MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


10/01/10
有川 浩「阪急電車」(幻冬舎'08)

 『図書館戦争』シリーズが人気となった、ラブコメ+軍事オタク(?)作家・有川浩さん。彼女が住む某私鉄某線沿線を舞台にした群像小説が本書。幻冬舎の小雑誌『パピルス』十一号から十六号に掲載された短編に折り返し分を加えて刊行されたのだという。

 阪急電鉄は、大阪を起点に三宮までの神戸線、宝塚に向かう宝塚線、京都河原町を終点とする京都線の三線がメインとなり、その途中の各駅からいくつかの支線が出ている。そのなかでも西宮北口を起点とし(宝塚が起点か?)、宝塚に至る(西宮北口に至る?)今津線の各駅(宝塚、宝塚南口、逆瀬川、小林、仁川、甲東園、門戸厄神、西宮北口)の往路に乗車した人々、そしてそれから半年の後に西宮北口発の復路に乗車した、往路で乗車していた人々のその後が、連作短編・群像小説風に描かれる。ちなみに、大昔の今津線は西宮北口駅で天下御免の平面立体交差を神戸本線と交わし、阪神国道、そして阪神と阪急が共用する唯一の今津駅へと至っていた。現在は西宮北口−今津間も(物語にある通り)電車が走行していて、阪急沿線者が甲子園球場に乗り込む時などに役立っている。あ、と。登場するのは図書館が好きな会社員・征志と、図書館でよく見かける女性、後輩に婚約者を出来婚で取られて復讐に燃える遣り手OL・翔子、犬を飼いたいおばあちゃん・時江、若いカップル・ミサとカツヤ、女子高生の悦子、そして大学生になり立ての美帆と圭一。はてさて、彼らは電車内でどんな会話を交わし、どんな出会いをするのか。はじまりはじまり。

見知った世界が小説になる幸せ(個人的)。ベタ甘ラブコメちょい苦世間。ゆけゆけ正しき阪急民!
 とまあ、梗概を書いている段階で軽い躁状態になってしまったので冷静に内容を。片道でいうと三十分かからないくらいの始発駅から終着駅に向け、おおよそ一駅ごとに登場する人間たちの視点から物語を綴ってゆく。それぞれは人生においてかなり重要な出会いや別れ、さらには「気付き」といった経験をするにもかかわらず、簡潔にしかもポイントを絞って演出される物語がぐさぐさ読者の胸に突き刺さる。 しかも、電車+せいぜい駅のプラットフォームや階段くらいしか場面を使わないという技巧。会話のなかに様々な他の区域やスポットの名前は登場する一方、登場人物たちは限られた空間内に閉じられている。
 また、視点人物だった登場人物が、駅が変わる(つまりは次の短編に突入する)と、別の人物に観察される立場として再登場するところもユニークだ。ユニークといえば、一旦終着駅についた電車が、再び始発駅に折り返してくるのだが、そのあいだに「半年」時間を置いている点もさりげなくすごい。 往路の登場人物たちの「その後」がさりげなく描かれ、基本的にハッピーの彼らの生き様は同時に読者をも安心させてくれるのだ。
 カップルについては、ベタ甘。純心うぶなカップルを相互に赤面させつつ、作者の妄想と共に少しずつ前に進めてゆくのが本当に好きなんでしょうね。また、一方で他人に迷惑をかけるような人々に対しては容赦がない。自分の心に悖るなりしか。その気持ちさえ持っていれば大丈夫なんでしょうが。

 微妙と呼ばわれる地に住む阪急民としては微妙に複雑に思う気持ちもありますが、それ以上に知る地域が小説になっているという楽しさが上。固有名詞を伴わない店やスポット、学校も大抵どこを指しているのか判るし、駅の構造や周辺地域の描写もそのまま。関西人がこういう楽しみ方ができる全国区の作品というのは実は稀少なのです。


10/01/09
宮部みゆき「かまいたち」(講談社青い鳥文庫'07)

 再読。宮部みゆきさんにとって、刊行当時で『本所深川ふしぎ草紙』に続いて、二冊目に相当する時代小説短編集。当時はノンシリーズ扱いであったが、後半二編に登場する「お初」は、そのまま『霊験お初捕物控』に続いてゆく。講談社青い鳥文庫では、本書をはじめ、初期の宮部作品をジュヴナイルとして再刊している。基本的にはオリジナルの文庫版(本書の場合は新潮文庫版)の難しい言葉にルビと説明を付け加え、イラスト(本書の場合は小鷹ナヲさん)を入れて出しているようだ。

 江戸時代、徳川吉宗により、大岡越前守が南町奉行に着任した頃。「かまいたち」と名付けられた謎の辻斬りが市中を騒がせていた。その正体は知れず、しかしかなり剣の達人と思われた。そんななか、年頃の娘・おようは、貧乏医者である父親・玄庵の往診帰りを待ちわび、思いあまって迎えに出てしまう。その途中で「かまいたち」と思われる人物と行き会ってしまう。自身は何故か無事で、事件を自身番に届けたものの、町方が現場に駆け付ける頃にはなぜか死体が消え失せてしまっている。 『かまいたち』
 師走になると必ず千住上宿の「梅屋」やって来る泊まり客・小間物屋の常二郎は、毎年泊まり賃を来年の干支の置物で支払ってきた。来年は巳年だが、その常二郎の様子が少しおかしい。 『師走の客』
 一膳飯屋「姉妹屋」を兄嫁とともに切り盛りするお初。その兄は通町の六蔵という目明かしだ。そのお初、通りがかった人の袖が滴るような血で濡れていることに気付く。声を掛けるがお初以外の誰にもそんな血は見えないという。 『迷い鳩』
 同心・内藤新之介が、道具屋から手に入れた脇差しは曰く付きの「騒ぐ刀」だった。六蔵が預かり、霊験を持つお初が見分したところ、「おおおお」と声が聞こえた。お初は「虎が暴れている」といっているという。 『騒ぐ刀』 以上四編。

捕物帳、ユーモア人情譚、そして幻想時代劇。どれにも均等に力が入り巧さが漲っている
 初期作品だというのに、本当っに構成・設定、そして小説が上手い。
 表題作の『かまいたち』にしてからがそう。貧乏町医者とその娘、長屋の向かいに越してきた若い男……といったところ、市井の雰囲気を出すのにまずは最適な登場人物配置。時代背景が冒頭で説明されている通り、徳川吉宗にあの大岡裁きの大岡越前守である。最初は単に時期を説明しているだけだと思っていた、こういった細かな配役が伏線となって後からびしっと決まってくる。さらに最初に、おようが目撃した辻斬りと死体が消える謎。犯人が明らかになった訳ではないのに、なぜ死体が消えなければならなかったのか。そうは明示されていないが、ミステリ的にも興味深い謎が提示されている。身近にいる人間が真犯人ではないかというサスペンスに、ミステリの謎が明らかになる段階以降、展開にてこれらの要素が不可欠に絡み合って走り出してゆく、という印象だ。。
 多少余裕が少ないとするならば、江戸の風俗や市中の人々の機微といったところが、後の作品に比べると若干薄いというところか。とはいっても、決して江戸情緒に欠けているといった意味ではなく、あくまで比較的に、という程度。江戸時代小説という意味では最初から上手に書けていると思うのだ。(専門家ではないので断言は出来ないけれども)。
 はじめから霊験=超能力があるという設定の後半二編は、若干先の二編とはテイストが異なるが、それはそれで、冒頭の謎の提示方法が洒落ている。袖についた血、判る人には判る口を利く刀。ここから物語を拡げてゆくセンス、そしてその流れはやはり上手いのだまたこれが。

 ということで(?)先述してこなかったとはいえ、もちろん市井の人情溢れる優しさだとか、微妙な時代小説らしい恋心だとか、そういった要素もきっちり。デビュー直後のごく初期、最初の最初から時代小説として非常に高い水準だったということを改めて確認して次第。とっくに読んでいるよ、という方も、機会があれば再読されてみてはいかがでしょうか。本当に、「最初っから上手い」


10/01/08
結城昌治「怖い話(ミステリー)と短い話(ショート・ショート)」(中公文庫'92)

 上記()内はルビで、「ショート・ショート」とナカグロがあるのも原文ママ。中央公論社から'88年に刊行された同題の単行本が文庫化されたもので、題名通り、ミステリー短編とショートショートとで構成された短編集。

 平凡な二級サラリーマンの安立は最近誰かに尾行されていることに気付いた。遂にその尾行者を捕まえ詰問したが、彼は事情があり尾行を止めることが出来ないと言い出す。 『尾行者』
 社の常務の愛人という噂もある花井のり子のことが亀川はどうしても好きだった。告白するつもりで彼女の部屋に行った彼は、彼女が死んでいるのを発見。慌てて飛んで帰り、親友の須藤に相談する。 『あの晩のこと』
 大会社の部長夫人・千恵子は心臟が弱く家に家政婦を置いていた。その家政婦・とし子が何かと千恵子の気の障るような行動を取っているように思えてならない。 『無気味な同居人』
 会社員の山尾は同期の島川を嫌っていた。その山尾が、密かに恋していた年下の同僚・北原尚子から相談を受ける。島川から強姦紛いの手口で結婚を迫られているのだという。 『もう一人』
 刑事の藤木やヤクザの佐倉から情報を得た。仲間内の傷害で逮捕された寺内には実はアリバイがあるというのだ。上級組員の情婦と一緒にいたので言い出せないのだという。 『極秘の話』
 妻との結婚を後悔している男。身体の関係はないが年下の愛人もいる。妻を一緒に争っていた同僚と妻が浮気をした結果、殺されるというシナリオを考えつくのだが……。 『すばらしい偶然』
 上司の妻と浮気をしている男。若い恋人が現れたことを機に、その関係を清算しようと、別の友人男性を上司の妻と引き合わせたりしてみるのだが。 『チャンス』
 年上の出来た妻に満足していた筈の男。しかし年下の同僚女性とのごく僅かな過ちが、誰かによって上司に密告されてしまう。男は海外に飛ばされることになってしまう。 『密告』
(ショートショート)『無実』『馬を射たり』『サブの偶像』『遺書』『骨の音』『指を鳴らす』

超強烈な刺激から、ピリ辛のブラックまで。皮肉とウィットの効いた男女の物語
 元版が刊行されたのが二十年以上前、短編集という性格を考えると物語自体が執筆されたタイミングは二十五年以上前になるのではないだろうか。それでいて、例えば常識であるとか(結婚適齢期とか、不倫関係とか)、通信方法であるとか(携帯電話だとか)には変化があるとはいうものの、その根本にある男女間の関係描写という部分に古さが全く感じられない。平成の現在に読んでもそう思うし、恐らくこれからまた二十年が経過した後であっても、同じような感想が抱かれると思う。
 基本的には男女(ないし友人同士など)の微妙なすれ違いなどをテーマにした意外性の高い短編小説。犯罪が絡むものもあれば、日常の謎、不倫の縺れといったいろいろなパターンがあり、物語が持つタイプもヴァリエーションに富んでいて読んでいて先が読めず、全く飽きない。特にところどころに嵌め込まれた、想像の限界を突破したかのようなアイデアが秀逸なのだ。そのインパクトでまず強烈なのは『もう一人』だろう。相性の合わない同僚によって、密かに恋していた女性が奪われそうになる男性、その同僚のことを片付けたと思えば、もう一人、そして……。うおお、この結末、ここに書きてえっ。(が、我慢する)。また、『すばらしい偶然』であるとか『密告』であるとか、このあたりの男女関係の複雑さ、そしてその複雑さを妙味に変化させる絶妙の構成を創り上げてあるのだ。職人芸というだけではなく、センスがあってこそ為せる技。
 収録されているショートショートに関しては、若干文章量が多く、短めの短編という感じか。ただ、感触自体は「ミステリー」のパートと同様。個人的には『馬を射たり』の主人公が感じたであろう強烈な脱力感とブラックさが、この中では好みだった。

 結城昌治の長編は最近かなり復刻が続いて一般書店でも入手可能の作品が増えているが、短編に関しては過去に刊行された絶版文庫を捜さざるを得ないのが現状だ。そのなかでも比較的出版が近年の分、入手しやすいはずなのだが。本書に関しては、「捜しだしてでも」とまで断言はできないものの、古書店等で見つけたら少なくとも「買い」レベル以上である点、間違いない。


10/01/07
大村友貴美「霧の塔の殺人」(角川書店'09)

 大村氏は2007年『首挽村の殺人』にて、第27回横溝正史賞を受賞して作家デビュー。二作目が『死墓島の殺人』で、本書はデビュー作、二作目に続き、岩手県警の刑事・藤田警部補が登場、世界としては継続している。

 魁時新聞社釜石通信部に所属する一方井将棋(いっかたいまさき)は、小金牛村にパトカーが集まっているという情報を得て、村に入るための峠の一つ・雲上峠を訪れた。現場ではベンチの上に切断された生首が置き去りにされるという猟奇事件が発生していた。被害者は小金牛村の有力者・鬼怒川義勝・七十一歳。会社経営・漁業組合をベースに、経済力、選挙など地域への影響力を持っていたが、先日あまりの不正行為の横行に憤った組合員から漁協を罷免されていた。功を焦る県警の小清水課長は、義勝と対立していた漁協事務局長の林喜一の仕業と決めつけようとするが、藤田警部補は慎重な捜査を主張する。義勝は社会的地位に貪欲で娘の政子など周囲に対する態度は大きく、反感を買っていた可能性がある。しかし狭いコミュニティにもかかわらず捜査は進まず、続いて義勝の従兄弟の須賀静三が同様に首を切断された死体となって発見された。しかし胴体の扱いが義勝の殺害時と異なっており、藤田はしっくりとしない印象を覚える。

必然性の低い猟奇連続殺人事件と作者がこだわる地方発社会派要素の迷走。
 この感想を書くためということもあるがストーリーが頭の中に入った状態で読み返す分にはそう感じないのだが、初読時は何か読みにくくて仕方ない印象が強かった。三冊目に至ってもデビュー時からあまり文章力が向上なさっていない。特に視点人物がころころ変化するところや、筋書き上あまり意味の薄い登場人物にかける描写を端折るなど、読む側に配慮を――などと、いきなり注文から入ったが、特に本作はその気持ちが強くなった。読者も参加して解き明かす論理が必要な本格ミステリであれば、フェアを期するあまりに読みにくくなるというケースは場合により許される。しかし、デビュー時に感じられたような本格へのこだわりが本書ではかなり薄くなっている(というか、携帯電話と宅配便を利用したある仕組み以外、ほとんどトリックらしいトリックは感じられなかったけど。あったっけ)。
 序盤早々から首を切り落とした猟奇的連続殺人事件が展開され、一般的先入観からどんな凄い本格ミステリになるのかと思いきや、行き着いたところはむしろ地方や、現代の若者の就職事情の貧しさを訴える社会派ミステリ。しかも、問題は、作品内部に大きく二つの事件の山があるにもかかわらず、その両方の事件が、舞台以外、本質的に交わっていない点。要は、二つの事件が同時並行して発生しているがために、捜査側がややこしいことになっている、とただそれだけなのだ。
 最後の方で、社会派テーマとしては身近でタイムリーなテーマを切々と訴えてはいるものの、切り口も平凡だし別に今さらミステリと絡める必要があったのか疑問。登場人物にもそう魅力があるわけでもなし、前述した通り、するすると頭に入ってこない文章をえっちらおっちら追いかけて行き着いた先としては正直不満が残る出来でした。

 毎年一冊のペースで刊行されること自体は良。ただ社会派を目指すのであれば、工夫した切り口と文章力が必要かと思います。ミステリとさえくっつけておけば読者がつく時代ではなくなっているのですから。


10/01/06
佐々木譲「暴雪圏」(新潮社'09)

  『このミス2010』にて第8位を獲得した、佐々木譲氏の長編作品。『小説新潮』2008年1月号から、2009年1月号にかけて(2008年 月号は休載)連載された作品の単行本化したもの。

 三月のお彼岸の頃、もうじき春という時期に訪れる「彼岸荒れ」は、厳冬期の雪と異なり、湿った重い雪を伴う大きな嵐。今年、志茂別に近づいてくる彼岸荒れは十年に一度クラスの激しい暴風・暴雪を伴うものだった。この日、この地に影響力の強い暴力団組長の留守宅に二人組の強盗が入った。家には留守番の組員と、組長の妻がいたが男たちは、事前情報を得ているらしく手際よく金庫を妻に開けさせて数千万円の現金を奪い、妻を射殺して立ち去った。しかし志茂別は彼岸荒れに突入しつつあり、地上は少しずつ雪に埋まり、交通は遮断されていく。この頃、志茂別駐在所勤務の川久保篤は、村民から橋の下にある雪の吹きだまりのなかに女性の変死体があることを知らされ、現場を確認していた。死後かなり時間が経過したもので、ポケットからは薬師泰子名義のカードが見つかる。その他、出会い系で知り合った男性のストーカーめいた行為に戸惑う主婦、義理の父親による性的DVに耐えられず家出した少女、胃の病気で先行きを悲観し、勤務先の金庫内の現金を奪って失踪する決意をしたサラリーマン……ら、暴雪のなかで行われた様々な決意。そして、猛吹雪は彼らから交通の手段を奪ってゆき、各部屋暖房用のボイラーが故障しているペンション・グリーンルーフに足止めされてゆく……。

細々とした人間同士の駆け引きと、そしてその営みを吹き飛ばす大自然の猛威と
 佐々木譲氏による、いわゆる群像劇。いろいろ事情を抱えた市民がそれぞれの行動を取るところが断片的に描写され、最終的に彼らが一個所に集まってくる……といった展開。これそのものを大枠で捉えると、特に近年のエンターテインメント分野では定番だといえようが、冒険であるとかサスペンスであるとかに加え、主題にある自然の猛威を持ち込むことで一風変わった作品に仕上がっている。
 ただ、バランスに関しては微妙なところもあって、前半部で描写されるそれぞれの事情に筆が多く割かれ、後半部で少し急いでいるようにもみえ、結果的にはややばたばた感がある。また、その割に最終的にペンションに足止めされるにあたっての説得性が高いかというとそうでもない。自然現象はもちろんだが、タイミングがたまたま、というものなのだ。また、前半部を引っ張ってきたある犯罪者が、するりと姿を消すところには意表を突かれた。良いのか悪いのか。
 ただ、ちょっとした心遣いだが上手いと思ったのは、志茂別村の情報通(元郵便配達夫)が語る、大昔にあった彼岸荒れ に伴う小学生遭難事件。淡々と語られるそれに、おまけに怪談まで付け加えられた悲惨な事故の記憶は、物語のアクセントとなると同時に、その禍々しい彼岸荒れの恐ろしい実態を読者の頭にインプットすることに成功している。特に、雪国で育ったことのない小生にとっては、本書で描かれるような暴雪は経験の範囲外なので想像するしかないのだが、その想像力をいたくかきたててくれるのだ。
 さらに、自然の猛威が振るわれるなかでしか培われることのない、住民同士の横の繋がりであるとか、見知らぬ者同士の思い遣りや団結力といった部分が滲み出ているのはさすが。冒険小説の経験が深い作者だからこその盛り上げ方のようにも思える。また、最後の対決場面にしても、その他自然の猛威を感じさせる場面にしても、場面場面の構成が非常に映画的なのも特徴のように思えた。

 生活のなかに雪がある地域の方にとっても恐らくは自然に溶け込める描写力なのだと思う。(これは想像)。ただ、群像をベースにしたサスペンス&冒険小説として力強い内容であること、これは想像ではなく体験として感じた。ランキング上位となることも納得の作品。


10/01/05
古処誠二「線」(角川書店'09)

 元もと『UNKKOWN』というミステリで、(今となっては)実はメフィスト賞出身デビューである古処誠二氏。一時期、このメフィスト賞出身というプロフィールが抹消されていた時期があったのだが、少なくとも本書では復活していた。『野性時代』に二〇〇七年六月から二〇〇九年四月にかけて不定期に発表された短編作品がまとめられたもの。

 前線に食糧を運ぶ役割を持つ部隊の下士官。ニューギニアの地には物資が満足に届かず、輸送も困難。この下士官は独自の勘でこれまで難局を乗り切ってきたのだが。 『下士官』
 死体は敵機の銃撃により損壊され確認できない。しかし富下一等兵を殺害したのは自分であると紺野上等兵は部隊長にしつこく訴え出ていた。その裏側にある事情とは……。 『糊塗』
 現地で戦闘はしないが宿営地の設営などをする人夫兵。ニューギニアで戦う兵隊と異なる価値観で動く彼らの最大の目的はやはり飯であり、盗んででも喰った者勝ちであった。 『生木で作った墓標』
 熱帯性のマラリアにやられて後送になる病兵。不名誉な状態とされた彼らに手を貸す者はおらず、彼らは彼らなりに工夫して現地人と誼を通じたりするのだが……。 『病兵の宿』
 ニューギニア攻略で倒した濠州兵のポケットから出てきた手紙。英語の出来る兵が読み上げたが、母親からのものだった。下士官は激昂して自分が読めと命じながら兵を殴り飛ばす。 『銃後からの手紙』
 セブリからセブリへ。ニューギニアで働きづめに働かされた馬・金月号は限界を迎えつつあった。世話をする小山もそれを知りつつ、指摘したのはマラリアに罹った病兵だった。 『たてがみ』
 ギルワまで戻ってきた負傷兵。脚をやられ歩くのに支障があるが、名誉の負傷ともてはやされる。しかし迎えの舟に我先に乗船する競争に際しては脚の怪我は致命的だった。 『蜘蛛の糸』
 誰が名付けたものか、濠州兵のことを日本人は豚と呼んでいた。ニューギニア攻略戦の末期、補給がなくマラリアが蔓延して壊滅的状態のなかで濠州兵たちと戦う部隊があった。 『豚の顔を見た日』
 海上安全の特殊な神社のお守りを持った兵がいた。戦場で部隊と離ればなれになったその男と、部隊の生き残りとは意外なところで、しかし当然のかたちで再会した。 『お守り』 以上九編。

「線」のうえに群がる人々の、数々の剥き出しの人間感情。若き戦争文学の旗手の呼び声はダテじゃない
 いくつか古処戦争文学を読んではいるが、それらに比べても本書、戦争文学としてみた時という条件であれば悪くない――というよりも、むしろより良い印象を受けた。第二次世界大戦、太平洋戦争、どういった言い方にしても、日本軍側の視点からすれば負け戦。しかも本書のような東南アジア戦線においては、戦闘力そのもので勝負が決まったとはいえない、つまりは補給能力の差異や国際感覚の欠如、歪んだ上下関係、人間軽視の戦術・戦略――といったどうしても苦しさ、苦みを伴う描写が避けられない。
 長編においては、これらの要素が複雑に絡み合うことで苦味が強い、そして深い情感を持つ戦争文学が紡ぎ出される利点はある。一方、本編のような短編集であれば、これらの要素のうち何かにポイントを絞って描写することで物語の切れやインパクトを強められるのだ。その意味では、まだ激化する前から食糧や戦力について暗い見通しを共有していたという部分が皮肉な『下士官』、我先に戦地から逃げ出す戦友たちを、脚の不自由な男の視点で淡々と語る『蜘蛛の糸』といった作品に強くその好影響を感じる。戦地だからこその欲望であるとか、絶望であるとか。そういったもろもろの感情が実に生々しく読者に迫ってくる。読んでいて思わず目を背けるというよりも、ずしり、と感じ入るタイプのインパクト。 それは古処氏の紡ぐ戦争文学に共通する感覚でもあるのだけれど。
 題名にある「線」は、様々な意味が込められていそう。真っ先に思いついたのは兵站線、つまりは補給ラインだが、それ以外にも逃走路としての線であるとか、他の意味も含んでの「線」にも思える。いずれにせよ、ある程度ニューギニアに舞台を絞って、タイミングも戦争開始当初から終盤に至るまでの点景を次々と切り取って短編集分の物語を集めてしまう。作家としての技巧が、この作品集からは強く感じられる。

 ミステリ風味を持った『糊塗』といった作品もあるにはあるが、基本はあくまで太平洋戦争をベースとした戦争文学。楽しい、面白いという意味でのエンターテインメント文学とは異なるのだが、こういった極限の、しかも現実性備えたシチュエーションでしか語れない「何か」があって、それをきっちり体現していることだけは間違いない。


10/01/04
曽根圭介「図地反転」(講談社'09)

 曽根圭介氏は、'07年に「」で第14回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞し、さらに同年『沈底魚』にてホラー小説大賞とは対極ともいえる、第53回江戸川乱歩賞を受賞、ダブル受賞を果たした。その曽根氏の書下ろし長編。

 静岡県にあるパチンコ屋「銀玉大王」に父親と共にやって来た五歳の幼児・北山玲奈が現場から行方不明となり、殺害されて死体が遺棄された。被害者の様子から犯人は変質者と思われたが、遺留品はなく捜査は難航する。捜査に携わる加賀美は、かつて類似の事件で身内を亡くした経験があり、犯人逮捕に力を尽くそうとするが、なかなかうまくゆかない。一方、アパートの大屋をしている幸八郎は、最近入居してきた暗い青年・望月が、かつて子どもを殺害した容疑で服役し、最近出所してきたばかりだということを知る。幸八郎は望月を一旦追い出してしまうのだが、望月は実際には犯行を行っていないのだという。その望月が犯人だと目された事件こそが、加賀美の妹が殺害された事件だった。加賀美ら警察は捜査の結果、僅かな手掛かりから、捜査線上に浮かんだある人物を犯人だと特定するようになる……。

見込み捜査、思い込み、曖昧な記憶と記憶の捏造。社会的テーマに過ぎてか読後感が半端に
 図地反転とは、例えばルビンの壷の絵(壷にみえるが、その断面を眼にすると顔に見える)のように、認識が引っ繰り返ると反転し、元の状態に戻らないといった意。本書の場合は、題名がそのまま中身を示している。捜査する側、犯人を捜す側が、一旦、ある人物を犯人だと思い定めてしまうと、もうそれ以外の、都合の悪い要素が目に入らない様子を端的に示す言葉だ。実際の捜査においても、当然あるだろうし、冤罪の遠因にもなっていることだろう。
 同様に記憶の誘導や、あやふやさに関する懐疑を本格ミステリに取り入れた作品は、西澤保彦さんが試みていたことが思い出される。ただ、曽根氏のアプローチは新しいようでいて、結局のところは非常に一般的な社会派テーマにに行き着いてしまうようにみえる。
 本来、曽根氏は小説は上手いはずなのだが、本作に限っていうと、その巧さが逆に邪魔しているようにも思われた。というのは、それぞれ過去にいろいろトラウマのあった現役の若手刑事と、六十五歳のアパート大家の視点が使われているのだが、その双方が読者にとって親しみにくいのだ。刑事は刑事で犯人逮捕に繋がる見込みの薄い、だらだら継続される捜査に疲れきっているし、微妙に捜査が見込みや感覚頼りだということが前半でも分かる。、あた大家の方は、家族と険悪な関係になる理由がよく分からないまま中盤まで引っ張られるうえ、心臟が弱く、人間的にも精神的にも弱いのでこれまた共感しづらい存在なのだ。本格やホラーであれば、読者と登場人物に一定の距離を取らせる手法もありだと思うのだが、少なくともある程度のサスペンス指向を持つ場合は、やはりある程度、読者の入り込みも考慮して欲しい(そして軽々しくそれをこなせるテクニックを曽根氏は持っていると思うし)のだ。

 そして何よりも本書の場合は、ある程度問題が読者に伝わってきた終盤に、再び読者を抛り投げるようなエンディングを持ち込んでいるのが最大の問題だろう。結局のところ、読後感が中途半端になってしまっている気がする。


10/01/03
海堂 尊「外科医 須磨久善」(講談社'09)

 『チーム・バチスタの栄光』にて2005年開催の第4回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞。同書に登場する架空の都市・桜宮を舞台とする田口・白鳥が活躍する東城大学シリーズをはじめ、小説のみならずコミックや映画でも大人気を博す作者による、初めての伝記。『小説現代』2008年11月号から2009年3月号にかけて連載されていた作品が単行本にまとめられたもの。

 須磨久善は、日本の心臓外科分野を牽引してきた外科医――である。架空の存在ではなく実際に存在する医師だ。本書では、第一章として、一九九二年一月・ベルギー・ブリュッセル。須磨久善四十一歳が、日本人で初めて海外で心臟の公開手術に臨む場面から始まる。狭心症と心筋梗塞は、筋肉製の血液ポンプたる心臟に対しての血液供給が滞ることで発生する。心臟には冠状動脈という血管が血液を供給しているが、それが何らかの理由で詰まると発生するのだ。須磨が考え、実行して症例を重ねたのは「胃大網動脈冠状動脈バイパス手術」だが、それ以前は心臟に本来とは別の血管を用いて血液を供給するのに、静脈や別の動脈を使っていたのだが、須磨は胃にある動脈を使ってみせたのだ……。手術は成功し、須磨は世界的に高い名声を手に入れる。ローマの病院で客員医師として滞在していた須磨は、バチスタ手術の存在を日本に伝えるために、再び日本へ……。

どの世界にも変革者・破境者がいてこそ変革が起きる。心臓外科世界では、それが須磨久善だった
 「凄腕」「先見」「幸運」「行動力」といった要素を兼ね備えたスーパー心臓外科医・須磨久善の半生を、医学ミステリーの第一人者にして人気作家でもある海堂尊氏が描く。面白くならないわけがない。

 実際、高いリーダビリティと綿密な構成によって作られたノンフィクション、ないし伝記となっている。
 第一章の公開手術については、医者サイドの視点からその大変さ、他の医師のリクエストに応えながら臨機応変に手術の状況を観客にカメラを通じて伝えていく様子などがサスペンスすら感じられるような筆致にて描かれる。臨場感も高く、技術用語の一般読者向けの翻訳も的確でどきどきしながら読み進めた。――が。ここに患者の視点がないことが少し引っ掛かっていた。後半部では患者の立場からみた須磨であり、心臓外科という存在と患者の関わりがきっちり書いてあったので引っ掛かりは取れた。一部を引用する。「散歩しながら、空を見上げるという平凡な毎日の幸せなんて気づきもしなかった。死ぬかもしれないと思ったとたん、すべてが変わった。もし手術が成功し、もういっぺん生きられたら、自分や家族を大切にして生きていきたい。 これが患者の心情の最大公約数だ。心臓病の告知は、死の宣告に等しい。助かったら、残りの命は神様からのプレゼントだ。」  最近、自分も年取っていろいろあったので、こういった気持ちの端っこは理解できるようになった。
 海堂氏の柔らかい筆で描かれた「須磨久善」伝。ただ、海堂氏自らも記している通り、光ばかりでこの評伝には影となる部分がほとんど描かれていない。須磨の足を引っ張る勢力があったことは記されているし、恐らくは出る杭は打たれる日本の風土からかけ離れた方なので、その事実は実際に在ったと思う。ただ、実際のところ、本書に描かれている成功体験(?)だけでここまで本当に来るのだろうか? という点は多少疑っている。(ただ、偉人の伝記=読み物という場合、そういった生臭い部分は不要なのかもしれない)。

 海堂尊氏がわざわざ書きたいと自ら望んで書いた伝記ということで、面白いだろうことは事前から想像していたのだが、読みやすさと面白さは想像通り。今のところ、海堂氏が関わる作品についてはほとんど外れがない。


10/01/02
三津田信三「水魑(みづち)の如き沈むもの」(原書房ミステリー・リーグ'09)

 『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』など、初期作品が、本格ミステリとしても、一般ミステリとしても独特の味わいがあったことから発表当時のミステリランキングで高位を獲得。その影響は侮りがたく、実際のところ三津田信三氏の現段階の代表作といわれているのが、この刀城言耶シリーズだ。本書は、その第五長編にして短編集を含んで六冊目となる作品。書下ろし。

 性格の悪い先輩・阿武隈川烏の情報によって、近畿は奈良地方のある地域にて行われている、水魑と呼ばれる神様を祀る地域の神事に参加できることになった刀城言哉と、その担当編集者である祖父江偲。貴重な水を供給する沈深湖の恵みによって稲作が成り立っていて、水の行方が非常に重要な役割を果たしているのだ。平時は良いが渇水の時、そして増水の時に、神男と呼ばれる村の神官が、湖の神様である水魑の怒りを鎮める儀式を行うしきたりとなっていたのだ。ただ、その儀式には謎も多く、過去に行われた儀式の最中には神官が湖に飛び込んだまま、衆人環視のなか消え失せてしまうという事件も発生していた。儀式を司る一族は、 村の四つの地域ごとに、水使・水内・水庭・水分の四神社あったが、現在最も力を持つのが水使家の主人である龍璽。その水使家には、大陸から引き揚げてきた子供たちが身を寄せており、美しい長姉が龍璽に狙われているのではないかと、次姉と弟は密かに危惧していた。一方、刀城言哉も見守るなか、龍璽の息子・龍三によって儀式が湖上で儀式が行われた。屋形船に乗り、その中心部に空いた穴から、樽に入った供物を湖に投げ入れてゆく。陸からは、様々な人々が船を見詰めており、誰も近づいていないにもかかわらず、龍三は船内で、水魑の宝物を凶器として刺し殺されていた。

設定に費やされる前半がやや冗長か。しかし後半には怒濤ののミステリ&ホラーが押し寄せてくる
 このシリーズの魅力をひとことでまとめると、枠組みは伝奇的要素を備えながらも端正な本格ミステリであるのに、ホラー的要素が大量に含まれている点にある。しかも、そのホラーの描写が半端無く強烈、そして実際に読者の恐怖を喚起する力があるのだ。本作でもまた、シリーズの前提ともいえる、そのミステリ&ホラー両取り路線自体は健在。
 ただ、本作に限ってのことになるのだが、読者にもまだ状況がよく飲み込めていない前半部に細かい設定説明を集中させすぎているように思われる。その結果、どうしてもごちゃついた印象が強くなり、物語に没入しづらく感じられた。波美村の成り立ち、水使一族と、寄寓している三人姉弟の来歴、十三年前の事件。まだ読者の頭が乗り切れる前に、かなりの速度で物語の骨格が創り上げられてしまっている。どうしても新たな舞台を準備している以上仕方ないことではあるのだが……。
 もちろん、阿武隈川も加え、刀城と祖父江偲の三人が、水魑について話し合っている最初の部分についても骨格寄り。難しいのは、こういった一連の背景説明がないと後半部の肝心な部分、例えば湖からの犯人消失の謎であるとかが不可能状況にならないという問題もあるところ。ただ、本書の場合はバランス的に前半に集中しているのはやはり弱点かもしれない。
 その反面、(当然にして)後半部に集中する、謎の提示、恐怖感の増幅、そして二転三転と変転する真相……といったところはシリーズでも最高級に近いローリング感覚が伴われる。 (特に、最後半については転がりすぎて頭のなかでの検証が追いつかないような気持ちになった)。また、祖父江偲が、ある人物から監禁され、その監禁場所で味わった恐怖感については、最後まで説明らしい説明がなく、良い感じにsupernaturalが入った怪奇譚として印象深い。とはいっても、本作は全体的にホラー要素がシリーズ全体のなかでは比較的弱め。前半部にも忌み田など、魅力的なガジェットがあるものの、トータルとしては「恐怖」の力自体は、物語内部で生かし切れていない印象だ。
お約束ながら、刀城言哉を憎からず思う祖父江偲と、彼女に対して徹底的に鈍感を貫く刀城言哉という、ラブコメの王道のような展開も、それはそれで面白く読めた。(これはライト読者向けのサービスなんでしょうか)。

 意図的に方言を活かした会話文、シリーズ外作品への言及であるとか、試みも多いながらも核となる物語構成が前述の通り、ちょっとバランスが崩れているのがやはり残念。多少刊行期間にあいだが空いたとしても、このシリーズに関してはじっくりどっしりしている作風を堅持していただきたいもの。


10/01/01
滝田務雄「田舎の刑事の闘病記」(東京創元社ミステリ・フロンティア'09)

 滝田務雄氏は「田舎の刑事の趣味とお仕事」で第3回ミステリーズ!新人賞を受賞。同作を表題作とする短編集は、2007年にミステリ・フロンティアで刊行され、本年9月にあっさりと創元推理文庫入りしている。(どうも、東京創元社の期待値が高いのではないかと思われる扱いですね)。

 とある地方警察署の刑事課に奉職する黒川鈴木氏と、その部下・白石、赤木らが遭遇する事件とその顛末記。
 あまりの暑さと黒川刑事の徹底した空調管理により、うだってしまった田舎の警察署。白石は刑事でありながらハダカになって泳ごうとし、黒川刑事と追いかけっことなる。その現場となった河原で死体が発見された。 『田舎の刑事の夏休みの絵日記』
 養蜂と蜂蜜について研究している食品会社研究所。ここで、蜂の巣箱が盗難されるという事件が発生。しかし動機あり容疑の濃い研究所員とは別の所員が捕まってしまう。 『田舎の刑事の昆虫記』
 白石のバカさ加減に胃を痛めた黒川氏は入院することに。厳しいセキュリティ対策を実施している筈の病院では、折しも小さな盗難事件が繰り返されていた。 『田舎の刑事の闘病記』
 黒川刑事の妻が懸賞で台湾旅行をゲット。外国語に強烈なコンプレックスを持つ黒川氏は内心びくびくしっぱなし。旅の恥をかきまくるなか、誘拐事件に遭遇する。 『田舎の刑事の台湾旅行記』
 街中で猿の被害が増大しつつあり、対策会議に黒川氏も駆り出された。ある大学教授が、被害はボス猿が理由であり、退治にコストも安い妙案があるという。そのボス猿が街中に出現したとの情報が。 『田舎の刑事の動物記』
 夏休みの事件・不法投棄に関し、田舎の警察の管轄下に不法軽油を受注していた組織があることが判明。白石が理解できないまま、黒川氏は黒幕捜しに奔走する。 『田舎の刑事の冬休みの絵日記』  以上六編。

実はそれぞれミステリとして緻密ですごい。が、ユルい笑いのセンスによるインパクトが上回る
 黒川が姓、鈴木が名の珍しい名前だが本名である。黒川には白石という相性の悪い天敵のようなアホな部下がおり、また自分の妻に対しては心から深く愛しながらも複雑な恐れの感情を抱いている。 妻や白石、さらには周囲の様々な同僚やその他の刑事らに対する黒川氏の態度・言動とリアクションが本書における「ユルい笑い」の八割方を占めているといっても過言ではない。が、困ったことに、それらがめちゃめちゃにおもろいのだ。漫才や落語のような、するっと入ってぎゃっと笑うタイプではなく、情景を想像しながらじんわりと笑いが染み込んでくるような独特のセンス。読んでしばらくして意味が分かってから笑うタイムラグ。もうこれは読んでもらうしか面白みは伝えられない。しかし、男として土下座して妻に言い聞かしてやりましたってナンデスカ。
 一方で、登場人物の狂言回しにつきあっていると見えにくいのだが、事件は意外と凝っていて、またトリックやロジックといった部分に工夫がみられるのだ。(もともと、東京創元社デビューの方はこういった点に凝って当然という部分があるだろうが)。例えば、『昆虫記』では陥れられた容疑者と、その真犯人とのやり取りが緊迫感を伴って演出され、意外な盲点が指摘されるところがユニークだし、『闘病記』は様々な伏線や手掛かりをちりばめたなかのかなり端正なフーダニット。また『動物記』も、複数の登場人物のちょっとした証言から、非常に意外な真犯人が浮かび上がるという秀作。
 一方で謎解きとしては若干弱い『台湾旅行記』であっても、その分、黒川婦人のパワーと邪悪度(そう、黒川婦人は、我々が使うところの邪悪さが魅力なのだ!)が高く、小説としての魅力は素晴らしい。なんたって斉藤寝具店! いやはや。

 いやいや、前作もなかなかと思いきや、第二作品集にて更に進化とパワーアップを遂げられた、力の入ったシリーズとなりました。また、登場人物の魅力がじわじわと染み込んでくるところがあるので、前作を読まれた方はとにかく、この二作目も読まなきゃ損損。