MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/02/20
多島斗志之「CIA桂離宮作戦」(徳間文庫'90)

 '87年に刊行された『ソ連謀略計画(シベリア・プラン)を撃て』を文庫化に際して改題した長編作品。多島斗志之にとって三冊目の長編にあたる。

 極寒の地、シベリアを豊富な穀倉地帯へと改造する――人口増と食糧不足に悩むソビエト連邦がこの夢を実現するために気候改造を計画しているとの情報をCIAがキャッチした。暖流を北極方面まで引き入れるなど、予想される計画が実行されると米国や日本の気候が激変し、甚大な被害が発生する――。ちょうど近いタイミングでソ連側の計画責任者が訪日することが決まっており、CIAは内閣情報調査室に対して共同作戦の実施を提案してきた。相手はソビエト連邦国家計画委員会議長のミハエル。日本に送り込まれてきたCIAエージェントによる計画は、彼が京都滞在中に桂離宮を訪問した際、内部のある施設を利用して誘拐してしまおうというものだった。あまりにも大胆なその計画に、警視庁公安部外事一課の能方や警視庁警備部の広瀬ら、日本側の実行者は驚愕するも仕方なく任務に対応することになる……。

背景となる設定が奇想天外、そして物語構成として別のかたちで想像範囲外
 うーむ、さすがだ。(地球温暖化でそれどころではないという現代の事情は置いておいても)当時のソ連という国は本当に何を考えているか分からないというか、地球自体に干渉してでも自国の利益を優先させようという雰囲気があった訳で。幾つか読んだ多島謀略小説で感じるのは、細かな政局による歪みではなく、本当にソ連全体の国益がベースで考えられているために奇想天外だけど、リアリティがあるという不思議な雰囲気を背景に置くことに成功しているのだ。
 一方、物語は梗概のような誘拐作戦が主体かというと、少なくとも前半部はそう。ただ計画自体が最初に明かされてしまい、後はその実行に臨んでの緊張感や臨場感が中心に描かれているため、その誘拐構想自体もかなり奇抜であるにもかかわらず、いつの間にやら淡淡とした描写のなか、なるほどーといったレベルに読者としては落ち着いてしまう。
 が、再び後半にて物語の舞台が海外に飛び、物語が急展開する。詳しくは書けないが、ここからは読者にも何が起きているのか見えない展開となっており、ここまで予定調和的奇想天外で進んでいた筈の物語が、その予定調和がぶち壊されて想定の範囲外に飛び出していってしまうのだ。それでいて、個々人に対する淡淡とした描写に揺らぎはなく、むしろ物語が暴れ出すのを文章が抑制している感覚だ。この物語をコントロールする力については、やはり、うーむ、さすがだ、という最初の感想に戻ってしまう。

 ソ連だとかCIAといったキーワードが現代的というよりも懐古的になりつつあるものの、背景と物語とで、二重に奇想を持ち込む物語構成は今なお充分鑑賞に堪えうる。 むしろ旧題『ソ連謀略計画を撃て』、改題『CIA桂離宮作戦』のいずれも題名センスが今ひとつという点が問題。作者自身というよりも、このあたりは出版社側が強くこだわって、作者にあまりこだわりがなかったのではないか……などと想像するしかないのだが。


09/02/19
海堂 尊「ジーン・ワルツ」(新潮社'08)

 『小説新潮』誌に2007年6月号から12月号にかけて連載された作品が単行本化されたもの。いわゆる「田口・白鳥」シリーズではないが、他の作品同様、世界としてはリンクしている。本作の場合、『ひかりの剣』『医学のたまご』のの繋がりが強いようだ。

 厚生労働省に最も近い存在である名門中の名門・帝華大学医学部産婦人科教室に所属する曽根崎理恵は、発生学の講師を受け持つ傍ら、非常勤の医師として週に一回「マリアクリニック」という産婦人科病院に出向して診察を請け負っていた。マリアクリニックの院長、三枝茉莉亜は末期の癌に冒されており、名門医院であるクリニックも現在預かっている患者たちの出産までということで閉院されることが決定していた。しかも茉莉亜の息子、三枝久広は、田舎町の産婦人科医として北海道に出向いて一人で奮闘していたが、半年前に異常発生した妊婦の死の責任を負わされ逮捕されるという事件に巻き込まれていた。理恵は、その病院で中絶を希望する二十歳なりたての青井ユミ、長年の不妊治療の結果、人工授精で身籠った荒木浩子、五十五歳という超高齢出産、しかも双子を育む山崎みどりら、五人の妊婦たちを担当していた。一方、理恵の同僚で帝華大学准教授の清川吾郎は、理恵が禁断の代理母出産に手を貸しているという噂を聞きつける……。

妊娠・出産の社会的・現実的問題を直視し、かつ先の読めない一流エンタへと昇華させる
 各作品ごとに海堂尊氏がそれぞれ医療における「科」を違えることで、作品毎にテーマを変更しているのは周知のこと。(それ以外のテーマももちろんありますが)その意味で婦人科というか産婦人科に関してはいずれ必ず取り上げられるべき話題であるともいえた。もちろん、現実に産婦人科医の減少といったかたちで報道されている事態もあるのだが、その裏側に監督官庁が一面的に実施した施策が影響している点などもよく理解できる作品である。
 ただ、もちろんそういった一種単純な(?)社会派側面だけではない。出産にまつわる様々な身体の問題や倫理の問題も、五人の妊婦を通じて効果的に取り上げているし、マスコミの一方的な報道への批判、閉院間近の「マリアクリニック」の存在や、極北市で発生した事件など、時事的に発生している諸問題にも似た事例を入れ込むことで作品自体の世界性を複層的に高めている。
 一方で、不思議な、というか皮肉なことに物語のゲーム性や盛り上がりといったところも巧みに取り入れられている。五人の妊婦、みんながみんなが幸せな出産となるわけではない事実、さらに代理母出産の謎、自分の意見の正当性を巧みに外堀を埋めつつ認めさせる”クール・ウィッチ”理恵の論理的な考え方など、様々なところに瞠目や驚きが存在するのだ。
 一方、エンターテインメント小説としては正直なところ、例えば出産を経験している方としていない方、男性と女性、子供のいる/いないといった要素が、本書の感想を様々なものに変化させるタイプの作品。(多くの小説はその傾向があるのだが)それにしても、その差違が極端に出るように感じられる。 それでも! この産婦人科にまつわる諸問題、そして厚生労働省の独善的かつ保守的な態度といった、世の中全体に係わる諸問題については間違いなく心に響くはず。

 海堂尊というエンターテイナーの「うまさ」は、ここまできて改めて考えるに、楽屋落ち的人間関係を様々なところに突っ込むがゆえに、著作全部読みたくなる、という気持ちを読者に喚起させてしまうところにあるのではないかと、つらつら思う。


09/02/18
佐々木譲「警察庁から来た男」(ハルキ文庫'08)

 2004年に刊行された『うたう警官』(文庫化により『笑う警官』と改題)に続いて、道庁シリーズ第二弾として発表された作品。2006年12月に角川春樹事務所から書き下ろしで刊行され、'08年にハルキ文庫に入った。(今回は改題はされていない)。

 前作『笑う警官』にて重要証言を行った道庁の警察官、津久井は警察学校にて閑職に就かされていた。津久井をサポートした他のメンバーは、多少の担当替えがあった程度で大きな変化はない。そんな北海道警察本部に、突然、警察庁からの特別監察が入った。監察官は警察庁キャリアの藤川警視正。その連絡は藤川到着の寸前に行われるなど、抜き打ちの意図はありありだった。警察庁が問題としていたのは、最近道庁内で発生した二つの事件。一つは人身売買から保護されていたタイ人少女が逃げ込んだ交番に逃げ込んだものの、派出所所員が暴力団に彼女を引き渡したという事案で、国際問題にもなりかかっているもの、そしてもう一つは、風俗店で店員が非常階段から客を突き落としたと思しき事件が、一刑事の暴走により事故死扱いにて決着していたもの。藤川は、津久井刑事を呼び出して監察に対する協力を求めた。一方、大通署の佐伯と新宮刑事は、ホテルへの侵入事件の捜査に赴いていた。ホテルに宿泊していたのは先の転落事件の遺族で、被害者の父親。父親は福岡から北海道に赴き、再捜査の依頼をしたところだった。佐伯は事件にきな臭いものを感じ取る。一方の藤川も監察の特権を利用して調査を進めるが、特に大きな問題があるようにみえない。果たして道警の裏側に引き続き横たわっていた問題とは何だったのか……?

前作同様、警察官群像の活写。前作とは異なるタイプのスリル、前作と同じくらい痛快な結末
 前回の事件で裏金作りは無くなり、浄化された筈の北海道警察。しかし、そこにはまだ不可解な病巣が巣くったまま残っていた? 冒頭で描かれるのは二つの事件。タイ人少女が身許引受人と名乗る暴力団に引き渡される話、そして明らかに何者かに脅されて転落した男が事故死で処理される話。最初から巧妙なのは、読者側からするとその二つの事件そのものと処理には、警察の怠慢というかミスが絡むことは感じられても、それが決して積極的な不正にもみえない点。 これが明らかに不正と判る事件であるかどうかで、後の藤川警視正による監察に対する読者の接し方が変わってくるわけで、その匙加減を冒頭描写で見事にコントロールされている感。
 警察各署に対する「監察」という存在は、警察内部の警察のような存在。藤川警視正の登場からの態度や行動のピリッとしたところ、いきなり引き込まれる。(部屋を出ようとした刑事をビシッと止めたりするところ)。津久井の協力を得て、着々と正攻法で何かがあることを突き止めようとする展開は正統派。一方で、転落事件に絡み、前回同様本来の職務を微妙に逸脱するかもしれないラインで捜査を行う佐伯と新宮の両刑事コンビの泥臭い捜査もまた魅せる。はったりあり、駆け引きありで着々と証拠を固め、犯人に向かって突き進む姿はやはり爽快だ。
 今回はどこで津久井と佐伯が重なるのだろう……というのがひとつの興味だったが、前回紹介された過去の囮捜査失敗エピソードに関する答えまでが本作で明らかにされる点に驚かされ、かなり後半にさしかかるまで二人は協力するかたちにならない。だが、両方の捜査が厚みを増してゆき最後に交錯するという物語構成はやっぱり上手いです。(最後の捕物騒ぎについては多少映像を意識しているような気がして、小説としては微妙な気もちょっと)。
 解説でも触れられていることになるが、文章のキレと簡潔にして濃い描写が特徴で、薄野を知らない小生にしても光景が頭に浮かぶし、そのうえで読み終わったあとの重量感が凄まじい。濃い内容を簡潔な文章量で書くのがプロだというが、その意味では佐々木譲の仕事はプロ中のプロ作家の仕事だといえるだろう。

 とはいえ、警察ミステリとして文句なしのエンターテインメント。核心には踏み込まないとはいえ、前作内容に触れる部分がありますので『笑う警官』を読まれてから、本書に取りかかる方が吉でしょう。


09/02/17
笹沢左保「結婚って何さ」(講談社文庫'82)

 1960年、笹沢左保のデビュー直後に後の代表作となる四長編が発表されたのは伝説的である。乱歩賞最終選考に残る『招かれざる客』、日本探偵作家クラブ賞を受賞する『人喰い』、そして傑作中の傑作『霧に溶ける』、そして本作。はすっぱな題名が時代を感じさせる本作、その四作のなかでは少し損をしているように思われる。が、ロマンと本格の融合を目指した著者の原点のひとつといえる重要な作品なのだ。

 臨時雇いで勤めていた会社を服装の乱れを注意されたことから反発、遠井真弓と疋田三枝子は会社を飛び出してしまう。その会社に対する憤慨から二人は銀座を飲み歩き、泥酔して訪れた三軒目で眼帯をした一人の男性と知り合う。更に二時間、男と盛り上がった二人は自棄になっており、金離れの良い、その男の案内するとい旅館に泊まることにした。旅館の離れでは男があっという間に眠りこけてしまい、何かを期待した二人は肩透かしをくらう。しかし翌朝、男は密室となった離れのなかで絞殺死体となっていた。慌てて逃げ出した二人は、身内のところにも立ち寄れず彷徨う。新聞で男は港区の郵便局員で現金書留を盗んで失踪した森川だと知れる。少しずつ狭まる包囲網に、ついに三枝子は耐えきれず衝動的に電車に身投げをしてしまう。一方、真弓は男の財布に残された、河口湖→東京都区内の切符と、弁護士・伴幸太郎という名刺をもとに三枝子の仇を討つべく一人で犯人を捜し出す決意をしていた。河口湖に向かう汽車のなか、三枝子は男性につけられていることに気付き、車輌にいた女性に連れを装うように頼み込む。結局、その女性についていくかたちで西湖の近くの旅館に宿泊する。実はその女性こそが伴の妻であり、その伴は少し前、西湖で足を滑らせて死亡していたのだ。真弓は自分の廻りに次々と発生しる死に愕然とする――。

タイムリミットサスペンス+(当時の)現代女性の生き様+本格のトリック。三者融合
 うーん、確かに本格としてのみ本作を捉えると、冒頭に挙げたほか三作に比べると少し弱い点は否めない。タイミングが判らないので、この当時に前例があったか不明ながら、プロットとしてメインとなるトリックについては後のミステリでは数多くみられるもので(少なくとも現代読む分においては)驚きは少ない。一方、密室にしていた離れに、突如現れた絞殺死体、部屋に二人の女性がいて二人とも犯人ではない――という冒頭のトリック。こちらは密室内部に死体を登場させた仕掛けについてはちょっとした盲点をついた単純なものであるのだが、なぜ彼女たちが巻き込まれ、どうやってそれが実行されたのかという部分の工夫が気に入った。なぜそういった手法を犯人が弄したのか、なぜ彼女たちが巻き込まれなければならなかったのか、という両方にしっかりと意味づけが為されている点は、さりげなくも評価すべき点かと思う。
 一方後半部は、真弓の騎士役として登場する隆二と共に、警察の捜査が進められるただなかの東京に戻って真犯人捜しに奔走する展開となる。行く先々に警察の影がちらつき、思うように関係者に接触できない流れからは、読者も焦燥感を共有することになる。また彼らが捕まるのが先か、真犯人を告発するのが先か、(まあ物語の常として真犯人の告発はなされそうだとはいえ)それが具体的にどのようなかたちになるのか、先が全く読めないスリリングさがある。
 風俗的にはさすがにおよそ四十年前に発表された作品ゆえに、会話等々古びている感は否めないが、その古びている価値観のなかでも女性の立場から変革を求めようとする主人公・真弓の立場からは時代を超越する強い意志が感じられる。当たり前である結婚制度について、身をもっての経験から疑念を発し、題名のような言葉を発する主人公の気持ち。決して多数派にはならないまでも、いつの時代にもそう感じる女性がいるのではないだろうか。


09/02/16
内田康夫「漂泊の楽人」(講談社文庫'91)

 内田康夫氏の浅見光彦シリーズの長編作品。'86年に講談社より「推理特別書下ろし」として刊行された後、'89年に講談社ノベルス、そして'91年に本文庫入りしている。'96年に徳間文庫、'05年には中公文庫からも刊行されている。もちろんドラマにもなってます。

 静岡県沼津市に住む漆原肇子は、突然降って湧いた縁談に戸惑っていた。父親が残した遺産があるとはいえ、兄は失業中で自分自身絶世の美女というわけでもないのに、中部銀行の重役の息子から是非に、と言われたのだ。母親は狂喜したが、兄は事情を確認して気をつけるように言い出す。さらに兄は、自分にもしものことがあったら、学生時代の友人である浅見光彦という男に自分のワープロを送り、自分の名前を入力するよう言い残し、釣りに出掛けたままボートの事故で亡くなってしまう。肇子は直前の兄の様子から、事故や自殺とあり得ないと警察に主張するが、決定的な証拠はない。兄の遺言を果たすため、東京の浅見邸を訪ねた肇子だったが、家に電話すると母親に何か訳ありの来客があるような発言があり、さらに自宅に戻るとその母が胸を一突きにされていた。「シシ、ハマダ、 コガ」と言い残し、病院搬送中に母親は死亡。天涯孤独の身の上となった肇子は、母親の故郷である新潟を訪ねることを思いつく。一方の浅見もワープロ内に残された文書をヒントに、やはり新潟へと向かうことにした。

沼津、そして新潟。旅する探偵・浅見光彦とほんのりとした恋愛ドラマ。謎解きは残念ながら恣意的
 内田康夫の比較的だが初期作品ということで、もしかすると謎解きのテイストがあるかも、と手に取った一冊。よくも悪くも内田康夫の浅見光彦シリーズらしい構成と出来上がりであり、その意味では標準作だといえるだろう。前半部は静岡県の名所旧跡に一部触れているが、特に後半部の新潟県の瞽女と角兵衛獅子といった、現代には無くなってしまった風俗を作品内に取り入れている。一方で、巨悪を設定することも忘れず、今回は悪徳投資組合が標的となっている。一般投資家から金を巻き上げ、かつ他の幹部は雲隠れしつつ隠された資産を巡る争いが後半部の眼目だ。
 もちろん、一人残されたヒロイン・漆原肇子と浅見の軽めのロマンス(しかし相変わらず清潔に過ぎるもの)が交わされるし、後半部に刑事局長の兄の力を借りて犯人を追い詰める展開にはそれなりの迫力がある。
 とまあ、ドラマ化すると(実際されているけれど)盛り上がるところが多そうな内容である。……が、ワープロに残された秘密にしても、パソコンが普及している現代であれば多くの読者がお見通しであろうトリックであるし、ダイイングメッセージも、その後の展開に関わるとはいえ読者が解き明かすために用意されたものではない。浅見の後半の推理は、悪くいえば当てずっぽうを連発し、それがたまたま当たっているだけという印象だし、肝心の犯人がボロを出したあとの展開もあまりスマートではない気がする。あと気になるのは大前提となる善意の第三者が巨額の預かり金を銀行に隠したという設定も、さすがにこれだけ金額が張れば、いくらこの時代でも銀行が金の出所を追及しない筈もなく、このあたりには小さな違和感を覚える。

 ただ、上記前半に書いた通り、浅見光彦シリーズとしての勘所はきっちり押さえられた作品でもあり、プロット自体も破綻しているわけではなく、それなりの構成を見せている。なので、浅見ファンの方が手に取る分には何の問題もない長編だと思われる。どうでもいい話ですが個人的には当時のワープロ上位機種が一台百万円とかいうところに驚きました。


09/02/15
桂 望実「平等ゲーム」(幻冬舎'08)

 桂望実さんは1965年東京生まれ。'03年『氏日記』でエクスナレッジ社「作家への道!」優秀賞を受賞してデビュー。'05年に発表された『県庁の星』が映画化され、大ベストセラーになる。本作は書き下ろし刊行された長編作品。

 百年前、東京出身の三組の夫婦が瀬戸内海の小さな島を買い取り、究極のユートピア建設を目指した。日本では様々な差別が存在していたが、鷹の島と名付けられたその島では住民達の投票によってルールが決められ、人は皆平等であるというルールに従って運営されていた。過去には異端視されていたが、完全有機農業によって栽培される無農薬野菜の生産などで島は豊かになり、観光地としても最近は注目されている。住民は基本的に一定数に定められており、何らかの事情で欠員が出た場合に限り、本土に置かれたパンフレットで移住希望した人間が調査され、双方の了解のもとに新たに移り住むことが出来るのだ。生活にかかる費用は食費含めて一切無料、仕事もそれぞれ割り当てで決定されて定期的なローテーションが行われる。僕、こと芦田耕太郎は、三十代の独身男性。現在は勧誘係として本土と鷹の島を飛び回っている。父母の代に鷹の島に移住し、鷹の島で生まれ育った僕は、どうも本土の人たちが当然持っている感情がいくつか欠落しているらしい……。

ユニークな設定が万端揃っていながら、主人公の成長譚にしているのが微妙に惜しいか
 この「鷹の島」の設定、小説の舞台として素晴らしい。完全平等を謳っているコミュニティにはどこか欺瞞がつきものなのだが、例えば社会主義国のような特権階級が存在しないだとか、無農薬農業で村人全部を養う以上の収益を確保しているとか、一定人員以上は島に住めないよう規定されているとか、細かい点まできちんと配慮されている。小生がミステリ畑の人間ということもあろうが、この設定を逆手に使えばユニークなミステリはパニック小説とか出来そうに思うのは、読者のわがまま。本書は、その平等な島に育った真っ直ぐな青年が新たに経験する、彼が知らなかった世界と感情を獲得して成長していくという物語になっている。世間知らずということではなく、競争社会のなかで普通に獲得する競争心であるとか、嫉妬心であるとか、虚栄心であるとか、そういった黒っぽい感情が無いのだ。無菌栽培されているのは農作物だけではなく、人間も同じ。ある意味無邪気に島の理想を信じ込んでおり、本土の考え方が間違っているというステージに最初は立っている。それが、様々な経験をするうちに自分自身の感情の揺れに動揺し、さらには「鷹の島」内部を動かす様々な裏事情についても気付いてしまう。おめでたいといえばおめでたいのだが、当初の島の設定がかっちりしているだけにそこに違和感はない。
 そういう訳で、おっとりした競争心のない人々が現実に染まるというかたちで成長するという物語。ただ――、あくまで深読みすると、例えばここのところの学生教育。ゆとりとか大学全入だとかモンスターペアレンツの跋扈とかによって、無競争を是とするようになりつつあった日本の教育システムそのものに対する遠回りな皮肉とも受け取れる。

 最終的に主人公は島を出ることになるのだが、この「鷹の島」自体が崩壊しているわけではない。先にも述べたようにこの島を再度用いて、サスペンスや本格ミステリがあったら嬉しいな(と我が儘を言ってみる)。たぶん題名にある「ゲーム」という言葉に先入観を覚えた自分がいけないんですがね、はい。


09/02/14
辻村深月「太陽の坐る場所」(文藝春秋'08)

 『冷たい校舎の時は止まる』で'04年に第31回メフィスト賞受賞後、着々と作を重ねて注目を集める女性作家・辻村深月さん。本作は『別冊文藝春秋』に2008年1月号から11月号にかけて連載された作品を単行本化したもの。

 F県立三年二組のクラス会は卒業以来、年一回三月に開催され、幹事役を買って出ている島津謙太の尽力もあって十年継続している。F県は東京と隣接していることもあり、卒業や就職で東京に来ているメンバーも多く、今回は思い切って地元ではなくて東京都内での開催となった。集まるメンバーは多彩で、アパレルメーカーのデザイナーだという水上由希、地元銀行就職ながら東京支店勤務中の島津、小さな会社のOLをしながら演劇を続けている半田聡美、趣味を一直線に極めて映画会社で働いている里見紗江子、紗江子の親友で主婦の貴恵、東京に出ながら地元に戻ってWEB制作の仕事をしているムードメーカー・真崎修。しかし、なんといっても彼らの話題をしばしば占めるのは「キョウコ」だった。現在は人気女優として、幾つかの番組や映画に出演する有名人。そんな彼女もまた彼らのクラスメイトだった。その「キョウコ」をクラス会にどうやって呼ぼうかと、彼らはまた盛り上がるのだが……。

高校卒業後十年。大人になったクラスメイトたち同士の様々な距離感が奇妙に共感できる不思議な作品
 高校卒業後のさまざまな人間模様を群像劇的に描く作品ということになるが、この二十代後半という、年代特有の様々な境遇の若者たちが持つ心理描写が絶妙(まじ)。 現実には当然さまざまなケースがあるわけで一概にくくれるものではないのは承知だが、本書設定の二十八歳においては、夢を追い続けるOL、既にママとなっている主婦、中堅どころのサラリーマン、自分で事業を切り回す社長、趣味を生かして仕事に就けた人間もいれば、なんとなく日々を過ごして自分を偽ることに必死なものもいる。ただ、普通はここに、「女優」というスターを配置することで、同級生個々人の人生、その光と影がくっきりとしたかたちで浮かび上がってくるのだ。ある場面ではそれは優しく、ある場面ではそれは残酷に。
 また、例えば同窓会を開催することに余暇の多くを注ぎ込む幹事役・島津。また、実際は臨時雇いでしかないのにあたかも人気ブランドのデザイナーとして振る舞う由希。こういった痛痛しい存在が、むしろこの作品のリアルを強調しているように思えるのだ。また、その島津ほかの思惑とは別に、自分の事情があったり、そもそも同窓会で満たすべき欲求が他で充足された途端に、足を向けなくなる人々。これもまた現実的。そういった意味では、どこか浮世離れしたような物語でありながら、実際は個々の人間描写と総合的な状況描写にさりげない機微が見え隠れしているといえよう。

 実はミステリとしての仕掛けもあり、その結果中盤までの回想部分で覚えた違和感は解消される。が、残念ながら効果は限定的。下手にサプライズを期待するよりも、正面から人間群像劇として読む方が、ずっと読み応えのある作品かと思う。


09/02/13
島田荘司「Classical Fantasy Within 第七話 アル・ヴァジャイヴ戦記 再生の女神、アイラ」(講談社BOX'09)

 講談社BOXの「大河ノベル」第二期、島田荘司&士郎政宗氏による全十二冊予定の”超弩級”本格ファンタジー&ミステリ。再スタートとなっている第二部、08年10月から三ヶ月連続刊行の予定が四ヶ月連続へと変更となった、その四冊目にして第二部完結編。

 不思議な機械と人間たちが共存する街で、ポルタトーリの壺の謎を解き明かす必要が生じたショーンたち。ポメグラネットの塔の上から奇妙な街を眺めているうちに、ショーンは正解に辿り着く。しかし、彼らは今夜八時までに紅海にたどり着く必要がある。ショーンは慌てず、その得られた回答の通りに街を通ることで茶色に錆びた鉄の球を次々と入手し、最後にロビン・ラモスと名乗る機械を研究しているらしき人物に巡り会う。彼は砂金を燃料にして走る雷の機械(いかづち)を開発しており、その機械をショーンたちに与えてくれるばかりか、使用方法について詳しく解説をしてくれる。二つの車輪がついた未来の機械。そして馬千頭分の力を持つというその機械は、荒野を高速で突っ走り、さらには短時間であれば空をも飛べるのだという。ショーンたち八人は、その機械を駆って改めて荒野に乗り出してゆく。果たして時間までに紅海にたどり着けるのか。しかし、彼らに対して無情な化け物たちが次々と襲いかかり、生き残った面々も一人、また一人と倒れてゆく……。

第二部、完結。物語は直線にして予定調和、しかし第二部は第二部で不思議がいっぱい。果たして?
 本当は第二部は三冊を四冊にしたのでもなおまだ島田氏は書きたいことが書き切れていないのではないかという疑念が湧く。それほどまでに駆け足でこの一冊は物語が進められている。(もしかしてこの大河ノベルが改めて思いっきり加筆されて一冊に纏められるなんてことはないでしょうね、という疑念も湧く)。千騎の騎兵が慌ただしくもある目的のために出発して、難行を続けるという展開からは、途中の紆余曲折があろうとも、物語のお約束で最後に誰かが目的を達するであろうことは容易に予測がつくわけで。その意味では第二部完結編である本作は、予定調和といえば予定調和な作品。
 もちろんその過程がなだらかではなく、過程にある紆余曲折こそが物語としての面白さをかき立てる。普通の意味での、剣と馬による、化け物や障害との戦いが描かれるところまでは普通だが、この「アル・ヴァジャイヴ戦記」においては、その中東ファンタジーであった筈の物語が、いつの間にか機械とオリエンタルの融合した世界へと移り変わり、さらにあまり登場人物たちが違和感を感じていないことにまた違和感。もちろん読者としては唐突に機械世界が現れることにも違和感があるわけで、トータルとして島田荘司氏がこういった読者の違和感に対してどのように決着をつけてくるのか、今から非常に楽しみである。
 また、再生の女神の正体が……であったとか、第二部のなかでは完結しているようでいて実際のところよく判らないし。果たして、彼らがプライドを賭けて飛び出してきたサラディーンの街がこの結果、どう救われるのかもよく判らない。ああ、判らないことだらけだ。

 第三部が再開されるのが、今年九月? ええ? そんなに待つの? というのがリアルタイムで読んでいる読者の偽り無い気持ちではなかろうか。ここまで来て今さら止められないが、もやもやするのがお嫌な方は、完結してから最初から一気読みするのもまた手であることを覚えておいていただきたい。


09/02/12
湊かなえ「告白」(双葉社'08)

 第29回小説推理新人賞を受賞した「聖職者」を含み、双葉社創立60周年記念刊行作品とされて発表されるやいなや、あっという間に世間の話題を攫って2008年度の文春ミステリーベスト10で第1位を獲得。『09年このミス』でも第4位を獲得するなど年間ベスト10で高い評価を得た。「聖職者」から「慈愛者」までが『小説推理』に発表され、残り三章が書き下ろされている。

 市立S中学校の一年のあるクラスの終業式。担任の森口悠子は学校を辞めることを生徒たちに話す。彼女の娘が学校内で死亡する痛ましい事件があったことがきっかけだが、事故死と判断されたその事件は、このクラスの二名の生徒による殺人であると告発する。そして彼らに復讐を仕掛けたとも。 『聖職者』
 二年生に進級したクラスは森口の告白が尾を引いていた。少年Aとされた渡辺は学校に来ていたが、少年Bとして告発された下村は学校に登校しない。新たな担任教諭で熱血が売りのウェルテルは毎日のようにクラス委員長の美月を伴い、家庭訪問を行うが……。 『殉教者』
 追い詰められ、母親を殺害してしまった下村。その姉で離れて暮らしている聖美は事件の背後を知るために母親の日記を読み始める。が、そこに描かれていたのは息子を愛するがために歪んでしまった母親の姿だった。 『慈愛者』
 ひたすら母親に褒められて育った下村は学校では友人が出来ずに浮いていた。そんな下村に声を掛けてきたのが渡辺という優等生。彼はあることをするのに下村を手伝わせようとし、下村もそれを喜んで受け入れたはずだったが。 『求道者』
 優秀な母親に育てられたが彼女が大学に戻る際に離婚で離ればなれにさせられた渡辺。彼は自分が目立つことで何とか彼女と再会したいと考えていた。そしてその思考の果てに辿り着いたのは子供を自分の発明で殺すこと、そして学校に爆弾を仕掛けることだった。 『信奉者』
 最後の最後、渡辺に送られた森口の手紙。 『伝道者』

狭い世界でリンクする肥大化した意識と復讐の輪舞。学校を舞台とすることで倫理観が麻痺する恐怖が増す
  この作品に関しては乗り遅れました。すみません。各方面で高評価を得ているのが納得される濃い内容の作品。特に、中学生の低学年という微妙な時期を扱うことで、むしろ何が起きるか判らないというサスペンスが醸成されている。また、冒頭にそれだけの怨みがあるとはいえ、復讐する側が教師で復讐される側が生徒という歪んだ図式を持ち込んでいるところに、特有の怖さがある。
 また、連作の形式を取っているものの、事実上の流れは長編といってよく、それを様々な関係者による「告白」によって多層的に物語を積み上げる手法を採っているところも、新人とは思えない濃いプロット構成に繋がっている。また、物語を引き回す、二少年、渡辺については孤独から歪んだ方向へ自意識を進めてゆき、下村は歪んだ愛情から、やはり歪んだ性格へと進んでいる。この硬軟分かれた二人の存在の対比がまた、物語を分厚いものとしている。一方で、冒頭から静かな水面に石を投げ込む、森口という教諭の存在が不気味。 良い教師、良い母親であった筈の彼女が、相応の理由があるとはいえ残酷な復讐を仕掛けてしまうところが、様々な意味で本書を深くしている。本来、生徒たちを導くべき存在であろうと女神でもなんでもなく、やはり自分の怨みが積もれば、悪魔的な活動を、しかも子供の浅知恵と大人の深謀との対比で行っているところ、やはり怖さが先立つ印象だ。
 学校の内外で世界が完結していながら、さながらジェットコースターに乗せられているかのように物語に引き込まれていく。むしろ狭いコミュニティだからこそ、個々の感情を濃密に描くことでサスペンスになっているのか。その意味では、日常の描写や、市井の普通の人々の感覚を描き出すことに長けていることもこの作者の長になっている。下村の母親のモンスターペアレンツぶりなど、淡々と描かれているけれど、実は非常に技巧的だと思えるのだ。(心理であるとか)。

 プロット型の本格というよりも、個人的評価はやはり濃密な人間感情が描き出すサスペンス小説である。しかし、このラストの寒々しさはどうだろう。最後の最後まで、無軌道な子供の考えることは恐ろしいという以上に、子供は真剣になった大人に敵わないという結末に快哉を叫ぶべきなのだろうか。罪と罰。そういったところにも思いが至る、やはり濃い作品であるというのが一番の印象だ。


09/02/11
太田忠司「紫の悲劇」(祥伝社NON NOVEL'99)

 『上海香炉の謎』から始まり、「太田忠司の都市名シリーズ」として親しまれていた霞田志郎と千鶴の兄姉による探偵シリーズも前作『東京「失楽園」の謎』で第一部が完結していた。本書は二年ぶりに発表された、霞田兄妹シリーズ第二部開幕を告げる一冊。

 名古屋市内のホテルで奇妙な連続殺人事件が発生した。殺害に使用されたのはいずれも毒物で、被害者の男性の小指が必ず食いちぎられていた。現場付近では紫色の和服を着た女性の姿が目撃されていた。さらに被害者の一人が霞田志郎の名刺を所有していたことから、千鶴のところに恋人にして捜査一課の刑事である三条が現れる。志郎は日本全国を巡る放浪の旅を続けており、千鶴の方からは連絡が取れない。どうやら元気にしているようなのだが、千鶴の心もまた不安定になっていた。しかし、そんななかふらりと志郎は帰宅する。心境の変化もあったらしく事件への関与に対して、否定的な態度を志郎は取らないようになっていた。名刺から被害者がパソコン通信の仲間であったことが判明するが解決にはほど遠い。しかし、十年前に本件と酷似した事件があったことが知らされ、桐原という元刑事に志郎は紹介される。桐原は男爵(バロン)と呼ばれ、当時の事件の犯人を知っているという……。

霞田志郎の探偵としての「転向」、ライバルの登場、そして謎そのものの変質……
 自分自身、先の『東京「失楽園」の謎』を読んでから少し間が空いていることもあるけれど、どちらかというといわゆる新本格ミステリを普通に体現していた第一部に対し、相当にコンセプトが変化していることは間違いない。第一部の後半では事件に関連して関係者や自分自身が傷付くことを嫌がり、名探偵としての自分の立場を厭わしく感じていたのが主人公。それが、自分を見つめ直した結果、霞田志郎は事件との関わりは宿命であると割り切って前向きに探偵という仕事に向かおうとしている……というのが少なくとも第二部出だしとなる本作。
 都市名+アイテムという題名の付け方から、色名シリーズというのか「紫」が登場している。(この後も色名+悲劇で長編の題名は統一されている)。一方、必ず何か新たなアイテムというか趣味物が取り入れられているのが霞田シリーズの特徴でもあるのだが、本作のそれは「香木」。白檀だとかは知っているし、正倉院には凄まじく価値のある香木が納められているなど、細かな知識としては知ってはいるものの、やはりこの世界にも様々なルールやしきたりがあるのだな、というのは本作を読めば判ります。また、事件の内容とも密接に絡まっているところも期待通り。ただ「香木」がマニアックに過ぎるせいか、ミステリの手掛かりとしては少々ツライか。ミステリという観点だけで考えると、本格の形式に囚われずに世界観やサスペンスの醸成の方に強く傾いているようにもみえる。 第二部ということでもあるし、それはそれで悪くない。
 一方で本作が初登場となる男爵(バロン)こと、元刑事・桐原。どうやら今後はライバルというか敵役として第二部に登場するようだ。犯人の美学が感じられる事件しか扱わないなど、コード型事件大好きの名探偵にして、逆に闇の世界に誘われやすいという芸術家タイプ。本作ではどちらかというと捜査妨害というか、謎めいた言説ばかりを弄しているようにもみえるが、厄介な存在になりそうである。

 小生にとっての遅ればせながら第二部の開始。この後、シリーズが三冊出て現在は中断中という点が少し引っ掛かりますが。(2/23追記。NON NOVELから、本シリーズ四作目にして完結編『男爵最後の事件』が'09年になって刊行されています)。