MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/07/10
水生大海「少女たちの羅針盤」(原書房'09)

 島田荘司氏が選考委員を務める第1回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞の優秀作作品。作者は「みずきひろみ」と読む。三重県出身、愛知県在住で1995年に漫画家としてデビューしており小説が刊行されるのは本作がはじめて。

 ネット配信による新作映画の撮影のために、二時間ドラマに登場するような海辺の洋館を訪れた駆け出し女優の舞利亜。彼女は過去を隠して年齢を偽り、顔と身体に整形を施して活動を行っていた。彼女と同じ地元出身という監督は、舞利亜がかつて関係した「羅針盤」という女子高生四人組による演劇ユニットの話題を持ち出すが、それは年齢を詐称しているという理由だけではなく彼女にとっては禁断の過去であった。――四年前。名門の橘学園高等部の演劇部に所属する瑠美、かなめ、バタらは、独善的な顧問・渡見に対する反発から、自分たちだけで演劇をしたいと考えるようになる。県大会で知り合った別の高校に通う実力者・蘭をも巻き込んでまずは四人だけでストリート演劇を開始する。最初は苦労し嫌がらせも受けながらも、彼女たちの演技やシナリオは少しずつ評価されるようになり、複数の小劇団のコンクールにおいても観客から最大の拍手を受けるところにまで成長した。しかし、メンバーの一人が映画オーディションに合格したことをきっかけに、周囲からの嫌がらせがエスカレート、そしてついに事件が……。

危ういバランスのうえで夢に突き進む女子高生たちのパワーと挫折。そして映画撮影に絡むサスペンス
 物語は現在のパート、即ち映画撮影をしながら過去に殺人とかかわったヒロインが追い込まれていく物語と、四年前の過去パート、四人の女子高生が力を合わせて演劇集団「羅針盤」を立ち上げ、様々な困難や妨害を乗り越えて成長してゆく物語とが交互に描かれる。前半のパートは、ヒロイン・舞利亜の視点で物語が進むのだが、彼女の功利的で計算高い性格の演出が秀逸。利用できるものはなんでも利用し、自らの身体を使うことも厭わない彼女のタフな精神を赤裸々に描写することで、ダークサイドのヒロインとして奇妙に魅力あるキャラクタ造型をすることに成功している。
 一方、過去のパートについては、危ういバランスのうえで突き進んでゆく四人組全体のパワーとバランスと運と全てが読みどころ。 「羅針盤」が成功するまでは読ませるが、問題はそこに影が差し掛かってから。ひどい事件で羅針盤はバラバラになってしまうのだが、その事件に至るまでの彼女たち一人一人の心の動きは、女子高生の限界(ということでもないが)を示す巧みなエピソードとなっているように感じられた。
 果たして過去の事件のうち誰が舞利亜なのか。そして舞利亜の犯した殺人とはいったいどういう事件なのか。後半のパートでの事件発生がぎりぎり終盤まで引っ張られ、なかなか読者は推理する手掛かりが与えられない。 そのあいだにヒロインである舞利亜の方も謎の脅迫者に追い込まれてゆき――という展開、さりげなく非常に高い計算がなされていると思う。特に謎の焦点を絞らせない演出がうまい。
 ただ、個人的に残念に思えたのは現代パートのヒロインが陥る罠と真相。彼女の行った過去の事件については演劇部ならではのトリックが用いられており、その露見の仕方などもユニークかと思う。一方の現代の「実は……」というところは急に演劇的というか演出過剰に思えて物語のトーンがそこで変化してしまうような微妙な違和感がある。(まあ、投じた先がミステリの賞である以上仕方ないことだと思うが)。

 ただ全体を通じて読んだ印象では新人離れした堂々とした物語作りであると思う。題材にあまり専門的な事柄を持ち込まず、むしろ青春小説として一本筋が通っているところに好感を覚えた。シリーズにできるタイプの作品でもないので、第二作以降に打ち出してくる作品の趣向によってその真価が問われることになりそうだ。


09/07/09
多岐川恭「岡っ引無宿」(講談社'81)

 無宿の岡っ引き、半太を主人公とする連作集。この他、徳間文庫や光文社文庫で刊行されており、さらに電子書店でのダウンロードも可能。本書はそれらの元版にあたる単行本になる。「小説現代」昭和53年10月号から不定期に同誌に発表された作品で、最終話は昭和56年3月号に発表されている。

 浅草の草むらのなかで水も滴る二十六、七の女が死んでいた。ただ、死体の上には何故か一匹の猿がおり、相当に見物人が増えるまでそこを動かないでいたのだという。 『女の上に猿がいた』
 若い男が部屋の中で殺されていた。胸を刺され、更に下腹部から太ももあたりまで多数の刺し傷が。手には長い髪の毛をつかんでおり、「あ」という文字と「一」と血文字を残していた。 『朱唇の怨み』
 盗人を捕まえる手伝いをした結果、うすぎたない男と知り合った半太。さらに強請りをしているといわれる料理屋の証拠をつかむため、地場の親分の依頼で住み込みを始める。 『なまくら刀が譲られた』
 旅先で屈強な男に襲われた半太。撃退するが誤解だった。江戸から逃げてきた女と用心棒を巡り、その地元での親分たちの因縁の喧嘩を手伝って欲しいと乞われ、助勢することになる。 『旅の半太』
 半太が通い始めた商売女。一軒家に住む素人っぽい女で幼い娘が客引きをしている。ある雪の夜、半太が訪れたところ女は刺し殺されていた。雪の上にはその幼い娘と半太の足跡のみ。半太は捕らえられる。 『降り止んだ雪』
 山谷堀から大川に抜ける川縁の猪牙船のなかで男が一人死んでいたのを半太が発見する。死んだ男と好き合っていた娘が後を追って自害。その裏側で別の娘がその遺体を以前の時限に見かけていたという。 『今戸橋のほとり』 以上六編。

本格風味はあるものの、内容的には多岐川恭らしい”通俗”の時代小説にして捕物帳
 偶々古本屋で見つけた帯に「時代ミステリー」とあり、読んでみた……が、そうともいえるような、やっぱり普通の捕物帳のような。微妙。
 というのも、六編の作品それぞれが紛れもない江戸を舞台にした時代小説であるにもかかわらず、かなり欧米風(当時はまだ新本格はないですしね)の本格ミステリのテイストを感じさせる要件を物語中に登場させているのだ。ダイイングメッセージがあり、雪の密室あり、堅牢なアリバイトリックあり……。(広義で良いのであれば、入れ替わりトリックや、ミステリ風レッドヘリングも多数ある)。その意味では帯にあった時代ミステリーというコピーもあながち間違いではない。
 特に雪の密室などは、半太自身しか容疑者がいない状況下で密室が構成されており、読者にも冤罪だと判っている状況で捕まえられてしまう。人目を憚りながら謎解きを行うスリリングな感覚もあり、なかなかの秀作だとは思う。問題は、現代の本格ミステリの感覚でいうと回答のひねりが少ない点。ただ、この雪の密室が登場する『降り止んだ雪』に関しては、時代小説らしからぬ真犯人とも相まってユニークな一編になっている。
 とはいえ、トリックだけで物語を構成するでなく、短編にしては複雑に過ぎる人間関係が毎回展開されており、更にそこに様々な陥穽があったりするため、あまりお気楽に読める作品でもない。(トリックではない物語としての意外性は、この人間関係から演出されている)。一方で、お色気っぽいシーンは濃厚ではないながらもある程度サービスシーン程度に挿入されている点はそれはそれで、多岐川恭らしくて個人的には苦笑してしまうところ。

 トータルとしては、時代小説(ミステリ寄り)というレベルか。あまり江戸情緒をかき立てる描写があるでなく、むしろ無宿のまま、各所で込み入った謎解きに踏み込んでゆく半太が格好良く描かれており、股旅ものに近い味わいがある。 いずれにせよ捕物帳系統の時代小説ファンであれば楽しめよう。現代ミステリに慣れた方には、やっぱり少し微妙かなあ。多岐川恭がお好きなら。


09/07/08
塔山 郁「705号室 ホテル奇談」(宝島社'09)

2009年、『毒殺魔の教室』で第回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビューした塔山氏の、早くも二冊目となる長編作品。書き下ろし。

 都内にある、何の変哲もないビジネスホテル。一泊七千円の料金も普通だが建築されてからかなりの日が経過している。そのホテルの705号室は水回りの配管に問題があるといわれ、、現在の従業員は誰もその詳しい経緯を知らないまま「開かずの部屋」として、宿泊客を入れずに倉庫として使われていた。そのホテルの経営立て直しを図ろうとする新任支配人の本城は、部屋数を増やす意図から業者を入れ、古株従業員で主に裏方を担当する山田を手伝わせてリフォームを行った。しかし、本格的に宿泊客を入れる前から隣室706号室に宿泊したサラリーマンは、何か奇妙な物音を聞き、上階の客に呼ばれたデリヘル嬢は、仕事を終えたあと何か不思議な力に引き寄せられるように705号室に向い、中から現れた男の腕に部屋の中へと引き込まれる。その改装をきっかけにホテルを襲う災厄とは。――十年前、その部屋が普通に客室として使用されていた頃、長期滞在をしていた若い学者のような人物がいた。その男は、ホテルの側で原因不明の死を遂げていたが、遺品となるノートを一冊遺していた。彼の生い立ちから始まるその記録が指し示すもの――。

都市怪談風のオープニングから徐々にホラージャパネスクを体現する民俗ホラー長編へと変貌
 ビジネスホテルの客室には必要最低限の什器がぎっしりと置かれている――。思わずそのようなイメージを抱いてしまう、ほとんど改行がなくページごとに文字がきっしり詰め込まれた文体。一瞬戸惑ったが、文章自体が読みにくいものではなく(ただ、もちろん改善の余地はあるが)見た目以上にすいすいと読める。
 さて、内容だがビジネスホテルの一室を巡る怪談という体裁なのが前半部。後半部はそれがなぜか変転して、ホラー・ジャパネスクというか、民族ホラーというか、古くから曰くのある器物に関する出来事、呪い、そして現在に至っても継続する因縁というか、そういう話に転換してゆく。全体を通じての破綻もなく、特に前半部で複数の視点人物を用いて、多角的に「何かある」「何かいそう」という雰囲気を創り上げている点は評価できよう。 ただ、後半にその因縁話を長い独白(ノートに記された)を使って説明しているのだが、ここで転調というか、呪いの源泉のような点が明らかにされてしまう。このあたりが微妙といえば微妙なところで、折角の理不尽な怖さが、逆に理由のある怖さへと変質を遂げてしまっているのだ。
 また、全体的にいえることだが、登場するそれぞれのエピソードや演出が、具体的に何とはいえないまでも数々あるほかのホラー小説ほかで使われてきたようなエピソードのバリエーションのように感じられる。なので、強烈なインパクトのようなものは残念ながらあまり感じられない。むしろ、来ると判っているけれどもやっぱり来た! というようなじわっと来る怖さはあるので、そういったタイプの恐怖を楽しまれたい。

 前作では不幸な偶然によって評価が一段下がってしまったミステリ、本作では本格ホラーと二冊目にしていきなり異なるジャンルに進出してきているようにみえる。ということで、塔山郁という作家の本質がまだまだみえない。本作も堂々としたもので(さすがに「このミス大賞」の受賞は、オリジナリティの部分で難しかろうが)、次回作がどのようなものになるか。内容以前にどんなジャンルにゆくのだろう、という点にも興味が湧いてくるところだ。


09/07/07
初野 晴「トワイライト・ミュージアム」(講談社ノベルス'09)

 第22回横溝正史賞を受賞した『水の時計』にてデビューし、第二作『漆黒の王子』を発表した後、一時、作品発表に中断期間のあった初野晴氏。ファンタジーとミステリを融合した独特の作風が持ち味だが、ここ数年、立て続けに新作を発表してきている。本作は小説現代増刊『メフィスト』2007年5号に発表した短編作品に大幅に加筆して長編化してノベルス刊行した作品。

 養護施設で育てられた十四歳の僕こと「勇介」は、施設の小さな子どもたちのまとめ役を引き受けてきた。そんな彼に突然、大叔父を名乗る如月という人物が現れる。大学教授だという彼の経済力や人柄を冷静な視線で確かめていた勇介。その人柄に安心して無事引き取られたものの直後、正式の養子縁組前にその如月が交通事故で急逝してしまう。しかし遺言が遺されており、勇介は大叔父の遺した博物館を相続することになった。一つ一つには価値はないが膨大な資料を蔵し、比較的多くの個性的な学芸員を擁するその博物館では、秘密裏のプロジェクトが行われていた。如月教授の研究でもあったのだが、脳死状態に陥った人々の精神は過去、別次元で生きており、その精神を救出することで生き返ることができるというのだ。引き取られた勇介に会いに、施設にいたナナという少女が外に出て交通事故に遭って脳死状態に陥ってしまう。勇介はナナの精神を救うために、牧村をはじめとする学芸員らに助けられ、枇杷という個性的な女性と共に十六世紀の欧州へと精神を飛ばす。ナナの精神は、中世の魔女狩りによって捕らえられている老婆のなかにあったが……。

ちょいと複雑なタイムトラベルの手続きと設定。なぜか引き込まれる不思議な物語
 短編を長編化したことだけが理由ではないだろうが、要はタイムトラベルSF+ミステリという構造なのだけれどもタイムトラベル部の説明が判りにくい。脳死している人の精神が別次元に飛ぶというところまでは良いのだけれど、物言わず僅かな身の動きだけでその時代を特定し、後から追ってゆくというあたりの説得力は皆無に等しい。また物語中でも勇介の精神が現代と十六世紀を行き来したり、タイムパラドックスについては説明はあるものの、扱いが厳密ではないなど、設定や背景という点での完成度は決して高いとはいえない。
――のだが、ちょっと待て。初野晴は、SFオリジンの作家ではなく、むしろミステリと、ファンタジーをベースとする作家なのだ。この位置まで許容範囲を拡げることができる読者であれば、この物語はもっと素直に楽しめる作品になる。
 十六世紀、魔女狩りの時代。大衆の絶大なる支持を得て、奇蹟を見せてきた魔女探索人。彼らの手から魔女と決めつけられた老婆を護ろうと、少年の身体を借りた枇杷と勇介のコンビが立ち向かう。
 この魔女狩りの一味が繰り出してくる、魔女を特定するという大衆を幻惑する技がユニーク。 通常の現代的、一般的な科学的な視点をもってしても彼らの不正は容易に見抜けない。このあたりのペテンについては、どこか「TRICK」あたりでの新興宗教ネタに近い印象がある。その謎について現代側で議論によって解き明かされてゆく過程はなかなか読み応えがある。また、周囲のほぼ全てが敵という状況下で少女と少年が意志の力と、知恵と駆け引きとで危難を乗り越えてゆく展開もまた素直に素晴らしい。
 このパートにおける、わくわくどきどき感が本作における初野氏最大の見せ場。もちろん、その背景にあるのは、悪役だけではなく主人公たちすら呑み込まれかねないどす黒い感情。 そのなかにあるからこそ、無償の正義が引き立っているのだ。

 非常にあっさり流されてはいるものの、十六世紀の魔女狩りたちのイリュージョンの正体などにも驚きがあり、前半を我慢すれば後半のミステリだけでも読ませる内容。ただし、前述の通り、設定等の甘さについてはどうしようもないので、そのあたり我慢して読み通してもらう必要があるのだが。


09/07/06
石持浅海「まっすぐ進め」(講談社'09)

 連作短編集のうち、書き下ろしが二編。その二編が最終話ではなく、主人公の親友の彼女視点で新たに描かれてあいだに挟まっている『ワイン合戦』『晴れた日の傘』である点、ユニーク。

 身長があまり高くなく童顔の二十代サラリーマン・川端直幸は、新宿の巨大書店で一人の女性が書棚を眺めている場面に遭遇、その絵画のような美しさに心を惹かれるが、同時に彼女が左手に二つの腕時計をしていることに気付く。親友の黒岩、そしてその彼女の千草は、その女性が同僚の高野秋ではないかと気付き、川端との飲み会に秋を連れてきた。二つの時計をしている理由を秋は明かさなかったが、後日、川端はその件に関するメールを秋に送る。 『ふたつの時計』
 たちどころに交際を始めた二人と、その展開に驚く黒岩と千草。四人が居酒屋で飲んでいると、別の席にいた美男美女のカップルがワインを二本注文して別々に飲み始めた。 『ワイン合戦』
 デートでショッピングモールを訪れた川端と秋。川端は三歳くらいの迷子の幼女と関わり合うが、その子は両親とは会いたくないという。更にはその子を付け狙う若い男の影が……。 『いるべき場所』
 黒岩と千草が婚約した。父親を早くに無くした千草の家に挨拶に訪れた黒岩は、彼女の父親の遺品だという高級な傘を手渡される。千草が中学生の頃に白血病で亡くなった父親が託したかった言葉とは。 『晴れた日の傘』
 秋の休日に、生まれ故郷である仙台行きを川端に誘った秋。知り合ってから、ほとんど彼女の過去を知らせてもらっていなかった川端。そして、その告白を行う秋の決意とは。 『まっすぐ進め』 以上五編からなる連作集。

石持作品特有の頭の回転が早い男性と女性のあいだで恋愛譚を成り立たせるためには?
 石持作品の主人公や犯罪者といった登場人物の描写は、大抵のところ非常に冷静で沈着である。ちょっとした事象に対しても様々な思考を巡らせ、常に冷静な対処を行う。名探偵としては理想的な態度になるのかもしれないが、友人や同僚にいたら「頭は良いけど何を考えているか判らない」と思われるような人物だ。本書の主人公・川端直幸もまたその系列に連なるタイプ。しかしながらテーマは、その川端という主人公の恋愛譚。
 この難しい命題を、作者は非常に巧みに処理している。ヒロインの高野秋。美貌の持ち主で頭も良く、だけどどこかに影がある。こういった女性像を取り合わせることで、川端の頭の良さが嫌みとならずむしろ美点になるという離れ業に持ち込んでいる。同時に、秋の頭の良さはまた、川端の洞察力の深さをも許容しており、その意味でもベストカップルでもある。途中、千草に川端に釣り合うのは秋クラスの女性でなければ無理といった表現があるので作者もこの点は自覚的なのだと思う。
 一方、ミステリとしても実はユニークで、都筑道夫ばりの論理のアクロバットを重視した安楽椅子探偵ものという体裁。腕時計を二つする女性の謎、居酒屋で二本のワインを別々に飲むカップルの謎、迷子の子供を迎えに来ない親の謎、結婚相手に親が遺した傘の謎、そして高野秋の過去の謎。それぞれ、厳密な意味での正解は、答えを有する人物が存在する最初の腕時計にしかないのだが、それぞれが僅かな手掛かりからアクロバット的展開で、思いがけない答えに繋げていく論理が見事。読者にとっての読みどころは、その飛躍の美しさ、着地の意外さであって、実は提示された解が正解であろうと不正解であろうと構わなかったりする。論理(ロジック)の美しさを知る石持氏らしい作品集だ。

 意外な動機への拒否反応や、登場人物への非・親近感といったところは根強く一部の読者にあると思うし本書でそれらが払拭されているとは言わない。が、逆にそれらを逆手にとったら「こうなる」という物語作りの結果が、この作品集であるように思う。個人的には非常に楽しめた。


09/07/05
山口雅也「新・垂里冴子のお見合いと推理」(講談社'09)

 『垂里冴子のお見合いと推理』『続・垂里冴子のお見合いと推理』に続く三冊目の作品集で、中編二編が収録されている。『見合い…』は小説現代増刊『メフィスト』2008年5月号、『神は…』は初出時から改題されたもので、オリジナルは『死者もし語るを得ば』という題名で同じく『メフィスト』2008年9月号と2009年1月号に発表された作品である。

 相変わらず見合いはうまくゆかず、家で小説執筆に励みだした冴子。一方、両親の垂里一路と好江はつい最近、一路の元部下との見合いを回想する。水族館職員として働く研究者で、彼が多忙なのでその水族館まで訪れた冴子だったが、親善国家のセレモニーとぶつかり、宝飾品の盗難、さらにはその容疑者が亡くなるという事件に遭遇してしまう。 『見合い相手は水も滴る○×△?』
 次女の空美が仲人役を買って出たお見合いは、空美の親友・笑窪の友人でもある米国人私立探偵・トーキョウ・サムとのもの。笑窪は当然機嫌が悪く、冴子は小説の取材も兼ねて見合いの席に臨むが、サムは依頼を受けていた退役軍人の事件で途中退席。冴子もサムについてゆくが、行く先にはその軍人の若き妻が他殺死体となって横たわっていた。 『神は寝ている猿』 以上二編。

オーソドックス+先端。垂里冴子シリーズのアンプラグドからの脱皮、それとも?
 山口雅也氏にとって、この「垂里冴子」シリーズというのは、どういう位置づけになるのだろう? というのはキッド・ピストルズや、本作にも登場する日本殺人事件のシリーズ、更には『奇偶』やノンシリーズの短編集など、山口雅也氏の代表作・シリーズでは必ずといって良いほど、非常に奇抜な世界や論理を形成したうえで本格ミステリを創り上げてきている。そのなかでアナログ、ないしアンプラグドといった、比較的オーソドックスな日常系(人はしばしば死ぬが)のミステリというのが本書の位置づけだったと思いこんでいた。
 それが、『日本殺人事件』からのスピンアウトキャラクタ・東京茶夢(トーキョウ・サム)が後編にあたる作品に登場することによって、「いつもの」山口雅也氏の作風に一挙に引き寄せられてしまっているようにみえる。 ちなみに、この後半の『神は寝ている猿』は傑作。 日本文化を学んだ米国人という存在を中核に据えることで、ダイイングメッセージを含む連続殺人事件という、ミステリにおいては平凡な見え方の事件が、真相解明段階で非常にユニークかつオリジナリティ溢れる作品であることが明かされるのだ。日本文化の理解が、中途半端なだけでなく、独自の努力をしていたという補助線がポイントになっている。また、名探偵が二人いるなか行き着いた結論は同じながら、推論の過程が異なっているところも素晴らしい。逆にいえば、それだけ作者が手掛かりを明示していたということの裏返しでもある。
 結果的にではあるが、ゲストキャラを呼び込んでしまったことで、この垂里冴子シリーズが山口雅也の先端的センスに染められてしまった印象がある。常にこの水準で作品を発表しようとすると凄まじい労力がかかるように思われるのだ。それはそれで面白い前半の『見合い相手…』ではあるが、後半とは、明らかに差がある。ただ、本来は、この前半のようなからっとした謎解きと、お見合いがうまくゆかない繰り返しパターンによる緩やかな楽しみ方こそがこのシリーズの持ち味だったように思うのだが……。

 とはいえ、山口雅也氏のすっきりとしたロジックと、ユニークな発想がベースになったという意味では、タイプの異なる両作品とも根っこは同じ。これまでのシリーズ二冊を押さえたうえで読んで欲しいというのが第一希望、そして垂里冴子とその一家のユニークな人柄があってのこの作品集、是非楽しまれたい。


09/07/04
柄刀 一「奇蹟審問官アーサー 死蝶天国(バグズ・ヘブン)」(講談社ノベルス'09)

 現在の世の中に発生したといわれる「奇蹟」を認定できるかどうか、冷静な知性をもって判断するという一風変わった名探偵役が登場する奇蹟審問官アーサーシリーズの中編集。『メフィスト』2008年5月号、9月号、2009年1月号に掲載された作品に、書き下ろしの短編を加えている。

 パミール高原の高地にも近いこの国では、村の平凡な中年女性が急に千里眼を持ったという評判だった。欲が無く慎み深い彼女が、キルトや壁掛けを作っている小屋の中で頭に針が刺さった状態で発見された。部屋は密室で天窓だけが開いていたのだが……。 『バグズ・ヘブン』
 オーストリアの山岳地帯。雪をまとう洞窟から”白魔の咆吼”と呼ばれる大音響が。この近辺に建てられた邸宅の主人が瞑想中に不可解な状況で死亡した。偶然滞在していた客人の一人にアーサー・クレメンスがいた……。 『魔界への十七歩』
 ペルー中部の山岳地帯では珍しく雨が降りしきる。この地にいた神父が亡くなった後、全く腐敗現象が発生しないということで地元民は奇蹟ではないかと噂していた。更にアンデッドのような存在や殺人事件まで重なって……。 『聖なるアンデッド』
 二年前に他界したチベットの重要な宗教家。その人物が転生した人物と噂される子どもは、チベット仏教界の幹部によって幻視されていたが、暗号めいた手掛かりがなかなか解き明かされなかった。そんな時、たまたま老僧と知り合ったアーサーがアドバイスを。 『生まれゆく者のメッセージ(バースマーク・テリング)』 以上四編。

宗教的倫理の多様さを動機の謎に、知られざる物理現象を論理の基礎に。絶妙バランスの本格
 最初のとっつきはあまりよくないシリーズなのではないかと思う。主人公は外国人、舞台も世界各国。更には主人公の職業柄、様々な宗教的な事柄が物語の背景に存在する。柄刀氏の場合は、こういった舞台を飄々と創り上げておきながら、そこに不可能犯罪事件を絡めてしまう。
 ただ、本作で四つの短編を読んで改めて考えるに、実にこれは作者が周到に配慮・熟慮した結果、このような設定になったのではないか――ということに気付く。というのは、不可能現象(犯罪と置き換えてもよいが)に接することが日常の職業=奇蹟審問官、さらにその不可能現象が自然現象や人間の手によるものかの審査=奇蹟審問、であり、いわゆる職業的名探偵や警察関係者とは全く異なるアプローチから事件に近づける人間を設定しているところがスゴイ。さらに、相手に宗教が絡む。ここは微妙なところで、無宗教や大まかな括りでの仏教徒の多い日本ではなかなか考えられないほど、宗教が日常生活や思考回路に溶け込んでいる地域は多い。その地域をわざわざ舞台に選ぶことで、日本人(当然、日本語で書かれているわけだから)には、なかなか想像もつかないような宗教的な理由が事件の動機となるのだ。この二点が巧みに混じり合うことで本格ミステリを形成している。
 片方だけならば思いつきもされようが、この両者を合わせて融合し、一個の物語とする手腕はそう誰もが持っている能力ではない。特に経験を重ねてきて柄刀氏の文章力、表現力がデビュー当初に比べて格段に上昇している点も、物語の完成度を高めるのに役立っている。

 それぞれの作品全てが本格として成功か、というと読者の視点(捉え方)によっては微妙な作品もあるようには思う。だが、それぞれの完成度や、謎の作り方など非常に魅力的であることは間違いない。本格ファンであれば、前作と併せて読まれることをお勧めしたい。


09/07/03
二階堂黎人(編)「不可能犯罪コレクション」(原書房'09)

 ほとんどが書き下ろし、かつ密室殺人を中心とした不可能犯罪をテーマに、2000年に刊行された『密室殺人大百科』。当時の本格系の中堅作家が一同に会した、上下巻で一つのアンソロジーを形成するエポックメイキング的な作品だった。本書はそれから九年、同じく二階堂黎人氏を編者に、現在の新鋭を中心に不可能犯罪ものの新作を集めたというアンソロジー。

 東京から地方に訪れて、自殺を図ったはずの佳也子が目を覚ましたのは女性医師の自宅兼診療所だった。『佳也子の屋根に雪ふりつむ』大山誠一郎
 もと自分の教師であった夫を持ち、妊娠している女性研究者。彼女の高校時代の自殺した級友の夢を見て……。 『父親はだれ?』岸田るり子
 女性の能楽師。彼女が脇役で登場する能楽の舞台上で不審な殺人事件が発生した……。 『花はこころ』鏑木蓮
 蜘蛛手が引き受けた工業団地内の研究所。厳重なセキュリティが施されたその建物をチェック中、騒ぎが……。 『天空からの死者』門前典之
 今の日本に似たどこかの国。進路発表された中学生たち。屋上で共同作業をしていた一人の生徒が転落して死亡した。 『ドロッピング・ゲーム』石持浅海
 礼拝堂のなかで衆人環視のなか首を刺された女性、さらに密室内部で首にナイフを突き立てられた死体。見えない暗殺者は存在するのか? 『『首吊り判事』邸の奇妙な犯罪』加賀美雅之 以上六作品。

アンソロジーというよりも、若手実力作家の顔見世といったイメージで読むと吉か
 それぞれ個々の短編としてはそれなりに面白く読めた。一方、正直にいうと前回のアンソロジー『密室殺人大百科』に 比べると、テーマ、参加人数、セレクション全てにおいて「アンソロジーとしては微妙」。
  同書以降に登場した新たな作家による書き下ろし競作というテーマを大々的に打ち出すには、どこか中途半端な印象が拭えない。というのは、前作「密室」に比べて、非常に幅が広く、様々なアプローチが可能そうにみえる「不可能犯罪」とテーマが茫洋と拡がっている一方で、アンソロジー参加人数はただの六人。鮎川賞作家とKAPPA ONE受賞者が核を形成しているのだが、それならばそれでもう少し人数を集めることは出来なかったものだろうか。参加者のなかで最も知名度が高いのは恐らく石持浅海氏だと思うのだが、情報ではこの作品は氏の連作短編となるシリーズのなかの一編であるという。(つまりは、作品集として近い将来改めて再録されるということだ)。結果的に墜落ものが多かったというのはただの偶然であり、通して読んでのテーマ性、アンソロジーならではの似た傾向や競作といった面白みはあまり味わえない。
 ただ、それぞれ作家が持ち味を出していることは事実。 石持浅海氏の奇妙な世界観をベースにした不可能犯罪『ドロッピング・ゲーム』では作品世界でしか通用しない動機が凶器になっている。世界観のズレそのものがレッドヘリングでありユニーク。
 加賀美雅之の『『首吊り判事』邸の奇妙な犯罪』は、作者らしい時代がかった世界観とこだわりの物理トリックが読みどころ。お好きな方はお好きであろう「本格」。鏑木蓮氏の『花はこころ』は、ミステリには珍しい能楽世界を扱っている。本格ミステリとしては破綻していないものの意外性は少なく、物語性と本格の両立が狙われている印象。門前『天空からの死者』は、蜘蛛手もの。建物ベースの物理トリックなのだが、微妙に専門的でイメージが湧きにくいところがある。動機もたいがいなものだと思うが、まあ良いでしょう。岸田るり子『父親はだれ?』は厭系サスペンス。普通に想像していたところから、意外なそして厭なオチへと紡ぐ手腕はさすがなのだが、これも本格としては無理矢理感がある。普通にサスペンス小説として面白いですよ。
 大山誠一郎『佳也子の屋根に雪ふりつむ』は、詩的な題名がステキな作品。ただ、幻想的な展開と実際に行われる犯罪とのギャップ、それに意外な犯人を狙いすぎたあまりに偶然を持ち出さないといけなくなってしまっているのが残念か。

 繰り返しになるが短編それぞれは、それぞれの作者ならではの持ち味を出していると思う。ただ、その持ち味の反面、どうしても不可能犯罪というテーマに縛られてか、作品自体が一部歪んでしまっている作品もあり、そのあたりが問題かと。ただ、あまり短編を読む機会のない大山誠一郎や門前典之といった作家がこういったかたちで作品発表してくれるのは貴重といえば 貴重なので、機会として大切にして欲しいという、なんというか微妙な評価です。(お茶を濁している感が書いていて自分でも強い)。


09/07/02
高田崇史「カンナ 奥州の覇者」(講談社ノベルス'09)

 高田崇史氏によるの歴史伝奇アクション推理アドベンチャーシリーズ「カンナ」の四冊目。書下ろし。

 三月後半の伊賀・出賀茂神社。何者かに奪われた出賀茂神社社伝『馬子傳略』を追ったまま、吉野山中から失踪して以来行方が判らなかった早乙女諒司を匿っているという人物から連絡が入った。諒司は社伝を追って岩手まで行き、相手が修験道の人々であることを突き止めた。丹波の推測によれば、彼らは天皇家を裏側から守護する波多野村雲流の人々ではないかという。諒司は怪我を負っており、一人では奪還が難しいといい、甲斐を助けに寄越して欲しいと伝えてきた。甲斐は犬のほうろくと、志願した貴湖との二人と一匹で一路、岩手へと向かう。行く先を家族にも言うな、と諒司からの言付けであったが、甲斐は諒司の妻・志乃芙にはある程度のことを伝えていた。諒司とは無事に再会し、地元の修験者のところにある社伝の奪還計画は立てられた。しかし、彼らを追ってまた別の影が妨害工作を……。

歴史推理の重要性が少しずつ低下し、本編に蠢く謎が徐々に比率を高めてゆく
 上記の梗概に入れられなかったのだが、本作の、いわゆる「歴史パート」に相当するのは、坂上田村麻呂に敗れ、助命の嘆願も虚しく京で処刑された、東北の蝦夷たちを率いたリーダー・アテルイに関するもの。小生の無学ゆえにアテルイという名前しか知らなかったのだが、本書の説明及び解釈のみで「なるほど」と思わせられる内容。ベースになるのは高田史観であり、読み続けているがためにその点に驚きは少ないものの、偽書といわれている史書の扱いについて斬り込んだ類推がなされている点が面白い。世間的に偽書とされ、正統派の歴史家から切り捨てられている資料にも、それ相応の理由があるのではないか――という考え方は興味深い。
 一方で、物語の本編の方は「アドベンチャー」の度合いが加速。何よりも本作で無条件で甲斐が味方だと信じていた、早乙女諒司の不審な動きが明確にされる。各地の忍者の末裔が集う展開は微妙に伝奇風ながら、市井の一般市民とは別の価値基準によって戦いが繰り広げられているという展開は悪くない。アクション自体は軽めになっている一方で、甲斐を巡っての婚約者・聡美と助手・貴湖とのあいだの恋の鞘当てなど、お約束の展開があったり、出賀茂神社にどうも「あの二人」と思われる男女が訪れたりで本書は特に作者からのファンサービスも多いように感じられた。

 シリーズ作品で四作目となると、本書から読み出すという読者はまずいないことが前提になる。(特に本シリーズは『QED』とは異なり、シリーズで読まれることが前提であろう。今後は、登場してきた人物それぞれの人間関係や血縁関係などが物語を繋ぐ接着剤の役割を果たす可能性が高く、シリーズ性はますます強くなりそうだ。そして、実は本書ではじめてシリーズの題名である「カンナ」という言葉が登場している。それがどのような意味を果たすのかは、もう少し待たなければならないようだ。

 最後に、どうでもいいこと。変換の関係で最初は「欧州の覇者」になった。サッカー?


09/07/01
はやみねかおる「オタカラウォーズ ―迷路の町のUFO事件―」(講談社青い鳥文庫'06)

 はやみねかおる氏による「夏休み三部作」のうちの第二作目。はやみねかおる氏のデビュー後三冊目の単行本として、1993年に講談社わくわくライブラリーから刊行されていたが、部数の少なさか長らく幻の作品扱いだった。夢水清志郎シリーズなどが人気を博した結果、青い鳥文庫で復刻された。ちなみに初刊時のイラストは吾妻ひでお、青い鳥文庫はとりみきの各氏である。

 中心部に城跡があり、迷路のような構成をしている山之城町。お年玉を注ぎ込んで長期間をかけて遂に人力飛行機を創り上げた遊歩、千明、タイチの小学校六年生の三人組。試験飛行を行ったが夢は六秒少しで潰えてしまい、飛行機はバラバラになってしまう。残った僅かなお金で良いことがあるよう神社でお参りをした彼らだったが、最後に鰐口を振ったところいきなり鈴が落下し、賽銭箱を壊してしまう。賽銭箱の中から遊歩は銀色の円板を見つけて自分のものにしてしまう。何か自分に向かってメッセージが発せられたような……。騒ぎを聞きつけた神主は、この神社が今から四百年前に、この村を作った「絵者」なる人物が残した宝を護っているのだという。この村は戦国時代、どこからともなく現れた絵者なる人物によって一週間で作られた……確かに、町にはそういうお伽話が残されている。神社の正面に飾られた手鞠唄が暗号になっているのだというが……。その晩、遊歩は自室からUFOを目撃、更に翌日には円板を寄越せという謎の人物が現れた。黒ずくめにサングラスをかけた男は、レティキュルの壬生一族の雷弥と名乗り、三人組を追い回す。

人類の立ち位置と未来を子どもたちに考えさせる? SF色の強い冒険活劇
 『恐竜のくれた夏休み』にて、本書と更に以前に刊行されている『バイバイスクール』とが、実は「夏休み三部作」なのだということを知った。本書が刊行されてから十年以上も三冊目が出なかった三部作というのも凄まじいものがあるのだが。ただ、先に三冊目を読んだおかげで、本書のテーマ性という点がむしろ強く感じられた。
 ただ、現在の小説の巧さに比べると、本書自体はかなり若書きの印象が強いのも事実。キャラクタがかなり類型的であり、千明の奔放ないい加減さを除くと残り二人は頭が良い、主人公であるという点のみであまり魅力がないし、背景設定や謎との連関、物語の結末に至るまでがどうにもユニット的で一貫性や説得性というところに難点が感じられる。つまり、エピソードのひとつひとつ、例えば洞窟探検や、お祭りのなかでの「人間以外」探しなどはそれぞれ、はやみねさんらしさがあって面白いのだけれども、それぞれのまとまりに微妙に難がある印象なのだ。
 ただ、本書の場合も『恐竜がくれた夏休み』にしてもそうなのだが、人間の、人類としての在り方や地球環境への向き合い方は今のままで良いのですか、もっと考えた方が良いのではないですか――といった問いかけはハッキリしている。本書の方が、主人公・遊歩が選択を間違えると人類が滅亡に近い状態に追い込まれることが明記されている分、直截的ではあるが。

 それにしても現在のはやみね氏の作風から比するとSF色がかなり強い。しかもどちらかといえば荒唐無稽な設定を、理屈抜きSFだからなんでもあり! みたいな処理になっている点も特徴。それが悪いわけではないけれど、微妙に子供だまし感みたいな部分が強まってしまっている。大人的な感覚でいうと、熱心なはやみねファン以外が追いかけてまで読む作品ではない――かな。