MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/01/10
連城三紀彦「造花の蜜」(角川春樹事務所'08)

 奥付10月31日と年間ベスト投票者を嘲笑うかのようなタイミングで刊行された大御所・連城三紀彦さんによる長編ミステリ。2007年1月から2008年10月にかけて南日本新聞や河北新報等の地方新聞に連載された長編がまとめられ、加筆修正された作品。

 裕福な医者の夫・山路将彦と離婚し、五歳になる息子の圭太を連れて印刷工場を営む実家に戻ってきている小川香奈子。かつての知人とスーパーで立ち話をしている間に、息子の圭太が誘拐されそうになり、自力で助かっていたことを知る。息子との面会を拒否している山路の犯行なのか。それから一月後、香奈子は幼稚園から圭太が蜂に刺され病院に運ばれているとの連絡を受け取った。途中まで移動した香奈子はふと不審を抱いて幼稚園に連絡すると、そんなことはないというが、圭太は誰かに連れられて行方不明となっていた。誘拐事件発生。早速捜査にあたることになった警察に対し、幼稚園の先生はなぜか香奈子と、父親の会社の従業員・川田が迎えに来て連れて行ったのだと言い張る。自宅にかかってきた電話では犯人は誘拐ではないと言い出す一方、山路にも犯人から連絡が入る。身代金の要求はなく、くれるなら貰うという犯人に対し、香奈子ら家族と橋場警部をはじめとする警察は憤りを隠せない。何度かの電話のあと、結局は現金を受け渡すことが決まり、山路が準備した身代金を手に、受渡場所の渋谷・スクランブル交差点に赴いた香奈子。前日、そこではビニールパックに入れられた血液がばらまかれ、そして複数の怪しい人物がいた。指定された時刻に交差点のまん中に立った香奈子の周囲に、今度は無数の蜂が飛び回る。防護服を着せられた圭太が保護されるが、無事だった筈の身代金のうち一千万円が消えており、さらに圭太は山路に対して「この人が誘拐犯?」と不思議そうに声を掛ける……。

どんでん返しに次ぐどんでん返し。奇妙な誘拐に巧妙なプロット。健在・連城マジック炸裂
 新聞連載小説という出典もあって、全体として緻密な構成となっているとは言い難いまでも、連城マジック健在! と快哉を叫びたくなるような新機軸を含む誘拐ミステリが発表された。冒頭こそサスペンス味を強めに押し出した幼児誘拐事件ながら、身代金を受け取ろうとしない犯人、あまりにも無造作な身代金授受要求をはじめ、序盤を読み進めている段階で「普通の誘拐ミステリではなさそうだ」という雰囲気がありありと伝わってくる。そしてその予感は正しい。
 特に序盤から中盤にかけての奇妙な状況と雰囲気の醸成はさすがというしかない。またその真相についても、様々に意表を突く事情が多く、第二部にあたる共犯者視線の物語へと進んでゆく。しかし、ここでも同様にサスペンスを強く打ち出しているのが特徴だ。被害者側視点から加害者側の視点に移ることで、これまで見えていなかった家族像が変転していく。こういった描写はさすが。誘拐という行為を通じて墓場まで持って行くはずだった個人の秘密が、否が応でも浮かびあがってくる様子は何とも切ない。このあたりの描写の存在が、連城作品を連城作品たらしめている理由ともいえるだろう。そして中盤最後に浮かび上がる、全体に仕掛けられた誘拐のアイデアはやはり秀逸なのだ。
 一方、物語としては独立している印象のある最後のパート。個人的には中盤までと、この最後のパートは一冊の本にまとめるにせよ、長編と短編として別の物語にしても良かったように思う。ただ、それまでの物語をメタ化したうえで、記述者も巻き込むトリックを作成している点についてはどうしてもこの作品でやりたかったアイデアなのかもしれない。

 細かな点も含めて多数のどんでん返しがある作品。 少なくとも誘拐ミステリの系譜のなかに新たに一つ新パターンを創り上げた点は評価できよう。その意味では本格ミステリの誘拐ジャンルにおいては少なくとも歴史に残るといえる佳作かと思う。ファム・ファタルを登場させることによって物語全体に艶も出ている。紛うことなき本格ミステリでありながら、微妙な切なさが共存している。これぞ美学か。


09/01/09
望月守宮「無貌伝 〜双児の子ら〜」(講談社ノベルス'09)

 第40回メフィスト賞受賞作品で著者は本書がデビュー作。名前は「もちづき・やもり」と読む。近年の他の受賞作品に比べると、かなり講談社の力が入っているように感じられる。(WEBに特設サイトを設けているなど)。

 動物や古物に取り憑くヒトデナシなる怪異が存在する世界。そのなかでも人に取り憑き、高い知能を持つヒトデナシ”無貌”は、人々の美しい部分を奪い去り、自分のものにしてしまう怪異だ。無貌と対決し、そこそこの成果を収めていた三探偵の一人、秋津。彼は失意の日々を送っていた。そんな彼の前に、自らの”無貌”に関する推理を携えて現れた少年・古村望。望の推理は結果的に誤りであったのだが、両親に売られサーカスや工場で暮らしていた彼を秋津はいきなり助手として採用する。たまたま秋津が受けた依頼が、鉄道王の一族の一人娘・榎木芹の護衛だった。彼女は”無貌”から次の犯行予告を受け取っていた。榎木一族は、双子が何代にもわたって当主の座を巡って確執を繰り広げており、現在もまたその次期当主争いの真っ最中。さらに未来視ができるというヒトデナシ”匂玉”が伝えられ、当主の兄弟は呪いの言葉を残して座敷牢に押し込められたまま自死した過去があった。その榎木家で不可解な殺人事件が勃発。更に行方不明に死体遺棄と状況はきなくさくなってゆく……。果たして無貌は現れるのか?

設定、人物、文章に構成。とても”大きく”まとまったファンタジック・探偵小説
 ヒトデナシという存在が、珍しいながらも普遍的に存在していることが当たり前の世界。それ以外の設定については徴兵制があったり、貧乏な家庭の子供が売られたり、電話が普通に使われていたりと昭和初期から昭和中期のレトロっぽい日本といった趣で、それが作品の内容にもよくマッチしている。
 また、そのファンタジックでもあるその設定にわざと足かせを嵌めることにより、本格ミステリ/本格探偵小説の匂いを消さないようにしている点も好感。 そういえば、メフィスト賞受賞作家には珍しく、文章が平易で読みやすいのもプラスのポイント。
 扱われているのは、名家で発生した醜い権力争いの更に上をゆく不可能犯罪。ただ、ヒトデナシの存在するこの世界のルールを当てはめることで、その不可能状況が伏線となり手掛かりとなっていく展開がユニークだ。本格ミステリという意味では、特に奇抜なことをしている訳ではない。だが、この世界をうまく利用して、ロジカルに落ち着くところに正解を着地させているし、一方でサプライズを呼び込むことにも成功している。また、後半では名探偵という存在に対する”在り方”にも言及している。様々な要素を取り込んでいる割にそのバランスが良く、あらゆるエンターテインメント小説をひっくるめて、そのなかでも上位レベルの平均点を獲得しているといった印象。その分、歪んだ才能であるとか、突き抜けた変態性(良い意味での)がみられず、こういう完成形の作品がメフィスト賞を獲るというのはまた珍しい。

 いきなりこういった伝奇/ファンタジックな作品ではなく、この作者が書いた普通の本格ミステリを読んでみたいと思わせられた。残念ながら、キャラクタは立つとまでは至らない一方、個々の登場人物の描き分けなどしっかりしている。さらに世界観のユニークさと筋書きと構成の確かさで読ませる作品である。次作が出たらたぶん読むことになりそう。


09/01/08
柴田よしき「謎の転倒犬 石狩くんと(株)魔泉洞」(東京創元社'08)

 広い分野に作品があり、著書が多数ある柴田よしきさんによる、日常の謎系ミステリ連作短編集。『ミステリーズ!』に掲載されていた作品が中心で、Vol.3(二〇〇三年十二月号)から、Vol.10(二〇〇五年四月)にかけて発表されたものに、書き下ろしで最終話が加えられてている。

 大学四年生ながら就職先が決まっていない石狩拓也は、深夜のアルバイト明けに厚化粧の女性に声を掛けられる。彼の境遇を見事に当てられた彼は、半信半疑で彼女を訪ねる。その女性こそはカリスマ人気占い師・摩耶優麗だった。彼女は石狩の過去を見てきたというのだが……。 『時をかける熟女』
 結局、摩耶優麗の経営する(株)魔泉洞に就職することになった石狩。摩耶のところに来た相談者が残した謎、彼女の恋人が、クリームパンを一個、公園ベンチに残したまま一週間近く行方不明になっている事件について調べることになる。 『まぼろしのパンフレンド』
 摩耶の依頼でコンビニに買いだしに行った帰り、石狩の好みのお嬢様女性が犬を散歩させている場面と出くわす。野瀬と名乗る彼女は石狩くんの好みど真ん中。しかし彼女の犬は訓練を積んだにもかかわらず、ころりと横になる癖があるという。 『謎の転倒犬』
 バイト先輩の誘いで合コンの会場である六本木を訪れた石狩は、そこで野瀬さんとも再会を果たす。彼女の友人は、使用期限も僅かな定期を何者かに強引に奪われたという奇妙な事件について話をした。 『狙われた学割』
 (株)魔泉洞の様々な仕事を任せられるようになった石狩。徹夜でゴーストライターの原稿をチェックしようと会社に残っていたところ、何者かに頭を殴られ気を喪う。会社は荒らされているようにみえたが、ごく一部のつまらないもの以外はどうやら盗まれていないらしい……。 『七セットふたたび』 以上五編。

特徴ある登場人物がやたら楽しい。占いと謎解きがセットになった軽本格ミステリ連作集
 なぜ映画化された国産SF作品をパロディ化した題名が付けられているのかは不明。表題作が一番元題名とかけ離れているので本を開くまで気付かなかった……。
 就職難でなぜか道ばたで偶然占い師の女性にスカウトされて就職してしまう主人公・石狩拓也。強引で我が儘な性格、厚化粧ながら偶に見せるすっぴん姿が美女というカリスマ占い師・摩耶優麗をはじめ、ウサギさん、野瀬さんといった周囲を彩る登場人物を含め、非常に特徴的。特に我が儘な雇い主に振り回され、本名・石狩なのになぜかトカチと渾名が付けられ、それでいて決して不幸せにみえない主人公の視点で、非日常的な日常が描かれる。
 就職にあたって消費者ローンに借金してパソコンやブランドスーツを買ってしまう主人公から、真剣に夜食のカップ麺を選ぶ女占い師といった日常のユニークなエピソードがごくごく自然に(そしてあまり深刻ではなく)描かれており、すっとこの物語世界に入れるのが最大の特徴。カリスマ占い師が経営する株式会社という設定も、特殊なようでいて「こういうのもあるのかもしれない」というぎりぎりのところに作られており、この軽妙さをさりげなく演出するバランス感覚はさすが。
 過去に飛んで対象について見たと言い張る女占い師の謎、がひとつテーマであり、個々にはパンを置いて失踪した男や、表題作通りに意味もなく転倒する犬の謎、定期券強奪の謎といったエピソードがミステリとしては加えられている。ただ、この謎解きに関しては、少々強引で説得性という意味では微妙なレベル。むしろパロディめいた題名から導かれて、その後に謎が提示されている(と思う)ため、こうならざるを得なかったのだろう。

 ただ、占い師と謎解きという組合せがこういった無理無理な謎解きとも接着剤的役割を果たしていて、トータルの無理無理感がほとんどない。物語自体は首尾一貫していて、前のエピソードなども巧みに繋げられていて読み終わった後は何とも気持ちよい印象。軽めの読書には非常に適していると思われます。


09/01/07
石田衣良「Gボーイズ冬戦争 池袋ウエストゲートパークVII」(文藝春秋'07)

 毎年一冊のお楽しみ、石田衣良のIWGPシリーズ、外伝含め八冊目。刊行された当初はこれだけ巻を重ねるとは思っていなかった一方、これだけ風俗的な部分を取り上げていても、年を経てもそう印象自体が変化しない点は不思議ですらある。初出は全て『オール讀物』誌で冒頭から順に二〇〇六年三月号、二〇〇六年六月号、二〇〇六年九月号、最終話で表題作が二〇〇六年十二月・二〇〇七年一月号。

 振り込め詐欺のグループにいる若者が、足抜けしたいとマコトに頼み込んできた。ただ彼らのグループは鉄の結束を誇っており、抜けようとすると半殺しの目に遭うのだという。 『要町テレフォンマン』
 派遣労働で生活する男が、美術品のキャッチセールスの女性に惚れ、身分不相応の版画を購入してしまう。マコトは彼が彼女の気持ちを確かめたいという相談に乗ってやることにするが……。 『詐欺師のヴィーナス』
 自宅に放火してしまい祖母に大やけどを負わせた過去を引きずる少年。折しも池袋では連続放火事件が発生しており、証拠はないまま彼のことが疑われてしまうのだが……。 『バーン・ダウン・ザ・ハウス』
 Gボーイズのなかでも武闘派の一派が何者かに襲われた。ヤクザも含めた池袋のパワーバランスを崩そうとする奴が、恐ろしい男を送り込んできたという噂が。一方、襲われるGボーイズが、タカシの次のトップを狙うヒロトのグループばかりで、Gボーイズ内でも一触即発の状況が。マコトはマコトで池袋で撮影されている自主製作映画の登場人物になることになるのだが……。 『Gボーイズ冬戦争』 以上五編。

ぶっとい意味でのワンパターンに次から次へと新たな要素を加えてゆくバイタリティ
 シリーズの特徴でもあるし、それ自体がIWGPの売りでもある最新の若者事情(言い方がなんだが)が、鮮やかに作品を彩っている。 表題作となる『Gボーイズ冬戦争』を除くと、振り込め詐欺、美術品キャッチセールスに派遣労働問題、放火愉快犯+少年犯罪者のケア……といった、諸問題が本作におけるテーマだ。”最新”ということはないけれど、発表から約三年、単行本刊行から約二年経過した今(2009年1月)に読んでいても、そう違和感はない。それぞれ未だに新聞を賑わせることのあるテーマだともいえることだし。流石に十年後に読むと「ああ、あの頃あんなことあったあった」になるのかどうか。
 その意味では、当事者の視点から若年層社会派問題に斬り込んでいる、ともいえそうだ。ただ、単純に社会問題や悪を断罪するのではなく、悪いことは悪いとするものの単純に断罪するではなく、そこに至ってしまう心の弱さ、社会の厳しさといった視点も忘れていないところが、IWGPが幅広い層から支持される理由にもなっているだろう。ただし、本書における「正義」という存在は実は曖昧で、あくまでマコト視点による善悪判断となっている点は注意が必要である。幸い、マコトが優しい心の持ち主であることによって支えられているのだ。
 一方、組織同士の対立やGボーイズの内部対立と謎のヒットマンを配した『Gボーイズ冬戦争』は、似たテーマが過去にもあったように、エンターテインメント性は高くともエピソードの意義としては薄い印象。(前の作品にも微妙に似たものがあったよね)。他の作品にしてもそうだが、タカシとGボーイズや、サルをはじめとしたヤクザを、ちょっとした悪人に対する印籠のように用いる解決方法が目立つ。そういう筋書きの方は大いなるワンパターンとして、別に批判するつもりはない。ただ、そんな作品が目立つがゆえに、公園男とマコトだけで事件を解決する『詐欺師のヴィーナス』のような内容の方に、より魅力があるように感じられる。

 一応、作品内の時系列は進んでいるのだろうか。(マコト他の登場人物が加齢しないようにみえるが)。そして、大きな意味での人間関係は変わらず、マコトは相変わらずもてないまま。(彼がなぜモテないのか微妙に不思議だけれど)。ただ、それはそれで緩くて良く、このままシリーズとしては続いてゆくのも「サザエさん」的で良いように思える。


09/01/06
恒川光太郎「草祭」(角川書店'08)

 2005年『夜市』で日本ホラー小説大賞の大賞を受賞してデビューした恒川氏は、一貫して独特の叙情的世界を作品のなかに造り上げている。本書もまたその系統に連なる連作。『小説新潮』誌に2007年6月号から2008年6月号まで、三ヶ月に一度のペースで発表された作品がまとめられたもの。

 行方不明になった友人の春を捜しに、彼と子供の頃に迷い込んだことのある水路の奥にある野原を訪れた雄一。確かに春はそこにいたのだけれど、なにやら様子がおかしい……。 『けものはら』
 ある日、女子高生の私・藤岡美和は、古い家が密集する地区で屋根から降りてきた中学生くらいの少年と仲良くなった。私の書いた恥ずかしいノートが気に入ったらしい。彼は地区の守り神なのだという。 『屋根猩猩』
 共に山を歩きながら毒や草について教えてくれた叔父。私は叔父を殺してしまい、リンドウという僧侶と出会う。口が効けないまま里に下りた私は、天狗の子供として美しい女性のいる家族と仲良く暮らす。だが……。 『くさのゆめがたり』
 両親の喧嘩をきっかけに家を飛び出してきた私。山の中にずんずん入ってゆくと双子の少年と出会う。彼らの家までお邪魔する私は「クトキ」なのだという。苦しみを取り除くために「苦解き盤」で天下をすると良いらしい。 『天化の宿』
 長船さんの家を手伝いながら居候する私。長船さんの妹・真知子により、長船さんにはジオラマ作りの趣味があった。そして私は長船さんと、夜明け前にその町へと入ってゆく。 『朝の朧町』 以上五編。

美しく旧い村・美奥。その時系列、空間の拡がりと不思議なエピソードをじんわり楽しむ
 デビューこそホラー小説大賞であるものの、恒川氏の作風は一般的なホラー小説とは異なる。人間の営みの根源にあるものを鷲掴みにした結果、怖さや優しさといった原初の人間特有の感情がまとめられているといえば良いのか。表面上は、どちらかというとジャパネスク・ホラー、日本人であることに加え、ノスタルジーを感じさせる昭和や大正といった旧き良き時代を蘇らせているだけのようにもみえるが、実際のところはかなり”日本人の心”の本質に迫っているように感じられる。
 本作は、その表現に関する手腕に、さらに物語構成上のテクニックが加わっている。短編はそれぞれ別のテーマについて述べており、かつ主人公も時代も異なる。ただ、その舞台になる「美奥」という土地だけは共通している。結果、創り上げんとする世界の輪郭を、ほんの少しずつ短編ごとに異なる方法で撫でてゆくことで、読者にその世界(「美奥」)を幻視させるという工夫があるのだ。いつのまにか登場人物それぞれに読者がするりと感情を移入させられることになり、日常のすぐ隣に(それは平行世界でもあり未来でも過去でもある)微妙にずれた世界があらわれる。何か、その世界に彷徨いこんだかのような不思議な読後感が残るのだ。
 個々の短編におけるテクニックは、もう読んで頂くものとして、例えば『馬鹿な男子に一生消えないトラウマを与える100の方法』、略して『バカトラ』といったキーワードだとか、心を取り戻すために行われる天化なるゲームだとか、細かな点一つ一つの発想がユニーク、かつセンスに溢れている点も素晴らしい。

 もはやホラー小説の感覚で読む作家ではない。感動させようとか、泣かせようとか、露骨な意図はないものの、ずん、と心にしみ入る物語群となっている。これこそが小説の力か。日本語を解する日本人であるということを感謝したくなる、そんな作品。


09/01/05
竜騎士07「ひぐらしのく頃に 第四話〜祭囃し編〜(下)」(講談社BOX'08)

  問題編として『ひぐらしのなく頃に』全七冊の出題編の後、2008年5月より刊行再開された解決編となる『ひぐらしのなく頃に解』の九冊目にして最終刊。 これまで刊行された十六冊の集大成が遂に。

 六月十七日。果たして黒幕は本当に○○なのか。入江は思い悩みながら、研究を打ち切られつつある鷹野と昼食を共にする。彼女の複雑な心境に理解を示しつつも失言を重ねてしまう入江。一方、古手梨花と北条沙都子は園崎家へと移動していた。彼女たちの身代わりを引き受けた赤坂は入江の訪問を受けて、作戦について打合せを開始する。一方、園崎家へと集合した部活メンバーは、古手梨花のいう奇妙な状況を信じて対抗策を練り始めた。一方、敵側にあたるサイドも着々と終末作戦への準備を開始。そして部活メンバーはあるアイデアをして、敵側を炙り出す作戦へと出た。(あまり粗筋書くとネタバレになるので、短いですがここまで)。

大団円。まさにそれだけ。
 実際のところ(特に初期にみられる、後々の展開と整合性の取れない問題を除くと)、これまでの作品で世界観、雛見沢の連続怪死事件、綿流しの夜の富竹と鷹野の死亡……といった謎については解が与えられており、本書で直接的に過去の謎が明かされているとはいえない。ミステリとして(決して本格とはいえないが)の『ひぐらしのなく頃に解』は、前巻まで。但し、整合性がとれないのも、謎−解決が一元的に繋がっていないためともいえそうだ。ペアになっているようにみえるカケラも、実際は遠く離れた出来事なのかもしれない。むしろ本書の眼目は、最終的に悲劇に巻き込まれないための、登場人物全てによる”戦い”にある。
 従って、他の作品に比べ、恐怖を喚起するような場面は極端に少なく、謎解きとして素晴らしい場面もあまり見あたらない。(ただ、ここまで来てサプライズという意味ならば存在する)。結果的に、主要登場人物vs山狗の兵士たちとの戦いが中心となっていて、かつ描写も多い。どうしてもアクション場面が増えてしまう点は、「ひぐらし」解決に至る道筋上仕方ないだろう。
 物語としてのノリやスピード感は文句ないものの、そちらを優先するあまり、本来の部活メンバーの活躍範囲が極端に狭められてしまっているところは微妙。これまで物語を引っ張ってきたといえる、魅音にせよ圭一にせよ微妙に主人公を名乗れないような雰囲気があり、彼らの存在が割と軽いのは残念。一方で、先に述べた通り、全体のスピード感は一流。また、敵方を含め、キャラクタ作りについてのセンスも、終わってみると素晴らしいバランスだったことが判る。
そして、大団円。この前後の緊迫感もあって非常に好ましく感じられる。

 はあ、よく読んだ読んだ。時間もかかった。これにて「解」はオシマイだが、講談社BOXはまた3月から『ひぐらしのなく頃に礼』を刊行してゆくようだ。なんとも終了してしまうこと自体が寂しくすら感じられるのが不思議。


09/01/04
鈴木光司「エッジ(上下)」(角川書店'08)

 「リング」シリーズ以来、10年ぶりに解かれた封印。超野心的ホラー小説最終形! ――と帯にある。(鈴木光司氏はホラーから離れていただけで作品発表はされている)。『野性時代』2004年1月号〜7月号に掲載された『エッジ・シティ』を加筆修正、改題した作品。

 2012年。米国でスーパー・コンピューターが円周率を計算していたところ、ある桁数を超えて0が限りなく続くという問題が発生した。一方、日本では栗山冴子というフリーライターが「藤村家一家四人失踪事件」を長野県の高遠で追っていた。彼女には十八年前に父一人、娘一人の生活から、マルチな活躍を見せていた学者の父親に突然失踪されたという過去があった。冴子はその経験から失踪人捜しに関するテクニックを身に付け、その技術を活かそうと、藤村家の周辺を追うが彼らはマリーセレスト号の事件がごとく生活感をいっぱいに残したまま、蒸発するようにいなくなっていたのだ。冴子は借金や痴情のもつれなどあらゆる可能性を探るが、彼らの兄にあたる精二が多少怪しい以外、原因はさっぱり分からない。その事件に目を付けたテレビ・ディレクターの羽柴は、超能力霊媒師・鳥居繁子の特番として、冴子をスタッフに巻き込み事件に臨む。何かが起きている。新潟、カリフォルニアで次々と人が消え、遂には星までもが突然消えてしまう事態が発生。冴子はこの謎を解くことで父親と再会できると考えるようになるが……。

トンデモ科学と、日常消滅の恐怖との空隙を巧みに満たす、科学本格ホラー
 科学者によって計算結果は異なるようだが、我々が生活するこの世界が、現在のあるがままでいられるのは10の何乗もの物理法則の奇跡が重なった結果、存在・維持されている点については特に異論はない。月の大きさが少し大きくても、引力が少し小さくなっても、人間の生存が出来ない環境に地球は変化してしまう……。人間が直接に変化を感じ取ることの出来ないちょっとした変化が世界を大きく変化させるのだ。
 恐怖の根源に、人間の生存権自体を無効化してしまう世界を据えた作品だ。 帯にホラーの最終形とあるが、何となく頷いてしまう。事態に気付かないままいきなり全てが無にされてしまう可能性が示され、主人公をはじめとする関係者だけが問題の本質に突き当たってゆくストーリー。supernaturalの本質ともいえる観念。 日常は容易く崩れ、恐怖の非日常が忍び寄る。自然界の理屈では割り切れない、不可解な事象。対処の方法すら見つけられないまま、得体のしれない何かに呑み込まれてしまうような恐怖が描かれている。
 さすがに科学的な事象の細かい点については、かなりトンデモ系の理屈・理論が使われているような気がしないでもないが、その過程はとにかく最終的に示される怖さが、なんというか、これまで経験したホラーとは一種異なるように感じられた。本書のような作品の場合に取り上げられる学問は、それらしく読者に見せれば勝ちだし。

 『リング』のシリーズとはかなり路線が異なる。が、自分が今、普通に暮らしている世界が世界ごと消失するという恐怖は、鈴木光司氏のみならず全てのホラー小説ともまた一線を画しているようにもみえる。確かに鈴木光司氏の新境地といった作品である。


09/01/03
梶龍雄「幻狼殺人事件」(徳間文庫'87)

 梶龍雄には珍しい(?)伝奇的な要素を備えた推理長編。もちろん本格です。初刊はトクマノベルズで1984年、本書はその後に刊行された徳間文庫版。

 群馬県の黒檜村。戦前のある時期に”ある理由”から、岩木豊邦は銃で村内の若い女性を脅し次々と暴行を仕掛けていた。が、最大の有力者で村で唯一の医者・菱掘家をはじめとした村の人々は、見て見ぬふりをした。更に豊邦は徴兵忌避で仲間を連れて山に逃げ込み、更に追いかけてきた憲兵四人を銃で殺害した。やがて彼らは山中で死体となって発見される。それから年月が流れ……。黒檜村は、年々貧しくなり村長である菱掘真一は、村内にある鍾乳洞を目玉に観光開発をしようと目論んでいた。しかし、道も整備されておらず開発には金がかかる。その黒檜村の漁師が、幻のニホンオオカミの死体を見つけたという報道が為された。動物雑誌の依頼により取材のために現地を訪れた、生物学研究者の佐川道矢は、同じくオオカミに興味を持ってやって来たという矢野という人物と一緒になる。村では仏像盗難事件が発生するが、ひとつしかない村の入り口では厳重な警戒がなされていた。さらにその矢野が殺され、鍾乳洞の一つに保存していたオオカミの死体が盗まれるという事件が発生した。

横溝+伝奇+冒険。ちょっとした蘊蓄と恐るべき動機が存在する本格ミステリ
 梶龍雄による津山三十人殺し? とも見紛う衝撃的なプロローグで幕を開ける。どう考えても暴虐、傍若無人の一人の若者が次々と女性を陵辱していく。なぜ村人は反撃はおろか抵抗すらしないのか。、十五年前に何があったのか。男はどこへ行ったのか。
さらに現代の謎としては、脱出不可能の奥まった村での仏像盗難、さらには村の中で目撃された人物が殺害され、その三十分後には車でも四十分はかかる街中にて発見されるという広い意味での逆密室殺人事件。それらに幻のニホンオオカミや、戦時中に開発されたという幻の銃が絡み、さらには主人公・佐川と村に祖父を持つチエとの淡い恋物語が絡むなど、相当に盛りだくさんの物語となっている。
 先に述べた逆密室殺人事件は、当然抜け穴が疑われるわけで、その探検に底知れぬ鍾乳洞へと赴く佐川とチエのコンビの様子は『八つ墓村』の名場面をも彷彿とさせられる。(意識されているのかも?)――実際に抜け穴が見つかり、”幻”の幾つかが判明する。だが、本書が伝奇だけでなく本格ミステリたり得ている理由は当然「抜け穴は使えませんでした」という答えが待っているからだ。加えて、村の内部を形成する奇妙な人間関係も横溝作品を思い起こさせるものの、その回答部分には、主人公の職業を利用して科学的な解も用意されている。細かな工夫が感じられる部分である。

 伝奇的な物語と、戦争前、さらにその十五年後という時系列との組合せが絶妙。本格ミステリ的にはやはり、一連の事件の(片方の)動機部分に注目すべきだろうが、最終的にカタルシスで幕を閉じる伝奇部分も印象深い。伝奇と本格がうまく絡み合った作品かと思う。


09/01/02
倉阪鬼一郎「すきま」(角川ホラー文庫'08)

 同じく角川ホラー文庫から刊行された『うしろ』に続く、平仮名題名のホラー作品。物語の系統としても同一路線のように感じられる。

 都内の校閲プロダクションに勤務する間庭未知夫は、妻と娘との三人暮らし。住んでいたマンションを引き払い、思い切って中古ながら郊外の一戸建てを購入する。多少不便な場所ではあったが、念入りになされたリフォームに、家庭菜園も可能な庭、ベランダから見える富士山と非常に良い買い物をしたと彼は思いこんでいた。しかし、その家には「すきま」があった。高めに作られたロフトの奥、大人の目線から見えていないところに彫り込まれた「こわい」の言葉。家のすぐ近くにある不吉な神社。何かがいそうな野原。やがて未知夫が、東京の新聞社に泊まり込みで仕事をするようになった時期、間庭家には不気味な電話がかかってくるようになる。さらにロフトに入り込み、子供らしくなくなる娘。気まぐれな行動をする、越してきてから飼い始めた猫。訪れた間庭夫婦の俳句仲間は、霊感でこの家に巣くう恐ろしい存在を感じ取るが、夫婦に口を出すことができない。その家には、かつて血塗られた歴史があり、そして……。

倉阪流の活字ホラー。嵌る人にはハマるし、ハマらない人にはちょいつらい?
 個人的にはハマった。 倉阪氏の手によるホラー作品は幾つかの系列があって、なかに「文字」に対する徹底的なこだわりから生まれる作品群がある。 本書もその系譜にあたる。話が外れるが、いつも普通に使っている文字も、じっとその一文字だけを眺めていると、何かその意味以上のものを感じたりすることありませんか?
   とはいっても、ストーリー的は、ホラー小説としては一般的な部類に入っちゃうか。呪われた家に知らずに越してきた平和な一家。呪われた空間が徐々に姿を現して、住人を怯えさせてゆく――という展開はまあ、他にも同系統の作品を幾つも思いつくわけで。ただ、そこに倉阪氏の持つ文字へのこだわりをブレンドしているのがポイント。 ただ、このポイント、不吉な、邪悪な文字を見てイメージを膨らませることが出来るかどうかで読者を選びそう。
 個人的には、個々の文字よりも登場人物がひたすら呪いを吐く、236ページから237ページの展開とか、文字と言葉による呪咀が徹底的にページを埋め尽くしている248ページから249ページとかがとてつもなく厭な気分になれた。あと、後半に差し掛かったところで、主要登場人物が”あるもの”を見た場面がページの最後で「○○は、」と区切られ、ページを捲った瞬間に「死んだ。」と、あまりにもあっさり書かれているいくつかの箇所も絶妙なまでに厭でした。
 一方、孤独な正義の味方が絶対悪と戦うという展開は、正直ちょっと微妙な気が。では、どのように収拾を図るのか、という点についてアイデアがあるわけではないのですが。

 展開自体が通常のホラー、ポイントになる部分が倉阪ホラー。 一文字だけで強烈に悪意を示す強烈な漢字が、世の中には知らないだけで大量にあるということ。すきま。


09/01/01
赤川次郎「幽霊から愛をこめて」(集英社文庫コバルト・シリーズ'80)

 赤川次郎氏によってコバルト文庫に発表された作品で本書の続編として『幽霊たちのエピローグ』がある。名作『幽霊列車』をはじめとする「幽霊シリーズ」とは別もの。現在は「赤川次郎ミステリーコレクション」の一冊として岩崎書店で復刊されている。

 宗教法人が経営、山奥にあるお嬢様学校・山水学園の女生徒が、学校に戻る途中にある林の中で殺害された。被害者と途中まで同行していた加藤昌美は、木立の中で白い幽霊を見たと怯える。その直後に山水学園に転校してきた大宅令子は、活発な性格。彼女の父親は警視庁のベテラン警部で令子はちょくちょく父親の事件に口を挟み、そして解決に結びつけていた。早速、彼女は探偵役を自認して事件のことを考えはじめる。数日後、新宿のデパートで閉店後に女子高生が殺害される事件が発生した。山水学園の事件の詳細は報道されていないにもかかわらず、林と雪のディスプレイに囲まれた死体は先の殺人事件によく似た状況を創り出している。二つの事件には関連が? 父親からの電話を受けた令子は学園が開催するクリスマス・パーティの真っ最中。しかも彼女の飲むグラスに毒、さらにプレゼントには謎の警告が。令子のボーイフレンドでカメラマンの誠二を巻き込み、事件は急展開してゆく。

赤川次郎による赤川次郎のテイストで内容は江戸川乱歩、そして探偵小説の雰囲気
 男子禁制・全寮制の学園を舞台に連続殺人事件が勃発。それを解き明かすのが赤川次郎風の感覚(って書くとお判り頂けるでしょうか)を持つ、若い女子高生とその恋人。軽妙な文章と、時代をあまり感じさせないセンス。これだけであれば、まあ数ある赤川作品にも近いものがあるのではないかと思うのだが……。本書を形成している骨格というか、底にある悪意というのが一種とんでもない性格を持つものなので強烈に印象に残る作品となっている。
 序盤から中盤にかけては、何か悪意のある存在が主人公たちを脅かす、という点が見え隠れする。その存在そのものがまずは、一連の事件の背景にある。ただ、その存在意義というか、存在理由については、現在のミステリ鑑賞感覚からすると些か安易に過ぎる。だが、一歩踏み込んだところ、その理由がもたらす行為の方の異常性が、江戸川乱歩的であり、最終的に全ての謎が明らかになった後に作品を振り向いてみると、実に探偵小説的であることに気付くのだ。
 とはいっても、作品そのものは、いわゆる”次郎さんテイスト”で一貫しており、令子と誠二の仄かな恋愛模様にしても、コバルト文庫らしい微笑ましさがある。後半部には彼らが活躍する場面もある。基本はハッピーエンドであることはもちろん……。それでいて、最終的には何となく殺伐とした気分を味わうことになるというのも不思議。

 特段の物理的トリックが目立つ作品ではないながら、作品自体の持つ構想と、その手触りが独特で、コバルト文庫らしからぬ読後感が、もしかすると最大の意外性かもしれない。