MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/06/30
新庄節美「名探偵チビー 泣き虫せんたく屋の謎」(講談社'94)

 「名探偵チビー」シリーズの五冊目として刊行された作品。このシリーズの単行本版は各巻ごとに色が異なり、本書は緑色。

 最近、チビーにめっきり元気がなくなったことを探偵助手のニャットは心配している。そんななか、クラスメイトでもある新聞記者・タラッタ・ダンスが五月の風市で開催中のサーカスのチケットを準備してくれることになった。それでもチビーの心は晴れた様子はなかったが、サーカスに向かう途中、彼らは道ばたで大泣きしているアライグマと出会う。アライグマはジブザブクリーニング店の主人・ラック・ジブザブさん。用事があって一晩家を空けていたところ、干していた洗濯物が地面に散らかされていたのだという。警察の訪問を待っていたジブザブであったが、駆け付けたケッコー警部は素通りして隣家のウッタン・オライリー博士のもとへと向かう。博士の家では重要な軍事機密が盗難に遭ったのだという。博士からも捜査の依頼を受けたチビー。盗まれた機密が特殊な水中潜行艇であることを知り、徐々に元気を取り戻してゆく。彼らは捜査の結果、サーカス団のなかに犯人がいることを突き止め、団を訪れるのだが……。

本格として、シリーズ中ではかなり易しめ。チビーの屈託が全体のなかのポイントか
 町を訪れているサーカス団、しかしその期間中に事件が……、という展開。これは新本格というよりも、少年少女向け探偵小説にありそうな設定だ。日常に割り込む非日常の祝祭空間と犯罪との甘美なマッチング――などと書くと多少大袈裟かもしれないが、やはり日常よりも非日常に人間は心躍るものではないか。
 さて、事件の方は、他のチビーシリーズも読んでいる方々には比較的見えやすいのではないか。シリーズをこれで読破してしまったことになるので余計に感じるかもしれないが、謎作りに新庄氏のクセみたいなものがある。基本的には物語の最初に奇妙な事象が発生する。これが目眩ましやレッドヘリングを構成しつつ、二番目に発生する事件が本丸でその二番目の事件を構成する一部分として最初の事件がある――というものだ。最初の事件そのものが犯人の目的ではなく、手段ないしは行動の結果であるという点に気付いてゆけば、自ずと事件全体がみえてくる。……とはいっても、ミステリマニアの大人の読みなので、本来の対象読者はそういう風には読まないだろうけれど。
 今回、珍しくいつもは生意気で元気のあるチビーが沈んでいる。そのチビーがやる気を取り戻したのは、サーカスのチケットでもなく、魅力的な謎でもなく、この事件を解き明かした暁に手に入れられそうなあるものである点が、シリーズ全体のなかでもポイントなのではないかと感じた。名探偵であり、市の人々の信頼を得て、恵まれた友人をもっていても、チビーの心の底には、いつでも両親のことがあるという少し寂しいエピソードでもあるのだ。

 果たして、湖の調査に出たまま失踪してしまったというチビーの両親はどうなったのか。シリーズが完結しておらず、この点に答えはないのだが、本書ではその謎への調査手段を入手したエピソードだともいえる。果たしてこの答えを新庄氏が用意していたのかどうか、通して読むと微妙に気になるところだ。


09/06/29
東野圭吾「パラドックス13(サーティーン)」(毎日新聞社'09)

 『サンデー毎日』二〇〇七年五月二〇日号から二〇〇八年五月十八日号にかけて連載された長編作品の単行本化。ノンシリーズ。

 宇宙科学研究本部からブラックホールの影響により、”パラドックス13”現象が発生する――。日本政府もその事態を把握していたが、実際そのタイミングになってどういった事態が発生するのかもよく分からないため、その衝撃的な報告内容は公にされず、13時10分から20分の間に危険行動を取らないよう、内内に各省に通達されるに留まっていた。そしてその時。3月13時13分から13秒のあいだに世界は一変してしまう。警察庁で中国人犯罪者集団と対峙していた所轄の刑事・冬樹は、気がつくと誰一人いない東京の街に取り残されていた。必死で街中を探し回った結果、警視庁捜査一課の警視で冬樹の兄である誠哉や、女子高生の明日香などと邂逅、最終的に13人がほぼ無人と化した東京都内で合流を果たすことが出来た。最初のうちこそ生鮮食品があり、各種インフラも動いていたものの、それらも機能を停止してゆき、さらに大雨や地震といった災害が繰り返し東京を襲う。果たして彼らの運命は――?

人間の価値観は、倫理観は、道徳観は。果たして根源的な感覚は絶対のものなのか。東野圭吾が問う。
 ある程度、想像力のある、ないしは注意深い読者であれば、パラドックス13、つまりはパラレルワールドに放り込まれた十三人に共通事項がありそうなことはすぐ分かる。だが、そんなごく最初の簡単な推理なぞ忘れさせてしまうほどに、その後の展開における読者を引きずり込む「力」が強烈。ちょっとしたパニックを伴うものの導入部がまず上手い。
 最初期の段階では、舞台になるのは他の人間がいきなり消えてしまってはいるものの、インフラの整った無人の東京。食料も鮮度さえ気にしなければそこらにあるコンビニやデパートからちょいちょいと貰えばよく調達は難しくない……といったところからスタート。だが加速度的に状況は悪化し、ライフラインの停止、大雨、地震といった天災が絶え間なく彼らを襲い、東京は廃墟どころかコンクリートによって作られたバリケードへと化してゆく。食べるもの、寝る場所すら安全が喪われていき、徐々に極限状態に追い込まれてゆく登場人物たち。極限パニック小説、サバイバル小説といった様子になってしまうのだ。だが、そもそもそのいずれも東野圭吾の筆力をもってすれば、もっと究極の状態も演出することは出来たであろう不満(つまりはツッコミ不足)も若干残る。
 そこで改めて、帯の言葉をかみしめるとその描写不足もわざとであることが理解できる。基本的には、こういったパニック・サバイバル状態に陥っった人間の価値観、善悪の基準が変化してゆく様子こそが作者の描きたかった部分だろう。基準が変化するのか、外界が変化を強いるのか。十三人の中に、もともと冷静で判断力に優れた、警視庁のエリートである誠哉を配する一方で、熱血漢の冬樹、勝ち気な女子高生・明日香ほか、普通に弱い人々を多数登場させている。彼らがその場その場でどんな判断をするのか、そしてその判断は状況の変化、そして周辺状況の理解が進むにつれてどのように変化してゆくのか。序盤と終盤で、十三人(後半は人数が違うけれど)が、行う判断の差違こそが本書の読み所であると思うのだ。

 最後にある事象が発生して、このパラドックス13の正体自体も明らかになるのだが、そちらは感覚的には蛇足。とはいえ物語の締めくくりとしてはこうするしかないか。もちろん、あまり深く考えずにパニック・サバイバル小説として読んだとしても充分面白さがあるのが東野クオリティでもあるわけで。その楽しみ方次第で評価は変化しましょうが、奥深いエンターテインメントであると思います。


09/06/28
小路幸也「わたしとトムおじさん」(朝日新聞出版'09)

 『小説トリッパー』二〇〇七年春季号から二〇〇八年夏季号にかけて掲載された長編作品を単行本化したもの。ノンシリーズ長編だが、微妙に中編集のようなかたちで読むことも可能。

 懐かしい建物が移設された観光施設「明治たてもの村」には、建物の維持や商売のために幾人もの家族が生活している。そこに新たに松籟荘という古い旅館が移設され、実際に宿泊できるように改築がなされた。両親と離れ、祖父母の蕎麦屋に暮らす小学校六年生のニールセン・帆奈(はんな)は、帰国子女で日本の学校に実は今ひとつ馴染めない。もう一人、家には28歳になる斗六(とむ)という叔父さんがいて、斗六は斗六で子供の頃から対人恐怖症で引きこもりだった。手先の器用な斗六はたてもの村の細かな修繕などを仕事としながら少しずつ自分自身を克服、今は村のなかの知り合いであれば多少どもりながらも話はできるようになっていた。実はなかなか男前の斗六に、帆奈はいろいろと世話を焼きたがる。そして松籟荘の初日、斗六を知る女性が宿泊することになるが、他に前オーナーと現オーナーが宿泊、事件が起きそうな雰囲気になってしまっていた。そこで斗六は周囲の人々と協力して一計を案じる。

さまざまなかたちで心に微妙な傷を負った不揃いな人々たちが織りなす、心豊かな物語
 この物語の半分は、小路幸也の優しさで出来ています――。といった作品。
 先に述べておくが、この物語そのものにはいわゆる「悪意」がない。語弊があるかもしれないながら、少なくとも現代進行形の悪意と戦ったり、そういう気持ちをぶつけ合ったりという場面は登場しない。その分、現代の尖ったエンターテインメントに慣れた読者にとっては多少「ぬるい」といった印象を受けるかもしれない。が、あえてその裏側まで読み抜く目があると、なかなかに厳しい作品ではないかとも思う。
 というのは、本当に――主人公の帆奈にしても、題名になっている叔父さん・斗六にしても。その他登場する牟田さん、早坂さん、恭介くん、由一くん、内浦夫妻。それぞれがこの物語に登場する以前のどこかで深く激しく傷付いている。 本書に出てくる彼らは、傷ついたまま。その事実に反発して他人を傷つけたり、自分を傷つけたりといったことはしない。むしろ自分自身のせいだと自分を責め、それが行き過ぎた結果を一身に背負ってしまっている。その過程にどれほどの苦悩が焦燥があったか。そういった悩みを皆が皆、乗り越えてゆく。斗六おじさんとその周囲の理解。きっかけに過ぎないかもしれないが、そのきっかけを得られるところを読者として眺めることで「ああ、良かったね」と優しい気持ちになれるのだ。

 手先こそ抜群に器用、そして対象をみつめる観察眼の鋭い斗六叔父さんではあるが、ストーリーのなかに特に大きな謎解きがある訳でもなく、それぞれの物語についてもそれほど大々的な盛り上がりがあるわけではない。出会った人々がそんな不器用な生き方であっても前向きな斗六おじさんに出会って、自ら変化してゆく。読者が共に彼らの気持ちを感じること。それが本書の目的でもあり、存在意義なのではないかと思う。


09/06/27
はやみねかおる「恐竜がくれた夏休み」(講談社'09)

 画:武本糸会。 1996年に刊行された『バイバイスクール』、続いてのはやみねかおる第三作品である『オタカラ・ウォーズ』と続いてきた。(らしい)。本書がその、「夏休み三部作」最後の作品なのだという。朝日新聞出版から発行されていた小学生向け学習誌『学生向け学習誌「かがくるアドベンチャー』に連載されていた作品の単行本化。

 小学校六年生の美亜は、スポーツ少年団にも塾にも通わず毎日を退屈していた。そんな夏休み、毎晩同じ夢を見るようになる。恐竜が出てくる夢だ。不思議だな、と感じつつ、プールに出かけた美亜は、同級生で人当たりの良いヒデヨシと出会う。小学校低学年の子供たちと戯れていた彼は、その子たちも最近恐竜の夢を見るのだという。どうやら鍵は学校のプールにあるらしい。美亜は本好きの友人であるヒメと、いつも小汚い格好をして孤高の存在を貫いている仁と四人で、夏休み限定の少年探偵団を結成。示し合わせて夜のプールへと向かう。警察官のフリをして彼らを追い返そうとする夏なのにスーツを着込んだ大人もまたプールに来ていたり、何か不穏な様子がある。そんなこんなで時空石を利用して現代に現れた恐竜「ロロ」と彼ら は知り合うことになる――。

子供向け科学雑誌掲載というオリジンと、はやみねストーリーとの幸せな融合
 恐竜である。小学生と恐竜との交流の物語である。最近だと山田正紀氏が『雨の恐竜』という作品で似たテイストを打ち出しているが、本作はまたそれとはかなり異なる。どちらかといえば根本的には「はやみねテイスト」のストーリー。そこに「登場人物の一人として」恐竜が登場してくるものだ。エンターテインメントの諸要素、すなわちSFっぽさ、ファンタジーっぽさ、ミステリっぽさ全てを兼ね備えているものの、どれかのジャンルに括られるような作品ではない。強いていうならば、空想冒険小説といったところが一番近しいかな。
 小学生たちと恐竜とがコミュニケーションを取る、というだけでハードSFが前提であれば頭を抱えてしまうところだが、その点は実に「のんびり」した処理がなされている。テレポーテーション、時空移動、テレパシー。なんでもあり。 さらにユニークな造形によりそれぞれ個性が光る男子女子四人のあいだにある、ほんのりとした恋心と、ツッコミとボケがきっちり飛び交う会話の妙。このあたりは、もう「はやみねテイスト」とそのもの。そして実に楽しい。

 ただ、多少強引な設定の結果、間接的に表現されているのは、地球人類に対する様々なメッセージの数々。環境破壊の問題、人類の歴史や未来への思い、人間同士の協調の重要性。そういった部分を恐竜との交流を通じて、読者に気付かせよう(というほど強くない。むしろ気に掛けてくれると嬉しいというレベル)という配慮もまた、はやみね氏らしく、大人読者からしてもほほえましく感じられる。この夏休み、小学生の課題書としても通用しそうな、楽しくためになる(?)、そして温かな物語である。


09/06/26
小柳粒男「りべんじゃー小戦争 〜まち封鎖」(講談社BOX'08)

 第1回講談社BOX新人賞・流水大賞優秀賞を受賞した『くうそうノンフィク日和』に続き、あの魔女と戦士と有象無象と余計な者たちが帰ってきた。書き下ろしの小柳氏の第二作目。

 突然、使命に気付き異世界での殺戮を行った篠木と張戸。二人が使命を終えてしばらく。張戸は異世界で怠惰な暮らしをし、琴欧州は安馬と店名を変更しており、雇われマスター代理として填渡がなぜか働いている。元マスターの撒井はなぜかロシアに一人旅に出ている。篠木と張戸の出身地である――、そんな理由で殺戮に合った異世界人の遺族である幾嶋姉弟とその家族は、異世界(=町)に対して殺戮をベースにした復讐を誓い、着々と準備を進めていた。幾嶋は、彼らの出身高校に生徒として転校し、既にこの世界に侵入して定着している異世界人とのコンタクトを図る。異世界人との戦いが始まることを知った安馬のマスターらは、填渡とヤクザのコネクションを利用して武器を準備、襲撃に備える。一方では、異世界の方にも日本人は普通に流入してきており、張戸はそんななか、傭兵として攻城戦を指揮して欲しいという依頼を謎めいた女性から受ける。武器が必要という張戸の主張に対し、ショウコと名乗るその女性は指定の自衛隊ではなく、ロシアの武器を用意する。そして異世界では攻城戦が、現実世界では市街戦が開始された――。

前作の奇妙なハードボイルドから一転。無機質で理不尽な殺し合いの虚しさが淡淡と
 基本的には前作を読んでいることが前提。 でなければ、訳の分からない異世界同士の殺し合いの物語となってしまう。……、いや、街という小さな単位に収められ、戦う側と守る側があるものの、日常のなかでの市街戦は覚悟がない分、凄惨な殺し合い、特に学校で行われるその行為は一方的な殺戮となっている。決してソフトに描いてはいないが、狂気の宴を過不足ない筆致で描くため、血が飛び散る阿鼻叫喚の地獄絵図にもかかわらず、妙に淡淡とした世界を眺めているような感覚になる。
 個人的には、生徒会会長の並々ならぬ学校を守ろうという決意、しかしそのヒーロー的な主観とは裏腹に、雑魚キャラとして抵抗らしい抵抗も出来ずに「死」を迎えるその姿が心に残る。自らを自分で特別な人間であると思いこむヒーロー願望があり、その信念に基づいて行動したとしても、結局、死の間際まで(死んでも)その事実に気づけないというみじめさ。あくまで何となく、だが、よくいわれる口先で機会さえあればオレは大物なのだとうそぶく現代の若者(若者に限ったことではないが)の姿とも微妙に重なり合うようにも思える。その事実を小説内部で読者に突きつけるところに作者の底意地の悪さ(良い意味で)を感じてしまった。

 篠木という、物語ベースでも超の能力を持ち、戦いの結末を一人で決められる反則的な存在は、事件を終結させるためにだけ登場。彼女もまた英雄にみえるがそうではなく、一個の孤独な存在(そして繋がりを求めている)として描かれる。殺戮場面の迫力や、その展開で語りたくなる物語ではあるけれども、その裏側に様々な孤独とコミュニケーションへの渇望が潜んでいる。文章にはまだ向上の余地があると思えるが、小柳氏のセンスは確かに”ゼロ年代”の進化を予感させるものがある。


09/06/25
真藤順丈「RANK」(ポプラ社'09)

  2008年、小説賞の四冠を達成、エンタメ小説界隈の話題を攫った新人・真藤順丈氏。『地図男』で第3回ダ・ヴィンチ文学賞を受賞してデビュー。『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞大賞、本作で第3回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞。加えて『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞をも獲得している。

 2019年の日本。道州制により、首都東京を含む一帯は関東州と呼ばれる行政エリアを形成している。関東州では過去に発生した残虐な組織的無差別大量虐殺事件をはじめとする治安悪化の対策として無数の監視カメラ〈眼〉を街の中に導入し、州民の一挙一動を監視し順位付けを行うシステムを導入した。順位(RANK)は、十四歳以上の住民全員に導入され真・善・美の基準によって瞬間瞬間で上下に変化する。そして最下位付近の人々は、人口増加の抑制と犯罪防止のため、特別執行が行われ、即効性の薬物によって抹殺されることになっていた。その執行を行う「特別執行官」の元SATで頑健な身体を持つ佐伯は、変態性欲者の篠田とコンビを組み、下位ランクの人間を次々に残酷な手口によって「即時執行」を行うことで問題視される人物。但し業務遂行の成功率の高さから、彼自身のRANKは下がることはない。一方、人間性を無視した特別執行のやり方に疑問を持つ春日は、しばしば佐伯らと衝突ていた。そんななか、特別執行官を残酷な方法で殺害する事件が発生、被害者以外にも複数の特別執行官が行方不明になる事態となっていた。特別執行官たちはその犯人捜しに奔走した結果、組織的な犯行である可能性が浮上してきた。

力ずくで世界を創り、その世界根源の謎に挑む男たちの姿を謳いあげる。迫力のSFエンタ
 近未来の日本の姿をいささか強引なやり方ではあるものの、がつんと打ち出す。過去にも管理社会を描いた近未来小説はあり、それらと比較すると近い未来の日本の一部という点で親近感はあるものの、強引さもかなり目立つ。が、その管理社会そのものを描くのが主眼ではないとみる。
 むしろノワール系のハードボイルド小説の匂いが強い。 ――というのは、やはり佐伯というキャラクタの特殊性と存在感に依るものなのだが。一応、本作の主人公は佐伯ではなく、特別執行官という立場にありながら、人間らしい気持ちを持つ春日ということになるのだろう、本来恋愛対象としてはならない女性と禁断の愛を交わし、自分たちが”執行”した女性の遺児を不憫に思い、自分に出来るだけのことはしてやろうと思い悩む、心優しき男性だ。しかし、その存在感は佐伯というストイックな暴力衝動を持ち、目的に邁進していく人物の前では正直霞んでしまう。物語中盤からは、自分のやり方でこの管理社会の真実を突き止めようと突き進む推進力がストーリーを引っ張ってゆく。佐伯自身が根源的に抱えている恐怖、そしてクライマックスでのめちゃくちゃなやり方に至るまで迫力ある行動が続いてゆく。
 これだけの管理社会で、管理が緩んだ時に人々が暴徒と化す点は(描写が巧いことは認めるものの)読者でも読める展開であり、やはりその暴徒を煽るやり方、一般人を暴徒化させる方法といったところに作者のユニークなセンスを感じる。物語と直接関係ない市井の人々の生活とそのランクをしばしば挿入させる表現方法もGOOD。根源設定としての疑問をディティールで包み込んでしまっているということ。

 まだラノベで刊行された一冊を読んでいないが、三冊を読んで、その幅広い作風とそれぞれを水準以上でまとめあげているセンスに改めて驚く。本書も受賞作というよりも、中堅作家の渾身の一作といった印象で読み進めた。暴力場面も多く、決して御行儀の良い作品ではないが、物語自体に相当な迫力があることは間違いない作品だ。


09/06/24
恩田 陸「メガロマニア あるいは「覆された宝石」への旅」(日本放送出版協会'09)

 長編『上と外』で古代文明の跡地を描いたことがNHK関係者の目にとまり、並み居る締切を吹っ飛ばし(実際にふっとばしたのかどうか何て、作者と編集者以外は判りませんが)。

 NHKスペシャルで中南米の文明――マヤ・インカ――を扱ったシリーズ番組を放送することになり、番組で扱ったミイラなどが国立科学博物館で展示されるのと同時に連動企画で本を出すことになった。その三巻本の紀行文のパートを恩田陸さんが書くことになった。過去に『上と外』という作品でグアテマラを舞台にした冒険小説を書いたことがそのきっかけとなり、人気作家である恩田陸さんは、各社の編集者を激怒させながら日本を発ち、十七日間にわたるマヤ・インカ文明の遺跡を巡る旅へと出発する。最初は米国に入り、そこからメキシコへ。メキシコ、グアテマラのマヤ文明の遺跡を巡ったあと、南米のペルーへとわたり、インカ文明の遺跡を巡る。締めはマチュピチュ。もちろん一人旅ではなくNHKからの付き添いと各地ではガイド付きでの長距離旅行。果たしてマヤ・インカは作家・恩田陸にどんなインスピレーションを与えるのか?

静謐さと神秘が切り取られたかのような遺跡や周辺写真が雄弁。恩田さんはむしろ思索に耽っているよう
 幾つか創作のヒントが含まれており、実際に現地にてインスピレーションを得たといわれる小説の断片が幾つか(ほんの数ページではあるものの)含まれている。また、成田を出発してからメキシコへ、そしてグアテマラへ、ペルーへ。その道程と体験は、恩田陸というフィルターを通して確かに書いてある。書いてあるのだが、しかし。
 小説における饒舌さを、どこかこのルポでは喪ってしまったかのように感じられる。恐らくメモを見ながらかなり時間が経過してから書いたと思しき紀行文。やっつけ仕事とまでは言わないが、期待値が高い分なんというかそれほど文章から、現地の雰囲気がせいぜい伝わってくるという程度の文章で残念な気がしてならない。何を考えたか、どう思ったのか。思索の部分にユニークな恩田さんらしさは垣間見えるものの、描写という意味では本職(旅行ライターとか)に対抗できていない。
 むしろ味わうべきは、ハードカバーのこの手の単行本にしてはふんだんに使われている現地の写真であろう。 通常のお土産写真とは異なる、これもまた恩田陸さんのフィルターを通じて撮影されたであろう写真。(本文写真が恩田陸とあるので、この点は確実だ)。もともと本来メインで撮影したカメラのフィルムは空港のX線で焼けて使えなくなったというが、それでも掲載されている写真は何かを訴える。人間を撮るでなく、現地の珍しいものを撮るでなく、淡々と遺跡を巡る風景が登場する。文章で恩田さんが書ききれなかったであろう「何か」は、むしろ写真から伝わってくるように思うのだ。石造りの文化、滅びて観光地化している遺跡と、一方では秘蹟といっても良さそうな遺跡と。長い年月を風雨に耐え、今なお残る遺跡の方がむしろ雄弁に地球の裏側に住む我々に「何か」を伝えようとしているように思えてならない。

 小説としては、また本格的にこれらをモチーフにした作品が別に刊行されることだろう。マヤ・インカ文明がお好きな方と、恩田さんの書く文章はひとことたりとも読み逃したくない、という熱心な読者が手に取れば良いだろう。ただ、小生のように特段遺跡に興味が無かったにもかかわらず、不意打ちのように写真に魅入られる可能性はあるけれど。


09/06/23
関田 涙「怪盗ヴォックスの挑戦状 マジカルストーンを探せ! part2」(講談社青い鳥文庫'07)

 2003年『蜜の森の凍える女神』にて第28回メフィスト賞を受賞した関田涙氏。本書は、関田氏にとって青い鳥文庫初登場となった『マジカルストーンを探せ! 月の降る島』の続編にあたる作品。

 人間の夢を作っているという七種類のマジカルストーン。そのうち「日の石」と「月の石」は、小学生・朝丘日向と宵宮月乃の二人の活躍によって無事にピエール正夢に返却することに成功した。しかし、そのマジカルストーンはまだ日本にあり、石を付け狙う「怪盗ヴォックス」は諦めてはいなかった。そんな日向が学校から帰るとポストのなかから怪盗ヴォックスから「水の石」を頂くという挑戦状が。早速、日向と月乃は夢の世界に赴き(要は寝るのだが)、ピエール正夢、バクのハツと善後策について相談、水の石を取り戻そうということになる。しかし手掛かりがなかなか見つからないなか、学校での小さな事件を解決したことをきっかけに、日向の幼馴染みで級友の片本友貴の、福島県に住む親戚が『巨人の涙』という名前の石を持っていることを知る。更にその持ち主・大城のもとには犯行予告が届いているのだという。大学生名探偵・菊原瞳の紹介で何とか大城邸へと行くことが了解される。が、友貴の従兄弟・大城七水は美少年ながら性格がめちゃくちゃ悪く、あっという間に日向と対立してしまった。

旧き良き怪盗ものの伝統と、本格ミステリめいた不可能犯罪による謎提起。ジュヴナイル本格直球ど真ん中かも
 マジカルストーンという不思議な宝石の行方を捜す……と、第一作目ではその背景説明や世界の設定に多少手間取っているような印象があったのが、本作ではそのあたりの事情についてはかなりばっさり割愛、省略して最低限のルールだけを述べているかたちになり、その分、同程度の厚みでありながら「謎」の方に重点が置かれた展開となっている点にまず好感。
 また、怪盗ヴォックスという、人を傷つけないが狙った品物を頂く変装名人みたいな不思議な存在(あれ、この設定どこかで読んだことがあるような……って、普通にあるでしょう)が、敵対する存在。従って小学生で、戦闘能力(?)が無くても純粋に知恵のみで対抗することができる設定となっている。まあ、はっきり言ってしまえば、乱歩の少年探偵団と同じようなシチュエーションを、青い鳥文庫のなかに新たに形成したということだ。
 ただ、謎の提示、及びそれらを解き明かしてゆく展開方法は少年探偵団とは似て否なるもの。あくまで謎に対して論理で勝負するところは、その後の新本格ミステリの影響が如実に感じられる。実際、青い鳥文庫の本来の読者であってもその展開の方が面白いのではなかろうか。(今どきの子どもならば特に)。
 水槽の中に展示された宝石、行方不明になる持ち主の娘、焼けこげた人形に停電と同時に消えてなくなる宝石――。登場人物が現地に到着し、あれあれ、と思う間もなく短いあいだに不可能状況下の犯罪が続発する。解決については微妙に補助線が必要な点は割り引くまでも、水槽のトリックにしてもちょっとした科学的トリックが使われているなど、かっちり固めてきている。また、宝石盗難以外の動機についても、きちんと伏線があるなど全ての謎解きが終わった後の得心度合いも高い。 個々のキャラクタもちょい役含めて個性的で、その人物の書き分けがしっかりしていることも、遠回りに犯人探しのレッドヘリングとして機能している点にも注目だ。

 あくまでもちろん、上記はジュヴナイルレベルの本格ミステリとして納得できる以上の内容が伴っているという意。さすがに一般向けミステリとして読む分には荒唐無稽さや非現実生が鼻につくかもしれない。それでも作者の心意気と丁寧な仕事についてはきっちり感じることが出来る。


09/06/22
京極夏彦「厭な小説」(祥伝社'09)

 「厭な…」で始まる題名で統一された連作短編集。冒頭の「厭な子供」が『小説NON』一九九九年二月号、異形コレクション『グランドホテル』にて発表された『厭な扉』と、書き下ろしの『厭な小説』以外は、同じく『小説NON』に単発で発表されている。ただ後ろから二番目の『厭な家』が発表されたのが二〇〇九年二月号。そもそも本書も09年刊行だが、初出から実に十年がかりで単行本に漕ぎ着けたということになる。

 厭な上司に厭な仕事。その男が建てた一軒家。しかし留守を守る妻の様子がすこしずつ精神的に酷いことになっている。さらに本人が家に帰ると不気味な子供の姿が見えてしまう……。 『厭な子供』
 主人が留守の間にどうもわざと糞便をまき散らすような真似を行い、家を預かる人妻に嫌がらせをする老人。彼女はあまりの老人の態度に厭さがつのり……。 『厭な老人』
 人生に失敗し、ホームレスとして生きる男。彼はあるホテルにある夜泊まると幸せになれるという都市伝説を耳にする。幸福とは無縁の男のもとに、その宿泊チケットが……。 『厭な扉』
 仕事が出来ず、調子だけが良い後輩に、彼女と同棲をはじめるので仏壇を預かってくれと頼まれた男。問答無用に送りつけられた巨大な仏壇からは厭な臭いが……。 『厭な先祖』
 端からみる分には全く問題のない彼女。そんな彼女は彼の厭がることをわざと行っているようにしか思えない。しかし彼女にその自覚はないらしい……。 『厭な彼女』
 妻を亡くし、会社を引退した男の一人暮らし。しかし何もないはずのところで足の小指をぶつけたり、新鮮な刺身で腹を下したりと厭な事象が繰り返される。 『厭な家』
 これまでの登場人物と関係のあった深谷と、その性格の悪い上司が同じ新幹線で出張へ。深谷は、同じマンションにある古本屋で買った本を読み始めるが……。 『厭な小説』 以上七編。

「厭だ」のひとことから必ず始まり「厭だ」で終わる短編が集まる、読んでいて「厭」に浸れる連作集
 それぞれの短編における主人公は、皆異なるのだが、必ず「深谷」という、広告代理店勤務のサラリーマンが同僚だったり、元同級生だったりといったかたちで関係しており、最後の『厭な小説』では、その深谷自身が主人公を務めている。
 最初の発表が古いこともあり、幾つかの作品はアンソロジーにも収録されている。また、かなり以前から、京極夏彦の現代小説……ということで、個人的には刊行を楽しみにしていたが、通して読むと想像通りどんよりと厭な気分になれた。 (ただ、あくまで厭なのは登場人物であり、突き放した読み方をするならば、ああ、これは厭だよねえ、というかたちで同情はすれど、一緒に厭な気分に入り込むかどうかは読者次第だろう)。
 小説としては、どれもさりげない技巧が織り込まれており、特に数ある「厭」なエピソードの演出は悪魔的ですらある。本編のクライマックス(というか「厭」度が最も高いのは」、『厭な彼女』になるだろう。相手の厭がることをわざわざ聞いていながら、無自覚に繰り返すだけでなくエスカレートさせてゆく「彼女」の存在がとてつもなく恐ろしい。ハヤシライスのエピソードは一読もう忘れられないのではないか。オチを含めて強烈に濃縮された「厭さ」が強烈。
 また正直、『厭な扉』は、作品中では彩りが異なる印象を受けると思われる。これは、もともと同作品が異形コレクション中の異色作でもあるオムニバス、『グランドホテル』のために発表されたことと関係がある。そもそも『グランドホテル』では、事前にホテルに関する約束事(ヴァレンタインの日に宿泊と幸福になれるという都市伝説があるとか)があるなかで書かれたものであり、むしろ、よくこの連作集に組み込んだものだと、個人的には逆に感心している。(原作も当たったが、その段階で深谷という名前が出てきており、深謀にも驚いた)。
 最後に、こんな読み方をする人はあまりいないと思うのだが、本書は本書で一種の社会派小説のようにも思えるのだ。というのは結局のところ、ほとんどの場合、彼らが幻覚をみたり(実際に幻覚なのかどうかは判らないのだが)、プレッシャーに押しつぶされたりするのは、ゴマすりを愛し、自分の価値観から外れる者を一切認めない、亀井なるヒステリックな上司の存在が直接的、間接的にあるからで。ここで繰り出されるパワハラの数々や、有能な人材が退職に追い込まれた結果の過重労働が、また彼らの幻覚を喚起しているようにも受け取れる。幻覚自体はとにかく、幻覚に陥るに至る、本書であまり具体的には書かれていないプロセス、その行間にはある意味、現代サラリーマン社会の哀しさがかいま見えるようにも感じられた。

 普通の京極作品のつもりで読むとちょっとショックを受ける人もいるかも。いや、だからわざわざ題名に「厭な小説」ですよー、とパッケージングしているのかも。もちろん、古本(というより、正確には古書)風の装幀、手垢を再現したと思しき頁の汚れ、さらには頁に挟まれた虫の死骸が印刷されているところまで、これは小説そのものとリンクしている。ただ、「厭」な気分も含めて、全体的な技巧はあいかわらずだし、アンチ・エンターテインメントといった内容であれど、これもまた逆説的にはエンターテインメント小説である、と。これからの季節をどんよりと過ごしたい人(いるのか?)にはお勧めだ。むしろ京極ファンを公言している方にこそ、きっちり読んでいただきたい作品かも。


09/06/21
大倉崇裕「オチケン、ピンチ!!」(理論社ミステリーYA!'09)

 同じく「ミステリーYA!」にて、2007年に発表された『オチケン!』に続く第二弾。『季刊落語』のシリーズとは別の、落語研究会を主題にした別系統による落語ミステリシリーズ。中編二作の書下ろし。但し、今回は『季刊落語』が雑誌として作品内に登場しており、世界はクロスオーバーしていることが予感される。

 学同院大学に入学して早々、その名前「越智健一」(略すとオチケンになる)が気にいられ、たった二人しか部員のいない落語研究会に入らされてしまった越智。普通の学生生活に憧れていたはずの彼は、落語の天才的才能を持ちながら人間的にはだらしのない岸と、イケメン風でありながら実は武術の達人、面倒見が良い一方で身勝手な側面もある中村、二人の先輩に振り回されている。しかし、部員三名以下即廃部という厳しいルールのなか、書いたら退学となる「三枚目の始末書」を岸が書かされそうになる事件が発生。たまたま夜に学園のなかに入り込んで寝ていた岸が、特別教室のガラスを割った犯人なのだという。中村から対処を要請された越知は、生活指導教官の土屋と対面、二日の猶予のなかでの真犯人捜しを開始させられる。『三枚の始末書』 さらには、岸がファミレスに停めてあったバイクを破壊し、友好的関係にある「お笑い研究会」に出演予定から失踪を遂げてしまった若手噺家の行方を追う『粗忽者のアリバイ』の二編。

主人公の受難と成長、そして学生ミステリ&落語ミステリとしての軽さが心地よい。
 落語ミステリという分野、新本格ミステリ以降でいえば、北村薫さんが嚆矢で、大倉さんがさらに切り開き、田中啓文さんや愛川晶さんが現れて……といったところになるか。それぞれシリーズ化されているうえ、様々な特徴があって、ミステリを土台にしてそれぞれが落語を取り上げているとはいえ、簡単にまとめられるものではない。ただ、自ら落語を聞くようになって思うのは、やはり古来から生き残っているエンターテインメントならではの面白みがそもそも落語にあるため、まだまだ小説と融合することで様々なかたちで発展できる方向が残っているといことだ。
 本書の場合は、主人公の越智、岸と中村の両先輩のキャラクタが特徴的で、彼らのどたばたしたやり取りがユニーク。極端な話、三人のやり取りと事件だけでも青春or学園ミステリの要素は全て兼ね備えている(あ、女っ気がない)といえるだろう。だが、二つの中編の底流にはテーマとして落語があり、謎解き(というか事件の真相)と落語が頒ちがたく結びついているのがポイントだろう。
 本書が優れていると思われるのは、その結びつきと、落語との関係があえて非常に判りやすく描かれている点だ。フィクションなので、作者の自由裁量にあたる部分だが、事件の方は確かに奇妙だし、落語とどう結びついているのかは謎が解き明かされないと判らない。ただ、真相が明らかになった時の腑に落ちる感覚が、落語のサゲを聞いたときの感覚と非常に近いように感じられる。(実は、これは落語ミステリに限ったことではないのだけれどね)
 一方で、主人公たち三名の関係もまた、どこがという訳ではないものの落語的。時々役柄は変わるものの、喜八と清六(上方では)なのですよね。だからこそ、誰か決められた探偵役がいるではなく、何となくどたばたとしているうちに謎解きがされているようにみえるのかもしれない。(本書の二つの事件は読者に判るようにするのは越智の役割だけれども、事件自体の真相は別の人間が既につかんでいるわけですから)。

 個人的に本書は優れたエンターテインメントだと思う。読み口が軽く、もともと純粋に大人向けの作品ではないため、すぐに読み終わってしまうかもしれないが、その気軽に楽しめるところもまた落語的であるといえそうだ。幅広く読んでいただきたい作品。(本作の終わりも次の作品に繋がるような締め括りとなっており、幅広く読まれることで第三弾を期待できるようになるとふんでおります)。