MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


10/03/10
福田和代「プロメテウス・トラップ」(ハヤカワ・ミステリワールド'10)

 『ヴィズ・ゼロ』にて鮮烈なデビューを果たした福田和代さんの四冊目となる作品。短編集の体裁となっているが短編それぞれの繋がりが密接で連作短編集というよりかは、実質長編作品。

 現在は在宅のプログラマーとして静かで平凡な生活を送る能條良明は、かつては天才ハッカー"プロメテ"として、MITに留学中、FBIのサーバ侵入を成功した過去を持つ。しかしその侵入の結果、逮捕され三年ものあいだ米国で収監され、日本に強制送還されていた。しかし、ある日のこと、彼をプロメテだと知る謎の人物が現れ、彼に直接仕事を依頼する。ICチップ搭載のパスポートの解析とその偽装であった。我が身を護るためやむなく能條は仕事を引き受けるが、MIT時代から親交のある金髪の友人"パンドラ"ことポール・ラドクリフの助けも借りて、その人物をロサンゼルスの空港で罠に嵌めた。しかし、その出来事自体、現在のFBIによって仕組まれたものだった。パンドラは今はFBIの特別捜査官として働いており、FBIに対してサイバーテロを仕掛けてくる"サイオウ"と戦うに際し、かつての天才ハッカーをスカウトしたのだった。パスポートの件はテストも兼ねていたのだ。報酬と、犯罪歴の抹消を条件に能條はFBIに協力を開始。まずは、サイオウがジャンプ台として使用しているサーバを探り出す。『プロメテウス・トラップ』『プロメテウス・バックドア』『プロメテウス・アタック』『プロメテウス・チェックメイト』『プロメテウス・デバッグ』『プロメテウス・マジック』 以上六編。

サイバー空間をブラックボックスとしないリアリズムが生む、謀略・冒険小説の新機軸
 作者が元システムエンジニアということもあって、サイバーテロリズム周辺描写の手堅さとアイデアが光る。あくまで傾向としてだが、サイバーテロといった内容を扱う場合のリアリズムは、想像力以上に著者の知識の多寡に左右されるように思われる。SFの場合は、それもありかもと思わせてくれれば良いにせよ、こういったリアルな冒険小説がベースの場合はある程度詳しい人間が読んでも違和感を感じさせないくらいの隙の無さ――があるに越したことはない。そして本書は軽々とそのハードルをクリアしているのだ。
 本書の場合、IC式パスポート偽造から始まり、当初はFBIとの駆け引き(かつての前科の取消)のなかで事件と対峙した能條が、気付くと大切な人のため、友人のために戦っているという図式がなかなか巧み。 また、謎という意味でもチェスのゲームからクラッキングに至るまで、次から次へと電算的(?)な課題が登場し、それぞれに似たパターンがほとんどないという点もミステリとしての興趣を高めている。また戦う相手が少しずつ変化してゆく結果、途中から何が悪で何が善かという点が曖昧になってゆくところも、現代人の複雑な価値観を端的に現しているとみえる。
 しかーし。主人公とラドクリフとの関係のなかに微妙に801っぽい何かがあるように思われるし、下宿屋の女性以外、ほとんど女性らしい女性が登場せず(その女性ですらあっという間に物語からフェードアウト)男だらけの世界で物語が完結してゆくようにみえるのは、作者が女性であるがための偏見なのだらふか。(なぜか古語)。

 とはいえ、そういった作者のお遊びも許されるくらいにストーリー的にはしっかりしており、思い切って海外を舞台にした点から、最終的に暴かれる陰謀の大きなスケールに至るまで、まだデビュー数冊の作家とは思えない堂々とした風格を感じる。 また、出る作品出る作品趣向が異なるというところもユニークでありしばらく目が離せない――ということで『オーディンの鴉』も出てます。(本作感想が遅れました)。あと本シリーズの番外編が著者のサイトで読めるのでそちらもどうぞ。


10/03/09
鯨統一郎「タイムスリップ忠臣蔵」(講談社ノベルス'09)

 『タイムスリップ森鴎外』から綿々と続いている鯨統一郎のタイムスリップ。講談社ノベルスの人気シリーズ(?)となっており、本作で遂に六冊目。書き下ろし。

 時は二十二世紀。地球は知能を持ち、会話をし、さらにはテレパシーを使うことができる犬によって支配されていた。人間は「ハンド」と呼ばれるペットであり、奴隷扱いされており、犬の世界の食糧危機に際しては遂に人間を食料として消費することが決定された。ほとんどの人間が奴隷として犬に支配されることが当たり前だと感じるようになっている状況下、HITと呼ばれる組織に所属する一部の人間は四百年前にその原因があることに気付き、タイムプレーンを製作して三人の精鋭をその時代に送り込む。ウララ、本間香葉子、そしてこの時代の犬の頭領であるカイのハンドである七海であった。一方、HITの動きに気付いた犬も組織DOGを動員し、同様に過去に犬を送り込む。生類憐れみの令……それを撤回させるためのキーワードは、なんと吉良上野介を仇討ちする赤穂浪士による忠臣蔵だった?

奇想天外忠臣蔵。タイムスリップシリーズにしてさりげなく鯨流歴史ミステリの味も
 麓うらら、三須七海、小松崎や薔薇之介や石松といったレギュラーキャラが登場しているものの、いつも登場している彼女たち本人ではない。時は二十二世紀。そして江戸時代で現代は今回は一切登場していない。つまり彼ら彼女らは、どうやら子孫か先祖か、そんな存在らしい。ということで、同じタイムスリップシリーズのなかで厳密には番外編ということになるかもしれない。
 ただ、物語のノリに関してはいつものタイムスリップ。麓麗(うらら)と本作のウララの性格は同じ。登場人物の多くは未来に残るがために前半部にて登場場面がなくなるが、ゆるーいギャグ、更にはマニアックなパロディといったネタは従来シリーズ通りの頻度で登場し、これは好事家も初心者も微妙に喜ぶところ。
 個人的に感心したのは忠臣蔵。 まず、犬と人間との支配関係逆転が忠臣蔵と繋がるという発想が凄い。それでいてここまで変な展開にしておきながら、要所を締めているというか、きちんと忠臣蔵本筋が、史実(講談)に則って展開しており、重要な場面や状況などを再現しているのだ。(片岡源五右衛門が切腹前の主君と無言で相まみえる場面であるとか瑤泉院のもとを討ち入り前の内蔵助が訪ねて素っ気なくする場面であるとか、他いろいろ)
 もちろん、同じ現代作家であっても田中啓文氏の忠臣蔵ものに比べるとさすがに簡潔化すぎており、深みという点は著しく欠けるのだが、鯨作品の読者の多くがオリジナルの忠臣蔵を詳しくは知らないだろうことを考えると、許されるラインはクリアしているという感じ。
 また、犬に関するパロディが凄まじい。登場する犬の名前にギンガ赤目といったあたりが使われるのは想定の範囲内とはいえ、小説で「ベルカ」を登場させるのは反則。登場犬物に「ベルカは吠えないのか?」と言わせているところで噴き出した。ギャグでいえば、なぜか赤穂浪士がAKB48になっていたりするのも破壊力が大きかった。

 番外編とはいえ、悪ふざけ度合いはいつものタイムスリップ。ただ――本作では、なぜ浅野内匠頭が、殿中で刃傷沙汰を起こしたのか――という理由について、鯨流の解釈がなされている。まあ、それが理由ということではないと思うが完全には誰も否定できないところが鯨作品らしいか。


10/03/08
梓崎 優「叫びと祈り」(東京創元社ミステリ・フロンティア'10)

 梓崎氏は1983年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。2008年、第5回ミステリーズ!新人賞を「砂漠を走る船の道」で受賞。本書はその受賞作を核とし、『ミステリーズ!』vol.37に発表した「凍れるルーシー」に書き下ろしを三編加えて連作短編集としたもの。そして著者初の単行本ということになる。

 外語大を出て七カ国語を操ることのできる斉木は、入社三年目となる硬派出版社勤務。刊行している情報誌の取材のため、年間百日近くを海外で過ごす生活を送っていた。斉木の今回の取材は、砂漠で取れる岩塩を駱駝で運ぶキャラバンだった。しかし、ある自然現象をきっかけにキャラバンのメンバーが次々にナイフで刺される事件が発生する。 『砂漠を走る船の道』
 一年前、スペインのレインクエントロにある風車で彼女に振られて落ち込む僕(サクラ)。その僕を励ますために、大学時代の友人・斉木とユースケがその地に行こうと誘ってきた。人が消える伝説のある風車で、彼女もまた一年前消えてしまったのだが……。 『白い巨人(ギガンテ・ブランコ)』
 ウクライナに隣接したロシアにある女性だけの小さな修道院。そこに今から二百五十年前の修道女が腐らず当時の姿を保っているという。審問官と共にその地を訪れた斉木は、幾つかの事態に引っ掛かりを覚えるが……。 『凍れるルーシー』
 現代文明との交わりを求めないアマゾンに住むインディオの一部族。英国人の医者と共に苦労してその地を訪れた斉木は、その部族がエボラ出血熱そっくりの症状に襲われ、絶滅寸前である場面に遭遇する。しかしその環境下で刃物を使用した連続殺人が発生する。 『叫び』
 入院中の”僕”の元を訪れた、自称”旅人”の森野。彼は僕と、僕の部屋に張っていた天然洞窟を彫って祈りの部屋とした「ゴア・ドア」の謎を巡ってちょっとした「賭け」をすることになった。 『祈り』 以上五編。

小さな日本から再輸出すれば、本格はまだまだそのスケールと物語性を拡大する余地がある
 東京創元社が本書と梓崎氏を(珍しく)大々的にプッシュしているが、そうしたくなるだけの実力を感じさせる作品集である。というか個人的なツボに入る作品が幾つかあるせいもあろうが、新人の作品集でありながら今年の年間ペストのランクインも狙えるのではないか――と正直感じている。
 表題作を『ミステリーズ!』で読んだ時に、既に「ほお、なかなか……」と感心していたことは事実ながら、物語性の高いシリーズ作品をきっちり重ねてきたこと、そして受賞作に勝るとも劣らない作品が含まれている点など、この作者のポテンシャルの高さが改めて感じられたところだ。『砂漠を走る船の道』は、まず題材が素晴らしい。砂漠を駱駝のキャラバンが通るということ自体は知識として知っているが、そこに殺人事件を、しかも不可能興味溢れる連続殺人事件(この少人数で『そして誰もいなくなった』方式を用いている!)を登場させるところに、非凡なものがまずある。限定状況の演出という意味では本書の『叫び』もまた凄い作品だ。一部族全部をエボラ(に似た病気)を発病させておいて、そのなかでまた連続殺人事件が発生してしまう。放っておいても死ぬし、そもそも動機がない。なぜなぜ?? という奇妙さに関しては受賞作より上かもしれない。
 そしてまた作者の引き出しの深さに感心したのが『凍れるルーシー』。ロシアの静謐さが湛えられた土地という設定が素晴らしいことはもちろんなのだが、本書ではその結末の割り切れ無さに味がある。作者が本格・理屈一辺倒の人間ではなくユニークな発想も兼ね備えているところを初めて垣間見せてくれた瞬間だった。そして、この奇妙さは個人的に妙にツボに入っている。
 さて、その大物を捕まえていきなりなんだが、本書の五編目、表題の一部を形成する『祈り』。これはまだ早かったのではないか――という気がしている。それまでの蓄積が四作(場所としても四個所)でこのネタはなんというか、読者に先入観を与えにくい状態でいきなりこの技で来るのはどちらかというと違和感が先に立った。
 ただ、全体を見渡して思うのは、世界の使い方の巧さだ。実際に作者が旅人かどうかはとにかく、作中に斉木が訪れている世界各国の不思議なリアリティが本書の特徴の一つ。日本人の持ち出す定規で測れない、現地ならではの考え方や精神が謎を形作る。それが我々の常識からいくら外れていても、彼らなりの理屈が存在する――以上は、彼らのルールが正解なのだ。この世界の演出方法が実に心憎く、悔しいが巧い。

 文章も正確にして詩情も感じられる部分もあるなど、なかなかしっかりしている。先に述べている通り、ミステリとしての構成やロジック作りの巧さが武器であり、センスが素晴らしい。今年のうちに読んでおくべき新人作家の一人であることは間違いない。 東京創元社はこの作者が一般文芸に行ってしまわないよう、しっかりミステリの領地にて見張っておくこと。


10/03/07
井沢元彦「欲の無い犯罪者」(講談社文庫'90)

 初刊は'86年の光風社ノベルス版。井沢作品のうち『本廟寺滅亡』や『六歌仙暗殺考』『義経はここにいる』といった作品で探偵役を務める南条圭がいずれも探偵役となっている。また、本書収録の『極東銀行の殺人』は、『猿丸幻視行』にて江戸川乱歩賞を受賞した著者が、受賞後第一短編として同書が刊行される前に「小説現代」昭和五十五年十月号に掲載されたという活字デビュー作品にあたるのだという。

 犯人が自らの銃を人質に奪われ、撃たれて死亡という幕切れだった。極東銀行強盗籠城事件。事件を調べた新聞記者が証言に違和感を覚えて南条の元に相談に訪れる。 『極東銀行の殺人』
 超高級マンション内で発生した殺人事件。密室内に被害者がいたが、事件が向かいのビルから目撃された当時、別件で警察官がマンションを警備しており、犯人の逃走経路がさっぱり分からない。 『ドミノ・アクシデント』
 会社社長が何者かに誘拐されたが、社長からの電話で大金準備の指示が会社に入る。電話を受けた社員は訝しむなか、風采の上がらない男が現金を受け取って去った。果たして社長は殺害され、また犯人と思しき男も交通事故で死亡した。 『罠のある誘拐』
 鉄橋上で走行中の満員電車の片側の扉が開き、八名が転落死。ドアを開いた加害者である車掌から人脈を辿った結果、意外であまりにも残忍な事件の構図が浮かび上がった……。 『不運な乗客たち』
 宝くじに一千万円当たった平凡な一家。家の改装工事に投じようと決めた矢先に息子が誘拐されてしまう。身代金は一千万円だったが、競馬に注ぎ込めなど犯人の要求がおかしい。 『欲の無い犯罪者』
 実業家の男の妻が、別荘内で一人でいたところを射殺されて死亡していた。発見者は夫だったが、前科者の指紋が発見される。しかし、そのこそ泥は、夫がアリバイ証人であると言いだし、男もまたそれを認めた。 『めがたきうち』
 サミット開催によって閑散とした都心。その都心のハンバーガーショップの店長をしていた若者が失踪した。南条は幾人かの話しを聞いた結果、彼が防犯ビデオのテープをチェックしようとしていたことを知る。 『理由なき消失』 以上七編。

事件の見え方の反転鮮やか。まさかこんなことのために、ここまで……が生む超絶サプライズ
 本書の副題が「名探偵南条圭推理ノート」とある通り、探偵役は全て、南条圭。原宿駅近くの裏通りに店を構える三十代後半の古美術商で、大学時代は美術史を学び、東洋美術の鑑定家として海外生活も長く、外国人と間違えられるような風貌を持つ。また、趣味は仏像を彫ること、そして探偵。ひとたび来客に珈琲を入れ、また自らはアルマニャックを傾け出すと超絶な推理が頭のなかで湧いて出ている――という人物。探偵役の造形としては、むしろ新本格ミステリに登場する探偵役とイメージとしては近いかもしれない。
 しかし、探偵役以上にインパクトがあるのは事件の数々。『極東銀行の殺人』では、被害者もなく強盗が人質の過剰防衛で射殺されたという問題ない事件。そこから驚愕の逆転劇が行われ、見えていた図式が綺麗に反転する点が凄まじい。また、題名に込められた意味に気付くとニヤリとさせられる。
 事件と動機との凄まじい乖離に驚倒させられる『不運な乗客たち』。そもそも走行中の電車の扉を開けて殺人をするという発想に狂気が籠もるというのに、背後に冷静な計算があるとか思いますか普通。『理由なき消失』もまた、失踪事件が発生した理由に行き当たると、そのスケールの大きな逆転劇に唖然とさせられるタイプの作品。
 『めがたきうち』はサスペンスというか、冒頭の射殺事件が大きなミスリーディングとなっている奇妙でブラックな印象を残す。殺人事件が発生したタイミングでマンション内に警官が溢れていたのに、犯人は外で交通事故死……という不可能興味では本書随一の『ドミノ・アクシデント』は、さすがにその状況を現出させた方法に無理がある点が残念。

 とはいえ、現代を舞台にし、素人探偵が活躍する作品にして、事件と解決のバランスが全て巧く、不可能興味を持たせつつも現代の世界から遊離していない(地に足が着いている)。そしてそれぞれの奇妙な謎の演出が素晴らしく、その解決や着地もアクロバティック。 様々な点に大人のミステリ作家といった風格・余裕すら感じられる。貴方が本格ミステリのファンであるならば、古書店で見かけたら即買い、ですよ。


10/03/06
朱川湊人「銀河に口笛」(朝日新聞出版'10)

 『小説トリッパー』2006年秋季号から2008年春季号にかけて連載された作品に加筆修正が加えられて単行本化された作品。

 大阪在住の商社マン・望月直人。四十台半ばとなった彼による、小学校三年生から四年生にかけての同級生リンダに関する回想・思い出のエピソードを連作風に描く。
 直人(モッチ)、ニシ、ムー坊、エムイチの四人組は同じ小学校に通う仲良し同士。学校近くに秘密基地を作り、ウルトラマリン隊を結成したほどだった。そんな彼らの夏、市民プールで一日中遊んだ帰り道に、突然UFOのように光り輝く物体を目撃、その墜落したと思しき場所を訪れると同年代の少年が一人で遊んでいた。それが、後に同級生になる林田こと、リンダとの出会いだった。リンダは直に転校生として直人らの前に現れるが、ドラえもんのような何でも出てくるポケットと、そしてほんのちょっと何かの動きを止めてしまうといった不思議な力を持っていることに直人は気付く。リンダを加えたウルトラマリン隊は人命救助をきっかけに、探偵活動も行うようになり、夜中の風鈴男事件や、見えない女の子事件、百万円通帳紛失事件、ボケたおばあさんへのボランティアなど様々な冒険をするようになる……。
 『夏の終わりの青』『秋は夢までも橙』『紫は冬の夜明け』『秋に紅が揺れて』『藍の涙と夏』『黄色が歌う秋』『冬の緑、そして虹』 以上七編。

単に懐かしいあの頃は良かったね、だけで終わらない甘さと苦みのバランス良し
 朱川湊人氏の得意分野というか、創作のメインフィールドである昭和四十年代ノスタルジーに、さらにこれもまたメインフィールドでもあるちょっと不思議な話を織り込んだ連作集。 小生は作者よりも下の年代ではあるが、これに近い感覚そのものは理解できる。時期としては、ちょうど『二十世紀少年』の回想部分に近い。
 朱川氏は再三、様々な角度からこの時代を取り上げており、まあ大きな括りでは一連の朱川サーガの一部とも読むことができるだろう。特に本書の場合、これまた昭和風の「不思議な転校生」の設定をベタベタに付け加えることで、ウルトラQ or ウルトラセブン的興趣も合わせて付加する狙いがあったともみる。いってみるとリンダ少年という存在は、変身を伴わない(地球人に扮しているさなかの)ウルトラマンによく似ている。
 ノスタルジーものの常として、人と人の距離が近かっただとか、子供同士でも冒険的に遊べたものだだとか人情が生きていただとか、「昔は良かった」のみで終わっているのであれば今更であり、極端な話「勝手にやってよ」状態になるところ。しかし、本書の場合はその点には明確な区分があった。強烈なのは、優しい同級生・小松さんのエピソード。ウルトラマリン隊によって小さなエピソードとしては救われた筈の彼女が、結果的には負のスパイラル人生に落ち込んでしまったことを回想する場面。込められた苦みが強烈であり、セイフティネットという意識の薄かった、過去の日本の一時代における貧乏や不幸がもたらした問題を直視している点をベタベタであれどここは評価したい。(他にもムー坊のその後など、大人になってからの回想としていることによってイメージの膨らみは大きくなっているように思われる)。

ただ、トータルとしては正統派の朱川ノスタルジー系統の作品であるという点は変わらず、その意味では安心して手にとって頂きたい。この時代に少年時代を過ごした方ならなおさらだが、この感覚自体はそれ以外の人々であっても共有できるものと思う。


10/03/05
青井夏海「シルバー村の恋」(光文社文庫'09)

 五話からなる連作集。第一話から第三話がそれぞれ『ジャーロ』二〇〇六年春号、秋号、そして二〇〇七年秋号に掲載された作品。四話目と五話目が書下ろしで光文社文庫のオリジナル書下ろしとして刊行されている。

 東京郊外にある北竹林市に住む日高家。サラリーマンに専業主婦の夫婦に、高校生の娘と中学生の息子夫の父親に出戻りの義姉(妻からみて)の六人家族。近所にあるコミュニティセンターを舞台に彼らが巻き込まれる事件、そして家族模様。
 コミュニティセンター一階に設けられたお年寄り向け施設・シルバー村に通う日高一郎。知り合った老婦人の役に立とうと、彼女の投資話に一郎は口を挟むが。 『もう一度ときめきたいあなたに』
 コミュニティセンターの英会話教室に通う出戻り娘・日高奈緒子。その講師に仄かな憧れがあるが、なぜか最近センター内のフランス語講座の嫌がらせを受けるようになる。 『自分らしく生きたいあなたに』
 コミュニティセンターのスポーツクラブに通う主婦・日高令子。料理教室に通っていると家族には伝えている。井戸端会議が嫌いなはずが子供の親繋がりで、名門私立に通うグラビアタレントを巡る話に巻き込まれ……。『セカンドライフに備えたいあなたに』
 コミュニティセンターで開催されるボランティアによる補習授業「教えっこクラブ」に参加する中学生・日高耕。ボランティア大学生は、街で多発する女子学生ペンキかけ事件解決の協力を彼に依頼する。『マイペースで勉強したい君に』
 日高家の長・一則が、コミュニティセンターで教育に関する講演を依頼される。主催者が不祥事を起こすが講演会は中止にならない。娘の真由は父親の日常の態度に反発があって……。 『家族の絆を見失ったあなたに』 以上五編。

本音と建て前。格好付けと本質。家族親族人間間での語られない気持ちの、その裏側
 連作集として非常に巧みな(凝った?)構成になっている。まず、核家族化が当たり前の現代のなかでの、日高家という大家族構成が上手。普通の四人家族に、まだまだ元気だけれども少しぼけ始めた義父、そしてその義父の実の娘で生活費を浮かしたい(という建前は隠した)出戻り娘。この六人が同居するという事態そのものに、まず違和感がない。そして、六人家族に短編五つを準備した、家族物語がテーマでありながら、基本的な舞台を日高家の家ではなく、全て近所のコミュニティセンターにしているところも上手い。(まあ、一箇所に集中している物語上の必然性は実はないのだが、物語としての収まりは非常に良くなっている)。何よりも、連作短編という形式のなか、家族がそれぞれ自分が主人公というパートを受け持っている点。(父除く)。一つの家族の構成員それぞれが自分主人公で家族に対する評価や本音を語ってくれる結果、家族それぞれが互いに腹の中では何を考えているのか、ブラックな情景が浮かび上がってくるのだ。特に、専業主夫の令子と、小姑にあたる奈緒子との互いに互いをどう思っているのか、というあたりの本音はどこか背筋が寒くなるようだ。
 実際は家族同士、そういった本音を押し殺してこその家族なわけで、その本音の最も通じにくく、特に家の中では子どもに対して同じ言葉(フレーズ)しか発しない父親はまた異質な存在にみえる。(本筋とはあまり関係ないことだが)。
 一方、ミステリとしては表題作『シルバー村の恋』が秀逸。 まだ自分は若く、判断力もしっかりしていると思いこんでいるけれども実際はやはり老人である一郎の心理描写や行動描写がうまい。犯人役の、手掛かりとなる行動を、伏線としての使い方などは名人芸ものである。また、探偵役となるのが最初は一郎が苦々しく感じていたおばさん集団であるという点もユニークだ。(ちなみに、この作品集には特定の探偵役は存在しない。むしろ探偵役の意外性もまたミステリ的である)。 後半に進むに従って謎解きとしての妙味(つまりミステリとしての魅力)は薄れ、どちらかというと家族小説の興趣が強くなってゆく。最終話で、ばらばらにみえた家族の気持ちが表面化して融和してゆくところがミソでしょう。(ただ、さすがに子供にかける語彙がこれだけってのは、お父さん不器用とか以前に努力不足だと思います!)。

 最後に第一話をそのまま連作集の題名としてしまっているところは問題あり、かな。家族小説であるはずなのに、この題名 では黄昏小説のような薫りがしてしまい、本来読者である「家族小説愛好者」の手に届かない可能性が高い気が。一旦離れた家族の気持ちが、改めてまとまる可能性が感じられる、青井さんらしいハートウォーミングな結末は、もっと多くの人に味わってもらいたいところ。


10/03/04
伽古屋圭市「パチプロ・コード」(宝島社'10)

 第8回『このミステリーがすごい!』大賞の優秀賞を受賞作品。

 痴漢行為の冤罪に巻き込まれて会社をクビにされた元プログラマーの山岸卓郎。現在は、パチプロとして日々ある意味では手堅い生活を送っていた。そんなある日、隣に坐った美女・シエナになぜか見込まれ、大当たりを引くために仕込まれた違法なセットロムの台を打つ仕事を引き受けることになる。最初こそは良かったが、すぐにシエナの策略(?)を見抜いた卓郎だったが、自宅に入り込んだシエナに自宅の包丁を盗まれており、困ったかたちで弱みを握られてしまう。シエナは、卓郎をもう一人、彼女の仲間だという無口な大男・ゼンデンに引き合わした。売上を盗んで行方不明になった彼らの元ボス・ホゲの残した暗号の解読を依頼されてしまう。一旦、担いだ違法行為に卓郎は腹を据え、暗号の解読に取りかかる。しかし、残された機材をチェックするうち、ホゲはどうやらアジトであるマンションを盗撮・盗聴していたことに卓郎は気付く……。

パチンコ裏業界+暗号に騙し合い。先端機器に心理戦。軽妙に展開されるコン・ゲーム小説
 『ダヴィンチ・コード』を意識したかのような題名だが、そこに「パチプロ」という言葉はどうなのだろう。パチンコファンと読書好きというのは、あまり嗜好として被っていないように思われるのだが……。実際、パチンコが関係するミステリって相当少ないですよね。さらに、もともとの題名が『カバンと金庫の錯綜劇』だったといい、本書の本質はそちらの方が鋭く突いているものの、まあ、この題名では冴えないので差し替えは仕方ないところなのでしょうが。
 さて実際、パチンコ業界の裏側の蘊蓄小説かと思いきや、根本的には暗号謎解きを主体とし、人間同士のやり取りが重要視されるコン・ゲーム小説。 厳密にいうと、コン・ゲーム(詐欺)部分をパチンコ業界が、サスペンスだとか、ミステリだとかいう部分を暗号や心理戦が請け負っているということになるか。パチンコ関係の特殊事情も当然使われているが、その語句や用語の説明は初心者でも分かるようになっており良心的。
 個人的感想でもあるけれど、特に本作から得られた知識で有用なのは、パチンコの必勝法詐欺というのは、ほとんど罪に問われないという点。 本書のなかでそれがナゼなのか説明されているので興味ある人は確認するように。また、絶対に安全確実な金儲けの方法が数万円から数百万円程度の金で買えるはずがないという真理も改めて認識した。本書の裏事情には、それを錯覚した人間による悲劇である。
 サスペンスとしては、敵方の黒幕にあたる「ホゲ」がそれほど凶悪に思われないため緊張感は薄い。また、卓郎がそのサスペンスに巻き込まれる部分、開放される部分、それぞれが微妙に物語中では弱い(特に必然性が)ように感じられた。

 多少上滑りしている部分はあるにせよ、テンポの良いやり取りと物語を進めるセンスなどに間違いはなく、エンターテインメント小説として上々。会話のやり取りなど小粋に仕上がっているし、魅力も十分あるのでデビューには十分だけれども、新人賞を受賞するほどの破壊力はない……ということになるか。恐らく次作以降も安定した作品を打ち出してくれそうな予感。


10/03/03
黒田研二「極限脱出 9時間9人9の扉 オルタナ(下)」(講談社BOX'10)

 もともとはチュンソフトによる任天堂DS専用のサスペンスアドベンチャーゲーム。打越鋼太郎によるシナリオを、メフィスト賞作家・黒田研二と、新進気鋭のイラストレーター・西村キヌにより、斬新な解釈にて小説化! ということなのだが、当然ゲームの方をプレイしていないので、この小説が小生にはオリジナル。いろいろ評判をウォッチするに、ゲーム本体の評判も相当に高い模様だ。

 大学生の淳平ら、年輩の男性から若い女の子まで、一見共通項を持たないまま”ゼロ”を名乗る人物に自宅から拉致され、気付くと”ノナリーゲーム”に強制参加させられている九人。腕に付けられたバングルの数字を何名かで合わせ、その数字根が一致した扉が開くというゲーム。ただ、扉を開く前提として鍵を探し出したり、出題されるクイズに正解する必要などがあり、簡単には先に進めない。それぞれの年齢性別境遇、共通項はないかと思われたこのゲーム参加者には、かつてある病気と関わったという経験があることが判ってくる。九年前に行われたというノナリープロジェクト。少年少女連続失踪事件ともいわれるこの事件の関係者が、今回もまた幾人も参加しているようなのだ。着々と爆発までのタイムリミットは迫り、彼らは謎解きに集中せざるを得ない状況へと追い込まれてゆく。一人は既に脱落、残り八名の運命は。

サスペンス状況が拡大するなか、細かな伏線をきっちり回収してゆく本格の手法が光る
 上巻から開始しているノナリーゲームの、中盤から終盤戦が描かれている。腕にあるバングルの番号を複数人数で一致させ、指示された数値を創り出すことで先に進むことができるというゲーム。最後の最後に至れば、腕に付けられた番号と生き残り如何ではそこでゲームセットということも考えられるという、先の読めない展開。また、途中で挿入されている幻想というか、現実感から遊離した風なモノローグ、更に突然消え失せてしまうといった超常現象が差し挟まれており、読者としては「推理の拠り所」がなかなか見えないという、気の抜けない展開が特徴だ。
 しかし、しかし。最終的に明かされるラストでの謎解き結果や、隠された物語といったところを知り(それはそれで衝撃があるのだが)、さらに再読しながら確認してゆくと、そのサプライズにあたる真相が、非常に細かな、そして念入り、丁寧な伏線によって事前に仕込まれていたことに気付くのだ。小生などは、こちらで覚えた二度目のサプライズの方が強烈だったかも。「えー、これも伏線か!」という感じ。
 あと、小説なのでさらっと流している描写になっているけれども、実際にアドベンチャーゲームとしてプレイした場合の難易度の高さもまた想起される。ノナリーゲームの根幹を形成する「数字根」の整理に頭が正直ついていっていないのだ。(ゲームと違って小説の場合は自分で考えなくても作者が代わりに考えておいてくれる……ので助かった)。また、こういったゲーム部の込み入った理屈や論理を「小説」という媒体に置き換えて論理処理するのに、くろけんさんの才能が必要だったということなのだろう。
 ただ、後半中盤から本格ミステリから離れる部分が大きい――あくまで、物語の処理方法として、という意味でだが。 結果的に趣味どんぴしゃストレートとはいえないまでも、総合としては十分愉しめた。

  恐らく、ちょっとしたBGMが入るだけで物語自体の持つ緊張感や、焦燥感なんかはかなり 急上昇するものと思えるので、ゲームはゲームという楽しみ方はありなのだと思う。ただ、小説にすることでゲームでは気づけなかった伏線にもまた気づけるといった楽しみ方もあるわけで、同一原作のジャンルミックスは、その原作がお好きな方にとっては何度も美味しく、楽しめるのではないかと感じられた。


10/03/02
東野圭吾「カッコウの卵は誰のもの」(光文社'10)

 東野圭吾氏によるノンシリーズの長編作品。雑誌『バーサス』二〇〇四年十月号〜二〇〇五年十二月号、二〇〇六年二月号、三月号、そして『小説宝石』二〇〇六年十二月号〜二〇〇八年二月号にかけて連載されていた作品。初出時のタイトルは『フェイク』で、単行本化にあたって改題されている。

 元は日本を代表するスキーヤーであった緋田宏昌。若手の台頭遅れもあり、長期間、日本を代表して世界を転戦してきた。ツアー中、日本に残してきた妻・智代から、女の子を出産したとの連絡があった。女の子は風美と名付けられてすくすく育つが、風美が二歳の時にノイローゼ気味だった智代は自殺。その後宏昌は男手一つで風美を育てた。そして風美には素晴らしいスキーの才能があり、年少の身でありながら次々と年上が出場する大会を制覇してしまう。そんな頃、宏昌は鏡台の奥から一枚の新聞記事を発見、そして風美の生まれた病院を訪れて智代がついていた嘘について知ってしまう。智代は流産で出産自体をしておらず、出産の連絡があった時期に赤ん坊が行方不明となる事件が、妻の故郷で発生していた……。風美は自分の娘ではない? しかし、ここまで育ててきた風美に真実は告げられない。風美がスキーヤーとして世間に認められ始めた頃、スポーツ医学の見地から風美のDNAを調べたいという話になり、宏昌は拒否。しかし、同じ時期に風美の出生の秘密を握る人物が宏昌の前に現れ、やはりDNA鑑定を希望してきた……。

スポーツ科学を隠し味にした親子関係を巡るサスペンスドラマ
 これから羽ばたこうという若いスポーツ選手、彼らがスポーツで優秀な成績を残すためには、肉体的(筋肉だけでなく内蔵的にも)な「素質」というのが重要。「努力」も当然必要だが、同じだけの努力をする前提ならば素質が優れている者の方が、優れた成績を残すはず……。 そんな研究がスタートしている前提の世界(もしかしたら現実にもありそうではある)。スポーツマンの血縁はスポーツマン体質なのか。DNAや遺伝子の鑑定が重要になってくるなか、実の親子ではないことを知る父親が陥る苦悩が本書の中心テーマを構成する。<br>  そこにまだ無名の選手に対する脅迫状や、悪質な悪戯による交通事故など殺人未遂などが絡まって、サスペンスが醸成されてゆく。さすが東野圭吾(形容詞?)ほとんど無駄のない登場人物配置にシンプルともいえる筋道しか準備しないなか、小さなどんでん返しを連発し、最後にも理屈に合う落としどころを準備している点。残念なのは、最終的にはあまり後味のよくない人間関係が浮かぶのみで、謎が解けることによる快感の薄いところか。ただやはり、全体の物語構成は神業的なバランス感覚に基づいて創り上げられていると思う。取り上げられているスポーツ科学自体に珍しさは少ないが、人間心理を巧みにトレーニングに取り入れたり、細かな部分に「巧さ」があって、蘊蓄くささ無しにテーマに取り込むことも成功している部分になるか。

 近年の『新参者』等の大傑作に比べるとさすがに一歩引く作品になるように思われるが、元々の技術水準が高い作家による水準作品。つまりは、平凡な作家なら十二分良作扱いされるであろう作品。初出時の題名から考えるに、もしかすると作者はこの単行本とかとは異なる着地を考えていたのではないかとか想像されるのだが、確かめる術はないなあ。


10/03/01
田代裕彦「セカイのスキマ」(富士見ミステリー文庫'06)

 田代裕彦氏は、2004年に『平井骸惚此中ニ有リ』で第3回富士見ヤングミステリー大賞を受賞しデビュー。同シリーズは全五冊。現在四冊が刊行されている。2007年には『赤石沢教室の実験』を初の一般向け作品として発表、MYSCON9のゲストとしてお招きしている。本書は田代氏の別シリーズ作品で、本書含め現段階では三冊が刊行されている。  中高一貫校である麻我部中央英森学園に高校から入学した小澤哲。この学校のルールにより、必ず部活動に所属する必要があったのだが、第一希望の帰宅部が無いことを知った哲の希望は幽霊部員OKの部活。学校内で文芸部を訪ねたつもりで学内奥の「お化け屋敷」ともいわれる建物内で活動していたのがオカルト同好会である四つ辻の会。主催するのは「狭間の人」を自称する少女・宮守みこ。また顧問は、たまたま学園の教師となっていた、哲の年上の幼馴染み(天敵)・悠美の兼ね合いもあって、哲は持ち込まれた事件について首を突っ込むことになる。最初の事件はザシキワラシ。この同好会では、妖怪を退治してくれるといった噂が学園内にあるらしく、その噂を聞きつけた女生徒がやって来たのだ。四ツ辻ノ書が埋まると、彼岸と此岸の境がなくなる――彼らの妖怪退治はその事態の回避に繋がるのか?

本格ミステリの側面+本格ホラーの新解釈。ラノベレーベルがむしろ評価を邪魔したか
 本作のような作品を読むといろいろ考えてしまう。
 結果的に本シリーズは三冊。一冊で終わらなかったということはそれなりに評価を得たということなのだろうが、本書のエッセンスを汲み取ると、もっと人気が出て今なお続刊が待たれる一般向け人気シリーズという位置も狙えたかも……、などと思う。本書そのものは、イラストを意識した展開、美少女・美女キャラクタの連発、ラブコメ要素、強すぎる御都合主義等々、紛うことなきラノベ。もちろんこのまま一般向けとして販売するのは無理。ただ――様々な発言や証拠を、そのままではなく一ひねりして論理的解決の要素として使用する本格ミステリを構築するセンス、もう一つ、ホラー要素の効果的な演出や使用方法を知っていることもまた強みであり、両者のセンスが合わされば本シリーズと同じコンセプトであっても、一般向けの人気シリーズとなった可能性が感じられたのだ。例えば田代氏が、メフィスト賞あたりが出身母体であったら……と夢想したくもなる。
 本書そのものについては、田代氏の作品を読むのはまだ三冊目のうえ、本来メインである筈の『平井骸惚此中ニ有リ』を読んでいないため、どういう位置づけになるのかは相変わらず説明できない。ただ、上述のセンス、例えば彼岸と此岸の解釈であるとか、人間側を論理で納得させたうえで、さらに本当の意味での化け物退治が要請されるところであるとか、読者サイドの気持ちを抜かせないテンポなんかも巧いと思う。民俗学的に新たな試みはなされていないものの、本書の場合、座敷童子という妖怪の本質と物語の構成とがうまくマッチしているところも大きい。

 ただ、小生として判るのはここまで。ラノベとして刊行されている作品である以上、別方面からの評価軸もあると思うのでそちらにて確認して頂きたい。ただ、物語の本質部分に興味有るところがあるので機会があれば2以降も読んでみたいかと思う。