MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/04/20
樋口有介「捨て猫という名前の猫」(東京創元社'09)

 2000年刊行の『刺青白書』以来、9年ぶりとなる柚木草平シリーズの長編作品。最近になって創元推理文庫で復刊が進み、『ろくでなし』が改稿されて『夢の終わりとそのつづき』が出たり、新作中編集が出たりしていることもあってそこまで間が空いている感覚はない のだが。『ミステリーズ!』Vol.23〜Vol.32(二〇〇七年六月から二〇〇八年十二月)にかけて連載された長編の単行本化。

 「秋川瑠璃は自殺じゃない。そのことを柚木草平に調べさせろ」 柚木草平がルポ記事を寄せている月刊EYESの編集部の小高直海が電話を受ける。若い女性の声にその名前を調べた直海は、三軒茶屋の雑居ビルから女子中学生が飛び降りた事件に 行き着いた。柚木は散々弱みを握られている弱さから調査を引き受けることになり、周辺を調べてゆく。秋川瑠璃は街を歩くと芸能界のスカウトがひっきりなしに寄ってくるようなとびきりの美少女だった。警察の調査では自殺で決着しており、柚木は過去のコネを利用し情報を得てゆく。レストランやエステチェーンを展開する瑠璃の母親は美人、更に瑠璃が通っていた原宿にあるアクセサリーショップ「かののみせ」ではライターとしての柚木を知る美女オーナーが。更に、その店でアルバイトをしていた青井麦と名乗る、捨て猫のような奇妙な少女と柚木は知り合うことになる。引き続きの調査のなか、柚木のもとに警察からの連絡が入り、少女の扼殺死体を確認して欲しいというものだったが……。

柚木の能力をもってしても本質から女性を理解すること出来ない。そして事件もその本質から生まれる
 どこか哲学的にすら感じてしまう。
 基本的にこのシリーズの底流には、男と女は永遠に分かり合えない、ないしは男だけが女のことを理解することは絶対にできないといった、中年男性ならではの諦念のようなものがあるように思う。 柚木草平は永遠の38歳、というのはこのシリーズの決まり文句ではあるのだけれど、美女に軽口を叩き、妻や娘、愛人や仕事関係の美女から散々にぐさぐさと文句を言われ、それでも新たに知り合う魅力的な女性に対して、ついついやっぱり誘い言葉を掛けてしまう。ただ――柚木をそういう、「年甲斐もなく軽口を叩くだけの男」として捉えさせるのが、物語主題に対してのひとつのミスリーディングなのだ。
 性懲りもなく新たな美女とみるとふらふらと引き寄せられてゆく主人公。しかし、レギュラーキャラクタ以外のスポット的登場人物においては、柚木のアプローチの結果、何かしら彼女たちが抱える秘密や弱さに触れてしまう。その秘密はほとんどの場合は事件に繋がっており、そこから物語が拡がってゆくパターン。一見、柚木は彼女たちの懐に入り込んでいるようにみえるのだが、首っ丈となった女性の本質を知るに恐れをなして逃げ出してゆくパターンも多いように思う。ただ、そこで柚木が自分なりの決着をつけるために、彼女らのところに乗り込んでゆくところ、台詞、そして相手の態度は読みどころ。柚木のキャラクタをして、そこまで入り込んではじめて見えてくるのが、女性がぐっと心の奥に秘めた、墓場まで持ってゆきたいような本音、本質。 大抵の男性読者は(小生を含めて)、柚木ほどに女性に入り込めるはずもなく、それならば女性のことなど最初から理解できないということだ。(極論なのは分かっとりますが)。
 本書がミステリ仕立てであることは、それもまた、特に肉食系ともいえる女性たちの恐ろしさ、執念であるところを余すことなく浮かび上がらせるため。特に次々と真相が浮かぶ最終章近辺では非常に厭な気分にさせられる。それでも、極端に触れているにしても、本当にそういう女性がいるのかもしれず、絶対に自分は彼女たちの気持ちは分からない。むしろその『判らない」ということを作者は訴えたかった(訴えるということとは微妙に違う気もするが)のではないか、とか思うのだ。新しい都市感覚とか、現代女性気質とか、それ以前の問題として。

 取り上げられているテーマが重く、柚木の軽妙な語り口ととぼけた一人称をもってしても、決して後味の良い物語ではない。むしろ次から次へと浮かび上がる女性の、身勝手を超えて残酷な計算と生涯に暗澹とした気分にさせられる。それでもなお、柚木草平を応援したい。そんな気持ちになった。


09/04/19
陳 舜臣「青春の烙印――神田希望館史話」(徳間文庫'01)

 '75年に講談社からハードカバーで刊行。題名は『青春の烙印――神田希望館』。2001年に徳間文庫版となった際に『青春の烙印――神田希望館史話』と二文字付け加えられた。'86年〜で刊行された陳舜臣全集にも収録されている。

 大正期の終わりから昭和の初めにかけて。東京・神田に中国人留学生専門に滞在させる下宿屋「希望館」があった。様々な背景を持つ留学生たちが集い、そして「希望館」から巣立ってそれぞれの人生を歩んでゆく。
 希望館の離れに住み始めた年上の男。彼にはスパイの嫌疑があったが、楊にとっては鰻屋の看板娘を巡る恋敵であった。 『遠い声が呼ぶ』
希望館に住まいながらスパイ活動を行っていた男。元締めが震災で亡くなったことから連絡役の日本人女性と同僚と思われる中国人女性の二人に男は惹かれてゆくが……。 『五尺六寸の影』
 日本で生まれ育った唐元儒は、左派活動家の女性に惚れ、自分の将来を彼女の活動に重ねようと計画する。上海に戻った彼女は自らの思想からギャング団に潜入しており……。 『青春の烙印』
 医学留学しており希望館でも古株の孔鋭は故郷に戻りたくなく、上海出身の女性に恋をした。彼女は上海で政治活動を開始し、孔鋭も上海に赴くが二人はすれ違い……。 『銃声に醒めた』
沖縄から希望館に手伝いに来ていたなつは、留学生・陸からアプローチを受ける。資産家の実家の何百倍もの大富豪の息子という彼から何か懐かしい印象を受けた理由とは。 『なつかしい男』
 法律家の戴家棟は日本の学術調査団の通訳に雇われ帰国する。団が洛陽に行った際、希望館で一緒だった張克道との再会を期待したのだが、果たして彼は軍閥に収監されてしまっていた。 『祖父の冒険物語』 以上六編。

連作ミステリの体裁も謎解きはゆるめ。むしろ歴史激動期の国際的青春群像小説として読める
 もともと作者に強くミステリにしようという意図はなかったのかもしれない――というか、物語の与える効果を考えてミステリ仕立てにしてあるという方が正解だろう。
 緩い縛りしかない連作短編集で、その縛りは大正〜昭和初期に存在した「希望館」に滞在していたか、関わった人物が登場人物にいる、という程度だ。「神田希望館史話」と副題にはあるものの、東京が舞台となる作品の方が少なく、中国本土をはじめ、登場人物は米国や香港など世界中に滞在している。土地を選ばず活躍するという点、中国人のバイタリティでもあろうし、それはそのまま作者の心意気にも通じているようにも読める。
 冒頭からの二作品はスパイもの――ではあるが、日本軍と中国軍という時期ではなく、辛亥革命以降の南方革命政権と北方にある保守的な北洋軍閥との中国内部での間諜戦が、日本も含めて展開されていたという内容だ。全編に共通していえることでもあるが、当時の中国にあった反日感情や、世界を股にかける中国国民の大胆さや数奇な運命といった部分についても、大正・昭和の時代模様と共に描き出されていて、ピンポイントで時代を捉えて蘇らせた歴史小説としての意味合いも強い。 さらにその前二編は人を裏切る仕事に関わらざるを得なくなった若者の苦悩が、恋愛模様と絡めて描かれていて、それもまた印象深さに繋がっている。
 もう一点興味深かったのが「なつかしい男」。希望館に手伝いに来ていた女性視点の物語なのだが、これが美術ミステリなのだ。現代に発表される洗練された美術ミステリとは微妙に異なっているものの、根底にあるアイデアであるとか計略といったところは現在の美術ミステリに通ずるところがある。(と、ここまで書いて気付いたが陳舜臣氏には美術を題材にしたミステリも少なくない)。

 上記しているように謎解き小説として手に取るとやや期待外れとなるだろうけれど青春群像歴史小説としては流石の出来。そして広義ではやはりミステリに分類される内容であり、読み応えとしては十二分。決して抜けた傑作とはいえないが、読書体験として上々のものであることは間違いない。


09/04/18
小林泰三「天体の回転について」(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション'08)

 ホラーや本格ミステリも執筆するとはいえ、小林泰三氏の表の顔はやはりハードSFの書き手という部分になるだろう。本書は『SFマガジン』に発表された作品を中心に、異形コレクション発表の「あの日」、書き下ろしの「時空争奪」が加えられて刊行されたSF短編集。

 科学という存在が忌み嫌われた世界の変わり者・俺は荷物をまとめて「妖怪の森」へと向かい、そこである建物に入り込む。そこには触れることのできない女性がいて、俺の身体は空高く運ばれてゆく――。 『天体の回転について』
 危険と見なされた科学実験が行われている宇宙ステーション。刑務所のような宇宙の片隅で究極のロボットが作られていた。発明者はロボット三原則を守るというが、調査に訪れた上月麗奈は今ひとつ納得できないでいた。 『灰色の車輪』
 小説家志望のわたしは先生について、地球時代の教室を舞台にしたミステリを書こうとしていた。しかし、地球上を知らないわたしには、その物理的な力について理解不足を次々と先生から指摘されてしまう。 『あの日』
 女性捜査官たちが、男性の「性交体験者」を追う。男は女性の身体の一部を切り取って逃走している。捜査官のリサらは被害者がある秘密クラブに通っていたことを突き止め、その関係者に対し圧力をかける。 『性交体験者』
 太陽系の別の惑星に向けて夢を膨らませていた少女。ついに有人探索に加わったものの、彼女の興味の原動力であった人工物(オーパーツ)の調査は行われないという。彼女は無断でステーションを飛び出し……。 『銀の舟』
ルジュールン族は宇宙でも有数の戦闘種族。その王・アルカリオスは最高の戦闘能力で一族を統治していた。そんな彼らが先鋭の三百万の戦士と共にテラと呼ばれる惑星を狙ったが、その星の住民は卑怯な戦いを……。 『三〇〇万』
 「北」と呼ばれる国の大規模な実験によって時空の歪みが生じ、全ての地球人類が数分しか記憶が残せない「前向性健忘症」となった。それから十年、人々は人工長期記憶システムによって生活するようになっていた。 『盗まれた昨日』
 川の始まりは河口から。『鳥獣戯画』の内容がいつの間にか書き換わっている。結果が原因に変換されていく世界。時空は何者かに奪い取られつつあった……。小林泰三風タイムパラドックス。 『時空争奪』 以上八編。

ハードSFとしても一流なのだろうが、巧妙に仕組まれた叙述トリックによる不意打ちに大喜び
 刊行されたレーベル的にもそうだし、発表媒体も基本的にはSF雑誌。内容のほとんどは現状の最先端科学がベースとなった発想が題材に採られた、基本的にハードSFがベースになっている。例えば表題作品『天体の回転について』は、そもそもロケットを使わないタイプの宇宙旅行の手段である軌道エレベータが主題となっており、作品内部でその説明が様々為されている。そのうえでそのエレベータの存在が忘れ去られた未来世界を物語とするという二重三重の深みを持つ作品。科学技術の描写だけが目的なのではなく、更にその先の世界を描いているところに味がある――他、書き下ろしの『時空争奪』なども、ハードSF的な主題をベースにしているようにみえる。
 が、そこかしこにミステリの手法が使われ、効果的なサプライズが演出されている作品が多く、その点に驚きとともに嬉しさが。特に、地球で暮らしたことのない人物によって誤った物理法則でミステリが描かれる『あの日』は、ミステリとして読んでもユニーク。それまで主人公が書き続けた作品がメタな伏線となっていて、現実に立ちかえった時に発生する宇宙空間での出来事が効果的に演出されている。思わず上手い、と唸った。
 また『銀の舟』『性交体験者』といった作品では、遙か未来の世界、ないしパラレルワールドを扱っており、普通にSFとして捉える常識や世界観を反転させる手腕が鮮やか。常識だと思っていた事態が小説内で通用しないことに気付いた時、足許が崩壊するようなショックがあり、サプライズが強烈なのだ。
 驚きという意味とは少しことなるが『三〇〇万』も印象的。作者のあとがきも合わせて読むとニュアンスが判るが、要は何百万光年も離れた星からわざわざ地球にやって来て、その肉体のみをもって暴れてヒーローに退治されてしまうという宇宙人たちの行動様式というか、典型といったものへのパロディが根底にある。こういったところに疑問をもって裏側で物語を創り上げてしまう作者の悪意というか、捻曲った神経というかが実に素敵だ。

 統一して何かという味わいがある訳ではない作品集。だが、何というか、基本ミステリ読みである小生であってもツボに嵌る作品が幾つもあって非常に楽しい読書時間を過ごすことができた。ユニークな発想、柔軟な考え方がベースとなっているため、物語自体の拡がり、膨らみの予想がつかない点が特徴といえば特徴か。繰り返しになるが、ミステリ読みの方にも一読していただきたい作品集である。


09/04/17
鏑木 蓮「思い出探偵」(PHP研究所'09)

 鏑木氏は第1回立教・池袋ふくろう文芸賞を短編ミステリ「黒い鶴」で受賞、その後2006年に第52回江戸川乱歩賞を『東京ダモイ』で受賞して本格デビュー。その後、講談社より『屈折光』『エクステンド』を刊行、本書は四冊目になる作品。PHP研究所が刊行する、月刊文庫『文蔵』に2007年10月から2008年9月にかけて連載された作品の単行本化。

 息子が琵琶湖で原因不明の死を遂げ、自殺と断定された実相浩二郎。彼は警察に勤めていたものの、パソコンに残された言葉を遺書と断定した滋賀県警の捜査に異を唱え、更に妻が一人息子の死をきっかけに精神に変調を来したこともあって退職を余儀なくされる。浩二郎はその後「思い出探偵社」という、依頼人の思い出を追いかける少し毛色の変わった仕事を立ち上げ、マスコミの紹介等もあって順調に事業を伸ばしている。現在は事務員兼調査員にして、元看護師で九歳の娘を育てる一ノ瀬由実、役者志望のアルバイト調査員・本郷雄高、そして両親を、自らのストーカーに殺害された事件で喪った橘佳菜子らを加えた四人で探偵社を回している。彼らに託されるのは純粋な思い。例えば京都で大切な、だけどみすぼらしいペンダントを拾ってくれた人にお礼を言いたい事案『温かな文字を書く男』、数十年前に集団就職した際に自分を助けてくれた一度だけ会ったきりの女性がどうしているか知りたいという事案『鶴を折る女』、更には戦争直後の出会いから、調査員に降りかかってきた事件まで、バラエティ豊かな思い出探偵たちによる事件簿。

どう受け取れば良いのか。思い出の過去へと迫る物語のあいだに緊迫の現在の事件が挟まる
 非常にとらえ所の難しい作品。というのは、探偵事務所といいながら追いかけるのは「思い出」という特性上、基本的には血腥くも危険もない展開。現実にも「初恋の人探します」というサービスが興信所にもあるし、この事務所の存在自体はそう突飛なものではない。調査のハードルとなるのは数十年もの時が隔てた時の壁、人間の記憶やしがらみ。残された数少ない手掛かりから、足を使い頭を使い、時には最新の分析機器の力を借りて過去のある一点へと迫ってゆく。この部分に関しては基本的に善意のパート。探偵社の調査員たちの気持ちであるとか、苦労であるとかが描かれ、その結果、偶然も作用して過去に迫っていくのだが、どれほど苦労が演出されていようとフィクションである以上、一定の緩さというか、御都合主義だけは避け得ない。作者が慎重にその感じを消そうとしていることは感じられるものの、これだけであればゆるゆるの日常の謎という位置づけで決まりだと思っていた――。
 だが、中盤に入った『嘘をつく男』という事案。この作品が物語全体の印象をがらりと変えている。というのは、冒頭で説明されていた、過去に降りかかった事件の結果、まだ明るさを取り戻しきれていない佳菜子本人が再び直接的に事件に巻き込まれてゆく展開。この事案に関してのみ、「事件」の体裁が強くなり、警察も介入する誘拐事件となっている。 狂気に殺意、計画的な犯行等々、一連の「思い出探偵」のなかで浮き上がるようなガジェットが集中して登場する。だが、正直この一編が最も読んでいて引き込まれるエピソードでもあった。
 この事件が落ち着いてからは、再びもとの緩めの展開に戻る。依頼人の健康というタイムリミットがあるとはいえ、その緊急性はやはり直接的事件に比べると遙かに落ちるし、あくまで調査員たちの心の問題でしかない。後半にちょろっと気になるのは急に浮上してきた一ノ瀬由実の、実相浩二郎への横恋慕(もまあ控えめだが)くらいになってしまう。そのエピソードの意味合いが二重三重にひっくり返るのが最終事案である『少女椿のゆめ』だが、悪くいえば偶然の多用(特にこの場合は米国人からの手紙)が目に付きすぎ、個人的感覚ながらあまり評価できなかった。

 この中盤に配置されたエピソードが醸し出す緊迫感があるがため、ゆるゆる系の暖かいだけの物語とも断定できず、かといってスリル満点の物語とも当然いうことは出来ず。過去の雰囲気などもよく書けていると思える一方、物語の流れとしては微妙に不満もあったり。今のところ、小生個人のなかではバランスが微妙な作品という位置づけになっている。


09/04/16
米澤穂信「秋期限定栗きんとん事件(上下)」(創元推理文庫'09)

 『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』に続く、小市民シリーズ第三弾は上下巻。厳密には'09年2月に上巻が3月に下巻が刊行されている。

 前作のラストにて「小市民」を目指すという互恵関係を解消したことになっている船戸高校二年になった小鳩常悟朗と小佐内ゆき。ある秋の日、小鳩常悟朗は名前すら覚えていないクラスメートから「つきあおっか」といわれ、小市民的な男女交際を開始することにした。彼女の名前はあとで仲丸十希子さんだと知れた。その日からイベントごとに二人はデートを重ねる関係となる。しかしのんびりとしながらも小鳩くんは、様々なことに推理を巡らせてしまうクセが止められない。一方、”おれ”こと新聞部一年生の瓜野君は、自分の個性をアピールするような記事を掲載したいと新聞部部長の堂島に主張するが却下されてしまう。彼は以前に新聞部に来ていたある女性のことが気になっていた。そしてあるきっかけから交際を申し込むことになる。その姿から彼女は同学年と思い込んでいたが、彼女は二年生。そして名前は小佐内ゆき。その新聞部があるきっかけから自分の書きたいことを書くスペースがもらえることになる。瓜野君は最近木良市で連続して発生している小さな放火事件にある共通項があることに気付き、そのことを記事にし始めた……。

ほのぼのとした青春ミステリのような見せかけ。その裏側にある「どうにもならない意志」が鮮烈
 既に(最初から)普通の本格ミステリの範疇にも入りきらないし、そしてまた版元に関係なくラノベの領域に収まりきれるシリーズでもない。そう考えると創元推理文庫というレーベルが微妙ながら、居場所としては良いのかなとも思う。
 本作ではいよいよ本格的に普通の男子高校生・女子高校生を目指すべく、小鳩君と小佐内さんがそれぞれ別の相手と交際を開始し、しかも作中でかなり時間が経過する。(交際が長続きする)。が、小鳩君視点で顕著であるし、あと物語の終盤で明かされてる小佐内さんの心情にしても、彼らの考え方・感じ方は小市民的ではなく、まるで小市民に憧れる異星人のよう。(某缶コーヒーのCMを思い出した)。二十歳くらい老成しているようにもみえる一方で、やはり感覚それ自体が普通ではない。もちろん、その異感覚がしっかり本格ミステリと繋げられているのが米澤穂信氏のスゴイところ。いや、その本格ミステリ的な思考方法自体が異感覚を生み出しているのか。その異感覚の犠牲(?)になっているのが、瓜野君であり、彼こそが本当に小市民であるため、余計に主人公二人との対比が鮮やかにして、彼の惨めさもまた小市民的である。
 今回の作品の軸となる連続放火事件は、実はそうサプライズを呼ばない(個人的感覚もあるが)。むしろこの放火魔捜索の背後と、途中で微妙に変化する流れのなかにある「意志」が働いている点に恐ろしさすら覚える。一番驚いたのは(これも個人的にだが)、この「意志」の変化を呼び起こすきっかけになった部分が、普通の青春ミステリではフラグにすらならないようなあるエピソードであった点か。結果的に物語をコントロールしているのは、小市民的なちっぽけな欲望とそれを上回る悪魔的な「意志」なのだ。絶妙のバランスで読者に対して目隠ししている全体構成がやはり巧み。

 三冊目にして物語の背景が染み渡っているせいもあり、非常に完成度の高い作品になっている。読後に与える印象も一定の効果があり、コミカルな台詞回し等読みやすさをキープしながらも、独特の主題がうまく表現されている感。ミステリとしてのアプローチもユニークかつ緻密であり、広範な領域の読者を満足させられる仕上がりになっている。


09/04/15
定金伸治「四方世界の王4 あらゆるものの半身、月齢の30(シャラーシャ)」(講談社BOX'09)

 講談社BOX名物。大河ノベル2009年版。オリエンタルファンタジーの四冊目。三冊目で登場した人物紹介に続いて、四冊目となる本作では各国の位置関係が記された地図も登場。そしてここまでの流れがまとめられたあらすじが。とはいっても、最初から読むべき作品です。

 エンリルの50を持ち、南方の巨大国家ラルサを治める覇王・リム=スィーンはウルクという都市を滅ぼし、その力をもってウルの神殿に隠れ住んでいた総体の半身30を持つ謎めいた少女・ベルシャルティのもとに現れる。スィーンは彼女を奪うと宣言し、ベルシャルティ自身も半身として沿うと自らの意志を示し、侍従の男を残して二人は空間に消える――。一方、シャズとナムルは、エアの40を持つリピト=エアと会話を交わす。彼はスィーンの力を食い止めようとしているが、その期間も後一年だという。さらに北方ではアッシュールの傭兵王・シャムシ=アダドが山賊たちを一網打尽にしていた。シャムシ=アダドの副王であり長子のイシュメ=ダカンが、エシュヌンナのイバルピエルとの戦いに破れ捕虜になっていた。その結果、アッシュールとエシュヌンナは一触即発の状態になりかかっているのだ。そのイシュメ=ダカンは、魅力溢れる性格のイバルピエルに懐柔され、いつの間にか彼の人柄に惹かれてゆく。

これまでに揃った人物たちの抱える重大な秘密が明らかに。そして物語は佳境へと突入する
 四冊目にして佳境という言葉が本当に相応しくなってきた。個々に盛り上がるエピソードが加えられていたとはいえ、これまでの三冊はやはり登場人物紹介というニュアンスが強く、物語の舞台が壮大な割に物語そのものに雄大さ、国同士の戦いという苛烈さ、重厚さが足りないように思える部分があったが、完全にそれらが得られているとはいえないまでも、ようやく全体のダイナミズムが動き出した印象がある。(ここまでを分析するに、本来は強大な国家の主であるシャムシ=アダドがあまりにも個人行動を取っていたとか、リム=スィーン及びラルサの存在感が今ひとつ希薄だったとかありそうだ)。
 そういった国家同士の戦い、本作でいえばイバルピエルとシャムシ=アダドの戦いなどは「国家」を感じさせるし、それまで積み重ねた人間関係が微妙に全体の戦いに影響を及ぼしたところなど、三國志的なイメージも加わって味わいが感じられた。その分、例えば今回非常に重要な秘密が明かされる本編主人公のナムルなどのエピソードなどが濃厚なのにあっさりとしていた。しかし、物語上の個人と国家のバランスを考えるとこれくらいのテイストで丁度良いのではないか。
 あと、作者の世界観の補強がイラストによって為されていることが本作あたりは強く感じられた。恐らく挿画抜きに活字のみでは世界が読者になかなか伝わりにくいところがある筈で、これはこれで現在の形式は正しい表現方法なのだと思う。(一方将来文庫化されたりする場合はどうなるだろう? とかも思うのだが)。

 ようやく大河ノベルらしい展開と内容が、本来の物語世界のレベルに追いついてきた巻。小さな人間関係もところどころ重要なのだろうが、やはり様々な国家が全体で激しく動いてこそのエンターテインメントという種類だと思うので、本作並み、いや本作以上に今後激しく物語が展開してゆくことを希望するところ。


09/04/14
新庄節美「名探偵チビー 首なし雪だるまの謎」(講談社'94)

 『雨あがり美術館の謎』『黄金カボチャの謎』と読んでなかなか感心したので、続いては「名探偵チビー」シリーズのなかでも傑作と名高い本作に手を出してみた。

 クリスマスイブの夜。寒さに弱いニャットは暖かい布団にくるまっているところに名探偵・チビーがやって来た。名探偵の助手の仕事要請にだぶだぶに服を着込んでチビーについてゆく。行き先はウォルナットホテル。彼らのクラスメイトのミリの父親が経営するホテルだ。ミリーによれば父親の様子がおかしいのだという。ホテルでは五月の風市名物のケーキ・コンクール準備の真っ最中。チビーらはホテルにコンクール中止を求める脅迫状が届いていることを知らされる。相変わらず威張り散らすケッコー警部が捜査の指揮を執ろうとするが、チビーたちは別の方面からホテルを調べることになった。コンクールにはここ数年間チャンピオンを続けるオンブ氏に対し、デアー、ラグース、シェップ三人の新進シェフが挑戦する形式。そしてコンクールを翌日に控えて警察とチビーたちによる警戒が行われるなか、密室となったはずの厨房内でオンブ氏の出品用ケーキが壊されてしまった。果たして誰がどうやって?

小学生向けミステリでありながら、正々堂々、真っ正面からの物理トリックが炸裂
 殺人どころか誰も傷すらつかない設定がこのシリーズの基本。本作は雪の降りしきる季節に発生した、密室でのケーキ損壊事件。 とまあ、殺人事件の伴わない密室事件だ。先に述べておくと(私見ではあるが)、根本になる物理トリックというのはそれほど困難なものではない。――というか、この方法くらいしかなく、かなりそれらしい手掛かりもちりばめられているため、気付いても不思議ではない。(本格に触れ慣れていないお子様は別として)。ただ、その周辺を固める論理性がかっちりしている点がよりそのトリックの完成度を高めている。そこまで作者が考えてるかどうかは不明だが、トリックそのものは横溝正史の某作品を想起させるもの。どうだろう、やはりオマージュなのかもしれない。
 足跡のない雪の密室までは構成されていないながら、いつ雪が降りいつ止んだといった部分、これらがさりげない描写で描かれているにもかかわらず、犯人特定の重要なポイントとなっている。さらに容疑者にあたる人物の時間帯ごとのアリバイの有無なども読み取っておく必要もある。全てをきっちり当てないと犯人に繋がらないとはいわないが、大人の視点で読む限り、表面上の描写以上に周到に伏線が張り巡らされている。
 事件の題名が「首なし雪だるまの謎」とはなっており、確かに雪だるまの首が落ちているが、読んでみれば判る通りあくまで推理の補助となるエピソードである。ただ――、本筋である「こわされたケーキの謎」ではなく、この題名に決定したところ、単なる目を引きたいがための理由でないとするならばだが、作者が仕掛けたレッドヘリングの一部ではないかと読み取れる。それはそれで周到だと思うのだがいかがだろうか。

 ということで、三冊読んだので次は……『虹色プールの謎』かな。第一冊目のようだし。(このシリーズについては読む順番がばらばらになっているなあ……)。


09/04/13
塔山 郁「毒殺魔の教室」(宝島社'09)

 第7回「このミステリーがすごい!』大賞の優秀作受賞作品。大賞自体は山下貴光『屋上ミサイル』と柚木裕子『臨床真理』の二冊が分け合い、本書と中村啓『霊眼』が優秀賞を獲得している。塔山氏は1962年生まれの会社員。本書にてデビュー。

 三十年前。那由多小学校児童毒殺事件という出来事があった。――小学校六年生の男子児童・三ツ矢昭雄が、クラスメイトの男子児童・楠本大輝の牛乳に毒を入れて教室内で毒殺したというものだ。加害者となった昭雄は、事件三日後に同じ毒により簡単な遺書を残して服毒自殺を遂げてしまい、未だに動機がはっきりとしない。その後に刊行された小説から事件のことを知った人物が、ある若者・佐藤に調査を依頼、三十年前のクラスメイトたちから事情を聞いてゆく。もともとは生徒たちが、熱血教師の食事に下剤を混ぜるといった悪戯のはずが、いつの間にか対象の人物も混入された毒物も違ってしまい、悲惨な事件になっていた奇妙さ。殺された児童がどういった人物だったのか、そのクラスの人間関係はどうだったのか。複数の人物が口を開いてゆくことによって、とっくに時効となったその事件の前後、その当時の教室の様子が少しずつ浮かび上がってくる――。

先行作品との比較「だけ」で語られる作品ではない。骨太の物語構成とサプライズを伴っている
 解説でも大森望氏が言及している通り、毒殺犯人を探り出してゆく展開は『ユージニア』に、そして学校の教室で発生した事件を追いかける展開は『告白』に、と先行二作品とどうしても比べざるを得ない内容になっている。「毒殺」「教室」、そのどちらのベクトルにしても、先の二作品とは違う点もあれば、似ている点もあり、その一点だけに絞って比較した場合は軍配はいずれも先行二作 に上げられてしまうだろう。先行両作品ともが傑作として数えられる作品だけに、似ているということだけでマイナスであり、さらに本作の内容も決して悪くないのだが、緻密さやリーダビリティといったところでやはり多少落ちる。
 だが、個人的には前半において浮き彫りにされる事件の展開は少なくとも退屈ではなかった。 証言者それぞれが(三十年前の出来事を語っているにしては記憶が良すぎる点は別にしても)個性豊かに描き分けられている点などは評価できると思う。
 そして後半部が、やはりこの作品のキモになる。その意味では先行作品に形式は借りたとはいえ、張り合う意図などないものと思われる。やはりここで評価すべきは「なぜ毒殺犯人は、ほかにも毒があったにもかかわらずその毒を使用したのか」 「そもそもなぜ毒を混入させるという事件が起きたのか」という点にある。残念なのは、今度はこちらの部分での人間描写であるとか、人間関係であるとかが凝ってはいるけれども結局は(ミステリという世界における)ステレオタイプに収まってしまっている点か。また、折角前半がモザイクミステリとなっているのに、物語構造がノーマルな(そして平凡な)のミステリ形式に戻ってしまっている。この部分、骨格となるアイデアは本格ミステリとして十二分に通用するネタだと思うし、それなりに驚きを伴っている。ただそれを実行する人間関係などに微妙に意外性がないのがもったいない。最初は伏せられているが、物語の途中にて、ある人間関係が明かされた途端に筋道が見えてしまう。
 とはいえ、最初から最後まで一気に読ませる力があることは確か。それも物語で引っ張るのではなく、隠されたドラマが徐々に明らかになっていく静かな展開において、なので余計に力は感じられる。どうしても前二作と比較してしまう小生のような方ではなく、逆に本作が最初の一冊になるような人なら素直に好作品だと評価するのではないか。


09/04/12
上遠野浩平「残酷号事件 the cruel tale of ZANKOKU-GO」(講談社ノベルス'09)

 上遠野浩平氏によるファンタジー・ミステリシリーズである「事件」シリーズの五冊目にあたる作品。前作からは四年ぶりにあたり、記憶があやふや……。

 前作『禁涙境事件』において登場した「残酷号」なる存在……。複数の国境線が交わり、政情不安を抱える各国勢力が対立するあまり領有権がはっきりしない地域、そこは〈冷めないスープ〉と呼ばれている。十年前、二千人以上の難民が突如消え失せるという事件に巻き込まれ、やはりこの地で行方不明になった少女の消息を追っていた、自称二十七歳の自称・悪党ロザン・フェイーダと、その相棒で元死人兵の女性ネーティス。彼らは、オルトミル公国の貴族女性トリニテッタ姫をパトロンに、〈ヴェイルドマン計画〉なる呪術兵器開発を目論むレギューン・ツィラスが実行した、この地での実験に巻き込まれる。彼らは「残酷号」と呼ばれることになるサトル・カッツと出会う。彼はある条件が揃うと無敵の化け物となり、武装した一軍とも一人で対峙し、他人を救うための圧倒的な力を発揮していた。その変身が解けるとサトルは、巨大な十字架を持った無力な青年へと変化してしまうのだ。ロザンはサトルの保護者役をかって出るが、彼はしばしば自分の意志に依らず暴走。依頼により難民を護衛していたロードマン軍を無力化し、さらに難民の中に紛れ込んでいる貴族を襲おうとしていた魔導師たちに立ち向かう……。

「事件」シリーズのファンタジー空間を縦横無尽に。ファンタジーとしての展開、そして謎。
 もともとは壮大なるファンタジー空間内部での本格ミステリ指向が、このシリーズにあったと思うのだが、前作くらいからその方向性が少しずつ変化を遂げつつあり、少なくとも本作で、その変化はもともとのファンタジーとしての原点へ向かう方向性が決定化したかのような印象を受ける。(エンタテインメント小説流行の移り変わりにリンクしている訳ではありますまいが)。
 今回は完全にファンタジー。そしてそのファンタジーとしての問いかけや、ファンタジー内部での謎解き(つまりは「残酷号」の正体であり、「残酷号」が生まれた理由、今回の重要登場人物の秘められた過去……)といった部分が物語の骨格を占めている。特に細かな過去のエピソードを積み重ねてゆくことで物語にも厚みを与える方法が成功しており、わざとエピソードごとの時系列をぼかすことによって、ファンタジーとしての謎解きという意味合いでは一定の効果を得ることができている。物語の全体像は、それぞれのモザイクのピースを的確にまとめてゆく必要があり、当てはまる場所は読み進めるうちに判ってくるという仕掛けが施されている。
 これまで主役級の活躍を張っていたEDや風の騎士といった人物は幕引きのために現れそれなりに活躍するものの、本書の主題はロザンやネーティス、そして「残酷号」という存在そのものにある。 正義を実行する者でありながら自らの意志はなく、さらには当然単純な正義ではなく、複雑怪奇な世の中(これはこのファンタジー世界においても、我々が生きる現代においても)における”正義”とは何なのか――。 を執拗に問い続ける。
 悪役はいても、絶対的正義の存在しない物語。ただ、ミステリとは異なるとはいえ物語全体を通じて最終的に黒幕が明らかになってゆくという最終章はスリリング。(多少、無理矢理感もなくはないものの)こういった何が飛び出てくるか分からない面白さは、そのテーマがなんであれ「事件シリーズ」の魅力の一つとしては続いているといえそうだ。

 主題となる「残酷号」はもちろん、過去に名前の出た人物がそれぞれ役割をもって登場し、しかもほとんどは顔見せしただけで今回はあまり動きがない。つまりは、続き物であるという点を作者も意識しているし、一方で前作以前を知らない読者には、いきなりこの世界観は理解しづらそう。興味を持たれた方は、一冊目『殺竜事件』から取り組むべき作品である。


09/04/11
朱川湊人「超魔球スッポぬけ!」(幻冬舎'07)

 直木賞を『花まんま』で受賞した直後から朱川湊人氏が『webマガジン幻冬舎』(二〇〇五年九月一日号〜二〇〇六年十二月十五日号)にかけて掲載したエッセイを、加筆修正のうえでまとめたもの。

 作家・朱川湊人氏が、考えること、日常のことなどを綴ったエッセイ。かならず一話ごとに笑える個所を一個所は作ることを自らに課したという内容で、作家生活、デビュー前のこと、趣味(実は特撮関係はオタクの方だったんですね)のこと、学生時代のこと……等々、よくいえば様々な方面の事柄を、悪くいえば全く脈絡がないまま文章化している。各話の最後の部分に、幻冬舎の担当編集者と朱川氏の掛け合いのような付録(おまけ?)がついており、ところどころ面白い。
 「まえがき、のようなもの」「スポーツの秋」「スピーチは苦手です」「ホントにあった怖い話」「テレビに出ましたよ」「ペンネームの秘密」「セカセカの頃」「年末にアレコレ思う」「デビューするまでの話 その1〜2」……(中略)……「人間、死んではいかんのよ」「フライングの人々」「あとがきにかえて」合計二十八話。

さみだれ式、作家・朱川湊人ができるまで。そして朱川湊人自ら語る、自らのクセ、思い出、趣味
 題名の『超魔球スッポぬけ!』というのは、朱川氏の好きな”思い出し笑い”を超えた”想像笑い”の象徴。この部分のエピソードは初回(?)ということもあってめちゃめちゃ面白い。つまりは、一昔前の野球アニメ種々では、ピッチャーは必ずトドメに魔球を投げて、相手を三振に取ったり、ライバルにそれが見切られ打たれたりする……、なかで、その渾身の一球が間違ってスッポ抜けてしまってとんでもないクソボールになったら……ということを想像するのだ。クライマックスシーン、緊迫した場面でいきなりボールが明後日の方向に飛んでいってしまってバツがめちゃくちゃ悪い主人公、リアクションに困る観衆……といった種々の要素を想像するわけですね。ただ、こういう内容で続いてゆくのかと思いきや、その次の回こそは想像は運動会→オリンピックと続いて『全世界借り物競走』や『地獄のドッジボール』と羽根が拡がってゆく一方、三回目には「自分がいかにスピーチが苦手か」と、方向性が変転。かなり原稿の締切に追われる場面も多くなり、このエッセイ自体が回によっては「やっつけで書きおったな」と明らかに判るところもある。
 ただ、そういうネタのないところから書いているものだから、どうしても朱川氏自身のエピソードも多くなる。作者と作品は無関係である点は重々承知だが、それでも、「なるほどこういった経歴があるから、こういう作品が出てくるのだな」、と納得できる部分もあり、ファンであれば楽しめるのではないだろうか。

 但し、エッセイそのものの出来としては微妙なので、朱川湊人という人物を全く知らないという方は基本的に読んでも面白さはなかなか伝わらないのではないだろうか。一方で、作者本人に多少なりとも興味がある方にとっては面白い副読本としての位置づけになると思われる。