MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


10/02/28
倉阪鬼一郎「恐怖之場所 死にます。」(竹書房文庫'10)

 実話系怪談を多く手がける竹書房文庫から、倉阪氏初の作品ということで、エクスギューズなのかなんなのかあとがきなどで、ベースが実話であるといった説明が為されている。元より怪談指向の強いクラサカ氏の文章としては、長年読者をやっているこちらとしては違和感が強く、何か「大人の事情」があったのではないかと勝手に類推している。

 作家の倉阪鬼一郎氏は、読者の一人である湊ルリアなる女性から、怪奇譚を教えてもらうことになり「CALM LIAR」なるバーに出向いた。不動産業を営むという彼女が語る怪異の数々。
 音に敏感な健一が引っ越してきたアパート。静かではあったが夜中に踏切の警戒音が聞こえてきた。そしてその音は、踏切で過去に何かあったことを伝えてくる。 『遮断機が上がったら』
 一家が引っ越してきたのは郊外にある割安の一戸建て。しかし、その家では過去に事件が起きていた。家族はひどい夢を見るようになり、惨劇も繰り返される。  『死にます』
 ペット可のマンションに引っ越してきた女性ライター。しかし、その部屋の壁には奇妙なところがあり、飼い猫すら寄りつかない。その部屋の元の持ち主は……。 『腐った赤い薔薇』
 居抜きでチェーン展開する格安ステーキショップ。その店の立地は悪くなかったが、店では変な事件や出来事が立て続けに発生、客足に影響が出ていた。『倒立する天使』
 カメラマンの男と妻と娘。田舎に購入した家のあった場所には過去に曰くが。娘は誰とも分からない何かと遊ぶようになり、過労で男は……。 『灰色の浴槽』
 リタイアした夫婦が引っ越してきた田舎の家。晴耕雨読を気取るはずが、地元の人も恐れる家に住むうち、疲れが激しく出るようになり……。 『逆光の山の向こう』
 全国どこでも見る引っ越し屋のマーク「舌を出すタヌキ」。その引っ越し社は、社長のある趣味に関して、人知れず、さらに笑顔で、ある行動を起こしていた。 『舌を出すタヌキ』 以上七編連作。

実話怪談を謳うも、語り口からひとつひとつが紛うことなきクラサカ怪談という連作怪談集
 殺人があった、持ち主が事件を起こした、過去に因縁のある土地に建てられた……といった曰く付き物件は、売却や賃貸時にその事実を告知する義務とかがあったと思うが、あいだに業者を挟むとか、質問に対して微妙にぼかして回答するなどぎりぎりのところで客を巻き込んでゆく倫理観のない悪徳不動産屋(女性)が登場、バーでホラー小説作家・倉阪鬼一郎相手にそのネタを披露してゆく――というのが幕間にある展開。上記にある作品はそれぞれ、一応不動産絡み(アパートだとか家だとか土地だとか)がテーマの怪談・恐怖譚になっていて、どちらかというと独立した短編として読める内容だ。(というか、倉阪作品だと判って読む読者は普通そう読むだろうけど)。そして内容は、やはり実話怪談というよりかはクラサカ怪談。 多少、現実的なテイストが多めに振りかけられているものの、幕間の女性と作家のやり取り、猫だけではなく登場するガジェットの数々。薔薇、倒立する天使といったあたり。そしてこの幕間の顛末を含めて非常に高い人工性のもと、計算された恐怖が醸し出されている。 厳しいことをいうと、一部のモチーフに関しては既に何度もクラサカ作品で触れているというものもあり、新鮮さという意味では完璧ではない。(ただ、変化を付けているため、一概にダメとかそういうことではない)。
 そして幕間の締め括りなどはクラサカ怪談らしい。語る側、聞く側もまた怪異に捉えられていくという怪談ものの定番展開を、やはりクラサカ風に処理をしたということになるのかな。

 本当の意味で実話系怪談だけが好きな方には、この幕間が夾雑物になりやしないかとか思うが、やはり倉阪ファンがお買い求めという方が比率は高そうなので、これはこれで良し。角川ホラー文庫で展開している一連の「平仮名三文字題名」シリーズと、根底では繋がっているような印象もあるホラー連作集。(と、考えると題名のなんともいえないセンスにも微妙に首をかしげるところ)。


10/02/27
石持浅海「君がいなくても平気」(光文社カッパノベルス'09)

 カッパ・ノベルス創刊50周年特別書下ろしと銘打たれて2009年年末に刊行されたノンシリーズの長編作品。石持氏はそもそもKAPPA ONEによるカッパ・ノベルスデビューであるし、その関係もあって光文社から多数の作品を刊行している。

 今をときめく新興IT企業・ディーウィと、老舗のベビー用品メーカーであるベイビーハンド。業務提携を進めようとしている二社による共同プロジェクトは、携帯電話の音に合わせてロボットが踊るという「着ロボ」というスマッシュヒットの製品を生み出し、第二弾となる商品開発に取り組んでいた。その「着ロボ」のヒットを祝う飲み会が平日に行われ、次の日、参加者たちは宿酔いに悩みながら出社してきていた。そんな気だるい朝に、プロジェクトリーダーを務めるディーウィ所属の粕谷が急に痙攣して意識を失い、そのまま死亡する事件が発生。原因はニコチンによる中毒死であった。ディーウィに所属する北見勝は、ベイビーハンドから派遣されていた女性エンジニア・北見早智恵と交際していたが、彼女の部屋を訪れた際に粕谷を殺害したのが早智恵ではないかという証拠を見つけてしまう。水野が選んだのは、早智恵を警察に突き出すことでも、自首を勧めることでもなく、彼女が捕まるにしろ、逃げ延びるにしろ自分が恋人であるという事実を無かったことにしてしまおうという行為。しかし水野は早智恵のことを避けるに避けられず、むしろ関係を深くしてしまう。その粕谷の葬儀の帰りの新幹線で、今度はベイビーハンドから派遣されてきた別のメンバーが死亡する事件が発生した。

ざらざらしてぞわぞわ。石持氏ならではの触感というか、読んでいて感じる「いやーな感じ」がつきまとう。
 ――恐らく、その厭な気分の主な原因は、頭の回転が早く実際に頭も良く、世慣れた人間関係を築いている主人公の自己中心的な感覚から来ている。交際している恋人が殺人犯かもしれない――ということに気付いた主人公の選択は、彼女を諫めるでも、警察に告発するでもない、証拠を揉み消したうえで、発覚前に、いち早く別れてしまおうというもの。別れてしまえば彼女と自分との間になんの関係ない――というドライな感覚に目眩がすら感じる。確かにそうだけどさあ。
 ただ、実際はなかなか簡単に主人公は彼女と別れることができない。切り離すというよりも、逆に異常なまでの緊張感の下で、ずぶずぶと関係は深みに突き進んでいく印象だ。別れる別れる詐欺……なんていうと語弊があるが、そうしたいと思いつつ、心の奥底でこのドライな主人公ですら自覚できないところに灯った何かが、最後の最後に表出してくるという作品。 そのラストまで至って、やはり本書が石持流の本格ミステリであり、同時に(多少いびつな)恋愛小説でもあるということに納得できるようになっている。特に終盤以降、その結末に至るまでには、細かな論理の積み重ねがあり、ちょっと弱いと思える推理もあるものの、最後の最後は感覚ではなく論理で状況分析を積み重ねてゆく場面に、本格ミステリファンとしてはゾクゾクするのです。

 動機の特殊性であるとか、物語構造の人工性などが何かといわれやすい石持作品だけれども、本書の場合は、そんな主人公が抱える自己中心的な相克、そして彼の感情と行動の矛盾がむしろ人間くささと読める。 そういった観点からは、石持氏はもともとの立ち位置を崩さないまま小説が上手くなっているよなあ、とか思うのだが、多分一般的な感想ともまた違うと思う。いいけど。


10/02/26
中田永一「吉祥寺の朝比奈くん」(祥伝社'09)

 なんか、本書で二冊目となる著者紹介を見ていると、プロフィール以外はごくごく当たり前に記述されていて、そもそも「中田永一」は覆面作家とかじゃないように見えてくる……からなんか不思議。中田永一って誰なんだあ? (棒読み)さて、本書は五編からなる作品集で、主に恋愛小説誌『Feel Love』にて発表されたもの。『三角形はこわさないでおく』が書き下ろし作品。

 高校に通うラブラブの男女による交換日記。しかし、女性が男性の裏切りを日記上で糾弾。中断後も別の人間の手にノートが渡って次々と書き込みが増えて……。 『交換日記はじめました!』
 油性ペンマッキーを巡る中学時代の思い出。机に強烈なラクガキというイジメを受けた同級生にアリバイがある日、私はクラスメイトの机にラクガキをするため、夜中に学校に忍び込むが……。 『ラクガキをめぐる冒険』
 表面上は大人しく目立つのがイヤな女子高生。しかし彼女の「おなか」は空腹時、そうじゃない時、複雑な音色で音を立ててしまう。隠そう隠そうとしていた彼女の前に、耳が良い同級生が現れた。 『うるさいおなか』
見た目が格好良く勉強もスポーツも出来るが言動がぶっきらぼうで孤高を貫いていたツトムと、そのツトムとフィーリングが合い徐々に親友となる廉太郎。ツトムが意識するボーイッシュな外観をした爽やかな風貌の彼女の存在を知った廉太郎は……。 『三角形はこわさないでおく』
 喫茶店に勤めている細身の女性・山田真野。その店に客で来ていた元劇団員の朝比奈。実は真野は結婚して子どもも居るのだが、二人は少しずつ惹かれ合うようになって……。 『吉祥寺の朝日奈くん』 以上五編。

ミステリのスパイスを抜きにしても、するりと読者の内面に入り込む物語の力が大きい
 表題作の『吉祥寺の朝比奈くん』そして、冒頭の『交換日記はじめました!』の両作品には、一応は読者へのサプライズを狙ったようなトリックが少しだけ使用されている。特に表題作の方は、そのトリックの意味があることで物語の叙情性を高める(真実が判明した後で、よりその思いが強かったことを知る)のに大いに役立っているといえるだろう。一方の『交換日記』は、そのサプライズそのものが主題ではないのでミステリ的にはちょっと弱いか。ただ、本書の収録作品は基本的には恋愛小説。 読者は無理に驚く必要も驚かされる必要もない。
 と、その観点に立って小説群を見渡すと、素直に凄いのだ。特に文章に大きく凝っているということも、特殊な技巧を凝らしているわけでもない。なのに、普通に読むと主人公や重要な役割の気持ちや姿が、するりと読んでいるこちら側に入り込んでしまうのだ。 性別の違う、見ず知らずの女性の息づかいすら同化してしまっているような感覚。この表現力は何なのだろう。登場人物の悩みは読者の悩みとなり、楽しみは読者もまた楽しい。ということは恋愛小説としては強烈なアドバンテージになるわけだ。主人公が好きになれば、読者も相手を好きになる。(単純にいうとそういうこと)。
 確かに泣かせる物語を書かせるとかなり上手な作者(誰のことを指しているの?)であることは周知の事実。その作者がちょっといい話を書けば、読者は素直に感動するし、そして恋愛小説を書けば、読者もまた主人公と友に喜び、悲しみ、そして恋愛にどっぷり浸かる、と。そういうことだ。

 ミステリや、普通の意味での、つまりは第三者的恋愛小説とは違う、実体験を追体験しているかのような恋愛小説集。その発想もユニーク、そしてスパイスとしてミステリ。 作者が恋愛小説モードにギアを切り替えているのかもしれないながら、それが成功しているのだから凄い作品集かと思う。


10/02/25
畠中 恵「ころころろ」(新潮社'09)

 畠中恵さんのデビュー作から続く人気の「しゃばけ」シリーズ第八弾。現在は年に一冊、夏頃に刊行されるペースが継続している。本書は一応は短編集ではあるものの、あるテーマに沿って物語が進んでいるため、実質的に長編作品となっている。『小説新潮』二〇〇八年九月号と、二〇〇九年二月〜五月号にかけて発表されたものが初出。

 いつも通り寝込んでいる若だんなこと一太郎、最初の話は十二歳。店のことが手伝えず心苦しく思っているのはいつもと同じ。そんな一太郎の元に日限の親分が、お沙衣という娘を連れて訪れた。お沙衣の母親は目を患っていて医者にかかっているのだが、その医者は目の神様を祀るために七宝を奉納するようにいう。彼女たちの稼ぎでは手が届かないが、お沙衣は母親のためになんとかしたいのだという。『はじめての』。 続く『ほねぬすびと』では、病気でも妖のせいでもなく、一太郎の目が突然光を喪い、見えなくなってしまう。長崎屋が請け負ったある藩の江戸土産用干物運搬で発生した事故を鋭い観察”耳”で解決はする。しかし失明は一太郎がかつて関わった神様・生目神が関わっていることが判明する。『ころころろ』『けじあり』は、一太郎の眼のために、生目神にまつわる”玉”を集めようと、一太郎の世話役にして大妖でもある仁吉と佐助がそれぞれ弱き者にすがりつかれたり、妻を娶ったりして奮闘する話。最後の『物語のつづき』にて、生目神と一太郎らが対決し、問答を行うという展開。果たして一太郎は目に光を取り戻すことができるのか――? (愚問)

シリーズとしての存在感・安定感はさすが。またミステリ精神がピリッと味わえる最終話にも注目
 前作を読んだ時にも書いたが、全体的な安定感がものすごい。 一太郎を始め、長崎屋の面々と妖たちのキャラが完全に立っており、ある程度の過去エピソードも披露されつくしている。また、今回は登場しないものの、一太郎の周囲にいる毎回は登場しないけれども二回以上登場している準脇役ともいえる人々も固まってきている。……と、本作では一太郎の身に降りかかった大事件を中心に、妖ではなく神様という、これまでの妖や人間とは異なる存在の者が登場、その不可思議 にして微妙に人間嫌いの行動が物語をややこしくしている。
 作者が本書に関するインタビューで述べていたのが、この作品集の二作目である『ほねぬすびと』から、視点人物でもあった一太郎の目を見えなくしてしまっており、描写からくる印象が従来と若干異なっている。続く二作目が、仁吉・佐助のサイドストーリーとはいえ唐突に二人が主人公を務めるのも、その描写しにくさが一つ要因だったということだろう。その結果、やはり従来シリーズでありながら、若干ではあるが読んでいる時の手触りが異なるように感じられた。(これくらいのブレがあった方が、読む身からはスパイスになって良い)。
 個人的に気に入ったのは、SFミステリ的感覚すら入り込んでいるように思われる最終話『物語のつづき』。昔から伝わる、いわゆる昔話の続き、という問答がモチーフ。神様は「桃太郎」の結末の、さらに後であるとか、「浦島太郎」の後であるとかについて、一太郎たちに意見を求めてくる。正しければ一太郎の目は元に戻るのだが……。
 桃太郎に対する解釈は、高田崇史氏あたりが述べている史観と近く、ただそれを鳴家たちに喋らせているところに素朴な正義感が感じられて良い。そういった一連の伏線の後、神様に起きた事柄、そして一太郎の推理は哀しみを伴うながらも、浦島太郎が伏線となって納得させられる内容のミステリが表出する。物語の流れからすると不自然さはないが、ミステリファンとしてはこの部分での、ある要素への着目の仕方などに畠中恵のミステリ・スピリットを感じてしまう。(褒めすぎかも)

 と、一部を褒めたものの、基本的には八冊目ともなると、シリーズは、シリーズ通じてのファンのものか。ただ、ここ数冊のシリーズとしての安定度は高く、どれを読んでも外れはないという点は、高く評価できるところでしょう。(ただし、超大当たりもしばらく出ていないようにも思いますが……)。


10/02/24
山田正紀「イリュミナシオン 君よ非情の河を下れ」(早川書房'09)

 『SFマガジン』2005年3月号から発表が開始され、年に4〜5回同誌に掲載されるかたちで続いた長編連載が単行本化されたもの。連載の最後は2009年7月号で全21回にのぼる。作者曰く『ハイペリオン』に刺激されて書き始めたとのこと。

 『結晶城』から『非情の河』を下って欲しいのだ。『イリュミナシオン』を探索してもらいたい。アルチュール・ランボーを探索して欲しいのだ――。国連の特別事務総長・ムアベは、国連領事の伊綾剛は命ぜられた。ここは内戦状態にあるアフリカの独立国・サマリス。七年前、腐敗した独裁政権が倒されたが功労者であるラシネ・ナレシ将軍は指導者に選ばれず、資金面以外は取り立てて功績のない実業家・モハメッド・アメルが暫定大統領に選ばれていた。鉱石資源に恵まれたサマリスを巡り超大国の思惑がぶつかった結果である。治安は悪化し、日本もまた自衛隊からPKO活動の部隊を派遣していた。そしてまた人類と対立する概念である『反復者』が動き出し、ランボーの詩を狙っているのだという。『反復者』は、「性愛船」と呼ばれる乗り物(?)を送り込んできており、伊綾は他の四人のクルー(中世日本の僧侶・行基と行動を共にしていた阿修羅、『嵐が丘』の作者、エミリー・ブロンテ、ランボーの元恋人で詩人のヴェルレーヌ、そしてイエス・キリストの弟子となる聖パウロ)と共に「酩酊船」に乗り込むよう要請されている――。

(自分にとっては、ですが)五次元世界で展開される物語をハードSFタッチで仕上げた物語
 なんとか序盤のあらすじまではまとめたものの、本作は生粋のSF読者ではない小生にはちと辛かった――。
 SFなのか、現実に存在するのか(さてもトンデモなのか)すら読んでいるあいだ判明しなかった様々な理論――「超数学素理論」「万・万物理論」「ループ対象理論」「量子論的時間認識」――読んでいるうちに片鱗くらい理解できるではないかと思ったが甘かった。更にはランボーを始めとする「詩」という形式をもって世界を観察する試みであるとか、歴史解釈のトンデモ的展開であるとか、あちらこちらにガジェットが理論が飛び回り、どこかに縋ってもそれだけでは物語が繋がってゆかないという複雑な構成を、恐らくわざと取っている。時代も近未来から、キリストの昔や日本の奈良時代等々、汚い言葉だが「ぶっ飛びまくり」。

 噛み締めることすら許されず、理解できない様々な理論の名称そのものが、既にリズムとしてしか認識されなくなり、その言葉の漠然としたフィルターを通じて、つまり物語をイメージでしか捉えられない自分がいます。ごめんなさいごめんなさい。でも、分からないものは分からないとしか。そして、この読み方はそんなに少数派なのかなという疑念もある。
 頭の中に入り込みにくい理由の一つに、登場人物たちの時系列がバラバラという理由がある。時間と空間は当然のように超越、どういうアイデンティティのもとに存在し続けているのか、これまた端から見ているとさっぱり判らない――人々の物語。 さらに物語自体が半分分裂しているかのような飛び散り方まとまり方を好き勝手にしている印象で、一次元余計に付け加えさせてもらいました。歴史や空間という以上、物語として高次元で作品が描かれているかのよう。 幾つかの対比、詩を用いての世界分析といったパートでは理解できそうなところはあるものの、全体としては朧気なイメージでしか、やっぱりこの作品が捉えられません。

 それでいて、読み終わると何となく面白かったという気分にさせてくれるのが山田正紀のブランド。あとがきとか読んでいると、そもそも「捉えられないようなもの」を想像して描き出すというのが本書のテーマの一つのようなので、これはこれで「あり」なのかも、とかとも思いますが。
 もともと鍛えられたSF脳を所有している方ならばどんな読み方、理解の仕方をするのだろう。読み終わって最初に思ったのはこんなところです。感想以前の印象のみ。お目汚し、失礼を致しました。


10/02/23
白石かおる「僕と『彼女』の首なし死体」(角川書店'09)

 白石かおるは1971年、新宿生まれ。第5回スニーカー大賞奨励賞を『格闘少女スズ 上を向こうよ』にて受賞。ライトノベル数冊を上梓した後、2009年に本作にて第30回横溝正史ミステリ大賞の優秀賞を受賞して一般向けに再デビューを果たす。

 ”僕”こと白石かおるは、一流商社に勤務する若手サラリーマン。しかし今朝、計算を尽くした結果、自宅に住んでいた女性の、身体から切り取った首を無造作に持ち運び、早朝に渋谷ハチ公の前に置いてきた。僕はその結果もたらされるであろう「知らせ」を待っていた。僕は、かつて演劇にも使われていたという、元電子部品倉庫を借りて居住しており、彼女の胴体は冷蔵庫の中に保管している。事件は渋谷駅前生首放置事件としてレシートが頭に貼り付いていたという情報が一瞬報じられるものの、あっという間にそれは隠匿されてしまった。一方、商社で営業の仕事に携わるサラリーマンとして、白石かおるは社長を前に正論をぶつけるなど柔軟な発想と大胆な行動を取る人物だった。ただ組織的な行動が求められる会社員としては異端、そして問題児であり、上司の矢部副課長や同期の野田らは白石かおるの行動に頭を痛めている。また、矢部の婚約者で秘書室長の冴草女史からも怒られつつ興味を持たれている。そんな白石の自宅に二人組の刑事が訪れる。どうやらこの家に泥棒が入っていたようなのだ。泥棒は事故に遭って幸い意識不明。しかしそんな白石宅に泥棒が押し入り、よりによって冷蔵死体の指を切り取って持ち去ってしまう。さらに東京に大地震が発生して……。

文章はラノベ、主人公の常識外れ・感覚のズレっぷりをミステリにするという転倒
 まずは、とてもとても読みやすい。 この点については、やはりラノベ出身であることと切り離せないように思われる。ただ、表現が雑で幼稚といったものではなく捨象がうまいというかシンプルに物事をまとめるのに長けている印象。また、もう一つ、主人公を除くと”類型的”と揶揄されても仕方ないような、それぞれが典型的役割をもった分かりやすい脇役たちの存在もあろう。主人公以外の登場人物に、正直深みが感じられないのだ。それぞれ、犯人ですらシナリオに沿って役割通りに振る舞っているように見えてしまう。それはそれで不思議なのだが。
 また、商社マンという主人公らの設定にそれなりにリアルはある。その一方で登場するプロジェクトや事業がビジネスにしても「面白いところのみいいとこどり」(実際の業務はその裏面にまだあることは匂わされているものの)になっていてゲーム性ばかりが強調されているようにみえる。また、コンビニエンスストアの女店員や、秘書室長といった女性たちと「白石かおる」を巡る展開も踏み込みの浅さがラノベ的。わざわざどろどろしたものが読みたいという訳ではないのだが、一般向けならば相応の表現方法も選択肢ではなかったかとも感じさせられる。
 そして、冒頭で明らかになっている「白石かおる」は、なぜ女性の首を切断し、渋谷ハチ公前に置き去りにしなければならなかったのか。また、彼に対してプレッシャーをかけてくる存在は何、ないし誰なのか? といった点が根幹を成す謎。 ただこの唯一最大の謎も、結局のところは主人公の思考回路といったところに落ち着くうえ、この思考回路が 人間離れしてしまっていて、何か一生懸命人間のフリをしている宇宙人のそれを見せられているよう。必死で人間らしくあろうとしているけれども、根本的な価値観のボタンが掛け違えられているといえば、まだ分かるでしょうか。基本の頭が良すぎるところとかも含めて。

 とはいえ、そういった違和感こそが作者の目指したところかもしれず、ラノベ的に入りやすい文章ともども「狙い通り」と言われる可能性もある。ただ、読みやすいということはやはり読者にとっての分かりやすい利点でもあるので、今後どういう方向に行くのかについては知りたい気がする。その向き方次第で化ける可能性も感じている。


10/02/22
竹本健治「ツグミはツグミの森」(講談社'09)

 小説現代増刊「メフィスト」2008年5月号から2009年1月号、2009年Vol.1及び2に掲載された長編作品が単行本化されたもの。同系統の題名に『カケスはカケスの森』があるが、先の作品を読了したのが昔過ぎて共通する何かがあるのか、実はよく判らない。

 美良野高校の二年生である”僕”こと藤崎潤は、三ヶ月前に足を滑らせて崖から転落して以来、久々に登校した。同級生で親友の伊吹友雪は温かく僕を迎えてくれたが、クラスでは僕の席に花瓶が置かれ、花が活けられていた。正雪が慌てて花瓶をのけてくれたものの、同級生たちは無関心を装うなど僕は自分が新たなイジメの標的となってしまっているのかもしれないと少し凹む。僕が所属していたのは天文部。部員は、変人部長で三年の佐々木孝輔、二年は僕と伊吹友雪。一年の双子の姉妹、雨宮璃加と瑠加の五人。他にも写真部の市川庸司や、水泳部の石塚咲良も入り浸っている。庸司はカメラを持って運動部の女子生徒を撮影するのが趣味で盗撮と揶揄されていたが、実は水泳部顧問の女性教師・伊吹先生が好み。しかも彼女は友雪の母親だ。そんな天文部は、最近幼女殺人事件が発生したばかりのツグミの森にある小屋で、一週間の合宿をすることが決まっていた。しかし運の悪いことに超大型の台風がこの地方に接近してきていた。合宿は決行されるが、そのあいだに”僕”は、様々なスキャンダラスな出来事に遭遇、そして悲劇が――。

幻想的雰囲気の似合う竹本ミステリらしさと、どこか微妙な時代錯誤感とがせめぎ合う……。
 幻想感覚が入った高雅な文体の一方、年齢不相応に(老成も未成熟も両方) 訳わかんない、つまりは世間的常識から外れたセンス持つ登場人物たちの、暗くてオタクで謎めいた行動にクラクラ。事件マニアに天文学オタク。そんな彼らが織りなす青春学園もの、というのが表層的に存在する。ただ、どうしても幻想的雰囲気にあっても存在感を示すことができる彼らと、ラノベめいた楽しい学園生活というのはやはり相性が良くないように思える。この、幻想と本格を両立しているのではと匂わせる段階で、竹本健治らしいといえばいえる。
 ミステリとして使用されているトリックはいわゆるアレですが、物語や文体とのバランスのなかではまあ許されるのでは。後から考えるに、嵐吹き荒れる山の中を懐中電灯一本で進むのは無理だろうといった引っかかりもまたミステリの一部だとするならば周到。視られる筈のない光景であるとか、合宿所を抜け出してもお咎めのない”僕”の存在等々、考えてみると伏線はしっかり張られている一方で、竹本作品の特徴でもある幻想的な光景・風景のなかに溶け込んでしまっている部分があり、読者にとって一筋縄でいかないミステリになっていることも事実だ。
 ただ、唐突に開始され、何かのトリックに使われるのかと錯覚ささられたエロティックというよりも下品なエロ描写はちょっと引く。厳密にいうとエロ描写に引くのではなく、三時代前のエロ劇画ですか? というような展開に抵抗感があるからなのだが。また、その一方で学園ものとしての本来中核を為すべき、おままごとみたいな恋愛感情とのギャップも凄まじい。

 幻想的描写その他読みどころは多いのは事実だし、古くからの竹本ファンにはこれで良いのかもしれないけれど、出来上がっている作品の其処此処に世代間ギャップというか、時代めいた錯誤感が存在しているように感じられた。文体と物語のバランスが今の若者向けではないのだ。若い読者が素直なミステリとして楽しむにはちと辛いのではないかというのが正直な印象です。既に竹本健治は読者を選ぶ作家になっていることを実感する。


10/02/21
太田忠司「甘栗と戦車とシロノワール」(角川書店'10)

 藤森凉子シリーズからの薄ーい、スピンアウトシリーズ『甘栗と金貨とエルム』に続く、高校生探偵見習い・甘栗晃シリーズ二冊目。書き下ろし。

 私立探偵事務所を経営していた父親を交通事故で亡くし、一人暮らしをしている高校生・甘栗晃。ひょんなことから父親のやり残していた探偵の仕事をやり遂げた甘栗だったが、夏休みを終えて復学というかたちで高校生活へと戻る。美術部の部長として平穏な暮らしに戻る予定であったが、前回の事件の関係者から話を聞いたという生徒が甘栗を訪ねてきた。徳永馨と名乗ったその男、がっしりした戦車のような巨体の持ち主で中学時代は武闘派、当時の呼び名は「名古屋最凶の中学生」。その彼が、小学校時代の恩師を捜して欲しいという依頼だった。結局、彼の話を聞いてしまい、出来る範囲でという条件で依頼を引き受けた甘栗。街中で突然恩師が消えたという謎は、現場を訪れることであっさりと解決できたが、その恩師・音部麻由子はプライベートで問題を抱えているらしいことが判明する。元教師だったという彼女の両親から事情を聞き、恋人と思われる人物のところを甘栗は訪れるが不在で諦める。しかし、その部屋には恋人の父親がその部屋で自殺していたことが判明。前後して、甘栗が探偵活動を行うことを快く思わない者が脅迫状まで送りつけてきて……。

毛色の変わったハードボイルドとしての味、そして極上のミステリが醸し出す苦み……。
 前作を読んでから少し時間が経過して細かな設定は思い出し思い出ししながら読んだ。主人公は、探偵初心者を自覚している高校生。最近、不幸な出来事で父親を失ったが、様々な人のバックアップにより、ようやく復学、もとの生活に戻ろうとしている状態だ。そんな彼のもとを訪れる依頼人。ああ、ハードボイルド。
 そして、事件の流れは、ある意味でのハードボイルド作品の定型――即ち、事件が人捜しであったり、格好を付けたワイズクラックであったり、主人公が巻き込まれるかたちで深みに嵌っていったり、といったところピックアップしてゆくと「よくあるミステリ話」 ただ、その一方で探偵役が高校生であり、捜査に種々支障をきたすとこなどはユニーク。結果的には青春小説+ハードボイルドが成り立っている。
 普通に読むと、そこで止まるのだが、本書の本当の深みは終盤の一連の事件の再解釈にある。 甘栗晃は、自分自身のが置かれた環境を、無理矢理に知らしめられたうえ、さらに別の事件の真相に達してしまう。被害者と加害者の関係が一様ではないという、理屈で判っていてもなかなか感覚に受容できない事柄に真っ正面から取り組んでいる。しかも、犯人自身が全く自覚していないという点が、ミステリとして恐ろしいところか。

 個人的には藤森涼子がもちっと出てきてくれても……と思う。が、甘栗晃と彼を中心とする青春譚としてまず楽しめるし、最後に明かされる苦みの強い結末にもまた驚くこともできる。このクオリティを維持しつつ、きっちりとシリーズとして続けていって頂きたい作品だ。(あと、この本を読んで、名古屋中心の有名デザート「シロノワール」をどうしても食べたくなり、コメダ珈琲で食べてきましたよ)。