MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/11/10
小路幸也「僕たちの旅の話をしよう」(MF文庫ダ・ヴィンチ'09)

 雑誌『ダ・ヴィンチ』2008年11月号〜2009年1月号にかけて連載された作品に、書下ろしを加えて文庫化した作品。つまりは最近ハードカバー刊行の多い小路さんには珍しい文庫オリジナル。解説は金原瑞人氏。

  過疎化が進んだ田舎の山のなか。限界集落となっているその地に住む一人の少女・舞が手紙を入れた風船を飛ばした。風船は東京近郊に飛び、三人の小学生のもとに届いた。高層マンションに住む健一、水商売を営む母親と二人暮らしをしている麻里安、そして大病を患ったことのある隼人のそれぞれが拾い、手紙を読み、そして手紙を書いた。三人にはそれぞれ、人よりも抜群に優れた能力があった。マンションの上層階からでも、地面で何が行われているか見えてしまう健一の眼。どんな人間であっても近づいて匂いを嗅げばいい人か悪い人かを判別できる麻里安の鼻。そして、耳を澄ませばマンション中の人々の声が聞こえてしまうという隼人の耳。彼らは舞への手紙を通じて、互いの存在を知り、そして密かに会うようになった。しかし、三人には三人とも、それぞれ深い家庭の事情を抱えており、夏休みに舞のところにすんなり行くということが出来そうにない。どうすれば良いか考えるうちに、健一の両親が離婚。健一は親の都合でマンションから出ることになるが、その瞬間、両目が見えなくなってしまう。さらには、父親が嵌っていた新興宗教の施設に入れられてしまい、外にも出してもらえなくなってしまった。麻里安や、隼人は信頼できる大人たちの力も借りて健一を奪回しようとするのだが……。

爽やか、晴れやか、素直。そして良いオトナたち。行間を読む楽しみ拡がる青春冒険小説
 文庫でページ数は二百五十ページほど。ただ、本書に詰め込まれた物語はページ数では測れないほどの膨らみがある。まず少年少女四人の造型が良い。手紙文のかたちでしか登場しない田舎に住む少女「舞」。それ以外は東京近辺に住みながら、なぜか五感に特殊な能力を持つ少年少女。じゃあ、彼らがその能力を使うことで幸せかというと「知りたくないことまで知ってしまう」ゆえに、決してそうではないという点、妙にリアル。
 そして、それぞれが(本人たちの気持ちがどうあれ)家庭に何らかの問題を抱えている。「舞」にしても、後からその境遇が決して恵まれたものではないことが告白される。両親の不仲であり、父親がいないことであり。現実には決して珍しくないけれど、自分は悪くないのにオトナの都合によって不幸にされてしまう子どもがいることも、小路さんはしっかりと描き出す。
 一方で、子どものために本気を出せるオトナが複数登場するところが、本書の肝の一つ。これは読んでみて欲しいのであえて詳しく書かないが、子どもの無力感を優しく補ってあげられるオトナが存在してこその、少年少女冒険譚なのだ。彼らの陰に日向に子どもたちの前向きの気持ちを支えようという態度には、正直ほれぼれしてしまう。
 もうひとつの肝、それは小路さんが時折使う小説技法が本書の場合にドンピシャに決まっているように思えるところ。つまり、「物語の省略」だ。たまに小路作品では、肝心(?)と思われる部分の描写がわざと端折られてエンディングに向かう作品がある。本書の場合、冒険小説としてのクライマックスは描かれているものの、少年少女小説としての大団円がまず端折られている点が目に付くだろう。加えて本書の場合、それぞれの少年少女たちの行動や日常にも、この「端折り」が多用されている。つまり、彼ら、彼女らの行動を考えた時に、文章として描かれていない部分も補いながら読む必要があるということだ。ジュヴナイルとしては優しくない態度という見方もあるだろうが、むしろ本書を読むべきはその「描かれていない」描写を心に思い浮かべながら読めるような柔軟な発想を持つ読者であろう。

 そして、本書の読者=少年少女となるのが理想だが、一般文庫で刊行されていることもあり、現段階ではそこまでゆかないかも。最初に述べておくと、小路ファンであれば「買い」。温かく気持ちの良い話。ただ、こういった文庫形式だけではなく、図書館に置かれるようなパッケージングをしつらえ、改めて少年少女世代がターゲットであることを分かり易く売り出して欲しいと感じる。多くの方に読んで頂きたい作品だから。


09/11/09
矢作俊彦・司城志朗「犬なら普通のこと」(ハヤカワ・ミステリーワールド'09)

 1970年代からハードボイルド作家として活躍する矢作俊彦氏、そして1983年、第10回角川小説賞を受賞する『暗闇にノーサイド』を矢作氏と合作したのが司城志朗氏。矢作・司城のコンビはその後『ブロードウェイの戦車』『海から来たサムライ』の三作を合作にて刊行する。二人は80年代半ばから、それぞれ単独で創作するようになり、幾つかの文学賞の受賞を経て、二十五年ぶりに再び合作を行った――というのが本作。早川書房『ミステリ・マガジン』二〇〇九年六月号〜二〇〇九年十月号に連載されたのが初出、単行本化にあたり大幅に加筆している。

 沖縄出身で東京でヤクザ稼業に入ったヨシミは四十八歳。現在は、沖縄に戻って地回りヤクザの真栄城一家の下っ端幹部の位置にいる。ヨシミは沖縄での暮らしに疲れ、脱出の機会を窺っていた。ヨシミが目を付けたのは、東京出身ながら同様に沖縄に嫌気がさしているらしい若い構成員・彬。ヨシミは組が米軍絡みの闇取引のため現金二億円が用意されることを知り、彬を誘って二億円強奪の計画を練る。計画では倉庫街にある堅牢な金庫を襲撃し、自分が勝手知る組の金庫に移させることが第一段階。ヨシミは彬にアリバイを作らせ、単身倉庫に乗り込み見張り役を撃ち殺すが、その男はそんな場所にいる筈のない真栄城組組長だった。一方、アリバイ作りでラブホにいた彬はつまらなくなりヨシミ自慢の車を借りて繁華街にゆく。あるバーのカウンターで、これまで何度も振られてきた早枝子に出くわす。今夜に限って早枝子は彬のアプローチに応じてくれるとみえたが、彬は嵌められ、やりたければ人を一人殺して欲しいと言われてしまう。そしてその対象は、公安出身で真栄城組とも癒着した関係のある粘着質の刑事だった。

格好付けているのにお洒落でなく、泥臭いのに泣かせてくれる。南国系ハードボイルド・ノワール
 沖縄という土地柄がそうなのか(偏見ではないつもりですのでもし気を悪くされる方がいたらごめんなさい)、暴力団の幹部が、自らの組織を裏切って金を奪って逃げる話にしては、どこかのんびりしている。普通であればもっとぎんぎんの緊張感のなかで実行されそうなもの。さらに今回の実行過程に当初の計画から殺人が前提として組み入れられている点も含めて余計にそう感じられるのだ。(いや、もちろん緊張感はある。けれども程度の問題として)。
 主人公のひとりは、どうみても、そう魅力的とは思えない中年男性・ヨシミ。そしてもう一人は、口が達者で女の尻を追いかけてばかりのまだ若いヤクザ見習いの彬。どちらにしても、いい加減な性格、魅力もイマイチとくると、物語の開始からしばらくで彼らに対してなかなか感情移入/同情できるものではない。ただ、気付くと――馴染んでいる。
 物語が展開される沖縄の人々の気性や、土地ならではの雰囲気のなかで、とぼけた雰囲気と深刻な物語が不思議な融合を遂げてしまっている。ヨシミや彬が、緊張しながらもどこか抜けていたり投げやりだったりするのも、このせいと考えると納得してしまう。結果、南国ハードボイルドなる不思議な雰囲気に、読者は呑み込まれている。
 また、初期の矢作作品にあったように思う米国への憧憬は、モノマニア的部分以外はどこか影を潜め(ヨシミたちの脱出先が米国ではなく、とりあえず台湾という点もそれを象徴している)、現代を舞台にした冒険・ハードボイルド小説として現実路線に進んでいる。この点は矢作氏の作風の変化というよりも、米国そのものの凋落を意味しているのではないかと考える。
 後半に至ると、ヨシミの立ち回りは巧妙さを増して、冒険ハードボイルド小説の雰囲気が高まる一方で、彼の妻・森との泥臭い絡みで泣かせてくれる。一方の彬の方は、境遇の近い早枝子の絡みから短時間で自らの持つ絶望というか虚無を着々と増大させ、ある意味では成長しており、どこか対比的なのもユニークだ。ただ――、物語自体は後半に至るとかなり激しさを増す。 米軍、ヤクザ、警察と様々な組織が入り交じっての大混乱に乗じようとする二人だが、そのクライマックスはジェノサイド(虐殺)。積み上げてきたものを、がらがら崩す感じがノワールを感じさせる。黒幕なんかは落ち着くところに落ち着くので、大きな意外性はない。個人的には、この結末はきちんと最後まで書くのではなく、匂わせる程度にして欲しかったようにも思う。

 合作のせいなのか不明だが、ヨシミにせよ、彬にせよ、微妙に途中で属性というかキャラクタが変化しているようなところがあり、読んでいて小さな違和感があった。また、銃に関する蘊蓄は、これはもうお二人の作品なので。ただ、冒険小説系統の作品としては、そもそも読者の要求ハードルの高いコンビの作品として、そのベースとなる期待を軽々越える作品だといって差し支えないだろう。


09/11/08
高田崇史「QED 出雲神伝説」(講談社ノベルス'09)

 あと二作品で完結が予告されている高田崇史デビュー時から続く人気シリーズ「QED」の十六冊目。本編の後には巻末には「QED〜flumen〜出雲大遷宮」(初出:『メフィスト』2009年1月号)が併録されており、そちらでは先の事件から十年以上が経過して、四十代になって既婚者となっている小松崎や、タタルの旅行の様子が描かれている。(登場人物ファンにとってはこちらの方が興味深い?)

 奈良県にあるマンション内部で、部屋を訪れた友人とマンション管理人が、首が切り裂かれた女性・八刀良子の死体を発見した。現場は施錠された密室状態で、現場には六角形のなかに幾何学的紋様が描かれた謎の文字が残されていた。この紋様はまた、別の轢き逃げ事件現場にも残されており、どうやら出雲神流なる、忍者の流れを汲む一族と関係があるらしいと判明した。また、事件の関係者も鳥取の出雲や、奈良県にある出雲の関係者が多かった。また最近捜索願が出された女性・雲居麻也。彼女も発見者の五十嵐彩子と共に占い師で歴史に詳しい稲瀬葵のところに出雲のことを学びに通っていたのだという。容疑者候補の被害者の婚約者・野川にはアリバイがあり、捜査は難航する。一方、ライターの小松崎良平はこの事件の取材を行うことが決定。出雲に関する場所を訪れたいという桑原崇に加え、棚旗奈々を焚きつけて現地で合流しようと目論む。計画に乗せられた桑原と奈々は、最初は出雲大社のもととなった京都にある神社に赴く。ここからタタルによる出雲大社と、出雲という土地に関する独自の解釈が開陳されてゆく。

内容充実。QEDという名の日本史解釈体系が確立し、そのうえで拡がる新解釈に舌鼓
 『QED〜flumen〜九段坂の春』に登場した、学生時代の桑原の初恋対象となった女性の「その後」と、その娘が本作にて登場する。また、巻末に添えられている短編『QED〜flumen〜出雲大遷宮』では十数年後の小松崎と桑原の旅行の様子が描かれている。この短編は題名通りに、土地ではなく出雲大社そのものに対する解釈が込められた作品だが、この作品集に弊録されている理由は、出雲繋がりだけではなく「〜flumen〜」繋がりもあるのではないかとみる。一方で、本書において、桑原と奈々が奈良地方を訪れた際に『カンナ』シリーズに登場する架空の神社「出賀茂神社」にも立ち寄っている(具体的な描写はなく、関係者とも会っていない様子だが)。つまりは、この作品、時間軸方向のシリーズリンクと、空間軸方向のリンクがきっちりと意識されているな、ということだ。
 それにも増して、じっくりと練られた(「カンナ」と比べると残念ながらその深みの差違が一読瞭然なので)出雲に関する蘊蓄及び新解釈に読み応えがあった。 改めて考えるに特に十作目くらい以降のQEDに関しては、シリーズ初期作品に比べると、あまり一般読者がもともと興味を持っていない方面の事柄に対してでも、強引にそんな読者を巻き込んで押し進めてしまうような独特の勢いがある。QEDシリーズの前半は読者への撒き餌、QEDの中盤戦は読者の教育、そしてQEDの後半戦は持論展開という三段括りは強引にすぎる考え方かな。ただ、現在のQEDを支えているのは、個々作品における蘊蓄だけではなく、この中盤以降に繰り返し語られている、古事記や日本書紀の昔から脈々と続く、為政者中心の史記の裏側にあった様々な事象、記録されていない日本人の歴史という重みにある。資源や土地を土着の人々から強奪し、為政者の一族以外は人扱いすらしてこなかった日本の真の姿。このような前説明があってこそ、本書クラスのマニアックな(?)謎と解釈の面白みが高まっているといえると思う。出雲国風土記に八岐大蛇伝説が掲載されていないこと。野見宿禰はどうやって出雲から一日で奈良に参上したのか。補助線をずらし、発想を変えるとみえる風景ががらりと変わる。
 事件そのもの、トリックであるとか密室であるとかはどちらかというとこの段階に至ると無用。ただ、相変わらず連続殺人事件の動機にはインパクトが。この動機の奇妙さもまた、実はQEDで語られている過去の日本とも重なっているわけで。

 ここに至ると、あと○冊で終わるなどと寂しいことを仰らず、(仮にくっついたとして)桑原と奈々の散々新婚旅行とか、いくらでもシリーズが続けられそうだと思ったりもする。センセ、いかがでしょうか。


09/11/07
結城昌治「影の殺意」(角川文庫'81)

 結城昌治の角川文庫(全て絶版)の後半で編まれた初期短編傑作集。本書はその第三弾にあたり、発表年代毎に編纂がされていたという。第一弾『温情判事』が昭和 年〜 年、第二弾『犯行以後』が昭和36年〜37年、そして本作は昭和38年〜39年に発表された作品が(当然全てではないだろうがまとめられている)。ちなみに第四弾は『風の報酬』。

 ある空き地で理髪店主人の他殺死体が、その土地を訪れていた不動産業者によって発見された。被害者の男は何者かを強請る計画をしていたようだが、どうやら返り討ちにされたらしい。しかし、捜査してもなかなか動機ある人物が捜査線上に上ってこない。 『最後の分別』
 隅田公平は真面目で面白みのない男だったが、ある時に「中西さんですか」と人違いながら美しい女性に声を掛けられる。そこから彼女との交際を開始して有頂天になる。しかし観劇前に買い物に付き合って以来、音信が不通に。後に隅田が知った衝撃の事実とは。 『ある恋の形見』
 六十代のワンマン社長の愛人をしている目立たない事務員・安子。社長は日頃、階段に蝋を塗られたり、自動車に細工がされたりと命を狙われているというが、実は狂言。投資用の資金を泥棒に入られたことにして着服する計画を安子に手伝わせようとした。が、安子はあっさりと裏切って、千四百万円もの現金を手に入れる。 『あとは野となれ』
 妻によって精神病院に入れられた男。彼は自分は正気で、愛人ある妻がある医師を籠絡して自分を精神病者呼ばわりしていると信じ込み、病院で暴れることを止め、穏やかな精神状態を演出し退院を図る。退院後に刑法を再確認した男が考えた計画とは。 『気ちがい』
 医者の父を持ち、良家の娘として育てられた浩子は医者のタマゴ。一人暮らしを開始して暫く、彼女は何者かに自分が狙われていることを確信、元患者から恋人、そして現在は婚約者の向井に相談を持ちかける。その向井のことを浩子は愛していたが、彼には何か得体の知れない影のような部分があった。 『影の殺意』
 短期留学先のパリから、ベトナムに住む兄のもとを訪ねてから帰ってくる――。しかし予定の飛行機に婚約者の暎子は搭乗していなかった。わたしから彼女の兄への連絡も返信がなく、わたしはいてもたってもいられず、単身でベトナムに乗り込む ことにした。 『あるスパイとの決別』 以上六編。

悲劇的にも、その悲劇的を通り越しての喜劇的にも。「すれ違い」が裏のテーマの結城ミステリ
 本書はもともと文庫オリジナルであるし、解説の郷原宏氏にしても年代別の作品集であると明言しているので、そんなことはないと思うのだが、改めて作品集を眺めてみるに、何かの「すれ違い」が作品集のテーマとなっているように思えてならない。 冒頭の『最後の分別』のみ、こじつけくさくなるので端折るが、『ある恋の形見』であれば、やはり男の熱意と女のそっけなさのすれ違いがテーマ。また『あとは野となれ』も、社長と愛人のすれ違いが発端であるし、『気ちがい』もまた、主人公と妻とのすれ違いそのものが事件となっている。『影の殺意』も、男と女の話。これは真相にあたる部分ですれ違いが強調される展開で、表題作になりえる流石のレベルの作品にして、結城昌治の他長編で取り上げられるテーマとも重なるように感じられた。
 『あるスパイとの決別』は、短編ながらしっかりとした構成を持つスパイ小説。婚約者同士の男女の異国におけるすれ違いが発端。作品そのものは、結城昌治の簡潔にしてしっかりした文体の結果、非常に濃い内容をぎっしり詰め込んだ短編でいてそれでいて読みやすいという、さりげなくも実に凄い作品。 現代の冒険小説のトレンドであれば、優に単行本一冊くらいを使いそうなテーマであるのに、それをぎゅっと短編にまとめてしまうという手腕は凄すぎるとしかいえない。また、結末部分では、目的を果たした達成感よりも寂寥感の方が強い最後の数行など、詩的ですらある。
 国産エスピオナージュ小説最初期にあたるであろう『あるスパイの決別』を除くと、ほかは広義のミステリーというべき作品。発表年代当時、社会派が幅を効かせはじめていた時代かと思うが、すでにこの段階でその社会派の良いところと、不要なところを峻別しながら作品を作っていたようにすら見受けられる。 男女間の愛情を描きながら、その片方、ないし双方に腹黒いところがあるなど、なかなか一筋縄ではいかないが、その分奇妙なリアリティが引き立っている。

 推理小説ではある。が、ミステリと断定してしまうのも微妙に違う気がする。いろいろ思いを巡らせてみたけれど、やはり 結城昌治のミステリという表現しか思いつかない。発表年代の関係で、風俗的には時代を反映しているとはいえ、本質の部分は小説として今なお優れている。その風俗を現代に置き換えれば、二十一世紀に生み出された新作であるといっても騙されそうな作品ばかりだ。これでいて傑作選集などでなく、結城昌治の普通の短編集でしかないのだから、やはりこの作家の渋さ、旨みは奥が深い。


09/11/06
平山夢明「いま、殺りにゆきます2」(英知文庫'07)

 考えてみるとこの題名、市川拓司の恋愛ファンタジーのベストセラー『いま、会いにゆきます』のパロディなんですよね。感想書きはじめるまで、そんなことすら気付かなかったという……。実話恐怖小説集として刊行された作品集。いろいろ事情があって「2」から読んでいるが、当然単なる『いま、殺りにゆきます』という一冊目が存在する。

 引越しして早い時期、部屋に置いていた携帯電話が誰かに触られた感触が。ふと見ると液晶には自分が寝ている姿が写メされている……。 『置きっぱ』
 取引先のエレベーターに無理矢理乗り込んできた不潔で巨大な男。「ハギワラ!」と絶叫してその場でジャンプ、エレベーターを非常停止させてしまう。『ハギワラ』
 寂れたファミレスに突如現れ、恋人同士の振る舞いを強要する不潔男……。 『らばぁずのように』
 アパート真下の部屋の夫婦喧嘩に巻き込まれた女性……。 『耳の先がちょっと…。』
 ほか、『3890円』『志ね』『竹藪』『イヤフォンジャック』『ニットの男』『アンケート』『不意打ち』『くちゃくちゃちゃん』『宅配ちゃん』『泥酔』『わたしのししゅう』『アメちゃん』『袋』『自作ビデオ』『インドのラリ男』『さよなら、おーえる』『上映中』『冥途』『夜の先生』『だれ?』『スター』『ブースター』『おサイフ君』『天使の羽』『わかれ』『二十日鼠と人間』『ハイキング』『冬ソナ』『いそうろう』『病欠』『集合ポスト』『水洗タンク』 ……たくさん。

平山夢明のもう一つの(オリジンの)分野、恐怖実話系。そしてこれは平山フィクションに近い味
 平山夢明の創作する物語世界でも様々な電波や鬼畜な人々や化け物が走り回っている。だが、”一応”現実世界の実話をもとにしたという触れ込みにあたる本作(シリーズ全体では断定できない)にて登場する、殺人者や殺人者一歩手前の人々もまた同様の空気を纏っている。なんというか、常識で測れないイッてしまっている人物が次から次へと登場する。多くの彼らは、現実世界の法律であるとか、社会規範であるとか、そういった社会を構成するための必須要素から遊離した存在にみえる。ひと目を気にしないというのは強い。対象に向かってまっしぐら。そして、いわれもない理由、さらには理由すらない状態にありながら、彼らの対象とされた人々は一様に恐怖のどん底に突き落とされてゆく。 
 個人的には人間の一部に異物を入れて内部から破壊する系統の物語に弱いことを自覚させられた。
 『3890円』の外縁部を刃物に変えた十円玉。『二十日鼠と人間』の鼠。『次作ビデオ』の電球……。ああ、痛い痛い。厭だ厭だ。
 ただその一方で、平山氏が間違いなくどこか聞いた(ないしは投稿で読んだ)話、という前提ではあるのだろうが、その話自体がつくりものめいている作品もある。いくらなんでもそれはないだろう、と思う作品も幾つかある。けれど、99%ウソだと理性で感じていても1%のもしかしたら……がある限り、やっぱり厭な気分になることは事実(そして読者の負け)。そのあたりも恐らくは計算されているはずで、非常に強かな作品集だなあ、と改めて感じずにはいられない。

 決して血だとか残酷な話だとかに弱い人は読んではいけません。ある程度、こういった話に対して耐性がある上級者向けだといえるでしょう。気軽にコンビニあたりで買って、間違えて読んじゃったという人の後味や気分を考えるにご愁傷様といった感じです。


09/11/05
北島行徳「428〜封鎖された渋谷で〜(2)」(講談社BOX'09)

 もともとは『かまいたちの夜』などを開発したチュンソフトによるサウンドノベルで、本書は、そのシナリオを担当した北島行徳氏自らが、小説化した作品の二冊目。シナリオは並行したまま時間の経過によって刊行順に収録されているようだ。

 ひとみを追い回す杖の男に追い詰められた亜智とひとみの二人。銃で狙われているなか、亜智が捨て身の突進を敢行しようとしたところ、別の外国人が突如飛び出し、杖の男を襲った。その外国人には頬に傷。誘拐犯に身代金を渡すべく渋谷に立ちつくしていたひとみが、現金入りアタッシュケースを渡した男だった。二人が争ううちに一旦その場を逃げ出した二人だったが、隠れていた倉庫に杖の男が現れる。その窮地を救ってくれたのは、どうみても十代にしか見えない外国人少女だった。一方、ひとみの父親で、ひとみの姉・マリアが誘拐されたことで家に詰めている研究者の大沢。彼の開発したウーア・ワクチンがどうやら研究所から持ち出されているらしいことが気に掛かってしょうがない。病原菌としてのウーアは猛烈な殺傷力を持ち、その生物兵器としての役割に米国が注目している。更に、警察の捜査の結果、大沢の周囲に盗聴器を仕掛けた裏切り者がいることが判明してしまう。さらに刑事の大沢。彼もまた上司の指示で謎の外国人・ジャックの案内役をさせられていた。外国人犯罪者のたまり場に向かう途中、ひとみからアタッシュケースを奪ったタリクという人物を発見、格闘の末に逮捕する。しかし大沢が尊敬する刑事・建野がタリクを逃がしたと知らされる。そしてジャックはウーア・ウイルスにまつわる事件であることを大沢に明かした……。

なんだかなんだか。直感的には、折り返し点のこの二冊目で重要な謎がかなり明かされているような……。
 いよいよ二巻目突入ということで、この日、渋谷で発生している出来事と群像劇のアウトライン(あくまで)が出揃いつつある。 格闘の天才らしい謎の外国人美少女・○○が登場し、主要登場人物も揃ったと思われる。(が、まだ裏に人がいても驚かない)。 大きく分けて、亜智とひとみのパート、刑事・加納のパート、劇団のパート、着ぐるみ・タマのパート(これもタマの正体に関するかなり重要な暗示が示される)、フリーライターの雑誌記者・御法川のパート、それに誘拐されたマリアやひとみの父親の大沢のパートの六つ。もともと薬品メーカーの開発担当者である大沢の部分にて、作品全体の陰謀めいた雰囲気というか、ヒントが多数登場しているように感じられた。誘拐という状況がなぜ創り出されたか。犯人と思われる集団の目的は何か。このあたりについてはこの第二巻でかなり想像がつくようになっている。
 むしろ気になるのは、まだ幾つか謎が残されているとはいえ、この後の各登場人物同士の絡み方にある。現段階、題名にある「封鎖された渋谷で」といううちの「封鎖」は全く実行されていない。さらに六つのパートのうち、明らかに繋がるのは亜智たちのパートと大沢パートの父娘関係と、警察という繋がりで大沢パートと加納パートといったあたり。恐らく、さまざまなところを飛び回っているライター・御法川の活躍が今後のキーとなりそうだ。
 もう一点気付いたのだが、格闘が得意な人間が意外と多い。これも終盤のクライマックスにかけて関係があるのか。

 小説としてどうか、といわれると難しいところ。どうしてもこれだけパートが多いと散漫になってしまう印象は否めない。講談社BOXも「ひぐらし」などで味を占めたのかもしれないが、本作の場合は表現手法としてというかメディアとしては、小説よりも恐らくゲームの方が優れているのではないか……、と少なくとも現時点では感じるなあ。


09/11/04
桜庭一樹「製鉄天使」(東京創元社'09)

 『赤朽葉家の伝説』の刊行直後、同書本来の第二部の一部が削られて書き直されていることが発覚。そして刊行が期待されていたスピンアウト小説。主人公の名字が赤朽葉ではなく赤緑豆であり、名前も毛鞠ではなく小豆である一方、山陰地方という土地柄と製鉄会社の娘という設定や、その他の設定が非常に近しい。結論からいえば、赤朽葉毛鞠が『赤朽葉家の伝説』の作中で書いた漫画の内容をさらに小説化したもの、というメタxメタな長編作品。

 中国地方(せかい)鳥取県赤珠村。その地で製鉄会社を経営する一族の長女として生まれた赤緑豆小豆。周囲からはバカお嬢と揶揄されていた。まだ彼女が小学生の時、地元の暴走族のヘッドを決めるチキンレースを見学にゆき、見事に勝ち残った二年年上の大和タケルと出会った。そして中学校に入学した彼女は入学式から大目立ちし、地元に巣くう暴走レディース「エドワード族」に当然のように目を付けられる。そんな彼女を庇うのが自称「頭脳派」の可愛子ちゃんの同級生・穂高菫。彼女はエドワード族との闘いのなか、自分が生まれながらに持っていた鉄を自由自在に操る能力を自覚、エドワード族のおミソだった女の紹介により、大和タケルの兄で大人のおもちゃと武器を扱う大和イチ(イチにーさん)と知り合う。やがて小豆は暴走レディース「製鉄天使」の初代ヘッドとなり、特攻隊長に花火、親衛隊長にハイウェイダンサーを従え、自分の意志を持つ赤いバイクに跨り、県境を越えて中国地方制覇に向けて動き出す。

八十年代前半のツッパリ用語を多用。同時代以外の読者を置き去りに突っ走るヤンキー・ファンタジー・ガールズ・ロマン
 恐らく桜庭一樹の著した歴代作品のなかで、もっとも響きが汚い言葉が多用された作品である。メスだとかガキだとか、ブスだとか、そういった言葉が何のためらいも無しに登場人物の口から発せられる。また、当時の族用語やヤンキー用語もまた普通に使われている。「なめんなよ」(判る人には判る)の世界。 そして、面白いのはこの暴走と暴力に満ちたヒエラルキー社会が、十九歳をもって終焉を迎えるファンタジーだとして物語中でも定義されている点だ。大人になってしまうと、こんなことは出来ない。ガキでもない、オトナでもない、微妙な年代のみ、さらには(とりあえずここでは)「走り」に取り憑かれた者だけに許されるファンタジー世界がこの物語の舞台なのだ。
 一応、プロローグや章の間に、なにやら暗い洞窟のようなところで、ある人物が話す「赤緑豆小豆の一代記」をこれまた謎の人物が聞くという形式を取っている。(その意味では、この作品のなかでもメタが実行されているわけで、もう一段メタレベルが上がるのか)。それらが一体誰なのか、冒頭で記される「製鉄天使」たちが突如消えてしまったという言葉の意味がなんなのか――という点がミステリアスだが、大きな謎はこれくらい。他は予想の範囲内にあたり、この作品自体は↑で記した通り、ミステリではなくファンタジーだと感じられる。
 また、その世界のなかでの友情、恋愛、そして冒険が主要テーマ。 先に書いてしまうと恋愛はあえておままごとのような描き方がなされており、友情より一歩踏み込んだ愛情に近い感情といえば良いのか、異性を寄せ付けぬガールズ小説的雰囲気を高めている。このあたりは読者によってはもっと敏感に反応する方もいそうだが。
 ただ、物語の展開は普通といえば普通。どちらかというと、これは八十年代のスポ根マンガあたりの展開をあえて下敷きにしているようにも思える。その分、王道のストーリー展開となっている分、読者を引き込む力は相当なものがあり、読み出すと一気だ。やはり「小説家」というよりも、「物語の紡ぎ手としての桜庭一樹」をひしひしと感じさせてくれる点、素晴らしい。

 物語としての価値は(小生評価では)高いものの、「八十年代前半ヤンキー」という限定属性を背負っていることも事実であり、言葉遣いや設定に引っかかって、桜庭一樹は好きだけどこの作品はダメだわ、という人を大量に作りそうな印象がある。(一方で、この作品にのめりこむ方もいらっしゃるはずだ)。個人的には下世代ながら、設定もよく分かるので大好きなんですが。まあ、そのあたりは実際読んでみて好みでご判断くださいとしか。
 最後に。MYSCONにおける桜庭一樹さんインタビュー時に、ちらっと話のあった紙飛行機乱舞だとかは実際読むに感慨深いものがありました。


09/11/03
長岡弘樹「傍聞き」(双葉社'08)

 題名は「かたえぎき」と読む。長岡弘樹氏は1969年山形県生まれ。2003年、第25回小説推理新人賞を「真夏の車輪」で受賞。本書収録の「傍聞き」にて2008年、第61回日本推理作家協会賞短編賞を受賞。他の著書に『陽だまりの偽り』がある。本書の初出は全て『小説推理』で、収録順に二〇〇七年六月号、十月号、二〇〇七年一月号、八月号。

 犯罪を犯して服役を終えた受刑者を受け容れる更正施設を運営する施設長・結子。老齢にさしかかった彼女が気にする受刑者・碓井。碓井は酒に酔って失敗をした男で結子の世話で再就職が決まっていたが就職直前に謎めいた行動を取り始めた。  『迷い箱』
 食堂で働く女性・初美に恋をした消防士の諸上。その初美は独身だが赤ん坊がいることを知る。その初美のアパートが火事になり、同僚と共に駆けつけるが、いる筈の赤ん坊が見あたらない……。 『899』
一人で小学生の娘を育てている女性刑事。彼女たちの家の裏手にある老女宅に居空き強盗が入った。刑事は刑事である事件を追っていたが、拘置されている彼女が逮捕した過去のある人物が、奇妙なことを口にする。 『傍聞き』
救急救命士の蓮川。婚約者の父親で同じチームに所属する室伏と共に、ナイフで刺された男を救急搬送しようとするが、患者がたらい回しにされそうになった。室伏は過去に事情のある、ある知り合いの医者に連絡を取るが、途中で携帯での通話が途切れてしまう。 『迷走』 以上四編。

ちょっとしたトリック+一段の半分だけひねったプラスαが心地よい。手法による旨みが滲む人情ミステリ集
 恐らく作者は、ミステリとしてでなく普通に一般文芸として物語を発表してもかなり上手いのではないかと思う。その理由はまず視点。市井に暮らす普通の人々のちょっとした優しさであるとか思いやり、気配り。そういった温かい気持ちに対する目の付け所が非常に鋭いのだ。ただ本書はミステリであり、それが物語に効いている。その一旦目に付けたその気持ちにちょっとした謎をくっつけることで、より強く読者に訴えることに成功しているから。
 本書に登場するのは、実際に存在するけれどもその絶対数は限られている特殊業務従事者。女性刑事であり、救急救命士であり、消防士であり、更正施設の運営者である。また上手いな、と思うのはその優しさに気付くためには、その職業の人間である必然性が物語上に存在することだ。読者の目を引くためだけ、ちょっとした雰囲気作りのためだけにそういった職業を描いているわけではない。そんな彼らだからこそ巡り会った「謎」。そして、そんな彼らだから気付いた「優しさ」。そのコンボが読者の胸を次々突き刺してゆくという寸法だ。
 協会賞受賞の『傍聞き』、これは、漏れ聞き効果のことで、あえて情報を伝えるにあたって別の人間を経由することで、その情報を本物らしくみせる手法のこと。この作品の最初のオチはとにかく、その方法論が読者の胸に染み込んだことを見計らってから飛び出てくる次の一手が衝撃的。登場人物が見せていた表情との落差が素晴らしい。また、救助が必要とされる者を意味する言葉『899』も、主人公よりも同僚が見せた、ばれたら懲罰間違いなしの行動と、その伏線に美しさを感じさせられた。他の二編も同様にテクニックがあり、とにかく読ませるだけの「吸引力」が強い作品集である。

 昨年の10月中旬の発売にして、10月エンドがリミットの「このミス2009」にて、堂々の12位入賞。その段階でノーマークだっただけに気になっていた作品をようやく手にすることが出来た。この後の作品傾向は未見につき知らないのであるが、この路線、そしてこのクオリティで次作以降が進められれば、今後いずれ人気作家の仲間入りすることが予感される。


09/11/02
赤川次郎「赤いこうもり傘」(岩崎書店'03)

1978年にソノラマ文庫より刊行され、'83年に角川文庫入り。小生は「赤川次郎ミステリーコレクション」という岩崎書店のノンシリーズで比較的少年少女向けの赤川作品が集められている叢書にて読了。本書はその七巻目にあたっている。

 島中瞳は十八歳の女子高生。音楽の名門校・T学園でバンマスを務める天才ヴァイオリニストでもある。瞳の父親もまた国際的に才能が認められたヴァイオリニストであったが、瞳の母親共々飛行機事故で死亡。瞳自身は、父親の親友の佐野教授のもとに身を寄せている。近々、英国エリザベス女王が来日するのに伴い、T学園のオーケストラが親善コンサートを開くことになっていた。そんななか、学校からの帰り道、電車で不良二人に絡まれている女性を瞳は目撃。他の乗客が気まずい沈黙をするなか、一人の若者が飛びかかるがノックアウトされてしまい、瞳が赤いこうもり傘を手に立ち向かう。フェンシングの心得と、復活した若者の手助けにより不良を撃退した瞳は、その若者と夜遅くまで語り合う。佐野教授宅まで送ってもらった瞳は、初めてのキスをその若者、裕二に求める。しかしその晩、瞳は自分のヴァイオリンが、いつの間にか名器「ストラディヴァリ」にすり替わっていたことに気付いた。その裏側には英国の威信を脅かす、高級楽器誘拐事件が。瞳は英国の情報部に所属するというジェイムズという人物と知り合いになる。

フェンシングの達人にしてスーパー天才音楽家美少女と国際的誘拐事件、恋愛その他の贅沢メニュー
 と、あらすじで書いたところまで読んだ段階だと、運命的な出会いを果たした裕二と瞳が恋仲になって物語が進むと思いきや、瞳があっさり方向転換。別のある人物との熱烈な恋物語へと突っ走っていってしまうのだ。ここでこれまでも多くの読者が口あんぐりとなったはずだし、小生もその一人。しかし、ヒロインは瞳のまま、ヒーロー役はジェイムズに変更、さらにそのジェイムズの宿敵として「伯爵」なる殺し屋が登場、「伯爵」とは別に、楽器を誘拐した犯人一味もいるし、どうやら味方のなかにも裏切り者がいるらしい。
 一方で、アーティストとしての瞳も英国の交響楽団の老指揮者から高い評価を受けて、女王陛下の主催する晩餐会に出席するなど、八面六臂の活躍をする。……という風にとにかく扱われている事柄、倒叙人物の属性もろもろは盛り沢山。 でありながら、全体のボリューム(ページ数)は絞られており、赤川次郎らしいシンプルで簡潔な文章によってコンパクトにまとめられている。エンターテインメント性が非常に高く、次の展開をはらはらしながら見守る展開力がすばらしい。これだけ(天才音楽家にして武道の達人、諜報部の手先となる恋する女子高生)スーパーな設定を主人公や周辺人物につけておきながら、地に足がついたとまではいわないまでもそれなりに(ぎりぎり許される)現実の延長線上にて物語を展開させるバランス感覚が素晴らしい。

 さすがに小生も登場人物に感情移入してわくわくどきどきという年齢ではないため、むしろ構成や設定の妙味をふむふむいいながら、その隅々まで行き届いた「上手さ」に素直に感服するというかたち。もちろん、別に分析的に読まずとも、誘拐事件の真相や黒幕なども(見通せるレベルとはいえ)意外性があるし、恋愛小説としても愉しめるはず。三十年以上前に発表された作品だとは思えない「面白さ」がぎゅっと詰まった作品かと思う。


09/11/01
船戸与一「夜来香(イエライシャン)海峡」(講談社'09)

 冒険・エスピオナージュ小説方面での大家・船戸与一氏。1944年山口県生まれ。早稲田大学法学部卒業。'79年『非合法員』にてデビュー。'85年に『山猫の夏』で第6回吉川英治新人文学賞、'89年『伝説なき地』で第42回日本推理作家協会賞、'92年『砂のクロニクル』で第5回山本周五郎賞、2000年『虹の谷の五月』で第123回直木三十五賞を受賞。日本冒険小説協会大賞も多数獲得している。

 中国から合法的に女性を連れてきて農村地区の男性に花嫁を斡旋する国際友好促進協会。秋田を基盤に事業として成立しているここの協会の会長・蔵田雄介は、協会事務員の女性と不倫し、長男は引きこもり、妻との仲は険悪で家庭崩壊の危機に瀕していた。その蔵田のもとを暴力団・天盟会に所属する柏木章次という男が訪れ、協会が斡旋した項青鈴という女性を捜索するよう脅しがかけられた。項青零は黒竜江省から来た女性で山形の男性のもとに嫁いでいたが、天盟会の二億円を持って失踪したのだという。蔵田は、腰が軽くて気が利く部下の山沖航史と共に項青鈴の行方を追う。中国側の調査で青鈴には実は満州に子供がいたことが判明。時を同じくして秋田周辺ではロシア人が殺害される事件が発生、事情を調べるうちに、ナホトカとウラジオストックのマフィア同士が、安価な費用で調達が出来る北朝鮮の花嫁を巡っての利権抗争が背景にあることが分かってくる。日本の暴力団も絡み、その構造は複雑だった。謎めいたロシア人と合流し青森から北海道へと青鈴の足跡は続き、その先には関係者が死体となって転がっている。蔵田は柏木とその部下、そして山沖と共に北海道へと向かう。

先を読ませぬ展開となかなか見えない主題。東北→北海道の深い郷愁漂う不思議ハードボイルド
 主人公の所属が、中国の若い独身女性を東北農家の未婚男性のもとに嫁がせるNPO、というあたり、まずは社会派か? という先入観をどうしても持ってしまう。NPOと言いつつ内情はビジネス。中国側の人間も当然のように日本の商売女を夜に要求するなど決して綺麗事ではない話……と最初は思う。思うのだが、物語の展開は読者を裏切る。主人公の組織が斡旋した女性が大金を持ったまま行方不明になり、その彼女の消息を追って東北から北海道へと回るというのが本書の主となるテーマとなってゆく。北朝鮮と中国まで絡んだマフィア同士の抗争のベースとなる大々的な花嫁ビジネスが背景に存在しているものの、そちらに深入りしていく様子もない。
 果たして、社会派ハードボイルドか? と思わせてさにあらず。 たまたま巻き込まれてしまった冒険状態に痺れて真っ当な人間の道を少しずつ踏み外してゆく妻子持ち中年男性と、冒険状態に興奮して活躍する独身青年と、東京から派遣されてきたヤクザとが絡み合う、北日本ハードボイルドという様相になってゆく。
 正確に使用される、地元の人々の会話。特に無理矢理名所旧跡を巡っているわけではないのに、立ち上る東北や北海道の都市の香り。不思議と旅情すらかき立てられる一方、無償(一応)でヤクザの調査網の上をいくような捜査に冴えをみせる主人公コンビ。さらには行く先々に転がる他殺死体。警察にすら疑われてまでも、なぜか取り憑かれたように真相を求めて彷徨う、元一般人。このあたりの展開は、説得性はあまりなく不条理ですらある。登場人物たちが非日常の冒険と謎に魅入られたとしか言いようがない。……が、そこがまた本書のポイントなのかもしれない。

 結局のところ、自ら所属する側の人間が多数無駄死にするに至り、虚しさが先に立つ。そして男は結局、最初から最後まで愚かであり、女性が常に強かであることが強調されるラストへと至る。その結果、寂れた東北や北海道の土地自体が持つ、独特の寂しさ哀しさが物語全体から立ち上ってゆくのだ。ハードボイルドといえばハードボイルドなのだろうが、その手触りと、どこかやはり不自然さもあるあたり、不思議ハードボイルドというのが最大の印象である。