MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/02/10
倉阪鬼一郎「火盗改 香坂主税 影斬り」(双葉文庫'08)

 幻想文学、ミステリ、ホラーと様々なエンターテインメント分野に跨って活躍する、倉阪鬼一郎氏初の本格時代小説。他にも時代小説を多く擁する双葉文庫にて書き下ろしにて刊行された。

 表門が淡路坂、裏門が幽霊坂に面した、八辻が原近くの役宅に住まう香坂主税は、火付盗賊改方、いわゆる火盗改の長官である。彼には闇隠れの銀次郎と見えずの金太という密偵を使いつつ、自身も積極的に現場に立ち会った。そんな時は江戸市中の各所においた料理屋を根城に、自身は天下無頼の向坂秀三郎と名乗っていた。さらに主税自身は、光陰流という剣術の達人でもあり、実際の戦いにおいても無類の強さを発揮した。彼は、自宅の裏に閻魔大王を形取った「注進箱」を設置し、市井の人々からの情報をも広く集めることをしていた――。そんな彼とその配下たちが出会う、黒賊たちが引き起こす事件。
 押し込みを働き、店の人々を皆殺しにしてしまう鳳の甚五郎との戦い。 『壺の中の春』
 江戸を騒がす辻斬りが出没。同じ光陰流の道場に通っていた三沢弥之助が夜な夜な家を黙って出ているという情報が。『影斬りの夏』
 次々と江戸の小町たちが神隠しに遭う。部下の慌てた捜査によって捕まった男もまた、恋する女性が神隠しに遭っていた。『秋の白い蝶』
 智恵を使って江戸の夜中を通り抜け押し込みをする強盗・斑猫の吉三。主税宅を訪ねかけてきた男の子供が毒矢で殺された。その男・新太郎は吉三の仕事を手伝ったが後悔していた。 『冬日向の猫』
 白賊に絵図面を売っていた娘が、黒賊によって殺された。足の不自由な兄は主税に仇を取って欲しいと訴え出る。相手は赤口の玄次。盗みに際して験を担ぐという。 『正月の乱れ凧』 以上五話。

ミステリ味を控えめに、時代小説と伝奇小説のツボを押さえた情感豊かな連作小説
 倉阪鬼一郎初の時代小説という意味でいろいろ期待して読んだ。良い意味で裏切られた感。 というのは、やはりこういった場合には時代小説の姿を借りた本格ミステリであったりすることが、本格系の作家には多いのだけれど、倉阪氏の場合はあえてそちらの方法を封印し、徹底して時代小説に徹している印象だ。逆にいうと、謎解きの要素は皆無ではないにせよ、かなり薄くなっており、そちらを期待する向きにはちょっと物足りないかもしれない。
 その代わりといってはなんだが、いわゆる情感や季節感といったところがまず非常に高い。 倉阪氏には句集の著作があるなど、風流な事柄を抜き出すことに長けていることには後で思い至ったが、他にも五話ある短編がそれぞれ春から季節を巡り正月で終わっているところ(河出の短編アンソロジーをふと思い出した)、また個々の作品にも情緒を醸し出す諸要素が意識的に取り入れられている印象だ。
 また、主人公である香坂主税が剣の達人ということもあり、少なくともこの五作では無敵。 悪は必ず滅びるという時代劇特有のパターンをきっちり維持している。その結果、大衆小説としての面白みが素直に楽しめるようになっている。また、敵を見境無く殺戮を繰り返す黒賊に絞っている点もまた単純といえば単純でこの点も大衆小説を意識しているのかもしれない。一方、作中でいえば『秋の白い蝶』では小町娘の拐かし犯として意外な組織を設定していて、このあたりは時代伝奇小説を彷彿させるものもある。

 作品を重ねるごとにシリーズ登場人物が増えていっており、作品世界自体への奥行きは増しているように思える。また物語としては作者自身手応えを探りながらという部分もありそうで、今後はまた異なる展開に繋がってゆく可能性もある。少なくとも時代小説として違和感は全くなく、倉阪テイストがところどころに(猫とか)覗くにしても普通の時代小説としてこれまでとは異なる読者層を開拓するのに役立つかもしれない。


09/02/09
田中啓文「チュウは忠臣蔵のチュウ」(文藝春秋'08)

 最近はなぜか「人情噺」作家にみられているとお嘆きの田中啓文氏の「刃傷噺」。講談での定番中の定番、忠臣蔵を思い切りアレンジした奇天烈な作品。『別冊文藝春秋』二〇〇七年七月号から二〇〇八年七月号にかけて連載された作品を単行本にまとめたもの。章のあいだに講談のコラムがあり、旭堂南湖さんが執筆をしている。

 講談の調子で。
 時は元禄十四年三月十四日。朝廷からの勅使御一行の饗応役を仰せつかりました播州赤穂五万三千石の城主浅野内匠頭長矩が、江戸城殿中松の廊下にて、御用係の高家肝煎吉良上野介義央に、私の意趣遺恨をもって刃傷におよびましたるところ、公儀より即日切腹を命ぜられ、浅野家は断絶のお沙汰下りましたるに、吉良には何の咎め無し。片贔屓の処分と不満を持ちたる浅野家の旧家臣四十七名が、元城代家老大石内蔵助良雄を総大将として、艱難辛苦の末、翌年元禄十五年十二月十四日、本所にあった吉良邸へと討ち入り、見事仇敵上野介の白髪首を挙げたりまするを、お膝元の江戸町民はもとより日本国中、義挙よ義士よと拍手喝采せざる者なし。――という、いわゆる忠臣蔵の物語の裏側に、実は様々な秘密が隠されていた。時に将軍・綱吉公の時代。生類憐れみの令なる悪法が流布され、側用人・出羽守保明が政治の実権を握るなか、暗愚な浅野内匠頭は殿中で気分を悪くし、保明お抱えの忍者・ダカツが面白がった結果、大奥に迷いこんでしまう。そこで行われていたのは、魚料理。殿中で生類が殺されているのは幕府の秘中の秘。更に自らの顔が鮒に似ていることを気にしていた内匠頭は、自ら勘違いして刃傷沙汰を引き起こし、保明の命もあって切腹させられるが何者かの手引きで難を逃れて……。

奇想・爆笑・忠臣蔵。主要登場人物がみんな「ええ加減でどうしょうもない人物」でした、というテーマ
 残念ながら……というべきなのか、忠臣蔵の物語自体、現代の世の中の”常識”ではなくなってきているようだ。年末になると結構特別番組が放映されるし、メディアに取り上げられる回数は今でも多いと思うが、講談があまりメジャーではない現在、メインストーリーはとにかくそのサブエピソードまで含めて全部知っているという人は少数派になっているように思う。(かくいう小生も講談を聞いていなければ、もっとその知識は限定されていたことだろうし)。その忠臣蔵を深く知っていればいるほどに、本作の馬鹿さ加減が面白く感じられるのが本作である。一説では、プロである噺家や講談方面の方々からも、本書は高い評価を得ているらしい。
 忠臣蔵から離れて考えれば、その背景に事情があったとしても浅野内匠頭が吉良上野介に、殿中で斬りつけたことは事実。加害者=浅野、被害者=吉良で、喧嘩両成敗はとにかく加害者に非があるはずで、その加害者の身内が被害者を襲うという図式にも忠臣蔵は受け取れる。まあ、そういったことを全部踏まえたうえで本作は凄まじい忠臣蔵パロディとなっているのだ。浅野内匠頭が不細工を気にする愚鈍な殿様であったとか、大石内蔵助は深謀遠慮があったわけではなく、単に状況に流される快楽主義者だったとか、吉良上野介がオカルトマニアで禁制本のオークションに出入りしていたとか、もうめちゃくちゃなのだが、なぜか表面上に現れる事実だけは忠臣蔵の状況に符合しちゃっているという大技がさりげなく繰り広げられる。
 個人的に興味深かったのは討ち入り終了後の面々の様子。実際に史実でも、赤穂義士の処分については学者が侃々諤々の議論を行ったというが、後日談を含めてもパロディが凄まじい。討ち入り後に他藩大名預かりの身分となり、軟禁されながらも贅沢三昧という義士たちの醜い姿も面白可笑しく描かれているうえ、実は関係者がみんな生きていたという衝撃の事実から、思いも寄らない展開にて幕を閉じる奇想(というよりも風呂敷の閉じ方というか)は、実にユニークだと感じた。

 普通の時代小説ではなく、むしろ物語のベースは数々の講談にて演じられる忠臣蔵・赤穂義士伝。小生レベルでは気付かないところでも細かなくすぐりがあるのだろうなあ、と思うとちょっと悔しい。なので本棚に寝かしておいて何年かしたらまた読むことにした。(そもそもこの感想も再読して書いているわけですが)。


09/02/08
赤川次郎「輪廻転生殺人事件」(講談社ノベルス'09)

 1984年に刊行された『東西南北殺人事件』から二十年以上経過して、まだまだ継続中の四文字熟語+殺人事件、大貫警部シリーズの最新作品集。『IN★POCKET』'06年4月号から8月号、'07年5月号から'08年8月号のあいだに発表された四中編をノベルス化したもの。

 人徳のある老警部・河居と電車内で出会った井上と直子のカップル。しかし、河居は電車内である女子高生の姿を見るやいなや「かな子の幽霊」と言い残して心臓発作で倒れてしまう。その彼女は真面目にアルバイトをして生まれ育った施設に現金を入れようとする女子高生だった。 『輪廻転生殺人事件』
 M電気の設計課長の三雲は、長年のライバル社S電機との技術交流を新聞で読み、怒って年下の部長に事態の確認をねじ込む。しかし部長の提示は三雲の営業への転出だった。三雲は帰り道に心筋梗塞を起こし、偶然行き会った井上刑事と直子により病院に担ぎ込まれる。が、そこには人間ドッグで入院している大貫警部もいた。 『全力疾走殺人事件』
 ホテルのロビーで女性が刺殺された。女性は文化庁長官・田ノ浦の部屋を訪ねていたと思われたが、当の田ノ浦はホテルから失踪した。田ノ浦は昔馴染みのあった、今は流行らないバーへと転がり込んでいた。 『栄枯盛衰殺人事件』
 誰もが羨むような豪邸に住み、家族みんなの仲も良いという八ツ村家。その当主はシステム会社のオーナー社長で妻こそ亡くしていたが、息子はクラシック音楽のピアニスト、その妻はドイツ文学研究家。夫婦には二人の子供もいた。お手伝いがやって来たところ、当主と息子夫婦が殺害されているのを発見、さらに二人の子供たちは行方不明に……。 『一家団欒殺人事件』 以上四編。

陰惨な殺人事件に傍若無人の大貫警部。上司は蒼白、部下は困惑。でもって事件は不思議と解決。
 本当に久しぶりに本シリーズを読んだが、当時から井上の婚約者の向井直子の微妙な境遇以外変わっていない? ようにみえる。その時と同じく、相変わらず傍若無人ぶりを大貫警部は発揮しているし、周囲の刑事たちは彼に振り回されているのだけれども、なぜか大貫警部が事件を解決するという構図は同様。
 ただ、正直な印象でいうと作品内部の構成というかプロットはベテランの職人芸に達していて、現代的な視点で眺めてみても新鮮ですらある一方で、地の文章や描写はかなり荒っぽくなっているようにみえる。(端折り過ぎというかたちか)正直にいうとここ何年か赤川次郎の新作をリアルタイムで手にとっていないので、本作に限ったことなのか最近の傾向なのかは分からない。(ちなみに2008年に赤川次郎の著書は五百冊を超えたのだという)。
 ただ先にも書いた通り、事件の構図については四つの中編全てにおいて見事なもので、大貫警部という迷惑千万な存在そのものが、事件解決と繋がっている点が面白い。(過去と現在で小生の読み方も変わってはきているわけだが)。特に現在の常識であれば絶対にあり得ないような、被害者(容疑者)のプライバシーの保護を行わず、むしろマスコミを引き寄せて派手に喧伝することで事件を解決してしまうという手法は大貫警部ならでは。
 また、全体が乾いたユーモアで彩られている結果、実はこれはよくよく考えると悲惨だよねえ、という事件ですらどこかカラッとした味わいで整えてしまっている。まあ、悪くいえば作品を読み終えた瞬間に物語構造は覚えていても、いつも通りの赤川キャラゆえに個性という部分までは覚えられない(その物語のみにしか登場しない一見さんが特に)という点も、読後感、後味の悪さの緩和に関しては、むしろ役立っているようにもみえる。

 正直に言って、たまたま手に入ったので読んだもので本作に対して何か特別な思い入れがあるものではない――。だが特に他意はないながら、赤川次郎の熱心なファン以外にはあまり意義のない作品になっている印象。普通のミステリファンは、初期作品の読み逃しを捜して読んだ方が、より読書を楽しめるのではないかと思われます。


09/02/07
黒川博行「悪果」(角川書店'07)

 『野性時代』平成十五年十二月号から十七年十一月号にかけて掲載された、黒川博行のノンシリーズ作品の単行本化。『二度のお別れ』『キャッツアイころがった』など、初期作には警察小説が多い著者だが、同ジャンルは実に十年ぶりになるのだという。第138回直木賞の候補作品。

 大阪府警の今里署に勤務する暴力団犯罪対応刑事、いわゆるマル暴の堀内は暴力団・淇道会が大規模な賭場を開帳しているという情報をネタ元にしているバーテンからつかむ。淇道会組長・鳥居の愛人・安東が経営しているカラオケボックスが会場だ。警察内外の様々なコネを利用して、その日程や周辺情報を押さえた堀内は同僚の伊達らと共に現行犯逮捕に踏み込む。組長の鳥居は愛人と共に逃げ出す一方、淇道会は壊滅的な打撃を受けた。府警の捜査費は上層部が私腹を肥やすために使われる仕組みがあり、担当刑事にまで費用は下りてこない。そのため堀内らは個人でシノギと呼ばれる財源を確保していた。堀内のシノギは、タブロイド業界紙を製作している坂辺。堀内は捜査情報で得られたスキャンダルを坂辺に流すことで、個人的な金を得ていた。今回の逮捕者のなかに、学校経営者がいたことを坂辺に知らせ、坂辺は広告出稿というかたちで現金を得る恐喝の連鎖。しかし、その坂辺が交通事故で唐突に死亡してしまう。堀内は交通事故を見せかけた他殺を疑い、坂辺の身辺を探るうち、見知らぬ暴力団員に襲われ捜査メモと警察手帳を奪われてしまう。

大阪府警の暗部を体現する主人公たち。そして、後ろ暗いところを抱えた者たちが争うスリリングな謀略戦
 暴力団を相手にする警察官もまた、情報を得るための持ちつ持たれつの関係から暴力団のような人物になってゆく……という設定は、悪徳警官小説やノワール系統の物語設定では比較的よく見られる設定だ。本書も題名から類推できる通り、悪徳警官ものに連なる一冊である。佐々木譲の道警シリーズを読み始めたタイミングと重なっていることもあって、個人としての腐敗と同時に組織としての腐敗の二重写しとなっている点が特徴的に感じられた。つまりは、担当者がせっせと架空領収書を切ってキャリア他の上層部が税金を掠め盗っている図式、金は下りてこないが捜査に必要経費がかかる担当刑事が悪事を働くという図式が両方存在しているところが淡々と描かれているのだ。組織が腐敗し、個人もまた腐敗してゆく哀しい必然が読み取れてしまう。ある程度の国産警察小説を読んでいれば、繰り返しこのモチーフは描かれているわけで、今更衝撃ではないけれども、一方で警察組織は自浄効果の期待出来ない分野なのだなあと繰り返し呆れてしまう。
 面白いのは、そうやって恐喝を利用してシノギを行っている主人公の堀内が、少なくとも前半部分に関しては決して単なる悪徳警官として描かれていない点だ。多少は私用に流用するし、飲み屋にたかってただ酒を飲んでいるとはいえ、綿密にして手間のかかる捜査や脚を使った泥臭い仕事を含め、きっちりマル暴としての職務をこなしている。
 結果的にお遣いゲームのようになっているこういった捜査風景描写には退屈を感じさせるところもあるのだが、後半のタイムリミットあるサスペンスへの伏線として機能しているので読み飛ばせない。
 その後半については、堀内自身が巻き込まれる危難と悪人が殺人を犯してまでも守り抜きたい巨額の利権を巡る陰謀があるのだが、真の悪人によって描かれた計画図は、その過程に関する悪魔的奸智を含めてかなりの頭脳的内容である。その状況を逆手に取って、自らの窮地を脱するべく奮闘する堀内と伊達の巻き返しまでは緊張感がある。但し、最後の最後の堀内や伊達の末路については中途半端というか、微妙な読後感を伴っているのも事実だ。

 上で述べたことだけではなく、黒川警察小説の特徴である関西弁による人情の機微あるやり取りは健在。 テーマがテーマだけにクロマメやブンと総長が活躍した時期のような健全な軽さはさすがに感じられないものの、重いテーマを描いて、ただ重いだけの小説にしないだけの巧者ぶりは明らかだ。誰にでも勧められる作品ではないが、黒川ファンであればやはり必読だろう。


09/02/06
蒼井上鷹「最初に探偵が死んだ」(実業之日本社JOY NOVELS'08)

 2004年「キリング・タイム」で第26回小説推理新人賞を受賞してデビュー。その後に発表された短編は評価が高く、2005年、2007年と二度、日本推理作家協会賞・短編部門候補に選ばれている。最近は長編を数多く執筆、本書もそういった一冊。

 名探偵・笛木日出男は内野宗也という人物から、特殊な形式で行われる遺産相続の現場に立ち会うよう要請されて依頼を引き受ける。内野は義理の父親である作家・星野万丈の遺産管理を行う立場。万丈の作品の価値は常識の範囲内だったのが、死後に映画化された作品が大きく当たり、さらにはその映画の影響で次々と犯罪が行われる――という社会現象まで発生していた。映画が原因で身内を殺された被害者からと思しき脅迫状も内野のもとに届いていた。さらに同じく実子のいない内野は、四人の養子を迎えており、彼らに遺産相続の権利があった。内野は毎年彼ら四人を呼び寄せ、人里離れた山荘で一週間の共同生活を送ることを遺産相続の義務としていたのだが、今年は新たな二人の養子候補を加え新たな遺言状が公開されることになっているのだ。最初の数日は無事に経過したのだが、ようやく探偵が現れるはずの日、いきなり名探偵は何者かに殴られ死亡してしまう……。さらにその館にはある条件の下、死んだ人間は……。

旧来の本格推理のガジェットに新本格の変格を持ち込み、さらに独特のエッセンス。効果のほどは?
 様々な犯罪発生要因を準備しておいて、能力の限定された幽霊たちと、明らかに作中では能力が劣るとされている生きた探偵(灰浦警部補)が何が起きているのか推理をするというもの。巨額の遺産相続、人里離れた山荘に、突然の地震によって橋がおちてこの地が孤立、さらにそのなかで連続殺人という、ある意味では古き良き探偵小説で使われるような設定が下敷きになっている。
 ただ、そういった通常の設定に加え、犯罪を引き起こす映画、個性の強すぎる探偵といったプラスαを多数加えている。さらに発生している連続殺人もあれよあれよという間に次々と関係者が殺害されてしまううえ(あっけらかんというか、見えない殺人者が跋扈しているといった緊張感もそれほど強くない)、読者を含む探偵役に対して手掛かりらしい手掛かりが与えられないため、テレビで推理ドラマを眺めているような気持ちにはなるものの、ミステリに取り組んでいるという感覚は読んでいて感じにくい展開だ。
 これまでの蒼井作品に比べても、設定にも動機にも無茶がより説得性の少ないままに目立つ点がまず残念で、最後に真相が明かされた時にも、いくら狂信的とはいえ現在のミステリでこれはないという動機に逆に愕然とさせられる。作中人物が指摘している通り、死ななくて良い人間を殺害してしまっており、本来あるべきミステリとしての構造がぐちゃぐちゃになってしまっている。新しいことをしようとした結果というよりも、途中でどうしようもなくなっているようにみえる。加えて幽霊という特殊状態に制限を付けすぎた結果、視点人物もばらばらになってしまっており、小説としてまとまりに欠けてしまっている。(読者に対してもフェアとはいえまい)。
 浮世離れした人々による小市民的やり取りというか、登場人物造形は結構うまく、それらを起点とするユーモアの感覚だけは伝わってくるものの、ツボに嵌るかというと切れ味も鈍く、やはりそれ以前にミステリとして最低限のかっちりさを求めてしまうため、自分としては全体としては微妙な印象である。
 題名の意味が明らかになる部分は少しだけ感心したものの、この点もクリティカルヒットには繋がっていない。設定は繋がってはいるものの、無理矢理感の方が強調されてしまっていて、驚きより無茶加減みたいな方を強く感じてしまった。

 ということで本格ミステリの常道と思って読む作品ではなく、じゃだから何なのかというと説明に少し困ってしまうような作品。 あまり他に類のないミステリがお好きという方ならば或いは喜ばれるかもしれない。


09/02/05
島田荘司「Classical Fantasy Within 第六話 アル・ヴァジャイヴ戦記 ポルタトーリの壺」(講談社BOX'08)

 講談社BOXの「大河ノベル」第二期、島田荘司&士郎政宗氏による全十二冊予定の”超弩級”本格ファンタジー&ミステリ。再スタートとなっている第二部、08年10月から三ヶ月連続刊行の予定が四ヶ月連続へと変更となった、その三冊目。

 アルコバールの姫君・ヒュッレム姫を無事に救い出したショーンに率いられた騎士団の生き残り、十数騎は、平原の王者たる振る舞いをする巨大な翼手竜が潜む荒野に再び飛び出してゆく。彼らは無事にかなりの距離を走り抜いたものの、その翼手竜に追われた、見知らぬ一騎が彼らを追ってくる。その一騎は再び女性で、しかもアルコバールに残してきたはずのヒュッレム姫であった。仕方なく彼女を救うショーン。更なる翼手竜の襲撃に彼らの戦法は通用しなくなっていた。岩の隙間に逃げ込めた騎士たちと女性は、地下を通って次の目的地のエル・ハズネに到着する。しかしサラディーンから遠く離れたこの地には王の威光も届いておらず、彼らの扱いは粗略を極めた。王宮以外はみすぼらしい砦で、彼らは王・エル・ハズネと謁見する。尊大な王はショーンのポルタトーリの壺への願いも聞き入れてくれない。そんな時、王の前に進み出たのは一行のなかの二人の女性・サミラと、ヒュッレム姫の二人だった……。

冒険は多々あるものの、比較的一直線になった到達点への道筋。もう普通のファンタジーとしか思えない
 島田荘司氏ほどの大物を捕まえて余裕が無くなったのでは? などとは思わないが、このアル・ヴァジャイヴ戦記シリーズになってもっともブレが少ないというか、物語自体が一直線に進んでいるように思う。進みすぎているというか。先のアルコバールから飛び出してしまうと、巨大怪物と戦いつつ逃げつつ、次の街へ。今回の街でちょっとしたトラブルに巻き込まれるものの、無事に一年に一度だけ朝日のもとに姿を現すというポルタトーリの壺の問題を解き明かし、さらに次のモニュメントへの危険な旅へ。ここまで書いて考えたが、あまり時間がない時間がないという切迫感が(あるのだけれど)読んでいて感じられないように思うのだ。
 理系パズルといった作中の問題と物語の雰囲気とが合うような合わないようなところもある一方、もしかしたら全体への伏線かもしれない、この設定の時代とは相容れない建物が終盤に登場したりもする。全体としてはファンタジーとしてしか読めないように既になっているのだけれど、一抹の疑念というものが常に感じられるためになかなか話に完全に入り込めないところがある。(第一部も後半には何かその物語世界と相容れないような存在が幾つも登場したが、結局どういった全体像が最終的に描かれるかについては今に至っても見えてこないのだが……)。

 まあ、あくまで本作は第二部でも中間点にあたる作品という位置づけになるのだろう。多少分析しても何も出てきそうにない。(少なくとも小生の頭では)。本作のポイントは、彼を慕ってついてきたサミラに対して、ショーン・マスードがついに若い男性らしい感情を見せたところ、になるのかな。


09/02/04
五十嵐貴久「相棒」(PHP研究所'08)

 同題のテレビ番組とは何にも関係のない幕末時代小説。『文蔵』に二〇〇六年一〇月から二〇〇七年九月にかけて連載された長編作品を単行本化したもの。五十嵐氏にとっては『安政五年の大脱走』以来の時代小説ということになる。

 慶応三年。勤王と佐幕、尊王と攘夷が入り乱れる明治維新前夜の京都。京都二条城に滞在中の十五代将軍・徳川慶喜を乗せた駕籠が静かに城外へと出てきた。時代の趨勢は徳川家には向かず、薩長の勢いに屈するかたちで徳川家は大政を京都の朝廷に奉還しようという動きを決めていた。この日の出立は薩摩藩を代表する西郷吉之助に対する事前の根回しが理由であり、この面談を知る関係者も限定されていたのだが、この駕籠が何者かによって狙撃される事件が発生した。この事件の結果、慶喜は引き返すこととなったが、一体何者がこんな大それた所業を行ったのかが判明しない。徳川方の官僚である永井尚志と板倉勝静は下手人の探索のため、新選組副長の土方歳三、そして土佐藩脱藩の浪人・海援隊の坂本龍馬を二条城に呼びつけ、不倶戴天の二人をして双方の人脈を通じて犯人を二日のうちに捜し出すように命じた。変わり者の坂本と、剛直な土方の反りは合うはずもなく、しかして薩摩、長州、会津といった各藩に顔が利く二人はいやいやながら捜査を開始する。

幕末時代小説ファン向けの歴史If。幕末・維新オールスターたちが織りなす夢の共演
 新選組副長・土方歳三。海援隊を率いる坂本龍馬。 幕末の激動や明治維新前夜の日本を語る時に抜きにはできない大物にして、現代に至るまで”個”として人気のある二人を、なんと”相棒”として共に働いたら? という歴史のIfを小説にしてしまうという大胆な発想がベース。ただ、その発想だけであればある意味誰でもできようところだが、これを小説にして、かつ読ませるだけの内容を伴う場合は、むしろ逆に「あるかもしれない」歴史の隙間をきちんと見つける視点と、その世界をきっちり描き出し、読者に違和感を覚えさせないだけの筆力が必要になる。その両方についてうまくクリアしているなあ、というのが印象だ。
 また、その中心となっている、二人を組ませて捜査にあたらせるという事態、そして終盤にもう一つ、(ある人物が実は生きていたというネタで)思い切った奇想を展開している以外は、一般的な幕末・維新の人物像に対して、あえてあまり冒険をしていない点も逆に好感。坂本、土方の両名にしてからが、その性格は一般的に信じられている場合の人格となっている。舞台に選んだ場所と時節柄、新選組の他隊員、薩長の重要人物、土佐に会津、幕府に公家と様々な人物が登場するが、ある程度知られた人物を、知られている通りに素材として利用しているがゆえに、登場人数の多さをデメリットにしていない点も強みだ。
 ただ、二人の捜査という部分は、いわゆるRPGなどでみられる「お使い状態」であり、順に名前の挙がる関係者を順に訪問してゆくのみ。このあたりの展開は退屈。そりゃ将軍狙撃にYESなんて答える関係者がいる筈もないのだが。むしろある人物が犯人候補となり、捜査が終了した後の展開の方がドラマティック。特に歴史上、龍馬が暗殺されたとされる近江屋事件を作者が大胆に解釈して物語に活かしている点など面白く感じた。

 後半は駆け足ながら新選組の終焉までを描ききっており、幕末という時代ならではの儚さもまた、活き活きとしている時代との対比として浮かび上がる。新選組や維新関係といった歴史・時代小説ファンの夢を満たした(?)といった内容の作品でした。


09/02/03
真藤順丈「庵堂三兄弟の聖職」(角川書店'08)

 真藤氏は1977年、東京生まれ。'08年『地図男』にて第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞してデビュー。本作で第15回日本ホラー小説大賞の大賞を受賞。同年だけで他に『RANK』にて第3回ポプラ社小説大賞特別賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説銀賞と四つの賞を獲得している。2008年を代表する、型破りの新人である。

 父親の七回忌に出るために東京から、故郷である千葉の茂原に戻ってきた庵堂久就は、庵堂家の次男。都会でのサラリーマン暮らしに疲れきっていた。そんな彼を迎えに駅前に現れたのは、巨大な霊柩車を運転してきた三男の毅巳。激しやすい彼はすぐに糞とか馬鹿野郎とかが意志とは無関係に口から飛び出す〈お口〉の病気を抱え、かつては自傷癖があったが、現在は立ち直っているようだ。霊柩車は、彼らの叔父である四方木の会社のもの。四方木は葬式会社を経営しており、彼には裏のビジネスがあった。それが庵堂家の長男が父親から受け継いだ仕事。四方木は、遺族の求めに応じ死体を火葬したと偽装して工房に運び込む。長男・正太郎はその遺体から骨や皮を使った記念品を作りだし、それを遺族に渡すことを生業としていた。父親も有名な遺工人職人だったが、正太郎もまた父親の域に近づきつつある。久就の帰宅時にも老夫婦の夫からの依頼に応えるべく奮戦していた正太郎。しかし、彼のもとに四方木が絶対に断れない、暴力団組長からの依頼が舞い込んでくる。彼の一人娘が交通事故でひどい状態で亡くなってしまったため、彼女の身体を綺麗に蘇られせて欲しいというものだ。前の仕事の後はしばらく兄弟で休もうと考えていた正太郎は、脅しにも屈せず一旦は断ろうとするが、ある事情から、その死体を引き受けることになる。

穢ならしくも聖なる物語。遺体加工という着目が光る、三兄弟の成長ストーリー
 読み終わってまず感じたのは、supernaturalの要素がないという点。つまりは小生の考えている基準からするとホラーとはいえない作品だ。ただ――それでいて受賞に反対かというと、そんなこともなく遺体にかける執念であるとか、その一般的には蔑まれそうな職業であるとか、また過去に行われていた残虐な仕打ちとか、そういった観念的な部分でホラー小説の精神にはどこか通ずるものがあるので、これはこれでありなのかな、とも思わないでもない。
 父親から受け継いだ遺工という職につき、日がな死体を切り刻んでは、使える骨や皮を使って新たな”物”を生み出す長男・正太郎。その家からなんとなく逃げだして、普通の職業につきながら父親の七回忌を期に戻ってきた次男に、ずっと長男と暮らしながらも、興奮すると汚い言葉が口をつく”病気”の三男。三人の個性がしっかりと描かれたうえで、奇妙なビルドゥイングス・ロマンめいた成長ストーリーまでが物語を構成している。特殊な性癖や考え方を持った彼らを、彼らの内面から描きだすことで、読者をもまた狂気に巻き込む手腕はさすがにうまい。(というか、この点がなければ恐らく受賞はなかったのではないかと思う)。また、脇役にあたる人々のキャラの立たせ方、伏線の繋ぎ方などにも手練れた巧さがあり、既にプロの域にある。新人賞荒らしといっていいくらいに、各賞受賞している小説家としての実力は本作でも発揮されているといえるだろう。
 ただ――、物語全体を通じて幾つものエピソードが描かれる一方、どのエピソードが本筋なのか判りにくいところがある。三兄弟それぞれに焦点を当てた結果、仕方ないところもあるとはいえ、読み終わったあとにどこか茫洋とした読後感が残るのはこのせいか。

 遺体加工に関する奇妙なまでのリアリティ、三人の兄弟それぞれの壊れっぷりなど読みどころは多数ある作品。既に他の作品を読んでいるせいもあるが、この作家は物語の語り手ではあるが、ホラー界隈の住人とは少し異なる。むしろそれがプラスに、真藤氏の場合は働くような気こそするものの、個人的には同賞受賞作品としては少々物足りなさを覚える。現代小説としてはもちろん優れているのだが。


09/02/02
佐々木譲「笑う警官」(ハルキ文庫'07)

 本書は2004年に『うたう警官』という題名で発表された、佐々木譲氏による警察小説で、後に”北海道警シリーズ”となる一連の作品のうちの一冊目。2009年には映画化も予定されており、文庫化の際に改題を打診され『笑う警官』と、オマージュ対象であるマイ・シューヴァルとペール・ヴァールーによるマルティン・ベックシリーズ作品と同一の題名となった。

 札幌の派出所で「うたっていない」と遺書を残した警察官が拳銃自殺を行う事件が発生した。
 これ以前、北海道警では違法な拳銃摘発捜査の不祥事を受け、大規模な人員異動を行っており、各部門の専門家が不慣れな部門に配転され、捜査活動に戸惑いがあるなかでの事件だった。そんななか、札幌のマンションで女性の変死体が発見された。現場は生活感のない部屋で、その女性にも暴行の形跡はない。急行した所轄の捜査によって発見された遺留品から、その女性は道警内で美人で人気のあった婦警であることが判明する。しかし、現場検証の途中で、捜査は所轄から取り上げられ本部へと引き継がれてしまう。あまりにも迅速な、しかも異例の措置に訝る所轄の刑事たちだったが、上層部の意向には逆らえない。やがて犯人はその婦警とかつて交際しており、道警不祥事の舞台の部署に所属していた同僚の津久井の犯行との断が下された。しかし、かつて津久井と捜査を共にしたことのある佐伯は、直接津久井と連絡を取って彼の無実を信じ、警察内部の有志を募って独自に捜査を開始した。津久井は道警の不祥事について翌日証言することが決まっており、道警から下された射殺許可は実は口封じを意味している?

タイムリミットのサスペンスに警察小説の群像劇。真相の意外性、背景にある現実事件。完璧エンターテインメント
 佐々木譲氏は北海道出身。'79年に第55回オール讀物新人賞を『鉄騎兵、跳んだ』で受賞してデビュー。その後'90年『エトロフ発緊急電』で第43回日本推理作家協会賞長篇部門・第8回日本冒険小説協会大賞・第3回山本周五郎賞をトリプル受賞、さらに2002年には新田次郎賞を『武揚伝』で獲得するなどミステリ分野に限定されない、幅広い活躍を行っている。'08年には『警官の血』が「このミス」一位になるなど、ベテランにして益々活躍している作家である。――というようなことを細々書くのは、実は本サイトで佐々木譲作品を今回初めて取り上げるからである。たまたまある方から強く勧められて本書を読んで自らの不明を恥じる次第。
 さて、本書である。もともとは現実に過去に発生している北海道警裏金事件にインスパイアされたということで、その現実事件が(実は、その内容があまりにも汚いので、それこそフィクションのようにみえる)、背景として存在する。裏金を吸い上げる立場は当然、警察内部でも上層部にあたり、こちらは何が何でも揉み消したい。一方で、組織の利害(組織=上層部であり、末端の警察官ではない)に反してでも、己の考える正義のために行動を取る警察官たちのチームプレーが物語の根幹を成す。いわば、内部に強力な敵が存在するわけで、そのスリルがたまらない。組織に所属する者は、組織から”力”が与えられているわけで、強制的にその力を失わせることができる対象者が相手、しかもそれが誰なのか分からない。また、委員会に対する証言という翌日のタイムリミットがあるわ、殺人事件の真相は分からないわ、匿った仲間を警察組織が虎視眈々と狙うわ、どうやら仲間うちに裏切り者がいそうだわと、とにかくスリルを喚起する要素が盛り沢山なのだ。
 裏金事件を契機とする強制的異動の結果、その部門には似つかわしくない異能を持った人材が揃っている一方、本来の部門における専門性を持つ人間がいなくなっているという設定もユニーク。そんな登場人物造形も全体的に優れている。なかでも主人公の佐伯の冷静沈着さと、大胆さと慎重さ、計画力を併せ持つ人物像が素晴らしい。 彼の考えていることは、読者も漏れ知ることができるのだが、最後の最後の部分が明かされていないことでミステリとしてのサプライズをもまた、彼から浮けとることが出来る。

 既にこの道警シリーズの続編として『警視庁から来た男』『警官の紋章』が刊行済。個人的にはこの二冊も購入済なので、まずは順に読んでゆくこととします。


09/02/01
詠坂雄二「遠海(とおみ)事件 佐藤誠はなぜ首を切断したのか?」(光文社'08)

 カッパワン新人賞を『リロ・グラ・シスタ』で受賞してデビューした著者が、(ある意味)満を持して打ち出した、種々の試みに溢れた意欲的な作品。二冊目の長編にあたる。

 シリアル・キラーである佐藤誠。探偵によって捕らえられた後、八十六件もの殺人を自白する一方、その完璧な死体遺棄と証拠隠滅により、有罪の証拠さえもその犯行の一部しか得ることができない。その佐藤誠が証拠を残した数少ない犯罪が、書店店長時代の佐藤が犯した殺人事件だった。当時、遠海市の書店の店長として静かに生活していた佐藤。さまざまな職業についてふらふらしていた佐藤のことを見込み、彼を拾い上げてくれたのは、このブックチェーンの役員だった蛎塚専務だった。その蛎塚は、チェーンの社長と今後の経営方針を巡って対立していた。その蛎塚が自室で首を切断された死体となって発見される事件が発生。更に、現場近くのアパートでは、同じように首を切られた少女の死体が発見された。刑事の阿比留は、蛎塚側の第一発見者である佐藤を疑わしく思うが、その冷静な態度や、多少な不審点があっても特に隠していないようにみえる人柄もあり、決め手を見つけることが出来ない。しかも彼にはアリバイがあった。――しかし、その事件は佐藤誠による犯行だった。本来、殺人の完璧主義者である彼は、なぜ遺体の首を切断したのか……??

ひねくれた、あまりにもひねくれた驚かせ方。本格読みの手練れを手玉に取る二重底のミステリ
 いやはや。本編となる殺人事件もそれなりにひねくれているのだ。犯人が既に明らかになっている状態で、幾つかのピースを隠したかたちの殺人事件。物理的な犯行は可能にみえるのだが、それまでに犯人”佐藤誠”のディティールが明らかになっており、副題にもある通り、彼が「なぜ首を切断したのか」の意味がさっぱりと見えてこない。ただ――、本書で明かされる首切断の理由は、むしろ理解できるものであるし、確かに彼がアリバイを立証する方法は、さすが”佐藤誠”だという意味のあるユニークな盲点を使った方法である。ただ、これだけの謎解きであれば本格ミステリファンの高い評価を得ることはなかっただろう。
 本書で凄まじいのは、やはりその事件をくるむ外枠の、しかも執拗なサプライズの連続にある。 巻末広告まで架空のものを使用するなど、本書は詠坂雄二という作家が、佐藤誠について執筆した作品である、という体裁を実際に読者が手に取る本のなかでも徹底している。その結果、この本の「おわりに」の最後の一行や、巻末資料として提供された一ページなど、そういった本来の物語とは異なるところに一行でサプライズを仕込んでいるのだ。しかも驚かせるのみではなく、思わずページを遡りたくなるような伏線が込みなのだ。なんというか、そのサプライズそのものよりも、そのサプライズの仕掛ける場所や意表を突くタイミングが、サプライズを際立たせている。 ある意味では、ミステリとして一発芸だしキワモノ扱いされても仕方ない部分もあろう。しかし、そういった事柄を行うために執拗に伏線を仕込んでいる点は、素直に感心するところ。
 また、自白数が八十六人というシリアルキラーという主人公の描写も凄まじいものがある。そしてさりげなく凄いのが、ミステリにはあるまじき、死体の完全損壊・遺棄、凶器の隠滅といった設定だ。つまりは、一切の手掛かりを処分してしまえば警察も探偵も追いかけてこないということ。徹底して自らの罪(人殺し)を隠蔽してしまう主人公の壊れ方もまた読みどころにあたるかもしれない。

 いずれにせよ、インパクトの強烈なミステリ。これで作中のミステリが完璧(論理的ではあるものの、若干情に流され過ぎているところがある)であれば、年末ベストだけでなく、もう一段ステージを上がることが出来た作品のようにも思う。本格ミステリとして、記録以上に記憶に残る作品だといえるかもしれない。