MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


10/04/30
小路幸也「オール・マイ・ラビング 東京バンドワゴン」(集英社'10)

 下町のラブ&ピース小説・東京バンドワゴンシリーズの五冊目。年に一度、定期的に春頃に刊行されるのがお約束となっている。そして実はこのシリーズ、春夏秋冬の四編が収録されているのだが、全編書き下ろしである。

 堀田家の隣に建った藤島氏所有のアパートで家問題が少し解決。古本屋常連の元刑事の甥っ子が体験した物語が増える百物語の和綴本。東雲文庫。フランスに飛び立つ若手女優と自分に自信のない亜美の弟・修平。 『あなたの笑窪は縁ふたつ』
店の前に置かれた八冊の猫の本。〈東亰バンドワゴン〉の蔵に眠る数々の秘密文書を嗅ぎ付けた新聞記者の搦め手。花陽の同級生・双子の神林兄弟。そして大宴会。 『さよなら三角また会う日まで』
 紺の大学時代の恩師が来店。源氏物語を預かって欲しいというが、その裏には。堀田家のクリスマスパーティ。微妙な関係である藤島、三鷹、そして藤島の元秘書・永坂杏里も別々に招かれて。そして我南人が重大発表を。 『背で泣いてる師走かな』
 小学校の卒業式を前に張り切る研人。手術を終えた我南人のもとを訪れるハリー、そしてKeithという人物からの手紙。ワールドツアー、卒業式ライブ。そしてまた二組の幸せカップルの結婚式。 『オール・マイ・ラビング』 以上四編。

巻を重ねても、毎回一冊分が「ほとんど解決」に至って区切られる。この得心の深さがシリーズの魅力と気付いた。
 以前に小路さんインタビューで、この東京バンドワゴンシリーズについては、登場人物が勝手に話を進めてくれるといった趣旨のことを聞いたと思うのだけれども、本書でもまさにそんな感じ。大家族ものらしく、数多くの登場人物(しかも人間関係が複雑! なので系図兼人物紹介表はありがたい)が縦横無尽に暴れ回る(?)ため、初めて読む人は戸惑いを、久しぶりに読む人は思い出せない苦しみを味わっている……らしい。
 ついでにいうと、昨日感想を書いた池袋ウエストゲートパークシリーズと、毎年刊行され、四季を巡る四つの物語が収録されているという点が共通している。だが、本シリーズと同シリーズで明らかに異なる点、それは、登場人物が(そもそも幽霊である堀田サチを除いて)確実に、一冊で一つ、年齢を重ねていること。若い世代であれば、それは成長を意味するし、本書でも少しずつ女性らしさを獲得(?)している花陽を仄かに想う双子の神林兄弟が登場するようになっているし、最終話では研人の小学校卒業に際しての実行力を要するイベントが完遂され、祖父の鬱屈をぶち破る話でもある。成長している。
 ただ、その最終話は裏返しであり、祖父の年代にあたる「LOVEだねぇ」の我南人が、着実に老いを迎えつつあるということでもあるのだ。ただ、この作品では大家族が登場して、周囲を巻き込んでいるところがあって歩みを止めた家族が万一居たとしても、そのことを心に留めてくれる人が沢山いる――ということでもあるわけで、涙はあっても明日を感じることができるような気がする(ってまだそんなシーン無いのに、予想で書いてみた)。
 一方で、大いなる定型はマンネリを目指して今回も突き進む。 序盤の大家族食事風景。世代ごとの恋愛模様のしがらみと、お節介と気遣いでそれを成就させる一家の妙。ページが急に増える和綴本、青が大学を辞めざるをえなかった理由、捨て猫、捨て犬、捨てダブルという古本屋の店先に置かれる本による謎かけ等々。古本屋らしい謎かけも実は健在。これがあってこそのバンドワゴンだと、結構まじめにそう思っている。

 そして一編ごと、そして一冊のエンディングを迎えて思うのは、未解決になっている懸案事項が積み残されていないという点だ。 そりゃ住む場所が狭いとか不平不満はないとはいえないだろうけれど、人間関係であるとか、ミステリアスな謎といった要素は少なくとも一冊終了時には完結している。 積み残した伏線はない。だから! このシリーズ、は一冊ごとに安心して手に取れる。ということで、シリーズ読者が安心して読めるつくりである点は本作も変わらず。毎年春のお楽しみ。 単行本派の方も、文庫派の方も、一年に一度のお楽しみ、逃さないできちんと食いつきましょう。


10/04/29
石持浅海「この国。」(原書房ミステリー・リーグ'10)

 一部がアンソロジー等に発表されていた、別の歴史を辿ったファンタジー日本を舞台にした、本格ミステリ連作集。「ハンギングゲーム」は'09年に光文社より刊行された『新・本格推理 特別編』に、「ドロッピング・ゲーム」は同じく09年の『不可能犯罪コレクション』に、「デフェンディング・ゲーム』は講談社『メフィスト 2009vol.2」に発表された作品で、後半二作は書き下ろし。

 民主主義を標榜しながらも、一党独裁による政治が行われている「この国」。その党は、国の発展を第一義に考えてきたこともあり、国民は管理されながらも自由な生活を送っていた。この国では、中学校に上がる段階で国家の重要職に就く可能性が高いエリートは峻別され、徹底した教育を受ける。またこの国の言葉の他に幼少段階から徹底的な英語教育も行われる。これも国家の発展のため。戦争を自ら行うことはなく、軍はあるものの機能は限定的。周囲の被植民国家の独立を影ながら助ける外交政策を採ってきた。さらに、この国では、絶対になくならない人類最古の職業でもある売買春すら国家が管理しているという噂があった。この国を守るのは治安警察。そしてこの国の国民にとってもっとも重い罪は、国家に対する反逆。この物語は、この国を守る治安警察のエリート・番匠と、この国のオピニオンリーダーの一人であった菱田に心酔していたあるテロリストの直接的・間接的な戦いを軸にし、あったかもしれない「理想の国家」を描いた作品である。
処刑場の駆け引き『ハンギング・ゲーム』、教育制度『ドロッピング・ゲーム』、学生の臨戦状況『ディフェンディング・ゲーム』、売春施設絡みの連続殺人テロ『エミグレイティング・ゲーム』、番匠とテロ組織がカワイイ博で対決する『エクスプレッシング・ゲーム』 以上五編。

日本国民の弱点を国家エリートが補完した強力な個性。その個性があってこそ起きるロジックとトリックが渋い
 帯に「石持ワールドの真骨頂」とある。
 本書が石持浅海の最高傑作だとはいわないが、それでもここまで様々な試みをしてきた作者ならではの、特徴が出ている作品であることは間違いない。というのも、これまでの石持浅海の現代ミステリではしばしば「突飛な動機、但しその世界の論理は通っている)」が、重要なサプライズを担うことが多い。天才型ならではのこだわり、肥大しまくったた自意識が世間の常識を越えてしまった、電波めいた理由からくる恐怖……等々、今まで様々な驚きがあった。本書は、そういった意外な動機のネガとポジを反転させたような作品だ。
 つまり、個人の動機としては弱いとされてきた石持本格が、個人行動から逆に世界の方を作り替えるという過程の側を補強した世界で展開されてゆく。つまり、個人なら弱かったそういったトンデモな動機が、その動機が常識となっている世界だったらどうだろう?と強烈な反転を遂げているのだ。また、その世界観がユニーク。国家の発展だけを願う一党独裁の共産主義風国家。ただ、一定のライン以下では国民の自由もまた保証されており、治安警察があるとはいっても個人の暴走が許されるような理不尽なものではなく、奇妙な事件に対しては、一緒に推理までしてくれる。
 現在の感覚では普通のセンスをもった若者がテロリスト扱いされてしまう世界でもある。その世界だからこその論理が事件の真相を覆い隠している。事件自体はそう奇妙ではなく、むしろ犯人たちの凝らす、目的に向けた工夫(対番匠ら治安警察に対する戦い方)が読みどころという作品もある。いずれにせよ、我々の知らない日本の「論理」があって、それをミステリの筋書きにも、犯人の動機にも、そしてトリックそのものにも、自由に石持氏は使いこなす。 ゆえに、先読みを許さないし、フィクショナルな社会情勢に感心しているだけだと簡単に罠に引っ掛かってしまう。余人に真似のしづらいセンスに磨きをかけているという印象だ。

 普通のミステリを期待していると、ある意味では肩透かしを食らうことになる一方、読みやすさと設定の奇妙さから来る吸引力は大したもの。石持初心者であっても、それなりに楽しめる作品だろう(初心者にはもっとストレートなミステリで構成された作品集や長編作品が石持氏にはあるので、そちらからがお勧めです)。一方、長年の石持ファンにとっては様々なガジェットや、動機やロジックの巧妙さに狂喜乱舞すること請け合い。 やっぱり特に、異世界日本の設定における妙が強烈に光っています。


10/04/28
石田衣良「ドラゴン・ティアーズ――龍涙 池袋ウエストゲートパークIX」(文藝春秋'09)

 正編として9冊目、外伝含めると丁度10冊目となる人気シリーズ作品。初出は全て『オール讀物』誌で、収録順に二〇〇八年七月号、十月号、二〇〇九年一月号、そして表題作は二〇〇九年四月・五月号に発表されている。

 テレビでお姉キャラで人気の「ブラッド宮元」。彼が経営するエステに数百万円をだまし取られた女性たち。彼女たちから依頼を受けたマコトは、そのエステの勧誘員として、キングと共に採用され、内情を探った。 『キャッチャー・オン・ザ・目白通り』
 ホームレスの支援をしている若者から、最近、彼らの様子がおかしいので何があったのか調べて欲しいという依頼。マコトは足繁くホームレスたちから事情を聞くが、その裏側に「あぶれ手帳」という聞き慣れない存在があることに気付く。 『家なき者のパレード』
 肥満体型の二十八歳サラリーマンが「出会い喫茶」で知り合った彼女。彼曰く、彼女は母親の借金のために嫌々働いているアヤという女性を助けて欲しいとマコトに依頼する。 『出会い系サンタクロース』
 中国人のイケメン、リンがマコトを訪ねてきた。彼の組織が日本の工場に斡旋した中国人女性・クーが脱走して対立する組織に逃げ込んでいるようなので助けて欲しいのだという。池袋ではチャイナタウン構想が起き、中国人が勢力を伸ばしており、サルの所属する暴力団も彼らに頭を悩ませている。期限は一週間。期限が過ぎると真面目に出稼ぎをしている250人もの中国人が強制送還されてしまうのだという――。 『ドラゴン・ティアーズ −龍涙』 以上四編

もはや時事ネタのあるサザエさん状態。だが、若者群像劇でありながらぶれない社会派視点は渋い
 IWGPシリーズも、本書で九冊目。一冊に四編の物語で、それぞれが時系列にて春夏秋冬の話題が入る――という構成を、九年(そして今も)作者は書き続けているということになる。場所は池袋から動かず、誠は彼女も作らず相変わらずのトラブルシューター。大いなるマンネリズムだし、取り上げられているネタだけは毎回異なるとはいえ、物語としてのパターンも似たものが増えてしまうのは仕方がない。表から裏から不幸をばらまく悪の組織に、マコトが後先考えずに飛び込んでかき回して、キング率いるGボーイズか、サルの率いるヤクザかが決着or落とし前をつけて一件落着……という感じの作品が、必ず一冊に一つはある。(当然本書にもある)。
 ついでにいうと、マコトもキングもサルも年を取らない。たぶん、着るものとかのブランド名は、時事ネタ同様そのタイミングの流行を反映しているのかもしれないけれど、無粋なもので判りません。また、主要な五人強くらいの登場人物の他は、シリーズの長きにわたって登場している人物がいない。中程度以下の脇役は毎回入れ替わっているというか、使い捨てられ省みられていないような印象がある。サザエさんでいえば、花沢さんや中島くんがいないというよりか、毎回違う花沢さんがキャストされている感じか。
 そういったことを含めて、全てひっくるめて許容できる読者が読めば良い、という気がしている。サザエさんに文句をいう視聴者がかえってバカにされるように、それと同じような気持ちで、今回取り上げられるネタはなんなのか、そして勧善懲悪(とまで綺麗に割り切れなくても)の結末に、よしよし云って頷いていれば良し。

 ただ、毎回時事ネタを入れているせいもあって、むしろ社会派のような雰囲気が漂ってくる側面もある。 作者もそのあたりは間違いなく意識しており、最近のミステリではむしろなかなか相手にされない先端風俗が読みやすいかたちで毎回きっちり描かれているという点は、もっと評価しても良いのではないかと思う。また、こういったかたちで社会の歪みを取り上げることで、時事に疎い人々に対しても一定量の問題喚起を行っているという見方も出来るし、それはそれで作家としての使命感があるのかもしれない。このままずっと続いて欲しく、終わりを迎えてほしくないシリーズである。


10/04/27
篠田真由美「閉ざされて」(角川書店'10)

 建築探偵桜井京介シリーズで知られる篠田真由美さん書き下ろしの長編作品。

 函館で老舗の宝飾店を経営して一財を成した藤吉一族。その現在の長である博通は、若い頃から惚れ込んでいた一回り年下の妻・澪と結婚していた。澪は雪華荘と呼ばれるモダニズム建築を、海に面して眺望は良いが不便な場所に博通に建てさせ、真っ黒の衣装を着て結婚式を挙げ、その写真撮影を許さないなど、変わった行動を取っていた。長男・洽を産んだ後、精神的に不安定になり、さらに汀と渚という双子を産んだ直後、窓から身を投げて自殺したと思われた。その渚は生まれてすぐに死亡、汀のみが生き残る。博通は、妻の喪も開けないうちに、生前から交渉をもっていた看護婦の彩子と結婚。その連れ子の早苗や、緑から汀はイジメの対象とされてしまう。兄の洽は、さっさと東京に出てしまい汀は孤立無援、更に自分自身の醜さに苛立っており、ちょっとした引きこもりの状態になっていた。博通は脳梗塞で倒れ、彩子たちと汀は遺産を巡って対立することになる。汀は現在の状況から抜け出すために、まとまったお金が必要だという事実に気付いており、もともと金目当ての側面のあった彩子たちとの鞘当ては激しくなり……。

ゴシックを直接使わずに、函館の街とそこに生きる一族を使って華々しく重いゴシック・ミステリが創り上げられた
 篠田真由美さんがここのところ時折発表しているノンシリーズのゴシック系ミステリの系譜に連なる作品(だと思う)。
 着想というか、設定そのものの微妙に現代であるのに、登場人物の雰囲気や物語全体の雰囲気のうえにはセピア色がかっているような印象がある。恐らくは、既に食いつぶし状態にある遺産であるとか、過去の遺物である建物であるとか、宝石のちりばめられたティアラだとか、そもそも古式ゆかしい遺産を巡る血の繋がらない兄妹同士の争いであるとか。年代を現代と限定していない一方で、全体的に古めかしいガジェットを多用しているせいもあるだろう。
 加えて、人間嫌いで世間知らず、考え方の狭い主人公(しかも視点人物)を設定することによって独特の息苦しい世界を創り上げることに成功している。ある理由から自分のことを醜いと思いこみ、大きなコンプレックスを抱えた主人公。人間関係をうまく築くことができない。そして頼りの兄にしても、読者の公平な視点からみるに、決して主人公・汀のことを大切には感じていないようにみえる。
 そういった細々なエピソードの積み重ねのなかに、ミステリ巧者でもある篠田真由美さんらしい企みがあるのだが……。
 さすがにその真相というか、紹介文にあるような、物語の裏側に隠された「驚愕の真相」というポイントは、ある程度目の肥えたミステリファンが読むと透けてみえてしまうかもしれない。ただ、作者はそれはそれで構わないと思っている節がある。むしろ、その透けた先にて行われている舞台劇の毒々しい色遣いが際立って見えるようになることもまた作者の狙いのうちに思えるのだ。

 館、心、気持ち。そういった全てが「閉ざされて」いる世界にようこそ。一連のゴシック・ミステリのシリーズが持つ沈鬱な雰囲気は本書でも健在。ミステリとして、サプライズは微妙だけれども、構築されている世界そのものは一見の価値がある、とだけいっておこう。


10/04/26
有栖川有栖「本格ミステリの王国」(講談社'09)

 幾つか刊行されている有栖川有栖氏のエッセイ集に連なる一冊。2009年の一月に、有栖川氏が作家デビュー二十周年になるため、記念の本を出そうということで企画されたらしいが、刊行(奥付)は12月7日になっている。

 最初が「ミステリが好きなあなたへ」 新聞に掲載された日本推理小説小史、HMM等に掲載された密室や「名探偵にとって迷惑な犯人像ベスト9」だとか、さらに綾辻行人氏との合作映像作品「安楽椅子探偵」のDVDに収録されている小文であるなど、ミステリに関連して有栖川氏が発表してきた文章がまとめられている。
 「ミステリが書きたいあなたへ」――ということで、日本推理作家協会賞、日本ミステリー文学大賞、『ミステリーズ!』新人賞といった、自らが選考委員を務めた各賞の選評が中心。加えて『賞とるマガジン』に十数回にわたって連載されたトリックの作り方や使い方について解説したコラム。
 「ミステリ作家未満」 このパートが本書の目玉の一つということになるだろうか。メフィスト掲載のデビュー前に執筆された短編が、原稿用紙のコピーのかたちで収録されている。それが『蒼ざめた星』。そして、学生時代、初めて原稿料を貰ったデイリースポーツ紙の犯人当て作品のうちから、未公開の『殺刃(さつじん)の家』。
 「ミステリに関する二十の断想」 本書のための書き下ろしコラム。基本は見開きで、二十年目作家ならではの随想が綴られている。「一九八九年の幸運」「同業者という存在」「新本格はどこからきたか?」「戦争と本格ミステリ」「本格ミステリはどこからくるのか?」「本格ミステリの王国」「幻の小説」「江神シリーズのこと」「火村シリーズのこと」「キャラなんとかについて」「どう読まれているのか?」「安楽椅子探偵という冒険」「不思議の物語と創作塾」「再び、新しい星へ」「これから」(一部コラムは複数回に分けてあるものあり)。

一貫して、そして普遍的に感じられるのが本格というジャンルへの愛情
 有栖川氏のエッセイ集は定期的に、といって良いほど刊行されていて、氏の書くありとあらゆるものが新聞や雑誌といった媒体に掲載されたあと、改めて単行本用に活字化されている。従って、ということもなかろうが、こういった近年刊行された、こういったエッセイ系の本は、中身も同様にフレッシュである。つい最近新聞で読んだことがもう、本になっているというような印象だ。また、一般向けの新聞なら新聞で、本格ミステリファン以外にもその魅力が伝わるように努力していることが伝わってくるし、専門雑誌ならそれはそれでマニア向けにもっと深くジャンルを愛して欲しいというような希望が感じられる。ああ、本当に有栖川さんは本格ミステリが好きなんだなあ――、とこちらが勝手に爺モードに入ってしまう、そんな感じ。
 一方、もう一つの目玉であろう、デビュー前の作品、しかも『蒼ざめた星』に至っては、原稿用紙に直筆で書かれた、その原稿用紙ごとの収録である。(江神シリーズ)。ただ、作者が謙遜しているほどにひどいものではない。アマチュアっぽさは強いものの、その構成に用いられているロジックは、後の本格ミステリ作家に至る道筋としては非常にまっとうなものだし、犯人当て短編『殺刃の家』にしても、ちょっと補強が足りないもののロジックの作り方のセンスは、正直にいって高い。双方、有栖川有栖の若かりし頃の作品といわれると、「なるほど」と納得するレベルにある。(そりゃ、商業出版レベルですかというと微妙だけどさ)。

 また、ラスト一章は書き下ろされたエッセイ。火村シリーズや江神シリーズの今後の構想など(他で語られていることと多少重複するとはいえ)、2009年末段階の有栖川氏の最新状況がよく判る内容でもあり、ファンであれば必読かと思われる。トータルでいうと正直、想像していたより内容としては充実していた。初公開作品もあるので、熱心なファンであれば、購入して損はないエッセイ集かと思われる。


10/04/25
麻耶雄嵩「貴族探偵」(集英社'10)

 麻耶雄嵩氏の新シリーズ(になるのか?)の探偵役・本名不詳の「貴族探偵」が登場する作品集。初出は比較的古く『小説すばる』2001年2月号に「ウィーンの森の物語」(発表時は「貴族探偵」、改題)が発表されており、その後、2001年9月号に「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が、その後少し間が空き2007年4月号、2008年4月号、そして最終話は2009年9月号に発表されている。

 会社社長が山荘内部で手首を切って自殺――に見せかけた犯人。最後に密室状況を作るため、鍵を室内に戻す糸の仕掛けが途中で切れて、糸が社長のポケットから垂れ下がってしまう。 『ウイーンの森の物語』
 『トリッチ・トラッチ・ポルカ』
 北陸にある老舗旅館”風媒荘”女二人で滞在している女子大生・紀子と絵美。彼女たちは旅館で、テレビにも登場する作家の大杉道雄夫妻と、同じく作家の堂島尚樹と出会い、ファンだったこともあって舞い上がる。大杉の妻の妹夫妻も訪れていたが、どうやら彼らのあいだには不倫関係がいろいろあるらしい……。 『こうもり』
 友人の都合で海外旅行がキャンセルになり、恋人の滞在する別荘に行ったつもりが別の女性と鉢合わせた美咲。しかも車を運転しての帰り道、山裾から飛び出してきた石と車が衝突、立ち往生してしまう。通りがかった貴族探偵の車で石が落とされた家を訪れてみると、作家の厄神が死亡しているのを発見してしまう。 『加速度円舞曲』
 戦前は伯爵家でもあった桜川家は、現当主・桜川鷹亮の尽力で吉野杉の売買を中心に往時の勢力を取り戻していた。桜川家の唯一の直系・弥生の婿候補として三人の男性が訪れていたが、その弥生の相談役として従姉妹の豊郷皐月もまた館に滞在していた。また同時に鷹亮の招いた東京の高貴な家の男性がおり、彼らのことを三匹の豚だと見縊っていたのだが……。 『春の声』 以上五編。

高等遊民の”遊び”だった推理を、労働者の”労働”扱いにすると探偵役の意義が……訳判らん。
 「私が。そんな労働をこの私がする必要はない。雑用は家人に任せればいいことだ。そのために山本(執事)がいるのだからね
 麻耶雄嵩氏の作品は、普通の意味のトリックだとか犯人だとか動機だとかより遙か以前の部分、常人の思いつかないところで「ひねり」が加えてあることが多い。そして、本書もまた、題名がそれっぽい(?)ことが示す通り、探偵と名乗る存在がもっとも探偵らしくなく、推理自体を雑事扱いとして自分自身では行っていない。例えば組織であれば、平社員の責任を課長が取るというような図式はあるけれども、それと似ているようでいて、その平社員の行動は常に課長は理解している前提であるのだけれど、この貴族探偵の場合に本当に使用人の推理の過程・結末を理解しているのか、理解していないのか不明であるところが最後まで明らかにされない。 なので余計に解釈は厄介。
 ただ、困ったことに本格ミステリとしても凝りすぎるくらいに凝っている。最初の『ウィーンの森の物語』は、倒叙ミステリと思わせておいて、その失敗を赤裸々に読者に明らかにしたうえで、ぬけぬけとしたどんでん返しが仕掛けられているという怪作。ああ、なるほど、貴族探偵は推理をしないんだな、という点はとにかく、執事の山本が探偵したかと思えば、続いての事件で推理するのが、小間使いの田中である。単に名探偵が執事なミステリと思わされていただけに、ここで「カクっ」とした感じでこけそうになる。(新喜劇のノリですな)。
 『こうもり』では、貴生川という人物の扱いが微妙。(と、マジ解釈)。これは他の某作品で試していた、ある人物には叙述トリック、だけど、という演出を本書でもやっているように読めるのだが、書き方がどうもはっきりしておらず何度か目を通したのだけれども断言できず。むしろ、最後の証拠の扱いが無理矢理だけにユニークに感じられた。『加速度円舞曲』は、ある事実から演繹的に展開していく推理が魅力だし、『春の声』は、謎解きよりも、その事件そのものが発生した段階の相剋というか、シチュエーションが冗談的であり、これまた変な意味でユニークに思われた。

 しかし、どうでもいいことだが、『加速度円舞曲』はなんてJR加古川線、『春の声』はなんて近江鉄道な内容。(つか、名字が全部駅名由来だ)他の作品でも、このあたりに何か仕掛けがありそうなのだけれども判らなかった。斯様にさまざまな遊びに満ちあふれすぎ、さらに本格ミステリを斜め上からパロディにしていることもあって、実は間口がめちゃくちゃ狭くなっているのではないかとも感じられる。ただ、本格でしか出来ない様々な試みが込められているのも事実で、本格リーグが支持しなければ、誰が、と思わされる作品集である。


10/04/24
芦辺 拓「綺想宮殺人事件」(東京創元社'10)

 芦辺拓氏が『殺人喜劇の13人』にて(本格的に)作家としてデビューしたのが1990年。それから20年、本書は連鎖短編集である『三百年の謎匣』を含めなければ長編として二十作目、森江春策ものとして十三冊目となる作品である。東京創元社『ミステリーズ!』vol.29からvol.36まで連載された作品に百枚以上の加筆がされて単行本化された。建石修志氏による装画をはじめ造本も凝っており、刊行時にはtwitterアカウントまで用意されるなど、満を持しての刊行となった。

 新宿ゴールデン街にあるBAR《青い鷺》に一人の少女が逃げ込んできた。店に居たのは美貌のオーナーと、森江春策。オーナーの機転で追っ手から彼女を匿い、森江は彼女から事情を聞き出す――。それから暫くして森江春策は琵琶湖畔に聳える壮麗な怪建築群・綺想宮のもとを訪れることになる。ある人物が自らの富と力を傾け、趣味嗜好を注ぎ込んだ現代の白鳥城、敷地内全てが建築学的冗談により様々な時代の建築が立ち並ぶ。様々な来歴を持つ事象に溢れた、その本館で森江を迎え入れたのは、これまた男女の別さえ不明の麗人・二十重亜綺楽だった。彼の案内により、綺想宮に滞在している悪い意味で個性の溢れる七人の滞在客と森江は引き合わされる。その晩をきっかけに、館内部でかき鳴らされる自動演奏機の呪文に従ったかのように過剰な見立てを施され、滞在客が一人、また一人と死んでゆく。最初の事件にて訪れた警察の捜査メンバに含まれていた菊園綾子と、探偵役・森江春策。彼ら直面する真実とは――?

壮麗なる館に数々の蘊蓄ペダントリートリヴィアの持つ意、そして綺想宮の裏側と探偵小説とのメビウスの輪
 刊行後すぐに読み、時間を空けてもう一度読んだ。一度通読しただけでは自分なりに納得のいく感想がきちんと書けないと考えたからだ。そして二度目を読了したわけだが、それでもまだ自信がない部分が幾つかある。が、このまま放置もしておけないのでおそるおそる足を踏み出してみる。
 本作、とらえ所がない。何かを一点で捉えようとすると、他の要素がぼやけてしまうように思えるのだ。その対策として、この作品の展翅を目指してみる。

 まずはこの作品、作者があとがきで、アンチ・ミステリを書いてしまったのではないか、という危惧を表明している。この点については、そもそも「アンチ・ミステリとは何か」という定義自体が曖昧なこともあるし、個人的な主観(アンチ・ミステリ観)から鑑みるしかないのだが、この作品は少なくとも単純なアンチ・ミステリではないと考える。
 まず、探偵小説であること、それ自体を作者も登場人物も否定する気配はない。言葉遊びのようで恐縮だが、いろいろ考えた結果、この作品にしっくりくる言葉は、『メタ「メタ・探偵小説」』なのではないかと行き着いた。もちろん「めためた探偵小説」ということではないですよ! 以下、その思考の記録だ。

 まず、「探偵小説」という部分。ここは用語としてはミステリであっても良いのだが、やはり「探偵小説」の方がしっくりくる。この作品に限らず、ある程度歴史を踏まえて存在する芦辺作品群は、森江春策のパーソナリティや、旧き良き時代の冒険小説的要素等も踏まえて、ミステリではなく探偵小説と形容されることが多いことが一つ。また、本作は本論もスキマも、徹底した蘊蓄ペダントリートリヴィアで埋め尽くすという手法が用いられているのだが、これは当然、本家ともいえる『黒死館殺人事件』が強く意識されている。「ミステリ」という用語が用いられるよりも前の時代から存在する、その黒死館への敬意を、探偵小説という呼称に込めたいのだ。

 さて、なぜメタなのか。(以下、かなり徹底的なネタバレあります)
 この作品内部で流れている一連の事件には、二重の意味合いがある。まず、ちっぽけな動機と歪んだ価値観を緩やかに共有するおぞましい犯罪者集団がベースとして存在する。彼らの犯したおぞましい犯罪からの保身(身代わりの創出)という主な理由によって、連続殺人事件にみせかけた、その被害者としての死体までもが予め準備されているという忌まわしい犯罪計画がひとつ。マスコミや腐った権力を巻き込んで、誰もが黒いと認める行為を灰色にして誤魔化してく彼らの論理とやり口を糾弾したいところだが、それはここでは我慢して。
 そのおぞましい隠蔽工作を、連続的に進行している、現在進行中の事件だと誤認させるために用意されるのが、名探偵という道具/記録係。彼らにとっては残念なことに、探偵役は本来の指名者から森江春策に入れ替わっていたのだが、期待されるところは同じだった。事件の進行役を自覚しないまま務めさせられ、真相を知る側(仕掛けた側)からすれば、茶番でしかない推理を嬉々として、その実は操られながら繰り返し披露する探偵という役割。そんな存在が犯人側の望む物語の実現に向け、強く必要とされていたというのが、この一連の事件と探偵との第一義的な関わりである。
 この犯罪計画を実現させようとする段階で、物語は大前提として探偵小説の枠組みを必要とする。(奇妙な謎と、その謎を解き明かす探偵と) している。この枠組みが前提とされる、計画自体がまず「メタ・探偵小説」的だと称することができると思う。
 話が少しずれるが、ちなみに綺想宮という風変わりな屋敷は、事件の演出に便利であっても、この綺想宮で事件が起こされなければならない必然は薄い。むしろその「メタ・探偵小説」の筋書きを攪乱するがために、森江側から繰り出される多数の蘊蓄やペダントリーやトリヴィアは、この綺想宮を味方につけることによって引き立ってゆく。森江側にとっては、攪乱それ自体が狙いではなく、連続見せかけ殺人の筋書きを探偵側に引き寄せるという狙いがあった訳なのだが。(蘊蓄のような世迷い言でなければ、聞く耳を持たない人たちを犯人側に配したやり方は気付いてみるとかなり心憎い)
 さて、しかし、もともと犯人側が目指したその「メタ・探偵小説」の筋書きは、さらにそのステージを包含して上から眺める森江春策を含む一団の巧みな妨害によって葬り去られてしまう。「メタ・探偵小説」に対し、さらにメタな立ち位置にいる ことを自覚しながら森江春策は、歪んで発生した数々の事件を解決する立場を取るのだ。ということで、この事象を指すのに相応しいのは、『メタ「メタ・探偵小説」』!! ということになるのではないか。
 森江たちがやろうとする、「メタ・探偵小説」の破壊は、アンチという行為だともいえるようにみえる。つまり、探偵小説であることを否定した、反・メタ・探偵小説(厳密にいうならば、アンチ「メタ・探偵小説」)。なのだが、森江春策は、その一方で全てが包含された謎であるとか、綺想宮の真実であるとかといった魅力的な謎を、まさに探偵小説的に解き明かしてゆく。その態度は、探偵小説を否定するものではなく、そして探偵小説そのものである。 森江の立ち位置は、犯罪者集団の創り上げたメタ・探偵小説の外側にある。「メタ・探偵小説」の設定された枠を破壊壊しつつ別の探偵小説(=『綺想宮殺人事件』)を創り上げているということである。なので、やっぱりアンチではなく『メタ「メタ・探偵小説」』なのではないかと思うのだ。

 余談になるが、この真なる名探偵が暴くのは、その元の(犯罪者にとっての)探偵小説の土台であるこの綺想宮の真実(万乗庫之助の夢)である。メタ・探偵小説とみえた、その前提を覆す真相がめりめりと現れる場面の迫力(勿論比喩的な表現ですよ)などは、非常に新鮮で、えんえんと繰り広げられた結果無意味な蘊蓄のおかげで、余計にこの創造者の志の高さ、そして無念が際立つという構成になっている。素晴らしい。
 さて、メタといえば触れておかねばならないことがある。
 序盤において、作者は、「作者・芦辺拓」に相当する存在を物語世界のなかに送り込み、ラストにその点について改めて気付かせる趣向を設けている。ただ、これをまた『メタ「メタ・探偵小説」』の枠外の外にまた「メタ」を付けるのか、と云われれば、そちらについては否定したい。これはメタ趣向というよりも、むしろ最後半部にて登場するゲーデルの不確実性定理問題への対応策(?)としての意義が強いとみる。今回、たまたま物語にキャラクタとして登場したとはいえ、従来からも あくまで神の視点を持つ物語の記述者として、物語内部に芦辺拓はいた(ということな)のだから。メタ的な趣向は感じられない。
 最後のゲーデルの不確実性の定理に関する解釈は、ちょっと保留。そもそもこの定理そのものが探偵小説の後解釈に利用されるべき要旨を持つものではないと思うのだ。作者が活字にしている以上、そこで書かれている真実が正解。(作者の明らかなミスがある場合などは、作品のレベルにゆきつく話であって、不確実という話と混同してはならない)。それが不確実かも、なんて疑うのはそもそも作者が恣意的に生み出すフィクションという物語形式の否定でしかない。
 哲学論争(にみえる)とかさ、好きな人が好きな人同士で心ゆくまでやれば良いとは思うけれど、少なくともエンターテインメントたる小説の物差しのような扱いにするのは反対です。はい。

 三大奇書、ないし四大奇書という言葉がある。『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』『虚無への供物』が三大。ここに『匣の中の失楽』が加わって四大。もともと考えられていたという『五大奇書殺人事件』という題名を引くまでもなく、本書はこれら奇書の存在が強く執筆時に意識されていたことは間違いない。
 ならば、本書は五冊目の奇書、つまり「五大奇書」になるのか、というと、そこは微妙。奇書そのものに定義はないし、それぞれの読者による選択遊びの域を出ない。(個人的には「匣」が四つ目としてオーソライズされていること自体にも違和感 がある)。厳しいことをいうと「芦辺版『黒死館』」と思ってしまった段階で、小生は本書を奇書と呼べなくなった。奇書は、他の先例する何者とも比べられない存在だからこそ奇書だと思うから。

 ここまでだらだらと書いたが、感想になっているのかどうか、もはや自分ではよく判らない。が、今年度を代表する本格作品になることは間違いない。(本格に対して自覚的である作品であることは、少なくとも間違いない)。


10/04/23
木宮条太郎「本日の議題は誘拐」(朝日新聞出版'10)

 木宮(もくみや)氏は1965年兵庫県生まれ。京都大学文学部卒業、金融機関に十五年勤務している。2003年第12回新人シナリオコンクールで佳作受賞後、2005年、第6回日本ホラーサスペンス大賞特別賞を『時は静かに戦慄く』にて受賞してデビュー。他の著作に『占拠ダンス』がある。

 紙関係商社で、独自工場と特許を持つ関磐マテリアルが、ルーツを同じくする二部上場で福島県を中心に強固な地盤を持つ製紙会社・磐城シートとの事業統合を模索していた。磐城シートは持株会によって多くの株を所有するOB会の結束が強く、その説得が不可避の課題であった。関磐マテリアルは、既に現役を退いて久しいが両社が袂を分かつ際に存在感を発揮した前社長で名誉顧問の長尾幸助が交渉に向かうことになった。両社の事業統合には、同業の菱井商事からの横槍も入ってきている。その名誉顧問が、交渉会場に行く途中で長年連れ添ってきた運転手の源さんと共に行方不明となってしまう。内部統制室室長代理の岡野と、経営企画室室長の沢上、広報IR担当の市川里佳子らの頑張りで、決裂しかかった交渉は収まるものの、名誉顧問を預かったという誘拐犯人からの連絡が、関磐マテリアルに入る。養子の二代目社長をはじめとした経営トップは七億円という身代金と一方通行の犯人からの連絡にいらつく。警察への通報も犯人は織り込んでいるらしく、身代金と同時に要求してきた、合併交渉の停止とどちらが目的なのか。上場企業がが巨額の身代金を用立てすることは可能なのか――。

誘拐ものとして読むなかれ。あくまで危機管理にまつわるサラリーマン小説。最新状況を踏まえつつ、どこか懐かしい
 まず、苦言。帯に「天藤真『大誘拐』岡嶋二人『99%の誘拐』に迫る誘拐ミステリーの快作!」とあるのだが、これは大嘘。 この作品自体がめちゃくちゃひどいとまではゆかないまでも、少なくとも名前の挙がった先行二作にとてもアイデア、リーダビリティ、登場人物の個性から、そもそも展開に至るまで、何一つ比肩するところはない。「そこそこ頑張っている」から「いくらなんでも二大傑作の名前を出すのは詐欺」に、この帯のせいでむしろミステリファンからの印象がひどく悪くなっていることを、コメントを考えた人は猛省して欲しい。

 実際、視点人物がころころ変わるせいで、物語自体ひどく読みにくい。……のだが、そこを我慢すると、意外と精緻に構成された背景も浮かび上がる。ルーツが同じで、過去に事情があって二つに分かれた会社の事業統合。結果的にリストラであることを感じ取って感情的にもつれる両社。サラリーマンに徹するではなく、自己の利益のために動く役員。誘拐という事件で人命尊重以上に自己の利益を重んずる外資系投資会社……。コンプライアンスだとか、内部統制だとかでがんじがらめになった、現代上場企業の内実と、隙のない会社対会社の関係などが事前に構築されていることが感じられる。
 そこで活躍(?)するのは、様々な事情を抱えたサラリーマンたち。会社事情や、組織の論理に阻まれながら、そのスキマを突いて、駆け引きを行って最善を尽くそうという根性はなかなか。途中に差し挟まれるtipsも組織人的にユニーク。例えば、失敗するプロジェクトに備わる三つの理由の分析個所などは、本気でメモを取りたくなった。

 ただ、真相を含め、誘拐もの、そしてミステリーとして読むには弱すぎる。 どちらかというと、そのミステリー部はあくまでおまけで、その危機的状況を踏まえての組織内の駆け引きや、会社同士の争いを描いた「現代の」サラリーマン小説としては及第点だとは思う。ただ、やっぱり帯のコメントはね……。


10/04/22
香月日輪「妖怪アパートの幽雅な日常@」(講談社文庫'08)

 香月日輪(こうづき・ひのわ)氏は和歌山県生まれ、大阪府在住。『ワルガキ、幽霊にびびる!』で日本児童文学者協会新人賞を受賞して作家デビュー。『妖怪アパートの幽雅な日常@』で2004年に、第51回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞している。他の作品に「地獄堂霊界通信」「ファンム・アレース」シリーズなどがある。元版は。講談社YA!ENTERTAINMENTから刊行されているライトノベルだが、はやみねかおるの夢水清志郎シリーズの先例にならったか、一般向け講談社文庫入りを果たした。本書はその第一巻。オリジナルは2003年から刊行されており、全十冊(+番外編一冊)。

 中学校一年の時に両親を交通事故で亡くし、三年間を伯父一家のもとで暮らしてきた稲葉夕士(ゆうし)。一家とはあまり折り合いが良くなかったため、高校からは寮生活すると決めていたのだが、その寮が入学前に火事で焼けてしまう。どうしても伯父宅を出たかった夕士は、不動産屋を巡り、賄い付きの格安アパート「寿荘」を紹介される。しかしそこは妖怪や幽霊が普通に生活する「妖怪アパート」だった。訳ありとは思っていたものの入居してから驚きの連続。しかし元々はいるはずだった寮の再建が終わる半年の期間限定、さらに夕士が強く支持する童話作家・一色黎明がそのアパートに入居していたこともあって、他に行く当てもない夕士は思い切って生活を開始する。夜に看護士のアルバイトをしながら高校に通う久賀秋音(あきね)、ヤンキーのような風貌を持つ画家・深瀬明など「人間」の入居者も個性たっぷり。さらに人間そっくりの妖怪や幽霊、どちらなのか判別のつかない様々な住人たち。驚きの連続ながらも、夕士は少しずつその生活に馴染み、様々なことを学んでゆく。

人間ならない者たちを通じ、恵まれない生い立ちの若者の心が成長してゆく物語。多少シンプル
 講談社文庫に入ったとはいえ、元は正々堂々のラノベ。なので一般読者としての厳しい視線でみれば、大人も楽しめるエンターテインメントか――と断定するのは流石に憚られる。妖怪自体に新味は少ないし、世界観の作り方に独自性も足りないし、物語そのものの筋書きも、どこか先が読めるというか、予定調和に向かって突き進むようなタイプである。強いて特徴を挙げると、妖怪アパート関連の登場人物に深みがあり、底が見えないという点。この@だけでは到底語り尽くせない、個性の強いキャラクタを多数登場させているところは、確信的なのかどうか不明ながらも、物語自体の拡がりを予感させるもので好感を持った。
 そして、つらつら考えるに、本シリーズが人気を博した理由はそのシンプルな面白みをきっちり追求しているからだ、というところに行き着く。妖怪が平凡、いいじゃないですか。別に普通の読者は驚天動地の謎の新妖怪を求めているわけでも、水木しげる御大の描いた妖怪の個性・解釈を厳密に守らなくても気にしないもの。全体的に印象と、その存在がマッチしていれば良いわけで。なので、麻雀をしている鬼だとか、社会人をしている妖怪だとか、子どものことを時々思い出す鬼女だとか、めちゃくちゃオリジナリティが高くないかわりに個性がきっちりしている妖怪たちは、読者を安心させるところもあるのだろうと思うのだ。
 そして、個人的に凄いな、と思ったのは、料理を物語に登場させるタイミングだ。 (このシリーズで料理の本が出ているということも頷ける)。もちろん、手首だけの妖怪にして、料理の達人・るり子さん。アパートの住人たちに予算はどこから出てくるのだろう? というような美味そうな料理をがんがん調理して提供するという、本来の彼女(?)の存在はもちろん大きい。だが、感心したのはそこではなく、そういった手の込んだ料理だけではなく、コンビニのおでん等々ジャンクフードですら「美味しそうにみえる」のだ。 で、それは何故かというと、やはり腹を空かせた高校生がもっとも食べ物を求める瞬間というものをきっちり演出しているからなのだと思う。小さなことだが、作者のセンスでもあろう。

 この一冊目に関しては、ある意味ではここで完結もしている。なので、すぐに続きが気になる! という種類ではない緩いシリーズだ。続きは気の向いた時に読めればと思う一方、結構細かな伏線が張られているような気もするので、少々引っ掛かっているところがどう展開するか気になるところも。一つショックだったのは、この講談社文庫版の山本幸久氏の解説が「サラリーマンや大学生向け」に書かれているところ。レーベルに引っ張られたのかな。あくまでこの手の作品に対する基本は高校生以下向き、それを大人が(上から視点で)覗き見する図式だと思うのだけれども。


10/04/21
京極夏彦「数えずの井戸」(中央公論新社'10)

 地方新聞六紙(上毛新聞、京都新聞夕刊、岐阜新聞夕刊、北日本新聞、岩手日報、紀伊民報)にて連載された小説。連載時期はそれぞれ微妙に異なっており、最も早かった上毛新聞では2008年2月6日から2009年3月3日にかけて掲載された。単行本化にあたり、修正と共に構成も変更されている。『嗤う伊右衛門』『覘き小平次』等に緩く連なる怪談シリーズ。

番町青山家屋敷跡通称皿屋敷に怪事が起きるという評判が巷を賑わし始めたのは、青山家当主青山播磨が惨死し、青山家が廃絶になった直後、秋風が肌に沁み入るようになった頃のことであった。夜な夜な井戸より亡魂出でて。数を数える。そういう噂。――青山家当主・青山播磨。独身で、何事にも興味が持てない男。しかし青山家には家宝として代々伝わる姫谷焼の十枚組の皿があった。その皿には非常に高い価値があることを知った大番頭大久保唯輔の娘・吉羅は、青山播磨の叔母から服部真弓からの縁談があり、嫁ぐ以前に客として青山家に滞在する。その青山家では、とある理由から菊という娘を下女として召し抱えることになっていた。菊の父親は稀代の盗人であったといい、播磨の父で火付盗賊改役長官であった先代・青山鉄山の代から仕える十太夫が、鉄山の遺志を継いで菊とその母親・静を守っていたらしいのだが……。さらに播磨の朋輩である遠山主膳や権六、吉羅の連れていた二名の侍女、播磨の配下にあたる武士たち。その多くが惨死したその怪事以前の事件にも謎が多い。果たして彼らのあいだに何があり、そして何がなかったのか――。

果たしてそこで何があったのか、様々な解釈を包含させた番町皿屋敷――。
 岡本綺堂の戯曲「番町皿屋敷」で有名な女幽霊、お菊。お菊は主君が家宝にしている十枚組の皿を誤って一枚割ってしまい、主君のお手討ちに遭い、遺体が庭井戸に投げ込まれてしまう。そして、夜な夜な皿を「一枚〜、二枚〜」と数える声がし、最後に「一枚足りない、恨めしや」という筋書きだ。
 そのお菊の物語を、様々な登場人物を絡めながら再構成してゆく、新たな皿屋敷物語。また小股くぐりの又市も登場――というか、これは百物語シリーズというよりも、第25回泉鏡花文学賞を受賞した『嗤う伊右衛門』から続く、中央公論新社のシリーズの続きであるので、登場すること自体は全然おかしくないし、むしろ、又市や徳次郎といった存在と巷説の結末とが切り離せないようになっている。
 メジャーな怪談なようでいて、作者によれば諸説も多数あるといい、本書の物語はその様々な要素を包含したものなのだという。成る程、中心に居る青山播磨、その妻候補の吉羅、下女の菊といった登場人物に加え、朋輩として登場、播磨と性格を異にしながら、あとで同一人物に見えたと徳次郎に言わしめる遠山主膳。つまりは、「皿を一枚割ってしまったことくらいで、なぜ惨殺されなければならなかったのか」という疑問に対しての、様々な答えの可能性を一個の物語で再現しようとした、ということ。播磨と菊の道ならぬ恋ゆえなのか、単に粗野な下女に対して主君が激高しただけなのか、陰謀があったのか、それとも妻の悋気か、下女同士の足の引っ張り合いか。お家を守ろうとした策略などなど、様々な可能性に至る道筋が、様々な立場の視点で章単位で物語を描くことから演出されている。物語のそもそもの成り立ちを語らずとも、この作品だけで、どのような解釈も可であるところがポイントか。
 そして井戸である。題名にもなっている通り、この井戸が実は問題。

 井戸でありながら、水を汲み上げるという井戸の役割を果たしていない、皿屋敷の井戸。既に「幽霊の登場装置」としての機能について、物語中でもその伏線がばらまかれている。ただ、ユニークなのは「不思議なことなどなにもない」の京極夏彦(?)。巷説の皿屋敷の噂についても、ラストで何故? という部分については解釈がなされている。その結果は不思議なことではない。噂になるのは、噂になるネタがあるからで、噂にしたい誰かが動いたから。ただ、では、「そこで何があったのか」というところだけを頑として謎めかしたまま、というあたり非常に京極怪談らしい読後感だった。