MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/11/20
深水黎一郎「トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ」(講談社ノベルス'08)

 『エコール・ド・パリ殺人事件』に続き、芸術を解する世界的フリーター(?)の神泉寺舜一郎と、その叔父で警視庁捜査一課に所属する海埜とのコンビが活躍する第二弾。書き下ろし。

 東京・上野に新規に建設されたオペラハウスでプッチーニ原作のオペラ『トスカ』が上演されていた。舞台は非常に好評で連日の超満員。演出者は世界的にも有名な郷田、さらに主演クラスには日本人ながら国際コンクール上位受賞者級の配役が並ぶ豪華なものだった。その主人公・トスカが悪役であるスカルピアの首をナイフで刺す場面、本来はナイフの刃が引っ込み、血糊が吹き出る小道具であるはずの、そのナイフが本物にすり替わっていた。スカルピア役は驚きつつ、絶命しながらも演技を完遂する。公演中は海外にいる演出者が細かなリアリズムにこだわり、ナイフをきっちり頸動脈のある部分に突き立てる指示が仇になったかたちだった。しかし捜査の結果、数日前にもすり替え未遂事件があり、今回の当日はDVD用の撮影が行われており舞台は監視されている状態にあったが、誰にもナイフをすり替えることは出来ない状態だった。容疑者の誰もが犯行を否定するなか、演出者・郷田も帰国。しかし、その郷田は今度は自宅で何者かにナイフで首を掻き切られるという事件が発生した。

ミステリもユニークだが、歌劇をベースにした肩肘張らない芸術論がさらにユニーク。この路線、OKです
 オペラを舞台と背景とした殺人事件が二件。トスカ自体、それはそれで非常に有名なオペラだが、オペラ初心者にも判りやすいよう作者による解説がなされている。以前は森雅裕だとか、それなりにオペラを題材にしたミステリがあったように思うが、最近では少し珍しいか。
 また、関係者は芸術関係者ばかりということでそれぞれに特有の動機などがあり、オペラの事情などが加味されるあたり、近年多くの作品がある、歌舞伎や落語といったところを背景にしたミステリと親和性は高いように思う。本作で最もユニークだと思われたのは、実は芸術論、というか歌劇論。 古から伝わる伝統芸能である歌劇は、歌詞にも音符にも変更が許されない。そんななか、どうやって新たな創造性を付加してゆくのか。その答えが本作のなかにあり、なるほどと膝を打つもの。新たな解釈、新たな演出。なるほど。(その例で、乱歩の『怪奇四十面相』が挙げられているが、これもまた「なるほど、そういう見方もあるよね」というものだった)。
 その流れのなかでの第二の殺人などは、(多少真相はあっけないとはいえ)作者がそこまでに開陳してきた芸術論と登場人物の感情がマッチし、納得できる内容となっている。反面の最初の殺人については、犯人も一応登場はしてきているし手掛かりも提示してあるのでフェアとはいえ、ちょっと唐突感が高く「?」が点滅。いやまあ、ありですが、ありですけれど、これが結末という結果生まれてくるのは、サプライズでもなく哀しみという点は評価できるのだけれど。

そこに至るまで、多少だれつつも興味深い芸術論で引っ張ってきただけに。うーむ。微妙だ。  とはいえ、蘊蓄系、芸術系ミステリとしてはきっちり標準レベル以上。 特に芸術論のオリジナリティ(『トスカ』の新解釈含め)なども面白く読ませていただいた。今後もこの、蘊蓄が混じるのだけれども、あまり蘊蓄を意識させない展開という武器を活かした物語作りを期待しています。


09/11/19
太田忠司「男爵(バロン)最後の事件」(祥伝社NON NOVEL'09)

太田忠司さんがデビューした直後から十八年の長きに渡って続いてきた人気シリーズのひとつ、「霞田兄妹」もの。当初はクイーンに倣って『「地名+モノ」の謎』として統一されていたが、第二部は『「色」の悲劇』という題名に変更。そして本書、ある意味どちらの題名にもかからない題名で最終回を迎えることになった。長編十冊に短編集一冊。あとがきによれば、あと一冊短編集を出したいとのことなので、ぜひ実現していただきたいところ。

 名古屋市名東区の住宅街で火事があり、一家三人が焼死体で発見される事件が発生。しかし翌日の新聞記事では焼死者の数が一人増えていた。新たな一人は、その家の玄関先にて鞄の中に入れられていたことが判明。さらに、その火事が発生する前日に、やはり焼死しているのだという。その人物が持っていた小説が志郎のもので、メッセージが残されていたことから、三条は名東署の刑事を連れて霞田邸を訪れた。しかし、志郎にその人物の心当たりは無かった。「○○の悲劇」シリーズで探偵役として志郎とは異なる立ち位置を取ってきた「男爵」こと桐原嘉彦。先の事件の数日後、その桐原から唐突に晩餐会の誘いが志郎と千鶴のもとに届く。桐原邸に赴いた二人の前には、桐原と愛想の悪い家政婦の他、スポーツ用品店勤務の神崎理子、桐原に世話になっているという兵藤美登里、オタクっぽい野末乙樹、そして酒浸りの笹田仁史、そして磯田警部がいた。どうやら全員、過去に何らかの男爵との繋がりがあるようで、さらに男爵は、「この中の誰かが私を殺す」という。一部の客は晩から翌朝にかけて立ち去るが、志郎は稀覯本の読書のために居残っていた。その夕食の時間、野末がダイニングに駆けつけてきた。桐原の部屋の様子がおかしい……。

残された男爵こと桐原自身の謎。事件。そしてシリーズ通じてみんなが気にしていた「恋の行方」は……?
 何はともあれ、十八年もの長きにわたってシリーズを続けてきて、さらにきちんとけじめとして「完結」まで持ち込んだことにまずは「お疲れさまでした」と作者をねぎらいたい。
 新本格ミステリ勃興期に登場した各作家は、大抵の場合はシリーズ探偵を登場させ(タイプは異なるながら)、長編や短編集などで探偵役として活躍させてきた。その過程のなかで、探偵自身に転機があったり、プライベートで恋をしたり、身内に大きな変化があったりといった流れはよくあるものの、きちんと「これにてこの探偵・終了」というケースはかなり少ない。大抵の場合はその探偵役自体がいつの間にかフェードアウトというパターンか。何はともあれ、後半の宿敵である「男爵」との闘いに終止符が打たれ、霞田志郎の探偵という行為に対する迷いが吹っ切れ、さらに自身の身の振り方がはっきり判るようになっている。シリーズのなかで登場してきた伏線が緻密に全て回収されたかどうかは不明ながら、大きな宿題は全てやり終えていると判断される。(なんといってもスタートから十八年……)。
 本作自体も、ミステリとして初心に戻ったというか、魅力的な謎が冒頭から提示されている。火事場から現れた死亡推定時刻の異なる別の焼死体。自分自身の殺人予告(男爵)にその実行。魅力的な謎に対して解が若干弱い(犯人の知識不足といった点を前提とするところ)ものの、一連の流れのなかでは及第点を出せるかと思う。また、もともとの設定としてあったのかもしれないながら、完璧とみえた男爵の本来の姿が本作後半で明らかになる点も興味深い。というか、本書のメインは、完璧でありたいという男爵という究極型探偵の「揺れ」が担っているという見方もできるのではないか。
 また本書で読者の興味を引く「遺産の行方」。この結果としての、志郎と亜由美の行く末なんかも、手堅く(読者の希望通り? に)まとめてきている。これもまた終わりよければ全てよし。三条と千鶴の恋の結果を出してないところは、「敢えてそうした」とみてます。

 なんにせよ、太田忠司さんの代表作を語るのに外せない二つのミステリ・シリーズのうちひとつ(もう一つは、もちろん「狩野俊介シリーズ」)完結してしまいました。が、先述の短編集の企画とは別に、作者の気まぐれでその後の彼らの様子が出てくることもないとは限らない――わけで、そういった部分を楽しみして参りましょう。


09/11/18
辻 真先「はだかの探偵」(FUTABA NOVELS'89)

 『小説推理』の'88年11月号から'89年3月号にかけて連載された作品の単行本化。可能克郎の上司・編集部長の田丸の自宅近所にあるサウナが舞台。克郎は、ある女性と結婚したばかりという時期設定である。本ノベルス版以外に双葉文庫版も存在する。

 夕刊「サン」の記者・可能克郎。上司で編集部長・田丸が取締役になったお祝いに出向いたが終電が無くなったため、新妻の許可を得て田丸の自宅近く、東京から少し離れた武蔵ヶ原のサウナ『えとせとら』に転がり込んだ。中で仮眠していたところ、隣に寝ていた男から「助けてくれ」と寝惚けて抱きつかれた。謝罪する湯浅と名乗る男と共に、二十四時間営業の『えとせとら』内のスナック『干支』で飲み直すことになる。湯浅はかつて熱海の温泉旅館の支配人をしていたが、その旅館の「屋上」に「墜落死体」が現れた事件を機に退職したのだという。しかも直後に発生した地震のため、その死体の人物を乗せた車が崖下に転落する事故も発生。湯浅がいうには、その死体となった筈の人物が、このサウナ内に居たのだという。その話を聞いていたのは、『干支』の常連で布袋のように恰幅の良い、頭の禿げた老人のほか、ヤクザの川合田に刑事の日夏、銀座の高級クラブに勤める雛子。名前を明かさない老人は、墜落死体の謎を解き、さらに消えたアクセサリー事件やダイイングメッセージまで次々と解き明かす。可能は、その老人の取材をしようとするのだが……。

サウナ+安楽椅子探偵という一風変わった連作短編集。加えて終盤には更にプラスαの趣向あり
 可能克郎が狂言回しの役を務めるものの、サウナ常連のでっぷり太った安楽椅子探偵もの――という触れ込みだったので、、実質は連作短編集であるのを、当時の出版業界の表現方法の関係で長編扱いなのかな、と最初は思った。冒頭に提示される謎が、かなりエキセントリックで、旅館の屋上(但し、玄関が最上階で眺望の関係で客室は下層にある)に出現した死体、さらにこのサウナにその死体となった筈の人物が現れた……というもの。多少の御都合主義的な設定があるものの、本格ミステリとして上々の滑り出し。
 続いては、サウナ附属のスナック『干支』を訪れた女性二人組が、ほんのちょっとした停電のあいだに高価なアクセサリーが盗まれたという騒ぎ。この「紛失ネタ」は日常の謎型のミステリではしばしば登場する形態だ。と、ここまでの二つの謎は、実はあまりサウナと関係がないという不満もあったが、実質三話目あたりから、サウナ内部で実際に殺人事件が発生し、これまでその生い立ちや名前すら語らなかった老人の過去の事情が少しずつ浮かび上がってくる。彼がなぜひがなサウナで時間を潰しているか、彼が日中何をしているか。これまでスポットライトが当たっていなかった部分が反転して、哀しい老人の事情が浮かび上がってくる。なるほど、長編だ。 この探偵役は本作品のみの使い切りということになるわけだけれども、この結末のために編み出された探偵ゆえ、仕方ないか。それでも辻真先作品群には多数の探偵役がまだ残っていることだし。

 辻真先の作品としては、ごくごく普通、おそらくはアベレージクラスの作品ということになると思う。……が、それでいてしっかりエンターテインメントしており、ミステリとしても水準。決して大当たりではないけれども、手堅い仕事という印象で、読んで損をした気に全くさせない。これだけ多数の著書がありながら、きちんと各作品がしっかりしているという点、辻真先氏の素晴らしさだと思う。


09/11/17
奥田英朗「マドンナ」(講談社文庫'05)

 初刊本は'02年に講談社から刊行されている。収録作品のうち表題作は『小説現代』二〇〇〇年十一月号に掲載、他も全て同誌に発表されており、二〇〇二年七月号までに発表された短編がまとめられている。ノンシリーズ。

 妻も子もいる課長・荻野の部下に配属されたのは入社四年目の女性社員。非常に有能にして素直。そして荻野の好みのタイプ。荻野は年甲斐も立場もなく彼女に恋してしまう。 『マドンナ』
 営業四課長の田中。息子が大学に行かずにダンススクールに行きたいと言い出し、妻に説得させるも不調。また同期の課長・浅野の会社第一を否定するマイペースっぷりにもまた翻弄されてしまう。 『ダンス』
 営業から総務の課長へと異動になった恩蔵博史。全体的にのんびりしたムードのなか、総務と出入り業者のあいだに様々な癒着があることを知り、公正な取引にすべきと活動を開始する。しかし周囲は反発。 『総務は女房』
 大手総合商社の新任部長・浜名陽子。途中入社の彼女の仕事っぷりは海外流。彼女のすぐ下の次長・田島は戸惑いと部下の反発を直接受けることになるが、女性部長もまた頑なで板挟みになる。 『ボス』
 土地開発会社に勤務する鈴木信久は、埋め立て地再開発の高層ビル群「港パーク」中庭の集客誘致を担当する。しかし、そこでひっそりと読書する老人のことが気に掛かる。遠方にいる自分の父親とどこか重なるのだ。 『パティオ』 以上五編。

中年の男たちの悲哀に安らぎ。結局のところ、二十一世紀のサラリーマン小説ということか
 裏表紙によれば「四十代・課長達の毎日をユーモアとペーソス溢れる筆致で描く短編5編」とある。とまあ、その通りといえばその通りであって、以上終わり。ということになりかねない。
 とりあえず、メッセージというか主張はあまりない。 あるのは諧謔の精神(ユーモア)と、勘違いが生む悲劇(ペーソス)。また、人間の本質をつかむのに長けているため、登場する人物の感覚が非常にリアルに感じられる。これは四十代に限らず、その妻や息子、同僚に先輩・後輩全てにいえること。
 一方で、本作のメインとなる四十代サラリーマンについては、淡々とこの世代が持つ「真実」を小説のなかで述べているという印象。これは多少の時代の変化があろうと、前提が同じような状況であればサラリーマンのこの世代というのは永遠に「性根」という部分は変わらないと思うのだ。昭和期の四十代も、平成の四十代も、将来の四十代も。これまでやって来た仕事には自信がある。なので、その流れから外れることは許せないし引っ掛かる。これまでやって来た仕事には自信がある。なので、その仕事のやり方を外的に変化させられるのは気に入らない。自分自身にも自信がある。だから、もしかしたら若い世代より自分がモテるかもという幻想を抱く。

 樹下太郎や源氏鶏太といった昭和のサラリーマン小説作家は今となっては、当時は爆発的に売れていた一方、現在はごく一部の好事家以外からは顧みられないが、本質的には(少なくともこのシリーズに関する)奥田英朗も同様のムーヴメントになるのかなあ、とも思う。恐らく、社会が微妙に変化してまた背景に異なるシチュエーションが生まれれば、本質は同じだけれども、その時々に即したサラリーマン小説が生まれるに違いない。そこにサラリーマン、そして四十代がいる限り。


09/11/16
角田喜久雄「影丸極道帖(上下)」(春陽文庫'79)

 角田喜久雄が著した幾つもの時代伝奇小説のなかでも、傑作のひとつとして挙げられることの多い長編。初刊本の刊行は'65年で、初出そのものを調べていないが、内容の区切りから新聞連載だったと思われる。春陽文庫で恐らく2009年段階でもまだ現役本のようだ。

 八丁堀にある銭湯。若手の町方同心で才能の誉れの高い志賀三平は、元は名前の知られた名与力で、職を息子の源太郎に譲って隠居している松平白亭と顔を合わせた。志賀家で育った、白亭の養女小夜は三平にとって妹同然であったが、その小夜は源太郎と結婚が決まっている。さて、かつて江戸界隈で暴れ回っていた怪盗に影丸がいた。有力な旗本や商人宅を襲っては金を奪い、無抵抗の人間は傷つけないが、抵抗する野郎には容赦がないという人物。果ては大奥にも忍び込んだという噂が流れる始末。その影丸が、三平の配下ながら、あまり良い噂のない岡っ引き・傘屋の伝六の活躍で捕らえられた。しかし、取り調べの続くさなかのある嵐の晩、役所内の文書すり替えにより、移動中の影丸は仲間の急襲を頼りに脱獄に成功した。一方、旗本宅に行儀見習いで出ていた小夜は所用の帰りに、忠臣蔵五段目、斧定九郎そっくりな男に誘拐されてしまった。傘屋の伝六と定九郎のあいだにどうやら密約が。更に小夜は次々と悪人たちの手を経て、江戸でも権力が急上昇中の酒田左門宅へと押し込められてしまう。その小夜を救ったのは、なんと影丸を名乗る人物だった。

周到に巡らされた犯罪計画。通読中は普通の伝奇時代小説が、反転して本格ミステリとなる興奮
 いやいや、これは噂通りの傑作。
 主人公や、主人公に近い人物が大事にしている娘が謎の組織に攫われて……というのは、伝奇小説の、さらには角田伝奇においても常道といって良い構成。それを助けに主人公たちが必死になるが、その組織の正体が想像以上に大きくて、といった展開もまた常道にして、本作でも同様。なので、多少その拡げられた風呂敷が大きく、小悪党どもが細かな企みをしていたとしても、もともと存在する角田喜久雄の伝奇小説としての当たり前の流れを覆すに至っていない。少なくとも前半は。
 後半にしても、そう上巻からの流れが変わるわけでもなく、下巻の中盤くらいまでは比較的伝奇小説の流れのなかで進む。なるほど、小夜は過去に影丸に救われたことがあるのね、とか、酒井左門の陰謀のなかで、影丸の名前を利用しての悪いことがあったのねといったところは、まあ、物語の流れの範囲内。しかし、終盤になり、白亭による細かな指摘が始まってからは吃驚。 実に細かなところまでが伏線となり、真相に奉仕している。したたかに伏線があり、伝奇という一種「なんでもあり」「何があってもおかしくない」というアクセサリによって目くらましがされた筋書きが浮かび上がる瞬間は、快感としかいえない。題名までがある意味では、ミステリのレッドヘリングとして使われているという点も小憎い。振り返ってみると、ある補助線が実は無かった、ということなのだが、やはり伝奇という纏う衣がうまく真相を覆い隠しているものと感心することしきり。

 伝奇時代小説のベールがあまりに分厚い一方、謎解きの伏線、手掛かりも大胆に置いてあるという骨太の本格ミステリ。(執筆時の作者の意図も「本格推理小説」があったという)。基本的にはそれでも伝奇時代小説というのが主であり、本格ミステリは従だとは思うものの、伝奇+αの高い充実度があることは事実。本格ミステリファンならば、ぜひご一読を。


09/11/15
三津田信三「ホラー作家の棲む家」(講談社ノベルス'01)

 ホラー+ミステリの刀城言耶シリーズなどが人気シリーズを多数抱え、すっかり人気作家としての地位を確立した感のある三津田信三氏。その三津田氏がまだ無名の編集者時代に、メフィスト賞受賞でもなくひっそりと講談社ノベルスから刊行した小説デビュー作品が本書。現在は『忌家』として、副題が同題の講談社文庫版が完全版として出ている。このデビュー作は、三津田氏がブレイクして暫くのあいだは品切れ状態が続いており、プレミアがついていた時期がある。ノベルス版の推薦帯は菊地秀行氏。

 怪奇小説の発表をしながら、メインは雑誌編集という独身男・三津田信三。彼は、文芸賞の下読みをしている友人の祖父江から、三津田作品が盗用されたと思しき作品があるとの連絡を受ける。作者は津口となっていたが、三津田自身に心当たりはない。三津田は、怪奇小説では有名な同人誌から小説の執筆依頼を受け、さらに東京で住むための物件を探していた。武蔵野の住宅街の片隅、そして表通りからは入りにくい場所に建てられた洋館に三津田は魅せられ、あまり乗り気でない不動産屋をくどき落として入居する。英国から直接移設されたというその屋敷〈人形荘〉。三津田は同じ形式の屋敷に訪れた怪奇譚などを調べてみる。執筆を開始した作品は、自身の住む屋敷が舞台で、四人家族がそこに引っ越してくるというもの。忌まわしき雰囲気、忌まわしき何か。さらに、三津田のもとにファンを名乗る稜子という女性が現れ、定期的に〈人形荘〉を訪れる以外に、雑誌編集の手伝いまでをも買って出てくれる。しかし、徐々に虚と実が混じり合って三津田の生活は怪異のなかに……。

フィクションとノンフィクションの境目の曖昧さ。正統派洋風(英国風?)の恐怖譚が展開されていく……。
 『忌家』でどう改稿されているのか、現段階で確認できていないのだが、後のミステリ作品などから入った読者が本書に遡ると違和感があるのではないかと思う。その理由は二つあって、作者・三津田信三の私小説的な部分があからさままでに強いというのが一点、もう一つは恐怖の質が民俗・土俗系ではなくて伝統的な英国怪異譚風のものであることがもう一点だ。
 一つめについては、三津田信三氏のことを知れば知るほど、虚実の「実」部分が興味深く(例えば『ワールド・ミステリー・ツアー』のシリーズは全13巻として刊行され、カルトな人気を斯界のファンからは獲得したこととか、同人誌という『迷宮草子』に寄せられた原稿執筆者の多くが実在の人物であることだとか。しかし『迷宮草子』のイメージは初期の『幻想文学』あたりですかね)。ただ、ここから後のシリーズに繋がっていくフィクションの方の人名なども多数登場しており、そういった意味ではむしろ興味深い方にいくかもしれない。
 また、第二の点は家そのものが恐怖の対象という展開と、家そのものの精なのか、家に憑かれたのかよく分からない人間に襲われる恐怖という展開のダブルで迫ってくる。序盤はそこはかとない雰囲気の恐怖で周囲の温度を引き下げておいて、クライマックスはB級恐怖映画の襲撃シーンのような迫力で攻めてくる。 怖いという意味では怖いのだけれども、あくまで雰囲気で徹底的に読者をいじめ抜くといった、近年作品における三津田氏の方法論とはちょっと異なっていることも感じられるはずだ。
 また、恐怖・ホラーを主眼とした作品ゆえに、ホラーミステリの一連のシリーズとは異なって「割り切れていない」ことで恐怖を喚起する狙いがある。ゆえに、ミステリを当然と考えているような読者にとっては当惑感の方が上回る可能性はある。supernaturalをより強調した結果か。また、全体を通じての幻想感には江戸川乱歩を強くイメージしているところが多かった。その点もまた、本作の特徴だといえる気がする。作者の趣味の映画やら小説やらがやたら登場するのは、まあ、私小説というより作者自身の趣味ですよね。

 あえて入手可能な文庫ではなくノベルスで再読。刊行当時は順番に手に取らなかったこともあって、このデビュー作品の感想を書きあぐねていたのでした。改めて読むにやはり現在の一連の作品と手触りが異なる点を再確認。その意味でも、面白かったといえるかも。


09/11/14
麻生荘太郎「闇の中の猫」(東京創元社ミステリ・フロンティア'09)

 麻生荘太郎(あそう・しょうたろう)氏は神奈川県生まれの現役医師。ペンネームは島田荘司氏によるもの。過去に二度、別名義で光文社文庫『本格推理』に短編掲載経験があり、ほか医学関連の著作や翻訳も多数とのこと。(名義が不明につき、当然検証できないわけですが)。

 帝国大学文学部の女子学生・樋口佐和子がホテルで全身が解体された状態で発見された。佐和子のクラスメイトで生前彼女から、彼女の友人・高市美保子のドッペルゲンガーについて相談を受けていた深町麟は困惑する。帝国大学関係者で選抜試験を経て入会を許される会員制BBS〈猟犬クラブ〉に麟がアップロードしたシリアルキラーものの作品内容と、佐和子の死に様が酷似していたからだ。さらに犯行を示唆する〈キャット〉という参加者からの書き込みが。(猟犬クラブ)への参加はパスワードが必要だが、参加者は互いにハンドルネームしか使わず、しかも管理人が長期離脱中とあって〈キャット〉の正体は不明。警察への通報含め、対応が乱れる。高市美保子は、深町麟と協同戦線で佐和子殺害の犯人を見つけ出そうと提案する。しかし、今度も〈猟犬クラブ〉メンバーの一人で大学院生・吉野静香が深夜、身体を刺された状態で大学の建物の屋上から転落して死亡する事件が発生した。誰かに突き落とされたかに見えた彼女だったが、建物に犯人が潜んでいた形跡が全くない。

正面からの本格らしい本格ミステリ世界の新・創成のためには、ここまでしないとダメなのか……。
 文学賞の受賞作ではない新人の書き下ろし長編で、本格ミステリ。(ミステリ分野が全体に元気を失いつつある)現在、同人誌等を除いて、商業出版でこのようなことが許されるのはこのミステリ・フロンティアくらいだろう。そのフロンティアをして、島田荘司の推薦辞が必要だったのだとすると、どれだけこの分野のデビュー・ハードルが上がっていることか。(内容・セールス、共にね)。
 さて、内容。最初は殺害された同級生の秘密を、深町麟&高市美保子ペアが追いかけ、謎を解く――というようなオーソドックスな展開に見せかけておいてさにあらず。 世間的に大学関係者無差別連続殺人にみえる状況のミッシングリンク〈猟犬クラブ〉BBSを一部登場人物たちのみが知りうるという、厳しく制限された状態下の犯人捜し(フーダニット)。被害者ごとにかなり伏線というか、エピソードが紹介されており、第二、第三の殺人への違和感も少なく(ただ、原因があるという理由から、通してみたときの違和感が存在するのも確か)、四件発生する連続殺人について、根底に非常に深い謎があるという、本格ミステリらしい展開にわくわくさせられる。
 人間描写は確かに薄っぺらいが、それが瑕疵にならないのが本格指向の本格ミステリの良いところ。(もちろん、書き込んだ方がプラスに振れますが)。
 そしてその真相。第一の真相については終盤近くまで読めば、ある程度予測できる範囲内。ただ、そこからまさかの大・どん・でん・がえし! があることは予想外。少し残念なのは、この展開、作者が頑張ってフェアに記述しようとしているところは理解できるものの、やはり結果的にはこれはアンフェアになってしまっているのではないですか……というところ。むしろ、普通の本格ミステリであり、かつ読者の想像を超える大どんでん返しを実現するためにフェアとアンフェアとのギリギリ領域に踏み込まなければならない事実を見せつけられた感。 その意味では、本格ミステリとして評価はできるものの、あくまで小生個人としては高い評価はつけられない。

 新人をしてここまでしないとダメなのか――。さらに、綾辻以降という意味で二十年近く継続してきた本格ミステリブームの、少なくとも終焉の一端をじわりと感じてしまう(これが大袈裟な嘆きでないことを祈るが)。普通に本格ミステリがお好きという方は愉しめると思います。が、ミステリに様々な要素を求めておられる方にはちょっと辛いかも。


09/11/13
吉村達也「蛍坂」(ワニブックス'09)

 1986年2月、扶桑社より『Kの悲劇』の刊行による「吉村達也」デビュー後24年、単純な文庫化は除き、完全リメイク等も含んでの著作200冊目にあたる書き下ろし長編作品。ノンシリーズ・ジャンルミックスという内容は近年の吉村氏の著作風景を象徴しているように感じられる。

 AB型でRhマイナスという珍しい血液型を持つ上原仁美・二十一歳。横浜の写真専門学校に通い、四つ年上の二十五歳の貿易会社社員・大崎誠と結婚を前提の交際をしていると思っていた。ところが、仁美の誕生日の前日、誠は母親の依頼した占い師から交際を反対されているという理由で仁美と別れ話を切り出してきた。納得できない仁美だったが、母子家庭状態で育った誠が極度のマザコンであることが判明、怒りと哀しみから翌日の二十二歳の誕生日に自ら深く手首を傷つけた。気付いた祖母により一命は取り留めたものの、外出先で連絡を受けた両親の乗用車が運転を誤って幼稚園児の列に突っ込む事故を起こして悲劇は連鎖、上原家は崩壊寸前に。生きる希望を失いかけた仁美は祖母のアドバイスで四国の山中に赴き、深夜に奇蹟のファンタジーを目撃し、人生観が覆された。京都で駆け出しカメラマンとしてキャリアを再スタートさせた仁美だったが、観光客のために写真を撮影する際、奇妙な現象が発生していることに気付く。

サスペンス・ホラー・ファンタジー等々、あらゆるジャンルを巻き込む、新・吉村流の現在エンタ
 よくいえば、エンターテインメントを構成する様々な要素を貪欲に取り込んだ作品ということになろうし、悪くいえば、様々な要素を取り込みすぎて主題すらぼやけてしまった作品ということになる……というのが正直な印象。上記したあらすじを読んで貰っただけでは判りにくいかもしれないが、当初は悲惨ながらも通常の人生劇場から入り、自然が織りなす奇蹟のファンタジー、そして超常現象絡みのホラー、ここからトンデモ系含む人生・運命哲学へと移り、サイコ・サスペンスに移動して、最後は感動のフィナーレへ……ってもっと判りにくいか。
 物語そのものは一貫しているなか、様々なテーマが次々に登場していることだけは確かなのだ。
 結局のところ、十年少し前に吉村達也氏が、自ら一旦筆を断って自分改造のような作風改造を行ったことと今回作品の作風そのものとに密接的影響があるように感じられる。つまりは、ジャンルにこだわるのではなく一般読者の理解に「より」こだわるといった創作手法。 これが強く打ち出されている印象なのだ。本書にしても小生のように分析的に読むのは少数のはずで、基本的には不幸な目にあった主人公の挫折から回復、成長の物語として普通に読むであろうことは想像に難くない。ただ、その分どうしてもどの分野の立場から作品を眺めても「破綻していないけれど薄味」という印象が強くなってしまい、物語全体から受けるインパクトもその分軽くなってしまっているように思えるのだ。近年の他の吉村作品のようにホラーに少し別エッセンス、であるとか、サスペンスにちょっとSFテイストといった隠し味であれば別なのだが、本作ほどにいろいろ混ぜ混ぜしてしまうと、印象としてはむしろ「勿体ない」かも。

 結果的に個人的に最も印象に残ったのは、主人公・仁美を振った大崎誠の「母親」の素晴らしい自己中心論理だったりするのだが、それも当然人によって異なるだろう。物語としての筋は通っているので、吉村達也ファンならば普通に面白いという判断になるのでしょう。「現在の吉村達也」を集約したような長編です。


09/11/12
桐野夏生「柔らかな頬(上下)」(文春文庫'04)

 '99年に刊行され、第121回直木賞を受賞した。

 北海道の稚内近くの海岸部にある寂れた漁村に生まれたカスミは、人より少し目立つ程度の容姿を持つ普通の高校生だった。しかし、その心の裡では常に村からの脱出を夢見ており、高校卒業と同時に家出同然で自宅を飛び出し、一日に数本しか通らないバスに乗って村を脱出、東京へと向かった。東京ではデザイナー志望といいつつ、結局は小さな製版会社の事務兼デザイナーとして採用され、暫くしてそこ会社の若社長・森脇と結婚。有香と梨沙という二人の娘にも恵まれた。しかし、カスミはあるきっかけから森脇の会社をひいきにしてくれるデザイナー・石山と不倫の関係に陥ってしまう。石山が北海道・支笏湖畔に購入した別荘に、森脇家と石山家が同時に赴く計画。その裏側で背徳の抱擁を繰り返す石山とカスミ。そんななか、カスミの娘・有香が忽然と姿を消してしまう。全ての人々に疑惑が生じ、石山家、森脇家ともども不倫が明らかになって崩壊、しかしカスミは四年かけてもまだ有香のことを捜し回っていた。周囲が次々と諦め、カスミに同情の目を向けるなか、死期迫る病気で北海道警刑事の職を辞した内海がカスミに協力を申し出る。

どうしようもない人間の欲望や運命を肯定しつつ、生きること、生きる目的について問いかける
 表層的にはどうしようもない作品である。家族同士の旅行中に不倫していた男女の娘が失踪する話であり、その失踪した娘を母親が必死になって捜し求める話である。結論:不倫ダメ。 ということであれば簡単なのだが、そう単純な話ではない。
 少なくともこの作品のなかで作者は不倫自体は否定していない。結婚後に出会ってしまってしまった運命の男と女。夫はとにかく、自らお腹を痛めた子供ですら捨てていい、と思える瞬間のある人間の情動。社会規範というモラル以前の運命の出会いがあっても仕方ないというスタンスか。それが一転「幼女失踪事件」以降は、ある大切な何かを喪ったことで起きる転落人生が、これでもかというほど丁寧に淡々と描かれる。二つの家庭の崩壊。そして、小さな希望に縋りつくことで維持される「生」。石山がカスミに惚れたのは、その野性的な魅力であったのだろうが、その魅力は娘を喪い、獣のようにはいつくばりながらその行方を捜す姿もまた野性的である。作者はカスミという主人公を使い、人間という小さな枠をはみ出し、ごくごく小さな希望であってもその希望を失わない存在を描く。 不倫の代償が「終わり無き捜索」という罰が主題ではない。あくまで、(多少の)因果応報的要素があったとしても、生きることそのものが問いかけられた作品であり、その不透明さもまた「生きること」に付随してのことなのだと思う。(何がいいたいかうまく書けないなあ)。
 幼女失踪の真相については、幾つかの解釈が作中でも登場するが登場人物の妄想でしかなく、正解不正解の解は示されない。(明らかな不正解はあるが)。その示されない解と、家出したカスミ自身が十年間音信不通だったこと。その二点が微妙な対比関係として浮かび上がる。物語の結末は読者にとってもカスミにとっても明瞭ではなく、救いもまた諦念の先にあるようにみえる。 その時の「生」はどうなるのか。答えはみえるようでみえない。

 ということで、「今更」ですが、未読でしたので読んでみました。もう刊行が十年以上前になるのか。それでも流石にテーマ的には古びておらず、今なお通用する重いテーマを扱った作品であることは事実。じっくり時間があり、精神的に余裕のある時に読んでいただきたい作品です。


09/11/11
北島行徳「428〜封鎖された渋谷で〜(3)」(講談社BOX'09)

 『かまいたちの夜』などを開発したチュンソフトによるサウンドノベルで、本書は、そのシナリオを担当した北島行徳氏自らがゲームシナリオを小説化した三冊目。収録時間帯は15:00〜17:00(三冊目にしてやっと意味を理解した)。

 15:00。渋谷駅前の路上で遂に青いワゴン車が炎上・大爆発。大きな被害が発生した。そのワゴンを追い求めていたの警察側の加納慎也、大沢ひとみと共に渋谷中に仕掛けられた監視カメラからワゴン車のありかをつきとめたばかりの遠藤亜智、そしてタマとしてこれまで着ぐるみをきて活動していた彼女も、ワゴン車から噴き出る炎を見つめるうちに、自分が中東で体験した出来事を思い出す。その”彼女”を一旦解放したはずの”杖の男”が再び現れ、彼女のことを再び脅迫する。ライターの御法川も爆発の側におり、その一方で亜智の元いたグループKOKの情報をつかみかける。仕事に邁進しようとしたところ、雑誌の販売元社長が爆発に巻き込まれ死亡したとの連絡が……。 一方、大沢ひとみは、姉のマリアがワゴン車内にいると思い込んで爆発前にすぐ近くに駆け寄っていた。しかし至近距離で爆発に巻き込まれたひとみを救ったのは、またしてもカナン。彼女は亜智に対し、この事件の黒幕の名前を告げる。「アルファルド」。奇しくも他の登場人物たちも、この一連の事件の裏側にいる人物の名を知り始めていた。またウイルス学者で、マリア・ひとみ姉妹の父親、大沢賢治は、マリアがウーア・ウイルスに感染していることを知らされる。更に、抗ウイルス剤の保管区域内に入る鍵、助手だった田中の消息が知らされ……。

怒濤の展開・第三章。ウイルス絡みの繋がり以外にも隠された人と人とのリンク。果たして
 二冊目迄に関しては、どちらかというとシナリオが割り振られた登場人物それぞれの物語、という印象が強い展開だった。中間点を過ぎての折り返しとなる本作では、それぞれの登場人物たちが「渋谷」という街で危機感を共有しながら出会ってゆくだけでなく、その背後にある陰謀や背徳の計画が少しずつ明らかになる――という展開がみられる。
 ポイントはカナンという少女がなぜ大沢マリアと知り合うことになったか。そして、”杖の男”がなぜ大沢姉妹を誘拐しようと執拗に狙ったのか。この二点についてが三巻にて明らかにされる。その二つの計画と背景が明らかになることによってかなり大枠としてのこの「4月28日の渋谷」の状況が明らかになってくるように思われる。
 この段階になると流石に主要なキャラクタについては、何度も登場するうちに性格付けがなされてくる点、さらに登場する場面が分かれていることもあり、(例えば加納と亜智など)キャラが被りそうな人物も、読んでいてしっかり区分が出来る。多少、全体ボリュームの割に登場人物が多すぎる気もしないでもないが……。まあ、それでもごちゃごちゃ感が薄いというのも作者が偉いということなのか。

 あと、ここに来て気付いたのだけれどイラスト、若い男の人(美形)と、若い女の人(美形)の区別がほとんどつかないのですけれど……。実際、イラストに助けられるというよりも直接イメージが可能な文章なので、ここまであまり気にしておりませんでした。ま、最後、四巻次第です。