MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/09/30
江戸川乱歩「新宝島」(講談社江戸川乱歩推理文庫'88)

 日本中が戦時体制となっている時局柄、怪人二十面相ものを含む少年もの、さらには探偵小説全般が執筆できない時期でもあった乱歩が戦前に発表した少年向け冒険小説『新宝島』(『少年倶楽部』昭和十五年四月号から翌年三月号にかけて連載。)と、更に乱歩という名前ではなく、小松龍之介名義で発表した少年ものの啓蒙小説『智恵の一太郎』シリーズ(同じく『少年倶楽部』昭和十七年一月号より翌年一月号に連載、単行本時に一編追加。)、また、幼年ものとして学習雑誌『たのしい小学三年生』昭和三十二年四月号から翌年三月号にかけて発表された『赤いカブトムシ』がリファレンスとして追加されている。

 船を見学に来て立ち入り禁止の桟橋から船員の誘いにのって乗船した三少年。しかし船は実は海賊船で彼らの助けを求める願いは届かず、こき使われながら遠い南洋まで出てしまう。彼らは海賊の隙を見てボートを奪取。何とか船から逃げ出すことに成功するのだが、暴風雨に遭遇してしまう。九死に一生を得て彼らが漂着したのは自然豊かな無人島。三少年だけの生活が始まった……。 『新宝島』
 小学校六年生の明石一太郎は、物事を深く考えることができるので「智恵の一太郎」と呼ばれている。彼は同じ物事を見ても、友人たちより一歩進んだ考え方が出来るのだ。そんな一太郎が出会ったちょっとした日常の事件、そして昆虫の不思議と科学で解き明かされる自然のもつ不思議な現象の数々。 『智恵の一太郎』
 『探偵少年』の続編。近所の小学生が気付いた、近所でもおばけ屋敷と呼ばれている怪しい西洋館。怪人物の目撃情報から、少年探偵団員の木村敏男や小林少年が乗り込むとそこには旧知の魔法博士が。今回はルビーとダイヤで出来た「赤いカブトムシ」の隠し合いで勝負がしたいという。 『赤いカブトムシ』

戦中の冒険譚に、理科の学習小説の様相の作品、さらに比較的低い世代向け、と異色の作品が三つ並ぶ。
 それぞれ発表された時期が異なるので一概にいえないが、全体的いえるのは「それほど乱歩が書きたいものを書いているのではないんだろうなあ……、だけどその範囲内で頑張っているよなあ」という勝手な印象がそう的外れではなさそうなことだ。
 まず『新宝島』。無人島に流された少年たちが生き延びてゆくロビンソン・クルーソー的な前半から、同じく漂着していた英国人の遺言から島内の大冒険を経て黄金の国を見つけるまでの話。漂着した子どもたちの安全を脅かすような存在もなく、また別に漂着した船から様々な物資を運んできて生活する。加えて時局柄、少年たちも立派でないといけないせいか、彼らが自らを律して生活する姿が凛々しくも痛痛しい。 さらに未開の地で大冒険の果てに彼らが到着した黄金の国、そして彼らがどうなったという顛末あたりは、現在の視線で考えるとむしろ新鮮だ。彼らは本当に幸福なのだろうか。
 『智恵の一太郎』は、日本国を支える賢い少年、一太郎を中心といた教養小説。一応、序盤にこそ頓知を効かせるようなエピソードもあるものの、その実の謎と答えの大半は、理科の問題やファーブル昆虫記から引用されているような内容。 まさに学習雑誌のお手本のような内容で、これを苦心しながら乱歩が書いたかと思うと、これまた痛痛しく感じてしまう。
 『赤いカブトムシ』。光文社文庫版などには他にも幼年ものの作品が収録されており、本書と同様にいえるのはひらがな中心で書かれた物語は、さすがに読みにくいという点。敵役(?)は、魔法博士。だが、展開そのものは二十面相シリーズにおける、少年探偵団と二十面相の争いのなかから幾つかのエピソードを変形させたものが連なっている。ホームズ譚をパロディしたようなエピソードもあるし、暗号もあり、冒険もありと、とにかく展開が素早く飽きさせないところはポイント。

 とまあ、それぞれがそれぞれな作品ではあり、一般的な乱歩少年もののなかでも異色の三作が揃った作品集。 ただ、位置づけが単なる異色に留まらず、作品そのものを通じて「その時乱歩はどう考えて執筆したのか」といったあたりまで思いを読者の方が勝手に馳せてしまうあたりが、やはり乱歩ということなのだ。他の作家だったらそこまでは普通考えないですよね。


08/09/29
戸梶圭太「今日の特集」(中央公論新社'08)

 書き下ろし長編小説。

 大学を卒業し、マスコミ業界を狙ったもののことごとく断られ「ベスト・ドゥ」という孫請けの製作会社で働いている明坂真人。もう三十歳になろうという年齢ではあるが未だADで、不潔で性格の悪い穂積というディレクターの下で、カメラマンの野添由梨と、セカンドADの長嶋満晴とコンビを組み、ニュース番組で報道に使用する「今日の特集」というドキュメントの作成が主な仕事。番組でこそきちんと放映されているものの、実際の現場では思うように動かない被写体と、親会社から下りてくるシナリオとのギャップ、さらに無理なスケジュールに乏しい予算と厳しい状況が続く毎日に明坂は疲れきっていた。性犯罪常習者の追跡インタビュー、オタクの年配カメラマンや取り巻きの多い美人コスプレギャル、勝手な物言いと独善的考えを持つ自称芸術家。そんな日々を送るなか、明坂らは振り込まれた給料が極端に減っていることに気付く。喫茶店でヤクザまがいの人物に頭をぺこぺこ下げている社長、給料の話から逃げ回るディレクターの穂積らに、明坂は疑惑の念を募らせる。不良の取り巻きを持つ十五歳の天才ラジコン少年の取材に失敗し、親会社の監視のもとに向かった次の現場で彼らは最悪の状況に陥ってしまう。

マスコミとして取材する側とマスコミに取材される側、双方が悲惨。形を変えたニッポン残酷物語
 戸梶圭太の近年の(ある意味ずっとだが)作品では、氏のテーマである「安い」人間を多少冷めた視点から描き出すことが多かったように思う。または、本人自身が安い人間である場合も、どちらかというと同情といった感情は抜きでその本人一人称で演出されている。そういった意味で、本書はごくごく僅か、気付かない程度ながら、同じ「安い」人間の描写にしろ手触りが異なる部分があるように感じた。
 と、いうのも主人公・明坂真人がテレビ製作会社ADという華やかなようでいて実は恵まれていない境遇にありながら、単純に安い人間としかだけで描かれているわけではないからだ。書き方がややこしくなるが、「安い」人々と同様の境遇にありながら若干の向上心や、この境遇からの脱出を切望しているといえば良いだろうか。ただ、彼自身も周囲の「安い」人々を見下す気運はあまり感じられない。(実際のところあるにはあるが)。とはいえ、漠然とした不安感や、肉体的な疲労感を抱えながらも「このままじゃいけない」という気持ちが下敷きとして存在している点は異なっている。相変わらず関係者に残酷な幕引きを強いている部分(製作会社社長であるとか、ディレクターの穂積であるとか)はあるものの、最終的には主人公が希望を持ち、前向きな気分のもとで締め括ろうとしている結末など、一瞬「トカジさん、これで良いのですか」と思ってしまうほど。とはいえ、普通に前向きなラストがむしろトカジ作品においては珍しいというところもどうかと思うところではある。

 しかし――、本書に登場する取材対象っていうのが、またそこらにいそうな人から、ちょっとした能力を鼻に掛けている人から、市井の一般人でありながら勘違いしている人までバラエティは相変わらず豊か。そして一様に、醜く描かれている点もまた従来と同じ。そういう意味では、普通に「いつものトカジ節」を期待して読む読者にも、まずまずのアピールがあるだろう点も想像できる。

 本書の何が不思議って、トカジ作品を読んだ後にどわーーっと襲ってくる自己嫌悪というか、怖いもの見たさで怖いものを実際に見てしまったとか、そういった後悔のようなものが薄い。時折表現にどぎついところはあるものの、比較的トカジ作品のなかでも入門しやすい部分はあるかも――しれない。(書いていて、オタク集団のエピソードの異様な詳しさだとか、変質者の乱闘とかえげつないところもあることをまた思い出した……)。


08/09/28
森 博嗣「スカイ・イクリプス」(中央公論新社'08)

 映画化もされた『スカイ・クロラ』シリーズの六冊目にして短編集。これまで発表されてきたシリーズの隙間を補完するような内容が揃う。読売新聞社『yorimo』に2007年9月から2008年3月まで連載された短編群を中心に三編の書き下ろし作品が加わっている。

 ササクラが整備・改造をした飛行機で、デモ用の撮影のために飛行するクサナギ。 『ジャイロスコープ』
 ティーチャと一緒になったモナミ、そしてその息子。ティーチャの人生観。 『ナイン・ライブス』
 海に落ちた飛行機とそのなかで過ごすパイロット。そして救助に来た船。発見した男は。 『ワニング・ムーン』
 基地の近くにある喫茶店。ミートパイ。オートバイのタンデム。えっとこれは……。 『スピッツ・ファイア』
 情報部のカイ。戦闘機の墜落、その時のパイロットを若かりし頃のクサナギに変更。 『ハート・ドレイン』
 マシマというパイロット。クサナギから貰った金でフーコが店を出る。トキノ。 『アース・ボーン』
 入院中のカンナミのところに見舞いに来る彼女。退院後のカンナミはカイの世話に。 『ドール・グローリィ』
 レンタカーで旅する元パイロット(たぶんクサナギ)。向かう先はフーコの店……。 『スカイ・アッシュ』 以上八編。

シリーズで足りなかった破片たち。記憶とともに本書を楽しむか、それとも残り五冊を手元に揃えて楽しむか
 これまでの五冊で、時系列がぼかされたり、わざと”僕”だけで、それが誰なのか曖昧な表現がされたりしていた結果、世界観こそはっきりしていたものの、人間関係などが微妙にすっきりしなかった「スカイ・クロラ」シリーズ。この短編集は、その「スカイ・クロラ」シリーズを二種類に楽しめるツールだといえる。
 というのは、これまでもぼんやりとシリーズ(と、シリーズ全体から発される独特の虚無感と爽快感)を楽しんできた、緩い読者(含む小生)にとっては、本書もまたこれまでのシリーズ作品同様の楽しみ方になるはずだ。やはり、誰が主人公なのか、名前がその短編を一読しただけでは判らないエピソード、物語の断片、確かそういう話もあったというエピソード同士を繋ぐような作品。だけど、「スカイ・クロラ」シリーズ独特の雰囲気であるとか、絶望感といったところはどの作品も健在。ところどころに他の長編で主人公を勤めた名前が見られるし、ぼんやりとエピソードをエピソードとして読んだとしても、その読み方は間違っていない。
 一方、コアのファンにとっては本書は必携の一冊となろう。 というのも、小生は検証しきれていないのだが、それぞれの短編が、それなりに意味があって長編では明らかになっていない情報があるようなのだ(曖昧な言い方)。だが、短編そのものが長編にあった微妙なエピソードに繋がっていたり、人間関係の補完、そして語られなかった最後のエピソード(『スカイ・アッシュ』とかね。流石にこれは判るぞ)が描かれている。相関図や年表をまとめるような読み方も、それはそれで楽しい読み方だと思う。

 ということで、小生は思いっきり前者の読者なのでぼんやりと読んでました。ただ、シリーズ全体のイメージと個々の作品の雰囲気はきれいにマッチしていて、空にしか生きれないキルドレならではの悦びや悲しみといったところもしっかりと描かれる。この短編集だけ、判らないことは判らないなりに読むもも、やっぱり「あり」だと思うのです。


08/09/27
福澤徹三「アンデッド」(角川ホラー文庫'08)

 デビュー直後から福澤さんに注目していた身としては、『すじぼり』での大藪晴彦賞受賞自体は喜ばしいものの、本来の福澤さんの持ち味は怪談・ホラー系統の作品であると思うし、同賞はどちらかといえば冒険・ハードボイルド小説の系統のような印象もあるので、正直微妙な気分だったりもする(すみません、言ってみたかっただけです)。

 不知火高校に通う伏見守は、母子家庭に育ち身体も小さく気が弱い。高校で知り合った剣持竜也や矢島一輝、陣内剛志、武村隼人からイジメを受けていた。表面上は友だちということになっていたが、実際は精神的肉体的に暴力に晒され、苦手な賭け事の借金だと数十万円を巻き上げられようとしていた。しかし父親がおらず看護師の母親が必死で働く守の家庭にはそんな金自体がない。竜也らは、二十年前に連続殺人鬼が自殺して以来閉鎖されている廃病院に、”肝試し”と称して守を連れて夜に入り込み、最奥の地下室に閂を掛けて閉じ込めてしまう。精も根も尽き果てた守が絶望の挙げ句、メスで首を刺して自殺しようとした刹那、暗闇から何者かが現れ「死ぬのなら、からだを貸せ」と言う。一方、不知火高校文芸部の三人、神山美咲、二宮翔太らは、守が竜也たちからいじめられているのではないかと疑いを持っていた。彼らは市内に住む作家・鬼屋敷にインタビューを試みるのだが……。

拷問を伴い僅かな脱出の可能性を残す……ホラー部分の迫力が凄まじい一方、全体のバランスが微妙
 先に「凄えっ!」とのけぞったところ。 なんといってもイジメを受けた側が受ける復讐の凄まじい残酷さだろう。それも、普通の意味の残酷さとは異なり、それぞれが趣味や好きなものに絡められ、多大な苦痛は受けるものの生き残る術がぎりぎりで残されているというもの。その内容は詳しくは書かないが、一寸刻みで単純に切り刻む(これはこれで嫌だが)以上に、受ける者のダメージ(絶望感)が大きい方法が選択されている。うう、これは嫌だなあ。その予告電話「……ニワメ、……ニワハ」という言葉も、発音不鮮明なところが不気味だし。身体が乗り移られた側が感じる恐怖もなかなか。
 そして、もう一つ自己嫌悪的に嫌なのが、イジメた側がイジメられた側に裁かれるという構図。これをもってスッキリしてはいけないとは思うのだが、やっぱり何となくスッキリしてしまう自分が、何とも。
 ただ、現代を舞台にしている割に高校生の描写がやや幼くアンバランスにみえるところに微妙に違和感。イジメの内容というかレベルが低いし、友だちという言葉が免罪符になるのもちょっと年代的に微妙。設定が中学三年生としてくれていたら、これほど違和感はなかったかも。もうひとつ、シリーズ化の意図がない前提であるならば、文芸部側の描写がかなり多く割かれている点も物語の全体バランスのなかでは少し気になるところだ。

 ホラー小説が好きな方であれば、普通に楽しめるだろう作品ではあるものの、本書はあくまで福澤徹三氏の持つ引き出しのひとつと考えていただきたい。やはり社会人生活で苦労する人々を主人公とするような作品の方が物語トータルの迫力があるように思う。


08/09/26
竜騎士07「ひぐらしのく頃に 第四話〜祭囃し編〜(上)」(講談社BOX'08)

  問題編として『ひぐらしのなく頃に』全七冊の出題編の後、2008年5月より刊行再開された解決編となる『ひぐらしのなく頃に解』の七冊目。既に『皆殺し編』までに提示された物語の秘密がひとつひとつ開示されていく最終解決編。

 昭和中期。第二次世界大戦中に経験した事例から、人体についた寄生虫が人体の行動を支配する可能性を研究テーマに掲げた高野一二三。その側で彼の研究を手伝う少女・田無美代子。美代子は、列車事故で両親を喪い、施設に入れられていた。施設の管理は暴力的で脱走者は過度に厳しく扱われ、時には事故に見せかけ殺されることすらあった。美代子は仲間数人と一旦脱出、父親が遺言で残した高野先生に連絡を取り救助を求める。美代子はすぐに施設職員によって捕まるが、高野の迅速な活動によって助かった。全幅の恩義を高野に寄せる美代子。しかし、時代の流れのなか高野の研究はその筋の重鎮たちに一笑に付され高野は落ち込み、遂に自ら命を絶ってしまう。鷹野三四となった美代子は、高野先生の研究を継ぐべく必死で学業に専念、東京大学を主席で卒業、脳内寄生虫の研究を行う傍ら、政財界の実力者に取り入り、高野先生の研究が陽の目をみるよう強い意志でやり遂げようしていた。鹿骨市雛見沢――。かつて、高野先生が最も注目していた地域に、とある組織の力をねじ込んで鷹野三四は橋頭堡を築いた。もちろん、狙いは雛見沢症候群――。

おっとりとした変人看護婦のベールを脱いだ鷹野三四。彼女の苦渋の少女時代、そして第一の事件へ――。
 およそ『皆殺し編』までに、特に前原圭一が雛見沢に越してきて以降に発生したイベント、特に”神の意志”が働いてぶれない部分についての秘密・謎についてはあらかたの真相が見えてきた。(もちろん、各編のみの謎については、対応する「解」にて真相が提示されている)。この『祭囃し編』は、「ひぐらしのなく頃に」における世界観そのもの、そして前原圭一の雛見沢出現以前、つまりは「オヤシロさまの祟り」として、これまでの物語に所与として登場してきた出来事も含めて真相が明らかにされる。その意味では、まさに解決編のなかでもキングオブ解決編に位置づけられるシリーズだ。これまで前後編で済んできた「編」のなかでも、この『祭囃し編』のみ、前中後の三分冊になっている。
 さて、この「祭囃し編」は、ひぐらし世界を創るに至った経緯――ということになる。つまりは、その意志を持つに至った人物の過去、経験、そして決意についてがまず描かれる。なぜにこの人物は、これまで描かれてきたような惨劇を平然と引き起こすことが出来るだけの”神経”を持っているのか――? 世界の成立経緯のなかでも裏の意味では大きな意味を持つ謎なのだが、それが納得できるだけの内容となっている。序盤の脱走劇は『目明かし編』での詩音とも被さるものだが、その背景になる悲惨さは比べものにはならないものがある。
 そして改めて考えると意外でもなんでもないのだが、雛見沢でもともと「オヤシロさまの祟り」と呼ばれるに至る一連の出来事のうち、本書は最初の事件、即ちダム工事監督のバラバラ殺人事件と犯人の失踪――の背景と真相もまた明かされている。何となく説明がないままでも仕方ないとも思えていたのが、改めて説明されることにより、やはり『何者かの「意志」が働いている』と後の人々が予感/直感していたことが真実であることが明確になるのだ。おまけという訳でもないが、大石がなぜこの一連の事件にこれほどまでに執念を燃やすのか、という理由についても触れられている。

 この一冊だけ読んでも何の意味もなく、やはりシリーズの集大成が始まった、という意味の読書になる。ここまで追いかけてきた甲斐を改めて実感する。


08/09/25
東郷 隆「名探偵クマグスの冒険」(集英社'08)

 東郷隆氏は、吉川英治新人文学賞や、新田次郎文学賞を受賞しており、今や歴史・時代小説の大御所であるが、元は戦争ノンフィクションや「定吉七番」シリーズなどのスパイパロディシリーズなども手がけている。(個人的には、ハドソンのゲームの印象が……)。本書は、題名通り、南方熊楠の在英時のエピソードと、ミステリを絡めた短編集。『小説すばる』の2005年11月号から2007年10月号にかけて発表された作品が集められている。

 英国を訪れた南方熊楠。ハイド・パークの演説場で身分を隠した海軍少尉と出会い意気投合する。熊楠は、日本海軍の機密を担う、アームストロング社にて発生している連続変死事件について調べることになるのだが……。 『ノーブルの男爵夫人』
庭に全裸の女性の幽霊が出るという奇妙な依頼にコーンウォール州まで出かけた熊楠。付近ではつい 最近、地元民が”ケタキア”と呼ぶ奇妙な生き物が打ち上げられたのだといい、呪いがあると恐れられて いた。 『ムカデクジラの精』
『ネイチャー』への投稿から、一部に名を知られるようになった熊楠。その縁で紹介された大英博物館の 理事の手元から、ケルトの柩が盗まれていた。現場の痕跡から熊楠は犯人を推理するが……。 『巨人兵の柩』
英国に滞在中の孫文が、清国情報部によって連れ去られた。熊楠はかねて親交のあった孫文の危機を 知り、孫文が監禁場所から出した謎の手紙を解読する。 『清国の自動人形』
デボンとコーンウォールの境目くらいにある巨石遺跡。その付近に住む盲目の研究者の家産を、ろくでなし の親戚が狙っているという相談が熊楠にある。現地に到着すると、そのろくでなしの親戚が毒殺されるという 事件に遭遇した。 『妖精の鎖』
 一連の事件によってロンドンでも広く交流しているクマグスは、海軍の今村と孫文とを引き合わせる。孫文の知人で東洋人マフィアのトップ、ミスター・フーと面談する。フーは、自らの同朋が得意な傷跡を残して立て続けに変死しており、その解決をクマグスに託す。 『妖草マンドレイク』

二十世紀初頭に世界に通用した知識人・南方熊楠の生涯(の一部)をミステリ仕立てで描く
 ちょうど『ストランド』誌にて、ドイルがシャーロック・ホームズを生み出して人気を博していた頃、夏目漱石が訪英する少し前に英国に滞在、豊富な知識を披露し、かつ変人ぶりを遺憾なく発揮していた南方熊楠が探偵役となる作品集。最近では『異界』という作品で、こちらは故郷の和歌山に戻ってきた後の南方熊楠が探偵役を務める長編を鳥飼否宇が発表しているが、こちらはそちらと対を為す(?)短編集となる。ちなみに、熊楠の変態的な描かれ方はどっちもどっち。(あ、『異界』の方が、若干下品で強烈か)。
 本書は「名探偵……の冒険」という、ある意味ではミステリ界の短編集題名のフォーマットとも思えるパターンを題名に踏襲しており、各作品は確かにミステリ仕立て。だが、短編集とはいえ、実際の記録に残る熊楠の英国時代の行動や交友を巧みに絡めた、半分伝記的なパートが半分を占める。残りのミステリ部分のパートについては、さすがに本格ミステリマニアの目線からみると未知の毒物が使用されていたり、トリックらしい部分があってもひねりがなくシンプルに過ぎるというのが正直な印象。
 むしろ、この当時の英国の雰囲気や、当時の時代気質を楽しみながら、軽めのミステリを味わうという、ライトスタイル(?)で臨むのが正しい読み方かもしれない。ただ、通じて読むと、英国滞在時の熊楠の交流であるとか、業績であるとかも、史実に則したかたちで描かれており、広い意味での時代小説にしていわゆる「歴史if」に近いかも。少なくとも、熊楠自身については徹底的に調べ込まれた上で描かれていると思われ、あまり現在は名が残っていない人物も、恐らく実在し、記録にある名前の人物たちが活躍している。

 どうでも良いが、二十年間ずっと「東郷隆」を「とうごう・たかし」と読んでいた。恥ずかし。(とうごう・りゅう)。作品の方は既に述べている通り、ミステリとしては軽め。歴史の隙間にこんなことがあったかもしれないと想像を膨らませるのが楽しい一冊だ。


08/09/24
東野圭吾「ガリレオの苦悩」(文藝春秋'08)

 『聖女の救済』と同時に刊行されたガリレオシリーズの短編集。『オール讀物』年月号に発表された『落下る』から'08年になってから『別冊文藝春秋』『ジャーロ』に発表された三作。更に本書のために書き下ろされた『指標す』の五作品から成る。なお本書からテレビドラマから生まれたキャラクタ・内海薫刑事が登場する。

『落下る おちる』 マンションで一人暮らしの女性が転落死。頭に鍋で殴られた痕跡があり他殺の疑いから捜査一課が担当することに。被害者宅を訪れたという人物が現れたが、彼は転落段階でのアリバイを主張。遠隔殺人を疑う内海薫は湯川に協力を仰ぐが断られてしまう。
『操縦る あやつる』 元帝都大学助教授で「メタルの魔術師」と呼ばれた友永幸正。身体の悪い彼は内縁の妻の娘・奈美恵に介助してもらっていたが、最近戻ってきた実の息子・邦宏が彼を強請りだす。友永がかつての教え子を集め、久闊を除していたところ邦宏の住む離れ家から火の手が。
『密室る とじる』 ペンション経営をしている友人・藤村に呼ばれた湯川。屋外で転落死していた客が密室内部から消失したように思えることを藤村は気にしており、一旦は湯川に調査を依頼する。しかし湯川が執拗に周辺状況を調査するのに藤村は苛立ち、前言を翻してしまう。
『指標す しめす』 金貸しをしていた老女が何者かに殺害された。当日に訪問していた保険のセールスレディ・真瀬貴美子が疑われるが証拠がない。内海薫が真瀬家を張り込むと、貴美子の中学生の娘・葉月が不審な状態で現れる。葉月は老女が飼っていた犬の死骸を発見してしまうが……。
『攪乱す みだす』 警視庁に届いた手紙。「悪魔の手」と名乗る差出人は自在に人を葬ることができるという。俄かに信じられない内容ながら手紙には湯川の名が。そして湯川自身にも同様の挑戦状が届く。そして都内では巧妙な犯行予告と謎の人死にが確認された……。 以上五編。

かっちり、きっちり。トリックに湯川が解決する必然性ある好ミステリ
 短編五編。トリックが、というよりもそのロジックであるとか、トリックに向かい合うための考え方であるとか物語のコアがトリックにあるのはもちろんなのだが、その周辺部がかっちりと描かれているところに最大の好感。つまり、これだけ警察に協力することを嫌がっている湯川が、探偵役として引っ張り出されるだけの必然性が各短編に異なるかたちで込められているのだ。恩師や友人が絡む作品はとにかく、実は最初の、何事に対しても実験する姿勢を内海薫に求める『落下る おちる』 が、湯川が絡む必然性の高い作品としての印象が強い。
 ちなみに、もはや読者が湯川の向こうを張って解き明かすことは困難なレベルの謎(物理的に高度の専門知識が必要)という点で、本格ミステリとしての”取り扱い”は難しい。ただ、トリックをいたずらに困難にしているだけのミステリではなく、合わせて人間心理のどろどろした(ないし隠れて見えなかった)部分についても、合わせてすっきりさせてくれるのは、やはりこのガリレオシリーズの妙味だと思う。
 ドラマが有名になったおかげで、すっかり湯川が脳内でも福山雅治だとしか思えなくなってしまったのはまあご愛敬として、それでも慢心などまったくなくさまざまなジャンルを執筆するようになりながらも真摯にミステリを追求している姿勢は素晴らしい。

 また、短編ならではの文章や構成の使い分けもきっちりしているため、読みやすい。ああ、恐らく東野圭吾氏が求めるところの、ほぼ完璧、を体現してしまっている作品集かと思われる。文庫になったら更に多くの方が手に取られることと思うが、ファンであれば尚更、単行本で購入しても全く損のない買い物になると思う。


08/09/23
江戸川乱歩「超人ニコラ/大金塊」(講談社江戸川乱歩推理文庫'88)

 少年探偵団シリーズの最終作であり、事実上乱歩の遺作ともいえる作品がこの表題作『超人ニコラ』。『少年』に昭和三十七年一月号から十二月号にかけて発表され、ポプラ社版では『黄金の怪獣』と改められて刊行された。一方の『大金塊』は戦前の作品で『少年倶楽部』に昭和十四年一月号から昭和十五年の二月号にかけて連載されたもの。こちらは少年探偵団シリーズではあるが、怪人二十面相シリーズではない、という位置づけ。

『超人ニコラ』 宝石王・玉村銀之助の長男・銀一は映画館で観た映画に自分そっくりの人物が映っていることに気付く。更に彼そっくりの人間がスリを働いていると聞き不安に感じるなか、家に自分そっくりで自分ではない人物が入り込んでいることに気付く。窓の外に自分そっくりの少年を見つけた銀一は追いかけるが、そこでニコラ博士なる人物と知り合う。銀一はニコラに囚われ、銀一そっくりな少年が玉村家に入り込み、銀一として生活し始める。
『大金塊』 西洋館に父と住む不二夫少年。父不在のある晩、寝付けないなか天井から落ちてきた一枚の紙に気付く。命が惜しければベッドを離れるな、という内容、更にカーテンの影から自分を狙う銃。隣の客間で何か人の気配がする――。銃はカーテンの影に釣られたもので客間には不審な様子は無かったが、父親の宮瀬鉱造は不安がって明智小五郎を呼び寄せる。明智は客間のからくりを見抜き、暗号の隠し場所にたどり着くが、そこは既に空だった。宮瀬氏は、一億円の金塊の場所を書いた暗号が屋敷内にあったことを明智に告白。さらに犯人は宮瀬氏が持つ暗号を買い取ろうと電話を掛けてきた。

異形の展開をみせる『超人ニコラ』、あまりに暗号が有名な名冒険小説『大金塊』。
 まず『超人ニコラ』だが、これは序盤の展開がほぼまるまま『猟奇の果』。宝石王・玉村家の家族が、一人ずつ入れ替えが図られてゆく展開は、ホラーめいた恐怖を喚起する。一方で中学生の銀一がスリを働いていると誤認されたり、大人向けの『猟奇の果』で使われた設定がそのまま本作に持ち込まれているため、いささか滑稽に思える部分もある。とはいえ、本作から最初に読む読者に与えるインパクトは甚大だったことだろう。
 ところが、その目的に宝石を組み込むと、一瞬にして怪人二十面相と少年探偵団の登場がおかしくなくなるから不思議。家族ぐるみの入れ替えにしても、ある重要な目的があってのこと。さらに小林少年や明智小五郎のそっくりさんが登場するところや、それらの秘密が暴露されてしまうところなど非常に展開がスピーディかつ明快だ。後半部は多少ばたばたしてしまうものの、序盤だけで醸し出す恐怖感は少年探偵団シリーズ随一のものがあるように思う。
 また『大金塊』は、二十面相が登場しないがために、ジュヴナイルでありながらその地位が微妙だが、暗号小説としては国産作品でも屈指の完成度を誇る。 ミステリを多少嗜む方であれば「ししがえぼしをかぶるとき……」で始まる、この暗号を目にしたことがあるのではないだろうか。この暗号ばかりが有名だが、海に浮かぶ小島、さらに小島の洞窟探検と盛り上がるエピソードも多く、最終的な冒険小説としてもまずまずの内容。しかし、元に戻るが、やはりこの暗号が本書の本質を突いている。また、二十面相の代わりに登場する女盗賊もなかなかに魅力的である。

 さて、とりあえず二十面相が登場する長編は全て読み終わったことになるが、その変遷や繰り返しパターンも含めて十分に堪能できた。時系列が異なっているだけに、微妙に乱歩の心理にも作品ごと変化があったようにも思え、ある意味ではアイデアに苦労していたのではないかという点まで見えてくる。『大金塊』は久々に読んだけれど、まとまっていてやはり素晴らしい作品かと感じられた。


08/09/22
畠中 恵「ちんぷんかん」(新潮社'07)

 ドラマ化もされ、すっかり人気シリーズとして定着した感のある「しゃばけシリーズ」。本編としては六冊目、ビジュアルストーリーブックを含めると七冊目になる作品集。『週刊新潮』『小説新潮』、さらには『新潮ケータイ文庫』に二〇〇七年に発表された五作品。

 通町で発生した火事に巻き込まれた一太郎。煙を吸って何匹かの鳴家と共に三途の川の側まで来てしまう。自分が死んだという自覚はなかったが、そこでは子どもたちが石積みをしており、一太郎は何とかしてやりたいと考える。 『鬼と小鬼』
 上野・広徳寺の寛朝は妖(あやかし)退治で有名。その寛朝の助手に抜擢された僧・秋英。もう何年も寛朝の助手となっていた秋英は、ある男に惚れ込んだ娘と父親からの相談を受ける。しかし彼らの持ち込んだ事件は実際に妖の力が働いていて、彼は黄表紙のような和算の本に取り込まれてしまう。 『ちんぷんかん』
 一太郎の母・おたえ。彼女の母親・おぎんが妖であったため、おたえは妖の血を強く受け継いでいる。彼女が若かりし頃は絶世の美女であり、縁談も数多くあった。しかしおたえは、当時番頭であった現在の一太郎の父親・藤兵衛と結婚している。果たして当時、何があったのか……。 『男ぶり』
 着々と進む一太郎の義理の兄・松之助の縁談。更に火事で焼けた長崎屋もようやく新装開店となる。そんな長崎屋に忍び込んできた式神。どうやら松之助の縁談相手でもある玉乃屋に出入りしている占い師/陰陽師が放ったものらしいと判るのだが……。 『今昔』
 松之助の縁談が本決まりとなった。屋敷改装に伴い古い桜の木を一太郎の離れの側に持ってきたところ、桜の精が赤ん坊となって現れた。小梅と名付けられた彼女の成長は早く、その将来を案じた一太郎は、花が咲いた状態で桜を留めておく方法がないかと探り回る。 『はるがいくよ』 以上五作品。

長崎屋が火事に遭い、再建されて、松之助の縁談は進む。一太郎の優しさが滲み出ている一冊
 先日、長編『うそうそ』が実写映像化されたドラマを観たせいか、鳴家や他に登場する妖怪のビジュアルイメージが頭に貼り付いてしまっている。かの長編も悪くはないが、やはり「しゃばけ」シリーズの味わいは、短編集により強く出ているように思われる。
 理由は簡単で、物語のなかでも時が移ろっているため、一太郎の成長や、一太郎の周囲の人々や環境の変化が強いアクセントとなっているから。本書では、冒頭に長崎屋が巻き込まれる火事があり、店自体は大変な目にあう。その環境の変化に加え、一太郎にとっては兄、ただ長崎屋にとっては庶子となる松之助の縁談、そして結婚が具体化してゆく。加えて最終話の『はるがいくよ』では、一太郎の数少ない友人として序盤からしばしば登場していた和菓子屋の栄吉もまた、修業に出てしまう予定であることが匂わされる。
 エピソードそのものは、三途の川からの攻防であり、おたえの色恋話であり、僧・秋英の化け物との遭遇であり、陰陽師との駆け引きである。つまりは各作品の盛り上がるポイントはポイントできちんと押さえられているということ。本作では特に家の中に不審な卵が出現する事件を軽めのミステリで描いた『男ぶり』が、その結末も合わせて個人的には強い印象があった。また、他の作品もほんの少しのミステリがスパイスとして効いていて、エピソードひとつひとつの充実度はなかなか。
 ただ、それでも全体を通じて、心優しく身体が弱い一太郎自身の成長譚となっているところがやはり本書最大の魅力だと思うのだ。そしてそれは多分間違っていない。

 シリーズ刊行数が重ねられたこのあたりになると登場人物の関係が判ってこその面白さという部分が多分に存在している。シリーズ最初から数冊は文庫でもベストセラーになっており、そちらから順に読まれるのが吉。


08/09/21
江戸川乱歩「おれは二十面相だ/妖星人R」(講談社江戸川乱歩推理文庫'88)

 『おれは二十面相だ』は『小学六年生』昭和三十五年四月号から三十六年三月号にかけて掲載された作品で、ポプラ社版では『二十面相の呪い』という題名で刊行された。『妖星人R』は『少年』昭和三十六年一月号から十二月号にかけて発表された作品で、こちらもポプラ社版では『空飛ぶ二十面相』にタイトルが変更されている。また、この講談社文庫の乱歩文庫では、この巻に『探偵少年』(初出『読売新聞』昭和三十年九月十二日〜十二月二十九日)と『天空の魔人』(初出『少年クラブ』昭和三十一年一月十五日増刊)が弊録されている。

『おれは二十面相だ』 古代研究所の所長・松波博士が明智の事務所を訪れる。博士が入手した古代エジプトの経文を収めたエジプトの部屋から学生が一人忽然と姿を消したのだという。調査に訪れた明智と小林。小林少年は調査のために部屋に居残る。その晩、経文を盗もうとある人物が訪れるのだが……。
『妖星人R』  地球に衝突するかもしれないR彗星。その彗星が近づいてきた時期に銚子に住む少年がカニのような形をしたR星人と邂逅する。R星人は日本語を喋るうえ美術品強奪を少年に伝える。その記事が新聞に掲載され日本中が騒然となっているなか、岩谷美術館館長・古山博士の自宅に奇妙な出来事が発生する。彼が預かる推古仏が狙いか。しかしカニの怪人が古山家を遅い、推古仏を奪い、更に密室状態から姿を消した。さらにカニ怪人は岩谷美術館を襲い、根こそぎ美術品を強奪してしまう。
 魔法博士もの。屋敷街を歩いていた小林少年と野呂少年の前に現れたロボット。そのロボットに導かれ、彼らは魔法博士と名乗る人物と出会う。魔法博士は知恵比べをしたいといい、純金製の虎の置物を互いに隠しあい二ヶ月以内に手に入れた者が勝ちというルールを提案してきた。二人はその提案を受け、早速置物を隠そうとするが……。 『探偵少年』
 小林・井上・野呂の三少年が訪れた温泉旅館。この地には巨大な手が家畜や建物をつかんで天に持ち上げてしまうという奇妙な噂が立っていた。井上と野呂少年は露天風呂からの帰り、犬が何かに捕まって上空に消えるのを目撃。土地の少年による目撃証言に加え、魔人の仕業としか思えない列車消失事件が発生する。 『天空の魔人』

名作本格探偵小説のトリックを活かした場面が随所に。剽窃というより翻案のそれらが味わいを深める
 都合、少年ものを四作品含んでちょっと厚めの構成となっている一冊。『探偵少年』『天空の魔人』の後半二作は二十面相ものではなく(少年探偵団ものではあるのだが)、片方は他の作品にも登場する「魔法博士」、片方はオリジナル犯罪者が絡む作品。そして収録の二十面相シリーズとは発表時期がかなりずれている。
 先にこの二冊について触れておくと「魔法博士」は、二十面相から悪意を抜いた人物造型。即ち、少年たちとの知恵比べを大真面目に楽しむ人物にあたる。二十面相もそうだが、その準備や仕掛けのためには、金に糸目を付けずに費やしているところが特徴だ。(お金を使う場面が直接あるわけではないですが)。一方、窃盗団を相手にする『天空の魔人』は、メイントリックから海外の有名探偵小説と全く同じというもの。ただ、その組合せが絶妙であまりパクリという印象を感じさせない。
 あと二十面相もの二作。『おれは二十面相だ』は、先の二作と同様、トリック重視の作品。 カーの短編トリックが冒頭にあり、金庫からの宝物消失もトリッキー。二十面相ものでも、ミステリ的味わいが強いように思う。一方の『妖星人R』は怪作。 『宇宙怪人』『海底の魔術師』といった、異星人・異生物が徐々に侵入してくる恐怖感を喚起する展開。(しかし、カニなのだが)ただ、それがここまでくると半分おかしさを伴ってしまう。少年たちにカニは配るは、二十面相対明智の対決が推理でも知力体力でもなく催眠術勝負だったりと、かなり苦しいなあと感じざるを得ない。むしろそこが面白いという読み方ももちろん可能なのだが。

 終盤の二十面相シリーズというのは、どうにもこうにも乱歩自身がさすがに行き詰まってきているのか、従来のパターンの殻を破ろうとしてもがいた結果なのか、独特の変化を遂げている。これもまた長期間にわたって継続している二十面相シリーズならではの面白さだともいえ、改めて読むだけの価値はあった。