MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/11/30
山田正紀「帰り舟 深川川獺界隈」(朝日文庫'09)

 どのような経緯で執筆に至ったのかよく判らないのだが、とにかく。山田正紀氏初の「普通の世話物あるいは市井物に相当する時代小説」。さらには文庫書き下ろし。

  十八の時に船宿「かわしん」を経営している実家を飛び出し、賭場から賭場へと諸国で無頼な暮らしをしていた伊佐次は、ある理由から、生まれ育った江戸は深川・川獺界隈へと戻ってきた。少し様子をみようと入った飲み屋でいきなり幼馴染みの屋根職人・源助に出会うなど、かつて伊佐次を旗頭に悪戯の限りを尽くしていた友人らと再会。彼らも相応に大人じみてきている。しかし、伊佐次が帰ってきたその日、実家に顔を出す前に、伊佐治の父親・伊佐吉が橋の上で不審な死を遂げていたことを知る。父親の死体を検めたは同心の小倉藤太郎。小倉はまた源助のことを「親孝行者」として褒美を取らすほど持ち上げていた。その源助は地回りの「稲荷の徳三」親分の賭場に出入りして借金をこさえており、伊佐次は源助が、徳三の部下で九郎定というヤクザ者に借金返済を迫られているところに行き会い、彼らを得意の弁舌とおべっかで煙に巻いてしまう。

この一冊だけで山田正紀時代小説が進化(変化)してゆく……。それもまた味。
 山田正紀先生のような大御所作家の作品を評して偉そうなことを言うのは憚られるが、それでも率直に書く。本作、大きく分けると三章で構成されているのだが、序盤から終盤に向けて一冊のなかで徐々に作風が変化している。 一般的な意味での時代小説らしさが強いのは序盤。まだまだ、どちらかというと手探りで執筆しているような印象。登場人物の個性よりも、その設定や雰囲気が勝っており、なかなか小説らしいダイナミズムを創り上げきれていない。
 それが、博打の勝負でほぼまるまる一章を費やすという大胆な二章目では、なぜだか急に「さすがは山田正紀」といった奇想が、その博打の勝負内に登場する。(まさか、土地家屋だけではなくて、あのようなものを担保にするなど、普通思いつかない)第一章であれほど丁寧だった山田正紀の時代小説が、山田正紀の普通小説の時代版へと変化していく印象だった。
 それが三章目になると、また作風が変化する。ちょっと書き急いでいるような印象を受けるほど、それまで軽めに伏線として流していた要素をばったばったと急すぎるようなスピードで片付けてゆく。謎の実力派浪人・堀江要も三章目(つまりは終盤)からの登場にして、やたら重要な役割を負わされている。この闘いの場面では急に皆さん超人化して、雷獣とひっかけてという設定含め、市井の普通の時代劇ヤクザ者小説だったはずが、「山田正紀のアクション小説(時代版)」に変わってしまうのだ。しかも、あまりページ数を使用せずに変化と闘いをこなしてしまうがために「あれあれ?」といううちに本書が終了してしまう。このあっけらかんとした、不思議なあっけなさもまた、山田正紀らしいといえばらしいのだけれど。

 あとがきを読む限りでは「この巻では」といった表現があるので、この「川獺界隈」シリーズは続編が考えられている模様。ただ、一応はこの巻で登場した大きな謎、たとえば主人公の里帰りの理由といった不明点は基本的に回収されているようにみえるため、これでオシマイと言われても文句はいえない。山田正紀作品のシリーズ未完というのは風物詩みたいなものなので、続きが出るかどうかも含めて、のんびりと待つ……しかないか。


09/11/29
結城昌治「風の報酬」(角川文庫'81)

 結城昌治の角川文庫(全て絶版)の後半で編まれた、発表年代毎の編纂による初期短編傑作集。本書はその第四弾で昭和40年〜41年に発表された作品がまとめられている。

 妻の生んだ娘が成長してくるにつれ、自分の顔に似ていないことに気付いた夫。しかも、妻は定期的に実家近くの医者の家に出入りしているようだ。不貞を疑った夫は証拠をつかもうと跡をつけるのだが……。 『六年目の真実』
 妹のような女性とデートを続けていた山形。彼女は山形に男性を感じておらず、別の男と結婚するという。自棄になり、オールドミスと関係を持つようになった山形の前に、以前の彼女が戻ってきた……。 『殺人のためのソナタ』
 ラオスの首都ビエンチャン。この国を訪れて一週間の新聞記者・伊与田は、貿易商・ヌイ・カムシンと親しかったという理由で警察に連行されて事情を訊かれた。カムシンと親しいとされるスパイの男が殺された事件。そして伊与田はカムシンが実は日本人だという情報を得て、なんとかコンタクトして真実を聞き出そうとしていたのだ。 『風の報酬』
 美人閨秀画家と知られる林のもとに通う美緒は、天然悪女。様々な男性と恋に落ち、次の瞬間には別の男性に乗り換えてしまう。そして本人には全く罪の意識はなく、周囲の男性たちは振り回されるばかり。 『天使の肖像』
 東京で建築会社次期社長の妻に収まっている多美子。故郷で十代の頃にやんちゃをしていた過去があり、偶然都内でその頃の知り合いに出くわしてしまう。跡をつけられ、羽振りの良さに気付かれた多美子は過去をネタに脅されて……。 『十年の後に』
 自室でガスストーブの消し忘れにより一酸化炭素中毒で死んだ駒井。その親友だった啓郎は悲しみと同時に困惑も。駒井に頼んでアリバイをこしらえつつ、その裏側で若い明子との逢瀬を楽しんでいたからだ。 『虚ろな眼』 以上六編。

物語も登場人物もアイデアも充実。小説家としての円熟ぶりが滲み出る好作品集
 セレクトした編集者が上手いのかもしれないが、二年のあいだに発表された作品から六編選んでおいて、微妙にそれぞれ、毛色が異なっている。サスペンス風の展開を経てファースで終わる『六年目の真実』、鮎川哲也風の倒叙作品である一方で、主人公男性の一人称から滲み出るハードボイルド&ノワール的な香りが充満している『殺人のためのソナタ』。表題作となる『風の報酬』は、先の『影の殺意』に収録されていた『あるスパイとの決別』を思わせる、やはりアジア国家に、ある事情からその国の人間として潜り込まざるを得なかった日本人がテーマとなったスパイ小説。
 『天使の肖像』は、国産小説では珍しい天然悪女がテーマ。次々に結婚しては夫を乗り換えていく女性像というのは現代感覚とは若干異なるような気がする。この時代において割り切った女性の方が、どこか淫靡な奔放感があるように思われる。当然、男性作家の視点(小説内の視点人物は女性だが)からすると、勇ましい(?)彼女に振り回される男性たちがいじましくみえる。一方で『十年の後に』もまた、昭和のこの時期の女性感覚が、現代と異なっていることを思い知らされる一編。結婚した女性の過去を知る人物から強請られる……というテーマ自体は永遠なのかもしれないが、ここまで卑屈になるものなのだろうか。ただ、物語の結末については薄ら寒い感覚が、主人公の気持ち、そして読者の背中の両方を這い上がってくる。
 そして最後が『虚ろな眼』は、友人が殺害されたという殺人事件を扱いながら、実は夫婦がテーマというのは意外。そして、その展開はかなり珍しい部類のように思える。夫婦間の執念深さというか、業の深さが恐ろしいです。

 ということで、作品集一冊はバラエティ豊かということしかいえないのだが、そのどれもジャンル的にも好作品で高いレベルで「小説の楽しみ」を提供しているといえる。 サスペンスがサスペンスに終わるのか、ユーモアで締め括るのか、悲劇になるのか、先を読ませないし、どの結末であろうと巧みにオチがついている。とにかく上手い。


09/11/28
都筑道夫「退職刑事」(徳間文庫'80)

 都筑道夫氏自ら「自分の代表作」と指名したことでも知られるシリーズ。2002年から創元推理文庫にて全作品が復刊されているが、本書は個人的にずっと所持している徳間文庫オリジナル。とはいっても、元は「昭和四十八年から五十年にかけて主に「問題小説」、ときに「別冊小説新潮」「小説CLUB」の各誌に発表、昭和五十年の四月に、徳間書店のトクマ・ノベルズの一冊として、本のかたちにまとめられ」というもの。再々読。

 クラブ勤めの女性が全裸で殺された事件。その被害者女性が唯一身に付けていたのは、なんと男物のブリーフだった。 『写真うつりのよい女』
 妻と妾を同居させていると週刊誌でも取り上げられる絶倫男が殺された。容疑者は彼に借金を申し込んだ女性で、凶器を握りしめているところを目撃されていた。 『妻妾同居』
 頭が弱いとされている女性が、赤の他人の家に裏口から入り込んで殺された。彼女の厚塗り化粧を落とした洗面器が現場にはあった。 『狂い小町』
 殺人事件の容疑者となった男のアリバイを証明できるのは、地下鉄で出会ったジャケットを着て、さらにジャケットを二枚両手に抱えていた男性のみ。男は一体なぜそんな荷物を持っていたのか。 『ジャケット背広スーツ』
 親譲りの財産を持つ男と、その妻と愛人の三角関係。妻に子どもができず、愛人に子どもが出来たことで、その愛人は人形を使った殺人予告を受けていたと言い出す。 『昨日の敵』
 顔見知りの女性宅に忍び込み、暴行殺人をしたという男が自首。しかし、その部屋には死体がなく、部屋の持ち主の女性の死体は別の公園にて発見された。 『理想的犯人像』
 ボトルシップのなかに突如現れた「死体」の人形。その家の離れに居候していた男は、これが殺人予告かもと冗談めかしていたが、本当に崖から不自然なかたちで転落して死体となって発見された。 『壜づめの密室』 以上七編。

実はこの「設定」こそが名作であって、個々の短編のインパクトは低い(ないし一定)のではないかという疑い
 『写真うつりのよい女』であれば、裸同然の被害者女性が履いていた男物ブリーフの事件、『ジャケット背広スーツ』であれば、着ている背広の他に腕に二着のスーツの上着をかけた男の事件……といった風に、その謎として提示される事件はかなり印象に強く刻まれている。個人的には『壜づめの密室』のボトルシップなんかも印象としては強い(最初に読んだ時に相当悩んだ記憶があるので)。
 しかし、数年ぶりに改めて読んでみて気付いた。退職刑事が示した、もっとも蓋然性の高い「解」については、ほとんど何も覚えていないのだ。もちろん、小生の記憶力の問題である可能性もある。が、読了して改めて題名を眺めてみても、むしろ解決よりも謎の方がインパクトありすぎ、特に全体解が霞む傾向にあると思う。
 なぜだろう、と思い、改めて、本書収録の『ジャケット背広スーツ』の創作方法がかなり詳しく描かれている『黄色い部屋はいかに改装されたか?』も読んでみた。結論からいうと、創作段階でまず「インパクトのある謎」からスタートし、そこから逆算して「そうみえる」「そうなってもおかしくない」解を作っているから――のように思えた。また五十枚の短編にするために、一部の謎を付けたり差し引いたりの加減もしなければならない。定型としての現役刑事と退職刑事のコンビという、狙ったというマンネリズムが見事に嵌っていることもあり、物語全体のなかでの「インパクト」は「最初に提示されるメイン謎」がピークという構成に必然的にならざるを得ないのだ。
 ただ、後半二作『理想的犯人像』や『壜づめの密室』になってくると、結構「解」にもインパクトがある。ただ、その一方で、謎の部分が奇妙は奇妙なのだが、どこか作り物めいてしまっているようにもみえる。短編一作で読者に与えられるインパクトは実は一定量で、それがどこに比重が置かれているか、というのが、シリーズ安楽椅子探偵における大いなるマンネリズムの裏側にあるような気がしてきた。

 とはいっても、発表当時は自画自賛も当然というくらいに革新的な作品だったのだと思われる。もう一冊、読んだのが昔すぎて感想が残っていない「退職刑事」があるので、上記の視点から改めて読んでみたいと思う。(というか、『退職刑事』はもしかすると四巻以降読んでいないかも)。


09/11/27
鏡 征爾「白の断章」(講談社BOX'09)

 鏡征爾氏は(2009年5月現在)東京大学修士課程在籍中。2008年『白の断章』(『機械仕掛けの泡』改題)が第5回講談社BOX新人賞・流水大賞にて初の大賞を獲得。つまりは本書がデビュー作品。

 高校サッカーの全国大会常連の名門Z高校。超絶のフリーキックが売り物で一年生から試合出場を果たしてきた攻撃的MF九條千司は、二年生以降、監督との対立ほかで出場機会を喪い、更に練習中の事故で先輩に大怪我をさせ、さらに自殺に追い込んだことがトラウマになりFKが蹴れなくなっていた。そのタイミングで途中出場した県大会でFKを求められるが蹴ることすら出来ず失敗、Z高校はそのミスが元で敗れ、全国大会出場を逃してしまう。思い悩んだ結果、退部届けを提出した九條。そして部活のない帰り道、ちょっとした寄り道と好奇心から、XXXという高校の制服を着た少女・百合亜と出会う。百合亜は中年男性をスタンガンで気絶させたところだった。九條は百合亜に脅され、身元が確認されたうえでスタンガンの一撃を見舞われ気絶する。目を覚まして帰宅した九條のもとに、泊めてくれと百合亜が現れる。百合亜のこめかみには自分でスタンガンを押し当てた黒い自傷痕が。

中盤までは忘れたい少女と、忘れたい少年の絶望的ノワール。後半は普通過ぎ。もったいない
 某所にも同じこと書いているのだが、主人公を高校生ではなくもう少し大人の世代にして(ヒロインは高校生のままでも良いかな)、絶望と絶望の合流少女の復讐と、その最大の敵を呑み込むという展開まで、ないしはそこから引き返せない絶望の淵に突き進む――といった内容であれば、一般大衆文芸の世界に殴り込んでも一定の評価を得られるであろう、高いレベルの内容だ。特に少女の側の壊れ方が秀逸。敵を倒すためのスタンガンを自分のコメカミに当てて、ある理由から自ら引き金を引いては気を喪う。その痕跡がおでこに黒々とした蝶のように張り付いて……、なんてちょっと前例も思いつかないし、インパクトも兇悪にして大。
 それに対して判りやすい理由でトラウマを抱えている主人公との対比もGOOD。心臓移植と記憶の転移を絡めた少女の絶望と、その絶望との戦いという展開、これはうまいし凄い。プロローグとエピローグも良いし、センスは凄いと思うのですよ。

 ……それがなぜなに、この陳腐な後半は一体どうして。登場人物を安易に再生させるなら、ノワールを連呼するのは止めた方が良いのでは。個人的には後半はラノベ以下という印象しか残っていない。活字に慣れていない読者ならば、こういう予定調和もありかと思うし、むしろそちらの方が馴染むのだろう。しかし、なにせあの清涼院流水センセの名前を冠した流水大賞というからには、一般読者の想像すら越えた「何か」があるに違いないと期待していたのだが、その極みには至っていないようにみえる。

 講談社BOXというレーベルが生み出した、新しい才能の一人であることは確か。そして心の裡から物語が発せられている作家なのだとも思う。講談社BOX出身作家共通の問題(いずれどこかに書く)があるのも事実で、そのなかでは才能を感じるものの、ここから大成できるかどうかは今後次第です。ただ、次作も読んでみようという気にはなっています。


09/11/26
道尾秀介「球体の蛇」(角川書店'09)

 角川書店の小説雑誌『野生時代』二〇〇九年三月号から八月号にかけて連載された長編の単行本化。

 一九九二年の秋。高校三年生の”僕”こと友彦は、両親の離婚、相性の合わない父親の東京転勤についていくのを頑なに拒んだ結果、隣人である橋塚乙太郎宅にてお世話になっている。乙太郎は『橋塚消毒』という白蟻駆除業を生業としており、家族に友彦の幼馴染みで二つ年下のナオがいた。乙太郎の妻である逸子、そしてナオの姉であったサヨの二人は、友彦が小学校五年生の時に乙太郎一家と出かけたキャンプで起きた、ある事故がきっかけで亡くなっており現在はいない。小学生の頃の友彦は、二つ年上のサヨに憧れていたが、サヨは小学生ながら冷静で酷薄な側面を持ち、大人にはそれを隠していた。友彦はアルバイトで乙太郎の仕事を手伝うようになった。そんな日々のなか、港のそばで友彦はサヨにどこか面影がよく似た若い女性を見かけるようになる。そして遂にその女性のいる家の白蟻駆除調査をすることになった。友彦はその女性のことが忘れられず、調査後の夜中、その家の縁の下に忍び込む。その家の主人と、その女性との情事の声を聞くために……。

普通に生きていくだけのことで、人生に哀しみと傷、虚しさという罰を積み重ねてしまうという生き方……。
 両親は離婚しているものの健在にして没交渉。多感な時期を血の繋がりのない他人の家に居候(下宿?)、家族として暮らす主人公。さらに、エキセントリックな性格を持ち、主人公に多大な影響を与えたサヨ、さらに現在の主人公がどうしようもなく心を惹かれていく年上女性の智子。主人公への思慕はあるものの表に出せないナオら、周辺人物と主人公の関わりを描くことにより、多感な時期の微妙な性格形成の様子を、物語背景と共に積み上げてゆく。こういった特殊環境を創造、さらには読者の違和感なく説明する作者の手腕は、作品を重ねるごとに益々冴えてきているように思う。
 きちんと特殊な背景が積み重ねられてこそ、繊細な感覚を持ちながらどこか投げやりで無思慮で青臭い――という主人公が違和感なく形成されているのだ。
 また、本作は割り切ったかというくらいに、物語に謎解きミステリ性がほとんどない。僅かに主人公にまつわる過去の事象であるとか、サヨの死といった部分にリドルストーリー的に使用されている程度だ。もちろん、物語に伴う背景の謎はあるものの、道尾秀介作品の代名詞的なサプライズ、即ち、いきなり背景色が反転するような強烈なものは今回用意されていない。
 主人公の青臭さや未熟さがやたらに随所で目に付くし、そこが本来の主題なのだろうが、個人的には最終的に(以下ネタバレ部反転)主人公と結婚して子供を成すナオの聖母的ですらある包容力に、より強い印象がある。もとより、子供のような父親・乙太郎と、微妙な関係の幼馴染みの三人家族の母親のような役割を、恐らくは小学生時分から割り振られ、母親と姉を亡くした哀しみは同じなのに、自分が悲劇の中心と酔いしれる友彦からは無神経に、そして作中では意識的に虐げられ、父親と友彦のダブル浮気に気付き傷つき、東京進学後の友彦の身勝手にも耐え、乙太郎の世話をして……。友彦視点の物語ゆえ、知らず人を傷つけ知らず自分が傷つけられるという因果応報めいた物語構成になっているが、そのバックボーンはナオが支えることではじめて成り立っているという。最後の最後、乙太郎の言葉通りに責任を取るかたちになっているものの、主人公はそれを偶然だという。翻って偶然扱いにされてしまうナオの立場がまた哀しい。

 余談。あまりどろどろとした性的欲求をこれまで描いてこなかった道尾氏が珍しくそちら方面についてベタに表現している。個人的には全く嫌悪感もなくノーマルで受け止められるところだが、ふと、こういった情欲を生々しく表現することが高尚な文芸であり、人間を描くことと思いこんでいる某賞審査員面々の顔が頭を過ぎったが、気のせいだと思いたい。

 先述の通り、少なくともこの作品については非ミステリといって良い。現在道尾氏の執筆中/今後の創作のなかでミステリの手法が使われなくなるとは思わないが、道尾氏の場合、何かが欠落した人間、家族、親子といった主題を描くことがあくまでメイン。 その流れのなかでどのような物語が生み出されるのか。引き続き注視したい。


09/11/25
中津文彦「七人の共犯者」(ケイブンシャ文庫'93)

 中津文彦氏は'82年に『黄金流砂』で第28回江戸川乱歩賞を受賞している。元岩手日報という新聞社の記者であり、その経験を生かした事件記者ミステリーや、歴史ミステリーなどの著書を発表している。本書は新聞社を対象とした警察小説であり、作者の経験が活かされているように感じられた。初出はKADOKAWAノベルズで角川文庫版もある。

 東北の地方都市・北斗市の中央公園にて女性の他殺死体が発見された。中央公園沿いは北斗市の主要官庁やビルなどが集まる地域で、北斗警察署もすぐそばにあった。被害者は三十代から四十代の女性で生前は美人と思われたが、左腕が切断されて持ち去られていた。被害者女性は、北斗市に本社のある代表的な地方新聞・北斗タイムスの編集長・高見の妻、英子であることが判明。しかし、権力とマスコミの力を利用して、北斗市の上流階級に所属していることを鼻に掛けた高見の態度は大きく、高見のことを恨む人間が非常に多数にのぼった。高見の息子から受けた暴行により、自殺してしまった若き女性教諭の親、北斗タイムスの談合禁止キャンペーンで叩かれた土建業者、同じく北斗タイムスの一方的キャンペーンによって経済的被害を受けたヤクザ……。また、高見に深い怨みを抱いている元記者が、高見英子が通っていたテニスクラブでインストラクターをしていることなども警察の調べによって判明してゆく。しかし犯人の決め手はどこにもない……。

地方都市ならではの歪みは明らかにされるものの、基本的にはひたすらに地味――な警察小説
 地方都市に対する影響が非常に大きい地方新聞社。被害者は、その新聞社を事実上動かす編集長の妻であり、犯人VS新聞、犯人VS警察という図式が本来であれば想像される。しかし、本書で展開されるのは、専ら警察VS見えない犯人。前科のある変質者、新聞社に怨みを持つ者、それなりに可能性を含んだ犯人候補を少しずつ丹念に追いかけてゆく警察捜査が物語の多くを占めており、まさに足を棒に、靴をすり減らして捜査をする、泥臭い警察小説。視点人物も警察側の様々な立場の刑事が交代で登場するなど、副題にある「北斗警察物語」という意味合いが実感される。
 この展開、やはり泥臭く辛気くさい。一方で、北斗タイムス側はどうも独自の動きをしているようだが、その中身は見えてこない。ただ、ところどころで名前が明らかにされない人々による会話が挿入される。犯行状況の問い合わせや、状況の確認など。つまりは題名通りの「七人の共犯者」たちの存在が匂わされる。彼らが誰なのか、という点についてはぎりぎりまで作者は伏せており、そのバランス感覚は褒めても良い。そして何よりも、編集長の妻殺しの実行犯の意外さだ。漠然とした共犯者のモノローグや存在が目眩ましになって、誰が最も彼女を殺すことで利益を得るのか(生きていることで困るのか)という視点が抜け落とされた感。結果、実行犯についてはかなり盲点にいる人物だった。

 読み終わって考えてみると、題名のミスリーディングが上手い(アンフェアではない)作品であることは確か。また、地方都市新聞が陥りやすい権力の罠といった警鐘もあるのかもしれない。とはいえ、全体としては退屈で地味な警察小説という印象の方がはるかに強く、一般読者が好んで選ぶ必要はないものと思われます。


09/11/24
飛鳥 高「灰色の川」(雄山閣出版'61)

 1959年に大和出版から刊行された『蘇える疑惑』が改題され、本題に改められたもの。飛鳥氏の第三長編にあたる。本書も副題には「―よみがえる疑惑―」という言葉がみられる。

 厚木出身の建設会社社長・堀井。その運転手を務めている原太吉が、堀井の二号である好子と堀井に隠れて将来を誓い合うような仲になっていた。ある晩、原は好子に自分が馘になる覚悟で自分たちのことを堀井に伝えると好子を置いてアパートを出た。原はK会館に堀井を迎えた後、好子のいる野毛の別宅に行くが、その際のちょっとした口論からネクタイで堀井を絞殺してしまう。半ば自棄になった原は、死体を置きっぱなしのまま、自宅に帰るが、その際に出前持ちの小僧と事故を起こし、自転車を轢き潰してしまう。帰宅後に好子に説得された原だったが、堀井の死体は野毛とは全く異なる、堀井と同じ厚木出身の代議士・辺見の自宅で発見される。留守番していた秘書の舟山は通報するまで気付かなかったという。しかも、死体移動に心当たりがないまま原が、K会館で出会った運転手や出前持ち小僧のもとを訪れるが、彼らは原とその日に会ったことを覚えていないようだ。好子はこのまま逃げ切れると喜ぶが、一方の原はそれでも何か鬱屈したものを抱えているようなのだ……。

全編をどこかしら日陰の人々の悲しみが覆い、真相にもその感情が繋がってゆく
 無計画に殺人を犯してしまった男、しかし、死体が知らぬ間に移動し、さらに目撃・関係したはずの人々も、犯人のことを覚えていない。なぜこんなことが起きたのか――? というところで周章狼狽、一体何があったのかを探るのが普通の探偵小説。しかし、本作での犯人、全くそんなことを気にしていない。ただ、犯人もそうだし、犯人の愛人もそうだし、死体が現れた代議士宅の秘書も含め、皆どこか性格に陰がある。その結果、物語全体が沈鬱な雰囲気に包まれてしまい、本来サプライズ事項、ミステリとしての求心力であるべき「死体移動の謎」の物語上の重要性がかなり薄まってしまっているようにみえる。
 秘書・舟山の活躍によって二年前に厚木で発生した、原兄弟が関係した殺人とも事故とも断定されなかった事件が浮かび上がり、終盤は台風が吹き荒れるなかの厚木市内に生き残った関係者が集まり、ドラマを形成する。またこの「クララ」なる店の関係者が、後ろ暗かったり性格が暗かったりでここで登場する人物たちもまた雰囲気は明るくない。(というか、暗い)。
 殺人の犯人ではなく、その死体移動を行った黒幕が誰なのか終幕近くで明らかになってゆく。誰がやったかという意外性はこの段階ではかなり低くなっている一方、「なぜ」やったのかがぎりぎりまで見えない構成。 しかし、最終的に赤されるそのHow done it? の理由がまた、この全体を覆うトーンの暗さとなっている、根本的な原因にあるところが興味深い。つまり、原太吉が抱えている鬱屈が物語のトーンにも、そしてこの事件自体の真相にも影響があっていた、ということ。過分な評価かもしれないながら、この全体の雰囲気までもがそもそも意図されて醸成されているのだとすると、凄まじいセンスだと思われる。(一方で、偶然の産物のようにもみえるところもある……)。

 探偵小説としてのトリックは使用されているものの、そのトリック自体に新たなアイデアがあるものではない。むしろかなりフィクショナルな人工性が高く、平凡な理由だといえる。先述の通り、全体的なトーンのなかにしっとりと事件も背景も動機も、そしてトリックも溶け込んでいる点は物語として評価できるものの、ミステリとして特筆するほどの凄さはない。 飛鳥長編のなかでも現在は入手が難しい作品かもしれないが、復刻に値するレベルでもないというのが正直なところ。


09/11/23
高木彬光「私の殺した男」(角川文庫'87)

 角川文庫にて大量に刊行されていた一連の高木彬光作品のなかでも比較的後期に刊行された短編集。松下研三が登場する作品こそあるものの、昭和20年代後半から30年代にかけて発表された基本的にはノンシリーズ作品で、かつ異色短編が集められている印象。さらに同題先に刊行されている和同出版社版、桃源社版とは編集が異なるらしい。

 戦後暫く東京都下で白骨死体は珍しくなかった。発見された白骨は二年前に行方不明になった詐欺容疑の男と思われた。周辺人物にその事件は思わぬ波紋を投げかける。 『私の殺した男』
 夫の心配をよそに妻が下宿人を取ることにした。大学教授だという触れ込みの男、しかしその奇矯な行動が気になり、さらに何やら妻すら知らぬ夫の秘密をその男は知っているらしい? 『謎の下宿人』
 美食と大食が趣味の人物が病気のために食事制限をされるようになった。すると親戚の男が無造作・無遠慮に食事する姿が憎らしく思えるようになってしまい、一計を案じる。 『大食の罪』
 松下研三の知り合いに自分の身体に刺青を彫ることに取り憑かれたようになった男がいた。彫る場所がないという彼は、遂に自分の一物に彫り込みを入れ、さらに傍若無人な行動で松下を怒らせる。 『青チンさん』
 轢き逃げの被害者のポケットに轢いた側の人物の名刺があった。事件は何故起こったのか。轢いた側の過去から連なるある事情とは。 『ある轢死』
 探偵作家でそこそこ成功している葉山。中学校のクラス会にて颯爽と現れた福野は、非常に調子の良いことを並べ大物感を振りまいていたので、葉山は妹の縁談相手にと考えたのだが……。 『はったり人生』
 天然色の夢を見ることが出来、色彩に関して非常に繊細なセンスを持つ画家である私。その私が夜空の月が七色にみえた時、人を殺してしまうのだ。最初は中学三年生の時、そして現在もまた……。 『月は七色』
 列車への飛び込み自殺を刑事によって止められた青年。刑事は家に連れて帰り、その青年の面倒をみるが、どうにも言っていることと本人がちぐはぐ。青年は裏切るようにその刑事宅を飛び出し、犯罪を……。 『赤い蝙蝠』 以上八編。

彬光らしい筆致で綴られた、ミステリ・サスペンス・一般小説。共通するのは奇妙な味?
 一時期の角川文庫では時代小説を除いた高木彬光作品の多くを網羅できていた。本書も刊行は昭和六十二年と比較的新しく、それでいて昭和二十年代後半、三十年代初期に発表された短編が集められているわけで、かなり重箱の隅を突いたのではないかと想像する。表題作は、さすがに単行本の題名になるのが三回目ということもあり、犯罪小説で捜査小説でありながら奇妙な味があるが、一部の作品では読み終わってから「これは一体」と途方に暮れる作品もあったりする。むしろ、そういった高木彬光作品には珍しい、割り切れ無さを含めて愛すべきなのかもしれない。
 何が言いたいのか判らない度合いナンバーワンは、なんといっても『青チンさん』である。刺青というモチーフは、高木氏デビューのきっかけを持ち出すまでもなく、かなりの知識を作者が持っていることは承知のうえで、そのはみ出し知識を使用した……といった感じでもなく、結局は自分勝手な人物と迷惑をかけられた視点人物の物語でしかなく、オチがないのに逆に驚くという作品。
 同系統では、『はったり人生』も題名の通りすぎて何とも。大したことない人間が、口先だけで渡り歩こうとして最後には化けの皮が剥がれて恥ずかしい目に遭うという……。何か教条的な意味合いが掲載誌で読めばあったのかもしれないが、このようなかたちで読んでも微妙なユーモアとペーソスがあるのみ。その意味では『大食の罪』は、起承転結があるものの、意外性があるようなないような、で読み終わって気持ちの持って行きどころの無さで少し困る作品。
 もちろん、(普通はこっちの感想を書くものだが)良い作品は良い。『赤い蝙蝠』は犯罪小説でありながら文学的な馥郁とした香りがあり、『月は七色』は、記述人物の狂気表現がいい。『謎の下宿人』もミステリとしては苦しいながらも、前半後半での展開の差異など読みどころはある。

 ただ、結局はこのようなかたちで一冊にまとめられると、高木彬光という作家の多様性を感じる以外にどうすれば良いのか、という話。いやもう、色んな作品があるのですよ、ということであればそれまでなのだが。彬光作品をあらかた読み尽くしたという上級者向けの作品集といっても、そう間違いないと思う。


09/11/22
津村秀介「能登の密室 金沢発15時54分の死者」(講談社文庫'95)

 津村秀介氏は純文学畑の出身で、当初は事件小説などを発表。'72年、江戸川乱歩賞応募作品を改題し、初の長編『偽りの時間』を発表する。更に十年の沈黙を経て同書を大幅改稿して『影の複合』を発表、精力的に活動を開始する。鮎川哲也氏とも親交のあった津村氏のミステリはアリバイ崩しが中心で、本書は中期以降の代表的シリーズ探偵・ルポライター・浦上伸介が探偵役を務めている。'92年に講談社ノベルスで刊行された作品が文庫化されたもの。

 能登半島・和倉温泉にあるホテルの一室で観光ツアーに参加した横浜の主婦が、青酸化合物を服毒した死体となって発見される。窓の下は断崖でルームキーが室内にある密室状態。警察では状況から自殺に傾いていたが、被害者の夫と不仲だった叔父らが、犯罪である可能性を強く主張していた。被害者の主婦・三林雅江は確かに夫と不仲ではあったが、その父親は多額の遺産を残しており、夫犯人説を唱える雅江の兄弟の方が直接的には利益を得ることができる――。新聞『毎朝日報』のキャップ・谷田が、事件の情報からただの自殺には終わらないと踏んで、ルポライターの浦上伸介のもとに連絡を入れる。浦上の専門はアリバイ崩しではあるが、もし密室の謎が解けた場合の容疑者には横浜にいたという鉄壁といえるアリバイがあるのだ。やがて浦上は、事件が自殺にみせかけられた他殺だと判断。前野美保と共に事件の関係者の足取りを追う。

強い本格指向とリアリズムの狭間。作り込まれたアリバイトリック+リアリズムで極めた密室
 浦上伸介シリーズを読んでみたいと思って漠然と捜していたところ、刊行当時の帯付き古書で「名探偵浦上伸介、初の完全密室に挑戦!」とあった作品をなんとなく買ってみた。ただ、あくまでこの作品に関していうと、密室は微妙、アリバイも微妙という、双方トリックが微妙という結論となる。もちろん浦上シリーズとしてかなり煮詰まった時期の作品にあたると思われるので、また初期作品にはあたるつもりだが。
 先にアリバイについて書くと、ある会社に勤める三人の人物が入れ替わり立ち替わり、スタンドインをするかたちでアリバイが形成されている。トワイライトエクスプレスを利用し、最初と最後が同一人物であり、中間で犯人が抜けるという典型的な列車アリバイトリックに一工夫(さらに後半に有名人を利用した写真トリックが加わる)していること自体は評価しても良いところなのだろうが、やはり個人的には、真犯人以外に共犯者二名というのはどうかと思う。(あくまで現実的にという意味ではなく、本格ミステリを形成する時の意)。
 また、密室トリックはトリックそのものは肩透かし、というか、現代本格ミステリでは創作としてはあり得ない、ある手段が使われている。ただ、こちらに関しては「なぜ、どこに泊まるか判らない巨大旅館で犯人がこの手を使うことが出来たのか」という点がミステリ的には重要。この部分に現実的な解を用意しているところに注目したい。

 作品の冒頭に時刻表や列車の経路図があるなど、いわゆる典型的な時刻表ミステリに類する作品。これはこれで味もニーズもあり、本格ミステリの一流儀であることも確か。あとは読者として好みに合うか合わないかということになろう。ただ、作者が実際に、数多くのアリバイトリックにこだわって挑戦してきたことは事実であり、その業績にはきちんと触れておきたい。


09/11/21
北島行徳「428〜封鎖された渋谷で〜(4)」(講談社BOX'09)

 428、即ち4月28日を騒がした一大事件もクライマックスとエンディングを迎えるというシリーズ四冊目にして最終巻。

 意外な人物の手によって大沢マリアを人質に取られ動揺した加納。絶対に銃を向けられる筈のないその人物に向かって銃口を向けたその時、割って入った影があった。マリアは逃げだし、その影・カナンは人物を確保。加納はカナンからアルファルドとウーア・ウイルスを巡る計画を聞き出し、協同戦線を張ることになる。一方、遠藤亜智は大沢ひとみと共に、CIA・ジャック・スタンリーの車で自宅でもある遠藤電器店に向かった。亜智の父親・大介が敵側の計画に一枚噛んでいることが判ってしまったからだ。そして、大介がそのような行動を取った理由、それが妹の鈴音にあることを亜智も痛いほど理解していた。ウイルスに感染しているマリアを救うには、姉妹の父親・大沢賢治の開発した抗ウイルス剤が必要。しかし厳重に保管された研究所の保管区域に入るには大沢の他、大沢の部下・田中護の持つパスワードも必要だった。カナンには電子解錠の専門家の顔があるといい、彼らに協力を申し出る。大沢賢治自身は、妻がずっと昔から田中護と通じていた、というよりも田中のことをずっと愛し続けており、自分との結婚の方が偽装だったことを知って愕然とするのだが……。

おおよそのネタは出尽くしたと思わせておいてのサプライズ。登場人物の位置調整が見事
 原作がゲームであり、ある程度の一般大衆受けが前提である以上、この最終話で話がまとまるにしても、基本は大団円が前提だと考えるのが普通。現段階でウイルスは渋谷に拡がっておらず、ここから阿鼻叫喚の地獄絵図を開始するのはちょっとページ数的に無理がある。
 ひとみ・マリア誘拐のラインから発生したウーア・ウイルスとその抗ウイルス剤を巡る、テロの総元締め・アルファルドとの争い。そのウイルスを巡る争いとは別レベルで起きていた”杖の男”ほかによる、もう一つの誘拐未遂。次号が出ないと潰れてしまう雑誌『噂の真相』を巡る御法川の独走。劇団・迷天使の面々による舞台の様子。亜智が作り、二代目が引き継いだ渋谷のチーム・KOKの行く末……といったところが四冊目突入段階での「428」が内包する物語であり、最終的にこれらがまとまってゆく。……のだが。四冊目にしてまだサプライズが隠されていたということに驚かされた。 ひとことでいえば、悪の元締め・アルファルドの計画の全貌の深さと悪魔的なやり口に、ということになるが、その本人がこんなところから現れるとは思ってもみなかった。そしてその「思ってもみなかった」を支えるために、登場人物の配置が実に見事に伏線となっていたところは、お見事。 思わず再検証しちゃいまいしたが、全く不自然さなくやり遂げてあります。

 ゲームを未プレイのまま、四冊続けて読みましたが、まずは小説として合格点は越えているかと。単なるノベライズともまた異なる、小説ならではの世界が出来ていると思います。 ただ、一連の出来事に関するリアルタイムの感覚、そこから付随するサスペンス感は恐らくゲームの方が上になるのかなぁとも漠然と想像したりも。難しいところですね。