MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/06/10
水原秀策「裁くのは僕たちだ」(東京創元社ミステリ・フロンティア'09)

 東京創元社初登場となる水原氏。2005年第3回「このミステリーがすごい!」大賞を『サウスポー・キラー』で受賞してデビューした作家。他の著作には『黒と白の殺意』『メディア・スターは最後に笑う』などがある。

 学習塾の「室長」という肩書きのクレーム処理係を生業としている高尾慎一。子どもの頃に父親が無実の脱税の罪で捕まった過去があるが、裁判員に選出されてしまう。事件は、現職の美人議員による夫殺しの事件。マスコミの注目度は非常に高い事件だったが、夫の愛人が絡み動機は明らか。バイアグラとニトログリセリンを併用する殺害方法は少し特殊だったが、残された携帯電話には薬剤購入のアドレスが残り、薬剤自体も発見された。更に目撃者もおり、事件は有罪で確定する方向だった。しかし、裁判員として出廷したその日、慎一はちょっとした休憩のために訪れた公園のベンチで謎の美女からいきなり糾弾を受ける。無実に投票する見返りに、被告人の事務所に現金を要求したと彼女はいうのだが、もちろん慎一に心当たりはない。続いて議員の関係者を名乗る人物から次々と接触があり、無実・有罪の票を様々な人々が要求してくる。次々訪れる謎のトラブル、そして裁判の行方は――?

謎めいた圧力に法廷の駆け引きまでの展開と、その後のどんでん返しにどうも落差が。
 始まったばかりの裁判員制度をテーマにしたミステリ。まだその数は少ないが、このテーマに関しては、国産ミステリの分野でも既に芦辺拓さんによる『裁判員法廷』といった傑作が出てきており、もちろん以前から陪審員制度を取っている国の海外ミステリにも傑作はある(あまり詳しくないですごめんなさい)。
 現職議員の殺人事件を扱っている本作も、法廷の雰囲気や駆け引きについてうまく書けている印象。特に、本来は有罪・無罪の判決を下す立場の主人公に、別のかたちで無罪であることが伝えられているがために、裁判員ではなく探偵としての属性を付与させているあたりは、設定としてめちゃくちゃ巧いと思う。また、裁判官側と検察側の結託や、本来守られているはずの裁判員に次々と襲いかかるバイアスの演出は、それが現実/非現実無関係に非常にリアル。特にインターネットで個人情報が晒される時代に、果たして本当に裁判員の素性が守られるのか、という点は結構近い未来を先取りしている可能性がある。また、有罪に一旦傾いた裁判員たちを、あるひとことでひっくり返す場面。この証言なども痛快である。
 ただ――、判決までは非常にスリリングでユニークな内容だった、一方で様々にかけられた圧力は一体何だったのか、という後段の謎解きになるとちょっと得心できない場面が多いように思う。最初に声をかけてきた美沙の素性の割れ方。その後の連絡方法。真犯人の存在と、その真犯人の、特に最終的に見せる心遣いとそれまでの悪魔的所業とのあいだのギャップ等々。最後に爽やかな場面を出したかったのかもしれないながら、それにしてもそれまで繊細に証言の矛盾をついていた作者とは思えない雑駁な人間心理描写に逆に戸惑ってしまう。このあたりどうなんでしょ。

 先に述べている通り、法廷ミステリとしての前半までは主人公の属性や家族関係なども含めてよく出来ている作品だなあ、とかなり感心させられた。実はこの部分までだけでも、それなりに楽しめると思う。ただ、やはり終盤のばたばたっとした展開に気になる点多し。


09/06/09
新庄節美「名探偵チビー 虹色プールの謎」(講談社'94)

 『雨あがり美術館の謎』と共に、最初に配本された「名探偵チビー」シリーズの最初の一冊。本書の導入で、ニャット君がなぜ名探偵チビーの助手になったのかという経緯が描かれており、順番で読むことにこだわるのであれば本書が一番目ということになろう。

 様々な動物たちが平和に暮らし、老若男女それぞれが人間のように職業を持って人間のように暮らす世界。その都市の一つ、五月の風市に住む小学生にしてネズミの名探偵がチビー。父親のあとを継いで探偵を職業とし、その才能は市長自ら事件の依頼に訪れるほど。ある日、市民公園にあるプールが虹色絵の具で汚されているという事件が発生。市長が謎の解決を依頼しにきた。チビーは、消防署署長の息子で本来は消防士が職業のニャットに、手伝ってくれるように依頼し、十年間火事がなく学校を仕事を理由にさぼれないニャットはその助手の仕事を引き受けることにした。絵の具の持ち主である看板屋にして画家のフタコブ=ノンビリ氏が犯人だとケッコー警部は決めつけるが、チビーは納得していない様子。さらに公園に隣接したパックン夫人の宝石が盗まれる事件が発生、一同は現場に急行する。

さすがに謎解きはイージーながら、本格ミステリへのこだわりは第一作目から。
 先にシリーズの他作品を読んでいるせいもあって、世界観についてはあっさりと入り込める。更にシリーズの第一作目ということもあって、全体的に説明が丁寧で表現が柔らかく、全体に読みやすい。(というかもともとがジュヴナイルなので当たり前といえば当たり前だが)。
 チビーが立ち向かう謎は、最初は市民プールが虹色絵の具で虹色に汚されていたという事件、それから巨大な宝石がついた指輪が、お金持ちの二階から消失した事件。消失とはいってもガラス窓が破られており、第三者に盗まれたことは間違いない。ただ、容疑者は巨大なゾウとキリン、木登りのできるサルに空を滑空できるモモンガ……という点が、普通の本格ミステリとは一線を画しているところ。動物それぞれが持つ特徴であり属性であるといったところが謎解きに絡んでくるからだ。
 但し、本格としてはあまりにもあからさまにそのヒントが描かれているため、大人で読む読者にはさすがに真相が見えてしまうレベルではある。(しかーし、この作品以降のチビーシリーズは、更に本格ミステリ寄りに加速してゆくため、普通の小中学生には難しいのではないかと思われる謎が提示されるようになってゆく)。ただ、本書の場合は「読者への挑戦」が当然含まれているとはいえ、まずは、本来対象とされる若い読者諸氏のお手並み拝見――という意図があったのではないかとも推察される。良き本格ミステリであるために、読んで判るようなヒントをわざわざきっちり伏線として、しかも判りやすいかたちで入れ込んでいることもイージーさには関係がある。シリーズ全体を通じて考えると、このレベルの作品を最初に提示したということは成功に繋がっているように思える。

 そして、このシリーズは刊を重ねるにつれ、大人顔負けの本格ミステリ作品に(あくまで謎解きは。登場人物や世界観はもともとのジュヴナイルのまま)変化してゆく。その変化した本書以降の作品でもきちんと謎解きを行うタイプの子どもたちは、きっとミステリの世界に入ってくれるに違いない(?)


09/06/08
高橋克彦「私の骨」(角川ホラー文庫'97)

 '92年にハードカバーにて刊行された同題作品集の文庫化。角川ホラー文庫が創刊してから暫くして刊行されたように記憶されている。他に'96年にカドカワノベルズの一冊にもなっている。

 売却処分しようとしていた岩手の実家の床下から、古い人骨が発見された。骨が入れられていた壺には私自身の生年月日が。岩手に戻った私を出迎えてくれるのは、長年私に好意を寄せてくれていた従姉妹……。 『私の骨』
 雪道で交通事故を起こしてしまった。対向車に乗車していた男は死亡、珠紀と名乗った半裸の女性を乗せ、警察へ連絡するため近くの温泉宿を目指すのだが……。 『ゆきどまり』
 作家が気まぐれに書いた平将門の黄金伝説を頼りに男が東北の山中に入り込み遭難、入院し作家に連絡が。その娘と少し外しているあいだに男は病院を脱走してしまう。 『醜骨宿(しこほねやど)』
 大学の先輩のルポライターが失踪。青森県の隠れ館を探しに山奥に入り込んだと思われ、私もその足跡を辿ったが、地元の人々が何か嘘をついているように思える。そして反対を顧みず山に入った私は……。 『髪の森』
 東京でテレビの仕事をしている私が、取材をかねて久しぶりに岩手の山奥にある故郷の村へ戻った。高校時代に天才と持て囃された時期に、交際して別れた彼女のことが引っ掛かっていたのだが……。 『ささやき』
 東北地方のどこかの宿。百物語の催しを行う集団。暗闇のなかで語られるそれぞれの「怖い話」。逆立ちをしたまま歩く女。引き出しに入った老婆。襖の奥からの自分を呼ぶ声。そして……。 『おそれ』
 東北地方のある村の村議を務めている角田は、交通事故の加害者被害者の縁で弁護士の私と知り合った。頻繁に見舞に訪れる角田とはいつの間にか親しくなり、彼の村のトラブルを弁護する仲にまでなるが……。 『奇縁』 以上七編。

元祖・ホラージャパネスク。日本の村社会、自然の脅威を怪談に恐怖譚に取り込む妙
 基本的に何らかのかたちで”東北地方”、しかも仙台といった都会ではなく東北のどこかの田舎町が何らかのかたちで含まれた作品ばかりが集められている。その東北の関わり方が絶妙。というのは、方言などもほとんど使わず、また誤解に基づくような因習や風習といったところを極力抑え、東北を使うとはいっても、その裏側の狙い、つまりは「都会のモノサシでは測れない日本」を演出するのに役立てているようにみえるのだ。作者自身が東北に住み、決して東北自体を色眼鏡で見ているのではなく、あくまで素材として使っているさりげない凄さが作品集全体に存在する。
 使われている恐怖の源泉は一筋縄でまとめられるようなものではない点も巧い。例えば『奇縁』『おそれ』といったところは怪異っぽい現象を人間の怖さへと収斂している一方、『髪の森』『醜骨宿』といったところでは地域そのものが持つ秘密へと向かわせる。ただ、個人的には人による怪異とも何ともいえない怖さが、秘めやかなエロティシズムと共に立ち上る表題作『私の骨』、そして『ゆきどまり』がツボ。両作品とも、この世とあの世、それだけではなく、恐怖的テーマを背景にどうしようもない人間の「業」を浮かび上がらせている。しかも、その事実が見えた時の切れ味が凄まじく、神経がぶった切られるような感覚を伴うのだ。

 ベテランらしい、とひとことで言い切れるような作品集ではない。人の世界と怪の世界との境界であることはもちろん、我々が生きる現代社会と、何か別の日本のどこかの境界線を歩かされているような微妙な感覚。それらを活字で体現しているところは、作者の技術や力量以上に何か別の「恐怖のセンス」といった根本的に凡人とは異なる何かの存在を感じさせられる。傑作ホラー短篇集という点だけは、少なくとも間違いない。


09/06/07
樋口有介「プラスチック・ラブ」(創元推理文庫'09)

  1997年に出版された短編集を樋口氏が再度文章に手を入れ直しての初文庫化作品。柚木草平登場! というのが売りになっているが、むしろ青春小説の範疇として楽しむべき作品集だ。

 高校二年生の木村時郎。一年九ヶ月ぶりに、かつて好意を寄せていた中学時代の同級生と再会。彼女は家出した友人を訪ねて欲しいと時郎に頼み込む。 『雪のふる前の日には』
父親の不倫に揺れ、引っ越しの可能性を口にする同学年の彼女。なぜかその不倫相手を訪ねることになってしまった時郎。 『春はいつも』
 時郎の父親の浮気がきっかけで、母が家出。時郎の妹は不登校に。訪ねてきたのは中学で同級だった釉香。一度彼女とデートした男がストーカー紛いの行動を取って困っているという。 『川トンボ』
 時郎が参加していたバンドの女性ボーカリストが失踪。時郎をバンドに引き込んだ夏帆は、彼女を捜すべく、共に不動産屋に情報収集に赴くことを時郎に強要する。 『ヴォーカル』
 気ままな女性遍歴から親戚から総スカンを食っている祖父。夏休みを利用して祖父宅を訪ねると叔母にあたる音葉という女性と出会う。叔母といっても時郎とは同学年。 『夏色流し』
 中学時代によくつるんでいた貴代が死んだ。初対面の男のバイクで交通事故に遭ったのだという。中学時代の仲間・真弓と共に時郎は、その死について調べて回る。 『団子坂』
 中学の時に一度だけデートした寛子が、ラブホテルで絞殺された。中学以来の彼女である美波から話を聞いた時郎は真相を探りはじめるが、その過程で柚木草平と出会う。 『プラスチック・ラブ』
 新体操部にいた里菜子とデートをしなくなり三ヶ月。突然彼女の妹のトラブルに巻き込まれてしまう時郎。 『クリスマスの前の日には』 以上八編。

切り取られた十七歳の濃密な一瞬。永遠の”高校二年生”による幾つもの季節と魅力的な彼女たち
 樋口有介氏を代表するシリーズ探偵・柚木草平が永遠の三十八歳なのであれば、初期に発表された短編から断続的に登場する、木村時郎は永遠の高校二年生である。↑にて、収録されている八編のあらすじをごく簡単に書いてみたのだが、作品ごとにヒロインになる女性が異なるのだ。中学生から年上の女性に至るまで、もちろん時郎が交際している相手、交際したかった相手、交際したけれども別れてしまった相手、全てが異なっており時郎以外には共通の人物が誰一人出てこない。 妹の存在は幾つかの作品で触れられているとはいえ、本格に名前を伴って登場するのは『川トンボ』一作のみ。
 ついでにいえば、時郎の父親、母親もエピソードとして存在が語られるものの、全くといって良いほど登場していない。ギャルゲーでもあるまいし、登場する彼女たち全員に対して現実的に同時進行で交際するということが不可能な以上、短編ではあるものの、柚木草平シリーズとは別系統の一種のファンタジーといった趣で楽しめば良いように思う。
 ミステリとしての味わいがあるのは、人捜しハードボイルドの典型をあえて狙ったと思われる『ヴォーカル』『団子坂』。ただ、かつての友人の死を探る表題作にせよ、一応事件そのものに存在する謎は解決するとはいえ、関係者(即ち女性)が何を考えていたのか――? についてはなかなか納得しづらいものがある。最終的には樋口氏による軽ハードボイルドに共通していえること、すなわち全ての男性にとって、女性は永遠に謎めいた存在といった主題が時に軽く、時に重苦しく通底しているところは変わらない。ちなみに、柚木シリーズであっても同様のテーマがあるし、ノンシリーズ長編をはじめとする他の樋口作品でも似たテイストがある。高校生主人公の連作短編集でありながら、樋口有介という作家の核心が本書にあるともいえそうだ。
 主人公・木村時郎の老成した性格、そのクールで自分勝手と女性から評される言動もまた相変わらずの樋口節であるし、その言葉にめげず投げ返す女性たちの強さもまた樋口ワールド全体に共通したテーマといえるだろう。登場人物の行動の端端に登場する描かれる関東の自然風景の繊細な描写もまた物語と同様に心に染み込んでくる。

 自分が樋口有介の大ファンであることを差し引いても、非常に真摯な物語作りと、一見軽薄にみえながら突き詰めた口調や文体を極めている職人芸が、本書でもまた再現されている。単行本で読まれているという方にも新たに読んで欲しい作品。創元推理文庫、グッジョブです。


09/06/06
倉阪鬼一郎「遠い旋律、草原の光」(早川書房ミステリー・ワールド'09)

 新装版のハヤカワミステリーワールドの第二期配本として刊行された二冊のうちの一冊。書き下ろし。倉阪氏は旧装幀のこの叢書に『ダークネス』という長編を発表しているが、本書は完全にノンシリーズのようだ。

音楽家だった祖父の影響から強制的にヴァイオリニストの道を歩んでいた火渡樹理は、途中で指揮者への道へと変更。有力なパトロンの後ろ盾を得たこともあり、実力を持つ女性指揮者として、新設された軽井沢フィルの常任指揮者として抜擢された。一方、難病を患い、軽井沢のサナトリウムにて療養生活を送る新進画家・緑川弦。そのサナトリウムに樹理が訪れたことから二人は互いに意識し合う関係へと変化する。樹理の祖父は、演奏不可能という不可解な楽譜を残し、割腹自殺を遂げており、一方の緑川弦の祖母もまた、音楽活動の失敗の結果、不慮の死を遂げていた。互いの実力を認め合い、惹かれあう二人であったが、弦の病状には予断を許さないものがあり、その時間は限られているものと思われた。二人が出会う時、二人には他の誰もが聞き取ることの出来ない音が聞こえ、そして二人が突き詰める芸術は一段の高みへと上り詰めてゆく……。

平凡な筋書きの恋愛小説が、倉阪テイストと暗号ミステリによって重厚な芸術的作品へと昇華する
 サナトリウム小説というか。余命が幾ばくも残されていない男、その男を心の底から愛する女。タイプは異なるが二人ともが天才型の芸術家……。実は、筋書きだけ取り出すと、恋愛小説の分野においては平凡というよりも通俗ですらある展開ではないかと、少なくとも個人的には思う。
 ただ、倉阪氏はそんな陳腐な筋書きをベースにしながらも、とんでもなく印象の深い悲恋小説を創り上げてしまった。
 そのスパイスというか、重要なポイントになるのは幾つも作品内に凝らされた暗号ミステリのパート。演奏が不可能という残された楽譜。幾つかの俳句に込められた言葉。ロケットのロシア語に込められた意味。提示される謎は、最初の段階では暗号そのものであり、通常の本格ものとは少し異なり(確かに暗号ミステリだって本格ですが)、知識を持たない読者が解き明かせないタイプのものである。ただ、倉阪氏自身のその暗号へのこだわり方、そして暗号が解け、込められた意味が判明した結果、その解き明かした者たちが得られる感興だけではなく、思わせぶりに部分が描かれている過去に起きた出来事の新たな像が結ばれる。暗号が解けることで恋愛小説が深まるという、不思議な構造になっているのだ。読者によってはこの暗号パート不要という方もおられるかもしれないが、暗号があってこその恋愛小説の深みなのだ。伝えられない想いを暗号に仮託しなければ伝えることが出来ない時代。その時代から繋がっている現在。
 また演奏中に聞こえるはずのない音が聞こえたり、微妙に現実だけで物語を片づけないところも巧い。多少の幻想が入り込むことによって、むしろこの恋愛譚の奇蹟性が高められているように感じられる。また、悲恋という以上、最終的な結末は中途からでも予想される。それが判っていてもなお、終盤の展開は悲劇・悲恋というものではないように感じられた。むしろ、短い生であってもこのような充実した状態で逝けるというのは、考えようによっては理想的・そして幸福に満ちた「死に方」である(と、少なくとも思わされる)。
 樹理の音楽に対する感覚、弦の絵画に対する感覚に加え、弦の友人による俳句や和歌に対する感覚が加わり、これもまた倉阪氏自身が求めるところを紙上に再現しているように見受けられる。一方でそれも芸術論の一つではないかと思ってみたり。

 しかし何というか。倉阪センセがこんなストレートで悲劇的な恋愛を描けたのか! と長年の読者ですら驚かされたことは事実。(サプライズという意味ではその事実が一番か)。倉阪ホラーや倉阪ファンタジー、さらには倉阪ミステリとも全く異なるテイストが全体を覆っている。騙されて(騙されたと思って)、これまで倉阪作品を敬遠されていた方にも手にとってもらいたい長編だ。


09/06/05
篠田真由美「桜の園 神代教授の日常と謎」(東京創元社'09)

 『風信子の家』に続く、神代教授の日常と謎シリーズ第二弾。もちろん〈建築探偵〉桜井京介シリーズの番外編でもある。「桜の園」は『ミステリーズ!』Vol.22から24(二〇〇七年四月号、六月号、八月号)に、「花の形見に」は、同じくVol.26と27(二〇〇七年十二月号、二〇〇八年二月号)にて前後編として発表された作品である。

 W大学教授の神代宗は、大学の同僚で比較的気の合う大島に乞われ、友人の辰野と共に由緒はあるが古めかしい洋館を訪れた。この洋館には、大島の縁者である三人の老婆が住んでおり、大島は、若い頃からずっと、なぜかこの魔女のような女性たちを苦手にしていた。彼ら三人は彼女たちから歓待されるが、その花見のパーティはなぜか、大島が幼い頃に、この館を訪れた時と同じ服、同じ料理、同じタイミングで進められてゆく。そんなか、庭に全員が出払っている筈なのに、館の中で大きな音が。少しずつ思い出されてゆく大島の記憶、それは……。 『桜の園』
 二人の若き居候と、しょっちゅう訪問するそのごつい友人に囲まれて暮らす神代。しばらくぶりに連絡のあった年の離れた姉は、神代を呼び出した。母親の墓の命日に誰が花を供えているのか、調べて欲しいというのだ。一方、『桜の園』の事件で知り合った若い女性・道子が神代宅を訪れ、彼女の姉が経営している店に時々現れる変な人物について相談していった。こちらは居候たちが解決するというのだが……。『花の形見に』 以上二編。

《建築探偵》番外編だけで片付けるのは勿体ない。周到な構成に重厚なテーマを深く味わう
 人間、霞を食って生きていける訳もなく、とにかく生きることで精一杯だった時代――戦争を乗り越えて生きてきた世代の思いを残酷に、そして美しく描き出す。 桜の季節を演出する繊細な筆致と、美しく荘厳な舞台の的確な描写がまず見事。それでいて単なる情景描写にとどまらず、その筆力をもって人間関係や過去の因縁含め丁寧に描いてあるため、ミステリ、しかも本格ミステリをしっかりと構築している。情景描写の的確さと丁寧な構成の二点は「新本格ミステリ」の流れで評価された部分がありそうな初期作品だけではなく、その後篠田さんが発表した一連の作品にも通じるところであり、もっと評価されて良いと思うのだが。篠田作品を読み始めてからもう十年以上になるけれども、小説に向き合う真摯な姿勢が現在に至るまで全く崩れず、それどころか常に精進を重ねていることが伺える点は、読めば明らかに読者も理解できるところだと思う。
 さて本作。『桜の園』では、四十年以上前に起きた事件を再現することで、関係者が「ある目的」を果たそうという試み。設定そのものが人工的な謎がまずは取り扱われる。その導入部・外郭こそ不自然な部分があるとはいえ、だんだん謎が深まり、それらが解かれることで、別の角度から過去の事件を見つめ直す契機となってゆくという展開が上手い。ミステリの手法を使うことで、物語から浮かび上がるのは、残酷な事実以上に家族同士の繋がりであり、思いやりなのだ。
また、『花の形見に』も、神代の母親が家計簿に残した歌といった美しい謎も、道子の姉の店を訪れる不審な男の謎も、最終的には家族という連なりへと収斂してゆく。序盤で引き込み、中盤に謎を孕ませ、そして終盤でテーマを訴えてくる。血の繋がった家族には恵まれず、血の繋がらない同居人に恵まれるという神代の境遇と二重写しになる。だからこそ余計に家族の想いというそのものが強調される。

 多少、小説を読み慣れていない層や、あくまで桜井京介シリーズの延長としてキャラ読みされる方がどれくらい本書に満足されているものかは不明ながら、個人的にはじっくりと堪能させていただきました。


09/06/04
黒乃 翔「マッドドリーム・アンド・マジカルワールド」(講談社BOX'09)

 黒乃翔氏は1984年生まれ。本作にて第3回講談社BOX新人賞・流水大賞優秀賞を受賞し、『パンドラvol.2 SIDE-B』にて発表。さらに単行本化にあたり加筆修正を施したのだという。

 高校三年生の谷口雄二。クラス内でオタクと思われているし、回りに集まってくる友人もオタクばかり。自分自身はオタクだけではないと様々なファッションや流行などにもチェックを入れているが、あいにくその話題を発揮する機会がない。クラスのほとんどからは相手にされていないが、それは谷口雄二自身が、自分自身の知能指数や芸術的センスがあまりにも上回っているだけで、周囲を自分から見下しているからに他ならない。そんなある日。雄二が自宅の自室で、漫画の主人公の真似をして両手にエネルギーを溜め込み、打ち放つという妄想にポーズごと浸っていたところ、隣のクラスでずっと気になっていた美少女・山口夏鈴が部屋にいきなり入ってきた。ポーズのままに固まる雄二。彼女は生徒手帳を拾ったので届けに来たのだという。しかし、雄二は自分の奇行が学校で言いふらされるのではないかと戦々恐々。翌日学校で、雄二は再び夏鈴の呼び出しに合い、二人で誰もいない教室に入った。そこで夏鈴は、雄二に手伝いをお願いしたいのだという。そして彼女は「私ね、ホントは魔法使いなの」と雄二に告白する――。

あ痛たたた、痛すぎる。アニメに特撮にラブコメ。主人公の妄想炸裂。ドラマのない時代の物語
 考えようによっては斬新な物語だと思うし、こういう作品が登場するのも、小説というメディアが常にその時代の世相・若者思想の変化を映し出す鏡だということなのか。表面上、そして実際にも痛い作品なのだが、逆にいろいろ考えてしまった。むしろ作者はこういうテクストを読み取るような受け取り方を計算していない可能性が高い。それでも敢えてなお、改めて「痛いということ」について考えるきっかけにはなった。
 まず、とにかくストーリーは一本道にして単純だ。本人が本気で否定しているが、主人公はほとんど何も取り柄がないオタク・非モテ系。その現実を直視する勇気すら持たない軟弱者。根拠のない、いつかは大物になれる思想……のリピドー溜め込みまくり主人公が逃げ込むのが、ドラマが満ちあふれる妄想の世界。小さな妖精が家に住み、宇宙刑事に変身してヒロインを救う。だけど全て妄想。ふと気付くとうまくいかない現実。ゆえにイタイ。そこに現れる謎めいたヒロイン。彼女のために、主人公は様々な行為を行うが、いつしか彼女の行動に疑念を抱くようになり……。
 ……という訳で主人公のあまりの矮小さゆえに読んでいてとてもこちらの気持ちまでもが痛くなるのだけれども、結局「痛いこと」それ自体をテーマにしている作品だということに終盤になって気付かされる。まあ、そのテーマがどのように扱われているかという点が即ちネタバレになるというややこしい部分もあるのであまり触れられない。類は友を呼ぶとでもいえば良いのか。ただ、「痛いこと」を描こうとしている小説だ、として読むと(高校三年生という主人公の年代がちょっと高すぎないかという点はとにかく)、若い世代のほとんどがが夢(自らの努力によって到達する)を持てない時代にいるということを、寂しいながらおっさん的には感じてしまうのだ。夢といっても妄想の夢じゃなく、本気で努力して近づいてゆく夢の方。本書、そりゃ広義のボーイミーツガール小説だけれども、その部分もまた「痛い」ので注意。
 はじめから夢を諦めざるをえないから、自分を裏切らない妄想に逃げ込む。現実には人間は多種多様で、そんな単純なものではないし、本編の主人公はその枷から脱出したようにみえるけれども。それでも。敢えて痛い小説に挑戦してみたい方に。改めて考えてみれば、「痛い小説」がどんなものなのか判らない方には、本書最適かも。


09/06/03
北村 薫「鷺と雪」(文藝春秋'09)

 『街の灯』にて開始され、二作目にして直木賞候補にもなった『玻璃の天』と続いた、通称”ベッキーさん”シリーズ三部作の完結編。収録前から順に「オール讀物」二〇〇八年一月号、同六月号、同十二月号にて発表された中編集。

 花村英子の親友・道子の義理の小父・滝沢子爵。その人物とそっくりの男が、英子の兄・雅吉によって目撃された。よりによって浅草の暗黒街のど真ん中にいたという。しかしどうやら滝沢の家には複雑な事情があるらしく箝口令が敷かれていた。 『不在の父』
 道子の親戚が贔屓にしている菓子屋の息子。その彼が深夜に外出して上野近くで補導されたのだという。学業も出来、躾もきちんとした小学生がなぜそんな行動を取ったのか? 『獅子と地下鉄』
 能面の展示会にて、英子の前で突然倒れた学友・小松千枝子。彼女はある面を見て卒倒したというのだが、それにはカメラにまつわる不思議な謎が絡んでいた……。 『鷺と雪』 以上三編。

昭和初期の華族階級の推理と生活。そしてその文化に斬り込んで、予定調和を拒否する結末に呆然
 趣味に走っている、というと言い過ぎか。しかして昭和初期のなかなかゆとりのない現代人が顧みることのない「時代を描く」という点に、どうやら三部作の最後は力点が置かれているような印象だ。前作でベッキーさんの素性が明らかにされており、物語全体を通じての謎は、せいぜいが主人公・英子の行き着く先……くらいもの。
 例えば、冒頭の『不在の父』にこそ、ミステリの要素が色濃く入っているとはいえ(ただ、人間消失の理由はあからさまにあっさりとしたものになっている)、主題はこの時代の華族階級と、根本的にそうでない人間との相剋を描いた物語であるといえようし、『獅子と地下鉄』にしても、ライオンの謎は北村氏らしい日常の謎で、しかも本格の手筋とは異なっている。ただ、その物語のなかで主人公の花村英子が危機に陥り、颯爽とベッキーさんが登場して彼女を救うという場面が目立つ。このあたり、さりげないエピソードで庶民感覚と華族感覚との乖離を描き出したものとも受け取れる。そして最後、『鷺と雪』。花村英子の淡い恋心の物語、そして結婚を意識するためのお膳立てのような謎――といっても、これまた華族階級の金銭感覚の差異が鍵となっているというミステリ仕立て。確かに、盲点ではあるのだけれども本格の鬼である北村氏の編み出す謎にしては、謎そのものの構造が少々弱いことは事実としてあって。やはり、これもまた間接的に、庶民感覚との差異を印象づけようというエピソードなのではないかと思うのだ。
 そして、ある意味では本シリーズ最大のサプライズとなるのが、本書の切り上げ方だ。大方の予想では、例えばベッキーさんと英子との別れ、もしくは英子の嫁入りが決まり、彼女の青春時代が終焉する……といったところだったはず。(少なくとも自分はそうだった)。これが、最後の最後に「時代」の残酷さをがっつりと予想させる形を終焉に選ぶとは。 しかも、切り捨てるかのような場面で物語が千切れているがために、読者は想像力をかき立てるしかない、とそういった気持ちになる。狙ったものだと思うが、いかにも巧い。

 上記の主題とは別に、各編のなかに、美術・映画・音楽・文学・日本伝統芸能といった昭和初期の文化を色濃く感じさせる様々な要素が組み込まれている。 厳密にいえば、東京の街並みから食べ物、流行に至るまで全てが徹底されている。まるで見てきたかのように紙の上に世界を創り出す妙味は、本作でも遺憾なく発揮されているといえよう。本作を読むまではどの作品から読んでも良い、と書くつもりだったのが、やはり最後の衝撃ゆえに順に読んだ方が良いシリーズであると思い直しました。


09/06/02
梓「Switch」(講談社BOX'09)

 作者・梓(あずさ)は1992年生まれ。本作にて第二回流水大賞優秀賞を受賞。本作自体は『パンドラvol2. side A』に収録後、新たに単行本化のために加筆修正されている。

 僕・五十嵐豪は、小学校以来の悪友・大和崇とずっとつるんで中学三年生になっていた。二人は小学校の頃から「悪戯」が好きで、様々な悪戯を経験してきており、それは今も変わらない。中学三年になったばかりの第三週目、彼らが選んだ悪戯は、旧校舎の非常ベルを鳴らすというもの。既にコツはつかんでいる。見張りの配置、タイミング。そして昼休み。家庭科室と理科室の前の廊下でジャンケンに勝った豪が非常ベルを押した――。次の瞬間、豪は自宅のベッドで目を覚ました。いつも通りの朝、学校へは崇を誘って向かう。しかし何かが違った。今日は火曜日のはずだったのに既に水曜日になっていた。さらに豪は自分の頭がおかしくなってしまったのではないかと訝る。豪と同じ3−Bのクラスメイト全員の頭に、非常ベルの如き赤いスイッチが存在しているのだ。豪は、そこにスイッチがあるという誘惑に負け、崇の頭のボタンを押す。遠く非常ベルの音と共にまたもや自宅のベッドで目を覚ました。さらにその世界には、どうも崇がいなくなっているようなのだ……。

残念ながら若書きは否めない。ながらも、終盤の絶望的暗黒ラストに異様な魅力がある
 さすがに、プロ小説家として長らく御飯を食べている作家、新人賞を受賞するために研鑽を積み重ねてきた大人の作家に比べると、文章力表現力描写力という小説としての基礎技術の点で見劣りがする点は否めない。執筆当時が中学生、現在高校生という作者の状況を考えると、それなりによくやっているとはいえようが、やはりお金を取って販売する商品である以上、この点が劣っている点は、残念とか以前に致命的。ここはこう言われないよう作者に努力していただく他はないと思う。
 だが、何かと話題になりにくい(大人的に黙殺しているから?)流水大賞とはいえ、その優秀賞を受賞するだけのセンスという点、これは間違いなく作者は持っている。 通常は押されない校舎の非常ベルを起点とし、関係者の頭の上にスイッチが並ぶという奇想。そしてそのスイッチを押した人間が消えるという発想以上に、いたのに記憶から薄れていく、という消え方の妙味。このあたりは発想のユニークさとしてまず評価できよう。
 何よりも個人的に気に入ったのは、ラストシーン。主人公があることを調べに訪れた図書館と、その図書館で発見された衝撃。そしてその衝撃を上回るような理解不能の何かの存在。 このラストシーンの異様さ、理不尽さが本書の最大の魅力となっている。この場面だけはうまく演出されれば、サスペンス系の映画の衝撃シーンに成り得る。

 ただ、最初に戻るが小説が軽い。途中で意表を突く意図があったかもしれないが、物語としては登場人物が限定されている分、誰が黒幕なのか、更に一歩立ち返れば何が起きたのかといったところはかなり透けてみえる。ある程度の物語読みの巧者であればほぼ予想がつくだろう。それでも。ラスト場面の衝撃がやっぱり素晴らしい。最後まで読み通したうえでのこの部分、手練れの読者であっても結構インパクトを感じるのではないだろうか。


09/06/01
石田衣良「非正規レジスタンス 池袋ウエストゲートパークVIII」(文藝春秋'08)

 通巻では八冊目、外伝含め九冊目。毎年夏のお楽しみ・IWGPシリーズ。初出は全て『オール讀物』で二〇〇七年五月号、八月号、十一月号で発表された三作に「非正規難民レジスタンス」として二〇〇八年二月号・三月号に発表された作品を改題して収録された表題作、合計四中編にて構成される。

 三歳の息子と暮らすシングルマザー・ユイ。弁当工場で必死で働く彼女が一日だけ休息したその日、息子がバルコニーから転落した。息子は無事だがマスコミから彼女は叩かれ、そして悪い男に引っ掛かりそうになるが……。 『千川フォールアウト・マザー』
 自主的に池袋の街中を清掃しようとする集団・クリンナップス。その中心にいるのが桂和文。Gボーイズとも話を付けている和文が突然誘拐された。和文の父親は池袋開発の大物だった。 『池袋クリンナップス』
 性質の悪い元彼に撮影された写真で脅される宮崎はるな。彼女は警察に勤める父親に知られず事件を解決したいとマコトに依頼するが。既に父親の元同僚で定年過ぎの男が彼女を守ろうと動いていた。 『定年ブルドッグ』
 地方から出て日雇い派遣労働で働く若者。業者の行動の疑問点を正す組合に所属していたところ何者かに襲われた。裏側には悪どい思惑が? マコト自身が日雇い派遣に潜り込み、そのからくりを調査する。 『非正規レジスタンス』 以上四編。

精一杯生きようとしている弱者に厳しい時代。そして変わらぬ親子の情愛と葛藤
 トラブルをマコトが引き受け、ヤクザであるサルやGボーイズなど(一般人に普通コネがない裏勢力の)力を借りながらその事件を解決する――大きな流れのなかではワンパターンという見方もあろうが、このIWGPシリーズは水戸黄門などと同じ「偉大なるワンパターン」の部類にある。事件のディティールというか、登場人物の境遇は常に様々であるし、作者自身非常に繊細に時代を取り入れている点は周知のことだ。
 本作の場合は全体にまず最近の(悪い意味での)トレンドでもある非正規雇用であるとか、社会的弱者といったところがひとつテーマになっている。ただ、もう一方でもっと根源的なテーマ、つまりは親子関係が前三作にて大きな意味を持っているところにも気付きたい。(この視点に立つと、親子関係すら断絶している表題作の主人公などは、さらに弱者であるという意味で象徴的である)。
 それぞれのストーリーについても、ある程度の予想がつく範囲内ながら(だって偉大なるワンパターンだし)、実際の立場はとにかく善と悪とがしっかり書き分けられているので少なくとも、一編一編すかっとするのは事実。ただ、悪役に設定されている立場の人間だって(風俗スカウトにせよ、非正規を雇わざるを得ない立場の人間にせよ)、IWGPの別の物語ではそれなりに主人公扱いされたりするわけで、微妙なダブルスタンダードがあるよなあ、という気持ちも少し覚える。

 とはいえ、主要登場人物についてはそう変化はなく、どの一冊から読んでも良いという点はある意味偉大。本書は本書で2008年という風景を切り取った作品としては十二分の価値があると思う。