MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/06/20
荻原 浩「愛しの座敷わらし」(朝日新聞出版'08)

 「朝日新聞」に二〇〇七年一月三十一日から十一月十九日にかけて連載された作品が単行本化されたもの。

 食品会社の課長を勤める高橋晃一に東北にある営業所勤務の辞令がくだった。事実上の左遷だが、念願の広々とした築百年以上の一軒家を借りることにし、専業主婦の妻・史子、中学二年の梓美、小学校四年生の智也、そして同居中の母親・澄代の五人で引っ越しを果たす。晃一の勤務先まで電車で一時間、さらに最寄り駅まで車でも十数分という不便な生活。史子も梓美も智也もそれぞれいろいろ思うところはありながら、引っ越しに応じて新生活を開始する。暮らしはじめてすぐ、晃一と史子以外の家族は、絣の着物を着て頭をてっぺんで結わえた五歳くらいの男の子の姿を家の内外で目撃するようになった。最初は近所の男の子だと皆思っていたのだが、実は「座敷わらし」だった。智也、そして澄代はその存在に慣れてゆくが、全く人に害を加えることはなく愛らしい姿と行動をとり、時により見えたり見えなかったり。鏡を通じて、梓美と史子もその存在を認識するようになり、家族それぞれが抱えていた心の悩みや屈託が、コミュニケーションの密な田舎暮らしと相まって少しずつほぐれてゆく……。

環境が変わると心の持ちようもまた変わる。温かな筆致が嬉しい、家族それぞれ再生の物語
 家族再生転地療養(?)では、似たテーマを扱う奥田英朗の『サウスバウンド』を少し思い出したけれど、微妙に違うかな(いやいやかなり違います)。本作では型破りな登場人物はおらず、主人公はごくごく普通のサラリーマン家庭の家族一人一人。 一家の大黒柱の晃一は、仕事仕事の人生を送ってきながらも、家族とのコミュニケーション不足と仕事との距離感に悩み、妻の史子は、それほど大きな悩みはないながら、田舎暮らしの不便さと住民同士のやり取りの濃さに悩む。長女の梓美は、思春期らしい家族との距離感を持ちながら、前の学校の友人達の心ない言葉に傷ついているし、身体がこれまで弱かった智也は新しい友人関係ができるかに不安がある。澄代は微妙に認知症が入りかかっていて、夫を亡くして以来、生きる元気を喪っている。それぞれが、それぞれの悩みを抱えて日々くらしていた。そこに降りかかるのが地方への転勤である。
 サラリーマン家庭にとって転勤は、どうしても避けて通れない命題でもあるのだけれど、彼らの場合は幸運に恵まれている。その視点から捉えれば、実は「座敷わらし」という存在が無くても、彼ら家族は皆、元気と良好なコミュニケーションは取り戻せたのではないかと思うのだ。
 さらにそこで「座敷わらし」である。そもそもが家に幸福をもたらすシンボルであり、その成り立ちには哀しい背景があるとはいえ、あまり人に害はない存在というのが定説。本書でもその定説はなぞられていて、受ける印象は高橋一家の田舎暮らしの象徴のような存在である。ただ――、その象徴めいた存在が彼らの生活にかかわることによって、えもいわれぬユニークで温かな雰囲気が倍加されている。 座敷わらしは、ほとんど言葉もなく、かわいらしい動きだけ。だけど、そこに居るということによって、家族の話題とじわじわとしみいるような暖かみが物語全体に加わっている。
 その頂点ともいえるのが、これまで座敷わらしが見えなかった史子が、彼を見てからの悩みと、その悩みを勘違いしての晃一と梓美の絶妙のやり取りの部分。それを事情を知らない智也の視点で描写することで「笑える」展開になっている。ここできっちり視点人物を入れ替え、慌てる当人たちと冷静な周囲から、場面を立体的に組み立てているところが、荻原氏のさりげない技巧だと思う。

 また、サラリーマンとしての働き方に新たに目覚める晃一の姿にも、個人的には好感。それぞれの家族の視点で描かれている部分も、結果的にはどんな読者が読んでもそれぞれに感情移入できるようになっているともいえそうだ。誰が読んでも温かな、そして前向きな気持ちになれる一冊である。


09/06/19
獅子宮敏彦「神国崩壊 探偵府と四つの綺譚」(原書房ミステリー・リーグ'09)

 2003年に本書収録作品である「神国崩壊」にて第10回創元推理短編賞を受賞、その後『砂楼に登りし者たち』を東京創元社から2005年に刊行して正式にデビュー。本作が二冊目の単行本となる。

 華王朝の都・紫京。この華王朝には、警察業務とは別に身分の高い人々などが事件に巻き込まれた際に暴力や拷問ではなく、知力だけで解決を行う探偵府という捜査機関があった。代々探偵府を支えてきた利家の長男・利春は、上京の勅命を受けて父親の服喪から急ぎ上京を果たす。その門付近で老人と二人の女性を救うが、彼らは代々利家に仕える爺と、若き二名の女性助手・朱炎と朱光だった。利春が命ぜられたのは皇帝側近の甲貴藩王・朝栄達が殺害された事件。どうやら禁書となった「後雷輦邪(こうらいれんじゃ)」なる書物が関係していることが判明。利春は利家の先祖が残した同書を求めて廃京へと向い、禁書を入手する。そこには華王朝から歴史上抹殺された四つの国での物語が記されていた。それぞれ『神国崩壊』『マテンドーラの戦い』『輦の誕生』『帝国擾乱』と題された物語のなかに隠された秘密とは。そして甲貴藩王の殺害された理由とは。

作中作だけなら年間ベストクラスの本格ミステリ。それを挟むラノベ的要素をどうみるか。
 あとがきでもある通り、中国の中世の歴史を下敷きにした架空の歴史。この作中作にあたる四作の完成度が様々な意味で非常に高いのだ。この四作を読んだ段階で、本格ミステリ好き、かつ中国史好きという小生はめろめろである。もちろん架空といっても、超能力や魔法が登場するではなく、ただそういった超自然の力が今以上に容易に信じられ、そしてその力があると思わせることによるメリットが現代より遙かに大きい時代が創り上げられている。その作られた「時代」を背景に、本格ミステリの研ぎ澄まされた刃が振り下ろされる。これぞ快感。
 特に、四作品にて提示されているのが人智の及ばないような壮大な謎。その謎を(犯人が)現出させるにあたり、その点だけ取り出せばバカミスともいえるような苦労を裏側で行っていても、その見返りがあるという現実的な利点が小説内に存在する点がポイント。トリックのためのトリックという、アイデア一発勝負といったバカミスと表層上は似ていても、この世界においては大まじめという点は特筆すべき部分だろう。
 水槽の中で急死する女性と、同じ仕打ちをされても無事な女性。誰も背の届かない高い木の上に突き刺された死体。砂漠の中に消えたり、唐突に現れたりする巨大な石造りの城。孤島ミステリさながらにクローズドサークル内で発見される死体。それらに共通する、小説内の現時点からみた際の謎もある。ただ、探偵府といった設定を設けているこの部分については、助手の美女二人が戦闘で無敵、かつ嬉々として主人公に仕えているなど、歴史の衣をまといつつも、重厚な作中作に比して軽薄な印象が否めない。(邪推すると森福都さんあたりの中国舞台のミステリのイメージから離れようと努力した結果かもしれないが……)

 ただ、それでいてなお普通のバカミスとは確実な一線を画したレベルの高さは感じられる。本格ミステリ型の導入から始まり、特に動機の面でユニークなアイデアが用いられている『輦の誕生』が個人的には短編では年間ベストクラスの収穫。とある中国の史書が頭に浮かばない人にとっては何じゃこりゃかもしれないが、ものの見事にミスリーディングに嵌った。しかも手掛かりは序盤から明らかという……ヤラレタ。


09/06/18
関田 涙「マジカルストーンを探せ 月の降る島」(講談社青い鳥文庫'06)

 2003年『蜜の森の凍える女神』にて第28回メフィスト賞を受賞し、その後も講談社ノベルスを中心に作品を発表していた関田氏初の別レーベル作品。ただ、このマジカルストーンシリーズは続刊が定期的に刊行されているようで、シリーズとして一定の成功を収めているようにみえる。

 空手の女子全国大会優勝という目標を持つ朝丘日向(あさおか・ひなた)は、横浜市に住む小学校五年生。自分の見ている夢のなかで、「夢の調査官・ピエール正夢」という美形の青年と、その相棒のバクのハツと出会う。ピエールによれば全人類の夢を作っているというマジカルストーンなる存在があり、〈日の石〉の力の影響が強い日向に接触してきたのだという。日向は〈月の石〉を探しだすことに合意し、朝を迎える。その朝、日向のクラスでは宵宮月乃(よみや・つきの)という転校生を迎える。長野から来た身体の弱い彼女だったが、ある事件の推理で抜群の冴えを見せつける。ミステリー作家を目指す月乃と日向は、熱海から船で向かえるリゾート地・三日月島で行われる〈三日月石〉争奪ゲームに参加することになる。小学校五年生のコンビは、大人相手に立ち向かうことができるのか?

むしろ少女二人の知的冒険譚という趣旨強く、ミステリは薄め。物語のノリは良し
 実はこの「マジカルストーンを探せ!」シリーズの総集編にもあたる『名探偵 宵宮月乃 5つの事件』を今年読んでおり、そのベースになる作品群を読んでみたいなあ、と思っていたのが実現。――ただ、少なくともこの段階では、関田氏も様子見をしていたのであろうか、ミステリとしての要素をあまり強めてはおらず、むしろ少女二人による明るく元気な冒険譚といった趣が強い。設定にあたる部分も、年長読者はおろかこの世代からしても「何だこりゃ」というような登場人物が出てくるし、その上で一介の小学生に全人類の夢が託されてしまうという点も、思わずメフィスト星人か? とか思ってしまう。だが、第一設定に目を瞑っても、物語展開自体はテンポが良く、エピソードとして挿入される謎も、かなり軽めながらユニーク。
 特に最終試験で三日月島に伝わる「知恵の珠」を見つけるくだりなど、地図も「知恵の珠」の正体も(本格のやり方とは全く異なるが)意外性という意味でユニークなのではないかと思う。(さすがに最初の写真の謎は謎以前の話のような……)。その意味では、本書で一つ完結しているものの、関田氏自身がまだジュヴナイル分野が手探りで、物語の比重をどこに置くべきか迷いながら(決定は最終的に行っていることはもちろんだが)執筆されたのではないかと類推する。
 芯が強く正義感がある活動派の日向と、身体が弱く頭脳プレイが得意な月乃のコンビ。彼らも当然そうだが、他の人物にしても性格や境遇などの設定がラノベ的ではなく、あくまでジュヴナイル的である点も本シリーズの特徴。(逆にその点は今の読者が苦手とするのかどうかは不明だけれど)。

 謎の人物・怪盗ヴォックスも含め、作品としては展開や登場人物の配置がきちんと計算されており、テンポも流れも良いため、対象読者ならずともするする読める。また、児童向けということだけが理由ではなかろうが、一般向け作品の時よりも文章が読みやすい。次作以降に含みも持たせてあり、もう一冊くらいは読んでみようかなあ、という気になっている。


09/06/17
新庄節美「名探偵チビー 一角ナマズの謎」(講談社'96)

 名探偵チビーシリーズのうち、『黄金カボチャの謎』と共に最終配本となった一冊。残念ながらシリーズ終結は想定されておらず、通常の作品と同様の締め括り方となっている。

 チビーの口先に騙されてニャットが学校で居残りをさせられていたある日、先祖が荘園を支配していたネコネ一族の一人、キャラメル=ネコネが事件の依頼のためチビーの元を訪れた。先祖から一角ナマズを一族の紋章として、守り神として信奉し、現在は一角ナマズの沼というばかでかい沼の側に大きな屋敷を建てて住んでいるネコネ一族。その門のレリーフが破壊され、ロッキングチェアが木に吊され、日時計が砂のなかに突っ込まれ、さらにはどこからか持ち込まれた塩のなかにドアロッカーが埋め込まれた。現場を訪れたチビーは、いたずらの対象が全て一角ナマズに関係しており、事件が五月の風市南部に残る伝説をベースにした童歌の順番に発生していることを看破するのだが、犯人特定には至らない。そんななかケッコー警部が現れて現場を混乱させ、一族の誰もが次の事件を警戒しているなか、沼の側にあった一角ナマズの石像が爆破されるという事件が……。

わらべ歌の順番に発生してゆく日常の謎、そしてチビーがギブアップした事件の真相は……?
 冒頭に、(当然作者が考えた)八番まであるわらべ歌が掲載されている。『一角ナマズの七人の王子』と題されたそれは、一角ナマズの王子たちが自らの勇気を示すために世界へ冒険の旅へと出るが、自然現象をはじめとする苦難に出会った結果、それぞれ命を落とし、最も臆病で慎重だった末の弟だけが生き残る……という内容。上記した通り、この順番に似たような状況の事件が発生する……と、ここまで書けばクリスティの某作から始まり、様々なオマージュが存在する本格ミステリの一系統のど真ん中ストーリーであることが判る。作品ではページ数の関係か、依頼時点で既に四件の奇妙な事件が発生しており、一連の事件がわらべ歌と内容が重なっていることは類推が容易い。
 それだけ本格に真っ向から挑戦していながら、そしてこのチビーの世界を崩さないまま、新庄節美さんは読者の裏を見事にかいてくれている。 なぜ、わらべ歌に事件をなぞらえる必要があったか、という部分。○○を誤認させるという基本を思い切り外し、別の人間の特徴からあることをする必要があり、そのあることを覆い隠すために、という三段論法が裏にあり、ここにまず唸らされた。さらに、なぜ犯人がそんなことをする必要があったのか。この点もかなりあからさまにヒントがあったのに、そこまで事件とを繋げることが出来なかった。小生が単に注意深くない読者だった可能性もあるが、本格ファンの方には一度試されたい。サプライズという意味では正直大したことはないが、作者の狙いや周到さについては必ず感心していただけるものだと思う。

 不定期に入手しては読んでいるところがあり、なかなか順番通りに進められなかったが、どこから読んでも充分楽しめた。本格としてはレベルの差異が各冊ごとにあることも間違いないとはいえ、手に入れる機会があれば何冊か読んでみて頂いて一向に損はない。特に本格ミステリファンであれば是非。


09/06/16
湊かなえ「贖罪」(東京創元社ミステリ・フロンティア'09)

 2007年に短編「聖職者」にて第29回小説推理新人賞を受賞し、2008年には受賞作を含む『告白』が一大ムーヴメントを巻き起こし、各種ランキングにランクインしたほか第6回本屋大賞を受賞している。本書は著者三冊目の書き下ろしとなる単行本。

 空気が美味しいということ以外に何の取り柄もない田舎の町。旧態依然の田舎暮らしをしていた人々には大した不満はなく日々が過ごせており、それは紗英、真紀、晶子、由佳といった小学生の少女たちにとっても同じ意味があった。しかし、その空気を目当てに大手メーカーの足立製作所が大規模な工場をその町に建設、その会社に勤める人々の社宅に住む人々もまた町に入ってきて、少女たちの関係は微妙に変化を起こす。町の人たちの不用心を当たり前に、飾ってあるフランス人形を見に行ったり、山奥にあった人の住まない別荘に入り込んで探険ごっこをしたり。そんなお盆のある日、彼女たちと父親が足立製作所の要職にあるエミリとが学校校庭でバレーボールで遊んでいたところ、作業服姿の男が手伝いを依頼してくる。五人のなかでもエミリが選ばれ更衣室に連れてゆかれ、そこでエミリは暴行を受けた挙げ句に殺害された。四人の少女たちは、男の正体に関する決定的な証言を提示できないまま時が過ぎ、エミリの父親は少女たちを犯人扱いして糾弾する。彼女たち四人が二十代半ばに差し掛かった頃、事件の事を引きずる彼女たちによる事件が次々と……。

人の心に残された棘と傷を、あくまで天然ダークのなかで描き出し、全てが繋がってゆく姿を……。
 湊かなえさんは、当面単行本の題名は漢字二文字シリーズということにするのだろうか? と本書の題名を最初に聞いた時は思った。それはそうと、MYSCONでインタビューを聞いて思ったのは、この腹黒さ、湊さんの天然として保持されている才能であるということ。基本的には、時効寸前、十五年前に発生した痛ましい事件――少女暴行殺人事件の後遺症が残る四人の少女が巡り会ってしまう四つの事件から構成され、それを束ねるかたちでもう一人の関係者の告白が絡まる。
 はっきり言ってしまえば『告白』と比べて、大して構成としては変化がなく物語構造としての作者の引き出しの数を懸念してしまう部分もある。ただ、別の角度からの登場人物に不随するリアリティが強烈で、あまりその点を瑕疵と感じさせない迫力が素晴らしい。冒頭の『フランス人形』については、単なる異常犯罪者ものであり、事件の背景をイントロデュースするのみで、事件そのものにそれほどのインパクトはないのだが(とはいっても女性の生理と絡めるあたりは女性作家ならではの生々しい迫力がありますが)、二作目の『PTA臨時総会』から、作品の持つ迫力が加速する。 事件そのものは平凡だが、マスコミであり、善意を標榜する第三者や、本来関係者であるはずの父兄の態度といった無責任・身勝手な類推をすっぱりと当事者が反論をもって切り落とす。全体にこの作品は現代の学校現場としてリアルで、箸の使い方を学校に文句言う父兄とか実際にいそう……。この短編では主人公に思いっきり移入してしまった。ただ、『くまの兄妹』『とつきとおか』と続く物語も、酷すぎるというくらい登場人物の運命が悲惨であり、ミステリとしての驚きもあるものの、むしろ事件の影響によって不幸にさせられた登場人物の姿が病的に深く描かれる。五人目の告白として描かれるエピソード『償い』は、当事者女性のあまりの軽薄さが気になるが、彼女のアホさ無責任さ加減含めて事件の遠因となっている点は、当然作者の計算のうちなのではないかと考える。
 中学に入り立ての彼女たちを呼びつけて一方的に攻撃的発言を行った女性も含め、全体に病的で狂的。ただ――、巧いのはその隙間隙間に込められた伏線がラストまでに必ず活かされている点。本格とは微妙に異なるかもしれないが、近年流行の「伏線の美学」が全体として体現されている。結果的にそういった伏線が見えない糸となって、作品全体を緊密に繋げている点が湊作品の最大の特徴と、現在のところはなっている。

 先に述べた通り、『告白』ともガジェットで重なる部分が多くある一方、「そもそも本来の被害者・エミリちゃんの立場は?」という部分に最終的にスポットが当たるところ、そして五人の告白が終了したあと、締め括りとして使われる『終章』において、そういった疑問が一気に氷塊する。実はこの、物語の救い方が、さりげく本作の最大のポイントのようにも思われた。


09/06/15
太田忠司「本格推理コレクション ベネチアングラスの謎 霞田志郎の推理」(祥伝社NON NOVEL'00)

 太田忠司氏の代表的名探偵である「霞田兄妹」シリーズ、初の短篇集。書下ろしとなる最後の一編を除き、全て『小説non』に、一九九八年八月号から二〇〇〇年六月号までのあいだに発表された作品であり、ノベルスの刊行タイミングと長編の進行具合は完全にはマッチしていない。(というのは人物の関係性に微妙に影響があるので……)。

 多数のベネチアングラスが飾られたお洒落な個人病院。その院長が殺害された。現場で一つだけ割れていたベネチアングラスの一輪挿しが導く真相とは。 『ベネチアングラスの謎』
ジグソーパズルが趣味の女性がパズルを1/5だけ組み立てた状態で殺害された。死亡時刻推定には作成に要した時間が計算されるが……。『パズル・パズル 黒百合館殺人事件Part I I』
 粘着質な性格のカーディーラーが殺害された。彼が残したホームページ上の日記とその記述内容からその殺害時刻が類推されたが……。 『死の刻印』
 路上でいきなり車からの銃撃を受けた志郎。犯人たちが残した言葉は「みぎだ!」しかし、車の進行方向は逆の左方向だった。 『みぎか、ひだりか』
 亜由美の過去にまつわる事件。マリッジブルーということで亜由美ら数名が、共通の友人を訪れる。しかし当の女性は彼女たちの目の前で部屋に閉じこもって自殺を……。 『マリッジ・ブルー』
 千鶴の幼い頃の思い出。昔、よく見た悪夢をまた見た。四角い箱のなかに入れられた猫と女の子。千鶴が体験した過去の事件、そしてよく似た現代の事件の行く末は。『四角い悪夢』
 三条が刑事になるきっかけとなった過去。やはり刑事をしていた三条の叔父が殉職した。三条は常に叔父の妻である叔母に、ある理由から貴方が叔父を殺したのかと聞きたいと思っていた。 『紫陽花の家』
 面識のない女性にいきなり呼び出され、彼女の友人に非道を働いたと面罵される志郎。しかし当然そんな心当たりなどなく、アリバイもある。千鶴の同人漫画繋がりを調べるうちに、相手の方の心の問題が浮かび上がってきた。 『ウィザウト・ユー』 以上八編。

短編ならではの推理のキレが鮮やか、そして短編だから描けるそれぞれの信念や苦悩も
 霞田兄妹シリーズも巻を重ね、霞田志郎や千鶴の二人だけではなく千鶴の彼氏に昇格した三条や、志郎に淡い思いを寄せ続ける亜由美なども重要な役割を与えられるようになってきている。一方で、長編作品では主人公である志郎以外、千鶴も含め脇役を強いられるために、なかなか彼女たちについて描かれにくい部分がある。本書は当然一個一個が短編ミステリではあるのだが、その背景(生い立ちや、なかなか本編で触れにくい個人的エピソード)を補完する意味合いがある。(待てよ、その意味ならば霞田家のもう一人(一匹)ヨークシャーテリアのダミアンの物語があっても良かったのでは)
 その意味では、真犯人役が「色の悲劇シリーズ」になってからのある重要人物を彷彿とさせる『パズル・パズル』なんかもユニークな存在で、しかもこの短編集に相応しい一編だといえるようにも思われる。
 ただ、そういった人間関係やドラマ(が一つ、本シリーズに限らず太田作品の魅力になっている点はもちろんあるにせよ)が盛り上がることとは別に、この作品集は本格ミステリとしての解決におけるキレが目立つ作品が多い。 『みぎか、ひだりか』は、太田さんにはかなり珍しい一発芸のような作品だけれども、それ以外の収録作品はパズラー的要素が強く、様々な手掛かりがかっちり嵌り、志郎によって謎が解き明かされた後に独特の開放感が伴われる。 特に『四角い悪夢』のちょっと突飛なのだけれども恐怖感を誘う設定や、『パズル・パズル』のロジカルな展開は、本格ミステリファンであればかっちりした構成と論理美に酔うことができるだろう。また表題作も推理展開としては地味にみえるが、背後にある人間模様までもが謎解きに付随して浮き上がってくる展開がスリリングなものになっている。人間ドラマとしては書き下ろし『ウィザウト・ユー』が際立っている一方、どんでん返しが多い分、通常の意味でのミステリーとしてはとにかく、本格としてみた場合は少し弱いか。

 霞田シリーズについては現在、クライマックスとなっており全体にある程度はシリーズを順に踏んだ方がベターではあるのだが、この短編集に限ってはシリーズのどこで挟んで読んでも純粋に楽しむことができます。太田さんらしさも滲み出ているし、ミステリとして楽しむだけでも勿論吉。


09/06/14
翔田 寛「やわら侍・竜巻誠十郎 夏至闇の邪剣」(小学館文庫'09)

 翔田寛氏は2000年に「影踏み鬼」で第22回小説推理新人賞を受賞してデビュー。更に'08年には『誘拐児』にて第54回江戸川乱歩賞を受賞している。――のだが、ここのところ時代小説を文庫書き下ろしで発表というのが多いような気がする。本作も実は「やわら侍」シリーズの二作目。書き下ろし。

 江戸は享保年間、徳川吉宗の治世。その吉宗の側近で御用取次の役目を負う加納久通は、庶民から投書される目安箱を預かっている。ただ、目安箱による対応にはルールがあり、証拠のない噂だけの投書は無視することになっていた。しかし、このたび、真言宗の幸徳寺の高僧・栄如に怪しげな振る舞いがあり、いかがわしい女性と通じており、寄進された仏像を売り払っている噂があるとの投書、更には栄如に心酔している徳川家の実力者・月光院からも同様の噂を聞く。久通は、竜巻誠十郎という柔術の使い手である浪人に、密かに「目安箱改め方」を命じており、今回の件も調べさせる。誠十郎の調査により、近々大規模の法会が行われる、その幸徳寺付近では確かに怪しい情報があることが判明する。近くの大店の女房が狐憑きになり、人魂や不気味な泣き声など、あたかも幸徳寺を中心に怪異が発生しているような状況みえた……。

伝奇の一歩手前で踏み止まり、真相はあたかもホームズ……意外性豊か、ユニークな時代小説かと
 前作を読んでいないことを気にせず読めた。(とはいえ順に読んだ方が良さそうなのは確かなのだが)。この手の時代小説では浪人者の主人公の大半は剣士で、しかも剣の道を究めていたりするケースが多いのだが、本書の主人公は一ひねりして柔術の使い手。剣を持った相手に対しても素手で立ち向かう点がまずユニーク。ただ、その主人公が単に大活躍するだけではない。
 徳が高く、庶民にも慕われている僧侶に起きた誹謗めいた噂。更にその僧侶のいる寺の周囲で発生する怪異。ただ、その怪異にも、全体的な企みにもきちんとした理由がある点が最終的に明かされる。 その手順も本格ミステリのそれが応用されており、伏線や手掛かりがしっかり出ている。終わってみるとミステリ的には有名に過ぎて作者を明かすのもためらわれるくらいの作品のトリックを応用したものなのだが、なぜそのような行為をしたのかという部分にも確たる理由があり、その陰謀も最初から伏線含みで書いてある点により、全体の説得力が高いものとなっている。さすがにミステリとして高い評価を与えることはためらわれるものの、そのミステリとしてしっかりとした骨格を備えていることは特記しておきたい。ただ一方で、主人公の探索方法自体が多少ワンパターンに過ぎており、一種ハードボイルド系の定石とはいえ、もう少しバリエーションを意識しても良いようには思えた。
 もうひとつ、一作目もそうだったのかもしれないが、江戸庶民の生活の様子が様々なかたちで描かれ、情景が豊かな点も特徴だ。特に食事の様子や長屋での暮らしといったところが、非常に暖かく描かれており、それがまた主人公の独特の人格とも結び付いている。文章自体は平易だし決して古臭くないながら、江戸の雰囲気に物語がしっかりと根を張っているところは印象が良い。

 翔田氏の作品を幾つか読んできているが、江戸時代から明治時代まで守備範囲が広く、かつどの時代においてもまず時代をしっかりと描くことに腐心しているよう見受けられる。ただ、その方法論は正しく、その結果物語がじっくりと楽しめる。本書も(活字が大きいし)すんなり読み終わる系統であるが、裏側では作者の切磋琢磨と工夫が相当量込められている。前作も気になるのでいずれ読んでみたい。


09/06/13
道尾秀介「龍神の雨」(新潮社'09)

 『小説新潮』に二〇〇八年四月号から八月号にかけて連載された長編作品。

 台風のような雨が降る日。中学生の溝田辰也、小学生の圭介の兄弟は龍について語り合う。雨も風も龍が起こし、人が怨みながら死ぬと龍になる。「母さんも龍になったぞ」――。圭介は身体の弱かった実の母親を殺してしまったのは自分だと悩み、その母親が死んだ海辺にいた父親の再婚相手、現在の母親め里江に辰也は決して懐こうとしない。辰也は、里江が母親の死に関係あると信じている。辰也は里江を困らせるための万引きを繰り返し、ある晩、嫌がる圭介を誘って「」に出かける。その店で働く添木田蓮。彼もまた中学生の妹・楓と、継父・睦男と暮らしている。継父は二人の母親・桜の再婚相手。だが桜は七ヶ月前に自動車事故で死亡。睦男はその後、酒に溺れて失業、まだ幼い桜に対する視線が歪んできていることを蓮は感じ取っており、蓮は睦男に殺意を抱いていた。未必の故意を利用して睦男を殺害する仕掛けをした蓮は、その晩、万引きをしようとする辰也と圭介の兄弟と出会う。高ぶる感情に辰也を殴りつける蓮。しかし、出かけている店長の に連絡することは結局止めにした。しかし、添木田という名字に辰也は不思議な反応を見せる……。

ミステリとしてのサプライズは弱め、嫌め。罪なき兄弟・兄妹が被る罰に心引き裂かれるような気分に
 降りしきる雨、という設定がもうなんとも。血の繋がらない親と生活する兄妹と兄弟。二組の兄弟たちがすれ違い、絡み合い、そして誤解とコミュケーション不全(不足とは異なる)から、親との断絶があって、そして事件が……。
 本書から始まったことではないが、既に、道尾秀介という作家は本格ミステリ界だけに縛り付けきれなくなってきている。元より本人にそんな自覚が無かっただろうし、ジャンルが創作を制約していることもない。ただ、本作あたりはその囲い込みを完全に抜け出して道尾文学への道筋を踏み出したかのようにみえる。道尾作品には、本作含めかなり大胆なサプライズがあり、どんでん返しがあり、これまではむしろそのサプライズの大きさゆえに、ミステリファンに支持されているようなところがあった筈。しかし、本作あたりはミステリはあくまで手段と割り切り、作者自身が訴えたいことが前面に押し出されているように思うのだ。あくまでミステリの手法はその「訴えたいこと」の演出のために存在するに過ぎない。
 おかげで、ミステリとしての真相は全てとはいわないまでもコアの部分については「ああ、こいつが……」という点は比較的すぐ気付けるようになっている。だが、最終的には彼ら兄弟たちの残された罪だけが残る。 誰が悪いわけでもなく、彼らもまたむしろ被害者であるのに。希望があるようにみえての座りの悪さ。これが道尾文学の真骨頂。

 ネガティブな感情はネガティブなまま。罪は罪のまま。決して美化しない。誤魔化さない。だけどなぜそうなったのか、そうせざるを得なかったのは、本当に個人に帰する理由なのか。犯罪を誤魔化さないことと同時に、その他の人々の態度や社会といった問題点についてもきっちり描ききる。サプライズはもちろん期待値としてあるのだが、この潔さに惹かれてまた道尾作品を手にとってしまうのだ。


09/06/12
大崎 梢「スノーフレーク」(角川書店'09)

 ミステリ・フロンティアで刊行されている、本屋店員を探偵にした『成風堂書店事件メモ』シリーズで、全国の書店員の人気を博した大崎梢さん。最近は創元社以外でも作品発表が続いており、本書もノンシリーズの書き下ろしで刊行された一冊。ちなみに書店は登場していない。

 函館に住む高校三年生の真乃。周囲は受験の準備で慌ただしいなか、彼女は既に推薦で東京にある大学への進学が決まっていた。可もなく不可もなくという顔立ちで目立たない真乃であったが、愛嬌があって高校でも人気のある亨とは幼馴染み。しかし、真乃には小学校六年まで○と一緒に仲良くしており、無理心中に巻き込まれた速人のことをずっと気に掛けていた。自動車で家族が海に飛び込み、少なくとも他の四人の死亡は確認されたが、速人の遺体だけは発見されないままだった。亨の誘いに応じて初めてのデートをした日、別れ際に真乃は街中に佇む、速人の面影を持つ人物を見かけてしまう。さらに、速人一家への墓参りの時に速人をそのまま大きくしたような人物に会い真乃は錯乱。しかし、彼は速人の従兄弟で二つ年上の勇麻と名乗った。札幌に住むという勇麻の周囲でも、速人が生きているのではないかと思われるような奇妙な事態が起きているといい、二人は速人の思い出が残る場所を一緒に巡ることになる。真乃の友人・シーコや琴美、そしてもちろん亨はそのことがあまり面白くない。

揺れ動く”乙女心”という解釈が漠然と強要されているよう。微妙にノリにくい、でも少し不思議な青春小説
 いいや、印象を正直に書いてしまおう。物語の逆算が足りていないがために、元の設計図に歪みが生じている。 ひとことでいうとそんな感じ。
 というのは、中盤から終盤に至るまでは一部、作者の想いが空回りしているように思われるところがあるものの、ミステリアスでそう悪くないな、と思っていた。空回り、というのは主人公の真乃。彼女の心が揺れすぎているうえに視点人物でもあるため、読者もまた混乱させられてしまう展開になっているから。六年間も思い続けた、無理心中で死んでしまって今はいない速人の存在が心のなかにありながら、幼馴染みの亨と、そして速人の面影を残す従兄弟なる存在のあいだで揺れる女心――がテーマのはずが、揺れ方に一貫性がないように思えるのだ。ちょっとしたきっかけでシーソーのバランスが一気に崩れてしまうし、その揺れる主人公に周囲が振り回されているのに主人公がどうやら猪突猛進型ゆえに気付いていないという身勝手さ。しかも身勝手である自分が物語を支配しているがために、その自覚が作品中では見られない。読者立場として、そんな性格が悪い(敢えていえば)女性の視点で物語を読まされるのは実は少々辛いのだ。(ただ、もしかしたらこういう揺れ方もまたリアルを訴えようとしたため、といわれると返す言葉はないけれど)。
 ただ、そのバランスが悪かろうと、六年前に死体が発見されなかった、もしかしたら生きているかもしれない――という中途半端な気分に読者を放り込むセンスは悪くない。明確なヒントが出てこないため、いかようにも解釈が出来てしまう。もちろん従兄弟と名乗った人物が、実は速人本人なのではないかという疑い(たぶん違うだろうと思いながらも)が晴れないのだ。結果的に明らかにされる「謎」の真相なども意外性とドラマがあった。
 そして終盤近くで、速人が抱えていた秘密が読者に明らかにされる。だが、そのネタを物語に持ち込んだことが最大に物語バランスを崩して「あれ? あれ?」といった状況を引き起こしている。ネタバレになるので詳しく書けないのだが、その事実が明らかになることによって残り少ない結末へ至る展開(恋のやり直しだとか)はスムースになっている。逆に、あまりにも伏線も何もないところから唐突に明らかになっている点が大きなマイナス。本当の恋すら知らない高校三年生というのであれば許容しないとならないのだろうが、前半部における主人公が速人に向けて六年間持ち続けた熱意や仄かな恋情といった展開は「実は嘘でした」ということになりかねない。恋愛もの+ミステリゆえの難しさでもあるのだけれど、やはり読者の立場からしてもなかなか得心しにくい真相だと思う。

 読後感自体は悪くなく、むしろ青春小説としては上々の中身。 ラストの二人の会話なども予定調和とはいえ微笑ましくなってしまう。ただそれでも主人公(視点人物)の感覚が揺れすぎて、読者が振り回されて船酔いしてしまいそうになるところが残念。やはり長編の構成は最後から逆算して創り上げて欲しいものだ。これもやはり大崎ファン向けかも。


09/06/11
清涼院流水「コズミック・ゼロ 日本絶滅計画」(文藝春秋'09)

 生まれ変わった清涼院流水の”新たなるデビュー作”という触れ込みで書き下ろし刊行された作品。デビュー作でもある『コズミック』とも題名が重なっているからであろうか。ちなみに2009年の5月〜6月にかけ、清涼院氏は各社から新刊を立て続けに刊行中である。

 外資系企業に勤務する工藤大地は、両親を亡くしており、祖父祖母との三人暮らし。一月の終わりには春野海(はるの・うみ)という女性と結婚する予定で、海の弟・空(そら)との相性が少し悪いことが気がかりながら、平穏無事な未来を信じて止まなかった。そんな二人が大晦日の夜から明治神宮への初詣へと出かけるが、人混みのなか大地が携帯電話を落としてしまい、二人は参拝を諦める。しかし、日本の初詣参拝客上位十箇所に訪れた人々が全員行方不明になる事件が発生、更に警視庁・警察庁をはじめ、全国各地の警察署が何者かによって占拠された――。一連の動きは(ゼロ計画(コズミック・ゼロ)〉の幕開けとなった。それぞれが特殊能力を持つ若者七人組“セブンス”、そしてそのリーダーのタクトを頂点とする実行組織が、日本から人間をゼロにする計画を実行に移したのだ。日本を影で支配する”老公”から資金を引き出し、各国の諜報機関が暗躍するなか、都市の主要電鉄から人間が消え、更に都市を直接襲う災害テロが引き起こされる。果たして日本はどうなってゆくのか……。

テーマは悪くないものの、清涼院作品の軽さが内容と釣り合わないところが厳しい
 JDCの登場しないコズミック、ということでどうやら清涼院氏はメフィスト賞で良くも悪くも衝撃のデビュー以降のオンリーワン路線からの転換を図ろうとしているように思われる。ただ風呂敷を拡げすぎてしまうところと、終盤に至って真相が明らかになってゆく過程で結局のところ読者にツッコミどころを多数残しているという点は、少なくとも本作ではあまり変化がないように思えた。
 ただ、一ついえるのは清涼院氏の文体が変化した、というか一般的な小説らしい文章になってきており、読んでいて特異な言語感覚ゆえの日本語で引っかかるといったことが無かった点は、確かに作者の変化は実感された。また英語を原文で書いて訳を付けるところなど『Perfect World』シリーズ同様、近年の清涼院氏の英語への傾倒も感じられる。
 そもそも、初詣に人が多数集まるからといって、その全員を”消す”ことは不可能ではないにせよ、例えばその目撃情報がないだとか、密室状況にない環境下で順番に移動している数万人以上の人々に対してある効果を例外無しに全員に与えるとか、やっぱり最初から無理があるように思うのだ。その「不可能ではない可能性がある」をそのまま物語上では「だから出来る」に置き換えて進んでゆくため、パニック小説特有の息が詰まるようなサスペンス感が本書からはどうも感じられなかった。(個人的には、大規模テロの場合はまず携帯電話・インターネットを含む一切の情報伝達手段を遮断するところからスタートするもんだと思います)。
 登場人物にも理性的な動きが多く、ジェノサイド前提の終末ものにつきものの狂気や破壊の描写が穏やかで、そこもまた現実性が感じられない理由の一つとなっている。

 いずれにせよ、作風は変わったことは認められるものの『コズミック』で味わったような衝撃は良くも悪くも残念ながら得られなかった。終盤にある人物の正体でサプライズがあり、付随して偶然に思えた事柄が仕込みであったというような種明かしがあるものの、全体の違和感へのリセットには至らない。結果的には変化はみられるとはいえ、これまでの延長として清涼院氏らしい作品であり、あくまでファンの方向けのように思われた。