MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/08/31
遠藤武文「プリズン・トリック」(講談社'09)

作者・遠藤武文氏は、1966年長野県生まれ。早稲田大学卒業後、広告代理店、郷土史出版社を経て、現在は損害保険会社勤務。本書で第55回江戸川乱歩賞受賞。応募時の題名は『三十九条の過失』。

 交通事故を起こしたことで懲役刑が確定した囚人たちのうち、関東以東の人間がほぼ全て収監される千葉県市原市にある交通刑務所。一般犯罪者が収監される刑務所よりも遙かに囚人の人権に配慮された開放型の施設である。ある程度きちんと勤め上げれば、刑期は短くなり、普通の収監者はとにかく大過なく過ごすことだけを考える場所。しかし、その日、施錠されて密室とされた倉庫内部で囚人の他殺死体が発見された。顔面と手のひらを薬品で焼かれたその遺体と、残された犯行声明から、遺体は被害者は石塚満、逃走した加害者は宮崎春雄と思われたものの、初動捜査の後に入れ替わりが発覚した。しかし犯人と思われた石塚は、交通事故こそ発生させていたものの、四ヶ月前から意識不明の状態で看護されており犯人ではない。では、誰が石塚の身代わりとなって収監されていたのかが問題となる。しかも司法解剖の結果、死因は薬品ではなく、筋弛緩剤の一種を用いられてのものと発覚。また死体の発見時刻と、生きていたはずの被害者点呼の時間も合わない。私物を厳重に管理される刑務所内での、しかも異様な殺人事件に捜査は難航する。その当夜の監視役であった刑務官の野田は、犯人さながらの 扱いを受け、刑務官を辞めてしまう。

乱歩賞らしさはあれど「本格」で売ることはないでしょう。社会派としてきっちり打ち出してあれば。
 ――あと、乱歩賞史上最高のトリックってのはウソですからね。東野圭吾さんがそういわれたようですが、東野さんは自分が乱歩賞を受賞したこともお忘れか。
 さて、ただ受賞するに至った理由もある程度理解することは出来る。とにかく最初の百ページに関しては文句の付けようがない。下手なベテラン作家よりも遙かに緊迫してタイトな文章にて、スリリングな序章を紡いでいるからだ。特に、実際に入所した経験がなければまず判りそうにない交通刑務所内部の様子、規則、そして中にいる人々の気持ち。そういった点に関しては詳しい以上に臨場感に溢れている。
 ただ、その後は視点が切り替わりすぎる、主要登場人物を死に追いやった結果、物語の軸足が定まらない、エピソードを重ねすぎて主題がぼやける、そして何よりもサプライズを狙ったと思しき最後の一行が余計。――といった不満が多少残りながら最後の選評を読むと、小生が気になると書いたようなことはやはり審査員の先生方も気にされているようで、実際に選評にいろいろ書いてある。ただ、セールスが優先されたのか、折角指摘されている弱点が全くといって良いほど訂正されないまま刊行されてしまっている点は残念を通り越して少し勿体ない。
 序盤の迫力は先に述べたが、その不可解さに引っかけて、マスコミの横暴やマスコミによる冤罪、被害者を罰する法の問題(アイデア自体は他のミステリにも使われている定型だが)、更には政治家の不正に至るまで松本清張賞(あれ?)を狙えるようなガジェット、構成、サイド・エピソードが沢山採用されている。個々には練り込み不足で描写も不十分ながら、この政治家の不正あたりできっちりと小説にした方がすっきりしていただろうことは想像に難くない。
 正直、作者本人の良さが出る前の段階で無理矢理受賞にしてしまった――ようにみえる。刊行時期の問題もそうだが(そりゃ乱歩賞は夏の風物詩だし)、複数の選者が書いている瑕疵をしっかりと訂正して発表した方が、読者にも作者にも幸福だったのではないか。

 小説を書くだけの実力と、幅広いテーマを作品内部に取り込める実力は持っている方なのだと思う。 それだけに長編としての瑕疵が残るかたちでデビュー作が刊行されてしまうことは、この作者の将来のためにも勿体ないことになりはしないか。二作目で読者を本当の意味であっと言わせてくれることに期待。


09/08/30
大沢在昌「撃つ薔薇 AD2023 涼子」(光文社文庫'01)

 ということで、大沢在昌氏の手元にあった未読作品を読んでみた。ドリームキャスト用ゲーム『UNDER COVER AD2025 Kei 』の原作に携わった大沢氏が、ゲームの世界に先行するかたちで発表した小説作品。前日譚となっているようだ。読み終わって双方の題名を比べるとなるほど、ということになる。また、同ゲームには京極夏彦や宮部みゆきがキャラクタ(本人の声付き)で登場したりするらしい。しかし、バイオハザード型ゲーム……ということは、反射神経ない人には厳しいのかな。

 西暦2023年。様々な国籍・人種が流れ込んでいる東京では犯罪が複雑化・凶悪化の一途を辿っていた。警視庁が打ち出した切り札は、警察による潜入捜査専門のセクションだ。自らの警官としての過去を嫌う美貌の女刑事「凉子」もまた優秀な潜入捜査員だった。新たに開発され、世界中に拡がっている合成麻薬・ブラックボール。その流通経路が日本にもあり、その組織に対する長期にわたる潜入捜査が上司から要請された。念入りに偽装された「元警視庁勤務」というバックグラウンドをひっさげ、凉子は取引現場の港湾に赴き、大胆な演技によって、その組織――CMPの課長クラスであるホーと知り合う。彼女を侮辱したホーの部下を銃で傷つけた凉子は、CMPを悩ませるトラックジャッカーの一味と、運び屋として最初の対決を果たす。彼女の知識と機転により積み荷は守られ、ホーは彼女に対する信頼感を増した。凉子は、トラックジャッカー組織と、その組織に内通しているCMP内部のスパイを発見し、CMPの正社員になれるように取り計らうようホーに要求。その調査の一貫で訪れたロシア人の溜まり場で荒くれ男たちに襲われそうになる。そんな彼女を救ったのが竜と名乗る東洋人の男だった。謎めいた過去を持つ竜もまた、ホーたちとは別の上司を持つCMP別部門所属。凉子は潜入捜査官という身分でありながら、竜に惹かれてゆく……。

近未来小説が、いつの間にかほんの少し先の現代小説へ。鮮度を保ちがんがん読ませるさすがの大沢リーダビリティ
 潜入捜査を扱ったミステリ作品は数々あるが、どちらかというと「敵に潜入捜査ということがばれてしまうのではないか」という焦りと恐怖をテーマに(メインではなくとも、主人公の感情としては大きな位置を占める)することが多い。そんな中、本書はかなり異色だと思う。その異色の主人公の立ち位置が物語のスピード感とテンポを高めている点、意識したしないにかかわらず大沢在昌という作家の天才性を感じる。
 主人公・凉子は、その潜入捜査官である。にも関わらず、ほとんどの場面、彼女は一心不乱に「組織」に取り入るために、その組織の一員としてなりきっている。 敵対する組織があることもあろうが、読んでいるうちに彼女が実際にその犯罪組織・CMPの一員であるかのような錯覚に陥るほどだ。警察官が主人公なのにならずものたちの謀略小説。 その不自然な設定を支えている一つの要素が、主人公が「美人」である点。なかなかこの点について作者は語らないが、中盤を過ぎて登場するエピソードによって彼女が経験した酷く辛い過去が、現代の主人公を形づくっているとなると妙に納得させられる。
 もう一点、改めて驚いたことがある。本書の初刊本(単行本)の刊行が1999年。恐らく執筆していたのがその前年だとすると、もう十年以上前に執筆された作品だということになる。その時点での近未来とされていた、様々なガジェットであるとか風俗であるとか、状況であるとかが、着々と2023年に至る前に現実化しつつあるのだ。当時であれば「まだ」のことが十年後の現在、いろいろと実現されていて、小説内部でもそれに違和感がない。 これがスゴイ。正直、未来小説(SFみたいなもの?)とは全く感じず、架空の現代といっても通じるレベルの作品でもあるのだ。多少の荒唐無稽さは否定できないが、それでも現代を舞台にする作家だって同じ程度の遊びはする筈だし。
 物語の流れのなかで多数の死者が発生するのは展開上仕方がないし、残酷シーンは思いっきり残酷なのは仕方ないにせよ、大沢氏の場合は死者(特に経緯を払われるべき)に対する視点が柔らかい(情に厚いともいう)。このあたりが人気の秘密なのかな、とも思う。また、物語内部の整合性についてもかなりしっかり作られている。

 あまり期待せずに手に取ったが十二分に愉しめた。ボリュームもあり読み通すのに時間もかかったが、その長時間の読書が苦痛ではなく快楽という希有な作品。エンターテインメント作家という意味ではやはり確たる実力を持つ作家の、そしてその作家が遊び心を注入して創造している作品なので出来が良くて当然か。


09/08/29
牧村一人「アダマースの饗宴」(文藝春秋'09)

 第16回松本清張賞受賞作品。受賞時の題名は『六本木心中』。松村一人氏は1967年千葉県生まれ。多摩美術大学卒業。2006年「俺と雌猫のレクイエム」で第45回オール讀物推理小説新人賞を受賞した経歴がある。

 八年間の刑務所暮らしを終えた笙子は元風俗嬢。犯行当時は覚醒剤中毒で、ある時に客であり、覚醒剤をそもそも持ち込んできた客の黒沢という人物を、正常な意識がない状態で滅多刺ししてしまった罪を償ったのだ。出所した彼女を待ち受けていたのは、ヤクザの雨宮。女性にも男性にも人気のある雨宮は、適当な女性や男性をヒモとして金持ちにあてがう仕事をしている。特に当てもなかった笙子は、雨宮から紹介された、笙子の昔と同様に覚醒剤中毒でぼろぼろだった瑠璃という女の子と暮らしはじめる。一方、笙子が八年前に夢中だった加治という男から、無言の電話が入る。加治もヤクザだったが、彼の当時の標的だった黒沢を、自分の女を使って刺し殺させたということで伝説的な人物になっていたのだ。その加治は笙子の服役中、IT企業の経営者を幾人も籠絡して数十億を常に動かしているらしい。さらにリーマンショック以降、経済的に弱ったヤクザ同士の経済戦争のなかで十億円を持ち逃げしており、様々な組織から付け狙われている。そして笙子もまた加治を呼び出す餌として、理由もよく分からないうちに様々な組織から恫喝を受ける。どうやら加治は、ヤクザたちの抗争を尻目に何かの『ゲーム』を始めようとしていたらしい……。

ちょっとハードボイルドの文脈とは違うような。ヤクザと女たちの仁義なき”ゲーム”ではある
 松本清張賞優秀賞作品ということだが、感覚的には「このミス」大賞系統に近い読中・読後感。普通の小説の文脈でいえば「安い」と斬って捨てられるようなウラ社会の人間たちによる、組織抗争が少なくとも舞台。ただ、単なる斬った張ったではなくIT企業のバブル期の話と絡めてあり、覚醒剤取引や、流行の中国やロシアの流入マフィアなどが登場しないところなど、近年のヤクザ系クライムノベルorノワール小説とはちょっと毛色が異なる印象を受ける。
 その違う印象のひとつが、視点が水商売にどっぷり浸かったうえに人まで殺した元覚醒剤中毒の女性である点。ただ、正直この点は両刃の剣で、当初は経済事情にも疎く、頭のあまり良くない女性といった描かれ方をしていた一方、物語の中途から頭脳キレキレのお姐さんに変身してしまう。物語をまとめる為の必然性があったとはいえ、中盤以降に感じた違和感もかなり大きかった。
 また、少なくとも本書は小生感覚ではハードボイルド小説ではない。 どちらかといえば謀略ないしゲーム小説という位置づけかと思う。別に社会に対して一言あるわけでもなく、ワイズクラックが効いている訳でもなく、何よりも主人公に確固たる意志とかそういう一本筋が通ったものが何もない。
 ただ、頭が良いと思ってしのぎを削っていた筈のインテリヤクザやIT企業の若き社長たちが、この主人公に関わることによって次々と競争から脱落していく展開や、そもそもの彼らのシノギの方法の手際の良さなど見るべきところも多い。清張賞の選者である大沢在昌氏がこの作品を選んだのも、このスマートなヤクザたちの描写力を見込んだ故のことではないだろうか。

 と、大沢氏の名前を引き合いに出してふと思ったが、大沢氏の作品が好みというタイプの読者であれば、かなり本書のテイストは口に合うのではないだろうか。松本清張という肩書きとはあまり内容・作風に関係がないけれど、そもそも今や江戸川乱歩賞の肩書きも乱歩愛読者のための賞という訳でもないし。


09/08/28
三津田信三「赫眼」(光文社文庫'09)

 これまで刀城言耶シリーズなどでは中編集も刊行されてはいるものの、三津田信三初となるノンシリーズの作品集。とはいえ、最終話は死相学探偵シリーズであり、他、作品内の記述から全体としてはメタ的構成を持つ三津田ワールドのなかの作品であることが伺える。基本的には『異形コレクション』に収録された作品が多い。

 貧しい格好と不潔な態ながら小学生と思えないような色気と美貌を持つ少女・目童たかり。主人公は友人と、その目童たかりの自宅を訪れることになるが、そこには何か……。 『赫眼』
 際立って異様な写真を撮影している写真家とコンタクトを試みた編集者。依頼のため、その写真家の住居を訪れることになるが……。 『怪奇写真作家』
 「オバケヤシキ」の原稿を書くにあたり、小学校の三、四年生の頃にお化け屋敷と呼ばれていた三軒の家を思い出した。うち三軒目は崖の上に建っている一軒家。完成したのに誰も住む気配がない家だった。 『見下ろす家』
 真夜中の二時頃、久しぶりにかかってきた同級生からの電話。五年前にホラー作家デビューを祝って訪れたある不吉な場所に彼はいるらしい。全編会話文で進む旧友たちの近況とは……。 『よなかのでんわ』
 温泉旅館に滞在中に見つけた廃屋。その廃屋から続く道にある露天風呂に、深夜に作家が入っていたところ、その山道から跫音がして隠居男が風呂に入ってきた。二人は何ともなく会話を交わし始めて……。 『灰蛾男の恐怖』
 Eさんの依頼で、話を聞いたものの『百蛇堂』に使えなかったエピソード。そのEさんが小学生時分に住んでいた京都の小さな小路は「後ろ小路」と呼ばれていた。同級生によるとふとした瞬間に別世界と繋がるという……。 『後ろ小路の町家』
 十年以上前、東京のカプセルホテルに泊まっていた男。洗面所の両方の壁には鏡が設えてあり、合わせ鏡となっていた。「鏡地獄」と呟いた僕に調子を合わせる博学な男。彼との会話のうちに主人公は不安になってくる。 『合わせ鏡の地獄』
 「死相学探偵」である弦矢俊一郎のもとを訪れてきた若い男。俊一郎がいかに「死視」を試みても死相は見えない。が、猫の僕の様子がおかしい。俊一郎は男・飯沼の依頼を聞くことにする。彼の友人が病院に入院中なのだとう。 『死を以て貴しと為す』 以上八編。他に『怪談奇談・四題』として「1 旧家の祟り」「2 原因」「3 愛犬の死」「4 喫茶店の客」がボーナストラックとして収録されている。

帯の「怪奇小説の最高峰」という表現もあながち違ってない。ホラー・ジャパネスクでの最高級のおもてなし
 中編集として『密室の如き籠るもの』が先行して刊行されているが、そちらは刀城言哉を探偵役に固定したシリーズ作品ゆえ、三津田信三氏初のノンシリーズ作品ということになる。これが実に禍々しく、凶悪ともいえる雰囲気に溢れたおぞましさ、恐ろしさに満ちあふれている。 以下、陳腐な表現しかできない自分を歯痒く思うがその言葉を超えた何かをつかみとって欲しい。
 さて、三津田信三氏。もともと、ミステリ系統の作品が今のところ著作ではまだ多数を占めている状態ながら、ほぼ全ての 作品において、ミステリにおける導入部にあたる部分、に恐怖の感覚を仕込んでいる。刀城シリーズは昭和期という時代背景もあるが、その時期だけではあの雰囲気は出せない。民俗系ネタや懐かしい系のネタを組合せ、とにかくおぞましく禍々しい雰囲気を作るのだ。この点に関しては間違いなく、現代作家でも屈指の実力がある。(褒め言葉なんやけど)。
 良くも悪くも……、ミステリとは違い、その解決部分がないまま雰囲気のなかに読者が放り投げられたらこういう気持ちになる、というのがこの作品集の本質にあたるように思う。一部の作品、例えば『灰蛾男の恐怖』や、『死を以て貴しと為す』といったところでは、(それが現実的解釈かどうかは別にせよ)オチに相当する部分がある。しかしそれをもってしても、怖いものは怖い。とにかくその雰囲気、場といったところを描写・表現することはもちろん、その自らが醸し出したどんより不気味で不安な空気のなかに読者を引きずり込むところがめちゃくちゃに上手い。
 正直、この作品集はフィクショナルでありながら、実話系怪談の出来の良いものを読んだときとの読後感が非常に近しい。ある意味では、読者の経験や既視感を利用しながら想像力をかき立ててくれるという言い方が適当かもしれない。まあ、なんというか怖いったらなく、万人いる読者の経験、背景だとかツボを無視した強制的怖さを持っていると思うのだ。

 初出が文庫がほとんどという背景もあろうが、これを文庫オリジナルで(しかも表紙に関しては一連の原書房版などと同じく、村田修画伯イラストを採用して)刊行してくれた光文社の英断にも感謝。この恐怖は限られた読者だけが楽しむのには勿体なすぎる。怖い小説が好きだという方は、まず外せません。ぜひ、寒くならないうちに一読を。


09/08/27
太田蘭三「木曽駒に幽霊茸を見た」(講談社文庫'90)

 太田蘭三氏の代表作には釣部渓三郎、「顔のない刑事」シリーズなどがあるが、本書はそれらからスピンオフし、北多摩警察署のウマさん(確認できていないが、他の作品でも脇役で登場しているものと思う)が主人公を務める警察小説&山岳ミステリ長編。初出は1987年刊行の講談社ノベルス。釣部渓三郎や蟹沢警部補も登場する。

 北多摩警察署に所属する刑事・相馬美之は巨体にして食欲も凄まじく、その通称はウマさん。食べることと山登りくらいしか趣味のないウマさんが、片思いしていた婦警と結婚した同僚から格安で譲られた乗用車でドライブをしていたところ、山道でワゴン車に衝突されてしまう。警察を呼びに現場を離れているうちに、ワゴンの運転手は逃げてしまい助手席に男が残されていたが、それは他殺死体だった。所轄とは異なる現場なので実際の捜査にはウマさんは加わっていないが、被害者は総会屋であったとの連絡が入る。一方、ウマさん自身は担当部署での強盗傷害事件を、なんと聞き込み最中の昼寝で寝過ごしてしまった結果見つけた不審者に職質をかけることで捕まえてしまい、さらには別の爆弾魔を取り押さえることにも成功する。そんな活躍の合間に、休暇を取ったウマさんが山に登ると、最初は女子大生・岸トモ子、そして銀座クラブに勤める美女・奥平麻美と次々に知り合いになる(麻美とは先の交通事件の際に先に一度出会っている)。ちょうどその頃奥多摩で女性の他殺死体が発見された。その女性は麻美の同僚だった。

それぞれが「場面」のために奉仕する事件と物語の流れ。山岳・登山と警察描写に長けた長編
 ……と、こうやって粗筋を書くとなんか行き当たりばったりのミステリのように思われるかもしれないし、確かにそういった側面がある。主人公のウマさんという存在は一貫しているものの、書きたいもののためにエピソードがあるといった物語構成になっているのだ。その「書きたいもの」だが、まず前半部。こちらはかなりチームワークや正確な描写を活かした警察小説として、起伏は少ないものの普通に愉しめる内容になっている。中盤部以降は、主人公・ウマさんが二人の女性と知り合う最初の登山、そして真犯人と目される男を追い詰めてゆく二回目の登山シーン――といったやはり山岳・そして登山の描写に気合いが入っている。
 これらはいずれもさすがはもともと山岳ミステリ/渓流ミステリの巧者といった手慣れた、そしてスリリングな展開に安心感がある。登山を愛する者しか表現し得ない様々な描写が、実際に読者を(まあ、気持ちのうえで、ですが)山に連れていってくれるのだ。
 幽霊茸という、題名に含まれる聞き慣れない単語も、その登山の過程で登場する。腐性植物の一種で、銀竜草というのが一般名称らしい。(正直、マタンゴの幽霊みたいな存在を題名から期待していたのは秘密だ)。山岳描写のなかで登場すると全く違和感ないものの、まあこんな奇妙な題名のなかにまで加えなくても……、と思わなくもない。物語の真相とは直接には関係していないことでもあるし。だが、この題名に興味を持たされた段階で小生の負けかあ。
 連続殺人事件が恣意的だったり、偶然が良い方に作用したりといったところ、トリックや謎解きの要素はほとんどなく、むしろ背景にあるのがヤクザ同士の抗争であり、人と人との繋がりに謎があるだけ、という意味でミステリというよりも、もっと一般的な音引きミステリーに属する内容。ただ、作者の得意とする分野をきちんと小説内部に活かしてあるので、ストーリー自体が凡百であっても、読んでいてそう気にはならなかった。(が、正直なところ細かいストーリーは暫くすると忘れそうではある)。

 山岳ミステリとして、あと、チームワークを旨とする警察小説として(と先ほども書いたが)、それなりに愉しめる内容でした。どちらかというと、その山岳と、警察という二点を作者自身も書きたかったのではないかと思うような展開なので、一連の太田ミステリーのファンの方向けというのが本来の読まれ方のように思われます。


09/08/26
三津田信三「密室(ひめむろ)の如き籠るもの」(講談社ノベルス'09)

 刊行される度にミステリ系ランキングで高位を獲得する「刀城言耶シリーズ」、初となる短編集。ただ短編集といえど書き下ろしの表題作は、一冊のうちの半分を占めており、長めの中編、ないし短めの長編程度のボリュームあり。他三作はこれまで『メフィスト』にて発表された作品。

 お屋敷街で発生した独身女性ばかりを狙った首切り魔事件。四名の犠牲者を出したところで現場近くに住んでいた元貴族の青年が自殺をして終結した。その青年の婚約者は命日になると、袋小路にあるその自殺現場に赴くのだが、遂に怪異な現象が発生。 『首切りの如き裂くもの』
 ある山村に行商に訪れた二人の娘。彼女らのうち一人は、村の境にある「天狗の腰掛」という場所から民家を見たといい、もう一人はそんなものは見ないという。その話を聞いた別の行商は「迷い家」だと言い出す。 『迷い家の如き動くもの』
 女性教諭の多賀子は、幼い頃から扉の隙間から、自分の知るはずのない光景を見た経験があった。学校宿直の見回りの途中、教室の扉の隙間から何かに襲われている校長の姿を見てしまう。その校長は実際に殺されていたのだが……。 『隙魔の如き覗くもの』
 名家・猪丸家に突然現れた記憶喪失の女性。狐狗里さんを能くする彼女は当主の後妻に収まり、時が過ぎる。当主の前妻二人が亡くなった蔵のなかには「赤箱」なる曰く付きの存在があり、館を訪れた刀城の前で密室殺人が……。 『密室の如く籠もるもの』 以上四編。

雰囲気を盛り上げて恐怖を喚起するだけでなく、繊細なバランスが成り立つ描写と結末に至る展開がやはり凄い
 三津田信三のこの刀城言哉シリーズは毎回本当に感心させられる。というのは、本格としてのロジックによって解かれる解決以前の、不可解状況/不可能犯罪の描写のレベルが非常に高いのだ。今回まとめて感想を書いた『赫眼』でもそうだが、言い伝えや噂、民俗学的、土俗的な習慣などを活かしてほんの数ページを紡ぐだけで、独特の「雰囲気」を創り上げてしまう。うまくいえないが、「この世ならぬものの存在が許されるのではないか」といった語りかけ方となっている一方で、毎回毎回、これが本当にミステリとしてのオチがあるのかと、読者側も不安になるような構造みたいなもの。
 一方、本書はミステリとして書かれていることもあって、解決に必要な伏線も各所に配置されている。その分、純粋にホラーとして書かれる短編集と改めて比べてみると序盤のエピソードが若干重たくなってしまっている気もする。とはいっても、刀城言哉というキャラクタは多少変人ながら、そう癖のあるキャラクタではないので、どの作品から読んでも初めての読者が違和感を覚えたりすることは少なそうで、その点は本書も同様。一方で作品の各所にこれまでの長編で描かれた物語との関連性や時系列を示す文章が挿入されているなど、シリーズ読者の楽しみもサービスされている点も特筆すべきだろう。
 また、ミステリとしてのバランスが、恐らく意図的に調整されているように思える。 ミステリとしてみた場合は物理トリックが基本的に存在しながら、そこに恐怖感を煽っているがゆえの心理的、視覚的な錯覚を組み合わせて効果的な謎に仕上げている、といったことになる。その意味では表題作における視点の転換や登場人物自身の一人称で語る際に発生した錯覚などが上手く本文に活かされ、読者に対する強烈なミスリーディングになっている点なども評価すべきところかと思う。当然、素の本格ミステリとして高く評価できる作品が並んでいるということだ。

 基本ホラーミステリなのだが、本格としての工夫であるとか得心度といったところも十分で、やはりレベルが高い。表題作などは既存トリックの焼き直しでしかないのだが、物語の工夫によって十分驚きが得られるというあたりに、この作者の奥深さを感じる。


09/08/25
歌野晶午「絶望ノート」(幻冬舎'09)

 歌野晶午氏の作品の多くには、強い毒があり、本書もまたそういった強烈に毒が回った作品だといえるだろう。書き下ろしのノンシリーズ長編。

 中学校二年の太刀川昭音(しょおん)は、子供の頃から渾名は「タチション」でからかわれてきた。それもこれも、ジョン・レノンと同じ誕生日で、その生涯も似てしまったことからビートルズを崇拝して生きる父親・豊彦が、ジョンの息子・ショーンと同じ名前を無理矢理に付けたことから始まっている。母親の名前は瑤子。旧姓は小野寺で、当然オノ・ヨーコが意識されている。ハウス・ハズバンドと称する単なる無職の豊彦は浪費家である一方、母親が夜中まで働く毎日で昭音の家はいつもお金のことで汲々していた。そんな昭音がつけた日記。表紙には「絶望」と多数書かれたその日記のなかには、昭音の学校での出来事が綴られていた。――是永雄一郎をはじめとした級友数名が、巧妙に自分をいじめているという内容だった。そのいじめはエスカレートしており、万引きを手伝わされたり、身体を傷つけられたり、陰湿な手法がとられ、何かあった時は全て昭音の責任になるよう仕組まれていた。昭音は、校庭で見つけた石の塊を”神様”として家に持ち帰る。その名はオイネプギプト。いじめに耐えかねた昭音は、そのオイネプギプトに「是永雄一郎を殺してください」と祈る。そして何日かの後、是永は校舎から転落して死亡した。

真相が明らかになった瞬間に、二番底で物語へのスポットライトが変化。単なるイジメ主題ではない
 黒歌野だのダーク歌野だと腹黒い方の歌野だの、歌野晶午先生には失礼ながら読者は(小生も含めてだが)歌野作品のうちある系統を持った作品にレッテルを貼る傾向がある。本書もその暗い読後感という意味では共通ではあるし、序盤の事細やかな、イジメを受ける側からの描写なども決して明るくないことを考えると、それはそれでも良いようにも思う。が、本書の場合の主題はその単なる暗く陰湿な小説という位置づけからは微妙ながらズレがあるようにも思うのだ。
 ある程度ネタばれを含まないとそのあたりが書けない。
 (以下ネタバレ含む) 本書の大部分を占める「太刀川昭音が受けたいじめ」という部分は、本人による創作である。一方、そもそもの昭音の狙いは、奇妙な趣味(昭音的に)にどっぷり浸かったまま、働こうとしない父親と、そんな父親を積極的に窘めることもせず、自分が家計を支えていることを免罪符に自分のことを構おうとしない母親の真意を正すことにあった。「絶望ノート」を眼にしてしまった彼らは、彼らなりに昭音のことを考えて極端な動きを、息子に知られないように動き、結果的にノートに書いたことが実現したかのような事態が発生する。――と、ここまではミステリの真相として「あり」。ただ、結局は昭音自身は自ら望んだ問いの回答を得られたことにならず、事態は改善しないまま(更なるどんでん返しのなかで豊彦が死亡するとはいえ)嫌な結末へと向かってゆく。思うのは、親としての自覚もないまま独善的に、身勝手に生きる大人に対する大いなる皮肉がむしろ主題なのではないかということ。 強烈だな、と感じたのは誰が見ても身勝手だとしか思えない豊彦の一人称部分。その生き方に反省や向上心が全くなく、自己正当化したうえで自分の生き方が家族の理解を得られていると思い込んでいる点。一方の瑤子にしても息子の日記を読んで事態に青ざめはしても、息子自身ときちんと相対することが出来ず、こちらもまた突っ走るのみ。家族として最低限のコミュニケーションすら欠き、互いに互いの不満を押し隠したまま暮らしてゆく家族。このようなかたちではなくともいずれ崩壊は免れなかったのではないか。(ここまで)。
 結局のところ、家族間コミュニケーションであるとか、すれ違いであるとか。そういった基本的な事柄が悲劇を増長させてしまい、取り返しの付かないことに至らせてしまっているようにみえる。むしろイジメであるとか、そんな日記を書いた昭音であるとかの問題は後半部では薄れてしまっていき、作品全体の印象という意味では軽くなってしまうのだ。むしろ、世の中の、子どものいる父親と母親に対するメッセージの意味合いがあるように思えてならない。「あなたたちの家庭は大丈夫ですか?」

 ――とはいっても、じゃあ爽やかな小説なんですか、といわれると答えは当然ノー。ミステリとしての仕掛けの大枠は見通しやすいものの、細かなどんでん返しが多くあるので意外性としては十分でしょう。主題の暗さを別にすれば、ミステリとしてのレベルは水準以上。つまりは、これまで刊行されている、暗めの結末を迎える歌野作品に対して「OK」を出せる方であれば当然本書は大丈夫ということで。


09/08/24
芦辺 拓「殺人喜劇のモダン・シティ」(講談社文庫'00)

 ご存じの通り『殺人喜劇の13人』で第1回鮎川哲也賞を受賞してデビューした芦辺拓氏の第三長編。オリジナルは東京創元社より'94年に刊行されており、大幅に加筆された文庫が本作にあたる。(第二長編として発表された『保瀬警部最大の事件』は、デビュー前に書かれていた作品なので、本書が本来の受賞後第一長編ということになるらしい)。

 よりによって深夜とはいえ大阪の街中に飛行機を着陸させようとする二人の男たち。果たして彼らをそれほどまでに駆り立てた事件とは……?
 昭和九年。レストラン王の娘にして芝蘭高女に通う女子高生・平田鶴子は探偵小説が大好きな変わり者。彼女がいつものように満員のバスで通学していたところ、男が突然倒れて死亡してしまう事件が発生した。元々事務屋として東京に本社のある仮名文字新聞社に入社し、大阪にて新米記者稼業を開始した宇留木昌介は、早速この事件の取材に赴き、そこで鶴子と知り合った。続いて、男が乗車したバス停付近のビルで、怪しげな芸能プロを経営していた高嶋という人物が殺害される事件が発生した。時計仕掛けで毒物が発生するといった奇妙な装置が現場に残されており、容疑者は限定されてしまい、むしろ事件は混迷の度合いを増してゆく。そのビルにあるホテルには、つい最近、蒙古から帰国した異端学者・香山が滞在していた。香山の娘・未亜とは鶴子は小学校の同級生。同じ芝蘭高女に通うことになった未亜は、鶴子を無視するようなそぶりがあり、鶴子は気を悪くしていた。鶴子と宇留木が調べを進めるうちに、被害者たちは、蒙古に渡って「大東亜建設の曙」という映画撮影に関わっていたことが判明、その映画の関係者は、宇留木の親友で俳優の夏川民弥を含め、既に何人もの人間が不審死を遂げていたことも判ってきた……。

場所(大阪)と時代(戦前)の徹底的な活写。そのうえで展開される少女と青年の冒険活劇の魅力
 「殺人喜劇」という題名は繋がっており、時代は異なれど作品世界も繋がっているが、デビュー作との直接の繋がりはなく、この作品と同じシリーズにあたるのは、'09年になって十年以上ぶりに刊行された短編集『少女探偵は帝都を駆ける』。同シリーズでも主人公を務める女子高生・平田鶴子と、仮名文字新聞記者・宇留木昌介の最初の出会いは本作で描かれる。(ちなみにエピローグも意味深だったりする)。前作にあたるので当たり前といえば当たり前だが『少女探偵…』での鶴子と宇留木との微妙な関係は、本書を読むと「なぜそうなったか」がよく判る。
 さて本作。主人公はもちろん上述の二人だが、もう一つの主人公がある。それは戦前の大阪という街、そしてその時代特有の風俗である。改めて読むに、この時代の大阪風景の活写は執拗ですらあり、非常に詳しく、そして地元民観点からしても浮ついておらず実地的。この時期の芦辺氏の持っていた大阪に対する思い入れが強く顕現している。大阪城の再建の話題や、当時大阪に滞在していた実在の有名人(円谷英二や、エンタツ・アチャコら多数)が、物語の筋書きに関係ある存在としてあちこちに顔を出す。風太郎もかくやといった虚実入り乱れた世界構築や、その演出は心憎いばかりである。(が、一方で、そのことが評価されないとなるとこれは凹む)。他、後半には戦前の関西を中心にした探偵小説作家の先達も登場、その描写も通り一遍ではなく彼らが本業をもった実在の青年たちであったことを伺えるエピソードで構成されている。深読みすると「失われた探偵小説」を求め続けた、鮎川哲也氏へのレクイエム(オマージュかなあ)といった趣すら感じてしまう。
 展開そのものは、わざと探偵小説的に隙を作って崩してあり(雑という意ではない)、その分、遊び心をもって登場人物が駆け回っている。連続殺人の執拗さ、プロローグの飛行機といったところはフィクショナルな趣が強く、むしろ映画的。ただ、恐らくはその点は作者の趣味から考えても意識的なはずで、小説でありながら視覚効果も計算されている。また、ミステリとしても、細かな雑学tipsや盲点をついたトリックなどいくつものネタが大胆に使われている。ただ、個人的には作品としては、本格ミステリの狭い枠組みで捉えるよりも(もちろん要件は満たしているが)、やはり扱われている時代の雰囲気と共に根源的な探偵小説としてその旧き懐かしき良さを楽しむべき作品なのではないかと思う。

 自分自身、『少女探偵は帝都を駆ける』が再読のきっかけになっている。(どうやら本書は品切れの模様)。とはいっても、多少入手に手間がかかっても同作品集を読まれた方には続けて本書も読んで欲しい。このシリーズに対する愛着がもっと強くなるはずだ。また、当然のことながら時代によってまったく色褪せることのない作品でもあり、機会さえあれば他社からいつ再刊されてもおかしくないと思う。芦辺拓氏の初期の傑作として記憶しておいていただきたい。


09/08/23
西尾維新「DEATH NOTE  アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件」(集英社'06)

 第23回メフィスト賞作家(という肩書きが西尾氏の場合どこまで有効になるのか不明だが)であり、ラノベ系統では絶大な人気を誇る西尾維新氏が、『週刊少年ジャンプ』にて超人気連載作品となり映画化もされた『DEATH NOTE』(デスノート)原作大場つぐみ、作画小畑健をノベライズした作品。本作品内のイラストも実際に小畑健氏が担当している。

 公式に残っているだけで三千五百を超える難事件を解決し、刑務所に押し込んだ犯罪者の数はその三倍。一個人でありながら世界中の捜査機関を自由に操る世紀の名探偵「L」(エル)。百万ドル以上の被害額、もしくは十人以上の死者が出なければ捜査に乗り出さないといわれる彼が、たったの三人(!)が殺害されただけで解決に自ら乗り込んできた事件。それが、ロサンゼルスBB連続殺人事件だ。FBIを休職中の日本人捜査官・南空ナオミは自宅で自分のノートPCがハッキングされ、「L」からの捜査協力依頼を受ける。Lほどの人物が何故自分を名指しで連絡を取ってきたのか不明のまま、ナオミは合成音声の命ずるままに「ロサンゼルスBB連続殺人事件」の捜査を手伝うことを了解する。三人の一見無関係の人物が次々に殺され、それぞれの死体は密室状況下にあったのだという。警察が徹底的に捜査したにもかかわらず、Lは現場には犯人が意図的に残したものがあるはずだと主張。ナオミは命ぜられるまま捜査を開始、最初の被害者宅を訪れたところ、とんでもない場所から現れた男がいた。彼は自分のことを「竜崎ルエ」という探偵だと名乗り、ナオミに対して共闘を要請する。

凝った装幀に凝った内容。ノベライズを超えて意外性のあるミステリとして読む
 いや、原作に対する思い入れの全くないオレが感想を書いていますよ、と。
 なので原作設定を無視して純粋にミステリとして本作を見た場合――意外と悪くない、というのが率直な気持ち。というのは名探偵がどうとか、記述者の意味ありげな(実際意味はあるのだけれど)もともとの設定を無視して、連続殺人事件のミッシングリンクものとして、そしてその意外に過ぎる動機ものとして、端正に描かれた作品になっている。 それぞれの謎は作品中からも、フェアな記述があり読者が推理が不可能ではない(では、可能かというと難しいという答えになるとはいえ)きちんとした構成なのだ。
 頭文字が同じというだけで取り立てて共通事項が見つからない人物たち――ビリーヴ・ブライズメイド、クオーター・クイーン、バックヤード・ボトムスラッシュらが、数日おきに殺害される。しかもその殺害方法は三人が三人とも異なっており、現場には最初に四つ→三つ→二つと、藁人形が壁に突き立てられて遺されていた。探偵役と視点人物を務めるFBI捜査官の南空ナオミ、そして被害者から依頼されたとして中途から南空と共同捜査を持ちかけてくる「竜崎ルエ」を名乗る謎めいた探偵との二人がその謎に迫る。
 確かにかなりこじつけと思える被害者の共通点や犯人が残した謎から、四人目の被害者候補を類推していく過程は強引。牽強付会が過ぎるようなロジック、無理矢理にこじつけられたような法則性は、読者によってはついていけないかもしれない。(正直、登場人物と同進行の推理なぞ、小生は最初からやっちゃいないが)。四人目の被害者がほぼ特定され、南空ナオミがその現場に駆け付けた時に、動機を含めて様々な秘密の中身が読者の前に明らかにされるという展開は悪くない。
 また、作品内、そしてそもそも原作含めた物語設定内でしか通用しない動機でこれらの事件が引き起こされていたのだが、こういった多少の犠牲があっても自らの執念を初志貫徹するサイコな犯人を描かせると、さりげなく西尾氏の巧さが引き出される。ミステリに分類される西尾作品であっても、この傾向は顕著なことであるし。

 ただ、普通の西尾維新ファンが読むと微妙に肩透かしというか、西尾維新作品の特徴である「脱線」が全くといっていいほどない点は驚かれるかも。そのことは裏返しに取れば、それだけこの世界設定の取り込みをしっかりとなし遂げたということでもある。デスノと西尾、どちらも知っている人が(かなり多そう)読むのが一番ハッピーか。


09/08/22
藤岡 真「七つ星の首斬人」(東京創元社'09)

 『ゲッベルスの贈り物』や『六色金神殺人事件』、そして『ギブソン』『白菊』など、怪作ともいえる本格ミステリを発表してきた著者の(他にもっと相応しい呼び方はないものか)最新長編。書き下ろし。

 物理学教授でありながら「名探偵」としての顔を持つ海渡欄太郎。彼の友人でミステリ作家の大伴駿平は、海渡が解決してきた数々の事件をフィクションとして発表、彼のオリジナルの著作を大きく凌ぐ人気シリーズとなっている。大伴のもとに持ち込まれたストーカー侵入事件を易々と解決した海渡のもとに、警視庁捜査一課の魚柄という刑事が訪ねてきた。魚柄はこれまでも難事件の解決を海渡に委ねることが多く、今回も身元不明で首がスッパリ切断された死体の件で相談に来たのだ。海渡は事件に興味を示さないが、警視庁に「七つ星の首斬人」と名乗る犯行予告が届けられ、さらに同じような死体が発見される。発見された死体のように首を切断するのは常人には不可能で、余程の手練れの剣術者が関係しているのではないかと思われた。(プロローグでは曰くありげな剣術道場のエピソードが記載されていることもある)。一方、海渡は同僚の伊佐凪久作准教授から奇妙な依頼を受ける。正七角形には未知のパワーがあるので、そのパワーを検証する実験に協力して欲しいというのだ。しかし伊佐凪は、海渡が入るはずだった七角形・木造の小屋の内部、しかも施錠された状態のなか首を切断された死体となって発見された……。

正統派犯人当て(?)かつ本格ミステリ指向の強い作品、しかしどこか歪みが……。
 事件自体がまず奇妙。達人クラスの剣士でしかなし得ないような死体。さらにどういうトンデモ理屈か判らないが、未知のパワーがあるという正七角形の建物を建造、自ら奇怪な死を招いてしまう大学准教授……。細かいところは繊細に繋げておきながら、物語の根本を形成するストーリーの取り回しで大胆な強引さをみせる――これこそ藤岡スピリット。
 また、どこか『虚無への供物』を思わせる事件と場所との関係(そういえば『白菊』からも同じ匂いがあったような)、さらに『五色金色殺人事件』なる作品内作品やウォッカ・マティーニはじめ過去の自作とところどころ重なる固有名詞がちらつく点など、藤岡ファンがニヤリとするような細かな趣向も忘れていない。
 それでいて、今回の作品は恐らくこれまでの藤岡長編と比べると、もっともオーソドックスな謎解き小説となっているのが特徴。なんたって解くべき事件が何なのか序盤から判るのだ。(この意味が分からない人は、他の藤岡作品を読むように)。密室トリックそのものは、少し(というか今時これは)どうかと思うレベルながら、フーダニットとして果たしてこの連続殺人事件の裏側で糸を引いているのは誰なのか、という点、さらにはそこに至るダミーの解決等々興味深く読めた。惜しむらくは、登場人物がかなり多く、かつごちゃごちゃしてしまっているうえ語られない過去の因縁が絡むため、読者が正面から推理するのがかなり困難なところか。読了後に「ああ、あれが伏線、これも伏線」という点は藤岡クオリティの常にてよく出来ているので、むしろ、その読了後の得心感を楽しむ作品なのかもしれない。

 ということで、藤岡真氏の著作ラインナップに奇妙な作品がまた一冊。普通のミステリには飽き足らないというマニアは必読でしょう。ただ、藤岡真初体験が本書だと戸惑われると思うので、創元推理文庫の『ゲッベルス』か『白菊』あたりを先に読まれることをお勧めします。


09/08/21
藤 桂子「二重螺旋の惨劇」(光文社文庫'98)

 父親の藤雪夫とコンビを組むかたちで1984年『獅子座』にてデビューした藤桂子。共著で『黒水仙』を発表後、単独名義で『疑惑の墓標』『逆回りの時計』といった作品を刊行している。本書は大江沙織というキャリア警部を主人公にしたシリーズ作品の一作目でオリジナルはカッパノベルスから'93年に刊行された長編。

 美人女性キャスターが殺害される事件が発生。現場は世田谷のマンションで扉は閂によって施錠されている密室状態だった。心臟を一突きにされた遺体には、犯人によるものと思われる念入りなメーキャップが施されていた。現場の状況から、一年に一人の割合で美人女性ばかりを狙って殺害、少し前まで世間を騒がせながら迷宮入りしている”メーキャップ連続殺人”の犯人による事件だと断定される。キャリア女性刑事である大江沙織警部は、若手刑事・吉村とコンビを組んでこの事件を追うことになった。死体を見ても眉一つ動かさない冷静な彼女の態度や挙動に、吉村は驚きを隠せないが、実は彼女自身にも心の底に深い傷を負って生きてきた過去があり、それを押し隠すための仮初のものであることを知る。沙織は自分自身の経験をもとに犯人の心理状態を推理しようと試みる。しかし、続いて別にメーキャップ連続殺人とみられる事件が発生、被害者同士に 繋がりはみられず、捜査は難航が予想された。

本格トリックを様々に配しながら、社会派テーマのもとサイコサスペンスを醸成する贅沢なミクスチュア
 上記もしたが、本書はさまざまな要素が絡み合って構成されており、どの部分に切り口を求めるかによって異なる印象を持たれる作品だと思う。取り上げやすいところでは本格の要素。序盤に登場するチェーンではなく太いラッチによるマンションの密室。このトリックは気持ちは分かるが今となってはバカミス系統。またコンビニのレシートを利用したアリバイトリックはオーソドックスながらディティールで凝っており、POSデータから破綻してゆく点なども時代を反映していて個人的にはこちらが好み。
 また、サスペンスがメーキャップ連続殺人という猟奇的テーマから生み出されるものではない点には意外性がある。途中からある一族の兄弟による葛藤が少しずつ物語にて触れられていく。過去のエピソードからその憎み合うようになった経緯、そしてやはり未熟というか、自分本位で子どもを傷つける親との因果が、本書では最も重要なテーマとなっている。 社会問題として大きく取り上げられる前に存在した極端なネグレクトにして虐待。その結果として育まれた狂気が本書の事件の底流に横たわっている。
 ラスト近辺では捜査する側の大江沙織も巻き込まれるかたちでの監禁脅迫とサスペンスが盛り上がる。この狂気は、沙織の機転による意外な行動によって収まってゆく。結果的に全く中盤までどう繋がるか判らなかったプロローグ(破産の危機に瀕したある人物が浪費家の妻を毒殺して自殺しようとしている)に繋げられるが、その連環は見事だといえよう。

 読んだのが本書一作なので、まだ藤桂子という作家の特徴がつかめたとは言い難い。藤桂子さん自身、放送ライターをなさっているとのことなので、場面の切り替えや登場人物配置にどこかテレビドラマ的な演出もみられる点は、本書を読んで気付いたところ。

 恐らくカッパノベルス版からの流用だと思うのですが、この文庫版でもカバーの折り返し部に、鮎川哲也氏による長めの推薦文がついています。一応、こういうことを知りたい人もいると思うので。