MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


10/02/10
恩田 陸「私の家では何も起こらない」(メディアファクトリー'10)

 ダヴィンチ増刊『幽』vol.3(2005年6月刊)〜vol.11(2009年6月号)にかけて連載された内容に加筆修正、及び書き下ろしとなる『附記・われらの時代』を加えて刊行された短編集。

 二人でアップルパイを焼いている間に殺し合いをした老姉妹。近所に住む老人を次々頭からオーブンに突っ込んで殺害していた少年。子供を殺してその肉を食していた主人と、料理女。同じ家で時代を隔てて発生した様々な事件、そして幽霊屋敷と呼ばれるようになるその家。それぞれの時代、それぞれの人物が体験してきた事柄が、ほのめかされるように、それでいてどこか典雅に描かれる恩田流ゴースト・ストーリー。
『私の家では何も起こらない』『私は風の音に耳を澄ます』『我々は失敗しつつある』『あたしたちは互いの影を踏む』『僕の可愛いお気に入り』『奴らは夜に這ってくる』『素敵なあなた』『俺と彼らと彼女たち』『私の家へようこそ』『附記・われらの時代』 以上十編。

そこに何かあるという雰囲気を巧みに描き出す。優雅にまとめたゴースト・ストーリー
 もともとの掲載媒体のイメージがあるのかもしれないが、一軒の家に起きた様々な事象を角度を変化させながら描いていく。その文章力は、恩田陸らしくやさしくじぇんとる。ただ、その優美ですらある文章の裏側が実にどす黒い。 このあたりの邪悪さがまた恩田陸さんらしいといえばそうなのだが。
 また、時系列がバラバラになりながら、様々な狂気が、この丘の上の一軒家に集う。実に怪談らしくあり、それはそれでいい味なのだが、「じゃ、結局この家はなんだったの?」という疑問に対する解が「無い」のが実に良い。それほど登場人物が連続してひどい目に遭うというわけではないが、それでも突き詰めていった時に、因果応報だとか、理由がないところ、細かいが凄く好みである。

 いくつかトーンを変更した物語は揃ってはいるものの、総じてやはり恩田陸さんらしさは隠せないし、隠していないか。思わせぶりであったり、描写を端折っていたりしてもそれなりのイマジネーションを喚起させてくるというのは、凄いこと。このイメージを中心に本を読める方には最高のプレゼントかも。


10/02/09
鯨統一郎「いつか、キャッチボールをする日」(PHP研究所'07)

 単行本で刊行された後、(存在自体を初めて知った)「PHP NOVELS」なる新書版で2009年に再刊されている。「著者の新境地」を謳われる長編作品。

 プロ野球・東京レンジャースに所属するベテラン選手・新島隆二は三十六歳。勝負強く粘り強いバッティングは健在だが、レギュラーではなく、チーム内では代打の切り札としての扱いとなっており、そろそろ選手からの引き際について考えるようになっていた。彼の支えになっているのは妻と、小学生の息子。ただ息子は隆二に似ず、あまり運動神経が良くなかった。キャッチボールから下手で、隆二は知らなかったが地元の少年野球チームでも監督からいじめに近いような扱いを受けている。それでも家族は幸せだった。しかし、その息子が、実は原発性心機能不全症という心臟の難病であることが判明してしまう。その病気は、身体が急速に弱ってあっという間に死に至る不治の病だった。治療には多額の費用がかかるため、その費用を賄うためにも隆二は簡単には引退はできない。これまで以上の集中力で安打を重ねる隆二によって、チームはついにクライマックスシリーズへの出場権を手に入れた。隆二は息子とクライマックスシリーズでのホームランを約束するのだが、治療費を貸してくれた人物が八百長を彼に要請してきた。

不治の病、協力する人々のネットワーク……感動を狙う定番の流れ+引退間際のプロ野球選手
 物語の構造としては、相当にシンプル。難病にかかったプロ野球選手の息子と、その選手自身とが、誤解や不幸がきっかけとなって生まれてしまった幾多の困難を乗り越えて再会するという話。
 感動の……という形容詞がつくのだろうけれども、本作のような物語はどう取り繕おうと、鯨氏には向いていない。理由は二点あり、一つはその簡潔な、スタッカートのような描写の内部では、どうしても人間描写の奥行きに限界があり、こういった感動物語としてはどうしても深みに欠けてしまうこと。個人的にはその文体自体は嫌いではなく、別の系統の物語であれば、これはこれで有利に働くケースもあると思われるので、文章という意味では本作に限っての話である。もうひとつは、プロ野球に関する蘊蓄が良くも悪くも物語の流れを阻害しているように思われることだ。クライマックスシリーズが何たるかを知らない初心者に向けて語るには、説明がもの足りず、中級者以上にとっては当たり前のことが書かれすぎていて、このあたりのバランスが悪く感じられた。日本人の読者層の多くは(独断と偏見によると)最低限のプロ野球に関する知識は持っていると思います。

 当然、主題が主題だけにミステリ的などんでん返しも入れにくく(物語の展開がいつもに比べると先読みがしづらくはあったが)、元から「感動したい」と望んで読書するタイプの読者以外には受け入れられにくそうな印象だ。


10/02/08
今野 敏「凍土の密約」(文藝春秋'09)

 『オール讀物』二〇〇九年二月号〜七月号に連載されていた作品が単行本化されたもの。昨年の話題作ということで読み始めたが、本書がシリーズ三冊目にあたるそうで、前作として『曙光の街』『白夜街道』がある。余裕のある方は先にそちらから読まれてはいかがだろうか。

 対ロシア関係の業務を専門にする公安部外事一課の倉島警部補。エースと呼ばれる公安エリートを漠然とだが目指している若手刑事に、殺人事件の捜査本部に出向くよう指示があった。被害者は都内の右翼団体に所属する人物でロシアに対して街宣活動を行っていた。二日後、続いてロシアとの密貿易を資金源にしている暴力団の構成員が殺害された。二つの事件に共通するのはその手口。どうやらプロの殺し屋の仕業と思われた。更に、第三、第四の殺人が発生、いずれもロシアに関連する人物で一人は公安に協力していたロシア語の教授であった。一連の事件は明らかにロシア方面を指していることがはっきりしており、恐らくロシアからの殺し屋であれば、それを命令し、サポートする人物がいるはずだと倉島は当たりをつけた。

公安vs刑事ものにすべきか、壮大な陰謀小説にすべきだったのか。
 褒めようとしてもいろいろあるし、ツッコミようとしてもいろいろある、そんな長編作品。褒めるべきところは、警察が普通に捜査本部を立てて動くような連続殺人事件と、公安警察が動くような謀略のある事案とを巧くミックスしている点。通常では、直接的な犯罪捜査に加わらないはずの公安たちと、地道な捜査を旨とする刑事たち。良くも悪くも彼らの考え方やポリシーを前面に押し出したうえ、適宜衝突させている。その結果、一般的な警察小説に登場する刑事畑の人物とは別に、公安刑事であるということの考え方やポリシーがじんわり浮かんでくる。リーダビリティをしっかりと維持しながら、読者にきっちり必要事項を伝えてゆくのはさすが。
 一方、題名になっている「凍土の密約」の存在が巨大過ぎで、公安だろうが刑事だろうが、普通の警察が普通に殺人事件の延長で対決できるような事柄ではない、という点はそのまま本書の弱点だといえるだろう。殺人事件ではあっても、ひとりひとりの事件以上の事柄が反対側に対置してあるのだ。この真実を理由として、「凍土の密約」の事件レベルと物語とがかなりアンバランスになっているように感じられた。ただ、このスケールの大きさは細かい点を気にしない読者には多いに支持される可能性がありそうだ。
 また、個人的な感じ方なのだが、倉島という警部補の性格が三冊目にしてまだしっかりと固まっていないように見受けられた。徹底した非情さがみられないというか、一方で俗っぽいところも大きいわりに組織内の出世にも色気が……。まあ、実際問題としては人間はそんなもの(割り切れない)なのかもしれないが。

 やはり、このスケールの大きな謀略に関する謎をどう捉えるかによって、読者の評価が変わりそう。確かにこれはこれでありなのだけれども、その場合に動くのは果たして公安警察なのかどうなのか。昨年刊行された『同期』を筆頭とする今野作品に比べると、ごく僅かだが一段堕ちる。そんな印象だ。


10/02/07
光原百合「扉守 潮ノ道の旅人」(文藝春秋'09)

 光原百合さんによる瀬戸内海沿岸の都市「潮ノ道」を巡る連作集。最初『桜絵師』が「小説現代」二〇〇三年三月号に掲載された後、『天の音、地の声』が「オール讀物」二〇〇三年九月号に発表されたあと、不定期に同誌に発表されるようになり、最終話『ピアニシモより小さな祈り』が二〇〇九年八月号に掲載、その後単行本にまとめられている。

 瀬戸内海に面し、潮ノ道三山という三つの山が迫る潮ノ道という街は、狭い平地に鉄道と商店街、山の斜面に寺社が点在する。かつては山と海を南北に繋ぐ道が数多くあり、それらが参道として機能していたのだという。かつては北前船の重要な寄港地として栄えたこの街も、今や観光地として静かに佇むに至っている。
 伯母が一人で営業している居酒屋「雁木亭」も、伯母の体調不良で営業終了の時期が近づいてきた。姪の由布はこの店の中に、その水を飲むと必ず潮ノ道に戻ってくることが出来ると伝わる井戸があることを知る。 『帰去来の井戸』
 その古い洋館・小幡屋敷は取り壊しの作業を行おうとすると必ず何か災いが起きる。住職の了斎は、その屋敷で劇団「天音」の公演を企画し、街の人々をその屋敷に集める。 『天の音、地の声』
 雑貨屋「セルベル」の店主はある役目を担ってこの街に住んでいた。たまたま店にたどり着いた女子高生。彼女は最近自分の性格が少し変わったことに気付いている。 『扉守』
 了斎のもとを訪ねてくる絵師・行雲。屈託を持つ女子高生・早紀はその絵師による絵に奇妙な点があることに気付く。絵なのになかで何かが動いているようなのだ。 『桜絵師』
 もともとは親友同士だった祥江と晃代。独身で割り切った不倫をしている祥江だったが、主婦特有の愚痴を次々とメールしてくる晃代が徐々に鬱陶しくなっていく。そんななか菊川という写真家が現れる。 『写想家』
 電車の中で編み物が窓から飛び立った? 編み物作家・新久峰亜夢とひょんなことから知り合った友香は、空を飛ぶ赤ちゃんの靴下を探し回ることになる。 『旅の編み人』
 幻のピアニスト・神崎零のコンサートを地元サポートする静音の家には、修理を受け付けない不思議なピアノがあった。零と彼の専属調律師の柊は、次回訪問時にそのピアノを修理しようと約束する。 『ピアニシモより小さな祈り』 以上七編。

不思議と優しさの同居する美しく歴史のある街が主人公。潮ノ道ファンタジー開幕。
 作者からは「続きをすぐ書くとは言っていません!」、とかいわれそうだが。そういわずに。読み終わって最初に感じた気持ちは、続きも書いてくれるんですよね? というのが正直なところ。つまりは、それくらいに街と物語に魅力があるということなのだ。潮ノ道とかいて「しおのみち」。「し」「おのみち」なのか。これ書きはじめてやっと気付いた。
 特定の主人公はおらず、物語の、というよりも「潮ノ道」という街のナビゲート役として物知り(もしかすると長生き)の了斎和尚がいるというかたち。冒頭の『帰去来の井戸』では、なんとなく由布という女子大生が主人公になるのでは……と感じられたのだが、二作目でまた違った話になって転がってゆくような作品ごとの転調が心地よい。全般的には視点人物を担うのは、当たり前に普通にこの潮ノ道で育ちながら、これまで怪異とは縁がなく、自分の住んでいる地に不思議があるとは全く考えていなかったという若い女性。彼女たちが、読者と同じ立場がゆえに奇妙な出来事に驚くと同時に、彼女たちが何となく納得したところで我々読者も物語に得心しているという仕掛けになる。
 また、第二の故郷とばかりに旅人たちが頻繁にこの地により、それぞれが己の技を用いて妖を祓い、霊を鎮め、地に安寧を齎してゆく。その自分たちの役割を「淡々と」果たしてゆく姿に味がある。職業というよりも、宿命としてのそれ。(考えてみると光原作品にはこういうタイプの人物がよく出てくる絵師、劇団、音楽家、写真家、編み物作家などなど、旅人たちが何かを生み出す人々であると同時に、かつてはマレ人、漂泊人として各地を旅して回っていたであろう職業であるところも象徴的だ。人は巡り、また巡り、そして再びまた相まみえる。
 実際の尾道がどうだったか。行ったことこそあっても観光ではなかったのであまり記憶にないのだが。だけど、瀬戸内の街が持つ独特の雰囲気、景色、優しさといったものは文章から、そして行間からも溢れている。物語もそれぞれ、辛い思いや悲しい思いをしたものは、時間をかけてでも報われるという話運びもベタながら良い。

 本格的な欧州ファンタジーも良いのだが、こういった市井ベースの温かな話もまた光原さんらしさが溢れていて良い感じです。先述の通り、このシリーズは沢山書いていただけると嬉しいなあ。あと、そろそろ光原さんのミステリも読みたいです。


10/02/06
遠田潤子「月桃夜」(新潮社'09)

 遠田潤子さんは1966年大阪府生まれ。関西大学文学部卒業、ドストエフスキーや森鴎外の「理不尽な何か」に惹かれ、創作活動を始めた。現在も大阪府在住。本作で第21回日本ファンタジーノベル大賞の大賞を受賞。題名は「げっとうや」と読む。

奄美沖に小さなカヤックで一人漕ぎだした茉莉香。兄とのあいだにある事件があった彼女は自らの命を、海に委ねようとしていた。そんな彼女の艇に訪れたのは鉤型に曲がった嘴と鋭い爪を持つ猛禽類と思しき大きな鳥。舳先にとまったその鳥の、左の眼は潰れていた。鳥は自分を鷲だといい、茉莉香のマブリ(魂)が溶けかかった状態にあるという。鷲は遙か江戸時代からずっと飛び続けているという。鷲は茉莉香に対し、あくまで例え話として薩摩に支配され、サトウキビの産地として管理されていた奄美の悲惨な物語を聞かせてくれる。その島では農民は砂糖黍を作って砂糖を作った。決められた量を収められなかった農民は衆達という豪農に借り、返せなければその衆達の家人(ヤンチュ)にされてしまう。ヤンチュは労働力を衆達に提供し、膨大な借金を返済するまで働き続けなければならない。ヤンチュが生んだ子供はヒザと呼ばれ、一生ヤンチュである。七歳のヤンチュ、鷲という意味を持つフェイノサという子どもがいた。フェイノサは気が強く、持て余されていたが雇われたばかりのヤンチュの娘で五歳のサネンと出会った。フェイノサはサネンを妹として守ると山の神に誓い、二人は成長してゆく。フェイノサは囲碁の才能があり、サネンは美しく成長してゆくのだが……。

大賞に相応しい瑞々しくもどっしりとした風格。情念が絡み合う静かに呪われた世界――。
 なんと形容すれば良いのだろう。とりあえず凄い才能を感じる。
 現代の話にせよ、過去の話にせよ、兄妹同士の禁断の愛がテーマ。 フェイノサとサネンが登場する過去の話の場合は、山の神に兄妹の契りをした、血の繋がらない兄と妹。七歳と五歳での幼い愛から、互いに成長してゆく過程が悲惨にして厳しく、常に将来の悲惨な運命を予感させつつぎりぎりで交わしてゆく展開がスリリングですらある。
 一方、後半にかかってから徐々に明らかになる茉莉香が死ににきた理由。こちらは今まであまり聞いたことのない設定がベース。すなわち交通事故で長い間身体の自由が喪われていた妹だったというもの。肉体的に血の繋がりがあり、理性では分かっていながら、精神的には男女の繋がりを求めて葛藤する兄妹。こちらの方が道徳的な縛りはきつい印象。(兄の死が自然死となっているが、小説的には自死と自然死の境界を曖昧にするような演出をしていたら、さらに残酷になっていたと思うが)。
 いずれにせよ、二つの兄妹が対比されつつ最後には絶望と希望との淵にて物語が閉じられる。希望という名の永遠の罪。 こういったタブーをテーマにしつつ、過度に悲劇にせず、過度にアンモラルにせず。エンターテインメントぎりぎりのところに物語を踏み止まらせる匙加減が凄い。最後の読者の放りだし加減なんかも絶妙。余韻が長く引く。
 また、例えばこの砂糖の奴隷として暮らす生活そのものがファンタジーなのか、歴史的事実なのか調べていないので分からないのだが、いずれにせよリアリティが高く、この島に読者がするりと入り込まされてしまう。筆力も高く、何より物語自体で読者を引っ張ってゆく力が凄まじく強い。

 ファンタジーでしか描き出せない世界をじっくり描き出している。新人離れした構成と筆力。大賞受賞は決して偶然やフロックではなく、今後は更に凄い作品を生み出してくれそうな予感。将来の大物を発見した気分です。


10/02/05
越谷オサム「空色メモリ」(東京創元社'09)

 越谷氏は1971年生まれ。学習院大学中退。2004年、第16回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞の『ボーナス・トラック』にてデビュー。ほかに『階段途中のビッグ・ノイズ』『陽だまりの彼女』がある。

 県立坂越高等学校文芸部。部長兼たった一人の部員が河本博士こと「ハカセ」。彼は見た目もそのままの眼鏡をかけた痩せた冴えない男子。そして文芸部に正式入部をしないまま部室に入り浸る「おれ」こと涌井陸。170cmに満たない身長に体重98kg、ウエスト115cm。デブは自覚しているとはいえ、バスケ部の北畠に気軽に「ブーちゃん」という渾名で呼ばれるには抵抗があったが口には出せない。学年が上がった四月、文芸部に新入生の女子が一人でやって来た。野村愛美さん。ハカセは舞い上がり、おれは何か裏があるのではないかと疑う。そんな文芸部の様子や日常をおれは備品のパソコンでUSBメモリに打ち込んでいた。題して「空色メモリ」。もともと女子に免疫の少ないハカセは愛美ちゃんにめろめろ。しかし、彼女は何か隠しごとがあるようだ。

非モテ系男子が綴る夢のような青春小説。(なのでファンタジーっ気もあり)
 弱小文化部にやって来た紅一点。彼女のことが気になって仕方ない――。という、普通の男女の物語であれば、まあ普通か、下手したら普通以下の青春小説に留まっていたであろうこと、間違いない。本作をそこそこ読ませる作品に引き上げている理由は明らかに、主人公含む二人の非モテ系男子。 普通の文脈であれば、決して(特に年頃の普通の女子からは)相手にされることのないはずの見た目のハンディを背負った男二人が、いかにプラスの恋愛スパイラルに飛び込むに至ったのか。その「なぜ」というポイントをクリアすることではじめて本書が東京創元社から刊行されている意味に繋がる――とか書くのはうがちすぎか。ただ、ひとつ清々しいというか、気持ちよいのは彼ら二人が、自分たちが非モテであることを自覚しつつも、決して下を向いたり卑屈になったりしていないところ。 ここは重要です。
 ハカセにしろ、ブーちゃんにしろ、女の子に対して一生懸命で、一生懸命だけどどうして良いか分からなくて。嗚呼、青春、良き哉良き哉(爺モード)。友人関係にしても、モテない同士で閉じていないところも良いです。
 あと、特に前半部にて展開される文芸部新加入一年生・野村さんの謎めいた行動。これは謎といえば謎なのだけれども、あまりにもミステリ的にはミエミエの謎だったので、まさかこれで最後まで引っ張られたらどうしよう……と思ったが、さすがにそれは杞憂。中盤で一応のサプライズとして扱われた後、展開は別方向へと動いてゆく。
 個人的にポイントになると感じられたのは、むくつけき男二人組などではなく、後半から主要メンバーに加わるサキちゃんが遭遇させられる同性間のシビアな人間関係だったりする。この状況をさらりと描いてしかも背景に沈めていることで、この作品が必要以上に浮つくことをふさいでいるという印象だ。

 筋書きはストレート。ヒネリがあるといえば、主人公の二人の境遇をちょこっと変化球にしているだけなのに、誰が読んでも気持ちの良い青春小説になっているという不思議な作品。ただ、まあ、そのちょっとしたヒネリが意外にも現実にはないもんで、その意味ではこれも広義のファンタジーということになるのかもしれない。ま、学生諸君は頑張るように(何に?)。


10/02/04
鯨統一郎「ルビアンの秘密」(理論社ミステリーYA'07)

 理論社の叢書「ミステリーYA!」のために書き下ろされたノンシリーズの長編作品。鯨氏は、同レーベルに対して他にも『ABCDEFG殺人事件』を提供している。

 八年も別居を続けているのにまだ夫婦の籍を残す両親。高校二年生になる北元冷(レイ)は、同居する母親に黙って離婚届を記入し、八年ぶりに父親の元に訪れようとしていた。植物学者だった父親・北元英樹は星城大学植物学研究所に勤務する植物学者。レイがまだ小学校三年生の時に家を出たきり戻ってきていないのだ。レイは自分を捨てた父親のことを憎んでいた。そんなレイが父の住むマンションに到着。しかしチャイムに返事はなく、部屋の鍵が開いている。そこでレイは何者かに刺された瀕死の父親を発見した。父親はレイの顔を認めると「ルビアン……」と言い残して死亡する。警察は親子関係からレイを容疑者と考えるが、レイは父親の葬儀に訪れた謎めいた美女が頭に引っ掛かる。そしてレイ自身は自分で父親の死の真相を探ろうと考えた。父親はどうやらポーリン製薬という会社の研究や、新宿のホームレスと何か関係があったらしいのだが……。

新アイデアはあまりなくむしろ人間関係がベースのミステリ
 ミステリーYA!向けの作品ということで、想定される読者層が一般より多少低めになる。そのせいということもなかろうが、多少テーマというか、流れが凡庸に感じられた。作品の粗筋でもお判りの通り、本作のテーマは植物。しかも特殊なバイオテクノロジーといった内容ではなく、どちらかというと普通に眼にする道ばたの草や花木に関する蘊蓄であるとか研究だといったところが大きな比重を占める。が、多少特殊な切り口ではあるものの、植物そのものに何か新しいアイデアが込められているわけではない。鯨作品の魅力のひとつは、当たり前だと思っていた何かに新解釈を与えるところにあるので、その点で少し残念に感じた。
 物語は、製薬会社や謎めいた暴力を感じさせる不気味な男といった黒幕が出てくる段階で、あまり一般読者向けではなくなる。(荒唐無稽になってゆく予感が強すぎて……)。正直、YA!だからぎりぎり許されるというような御都合主義な展開だろう。複数の登場人物が複雑に絡み合い、陰謀だけではなく、父親が残した人間関係や利害関係も含めて、真犯人というか最も悪い奴は誰? という点がメインの謎。あとは暗号めいた謎もあるにはあるけれど、どちらかというとそれまで化けの皮を被ったあの人が実は……というタイプなので、後味があまり良くない。ただ、一定以上のサプライズは機能していると思われる。まあ、ほとんど伏線らしい伏線もないし、ストーリーを主人公と共に追って……というタイプのミステリです。

 逆にいうと、ここまで新たな試みの少ない作品を鯨統一郎という作家が打ち出してくるのは珍しい……とも思ったが、実はそもそもジュヴナイルレーベルに向けて作品を書くこと自体が、鯨氏にとっては初めての仕事であった。その匙加減を探っていた、その結果なのかもしれない。


10/02/03
鯨統一郎「哲学探偵」(光文社カッパノベルス'08)

 第一話が「小説新潮」二〇〇〇年一月号に発表〜第四話が二〇〇三年十月号に同誌に発表。しかし、以降第五話から第八話に至るまでが全て書き下ろしという少し珍しい構成。ちなみに本書ではワトソン役側にあたる警察の高島警視と久保主任は『なみだ特捜班へようこそ!』のレギュラーメンバーでもある。書き下ろしで鑑識の峰が加えられたり、煌子のスカウトを久保が考えている台詞があったりするのはご愛敬だが、「なみだ特捜班」の『小説NON』への連載開始が二〇〇三年七月号から、ということを考えると本シリーズの「特捜班」が「なみだ特捜班」より先に成立した母体であると考えられる。

 金杯。大金持ちの爺さんと結婚した若い女性が興奮剤を飲んで死亡した。なぜ妻の側が亡くなったのか。特捜班の高島警視と久保主任は競馬場で事件について話をして、関係者をおびき寄せようとするが、なぜか哲学と短歌に詳しい男が謎を解き始めてしまう。 『世界は水からできている(タレス)』
 皐月賞。殺された男性の妻が身元確認でいう。もともと小指が欠損している筈の夫の指が復活している。 『汝自身を知れ(ソクラテス)』
 オークス。トイレに行くという男性から鞄を預かった男。男はトイレ個室から他殺死体となって発見、預かった鞄からその凶器が。 『われ思う、ゆえにわれ在り(デカルト)』
 日本ダービー。 抗争する暴力団組長同士の息子と娘が恋仲に。娘が数百ものパーツに切り刻まれた死体で発見された。 『人間は考える葦である(パスカル)』
 菊花賞。 事故死と思われる人々の死を、自分が呪い殺したのだと言い張る新興宗教の教祖。 『純粋理性を求めて(カント)』
 天皇賞(秋)。 密室となったアトリエ内部でバーベルに頭を打ち付けて死んでいた芸術家。 『厭世主義(ペシミズム)の暴走(ショーペンハウアー)』
 ジャパンカップ。 大人になって子どもの頃埋めた「タイムカプセル」を掘り起こそうした男女。カプセルからは、最近死んだばかりの同級生の生首が。 『神は死んだ(ニーチェ)』
 有馬記念。二軒の水商売覇権争い。重要な客を巡ってホステス同士が殺し合いをしたと思われたが。 『存在と時間の果てに(ハイデッガー)』 以上八編。

定型を創り上げ、そこに全てを嵌め込んでゆくという勇気。そしてその弱点
 鯨統一郎の短編集は、数十冊の著書がある現段階(2010年2月)では、いまだいわゆるノンシリーズの集成はない。雑誌は追い切れていないが(しかし、スリーバレーシリーズが近々再開するらしいのだが)、アンソロジーなどでは明らかにノンシリーズと思しきミステリ短編も発表してはいる。が、少なくない著作において、少なくない短編集があるにもかかわらず、鯨氏の場合はほぼ全てに連作短編集という形式を取っている。
 本書はその鯨流の連作短編集としての長所と短所が同時に出ているような印象。 まず長所はやはりクオリティ。ミステリとしての殺人事件の不可解性が高い事件が多いのだ。ヤクザの娘が全身輪切りにされた猟奇死体として遺棄されていた話。さらに、トイレで発見された死体の凶器は、自分がその死体から預かったバッグの中から見つかった、など。不可能犯罪として本格ミステリとしての興趣溢れる良作が幾つもある。(さすがに全部ではない)。
 短所はパターン性の不発か。
 事件発生、捜査、競馬場、マイナーな短歌を詠い、競馬場で哲学者のおっさんが登場、それまでの会話から謎解きをして、その探偵役を務めたおっさんは大当たり馬券を手にして去ってゆく。このパターンを少しずつずらしながら、というのは鯨連作短編の基本形態。ただ、今回の作品の場合、哲学の方は若干事件に絡んでもいることもあって「あり」だが、競馬の方は蘊蓄や扱い方が通り一遍のうえ、あまり物語に絡めている意味が感じられなかった。探偵役自身の魅力もあまり高くなく(あえてダーティヒーローを創り上げようとしたのだとは思うが成功していない)、本作は鯨作品には珍しく、「枠」にしくじりがあるように感じられた。

 正直、完璧な成功作品とはいえないように思えるので、ある程度パターンの意義から理解している鯨統一郎ファン向けなんでしょう。鯨初心者がいきなり読み始めるには、ちとツライような気がします。


10/02/02
中町 信「夏油温泉殺人事件」(ケイブンシャ文庫'95)

 夏油は「げとう」。中町信氏の中期から後期にかけて発表されたトラベルミステリ的要素を(当然、本格ミステリも含め)併せ持つ作品の一つ。元版は1990年にケイブンシャから『不倫の代償』として刊行された作品で、文庫化にあたって改題されている。探偵役は、氏家周一郎・香苗夫妻。

 二週間ほど前、岩手県の秘湯・夏油温泉に向かうマイクロバスが狭い山道で乗用車と接触事故を起こし、崖上から乗用車もろとも転落、多数の死傷者を出す事件が発生した。マイクロバスに乗っていた乗客の一部は、前日に北上市でクラス会を開いた高校の卒業生一行だったが、事故を起こした乗用車の方にも、そのクラス会に出席した男女が乗っていたのだという。その事故に遭遇した馬渕早苗と室田二三子が岩手から東京に転院となり、同じ病室に、推理小説作家・氏家周一郎の妻で、ひどい捻挫で偶然入院した香苗がいた。そんななか、その夏油温泉の事故で記憶を喪ったという上原という女性が、馬渕・室田の二人と面談するが、記憶は戻らないまま、その事故現場で何者かが大きな石を誰かの頭に振り下ろしていた、という殺人現場を目撃したのだといいだす。誰が犯人か分からないまま、事件関係者は慰霊のために事故現場を訪れ、氏家夫妻も同行する。しかし続いて殺人が……。

ラストにおいて中町信の意地ともみえるどんでん返し! だが全体バランスは今ひとつ
 どうにもこうにも、読んでいてあまり引き込まれなかったなあ、と後になって思い返す。序盤に登場する思わせぶりなプロローグがある程度のミスリーディングというか、読者の思い込みを醸成しつつ、ぎりぎりラストになってそれをひっくり返すという手法そのもの、これは、中町信氏が長らく得意としてきたパターンである。本書も、ある意味ではその基本を踏襲しているといえる訳で……。
 と、改めて考えると事件そのものに魅力がない、という身も蓋もない結論に行き着くか。せっかくミステリ作品を読んでいるのであるならば、どうせならば発生する殺人事件そのものや、その背景事情にある程度の魅力が欲しいところ。本書の場合は、夏油温泉での元の事故、さらには殺人事件とあるのだけれど、どこか容疑者同士の絡みもそらぞらしく、同級生の問題に首を突っ込む氏家香苗の図々しさも鼻につき、べたべたな殺人事件を読まされているような印象が強いのだ。特に「事故現場で殺人を目撃したように思うという記憶喪失の女性」といった存在自体、人工性(というか嘘くささ)の極みだといえるのではないか。
 終盤に至るまで全体として、物語内部に上記のような部分をはじめ、遠く岩手で離れた、単に病院で同室になっただけの女性たちの事件に、氏家夫妻がそこまで肩入れするのもおかしいだとか、読んでいて細かな違和感が多い作品。ただ、終盤というかラストに至って、作者の意地ともみえるようなどんでん返しをぶち込んである点、それはそれで印象的だ。このどんでん返しのおかげで駄作を平均的作品の地位まで押し上げている印象。

 中町信氏の作品のなかでも、実は比較的眼にしない作品かと思う。まあ、創元推理文庫から再刊された初期作品群に比べると本格としての味わいも、物語としての豊かさという意味でもかなり落ちるのは仕方ないところか。ついでにいうと夏油温泉って本書で初めて知ったのですが、有名なんでしょうか。


10/02/01
西村寿行「悪霊の棲む日々」(角川文庫'79)

 ハードバイオレンスの巨匠・西村寿行の長編作品。初刊行は'77年徳間書店刊。角川文庫版で読んだが、'99年には光文社文庫、2005年には山田正紀氏の解説つきでハードカバーで復刻もされていたようで、定期的に読まれている作品らしい。

 妻の浮気相手の男を殺害し逃亡生活を送っている多門辰也。能登半島で偶然知り合った久光という男は《悦楽ルート》なるコースを旅行中なのだという。その男がどことなく自分に似ていることに気付いた多門は、バス事故をきっかけに男と入れ 替わる。辿り着いた先で、謎めいた人妻美女とのめくるめくような官能の日々が続いた。《悦楽ルート》が指し示すのは、瀬戸内海に浮かぶ岩根島。若者が皆離散してしまい、頑固な年寄りだけが暮らすこの島でどんな快楽が待ち構えているかと思われたが、生活物資は与えられるものの全く何も起きない。島には、と蛙の合いの子のような生き物がおり、元漁師の頑健な老人たちは、島を訪れた別のカップル含め、彼らを島に閉じこめようと暴力的な行動を取り始める。果たしてこの島に隠された秘密とは……。

強烈にして理不尽なサスペンス、強烈にして問答無用の恐怖とエロティシズム。むう、ハード・ロマンだ
 西村寿行を最後に読んだのは、本サイト開設する前だから、えーといつだ? ということで、ごくごく久しぶりに手に取った西村寿行。ひとことでいうと、強烈です。 前半部の得体のしれないサスペンスに、得体のしれないエロ。(エロティシズムとかそんなんではなくエロ、ですな)。得体のしれない組織が背後にあるといった、現実性の制約から微妙に解き放たれたような創作姿勢はそれはそれで貴重だったのかも。ただ、作者の特徴ともいえる極端な男尊女卑というか、男性の快楽に女性は奉仕すべきだし、女性もその結果悦びを得るはずだといった感じの、一部男性がステロタイプに持つ独りよがりの思い込みが大前提にあるのは、現代的には違和感がある。
 ただ、全体としても話運びの巧さに関しては絶妙としかいいようがない。 何が起きているのか分からない緊張感、中盤から徐々に現れてくる狂った人々に悪魔の研究。だんだん現実的にはあり得ない方向に向かって進んでゆくにもかからず、厭な感じはどんどん強くなる。島という孤立した状況内部で育まれ増幅している狂気の凄まじさが堪らない。中盤部では、不気味だっただけなのが、たがが外れた後半ではめちゃくちゃになる。屈折した人生を送りながら、いつの間にか本能のまま、狂気に浸って変化してしまった老人たち。そりゃ多少特殊な事情はあったとはいえ、根本的には我々と同じ人間の行く末の一つ、という点がたまらなく厭だ。

 冒頭から中盤にかけては、不条理は不条理なりにもひたすらサスペンスで押し切るのかと思いきや、中盤である程度とはいえ、謎の組織が登場、どちらかというとSF的に世界観の説明がつくようになる。ただ、その説明はあってもなくても物語の印象全体は変わらない。あくまでどす黒く、欲望を醸成して濃縮したかのような「濃い」老人たち(おそらく=悪霊)の姿こそが、単純にしてシンプルな本書の主題かと思う。