MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/10/10
飴村 行「粘膜蜥蜴」(角川ホラー文庫'09)

粘膜人間』にて第 回日本ホラー小説大賞を受賞した飴村行氏の第二長編。設定は非常に近しいのだけれど、世界が重なっているかどうかは厳密には不明。だってほら、河童出てこないし。
 太平洋戦争とよく似た戦争を遂行している日本は、東南アジアのナムールという国を、ドイツ侵攻に晒されるフランスから奪って植民地化していた。ナムールには地下資源が豊富で、更に労働力兼見せ物として価値のある爬虫人(ヘルビノ)が棲んでおり、当初は問題なかった植民地政策も、現地民の対日感情悪化に伴い抗日ゲリラ活動が活発化していた。そんな頃、ある日本の地域では軍部とも繋がりが深い大富豪の月ノ森雪麻呂という小学生がいた。車付き送り迎えで学校に行き、普段の生活も従者でヘルビノの富蔵を従えてやりたい放題。今日も気まぐれで学校に行き、二人の級友・真樹夫と大吉を連れて家に帰ってきた。巨大な家と珍しい食べ物に大吉は大興奮、最近、兄・美樹夫を軍隊に送り出したばかりの真樹夫も月ノ森家の権勢に圧倒される。上機嫌な雪麻呂は、死体置き場や、精神を患っている軍人や通信兵、軍医を密かに生活させている病室などを見せつける。その軍人・熊田は身体を鍛えることが趣味だが、妻の名前・照子という言葉を聞くとぼろぼろ泣き出すといい、雪麻呂は大吉に試しにやってみろと迫る。空を飛ぶ軍の乗り物・ジャイロに乗せる約束と引き替えに大吉が「照子」というと熊田はぼろぼろ泣き出した。面白がった大吉は「照子」を連呼、しかし、哀しみのあまりに暴れ始めた熊田は大吉を殺してしまう。慌てた雪麻呂は牛刀を真樹夫に渡し、大吉の死体を明朝までにバラバラにしておくよう言いつけ、母屋に戻ってしまう。

様々なホラー・伝奇趣味的要素がぐちゃぐちゃに詰まった、でも傑作。だけど問題作。それでも傑作。
 上記した梗概の方は、第壱章『屍体童子』のさわり。せいぜい冒頭から四十ページほどでしかない。ここから、第弐章『蜥蜴地獄』では、ナムール国に赴任したばかりの青年将校・真樹夫の兄・美樹夫が日本人麻薬王を、僻地の村に送り届ける任務が、第参章『童帝戦慄』では再び月ノ森家に話が戻り、従姉妹の魅和子を正式の許嫁にしたい雪麻呂と、彼を妨害する別の従兄弟・清輔との争いが軸となり、月ノ森家を襲った悲劇の正体が探られる。……と、長編扱いなのだが、事実上三章に分かれており、世界観や登場人物は重なりながらも異なるエピソードを扱っている構成は『粘膜人間』に同じ。さらに、第一章で登場した意外な人物が第二章で主役を張り、第一章でかなり重要な役割を果たす人物が、第三章にて主人公を引き取るという構造自体もまた『粘膜人間』と重なる。荒唐無稽かつエピソード多数の物語であるのに、どこかしっかりとした竜骨があるように、二作目にして感じられるのは、こういった構成の重なりも関係ありそうだ。
 そして、旧日本軍の愚行をベースとした狂気的にして理不尽な軍隊世界と、爬虫人なる存在やナムール国内に棲む数々のUMA、さらに突然母親が失踪してしまった雪麻呂の哀しみであるとか、イマジネーションは自由にして豊か。残虐、冷酷、狂気、妄執に嫉妬とネガティブな感情も渦巻き、更に自然界の残酷さもエッセンスとして加えられている。 とにかくエピソードが盛りだくさんなのだ。そして、その一つ一つがめちゃくちゃに濃い。
 そして実は本書が「凄い」最大の理由は、全体を通じての伏線回収の凄まじさにある。序盤に出てくる食べ物が後半でスパイスとなったり、ある人物の奇行の意味が後半部で明かされたり、さりげなく触れられた研究内容が実は本筋を支配していたり。単に残酷なスプラッタ小説ではなく、ストーリーの流れのなかに様々に世界を補完する仕掛けがなされているところが凄いのだ。とかく理不尽や、またはsupernaturalを奉じる傾向があるホラー小説(そちらの方向を否定するものではなく、むしろ好きなのだが)の流れにおいても、伏線重視というミステリや一般小説での人気傾向が重なりつつあるのかもしれない。

 ごちゃごちゃといろいろ書いたが、結局は凄まじいイマジネーションの奔流に押し流されるという快感が最も強い。いつの間にやら読者もこの不思議で残酷な世界に入り込んでしまっている筈だから。独特で微妙なユーモアが同居しているところもいいですよね。おちょぼ口は笑えませんでしたが。


09/10/09
奥田英朗「無理」(文藝春秋'09)

 へえ、もう『邪魔』から八年も経ったのか、ということで『無理』。直木賞作家・奥田英朗が送り出す群像劇。初出は『別冊文藝春秋』2006年7月号から2009年7月号(除:2008年1月号・9月号)

 三つの自治体が合併して出来た東北の地方都市・ゆめの。過疎とまではゆかないが、地元に仕事はなく賑やかなのはショッピングモール・ドリームタウン(通称・ドリタン)とパチンコ屋のみ。生活保護の受給比率が高く、失業率の高いこの「ゆめの」に住む五人の物語。
 相原友則・県庁から出向し、ゆめの市社会福祉事務所勤務の三十二歳。生活保護の不正受給摘発を嫌々ながら仕事としているが、妻の浮気で離婚しており、勤務中に人妻デートクラブに嵌ってしまう。
 久保史恵・上京した時の体験が鮮烈で「ゆめの」を脱出して東京生活を夢見る女子高生にして受験生。塾からの帰りに、いきなりサイコじみた引きこもり男性に拉致されていまう。
 加藤裕也・元暴走族の二十代にして、漏電遮断器を騙して売りつける会社のセールスマン。先輩・柴田の感化により仕事が面白くなってきたところに、一年前に別れた妻から一歳の息子を預けられてしまう。
 堀部妙子・ドリタンで契約社員の保安員として働く四十八歳独身。生活が苦しく、仏教系新興宗教に帰依、ある事件をきっかけに保安員を辞めされられ、宗教団体に縋ろうとするが貧乏人には冷たかった。
 山本順一・ゆめの市市会議員、愛人持ちの四十五歳。父親の地盤を引き継ぐが、群がってくるのは土建屋ばかり。産廃施設反対の市民運動や、議員引退した地元長老の策謀、浪費癖のある妻など頭が痛い日々が続く。

現代日本・地方都市の縮図がぎっしり。社会派属性高い「人生さまざま」エンターテインメント
 上記した五人の「ゆめの」に住む人々の生活が、章を変更するごとに順繰りに描かれてゆく。ということで小説構造そのものは別に珍しいものではない。さらに、登場人物同士のエピソードの重なりやニアミスもちらちらとはあるものの、縒り合わさって大きな本流が中途でできるものではなく、五人は五人の道を進み、あたかも主人公が五人いる普通小説のようだ。さらにそれぞれ能力が極端に高い訳でも極端に低い訳でもなく、そのときそのときの欲望に安易に流され易すぎるところがあるとはいえ、現実世代の等身大のフツーの人々を写し取っている。(トカジ風にいえば「安い」んだけどさ)。
 この題名の「無理」は、我々がよく使う「実現することがむずかしいこと」という意味というよりも、本来的な「無理」、つまり「物事の筋道が立たず道理に合わないこと」を指すのではないか、とか考える。生活保護よりも、働くことで得られる収入の方が低い状態だとか、利権頼みの旧来型の政治スタイルであるとか、セーフティネットが身内ではなく宗教団体であるとか。さらにそこから進んで、主婦売春だとか、違法すれすれの訪問販売だとか、生活保護打ち切りの逆恨みだとか、そういった一歩進んだ「無理」へと中盤にてそれぞれが進んでゆく。一人、監禁生活が続く久保史恵のエピソードは、多少本筋から外れるが、犯罪被害者であるのに、救出後の将来に悲観しなければならない日本の現状そのものが「無理」ではある。
 そんな彼らが、自分の意志や決断以上に、どうしようもないしがらみや運命によって、より程度の高い(具体的には警察にご厄介になるような)無理にずぶずぶと嵌っていくのが終盤の展開だ。このあたりのやるせなさ、覇気のなさ、場当たり的な対応もまた日本人の典型なのだろうか。ラストでどう彼らが絡むかについては述べないが、もう少しいろいろ彼らを共演させて欲しかったようにも思う。ただ、ストーリー全体としての盛り上がりではなく、一人一人のリアリティによって物語はかっちりと読者の興味を繋いでいる。こういった描写の妙はさすが。
 こういった「現実」を突きつけられて、ならどうすれば良いのか、とか考えても現実は厳しいし、国が金を出せば良いってものでもない。(この点は、明らかに相原や山本の視線を通じて、箱物、個人へのばらまきは批判されている)。また、自助努力でといっても限界がある。(加藤と堀部の立場がこちら)。そういった人々の暮らす「ゆめの」に対する処方箋など全くない活気のない地方都市の閉塞感を全てひっくるめて「無理」と題されているように思う。

 かなりのボリュームある作品ではあるのだけれど、これまでのシリーズ同様、読み出すと止められない。決して明るく元気になれる話ではないのに、他人の不幸は蜜の味というか、彼らがどうなっていくのかに興味が尽きない。五人の男女の運命を描くことで、本当にこの社会はどうなってしまうのだろう? ……という漠然とした不安が残る。その不安感は結局、現代日本の持つ病理でもあるのだけれど。


09/10/08
大崎 梢「片耳うさぎ」(光文社'07)

 『配達あかずきん』から始まる、書店を舞台とした日常の謎シリーズ「成風堂書店事件メモ」シリーズでデビューした大崎梢さん初のシリーズ外作品。

 父親が事業失敗したことで住む家がなくなり、父の実家に家族三人転がりこんだ、小学六年生の女の子・奈都。その家は旧家にして大きな日本家屋で祖父や大叔母といった数家族が住んでもまだ余裕があり、近隣からは「蔵波屋敷」と呼ばれている。奈都はこの家が苦手なところに、母親が祖母の看病のため数日間家を空けることが決定。母親には気丈な返事をしたものの、正直、一人で部屋で寝るのが怖いと奈都は感じていた。転校してきたクラスで唯一事情を知る男の子・祐太の「ねえちゃん」が、屋敷に興味を持っているということで紹介してもらうことになる。彼女「さゆり」は中学三年生で蔵波屋敷に興味津々なのだという。奈都がさゆりの家に泊まる話から、通りがかった蔵波親戚・一基の車で屋敷に送られることになり、とんとん拍子に、さゆりの方が泊まりに来ることになる。その晩からいきなり、さゆり主導で屋敷の屋根裏探検を行った二人は、天井裏で何者かの存在を感じて慌てて逃げ出した。しかも翌朝、奈津の部屋には天上裏で落としたはずのカーディガンと、片耳のうさぎのぬいぐるみが届けられていた。実は蔵波家には実は「うさぎ」に関する不吉な言い伝えがあった。

少女二人の日本家屋の屋根裏冒険という目論見は良しも、そこに至る物語作りに改善の余地あり
 まず「成風堂書店事件メモ」シリーズについてになるが、これらは書店及び書店員という作者自身のフィールドに関しての描写やエピソードは丁寧細やか、部外者的視点(要は買い物に訪れる客としての)であっても安心して読める内容だった。それに比べると本作、一時滞在している大きなお屋敷そのものの秘密とその一族の抱える秘密がテーマとなる、角度を変えた視点で捉えるならば、横溝正史的+江戸川乱歩的ですらある訳だ。
 ただ、残念ながら、少なくともこの作品(発表段階)では、作者のその書きたいことに比べて、登場人物の配置、描写、構成といった様々な部分が「足りていない」というのが本作の最大印象になる。作者自身の頭の中に、語られたい物語が詰まっていること(つまり小説家としての資質があるということ)は理解できるし、「小学生が中学生のお姉さんと、旧家にして巨大な日本家屋の秘密を探る冒険」というテーマ自体は決して悪くないし、むしろ魅力的ですらある。
 が、全体的な構成バランスがちぐはぐなのだ。稚拙と狡知が中途半端というか、小学生主人公が、親戚でもない外部の人間を頼りに挑戦する「謎」が、歴史ある一族のルーツの秘密に触れるものであったり、その事実が金になると目論むさらにまた外部の人間が絡んでいたりという必然が感じられない、というか、物語のバランスが取れておらず無理っぽさの方が強調されてしまっている。もともとその物語上のバランスが悪いところをなんとか維持するために、ボリュームの割に必要以上の登場人物が必要になり、更にその人物たちにかなり無理矢理に思える属性もまたさらに付け加えざるを得なくなっている悪循環もある。 後半に至って具体的な冒険に入ってからは、テンポが良くなってくることもあり、先に述べたようなバランスだとか背景や設定の絞り込みが物語の序盤からきちんとできていれば――、と思うのだ。

 実は(表紙のイメージの似た)『ねずみ石』を買っているので気になって、こちらを先に読んでみたのだが、青春推理という共通点以外はどうやら世界は重なっていないようだ。むう。上記した通り、完成度は今ひとつ(あくまでこの作品については)でありますので、「成風堂書店事件メモ」で大崎梢ファンを自認される方にのみ、まずお勧めします。


09/10/07
詠坂雄二「電氣人間の虞」(光文社'09)

 間、虞もそれぞれ旧漢字が正題。KAPPA ONE登竜門からデビューし『リロ・グラ・シスタ』『遠海(とおみ)事件』と、異色としか形容できない本格ミステリを次々発表している詠坂雄二氏。本書は氏の三冊目となる、やはり遠海を舞台にした書下ろしの長編。本作も舞台は遠海であり、世界は繋がっているようだ。

 女子大生・赤鳥美晴は、大学の民俗学研究論文のテーマに、「電気人間」を選んだ。電気人間とは、彼女の出身地である遠海市の名坂小学校周辺では七不思議に数えられ、現在も細々と噂が伝わっているものの、全国的には全く無名の都市伝説。電気人間は、姿は見えず、人を殺し、噂をするところに現れる。さらに戦時中に軍によって作られたのだという。美晴はフィールドワークとして大学教授や母校の小学校を訪ね、学校裏手の林の中にある人工的な洞穴に、元用務員の老人から鍵を借りて内部に入り込む。かつて軍事研究所だったと思われる痕跡こそあれど、中には何もなくデジカメで写真を撮影して彼女はビジネスホテルに戻って下書きをまとめようとする。翌朝。チェックアウトしてこない美晴の様子を見に来たホテル従業員によって、シャワーを浴びた直後と思しき美晴の死体が発見される。外傷はなく、心不全と判断された。警察も呼ばれて調べたものの事件性はなさそうだ。一方、美晴の死に対し、納得いかないのが彼女と肉体関係を持っていた近所に住む高校生・日積亨。彼は、彼女は殺されたに違いないと彼女の調査した足跡を、弟と偽って辿るが、やはり洞窟で……。そしてライターの柵馬は、ゲーム雑誌の記事のため、「電気人間」を取材することになる。柵馬は、現場の遠海在住の小説家・詠坂に連絡を取ったが、彼は手伝いを断ってきた。

死角からの衝撃が強烈、で妙に得心。ある系統の本格ミステリ地図に楔を打ち込む怪作
 作者創作の(おそらく)都市伝説・電気人間をベースにし、実話怪談風に物語が展開してゆく。当然、読者の誰もが知らない存在であり、電気人間の説明がなされるのだが、そこがまた抽象的。抜き出すとこんな感じ。語ると現れる。人の思考を読む。導体を流れ抜ける。旧軍により作られた。電気で人を殺す。
 その電気人間を調査している女子大生が不審死し、彼女を追った高校生も行方不明、女子大生が噂の出現地として調査した洞窟を管理していた老人も風呂場で死亡と、死因は自然死にみえる三つの死体が発生。この都市伝説と事件を、雑誌ライターが後追い調査し、小説化の詠坂雄二が推理をするというのが本筋だ。
 実話怪談めいた展開こそスリリングなものの、この詠坂の推理までであれば、平凡以下のミステリ作品。本書の価値はその後の展開にある。詠坂の推理でも十分に、発生した出来事を説明できるだけの理屈としては成り立っている。成り立っては いるものの、既に死亡している二人の体験した出来事や、関係者の発言(特に、登場する小学生・韮澤の存在)といったあたりに割り切れ無さが残っている。この余剰感を使ってとんでもない方向からサプライズが投げつけられる。
 冷静に考えるとオチそのものは反則技といえば反則技だし、一般的な読者にとっては「何コレ? 以上終わり」である可能性が高い。ただ、冷静にこの作品の構成であるとか、在り方まで思いめぐらせると、この反則技がいとおしいロジックによって形成されていることにも気付く。新本格以降、一部の作家が創り上げたあるミステリの系譜にあたる作品にあたる。そして、その分野の普通であれば設定があり、その設定のなかでの論理で謎解きが行われるのが常道。ただ、この作品はそれを逆手に行っている。明々白々な手掛かりや、ぬけぬけと題名から何から大胆に伏線を放置、最後の最後にキレイにまとめ上げることに成功している。

 確かに、万人にこの理屈が通用するとは思えない点、実験作であり、本格ミステリとして満点をつけられる作品ではない。だが、印象度や、新たな切り口を模索する試みは、マニアサイドだからこそ評価すべき点のように思われる。繰り返しになるが、万人に評価されない代わりに、一部の読者からは熱狂的高評価を獲得できる可能性があるという、まさにマニア受けする作品。我こそは、という方にお読みいただきたい一冊である。
 最後になりますが、ラストの二行、最高です。


09/10/06
篠田真由美「アルカディアの魔女 北斗学園七不思議3」(理論社ミステリーYA!'09)

 ミステリーYA!のレーベルが立ち上がった当初から刊行されている「北斗学園七不思議シリーズ」。本書は『王国は星空の下』『闇の聖剣、光の剣』に続く三冊目。実は、(このシリーズ、一冊目の装幀が二種類存在するらしい……というのはどうでも良いtips)。

 春休みを迎え、アキ・ハル・タモツの三人も中等部の三年生進級を果たして寮内の部屋の引っ越しに取り組んでいた。新しい部屋は三階の角部屋。そんな春休みのある日、アキが一人で洗濯場にいると、女子寮にいる北斗学園創始者の血を引く赤毛の二年生・古宮杏奈が彼のことを迎えにくる。東城理事長が会いたいといっているのだという。彼女はアキ一人しかいないと明らかに落胆した様子だったが、結局、アキは東城と面会する。彼が煮え切らない言葉でいうには、学園内に森に妖精が住んでいるといった奇妙な噂が流れているということで情報が欲しいようだった。また、ハルとは別にアキはJと会っていたといい、やはりその噂を聞きつけていた。夢のように美味しい食べ物、熱くない焚き火の炎、ニンフたちと美しい女王。さらに 共通するのは謎めいた暗号文。そんななか、アキとハルの調停役を担っていたタモツの様子が、兄貴同様に慕っていた新聞記者との会食以来おかしくなってしまう。帰ってきたタモツはなんと「学園を近々辞める」と言い出したのだ。アキとハルも、意見を巡って衝突したままで、更に東城理事長に接近していると誤解されている三人は、学園内での陰湿ないじめの標的にもされてしまう。

北斗学園が持つ秘密とはいったいなんなのか――が明らかになる前に様々な勢力がぶつかり合う
 基本的に、男子中学生三人の冒険譚が一冊一冊においては主題。なのだが、その背後にあるのは学園創立時代に遡っての学園の謎、そしてその謎を取り合うための学園内部での勢力争いといったところが、かなり前面に出てきてしまう。特に、勢力争いはただでさえ混沌としているところに、本作では更に新たな勢力が登場する。続けて読めば良いのかもしれないが、刊行ごとに読んでいる読者にはちとツライところだ。(小生の記憶力にも問題もありそうだが、主人公のなかで猪突猛進型のアキを語り手にしてしまっているところも弱点ではないだろうか)。
 本書のテーマは、学園内の乙女たちの秘密クラブ。学園開始当初から存在した、そのクラブが場所も無いのに今なお続いている? しかもお伽話めいたエピソード付きで? といったあたり。もう一つポイントは、これまで絶妙なバランスを保っていた、アキ・ハル・タモツのチームワークにヒビが入ってしまっているところ。従って少年たちはそれぞれ(少なくとも序盤は)個々人で事にあたる必要が生じてしまう。学園の秘密を狙う謎の人物、更に卑劣な手によって追い詰められたタモツ。特にタモツの係累が巻き込まれる事件は、後からミステリ的な解決をみるところは嬉しい。
 更に今回登場したややこしい勢力の狙いが、主人公やJ、そして意外なサブキャラクタの活躍の結果、白日のもとにさらけ出されて破綻してゆく後半部は楽しい。特に危険な手を使ってしまったことで、それが黒幕の方に跳ね返っていく部分は胸が空く。

 とはいえ、実はあまり本作では裏側の謎が進展しているといえず、幾つか謎めいたエピソードこそ語られているものの、やはり「あくまで、まだまだ長い物語の途中」という感覚が強い。これからこのシリーズにあたろうという方は、完結してから一気読みといった読み方の方がすっきりするかもしれない。


09/10/05
朱川湊人「あした咲く蕾」(文藝春秋'09)

 直木賞作家・朱川湊人氏が『オール讀物』誌二〇〇七年八月号から二〇〇九年七月号にかけて、不定期で発表した短編が一冊にまとめられたもの。ノンシリーズの短編集。

 大阪から上京してきた口の悪いおば。彼女には自分の命を他人や生物に分け与えることができるという不思議な力があった。 『あした咲く蕾』
 母一人子一人の生活で、母親が連れてきた男性。雨のなか孤独をかみしめていた私は、誰も口に出していないのに、寂しい人の心の声が聞こえるようになっていた。 『雨つぶ通信』
 劇団で衝突して落ち込んでいた時に入った中華料理屋。巨体の女主人がカンカン中華鍋を鳴らして作る料理には、人を元気にする力があった。 『カンカン軒怪異譚』
 子供の頃から知り合いで、不器用なまま永遠に好きだといってくれたあの人。しかし、私のお腹に赤ちゃんを残したまま、あの人は突然死んでしまった。 『空のひと』
 雨の日の回想。周囲に暴力を振るうことを覚え、友人もなく孤独を深める少年。彼は自分と似た境遇で、軽度の知的障害を持つクラスメイトをいじめから助けた。 『虹とのら犬』
 近所に住んでいた母親の妹。母親が交通事故に遭った夜、家に迎えてくれたおばちゃまは湯呑みの中に月を入れてくれた。しかし退院した母親がおばちゃまに対して厳しい態度を取るようになる。  『湯呑の月』
 三十五年来の付き合いの貴明から入院したとの連絡が。見舞いに行くと病状は想像以上悪い。私は、ホラが大好きなその貴明と暫く一緒に住んだ学生時代のアパートのあった場所に出向く。かつてそこには奇行を繰り返すおばさんが隣人として住んでいた。 『花、散ったあと』 以上七編。

朱川湊人作品のエッセンスが凝縮されたような短編群。安心して朱川ブランドを楽しみたい方に
 朱川湊人さんはデビュー以来好きな作家でもあり、それなりに作品数を読んでいるつもりだ。短編であっても一冊分は連作にしてしまうことの多い朱川氏の作品群のなか、本書はノンシリーズで、それぞれ主人公が異なっている。その一方、ノスタルジー、不思議な経験、壊れた、ないし壊れかけた家族と恵まれない境遇にある人々、そして終盤に用意されている 微妙なサプライズという点が共通している。 ノンシリーズの宿命ゆえ、独白を行う人物や視点人物は男女様々ではある ものの、若い頃、子供の頃の経験を思い出すというところも近いかしれない。
 ただ、本書で共通しているとして挙げた要素は、これまでの朱川短編集においてもしばしばテーマとなっていた要素と同じ。同一テーマだとか類似だとかまでは言わないまでも、良くも悪くも作品全体に既視感があった。言い方を変えると、過去作品と同じような印象になってしまっているということ。
 このあたりは難しいところだが、朱川湊人氏が、こういったノスタルジーが混じった不思議で温かな小説を描くことでその地位を固めてきたのは事実でもあり、その系統の作品に人気があったということでもある。そもそもの編集者の注文が同様だったのかもしれない。作品自体はきっちり仕上げてあるので短編としての出来は悪くないし、従来の朱川ファンは安心して楽しむことが出来るだろう。

 以下はあくまで個人的な読感。
 上記のような理由からなんかまあ新しくないというか、作品としての冒険心が全くといって良いほど感じられない。なのでなんとなく、過去の作品集を読み返しているような気分になったところがある。さらに、その既視感のせいで、本書で取り上げられている親しい人との別れであるとか、親の思いやりであるとか本来「いい話」の部分が鼻についてしまい、無理矢理にでも読者を感動させようとしているのではないかと我に返ったりもした。

 朱川湊人という作家のブランドとしては安心の作品集。 これまでの作品でファンになっているという方であれば、読んでまず間違いはない。太鼓判。ただ、繰り返しになるがもう少し冒険を試みてくれても良いんじゃないの? という欲も、長年の読者としては抱いてしまうなあ。


09/10/04
新庄節美「ホラータウン・パニック ホラー公園の怪鳥」(小峰書店'02)

 一般向け作品を刊行する前、第42回サンケイ児童出版文化賞を受賞した「名探偵チビー」シリーズで人気を博していた頃の新庄節美氏の児童小説。小峰書店刊行のこの「ホラータウン・パニック」シリーズは他に『ゴースト通りの怪人』『魔界病院の怪物』がある。

 図書館に出向いていた女子小学生のミックリこと大岡実栗は、ローラーブレードをしに来たというベーコンこと長谷川平二と街中で出会う。ベーコンは、同じく友人のアルバこと遠山有馬のもとに自分のローラーブレードを改造して貰うために預けているのだという。アルバの家に二人は向かう。アルバは研究室で二人を出迎えると「タイムケイジ」が完成したと二人に興奮気味に話す。どうやら彼は時間の流れを制御する理論を完成させ、いわゆるタイムマシンのミニ版を創り上げたらしい。ただ、タイムパラドックスの問題が解決しておらず、テストをしてみたものの対象の置き時計は一旦、時流の流れに乗ったもののなぜか爆発したかのようなバラバラの破片となってしまう。三人には判らなかったが、この実験は実際にその時流を旅していた未来人のタイムシップに大きな影響を与えていたのだ。改造ローラーブレードのテストでどたばたした三人。そんな彼らは空の雲が紫色に光り、大霊界山に丸っこい怪鳥が出現したのを目撃したという友人たちと出会う。

児童小説として、それでいて典型的タイムトラベルSFとしてのまとまりをみせる長編。
 ストーリーは比較的シンプル。主人公たち三人が未来からやって来た少女と出会って、一緒に行方不明になった「怪鳥」を捜すというお話。その流れも予定調和に満ちており、特にサプライズに思える点はない。
 ただ、そのなかで特筆すべきは「小学生にも判るように」タイムパラドックスの問題を丁寧に解説している点か。もちろん作者が口を挟んだり、地の文で行う説明ではなく、同じ仲間の、後の天才科学者となるアルバの口から説明しているのだが、その問題であるとか、そうなったらどうなるかといったところが非常に分かりやすく述べられている。
 二冊目を読んでいないので断言はし辛いのだけれど、一作目が比較的冒険小説的な色が濃かったことに比べると、本書の場合「センス・オブ・ワンダー」を若い層(って小学生中学年くらい?)に対して植え付けようとしているようにも受け取れる。例えば、未来から来たタイムシップにせよ、未来人の服装にせよ、一昔前の科学漫画のセンスの領域を出ておらず、正直リアリティはカケラもない。だが、ここで語られている内容に限っていえば、きちんとした一般向けのSFに比べても決しておかしくないのだ。

 とはいっても、三人組の冒険も控えめだし、それぞれ登場人物のキャラクタが物語中でしっかりと活かされているかというと心許ない。少なくとも大人のファンが新庄節美氏のミステリとして探し回る必要は無さそうで、むしろ本来の読者である小学生層が楽しむ本という当たり前の結論に落ち着きます。


09/10/03
小路幸也「COW HOUSE カウハウス」(ポプラ社'09)

 ポプラ社の小説誌『asta*』二〇〇七年九月号から二〇〇八年十月号にかけて連載されていた作品に加筆修正がされて単行本化された作品。

 そこそこ有名な商社に勤務していたものの、とある理由から窓際族となった二十五歳の僕こと畔木。馘になってもおかしくない状態でもあったが、遣り手上司・坂城部長の温情的な計らいによって、会社がバブル期に取得した、鎌倉にある巨大な邸宅の管理人として派遣されることになった。さらに婚約中の恋人・美咲も同居を許されている。初めてその邸宅を訪れた平日の日中、無人の筈の敷地内テニスコートで老人と、女子中学生がテニスしている場面に出くわしてしまう。無人と名乗った七十過ぎの老人、そして、野島ふうかという名の中学生、それぞれ家庭に事情があった。老人がいうには、そのふうかは、百年に一人の天才ピアニストなのだといい、老人は邸宅にある音楽室を使わせて欲しいと畔木に頼み込む。ふうかのピアノを試しに聴いてみた畔木はその演奏の素晴らしさに驚愕、老人の言葉に誇張がないことを理解する。上司の坂城はてきぱきと邸宅の業務について指示を出し、畔木は畔木で手先の器用さを、美咲は美咲で人当たりの良さと料理の腕前を活かし、みるみるうちに邸宅は活性化してゆく。みんなが幸せになるためには? 畔木はあるプロジェクトを会社に対して提出することを決意する。

様々な境遇の様々な人たちがみんな一緒に幸せになるためにどうすれば良いのか? を楽しむためのストーリー
 小路幸也氏の多くの作品で描いている大きなテーマとして「家」「家族」といった存在がある。『東亰バンドワゴン』を例にするまでもなく、『ブロードアレイ・ミュージアム』にしても『brother sun 早坂家の人々』にしてもそうだ。そして、本書は題名にhouseというコトバがある通り(?)、そして小路氏のテーマど真ん中の「家」に関する物語である。
 先に触れておきたいのだけれど、この作品、話の展開順序が絶妙に上手いのだ。主人公の二人、畔木と美咲はもちろん、無人、ふうか、坂城部長、調律師の萩原といった登場人物が現在形で登場してゆくなか、断片的に少しずつ彼らの過去を明らかにしていく手法を取っている。それもところどころ過去については匂わせておきながら、お楽しみは後でね、といった描き方なので、読み出すと続きが気になって仕方がない。考えてみると、これもまた小路氏がこだわりをもっている連続テレビドラマの形式にも則っているともいえそうな気がする。
また、本作には不幸はあっても悪人らしい悪人は登場しない。従って悪を倒すといった物語展開はない。ならば何が目的となるのか、というと「関係者全員が幸せになるにはどうすれば良いのか」ということ。悪人を倒す以上にまとまりにくく、一筋縄ではいかないし、様々な他人の事情が絡む非常に難しいこのテーマに主人公たちがどう臨むのか。そこが本書の最大のクライマックスにあたる部分になる。

 以下少しネタバレなので一部反転。
 二十代の若造が役員に対し社内で暴力行為を働いて、馘にならずに済むのか? という点でリアリティに疑問をつける方もいそうな気がするので勝手に補足。(小生も最初に気になったのだ) その殴った原因が詳細は明らかにされないものの同僚を庇うため、そしてセクハラとある。平時に暴力を振るったのであれば、懲戒免職も仕方ないところ。ただ、この場合、役員サイドにも後ろ暗いところがあるようだ。このようなケースであれば組織内での実力者であれば、役員の後ろ暗い部分(間違いなく不祥事だろう)を明らかにしない代わりに部下の処遇を三割減俸(これは明記してある)+左遷と引き替えにするというのは現実にあってもおかしくない。作者がそこまで踏み込んで書いたのかは不明ながら、個人的には「あり」だと思っている。

 最初の段階、このCOW HOUSEは大邸宅ではあるものの住む者のいない、ただの箱でしかない。もともと空き家なので当然ではあるが、ここに畔木と美咲のカップルが越してくるところから、最後にどうなるかをいきなり予測するのはまず不可能。いずれにせよ読者サイドもまた、理想的な包容力・能力を持つ主人公たちと共に、どうすればみんなが幸せになれるか、を共に想像しながら読む。 そういった好作品だと思う。


09/10/02
飴村 行「粘膜人間」(角川ホラー文庫'08)

 2008年、第15回日本ホラー小説大賞の長編賞受賞作。本作を大賞に推す選者もいたようなのだが、何かと物言いの覆いH女史が拷問シーンを不快としてあの『バトロワ』以来、異例の物議を醸したらしい。その結果、大賞ではなく長編賞に落ち着いた経緯があるようだ。

 父親の再婚相手・和子の連れ子である十一歳の雷太は、身長195cm、体重105kgの巨体。和子の失踪後に十一歳なりの知能のまま、暴力で周囲を屈服させる術を覚え「和子をバカにした」という理由で父親すら半殺しにしてしまう。このままでは殺されてしまうと長兄の利一と次兄の祐二は、雷太殺害を計画する。力では当然敵わないので、二人は河童に殺害を依頼することにし、河童とコミュニケーションが取れる村はずれのベカやんのところに頼みにゆく。ベカやんは、タバコと引き替えに二人にアドバイスをしてくれた。河童三兄弟には、とにかく長男のモモ太を持ち上げ、要求するものを渡せば何とかなるようだ。早速、河童の棲む沼を訪れた二人は、モモ太に雷太殺しを依頼するが、その時にあまりにモモ太のことを持ち上げすぎてしまったがために、モモ太に人間の若くて美人の女性を差し出さねばならない状況に陥ってしまう。一計を案じた祐二は、長男が徴兵拒否をしたため「非国民」呼ばわりされているクラスメイト・清美を、モモ太の相手をさせようと計画する。しかし計画当日、雷太をおびき出す前にモモ太は勝手に清美のところに出掛けてしまい、河童の弟二人が代わりに殺害を実行するので、やはり女性二人を要求してきた。そこに利一に連れられやってきた雷太だったが……。

グッチャネでマラボウでソクソク。恐るべきストーリーテリングと言語&残酷遊戯。粘着性の傑作ホラー
 太平洋戦争の最中と思われる日本のどこか。特に何が異なるとはいえないが非常に実際の歴史に近いパラレルワールドのような田舎の村が舞台。最初に十一歳の凶暴・巨大少年が登場した段階で作者の勝ちを予感。さらにモモ太・ジッ太・ズッ太の河童三兄弟の登場にてこちらの負けを確信した。悪趣味で下品な展開なのだが、どこかの方言を模したような言葉遣いや河童独特の感性の描写がユニーク。河童に女子中学生を売り渡してしまう背徳感に圧倒的な暴力。アクションシーンにあたる部分もスピーディに展開してゆく、のがまだまだ第一章「殺戮遊戯」。
 第二章『虐殺幻視』では、その女子中学生・清美が、家族の徴兵拒否を理由に憲兵隊の冷酷な兵隊たちから拷問を受ける場面が主。当初は普通の、そしてスマートな軍隊式の拷問から開始される。ただ清美は兄の秘密を喋る気配がない。ここで凄いのは「髑髏」なる薬品の存在。注射されると自分が残酷に殺される場面を強制的に幻想させられるという究極の拷問薬が、清美の死を描写。現実離れした状況で、人間の尊厳を奪われるような仕打ちを受けることになり、全体の幻想感に凄みを加えている。
 ここでさらに第三章『怪童彷徨』では、第一章で兄弟から頭をかち割られた筈の雷太と、銃に怯えて一旦逃げ出したものの、消えた弟たちの行方を捜す河童のモモ太との奇妙な道行きが描かれる。こちらも、人間の法則、生物学的な正しさを無視したかのような強烈な展開や、謎めいた毒物など細やかなガジェットに面白みがあり、かつある程度予想されるもののクライマックスへと向かってゆく。
 とにかく独特の方言や造語をベースにした会話にリズムがあり、河童やキチタロウなる謎めいた存在と、狂気に染まりながらも正常を演じる人間たちとが見事に共存し、独特のグッチャネワールドを創り出している点、このセンスには痺れざるを得ない。世評に高いらしい女子中学生を拷問するスプラッタ場面は、まあ、友成純一作品で耐性が出来ている身なので何とも。ただ、死刑になる前に蕎麦を食べさせるというのは悪趣味ではありますねえ。

 さて、では単純にストーリーの面白い悪趣味なスプラッタ小説かというと、そうとは言い切れない人間の弱さや優しさが、ほんの一瞬スパイスのように効かせてあるし、とにかく物語の展開が上手く、ラストの対決を読者の想像に委ねるあたりの余韻の引きずらせ方も巧み。何より、なんでもありの世界、欲望まるだしの価値観などを読者に納得させてしまう筆力に素直に従う、そういうホラー作品。ぐちゃぐちゃが苦手の方は敬遠した方が吉にせよ、ホラー小説大賞作品のなかでも”ある方向性”のなかでは、これまででもベストクラスに並ぶ作品だと思う。次作の『粘膜蜥蜴』も世評が高いようなので楽しみ。


09/10/01
大門剛明「雪冤」(角川書店'09)

 雪冤の雪は「そそぐ」の意味。第29回横溝正史ミステリ大賞、テレビ東京賞受賞作。社会派ミステリでもあり、清張賞でも良かったように思うのだが。応募時の題名は『ディオニス死すべし』。作者の大門氏は1974年、三重県生まれで本書がデビュー作品。

 京都の鴨川の河川敷でホームレス支援の合唱団メンバー長尾靖之と女子学生の沢井恵美が合唱団の中心的人物であった京大生・八木沼慎一に殺害されたと思われる事件が発生した。現場から血まみれで飛び出したところを、沢井恵美の妹・沢井菜摘に目撃された慎一は逮捕されるが、公判に入ってから途中から自分も犯人に襲われたのだと冤罪を主張する。しかし裁判の結果、死刑の判決が下され執行待ちの状態でもう四年。慎一の父親で元弁護士の八木沼は、息子が冤罪であることを街中でビラをまいて訴える孤独な運動を続けていた。ただ、八木沼と慎一とは高校時代から絶縁状態で、慎一は収監後も父親との面談を拒否し続けてている。慎一の弁護に現在あたっているのは、事件前から慎一と顔見知りで、苦労しながら司法試験に合格した弁護士・石和洋次。事件発生から十五年が経過しそうになった今、菜美と石和のもとに別々に「犯人」を名乗る人物から電話がかかってきた。特に菜美に対する電話では、関係者にしか分からない筈の重要なキーワードが口にされた。殺された恵美の妹である菜摘は、自分の心のなかのもやもやを慎一の死刑にて晴らしたいと信じていたのだが、果たして、慎一は本当に犯人ではないのか……。

社会問題への真っ正面からの取組姿勢は良も、終盤のどんでん返し連発が微妙
 京都を舞台に十五年前に発生した学生二人の惨殺事件。逮捕・起訴されされ死刑を待つ被告。その被告を救おうと奔走する父親と弁護士、被害者の妹であるヒロイン。最初の軸となるのは、死刑制度に関する関係者による熱い議論。通りすがりクラスの人物までをも巧みに主張比べに巻き込んで、序盤の段階にて死刑に関する様々な意見を読者の前に開陳してゆく。 心底自らの主張に染まりきっている登場人物たちの議論や独白は熱く、そして重い。正直、序盤から中盤にかけてはテーマ性を特に重視した、登場人物たちによる濃厚な展開が続き、完全に重い社会派ミステリの様相を呈している。
。  一方、死刑囚となっている慎一は冤罪であり、自分が真犯人だという「メロス」なる人物からの電話……。そして新たに「ディオニス」なる人物が現れる。十五年前の事件の関係者を洗い直して、謎の人物を追いかける展開は、一気にサスペンスめいてゆく。なのだが、予想していない「断ち切られる」ようなかたちで展開の速度が変化する。中盤のサプライズだといっても良いだろう。
 そこから後半、そして終盤にかけての犯人捜し。ここからは、現代本格ミステリの構成とも似て、ラストに向けて何度も犯人と視される人物が変転してゆく。
 まあ、実際に読まれた多くの人が感じていることだと思うが、いくら横溝正史の名前を冠する賞とはいえ、終盤のどんでん返しはサプライズを生み出す以上に、本作ではウィークポイントになってしまっている。個人的には八木沼と真犯人と思しき人物が最初に対決する場面の、動機と正体で十分お腹いっぱいになれたところ。(某ミステリ作家の影響もあろうが、こういう動機もありだというのが最近の風潮でもあるし)。その他の弱点指摘についても、同賞選者たちが巻末で述べている指摘に同じ、というくらいに留めておきます。

 とはいっても死刑制度に加害者関係者・被害者関係者の両面から取り組む意欲は素直に受け取るべきだろうし、殺人遊戯のような本格ミステリに飽き足らない読者にとってはこれくらいの食いごたえは望むところ、ということになろう。作品の完成度は今一歩でも内容の充実度合いは高く、大賞受賞にケチをつけるつもりには毛頭なれない。ただ、受賞作にして大傑作と呼べないところにほんの少しだが残念な気持ちが残る作品である。