MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/03/10
定金伸治「四方世界の王3 40(エルバ)の智は水のごとく流れる」(講談社BOX'09)

 講談社BOX名物。大河ノベル2009年版。オリエンタルファンタジーの三冊目。三冊目にして遂に冒頭に人物紹介が登場。正直なところ、あまりにオリエンタルなお名前の登場人物が多かったため、これは有り難い。(本作でも新キャラ登場しているし、余計に)。

 バービルムの王子・ハンムラビが指嗾したことにより、ライバル国・アッシュールの英雄・シャムシ=アダドの、あまり愛されていない長男イシュメ=ダカンは、二千の兵を率いてエシュヌンナに侵攻した。エシュヌンナで迎え討つのはたった百の兵しか持たない皇太子・イバルピエル。彼は特有の勘を用いて、少人数で迎撃することにこだわった。一方、バービルムの北の玄関口・シッパルの知事・アウェール=ニンウルタは、シャムシ=アダドに従うかたちで国王であるスィーン=ムバリットに反旗を翻して都市を封鎖していた。シッパルに忍び込んだバービルムの王太子・ハンムラビはアウェール=ニンウルタに警告を発した。さらに、バービルムの少年・ナムル=ナーシルは、同じくバービルムの不思議な少女・シャズがシッパルの女子修道院に入ったと、シャズの義父であるイッディンラマガールから知らされ、自分の考えのもとシャズの後を追うことにする。イッディンラマガールによる手引きで、その部下の一人ウバルルムに侵入したナムルは、シャズの残した痕跡を追ううちに不思議な女性に襲われてしまう。

流れるように物語が進んでゆく。個々のエピソードが伏線となりつつ大きな流れが始まる
 前作『四方世界の王2 あるいは50を占める長子』までは一体なんだったのだろう? というくらい本作は物語に溢れている。 つまりは前二作を読んだ時に感じた、長い長い登場人物紹介と世界観の説明、という部分が本作からはあっさりと消え、シッパルでナムルたちが出会う一人の女性を除いて、ほとんどがこれまでに登場した人物によって物語・エピソードが形成されている。本作では主に二つの舞台、つまりはイシュメ=ダカンとイバルピエルとの戦いと、都市シッパルにおける関係者による駆け引きが主体。ただ登場する人物それぞれの性格や、考え方については、これまでに説明が為されている分、すんなりと物語に入り込むことができた。
 また、ナムルをはじめ登場人物にこの三冊目によるエピソードが付け加えられることによって、描写に深みが増しているように思えるし、また世界観と勢力図のようなものも読者の頭のなかに少しずつ根付いてきているように感じられる。(まあ、自分を例にしているだけだが)。そういった愛着をベースにしたやり取りに、少しずつ登場人物に対する感情移入も入るし、冒険譚や駆け引きにおける面白みも感じられるようになってくる。
 実際、百対二千人という圧倒的多数を相手にする戦いにおける戦術と工夫なども読み応え十分。ちょっとキャラクタに依存しているところがあるとはいえ、なかなかの奇想(そして何手も先を読む、読み合いのスリリングさ)によって戦いが進んでゆくところは単純に楽しめた。

 ようやく大河ノベルとしてエンジンがかかってきているのではないかと推察。一ヶ月に一度の刊行ペースはあとがきで読む限りはかなりしんどそうにみえる(これまで登場した他の作家に比べて)が、なんとかクオリティとペースを定金氏には両立していっていただきたいところ。


09/03/09
湊かなえ「少女」(早川書房'09)

 早川書房から刊行される日本人作家による書下ろしシリーズであった「ハヤカワ・ミステリワールド」が2009年より新装版に変更された、その新装版第一弾。『告白』により、デビュー作品にしてミステリ界を席巻した湊かなえさんの二冊目が本書。

 剣道を通じて知り合った草野敦子と桜井由紀。敦子は中学時代まで剣道を続けていて全国一に輝いたこともあったが、試合に負けた後に学校裏サイトに書かれた悪口がもとで黎明館高校へのスポーツ推薦を辞退して桜宮高校に通っている。現在は激しい運動をすると過呼吸を起こしてしまう。一方の由紀は、痴呆が始まった祖母から受けた暴力がきっかけで左手の握力がほとんど無くなったこともあり、剣道を辞めてしまっていた。高校でも互いは親友ということになっていたが、少しずつ互いが互いを信じられにくくなっている。さらに彼女たちに、紫織という友人が加わった。親友が自殺したという紫織の話に、敦子も由紀も興味を持ち、二人は人間の「死」を身近に感じたいと思うようになる。夏休みを利用して敦子は体育補習代わりの老人ホーム手伝いを、由紀は難病を抱えた病院に行くという読み聞かせサークルに参加する。病院で難病の子供から、失踪中の父親探しを由紀が引き受けたことから、一旦は離れていた二人の行動はすれ違いながらも距離を縮めてゆき……。

物理的技巧と心理的技巧が冴える。未成熟な悪意がもたらした不可視かつ決定的局面の演出が凄い
 それほど語り口に魅力があるという訳でもなく、文章に強い特徴があるという訳でもないのだが、むしろ技巧的な小説構造を使いながら、それをそう気付かせないテクニックに目を奪われる。
 まずは物語構造上の技巧。親友だと双方で感じながらすれ違う二人の女子高校生。人が死ぬところを見たいと、片や病院、片や老人ホームを選択し、その人間関係が徐々に交錯して発生する事件の結果、二人が互いのことを理解して和解してゆく……という一見、いい話。ただ、その二人の人間関係の隙間から、悪意ともいえない悪意があって結果的にまた別の人物の人生が破壊されてしまうという裏切りがみえるという、温かいようでいて実はとてもダークな物語構成となっている。
 このダークサイドで締め括られるがゆえに、後味が良くないのだが、とりあえずは『告白』に続く湊かなえさんの物語作りとして、このような発想がベースにあるような印象がある。
 そのストーリーにおける技巧とは別に、主人公格の彼女たちにおける精神的未成熟さの描き方にも技巧が込められているのが、本書の印象を厚くしている、と感じた。というのは、とりあえず「死」に興味を持つ彼女たちはとにかく、例えば裏サイトの悪口によって傷つけられて人生に絶望していたり、痴呆の祖母によって虐待を受けて人生に絶望していたり、と自分たちについては悲劇の主人公として感じている。その一方、自分たちが他人を傷つけたり、人生のレールを捩じ曲げてしまうことについては、とても無自覚なのだ。この無邪気なまでの残酷さ。 それこそが題名が『少女』である所以ではないかと思えた。

 どういう創作方法を採られているのか興味があるのだが、物語には登場していないエピソードを含むバックグラウンドが、事前にしっかり構築されているように感じられる。全部を描き出すのではなく、その匂わせ方が絶妙。また、市井の人々の描き方にも、端役であってもそれぞれ微妙に個性を演出するところも上手い。デビュー二作目でもそういった巧者ぶりが発揮されており、やはりこの作家の実力は本物だということになりそうだ。


09/03/08
高田崇史「カンナ 吉野の暗闘」(講談社ノベルス'09)

 非常に好調なペースで刊行される高田氏の新シリーズ”カンナ”の三冊目。書下ろし。

 出賀茂神社の跡取りである二十六歳の鴨志田甲斐は、伊賀服部流の忍者の末裔でもある。現代にも残る社寺のネットワークから、失踪中の早乙女諒司の消息が伝わってきた。今回目撃されたのは、奈良県の吉野山中。父親の完爾の要請によって甲斐は吉野へと向かうことになる……が、やっぱり神社でアルバイト中の現役東大生・中村貴湖は甲斐についてゆくといい、さらに貴湖を通じて、甲斐の友人である柏木竜之介も同行することになる。シーズンオフの吉野山に登った彼らは、諒司の行方を探るべく山の中に分け入るが、すぐに道に迷ってしまう。その途中、貴湖が足を滑らせて怪我を負うが、そんな彼女を救ったのが、吉野山で観光ガイドを務めていた鶴見光昭だった。光昭は、最近発生した吉野の神社跡取りを殺害した可能性を疑われていたが、本人は家業の民宿も手伝わず、日がな吉野山の黄金伝説を追い求めていた。光昭は、修験道の開祖である役少角を信奉しており、同じく役少角について調べようとしていた甲斐たちに様々な情報を伝えてくれた。貴湖を病院に入れて戻ってきた光昭は、母親とアルバイト女性が誘拐されてしまったことを知る。

吉野山の歴史的な秘密を知るがゆえに夢を持つ男。そして役少角が辿った運命とは
 なんか少しもったいなくなってきた――。 「伝奇アクションと歴史推理の不思議な融合」から、今作に関してはアクションが、恒例の忍術は多少絡むものの、謎の敵対組織といった”伝奇”の要素がほぼ欠けてしまっている。敵対するのはある意味、地元住民同士での敵味方感情のなかでの”敵”であり、暴力的ではあるものの普通の意味での敵でしかない。甲斐たちが行動する以前に殺人事件も発生しているのだが、これは結局のところ偏執的な人物による犯罪なのだ。歴史と絡まないかといわれると微妙に絡んでいるとはいえ、常識的な一般人視点に基づけば狂信者の犯罪ということになってしまう。
 そういう物語展開に隠れてしまっている一方、修験道の役少角という人物や歴史にまつわる謎はかなり魅力的なのだ。 そもそも、当時の朝廷からは人間扱いされていなかった「鬼」や「蜘蛛」を使役したかどで、なぜ役少角は伊豆まで流されないとならなかったのか。吉野の山がいつの間に宗教的な聖地となってしまっているのか。他にも吉野の桜はなぜこれほどまで多数植林されたのか――。といった歴史の謎。QEDシリーズほど周辺は固めていないようにみえる(あっさりと回答が出てしまう)とはいえ、それぞれの解には意外性と説得力が同居している内容なのだ。こちらの方をどっしりと主題に据えてもらえれば、これほど「もったいない」などとは思わなかったとは思う。

 物語を様々な場所に導く早乙女諒司については今回も影も形も見えず。従って前作あたりで「母を訪ねて三千里」と書いたが、その法則は本書にも適用される。本作を一読した限りでは、あまりこのシリーズ全体にまつわる謎が提示されているようには読めなかった。強いていうならば、甲斐の婚約者・海棠聡美のあまりにも落ち着いた行動か。このあたりは次巻以降でまた触れられることに期待したいところ。


09/03/07
戸梶圭太「判決の誤差」(双葉社'08)

 『小説推理』'07年2月号から'08年6月号にかけて連載された『コートでは泣かない』が加筆修正・改題されて刊行された長編作品。同社から刊行されている『誘拐の誤差』と題名は揃えられているものの、シリーズ作品ではない(と思う……というのは物語は独立だけれども、登場人物が一人も被っていないかまでは検証できていませんすみません)。

 裁判員制度が開始され、東京地裁に呼び出された仁岡は天下の広告代理店・通電の社員。なんで俺がこんなところに、と思いきや、予想通り裁判員は変人ばかり。小学生に脅される引きこもり異臭男、建設現場の怪我から生活保護を受けつつパチンコに勤しむ凶暴オヤジ、躁状態の時は金を趣味に注ぎ込み、大枚叩いて女性を口説くが鬱状態では黙り込む挙動不審男、介護ヘルパーの仕事を裁判員制度で失うのが嫌さに自殺未遂をして身体と顔が歪んだ男(裁判中死亡)。しかし、そのなかには事務所とのトラブルを実は抱えているが、一世を風靡したグラビアアイドル・火浦志穂がいた。妻との関係は冷え切りながら愛人とよろしくやっていた仁岡は、火浦が裁判員になる情報を得ていそいそと裁判所に出向く。一方裁かれる事件というのも、女性二人をレイプ殺人したという男たち。事件そのものも陰惨ながら、裁判長以下、裁判官や傍聴人たちもどこか投げやりで、裁判員たちも自分たちのことに夢中。弁護士は奇妙な理屈を振りかざし、人間の屑のような被告を弁護、果たしてこの裁判の行方は……。

爆笑、そして冷や汗。裁判員制度の”負”の意味合いをダークな世界観で炙り出す
 基本的には、いつものトカジ節が裁判員制度という舞台をベースに炸裂した、というもの。裁判員という、ある意味平等な”場”に、安い系の男を三人、トカジが描くところのいい女を二人、一応それなりの地位にありながら性格の腐った男を一人。前半部に彼らそれぞれの”事情”をエピソードとして入れておいて、全員集合となる。後半はてこ入れ(?)なのか、インフォマニアの女性医師を入れてアクセントにしているところも、トカジ作品らしいあっさりとした切り替えだ。(そのために裁判員一人死んでるし)。基本的に自分勝手、自己中心主義がぶつかり合うのは、裁判員だけではなく、被告たちも同じでどうしようもない犯罪。裁判所の人間もちょっと通常の感覚とずれているし、弁護士自身は描写がないものの、繰り広げられる主張はめちゃくちゃなのだが、これもまた実際にありそうな論戦ではあった。
 そんな彼らが、真剣に事件に向き合うはずもなく思いつきで質問し、考えたことをそのまま反応として出してしまう。当然裁判はめちゃくちゃ……なのだが、物語上はきっちり判決まで出してオチまでつけている。それはそれで良し。
 ただ――、極端にデフォルメされているにせよ、トカジの描く人間たちはどこか現在の日本人の考え方や行動様式を拡大したものであるという点が問題だ。つまりは、実際の裁判員制度のなかでもこういったタイプのいい加減で無責任な人々が実際に裁判員を行う可能性があるわけだ。審理なんてめんどくさい、求刑は死刑でいいんじゃない? といったことを当たり前に思う人間が。それって、実は怖い話。少なくとも本書に登場するような裁判員に死刑判決を下されるのは被告も死んでも死にきれないと思うなあ。

 ただ、基本的にはトカジ作品なので、トカジ作品がどういうものか知っている方に向いた作品であることも確か。裁判員制度とはどういうものか、という点も実はそれなりにちゃんと描かれているのだけれど……。事件と登場人物があまりに極端に振れているので、その意味で読むには残念ながら不適でしょう。


09/03/06
太田忠司「紅(べに)の悲劇」(祥伝社NON NOVEL'02)

 太田忠司さんの代表的シリーズ探偵・霞田兄妹シリーズの第二部・二作目にあたる作品。書き下ろしで『紫の悲劇』の続編という扱いになる。第一部とは異なり、前作から引き続いてのエピソードが多く、順番に読む必要あり。

 小説の舞台に取り上げようと、霞田兄妹は千鶴の友人・亜由美の紹介で、千鶴の交際相手の刑事・三条と四人で日舞の発表会を訪れた。日舞紅真会というその会には、亜由美の従姉妹が参加している。その楽屋を訪ねた四人は、女性の悲鳴を聞き、その部屋に駆け付けた。そこには赤い襦袢を着て、赤い血汐が胸を彩る女性の死体が……。紅真会の師範・田嶋紅真が被害者だった。早速捜査に入る磯田と三条だったが、田嶋紅真の周辺では、元夫や現在の婚約者、そして袂を分けた彼女の親戚など、愛憎と金の問題が錯綜していることが判明。さらに紅真の一番弟子である紅里は、日舞から更なる表現の可能性を求めて、その会を最後に独立する予定だったのだという。しかし、その紅里が次の犠牲者となった。自宅で紅真とそっくりな死体となって発見されたのだ。紅で飾られた死体を前にした志郎だったが、捜査陣を通じて”男爵”桐原が志郎たちとの面談を申し込んできた。そこで示唆された言葉によって志郎は悩みを深くする――。

トリックや謎解きよりも、むしろ残酷にして美しい殺人現場が主役か。風合いの異なりが際立つ
 この霞田兄妹シリーズの場合、必ず何か特殊な趣味やコレクション分野が一冊にひとつテーマとして挙げられている。本書の場合は、日本舞踊、いわゆる日舞がそのテーマとなる……はずだったようなのだが、どうもあとがきでも作者が述べられているように、この点に関しては不完全燃焼。実際の踊りの場面の描写がほとんどなく、最初の事件もその踊りが始まる前に発生してしまう(本来は後でも構わないはずで)。結果、日舞というテーマが他の世界との置き換えが可能なレベルになってしまっており少し残念。他、題名通り、口紅に相当する「紅」については蘊蓄あり。
 そして、第二部のテーマと思しき”男爵”こと桐原嘉彦と霞田四郎との関わり合いが一つのテーマ。ある意味モリアーティ教授のような存在を思わせる(そこまでこの段階では描写はないが)、天才探偵は、裏を返すと芸術的な犯罪を愛する変態にも成り得るわけで。霞田四郎が”男爵”を意識することにより探偵としての葛藤を持つ、そして推理に翳りが出るといったあたりが中長期的な本書の位置づけになるのだろう。
 そんななか感心したのは、死体装飾……というと語弊があるが、赤い襦袢姿の女性が仰向けに倒れ、その胸のあたりに血のような赤い流れが描かれている……という遺体の姿が三度繰り返されるところ。合理的な犯人であれば絶対に行わないようなその装飾を死化粧とばかりに、三連続殺人で再現させてしまう。果たして、ここに意味があるのか、何故なのか。真相としては一種のサイコも絡むものの、冒頭のプロローグが効いていることもあり、どこか心惹かれてしまうのだ。

 前作からの流れで読むべき一冊。次作が『藍の悲劇』、そしてつい最近刊行された『男爵最後の事件』へと続いてゆく。ある意味、霞田シリーズの第二部は大きな長編として読むべきなのかもしれない。


09/03/05
道尾秀介「鬼の跫音」(角川書店'09)

 2004年に第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を『背の眼』で受賞後、『向日葵の咲かない夏』で注目を集め、2007年『シャドウ』が第7回本格ミステリ大賞を受賞するなど、若手作家のなかでも大躍進を続けている道尾秀介氏。本書は道尾氏初の短編集となる単行本。

 十一年前に行方不明になった友人Sは実は殺されていた。死体を埋めたその場所に鈴虫が……。今は妻となっている女性のために男はそれをしたのだという。 『鈴虫』
 自分以外はエリートという一家のなか、失敗を続ける僕は家に居場所がない。偶然に発見された受刑者が残したメッセージ「父は屍、母は大……」必死で彼が追った、そのSの残した真意とは。(題名は、けものへん一字にケモノとルビ) 『(ケモノ)』
 高校時代に友人に嗾されて実行してしまったある犯罪。その結果、故郷に近づけなかった男は取材のため仕方なく里帰り。そして、彼は何をしたのか、そしてその現場では。 『よいぎつね』
 作家の住むアパートに貯金箱を盗んだと届けにきた謎の男。しかし作家自身には覚えがなく、男は押し入れから盗んだと言い張る。返された貯金箱の中からは……。 『箱詰めの文字』
 愛し合う二人の日記。しかし日付は時系列から遡る。現在、彼と彼女は幸せそうなのだが、その生活を決断させた理由とは……。 『冬の鬼』
 級友であるSからのひどいイジメに耐えかね、初対面の女性が助けてくれるというのでその家を訪ねた僕。彼女は一枚の絵で彼のことを救ってくれるというのだが……。 『悪意の顔』 以上六編。

何かが何かと置き換わり、そのことが微妙な感情を呼び起こす。乾ききった感情の演出が巧み
 書いている内容のことは後回しになるが、道尾秀介の技巧派ぶりが、短編というページ数の制限を得て、むしろ遺憾なく発揮されている作品が並ぶ。 いわゆる叙述トリックにみえるが、むしろ物語を構成によって見せ方を変えているといった印象。つまりはサプライズは狙っているものの、本格ミステリが意識されているとは言い難い。ただ、その構成の作り方、叙述の妙などが絡み合って、もとより非常にブラックな手触りの作品ばかりなのに、更にそれが特殊な物語構成によって強調された切断面を見せて読者の前に並んでいるようだ。
 そして、そこで描かれている物語がまた一筋縄ではいかない。全編に(共通してはいないようだが)Sなる人物が登場するという点は同じだが、ホラー、サスペンス、幻想、サイコといった恐怖を喚起させるジャンルを、ジャンル意識なくに自由自在に使いこなして作品にこめてゆく。 結果、いわゆるジャンルの常識が当てはまらず、全く読者に先読みさせないという効果を引き出している。また、短い物語のなかで、長編を維持できるような切り返しやどんでん返しのアイデアがふんだんに使われていて、その発想の自由さと豊富さも素晴らしい。
 全体を通じていえるのは、乾ききった感覚というか――、追い込まれた人間が陥る荒んだ心象風景。 幸せであれば気付かない、看過してしまうような感情が、一定の条件下で膨らんでゆく様子だ。また登場人物が一旦忘れていたり、意識の外に追いやっていた事態が、あるきっかけから雪崩のように進み、状況が崩れていくのもまた魅力。実にダーク。
 個人的にはミステリ側からは『箱詰めの文字』、ホラー側からは『よいぎづね』が好みかな。

 長編でも数多くのサプライズを読者に提供してきた道尾氏ではあるが、本作の場合はそのサプライズも「当然」ながら、そのサプライズを利用して強調したかってであろう、道尾氏が物語を生み出す源泉のような感情がそこここに垣間見えるように思えてならない。ダークであればあるほど、そこにまた魅力が発している。


09/03/04
永井するみ「レッド・マスカラの秋」(理論社ミステリーYA!'08)

 2007年に刊行された、同じくミステリーYA!の一冊として刊行された『カカオ80%の夏』の続編。あとがきによれば、著書が多数ある永井するみさんにとって、本作の主人公である三浦凪が初めてのシリーズキャラクターになるのだという。

 東京ガールズフェスティバルというファッションショーに高校生の十七歳・三浦凪は友人の雪絵と共に訪れていた。共通の友人・ミリがモデルとして登場しているのを見学に来たのだ。終了後に楽屋を訪れた二人は、赤いマスカラを印象的につけていたミリの化粧を褒めるが、ミリは機嫌を悪くしてしまう。二人は、モデル仲間の安藤一樹から、ミリのモデル仲間であるイリヤが、ミリの勧めたレッドマスカラによって瞼を腫らしてショーに出られなくなったのだという。ショー自体は成功したものの、ミリがイリヤを陥れたのではないかという噂が業界を駆けめぐっているらしい。そんな状況に嫌気を感じてモデルを辞めようとまで思い詰めていたミリに助けを求められた凪は、レッドマスカラを製造しているフレアというメーカーを調査することにする。その一方で、イリヤは失踪して行方が判らなくなっており、新進カリスマメイクアップアーティストの新藤葉月は、ミリや凪に対して敵意を見せてくる。社長が自ら相手をしてくれたレッドマスカラの製造元、フレアに品質管理の手落ちはないようで、さらにその噂によって零細なフレアは経営上の危機にまで追い込まれていた。果たしてレッドマスカラを巡る騒動の原因はいったいどこにあるのか……?

ガーリッシュ・ハードボイルドの影は薄れ、小洒落た少女たちと都会の粋な男たちを絡めた青春群像小説へ
 微妙。というのはむしろ、こういったお洒落でお金に困っておらず、美形で格好良く、さらにちょっと不良っぽい女子高生が、やはりイケてるお兄さんや女友だちとちょっとした展開を追っていくストーリー、というのは世間に広く受け入れられるであろうことは想像に難くないから。単純に表層の格好良さや、お洒落感を読み流す分には、周辺キャラクタ含めて前作を踏襲したこのやり方は正しいのだと思う。また、凪だって内面には思い人がいて、そのことや友情で悩んでいるじゃないか――といわれると否定できないし、その通りだと思う。
 まあ、素直に主人公・凪の成長小説と読む――には、なんというか停滞してしまっている印象なのだ。 当然、前作で標榜していたようなガーリッシュ・ハードボイルドといった印象は本作では更に薄れている。主人公は毅然としいるし、行動的だし格好良いのだけれど、そのこと自体はそれだけ、という風に読んでしまう。主人公と同世代や下の世代は、普通になんというか「ああ、格好いいなあ」と読むのだろうけれど、どうしてもおっさんはプラスαの魅力を求めてしまうのですね。スミマセン。
 また、謎解きとしては登場人物からすぐに導かれるようなタイプであり、真相も(ついでにいえば主人公らによって決行される対応策の詳細はとにかく戦略なんかも)見えやすい。これまた小生が読者としてタイプが異なる以上仕方のないところ。

 普通に格好良い主人公が活躍する小説が読みたいという向きには当然お勧め。女子高生やその周辺による群像青春小説。ハードボイルドであるとか、謎解きだとかは期待せずに雰囲気を愉しむのが吉でしょう。


09/03/03
拓未 司「蜜蜂のデザート」(宝島社'08)

 『禁断のパンダ』にて第6回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した作者の二作目。前作と主人公を同じくするシリーズ二冊目という扱いになる。

 合コンで化粧品会社の御曹司のハートを射止めた千夏は交際三年にして、遂に芦屋は六麓荘にある彼の実家を訪問することになった。彼の母親が贔屓にしているという知る人ぞ知るパティスリーに寄り、その母親が大のお気に入りであるという特別メニューのパリ・ブレストを購入する。しかし、そのパティスリーで偶然、かつて千夏が交際していたパティシエ・坂本と再会する。土産を手に婚約者宅を訪問した千夏。家族の印象も良かったが、彼女の土産が原因で食中毒が発生――。
 一方、神戸で「ビストロ・コウタ」を経営する柴山幸太は悩んでいた。以前から評判の良かった彼の料理については引き続き客たちが賞賛してくれるのだが、それなりに気合いをいれて作ったデザートについては誰も感想を述べてくれないのだ。持ち前の探求心で研究を重ねる幸太であったが、結果はあまり芳しくない。そんななか「ビストロ・コウタ」を訪れて食事をしていった男が、デザートについてコメントをしてくれた。同業者だと幸太が睨んだ通りだったが、柿田と名乗ったその男は〈テル・カキタ〉という店のオーナー兼パティシエ。《スイーツ・グランプリ》の兵庫県代表というデザートのエキスパートだったのだ。

前作以上に物語に勢い。様々、そして的確な料理描写と蘊蓄。そして料理を通じて描かれる人間模様の妙
 ちょっとごちゃごちゃした印象もあった前作に比べ、すっきり引き締まった物語作りとなっているのが第一印象。今回のテーマは「デザート」とを中心としたスイーツ全般であり、メインディッシュの方を中心に据えた前作から焦点が切り替わっている点がまず興味深い。あまりスイーツ方面に詳しくないこともあり、余計に蘊蓄も楽しく読めた。
 ただ、デザートが描写されているだけの料理小説ではない点がポイント。順番にいうと、ミステリとして意外なほどに優れている。差し支えない範囲でいうと、本作では時系列をまたいで何件かの食中毒事件が発生しており、その発生させた方法と実行犯人が誰なのかといったところが「ミステリ」となっている。病原となる細菌も明らかであり、プロローグで描写もあるため、何か乳製品に食中毒の原因となるものが混入されていることは明らかなのに、複数の店にて発生している点や、その動機などがなかなか見えない。特に「店に食中毒を発生させる」という犯罪の動機にどうしても思い込みがあるところをうまく衝いてきている。さらに犯人についても実行可能犯が一見ひとりしかいないところがまたレッドヘリングとして素晴らしいのだ。
 そして、さらに本作が良いのはミステリでサプライズを引き起こしたあと、一連の事件の流れからスイーツという存在を通じて料理人としての矜持や虚栄心、さらに職業に対する信念といった部分が様々なかたちで浮かび上がってくるところ。結果的に、ミステリのためのミステリにならず、料理の世界を舞台にした人間模様の機微が描き出された一個の物語となっている。読後感が実に深く、また主人公・柴山幸太とその家族と再会したいと感じる結末となっている。

 細かい文章などにはまだ粗さが残る一方、関西弁が不自然でなくきちんと機能していて関西系エンターテインメント小説としても出来を評価したい部分もあり。強いていえば、『禁断のパンダ』『蜜蜂のデザート』ときている題名にもう一工夫あっても良いのにとも思う。


09/03/02
柚木裕子「臨床真理」(宝島社'09)

 第7回「このミステリーがすごい!」大賞の大賞作品。同時受賞は山下貴光『屋上ミサイル』。柚木さんは1968年生まれの山形県在住のフリーライター。

 知的障害者更正施設・至誠学園に入所していた十六歳の少女・水野彩が手首を切って失血状態になった。通報を受けた救急車が到着、学園の責任者・安藤が付き添うが、入所している青年・藤木司も同行を主張。搬送中に彩が死亡した瞬間、藤木は安藤につかみかかろうと救急車内で暴れて交通事故を引き起こした――。新米臨床心理士の佐久間美帆は、東高原病院で、ベテラン精神科医・高城の指導のもと藤木司の精神のケアを担当することになる。誰に対しても心を開いていなかった司は、時々ぼそりと色の名前を呟くのみ。美帆はかつて心の病を持った弟を失う経験をしており、粘り強く司の治療を続ける。その結果、司は他人が吐く言葉の真偽が色となって見えるといい、さらには彩の自殺は実は他殺であると言い張る。旧友で警察に勤務する栗原の力を借りて、当時の事件について調べようとする美帆。しかし関係者の言動はなにかおかしい。果たしてその裏側に隠蔽された事実とは――?

んーむ、構成としての破綻は少ない一方、物語としての新たな魅力が判らない。
 臨床心理士が患者の言い分に従って調査を進めると組織的、かつ醜悪な犯罪に巻き込まれてしまうというサスペンス。ストーリー展開のなかで、副主人公格の藤木司が少なくとも医学的には証明できない能力を持っているという点以外、基本的に破綻がなく(ラストの犯人の告白と行動がちぐはぐな点は別として)、一応は成り立っているといえる。
 が、その点がそのまま本作は弱点で、物語が三分の一程度進んだ段階で、主人公は気付かなくても読者の過半はどういった犯罪が背後にあるかは嫌でも気付いてしまうのではないか。その気付いた犯罪が、そうみえるけれど実は違うんですよー、という展開を期待して読むと、あっさりそのままで裏切られる。中途で首謀者と思われる人物が死を迎えたところで、少し立ち止まると消去法で真犯人についても大体見えてしまい、そいつが犯人にみえるけれど実は違うんですよー、という展開を期待して読むと、それまた裏切られる。しかも犯人との対決シーンで執拗に犯人の醜悪さを目立たせる描写があるのも、趣味の問題だとは思うが「このミス大賞」作品に期待するものではないと感じられた。
 かといって、主人公たちに特別な魅力があるかというとその点も微妙。パスワード探しについてもどこか冗長だし、遺言代わりに残された文章もページ稼ぎにみえてしまう。(まあ、ここを暗号にすることは展開上あり得ないとはいえ)。結局のところ、新人賞作品である割に「新しさ」がほとんど感じられないのが難か。 筆力であるとか物語を構成する力はそもそもお持ちなのだとは思うのだけれど、やはり「想像」を裏切るだけのものを新人賞作品には期待してしまうのだ。

 「このミス」大賞の大賞作品は、魅力ある作品が続いていただけに期待のボーダーラインが高くなってしまうのはこちらの問題。ただ、なんというか。最終選考者の意見が分かれたという意味が、読むとよく分かる作品だった。(個人的にはあっさり二作を受賞作にするのではなく、議論を尽くして欲しかったようにも思うのだが)。


09/03/01
小路幸也「残される者たちへ」(小学館'08)

 小学館刊「きらら」の2007年4月号から2008年5月号にかけて掲載された長編作品の単行本化。連載時の題名は『のこされるもの』であったのだという。

 六年生の夏まで方野葉団地というマンモス団地に住んでいた川方準一。現在はデザイン事務所を経営する三十七歳の彼は、方野葉小学校の同窓会に出席することににする。その会場。かつての友人、恩師が揃うなか、同級生で気さくに話しかけてくる幹事・押田明人という人物の記憶だけが一切ないことに準一は気がつく。団地の位置関係から彼のことを知らないはずはなく、原因不明の猛烈な吐き気に襲われた準一は、同じ団地で下級生だった藤間未香に介抱される。一方、現在三十五歳の精神科医の未香は、今現在、方野葉団地に住む芳野みつきという少女を担当していた。みつきは事故で母親を亡くし、父親と二人暮らし。しかし、なぜか母親のものと思われる記憶を持っていた。また、押田明人は引き続き団地内で暮らしているのだという。互いに惹かれ合う準一と未香は、改めて方野葉団地を訪れる。そして、この団地には何か秘密があることを感じ取ってゆく……。

記憶ミステリという導入から、謎が隠されているらしい団地、そして予想のつかない展開へ
 序盤はレッドヘリングという訳では無かろうが、様々な謎が提示されている。仲の良かった友人の記憶が全くないという事態。母親の持つ記憶を引き継いだように思われる少女、団地に住むどこか謎めいた人々。さらに事件が進むにつれ、突然少女が飛び降り自殺未遂をしたり、それを無傷で助けることが出来たりと不思議なエピソードが後半に向かって拡がっていく。
 小路作品を多少なりとも読んでいる読者であればある程度想像できるように、ファンタジーとSFとが微妙に絡み合った空間がこの物語の舞台。 ただ、これまた小路作品を多少なりとも読んでいる読者であればある程度想像できる通り、その空間そのものの存在理由であるとか、理論的説明であるとかは本作のなかであまり問題とはされていない。どうしても日常と隣り合った世界の崩壊といったテーマが「舞台」の方に見え隠れするため、読書的興味がそちらに向かい勝ち。
 ただ、読み終わるとその点をわざと曖昧にすることで演出されるファンタジー的世界観がまずあって、主題の方は、普通の人間の営みであるとか、親子の愛情であるとか、人間と人間とが信頼しあう気持ちであるとか、やはり登場人物たちにあるということが見えてくる。 舞台に対する説明が足りないと感じる方もおられようが、そのあたりは微妙で小路作品の場合はあえてぼかされているところがあるため、その気持ちそのものは普通だろう。ただ、その曖昧さの理由を見据えたうえで、やはりこのような状況下でみえてくる、人間同士の繋がりといったところを感じ取りたいところだ。
 あと、最近の小路さんは同窓会とか、旧友の再会がテーマの作品が少し多いよなあ、とか。

 小路作品らしい小路作品。恐らくシリーズ化はないだろうが、この方向性の思い込みが裏切られるところに魅力を感じられれる読者には面白いはずだ。逆にいえば、レッテルを貼らないと読書に集中できないタイプの方には残念ながら向いていないかな。