MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/03/20
貫井徳郎「乱反射」(朝日新聞出版'09)

 前作『夜想』から一年以上の間隔が空いての、貫井徳郎さん久々の新刊。『週刊朝日』二〇〇七年八月十七日号から二〇〇八年十月三日号にかけて連載された作品の単行本化。(連載時に一部読んでいたのだけれど、さっぱり見えなくて。ようやく理解できたという……)。

 二歳で、一見不幸な事故で亡くなってしまう幼い子供。この「不運な」事故は、実は大勢の人間がよってたかって無辜の幼児を殺害したという異常な事件だったのだ――。新聞社に勤める加山聡は一週間のまとまった休暇を手にし、妻の光恵と幼い息子の健太と旅行に出掛けることになった。ゴミ出しの日と出発日がずれていたため、加山は仕方なく家庭ゴミを高速道路のパーキングエリアのゴミ箱に捨てる。一流企業に勤める夫を持つ田丸ハナは、友人が巻き込まれているマンション建築反対運動に興味があった。彼女自身、他愛の精神でそういった活動をしたいと心の底から願っていた。定年退職した三隅幸造は家族誰にも相手にされない生活の潤いに犬を飼うことにした。彼には腰の持病があってかがむことが困難なため、散歩時の犬の糞処理が実は出来なかったが、気にしないことにする。アルバイト医師の久米川治昭は内科が専門。失敗った責任を負わされるのは嫌なので救急患者を忌避している。少し身体の弱い大学生・安西寛はすぐ体調を崩す。売薬が効かないため医者に行く必要があるのだが、待ち時間が嫌いだった。そんな彼は待ち時間がほとんど不要の妙案を思いつく――。

誰もが隠し持つエゴを浮き彫りにし、悲憤する主人公はおろか、読者自身すら突き放して主題に取り込む妙
 冒頭で「一見不運な事故にしか見えない幼児の死は、実は殺人だった」と作者によって宣言されている。章ごとにつけられたカウントダウンは「−44」からスタート。恐らくはその章がゼロになった時が事件だという点は、明示されているわけではなくとも普通に読者には想像がつく。この構成を物語に採用した段階で人工的にサスペンスはスタートしているといえるだろう。カウントダウンされる章ごとに、全く接点を持たないようにみえる幾人もの人物の、日常生活や態度を巡る幾つものエピソードが断片的に、次々と描き出される。特徴的なのは、それぞれが決して極悪人などではないところ。多少は身勝手やわがまま、虚栄心といった自己中心的考えを持っているものの「よくいるタイプ」で特殊な人々ではない。それぞれ多少は類型的な部分もあり、それがまた市井の平凡な人々の実像が溢れるリーダビリティと共に描かれている。……そして事件が起き、彼らのそれぞれの行動の結果、さらに最悪の結果を迎えてしまうのだ。
 後半は打って変わって、事故で息子を喪ってしまった新聞記者の魂の彷徨が描かれる。事件全体の構図は、そう明示されていないが、現代版社会派版の逆オリエント急行といった形容詞が相応しく、幼い子供の絶望的な死に対し、手を下したのは誰でもなく、誰でもあるという、実はよくある構図である。特徴的なのは主人公が新聞記者という立場を利用し、僅かでも関係した人物(つまりは前半に登場した人物たち)のところを廻り、その罪を自覚させようとするところだろう。しかし、そのほとんどが己の罪を認めようとしない。ここで読者の居心地は悪くなる。果たして己のごくごく僅かなエゴが子供の命を奪ったと認められるだろうか? 殺人者と糾弾されるほどのことなのか? もちろん加山自身の体験は大変不幸なことだと思う。だが、個人的には加山と面談を通じて顕れる、それぞれの人物が見せる表情の醜さこそが最も読者の心に響く部分のように思える。登場人物たちに精神的制裁が加えられる場面、エンターテインメントとしてはカタルシスにあたる部分でありそうなのに、むしろ暗澹とした気分になるのだ。
 明白な罪を犯してはいなくとも、その気分を共有した瞬間に、この現代社会を構成する一員である読者もまた潜在的な犯人であることが自覚させられる。その意味では、主人公・加山の問いかけ、そして叫びは読者をもまた糾弾する声なのだ。ただ作者は、エゴを隠し持つ人間に自分自身も含まれることを主人公自身に悟らせる。残酷であるようだが、こうでなくてならな かったことを強く感じる。貫井氏のデビュー作品『慟哭』の主題とも、どこか後半が近しいようにも思える。

 ――たぶん敢えて意図されたことだと思うが、近年の貫井作品のなかでは最も主題がシンプルに描かれているように思う。着目点だけみれば極端な変化球というものではないのに、特に後半の構成の妙味によって一読忘れられない作品に昇華している。 読んで嫌な気分になったり、合わないという読者もいるだろうが、逆にそういうざらりとした手触りも作者の意図するところに違いない。


09/03/19
南園 律「最上階ペンタグラム」(東京創元社ミステリ・フロンティア'09)

 南園律さんは、覆面作家ということでプロフィールは未詳。第三回「ミステリーズ!」新人賞最終候補となった「最上階ペンタグラム」を大幅改稿、更に連作化して本書でデビューを飾った新人作家。

 元警察庁の高官、元法曹界の重鎮、IT企業の元社長という肩書きの仲良しトリオが引退して開始したFRC――ファンタジスタ・リサーチ&コンサルティング社は、企業経営からセキュリティ対策、法律相談や素行調査まで行っている。これが大当たりして優良企業として認知されるに至っている。私、こと海坂理歌は企業犯罪専門の潜入捜査員。普通の契約社員を装って企業の内情を調べることにかけてはプロだ。そんな私が、ある女性の自殺に関連して大病院に送り込まれることになる。その女性の死に不審はなかったが、その病院には資料漏洩の疑いが判明して……。 『迷宮チェイス』
 前回の事件で理歌を翻弄して去った男は、理歌が憧れの超優良社員・渡月さんの友人で斐然成章なる人物だった。ある企業で潜入捜査を終えた理歌を、担当部長が捕まえ強引に社長室へ。そこでは社長の第一秘書の毒殺死体が。犯人を突き止めて欲しいという無茶な要求を受ける理歌の前にまたしても斐然が登場する。 『最上階ペンタグラム』
 社員旅行でハワイを訪れた理歌は、マッサージを受けようと店にいたところ、店内で殺人事件が発生。関係者として現場に留まっていたところ、現地警察の刑事と共になぜか斐然が現れる。密室内で殺害されたと思しき一人旅の日本女性は、誰に何故殺害されたのか? 『楽園ギミック』
 渡月が直々に指名されたのはお門違いのストーカー調査。渡月と偶然知り合った宝飾デザイナーの恋人で国際的ヴァイオリニストがクライアントだ。渡月と仕事するチャンスとばかりに接近を図る理歌。しかしその宝飾デザイナーが失火で事故死してしまう。渡月はあることに気付くのだが……。 『葬送シャレード』 以上四編による連作集。

リアル側にぎりぎり寄った設定と描写が織りなす不思議なユーモア。類を見ないバランスが魅力を醸す
 覆面作家ゆえに作者がどのような経歴をお持ちなのかは不明ながら、このコンサルティング会社の社員という設定が、実は絶妙にうまい。 ……とだけ言っても判りにくいと思うのだが、例えばいきなり「名探偵」という存在を形成しなくとも、トラブルに関わる率が高くてもおかしくない職業であるし、我々が住む現実に地続きの職業だ。また、筋書きに直接関係はないかもしれないながら、大病院の裏側にしても、社長秘書室の葛藤にしても、リゾート地のマッサージ店の内実にしても、かなり詳しく、それも違和感のない描写が続く。主人公のOLの気持ちにしても、一部わざと誇張されている点(渡月さんへの過剰な片思いだとか)は別にしても、その生活感覚などもまたごくごく自然。社会人視点からみても、どれもこれもさりげないながら高度に現実寄りの描写によって構成されている。 その結果、事件そのものは突飛であっても物語構造としてすんなりと物語に入れる。正直、この点で既に新人離れした実力が感じられる。
 そのうえで展開される独特のユーモアもユニーク。特殊で高度な能力を持ちながら上司にいじられるOLの素が一人称で書かれるところ、また探偵小説の「怪盗もの」がごとき態度と、理歌を一貫して小馬鹿にし続ける斐然成章の人格、理歌の上司の土田の性格……といったところ、爆笑するような展開ではないけれど、微妙なズレを可笑しさに昇華することに成功している。
 個々の作品はもちろんミステリ。ただ、その扱いは様々。ちょっとしたヒントから関係者の嘘を見抜く『最上階ペンタグラム』は、凶器隠しのトリックも含め本格風。関係者の出入りや動きから犯人の嘘を見破る『楽園ギミック』は、本格と厳密に定義し辛いが名探偵ものとしての面白みがある。『葬送シャレード』はむしろ先の見えないサスペンスだし、『迷宮チェイス』はそのまんま企業犯罪ものとして読ませる。

 つまりはリアル寄りの描写からユーモアからミステリまで紡いでしまうという点が、本書最大の特徴かと思う。全体としては逆に統一感も少なく、女性主人公の態度や性格がちょっと極端なので肌に合わない方もいそうだが、個人的にはこの実力がどのように今後活かされるのか興味が湧く。


09/03/18
宮部みゆき「英雄の書(上下)」(毎日新聞社'09)

 『ブレイブストーリー』に続く、宮部みゆきのファンタジー路線の二作目。単行本上下巻の大作で、毎日新聞に二〇〇七年一月四日から二〇〇八年三月三十一日まで連載された作品に加筆修正されたもの。

 小学校五年生の森崎友理子は仲の良い両親と頼りがいのある中学生の兄・大樹との四人暮らしで平穏な毎日を送っていた。そんなある日、学校を急に早退することになる。兄・大樹が同級生二人をナイフで刺し、一人は死亡、一人は重体にし、そのまま失踪したのだという。目まぐるしく急変する周囲。そして十日ほど経った頃、大樹が少し前に部屋の中で王冠を被った黒い影にひれ伏していたことを思い出す。そして兄の部屋にあった、赤い革装の古い本から呼びかけられる……。その書物の導きによって、友理子の大叔父で古書蒐集が生き甲斐だった水内一郎の残した別荘に向かう。兄はそこから”エルムの書”なる書物を持ち出して”英雄”に魅入られてしまい、”最後の器”という存在になったのだ。家族と友にその別荘に向かった友理子は、大樹の親しい身内であるという理由から印を戴く者(オルキャスト)となり、兄が事件を引き起こすきっかけとなった無名の地へと赴くことになる。アジェという赤い革装の本はネズミの姿となり、無名の地にいた一人の無名の僧(後にソラと名付けられる)と友に、友理子は「ユーリ」と名を変えて輪(サークル)を旅することになる……。

ファンタジーの形態はむしろ借りただけ? 物語という存在の不思議を考察してテーマにした、やはり物語
 剣も魔法も登場するけれど、単純な剣と魔法のハイ・ファンタジーとは全く感触の異なる作品。序盤は現代の日本が舞台で、かつ主人公が小学生の女の子というところから安易にスタートすると、そこから中世なりオリエンタルなりの舞台に飛んで活躍する……といったシンプルな事前観測をしていると裏切られることになる。
 後半は、ヘイトランドなる架空世界のなかで、アッシュなる頼りになる男性と友に友理子=ユーリは奇怪な化け物と戦うという場面もあるが、『英雄の書』という物語全体の流れのなかではむしろ付け足しにみえる。(ただ、シンプルに読書するとこの場面がもっとも面白く読めるかもしれない)。あくまで個人的な理解で、という断りはつけるものの、本書の主題は、物語はどうやって生まれ、そしてどこに行くのか、という作家の存在自体の不思議を物語のなかで説明してみた、という点にあるように思われるのだ。時の流れのない無名の地という場所で、生まれ出る物語と用を喪った物語が回収されていくという仕組みは、その意味で画期的だ。そしてその歯車を回す咎人たる無名僧の正体もまた象徴的な意味合いに満ちている。また、物語があるから、英雄がいるから人の世の中に大なり小なり”戦”が発生するという点も、ここで詳しく説明できないながらも本書での解釈はユニークだ。そもそも物語の原点はギリシャ神話で出尽くしたという説がある一方、誰にも必要とされなくなった書物=物語などの扱いも、この無名の地で説明してしまうところは本当に上手いと思う。(もちろん、それで納得している訳ではなく、フィクションとしての設定のなかに上手く「物語の創成」「物語の消失」という事象を取り込んでいるという意味で)。
 ただ、”狼”の存在が恣意的にすぎたり、ヘイトランドでの終盤のエピソードと無名の地との繋がりなど、微妙にすっきりしないところもある。このあたりは大きすぎるテーマゆえにシャツがズボンからはみ出ているようなものと好意的に解釈すべきところだろう。
 また宮部さんが凄いのは、そういった大きなテーマを内包しながらも、あくまで筋道立った物語としては、主人公・森崎由理子の成長譚にまとめている点。 彼女に現世的感覚の救いは訪れないもののの、着実に冒険の以前と以後で成長が見て取れる。そして、ラストに思わせぶりな今後を示唆する場面を付け加えている点も小憎らしい。この結果、成長譚は更なる成長を感じさせるところまで突き進んでしまうから。

 「本」ではなく「物語」そのものをメタ的に取り込んでいるという意欲作。拡げた風呂敷もきちんと畳まれているし、物語としてのバランス感覚もさすがのひと言。ただ――、やはりテーマとして広い範囲の読者に理解/好まれるテーマかというと微妙でもあり、本書をつまらなく感じる人がいてもおかしくない。単純にファンタジーが好きという方ではなく、むしろ「本」が好き、「物語」が好きという方に受けるように感じられた。


09/03/17
新庄節美「名探偵チビー 雨上がり美術館の謎」(講談社青い鳥文庫'03)

 新庄節美という作家の名前を本格ミステリ界隈で高めた、名探偵チビーシリーズの二冊目にあたる作品。1994年6月に講談社より単行本で刊行されていた作品が青い鳥文庫入りしたもの。チビーシリーズは全六冊。

 様々な動物たちが平和に暮らし、老若男女それぞれが人間のように職業を持って人間のように暮らす世界。その都市の一つ、五月の風市に住む小学生にしてネズミの名探偵がチビー。母親と一緒にスネ湖の怪獣事件調査に向かったまま行方不明になった父親の後を継いで、三年前から探偵を職業にしている。助手は元消防士のネコ、ニャット。ある雨の日、学校に行きたくないというチビーは事務所で、美術館長のオーリの訪問を受ける。世界的に有名な名画『ハリネズミのほほえみ』が盗難に遭ったのだという。美術館は密室状態で出入り口は職員が監視、容疑者となる見学者四名はまだ館内にいるという。館長は警察のケッコー警部が信用ならず、たまらずチビーに捜査を依頼してきたのだ。確かに絵は盗まれており、出入りした痕跡はない。さらに見学者のなかに、二月の雪市の警察署長・ゴートがおり、チビーの父親と友人関係にあったという彼は、チビーと推理比べをしたいと言い出す……。

風呂敷は大きすぎず、謎そのものは微妙に手堅く。一方で論理がかっちり、しっかり本格
 友人のM氏が五年以上前から絶賛していたにもかかわらず、なかなか機会がなくて手に取れなかったシリーズ。ようやく機会ができました。ということで、虚心坦懐素直に読むと、これはなるほど推したくなる気持ちもよく分かる。
 設定の方はジュヴナイルというよりも、語弊を恐れずいうなら幼年向け。動物さんたちがそれぞれ名前をもって擬人化されており、彼らが日本語で会話を交わし、普通に人間っぽく生活をしているという世界。本格ミステリにおける世界観としては、普通あり得ないだろう……(穿った大人の見方としてだけれど)というのは、その動物たちがどのような能力を持ち、人間にはできないどのようなことが出来て、逆に出来ないのかが判らない。(果たして鳥は何かをつかむことができるのか、とか)。ただ、本作はその点については思い切って目を瞑って、あくまで出来るだけ人間扱いすることでミステリを成立させている。ただ、本作でいうとコンドルは飛ぶんだよなあ……。
 密室からの絵画消失という謎は、些か小粒。しかし、名探偵に別のタイプの名探偵をぶつけて推理合戦をさせるなど、展開に工夫があり、読む気分を害することはない。そして何よりも作中に正々堂々と作者が「読者への挑戦状」を入れてきているのだ。本格ミステリとして、その挑戦状が恥ずかしくない。というのも、恐らく何があったか、という点だけであれば当てずっぽうで見当は付けられるものである一方、なぜそうなのかがきちんと一定の論理の積み重ねによって証明されているから。(本作の場合は、ご丁寧に間違った推理は「想像でしかない」と切って捨てているところは少しおかしかった)。

 本格ミステリを標榜することになんら問題のない作品。本書を本来読む読者層が普通のミステリとこの作品の手触りの違いに気付けるものなのかは微妙ながら、個人的には妙に満足感を覚えてしまいました。


09/03/16
辻 真先「列車内の悲鳴はお静かに オリエント急行6泊7日死体つき」(新潮文庫'85)

 辻真先が擁する数多くの探偵シリーズの一つ、”ツアコンシリーズ”の二冊目。スーパーの兄・可能克郎と、ツアーコンダクターで彼の恋人である智佐子が登場する。『ブーゲンビリアは死の香り シンガポール3泊4日死体つき』に続く二冊目で、本書からは『南の島のお熱い殺意 モルディヴツアー7泊8日死体つき』へと続いてゆく。

 前回のシンガポールの事件からツアコンの萱庭智佐子にぞっこん惚れ込んでいる夕刊サンの記者・可能克郎。彼女が仕事でオリエント急行乗車を含む欧州ツアーに出かけるというのだが、克郎は資金の問題があって泣く泣く参加を断念する。オリエント急行には乗れないが、寝台特急の取材に出かけた克郎は、コンパートメント式の寝台列車内部で手首を切り落とされた女性の死体を発見、容疑者として疑われてしまう。被害女性は銀座のバー勤めで、様々な男性と噂のあった曰く付きの人物だった。一方、ツアーには仲の悪い夫婦や、タレントに映画監督、OL二人組からブルジョワ未亡人まで様々なタイプの人物が参加している。ツアコンとして智佐子ともう一人、ベテランの太田が随行していたが、その殺人事件の容疑者がツアーに紛れ込んでいるとの情報が会社からもたらされる。そしてようやく乗り込んだオリエント急行の列車内でも宝石紛失事件や、手首が現れたりといった奇妙な事件が発生する。

作者までもが登場しての二転、三転。何が起きるかどこに行き着くか判らないユーモア旅情本格
 本書の面白みというか読み所は二つの角度からみられる。ひとつは、作者が実際に取材をしていないのに資料だけでトラベル・ミステリーを書いてしまうというチープなようでいてディープな離れ業。(この点はシリーズ共通なのだという)。もうひとつはもちろん、奇想の名手・辻真先という作家によるミステリとしての構成の妙味だ。
 前者の取材せずに……という部分については、まあ読んでいただくしかないだろう。諸兄も観光地のパンフレットやガイドブックで実際に訪れていないのに行った気分になるという経験はおありだろうが、それを商業出版でやってしまって、しっかりモノになっているようにみえるのが辻作品。恐らく実際に取材したトラベルミステリはそれはそれで良さがある。しかし、この架空旅情であっても、ミステリと絡めることでその良い意味でのチープさが、作品の雰囲気とうまくバランスが取れているように思うのだ。
 もう一方、ミステリとしての構成。正直にいって、トリックであるとか実行犯であるとかに関しては、むしろそれほど深く考え抜かれたものではないのが第一印象。宝石箱からの列車内での宝石消失など、あの方法しか普通あり得ない。他のトリックにしても同様で語弊を恐れずにいうと子供だましのレベル。しかし一筋縄ではいかないのは、二転三転させられる真犯人だ。後付けに近い動機や人間関係もあるにせよ、事件全体の構図が後半になって目まぐるしく変化する。最後に隠されていた真犯人の正体なぞ、読書の中途で想像するのはちょっと不可能なレベルに至っている。中途で、事件が複数犯によって引き起こされたというあたり、本格ミステリとしてはちょっと弱いという印象を抱いたが、その点を見事に逆手に取ってきた。さすが辻真先。

 その他の登場人物にしても、辻真先ワールドの住人が多数を占めており、本来はシリーズで読んだ方が良いと言いたいながら、幾つか辻作品を読んでいる読者であれば、すんなり世界には入れよう。驚天動地のトリックが目立つ辻真先さんではあるが、小技をひねって効かせてくれるような本作タイプでも十分楽しめる。惜しむらくは若干時代がかってしまっているところか……。このあたりは今となっては仕方ないこと。


09/03/15
山下貴光「屋上ミサイル」(宝島社'09)

 第7回「このミステリーがすごい!」大賞の大賞作品。同時受賞は柚木裕子『臨床真理』。山下氏は1975年香川県生まれ。営業職・古書店の店長などの職を経て、現在はアルバイト。

 海を越えた大国では大統領がテロリストに誘拐され、核弾頭を搭載したミサイルが三週間後の月末には日本に向けて発射sれるかもしれない。そんな状況下でも日常は続き、私こと辻尾アカネはデザイン科の課題をこなすために、スケッチブックを持って普通科の四階建て校舎の屋上へ出た。そこにはリーゼント頭の偉そうな男・国重嘉人と、屋上から恋する陸上部の彼女をひたすら観察する沢木淳之介、フェンスを乗り越え外側に出ようとする”人殺し”と呼ばれる一年生・平原啓太。彼らは屋上の平穏を愛するという強引な国重の理屈によって”屋上部”を結成することになる。翌日以降、国重は死体が写された写真を持参し、沢木は拾ったという拳銃を持参し、それぞれ屋上の平穏を乱すものとして調査をしようと言い出す。しかし、最初の活動は、平原の言い出した”罰神様”にまつわる調査行動だった。しかし、彼ら屋上部の活動が進むにつれ、街で発生していた様々な出来事が繋がり、そして動き出してゆく……。

伊坂テイスト、それでもOK。今後に期待できる独特の価値観を孕んだ青春群像小説
選評でも触れられていた通り、伊坂幸太郎の作風に強い影響を受けている点は間違いない。序盤における登場人物の会話、日本にミサイルが飛んでくるかもといった微妙な大風呂敷、殺し屋や罰神様といったシチュエーション……。当然、全く同じコピーはないにせよ、全体的に受ける印象は、伊坂幸太郎のやったこと、やるかもしれないこと、の範囲を大幅に逸脱していない。
 だが、個人的な印象ではそういった設定や雰囲気は借りながらも、中盤以降の物語の流れであるとか、本筋が盛り上がるべきところですら逸脱していく大量のエピソードであるとか、良くいえば貪欲、悪くいえば調子に乗っているようにみえる展開は悪くないと思う。伊坂幸太郎との比較ばかりでは仕方ないにせよ、伊坂だったら、このあたりでまとめに入るだろう……という限度を超え、それぞれのエピソードは完全に限界を逸脱してしまう。 そういった過剰な部分を、(たぶん必死で)伏線として回収してゆく物語構成は、それはそれで新人賞らしい勢いがあって良い。
 全体としては、少し歪んだ、独特の価値観を備えた若者たちによる青春群像小説として読むのが吉か。伏線の回収をミステリとして捉えることはできようが、大きな意味で全ての物語が謎を孕んでいるという種類の薄いミステリーとしての分類になるだろう。細かいところの技巧が、逆にあざとさに感じられるところもないではない。だが、面白いか、面白くないか? と二者択一を突きつけられたら、間違いなく「面白い」に一票投じるであろう作品だ。

 本作は本作で大賞受賞の価値があると思うので、気になるのは今後はどのような方向で作品を生み出してくるのかという点。二作目も伊坂と比較されるような作品で微妙な受けを狙うのではなく、そうだとしてもどれだけ逸脱できるのか、オリジナリティをしっかりと示して欲しいと思うのは小生ばかりではないかと思う。そしてそれが楽しみでもある。
 最後にどうでも良いことだけど、男性登場人物の名前、サッカー選手からピックアップされているように思えるのだけれど。(嘉人と啓太はそのまま、淳之介は潤之介、寛之は博之か)。そうするとかつて韓国代表のDFに○○○という名前の選手がいたこととするする繋がるのだよなあ。


09/03/14
森 博嗣「ゾラ・一撃・さようなら」(講談社ノベルス'09)

 2007年8月に集英社から刊行された作品のノベルス化。集英社→講談社というのも少し珍しいか。

 マスタのいる店を訪れた探偵・頸城悦夫。彼のことを慕う女性・赤座都鹿のアプローチを尻目に、頸城は法輪洋樹という友人の紹介により依頼人・志木真智子と名乗る美女と仕事の話をする。真智子によると、現在ゾラという世界的に有名な殺し屋が日本に滞在しており、彼の次の標的が法輪清治郎なのだという。法輪清治郎はタレント兼ニュースキャスタ兼政治家という大物だが現在は引退しており、洋樹の叔父にあたる。さらに彼女の依頼はその清治郎のもとにある「天使の演習」という古い美術品を取り返して欲しいというものだった。その宝飾品は、真智子の母親が所有しており清治郎に一時的に渡したものだというが、彼女たちは法輪の援助を受けていた関係で表立っては交渉できないのだという。頸城は真智子と会談を持ったかどで何者かに襲われ、しかし依頼は引き受ける。友人でかつて交際していた水谷優衣の助けを借り、ジャーナリストとして法輪清治郎に接近しようと試みる。頸城の計画は功を奏し、徐々に法輪清治郎の懐に入ることに成功するのだが……。

こちらはハードボイルドというよりも、その風味をスパイスで効かせた森博嗣風・恋愛小説
 (特にこの講談社ノベルス版では)わたせせいぞう画伯による表紙がいい感じである。どこか懐かしい気持ちにさせてくれる。というか、八十年代のお洒落を未だにお洒落に描ける画風ですよね。
 ただ、本書はハードボイルド風味ではあるものの本家のハードボイルド的精神を持っている作品ではない。 ハードボイルドという意味合いでは、森博嗣作品ではむしろ「スカイ・クロラ」シリーズの方がその精神は近しい。本書からは社会や世界に対する絶望や哀しみ、そういったものへの闘争といった意識は全く感じられない。本書の場合は、私立探偵を務める男が美女の依頼人の要望で遺失物捜しをする――という形式のみを指してハードボイルド扱いされるのであろうけれど(あと、例の如くに醒めた文体もそうか)、物語の本質はその依頼人に細かな理由を抜きに惚れ込んでしまった探偵自身の感情を描いた恋愛小説
 ただ、その恋愛小説として読む分には本書、そう悪くない。これだけの著作数がありながら、あまり男女の営みを積極的なかたちで描いてこなかった著者には珍しく、男と女が理屈抜きに惹かれあう過程がかなり詳しく描写されている。これまでの他シリーズなどのパターンでいうと、圧倒的に積極的な女子+消極的な男子といったケースが多かったなか、女性への欲望(?)を隠さない主人公は、森作品のなかでは貴重な存在ではないだろうか。また、それゆえにかどこかこの恋愛模様が微笑ましくみえてしまう。(本質的には悲恋に属するものであっても)。
 ゾラという暗殺者を巡る謎については、あまりに不可能犯罪を強調しているがゆえに、真相はかなり見えやすくなっている。ただ、恐らく作者もこの点に大きなサプライズを仕掛けているつもりはないようで、その検証にしても徹底的にはなされていない。むしろ、森博嗣的ロミオとジュリエットのすれ違いによる余韻を楽しめるようにストーリーを展開しているように感じられるくらいだ。

 森博嗣氏のノンシリーズ作品は、個人的な印象でいうと出来不出来の差が結構大きい(これはあくまで小生の価値基準から判断して、であるけれど)、本書は超絶エンターテインメントではないものの、落ち着いた気持ちで読む分にはなかなか良いのでは、というレベルの作品でした。


09/03/13
樋口有介「初めての梅――船宿たき川捕物暦」(筑摩書房'09)

 前作『船宿たき川捕物暦』から、単行本としては実に四年ぶりに刊行となったシリーズ二冊目。前作と同じく筑摩書房からハードカバーという、少し珍しいかたちでの出版となった。作品自体は「WEBちくま」にて二〇〇七年八月から二〇〇八年五月にかけて連載されていた。

 白川藩出身の剣の達人・真木倩一郎は、とある事件の結果、船宿『たき川』に婿入りすることなった。『たき川』主人は、後の岡っ引き、当時の蚯蚓御用の頭目でもあり、倩一郎はその義父の名前を二代目として名乗り、米造となった。武士出身の立ち居振る舞いが所々には出るものの、妻のお葉との関係も良く、蚯蚓御用の仕事への取り組みも手下をうまく使って器用にやっていた。そんななか、米造は噂話から目明かしの目撃したという奇妙な出来事について知ることになる。今をときめく成金向けの料理屋・八百善に不審な駕籠が運び込まれたというのだ。目撃したのは小さな船宿を経営する老目明かし・喜作。駕籠の中に女性の着物がちらりと見えたのが慌てて八百善に運び込まれ、すわ事件かと思ったのだが翌朝になると、運ばれていたと思しき女性が病死したとの発表があったのだ。米造は信頼できる部下・静次を探索にあてるが、その静次が斬られたとの報に慌てる。果たして八百善にはどんな秘密が隠され、静次を斬ったのは何者なのか。米造とその手下たちは必死の探索を開始する……。前作の事件の時に触れられたような幕府要人の介入が今回もあるのだろうか。

前作から引き続き、傑作。樋口有介の乾いた文体と江戸情緒が不思議なハードボイルドを醸し出す
 惜しむらくは前作から刊行が間を空けすぎていること。こればかりは、如何ともしがたい。だけど、読み進めていくうちに前作で覚えた感動自体が少しずつ思い出されてきた。(結局、前作も再読した)。
 考えてみると意外というほどのことでもないのだが、前作を完全に踏まえた第二作という扱い。 従って本作から読むのは適切ではない。主人公や主要登場人物の造型は前作で既に完成されているものを引き継いでいる。その登場人物、やはり主人公の真木倩一郎改め米造の人物がいい。さらりとしていて乾いていて。己を知り、他人を恃み、周囲に気を遣いつつ、世の中やお上を信用していないなか、最善を尽くす。江戸時代舞台の時代小説とハードボイルドというのは厳密に両立しないのだろうが、完璧なる時代小説でありながら、やはりハードボイルドなのだ。 同時に樋口有介の他作品同様の浮気っぽさ、というか歯の浮くような女性への賛辞あり、微妙なユーモアもある。ハードボイルドといっても味わいが軽ハードボイルドというところが憎いではないか。
 その意味では、登場する女性たちがさまざまなタイプであってもそれぞれが時に清潔な、時に妖艶な色気を持っているところも上手い。そんな女性を登場人物がまたうまくあしらう。現代的な軽さを無理に持ち込むのではなく、そこに江戸時代の当時らしい「粋」で対応している。それゆえに時代小説らしい時代小説であり、それでいて樋口有介らしい作品であるという両立が成り立っているのだろう。
 一連の事件については、残念ながら伏線がきれいに活かされているところ、そうでないところが半々。ただ主要な事件の方は、現代的にしてこの退廃した江戸時代的という意味でよく考えられているように思える。特に世相を強く反映しているところ、また罰を与えるにしても直接的ではないところなども逆にスリリングだ。

 今回は全部の伏線が回収されていない代わりに、その謎めいた部分は三作目以降に含みを持たせた結果となっている。この一作のみで物語を捉える時には、その点は若干割り引かざるを得ないが、読者としては三作目を愉しみにまた待つことになるわけだ。三冊目はあんまり時を置かずに刊行していただきたいもの。


09/03/12
東雅夫(編)「怪談列島ニッポン 書き下ろし諸国奇談競作集」(MF文庫'09)

 雑誌『ダ・ヴィンチ』からスピンアウト(?)したかたちで開始されたメディアファクトリーの文庫「MF文庫」。その第五回配本として文庫オリジナルで刊行されたのが本アンソロジー。諸国の奇談をテーマに豪華なベテラン・新進作家陣が執筆を担当している。

 その南の島には様々な伝説が普通に存在していた。しかしヨマブリの話だけは皆が微妙にタブーにしている。 恒川光太郎『弥勒節』
 母と二人苦労して育った少年は、母を喪った後、自分を知るというある人物の招待に従って瀬戸内海の島へと渡った。 長島槇子『聖婚の海』
 広島近郊の街に母親と共に引っ越してきた小学生のサトシは、街の川底に眠る秘密を探り当てていた。 水沫流人『層』
 上町台地に位置する清水坂。この近辺で子供時代を過ごした男が四十年前の幼い友との別れを回顧する。 有栖川有栖『清水坂』
 三十代の女性上司と共に北陸を走る特急列車に乗車した山本。彼は列車のなかで奇妙な現象に遭遇する。 雀野日名子『きたぐに母子歌』
 変な話が大好きな母方の祖父。その祖父すら行くのを禁じていたのが、その家の裏にあるキカチ山だった……。 黒史郎『山北飢談』
 彼女は浅草のほおずき市で購入したほおずきの鉢を持って日本橋を訪れる。彼女のことを日本橋近辺の怪異が誘う。 加門七海『日本橋観光――附四万六千日』
 東北の温泉地。温泉にはオバケよりもおっかない熊が出るので夜には入らないよう言われていたのだが……。 勝山海百合『熊のほうがおっかない』
 北海道でのツーリング中に交通事故に遭い、片足を喪った卓也。彼のことを通報してくれたライダーが時折見舞に訪れる。 宇佐美まこと『湿原の女神』 以上九編に、東雅夫氏による『諸国奇談の系譜』という解説が付く。

偶然にもみえないくらい諸国の奇談が集う。ホラージャパネスクの怪奇を地でゆく奇妙な話たち
 基本的には文庫オリジナルアンソロジー、かつ東雅夫さんが編集をしているということであるから、恐らくは東氏が様々な作家にテーマを伝えて寄稿を求めて成立したものと思われる。……が、そのバラエティというか全体のバランスが、細かな点まで指定したのではないかと思われるほど、みごとに全国に配分されている。北は北海道、南は、恐らく南シナ海に浮かぶ島。東京や大阪を描くベテランがいるかと思えば、瀬戸内海、北陸、東北地方に至るまでそれぞれの物語の舞台は綺麗なまでに全国分布を形成している。
 その分布が全国に散らばっているだけではなく、その土地土地の情感が作家ごとに色合いは異なるとはいえ、読者にじんわりと伝わってくるのが本アンソロジーの最大の特徴だといえるだろう。分布を散らすことはアンソロジストには可能だが、それぞれの作品が情感を深く溢れさせているというのは嬉しい誤算だったのではないか。また、『幽』怪談文学賞出身作家や、日本ホラー小説大賞出身作家、さらにはミステリや伝奇のオーソリティまで加えてしまう点も、東雅夫氏の編集ならではの愉しみだ。
 個別に挙げても良いのだが、これまた不思議なことにそれぞれの”奇談”のテーマのほとんどが非常に日本的なのだ。諸国と謳っているのは、別に世界各地ではなくあくまで日本国内のこと。現代であっても、過去に題材を取る作品であっても、じんわりとした恐怖の煽り方が、その物語舞台と合わさって、「和」のテイストを生み出している。その結果、今回初めて読む……という作家があっても、違和感なくアンソロジーに入れるのではないかと思う。
 個別では、ある理由から有栖川さんの『清水寺』に深い味わいを感じるのだが、この雰囲気のみという作品は少しクラシカルか。ただ、加門七海さんのほおずき市の扱いはベテランならではの技倆に裏打ちされており、オチはぼんやりと見透かしたとしてもその魅力は下がらない。新人群それぞれが力作を発表しているなか、個人的には『聖婚の海』と『きたぐに母子歌』あたりが(怖いという感情もなく)良かった。

 上記に挙げただけではなく、九つの作品がある以上、それぞれ読者のツボに入る作品が必ずあるはず。怖い怖くないという意味では、怖い作品もあれば、雰囲気を愉しむ作品もあるといったバラエティも両立しており、 アンソロジーとしてよく出来ているなあ、と素直に感心する。コンビニはとにかく、書店ではまだ入手しづらい一冊である。(強いていうと、題名が今ひとつ。ニッポンはちょっと……)。


09/03/11
石田衣良「夜を守る」(双葉社'08)

 作者により『小説推理』'03年1月号から'07年6月号にかけて不定期連載されていた同名作品(全16回)に加筆を加えて単行本化されたもの。シリーズ登場人物による短編集としても読めるが、エピソードが重ねられる長編作品のような印象。

 大学卒業以来、フリーターとしてレンタルビデオ屋でバイトをしている川瀬繁、区役所勤めのヤクショ、実家の古着屋を手伝う巨漢・サモハンの三人は、上野で生まれ育った友だち同士。三人集まって、ガード下の安い飯屋「福屋」で芋焼酎を飲む毎日を過ごしていた。そんな生活のなか、「福家」に現れた、生活支援団体に住むユキオこと天才と知り合い、続いて上野駅近くの自転車を黙々と並べ直している老人と出会う。老人は四年前に、上野で急死した息子の事件の真相を知るために毎晩のように上野に来ていたが、近々故郷の福島に戻るという。上野の夜を見つめ続けた老人は、この街が少しでも良くなるよう毎晩活動していたのだという。その出会いをきっかけに、繁は天才からアポロという通り名を貰い、ヤクショ、サモハン、そして天才の四人は、上野の夜の街を守るガーディアンとしての活動を開始する。夜の街を見回り、トラブルは警察に報せる。身の丈に合った活動のなか、彼らは街の人々に様々なかたちで頼られるようになる。

縮小・日常・上野版IWGPとも読めるし、IWGPとは異なるコンセプトもある
 都会(上野と池袋)、組織(ガーディアンとGボーイズ)、人が良い地元密着型の主人公(アポロとマコト)、そして何よりも都会の事件のトラブルシューティング、ということで(当たり前だが作者も同じだし)。池袋ウェストゲートパーク(IWGP)シリーズとの類似が激しく存在する作品かと思う。普通に流して読むと、IWGPのコピー(少なくともオリジナルは向こう)として受け取られることは想像に難くない。
 が、そのあたりは作者も自覚的で事件もまた上野的というか、助ける相手にほとんどイケてる人物が登場しない。 ちなみに若いストリートダンサーを助けるエピソードが一話あるのだが、この話に限ってはガーディアンはIWGPとも代替可能とも思え、表面上は面白い作品であるのに中身が薄っぺらく感じられる。まずはIWGPがあり、そこで救えなかった人々の物語というと言い過ぎか。
 むしろ、ゴミ屋敷同然の家に住む廃品回収業の老夫婦を助けるエピソードであるとか、商店街を脅かす”ハイカラ窃盗団”を探し出すエピソードの方に厚みを感じる。ミステリーを標榜するわりには、一つ一つのエピソードは恣意的な偶然や、関係者のネットワークのなかで解決する話が多く、謎解きとしての感慨はない。むしろ、エピソードの落としどころに、近年の石田作品によくみられる、さまざまな人間属性無関係に隣人同士理解し合える分かり合えるといった優しさがみられるように思う。
 また、主人公のアポロはそもそもフリーターだし、家業を継いで何となく生きているサモハンにしても、9時から5時まで働くだけのヤクショにしても、このガーディアン活動をするまでは、どこかだらだら生きていて夢とか希望を感じられなかったわけで、押しつけがましくない程度に、若者に対するメッセージ(前を向いて生きるのはいいことだよ、だとか)みたいなものが込められているようにも感じられる。

 そもそも基本設定がよく似ているのでIWGPの劣化コピーという受け取り方も決して間違っていない部分はあるのだけれど、わざとださださのセンスを持ち込んでいるなど、石田衣良なりの方法論が見え隠れしている訳で。読み取れる人にメッセージが送れればそれでOK、とそういう意図があるのかもしれない。