MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/09/30
牧野 修「少年テングサのしょっぱい呪文」(電撃文庫'09)

 もともとゲームのノベライズや、ソノラマ文庫も数冊手がけている牧野修氏がラノベ・レーベルのど真ん中・電撃文庫より書き下ろしで新刊を刊行。ここのところの前作もフォア文庫であり、なにやら裏(?)があるようにも思われる。表紙を実際に目にしてもらえば判る通り、ラノベの常道ゆえ目立つのは美少女系イラスト(すめらぎ琥珀画伯)。さあ、探すのだ。

 一見のところごく普通で、少し莫迦なところがある高校生、名前は心太と書いてココロと読む……のだが、渾名はテングサ。さらに彼の周囲には二枚目系の「あっちゃん」(本名は地球と書いてアース)、三枚目で小太り、いつも何かを食べている「サトル」(本名は佐藤ルキア。渾名は略称。ちなみにこの高校にはルキアという名が三十二人いるらしい)。らは、常日頃から喫茶店「不眠症」にてバカ話に興じる親友同士。彼らの興味は二つ年上のウェイトレス、ナツメグこと夏恵(なつ・めぐみ)さんだった。しかし、そのテングサ、子供の頃に父親の政府への申請によって邪神が一級邪神ジゴ・マゴに憑依されている。邪神は人間を憑代とする必要があるが、一旦憑依された人間は邪神法人として登録され、法律に則った手続きのもと呪殺などの仕事を請け負っている。日本に数十いると言われる邪神は、通常は人間の姿を模した仮想人格を作成し、戦闘などの業務を行うというもの。テングサはジゴ・マゴと果たし合いをしようというネチカとゲスチエらの仮装人格につきまとわれる程度の日常を送っていたが、娘がイジメで死んだ母親からの呪殺を依頼されたり、ナツメグの妊娠が発覚してその周囲に奇妙な現象が発生したり。バカたちの日常も徐々に不穏な空気に支配されていく……。

牧野テイストのヘンテコ設定と激しい血飛沫き。生き馬の目を抜く邪神会社の争い。そしてああ、麗しきおバカたち。
 古来、ちっぽけな人間が偉大な神様やそれに類する強大な力と何か約束することを「契約」という。本書のベースはその「契約」という要素というかコトバを拡大解釈して、法人や法律といった裏付けを付けちゃったものだ。つまりは駄洒落のような設定がベースにある。そのお役所仕事を皮肉ったような序盤のやり取りなども笑えるのだがけれど、ラノベとしての主題は、やはりおバカな青少年たちによるおバカなやり取りにあるように思う。友人たちには素直に接していても、女の子に正直になれないところや、自分の心の底を入院中の祖母に吐露してアドバイスを貰うところなどはお約束だし、いい話。(この相談時に祖母の口調が変化するところも結局は伏線なんですよねえ)
 そして作品への味付けも変化球だ。少し前までは、子供の名前にこんなのつけるのか! という驚きが現実にあったが、今や現状がフィクションを超えたような名前の子供たちが現実にいっぱいいる。さすがにピカビアは日本人の名前として考えにくいけれど、ルキアとかアースというのは普通に今後「あり」なのかもしれない。ただ、本作の段階では、その妙な名前にコンプレックスを持つ学生たちが集まっているという点、微妙に巧みな設定だともいえる。さらにネチカとゲスチエのコンビは、ドロンジョ様と(ボヤッキー+トンズラー)/2といった趣の、これもお約束。ただ、折角のネチカの大人女性の魅力は、少年たちの視線からはナツメグこと夏恵という年上キャラと被ってしまっており効果が減ぜられているのが少し残念。
 また、ホラーであっても理屈で割り切れる作品の多い牧野氏。ミステリ的というよりも、SF的なオチをきちんとラストに用意して読者を得心させることも忘れていない。このオチまで来ると本来のラノベ読者だけではなく、やはり牧野SFが好きという読者をも楽しませようという壮大な意欲があったのかと驚かされる。(結果的にこうなったのかもしれない点は置いておいて)。

 ただ、個人的にもっとも本作にて印象に残るのは、全ての事件が一件落着したエピローグ段階。普通なら、普通の青春小説であれば、「一皮剥けて大人になっている」筈の主人公たちが、「全く成長していない」という事実。ある意味で最大の衝撃でもある。結局、少年は少年である限り、ずっとバカであるという牧野氏の掲げた主題は見事に体現されている訳で。嗚呼。(ラノベの感想ってどう書くのが正しいのかよく判らんです)。


09/09/29
石神茉莉「謝肉祭の王 玩具館綺譚」(講談社ノベルス'09)

 「異形コレクション」シリーズなど、幻想・ホラー小説畑を主な活動領域としている石神茉莉さん。本書は、同じく講談社ノベルスから刊行された長編デビュー作品『人魚と提琴(ヴァイオリン)』に引き続く「玩具館綺譚」シリーズ二冊目。

 被ると一年間、王として振る舞うことが出来るが、一年後に処刑されるという「謝肉祭の王」の小説。寡作作家だった友人の矢川ルイジは、そのルックスと共に一時的に流行作家となるものの、その小説の内容を追うように「仮面」を残して失踪してしまった。女子高生作家としてデビューしながら、現在はシングルマザーという身の林原水晶こと、千晶。彼女は仮面が手掛かりにならないかと玩具館「三燐亡」の美珠を訪ねてゆく。特に害がないといわれた仮面を千晶は好奇心に負けて被ってしまう。しかしその後、奇妙な出来事が千晶を襲う。執筆した短編小説が映画化され、主演しており友人となった、同じくシングルマザーの女優が原作と同じように崖から投身して死んでしまう。さらに執筆を開始した救いのないホラー小説で、目の前にある建て売り住宅をテーマにした内容にしたところ、実際に住んでいる家族が次々と不可思議かつそして不幸な目に遭ってゆく。娘の理沙の親権に関して、執拗く千晶に絡む不倫相手・理人の母親・慶子もまた、意識不明の重体に……。果たして仮面には本当に呪いの力があるのか。千晶はある恐ろしいことを自らの手で行った挙げ句に、玩具館「三燐亡」へと駆け込むのだった。

不安定な物語構造を逆手に取った幻想風味。様々な不可思議趣味のガジェットへの愛も溢れる
 上記した梗概だが、アップしておいて言うものなんだが上手く書けていない。本来は千晶自身が身籠って子供を産むまでのお化け屋敷管理人の経験であるとか、理沙の父親で元上司、樋口理人のマザコンぶり、更にはその母親・慶子の嫌味にして身勝手な論理など、細かな点で本来書き記すべきことも抜けているように思う。ただ、言い訳がましいが、序盤から中盤にかけて物語構成に揺らぎというか、「ぶれ」みたいなものが感じられるのだ。時系列がしばしば前後し、さらに頻繁に本筋から脱線する膨らみ方を物語が持つ。
 特に、結果的にあまり本筋とはあまり関係のないアクセサリーや音楽、映画に関する小さな蘊蓄だとか、お化けや妖怪、鉱石だとかへのフェティッシュともいえる言及がみられる。そのどれもが、物語の根幹にかかわるものではなく、むしろ物語全体の雰囲気作りに役立っているというレベルである。このあたり作者の個人趣味が透けてみえるところがかえってユニーク。さらに「三燐亡」の場面になるとゾンビ好きの兄のマニアックさが際立ち、急に凝った料理や飲み物が登場してみたりとその傾向がエスカレートしているように思える。ただ、その脱線も含めて初めて「玩具館」シリーズが成り立っているのではないかと感じられた。
 例えば、物語全体でいうと幽霊屋敷の管理人体験などは微妙に現実と幻想の境目にあって読んでいて位置づけに困る話なのだが、物語全体のなかでは違和感なくマッチングしている。一方、本筋では、簡単にいうと自分の書いた物語通りに現実が進んでゆくという恐怖を描く。この部分は真相含めて幻想ミステリ的で好悪は分かれようが、解決は半分理に落ちており、これもまた物語へのマッチングとしては悪くない出来だといえよう。時折の脱線にしても、物語の立ち位置をあえて地べたから遊離させることには役立っている。

 全体として、作者が趣味に任せて好きなことを書いているようでいて、実は一応まとまっているし、それでいてやはり物語自体がぐらぐらしている。 登場人物に対しても優しい視線が向けられていると思うと、いきなり残酷な運命に落とされたり、「物語を創造する王」の位置を作者が楽しむ残酷さもある。こういった「ぐらぐら感」こそが、幻想小説作家・石神茉莉としての持ち味なのだと思うので、これはこれで良し。
 ただ、本格ミステリ原理主義者にお勧めできるかというとそんなことはなく、幻想小説をある程度解することの出来る方に読んでいただきたい作品であることは確かです。


09/09/28
山下貴光「少年鉄人」(宝島社'09)

 第7回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞受賞作『屋上ミサイル』でデビューした著者の第二作品……と思ったら、著者紹介には別の著書の名前が既に。『HEROごっこ』(文芸社)は、大賞受賞前に著者が刊行している作品のようだ。

 人気アニメの人気フィギュア人形を発売日に買うために近道をした小学六年生・太一は、二人の不良に目を付けられる。二人は人気のないその道で、フィギュア目当ての少年からお金や現物を巻き上げていたのだ。脅され、怯える太一の前にひょろっとした人影が現れ、「世界を変える」と言い、二人に突っかかる。その少年もぼこぼこにされ、太一は結局所持金を差し出すのだが、彼こそが隣の小学校からの転校生・鉄人(てつひと)だった。クラスでも身体が大きく、乱暴な性格をしている和真。二人の子分を従え、クラスの王様として君臨していた和真もまた、鉄人の態度や行動にほだされ、いつの間にか友達に。さらにクールな秀才の義之、その義之が思いを寄せる男勝りの学級委員・千秋も加わり、五人は友達になった。彼らは自分の秘密を少しずつ友達に明かしてゆく。鉄人が友達たちを引き連れて行ったのは、ホームレスのところ。仙人と鉄人が呼ぶその男は謎めいた雰囲気を持ち、彼らに助言を与えてゆく。一方、街では小学生を狙う通り魔が跋扈しており、その危害は徐々に太一や和真の知人にも及ぶようになってきた……。

一人の天然男子が繋ぐ”友達”の果てしなき輪。世界は変えてゆけるのか。
 『屋上ミサイル』でみられた、伊坂幸太郎テイストというのがじんわり柔らぎ、普通の小学生・青春小説としても読めるようになった印象。(とはいっても、仙人という浮世離れした存在だとか「世界を変える」といった部分は伊坂ワールドとも被るといえば被る)。
 ただ、この小学生「鉄人」が、なんともとぼけていて、それでいてスーパーなのだ。独特のカリスマを持つというか、周囲の人間にするりと溶け込む力があり、「世界を変える」が信念。どこでも誰でも「友達」にしてしまい、さらにその「友達」に対して勇気や気付きを与える触媒のような能力がある。「鉄人」と知り合った太一や和真が成長してゆく様子が(小学生離れした)感性と描写によって描かれる。おいおいというくらい都合よく進む出来すぎストーリーの面白さ。これは、悪は必ず滅ぶという二十一世紀の明朗小説だとすらいえそうだ。

 ここからひねくれた読み方をする。
 視点人物ではないが事実上の主人公・今井鉄人の柔らかな態度、周囲を盛り上げ、人と人を繋いでしまう能力。そして自らが信じる正義を周囲に納得させてしまう能力。これは見方を変えるとカリスマ系の新興宗教教祖の持つ能力にも近い。善意で読むと「友達の友達は友達」だと、鉄人とその周囲に集まる人々が一致団結してしまうラストの場面は相当に恐ろしい。判りやすい例でいうと同じように事実上の信者を「友達」として遇し、自覚なく操ってしまう『二十世紀少年』における「ともだち」の存在と「鉄人」の存在がどこか被るのだ。特に本書のクライマックス。次から次へと人間が登場する場面。これは視点人物側の見方からすると「頼もしい」存在になろうが、「友達」の輪から外れている第三者的にはかなりキモチワルイと感じるはずだ。それだけならば良いが、この圧力が無実の人間にかかることがあれば、それは恐怖でしかないだろう。
 果たしてそこまで作者が考えていたのかは判らない。単純に人の繋がる「楽しさ」「強さ」を描き出そうとした可能性の方が高いが、そこに独特の盲目的視野がもたらす怖さを覚える読者は小生だけではないはずだ。

 ということで、小生のようにひねくれた読み方はお勧めしない。あくまで普通に、普通に。小学生たちが主人公を務める、冒険心に溢れた青春小説と読むのが正しいはず。


09/09/27
奥田英朗「イン・ザ・プール」(文春文庫'06)

奥田英朗の作品群のなかでもシリーズとして人気がある「精神科医・伊良部シリーズ」。本作が第一作品集で第二作品集にあたる『空中ブランコ』では第131回直木賞を受賞している。三冊目が『町長選挙』。2005年に本作が映画化され、それとは別に『空中ブランコ』はドラマ化もされている。

 私鉄沿線の一等地に建つ伊良部総合病院。その地下にある神経科では、色白・デブ・フケだらけで注射フェチの医学博士・伊良部一郎が「いらっしゃーい」と甲高い声で患者を迎え入れる。病院の御曹司でマザコンにして大金持ち。離婚歴あり。自己中心的な行動も凄まじく、患者を患者として扱わず、相棒の看護婦・マユミは露出狂。はてさて、この神経科を訪れた患者が受ける治療(?)の数々とは。
 内臓の不調を訴える中年編集者が水泳に目覚めた。今度は全ての生活が水泳を優先するようになるが、その水泳生活に伊良部もまた入り込む。 『イン・ザ・プール』
 離婚した妻のことをぐじぐじ思い出すサラリーマン。股間に受けたショックばもとで勃起したまま、全く元に戻らなくなってしまい、日常生活に大いに支障が。 『勃ちっぱなし』
 いつの間にか、ストーカー妄想にとらわれる一方、自分が最高の女性であると信じ込むコンパニオン。伊良部は伊良部で彼女に夢中になって自分改造を開始する。 『コンパニオン』
 携帯メール中毒となってしまった高校生。携帯で繋がっていないとアイデンティティ崩壊の危機とまでいう彼を真似て、伊良部も携帯でメールを開始する。 『フレンズ』
 最初はタバコの火を消火できたかどうかという不安が嵩じただけだった。ライターの男は段々自宅周辺の火事のもとになる全てのことが気になり始める。 『いてもたっても』 以上五編。

ドクター・ファンタジー。伊良部がわざとやっているのか天然なのか明らかにしないところがポイント
 伊良部が単なるヤブ医者なのか、それとも、実は直感的に患者の神経をコントロールしている天才医師なのか??? ……とはいっても、多分、天然なんだろうなあ、とも。
 比率はとにかく、恐らくは実際に確実に存在するであろう心身症を患った状態を、その「患者の視点」から描いている。その視点のフィルターを通じて伊良部が観察されており、登場する五人が五人とも伊良部を変人と認めている以上(恐らく本書を読んだ読者もまたそれを認めるはずだ)、伊良部の行動は常軌を逸している。ただ、先に書いた通り、「患者の視点」というのがまたクセ者で、それぞれの心身症の状態が読んでいると内側から伝わってくる。本作の場合、伊良部に診てもらう前と途中であれば、必ず途中の方が症状が悪化しているというとんでもない状態なのだが、その状態の変遷をまた読者も同時に味わうわけだ。(『勃ちっぱなし』だけは、ちょっとその意味では微妙だが)。
 それぞれ伊良部が必要以上に大活躍をするため、いつしか患者もふと我に返る。その結果、状態が良くなっているというのがパターン。ただ、五作通じて毎回異なるパターンでの伊良部の変人ぶりが遺憾なく発揮されてしまっている。 申し訳ないものの心身症に陥っている当人は大変だと思うのだが、本書は症例そのものをユニークに描いており、『コンパニオン』の自己陶酔っぷりであるとか、『フレンズ』の主人公の友人からの軽視されっぷりなど、笑える一方で哀しさも伴う。、ただ、本書の描き方であると、一番ひどい壊れっぷりをみせているのが伊良部一郎なわけで。一冊通じて読んだ段階で印象に残るのはやっぱり伊良部の変人ぶり、というのが普通の感想かと。

 実は、奥田英朗の作品群のなかでなぜか刊行当時に読み逃し、そのまま個人的に縁がなかったシリーズ。改めて文庫で読んでみたが、人気あるだけのことはある。病気を扱いながら内容的に決して重くなく、軽めのエンタテインメントという意味では奥田英朗らしい明るさに満ちており、誰が読んでも楽しめる作品集になっている。


09/09/26
黒川博行「螻蛄」(新潮社'09)

近年の黒川博行氏でも人気の高い《疫病神≫シリーズ、即ち、経済ヤクザの桑原・建設コンサルタント・二宮のコンビが活躍する第四弾。『週刊新潮』に二〇〇七年七月十二日号から二〇〇八年八月二十八日号にかけて連載されていた作品の単行本化。

 普段からぴいぴい言いながら建設コンサルタントとして建設現場のサバキなどの仕事で何とか凌いでいる二宮の元に一通のFAXが入った。腐れ縁で繋がっている二蝶会所属のヤクザ・桑原からのものだった。最初は無視していた二宮だったが桑原の強引な押しにより、サバキを手伝って貰うかわりに依頼を引き受ける羽目に陥る。どうやら仏教の流派の一つ、伝法宗就教寺の住職が、何と宗派の宝である絵巻物「懐海聖人絵伝」の絵柄をスカーフにするという名目で振り出した二千万円の約束手形を、二蝶会経由で桑原が入手したらしい。たまたま菩提寺が就教寺ということで二宮が手伝わされるが、伝法宗はお家騒動の真っ最中。これ幸いと桑原は絵巻物を手に入れるが、これが真っ赤な贋物だった。しかし転んでもただでは起きない桑原は お家騒動の隙間を縫って贋物とすり替えて本物を入手する。気付いたヤクザに二宮は急襲されるが、すんでのところで桑原に救われた。桑原は意気揚揚と(運転手・二宮)で上京することになった……。

《疫病神》コンビ、遂に上京。お下品なトーク炸裂、最後に笑うのは一体誰だ?
 いやもう相変わらずのクオリティ。
 作者には失礼なことだけれど、書き言葉の大阪弁(これは実は非常に高いテクニックが必要)をして全く違和感のない、桑原と二宮のテンポの良い掛け合いとなっている会話があまりにも面白く、その二人が掛け合いをする原因、すなわち物語の本筋がこのシリーズに限っていえば霞んでしまう。 右を向いても左を向いても、当然主人公の二人にしてもいわゆる「欲ぼけ」状態。どうすれば金が引っ張れるか。相手の弱みをみつけてはつっこみ、弱いとみれば脅しすかし、犯罪すれすれ(事実上は犯罪行為)も含め騙し騙されの連続。暴力で来る相手は暴力で追い返し、トークと変装で相手を油断させ、美味しいところを持っていこうとするものの、どこかでボロや失敗が、というパターンが繰り返されているのだ。シチュエーションが変わろうと、相手が変わろうとそのスタンスにぶれがない。とにかく誰もが「金」が目当てがゆえに、ある意味ではカラッとした乾いた騙し合いとなり、その分読んでいて深刻に感じられない、というのはこのシリーズの美点かと思う。
 そして本作では特にその展開が目まぐるしく、一方で腐れ縁に振り回される二宮、傍若無人の桑原のコンビが絶妙にしてノリが良いため、読み始めると全く退屈の心配なし。とにかく止まらない。更に、これまでも様々な土地を二宮にしてみると心ならずも旅してきた二人が、本作はこれまでに輪を掛けて全国を飛び回る。大阪から京都、大阪から名古屋、小田原、東京とその土地土地の名物や食事を微妙に織り込みながらの大立ち回り。本意ではないが桑原につっかかる東京のヤクザがぶちのめされていくシーンなども、なぜか心が安らぐ。

 ということで、深く中身を分析する必要もなく、せずとも単純に面白い、そんな種類のエンターテインメント。しっかし、この人たちは懲りてないですねえ。(二宮が、必死で桑原に報酬を約束させる場面なども繰り返しの美がある)。ミステリとしての妙味は、最後の黒幕的人物が誰だったのかという点くらいにしかないのだが、とにかく人物たちの突っ走りが筋書き自体に奉仕するという美しい(?)作品だ。


09/09/25
折原 一「逃亡者」(文藝春秋'09)

 折原一氏の書き下ろし長編で。『行方不明者』など『……者』のシリーズの流れにあるのだという。

 主人公・友竹智恵子は友人・林田亮子の夫を殺害した罪で逮捕された。現場に残されていた免許証と凶器についていた彼女の指紋が決めてとなり、自宅前で刑事・安岡の訪問を受けた彼女は、あっさり罪を認めたにみえた。しかし取り調べの最中に黙秘とハンスト状態を続け、意識を失って医療刑務所に入院してしまい、隙をついて脱走に成功した。病院の近所で衣服を調達、母親の幇助もあってまずは新潟へと向かう。実際のところ、DVで流産まで経験した智恵子は夫同士を亮子と交換殺人する手筈であり、自分だけが捕まることは理不尽だと考えていた。新潟では最初は身の上を詮索されない水商売に身を投じ、続いて店で知り合ったバツイチ男の経営する洋品店にて働くことになる。ようやく落ち着いてきた彼女に訪れた危機のきっかけは、テレビが行った指名手配犯人捜索を呼びかけるワイドショー的な番組。外面だけは良い暴力夫・洋司が自分に懸賞金を掛けたのだ。警察とは別に自分が虚仮にされたと考える夫は、智恵子の預金に現金を補充することで彼女の居る地域を特定、警察より先に捕まえようとしていたのだ。間一髪のところで新潟を離れた智恵子は今度は青森県へと向かった……。

逃亡に次ぐ逃亡のスリリングさ。中途で差し挟まれる違和感とその驚きの正体とは
 殺人事件の容疑者として追われ続ける主人公。これが冤罪ならば真犯人を見つけることも出来ようが、本人自身にも被害者を殴りつけた事実がある。そのせいかと思うのだが、最初の段階では、逃げ続ける主人公に対してあまり感情を移入することができない。ところがところが。新潟や青森、福山といった街で苦労しながら生活を落ち着け、男性からの好意を持たれながらも追っ手の匂いを嗅ぐや否や、その地で積み上げたもの全てを捨てて次の場所へと逃げ出さざるを得ないという主人公の姿を追っていくうちに、いつしか結末が非常に気になるものになってゆくという不思議な展開。。
 特に、ちょっとしたことから警察や元夫の疑いを引き寄せて居住地が突き止められてしまうという展開は、(正確ではないが)どこで彼女が失敗したのかを類推する倒叙ミステリのような趣もある。また、物語の語られ方も様々で、多くの場合は主人公・友竹智恵子に対しての何者かの追想インタビューのような形式を取っている。その他、プロローグや幕間で象徴的な場面が抜き出されているのも印象的。このあたりは折原一氏がそもそも得意にしているサスペンス感覚と、叙述トリックが仕掛けられているのかどうかという疑いを高めるのに役立っている。
 結果的に時効成立まで十五年間という気の遠くなるような年月を逃げ続けなければならない主人公。しかし、後半部から逃亡者と思えないような記述が混ざるようになる。主人公以外の重要な脇役である夫の友竹洋司、殺された被害者の妻・亮子、ほか最初に智恵子が逃げ込んだ先の家に住む女性であるとか、事件を追っている途中で警察を退職、自警団の一員として智恵子と遭遇する老刑事であるとか、コラージュのようなかたちで物語にて断片が語られる。
 終盤部では人物や要素が結実して、彼らの存在意義も判るのだが、そこに至るまでの混乱が(良い意味で)大きい。また、最終的に明かされる真相は、某有名海外作品の逆バージョンのようで発想自体がユニークだと思われた。確かに読み終わって思い返すと、不自然な記述や首をかしげるようなエピソードなどが本文にあったことに改めて気付くという仕掛けだ。ただ、一種の奇想がベースであるため、最終エピソードの部分にかなりの人工性を感じたことも事実。

 『……者』シリーズとしては初読になるが、前作までとは恐らく無関係な物語なので全く引っ掛からず、前作のネタバレもなく読み通すことが出来た。読みやすいので気付きにくいが、物語自体は長い。その意味では逃避行の一部エピソードは端折れたのではないかとも思う。サスペンス風味が強く、近年の折原作品がお好きという方ならば、飽きずに読み通せるものと思います。


09/09/24
光原百合「イオニアの風」(中央公論新社'09)

 光原百合さんの前作『銀の犬』は、ケルト神話をモチーフとした連作集であったが、今回の作品はギリシア神話がベースとなった長編作品。構想三十年、執筆九年、書き終えたあと高熱(あとがき)というライフワーク的作品らしいです。

 遙か昔の神話世界。大神ゼウスの意に反して、人間を造形してその中身に意志を入れてしまった賢神プロメテウスは怒りを買って追放されてしまう。それから長い年月が経ち、オリュンポスに住まう神々のあいだで、人間たちに対する処遇について意見が分かれた。神々は、これまで神託という形で自らを祀る人々に自らの意志や未来のことを伝えたり、自らが人間の姿を借りて人間たちと交わったりしてきた。しかし、今後そういったかたちの介入を止めた方が良いという派と、従来同様に人間たちに関わってゆくべきだという派、果たしてどちらとすべきなのか。ゼウスの許しのもと、神々は三組の人間たちの生き方を通じて「賭け」を行うことになった。最初はトロイ戦争の原因ともなった、トロイアの王子パリスとスパルタの王妃ヘレネの道ならぬ恋。次はパリスとの関係が戦争によって終了したヘレネと、そのもともとの夫であるスパルタ王メネラオスの関係がどのような結末を迎えるか。この結果によって、第三の賭けに至ることになった。最後の組合せは、英雄オデュッセウスの息子テレマコスと美しい吟遊詩人ナウシカア。ナウシカアがふとした弾みで世界に呼び戻すことになった怪物・エンケラドスとの対決は……?

ギリシア神話が確たるベースとなり、そのエピソードが想像力と構成力で埋められ、大きな流れとなる魅力
 少し例えとして適当ではないかもしれないが、戦国武将が活躍するような歴史小説の手法として歴史の教科書に載っているような有名な事象はそのまま使用し、その隙間をエピソードで埋めてあたかも「あったこと」のように読者に思わせるという手法がある、というか多くの歴史小説はドキュメンタリーを目指すものではないので、このような構成になっている。
 本書もまた、取り上げられるのがギリシア神話というところが異なるだけで、コンセプトや印象はそういった時代小説の名品に近い。 もちろんギリシア神話上の有名なエピソードについては外していないし、神々のあいだの人間(?)関係や、親子関係などについても同様に、確立している物語(歴史?)から逸脱していない。ただ、神話にて語られていることを膨らまし、語られていない隙間の物語を創って、想像力豊かにまとめあげている点、それが最大の特徴になる。
 そこには悪意もあれば、嫉妬や制裁もあり、全体が温かなトーンでまとめられているとは言い難いが、その分物語の起伏となりアクセントとなっているのだ。また、全編を通じて神の世界、人間界どちらにおいても活躍する弁論や詐術の神様・ヘルメスの存在が、道化役としても雰囲気作りという意味でも、非常に良い味となっている。エピソードというよりも、登場人物のスパイスにして進行役なのだ。また、個人的な想像では、ある程度の原型が神話で出来ている一組目、二組目の話よりも、類説がどうやらいろいろあるらしい、テレマコスとナウシカアの話に一番力が入っているように感じられた。テレゴノスといった邪魔者に、クトゥルーの神様が想像されような不気味な怪物・エンケラドス。(実際のエンケラドスは本書で描かれていた存在とはかなり造形上で異なるようなのだが)。さらに二人に介入してくる気まぐれな神様たちのエピソードも含めて、ふくらみ方が大きく、それでいて筋道に一本太いものが通っているところが素晴らしい。

 神様、人間の書き分けや造形がそれぞれ巧みで、読者に全くギリシア神話の素養がなくとも、登場人物それぞれがくっきりと描写されている。本そのもののボリュームは決して小さくないながら、読み始めると展開がスピーディでなかなか本を置くことができなくなる。ギリシア神話大好きという方はもちろん、これまでの光原作品が好きだという方であってもお勧め。 物語全体が発する暖かさ自体は、光原テイストにきっちり繋がっていると思うので。


09/09/23
翔田 寛「誘拐児」(講談社'08)

 「影踏み鬼」により第22回小説推理新人賞を受賞。受賞作含む『影踏み鬼』や長編『参議怪死ス』、更に近年はシリーズものの時代小説といった含め著書を持つ筆者が、あえて第54回江戸川乱歩賞に挑戦、見事に受賞を果たした長編作品。当然ノンシリーズのミステリ作品となる。

 終戦直後、五歳の子供が営利目的で誘拐される事件が発生、新橋の闇市内部で身代金の受渡しがなされることになった。警察による厳重な監視下に置かれたはずの運び役の人物だったが、組織の横連絡不徹底から闇市への手入れが別部門によって実施され、現場は大混乱、その混乱に紛れて身代金は奪われ、犯人は捕まらず、誘拐された子供も戻らなかった。――それから十五年の月日が経過したある日、普段から目立たない生活をしていた地味な家政婦が、路上で何者かに殺害される事件が発生した。家政婦の自宅も荒らされており、背後に何か狙われるだけの秘密があったのではないかと警察は疑いを持つ。一方、母一人、子一人で貧乏ながら一人前に育った会社員・谷口良雄は、急病に倒れた母親の臨終の言葉を聞き、自らの記憶と照らし合わせた結果、打ちのめされるような気持ちを味わう。自分自身の幼い頃の記憶が曖昧なこと、更に母親の台詞から、自分自身がかつて誘拐された子供なのではないかと疑い始めたのだ。良雄の恋人で、母親の入院先の病院に勤務していた看護婦・幸子は良雄の言葉を否定しようと情報を集め始めるのだが……。

交錯する戦争直後と昭和三十年代。地道な捜査&真相に至る複数のアプローチ
 江戸川乱歩賞受賞という事実自体は、翔田寛氏の作品が好きな身からすると、氏の今後のキャリアも考えるに非常に嬉しいことでもあるのだが、不幸に思えるのは、この作品自体が決して、これまでの実績を含めた翔田氏の作品のなかの最高傑作だとはいえない点。 それが微妙に不幸にも感じられる。
 戦争直後の混乱期の誘拐事件から始まり、その部分でいきなり読者を引き込む力はさすがに高い。ただ、昭和三十年代、つまり作中における現代の扱いに至ると、、どこか折角冒頭に感じられた「物語の冴え」が失われてゆくようにみえる。
 強い縄張り意識と競争意識を持った二組の刑事による別々の捜査、主人公本人自身による過去探索に、恋人の女性が加わって、本人のことを知りそうな別の伝手を辿る――という展開。特に二組の刑事の個性が被っていることもあって全体的に散漫な印象を受けた。作者としては一気に核心に迫るのではなく、少しずつ真相を浮かび上がらせようとする意図があったのかもしれないが、本作の場合は逆効果になっているように感じた。また、結末についても、「誘拐児」が誰だったかについての意外性自体は少なく、真犯人も物語途中である程度は予想がつく。ただ現代の方の事件に至る過程と、事件そのものの発生過程に偶然が大きく作用していて、読者に推理を要求していない。確かにトリックのアイデアもあるながら、そういった複数の登場人物の動きに関する全体的な納得度が高くない点も引っかかった。

 なんとなくけなしてばかりいるような感想になってしまったが、これが翔田寛氏の通常の単行本として出ていたのであれば、むしろそこそこ良作評価となったかもしれない。乱歩賞というハードルを考えて期待値を高めての感想になります。翔田寛を読むのであれば、本作ではなく東京創元社のチャールズ・ワーグマンによる本格短編集や、双葉社の『参議怪死ス』あたりの方が完成度を求める向きにはお勧めかと思います。


09/09/22
友成純一「憎悪の惑星」(ケイブンシャ文庫'89)

 友成純一氏の文庫オリジナル作品集。初出とかは判りません。大量に作品が刊行されていた'80年代後半から'90年代前半(本書の刊行は'89年の年末)時期の作品につき、印象としてはノリノリです。

 身体は小さいが筋肉質、戦闘を生業とする「竜鳳」を名乗る男。深夜に山中ドライブをしていたところで出会った少女のような女性。その女性を車に乗せた途端、化け物のような大男と戦う羽目に陥ってゆく。 『闘殺拳』
突如全地球を襲った「退廃病」は性交すると女性から移されるウイルス病。男はその結果、例外なく死に至る。男性は山手線の内側を要塞として魔女を迎え撃つが、三人の魔女が侵入してきた。 『呪縛女』
香港返還直前。ガイドに頼み込んで九龍城に足を踏み入れた作家。彼がその内部で見たものは……。 『九龍城の悪夢』
韓国の市場で気付くと購入していた民族衣装の下面。男は魅入られるように仮面に顔を近づけると、仮面から大量の触手が伸びて男の顔に張り付き一体化してしまう。男は恐怖の殺人鬼と化した。 『狂える魔神』
地球の人口が増えすぎた結果、植民惑星を次々と開拓する世界。更に地球ではランダムに一部の区画を指名、閉じこめられた住人が四分の一になるまで殺し合いをさせるというルールがあった。その地域に住む男に兄弟を殺された異星の生物もまたその地域へと入り込む。 『憎悪の惑星』 以上五編。

設定で突っ走り、登場人物も突っ走り、そして唐突な、救いのない幕切れで断ち切られる
 いやあ、訳わかんないっす(褒め言葉)。
 最初の『闘殺拳』から、実は設定がむちゃくちゃ。謎の美女、その美女を追う人間離れした大男。どうやら女は魔女みたいなもんらしい。さらに男性を蕩けるようなセックスと引き替えに、実際に喰い殺しちゃう魔女軍団。都市伝説をベースにした猟奇ドキュメンタリーに、どこかのB級ホラー映画を思わせる、無敵殺人鬼による大殺戮。表題作に至っては、殺し合いによってより上位の地位を目指すことが出来るという世界であり、ある意味ではゲーム感覚溢れているともいえるだろう。ただ、そこに凶暴化した知的生命体を加えて、更に一段高い殺戮の極みを求めることも忘れていないのだが。
 上記している通り、作品設定がSFめいた奇想をベースにしているとはいえ、残り要素はホラーというよりもスプラッタである。そして物語の根底から求められているものは通常の意味での恐怖よりも、人間を単なる内蔵と血と皮で構成されている袋としか認識しない、無機質ですらある登場人物たちのぶっとびぶり。 まあ、その、人間の尊厳を軽視することそもののが友成純一作品の友成純一作品である所以であるのでその通り読むしかないんですけどね。

 で、読み終わると何も残らない。残らないのだけれども、何かさっぱりした気分になる。(友成作品に慣れすぎてきたのかもしれない)。感動なんていらない、あくまで人間の破壊にこだわり、人類の滅亡なども全く気にしないという創作姿勢が気持ち良いまでに貫かれている。
 なお、本書収録作のうち『呪縛女』については、出版芸術社ふしぎ文学館のラインナップ『狂鬼降臨』で読めます。


09/09/21
津原泰水「バレエ・メカニック」(早川書房'09)

 早川書房の新レーベル、「想像力の文学」の第4回配本にあたる。三章に分かれており、第一章は「SFマガジン」二〇〇四年五、七月号、第二章は同誌の二〇〇五年一、二、八月号に掲載された作品に大幅加筆修正がなされ、書き下ろしの第三章が加えられての刊行となっている。

 少年・少女を連れ込んで性交に励むなど造形家の木根原は放埒な生活を送っていた。その木根原の娘・理沙は九年前に、当時住んでいた海辺の事故で意識不明の状態に陥っていた。脳の働きが停止した状態でそれ以来、主治医である医師・龍神好実が面倒をみている。東京では最近、不思議な現象が発生していた。ガードレールと一体化してしまう自動車、高速道路上を襲う津波。異常現象は東京を確実に侵食しつつあり、その原因が理沙にあるという。木根原は現在の居住地の奥多摩から馬車で、龍神は自転車で西東京を横断しようとするが、その道行きは困難を極めた。東京中を覆った幻覚現象の結果、数百人の死者を出し、後に最新の都市伝説「理沙パニック」として扱われるようになる。娘の意識の生存を信じ、更に自堕落な生活を送る木根原は、男性でありながら〈女性〉として生きる龍神の助けを借り、脳外科の尖端的研究の過程における被験者に会おうとする。彼らの一部が、”理沙”の声を聞いたという噂があるのだ。罠の匂いを感じる龍神は慎重に対象者にあたるよう助言するが、その一人、沼澤千夏の言葉を聞いた木根原は……。(第二章の途中まで)

奔放に表現された幻想を、種々の小説技巧でねじふせ、まとめられた総合的幻想SF小説の傑作
 二度読んだ。

 簡単に要約すると、意識不明の少女の夢が都市を覆って現実までを侵食し、その事実の裏側が確かめられ、そしてその現象が、これまた想像力が駆使された未来のテクノロジーの内部で終結するまで……が描かれた作品である。第一章、第二章、そして第三章と共通して登場するのは龍神好実という男性なのだが〈女性〉の心を持つ医師と、理沙という少女の意識。
 ただ、この三つの段落がそれぞれ異なる手法で描かれている。第一章は、物語上の必要があるとはいえ、奔放な幻想小説の様相が強い。 東京という都市が幻想に支配される。足許で熱帯魚が泳ぎ、遠近法が現実に狂い、水平と垂直が反転する。意識を喪ったまま成長する理沙という少女がもたらす幻想世界。この幻想世界の圧倒的な存在感が凄まじい。体験する側にいる木根原と分析を行う龍神。だけど、やはりまずは津原泰水の強大なイマジネーションの都市幻想に引きずり込まれるのが主になる。
 第二章では、幻想終了後の東京始末。理沙のことを追い求める木根原。実際に何があったのかを探ろうとする龍神。二人の意志が絡み合って、どこかハードボイルドの探索場面が重なるような展開となっている。龍神は視力を喪っており、木根原は本能的な部分以外は廃人のよう。全体的に哀愁が漂っており、ラスト近くの僅かな救いに至るまでが重い。
 第三章は、それから遙かに時間の経過した世界。この新たな世界の設計図というか設定のイマジネーションもまた圧倒的。 辛うじて生きているのは老人となった龍神や、最初の事件で少年だったトキオら。恐らく某巨大掲示板あたりが発想の原点になるのだろうが、多くの人々によるネットワークや、電子的に築き上げられた共同幻想の方が、現実として認識される世界が描かれる。現実に生きる我々にとってのサイバー幻想が、物語上では現実で、普通に生きて暮らす方が例外的だという考え方は、これまでもSFでは描かれてきているのだろう。だが、ガジェットやベースとなる考え方が現状のネット世界の一部に近しいところ、なぜか現実の延長線として無視できない。そしてこの設定、そしてその特異な設定における上位の思考方法、行動によって、これまでの幻想世界をもまたねじ伏せてしまう。
 もちろん凝った文体、様々なエピソード、変人ばかりの登場人物、特殊なガジェットなどこれまでの津原泰水作品にみられた特徴はあるものの、本作はその才能が惜しみなく注ぎ込まれている印象だ。読者の一部がついてこれなくても構わない、イマジネーションをきっちり全て注ぎ込みたいという(聞いたわけではないけれど)作者の意志があるのではないかと思う。

 SFにそれほど詳しい訳ではないが、少なくともSF+幻想小説のジャンルミックスとして傑作だと思う。 レーベルの「想像力の文学」というタイトルに決して負けていない。特に、幻想部分を書いたら書きっぱなしではなく、その幻想を上回る想像力による未来図にてねじふせているという小説全体の構図に感銘を受けた。