MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/05/10
赤川次郎「灰の中の悪魔」(岩崎書店'03)

 現在まで都合十冊以上が刊行されている赤川次郎氏による女子高生三人組が主人公となる「悪魔シリーズ」。初出は'80年に学研の学習雑誌に発表された「鏡の中の悪魔」という作品で徳間文庫『青春共和国』に収録されている。本書はシリーズ単独長編の一冊目にあたり、'88年に学研から刊行された後、'90年に光文社文庫より刊行されている。本書は赤川次郎ミステリーコレクションとして岩崎書店からジュヴナイルを意識して再編集された作品。

 花園学園の二年生、バレー部に所属する体力ばっちりお色気ゼロの矢吹由利子、役者を志しており、演技力抜群の桑田旭子、そして大金持ちのお嬢様で、口調も態度もお嬢様風ピアノと合気道をたしなむ頭脳明晰な広野香子。さらに十四歳ながらお金にがめつくお洒落な女子中学生・由利子の妹の真由子を交えた四人。タイプは違うが大の仲良し。そんな彼女らは、学園の生徒たちが様々な理由で脅迫を受けていることを知る。ある生徒を名指しし脅迫を行っているといい、さらに脅迫者はどうやらその秘密をばらすことを示唆しているが具体的には何も要求してこない。香子は、ピアノ教室の仲間から脅迫者と間違えられてナイフで刺されかけ、さらに体育祭で謎のビラがまかれてしまう。そのビラに名前があった史代はそのまま失踪して、香子の従兄弟の運転する車に偶然ぶつかって発見された。果たして誰が何の目的で?

テンポよく進む物語からはなかなかに見通せない意外な真相・そして事件の動機
 赤川次郎が擁する女性三人組といえばまず思い浮かぶのはやはり『三姉妹探偵団』になるだろうが、本書に登場する友人三人組も負けていない。”美貌”という要素を若干諦め気味にした結果もあろうが、三人の個性がそれぞれ非常に強い。体力派、演技派、さらに頭脳派と三人それぞれの個性を活かして……という立ち回りだが、なかでも大金持ちお嬢様の香子の指揮者っぷりが裏で効いている
 確かに、体力の必要な場面では由利子が、演技が必要な場面では旭子がコトにあたってはいるが、その裏側でお抱え自動車運転手の機動力も利用して、その時々で的確な指示を出す香子の存在があってこそ。他の友人たちを的確な任務に割り振り、気分良く働かせる機転がまず読んでいて面白く感じた。
 また、脅迫のみで何ら要求のない、という奇妙な事件。これも使い方が巧い。脅迫されている人間に共通点が一見見あたらないという点から、別の黒幕の存在までは想像できるし、それが誰かという点だけならば大した謎ではないのだが、その裏側の「なぜこんなことをしたのか?」というところまでしっかり動機が回り込んでいる点には感心。 (実際問題、その当事者が唯々諾々と協力に応じるかは別だが)。
 また、赤川作品には珍しく、地の文で時折顔を出す作者がノリノリなのもユニーク。半分メタレベルにある語りで登場しては、登場人物に茶々を入れている。ただ、単に面白がっているだけでなく、登場人物の表情作り、性格作りにもきっちり対応しているところはさすがだと思う。

 他の赤川作品同様、軽くてお洒落なタッチによる軽妙な物語。その意味では当然水準を超えている。多少のアクションと多少のスリル、そして微妙なサスペンスも加わって最後のところではじっくり読ませる内容になっている。


09/05/09
小路幸也「ブロードアレイ・ミュージアム」(文藝春秋'09)

 『東亰バンドワゴン』のシリーズで着実と実績を積んでいる小路幸也さんの連作短編集。『別冊文藝春秋』二〇〇七年十一月号、二〇〇八年一月号から九月号にかけて隔月で発表された作品の単行本化。

 かつて〈さえずり屋〉グッディを訪ねて一人の若者が訪れる。彼は一九二〇年代、ニューヨーク、ブロードウェイ。そこにあった〈ブロードウェイ・ミュージアム〉のことを聞きたいという。作家を名乗った青年は、実はそこで育てられた赤ん坊だったのだという。当時のことを涙と共に思い出すグッディ――。それは、一人の新人キュレーターであるエディが、田舎からワシントン経由でニューヨークを訪れたところから始まる物語。生き馬の目を抜くブロードウェイにあって小さな小路を抜けた先、そこだけが安全地帯という〈グリーン・ゾーン〉に面してあった美術館。それがブロードアレイ・ミュージアムだった。オーナーだという〈E.G〉は姿を滅多に見せないが、個性的な複数のキュレーターによって運営されている。巨体を持ったブッチ、ベビーフェイスの色男・バーンスタイン、色っぽいお姉さん・メイベル、そしてまとめ役は滅多に喋らないモース。そして不思議な気品が漂う謎の美少女・フェイ。フェイには”触りたい”モノに触ると、そのモノに関わる悲劇を見てしまうという特異な体質があり、ミュージアムの仲間は、実はその悲劇を未然に阻止するために陰に日向に奔走していた。

強かで個性的な登場人物が織りなす、古き良き時代のNY人情譚
 本書を読み終えて、小路さんがたぶん描くことはないであろう、江戸時代を舞台にした時代小説を思い浮かべてしまった。というのは、人と人とが助け合いながら、それでいて強かに生きていく姿を描いているその手法が、時代小説での人情譚と微妙に重なっているように思えたから。ただ、それが禁酒法時代のニューヨークという都市を舞台にすることで、過剰に湿っぽくならずにカラッとした物語になっている。この乾いた、それでいて暖かい物語作りが、小路作品ならではの個性となっている印象だ。
 さらに、モノを通じて悲劇を見てしまうフェイという少女の存在。この微妙なファンタジーな設定も上手い。そこに万能ではなく、制限、つまりはフェイ自身が見た不幸や悲劇をそのまま周囲に伝えることが出来ないという不自由な設定が逆に物語をうまく盛り立てている。一方で、美術館のキュレーターたちがそれぞれに様々な過去や裏の顔を持っているという徐々に明かされる展開も巧い。主人公のエディですら秘密を抱えており、更に少女のフェイにしても終盤には彼女自身が持つ属性が明らかにされ、その事実がまた物語を拡げていく。読んでいても次々に秘密が明らかになってゆくので飽きないし、設定自体が過去の、しかも異国であるということから違和感が少なくなるよう計算されている点も重要だろう。
 都合、五つのエピソードから成り立っており、登場人物のキャラクタが立ってきた段階で締め括りに入ってしまうという展開は残念というよりもむしろ勿体ない。この設定であれば、あと数冊物語が引っ張れたのではないかと惜しまれる。語り手が最後に現れた平凡人であるエディの視点によって描かれることで、読者もまた等身大の感覚でこの世界に入り込むことが出来るのだ。

 単に、それぞれが「いい話」であるだけではなく、その「いい話」になる前提条件や、そのエピソードへの引き込み方が、本当に巧い。小路さんの作品は読者を選ばないことが多く、本書と同様に一冊で終えてしまうには勿体ない魅力的な登場人物が出てくることが多い。全体として小路さんらしさも強く出ているし、メッセージ性こそ微妙に薄いとはいえ、幅広い読者がそれぞれに「面白い」と断言できると思う、好シリーズである。


09/05/08
高井 信「おかしなおかしな転校生」(講談社青い鳥文庫fシリーズ'05)

 青い鳥文庫のなかでも「fシリーズ」はSF、ファンタジー、不思議な小説をラインナップに揃えている。本書は「よろず諜報局ミッション0」として著者初の児童書として刊行された作品。高井氏はもともとショートショートの世界では有名な方であり、さらに児童書としては確かに本書が初めてなのかもしれないが、ライトノベルやそれ以前のジュニア小説には実績がある。

 野球の名門校・流星中学野球部に所属し二年生ながらレギュラーの座をつかみとった友太郎。彼が練習を終え、空腹を抱えて自宅のマンションに向かう途中、一人の美少女とすれ違う。彼女は友太郎と目線が会うと小さく会釈をした。友太郎自身は彼女のことを知らなかったが、夕食後に訪れたコンビニで彼女と再会する。彼女は緑川麗香と名乗り、もう三年も前から友太郎と同じマンションに住んでいるのだという。自宅に帰って家族に確認してみても、誰も緑川なる家が入居していることを知っている様子はない。翌日の学校。友人の堀内や、幼馴染みでタイプの違う美少女である美由紀に話しかけられるものの、友太郎は昨日の出来事が気になって仕方ない。さらに友太郎の学校に転校生として、緑川麗香が現れた。彼女は遠くにある私立に通っていたが、合わなくて流星中学に転校してきたと自己紹介をする。麗香は何かと友太郎と親しくしてくるうえ、父親譲りで友太郎が嵌っている黒岩涙香についても、ファンなのだという。そんなこんなで二人は一緒に涙香原作の映画を見に行くことになったのだが……。

ジュヴナイルにしてはかなり周到にして壮大な設定。そしてその設定のためだけの一冊
 読み終わってはじめて、副題でもある「よろず諜報局」のミッションが0、即ちゼロである意味が理解できる。本書は('09年現在、まだ刊行されていないようだが、シリーズを想定した少年探偵団”よろず諜報局”のバックグラウンド、つまりは物語の成立背景を一冊かけて描いた、長めのプロローグという位置づけ。
 その展開は謎めいていて、主人公が謎の美少女と急に知り合い、さらにその美少女が主人公に強い興味を持っているという序盤の設定から不思議さがある。そうなると、この美少女・緑川麗香についてはSF的に様々な仮説が思い浮かぶのだが、そのSF的手法のなかの一つがこの作品にて重要な意味合いをもって終盤に登場してくる。この要素が用いられることは、SFの鉄人的読み手であってもなかなか想像がつきにくいのではないか。
 謎解きの要素もある。美由紀に対し無言電話を時々掛けてくる人物は一体誰か? という点。この謎について緑川麗香が推理を述べ、それが正解している。……が、これはミステリではなくSFとしての背景があってこその解決である。また、本書の後半で、主人公が麗香と、元もとの親友や幼馴染みを交えて「少年探偵団」を結成しよう、という話になるだが、ここはさすがに飛躍が大きすぎる印象も。普通、相手が○○○だとしても、普通に探偵団というアイデアには至らないと思うのだが……。まあ、今後の展開をスムースにしようとするためには、この点は仕方ないっちゃ仕方ない。が、違和感があることは事実。

 その他の謎解きについても本作では非常に薄く、物語全体に関していうなら、むしろこの設定を有効に使いたかったという作者の気持ちが見え隠れしている。一冊だけを読んでみただけだが、この作品は本編が実際に開始後に改めてまとめて読んだ方が印象に残るように思われる。 長期的視野で読み進めるかどうかを決める感じか。


09/05/07
山村美紗「鳥獣の寺」(集英社文庫'80)

 '77年に集英社から刊行された、山村美紗の初期長編の一冊。京都が舞台となっているとはいえ主人公はノンシリーズものである。この集英社文庫の他、トクマノベルズなどにも収録されたことがある。

 京都に住む新々美人作家の湯川彩子は、自らの戦中の体験を生々しく描いた小説が話題にされた。ソウルにて裕福な暮らしをしていた彼女だったが、終戦直後の混乱期に父親が殺害され、母親もまた暴行を受けて引き揚げ船から投水自殺を遂げてしまっていた。帰国後、唯一の肉親である兄とも離ればなれになってしまい、彩子はテレビに出演した際に兄に対して呼びかけを行った。すると、テレビを見て「父親を殺した犯人を知っている」という男が名乗り出てきた。しかし東田というその男は待ち合わせに指定した蟹満寺で、腕を切断された死体となって発見された。直後、彩子の兄だという人物が現れたが、なぜか二人。一人はソウルでの記憶を語る浜田登、一人は記憶がはっきりしないという草場ノボル。しかし彩子は草場の方に親近感を覚えてしまう。一方、彩子が取材で訪れた亀の雪舟寺で、亀に見立てられた今度は謎の人物の他殺死体が発見された。さらに彼女のもとには「次は竜の寺」と読める手紙が届けられる。そしてやはり竜に関係のある寺で殺人が発生、現場近くには共通して草場ノボルと思われるギターケースを持った人物が目撃されていた。

見立て、復讐、連続殺人。それにしてもばったばったと関係者があまりにも死にすぎ……。
 まだ、この作品が発表された段階で山村美紗の作品が次々とテレビドラマ化される、なんて状況にはなかった筈。なかった筈なのだが、なんとなくテレビドラマっぽく感じられた。戦争中に発生した悲惨な事件の謎、新進作家の行く先々に現れる見立て死体。そして何よりも次々現れる容疑者、関係者が重大な秘密を語る前に必ず犯人の毒牙にかかってしまうというタイミング。 当然、全体とての謎はどんどん深まるのだが、一方で微妙な「無理感」みたいな感覚が蓄積されていく。
 また幾人ものレッドヘリング的犯人が登場した後、かなり「意外な人物」が犯人として告白を行う。この意外性もまた、小説というよりもドラマ的なのだ。ネタバレになるので詳しくは言えないのだが、あまりにも多数の人物が被害者となる連続殺人鬼としてはかなり無理無理な位置にいる犯人だと思えることは事実。そのあたりの検証が曖昧にもでき、普通は巻き戻しては見ないドラマであれば、或いは許されるといったニュアンスになる。
 但し、戦時中に起きた悲劇、生き別れの兄との再会などミステリで取り上げるテーマとしては十二分に重い。 現代であれば流石に時代がかってしまう内容ではあるものの、戦争からの期間から考えると説得力があるし、その混乱をよく知る戦前生まれの山村ならではの作品だともいえるように思う。(丁度、主人公の湯川彩子の年齢設定と、山村美紗の年齢とはほぼ同じくらいではないか)。また、女流人気作家で男性編集者にちやほやされるという主人公の存在も、微妙に華やかなデビューを飾った作者と重なっているのかもしれない。(これは当時を知らないので推測)。

 犯人が見立てを行うにあたって、京都の様々な寺社を取り上げてゆくところはユニーク。竜で予告されるにもかかわらず、警察側が特定できないといったあたり、さすが歴史の街・京都だという見方も出来そうだ。少々冗長と思われる部分があるなど、ミステリとしてはもう少しキレが欲しいところ。ただトータルとして本作が山村美紗の大量の作品のなかでどれくらいのレベルにあるのか、このあたりはまだ正直判らないので、もう少し読み進めたい。(ほんとに読むのか? <俺)。


09/05/06
中野順一「あがない」(徳間文庫'09)

'03年、第20回サントリーミステリー大賞を『セカンド・サイト』で受賞してデビューした中野順一氏、初の文庫書き下ろしとなる長編作品。

 夫と別れてから、五歳の一人息子・恭平との母子家庭を営む祐子。しかし、大人しく手の掛からない息子はハンバーグなど子供向けの食品よりも焼き魚を好むなど少し大人びた性癖を持っていた。そんな恭平が「ほんとうのおうちに行きたい」という。その言動を心配した祐子は精神科医・波多野に恭平を診せるが彼は逆に恭平の持つ、別の何者かの記憶に感心を持ってしまう。波多野は、恭平は「いなとみよしお」という人物の記憶を持っており、さらに彼が触れていたラーメン屋が実在していることを突き止める。恭平をその店に連れて行くと、そこで恭平は稲富善男の記憶を次々と思い出してゆく。一方、子供の頃から心臓病を患い、法律改正された結果、国内での心臓移植手術を受けて今は普通の生活を営んでいる杏奈。心臓を提供したドナーの情報は彼女には一切知らされないのだが、そのなかを敢えて感謝の気持ちを伝えたいと、友人でもある貴史に彼女は強く頼み込む……。

輪廻転生、おぼろげな記憶が生み出す過去の事件の謎と真相。焦点が変転しながらラストで読者は揺らぐ
 心臓移植をきっかけに、移植された人間の記憶が紛れ込む――というテーマに犯罪を絡めるとなると、貫井徳郎氏の『転生』あたりが思い浮かぶのだが、本書の場合は似ているようで根本的に異なる。というのは、殺害された被害者の記憶は全く無関係の第三者へと飛び、移植を受けた人は直接には何の影響もない、というもの。その意味では広い意味でのファンタジーといった読み方も出来ると思う。(個人的にはラストに至ってその点を確信したが)。
 不幸な形(殺人)で夫を亡くした妻、その殺された夫の記憶を引き継ぐ五歳の少年、その妻に言い寄る自堕落な男。おおよそ陳腐な三角関係、想定される範囲内で最も愚かな行動を登場人物が選択して物語が中盤過ぎまで進む。設定からあまりに自然に導き出される展開に、ああ、これは外れであったか、と諦めそうになったところで最初の意外性が現れる。実際に”稲富善男”を殺したのは、言い寄っている男とは別?
 この疑問以降は、物語がなぜこのような構成になっているのかという意味が徐々に浮かび上がってくる。移植を受けた側の女性の存在が、スパイスではなくて必然として必要条件として物語に関わってくるからだ。ちょっと後半はご都合主義もみえるが、まずは読者に驚きと感動を与えようという作者の意図(多分)については相応の成功を収めているといえるだろう。
 ただ、個人的に驚いたのは、エピローグでの杏奈が直面する出来事。これまでの物語の中身を踏まえてのラストでありながら、一気に読後感を冷え冷えとしたものに切り替えてしまうのだ。この物語が所属するジャンルすらひっくり返しかねない危険な手でもあるような。

 広い意味での「ミステリー」であり、先にも書いたがどうしても登場人物が限定される関係で御都合主義的な展開もある。が、さりげないかたちでいろいろ作者が冒険を試みており、なかなか興味深い読書ができたように思う。


09/05/05
加藤実秋「ヨコハマ B-side」(光文社'09)

 『インディゴの夜』で第10回創元推理短編賞を受賞してデビュー後、クラブ・インディゴを舞台にした青春ミステリシリーズがスマッシュヒットとなっている著者の四冊目となる作品集。「女王様、どうよ」のみ『小説宝石』二〇〇四年十月号、他の作品は『ジャーロ』二〇〇七年春号から二〇〇八年秋号にかけて連載されたもの。

 横浜駅西口繁華街。八階建てのファッションビル・ビブレの前に幅の広い川が流れ、その川にかかった正方形の橋がそのまま広場として使われている。通称・ビブレ前広場。その周辺に集う若者たちの青春模様。そして、若者たちのあいだでは「パニッシャー」と呼ばれる、人間を気絶させて手錠を掛け、奇妙な格好をさせて人前にさらす愉快犯の噂が拡がっていた。
 埼玉からわざわざ横浜にティッシュ配りに来ているチハル。彼女が指導を任された垢抜けない山田。二人は、一歩間違えたらホームレスのような男から写真を見せられ、写真の女性を知らないかと尋ねられる。結婚の約束をしていたのだと男は言うが……。 『女王様、どうよ?』
 ハワイアンフードの屋台を出している隼人は、同居している恋人友美の姿が消えていることに気付く。友美に引っ張られて屋台をしていた隼人は、彼女の不在に慌てるが、ソース作りなどうまくいかないことが多く、消沈しかける。 『OTL』
 横浜の美容室で働くユカリ。カットモデルをネタに街の人に声を掛け、店に呼ぶのも仕事だ。偶々声をかけた三十代の魅力的な女性・真悠子とユカリは親しくなるが……。 『ブリンカー』
 横浜のカラオケボックスでバイトする戸川は、頻繁に一人で訪れて一人でいる時を楽しんでいるような女子高生のことが気に掛かる。彼女の様子のおかしさに気付いた彼は、店を抜け出し後を追うが……。 『一名様、二時間六百円』
 ビブレ前広場でパフォーマンスをする女性二人組の駆け出しお笑い芸人・空気椅子。彼女たちに、パニッシャーの被害者の振りをしないかとテレビ局からの誘いが。そのヤラセを引き受けてから彼女たちの日常が変化する。 『走れ、空気椅子』
 文具メーカーに勤める光治は、配達先でパニッシャーの被害者に出くわす。パニッシャー追跡サイトを開設している男たちに執拗に取材を迫られるうちに、彼も一緒にパニッシャーを探すことになるのだが……。 『ヨコハマフィスト』 以上六編による連作短編集。

ミステリ味が薄いぶん、懸命に生きてゆく若者たちの「今」が活写。横浜の雰囲気もまた主人公の一人
 最初の作品を読んだ段階では、このビラ配りのお姉ちゃんと、ちょっとダサいその助手のお兄さんがコンビを組むのかな……と思った。確かに最初の作品では、ちょっとした探偵役を彼らが務めるのだが、二作目『OTL』でいきなり、彼らは消えて移動販売の屋台を営む青年が主人公に。三つ目の『ブリンカー』では、新米で不器用な美容師が主人公となって、さすがにこの段階で、この「街」が主人公であることに気付く。
 それぞれ、不器用だし、格好良くないし、だけど若さと勢いを武器に一生懸命生きている若者の姿が描かれる。巧いのは、完全に彼らの視点を小説家としてモノにしている結果、彼らより上の世代からすると上から目線になりそうなところを、きっちりと等身大の彼らの姿が描き出せているところ。 描写をしながら無理をしている印象がなく、本当にストリートに読者も生きているような感覚が読んでいるあいだ味わえるのだ。
 収録作品を通じて登場し、最終的にその正体が明らかになるのがパニッシャーなる愉快犯の存在。最後の『ヨコハマフィスト』にしても、中途半端に真相を追うオタクがひどい目に遭う話か……と似合わせておきながら、最後は気持ちよい逆転で締め括っていて、全体としてのまとまりと最後の安定感に役立っている。
 これといって凄まじいサプライズがある作品があるではないのが逆に良いのか。全体を通じて、この横浜にある小さな広場の喧噪がそのまま、作品のイメージとしてすり込まれるような印象だ。

 ちょうどストリートでミュージックを聴いている感覚と、本書を読んでいるあいだ味わう感覚は近しいように思う。肩肘張らずに手にとって、気持ちよく読了できる一冊。


09/05/04
はやみねかおる「卒業〜開かずの教室を開けるとき〜 ―夢水清志郎事件ノート―」(講談社青い鳥文庫'09)

 1994年2月に『そして五人がいなくなる』が刊行されスタートした「夢水清志郎シリーズ」。新本格ミステリの流れのなかで大人の読者もつかむが、やはり本来の読者である少年少女層から長年のあいだ圧倒的な支持を受け、現在に至っている。そして2009年3月。現実には十五年、作中では三年の時を経て遂にシリーズが完結した。

 亜依、真衣、美衣の三姉妹、そして亜依のボーイフレンドであるレーチらの中学三年間もいよいよ大詰め。三学期を迎えて受験の時期が着々と近づいてきた。教授が風邪を引き、あまつさえ入院してしまうというオープニングを経て、物語は四十年前の虹北学園へ。この年の卒業生の仲良し四人組。夢見という名の同級生は「夢喰いを封印する」と宣言して、御札を大量に貼った教室を内側から密封して姿を消してしまう。現在は取り壊しが決まっている旧校舎にある、開かずの教室はさまざまな伝説や言い伝えを虹北学園に残してきた。三学期の始業式、三年生の亜依やレーチのクラスに時期はずれの転校生がやって来た。ブロンドの髪を持った美少女。名前はユーリ・ローストン。しかし、仲良くなりたがるクラスメイトに対して彼女は冷たい態度を貫く。レーチは他の生徒から謝恩会の実行委員を押しつけられ、渋々引き受ける。更に亜依はレーチから副実行委員を命ぜられ、彼に引きずり回される。適当な開催場所を見つけられなかったレーチは、旧校舎にあるある教室を無理矢理に開く。その部屋には内側から御札によって両扉が密封されていた。「夢喰い」が封じられた教室の扉を開けてしまった――。夢喰いが復活する。噂が虹北学園を駆けめぐる。

――お疲れさまでした! 真っ正面から取り組まれた、人気シリーズ堂々の完結編
 いや、ここはやはりお疲れさまという言葉が相応しい。小学生〜中学生をメインの読者層としながら、しっかりと大人の心をもつかむ作風、このシリーズを経由して本格ミステリに興味を持ってくれた世代は少なくないに違いない。その意味では、このシリーズに対して特別賞をつくっても良いくらいだと個人的には思っている。
 さて、最後の作品となったこの『卒業』だが、シリーズの締め括りとしてのニュアンスが強く出ている。ただ、卒業と絡めての密室トリックなども味がある。密室の作り方だけに着目してしまうと、正直あっさりとしている(ただ、レーチの途中での謎解きの過程などは、本格ファンであれば思わずニヤリとするはず)印象だ。しかし、ここでの眼目は「なぜ密室をわざわざ作ったか」にあり、この部分のオリジナリティに揺るぎがない。シリーズとしての主題にも通じており、深く満足できる理由があった。
 当初は小学生の延長のようだった三姉妹にしても、しっかり中学卒業ともなると青春小説的な味わいを醸し出せるようになっていて、そのあたりのじわじわとした展開もシリーズ通しては読みどころとなっている。夢水清志郎のシリーズ最後の事件なので「卒業」という題名も絡んで多少悲しいラストも覚悟していたが、その点についてもうまく処理していると感じた。やはりジュヴナイルはこうでないと。
 こうやって『卒業』全体を改めて俯瞰してみると、はやみね氏の元教師というキャリアがうまく活かされている点にも気付く。この作品で先生方が卒業生に向ける気持ち・言葉、そして卒業生と在校生の関係といったところは全て、教師・はやみねが、生徒たち=全ての読者に対する語りかけ、希望であるようにみえてくる。そしてそれが決して押しつけがましくないところがやはり素晴らしい。

 シリーズ終了を記念して、この本にある仕掛けをしました、とあとがきにあり、各ページをよく見ると京極夏彦氏も非常にこだわるある仕掛けがされていることが見受けられる。これもまた先行作品へのオマージュってことなのか、それとも、単に京極氏のファンだからなのか。たぶんゲラの段階で相当苦労されたことは推察されますね。

 この作品の単体としての良さはやはりシリーズを通してはじめて判るもの。ゆめゆめ、この作品から逆行して読もうなどと思わぬよう。やはり(途中で多少順番が入れ替わったとしても)順番に読むべき作品で、この作品だけは絶対に最後に読むべき作品だと思います。


09/05/03
笠井潔(他)「吹雪の山荘――赤い死の影の下に」(東京創元社'08)

 1990年代半ばに企画されながら「幻」となっていた、新本格ミステリ複数作家による「リレー・ミステリ」企画が、『ミステリーズ!』で改めて取り上げられて発表された後、解決編込みで単行本にまとめられたもの。基本的には吹雪の山荘にそれぞれの作家の探偵役が集まり、大きな事件の流れと個々の短編で登場する謎に小さな解決を付けてゆくという趣向。

 参加作家と探偵役は以下の通り。笠井潔(ナディア・モガール)、岩崎正吾(刈谷正雄)、北村薫(作中ではブッキー、北村作品でいうところの”私”、若竹七海(若竹七海)、法月綸太郎(法月綸太郎)。そして解決編を評論家の巽昌章氏が担当されている。また、執筆には参加されていないものの、有栖川有栖氏の「学生アリス」も登場している。
 姿を消してしまった矢吹駆がかつて残したメモを頼りに、年末の慌ただしいなか、遠く日本の地を訪れフランス語の講師をしていたナディア・モガールは日付と共に記されていた場所にあたる、雪に閉ざされた別荘地を訪れる。清沢郷と呼ばれる彼の地夏期滞在客向けの別荘村で楽々と予約が取れた。途中でナディアの教え子の若竹七海、そしてその連れにあたるブッキーと呼ばれる二人連れの女性と道連れになった。別荘地には他に、作家の法月や有栖川という学生、他四組の泊まり客が居り、人懐っこい管理人・刈谷が彼女らを別荘に案内する。ナディアが気にしている別荘、C-332には幽霊が出るという噂があり、目撃例もあるという。ナディアは深夜にC-332を訪れる予定だったが、その前に有栖川と若竹らが噂の山荘を見に行ったところ、山荘が消えてしまったのだという。ある理由から見えなくなっていたC-332だが、改めて訪れたところその内部には、首を切断された、女性の服を着た男性の死体があった……。

吹雪の山荘、首のない死体といった趣向の数々、そして探偵たちの夢の饗宴
 新本格ミステリがもっとも隆盛を誇っていた時期から「噂」だけが先行していた、リレーミステリ。実際に完結されたのは、その「噂」から十数年が経過してから、という、一部のファンからは幻扱いされていた作品が単行本化されたもの。その意味で考えると、前提となる設定が吹雪の山荘というのも、現代であっては「今さら」感があるものの、企画が立てられた時代、つまりは新本格ミステリの全盛期であったことを考えると微妙に納得できるところでもある。
 各作家が自らの擁する探偵陣を持ち寄ってひとつの世界を形成している点がユニークなのはもちろん、その探偵役のなかに北村薫の円紫師匠シリーズに登場する「私」が含まれるのが更にユニーク。基本的には一人称だった彼女が、他の作家からどう捉えられ、どう描写されているのか――といったところも、見方を変えれば興味の一つ。(作中ではブッキー=不器用の意と呼ばれている彼女のことだ)。
 各作家が担当する、小さな謎解きの部分は正直、玉石混淆。ただ、好みによっては小生が石だと思う作品も、読者によっては玉になるかも、ということもあり、個々の短編としてはここでは論じない。とにかく圧倒されるのは、当初の設定以上に各作家が好き勝手に(みえる)抛り投げている伏線を徹底的に回収しまくり、論理的な解決を積み上げるという剛腕をみせた、本来はミステリ評論家として名高い、巽昌章氏の冴え。 解決自体は、一人の作家が都合良く伏線を敷いた長編ではない以上、多少のぎこちない部分やスマートではない部分があるものの、論理的であろうという志が非常に高いのだ。よくぞ、ここまでまとめたもの、という感服感がそのまま本書の感想だといえる。

 リレー小説という形式をどう受け取るか、というところ。通常の長編や連作短編集の感覚で手に取ると微妙に違和感があるものと思う。あくまで複数の作家が協力しながら創り上げた世界を楽しむといったスタンスが多少は必要。本格ミステリになっていることは間違いなく、本格マニアは必読。ただ、いずれ創元推理文庫には入りそうな予感はあるが。


09/05/02
平山夢明・吉野朔実「狂気な作家のつくり方」(本の雑誌社'09)

 漫画家の吉野朔実さんと、幻想・ホラー小説作家である平山夢明さんの二人の対談を収録した作品。本の巻末によれば「代々木上原のイタリアンレストラン「VIORA」にてミートソースの皿を挟みつつ三夜にわたって語り下ろした対談と、青山ブックセンター本店カルチャーサロンでの公開対談を再構成し、加筆・修正したもの」だとのこと。

 まずは、生まれてからすぐの記憶について互いに問い合う「最初の記憶、怖い記憶」。平山氏は子どもの頃からバイオレンスな光景をよく目撃していたそうで、自分自身がタクシーにはねられたり、マンホールの上に腕が一本落ちているのを見たり、友人の祖父が飛び降り自殺するところを目撃したり……。続いて「いい編集者、ダメな編集者」。一応は自分にはどんな編集者が合うとか合わないとかいう話もあるが、ほとんどが映画の話。恐らく副題は後からで、自由にいろいろその時は話をしていたのだと思われる。「大友克洋と漫画のチカラ」。手塚治虫から楳図かずおといったところから大友克洋の『童夢』の衝撃、漫画を描く際のデッサンの難しさ等々で盛り上がる。「刺激ックスと知的好奇心」。恐らくこの部分が本書最大の盛り上がり。そもそも映画通である二人がホラー映画やマイナー映画についていろいろ題名を挙げて、コメントや感想を述べあい、お互いに薦めたりしている。「残酷な狂気のエッセンス」では、映画や小説の怖い話を取り上げて、何が怖いかについて二人で思うところを述べあっている。最後が「無防備な日本とわたし」。現代日本の風俗や状況、安全や道徳についてお二方の視点から論じ合っている。極論が多く、読んでいて面白い。

平山夢明と吉野朔実。この二人が日頃どう考え、何を刺激とし、何を表現しようとしているのか。
 お二方とも、そもそもが映画通である。それもハリウッドの名作などではなく、自分でどんな映画が好みかを知ったうえで、自分の鼻で映画について嗅ぎ分け、自分自身の価値観をもって映画についてコメントできるレベルにある。本でもなんでもそうだと思うが、ある程度量をこなさないとなかなかその領域に達することはない。お二方ともその点を軽々とクリアしていることもあって、る映画(マニアックなものが多い)を幾つも取り上げ、それぞれを面白そうに紹介し合うのだ。その興味を引くような紹介の仕方だけでも、読む価値があった。
 個人的には、平山夢明氏の創作の秘密というか、姿勢みたいなものが垣間見えた点が興味深く感じられた。いろいろと印象に残ったコメントも多いのだけれど。「俺はキチガイは好きですよ。キチガイは好きだけど変態はダメなの」だとか「暴力の先を描いているんですよ。俺だってね、考えてやってるんですよ。バカには見えますけど」だとか、「映画と音楽と絵画の最大の違いは何かというと、生前まったく売れなかったけど、どんどん映画を作りつづけて、死んだあとにどかどか売れた人はいないんですよ。ところが、ゴッホとかって」。
 平山さんの書く小説は、本書で語られていることを要約すると、映画のような画像が頭にあって、それを淡々と活字に写し取っているというタイプのものらしい。平山氏の作品を読んだ時に、読者が頭のなかに抱くイマジネーションが作者そのものが考えているものと同じということはないにせよ、どこか平山短編には映画っぽい盛り上がりが伴うのは、やはりそういう創作姿勢に要因がありそうだ。
 他にも、やはり他の人と面白がるところが異なるという価値観の違いも、作風にいろいろと影響がありそう。このあたりは細かく挙げられないけれど、本書で平山氏が盛り上がっている(吉野さんがそれほどでもない)ところからしても、その感覚差はあることが推察される。

 平山氏の特に創作短編(実話系ではないという意味で)には、強烈なインパクトを残す作品が多いのだが、そのインパクトの源泉がほんの何%かだけかもしれないながら、理解が進められたような気がする。平山氏が構築する狂気世界のファンという方なら、まず読んで損はない。というか読むと今以上に物語が楽しめるようになると思われます。


09/05/01
今野 敏「蓬莱」(講談社文庫'97)

 元版は'94年に刊行された、今野敏氏の初の単行本(ハードカバー)。今野氏が1978年に問題小説新人賞を受賞してデビュー、初の著書が'82年『ジャズ水滸伝』……以来、なんと六十三冊目で初めてのことだったという。ほとんどの新作がハードカバーで刊行される現在とは隔世の感がある。本書は基本的にノンシリーズ作品だが、警視庁安積斑シリーズの外伝的な扱いとなる。

 コンピューター、ファミリーコンピュータ用のゲーム開発を手がけるソフトハウス〈ワタセ・ワークス〉は社長の渡瀬を含め五人しかいない小規模の会社。天才肌社員・大木の発案でパーソナルコンピュータ向けに発売をした国家形成シミュレーションゲーム『蓬莱』がそこそこの売れ行きを示し、次は『蓬莱』のスーパーファミコン版の発売準備に取りかかっていた。しかし、馴染みのバーで酒を飲んでいた渡瀬の前に二人の男が現れ、謎の老人から『蓬莱』の発売を諦めるよう恫喝され、暴力を振るわれる。一体、このゲームソフトには何があるのか。『蓬莱』の発売を諦めきれない渡瀬であったが、続いて、開発者の大木がホームから電車に転落して死亡する事件が発生。さらに〈ワタセ・ワークス〉に警察の手入れが入り、大手銀行が融資を引き上げたいという圧力が。バーのマスター・坂本から、二人組の男が「平成改国会議」という右翼結社に属する暴力団員であることを渡瀬は知らされる。「平成改国会議」の背後には大物議員・本郷征太郎がいた。渡瀬は他の社員と共に、捜査に携わる警察・安積斑のメンバーと並行して『蓬莱』について改めて調べ始める。

架空のゲームに仮託された独自の日本人論、そして巨悪と戦う一介の民間人の勇気と。
 今野敏氏が人気作家となっていることもあり、講談社文庫版にかかっている帯もころころ変化しているものとは思う。小生が購入した版ではこう書いてある。「今野 敏、まずはコレ! ターニングポイントとなった不朽の傑作」 ……ちょっとここまでは書きすぎ? ターニングポイントは間違いないと思うながら、不朽の傑作というのはどうだろう。
 基本的には、普通に堅気に生きてきた主人公が、強烈な社会的、暴力的、経済的な圧力に晒されるが、己の内部変革と共に、そのプレッシャーをはねのけて信念を貫く、というお話。
 また『蓬莱』というソフトに仮託して、独自の日本人論を展開していく筋書きがあり、その部分はなかなか読ませてくれる。縄文人から弥生人への変化、そして日本人という民族そのものの発展過程に関する仮説などなど。ミステリに絡めて歴史のIfや、仮説を展開するという傾向の作品は昨今珍しくないが、発表時期からするとそれなりに斬新だった可能性もある。(本書が初めて、という意味ではないですよ、もちろん)。  作品内リアリティは(さすがにスーファミというあたりは時代がかってきてしまっているが)一定のレベルにある。少し無理があるように思えるのは、一介のソフトハウス(ゲームソフト)に対し政治団体が人殺しをしてまで圧力をかけるには少し理由が弱い点、その点に関連して、結末時に巨悪を屈服させるネタが今ひとつ本当にプレッシャーになっているのか疑問がある点。つまり、これほどの大物の意志を挫くほどの武器だと思えないのですよね、

 ただ、全体として良くできたエンターテインメント小説であり、ミステリであることは確か。特に後半部に犯人を追い詰めてゆく安積斑の猟犬のような活躍は読みどころ。全体としてテンションも高く、一気に読める作品だといえましょう。