MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


09/12/08
田中啓文「元禄百妖箱」(講談社'09)

 昨年に刊行された『チュウは忠臣蔵のチュウ』に続く、田中啓文氏による「忠臣蔵」もの、第二弾。奥付は十二月一四日刊行になっており(あくまでなんとなくですが)雑誌発表タイミングと合わせて考えるに、必死で年内刊行に間に合わせたのだろうなあ、と想像される。前半部の四話が『小説現代』誌に二〇〇九年九月号から十二月号までに発表されており、後半二話分が書き下ろし。

 正保元年。天下は太平の美酒に酔っているなか、戦乱を望む一人の侍が毒気を吐き出す忌まわしく醜い岩を打ち砕いた。侍はその場で命を喪ったが、異形の者がその岩から飛び出した――。一方、江戸では四代将軍ながらあまり頭の強くない徳川家綱が齢四十になりながら「びょうびょう」に怯えて布団を被っていた。医者の手当て虚しく家綱は死亡。大老・酒井忠清をはじめとする重臣の狙いとは別に老中の堀田正俊は、綱吉を強く推し、将軍は綱吉となった。しかし、綱吉の生母・桂昌院こそが、その岩から飛び出した魔の一族。綱吉と側用人・柳沢保明はその眷属。綱吉は、出世欲の強い僧侶・隆光を巻き込み、生類憐れみの令を発布、人心を苦しみのうちに叩き込む。一方、京の伏見稲荷の神官・羽倉斎らは桂昌院の正体を既に看破、国を護るため様々な刺客を江戸に送り込む。朝廷の重臣を真似て送り込まれた使者の怪しい様子に気付いた吉良上野介は殿中で抜刀、それを見咎めた浅野内匠頭が上野介を止めようとするが、刃物を取り上げたはずの内匠頭が罪に問われてしまう。
『狗公方』『勅使凶応』『内蔵助奇病』『浪士彷徨』『討入異聞』『終章』と章題が分かれているが実質は長編。

またまた忠臣蔵の新解釈(?)。正統派・歴史伝奇物語と忠臣蔵関連史実との相性、なかなか良好
 『チュウは忠臣蔵のチュウ』を読んだ時には、松の廊下での刃傷沙汰について「ああなるほど、そんな解釈も(めちゃくちゃだけど)ありですか」といった印象を受けた。しかし、約一年後にまた忠臣蔵の話、しかもまた松の廊下での出来事に関しての別解釈が読めるとは。
 今回の田中啓文・忠臣蔵は、エンターテインメント・ジャポネスクとして長い伝統を持つ、歴史伝奇物語がベース。 忠臣蔵の原因というよりも、その時期に裏側から日本を支配していた「何者」かが存在しているという設定を敷いたうえから、忠臣蔵の物語(筋書きとしては一般的なもの)を構成している。但し、人物像はかなり変化が加えられていて、浅野内匠頭や、大石内蔵助、堀部安兵衛といった面々については、一般的に知られた講談ベースというよりも、歴史的に「実は……」と紹介されている、真実っぽい人物像が使われている。特に内蔵助は、昼行灯どころか、徹底した快楽第一主義者とされており、その存在が本作では際だっている。その自己中心主義者が討ち入りに赴かざるを得なくなる理由のバカっぷりもまた強烈
 一方で、徳川幕府側に巣くった悪の根源を倒そうとする勢力があるのはとにかく、なにかその存在が唐突に過ぎる印象がある。(伝奇物語の正義の味方なんていうのは基本的につまらない存在だったりするのだけれど)。吉良上野介がそのキラーアプリケーションを所有しているという展開は物語上必然なのだが、伝奇としてのクライマックス部のインパクトは若干寂しい。(駄洒落抜きであることが関係あるかはとにかく)。
 ただ、昭和期に刊行されてきた伝奇歴史物語に忠臣蔵ものがあったのかは寡聞にして知らないが、平成に生み出された新たな歴史伝奇で敢えて忠臣蔵に挑戦したという点だけでも評価されるべきだろう。(なんで? といわれると答えに困るけど)。

 ただし――ある程度、「忠臣蔵」の筋書きが頭に入っている人向け、ということになりそうだ。(そして残念ながら、かつての文芸ファンにとってはとにかく、若年層にはその筋書きすら求められまい)。単なる歴史伝奇としても一定のレベルにあるが、やはり「忠臣蔵」がベースにあってこそ。年末に突貫刊行、帯には忠臣蔵が強調されているものの、本来は文庫で時代小説愛好者に売れる作品とみる。もちろん、講談等である程度は忠臣蔵に親しまれているといった方は必読ですよ。伝奇と忠臣蔵の相性を楽しみましょう。


09/12/07
霧舎 巧「十一月は天使が舞い降りた見立て殺人」(講談社ノベルス'09)

 私立霧舎学園シリーズ・八冊目。『十二月は聖なる夜の予告殺人』との同時発売となっている。前作『十月は二人三脚の消去法推理』が2007年の作品なので、また二年ぶりということになる。(このお話しは1998年度なのですよね)。

 十一月。文化祭開催を控えて生徒達が慌ただしく活動する私立霧舎学園。噴水横にあるベンチで昼休みにお弁当を食べていた、二年の羽月琴葉と八重樫皐月のもとに教室と食堂以外の場所での食事禁止を言い立てに、三年生の優等生・中込椎奈が注意にやって来た。指導に従い立ち上がった琴葉、そしておにぎりを地面に落として追いかけた皐月……二人の座っていたベンチに巨大な切り株状の物体が落下してきた。正体は文化祭にて餅つきや劇に使用される「臼」。万一直撃していたら大事故になるところだった。犯人として三年生の力持ち・坂下のの子が疑われるが、のの子自身は先月の事件で入院中の頭木保のお見舞いに忙しい。琴葉と小日向棚彦は、文化祭実行委員長・副委員長のコンビとして臼落下事件の仕掛け人を探りだそうとするが、いつもの事件と異なり、脇野啓二郎、富田林力ら教諭陣の対応がおかしいことに気付く。また、中込椎奈の父親が経営する医院に転院することになった頭木は、その椎奈から天使に関する相談を受ける。

ラブコメと大いなる伏線が大忙しの一方、見立て連発も得心するには凝りすぎ?
 ミステリとしての要素のみを取り出すと、薄めのノベルスのなかで相当に凝ったことをしている。 題名で予告している通り、テーマは予告殺人であるのだが、その予告殺人(以下ネタバレ伏せ字)を二つの勢力が互いに自分の予告テーマに持ち込もうとする一方(この部分は解明を聞くまで意味が分からなかったが)、別のかたちのトリックとして事務長や警備員といったところに大胆な叙述トリックを咬まして(しかも、二つに分岐した物語中で、双方が反対側の人物の性別を誤解するようになっているという離れ業!)あるのも特徴。
 挟み込み、綴じ込みの手掛かりにしても、普通の意味での謎解きに寄与させず、別の意味合いを付加させるやり方自体がかなり大胆だ。徳にミステリを解き明かすヒントとなる学園内部の校舎等の配置については、綴じ込みで付録されている「文化祭パンフレット」にて確認できるうえ、この文化祭パンフレット自体の印刷・配布タイミングなども本編のミステリに関係している。よくよく見ると四カット掲載されている天使と悪魔を形取った女性のイラストにも微妙に秘密がある。改めて見直すと巧さが判る「おまけ」かと思った。
 ラブコメ要素については、まあ、なんというか。奇を余り衒っておらず旧き良きストレートなラブコメディになっているので、安心して読み進められる。そのなかで、今回使われている、遠大な伏線を使った人物の意思表明は凄いなあ、と素直に感心する。(何年前の仕込みになるのでしょう?)

 個人的に情けないことだが、本シリーズは四月を読んだあと、五月〜八月となんか縁遠くなって読めていない。(つまりは二学期デビューってことだ)。なので、本作で一つ、上記の「遠大な伏線の回答」が示されているにもかかわらず、驚く資格がないのだよなあ。なんか勿体ないことしてしまった気がする。(いずれ遡る必要があると思ってますが)。


09/12/06
石崎幸二「≠(ノットイコール)の殺人」(講談社ノベルス'09)

2000年『日曜日の沈黙』で第18回メフィスト賞受賞後、 同賞受賞作品から継続する<ミリア&ユリシリーズ>を刊行、一時期休憩(?)期間があり、ファンを落胆させていたものの『復讐者の棺』にて華麗に復活。本書はシリーズ六作目となる書き下ろし作品。

 『袋綴じ事件』で登場したミリアとユリと同学年の仁美。彼女の親が経営する会社の取引先・ヒラモリ電器の社長夫人に、ミステリィ研の顧問として石崎の名前が知られた。その次期社長平森英一は石崎の学生時代の友人、社長夫人もまたその頃の知り合い。そんな縁で、沖縄本島近くにあるその企業の研修所兼、次期社長の住居で開催されるクリスマスパーティに、石崎、ミリア、ユリ、仁美の四人で招待されることになった。その島、水波照島にあるヒラモリ電器の保養所には、体調を崩している平森と、由香里夫人、平森の双子の妹である美雪と美冬、看護士の沢田と、使用人の青木夫妻らがおり、パーティにはヒラモリ電器の会社宣伝の関係でプロ野球選手の井沢と、元アイドルで現在は俳優の仲田らがいた。石崎らが現地入りしたパーティの前日、天候が荒れはじめた夜中に、井沢が殺された。双子用に部屋に二つずつあった備品の一部が持ち出され、井沢の遺体は死亡後に身体の左半分を中心に手首が切り落とされるなど損壊されていた。外部犯行も考えられるなか、ある理由で近くにいた女性刑事・斉藤瞳も合流、しかし、意外な人物が犯行を告白して自殺してしまう……。

神様。少しくらい”石崎幸二(作中)”をシアワセにしてあげてください。
 このシリーズ、どんどん良くなってきている。のだが、不満がひとつある。というのも、このシリーズ名が不定なのだ。便宜的に〈ミリア&ユリシリーズ〉と上記したが、探偵役は彼女二人だけではなく、事実上、作者と同名の彼女たちの保護者兼いじられ役の”石崎幸二”の三人の合議制で推理が行われている。石崎幸二(作者)の石崎幸二(名探偵)シリーズとは普通呼ばないだろうし、〈石崎、ミリア&ユリシリーズ〉は長すぎるうえに、名字+名前でアンバランス。いっそのこと、題名に統一性があれば、クイーンの国名シリーズみたいなことになったかもしれないのですが、題名もバラバラだし。そもそもこの御園ミリアと相川ユリというキャラクタ、互換可能なんですよ。というか、双子みたいなもので、どっちがどっちの発言や行動であっても、大勢に影響がありません。前作から登場する仁美には探偵助手をはじめ、個性が付加されているというのに。

 さて、閑話休題。本作もまたやってくれました。石崎のM的な受けっぷりにどんどん磨きがかかり、御薗ミリアと相川ユリのツッコミ、さらには本作で探偵助手扱いされてしまう深月仁美のボケとツッコミ両方が冴え渡る。事件に至るまでの彼らの会話を読んでいると、どこか安心してしまう自分に気付いてしまう。
 とまあ、繰り返しになるが、石崎+彼女らのやり取りを経て舞台はお約束の「嵐の孤島」のバリエーションへ。 当たり前のように猟奇的な事件が発生するが、ある意味主要登場人物はプロテクトされているのでサスペンス感は薄い。また、出来るだけ公平に育てられている美人双子姉妹であるとか、大企業の一族が辺鄙な孤島に住み着いていることとか、微妙に現実感がない。ないのだが、これはこれで良い。何しろ……〈石崎、ミリア&ユリシリーズ〉だから。むしろフィルターを通したあとに残された要素は全て純粋推理の対象となる要件なのだ。
 左半身がぼろぼろにされたスポーツ選手の死体。何もかもがそっくりの一卵性双生児姉妹。更には死体の爪に残った肉片と髪の毛から採取されたDNA調査の結果は……。本格ミステリとしての要件は満たしているし、蓋然性の高い推論+最終的には犯人を自白に追い込んでいるので「真相」ということになる。ただ、提示された解答は「こうすれば説明がつく」というタイプで論理パズルの結果、証拠によって絞り込まれた(過程ではパズラーとしての努力はある)ものではないところが若干割引になるか。とはいえ『首鳴き鬼の島』もそうだったが、DNAという鬼っ子を、相性の悪い本格ミステリにユニークに組み込む才は見事かと。

 これも本編とは直接は関係ないが、昨今の出版界の状況を考えると余程の人気シリーズでなければ、以前の作品を本屋に維持したまま、シリーズを出し続けることは困難になっているように思う。つまりは、本書にしても初刊行が九年前のノベルズを取り上げて(頑張れば入手できるにせよ)「シリーズ最初から読むのが吉」などとは言いにくいのだよなあ。
 本書はこの作品から読みはじめるのでも大丈夫。なぜなら、その石崎とミリア、ユリの絡みについてはあまり以前作を最低限しか引きずっていないから。


09/12/05
陳 舜臣「神獣の爪」(中公文庫'96)

 あとがきによると、単行本の初刊当時(1992年)段階で、単行本未収録となっていたミステリ関係の短編を集めたもの。とはいっても物理トリックの本格はあるわ、初期ミステリで名探偵を務めた・陶天文が登場する作品が二作もあるわで、なんかすごく得をした気分なのですが。

刑事の西脇が住む家の隣人・王仁銘。彼は子ども時代に中国から日本に来たが孤児の彼を中国の古墳盗掘団の親方が養っていたという。西脇も考古学をかつて専攻しており両家は親しかった。その王の妻の浮気相手と思しき人物が殺害された。夫婦のアリバイは西脇が保証できた。しかし、王に相手の人物を殺害する強力な動機があることが浮かび上がる。 『神獣の爪』
 一身上の理由で会社を退職した古賀は、探偵の真似事を依頼される。知人の軍隊時代の上官の娘。家出している彼女を連れ戻して欲しいのだという。しかし、その上官というのが我が儘で自己中心的な男だった。 『まわれ独楽』
 港湾で荷役作業に従事する塩崎。外国人船員からひょんなことからオールヌードが掲載された週刊誌を入手して以来、家捜しを受けるなど身の回りで変事が続けて発生するようになる。 『割符』
 アマチュア歴史研究家の平賀は、香港で取引先の丁延才に歴史の講義を受けることに。彼から米国から来た画家・田玄伯を紹介される。しかし、その田は、モデルの絵を描いている最中、丁から借りたアトリエ内で何者かの銃撃を受けて死亡してしまう。 『描きのこした絵』
 六十を過ぎ「桃源亭」にも顔を見せなくなった陶展文。彼の同窓生・浦戸が中国に関係しているということで、戦時中に彼の兄が関係した事件書類を預かった。戦時中に台湾から来た少年が暴力的な男に殴り殺された事件に関する書類だった。 『軌跡は消えず』
 旧友の息子夫婦と共に長崎を旅行することになった陶展文。そのポール夫妻は、大航海時代を研究しているといい、ポルトガル船で日本に鉄砲をもたらした王直に関する史蹟を巡りたいという。 『王直の財宝』 以上六編。

中国と日本との微妙な空気であるとか。いわゆる小説の巧さがミステリを引き立てる。熟練ならではの味
 完全にプラスαだよなあ、と思う。ご自身の経歴や、実際に中国を舞台にした諸作を広く発表してきたという経歴が生み出す小説といっても過言じゃないと思う。人間心理が鋭く描かれている一方で、どこかおおらかな人間観が同居しているようで、現代を舞台にした一般小説であっても、どこかオリエンタルで陳舜臣らしいとしか言い様のない作品になっているのだ。
 一方で、例えば『神獣の爪』では、そういったおおらかさの裏側で、どす黒い日本の裏歴史や長年にわたっても変化のない人間心理内部の怨みなどを丁寧に描きしているものだから(うーん、矛盾してる?)、余計に強い印象が残るし、『描きのこした絵』では、これまたどこかおおらかに思えるような人間入れ替えのトリックがある一方で、仕掛けられているのが二度繰り返される、執拗な物理トリックというアンバランスさが魅力となっている。特に、この作品で銃の引き金を何が引くのか、というところは個人的には喜んでしまった。しかも、これはちゃんとヒントとして前半に伏線があるし!
 ほか、陶展文の二作品は、展文も相応に年齢を重ねた後の時代という設定。従って、扱う謎の種類が変化しているところが逆に心地よく、ちょっと蘊蓄と人工性とが強い『王直の財宝』といった、肩すかしもののオチであっても、これはこれで許せるという感じ。つまりはやはり、おおらかな気分になっているということになるのかな。(新人クラスで同じネタをやられたとすると殺意を抱くと思うし)。

 とはいっても、陳舜臣の初心者がいきなり本書ということだけは感心しません。陳舜臣の推理小説であっても、場合によっては歴史小説でも構わないので、「陳舜臣という作家の印象」をある程度はきちんと持っている人向けの作品。 つまりは、そういった人々の持つ印象の延長線上にある作品集ということになるような気がするのです。


09/12/04
山村正夫「湯殿山麓呪い村(上下)」(角川文庫'84)

 『語るなかれ、聞くなかれ』という映画のキャッチコピーがなんとなく思い出される作品。推理作家協会関連や評論、さらには篠田節子や宮部みゆきらの師匠としても大きな業績のある山村正夫氏の、小説としての最大のヒット作が、第7回角川小説賞を受賞し映画も大きなヒットとなった本作だといえるだろう。

 長い修行と断食の末に地中に自ら入り、生きながら仏となる即身仏。山形県の湯殿山麓にある大師村では、調査の結果、未公開の即身仏・幽海上人がいることが発覚。しかし、その表情は苦悶に歪んだものであった。その大師村出身の食品メーカー社長・淡路剛造の娘・慶子と婚約している成田の元に、奇怪な電話が入る。百八十年ぶりにこの世に復活した幽海上人を名乗る人物からの脅迫電話だった。また、淡路の元にも何者からかの脅迫状が届いている様子。更に白装束の遍路姿の人物が目撃され、その遍路が姿が消えたとしか思えない状況が発生した。大師村の道海尚と、その息子の信也が淡路家に滞在しているさなか、入浴中の剛造が頭を殴られて死亡する事件が発生。しかし浴室には小窓程度しか隙間はなく密室状態。さらに淡路家の庭から干からびたミイラの指が発見される。成田の友人で巨漢のクイズ王・滝廉太郎が謎に挑む。

強烈な伝奇指向と、強い本格ミステリへの意欲。惜しむらくはその連環に使う鎖の弱さ
 改めて読んでみると、本格ミステリとして、伝奇物語として、個別のガジェットとしては魅力的なピースが多いのに、その連結部分に弱さがあって、しかもそれらの繋がりもまた弱い。例えば、本人は望まないのに無理矢理に土中に閉じこめられることによって無理矢理に即身仏にさせられてしまう罪人。そのミイラが生き返ったのではないかと思わせるような謎めいたお遍路ら、不気味なイメージを持つ何者かが多数登場する。
 一方では、そのお遍路が行き止まりの道路にて急に消え失せたり、出入り口がほとんどない風呂場が現場となる密室での殺人事件があるなど、本格ミステリとしても上々の展開が繰り広げられる。そちらも謎の提示方法など決して悪くない。ただ、いずれもミステリとしての真相は超有名な前例のバリエーションなど、多少日本の(発表当時)の状況を上乗せした程度のもので大きなサプライズは無い。また、そのトリックを持ち込むにしては犯人の動機が弱すぎるし、どこか二律背反の罠に陥っているようにみえるのだ。(つまり、本来、純粋無垢なはずの子供たちが凶悪犯罪の犯人であるというサプライズが想定される一方で、本書の場合は刑法まで計算して子供同士がトラウマになるのも構わず交換殺人を実行したという周到さがミソ。では、その周到な子供が犯罪を犯したにしては、動機がロマンチックに過ぎないか、というあたりでなんかバランスが悪いのだ)。
 ただ、前提となる伝奇部分が「映画になった」という視覚的効果については、よく理解できる――というか、映像にすることで見栄えがするだろうなあ、と思わせる場面が多数ある。同じ意味で、本質的な部分ではなく映像映えするトリックでもあるのだ。また、映像にすることで上記示したような物語上の弱点が、補完されないまでも分かりにくくなるという効果はあったようにも思う。

 伝奇と本格の融合という試み自体は、当然評価できるものの、冷静に判断するとその繋がりが弱いところはやはり弱点。横溝正史を意識していることはありありと理解できる一方、本家を越えるようなアピールポイントを打ち出し切れていない憾みがある。 この路線でもっとばかばか執筆を進めていれば、今現在の山村正夫という作家の評価軸が変化していた可能性もあったのではないだろうか。(他にもあるはずなので読み切れていない現段階で断言はできないけれども)。


09/12/03
汀こるもの「リッターあたりの致死率は THANATOS」(講談社ノベルス'09)

  THANATOSシリーズが軌道に乗った感のある、汀こるもの氏。『パラダイス・クローズド』から一貫して続く、死神体質の少年・立花美樹と、双子の真樹がもたらすお魚どたばたミステリシリーズの第三弾。本書は、メフィスト賞に投ずるも受賞ならなかった『1リットルの戦場』という作品がベースなのだという。

 大物政治家を父に持ちながら、その親からもほとんど顧みられない立花美樹・真樹の双子兄弟。二人とも顔立ちは美少年ながら、美樹は「死神体質」、即ち彼ら自身は無事ながら、事故や殺人、病気等々によって周囲にいる人が様々なかたちで死亡してしまうという体質を持つ。さらに病的オタク的に魚マニアでもある。その美樹をフォローする比較的普通の神経を持つ真樹、そして警視庁から特命で彼らの「お守り」を命ぜられている高槻は相変わらず苦労性。そんな美樹が、同じレベルで魚マニアという変人・長身女性、憧れの・浅岡彼方を誘っての観賞魚見本市に出掛ける。様々な魚に興奮する美樹を心配しながら見守る高槻と真樹。そして案の定というか予定通り、会場を訪れていた美樹と顔見知りのヤクザが毒を飲んで死亡。続いてその混乱のさなかに美樹が何者かに誘拐されてしまう。要求された身代金は五億円。高槻と真樹、そして高槻の上司の湊は捜査本部にて犯人の連絡を待つが事件の本命は、政治家である二人の父親であることに気付いていた。一方、誘拐された美樹は倉庫のような場所に監禁され、シド、タク、クリアと名乗る三人の少年少女に監視されていたが、美樹は会場から持ち出された一匹の熱帯魚を自分の身そっちのけで世話を始める。

いやー、悪魔というか、徹底した利己主義というか。人間の皮を被った生存本能の発露
 シリーズ順で読んでいないのであまり偉そうなことは言えない。ただ ほかには一作目しか読んでいない小生でも、この立花美樹と真樹の兄弟が本質的には他人を信用せず、自分たちが生き残るにはどうすれば良いかを常々計算していることは理解している。そういった点を踏まえての誘拐事件発生後のやり取りと、その裏側で双子が計算していた解決への道行きというのが、非常にスリリング。本書最大のポイントはその点にあるといっても過言ではない。誘拐された人間が、誘拐した人間に懐いてしまう「ストックホルム症候群」――を、恐らくは大抵の読者が知っているであろうことを「前提」としての、鬼のような操りテーマ。
 自分の肉を捧げて殴らせ、傷つけさせておきながら、最終的に敵の骨を断つ。そのあいだの蘊蓄でるとか自分語りであるとかが、結果的に人の心をつかむための操り糸になっている(ことに後で気付く)衝撃はなかなかのもの。偶然こうなった、ということでなく、意思疎通も満足にできない筈の双子の以心伝心の活躍によって、事件が彼らにとってベストの(犯人にとっては地獄のような)解決が出現する。
 最初は、捜査本部にいる側の真樹の暴走が目に付く(ここはここで、未成年者が実行者となる犯罪に対抗する術ではあるよな、と納得したのだが)が、実は美樹がさらに上を行く仕掛けをしていたという結末。恐ろし。
 魚の蘊蓄は、それはそれで面白いと思う。本作でいえば雄雌に関するあたりは興味深かった。ただやはり、本質的にはミステリ読みなので、上記の誘拐を巡る駆け引きが最も印象に残った。この過程で、毒入り・魚入りボトルを巡る駆け引きがあるのだけれど、そちらは理解はしたけれど分かりにくい。これだけの誘拐テーマのなかで必要だったのか(もう少しシンプルな代替方法があったのでは)という点は少しだけ疑問。

 読み終わってからシリーズ中抜きをしてしまったことを少しだけ後悔。かなり特殊なかたちのミステリ、かつ本格ミステリの外縁部にあるような作品群ながら、奇妙な魅力があることは確か。ただ、別にキャラクタに感情移入しない身としても魅力を感じるのは、本格スピリットが歪んだかたちであっても発現されているということになるのだろうか。


09/12/02
宮ノ川顕「化身」(角川書店'09)

 宮ノ川氏は1962年福島県生まれ。日本大学卒業後、会社員を経て自営業。本書がデビュー作品で、第16回日本ホラー小説大賞の大賞受賞作品。『ヤゴ』を改題した表題作に、書き下ろしで二作品が加えられた中編集となる。

 会社生活に嫌気がさして衝動的に南方のリゾート地にやって来た男が主人公。突如思いついてカブトムシを探して密林のなかに分け入ったはいいが、奥深くに入り込んでしまい道に迷う。そして突然、池に落ち込んでしまう。この池は深いところに水が溜まっており、その周囲はつるつるで手掛かりになるものが何もなく、池の外に出ることができない。中心部に島があり、水から出ることができるものの誰にも行く先を告げずに出てきた男を捜索して貰えるはずもない。幸い飲み水は大量にあり、男は次に空腹を満たす方法について考え始める。 『化身』
 街外れにある池に巨大な雷魚がいる。少年は夏のあいだ、その雷魚をルアーで釣ろうと通うが、その池のほとりで美しい女性と出会う。折しも、少年の周囲では口裂け女の噂が拡がっており、その女性を目撃した別の少年が、彼女は口裂け女ではないかと言い出す。 『雷魚』
 フリーデザイナーとしてデザイン会社から注文を受けて、一日中働いてようやくかつかつの生活している夫婦。高校生になる娘が珍しく、鳥を飼いたいと自己主張。なし崩しに家に白いインコがやって来た。「ハッピー」という名前のついたインコは、よく言葉を覚え、気付くと家族の一員として無くてはならない存在になる。 『幸せという名のインコ』 以上三編。

色彩感覚、空間創造の感覚、そして時間の経過に至るまでセンスの結晶ともいえる圧倒的な表題作。
 表題作を読んで最初に思ったのは、伊藤人譽『人譽幻談 幻の猫』に収録されている「穴の底」という短編。こちらも、登山中に穴の中に落ち込んで(底は池ではないが)出られない人物の物語である。但し、似ているのはテーマのみ。同作は不条理な絶望を描いていたが、本作『化身』は、主題が異なる。むしろ作品自体に目的はなく、不自由にして閉じられた生態空間と、そこのなかに王として君臨する人間(人間だったもの)について淡々と美しく描くこと、それ自体が目的のように思われる。
 そして南国独特の謎めいた空間に、神話の世界を思わせる水による空間。主人公以外の人間を登場させず、気付くと時の流れすら作者がコントロールしているという妙味。途中の猿との交流に、大蛇との闘いに至るまで計算されつくした、そして不可思議な展開。変態していく人間も奇妙だが、この美しい状況・自然環境を淡々と、そして読者にも印象深く描ききったこと自体を褒め称えたい作品だ。
 一方で『雷魚』『幸せという名のインコ』の二作を読むと「もしかすると受賞作はフロックだったのでは」という恐ろしい疑念も湧く。『雷魚』は、ノスタルジック・ゴースト・ストーリーを和のテイストでまとめるという、ホラー大賞出身の先輩作家数名が得意にしている分野の作品。だが、残念なことに全体としての設定や登場人物配置といったところに独自性は少なく「どこかで読んだ話」になってしまっている。また、『幸せという名のインコ』は、英国風怪談を現代和風に置き換えている印象。父親が狂気じみてくる描写は悪くなく、オチの後味の悪さもいい。だが、こちらもオリジナリティがばりばり高いかというと、やはり先例のバリエーションということになってしまうように思う。ここ何年かのホラー小説大賞短編賞作家の、受賞作以外の書下ろし作品(『』とか『トンコ』とか)にも、凄まじい傑作が多かったことで余計にそう感じてしまうのかもしれないが。

 本作、つまりは表題作のセンスが素晴らしいことは否定しない、というか凄い作品だと素直に思う。ただ、書いた通り、単行本としては「あれっ?」と思ってしまったことも事実。なので、次作がどんな作品となるのか。悪い方の疑問を吹き飛ばしてくれるような清新な(?)ホラー譚を期待しています。
b 
09/12/01
荻原 浩「オイアウエ漂流記」(新潮社'09)

 『週刊新潮』誌に二〇〇六年九月二一日号から〇七年七月五日号にかけて連載されていた長編作品に、大幅に加筆修正して単行本化したもの。

 トンガからラウラ諸島共和国へと飛び立ったオンボロのプロペラ旅客機。搭乗していた乗客は一人を除いて日本人で、最大集団は新たなリゾート開発のために訪れた株式会社パラダイス土地開発の一行。部長・課長・主任(女性)、そして塚本の四名。さらに彼らの得意先の御曹司・野々村。ハネムーンに訪れた新婚夫婦に、戦時中ガダルカナルに居たという八十代の老人とその孫。ただ一人の外国人は、白人の巨漢で身体に多くの刺青をしている謎めいた男。彼らの飛行機は嵐に突入し、プロペラが停止。なぜか副操縦士席に大きな犬を連れた巨漢操縦士(口癖は「オイアウエ」)が、海上への不時着を決行する。なんとか成功し、飛行機付属のゴムボートに乗客は移動したものの、愛犬を助けに戻った操縦士は沈む飛行機と運命を共にしてしまう。残り全員を乗せたゴムボートは嵐に翻弄されながらもやがて小さな島に漂着。無責任にすぐ救助が来るはずだと脳天気な人々を尻目に周囲を確認しに行った塚本は、島が小さな無人島であり、位置的に救助隊がこの島を訪れる確率が極端に低いことに気付く。案の定、すぐに彼らのサバイバル生活が開始されることになった。

サバイバル小説というほど厳しくなく、むしろ小さな発見や冒険を楽しむ「楽園小説」かな
 南の島にたどり着いた、十人と一匹によるサバイバル。救命ボートは流され、携帯食料もほとんどなく、少なくとも最初の段階は会社社会の人間関係をそのまま島に持ち込む人々がいるなど、ぎすぎすした雰囲気でスタート。食事はすぐに無くなり、魚や貝を捕り、焚き火で暖を取り、木の実を採り、湧き水を啜る。僅かに持ち込まれた文明の利器は少しずつ喪われていく一方で、何もないところで火をおこしたり、刃物を自作したりといったスキルを皆が徐々に身に付けてゆく。古からある、無人島への漂流記そのままの生活があるといえば良いか。
 ただ一方で、この島には猛獣も先住民族もおらず、従って身の危険は基本的になく、食料も(選り好みしなければ)豊富に存在するので騙し合いもなく、作品中では疫病もひどい事故もなく。つまりは登場人物は深刻なサバイバルというほど厳しい状態にない。 救助が来ないことで頭がおかしくなる人間も登場しないし、多少落ち込んでも基本的に全員前向きに、島で生活していこうとしている。(なので、「サバイバル小説」と本書を呼ぶことには抵抗がある……というか、サバイバル小説じゃないでしょ、これ)。
 ユーモア混じりに作者が描くのは、文明という鎧に囲まれた人間たちをハダカにして、こういった状況下で晒される個人のちっぽけな尊厳への傷だとか、欲望だとか、食い物の怨みだとか、そういうこと。例えば、肉というものはスーパーで精肉として売っているのではなく、動物を殺しているという事実や、快適なリゾートライフなんていうのも文明の庇護があってこそ、という事実など、嫌みにならない程度に物語の合間に滑り込ましてある。
 もう、物語は最後の最後、ぎりぎりまで島の生活が描写され、「あれれ」と思うと、ラスト一ページである方法で解決がなされてしまう。サバイバル小説の終わりだとすると、その生き残って文明へ帰還するところまでが結末なのだろうが、これは(小生感覚では)楽園小説。楽園の終わりなど、本当は作者は書きたくなかったから、のような気がする。

 ページ数は多いものの、さくさく読める。登場人物も個性的でテンポも良い。その意味では誰が読んでも、あるレベルまでは楽しめるというタイプの純粋エンターテインメント小説ということになるのでしょう。ちなみに本書を持ち込んで無人島で生活しようとしても、心の支えにこそなっても、実用的な意味はほとんどないものとお思いください。