MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


10/03/31
長崎尚志「アルタンタハー 東方見聞録奇譚」(講談社'10)

 単行本で刊行されているが、講談社BOXからのスピンアウト扱いか。長崎氏は元週刊漫画雑誌編集長で浦沢直樹と共同製作で『20世紀少年』『PLUTO』ほかの作品を生みだしている。原作者として表に出ない仕事をしてきており、「浦沢直樹のブレーン」という、これまでは長らく知る人ぞ知るという存在だった。本書は長崎氏初の単独名義小説作品ということになる。『黄金の鶏』は『パンドラvol.2 SIDE-B』に発表された作品で『黄金の鞍』は書き下ろし。

 太平洋戦争中満州で終戦を迎え、モンゴルで捕虜として働いていたことのある父親が入院。息子の安東貞人は父親との折り合いが悪く、あまり悲しむことができない。その安東の元に父親の戦友で源田と名乗る人物が訪ねてきた。彼は捕虜の時代に世話になったモンゴル人・ジャムインジャイツが信じていた黄金伝説について語る。安東の父親と、その他二人の戦友は、東北に秘宝が眠るという情報を半ば信じていた。しかし、戦後にその件で集合した直後、一人が謎の事故で死亡していた。安東は今さらながらその謎を解こうとするが……。 『黄金の鶏』
 人嫌いが進みかろうじて古書店を営む篠原。叔父の紹介で原宿にある芸能プロダクション社長の家の古書を鑑定することになる。松田秀介と名乗る若い男の高祖が残した洋書はかなりの値打ちがあるとみえた。その高祖は「御園の黄金伝説」と呼ばれる横浜の黄金伝説を解き明かしていたのだという。さらに松田は、自分の一族が詐欺師ばかりだと卑下し、父親は自分が殺したのだと不穏な発言をする。篠原はいつの間にか松田家の問題に深入りすることになり……。 『黄金の鞍』
謎探しの物語としては微妙に不発か。付随するエピソードで読者を引き込む手腕を味わう小説
 『黄金の鶏』『黄金の鞍』とも、日本に残されている黄金伝説がベース。方や「東方見聞録」にもある黄金の国ジパングがベースになり、奥州藤原家の秘宝という歴史的に「よくある?」謎伝説。後ろの方は実際にあるのか寡聞にして知らないのだが、先祖伝来・地元に残る諸伝説の情報を統合することによって、守られていた謎が解き明かされる――というもの。いずれにせよ、ある程度の情報が読者に提供され、そのうえで登場人物たちが謎解きをするというオーソドックスな展開だ。ただ、残念ながら、基本は暗号小説ということになってしまい、当初に与えられた情報が変化していく様こそユニークではあるものの、そこまでの作品である。
 むしろ読みどころは「黄金伝説」とは離れたところにある。前半『黄金の鶏』であれば不仲の父親を、死の間際というタイミングで遅すぎたとしても息子が理解していく様子であり、後半は人間嫌いの古書店主の成長、そして詐欺師一族という松田家の真実といった部分が明らかにされていく部分。こういった本筋に付随するエピソード作りは確かに巧い。本筋の平凡な流れを、複数のエピソードを組み合わせることで太い流れにしてゆくという感じか。
 これは本筋とも脇筋とも基本的に無関係であるが、後半の『黄金の鞍』において、主人公の兄である漫画編集者が自殺に至る背景を描く部分がある。漫画原作者が実際は仕事をせず、編集者がやむなく代作をしていたらそれがヒットし、しかし原作者はその名声のみを甘受していたという図式。さらに原作者を告発するようなコメントを残して命を絶つ……。かつてあったある人気漫画とその原作者に関する謎めいた噂を当然思い出すわけだが。本件は、長崎氏側からの婉曲な告発ということがいえるだろう。

 作者の謎めいた人物像が先行して話題になったという作品。小説として出版されるべきレベルにはあるし、その専門修養がされた人ではないのに小説は上手だと思う。ただ、小説化本業の作家による作品と比べて抜けて凄いかというと、そこには至っていないというのが正直な感想。作者の話題性を差し引くと、普通のエンターテインメント小説になる。


10/03/30
柄刀 一「モノクロームの13手」(祥伝社'10)

 祥伝社+柄刀一氏といえば、「天才・龍之介がゆく!」のシリーズが最も有名、かつ冊数も多いのだが、本書は全くそれらとは関係のないノンシリーズの長編作品。『小説NON』平成二一年七月号、九月号、十一月号、平成二二年一月号に掲載された作品が単行本化にあたって加筆修正がされたもの。

 自室にいた筈の加門耕次郎は、厭な目覚めをした。気付くと三人の男女が自分を囲んでいる。地平線まで岩で覆われた大地に灰色がかり淀んだ空。なぜ自分がこんな場所にいるのかさっぱり分からない。更に自分の廻りには血色は良いが死んでいるとしか思えない人々が多数横たわっている。一方、起きている三人の顔色は死人のようで、一人は日本人女性だったが、残る二人は中国人とイタリア人なのだといい、しかしなぜか耕次郎は彼らの言葉を日本語として認識している。どうやら普通の日常からかけ離れた世界に彼らはいるらしい。八x八、六十四もの升目の中に一人一人人間がおり、升目を離れること自体は不可能ではないものの、暫くすると自分が元いたマスにワープよろしく引き戻されてしまう。周囲を歩いていた人間が空白のマスに入った瞬間、別の人間が起きあがり、ある人間が死んでしまう。つまり、この世界はテーブルゲームのオセロと同じルールで動いているのだ……。

ある意味では究極の「ゲーム小説」。人間が駒となるという恐怖と混乱あれど、小説としては微妙
 ひとことでいえば、生き返っている白駒、死んでいる黒駒を、意志と人格を持った人間にてオセロゲームする、というまあ、読んでいない人にとって理解が難しそうな物語。この世界のなかにおいては、白になれば生き返るし、黒になると死んでしまう。ただ、敢えて微妙にしているのは生き返って行動している人間の方が死人のような顔色で、地に伏して動かなくなる人間の血色は良いのだという。ただ、巧いというか巧妙なのは、本当の意味で生きているのはどちらなのか、という点をわざと曖昧にしているところ。つまり、この荒涼とした世界のなかで生きてゆくのが正しいのか、この世界では死んだような状態になっていても、実際は別の世界に生を受けている方に賭けるのか。そして結局はオセロ。挟まれたら逆の状態にならざるを得ない。生き返ることのない位置に自分が配置された場合はどうすれば良いのか。その絶望感も小さくない。
 とはいえ、やはりゲーム小説。 一旦この世界を造り上げた結果、現実との接点のあまりない、作者の恣意的な展開が目立つようにも思える。夫婦や親子、友人といった人間関係が中途半端なかたちで世界に持ち込まれる点。必ずペアがいて、片方が片方を犠牲にするといった究極の選択はなく、「そういう人もいる」というかたちのため、どこかお茶が濁されているような印象がある。オセロとして、ある程度進んだ場所から、最善手は何かという興味もあるにはあったが、むしろ読んでいるあいだは、物語がその予想通り進むのかどうかに興味が移っていた。人間が駒となると、やはり駆け引きや欲望といったところが大きく絡む。ただ、それをエゴと言い切れない世界でもある。

 正直なところ、テレビゲームやテーブルゲームの駒に人格が宿っていて、プレイヤーの動かし方が人生だと思っていたらどうだろう? という発想そのものは過去にも読んだことがある。ただ、現代本格の第一人者である柄刀氏にかかると、論理のキレが目立つ作風となる一方、どこか人間の悲哀という部分が中途半端になってしまっているように感じられた。ある意味では異形の本格であり、やはり究極のゲーム小説という位置になるだろう。 普通にエンターテインメント系小説として読むには少し微妙、ですね。


10/03/29
真藤順丈「バイブルDX(デラックス)」(メディアファクトリー'10)

 2009年に『地図男』『庵堂三兄弟の聖職』『RANK』『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で四つの小説賞を受賞した真藤氏による、初の受賞作ではない長編作品。書下ろし。

 芸術誌の編集部に就職したわたし(女性)は、仕事上の失敗を機に、文化界で長年にわたって活躍してきたカリスマ的存在である〈先生〉が主宰するプロジェクトに参加することになる。説話や手紙、評伝、言行録、予言書、詩歌などの集合体である聖書は多分に雑誌的性格を持つ世界的ベストセラーである。ならば多くの家庭や人々の間に入り込む雑誌もまた聖書的性格を持つのではないか、現代の奇蹟が集まったかのような、そんな雑誌を作り上げようというプロジェクトが、〈先生〉が集めた数多くの編集者やカメラマン、ライターらによってスタートした。わたしは、性格は悪いが腕は良い先輩編集者のセンジュと組み、〈ひよこクラブ〉に登場するカリスマ赤ん坊から、正確な体内時計を持つセールスマン、ホームレスを統べる存在といった奇蹟の人々を追い求めてゆく。確かに巷に奇蹟はあるようだった。そんな状況のなか、〈先生〉に対して査察が入ったことから〈先生〉が失踪、プロジェクトは瓦解寸前まで追い込まれてゆく。そんなわたしたちが知った、聖書プロジェクトの真実とは――。

奇想に近い着想と書き下ろしと思えないイメージの拡がり。奔放にして堅牢な構成も魅力
 最初の発想というか、着想の段階でユニーク。聖書の持つ世界的な拡がり自体に着目することはあったとしても、聖書こそは世界的ベストセラーの「雑誌」であるなんていう発想の転換がユニーク。さらにその発想を踏まえて、聖書を超える雑誌を造りだそうというプロジェクトは、聖書の上を行くというアイデアであり、ある種の宗教関係の方とかは不快に思ったりしないものなのかな(お節介な想像)。
 冒頭からは特定の雑誌テーマのなかで奇蹟を生み出す人間を取材していたのが、〈先生〉の失踪あたりから物語のバランスがわざと狂わされてしまい、登場人物の性格も徐々に変化しているようにみえる。海賊による襲撃、その真相、また一連の真犯人(仕掛け人?)の、ひねくれにねじれた性格と経歴、そして運命に逆らう神以上のパワーも印象に残る。
 とらえどころのない「凄いもの」を文章に捉えようとしていることは分かる。実際、やろうとしたことのスケールは大きい。が、実際問題このようなテーマは単行本一冊に簡単に収まるようなものではないはず。最終的にはその「凄いもの」の凄さを一部切り取って表現するしかない状態になっている印象か。悪く書いているようにみえたら恐縮だが、真藤氏のやろうとしたことは、そうそう簡単なことでもないということだ。

 レトリックや物語構成、そしてそもそもの物語のベースたる発想といったところに、デビュー時にも少し感じていた古川日出男氏との近似を感じる。物語としての破綻しかかった状態であるものを、強引な筋書きにて組み伏せてしまうところだとか。小説技巧よりも、豊饒な発想と勢いとで処理してしまっているような印象。


10/03/28
鳥飼否宇「このどしゃぶりに日向小町は」(ハヤカワ・ミステリワールド'10)

 本来の本格ミステリの領域のみではなく、バカミス界隈でも非常に高い評価を受けることが多い鳥飼否宇氏による書下ろしの長編作品。本編とは無関係だが、鳥飼氏の略歴の欄に御本人の近影があるのが少し珍しい。本書に登場するバンド『鉄拳』は『痙攣的』をはじめ、鳥飼ワールドにはしばしば登場している。

 最初に目に入ったのは白い天井。真っ白に塗られた病院のような部屋にて目を覚ましたオレ。オレの本名はナカオスナオ? そしてルビーという名で「鉄拳」というバンドに参加していたが薬物中毒でクビになったんだった? ここは薬物療養のための施設なのか? 意識を徐々に取り戻したオレはここからの脱出方法を検討、監視カメラを無効化したうえ、部屋にやって来た二人組の男たちをノックアウトし、外に出た。研究者のような男を捕まえてスタンガンで無力化したあと、別の女性研究者を捕まえる。彼女から今が西暦二〇〇八年だと知らされ、オレは大きなショックを受ける。『鉄拳』にオレがいたのは確か一九八八年。それから二十年の年月が……? チヒロと名乗ったその女を制圧した筈だったのが、ちょっとした油断からオレは別の部屋に閉じ込められる。そしてオレは所長なる人物から、衝撃波を浴びせられることになるのだが……。

鳥飼ワールド内の伝説バンド『鉄拳』の後日譚。天才たちの考えることって、バカとホント紙一重
 鳥飼否宇氏は「実験」がお好き。
 「普通こんなこと考えないよ!」という発想が本書の場合もベース。人里離れた侵入者を拒む要塞のような研究所、その奥で行われている人体実験。今時こんな設定ありですか。ありなんですか。ありなんですよそれはとりかいひうだから。 ということで、またまたベースになっているのは芸術肌の人間によるある種の人体実験。伝説のバンド『鉄拳』所属の天才ギタリストだったルビー(しかも記憶がまだら模様でほとんど記憶喪失)が最初の視点人物を務めるため、何がなんだか読者サイドからしても分からない。更にルビーの不審な死(薬物依存症の闘病の末に亡くなり、即日荼毘)を知り、その施設に侵入しようとするザッポやJHといった元『鉄拳』のメンバーたちがいて、さらにそのメンバーを襲う謎の人物がいて……と、いきなり登場してくる人物がいるわりに人間関係が錯綜している度合いも相当に高い。 →最後には「実は……」という伏せられた人間関係があるにしても、読んでいるうちは追いかけるのが大変でした。
 更に、この研究所の外では規格外の嵐が発生していて天変地異までもが要素として加わってくる。つまりは、最後のカタルシスから逆算された物語ということで良いのではないだろうか。様々な鳥飼ワールドの登場人物の決算というか、結末というか。更に音響にまつわる謎めいた、そして狂気が半分入った実験があってという設定はある意味では安易だと思うのだが、鳥飼ワールドだからこれはこれで良いということかと無理矢理納得してみるわけだ。

 褒め言葉としての「変態的サスペンス」。 内容的にはかなりぶっ飛んでいることは間違いないので、初心者がいきなり本書を読むことはとりあえずお勧めできない。バカミスを期待して鳥飼作品を読む読者に捧げる、いわば「バカサス」。 お好きな方にはたまらないんだろうなあ。わたしは微妙に乗り切れず、でした。


10/03/27
石持浅海「リスの窒息」(朝日新聞出版'10)

 『小説トリッパー』2008年冬号から2009年夏号にかけて連載されていた長編作品を単行本化したもの。ノンシリーズ作品。

 中堅どころの全国紙・秋津新聞。その読者投稿欄を扱う投稿課に、『身代金誘拐の件』という題名で誘拐を示唆した一通のメールが届く。悪戯かと思われたが、三千万円を要求する文面に加え、中学生と思しき女子が縛られて自由を拘束されている写真が貼付されていた。担当者の枚原馨、そして先輩にあたる細川幸二らは、社の上層部に事態を連絡する。メールは、かつて秋津新聞が起こした事件を糾弾した雑誌社にもccされていたうえ、社長は外遊中、指揮を執るべき上層部も意見が対立、警察に連絡することもできない。――中高一貫の進学校・私立碩徳中学校に通う野中栞と、その友人の小野寺聡子。試験休みで部活もなかった二人は栞の自宅で平日の午後をのんびり過ごすことにする。しかし栞の家では異変が発生していた。自宅のベッドルームで両親と、栞の家庭教師が死亡していたのだ。母親と家庭教師の不倫の果て。しかし、我が身に降りかかった災難の回避を図り、栞は聡子を手伝わせ、あたかも自分が誘拐されたかのような演出を行い、直接縁のない新聞社にメールを送った――。

追い詰められた中学生の突飛な行動と、当たり前の大人たちの対応。そのスキマにて高まるサスペンス
 相変わらずというかなんというか。ここまで積み重ねられてきた石持ミステリの多くに当てはまる特徴として「常識はずれの犯罪動機」というポイントがある。その程度のことで殺人を犯すものなの? 大したことではないのにどんなに自意識が肥大しているのか! その程度の人間関係で復讐?? ……といったような、まあ、厭ではあるだろうけれど、それで殺人というリスクを犯すものなのでしょうかどうでしょうかという犯人たちがしばしば現れる。
 本書にて石持氏が造形した犯人も、その域に近い。両親と不倫相手の三人による死亡。その結果、自分が狂言誘拐を演じるという発想、どうして浮かぶ? 脅迫対象が新聞社? この動機と犯行のあいだの飛躍度合いが実に凄まじく、それが独特の、冷たく乾いた印象が残る作品の雰囲気を作りだしている。 (そして「否定できない」という悪魔の論理が彼らを味方し、ぎりぎりのリアリティが作品内に確立されている点は高い計算に基づいている)。
 一方で、その動機の凄まじさが本書の最大の特徴ではない。女子中学生側が(読者も)狂言誘拐だと分かっている一方、頭の良い(筈の)大人たちが揃う新聞社側が必死で謎解きをしてゆくという、二列で進行する展開が小説技巧にしても見事。また、組織防衛に走る大人たちの汚さ、綺麗事という部分は超強烈にリアルを感じさせられる。組織として大きな事態に対処する時の人々の動きや考え方、保身からコンプライアンスについて(もちろん誘拐事件が頭にある訳ではなく)、小生も組織人の端くれとしてその描写・展開の妙に思わず感心してしまった。
 事件は終盤に大人たちの、今度は個人の知恵によって女子中学生たちの奸計は破綻する。恐ろしいのは更に寒々とした展開た待ち構えているという状況。淡々とではあるが、それを描ききる石持氏。ああ、冷徹であることです。

 一連のダークな石持長編をご存じの読者向け。サスペンス小説として一定以上の迫力はあるし、本格の要素も感じられる謎解きもあるながら、やはり最初に読むのが本書というのは結構辛いかも。


10/03/26
竜騎士07「うみねこのく頃に Episode2 Turn of the golden witch (下)」(講談社BOX'09)

 同人ゲーム・『ひぐらしのなく頃に』がテレビゲーム、アニメ、コミック、小説と幅広いメディア展開がなされ、その成功は今なお続いている。この『うみねこのなく頃に』は、「ひぐらし」とは別の世界観をベースにやはりサウンドノベルのゲームとして製作されている続編で、本編はその第二エピソード。解決編にあたる『うみねこのなく頃に散』が順次ゲームでは発売開始中(ということで良いのかな)。

 一九八六年十月五日の早朝。六人の駒は誰なのか。右代宮家にある礼拝堂に書かれていた文字は「Happy HALLOWEEN for MARIA」。昨日の昼にベアトリーチェを名乗る人物が真理亞に渡した封筒。密封された封筒から取り出された鍵で礼拝堂の鍵が開けられた。中にあったのは右代宮蔵臼夫妻、絵羽夫妻、留弗夫夫妻が残酷に切り裂かれた死体。一族で生き残った楼座はその鍵に使われた形跡がなかったことから、密室殺人であることに気付いてしまう。更に夫妻の子どもたちも死体を見てしまう……。そして、なぜか現実世界の外から、ベアトリーチェと戦人がこの様子を第三者的に眺めている場面へと移る。どうやら、彼らは知恵を競い合っている、というか一方的に戦人が嬲られている。要は「魔女の存在を信じるかどうか」。あくまで魔女と魔法を否定し、人間による犯行であるという主張をする戦人は、前回の(前回ターン)事件によってアイデアとして存在していた抜け穴が、魔女により次々と埋められてゆくことに気付く。魔女は魔女で、赤字システムを一方的に提案。魔女が赤字で述べた言葉は、証明の必要無しに「必ず真実である」というルール。一方の屋敷では黄金の蝶が飛び交い、悪魔の杭が人間の胸を穿つ。疑心暗鬼が館を覆う。更に戦人とベアトリーチェは、事件が進むたびに現実世界の外で討論を戦わす。しかし、戦人が魔女を否定すればするほど生き残った親族を疑わざるを得なくなるという背反に苦しむことになる――。

さすがは魔女のパート……と言いたいところだが、推理合戦の微妙な必死さは逆ヒント?
 『ひぐらしのなく頃に』の特徴のひとつ「赤字システム」が本書から登場。即ち、実際に進行している六軒島を俯瞰して事件を推理する戦人と、自らの魔法による行為であると主張して憚らない魔女・ベアトリーチェとのあいだでの議論が差し挟まれている。イメージとしてはビデオによって巻き戻された自分たちの行動を検証しているといったイメージか。いずれにせよ、その会話は残酷不可能行為を成し遂げたとする魔女のもの。つまり、いくら口で何を誓おうとその言葉が真実かどうか分からない、というよりも欺瞞に満ちていておかしくない。そうなると当然読者にとっても戦人にとってもまったく推理にならない――。ということで導入されているのが、赤字で書かれた会話文。この部分については偽りがないのだ。(但し証明の必要なし)。密室(と思われる)で死体と化している人間に対し赤字で「彼らは唯一の扉から入った」と書いてある場合、それは何がなんでも扉から入ったということが事実なのだ。
 普通であれば、これらの文言が重要なヒントとなって謎解きが進行する、はず。だが、本書の場合は魔女の所業とも思しき不可能状況が余計にクローズアップされてしまう。 戦人のみならず、ちょっと読者としても事件の想像がつかない。ミステリとしての「実行方法」のみならばとにかくとして推理のしようもありそうなのだが、人間が蝶になったり、杭と化して人間を貫いたりといった、使用人や一族が目撃する奇妙な光景の意味は一体? このあたりの読みとり方がポイントなのだとは思うけれど。 ただ、戦人が自ら思いついたアイデアに対し、ベアトリーチェに赤字復唱を求める場面で、言えることと言えないことがあると珍しく歯切れが悪くなる魔女。この周辺にヒントが隠されている気がする。

 まあ、偉そうなことを書いたが、不可能と残酷が行き過ぎて幻想小説的な読書となってしまい、何やら謎解きをするというよりも、一種のファンタジー空間を楽しませてもらった気がする。この段階で幾つかヒントがあるようだが、もちろん、100%の推理が可能なようには作者も作っていないことでしょう。


10/03/25
竜騎士07「うみねこのく頃に Episode2 Turn of the golden witch (上)」(講談社BOX'09)

 同人ゲーム・『ひぐらしのなく頃に』がテレビゲーム、アニメ、コミック、小説と幅広いメディア展開がなされ、その成功は今なお続いている。この『うみねこのなく頃に』は、「ひぐらし」とは別の世界観をベースにやはりサウンドノベルのゲームとして製作されている続編で、本編はその第二エピソード。解決編にあたる『うみねこのなく頃に散』が順次ゲームでは発売開始中(ということで良いのかな)。

 Episode1において、ほとんどが残酷なかたちで殺害された筈の右代宮一族とその使用人たちだったが『ひぐらしのなく頃に』同様、また時系列の巻き戻しが行われている。本作では一九八六年十月よりも時は少し遡る――。
 右代宮家に使用人として仕える少女・紗音。右代宮家が出資する孤児院から派遣され、義務教育までを右代宮家の世話によって受けている。使用人頭の源次からは「家具」であることを求められながら、その優しすぎる性格ゆえに失敗が耐えない。そんな彼女にとって、右代宮家当主・金蔵の長女の息子、つまりは嫡孫にあたる譲治から示される優しさは慈雨であり、いつしか人知れず彼に対する恋心が隠せなくなってゆく。そんな彼女の前に現れたのが六軒島に住むといわれている魔女・ベアトリーチェ。魔女は、紗音に六軒島近くに祀られている鏡を割ってくれれば、譲治との恋を実らせてやろうという禁断の誘いを口にする。悩み抜いた結果、鏡を割った紗音は譲治の思いをも獲得、二人で旅行に出るに至る。譲治は譲治で使用人との結婚を許してもらうため戦う決意をしているのだが。一方、同じく嫡孫の朱志香もまた学校の文化祭で彼氏を連れてくると吹いてしまったことから、使用人である嘉音を連れてゆくことになる。朱志香もまた嘉音に対し淡い恋心を抱いていた。若者たちの行動を生暖かく見守るベアトリーチェは、運命の十月。自ら屋敷に実体として乗り込んできた……!

魔女を名乗る人物が実際に六軒島に登場……。下巻を想像するに恐ろしい残酷な仕込みの数々
 前作である「Episode 1」は、まずやはり舞台であり登場人物説明という意味合いが強い作品である。それでいて(下)では残虐かつ意図不明の連続大量殺戮が描写されるため、そのインパクト自体は強烈なものがあった。ただ――、当然それですら「うみねこ」という壮大な物語の導入であり、ただですらインパクトの強烈な「ひぐらし」を超えようとするならば、あれくらい残虐で当然、ということになるのか。
 本書にて明らかにされるのは、前回ではスポットの当たりにくかった個人感情。使用人/家具としての紗音、嘉音、それに右代宮家の譲治、朱志香。面映ゆいというか、わざとらしすぎるというか、恋人たちの初々しい行為が情感と共に描かれる――訳だが。これって凄まじく残酷な予感が。ジェットコースターも高く昇ってから急降下する訳で。本作もまたたんたんたんたんと高いところに読者と登場人物が昇らされているのだと、読んでいるあいだから確信されるのだ。
 そして前作と異なる点は、魔女・ベアトリーチェが後半に賓客として正々堂々と六軒島・右代宮家に乗り込んでくる点。前作での争点のひとつ「魔女は実在しない」という点があっという間に崩される訳だ。 いずれにせよ約束の夜の直前。緊張感がぱんぱんに張った状態で上巻が終了となるのであった。
 以下メモ。
 気になるのは、十月のエピソードでは登場していない「瑠音」という使用人が右代宮家に勤めていること。と、改めて家具という表現。使用人=家具であり、人間のうちに入らないという、貴族社会の頃の日本のような考え方があるとするならば。この巻の譲治と朱志香のエピソードはその逆というか。そもそも家具として認識しなければならぬ彼らを「人間」として認識する過程が描かれているとは考えられないか。(しかも、魔女ベアトリーチェが家具を人間扱いして苦しめるというエピソードなわけだし)。

 ということで、すぐに下巻突入。人が死なないと話が進まないという……。いかん、病んでいる。


10/03/24
三木笙子「世界記憶コンクール」(東京創元社ミステリ・フロンティア'09)

 第2回『ミステリーズ!』新人賞最終候補作品改稿、連作化した書き下ろし連作集『人魚は空に還る』にてデビューを果たした三木さんの、二冊目となる作品集。前作同様、雑誌記者・里見高広と、人気絵師・有村礼らを主人公とした帝都探偵絵図シリーズ。

 法務大臣の義理の息子ながら、やはり月末になると手持不如意で訪れる質屋。その質屋の若主人・博一は見たものをそのまま記憶する特殊能力を持っていた。「記憶に自信ある者求む」という新聞広告に義父の薦めで応募、帝国大学教授による世界に通用する記憶術の指導を受けていた彼だったが、その教授と連絡が取れなくなって高広に相談が。ホームズの「赤毛同盟」とそっくりのシチュエーションであることに、すぐ気付くが……。 『世界記憶コンクール』
 高広の父親・里見基広。三十年後には法務大臣となる運命の若き日の彼が、後の夫人となるよし乃と出会うまで。当時の氷は貴重品だったが、衛生状態の悪い氷は疫病を招くため、官吏による検査が行われていた。『氷のような女』
美術の才能を活かすため、東京の美術学校に入学した森恵。唐澤幸生というクラスの問題児とまともに会話できるのは恵だけということもあり、徐々に親しくなってゆく。幸生は高名な陶芸家の子供だったが、自身は木彫を学んでいた。 『黄金の日々』
 幕末の頃に日本に滞在した経験のある英国人が、長年のブランクをへてアーリントン卿というVIPになって日本を訪問してきた。かつて過ごした地を再訪するに違いないと目した雑誌記者・高広は彼と運良く会うことができるのだが、インタビューの条件として彼から謎かけを受けてしまう。『生人形の涙』 以上五編

提示される謎と解決。加えて、両者に絶妙の時代背景を取り入れた正統派本格ミステリ
 探偵役・高広と、ワトソン役・礼の不思議な関係……(視点人物が高広であるにもかかわらず、彼がワトソンではなくホームズ役)が目立った前作に比べると、急にバラエティに富んだ設定となっている作品が目立つ。先に不満を述べておくと、主要登場人物が固まるか固まらないかのうちに、前作の脇役級が正々堂々主役を張るスピンアウト作品をこんなに出しても良いものか、という点。これらを二冊目に持ってきてしまうのはちと気が早すぎるのではないか。高広と有村とのおとぼけコンビを、普通にもう少し継続しても良かったのではないかと思う。作者自ら、何かとそれっぽさが指摘されたやおいの匂いを断ち切ろうとしたのかもしれないが。
 さて、ただ、ミステリとしては非常に端正、かつバランスが取れている点は強調せねばなるまい。
 まず表題作『世界記憶コンクール』。ホームズ譚のネタバレがあるのは気になるが、読者が既に読んでいる前提なんでしょうね。ただ、赤毛連盟の二番煎じかと思わせるミスリーディングが、実は角度を変えた真相に繋がっているなどかなり難易度の高いアクロバットに成功しているように感じられる。なるほど、文明のある利器がないこの時代だからこそ成り立つトリックだともいえるよなあ。『氷のような女』『黄金の日々』も、人間の情とミステリとをうまく絡めている佳作だとは思うけれど。個人的にもっとも気に入っているのは、ラストに位置する『生人形の涙』この時代特有の混迷に、階級社会、過去の亡霊と思い出……といった要素が複雑に絡み合い、社会情勢をも交えた緊張感と歴史的雰囲気とが絶妙にマッチしている。 多少無理目のトリックが、かえって浮世離れした良さを出しているというと 褒めすぎか。これはでもやはり短編本格として十分に傑作だという評価は変わらない。

 シリーズ二冊目にして、レベルの高かった一冊目同等かそれ以上。本格ミステリとして十分に及第点ですが、それぞれ特徴ある登場人物がユニークで、そういった群像劇、青春小説、成長小説といった様々な楽しみ方が可能な作品集。シリーズ自体は継続を希望します。


10/03/23
都筑道夫「朱漆の壁に血がしたたる」(光文社文庫'02)

 『七十五羽の烏』『最長不倒距離』から続く、都筑道夫という作家のミステリ的側面を語るのに欠かせない探偵・物部太郎三部作の最後の作品。発表当時は、実際に奇想天外な殺人状況を読者募集をかけ、都筑先生が選んだのが本作で登場する、紬志津夫が悩む殺人状況(↓)なのだという。

 能登半島の付け根にある利鎌という町にある旧家・森田家に、物部太郎の助手・片岡直次郎が訪れていたが、朱漆塗りの壁を持つ珍しい蔵のなかで文献を調査している最中、下の階にいた女性が殺害される事件が発生した。直次郎は警察に拘束され、物部太郎に助けを求めるが、太郎はなかなか動こうとしない。そもそも、推理作家の紬志津夫が、太郎の父親を通じて、探偵事務所に依頼してきたのが始まりだった。「大雨で接岸部の両端が流されてしまった橋。橋を調査に来た役所の人間が帰ろうとしたところ、一人見あたらない。死体が発見されたのは誰も近づけないはずの橋の真ん中、しかも自動車に轢かれた形跡が……。紬の妻によれば、この利鎌でも三十年前に似た状況の事件が発生したことがあるのだという。太郎を置いて直次郎が能登に向かったが、彼の後を追うように殺人事件が……。

謎と論理のエンタテインメントに連なる本格らしい本格。なのだけど……。
 変なことを告白するが、この物部太郎の三部作において、自分はこの作品が一番苦手らしい。最初に読んだのが十年以上前で、その当時の記録はあるのだが、その後、こうやって感想を改めて書くまで都合三回読み直すことになった。読み終わって、なんというか疲れきっているというか。他の二作品に比べると、ミステリとして感動しないのだ。

 どんな状況であっても、論理的に解決は付けられる、しかし、登場人物がなぜそんな状況になったのかを考える方が大変なのだ――。 分身扱いとなる作家・紬志津夫の口を借りるかたちで作者は持論を述べている。この点については都筑道夫氏自身、評論『黄色い部屋はいかに改装されたか?』でも述べているし、同書において提唱された理論からスピンアウトする『退職刑事』あたりでも、その点、つまり現実にはどういうシチュエーションにて奇妙な事態が発生誌得るのか、という点に腐心するというコメントは多い。
 ――ただ、語弊を恐れずにいえば、あまりにこの「状況の整合性」にこだわりすぎることが、都筑道夫の本格ミステリを論理的ではあっても。スケールが小さくしてしまっているのではないか。 本格ミステリとして求める先が(作者によって)違うといえば、確かにそれまでなのだが、折角の幻想的な謎であっても、この時期の都筑氏の理論にかかると、逆にそれが現実という手垢にまみれてしまうというか。多少、状況に無理があっても、美しい謎解きを優先すべきなのではないか、とか思ってしまうわけですよ。いや、確かに梗概に書いたシチュエーションなど、凡人の小生には合理的な解釈なんて一つもつけられません。ただ、ここまで奇妙な現状が起きるには、やはり現実ぎりぎり許されるような偶然であるとか、特殊な自然現象であるとかがあった方が、ミステリとして美しくなるのに……。

 以上、個人的な好みがちょっと強い主張になってしまいました。ただ、やっと都筑氏の本格ミステリを読んで長い期間にわたった感じていた微妙な違和感が言葉に出来たような気がします。ふう。


10/03/22
海堂 尊「マドンナ・ヴェルデ」(新潮社'10)

 海堂尊氏の一連の桜宮シリーズと世界を同じくする作品で、同じ新潮社から刊行された『ジーン・ワルツ』の続編というか姉妹編にあたる長編作品。『小説新潮』に2009年9月号から2010年2月号かけて連載された作品が単行本化されたもの。

 夫を亡くしてしまってもういないが、一人娘を医者に育て上げて悠々自適の生活を送る桜宮市の五十五歳の主婦・山咲みどり。娘の理恵は結婚して曽根崎姓を名乗り、東城大学卒業後、帝華大学医学部で産科医となっている。その理恵が帰省した際、みどりに対し、自分は子宮の病気の結果もう妊娠することができない。なので、代理母としてみどりに自分の子供を産んで欲しいと頼んでくる。心理的に抵抗のあったみどりではあったが、理恵に説得されて結局、代理母を引き受けることになる。大学では「クール・ウィッチ」と渾名される理恵は、母親に対しても理詰めと効率を要求、みどりは、理恵が非常勤で勤務している「マリア・クリニック」にて人工授精を行っていた。しかし理恵はみどりに、自分が離婚していたことや代理母が国から認められていないことなどを隠していたうえ、さらにみどりの体内に芽生えた双子にも重大な秘密が。みどりは、理恵の言いなりから一歩進んだ態度を取るようになってゆく。

子どもが欲しいという気持ちと代理母制度。その諸問題と人間の感情によるいくつかの、問題。
 前作『ジーン・ワルツ』では、多数の妊婦たちによる群像劇を演出することで、どちらかというと出産という行為そのものは考えられているほど簡単なものではなく、様々な危険を伴う行為であるということが、ひらたくいえば訴えられていたように思う。現在、その行為を司る産婦人科医という職業の難しさと、世間の理解との乖離がたしなめられているような印象もあったが、それはそれで当方も実際無知だったので仕方ないし、ある意味では役立った。
 本作はその、『ジーン・ワルツ』にも登場した山咲みどりを視点人物とし、時系列的に同時進行しつつも、そのテーマが異なるという異色作。『ナイチンゲールの沈黙』と『ジェネラル・ルージュの凱旋』における関係性とは、似ているようで根本的なコンセプトが異なっている印象。近年の海堂作品であれば必ずといってよいほど存在する医学上のテーマ性がきつく、そして全面的に打ち出されている。今回のそれは、代理母出産という行為そのもの。それが医学技術的に難しい、難しくないという点については逆にさほど重視されておらず、倫理面が重視されている。子供の出来ない夫婦、だけど子供が欲しい夫婦にとっての代理母という存在。これが是なのか非なのか。作者は誘導もしていないし、結論を述べている訳でもない。ただ、それでも何か教唆されているような気がしてならない。恐らくまずは、感情に流されない状態で知ること、そして自分の頭でどうするか考えることが大切といったところか。

 個人的には少し登場人物に引っかかりもあって、論理至上主義の曽根崎伸一郎の存在はOKなのだが、理恵の方に少し違和感。クール・ウィッチとはいえ、代理母の問題にこれほど熱くなれる彼女が、身内や将来の子供の気持ちを忖度しないものなのだろうか。倫理こそが論理で結論づけられない領域であることなど、彼女ほどの人物なら最初に前提にしていそうなものなのに。論理に拘泥する伸一郎と、情と理屈で彼を落とそうとする山咲みどりの「手紙バトル」はミステリとしてユニーク。 ただ、やはり全体としてのエンターテインメント性はかなり控えめだといえるだろう。そういう位置づけということなのだ。

 桜宮シリーズの読者は読むべきだろうが(そして、そういった読者が相当数にのぼるわけだが)、特にシリーズを知らずに本作から読み出すのはあまり感心しないかな。せめて『ジーン・ワルツ』を先に読まれる方が吉でしょう。


10/03/21
福田和代「オーディンの鴉」(朝日新聞出版'10)

 『ヴィズ・ゼロ』にて鮮烈なデビューを果たし、クライシスノベルを中心に著作を拡げている福田和代さんの五冊目となる長編作品。『小説トリッパー』誌の2009年夏号〜2010年春号にかけての連載が初出。

 近々の閣僚入りが確実視されている大物国会議員・矢島誠一宅への防衛産業関連の汚職の容疑による家宅捜索を控えた早朝、「私は恐ろしい」という遺書を残して矢島は自殺してしまった。矢島の妻によると、一通の封書が届いてから、矢島の様子は目に見えておかしくなったのだという。東京地検特捜部に所属する湯浅は、同僚の安見からインターネット上に矢島の個人情報が大量に流れているという情報を得る。本人の住所や電話番号は元より、矢島を隠し撮りした画像、愛人と食事に行った経路に至るまでが溢れていたが、矢島が自殺してから、そういった情報はなぜか片っ端から削除されていった。匿名の多数の人間が、何者かの悪意ある情報によって踊らされる図式がそこにあった。検察上層部から、矢島に関する調査を止められた二人だったが、特に安見は独自ルートによる捜査を進めていたようだった。贈賄側に関係する大物・瓶子の取り調べを手伝う湯浅は、瓶子が席を立つ際、本来彼が知り得ないような情報を口にすることに気付く。そんななか、湯浅や安見のもとには、矢島同様に隠し撮りされたと思しき写真が届けられた。湯浅には、白血病を患う娘と献身的に娘を看病する妻がおり、その二人をネタに脅迫するような手口に湯浅は心穏やかではない。「オーディンの鴉」を標榜する何かは、更なる悲劇を安見にもたらす……!

光の当たらないネット社会全てを統べるオーディン。監視と告発の悪魔と、個人はどう戦えば良いのか
 「高度情報化社会」という言葉はいつ頃から出てきたのか、もはや記憶にすらないけれど、気付かぬうちに世の中は「通信ネットワーク」で繋がっている。例えば携帯電話で指示をすれば、自宅の録画予約ができる。ネットワークを介してWEBカメラで撮影した画像を、地球の裏側で共有する。少し前には考えられなかったようなことがネットワークを介することで出来てしまうのだ。
 本書は、そのネットワーク上のほぼ全ての情報をリアルタイムで手に入れられる巨大でとらえどころのない存在――がテーマ。 ただ、手に入れるだけではなく、その悪意のある活用方法(匿名でネットワークにて火祭りを演出するなど)が加わって、人間の生きる気力すら挫くような恐ろしい事態を引き起こしてゆく。コントール出来ないため、時に直接暴力以上の圧力が発生する、その闇を”操る”存在と主人公たちが戦うという壮大なテーマに取り組んでいる。ちなみに本書の前に単行本化されたプロメテウス・トラップと、深層テーマは共通している。両方読むと「はあ、なるほど」と頷かれることだろう。
 ちなみに、登場人物も多少浮世離れ感が強くゲーム性が強かった『プロメテウス・トラップ』に比べると、本作はぐっと社会派っぽさが増し、人物の描写が濃厚になった。(個人的には遊びがなくともこちらの方が好きかな)。その観点からは、両者は軟派vs硬派というかたちで対を形成している。 その両方をテーマ的にきっちり使い分けしているところに、(偉そうな言い方になって恐縮だが)作者の成長を感じた。
 もう一点、作者に巧さを感じたのは「オーディンの鴉」の演出方法。この存在の怖さは、ある意味ネット限定であるので、ネットに詳しくない読者に理解させなければならない――のだが、そのあたりは巧く説明でクリアしている。技術的に絶対に出来ないこと、出来ても困難なこと、そして硬派の本書の方が技術用語への過度の依存を避け、ネットワークの入り口(初心者)付近の多様さを強調するのみで、事件とその深刻さを説明している。さりげないことだが、恐らくこちらの方が小説技巧としてはかなり上位のはずだ。
 ネトゲ、Youtubeにニコ動、mixiにtwitterにMy spaceに至るまで、現代のコミュニケーション環境が、さらに「オーディンの鴉」に対抗する武器となってゆく終盤の展開は、敵のやり方と裏表ながらストレートに面白かった。ただ、その情報伝播のスピードもまた、「オーディンの鴉」の武器でもあるということ。つまり、正義、非正義とは無関係に、本来力のない筈の人間であってもやり方次第で武器を持てること――それはまた、本作を通じてうっすら感じる気持ち悪さの、一つの理由であるような気がする。

 デビュー作からしてかなり完成されている印象のある作者だったのが、単行本を出すたびに構成といい、小説技巧といい、必ず一歩ステージを上がっていっている印象。良い意味でこなれてきている最中になるのか。そしてまた、現在抱えておられる連載がまとめられる時に、また次のステージへの物語がきっと読めるはず。今から楽しみ。