MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/03/31
山田正紀「神君幻法帖」(徳間書店'09)

 その表紙を見た瞬間に判ることだが佐伯俊男画伯の濃い絵、その題名から、風太郎の忍法帖のオマージュであることが伝わる。『問題小説』二〇〇七年十一月号から二〇〇八年九月号にかけて連載された作品の単行本化。巻末に山田正紀氏を日下三蔵氏がインタビューしており、本書の成立経緯がよく分かる。

 神君こと徳川家康公の墓所である東照社は、二代将軍秀忠が家康の遺言に添って建築した質素なものだった。その建立には南光坊天海ら宗教界の重鎮が関わっていたがその秘密は明文化されて残されていない。この時期、同じように記録に残らない一群の人々がいた。彼らは幻人衆、幻者といわれており、二つの集団があり、一つが山王一族、もう一つが摩多羅一族といった。その二つの一族の棟梁・山王主殿介と摩多羅木通の二人が六名ずつの部下を連れ、命により日光中禅寺湖畔に集まった。呼び出したのは後の家光である竹千代の側仕えをする松平信綱と稲葉正勝の二人、そして竹千代本人。日光東照宮に家康の霊柩を移すにあたり、その副神を決める輿車の先陣争いを彼ら一族に行うよう命じた。結局のところは山王と摩多羅一族七名ずつの殺し合いが間接的に命ぜられたもの。果たして、その真の目的とは、そして人間離れした術と能力を持つ彼ら同士の争いの結末は?

ナンセンス部分は山田風太郎アップデート。ニヒリズムとエロティシズムにはまだ遠慮。いやでも楽しい
 ということで、本書の場合は読み進めるとすぐに本書は山田風太郎の忍法帖の代表作である『甲賀忍法帖』のオマージュであることが判る。理由にもならないくだらない理由によって、普通の人間には使えない忍法……じゃなかった、この場合は幻法によって互いに戦い合う十四人の物語。(本文中でも、後のインタビューにもあるが、山田正紀氏は「忍者」という存在はいなかったという立場)。本書の場合は、その戦いの理由自体がそもそも幻法者たちにもよく理解できておらず、その理由探しというも物語の一つのテーマとなっている。
 まあ、基本的には発表後、数十年が経過した忍法帖のアップグレードというかアップデートというニュアンスが強く、文体にしても構成にしても、風太郎のオリジナルが強く意識されている。特にそれぞれの幻法者が使う特殊能力に関しては、身体が甲羅のように硬くなるとか、手足が天井や壁に吸い付くだとか、口から蜘蛛の糸を吐き出して相手を絡め取るだとか――に関しては、忍法帖のどこかで読んだことがある忍法の亜流。とはいっても、山王一族の棟梁・主殿介と、摩多羅一族の棟梁・木通が使う幻法については初めて目にするタイプのような気がするが。当然、忍法帖を習ってその様々な技について現代科学を強引に援用して説明が為されている。 その強引さが素晴らしいし、科学の進歩に合わせてある点は感心すると同時に少し可笑しさ(ほほえましさか?)をも覚えた。
 忍法帖の特徴のニヒリズムという部分はある程度実現できているものの(無駄死にばっかりという点も含め)、エロティシズムについては風太郎の方がエロ度がむちゃくちゃのように思われる。幻法帖のエロはまだ正統派のエロである。風太郎の醸し出すぐちゃぐちゃなエロティシズムはやはり別格なのかもしれない。

 ということで、風太郎の忍法帖があっての『幻法帖』のように思われる。ただ、これだけのベテラン作家をしてオマージュに駆り立てる強烈な魅力が忍法帖にあって、中途半端な実力では猿真似にしかならないところを、きっちり近しいけど別系統の物語に仕上げているのは流石だ。また、インタビューによれば山田正紀氏には次作の予定があり、しかもベースは『くノ一忍法帖』になるのだという。ああ、それが出るのもまた楽しみ。


09/03/30
福澤徹三「怪談熱」(角川書店'09)

 大藪晴彦賞作家・福澤氏による怪談とホラー作品を集めたノンシリーズ作品集。『小説すばる』二〇〇三年八月号に発表された表題作他、各種小説雑誌に発表された作品が五編、『異形コレクション』各巻に発表された作品が三編、更に書き下ろしとなる『猿島』が加えられた九編が収録されている。さりげなく表紙怖い。

 作家の私は、実話怪談も執筆するが、時々原因不明の体調不良が発生する。本日も熱があるなか、友人に幹事役を依頼していた少人数の怪談会に何とか出席するのだが……。 『怪談熱』
 人気のないバーを経営する俺は、ファッションヘルスに勤める子連れ女性と同棲し、資金も出して貰っていたが、別の複数女性と浮気している。そのうち一途だった信金勤務の女性を振ったところ……。 『ブラックアウト』
 大手企業に中途採用が決まった三人の男。仮採用の最終日に、遠方にある会社所有の神社境内で行われる花見に訪れる。延延と深夜まで続く宴会、社員らに冷遇された彼らは……。 『花冷えの儀式』
 運動も出来ず成績も悪かった小学生の僕は、ある偶然から「ドラキュラの家」と呼ばれる洋館に住むレイジという男の子と親しくなる。夏休みに暫く会わないうちにレイジは……。 『ドラキュラの家』
 仕事の帰りに道に迷ってしまった男。不吉な神社を通り、偶然に夜道で出会った警官によって駅までの道を示されるが、派出所に寄っていくよう強く勧められる。 『夏の蟲』
 シロガネーゼの生活を満喫していた美和子は、学生時代にアルバイトしていたキャバクラ時代の同僚と再会。彼女から殺人容疑で服役していたかつての恋人が出所したことを知らされる。 『再会』
 大学講師の職を得た記念に海外旅行に出かけた家族。猿を神と崇め、健康に関する法律が異常なまでに厳しいその島で、刊行気分の家族が巻き込まれてしまう体験とは……。 『猿島』
 強引な手法で業界をのし上がったIT企業社長。強引さが祟って役員の反発を買い、解任された彼は今は一人で自分の和風邸宅にいる。妻が外出から帰ってきたが……。 『最後の礼拝』
 作家の私は幽霊が出るという廃病院の実地取材に訪れた。霊能者とカメラマン、編集者霊能者は悪霊がいるといい、カメラマンの様子が徐々におかしく……。 『憑霊』 以上九編。

実話系の怪談に不条理なホラー系の怪談。視点人物に成り代わり、厭な気分にじっくり浸れる作品集
 福澤徹三氏がもともと得意とする(といわれている)実話系の怪談と、創作系の不条理ホラー風怪談とがほどよくマッチングされた好作品集。特に冒頭の作品『怪談熱』と締めくくりにあたる『憑霊』を、作家自身の分身と思しき主人公の体験風に、実話怪談系で開始したうえで、同系列で閉じており、その意味でどこか作品集自体の世界が現実の延長線に閉じ込められているような(もしくはその逆、現実の延長線にあるような)印象を受ける。また、冒頭から続く『ブラックアウト』と、ラス前にあたる『最後の礼拝』、これらでは、タイプこそ若干異なるものの(特に人間関係・女性関係について)自己中心的に無軌道に生きてきた男が味わう地獄のような風景を描いているという意味で共通しており、さらにこれら二作品からちょうど等距離、作品集の真ん中に据えられた『夏の蟲』も、テイストとしては重なって奇妙なトライアングルを形成している。
 実話系の、日常の延長にある作品も、もちろん福澤氏独特の苦悩(「この話は活字にして良いものか……」)みたいなものがかいま見えて好きなのだけれども、個人的にはばりばりフィクションではあるものの、『花冷えの儀式』『猿島』の二作が好み。これまた作品集内部の位置上では対を為す位置にあるのだが、通常世界の延長のつもりで入り込んだ世界が、自分たちの常識と異なる基準で運営されているという理不尽さが怖さをかき立てる。両作品とも後味は最悪。だが、その分強烈なインパクトが残った。

 これまで福澤氏の怪談短編集を手に取ったことのある方ならばもちろん、初めての方でもOKの比較的間口の広い怪談作品集。ただ、あくまで基本は「怖い話」であるので、その点はお間違えなきよう。


09/03/29
斎藤 栄「殺意の時刻表」(光文社文庫'95)

 元版は'80年に弘済出版社より刊行されている。他に集英社文庫版等がある、斎藤栄ノンシリーズの長編作品。

 神奈川県の建設局次長の地位にある三島昭司は、大手商社・興栄商事の木下部長を通じ、宝石転がしを行っていた。しかし、結局は相場の暴落を理由に更に一千万円を要求される。憤懣やるかたなく帰宅した三島だったが、浪人して大南大学一本に絞っていた息子が大学受験に失敗、自殺せんばかりの落ち込みを見せている。さらに昭司の父親であり、同居している昭平はそんな孫の態度が気に喰わず、昭司の妻の亜美子を叱りつける……。そんななか、磯子区で六十になるサラ金経営の社長・古川が愛人のマンションで全裸で刺殺された死体となって発見される。愛人のの静香が疑われるが彼女にはアリバイがあった。更に興栄商事の木下が、密かに借りていた大船のマンションで死体となって発見される。二件の事件は凶器に同じナイフが使われたことが判明、繋がりを帯びるが二人の接点が見つからない。さらに事件後に怪しい行動を取っていた静香が横浜港で死体となって浮かび、三島昭平が旅行先の京都で事故死とも他殺とも思える状態で発見された……。

題名の「時刻表」、粗筋の「時刻表推理」という言葉が最大のトリック。こりゃないでしょ
 この光文社文庫版の表紙に大々的に描かれているSLの絵、結構題名としては良センスではないかと思われる「殺意の時刻表」。日美子シリーズではなく、ノンシリーズで比較的初期の長編ということもあって、正面からの本格鉄道ミステリだろう、という思い込みで読み始めた。
 が……。うーむ。
 京都で殺害された老人が所有していた時刻表。その時刻表の雷鳥7号にボールペンで印が付けられていた。老人は電話で、……7号に乗車するにはまだ時間があるといった言葉を相手に向かって喋っていたというが、雷鳥7号が現場付近を通るのは午前中であり、老人がなぜその場所を散策していたのか理由が不明……。
 これだけを読むと、ここに驚天動地のアリバイトリックがあるはず、と思い込むはず。が、その思い込み自体がとんでもないかたちで裏切られる。 確かに”時刻表”トリックですよ、はい。確かに”時刻表を使用したアリバイトリック”……ともいえるかもしれないですよ、はい。ただ、掲載されたダイヤを使用したアリバイトリックではない、ということだけは断言出来ます。これが何を意味しているのかは、――説明はしません(悔しいので)。読んだら判ります。
 執筆された当時の鉄道駅に関する蘊蓄や、駅名を使った暗号などテツの方なら喜ばれる(かもしれない)場面もあり。あと、本来特筆すべきは表面上に波風立っていないなか、水面下では着々と導火線に火が付いている(水面下なら火は消えるか)ような、微妙な家族関係。本格とはいえないが、この家族関係の軋み、微妙な歪みは斎藤栄の中期以降の作品では一つのテーマとしてしばしば取り上げられているように感じられる。

 思わせぶりな書き方になってしまいましたが、斎藤栄の他の本格ミステリからみても本書は平均よりも水準がかなり低い部類の作品。 確かにトリックが使われていはいるのですが、サスペンスとの比率も中途半端で読者が知り得ない証拠が最後まで登場しないこともあり、謎解きものとしての興趣はほとんどありません。


09/03/28
竜騎士07「ひぐらしのく頃に 〜賽殺し編〜」(講談社BOX'09)

 結果的に、講談社BOX名物の大河ノベルよりも総巻数が多いという『ひぐらしのなく頃に』『ひぐらしのなく頃に解』を含む『ひぐらし』シリーズ、十七冊目にして正真正銘の最終刊。一連のシリーズの後日譚という位置づけにして、主題はかなり重い。

 昭和五十八年、盛夏。最良の選択の末につかみ取った古手梨花にとっての初めての夏。部活メンバーはその日は興宮のプールまで遊びに行っていた。帰り道の自転車ではしゃいでいた梨花だったが、沙都子を自転車で追い抜いた後の不注意で前方から走ってきた車と衝突してしまう――。意識を取り戻した梨花だったが、目を覚ました場所は雛見沢分校の保健室。どうやら沙都子にドッジボールをぶつけられて気を喪っていたらしい。またもや自分の居る世界が変化したことに戸惑う梨花。保健室にやって来た診療所の医者は入江ではなく山本と名乗る武骨な男だった。魅音やレナ、沙都子、そして悟史がいる。診療所の名前は入江診療所ではなくタカノクリニック。羽入が彼女の前に姿を見せないままようやく確認できた日付は、昭和五十八年の六月……。教室に極端に生徒の数が少なく、そしてなによりも前原圭一の姿が見えない。部活すらなく、沙都子とも同級生というだけで友人ではないらしい……。これまで体験してきた雛見沢と全く異なる世界であることに、梨花は半ば恐慌を来す。ようやく羽入とコンタクトできた梨花だったが、その世界の特殊性に衝撃を受ける……。

全ての事件が終わったはずの古手梨花が体験する全く新たな雛見沢。この世界の果てに彼女が見つけるものは――。
 本編の最終巻にあたる『祭囃し編(下)』の作者あとがきで「どうやったら生贄を設けずに惨劇を回避できるのか」といった問いかけが読者に対してなされていた。ある意味、作者からその解が回答されているともいえる。……確かに、確かに回答なのだが。物語としては微妙である。こういった古手梨花が新たに以前の記憶を持ったまま紛れ込まない限りはドラマにすらなり得ない日常に過ぎる世界。 ただ、だからこそこの作品がシリーズ終了後に提示されているという点は必然でもあるか。
 多少のネタバレを覚悟していうならば、この世界は「罪のない世界」なのだ。罪自体がない以上、前作までは必然とされた幾つものイベントが存在しなくなっている。雛見沢は近い将来ダムに沈み、入江機関も存在すらせず、症候群もあるのかないのか曖昧だ。ごくごく普通の、雛見沢に住まうことが必然だったという人々だけで織りなされる日常。全てを知っている筈の梨花だからこそ陥る大混乱。 そして迫られる究極の選択は……?
 正直、この選択のどちらが選ばれるのか。これは読者として先読みが許されないものだった。結末がついてしまえばしまうで納得し、そしてこの最後の一冊では「作者が言いたかったこと」(のうちの一つ)がある意味ストレートに伝わってくる。(……の一つ)としているのは、あとがきで更に作者自身が「伝えたかったこと」の説明をしているから。

 いずれにせよ、シリーズを全部こなした人へのボーナストラック。本書を読まずに祭囃し編で終わっても問題はないし、部活自体の描写がない以上、物語の盛り上がりは今ひとつ欠けるところがある。ただ、最後の最後、多少センチメンタルではあるものの、この締め括りは悪くないか。
 
09/03/27
浅暮三文「ポルトガルの四月」(ハヤカワ・ミステリワールド'09)

 グレさんのライフワークともいえる五感シリーズの締めくくりとなる作品。今年から新装されたハヤカワ・ミステリワールドの第二期配本として書き下ろし刊行された。ちなみにこれまでの五感シリーズは嗅覚の『カニスの血を嗣ぐ』(講談社ノベルス)、視覚の『左眼を忘れた男』(講談社ノベルス)、推理作家協会賞を受賞した、聴覚『石の中の蜘蛛』〈集英社〉、珍しくエロが前面に出た触覚『』〈ハヤカワSFシリーズJコレクション〉、第六感をテーマにした異色作『錆びたブルー』(角川春樹事務所)の五冊が出ているが、困ったことに講談社の二冊は品切れだ。

 奇妙な夢を見た。男は目覚めたものの記憶がぼんやりしている。気付くと日本語を解する、ウィミンと名乗る少年が側にいて助けてくれるのだが、手荷物は無くポケットに入ったパスポート他、細々した所有物のみ。男はパスポートを見て、自分の名前がツカモトショウジであることを知るがしっくりこない。しかし男の目覚めた場所は炎上するバスのすぐ横で、どうやらここは言葉の通じない外国らしい。男はウィミンの助けを借りながら現場を離れるが、自分が何者で、さらに何の目的でこのような場所にいるのかがさっぱり分からない。ウィミンの住むというフュッセンに辿り着き、小汚いホテルに案内された男は、朝食に出てきたブダンという臭みの強いソーセージを食したところ、その強烈な匂いと味覚と共に断片的な記憶を思い出す。ウィミンにつきまとわれながらヨーロッパを旅し始めた男。彼はどうやら日本で二人の仲間と共に黄金を盗み出し、その関係で欧州にいるようだ。そして、その地域、地域で強烈な匂いを持った食事にありつくたびに断片的に記憶を取り戻してゆく。

行き当たりばったり欧州・裏グルメツアー。とぼけた味わいと哀愁とが漂うクライム・コメディ
 グレさんが、これまで小説として発表してきた様々な方面の蓄積を集大成しているような印象。 メフィスト賞出身とはいえ、そのデビュー作『ダブ(エ)ストン街道』は旅を題材にしたファンタジーだった。本書はクライム・ノベル(なのか?)の体裁を取りながら、ドイツからスタートしてオランダ、フランス、イタリアにイギリスといった欧州各国をどたばた喜劇さながらに主人公たちが旅をする(しかもその目的は、むしろ匂いのきついインパクトのある食事を探して)という点、現実をベースに物語を構成しつつも、ファンタジーの薫りが感じられる。
 一方、クライム・ノベルでもある。主人公自身が記憶を失っており、思い出す必要があるのは盗んだ黄金をどこに送ったかという部分。同時に、元の仲間だった悪党同士、更に欧州の小悪党・ウィミンまでもがが互いに出し抜き合おうとするため、それほど罪のない犯罪は物語の各所に登場する。ただ、悪党たちがさらに別の悪党をなぜだか引き寄せるため、次々とは別のトラブルに巻き込まれ、さらに現れた悪党が次々に自滅していく様がコミカルに描かれる。特にイタリアでのエピソードとバスジャックのエピソードは秀逸。(その意味では最終章で現れる悪党については結末が描かれていないが、相応の結末が待ちかまえている……とも読める)。
 その二つの他にもハードボイルド、コメディ、旅情小説、不条理小説といったエッセンスが要所に感じられる。
 独特の癖のある文章は軽妙であるし、序盤少しもたっとしている印象があるも中盤以降の展開はスピーディ。五感の最後の味覚という意味では、登場する食べ物があまりにマイナーに過ぎ、イメージできるような出来ないような印象がある。……というか、敢えてマニアックな日本人にはあまり馴染みのない食べ物を出すことで、その奇妙な味覚をどこまで読者に文章で伝えることができるか、という点に挑戦しているようにも感じられた。

 全体としては『ラストホープ』などに近しい印象があるが、悪党がぎんぎんに尖っておらず、とぼけた味わいを出しているのがアサグレ・クライム・コメディの真骨頂。ウィミンの存在も含め、登場人物が皆憎めないため、味わい深い作品になっている。(最後にどうでもいいことですが、タングステンは鋳造不可能の難加工材なので合金にしければドアノブとかは作れません。)


09/03/26
海堂 尊「ジェネラル・ルージュの伝説 海堂尊ワールドのすべて」(宝島社'09)

 海堂尊を「このミステリーがすごい!」大賞で見出した宝島社が送る、著者が半分くらい手がけた「海堂本」である。場合が場合であれば「僕たちの好きな……」シリーズとしてムックで刊行されてもおかしくない。

 1991年。東城大学付属病院にて外科医としてのキャリアを踏み出したばかりの新米・速水晃一。速水はサボリ癖があり、昼寝(シェスタ)を得意技にするICUの看護師・猫田らと共に、中堅看護士の花房美和を振り回す毎日を送っていた。速水の堂々として物怖じしない性格、更に自分の外科医としての腕に自信が溢れる態度は、総合外科学教室の助教授・黒崎ら、一部の権威主義者には煙たいものとして映っていた。一方、事務所から売れない歌手のレッテルを貼られた水落冴子は、桜宮市にある城東デパートへ巡業に訪れていた。そんななか偶然に、彼女を捨てたかつてのマネージャー、小林と出会う。小林は今は人気バンド「バタフライ・シャドウ」のマネージャー。「バタフライ・シャドウ」のメンバーとも話をする機会のあった冴子は、バンドの中心人物でベーシストの城戸(ザック)に気にいられる。彼女はひょんなことからバタフライ・シャドウのライブに飛び入りさせられることになり、逆に彼らを城東デパートのショーに飛び入り出演させる約束を取り付けた。しかしそのショーの当日こそが『城東デパート火災』の当日にあたるのだった……。

ファンならば『伝説』自体まず読む価値あり。作者自身による海堂ワールドの解体新書も加わる
 あくまで本書の目玉は『ジェネラル・ルージュの凱旋』で堂々存在感を示した救急救命外科医・速水晃一が若き頃にくぐった修羅場を描いた中編にある。『凱旋』の物語のなかで、過去にあった事件として語られる『城東デパート火災』と、速水との関わりだけではなく、アクセントとして(といっても物語でもしっかりと関わるが)『ナイチンゲールの沈黙』に登場する水落冴子も登場する。このあたりのエピソードの絡め方、特に先に刊行された時代が後の作品でちらりと描かれる結論の伏線を逆張りする、というテクニックめちゃくちゃ上手じゃないですか。
 一方、後半部については海堂尊となる以前/以後の日常生活や雑感を時系列順に作者自らが日記風に綴ったエッセイ、自作の創作にまつわる秘密を作者自らが作品ごとに解説するなど、海堂尊の旺盛なサービス精神が発揮された内容となっている。それぞれあくまでエッセイや解説でしかないのだが、微妙にとぼけた味わい、医学に関する真摯な取り組みなど読んでいて興味を引かれる内容にてすっきりまとめられている。
 加えて、海堂ファン(というか、海堂ワールドファンか)にとって待望されていた、登場人物の関係図や、各作品の年代ごとの組織図、更には全作品の登場人物一覧なども付属している。この一覧表、各作品、主人公は違えど世界が共通している海堂ワールドにおいて、ある意味宝の地図といっても過言ではないだろう。(小生も、この人間関係図をどうしても手元に置いておきたくて購入した部分が多分にある)。→恐らく、作者自身、今後この人間関係図や年代ごとの所属組織を眺めながら執筆することになるかもしれない?

 とはいえ半分はファンブック。『ジェネラル・ルージュの凱旋』を未読の方にとっては『ジェネラル・ルージュの伝説』はそうインパクトある中編ともいえないだろう。(それでもラストの黒崎助教授の電話などは、端的に海堂作品世界の皮肉をしっかり受け継いでいるが)。興味ある方は買っておいて損はないです。


09/03/25
有栖川有栖「赤い月、廃駅の上で」(メディアファクトリー'09)

 有栖川有栖作家生活20周年記念出版ということで、「幽ブックス」の一冊として刊行された、非ミステリというよりも、『幽』Vol.3(二〇〇五年六月)〜Vol.10(二〇〇八年十二月)に連載された八編と、他媒体に発表された二作を集めた「鉄道怪談」作品集。 有栖川有栖氏が鉄道マニアでもあることは知られており、その趣味が活かされている。

 一九七〇年の万博が最高の想い出だという中年男・戸倉。連休明けから出社しなくなった彼は地下鉄御堂筋線に乗ったまま、どこへ消えたのか……。 『夢の国行き列車』
 バックパッカーの彼はその国の密林の奥にいるという鳥を見るため、奥地に向かう列車に乗り込む。乗り継ぎを繰り返す度に彼は密林の奥へ、奥へと。そして……。 『密林の奥へ』
 六月半ばに開かれた鉄道趣味の男たちによるオフ会。鉄道絡みの怪談が掲示板で盛り上がり、テーマは鉄道怪談。百物語形式で一人の家で行われたその会の果てに……。 『テツの百物語』
 貴婦人と呼ばれたSL列車〈貴婦人号〉が走る〈SLばんえつ物語号〉。一人旅の英嗣は、鉄道ファンに見えない貴婦人のような女性とボックス席に乗り合わせる。 『貴婦人にハンカチを』
 梢子が乗り越しの切符を車掌から購入してから、その列車から見える光景、同乗者はなぜか懐かしい人々ばかりになった。梢子はその理由に思い至ってしまう……。 『黒い車掌』
 海洋探索船に乗船したサクラという名のジャーナリストは、船長や学者たちに謁する機会を得る。船長は様々な昔話や怪異譚を語ってくれた。海の上から見えるある光景とは……。 『海原にて』
 鉄道趣味を持つマスターが経営する〈シグナル〉という名のバー。田舎で鉄道自殺した常連の思い出を語り合っているところに当人そっくりの男が現れた。 『シグナルの宵』
 気付くと駅にいた。周囲の人と一緒に駅に向かって歩いていた杏野は、自分が山岳で事故死してしまったことに気付く。周囲もどうやら死者のようだ。全員が向かった先は……。 『最果ての鉄橋』
 対人関係がうまく行かず学校に行かなくなった少年。彼は自転車で日本を旅していた。ふと興味を覚えた廃駅で、行き会わせた青年と共に野宿することになるが……。 『赤い月、廃駅の上に』
 かつて人気女優と結婚していたがその妻を亡くしてしまった中年サラリーマン。帰り道の途中で下車してその街を彷徨う習慣がついていた。 『途中下車』 以上十編。

正統派の恐怖、不意を打つ驚き、先の見えない絶望……鉄道テーマで数多くのバリエーション。物語の怪談
 基本はテツ系怪談集、即ち、鉄道に関連する様々な事象を怪談にしてまとめた作品集ということになる。ここまで有栖川有栖氏の作品は刊行されたほぼ全てを読んでいるものの、かなりこの作品集には驚かされた。有栖川有栖正統派の驚きである、本格ミステリのうえではなく、まずかなり本格的な怪談集である点だ。有栖川氏と並び立つことの多い、同じく本格ミステリ出身の綾辻行人氏の場合、早くからこういった怪談・ホラーへの興味は見て取れ、実際に非ミステリの作品が刊行された際にもあまり驚きはなかった。その一方で、有栖川氏は数々のエッセイでもむしろ本格への愛を語ることが多く、こういった作品集が編まれること自体、正直意外である。確かに『幽』で連載を持っていることは知っていたのだが……。
 そしてもう一つ驚いたのは、怪談としてのクオリティの高さ、そしてそのクオリティ維持の原点となっているのがバリエーションの豊富さである。例えば冒頭の『夢の国行き列車』。これは地下鉄の知られざる歴史をテーマを都市伝説風に描いた現代作品。続いての『密林の奥へ』は、旅情ファンタジーめいた不条理小説。怪談ミステリめいた『シグナルの宵』があるかと思えば、正統派ホラー/怪談を表題作『赤い月、廃駅の上に』でやってのける。これは異論があるかもしれないが『最果ての鉄橋』という作品からは落語のテイストすら感じられる。途中までどこが鉄道怪談やねん、という船上の会話を中心に描かれた『海原にて』は、SF的発想も交えた怪談に着地するなど誰が思うだろうか。
 ネタを被らせず、ワンパターンに陥らず。まさにミステリの軛から逃れ、のびのびと執筆していることがこちらにも伝わってくる。無理に怪談を意識して汲々した物語になっていない点も好感。むしろ思うままに書いているのではないかと想像してしまう。

 さすが人気作家というかたちで片付けられない。特に近年の有栖川有栖は物語を豊かに綴る力がついていることは周知の事実ながら、そこからミステリという核を抜きにしても、十二分に読ませてくれるのだ。この作品集をもってして、有栖川有栖=本格ミステリしか書かないという図式は完全に崩れ去った。それは物語を愛する読者にとっては幸いなことなのではないかとも感じる。


09/03/24
西澤保彦「マリオネット・エンジン」(講談社ノベルス'09)

 SF本格ミステリで知られる西澤保彦氏、初の「非ミステリ短編集」という触れ込みで刊行された作品集。『小説現代増刊メフィスト』に発表された二作、SFオンラインに発表された「テイク」、異形コレクションに発表された二作、そして表題作が同人誌時代の作品を大幅に改稿した書き下ろし作品にあたる。

 高校を中退した設楽啓路は小太りの体型で甘いものに目がない。家で双子の弟妹と母親、祖父のために作る食事を少しずつ甘くしてゆく計画に着手。いかに砂糖を多くの食品にいれるか腕を磨いてゆく。その結果、家族の味覚にも異変が……。 『シュガー・エンドレス』
 〈ジェネシス・シティ〉の〈市政庁〉事務官テイクは、メリッサ・アンダースンという美女に引き抜かれ、アーノルド博士の研究チームに異動する。しかし、彼はメリッサによる人体実験に協力させられる。メリッサはなぜ彼を選んだのか。 『テイク』
 小学校の高学年の時に引っ越した新築の家。その家の縁側近くには布団があり老婆が寝ていたのだが、私を除く家族の誰もそのことに気付かない。兄に汚され、家を出た私。兄は結婚するがその妻が、家の中に奇妙な女性がいると言い出す。 『家の中』
 米国の指示によって月面に籠もる二人のエンジニア。米国は宇宙人と称するバイオドロイドを製作し、全世界相手に巨大な嘘”Dプロジェクト”を見せていたが、そのドロイドの行動プログラムのバグを”おれ”と助手のクラムで必死に取り除くのだが……。 『虫とり』
 重力が逆さまに、地上が天で天に向かって落ちていく夢をみる。女性と同棲する四十近い女性、”わたし”は女性同士で愛し合いながらも、その観念を強く思い描くようになっていく。やがて現実が……。 『青い奈落』
 市民は生殖から切り離され、互いの姿を相手の理想の姿に変換してひたすらにセックスを貪る世界。一定のプログラムとルールはあるものの、エンジニアのオギは新たな技術を開発した。しかし都市は様々なテロリストに狙われ、その不穏分子はまた強制的に排除されていく。 『マリオネット・エンジン』 以上六作。

黒西澤テイスト溢れる作品、六編。不思議なことにSF寄りになればなるほど難解に
 小生がもともとSFというよりもミステリ寄り、ホラーも好きという傾向がある前提で、本書六作品を順に選んでゆくとこうなる。『シュガー・エンドレス』>『家の中』=『青い奈落』>『テイク』>>『マリオネット・エンジン』>『虫とり』。 まあ、あくまで個人的嗜好でしかないのでなんの参考になる話でもないのだが、全体としては日常からSF設定にゆけばゆくほど肌に合わなくなるようだ。ただ、本書の場合、ミステリを前提としたSFではなく、後半部はSFを前提としたSFだったりするので、SFファンならばまた異なる感想を持つのかもしれない。
 先に本書のなかで最もウマがあった『シュガー・エンドレス』だが、小説としては何を言いたいのか判らないまでも、砂糖を第三者に取り込ませようという主人公の執念が非常に怖い作品。実際に体調を崩して最期を遂げていく親族の姿も恐ろしく、そしておぞましい。どこまで科学的裏付けが正しいのか不明(むしろトンデモに近いのかもしれない)ながら、他に類を見ないという意味ではインパクト大。 『家の中』は、少し凝った設定を用いた一種の幽霊譚。主人公の兄の壊れっぷりと黒い性格が強烈。『青い奈落』は、天に向かって落ちてゆくというイメージが先走った印象があるも、そのイメージそのものが鮮烈だけに、同性愛をもう一つの主題にしつつも破滅が美しくみえてしまうという不思議な作品。
 残り三作が、SF趣味を強烈に打ち出している。架空都市、未来の技術といったところがテーマになっている一方、個別の設定で使用されている世界が、短編だと見えづらい。表題作『マリオネット・エンジン』は登場するソフトウェア、ハードウェア、社会体制に人々の考え方など難解な(少なくとも小生には)項目が複数あり、物語を愉しむ以前に悩みが増えてしまう。もしかするとSF読みの方であれば、すんなり理解できるのかもしれない。が、後半の陰謀を暴くパートも含めて、長編でもう少し説明をじっくりしていただかないと、小生のような読者には少々辛かった。その意味では表題作より更に短い『虫とり』はもっと主題が判りにくい。一方、『テイク』については物語の狙いと、物語内部の設定とに深い繋がりがなく、ミステリとしても読めることもあって面白く読めた。
 西澤氏のSFミステリが面白いのは、SFのセンス・オブ・ワンダーを打ちだそうという意図以上に、その設定が同時にミステリとしての手掛かりであらねばならないせいなのか……などとも考える。つまりは本書も含めて西澤SFの本質は実は難解な設定も含まれているのだが、ミステリの要素を強く(特に本格を意識すると)することで、読者にも伝わりやすく、易しくなっているということ。正直、そちらの方が小生には肌に合う。

 西澤氏の過去十年分くらいの”非ミステリ”作品の総ざらえの意味もあるようなので、ファンはやはり「これも西澤保彦」ということで読んでおくべきだろう。ただ、やはり「SF本格ミステリ」の西澤風味とは異なるテイストとなっている点は覚悟されたし。


09/03/23
梶 龍雄「若きウェルテルの怪死」(徳間文庫'91)

 元版は『若きウェルテルの怪死 旧制二高殺人事件』として昭和58年('83年)に講談社ノベルスより刊行されている。梶龍雄の一連の旧制高校シリーズの一冊。

 上野の飲み屋で私が偶に一緒になる金谷という元編集者の老人。彼が高校時代に遭遇した出来事が推理小説になるかもしれない、と老人の註釈を付した日記を手に入れる。そこには戦前に北海道を出て仙台にあった旧制二高に通っていた金谷青年の青春が綴られていた。昭和九年のこと。金谷が親しくしていた友人の堀分が、多量の睡眠薬を飲んで、師事し、下宿していた考古学者・大平の邸宅の離れで死亡した。二高の寮で事件を起こして自首退寮を余儀なくされた経緯や、直前に行きつけのミルクホールの若き女性経営者・郁子に失恋したことなどから、警察は彼の死を一旦自殺と断定した。しかし金谷は堀分のそれまでの態度や生活状況などから、自殺とは納得出来ずにいた。特高刑事の小竹、そして事件に不自然なところを発見したという秋月といった刑事が引き続き、調査を続けるものの決定的な証拠は見あたらない。小竹は、大平家に反戦運動の扇動者が潜むといい、事件後も大平家を監視し続けていた。しかし、堀分の部屋にあった原人の化石が盗まれていることが判明、卑劣な犯人はその化石と二千円(現在の一千万円超)を引き替えにすると提案してくる。

「信じられない!」と繰り返す主人公の青臭さが、そのまま真相の隠蔽に手を貸すという周到
 一応、入れ子構造ということになっているが、最初と最後、そして「読者への挑戦」に相当する部分のみが現代の情景であり、物語の最中は昭和九年、そして日記というかたちで順に進行する形式をとっている。その結果、他の梶龍雄作品にもいえることだが、戦前の一瞬を活写し当時の世相を如実に反映しながら、同時に旧制高校を描いた瑞々しい青春小説にも仕上がっている。
 また、これもまた他の梶龍雄作品にいえることながら、主人公格の青年が抱く、年上の女性への憧れや男女交際への羨望といった「青い恋」もまた本書では重要なテーマ。現代で十代後半にもなって「青い恋」もへったくれもあったものではなかろうが、戦前のこの時期の男女交際事情などは、年齢がどうあれ現在の価値観からすれば、どこか未熟で青くみえてしまう点は仕方がない。ただ、梶作品の多くには少年めいた主人公が年上の美女に仄かな恋心を抱くという場面は、お約束のように登場する。大抵の場合はスパイスになっているのだが、本書ではその点もまた謎解きにおいては重要な意味を持っているところは特徴だといえるだろう。
 さて、ミステリとしてはどうだろう……というと、本作は些か地味な印象が強い。自殺か他殺か分からない友人の死、監視下における身代金受渡後の犯人消失。特高警察にマークされている反戦運動の首謀者と関係者は誰なのか――。特に後半に至ると、前半に登場した人物の多くが死亡・失踪・逮捕といったかたちで舞台から素晴らしい勢いで退場していってしまう。 ただ、残された人物に犯人らしき人物はほとんど残っておらず、ミステリアスな雰囲気は後半の方が強い。さて、その真相は、というとある程度予想の範囲に収まる。ただ執拗にラストにどんでん返しを持ち込む、梶龍雄らしい遊び心はやはり触れると嬉しいところ。

 青春小説+ミステリとしては及第点に至ろうが、それぞれ単体でみると時代青春小説としてのみ合格点か。ミステリ部はもちろん本格ミステリであり、きちんと論理が積み重ねられて真相に至っている点はさすがだが、ヒントを丁寧に伏線にしている分、判りやすくなっている点は否めない。とりあえずは梶龍雄ファンが押さえておくべき作品という位置づけか。


09/03/22
飯嶋和一「出星前夜」(小学館'08)

 飯嶋和一氏は'83年『プロミスト・ランド』で第40回小説現代新人賞を受賞してデビュー。主に歴史小説を中心に執筆し、文芸誌への連載はせずに著作は全て書き下ろし刊行。本書は第35回大佛次郎賞を受賞した。

 寛永十四年。かつて修道士に医術を学び、現在は名医と誉れ高い外崎恵舟のもとに、島原半島の有家の庄屋・甚右衛門が訪れ、地元に子供だけが罹る「傷寒」が流行っていることを訴える。恵舟は島原へと向かい、子供たちを治療して回るが、代官所は逆に恵舟を追放してしまう。この島原の地では元もと武士出身の階層も多かったが、切支丹の棄教が浸透して以降、お上に対しては決して逆らわないよう指導層が徹底していた。領主の松倉家と代官所は年貢を好きに増やし、人々は困窮を極め、さらに不作によって追い詰められていた。このままでは飢え死にするか傷寒で死ぬか。追い詰められ、絶望した十九才の「寿安(ジュアン)」は、もとの教会跡地に入り込んで自活を開始、すぐに五十余名の子供たちがこの地に暮らすようになる。武装した子供たちは、所詮子供の集まりと高をくくって成敗に来た代官所の大人を撃退、この事件が本格的な蜂起に繋がってゆく。島原の地域の人々は暴走を開始、一方では天草四郎を中心とする反乱へと繋がってゆく。一方で、この暴走が手に負えなくなった寿安は、戦いを離れて姉の嫁いだ村へと赴く。寿安は更にある使命を帯びて長崎へと旅だってゆく。

苛政に苦しむ人々の哀しみ・諦念・慟哭。名も無き人々と表層しか見えづらい歴史の、真実の物語
 単に読んだ順番の問題もあるのだが、本書の後に刊行された高田崇史『カンナ 天草の神兵』にて、島原の乱の本質、即ちこの乱は単なる宗教戦争などではないという点について知識として得ていた。(飯嶋氏も高田氏も解釈は近しい)。なので、歴史の裏側を知るという読み方にはならずに、それを知ったうえでの物語展開の妙味を純粋に感じながらの読書となった。ただ――それでも素晴らしく読み応えのある作品である。
 まず、深みのある文体と描写力が素晴らしい。 極端な話、冒頭の数ページを過ぎるあたりで気分はタイムスリップ。この時代に完全に没入させられてしまう。それでいて文章は過剰ではなく、むしろ抑制が効き、淡々としている。この文章がまた、この時代を映し出しているように感じられた。
 キリシタン一揆と呼ばれるこの騒乱が、実は通常の一揆の延長であり、その一揆を起こすしかなくなる理由があるところ。序盤の代官相手の戦いの勝利、さらに小西行長の遺臣ら戦闘のプロを中心に、一揆軍が序盤戦では勝利を収めるところなど、歴史事実を踏まえてるとはいえ、肩入れはやはり一揆側に傾いてしまう。しかしその彼らが、日本の基本的な歴史を知っている者であれば誰でも、最後には幕府軍によって島原の乱として”平定”されることを知っている。だからこそ物語全体を通底した哀しみと虚しさが読者の側にも強く感じられるのだ。 平定といえば聞こえがよい(結局、徳川幕府による史観だから)が、その内実は徹底的な弾圧であり殲滅であったわけだ。また、その一揆軍自体と、天草四郎というシンボルとの考え方の差異など従来の歴史の常識的描写から、ところどころわざと外れた人物像を作者が創り上げているところも興味深い。その結果、一揆という一様の光景のなかに様々な人間模様や葛藤を浮かび上がらせることに成功していることについても。
 ラストに至り、人間の命を救うことに、それこそ命をかけた生涯を送る寿安、そして題名の「出星前夜」の意味。 締め括りに至るまで深い余韻に浸れる作品だとしみじみと感じた。

 恥ずかしながら飯嶋氏の著作を手にしたのは初めてなのだが、どうやら『黄金旅風』という作品もまた、同じ時期の長崎を描いているのだという。内容も作風も濃く、腰を据えて読む必要がある(その分、受ける感銘は大きいのだが)ため、いつか腰を落ち着けて過去作品を読んでゆきたい。


09/03/21
大下宇陀児「どくろ島」(章書房'60)

 約五十年前に刊行された本です。何年か前のMYSCONで入手した貸本上がりカバ欠印あり。巻末では章書房の長編推理シリーズの他作品の紹介があり、鷲尾三郎『屍の記録』『刑事捜査』、高木彬光『東京秘密探偵局』といった名前が見えます。

 音楽家として海外を苦労しながら放浪していた父と娘が何年ぶりかの帰朝を果たす。東京の旅館に滞在中、父親が重要な用件をこなすといったまま行方不明になる。父から届いた電報をもとに娘の絵美子はS県のの栗浜に赴くが、青竹に括られた案内に骸骨が持った案内状をもとに、謎の船頭に案内され「どくろ島」という島にたどり着く。しかしその船頭が島に着くやいなや豹変し、彼女は島の中の牢屋に幽閉されてしまう……。 『どくろ島』
 夜な夜な愛のない夫からの暴力に堪え忍ぶ妻。研究のために人里離れた海岸の宿に滞在中、見学に上った燈台上から夫は転落死してしまう。しかし妻には夫を助けられたのにそれを怠ったという弱みが……。 『R岬の悲劇』
 恋人の男の元勤務先である薬局に押し入ろうという計画に、マリは自分が女中として先に入り込むと提案。マリの捨て身の計画は図に当たったが、優しい主人に徐々にマリは心惹かれるものを感じるように……。 『情婦マリ』
 法律が変わって民主警察となった警察。少年誘拐事件が発生したが、その家族は信用できない警察に報せず、自分たちで解決したいという。こっそり警察に届けた婦人がいた結果……。 『誘拐犯人』 表題作が長編で残り三編は短編。

表題作は乱歩風にして腰砕けの冒険小説。残りは当時の世相を映し出す犯罪小説。
 まず表題作『どくろ島』だが、中盤まではそれなりに面白い。謎めいた案内に従って自ら「どくろ島」に渡った令嬢。岩牢に閉じ込められるが、隣にも別に幽閉された若者がいるようだ。秘密の通信で通じ合う二人は脱出を誓う……という少年探偵小説のような序盤が、通じていた若者が実は島に連れてきた謎の船頭と同一人物で悪人であるという意表を突いた展開に変化する。中盤以降はこの男・伊馬禎造の視線による犯罪小説のような体裁を採る。謎の仮面男や隠された金塊などキーワードが出てくるものの、この悪人の行動が微妙にちぐはぐで乗り切れない。何人か殺害して金塊も略取済みなのに、なぜその娘にこだわる? 一応理由は最後に後付けされるものの、それさえなければ億万長者なのにバカだねえ、という話。特に後半に正体がばれていくくだりが急ぎすぎており、失敗作の部類に入るだろう。
 短編三編のうち、『R岬の悲劇』は微妙。夫妻の運転手の回想のようなかたちで描かれるのだが、その視点ゆえに物語が中途半端になっている。ある人物の犯行が燈台の光によってばれるのも読者の想定範囲内。最後まで悲劇なのだがあまり同情が湧くような展開になっていないのも傷。『情婦マリ』は、世相を諷刺する意図があったように思われるが、それが結果的に微妙なユーモアになっており、それなりに読める。(当時の)現代娘らしい心変わりと大胆さ、そして無思慮と無鉄砲が他の関係者を掻き回してゆく様子が面白い。最後の『誘拐犯人』は、ストーリーとしては駄作。警察視点で自作自演の誘拐事件を描くのだが、民主警察になったことによって民の信頼を逆に失ってしまう警察という存在が、時代を映し出していて興味深いところ。(当時であれば、その「信用のない警察」がミスリーディングになっていた可能性もありそうだ)。

 もともと本格よりも遙かに犯罪小説の多い大下宇陀児の作品群のなかでも、総合的にもあまり評価できる内容ではない。復刊も望めない代わりに大枚はたく必要はないと取り敢えず言っておきます。