MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


08/10/20
太田忠司「まいなす」(理論社ミステリーYA!'08)

 太田忠司さんによる、ノンシリーズ、書き下ろしのジュヴナイル作品。

 明るく元気な飛魚中学二年生の那須舞は、学校のルールを守ることを当然だと考える、むしろ現代ではちょっと変わった性格の女の子。他の友人には明らかにしていないが、自分の名前を英語で読んだ時の「まい・なす」という渾名があまり好きではない。 普段は幼なじみの()と行動することが多い舞は、あまり親しくない美人クラスメイトの茅香に頼まれ、ハイキングコースにある”時の祠”へと出かけることになる。舞は以前に現在は病気で入院中の叔父・与市と、その付近に行ったことがあったのだ。山道から脇道に入り辿り着いた時の祠には、飛魚中学の三年生でバスケ部のエース・立岡純生が倒れていた。 ”時の祠”をくぐった者はタイムスリップできるという伝説があり、未来を見てきたというその彼が橋が倒壊していたという言葉について調べたところ、橋脚の強度不足が実際に発見されて大騒ぎになる。また、彼は飛魚中学の女子生徒が殺されるという新聞記事を見たと話をしたことから、中学は大騒ぎになってしまう。マスコミが群がり、生徒が不安に怯えるにもかかわらず、学校側の対応は非常に冷たいものだった。

太田忠司さんの正道でありつつも、進化も最中。ジュヴナイル本格ミステリ
 中学生の女の子が主人公で、ちょっと変わった彼女も特徴的ながら、ライトノベルというよりも、むしろちょっと読者想定年齢層が高めのジュヴナイルといった印象。(明確な線引きがどこにあるか、といわれるとちょっと辛いが)。ただ、その結果、優しい(易しい)語り口がプラス方向に働き、どの世代でも抵抗なく読める物語となっている。
 序盤から中盤にかけてはSF絡みか? と思われるような展開ながら内容としては、むしろ本格ミステリに分類される内容。(ただ太田さんは、SF・ミステリの両分野執筆できる作家なので、ある程度読んでいる読者はかえってどちらに着地するか見通せなかったりする)。
 一つ一つの謎は派手、解決は地味というバランスながら、細かい動機からこれは解決があり得ないだろうというような大技に至るまで、すとんすとんときっちり筋の通った理由立てで繋がっている点が素晴らしい。
 また実は太田作品特有の人間関係描写について、どこかこれまでより一歩進んでいるようにみえた。従来シリーズの特に初期作品においては登場する親子関係であるとか、大人vs子供の描写では力関係で圧倒的有利な大人が子供サイドを虐げる(ないし子供側が反撃する)――という図式がよく見られ、一時期はそのこと自体が作品テーマのように思われた時期もあったのだが、今回は和解まで含めて双方の立場から描かれているように思われ、何か少しメッセージ性が進んだように感じられたのだ。
 また、病床にある叔父さんの描写がなんとも哀愁があり、むしろ個人的にはこちらに年齢が近いこともあり、なんともしんみり。「タイムマシンを使わずに過去を変える方法」なんて、ちょっと教条的かもしれないけれど、こういった問いかけのかたちで出されるとぐっとくるところがある。多数登場するドルフィンジョークの方は……微妙。面白いのだけれど。

 素直にその対象となる年齢層に読ませたいと思える作品。 謎解きにしても、描写にしても太田忠司さんらしさが随所に出ていることもあって、若い世代への太田ワールド入門作としても適していると思われます。


08/10/19
岸田るり子「めぐり会い」(徳間書店'08)

 2004年に『密室の鎮魂歌』で鮎川哲也賞を受賞してデビューした岸田さんは、その後ミステリ・フロンティア等から著作を出していたが、近年は東京創元社以外からも作品を発表するようになりつつある。本書もそういった経緯に繋がる作品で書き下ろし発表された。

 特に目立つ容貌を持たず、家柄だけが取り柄だった華美は、親の薦めによる見合いによってひとまわり年上の医師・昭義と結婚した。しかし昭義には、十年来付き合い続けている愛人がいることが判り、夫との義務的なふれあいに嫌気がさして鬱々として毎日を過ごしていた。唯一の気晴らしである絵を描くために、京都の原谷苑を訪れたところ、偶然に使っていたデジカメが入れ替わってしまう。そのデジカメの中に撮影されていた見知らぬ少年に、華美は不思議と惹かれてゆく。一方、人気バンド「ECTR」のボーカリストの”僕”は二十歳にして全てを手に入れていたが、ある晩知り合った女性と一夜を共にしたところ、翌朝奇妙なことを口走るその女性に腹を刺されてしまう。彼は実は不幸な境遇で育っていたが、その出自をひた隠しにしていた。そしてそれから彼は歌を作ることが出来なくなってしまう。

ほとんどハーレクイン・ロマンス。繋がる意外な人間関係にミステリ。だけどハーレクイン
 目立たない女性の意に沿わない結婚生活。しかも、夫には愛人がいた……。加えて妻のことはどうでも良く、ひたすらに子供を求める義母に、窮状を訴えても世間体から決して華美のことを考えてくれているとは思えない自分の母親。そういった八方ふさがりの状態。そこに現れたデジカメの中の美少年。……と、前半部の展開だけ読むとかなり、特定の女性層を対象にした恋愛小説そのものやないか! という思い込みのまま読み進める。実際、そのデジカメから手掛かりを得て、現実の京都の街を訪れる主人公の姿はかなり痛い。
 一方のバンドのボーカリストの自暴自棄については、まだニュートラルに読めるか。ただ、人気バンドのボーカリスト、当然美青年といったところには前半とも同じ香りもあって。ただ、こちらのパートには彼の友人となるレズ女性など、個別には魅力のある登場人物もいて、読んでいてそう飽きない。
 これがどのようにまとまるのか……という点がやはり興味だったが、予想して然るべきところ、ぎりぎりまで気付かなかった。チープなトリック(ともいえないレベル)ながら、現実上の十歳以上の年齢層を埋める方法に引っかけがあり、その点に気付くまでは様々な可能性があって絞りきれない。ここで、ミステリ的には一瞬、「ほう」と感心した。
 が、その後の展開がどうにもまたハーレクインに戻ってしまうのだよなあ。なぜ彼ら同士が惹かれ合うのか。運命とか、チープな答え以外では説明がつかないように思われた。というか、それで説明つけられちゃうと冷静な視点で読んでいるこちらとしては白けるしかなく、……やっぱり白けるところか。仕方ない。

 ハーレクイン系のラブロマンスと、ミステリと、どっちも好きという方にはまあお勧めできるでしょうか。そのどちらかというと、はっきりいってハーレクイン寄りです。


08/10/18
辻村深月「ロードムービー」(講談社'08)

 三編を収録した中編集。前二作は小説現代特別編集『esora』Vol.5に一挙掲載された作品で、『雪の降る道』は『メフィスト』2005年1月号に発表された作品。

 小学校でも成績が良く人気者であったトシは、ふとしたことからクラスにあまり馴染めていず、むしろいじめられっ子だったワタルと仲良くなる。その時期からクラスの女王様然としていた新田アカリという少女とその取り巻きとのあいだに溝が入り、トシ自身もまたイジメの対象となる。そんなトシとワタルが、ある理由から家のある街から遠く離れた土地へと家出をする――。 『ロードムービー』
 塾講師のアルバイトをはじめた大学生の”俺”は、大人びた女子中学生・大宮千晶に妙に気に入られてしまう。その彼女はかつては幾人ものバイト教師を辞めさせた経歴がある問題児であり、俺に対する好意を隠そうともせず、突然夜中に呼び出すなど不安定な様子を見せていた。俺はじっくりとそんな彼女の行動に付き合うのだが……。 『道の先』
 身体が弱い小学生のヒロはすぐに熱を出して寝込んでしまう。そんな彼の家に毎日のように見舞いにやってくるのが幼なじみの”みーちゃん”。みーちゃんは、とても礼儀正しく、道ばたで見つけた椿の花や珍しいかたちの石ころを「お見舞い」として彼の元に持ってくる。しかし、ヒロはそんなみーちゃんに対してどうしても素直になれず、感情の赴くままに意地悪なことを言って彼女を追い返してしまう……。 『雪の降る道』 以上三編。

スピンアウトの事実を知らずともすんなり読めるハートウォーミングストーリーズ
 全然知らないで読み出したのだが、どうも『冷たい校舎の時は止まる』からスピンアウトした三中編だったらしい。そして恐らくは同書を読んでから本書を読む、ないしその逆というのが「正しい読書」。残念ながら読んでいないまま本書だけの感想を書くことが「あまり正しくない読書」であることを重々承知のうえで、感想、書きます。
 とりあえず最初にひとこと。辻村深月の描く、本編における老若男女各世代の、性格や考え方、感情といった描写が抜群に素晴らしい。 特に、心の中でなにやら抱えているもやもや感というか、うまく言葉に出来ない感情といったところを直接的・間接的にさまざまな技巧をもって描き出し、物語のなかの登場人物の気持ちとして表出させている。言葉に出来ない、だけど……、といった気持ちを描けるという点だけで、文章使いとしての作家として素晴らしい能力を持つことを証明しているようなものだろう。
 一方、特にミステリを意識している訳ではなさそうなのだけれども、陳腐な言い方をすれば「最大のミステリは人間の心」ってな物語を巧みに描いているがゆえに、個々の作品を読み終わった後の感覚は、ミステリを読み終わった後の感覚に近い。 混乱した、破裂した、そういった幼い心の落ち着く先。もしくは受け止めるもっと強く広い心。感情と感情のキャッチボールや子供たちを庇護・サポートする大人の存在といったところも含めて、温かな物語として納得できる結末が得られる点はある意味麗しくさえある。
 確かに、筋書きだけを考えるとめちゃくちゃオリジナリティが高いかというと微妙にどこかにある(あった)ストーリーではあるのだけれど、辻村さんの深い描写力がそういった平凡さを打ち消し、むしろ新たなる物語として蘇らせている印象だ。

 別に『冷たい校舎…』を読了していなくとも全く構わない、と思う。 充分本書だけでも読書したという満足感は得られるはず。ただ、『冷たい校舎…』を読むことでもっと深くこの世界を味わえるのであれば、そちらの方がやっぱりお得なのだろうな、と想像する。 ……いずれ、そっちも時間が出来たら例え亀でも読もうかな。


08/10/17
早見江堂「青薔薇荘殺人事件」(講談社'08)

 『家族の行方』や『償い』等を刊行している矢口敦子さんが、別名義でメフィスト賞になぜか応募したという『本格ミステリ館消失』。そして本書は同書を皮切りに刊行される三部作の二作目なんだそうで。三作目は『人外境の殺人』なんだそうです。なんというか……。

  『本格ミステリ館消失』の事件(たぶん)を解決し、安住できる住居を探していた只野二奈(にいな)・参(まいる)の兄弟は、曰く付きのアパート、青薔薇荘と巡り会う。かつて密室で殺人事件が発生し、さらにその後に別の女性の他殺死体が放置され、どちらの事件も迷宮入りしかかっているという物件だ。もう警察も訪れることもないと知った彼らは、身許も確認されないそのアパートで嬉々として生活を開始する。渋谷の元ホストである参は古本屋でアルバイト、そして本来ゲイではない二奈もまた化粧をしてゲイバーに勤務している。アパートには噂好きのおばさんと冴えない旦那、盲目ながら聴覚の鋭い女子高生の三人家族などが住む。ミステリ好きの参と二奈はその部屋で被害者となった男性の姉が命日のお参りに訪れたことをきっかけに、過去の事件の真相を探ろうとするのだが……。

2008年刊行の本格ミステリ「がっかり枠」
 『本格ミステリ館消失』が部屋のどこかにあるはずだが見つからないので何となく本書から手にとってみた。どうやら『本格』の結末から続いている物語のようで、先の作品の完全なネタバレこそはないものの、その真相はある程度は予見できるかも……といった感じ。事件がどんなものだったのかは不明ながら、たぶん読むうちに犯人の想像がついちゃうのではないだろうか。
 『虚無への供物』を感じさせる題名、「究極」や「驚愕」が大安売りされている帯。その帯や重々しい装幀、題名といったところに釣り合っていない、内容。矢口敦子というブランド抜きにしたら、メフィスト賞の覆面座談会でこきおろし以前、題名さえ取り上げられないレベルの作品じゃないですか。
 独りよがりの推理、工夫のないハウダニット、フーダニットに至ってはザル論理で想像された犯人が、証拠もないのに本当に自分が犯人だと認めるという、むしろこの展開でOK? という物語の筋書き自体がミステリ。(作者の思考がミステリ)。 まあ、なんというか。講談社という大出版社から刊行され、1,700円の定価が付けられている点が信じられない。こら、商業出版したらあかんでしょ。何か裏があるんですかね。
 ひとことでいうと物語の立ち位置が定まっていない。本格ミステリを標榜するには穴がありすぎ、かといってサスペンスを感じるには登場人物が浮世離れしている。過去に未解決の殺人事件が発生したため格安の部屋に引っ越してくる曰くありげな兄弟といった導入についてはまあ許される。さらに聴覚鋭い盲目の少女による、警察に取り上げられなかった証言から、事件が不可能性を帯びているといった当初の謎の構築についてはそこそこ評価ができないこともない……が、そこまではとにかく、その後の展開が究極の御都合主義。文体が凄いわけでもなく、世界観に魅力があるわけではなく、何よりも本格ミステリの本質を捉え切れていないまま、本格ミステリを標榜するところで奇妙さが強調される。唯一の可能性としてはアンチ・ミステリを考えているのかもしれないのだけれど、アンチになる以前のミステリがこうではなあ……。

 ということで、久々に読まない方が良かった、としみじみ感じる本でした。


08/10/16
小路幸也「空へ向かう花」(講談社'08)

 第29回メフィスト賞作家にして『東京バンドワゴン』シリーズで着実に人気作家となった小路幸也さんの書き下ろし長編。

 事故で由希菜という女の子を「自分が殺した」と思い込んでいる小学校六年生の少年・ハル(春之)はビルから飛び降りて死のうと考え、実行しようとする。それを止めたのはおじいちゃんと二人で暮らしている別の小学校に通う同じ六年生のカホ(花歩)。カホは由希菜と親友だった。そんなハルとカホの二人は引き寄せられるように出会う。そのハルの相談相手となっているのは、かつて大学で教鞭を執っていたこともあるが今は一労働者として静かに暮らしているイザさん。一方、自分の住む文房具屋のある古いビルの屋上一面に花壇を作ろうとしていたカホの相談相手となっていたのは、花屋でアルバイトをする大学生・キッペイ。ハルの家はその事故以来、被害者の遺族との諍いもあって暗く沈み込んでしまい、カホの家族もまた既にバラバラになっている。そんな二人に対し、元もと偶然知り合いでもあったイザさんとキッペイは前を向いて生きていくことの尊さを解き、二人を助けてゆく――。

子供が普通の子供でいられなくなることの辛さ切なさと、それでも前向きに進むことの尊さと。
 小路幸也さんの作品には大別すると、本来本流であるファンタジーと、きちんと現実のみに即した普通小説との二種類があり、特にノンシリーズとなるとどちらに着地するのか読めない。その意味で微妙に読者としてはスリリングだったりする。ただ――、本書を読むと、こういった普通小説の体裁を取っている作品であっても、微妙にファンタジーの香りがするように思えるのは、きっと物語の内部に「奇蹟」が感じられるから、なのだろうなと分析する。
 本人自身に否は恐らくないのであろうけれども、結果的に小学生にして人を殺してしまったという十字架を背負ってしまう、一方の主人公・ハル。そして、家族のひどい虐待に遭い、祖父との生活を余儀なくされているカホ。二人とも小学生にしては辛いものを抱えて生きている。単純にいってしまうと、そんな二人を支え、見守る大人がいて、前向きに生きていく話。 ひとことでいうと「いい話」なのだが、そうひとことでまとめられないようにも思える。この物語の前段階が悲劇であり、作者がわざとそこを描いていないだけ(その意味では、果たして彼らに何があったのか? という点が物語の謎として吸引力となっているのも事実なのだが)で、やはり周囲からの目線の冷たさ、執拗なる嫌がらせ、そういった毎日毎日が滅入るような日常こそが大人にだって耐えられるかどうかという辛さに満ちている。
 本来あるべき、という子供の生活から、自ら望まないのに逸脱させられてしまった子供。たぶん、作者が描きたかったのはそんな彼らに対する大人の方の問題だと思える。(だからこそ本書がジュヴナイルではなく一般小説として刊行されているのだと思う)。子供が主人公でありながら、そういった子供、そして子供全てに対して、大人が大人として子供を庇護できているのか、大人が大人として振る舞うことができているのか。そういったことが問われているように感じられた。

 ハルやカホに感情移入して前向きに生きることの大切さを知る。そんな読み方も当然ありだと思う。ただ、もう一歩引いて、イザさんやキッペイのような態度を、大人が大人として取ることが出来るのか、取るべきではないのか。一歩引いた別の角度からも読んでもらいたいと思う一冊だ。


08/10/15
福田和代「TOKYO BLACKOUT」(東京創元社ミステリ・フロンティア'08)

 ハードカバーの単行本、だけど背中には「ミスフロ」の飛行船マーク(だけどナンバリングなし)なので、装幀は異なれど「ミステリ・フロンティア」の一冊ということで良いのかと思う。『ヴィズ・ゼロ』にて静かなデビューを果たした福田和代さんの二冊目となる単行本。書き下ろし。

 首都圏への電力供給を一手に引き受けている東都電力。猛暑の続く8月24日発電所から首都圏へと電力を供給する鉄塔三箇所が爆破され、現場付近にいた鉄塔保守要員が何者かによって殺害された。またうち一つに対しては爆薬を搭載したヘリコプターが直接突っ込むなど、ピンポイントの狙いと行動力から、組織的に東京の電力を狙ったテロ犯罪であることは明白だった。深夜一時半、東京は一時的な停電に見舞われるが、このままの状態が継続すれば、日中に東京で「ブラックアウト」が発生することは必定。政治家と行政による緊急会議の結果、東都電力に最近導入された新制御システムを用いて、停電を一部地域ごとに時間帯を変更して発生させる「輪番停電」と呼ばれる対策の採用を決めた。しかし翌朝。作動する筈の新システムが逆にエラーを引き起こし、東京は都市全体が停電してしまう。そのシステム作りに携わった安西というエンジニアがその前後に失踪、事件との関わりが疑われるのだが……。

壮大なクライシスと重視される現実性。丁寧な取材が活きたクライシス・フィクション
 スケールの大きいパニック小説。人為的に引き起こされる大規模停電というテーマ自体が目新しい。現在の日本人の生活スタイルにおいて電気の占める割合は非常に高いが、震災等の天変地異ではなく、エネルギーのうち電力だけを集中的に狙って停止させるという点がユニークだと感じられた。ただ一方で、完全なライフラインの途絶ではないなか、どうサスペンスを 盛り上げるのか――というところで更に一工夫があって感心させられる。
 巧いのが、その暗闇のなかで生きる人間の配置である。犯人側も、結果的に不法就労ということにさせられてしまうベトナム人をはじめ、首謀者である安西の造形が非常に深い。捜査に必死で携わる刑事たちの描写も渋く、また、好感が持てるのは単なる仕事の域を超え、滅私の気持ちで電力の回復に当たろうとする電力会社社員の描写にかなりページが割かれているところもバランスを良くしているように思われた。加えて、市井の人々であっても、暗闇のなかでちょっとしたエピソードを作ってくれる人たちがおり、物語に厚みが出ている。一方、暗闇のなかでの悪事の方、こちらの迫力が若干薄いのが残念。別に煽られなくとも、これを好機に悪人たちが東京に集結してもおかしくないところ。
 後半は、犯人捜しというよりも動機捜しに物語の焦点は転回してゆく。このあたり、東京が殺したという犯人の動機の一つとなった事件(具体的に書けませんが)について、ちょいとバランスが悪いところがあるようにも思えた。が、改めて考えるとこのエピソードは結果的に犯人の計画にかなり無理があるところが「わざと」なのではないかとも考える。つまりは、真犯人が考えていたこの犯罪計画部分については、結果的に成功したけれども、実は失敗してもそれはそれで別に構わないと考えていたのではないか……という真情が隠されているということなのではないか。

 本作は本作でよくまとまっているし、電力会社に対する取材等も相当に念入りに行われたことが伺え、更にそれが作品に反映されている。一応、冒頭書いた通り、「裏?」ミステリ・フロンティアの作品ということになるのだろう。じっくり取り組んで頂きたい作品である。


08/10/14
麻見和史「真夜中のタランテラ」(東京創元社ミステリ・フロンティア'08)

 麻見和史氏は『ヴェサリウスの柩』で第16回鮎川哲也賞を受賞してデビュー。先の作品は医学部を舞台にしたミステリであったが、本作では義肢とその周辺情報がテーマとなっており、情報小説としても目新しいものがある。

 T県菜我原市にある野外劇場で女性の遺体が発見された。被害者は桐生志摩子、義足のダンサーとして有名な女性で、両足が太ももから切断されていた。現場には義足が二つ残されており、一足は被害者のものであったが、もう一つは無関係のもので、両脚には赤いバレエシューズが履かされていた。彼女はかつてアンデルセンの書いた『赤い靴』という童話をテーマにエッセイを書いており、その見立てではないかと思われた。仲井義肢製作所に勤務する香坂徹。彼の妹・奈緒も義肢ユーザーで、桐生志摩子のスタジオで時々ピアノを弾いていた。志摩子の夫からの依頼もあり、彼らと従姉妹の夫であり、再生医療の研究者である鴇圭一郎は事件について警察とは異なる視点から捜査を開始する。しかし調べれば調べるほどに事件の様相は不可解であった。そんななか飲み会から帰宅する途中の奈緒が、何者かに拉致されて義肢に不可解な悪戯をされる事件が発生した。バレエ教室の関係者か、義肢に関する関係者か。徹と圭一郎は手分けして捜査を加速させるのだが……。

義肢の世界を丁寧に描きつつ、蘊蓄だけに留まらず、ミステリ部にもじっくりとした奥深さが
 正式に統計を取ったわけではないが、お医者さんにミステリ好きが多いのか、医療業界からミステリ作家へ転身(兼業も含めて)される方は、他の業界出身よりも多いような気がする。バリバリとヒット作を飛ばす海堂尊氏なんかはその最たるものともいえるし、他名前を挙げてゆくときりがない。ただ、そういったお医者さんの書いた医療ミステリは、謎の設定がどうしてもその専門分野に偏る、ないしは結局のところ人間関係に持ち込まれることが多い。
 麻見氏の場合は文系出身なのだが、前作、本作と医療周辺の事象を取り上げている。ただ、他の医療ミステリと毛色が異なって感じられるのは、例えば今回の場合も義手・義肢といった医療周辺テーマを取り上げながらも、きっちり本格を意識したミステリであるという点だ。医療従事者には悪人はいないような錯覚を我々一般人は抱きがちだが、実際のところは人間であり憎悪も嫉妬もある。医療周辺の人々であっても、本格ミステリの犯人たり得る。 当たり前だが、その点について多分に作者は自覚的であるようにみえる。
 探偵役の立ち位置(素人探偵)にこそ微妙な違和感があるものの、一連の事件の捜査の過程における伏線の張り方が上手い。特殊業界であるがゆえ、一般読者は看過しがちな部分が、後できちんと繋がっている。また、一旦完全に読者を得心させておきながら、でもそれは真犯人の罠であった――というひっくり返しがある点も面白い。(但し個人的には、最初に提示された謎解きの方に微妙に、サプライズも説得力もあるように思う)。

 サプライズもそうだが、医療に関する作者の視線というか、捉え方が独特。まだ完全にうまくまとめきれいないのだが、その「医療」という現場に対する作者の捉え方が、既に一般人にとってはミスリードの始まりとなっている。物語としてのレベルも高く、この作品はもっと話題になっても良かったように思える。

08/10/13
初野 晴「1/2の騎士〜harujion〜」(講談社ノベルス'08)

 初野晴(はつの・せい)氏は、2002年に『水の時計』で第22回横溝正史賞を受賞してデビュー。第二作『漆黒の王子』を発表後、一旦発表が途絶えていたように思えたが、'08年になり本書、さらには『退出ゲーム』と立て続けに刊行している。

 アーチェリー部に所属する女子高生・円(まどか)裕美は、交番勤務の父親を持ち、ひどい喘息を患っている真性レズビアン。アーチェリー部ではエースの彼女が陥っている恋煩いの相手を図書室で見つけたのだが、それはなんと女装した男子高校生のお化けのような存在だった。街のマイノリティにだけ見える存在、裕美はその彼のことを「サファイヤ」と名付けた。しかし、街では「もりのさる」という謎の存在によって中学生が操られる事件が発生していた。裕美のもと恋人・鈴が巻き込まれた事件を、サファイヤは旧知のヤクザを頼って解決に導く。さらに盲導犬ばかりを狙う「ドッグキラー」、女性の部屋に侵入して気配だけを残す「インベイジョン」、毒物を撒き散らす「ラフレシア」、そして人間を灰にしてしまうという「グレイマン」といった、都市伝説めいた異常犯罪者に対し、裕美はサファイヤや、事件を通じて知り合った人々の力を借りながら、解決に導いていく。しかし、一方で少しずつサファイヤの力は喪われてゆき、そして……。

緻密に計画される異常犯罪事件から、逆算して構成された独特のファンタジーミステリ
 ベタベタの表紙絵であるとか、帯の「新感覚ミステリー」といった、新がついても陳腐な惹句であるとか。講談社ノベルスという比較的手に取りやすいレーベルであることを差し引いても、なんとも「損」している作品だと思う。確かにファンタジーがベースになっており、街に巣くう正体不明の異常犯罪者を、主人公の女子高生が、幽霊のような存在の相棒と共に、その正体を見破って白日の下に引きずり出す――という展開。やりようによってはラノベレーベルの扱いでもおかしくない。むしろ、ラノベ系のイラストレイターに表紙を任せた方がまだ売れたのではないか。
 例えば名前だけ裏世界で人口に膾炙している悪役(「ラフレシア」だとか「インベイジョン」だとか「グレイマン」だとか)は、どこか西尾維新ぽくもみえるし、先述したような設定に加え、キャラクタもなかなか個性が強い面々を集めている。その一方で、意外と謎の構成は緻密であり、逆算の美学によって物語構成が出来ているように感じられた。
 個人的に感心したのは、もっとも辻褄が合わないというか独特の存在である「インベイジョン」。何も盗られない、誰も家の中に隠れていない、盗聴も盗撮もされていない。だけど部屋の中に何かの気配だけがある――ホラー作品もかくやというような絶妙な雰囲気づくり。しかも、その解答は……。この解答は怒り出す人もいるかもしれない。だが、個人的には”こんなこと”を繰り返す異常犯罪者というユニークな発想は認めたいところ。 こういった小さな犯罪を成立させ、さらに解決するためにこの「サファイヤ」というような存在が必要になる……といったかたちで、物語全体が構成されているようにも思える。だとするとなかなかに凝っている。

 ちょっと後半から終盤にかけてはべたべたの展開になってしまい、この点については好悪が分かれるところだろう。ただ、これもまた、このような幕の閉じ方しかなかったのかもしれない。結果的にはやっぱりファンタジーミステリという位置づけに落ち着いてしまうのだけれども、この独特のアプローチは面白いと思う。


08/10/12
福澤徹三「夏の改札口」(徳間書店'07)

 『すじぼり』で第10回大藪晴彦賞を受賞し、一気に知名度を上げた感のある福澤徹三氏であるが、実際それ以前からこつこつとホラー・幻想小説系統、『すじぼり』と同様の青春小説の系統の両方でレベルの高い作品を発表してきている。本書は『問題小説』2005年11月号から2007年9月にかけて発表された作品がまとめられた短編集で、珍しくその両方の味わいが感じられる。

 流行らないバーを経営するアル中の男。彼の店に集まる男たちもまた人生の敗残者ばかりであった。そんな彼が自殺を図る若い女性を思いとどまらせ、更に彼女は店に足繁く通うようになる。 『夕立ち』
 高校を卒業してから自殺のフリをきっかけに引きこもり生活を続ける男。母親はおらず父親が彼の面倒を見ていたが、自室にいるミーという名前の蛇が彼に対して過激なアドバイスをする――。 『蛇飼う男』
 一代でラーメンチェーンを起こした実業家が癌で余命三ヶ月を宣告される。元より家族との仲は良くなく、愛人も子飼いの若い専務も入院した彼から離反を試みているように思われる……。 『青空の記憶』
 老妻が認知症を患い、その介護に疲れ果てている夫。彼は思いあまって妻を手に掛けようとするが、ヘルパーに割って止められる。そのヘルパーは新興宗教の信者で霊感商法を勧めてくるのだが……。 『老信者』
 登校拒否の青年が自殺サイトで知り合った男女三人と、練炭パーティという自殺イベントに参加することに決める。山の中の廃屋に首尾良く辿り着いたのだが、そのなかの一人が……。 『夏の改札口』
 疲れきった中年の広告代理店勤務の男。借金を抱え、家族とも微妙に反りが合わない。そんな彼が痴漢に間違えられかけたことを機に、全てを捨てて放浪の旅に出ようとするが。 『犬死にの旅』
 引っ越した小さなマンション。管理組合を仕切る粘着質の中年女性にいびられ、夫との仲に倦怠感を覚える主婦。管理組合で一緒になる妻子持ちの男性に小さなときめきを覚えているのだが……。 『ベランダの鳩』 以上七編。

現実感・日常感が溢れる情景描写があってこそ、具体的な「死」について考えさせられる
 いやあ、それが現実のそれであろうと、精神的なそれであろうと、苦界に落ち込み苦しみ悩む人間を描くことにかけては、福澤徹三さん相変わらずめちゃくちゃ巧い。 抽象的な悩みであっても、登場人物の生活といったレベルにおいて、具体的なディティールが伴っており、つい、登場人物の境遇に引き込まれてしまう。言い方が悪いが、他人の不幸は蜜の味というか、読者としての自分の”汚いところ”が、そういった具体的な不幸のディティールに興味を引かれるし、それが止められない。
 最初の『夕立ち』を読んだ段階では、まだそう意識しなかったが、全てが「死」にまつわる物語。登場人物が病にかかるか、もしくは自らの命を絶とうとするかの違いはあれど「死」という究極へ、健康に普通に生きる人々よりも余計に一歩踏み出そうとしている人々の物語が集められている。一種のネタバレになるが、作品に登場する人々は、「死」を願い、意識しながらも、作品の結末までには誰一人として命を喪っていない。様々なディティールを通して、人間それぞれが異なった「死」に赴くことになるという事実、さらにはそこに向かう人々の心の動きが詳らかに描写されているのが特徴だ。
 その動きもどちらかといえば、自暴自棄や自己中心的なものが多く、本人たちは真面目であっても、一歩離れて眺めると悲喜劇であり、ファースに満ちたものになっているところがポイント。死ぬに死にきれない彼らが一様の結末も迎えられないのも面白く、前向きに生きてゆけるようになる作品もあれば、「死」以上の不幸に脚を突っ込む作品もある。この、先や結末を読ませないスリリングな物語作りは、やはり福澤徹三氏の真骨頂ともいえそうだ。

 決して読むことで気分を高揚させてくれたりするタイプの物語ではない。ただ、エンターテインメントと純文学とのぎりぎりの境目のような、人生について考えさせられるような奇妙な読後感は癖になる。 奇妙な話もあれば、現実に徹する話もあり、幻想小説の福澤徹三が好きな方も、青春小説の福澤徹三が好きな方も、どちらからでも一定の味わいがある作品集だといえそうだ。


08/10/11
深水黎一郎「エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ」(講談社ノベルス'08)

 深水黎一郎氏は'07年『ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!』で第36回メフィスト賞を受賞してデビュー。本作は書き下ろしとなる二作目で、2009年版本ミスで第10位を獲得している。

  一九二〇年代から四〇年代にかけてパリで活躍した、異邦人の芸術家集団のことを「エコール・ド・パリ」と呼び習わす。モディリアーニ、スーチン、フジタといった異邦人たちが互いに切磋琢磨したものの、作風自体は一人一人異なり多彩。更に当時は皆、決して恵まれた環境になかった。そんなエコール・ド・パリの画家たちに魅せられた銀座の画廊オーナー・暁宏之が、自宅の密室内部でアーミーナイフで心臟近くを刺され殺害された。部屋は施錠されており、閂のかかった窓にはべっとりと血が塗りたくられていた。庭の一階には何者かが飛び降りたと思しき足跡が残されている一方で、コレクションの高価な絵は手つかずで残されている。残されたのは元天才少女画家の妻、六歳の娘。執事にお手伝いに知的障害を持つ使用人。捜査にあたった海埜刑事と、その甥で海外で放浪生活を送って事件当日に帰国した瞬一郎が、被害者が執筆した美術書「レザルティスト・モウディ『呪われた芸術家たち』」を手掛かりに真相を探る。

作中評論が素晴らしく、かつ、さりげなく密接に物語に絡むという絶妙の構成が光る
 個人的に美術に関しては造詣がないので、言葉は聞いたことがあっても「エコール・ド・パリ」の意味を本書で初めて知った次第。そして、本書で初めて知った割に、その内容が非常によく頭の中に入っている――のは、物語の被害者が書き残したという美術評論『呪われた芸術家たち レザルティスト・モウディ』の内容が素晴らしく分かりやすく、それでいて興味深いものだったから。 初心者にも分かりやすいように「エコール・ド・パリ」に属した画家たちの作風、その生涯、画家となった経緯といったところが丁寧に解説されているから。美術を扱ったミステリは数あれど、、登場人物に語らせるでなく、さらに地の文でもなく、こういったかたちで、しかも活字のみで説明をしているのは珍しい。
 ただ、本書の凄さは、この作中評論が面白いだけではなく、物語を解き明かす鍵としての役割をしっかりと果たしている点にある。まさに「絵が殺した」。さらに、その恐ろしい殺害動機、殺人という状況が引き起こされる背景――といったところが、全く不自然さなしに余すところなくこの評論に含まれている。加えて、工夫が一点に留まっていない点も面白い。動機・凶器・心理の綾……、タイプの異なる秘密が評論のなかに隠されている。暗号となっていたり、暗喩されているといったレベルではなく、読み返すまでもなく堂々と論じられているのだ。しかも、事件の真相が明かされるまで読者は普通その事実に気付くことはない。つまりは、解決編を読んでひっくり返ることができるわけだ。

 決して厚みのある作品ではないのに、醸し出される雰囲気も良く、また探偵役となる”世界を股に掛けるプロのフリーター”が、ワトソン役となる刑事にその人生観を語るところなども面白い。その題材や題名ゆえにちょっと敬遠されている方もおられようが、鬼クラスの本格ミステリマニアの方が読んでも、単なる蘊蓄系ミステリだと片付けられないだけの濃い内容を持っている。