MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/10/31
辻真先(他)「探偵からの挑戦状!」(小学館文庫'09)

 2009年11月現在、season2として第二弾の放送が行われている携帯+テレビドラマ連動企画「探偵Xからの挑戦状」。本書はその第一弾、2009年3月から5月にかけて行われた企画の原作となった小説を、犯人当ての形式のままアンソロジーとした作品集。収録作品の順番も、放送順と同じとなっている。

 広告代金を徴収に出向いた夕刊サンの可能克郎が目にしたのは不動産会社社長の死体。床に敷いてある絨毯上には都心地図、そして手足が様々な地名を指しており、それらは容疑者の名前と一致した。 『DMがいっぱい』辻真先
 依頼人を訪ねて山荘を訪れた若手探偵は、土砂崩れによって孤立。閉じ込められた山荘では殺人事件が。若き探偵は状況の整理のため、目撃状況を何通かのメールに分けて送信してゆく。 『赤目荘の惨劇』白峰良介
 後輩のペットシッターが執務中、マンションで預かっていた二匹の猫のうち一匹がいつの間にかいなくなり、猫を預かったと身代金を要求する電話が。後輩はパニックに陥るが、先輩の私は冷静に状況を判断する。 『猫が消えた』黒崎緑
 金持ちの父親を持つお笑い芸人志望の男が、チームで練習に訪れていた雪の別荘の外で雪にまみれた死体となって発見される。格闘場面が近くの別荘にいた若い女性二人に目撃されていたが……。 『サンタとサタン』霞流一
 レトロ・ビルにて勤務する森江春策のもとにライバル関係にある検事・菊園綾子から危険人物に関する情報が届く。折しもレトロ・ビルでは青年たちに立ち上げられたIT会社が引越をしている真っ最中。そこへ……。 『森江春策の災難』芦辺拓
 フィリピンのセブ島に一人旅に出た恋人が、現地で爆発事故に巻き込まれ死亡した。現地の状況に疑問を持つ男は、同じく事故に巻き込まれた添乗員に対してメールで当時の状況を確認しようとする。 『セブ島の青い海』井上夢人
 「黙に気をつけろ」……殺害予告の脅迫状を受け取った金融会社社長。完全に警護の行き届いた邸宅で家族や友人と時間を過ごしていたが、翌朝鍵の掛かった部屋無内部で殺されているのが発見される。 『石田黙のある部屋』折原一
 靴作りで一財を成した老婦人。クリスマスに家族を呼ぶが彼女は彼らを信用していない。そんな彼女が雪の降った翌朝、靴を模した離れの家の中で不自然な死に方を。宅内には人事不省の息子が一人。しかし足跡の様子がおかしい。 『靴の中の死体』山口雅也  以上、八編。

あまりにも贅沢・豪華なアンソロジー。犯人当て小説として時間が経過しても高い評価を得そう
 ……と、紹介文では偉そうに調べた蘊蓄を書いたものの、実際には小生この企画を眼にしていない。(携帯でいろいろするのが苦手なので)。なのであくまで犯人当て小説として本作を評することしか出来ない点、お許し頂きたい。
 ドラマとなる前提のうえ、小説としても推理ができないといけないというハードルがあった結果というか、非常にスリリングにして端正な本格ミステリが揃っているというのが読了後の第一印象。また、ドラマであるにもかかわらず(だからこそ?)、辻真先、芦辺拓、山口雅也といった各氏がシリーズ探偵を登場させているところも特徴的だ。彼らの活躍はいずれそのシリーズ短編集にも再録されることになるかとは思うが、問題編と解答編がきっちりわかれた本作の形式で読むのと そのまま解答編になだれこむ短編小説形式で読むのとは、思い入れも変わってくる。
 まず作品全般だが、厳密に読者にも推理を要求する結果、この人物は○○を知っている筈がない、という論理で犯人を特定するタイプの作品が多くみられたように思う。そのなかでも『DMがいっぱい』はユニーク。冒頭で作者がしつこいくらいに「DM」、すなわちダイイングメッセージの紹介をするのだが、初心者向けの解説と思いきや、これが思い切りレッドヘリング。トリック以上の効果が作品から滲み出ている。別系統では、身内びいきのようで恐縮だが芦辺拓の『森江春策の災難』は着眼点が面白い。小説ではしばしばみられるトリックを、単発の映像化作品という前提で更に活かしている。ある意味反則といえば反則かもしれないが、小説+映像というところまで踏み込んだトリック作りについては褒めるべきところだと思う。  あと、ドラマがどうできるかを作者自身がにやにやしながら見ていそうな『靴の中の死体』(離れのセットは作ったのだろうか?)。それにあとがきでは海外ロケはなかったようなのだが、思い切りセブ島を舞台にした『セブ島の青い海』等、読者に対してと同時に映像班に対しても挑戦的だと感じられる作品も。井上氏の作品はそれだけではなく、携帯らしくメールのやり取りがメインになってミステリを構成しているところ、そしてその携帯メールのやり取りのなかにトリックが隠されているテクニックが面白い。『赤目荘の惨劇』でもメール形式だが、やはり叙述方法の一形式であり、差があるか。『サンタとサタン』では短編内部で霞節が炸裂。相変わらず不謹慎な発言をする登場人物が多い。(トリックは?)

 犯人当て小説という形式は、やはり本格ミステリの王道。 作る作者は大変だが読む読者にとってはこれ以上のご馳走はないといえる。これはこれで満足だし、season2もいずれまとめて本になるだろうし、この企画が末永く続くよう願ってならない。


09/10/30
山口芳宏「妖精島の殺人(上下)」(講談社ノベルス'09)

 『雲上都市の大冒険』にて第17回鮎川哲也賞を受賞してデビューした山口芳宏氏の、初ノベルス、初他社、初上下巻という書下ろし長編作品。上巻は'09年9月、下巻は10月と二ヶ月連続の刊行となった。他の著書に『豪華客船エリス号の大冒険』があり、双方、本書に登場する探偵役・真野原の祖父が登場している。

 派遣社員で働く柳沢は、同じく後から来た派遣社員の美女・真希に一目惚れ。思い切って食事に誘ってみたところ、彼女の方も満更ではない様子、だったが、真希はその翌日には派遣先に現れず、契約も終わったのだという。彼女の残した手紙や写真から、どうやら東北の離れ小島「竹原島」にいることを推定する。彼女の友人・留美が止めるのも聞かず、柳沢は島に潜入。大富豪が妖精に憧れるあまりに再現を目指したというその島には、中世西洋の街のような町並みと、そこに暮らす人々、更に島の奥には城までが建てられていた。しかも街中には妖精のような振る舞いをする裸体の少女たちにお菓子の家、機織りする老婆らが。しかしそもそも招かざる客であり、不法侵入のかどで用心棒格の島民から追われることになった柳沢。なんとか真希がいると思われる「城」に逃げ込むことに成功。さらにその城の中で更に多数の妖精たちと出会う。そして真希と一瞬の再会を果たすのも束の間、柳沢は真希を連れての逃走に失敗……。何日か経過して、湯河原で入院生活を送る柳沢のもとを訪れたのは貧乏学生の真野原、森崎、そして親は大富豪という菜穂子。彼らは柳沢の話に興味を持ち、自分たちも妖精島を訪れようとする。島の持ち主を調べてから行くという真野原と別れ、森崎と菜穂子は、偶然出会った、島の持ち主の親族と共に島に渡ることになるが、上陸してみたものの人の気配が全くなかった……。

探偵小説風冒険小説の次は、正統派「新本格ミステリ」に独特のエッセンスを振りまく怪作
 鮎川賞受賞作を含む前二作は、本格ミステリのエッセンスを取り入れつつも、基本的には探偵小説の匂いを感じさせる冒険小説という体裁だった。同じ一族の探偵役(両手は普通のようです)が登場する本作、個人的には舞台を現代に移しても同じ系統を期待していたところがあったのだが、そのあたりは微妙に狙いが変更されていた。
 で、現れたのはある意味で(今となっては)古式ゆかしき新本格ミステリの様式を継ぐ作品。 プロローグから上巻のかなりの部分を占める、現実にはあり得ない妖精島と、その妖精島で登場人物が体験する数奇な状況。一転して現実に戻り、果たしてその幻想的光景は幻だったのかどうか、と。このあたり、同じ新本格といっても、島田荘司御大の作品イメージに重なる。さらに上巻の後半から下巻では、主人公(ワトソン役)とヒロインによる孤島連続殺人。孤島だけでなく、現場となる城が密室状況であり、殺人事件も不可解な状況で次々と発生する。こちらのシチュエーションは、やはり綾辻以降と呼ばれた新本格の系譜に連なっているような印象を受けた。
 先にトリックの話をすると、とかく空想に走りがちになる新本格ミステリを否定するかのように、「現実にこれは実現可能です」とこだわる姿勢がとにかくユニーク。トリックなど実現出来そうな雰囲気を作れば普通のミステリならば良しなのだが、そこに物理的な証明(数式含め)まで付け加えている点は非常に愛嬌を感じる。読みながら、ここがこうなれば……とは思ってはいたのだが、それをホントに実現しちゃっているという姿勢は作者の個性として強烈なインパクトがある。
 ただ、この点を踏まえて個人的な不満は、やはり「妖精島」という存在そのものか。大富豪OK、自分好みの世界の構築はOK。だけど、この作品からはその島の持ち主の執念というか、島を買い取ってまで自分の世界を作るだけの妖しい妄念が感じられないのだ。その部分に説得性、「ま、こいつならそこまでやるかもしれんわな」という読者の共感があってこその現代のパノラマ島だと思うのですよね。(例えば、この人が、怪獣島、妖怪島、恐竜島、江戸時代島といった島をばんばん作る世界再現コレクタの変態で、その一環として妖精島が存在するというのであれば、少なくとも小生は納得した)。

 あえて気になるところも書いてみましたが、正統派の新本格ミステリとしての仕様と、作者独特の個性が相まって独特のミステリとなっている点は事実。そうそう、あともう一点いうことがあった。女性には服を着せてください。


09/10/29
北島行徳「428〜封鎖された渋谷で〜(1)」(講談社BOX'09)

 もともとは『かまいたちの夜』などを開発したチュンソフトによるサウンドノベル。(つまりはゲーム)。ゲーム版は未プレイだが、渋谷の街を舞台に実写を多用した内容になっている模様。本書は、そのシナリオを担当した北島行徳氏自らが、小説化した作品。ゲームにはないボーナストラックもある。

 ごった返す渋谷のハチ公前にアタッシュケースを持って佇む少女。名はひとみ。彼女のことを数十人の警察官が遠目に監視している。ひとみの姉・マリアが誘拐され、その身代金の受渡がひとみに指名されていたのだ。加納慎也は、渋谷中央署の新米刑事でこの誘拐事件の捜査に携わっていた。ナンパ目的やその他の理由で何人かの人物が接触するなか、一人の外国人がアタッシュケースを持ち去る。加納は追跡を行うが、真の黒幕を突き止めるためにすぐに捕らえてはいけないという上司の指示が入る。一方、渋谷でかつては若者グループ「KOK」のヘッドを務めていた遠藤亜智(あち)。渋谷で生まれ育ち、売れない電気店を経営する両親を持つ。頭は良くないが、エコに敏感で正義感は強い。その亜智がハチ公前で、謎の男に銃を突きつけられているひとみを発見し、反射的に彼女のことを助け出し、二人での渋谷内部での逃避行が始まった。さらに着ぐるみでドリンク剤の試供品配りに精を出すタマ、あまり流行らない劇団での公演と、様々な人々が渋谷に集う。

あくまで現段階は登場人物の顔見せか。関係ありそうな人物は多く、幾つかの切り口にて事件の端緒が少しずつ。
 全く先入観なく読んでいるので、既にゲームをプレイしている方には噴飯もののレビューになるかも、というのは諦めて。
 まず、渋谷を舞台に発生しているのは若い成人女性の誘拐事件。ただ誘拐事件そのものよりも、どうやら身代金受け渡しそのもの、そしてその身代金が外国人たちによってリレーされてゆくところにあるようだ。つまり、誘拐事件を扱いながら、その焦点がずれてきている印象。そして誘拐された被害者の家族が見事なまでにバラバラ。警察が逆探知そのほかで家に詰めていながら、普段通りの生活を望む――というのは父親は天才ウイルス学者だから。この男の様子、研究対象、そして本書でも一人登場する謎の死者から、どうやらこのエボラなどより遙かに兇悪な致死率と発病率を誇るウイルス病がポイントになるのであろうと想像がつく。潜伏期間が短いのもゲーム向き(?)の設定かと思う。
 一方、主人公タイプの遠藤亜智。エコという言葉の意味を知らないなど、描写における「アホさ」があまりに際だっているが、体力と正義感は抜群、実戦経験も豊富な喧嘩ファイターということで、本書でもそれなりにアクション系の活躍をみせているものの、そんなものでは終わらないことも想像がつく。アクション面担当のヒーロー役か。
 問題は、ひとみを狙う杖の男や、身代金誘拐からいつの間にか、加納に指示を出す立場に外国人集団が現れる展開は謎というか「?」。狙う側、追う側の彼らが同じ組織に属しているのかは現時点不明も、大きな陰謀が背後に隠されている予感はひしひしと伝わってくる。またもう一人、タマとしか名乗らない着ぐるみ女性もまた謎。どう物語に関連するのか想像がつかない一人である。
 複数のストーリーが同時間帯に進行しているという体裁。狭い渋谷の街でのことなので、現段階でも幾人かの登場人物が異なる物語のなかですれ違っている。このあたりの辻褄、そしてそもそも背後にある陰謀がどうなのかといったところが(2)以降の興味となりそうだ。

 ということで、(2)に進む。というか、導入部だけで(1)がまるまる消費されてしまっているのは懐的(財布的)に少々厳しいかもしれません。


09/10/28
馳 星周「煉獄の使徒(下)」(新潮社'09)

 著者の略歴は『煉獄の使徒(上)』の感想にて。本書の初出は、『週刊新潮』二〇〇一年一月四・一一日号から二〇〇二年二月二十八日号にかけて連載されたもの。ただ、連載終了後、単行本となるまで五年以上の歳月が経過しており、内容に大幅な加筆修正があったというのも頷ける。

 新興宗教である〈真言の法〉の勢いはますます加速を続け、教団は膨張してゆく。その資金源は教団内部で作られる覚醒剤であり、ヤクザを通じて現金化されてそれが政治資金に回るという仕組みを作った公安刑事の児玉の笑いは止まらない。政治家を通じて婉曲な保護がなされていた〈真言の法〉だが、政権交代によって徐々に政府の干渉が進むようになる。妻や愛人の手によって重度の覚醒剤中毒からは抜け出した教祖の十文字源皇であったが、その狂気の度合いは加速。教団内部で、政府や警察と戦えるだけの戦力を整えるよう矢継ぎ早の指示が飛ぶ。ロシアと手を組んでの銃器製造、次々と購入される化学プラントによる毒ガス製造。教団の実務をまとめていた筈の侍従長・幸田は、必死でその動きを阻止しようとするが、狡猾な十文字は別の取り巻きを利用して計画を進めさせる。グル(十文字)の警護隊長となっていた若き信者・太田慎平もまた、児玉や幸田と意を通じるところとなり、グルの暴走を止めようと必死になるが……。

あの運命の日。教団内部の葛藤、そして公権力の醜い争いを描く、ドキュメンタリーフィクションの傑作
 上巻に引き続き、下巻においても教団側、警察側において二重に緊迫した展開が続いてゆく。下巻では教団が一定の宗教法人としての地位を得て総選挙出馬後に全員落選して――からの「被害妄想」が昂進し、宗教に対する弾圧を信じ込んで、無差別の政府攻撃に転じてゆく状況が赤裸々に、そして詳らかに描かれていく。
 特徴的なのは、某宗教をモデルにした教団内部の権力争いだけではなく、宗教を上回るえげつなさを持つ権力側の様子をも細やかに描写している点だろう。〈真言の法〉が怪しまれる傍ら、政治家サイドも、政権交代を巡っての権力争いが活発化し、主流派・反主流派の対立が激しくなる。中盤まではその波のなかを児玉はうまく泳ぎ回ってゆく。
 当然、時系列、そして事件発生は当時を知る読者の記憶通りの展開へとなってゆくのだが、中盤以降に目に付くのは、むしろ教団関係者の方が必死でグルの暴走を止めようと奮戦し、その志を半ばで散らされたり、命を失う恐怖に怯えて転向してしまったりという悲惨な様子。むしろそれよりも汚いものとしての政治家や、警察官僚同士の醜い権力争いがさらに激しく、活発化してゆく様子が丁寧に描かれ、いつの間にか宗教と官憲の汚さ比重が逆転している点がユニーク。 つまりは、新興宗教の内部・外部争い以上に、国という権力にしがみ付きより上の権勢を求める官僚や政治家たちの欲望の方が物語を圧倒するような展開になっていくのだ。
 もちろん(真言の法)に対しても同情の余地があるようには描かれていないし、述べたように警察も政治もめちゃくちゃ。ただ、この当時の日本が、実際の内情はいざしらず、こういった展開が「あったかもしれない」「あってもおかしくない」 という物語なのだ(上巻でも書いたが)。当然に本書はフィクションではあるものの、どこか真実を射抜いている可能性すらあるように思わせる。良心や理性を吹き飛ばし、欲望は限りなく、真の意味での権力に近いところの方がより汚いということが赤裸々に読者の前に晒される。

 ページ数は膨大、書かれている事象は悲惨だし決して気持ちよい読書にならない。にも関わらず、人間の欲望、そして行動原理というものを様々なかたちで描き出している物語は本物だ。恐らく馳星周氏にとっても中期以降の代表作として正々堂々と表看板を張れる作品となるかと思う。


09/10/27
鯨統一郎「空海 七つの奇蹟」(祥伝社NON NOVEL'09)

  鯨統一郎氏の得意分野である、歴史の登場人物+ミステリを扱った連作短編集。主人公にあたるのは「空海」で作品中はその若い頃の名前である真魚を名乗っている。ちなみに、鯨統一郎版の空海は、『いろは歌に暗号』と『親鸞の不在証明』の二長編に登場しているらしく、本書はその前日譚。

 空海が空海となる以前、四国にて真魚という名で修行をしていた時分のお話。顔が爛れる奇病が蔓延していた村に滞在していた真魚。その村を訪れた都の貴族・橘逸勢は手持の薬で村人を治療する。しかし、その薬の効き目が切れるとさらに病状は悪化。真魚は一計を案じていた。 『加持霊水の奇蹟』
 漁場を巡って二つの村が一触即発の争いをしているところに現れた真魚。二つの村の人々が今にも闘いを始めようとしていたところに真魚は大剣を空中から取り出してみせた。 『大瀧飛剣の奇蹟』
天狗が住み着いているという山。その天狗に食料を与えた一家が村八分にされており、真魚は天狗と交渉することでその夫婦の苦境を救う。 『天狗問答の奇蹟』
 飢餓に苦しみながらも、気力が尽き果てている村。村にある寺が再建できれば人々のやる気が戻りそう。真魚は僧侶を育成し、川を隔ててその寺の門に掲げられた額に字を入れてゆく。 『隔河書額の奇蹟』
 村に現れた龍に前の名主が殺された。その沼に潜む龍を真魚が退治をする。 『室戸伏龍の奇蹟』
 独身の美しい若い女性を巡っての男たちの駆け引きで死者が。そして彼女の姪の赤子が狼に攫われ喰われてしまう。真魚はその赤子を生き返らせるというが。 『小児活生の奇蹟』
 修業の末、虚空蔵求聞持法を会得した真魚。最初の疫病の村に戻った真魚は、逸勢のライバル・藤原仲成に捕らえられる。真魚は釈迦を出現させられると断言、仲成に挑戦する。 『釈尊出現の奇蹟』 以上七編。

生涯で数々の奇蹟を生み出したという空海の修業時代を軽めのミステリによって描き出す
 弘法大師・空海は当然実在した人物であるし、その法力によって様々な奇蹟を生み出したとされている。その空海が修行を行ったのも実際に四国だし、というあたりまでは歴史を、歴史としてきちんとなぞっているといって良いだろう。
 ただ――その個々の作品内容はというと、やはり鯨ミステリ。 苦しむ人々を救おうという空海の行動自体は素朴に仏教道に基づくものだとはいえ、その行っている内容はどちらかというとペテンというか何というか。素朴な村人をちょっとした錯覚や仕込みによって謀っているというもの。ただ、そのペテンがまた人々を救うため、ということだけは一貫しているため、嫌な気分になるものではない。やはり、騙されたい(言い換えると信じたい)人が現実にはあり得ない光景をみると、それが即ち法力であり奇蹟ということになるのか。
 ただ、その行動の中身自体は(つまりはミステリ的にいうところの真相は)非常に軽い。残念ながらトリックそのものに全くといって良いほどひねりはなく、天狗の正体であるとか、空から剣を取り出すだとか、赤子が蘇るだとか、語弊を恐れずにいえばすでに陳腐化したトリックの再利用でしかなく、整合性はとにかくオリジナリティはほとんど感じられない。ただ、まあ、空海とその時代に絡めている関係で読むに耐えないということにはならない。(が、当然大きなサプライズは得られないものと覚悟いただきたい)。

 実際は重い事象を、鯨統一郎氏らしい筆致で軽く描くため、さくさくと読めることは確か。鯨ファンならば、この軽いノリで喜べるものかとは思うが、ちょっと一般ファンには物語にしてもミステリとして読むにしても、やはり軽すぎる印象だ。


09/10/26
曽根圭介「鼻」(角川ホラー文庫'07)

 『沈底魚』で第五十三回江戸川乱歩賞を受賞した直後、『鼻』で第十四回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した曽根圭介氏。本書は『鼻』を含む三編を収録した短編集。

 人間一人一人に対して株価がつき、その行動や友人関係、境遇によって株価が上下する世界。エリートとして生きる主人公がインサイダーとみなされる取引をきっかけに自らの株価が暴落し、転落してゆく人生が描かれる。 『暴落』
派遣社員で働いて最終日に酔いつぶれ、気付くと人気のないビルの谷間で手錠で身体が拘束されてしまっている主人公。周辺で工事が行われて助けを求める声も聞こえないなか、OL風の女性が通りかかるが、「ひょこたん」を名乗る彼女は困ったことに電波系だった。 『受難』
 同じ人類ながらテングと呼ばれている種族が迫害を受けているという世界。ある理由で妻と娘を失った整形外科医師は妻と娘によく似たテングの親子を匿い、地下組織から協力の要請を受ける。一方、ある刑事は単独捜査によって謎の「マスク男」の行方を追い、容疑者周辺の人物に対し粘着質のアプローチを続けている。 『鼻』 以上三編。

タイプの異なる「嫌な」話が三編。テイストはホラーというより不条理でブラックなエンタテインメントか
 世評ではやはり受賞作の『鼻』の評価が高いようで、実際に良い出来だとは思う。ただ、正統派ホラーかというとちょっと疑問で、どちらかというとSFがかったサイコをミステリの手法でまとめあげている印象。とはいえ、そのミステリの手法がぴちっと嵌った瞬間、どうしようもなく嫌な気持ちになる点は確かで、非常に高い厭さ加減を持つ作品である。やろうとしていること、その世界、のうのうとした遣り口、いずれも新人離れしたテクニックが感じられる。
 が、個人的には他の二作の方により強い好みを感じた。
 最初の作品『暴落』は、読み出してから八割くらいまでは高く評価できない印象ではあった。株式会社の評価の基準のひとつが株価であり、それを人間に当てはめたものと思われたから。人間の価値を絶対評価で数値化するといった発想の物語は過去にもいろいろあるし、競争社会を風刺するような場合にしばしばみられる表現手法。しかし、終盤に自己株価を暴落させきった主人公が再生ファンドに救われる――という展開から「え、こっちに進の?」という方向に落とし込む残酷さが、意外性と共に強烈なインパクトとして残る。ある程度経済をかじった人間の方が、この落差にびびるものかと思う。
 また、二作目の『受難』。もうこれは不条理の塊のような作品。不条理とはいえ、不幸な偶然が幾つも積み重なっての話なので、全くあり得ないこともない、というぎりぎりのリアリティが素晴らしい。ただでさえひどい状況下で多少見えた救いが電波で、悲惨さにどんどん輪がかかっていく展開が、結局なんの救いもない終わりになるあたりのぞわぞわした手触りがなんともいえない味になっている。

 乱歩賞とホラー小説大賞のダブル受賞という看板は伊達ではないということを改めて感じる作品集。物語というものだけでなく、読者が感じる感情までをも手玉に取っているという印象。文章力にも問題なく、すぐに大化けしそうなセンスが予感された。


09/10/25
雀野日名子「トンコ」(角川ホラー文庫'08)

雀野日名子さんは1975年福井県生まれ。2007年に「あちん」で『幽』怪談文学賞短編部門大賞を受賞、08年には同作含む最初の単行本を刊行。'08年、「トンコ」で第15回日本ホラー小説大賞短編賞受賞、本書は他二編の書き下ろしが加わった作品集。

 養豚場で飼育されていた二歳になる豚のトンコ。多数の兄弟や姉妹に囲まれて放屁と鳴き声に溢れた生活を送っていたが、少しずつ兄弟たちがトラックに乗せられてどこかに行ってしまう。そして遂にトンコの順番が巡ってきた。しかし、トンコが乗ったトラックが高速道路で横転、トンコは逃げ出すことに成功する。どうして良いか分からないが、僅かな兄弟たちの匂いを手掛かりにトンコは歩き出す。 『トンコ』
 家庭内が不和で働かずに酒ばかりか、薬までやっている父親と、水商売をしながら父親に殴られては娘のあっちゃんをも殴りつける母親。あっちゃんは普段、両親の目に止まらないよう、家の隅っこで静かに暮らしているが、学校でも無視されてしまう。そんな彼女の拠り所はぞんび団地。そこでは動く死体と化した人々が、静かに平穏に暮らしていた。あっちゃんは自分も仲間に入れて欲しいと心の底から願っていたが。『ぞんび団地』
 警察に勤務し、少しでも成績を上げるためにロシアに研修に来ていた良樹のもとに、妹の絢子が自殺したという連絡が入る。両親を早くに亡くした彼女を必死で育て上げ、北海道から上京してデザイン学校で充実した暮らしを送っていた筈の彼女がなぜ? 回想と悔悟を繰り返しながら妹の生きた東京で真実を知る良樹。その良樹には新しい彼女が現れ、供養を共にしようと言ってくれるのだが。 『黙契』 以上三編。

豊かなイマジネーション、さらには技巧。才能という言葉が真の意味で似合うホラー小説作家登場
 本作が刊行されて一年以上、更にその前から著書もある作者に対して↑の物言いは失礼かもしれない。が、こういうことはしゃいでを書きたくなるような作家であることも確かなのだ。
 一作、一作を読むと、それぞれ技巧が凝らされ、読者の感情を計算し、ホラー小説という一応の括りのなかにありながら、哀愁とか深い悲しみとかを込めた情緒豊かな作品ということになる。これまでのホラー小説大賞、特に短編賞を受賞される作家に関しては、こういった技能をお持ちの方も多い。本書もまあ、系譜としてはこの「少し泣ける」が微妙にあるし、もちろん個別の作品としてもかなりインパクトが残る。しかし、その一作のレベルが凄いこと以上に、この作品集全体が凄いと思わされるのだ。一冊目(正確には二冊目)からこれ、というのは反則。
 収録された三作、全てがレベルが高い一方、それぞれが別の作者が書いたようにすらみえるほど作風が全て異なっているから。登場人物、世界観、テーマ。それぞれを全て組み替えつつ、一作一作がそれぞれ傑作という離れ業をやってのけている。この作家は凄え、と素直に感服させられる。
 『トンコ』は選者もいう通り、豚が逃げるだけの話なのだが、この豚との距離感の作り方、保ち方が絶妙。さらに放屁や泣き声、行動については完全に豚レベルであるのに、豚が豚であることを外側からみることで泣ける話にしてしまっているのだ。何が言いたいか判らない? ま、読んでみてくださいな。
 さらに『ぞんび団地』。実は真相は早い段階で読めたのだが、サプライズはあってもなくても滋味深い作品である点は変わらない。どこが怖いもの嫌いやねん! というほどのゾンビ描写。しかし恐怖は微塵も感じられないうえに、哀しさと優しさを同居させてしまうような、読者の気持ちコントロールがお見事。
 そして『黙契』。 もっと三作のなかでは不条理度合いが高いがこれも傑作。人間の死に接した哀しみ、残された者の不条理感など、一般文芸に近いテーマが淡々とした筆致で描かれている。登場人物の悲しみ度がもっとも高く、読んでいるこちらまで切なくなる良作だ。

 ということで、非常にイマジネーションが刺激される良い読書体験を頂きました。あれ、そういや怖くなかった、という読後感が最近のホラー小説大賞受賞作品の系譜であることを逆に証明しているとか。


09/10/24
綾辻行人「Another(アナザー)」(角川書店'09)

 『野性時代』二〇〇六年七月号〜九月号、十一月号〜二〇〇七年五月号、二〇〇八年一月号〜三月号、五月号〜十二月号、二〇〇九年二月号〜五月号にかけて連載された長編作品の単行本化。足かけ三年、中断を少しずつ挟みながらも完結してこうして単行本として読めることに感謝。

 都会の中高一貫校を家庭の事情で離れ、田舎町の夜見山北中学へ転校することになった三年生・榊原恒一。研究者でもある父親はインドに長期出張に出掛けてしまった関係で、母方の祖父母宅に居候することが決まっていたが、持病の気胸が悪化していきなり夜見山で入院生活を送ることになる。新しくクラスメイトになる三年三組の学級委員二人が見舞いに来てくれるが、態度に何か煮え切らないものがある。GW明けに初登校した榊原だったが、クラス内に一人の少女の姿を見つける。彼女・見崎鳴(ミサキ・メイ)とは、病院で一度出会っていたので、早速声を掛けようとするが、彼女に対するクラスメイトの挙動がおかしい。学校内でも神出鬼没の彼女は本当に存在するのか。そして見舞いに来てくれた女子が傘で喉を突き刺すという壮絶な事故死をしてから、担任を含むクラスの様子が慌ただしくなる。三年三組は、恒一の母親も通ったこの中学では、呪いとしか言い様のない現象が数年おきに発生するのだった……。

ホラーベースの青春本格ミステリ。綾辻行人の中期以降の傑作が一つ決定。
 自然現象でもある「呪い」がかけられたクラスに転校してきた少年が主人公。その呪いの設定がまず上手い。呪いのはじまりははっきりしていて、一方でその呪いの理由や解除方法は分からないまま、二十年以上の時が過ぎているという展開、毎年のように繰り返される惨劇という設定からは、どこか『ひぐらしがなく頃に』を思わせる。また、その呪い自体が本人だけではなく「二親等以内の家族」にも降りかかるだとか、その死の理由が、超常的な何かに襲われるとかではなく、事故死、病死、さらに自殺といった事件性のない「死」が続いていくだとか。何かに襲われるのであれば闘いようもあるけれど、自然死が続くという状況では何に気をつければ良いのか。パニックを起こしようにも起こせない、しかし心の中では大パニックという、登場人物たちにすれば堪らない緊張感を、序盤から中盤にかけてずっと物語では維持している。
 こういった背景のもと、序盤に主人公が体験する様々な幻想的、不可思議な事象についても、一旦中盤でとある補助線を提供することで、すとんと理に落ちる。このあたり、さすが本格ミステリ作家という印象。また、その本格ミステリとしての手法が、これまでの綾辻作品でみられた技巧の応用でもあり、作品との親和性ともどもファンにはたまらないところだ。
 ナビゲーター役を務める、片目が義眼の少女。彼女から明かされる真実も後半のサプライズのひとつで、さらには「呪い」が途中で止まった年の例に倣っての夏休み合宿。この展開とその恐怖の夏合宿の模様からは、さまざまな意味で綾辻氏の『殺人鬼』をも想起させられる。カタルシスを経てもたらされる真実にも大いなる仕掛けが施されており、大胆なことに、この部分には青春小説の定番ともいえる、主人公の成長という物語までもを内包しているのだ。幻想性高い設定のなかでの本格ミステリとして、初期傑作のひとつ『霧越邸殺人事件』をも思わせるものがあるし、登場人物の魅力や設定の魅力は同作に負けない程に高い。また学園が舞台の幻想というと『囁き』シリーズを彷彿させる部分もあるといえよう。

 ホラー系サスペンス映画を見せられているような(作者自身にも自覚はあるようだ)展開にもかかわらず、不思議と読後感が非常に良いのも特徴。刊行奥付が10月末と微妙ながら(各種ランキングの投票年度ぎりぎりいっぱい)、今年を代表するミステリとして記憶されることは間違いない。ホラーや幻想小説がお好きな方にもお勧め、というか、2009年の「マストリード」アイテムですよ。


09/10/23
田辺青蛙「生き屏風」(角川ホラー文庫'08)

 田辺青蛙(せいあ)氏は1982年大阪府生まれ。2006年、第4回ビーケーワン怪談大賞で佳作を受賞、作品が『てのひら怪談』に収録された経験がある。表題作となる作品で第15回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。

県境の守りをしている少し鈍くさくあまり美人でない女性の姿をしている妖鬼・皐月。寿命は長く、頭に小さな角があり、馬の首の中で眠るといった生活をしている一方、人間と同じように食事をしたり、会話をしたりする存在。その皐月が、造り酒屋をしている村の長者の依頼を受ける。鬼籍に入ったものの、妖となって家にあったお気に入りの屏風に入ってしまったわがまま放題の奥方の相手をして欲しいというのだ。確かにわがままではあるが、どこか憎めない奥方に皐月は自分が経験したり見聞きした様々な話を語って聞かせる。『生き屏風』 ほか、日がなのんびり悠々自適の楽隠居生活をする男・次郎が持つ「雪になってみたい」という望みを、不思議な猫に化けた皐月の前任の老妖が叶えてやる『猫雪』。 皐月のところにいきなりやってきて「惚れ薬」を作って欲しいと望む村の娘。皐月に知識がないことを知るといきなり罵り始める。困った皐月は反対側の村はずれに住む美女の狐妖を二人して訪ねてイモリの黒焼きを作ることになるのだが……という『狐妖の宴』 の三編を収録。

中華二割、和製八割の独特の緩やかな空間内で営まれる、人間と妖(あやかし)の共存生活
 ホラー小説大賞短編賞受賞という肩書きを持ちながら、その内実はオリエンタルファンタジー。スプラッタも怨念もない物語にして、そもそも「恐怖」という感覚が一瞬も浮かび上がらない異色(特にホラー小説大賞出身の作品群においては)の物語だ。ファンタジーノベル大賞に短編賞がもしあれば、恐らくそっちの方が小説としては似合うようにすら思われる。
 ただ一方で、冒頭の「皐月はいつも馬の首の中で眠っている」といったいきなり飛び込んでくる違和感、そして妖鬼や怪異が普通に村人と共存しているという、ファンタジックな世界観を確立するだけのイマジネーションといった作家としての創造性とセンスは上々だ。また、ホラー小説大賞の選者好み(作者には失礼ながら)の、人間以外の「何か」、常識から外れた「何か」の視点から物語を構築するという手法を打ち出している点も高ポイントの要因だろう。そういったもろもろの小説家としての実力が見据えられたうえでの大賞なのではないかと類推するし、異論を差し挟むものではない。
 たとえば受賞作の『生き屏風』。主人公の皐月については、妖であることを淡淡と説明されてはいるものの、皐月の存在する世界であるとか、社会であるとかについての説明はほとんど皐月が屏風に語る(ないしは屏風が皐月に語る)内容の内部にしか存在しない。ならば、世界観なぞ分からないではないか――というと、それでも全く構わない、としか言い様がない。つまりは、社会の仕組みを百パーセント知らなくとも生きていけるのと同様に、目の前に提供された事象をそのまま受け容れることでこの世界の物語を愉しめるということだから。少し鈍くさく、頭もあまり良くない皐月視点(ばかりではなく、視点は複数の登場人物に振られるのであるが)、それぞれが勝手にのんびりと、それでいて自らの欲望に緩やかに忠実に生きている様は読んでいて心地よいものがある。

 帯には「しみじみ泣けてくるホラー小説。」と書いてあるが、そもそも泣くところすらないという作品集。どちらかというとゆらゆらとこの世界に浸り、癒されるタイプの小説だ。むしろ読者それぞれが生きている現実の方が遙かに殺伐としているのではないか。


09/10/22
大崎 梢「ねずみ石」(光文社'09)

 『配達あかずきん』から始まる、書店を舞台とした日常の謎シリーズ「成風堂書店事件メモ」シリーズが人気の大崎梢さん。本書はノンシリーズ長編。書下ろし。

 地方にある神支村に昔から住んでいる中学一年生のサト。村には昔から伝わる大きな石を祭神とするお祭りがあり、その期間中に村内に隠された「子」の字が書かれた石(ねずみ石)を見つけて、願いを託すという風習があった。小学生だった四年前、サトは年上の友人・修ちゃんと別れ、山に入ったまま翌朝になるまで行方不明だった事件があった。サトはその間の記憶が全く喪われていたのだが、その晩に村では二人で暮らしていた女子高生とその母親が何者かに殺される前代未聞の事件が発生、犯人は今なお捕まっていない。――そして今年も祭の季節が近づいてくる。サトは親友のセイの依頼で祭についていろいろ教えてやっていたが、四年前の事件について再び詮索する人々が出てきたのだ。修ちゃんの兄が事件の重要な容疑者だったこと、そのアリバイを証言した男性・玉置がどうやら急に証言を翻したこと。サトの記憶喪失について刑事や玉置が念入りに確認してくるうえ、セイも事件に興味津々。そんななか玉置が自室で殺害される事件が発生した。

なかなか魅力的な素材を準備していながら、ミステリとして小説としてまだ活かしきれていない
 「田舎の村に伝わる独特の歴史のあるお祭り」「見つけると願いが叶うといわれる石を祭のあいだ探す子供たち」「山村と祭りという状況から、なかなか絞り込めない犯人像」といった物語を構成している要素のひとつひとつは決して悪くない、というかうまく使えばかなり魅力的な内容になったのではないかと思われる。
 ただ、物語としてまずうまく乗り切れていない印象が強いので、なかなか物語に入りきれない。中学一年生の男の子が主人公なのだが、男の子、この世代であるという点を割り引いても、主人公の性格や行動に一貫性がみられないのだ。揺れる心、モラトリアム、無垢といったところを表現したかったのだと推察はするも、小学校中学年程度の振る舞いと、いい大人のような決断力ある行動が同居するというのは、さすがに無理がある。また、主人公サトと、その親友を標榜するセイとの人間関係もなんかところどころべたべたして(個人的にだが)キモチワルイと感じられるところがあった。
 そんななか殺人事件が発生する。が、この周辺の登場人物の動きに論理性、一貫性がみられない。ミステリ的には被害者の行動に隙と非論理的行動がありすぎる点も気になる。(既に物語開始の時点で恐喝に成功しているのであれば、自らそもそも犯人捜しの真似事をする意味はなく、犯人ではないことを知っている友人を売る行為も警察の再介入を招くだけで何も被害者にメリットはないはずだ)。四年前の事件を含め、血腥いもろもろを経験した主人公たちが、ねずみ石でうるうるしているというのも何だかバランスが。

 最初の方にて述べた通り、設定自体は(多少平凡な部分はあれど)魅力があると思えるのだ。一方で物語や登場人物が設定についていっていないのは残念だとしか。どうせならば現代という条件を捨象して、完全なファンタジー世界であればまだ「ねずみ石」もありだったのかな、と思う。


09/10/21
今野 敏「同期」(講談社'09)

 様々なタイプの著書がある今野敏氏だが、やはり吉川英治新人文学賞を獲得した『隠蔽捜査』、そして山本周五郎賞と日本推理作家協会賞のW受賞となった『果断 隠蔽捜査2』、更に「STシリーズ」等々、警察小説の分野でその才能が発揮されていることが多いように思われる。本書も警察がテーマの(現段階)ノンシリーズとなる長編作品で、『小説現代』二〇〇八年三月号から二〇〇九年三月号にかけて連載されていたもの。

 警視庁の刑事部に勤める若手刑事宇田川には、地方署に配属された時から気になっている蘇我という同期がいる。上昇志向のあった宇田川に対し、飄々とした性格の蘇我は先に本庁の公安に転属、後から同じく本庁勤めとなった宇田川は時々蘇我を誘って遊んでいた。そんなある日、暴力団の元幹部が刺殺される事件が発生。四課の指示によって捜査に加わった宇田川は、組事務所のウチコミを手伝い、現場から何かを持って逃走した組員を追う。もう少しで捕まえられそうになったところで男は発砲。横から宇田川を救ったのは偶然現場に居たという蘇我だった。しかし数日後、蘇我は秘密裏に懲戒免職の扱いで警察を辞めてしまっていた。解雇の理由さえ明かされず、宇田川が腑に落ちないまま蘇我の周辺を調べて回ったところ、上層部から圧力が。捜査本部に戻り、宇田川は上司の植松の同期・土岐という年配刑事と組む。土岐はベテランらしい方法で証言を集め、発砲犯の石田に関する重要な手がかりをつかんだ。

序盤から抜群のリズムとテンポ。正義への異なるアプローチが雪崩れうつ後半は快感。
 以前にとある外国の方と仕事した時、「同期」に相当する言葉や感覚は無いといわれたことがある。単に同じ年次に組織に属することになった世代の近い同僚……という存在を特別視するのは日本だけなのかもしれない。その、同期が絡んだ事件を同期が追いかけるという警察小説。
 個人的な感想になるが、題名にも示された同期という言葉よりも、刑事畑の人間がそれまで培った刑事魂に殉じて、処分や辞職勧告もものともせず真実追求に突き進む姿がより印象に残った。 というのは、組織人としての同期というのは、普通は個対個の関係というより、大きな括りとしてのグループのニュアンスが強いと思うのだ。縦方向に連なる組織のなかで例外的に横のネットワークが存在するという点が同期という存在強みだと思うのだが、本書ではそのような扱いがない。本書の場合は、宇田川と蘇我、植松と土岐といった、やはり一対一の同期関係のみなのだ。個人的にはわざわざ題名に「同期」を謳いつつ、この関係が別の、例えば先輩後輩でも代替可能なのでは……と感じられた点が若干マイナス。
 そしてその一対一の同期という意味でも、まだ年季の浅い宇田川&蘇我の同期コンビよりも、長年のあいだ警察のメシを食べてきた植松と土岐、二人の癖のあるやり取りにより味わい、そして重みがある。
 設定に関する問題はここまで。開幕のブザーが鳴ったあとの今野敏さんは凄い。とにかく物語のリーダビリティ、つまりはテンポの良さが抜群。特に後半部。様々な陰謀や思惑が明確になったあと、刑事部のメンバーが腹を括ってからの流れの良さは特上品。 日本を裏から動かす右翼の大物と面談してしまったり、警察組織的に雲の上のキャリアと面談したりといった、本来ならかなり不自然なエピソードにしてもそれほどおかしく思わせないテクニックが上手い。物語のステップを上がることで、様々な免罪符を手に入れてゆく展開も面白い。偉そうにしていたキャリア管理職の顔色が変わり、捜査の便宜が図られ、対立していた筈の警察内部の様々な組織も、いずれのかたちであっても正義の実現に向けて動いていたことが判るという展開。直接的ではないけれど、RPGの手法にも近いように思われた。

 警察小説が氾濫している現在、様々なアプローチがあるなか、やはり警察内での捜査方法の対立は様々なかたちでの応用が利くテーマ。どうしてもお堅くなりがちの警察小説であっても、今野氏らしい「読みやすさ」が伴われることで間口が拡がっている印象。エンタテインメントとして非常に真面目に取り組まれたという印象が強い警察小説です。