくとも装幀に関して伝統的なフォア文庫の一冊として全く浮いていないところが、手にとっての最初のサプライズだったりする。
 さて、著者が牧野修さんということでどんなに恐ろしい地獄絵図を子どもに見せちゃうんだろう……とドキドキしていたのだが、当然牧野さんらしい工夫はそこここにあるものの、大筋としてはジュヴナイル・ホラーとしては普通、かつとっても大人しめ。 三人の少年少女が怪奇現象に首を突っ込み、怖い目に遭いながらも一発逆転の手段を用いて窮地から脱出する――というのが基本ストーリー。残虐描写も一切なく(これはレーベル上の制限かも)、こういう作品の先例はたくさんあるわけで、正直流れに関しては「あれ、普通……」というのが正直なところ。
 一方で、都市伝説そのものや、都市伝説の結果引き起こされる異形の存在については、牧野さんらしい味わいがかいま見える。 リコーダー・マン、ゲンマン、隠しんぼ。それぞれsupernaturalな存在にして毒々しい特徴があり、逃げても逃げてもどこまでも追いかけてくるというキャラクタは、ホラー映画などのモンスターと同様で、嫌な恐怖感を生み出していると思う。
 また、一部の作品では割り切れない部分(例えば、ミユキちゃんは帰って来なかった、とか)を残しているのもさりげなく余韻として残り、も味わい深い。牧野さんらしくなくとても控えめ、だけど微妙に牧野さんだなあ、というのが全体の印象か。

 また↑で引用したが、我孫子武丸さんによる解説で牧野作品をカレーに例えて表現しているところは秀逸。「普段牧野さんが書いているものを、大人向きの辛口カレーだとすれば、これはリンゴとハチミツたっぷりの甘口カレーみたいなものかもしれません。でも、カレーはカレーです。」非常に具体的にイメージが出来る。
 シリーズ一作目につき、もしかすると今後何らかの変化が見られる可能性もあるものの、今のところは普通のジュヴナイル。普段、牧野作品を読んでいる人でも、作者を伏せられたりしたら、読んでも牧野作品とは判らないかもしれない。今後、過激に走って欲しいような、この路線で行って欲しいような。個人的には複雑な気分。


08/09/19
東野圭吾「聖女の救済」(文藝春秋'08)

 東野圭吾が擁する名探偵のなかでも、ドラマ化等の影響でもっとも有名なシリーズに祭り上げられた(上り詰めた?)感のある「探偵ガリレオ」に連なる四冊目で、長編としては二作目。短編集『ガリレオの憂鬱』と同時に発売された。『オール讀物』二〇〇六年十一月号から二〇〇八年四月号にかけて発表された長編作品。

 IT会社社長の真柴義孝と、自ら人気のパッチワーク教室を経営する綾音の夫妻。義孝は結婚する以上、子供が出来なければ意味がないという信念を持っており、結婚して一年経ったある日、離婚を切り出した。その時に綾音はある決意を持つ。その日のホームパーティでは、夫婦の共通の知り合いであり、子供が生まれたばかりの猪飼夫妻と、パッチワーク教室で綾音の助手を務め、講師でもある若山宏美が参加していた。そして数日後、綾音が北海道の実家に久々に帰省している最中、義孝が自宅で毒殺されているのが発見される。発見者は綾音から自宅の鍵を預かっていた宏美で、実は義孝と宏美は不倫の関係にあり、更には義孝の子供を身籠っていた。 捜査にあたった草薙らの手により、死因は義孝が飲んだコーヒーに含まれていた亜ヒ酸と判明。また、草薙は綾音の立ち居振る舞いやその美貌に惹かれてしまう。一方、草薙とコンビを組む女性刑事・内海薫は綾音は、ある理由から綾音を疑うのだが、どうやって毒を混入させたのかその痕跡が全く見あたらないのだった。

練達のストーリーテリングにマニア蒼白の斬新なトリック。絶頂期続く大ベテラン。これぞ才能
 ストーリーテリングはさすがに抜群。 するりと物語世界に引き込んだあとの読者と物語世界の一体感が最後まで継続する。少しずつ明らかになってゆく、被害者夫婦の特異な夫婦関係や隠されていた過去に微妙な覗き趣味(?)の快感がまずある。さらに被害者の妻にどうしようもなく惹かれてゆく草薙と、そんな草薙の態度に対して余計に意地になる内海……と、登場人物間の人間関係のバランスやその心情描写は微妙なところも含め、非の打ち所がないほどみごとに描写されており、「流石」のひとことに尽きる。
 文章自体も完成されているため読みやすく、さりげない小道具の使い方なども心憎い。 さらに本書の評価を高めていると思われるのは、使用されている毒殺トリックの妙。 本格ミステリから全く新しい物理トリックなど潰えたかと思いきや、思いついたとしても誰も実行しないだろう、という日常系の超絶トリックが新登場。しかも、まさか大ベテランの東野圭吾から出てくるとは。普段が誰もが目にして使っているあるものを使うにあたって、物語設定の方がトリックに奉仕して変形しているという、本格ミステリ作家がしばしば用いる手法が取られている。ただ、物語自体が流麗に進むために、ありがちな不自然さが感じられない。こういった手法を、未だにこの流行作家が忘れていない点も嬉しい。
 ただ、一年間にわたる夫婦生活のなかで秘められていた、この根性自体は、物語上戦慄すべきところなので否定しない(不自然さもあっても良い)。ただトリック自体の実現性の部分でいくらなんでもそれだけ時間があれば一瞬の隙があるものでは……というところが気になったこともあり、個人的にはほんの少しだけだが割り引いている。物語全体の完成度が高いため、本来は少々の瑕疵など吹き飛ぶのだけれども――作品自体が完成されている分、余計に僅かな傷が気になってしまった。(うるさい奴と無視してくださいな)。

 いずれにせよ、本格ミステリとしても、ガリレオシリーズの一冊としても充実度、完成度が高い傑作として評価されることは間違いなく、ミステリファンであれば必読といって良い作品だ。


08/09/18
古川日出男「聖家族」(集英社'08)

 『すばる』『小説すばる』『青春と読書』『WB(早稲田文学フリーペーパー)』、WEB媒体『古川日出男と聖家族』『RENZABURO』等。平成十八年から十九年にかけて、さまざまな媒体で横断的に発表されてきた「聖家族」シリーズの集結。738ページもの大著、古川日出男、作家生活十年の集大成的作品。

 どうやって粗筋を紹介しろと? 無理だ。

 扉一―狗塚らいてうによる「おばあちゃんの歴史」―扉二―聖兄弟・1―地獄の図書館・白石―聖兄弟・2―地獄の図書館・大潟―聖兄弟・3―地獄の図書館・郡山―聖兄弟・4―扉三―「見えない大学」附属図書館―扉四―記録シリーズ・鳥居―聖兄妹・1―記録シリーズ・天狗―聖兄妹・2―記録シリーズ・学府―記録シリーズ・DJ―扉五―狗塚カナリアによる「三きょうだいの歴史」。
 狗塚らいてうによる異能の一族、狗塚家の記録。そのらいてうの孫にして人間凶器・牛一郎、羊二郎の修業、または逃避行。牛一郎、羊二郎の親で記録しか信じず、東北のフィールドワークを続ける真大とその妻。会津にいる霊能者と、真大によるその能力の喪失、その霊能力を盲進する女性による冠木秋と夏兄妹の誘拐、そして三人のDJ。冠木兄妹の母親である、冠木カナリア(元・狗塚カナリア)の三人目の妊娠。そして、遙かなる東北の記録たち。

東北六県を舞台に、数奇な記憶/記録を持つ狗塚一族、そして冠木一族を縦軸とした歴史と群像を壮大なスケールで(陳腐な表現だがほかに思いつかない)で描き出す物語。

 無理にこの作品を要約しようとすると、普通のエンターテインメントにはない「連作長編小説集」という言葉が思いつく。長編作品を何冊も重ねることで大きなイメージを創り上げる手法は当然にこれまでだってあるのだが、本書からは一冊のなかに長編が何作品も含まれているという希有な印象を受ける。
 基本的に舞台は東北六県限定。まず時間軸が遙か戦国時代の昔から、現代、そして近未来への想像まで含めて膨大な長さに及び、物語はそのあいだを自由に行き来する。また、平面軸としてはやはり東北六県なのだが、物語の空間は「神隠し」によって入り込んでしまう、別の異空間を有しており、拡がりが非常に大きい。また、異類というか、基本的には人間の物語なのだが、人ではない人――がそこかしこ、物語に登場して主人公たる狗塚・冠木の一族との交わりをみせる。作品表現も手紙から、方言、事実の描写、会話。それらを巧みに使い分けている。物語の緩急もまた存在し、アクション多用の場面もあれば、淡々と人間の生涯を描くことに終始する場面もある。つまりは、物語世界・物語表現、ありとあらゆる諸要素が一様ではないまま、一冊の書物に詰め込まれているといった印象なのだ。
 また、総体としてのエンターテインメント小説であることは間違いないのに、文学的試みや作者のセルフパロディや自己主張といった内容・部分も数多く存在する。それらは単純ではなく、過去の古川作品を読み込んだ読者だけが判るもの、恐らく他の文学などに能動的に触れている人間だけが判るもの、といったかたちであり、それぞれ理解者を選んでいる。従って、作者以外の人間では、本書を百パーセントの理解することはまず不可能なのではないかと思われる。ただ、一方でいえば、それだけ囓りがいのある、歯ごたえの強い作品だということだ。ありとあらゆる要素が詰まっているがためにかえってその個々の要素がみえなくなるきらいはあるが、むしろその段階で自分の読者としての未熟を思い知らされたように思う。
 とにかく、小説という存在に圧倒されてしまう、そういった種類に属する作品。一般小説であればエピソード程度の事柄が、短めの長編くらいの分量で書き込まれている。さらにその物語を繋ぐ繊細な横糸が張り巡らされている。そりゃ、個人的には牛一郎、羊二郎の戦いながらの逃避行や、奇妙な六人による誘拐事件などパーツとして面白く読んだところを挙げようと思えば挙げられる。だけど、本書全体のなかではその「面白かった」部分が重要なのではない。それらが持つ意味、そして繋がり。そういった蜘蛛の巣の全体を理解するように努めなければ、本書を読んだことにならない。
 膨大なのに細かな伏線や技巧があり、壮大なのに繊細な手法や構成が試みられている。読み終わったあと(まったく気のせいであるのだが)東北という存在そのものが心のなかに入り込んでくるような錯覚を覚える。そういう意味ではずっしり重い。恐らく誰が読んでも軽く読み飛ばすことは出来まい。

 但し、スケールの大きさとその内容の繊細さ、裏返したる本としてのボリュームもあり、絶対に読者は選ばれる。 つまり、誰もが簡単に楽しめるエンターテインメントではないということ。じっくり噛みついて咀嚼して飲み込む。そういった読書に対する求道的精神を、読者に求めているという側面は間違いなくある。ただ、それをこなした時、相応の歯ごたえと満腹感が、かならず得られるはずである。


08/09/17
島田荘司「Classical Fantasy Within 第四話 アル・ヴァジャイヴ戦記 決死の千騎行」(講談社BOX'08)

 講談社BOXの「大河ノベル」第二期、島田荘司&士郎政宗氏による全十二冊予定の”超弩級”本格ファンタジー&ミステリ。第一部が三ヶ月連続刊行となり、第二部が10月から三ヶ月連続刊行で再スタートとなる。一見、第一部に繋がる要素は皆無。。

 多数の塔があり、音楽と美によって世界最大の文化都市ともいわれた都・サラディーン。しかし近年に三度の大地震を経験して人々の半数が亡くなった。更に隕石の衝突、ペストの大流行で都市自体が完全に麻痺状態に陥ってしまっている。そんななか、司祭に託宣が下り、。前人未踏にして地上最悪の地方であるアル・ヴァジャイヴをたった五日で横切って、月の女神・アイラのいるイスラエルに行けというのだ。それを実行することによって、サラディーンは”再生プログラム”に取りかかれるという。このために組織されたのは、サラディーンの精鋭・千騎。彼らの部隊は、少量の食料と装備のみを与えられサラディーンを発した。アル・ヴァジャイヴには一の砦、二の砦、三の砦が築かれていたものの、蛮族と怪物がそこに至る道に跋扈しており、特に最初の関門で9百数十もの騎馬兵が脱落してしまう。ショーンら、残された十数騎は、最初の関門である「一の砦」を目指して工夫と戦いを重ねながら突っ走ってゆく。

いきなり正統派ファンタジー。現実と重なる予感が一切無い、SFとも伝記ともとれる展開。
 このシリーズ、本格ミステリとファンタジーとの融合を目指す……といった島田荘司氏によるコメントが事前にあり、つまりは一冊一冊で発生している事件は、後に論理的な観点による落としどころがつく、はず……なのだが……。ホントに大丈夫なんですか? と思わず尋ねたくなってしまう、一気の物語展開。
 紅海が目的地として名前が出てくるので、中東のどこかがイメージされた架空の都市、サラディーンを舞台とした西洋風ファンタジー。最初に刊行された三冊のエピソードが太平洋戦争中の日本であることを考えると、武器や通信の設定からして中世以前であるし、龍のような架空の動物が出てくるし(それ以前に月の女神で占いで海が割れるとかなんとかだし)で、一層の現実離れ(=ファンタジー化)が進んでいる。一方、地域に関してのみ紅海やイスラエルといった単語があるため、中東あたりであることが辛うじて判明する。つまりは、現実からの乖離度合いがますます大きくなっているということだ。
 ただ、流石に――単純に物語を捕らえた時の引き寄せ方、物語の盛り上げ方は異常に上手。当初の畳みかけるような前提となる設定。あっという間に出発する軍勢と、最初の戦いで一気に消耗が進む展開。知恵と勇気が試される戦いの連続のうえに、最初の休息地での大歓迎。物語のテンポの良さももちろんなのだが、これだけの内容をぎゅっと押し込めて200ページにまとめてしまう筆力も素晴らしい。士郎政宗氏のイラストがまた美麗で目を奪われるのだが、このイラストが挿入される前提で恐らく文章による描写を多少省いてもイメージがしっかり読者に伝わることも計算されているように思う。

 まだ、第二部が始まったばかりながら、第一部にあったような重苦しさがあまりない。(世界の終わりを控えた物語なので、特有の重厚さはあるものの)。むしろ、こちらが第一部だったら、もっと読者の裾野が広がったかもしれない、などと偉そうなことを感じてしまった。問題があるとするならば、コストパフォーマンス……なのだが、複数のカラーイラストにも一見の価値があるし、お手に取る方の価値観にてお好みで。素直に、続きが楽しみ。


08/09/16
江戸川乱歩「仮面の恐怖王/電人M」(講談社江戸川乱歩推理文庫'88)

 『仮面の恐怖王』は『少年』の昭和三十四年一月号から十二月号にかけて発表された作品。『電人M』は同じく『少年』の昭和三十五年一月号から十二月号にかけて発表された作品。

『仮面の恐怖王』 上野公園の近くに建った中曾婦人による蝋人形館。少年探偵団員の井上と野呂の二少年は、この館を訪れる。中曾婦人に案内されて中に入ると、本家のマダム・タッソーの蝋人形館もかくやと思しき蝋人形が多数展示されている。更にホームズ、明智といった探偵や、青銅の魔人といった怪人の姿もみえる。そこで二人は、鉄仮面の蝋人形が動き出すのを目撃。鉄仮面は車に乗って何処かへ去るが、二人が婦人に注進して展示室に戻ると、鉄仮面はそのままの姿で残っていた。その夜、港区の有馬という大富豪の家から「星の王冠」を狙い、恐怖王と名乗る怪人物が現れる。有馬氏は明智に助けを乞い、明智は現場に急行しようとするがその途中で賊に捕まえられてしまう。
『電人M』 少年探偵団員たちが東京タワーの上にタコのような不気味な生き物を目撃する。更に少年の家にまでタコの化け物がやって来て意味不明の言葉を発し、一枚の紙切れを残してゆく。「月世界旅行をしましょう」。更に顔のない機械人間のようなロボットが目撃され、小林少年には「電人M」を名乗る怪人物から電話が入り、ビルの屋上に呼び出される。現れたロボットのまやかしに騙されず、追跡した小林少年は、一連の事件が全て宣伝であることを打ち明けられる。一方、豊島区の遠藤博士。彼はある大発明を行うのだが、彼の研究に関する秘密をさぐるべく静かな脅迫が始まった。

基本的な設定や筋書きはそのままながら、小林少年らの大冒険があり、奇妙なSF設定とのコラボレーションあり
 まず『仮面の恐怖王』だが、前半部だけに関するとそれまでのパターン化された二十面相シリーズを踏襲する内容でそれほどのインパクトはない。唯一アクセントとなっている中曾婦人の存在のみが微妙に異彩を放っているもの、他の作品同様、導入部は少年たちの不審をわざと買って自らのもとにおびき寄せるというパターンだ。明智自身も恐怖王に捕らえられるなどの経過もあるが、この作品が活き活きし出すのはむしろ中盤以降。少年探偵団の多数のメンバーが罠に嵌められてしまい、そこから知恵をもって脱出する過程に微妙なオリジナリティがある。また、『怪人二十面相』のトリックを逆手に使う恐怖王の遣り口がまた微笑ましかったりする。
 『電人M』は、後期の怪作。火星人がにょろにょろ登場し、ロボットもまた現れる。明らかに怪しい彼らが、別に(最初は)二十面相とは無関係に、テーマパークの宣伝だったという前半のオチで少し脱力。さらに背後に二十面相があることは比較的早い段階で明らかにされる一方、これまで語られなかった部下とのやり取りや、現金を盗むことに関する明確なポリシーなど、二十面相の「少年探偵団との対決」以外の日常風景などが描かれている点も興味深い。最後の対決場面では、遠藤博士の新発明が登場。パターンであっても、一応は本格としての矜持があったこの二十面相シリーズにおいて、この架空の存在(作品内設定)を使った解決は異色かと感じられた。

 後半に差し掛かり、江戸川乱歩自身が少年探偵団と二十面相の対決について、どういった”色”を出していくか、このあたりではもう疲れておられるように思う。ことに怪人物や被りものによる演出から、『電人M』でSF的設定を大胆に打ち出しているのも良くも悪くもポイントであるように思う。

 しかしこの頃になると、最初の方で活躍していた少年探偵団員、羽柴少年であるとか桂君、篠崎君といったメンバーは影も形も見えなくなっている。せいぜい井上君と野呂ちゃんのコンビ、さらにはポケット小僧くらいである。彼らはどこにいったのか。少年探偵団は少年でなくなると卒業するのか、それとも探偵活動に彼らが興味を無くしてしまい脱退したのか。


08/09/15
高田崇史「カンナ 飛鳥の光臨」(講談社ノベルス'08)

 高田崇史氏がメフィスト賞を受賞して、その後、人気シリーズに育った『QED』が世に出て十年。デビュー十周年を記念して始まったのがこの新シリーズ『カンナ』。本作はその記念すべき幕開けを飾る一冊にあたる。

 奈良にある地方出版社『月刊歴史探求』。フリーランスのライター・柘植弘忠は、会議室の鍵が閉まっていると編集長の馬飼孝太郎と副編の朝比奈紀子に声を掛けられる。守衛が開けた部屋のなかでは編集部の八瀬克徳が首から血を流して瀕死の状態になっていた。彼の手にあった鍵で、同じく施錠してあった応接室を開けると、こちらにも編集部の若林桂子が首から血を流して絶命していた。翌日、柘植が理由不明のまま失踪。編集部でも柘植と仲の良かった柏木竜之介が彼の行方を捜そうと申し出る。一方、実家の出賀茂神社を継ぐかたちで戻ってきている二十六歳の鴨志田甲斐。神社で働いている祖父・加藤丹波を頼り、東大を休学して巫女のアルバイトをしている中村貴湖に勉強するよう言われながらものんびりと日を過ごしていた。そんなある日、飼い犬の”ほうろく”を連れて散歩していた甲斐は、高校の先輩早乙女諒司の妻で大人の魅力が溢れる早乙女志乃芙から、夫が昨日から戻らないという相談を受ける。実は、鴨志田家は代々特殊な情報ルートを持っており、その情報網を頼りたいという話だった。父親の完爾に相談しようと家に戻った甲斐だったが、家では宝物殿にしまってあった社伝が盗まれたという騒ぎが起きていた。社伝には、大化の改新で滅ぼされた蘇我家の側からみた歴史が記されていたのだという。情報ルートから、他にも聖徳太子にまつわる神社に被害が出ているとの情報が入り、父の命を受けて甲斐は貴湖と共に奈良の飛鳥出賀茂神社へと赴くことになる。

伝奇アクションと歴史推理の不思議な融合。新シリーズ開幕(……でも世界は繋がっている)
 鴨志田、鴨志田、鴨志田。あ。(調べる)名前が違う。あ、いや、兄の名前として出てくるのが一緒だ。うーむ。繋がっている……というのが1stインパクト。
 高田崇史氏の公認ファンサイト(のなかの高田崇史氏のエッセイ)によると「内容は「少しライトな『QED』」ということで、再来年くらいにかけて書き下ろし続ける予定。実際に読んでいただくと「どこが?」と思われるかも知れないが、実はこのシリーズのトータルテーマは「日本全国、鎮魂の旅」なのである。ノベルスで日本各地の怨霊慰撫を行ってしまおうという、実に壮大な(?)計画だ。」とのこと。うーむ。

 さて。久々の新シリーズということでカンナというシリーズ名が付けられている。これはカンナ(花)、鉋(工具)、神流(川)、仮名(かな)、寛和(時代)、神無(月)、看話禅とか漢和聯句? 表題にあたるカンナの意味は今のところまだ不明。いずれにせよ一読していただければお判りの通り、高田崇史氏の新境地たるシリーズ開幕だ。既に第二作も出来上がり、第三作目に取りかかっているとの話でもあり、素早くそして広い展開が見込まれる。――どんな展開が来るのか、楽しみに読み進めたところ、一作目の結論としては↑。伝奇アクションと歴史推理の融合、である。
 聖徳太子とは何だったのか、というQEDばりの歴史における常識をわざわざ疑念と共に謎として提起し、その謎に対して驚きの解決が示されるのが全体的な展開。QEDにて全知全能(?)に近い解釈を述べる、桑原崇にあたる存在がおらず、少しぼんやり気味の主人公と、歴史マニアの女子大生という(性格的にはQEDの逆張りかも)組合せ。ただ、既存の文献の引用が多い一方で、あまりミスリードを図るような論理展開は少なめで、微妙に歴史の謎にあたる際のスタンスが『QED』とは異なっているようにみえる。但し。文献や記録を素直に読み取ることで、歴史の教科書には絶対に書かれない仮説が打ち出される点は、『QED』と同じで、その説得性の高さもGOOD。何よりも、文献派と呼ばれる学者に対する強烈な風刺が面白い。
 この謎解きの過程で、従来高田作品にはなかった別の要素が加わっている。即ち、アクションである。現代が舞台ではあるのだが、主要な登場人物にそれぞれ属性があり、その結果、浮世離れした格闘シーンが実現している。さすがにこのあたりについては、創作色が強く、その手法、物語への活用のやり方は伝奇アクションのそれに近いように感じた。
 一方、施錠された部屋で相互に鍵を持っていた人物が殺されていた、という謎もまた提示されている。一応、本格の要素もあるといえばあるのだが、そのトリックというか手順はシンプルなもの。(ベーシックというか何というか)。むしろ、事件が引き起こされた背景・動機の方に興味を引っ張られる。また、ここから展開して恐らくはシリーズ全体にまつわる謎が スタートしており、そちらもまた興味深いところである。

 まず一作目ということで挨拶代わりの一冊ということになろうが、聖徳太子に関する謎は正直、ユニークで面白い。もともと正史には正しいことが書かれているはずがない、という前提をもとにすれば今後もまだまだ様々な歴史上の問題提起がありそうだ。「カンナ」が何を意味するのかといったあたりも、今後の作品を読むうちに明らかにされていくのではないだろうか。 (期待しておりまする)。


08/09/14
横溝正史「怪獣男爵」(角川文庫'78)

 江戸川乱歩の少年ものをばりばり読んだ反動もあって、横溝正史ジュヴナイルも一冊手に取る。'48年に偕成社に向け、書き下ろし刊行された”怪獣男爵”シリーズの一冊目。'78年に角川文庫の一冊として再刊され(その間に復刊があったものかは不明)、また'95年にも角川スニーカー文庫から新装版が刊行されている。

 夏休みを利用して岡山県に遊びに来ていた小山田博士の息子・一郎とその友人で賑やかな太ァ坊。そして二人の保護者役として来ていた宇佐美という青年が、最後の思い出作りとヨットに乗って海に出ていた。しかし急な嵐に見舞われ、城のような洋館がそびえ立つ、男爵島と呼ばれる孤島に緊急避難する。その島は三年前まで、偉大な生理学者にして大悪人の古柳男爵が住居として、怪しげな実験を繰り返していた。小山田博士の尽力により、古柳男爵は死刑となり、現在は弟子の北島博士と、古柳男爵に盲従していた音丸という使用人だけが住んでいるはずだった。しかし、瀕死の北島博士より彼らは衝撃の事実を聞かされる。死刑になった古柳男爵は脳の移植手術により、ゴリラのような肉体を持った人間に生まれ変わっているというのだ。三人の乗ってきたボートで男爵島を脱出した元古柳男爵である怪獣男爵は、自分を死刑にした小山田博士と社会に対して復讐を誓い、蓄えていた宝石を利用して着々と計画を実行に移そうとする。

悪役の造型に乱歩との差。かっちりした伏線含みのジュヴナイル、完成度も高い
 乱歩の少年ものとも発表の時期が重なる作品ながら、正史らしい物語作りの律儀さが如実に現れた作品だと感じられた。その最たる部分は、悪役であり怪人でもある怪獣男爵の造形。二十面相のような洒落心、遊び心はなく、かなり真面目に悪の道を極めんとする存在であり、悪役像としてプリミティブな迫力を持つ。少年たちに対して特別な感情を抱かず、むしろ自分を貶めた小山田博士と、その世間に対する強烈な怨みをもって行動方針が決定されている。気味の悪さも高く、何を仕掛けてくるのか判らない恐ろしさが全編を覆う。良くも悪くも乱歩の少年ものに比べると、物語構成などがかっちりしている反面、古い探偵小説のようなおどろおどろしさを保ち続けているような印象だ。 また、ラストもそうだが、それまでにきっちり怪獣男爵復活の伏線を敷いてあるあたりも、本格ものを得意とした正史の律儀さが垣間見えるどころか、前面に押し出されているようにすらみえる。
 さらに、エンターテインメントとしての要素は、道具立てにしろ、トリッキーな仕掛けにしろきっちり揃えられており(まあ、孤島に立つ洋館とか、許せる許せないぎりぎりのリアリティは別にして)、現在の大人が読む作品としては、そこそこの魅力に溢れているといえるだろう。特にこのシリーズのなかでも第一弾にあたる本作では、無理に金田一耕助を登場させていないところがむしろ物語展開のスピーディさに寄与しているように思われた。さすがに最後に怪獣男爵が計画している殲滅作戦については恐怖感こそ煽るものの、現実的には無理があるし、全編において現実との整合性が取れているとは言い難いながら、一気に読む分には特に差し障りはない。

 この横溝正史のジュヴナイルという存在自体は結果的にマイナー作品である。それは例えば代表作でもある怪獣男爵シリーズ自体の数が少ないせいで、二十面相よりメジャーではないのかと考えていたが、結果的に悪役としての造形はやはり二十面相が数段上。 印象に残るキャラクタであるかそうでないかというのはジュヴナイルとして後世に生き残るためにはかなり重要なファクターなのかなあ、と改めて考えてみたり。


08/09/13
江戸川乱歩「塔上の奇術師/鉄人Q」(講談社江戸川乱歩推理文庫'88)

 『塔上の奇術師』は、題名からは想像しにくいが少女雑誌連載作品で『少女クラブ』昭和三十三年一月号から十二月号にかけて連載、発表された作品。『鉄人Q』の方は、これまでの『少年』『少年クラブ』路線ともまた異なり、学習雑誌『小学四年生』昭和三十三年四月号〜三十四年三月号、更には学年が一つ上がって『小学五年生』昭和三十四年四月号から三十五年の三月号にかけ、二年間にわたって連載された作品である。

『塔上の奇術師』 淡谷スミ子、森下トシ子という中学一年生二人の少女と散歩していた花崎マユミ。二人はマユミに憧れ、彼女の弟子を希望していた。三人はスミ子の家の側にある古い時計塔を眺めていたところ、そのてっぺんに怪人物がいることに気付く。頭に白い角を生やし、黒いマントを着た男で「け、け、け」と不気味な笑い声を立てていた。マユミは明智に相談して屋敷を調べるが、何の痕跡も残されていない。しかしスミ子の父親の淡谷庄二郎は、同家にある二十四個の宝石にを盗み出すという予告状が届く。小林少年や刑事が訪れ、見張るなかスミ子の兄の一郎が帰宅するが、スミ子は兄妹間で通じる合図を彼に送るが一向に気付く気配がない……。
 『鉄人Q』 小学生・北見菊雄は自称科学者という謎の老人と出会い、興味を引かれてその老人の屋敷に赴く。屋敷には非常に高度な技術で作られた、鉄人Qと呼ばれるロボットがいた。ロボットでありながら人間そっくりの白い顔を持ち、博士との将棋が気に入らず、逃げ出してしまう。暫くして上野で五歳の少女・村田ミドリが誘拐された。鉄人Qの仕業だ。Qは銀行を襲って現金を手に入れると、ミドリのために食料を購入したりしていた。Qの存在を怪しく感じていた鳥井という少年は鉄人Qを追跡、上野公園のひっそりとした五重塔にミドリが閉じ込められていることに気付く。警察が鉄人Qを取り押さえ、ミドリを助けるために五重塔に集結するのだが……。

物語の断片を紡ぐエピソードが滅裂になってゆき、トリックはパターン。鉄人QにはSF趣味が見え隠れ。
 うーん。『塔上の奇術師』で特に顕著なので記すが、怪人の造型、物語の展開に冴えというか、新たな試みがあまり感じられなくなってくる。なぜ怪人は時計塔の上に現れるのか。『魔術師』ばりの時計塔の首切り未遂、コールタールを用いた追跡や、脅迫の方法に至るまで乱歩の通俗作品のネタをそのまま借用してきていたり、これまでの二十面相シリーズで既に用いられた手口をリサイクルして使用している場面が多くみられる。ただ、そのワンパターン以上に問題なのは、個々のエピソードが物語に絡んでゆかない点。 要は、本書に出てくる様々なエピソードがあるのだが、大きな柱となっる根本的な敵と微妙に結びつけられておらず、どうにも主人公役の少女たちを脅すためだけにあるようにみえるのだ。物語自体はシンプルな構造を取っていることもあって、これまで他の作品で使用したエピソードのバリエーションをつぎはぎしている印象が強く、その過剰にして無意味な装飾部が目立ってしまっている。
 むしろ本書では『鉄人Q』。こちらは吹っ切れているのか、連載回数がこれまでの十回から都合二十四回まで増えたこともあるか、奇妙なSF仕立てがうまくいっている(と思う)。鉄人28号+鉄腕アトム? といったようなロボットそっくりの「鉄人」が大活躍。人質の食料を調達するのに強盗を行ってみたり、東京の街を縦横無尽に走り回るところなど、他のシリーズ作品と基本が同じにみえながら、バリエーションというか、アクセントの付け方に若干変化がある。 残念ながら中盤以降は普通の二十面相ものに戻ってしまうのだけれども、前半部の意表をつく展開は強く印象に残る。

 もうこのあたりになると、一作ずつどうこう、という評価をするのはしんどいのだけれど、例えば少年探偵団やチンピラ別働隊の姿が、シリーズ以前作品に比べると成長している姿がみられるなど、時間軸について時折乱歩が思い出したようにこだわっている点は嬉しい。(その反面、小林少年の年齢であるとか、消えた主要脇役とか挙げていくとそれはそれできりがないのだが)。ただ、いずれにしても続けて読むうちの一冊という扱いか。


08/09/12
多島斗志之「黒百合」(東京創元社'08)

 '07年刊行の『感傷コンパス』以来、一年ぶりの新作。前回も戦後の日本がテーマとなっているが今回は、描写の対象とする階層をわざとか一段引き上げているようだ。創元推理文庫の復刻が一段落しているようですが、続きはまだですかいの?

 私こと浅木と、二歳年上の寺元さんは昭和十年、財界の大物・小芝翁と共に欧州視察旅行に同行していた。彼らはベルリン駅で日本人女性・相田真千子と出会う。不安を内部に抱えながらも後から来るという男性を待つ毅然とした彼女に三人は興味を引かれる。そして戦争が終了して時が経過した一九五二年(昭和二十七年)。東京に住む十四歳の寺元進は、父親の友人である浅木さんが所有する六甲山の別荘へと夏休みに招かれる。別荘には進と同い年の一彦がいた。進が到着した翌日、進と一彦は六甲山にあるヒョウタン池で遊んでいたところ、倉沢香という少女と出会う。やはり六甲山に大きな別荘を持つ倉沢家の、しかし複雑な境遇にある香のことを、進と一彦は同時に意識するようになり、彼らは互いに淡い恋心を抱き始める。六甲には、宝急電鉄の創立者である小芝一造が六甲山ホテルに滞在しており、またエレガントな〈六甲の女王〉と呼ばれる女性が経営する喫茶店があった。元宝急電鉄運転手と、香の叔母さんにあたる倉沢日登美との戦中の恋、そして戦前の彼らの父親らの因縁。それらが交わる時に、六甲山は夏の終わりを迎える――。

少年二人と少女の淡い恋――サプライズもまた、その背景を際立たせるために。文芸ミステリの極致
 主に三つの時系列がクロスし、しかもメインとなる物語は主人公でもある寺元進が現代からの回想のかたちで語っていることもあり、粗筋みたいな部分を非常に説明しにくい作品。しかし、それは読みにくいということを意味するのではなく、物語を構成する全ての文章は洗練され、抑制の効いた筆致で瑞々しく描かれる。(それが、少年達の淡い恋であっても、戦前の欧州にて毅然と佇む旅行者の姿であっても、電車の運転手に恋心を抱く女子高生であっても)。普通の読者が直接知らない時代であるにもかかわらず、戦前・戦中・戦後すぐ、その時代と雰囲気がするすると読者の心の中に入り込んでくる。特にどの描写が素晴らしいという特定は出来ずとも、どこを切っても人々の心情が最小限の描写でもって完璧に描写されているのだ。このあたり、個人的に文体に惚れているので過剰な反応かもしれないながら、上手いことだけは間違いようのない事実。
 作中に登場する宝急電鉄会長兼東京電燈社長の小芝翁なる人物は、実際に阪急電鉄を創り上げた財界の大物・小林一三がそのモデル。作中の小芝翁が発した先見の明はそのまま、当時の小林氏が経済界にて発揮した卓見と重なっているようだ。この方がいたからこそ、今の阪急電鉄や百貨店があったかと思うとそれはそれで感慨深い。ただ、フィクションの殻を被せてあるとはいえ、実在の人物がモデルになっていることを作者は隠そうとしていない。(阪急を宝急と表記している以外、事実と重なるところが多く、ヒントがばらまかれすぎている。またこの”宝”は宝塚の宝か)。むしろ、読者には判ってもらって当然といった態度が感じられる。表向き、少年二人と少女との恋心をベースとした駆け引きであるとか、切なさといったところが前面に出ているが、その一方で戦後のブルジョワジーの生活であるとか、その暮らしを得た人々がどう時宜に乗っていたのか、日本を発展させるための、どんな才能があったのか……といった部分も作者の「伝えたかったこと」としてあったのではないかと推察する。『感傷コンパス』では描かれなかった方の(階層の)、戦後すぐの日本の姿。立場は異なれど人は純朴で真っ直ぐだったその時代。
 三種類の年代を利用した構成、共通する人物といったところからレッドヘリングを構築して、サプライズを伴うミステリにもなっている。少年少女の恋だけを追ってきた読者にとっては、もしかするとこのサプライズ自体が邪魔臭く感じられるかもしれない。ただ思うに、彼らの背後にある”固有の時代”といったところもまた、この物語の重要な一部であり、サプライズにより導かれる微妙な暗さや陰もまた時代の一部として存在したという点が強調されているように思われるのだ。

 しかし、非常に静かな小説であるのに一旦頁を開くと最後まで止められなくなる不思議な魅力のある作品。本書をたまたま、阪急電車の車内で読了できたこともまた、(これも個人的な話でしかないが)印象深かった。六甲山に行ってみたくなりました。


08/09/11
江戸川乱歩「奇面城の秘密/夜光人間」(講談社江戸川乱歩推理文庫'88)

 『奇面城の秘密』は『サーカスの怪人』に続き、『少年クラブ』に同じく昭和三十三年一月号から十二月号にかけて連載、発表された作品。『夜光人間』は同時期に『少年』に連載された作品で、同じく昭和三十三年一月号から十二月号にて発表された。

『奇面城の秘密』 実業家・神山の所蔵する洋画・レンブラントのS夫人像を盗み出すとの予告が。厳戒のなか四十面相が屋敷に忍び入り、明智らとの戦いのすえ、絵こそニセモノをつかまされてしまうもののヘリコプターを使っての脱出する。しかし操縦士に化けていたのが明智本人であり、ヘリは警察の待ち受ける原っぱに着陸する。しかし手下の助けもあり四十面相は脱走に成功。その後ろをポケット小僧が追う。警視総監に化けるなど四十面相は大胆な行動を取るが、最終的には自動車とヘリコプターを使って二時間のアジト、奇面城へと到達する。ポケット小僧はこの奇面城の場所を明智に報せようと考えるが……。 
『夜光人間』 世田谷で肝試し会を少年探偵団の団員が行っていた。そこに全身が銀色に光り、輝く目と赤い口を持った怪人物・夜光人間が現れ、空へと消えるという事件が発生する。その日から、全身が光る怪人は都内各所の人気のないところに出没するようになる。そんなある日、花崎検事の知人だという実業家・杉本氏の家に、北森という人物が夜光塗料で書かれた脅迫状を置いてゆく。差出人は「夜光の人」。今夜十時に杉本氏が所蔵している推古仏を盗み出すという予告だった。小林少年や杉本氏が厳重に警戒するなか、予告された時間通りに推古仏は消え去ってしまう。しかし屋敷の外を張っていた少年探偵団やチンピラ別働隊がサーカスの曲芸師のような怪しい人物を発見。ほとんど捕まえたところで奇策を持って逃げられてしまう。さらに夜光人間は別の家に再び予告状を送りつけていた。

時に小林少年以上に活躍するポケット小僧のデビュー、そして二十面相の基本パターンを踏襲する夜光怪人
 『奇面城の秘密』は題名通り、というか題名にないからというか、最初から探偵団の敵に相当する人物が怪人二十面相(本書では四十面相を使用していた時期か)であることが明らかである。奇妙な怪人が奇妙な手を使って、ということではなく、冒頭から二十面相による(それはそれで壮絶な)盗みの手口から物語に入ることもあって、どこか安心して読むことの出来る作品だ。特に最初の最初から明智と二十面相が様々な手を用いて知略の限りを尽くす展開は読みどころとなっている。
 その後のポケット小僧の活躍は確かにポイントではあるのだけれど、奇面城自体に戦いの場面が移った後については、二十面相が一方的に攻められる展開になるせいか、前半部ほどの盛り上がりは感じられない。
 『夜光人間』は、二十面相シリーズにおける「怪人登場」の黄金パターンを数多く踏襲している作品。良い意味で受け取るとベーシックな、基本に忠実な作品構造を持っているといえるし、悪い意味ではワンパターンということになる。被害者を装ってわざと盗難事件を演出する二十面相、さらに名探偵に化けて被害者を油断させる二十面相――といったところ、基本ではあるものの、結局のところ「あ、これは別の作品でも同じようなことをしている」となると、やはり評価は上げにくい。ちなみに読み終わっても非常に印象の薄い作品でもある。

 一応、冒険系と怪奇系ということになるのだが、例えば奇面城にいた二十面相の愛人はいったい誰なのか、であるとか、夜光怪人が発した謎に対する答えが本当にこのレベルでいいんですか乱歩先生――といった、整合性がきちんと取り切れていない(ないしはあまりにも読者を見くびった)内容でもある。そういった不整合や説明不十分といった点も引っくるめて許容できないとこの時期に発表された二十面相シリーズを読むのはツライところ。