MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


10/05/20
石田衣良「再生」(角川書店'10)

 角川書店の小説誌『野生時代』に2006年12月号〜2009年4月号のあいだにほぼ隔月で発表されていた短めの短編がまとめられた作品集。市井の人間のちょっとした機微を扱う内容で、ノンシリーズではあるが同様のコンセプトでまとめられている『約束』の続編にあたる。

 鬱病だった妻が突然自殺してから二年。六歳の息子に朝食を作ってやる大手生命保険会社勤務のビジネスマン・吉村。彼はコース別人事で出世はそこそこも転勤のないという進路を選択していた。心に空白を抱えたまま生きていく日々。そんななか妻の友人で海外を中心に生活していた女性から急な電話がかかってきた。 『再生』
 息子の負った障害から逃げ出し、離婚もせずにひとり暮らしをしているプロデューサー。苦労しているだろう妻に悪いと思いつつ恋人もできた。そんな彼があるきっかけから自分が厭になり自殺を決意、山道を猛スピードで走る。 『ガラスの目』
 いずれ結婚するつもりの彼ではあったが、三年間の同棲生活で多少気の抜けた生活をしていた彼女。しかし、その彼に別に彼女が出来、別れるという。しかも相手は十も年下。彼女は心を落ち着けようとするが。 『流れる』
 東京の清掃局を定年まで勤め上げた男。再就職先としてタクシーの運転手をめざすが、先進化した東京の地理がなかなか頭に入らず、試験に受かることができない。 『東京地理試験』
 ほか、『ミツバチの羽音』『ツルバラの門』『仕事始め』『四月の送別会』『海に立つ人』『銀のデート』『火を熾す』『出発』 合計12編。

ちょっと都合が良いからこそ、素直に心に届くということか。情に薄い都会の人情譚
 例えば冒頭の二編あたりは男女でいうと非常に男性的、というか「許し」「再生」がある意味あっさりと与えられている点が少しだけ引っ掛かる。『再生』は自殺した妻が幽霊(?)となって夫に再婚を勧めるという話だし、『ガラスの目』も夫に逃げ出され、散々苦労した筈の妻がそれでも夫を許すという展開には「ちょっと都合が良すぎ?」という感がないでもない。
 ただ、あとがきや前作の『約束』もそうだったのだが、かなりのエピソードが実話ベースという作品集でもあるため、実際のところがそうだったのかもしれない。(幽霊のくだりはどちらか判らないけど)。紹介しなかった作品でも「もしかしたら実話がベースなのかな?」と思う部分が幾つかある。『銀のデート』は若年性アルツハイマーにかかった夫を懸命に介護する妻の話だが、ラストに”昔の彼女”とのデートにいそいそと出掛けてゆく夫の姿などちょっとぐっと来るものがある。――とはいえ、実際の介護は筆舌に尽くしがたく大変だと思うのでこのエピソードで癒されるとはいえ、現実はもっと苦しいことが多いはず。だが、この「都合の良さ」が心に響かせるのに役立っている。その意味では、派遣に冷たい会社と、そんななか懸命に子供を育てる女性の姿を側面から描いた『ミツバチの羽音』もそう。派遣仲間が助け合う場面は心が安まるが、現実はもっと他人の都合関係なくぎすぎすしているんだろうなあ、とか。ただ、ここも「都合良く」派遣社員同士が連帯するところが良いわけで。
 個人的には、焚き火好きの血が騒ぐ『火を熾す』がいいのだけれど。自分は焚き火シーンがあればそれで良い人なので一般的な感想にならないため省略。

 それぞれ、小説としてもっとも効果的な展開を演出している。もちろんフィクション、しかもエンターテインメントである以上、当然の手法。そして綺麗にその「都合の良さ」が嵌っている。 心を動かされるさまざまなかたち。多少うさんくさいと思うところがあったとしても大いなる癒しの前には小さな問題でしょう。


10/05/19
道尾秀介「光媒の花」(集英社'10)

 「光媒」は風媒や虫媒といった花粉運搬をイメージした造語らしい。第23回山本周五郎賞を、貫井徳郎氏の『後悔と真実の色』と同時に受賞した連作短編集。収録六話全てが『小説すばる』に発表さえrており、最初の「隠れ鬼」が2007年4月号、それから年二作のペースで同誌に発表され、最終話「遠い光」は2009年3月号に発表されている。ノンシリーズの群像劇。

 印章店で認知症の母親と二人で暮らす男。父親が存命の頃、夏に出向いていた別荘。中学二年生の時出会ったあの女性。あの人は殺され、父はその直後に自殺してしまった。私はその理由を知っており、そして三十年に一度咲くといわれる笹の花が咲いていた。『隠れ鬼』
 お父さんの仕事がどうかしてから、深夜に「虫捕り」と称して時々出掛ける小学生の兄妹。川の向こう側に見える懐中電灯から反対側にも同じような二人がいるんだと思っていた。そんな二人の前に野卑た中年の男が現れる。 『虫送り』
 兄妹に決定的な言葉を投げかけた男。現在はホームレスの彼が、虫が好きで昆虫学者を目指していた中学二年生の頃、同級生にサチという女の子がいた。彼女は秘密を抱えていたが、彼は長いことそれに気付けなかった。 『冬の蝶』
 不仲な両親の大喧嘩をきっかけに耳が聞こえなくなった少女。彼女は祖父と暮らし、祖父は娘を甘やかしすぎたことを悔やむ。その祖父のアパートにあったはずの大金が盗まれる事件が起きた。 『春の蝶』
 両親が経営していた総菜屋。父の病死をきっかけに母親は性格が明るくなり、主人公はそんな母に反発。彼を助けてくれたのは姉だった。二人とも社会人となった今、姉が急病で入院。主人公と母親の関係は相変わらず壊れたままだったが……。 『風媒花』
 理想と現実とのギャップに戸惑う小学校の女性教師。猫をいじめたと叱られる女子生徒。その女子生徒の家庭にも事情があり、彼女は孤独だった……。 『遠い光』 以上六編。

人間の弱さ、どうしても避けられない罪。贖罪とは、再生とは。様々な心の有り様を描き出す
 今はいい若者や中年といった大人の年代になってしまった人々にとっても、何年か前、何十年か前には子供であり、その子供という存在は、保護者のちょっとした事情に左右される非常に危ういものであるということ。ただ、その弱い子供たちであっても、心の芯には様々な気持ちや思い、信念を持っていて、端から見ると幼い思い込みであったとしても、それがその人生のうえでは最上に重要であること。
 道尾秀介がミステリをあまり意識せず(手法としては使用しているとしても)、人間ドラマに絞って作品を描くと、先に述べたような心の動きが非常に瑞々しく、そして哀しく描かれる。その罪を犯す、誤った判断をしてしまう主体は多くの場合、若者以下の年齢で、時により(本書の場合もそうだ)小学生。 その若さで重大な決断を下さざるを得なくなる状況が、実は現代日本の真実の姿(の一部)となってしまっていること。しかも、その幼い判断が正しいとは限らない。しかし、判断は下さなければならないほどに彼らは追い込まれている。これを読者は直視させられるのだ。
 この場合の哀しいは「第三者として手を差し伸べられない」哀しさといえば良いのか。原因も分かるし、結果も悲劇的だ。ただ、悲劇を悲劇のまま終えていない。償えるものもあれば、時間が解決してくれる事件もある。そこに生き続けることの救い――があり、そこが僅かな光となって物語を照らしている。罪と絶望を描写するだけであっても、道尾氏のセンスは生きる。だが、そこに一縷の希望をみせる物語作りをきっちりと物に出来ているところに安心感もまた存在するのだ。

 ミステリを狙った場合、かなりトリッキーな叙述トリックとなったりするケースが多い道尾氏。本書などは決して強くミステリを指向した作品ではない。結局のところ身に付いているセンスが自然にミステリ的であり、本作のような一部登場人物が関係しあう群像劇であってもそのクセみたいなところは色濃く出ている。また、その「ミステリ的」はどんでん返しではなく、作中の緊張感の維持に、より役立っている感もある。


10/05/18
三津田信三「六蠱(むこ)の躯 死相学探偵3」(角川ホラー文庫'10)

 「躯」は本来は区ではなく×の部分が品が入る正字。『十三の呪』『四隅の魔』に続く、死相学探偵シリーズの三冊目。現段階では年一冊の書き下ろし、という状態になっているようだ。

 他人の死相が見えるという特殊な能力を駆使して、東京で探偵事務所を一人で開設して以来、二つの大きな事件を解決した弦矢俊一郎。育ててもらったとはいえ金に汚い祖母からの借金が嵩んでいる彼は、事務所に居座るでぶ猫に百万円の懸賞がかかっていると知り、興奮していた。その彼の事務所をノックする人物が。それは刑事の曲矢で現在都内を騒がせている猟奇殺人事件に関する相談だった。女性を殺害したうえで頬、両腕、胸、腹、両脚の一部を切り取ったり、不要な部分を酸で焼き捨てる。あたかも『占星術殺人事件』での人間のアゾートを創ろうというのか。特別な薬品を用いているため同一犯人の仕業と思われるが、それにしても犯人の行動に統一感が微妙にない。オカルトめいた事件にはオカルトに強い探偵を、という弦矢の祖母の世話にもなっている警察上層部の要請もあって俊一郎に話しが持ち込まれたという。その被害者候補とされたOL・志津香。彼女には薄気味悪い視線を感じるものの、振り向いても怪しい人間はいない。果たして犯人は何者なのか――?

猟奇度合いは高いにせよ、三冊目にしてもっとも普通に本格探偵小説。大きな敵の存在がどうなるか
 対象者を眺めて「死相が見える」時は必ず何かしらの「死」の危険が迫っている、というオカルトの要素が大前提となり、それが正しいということが作品世界そのものとなっている。その点は通常の「本格ミステリ」とは一線を画し、いわゆるSF本格ミステリと、基本的なルールは同じ。だが、前二作に関していうと、探偵がそういった能力を持つという事実以上に、このオカルトが許容される世界観のなかで一定以上の恐怖感を読者に与えている。探偵小説であっても、この独特のオカルト感覚が作品内に存在しているのが三津田ミステリの魅力の一つであり、この点は重要。
 本作一冊に限っていうと、弱点があるように見受けられる。というのは、ミステリファンであれば「アゾート殺人事件」のひとことで通じるネタを扱いながら、その事件の発生の仕方に統一性がないのだ。襲われる側の恐怖を描きたかったこともあるのだろうが、犯人が何をしたがっていてどういうルールのもとに動いているのか。一部は真相に関係あり、容易に明かせないことは理解するが、それにしても事件そのものが結局どういうものなのかが判りにくかった。
 一方、ある程度事件が煮詰まった後の後半は、これまでの三津田作品には珍しい、探偵が関係者の前で「さて」とやる場面などがあり、ここで気前よくダミーの解決を振り、最後にきっちり解決という場面が存在する。この部分のダミーを含め、畳みかけるような推理の展開は、中盤に若干存在する中だるみを吹き飛ばすだけの力があった。
 また、ある意味、多少まどろっこしくなっているのは、一連のオカルト事件に黒幕がいるという設定も多少影響がありそう。その黒幕との戦いは相当シビアになりそうで、今からわくわくする(どきどきする?)。

 シリーズ三冊目ということで、一応本作から読んでも大丈夫なように、前二作のネタバレもなく、人間関係も再掲しているのだが……、やはり一冊目から順に読んだ方が適当だろう。特に主人公の人間嫌い、人恐怖症が少しずつ良くなってきているようにもみえるところなどは吉。後は主人公にガールフレンド作って多少柔らかくするとかでしょうか。(さすがに作者もそこまで甘くはないかな)。


10/05/17
京極夏彦「死ねばいいのに」(講談社'10)

 『小説現代』二〇〇九年三月号から発表開始され、「五人目」が同二〇一〇年三月号に発表、最後「六人目」が書き下ろされて単行本化された作品。ノンシリーズ。個々には短編しかし実際は連作長編としての色が濃い作品。電子ブックとしても発売されて話題を呼んだ。(小生は単行本の方を買いましたが)。

 学歴もなく職も長続きせず、口の利き方も礼儀も知らない。しかし別に暴力的な訳でもなく、頭が極端に悪い訳でもなく、人の話を良く聞くことができる。そんな青年・渡会健也(わたらい・けんや)。彼は、殺されてしまった少し年上の女性・鹿島亜佐美のことを知っていそうな人物を訪ねて回っていた。その亜佐美殺しの犯人はまだ捕まっていない。そしてその健也にしても、亜佐美と付き合っていた事実も、ベッドを共にしたこともなく、偶然困っていた彼女を救ったかたちになって御礼にお茶を一緒にして依頼、都合四回しか彼女と会ったことのない、自称「知り合い」でしかないのだ。派遣社員として働いていた亜佐美の元上司。亜佐美の隣人。亜佐美の恋人。亜佐美の母親。警察。彼は自分なりにいろいろ悩みながら、亜佐美を知る「はず」の人々のところを訪れる。そこで得られた答えは。そして亜佐美が殺された理由と、犯人は……?

京極夏彦らしい人間観察の妙とグロテスクに展開した自意識。「死ねばいいのに」は究極の殺し文句
 京極夏彦=「必殺」に結びつけるのは極端に過ぎるのかもしれないのだが、連作部分に目を瞑るとどうも「必殺」っぽさを感じてしまう。というのは、徒手空拳、単に話を聞きに行っただけのはずの主人公に対して、本来「亜佐美」のことを話すはずの人々が自分語りをするする。自分が何も持たないことを自覚している主人公に対し、最初は警戒していたはずの人物は徐々に口が軽くなってゆく。しかし口から出るのは基本的には言い訳、自己防衛、自己の正当化、周囲への攻撃。自分は間違っていない。間違っているのは周囲であり、せいぜい自分に悪いところがあるならば、「運」だ――。その境遇は様々ではあるのだけれども、基本的に亜佐美の周囲にいた人物はそんなのばかり。渡会健也は別にそんな意図があってかなくてか、その相手の最も触れたくないところに斬り込み、止めの言葉「死ねばいいのに」を呟く。 この瞬間のカタルシス、やっぱり「必殺」のような気がしてならないのだ。旧人類vs新人類といった図式も浮かばないでもなかったが、基本は「必殺」だ。うん。
 そして、連作長編として読んだ時はまた個々の短編の印象が変化してくる。もちろん、鹿島亜佐美が殺されたという事件が背景にあって、犯人探しが難航しているという前提が長編としてはある。実はその犯人というのは、そう意外性があるものではない。初期段階はとにかく中盤以降になってくるとそうでないと辻褄が合わないところなども見え隠れする。ただ、犯人の動機というか、亜佐美が殺された理由というところに大きな意外性があるのがまず事実。 この動機のバリエーション(逆に殺してしまう)といったものは散見されるが、それが理由で、というのは綺麗に重なる前例は思い当たらない。
 何がインパクトだったかというと、彼女の死ぬ理由を知ったあとで序盤から中盤にかけてのインタビュイーの発言を思い返すと、そこに人間なんて分かり合えないという究極の命題と、認識のギャップが赤裸々に浮かび上がってくるのだ。小説が三次元、四次元で構成されているかのような錯覚を覚えてしまう。巧い。

 何かと話題の作品でもありますが、例えば電子ブックであるという理由で初京極夏彦が本作、というのはちょっとアレですね。京極夏彦らしい小説の巧さが味わえる作品ではありますが、代表作というのとはまた違うかなあ。ただ、『厭な小説』なども含め、現代ものの京極作品に共通する苦すぎるテイストはしっかりと含まれている印象。


10/05/16
太田忠司「翔騎号事件」(トクマノベルズ'10)

 『月光亭事件』から十九年。(でも前作『百舌姫事件』から一年と少し)。初期作品は徳間文庫から創元推理文庫にレーベルを移しつつまだ現役で作品が読めることを有り難く思える、狩野俊介シリーズの最新作。書き下ろし。

 豪腕経営で知られる笹原武邦という実業家が率いる笹原興産は近年着実に業績を伸ばしている。その笹原興産が、珍しくビジネスとしての先行きは不透明なまま、定期航路の飛行船というギャンブル性の高い事業に乗り出そうとしていた。第一弾として夏場、札幌への就航が決定したが、そこに運行を中止せよという何者からかの脅迫状が届く。笹原は社長秘書・小金井美和に命じ、脅迫者を特定するよう野上たちに依頼をする。引き受けた野上と俊介が社長のもとに赴くと、その秘書を含め、親族一同が皆社長に何らかの恨みを覚えているという状態。そんな容疑者が大量に掲載されたリストが手渡され、野上が本格的に調査を開始した。しかしその直後、秘書の小金井美和が何者かに頭を殴られ、死体となって発見された。「のがみたんていに……」ダイイングメッセージは何を意味するのか。犯人が浮かび上がらないまま、飛行船・翔騎号の試験飛行の日が迫る。社長以下、関係者と野上や俊介が乗り込み出発するのだが……。

ミステリとしてはやや弱も、飛行船への強い憧れとノスタルジーがかたちになった
 ちょいと厳しい言い方をすると、これは太田忠司氏のシリーズ作品のなかでも、長寿&人気シリーズのうちの一つであるから許される脱線といった印象だ。 複数の殺人事件が発生するものの、謎解きミステリとしては些か弱く、ダイイングメッセージ(無理矢理感が強いが)を除くと、本格色が相当に薄い。計画的犯行よりも衝動的犯行が色濃いせいでもある。また、事件の結果引き起こされる飛行船内部でのパニック&サスペンスについても、解決の意外性は少なくタイムリミットも後付けといった印象が強いため、ミステリとして単体で評価するには正直少々辛いように思う。実行されなかった計画が実際に実行されていたら悪魔的で、それはそれで別の物語として魅力的だったかもしれない。(狩野俊介シリーズとしては些か毒が強すぎるが)。
 ただ、この二十一世紀の世の中において、敢えて「飛行船」というテーマを正面切って持ってきたところは、逆にユニークであるといえよう。作中にもあるが、経済性、安全性への懐疑といった面でどうしても飛行機には敵わず、せいぜい広告塔としてしか歴史的に役割をもてなかった飛行船に、新たに商用飛行ビジネスというテーマを持ち込んで現代に蘇らせたという部分、作者の相当の思い入れと意気込みがなければこのテーマは出来なかったと思うし、その点は割と個人的には評価している。

 そのうえで、狩野俊介シリーズであるということでの設定の安心感がある分、こういう遊びも許されるのではないか。同様のことは浅○光彦だとか、十○川警部といったシリーズ探偵ではよくあることだし。とはいっても、次回以降は人間関係に進展があるとか、きちんとした本格であるとかシリーズが本来持っている付加価値をしっかりと伸ばして頂きたいと思うのです。


10/05/15
乾くるみ「蒼林堂古書店へようこそ」(徳間文庫'10)

 『本とも』2009年1月号から2010年2月号にかけて掲載された、同題の作品をまとめた徳間文庫オリジナル版となる作品。今をときめく乾くるみ作品を文庫オリジナルで刊行した徳間文庫の英断に拍手! 乾くるみ・林一族シリーズの一冊でもある。

 扇商店街から一本入った脇道沿いにある蒼林堂は、ミステリ専門の古書店である。ウナギの寝床のような店の奥には四畳半程度の喫茶スペースがあり、百円以上売買をした客には店主の林雅賀(まさよし)が無料で珈琲が振る舞うことになっている。常連客は店主の高校時代の同級生で三十代後半の独身男・大村龍雄、高校一年生のミステリマニア・柴田五葉(ごよう)、そして月に一、二度来店し、林雅賀が書く書評のファンだという二十四歳の美人小学校新米教師・茅原しのぶの三人(後半になると柴田の友人が加わり四人になる)。彼らは、周辺に起きたちょっとした謎を互いに解いたりするが、そんな細けえこたあどうでもいいんだよ。挟まれる「林雅賀のミステリ案内」と、この常連たちが手に取った幾冊もの本をネタに、これはこういう点が面白いとか興味深いとか、ネタバレなしに会話文のなかで楽しめるという点がむしろ重要。そんな意味では裏フラッシュバックとかいってしまうと、個人的に身も蓋もない。あー、うー。
『秘密結社の集い』『アルプスの朝陽』『都市伝説の恐怖』『マネキンの足跡』『通知表と教科書』『臨光寺池の魔物』『転居通知と名刺』『鉄道模型の車庫』『謎の冷蔵庫メモ』『亡き者を偲ぶ日』『楽天的な愛猫家』『塔に住む魔術師』 『転送メールの罠』『解読された奇跡』 以上十四編。プラス、同じ数だけ「林雅賀のミステリ案内」が文庫の見開きにてついてくる。

単体ミステリとしては軽い、が、ジャンルの持つ豊沃な拡がりを背景としたガイド本としても。
 本書のなかでも出てくるが、ミステリというのは気楽に読める。ただ、本格的にミステリの世界に嵌るにいたる道筋が幾つかあって、そのなかでもタイミングと環境次第でイージーでかつ重要なのが、「ナビゲーター役が身近にいること」「読み終わった感想を話し合える相手がいること」 ではないかと思う。ということで、本書はさらに実際にあってもおかしくないレベルの現実の謎解きを交え、このナビゲーター役と読書サークルとが同時に存在するという希有な古書店が舞台である。羨ましい。
 謎解きとしては軽め――というか、本当の意味での日常の謎ともいえるし、なんというかトリックを作者が考えるのを面倒くさくてパズルや暗号に逃げているのではないかという意地の悪い見方もできる。ただ、母親が殴り書きした謎のメモを解読せよ、といった本当にあってもおかしくないシチュエーションなんていうのは心当たりもあって楽しいことは楽しい。名探偵でもない普通の人々が普通に出会う可能性のある難解な謎――といった印象。この点は、乾くるみらしいバリバリの本格を求めていた人にはやや肩透かしの可能性もある。  ただ、やはり本書はミステリのかたちを借りた、ミステリ・ナビゲーターないし読書ガイドというのが本質。 さらに罪なのは完結した物語のあとに繋がる「読書案内」。読み出すと次から次へと連鎖的に興味が湧くというミステリの特性をよくご存知ですよね、尚吾さん。

 本書を読むと次々とミステリが読みたくなるという、良質なガイド本(ミステリは?)。古本とか買える環境でないと狂おしい想いに囚われるかも(大袈裟な)。あと、余談だが本書のセドリというか、買取価格については知り合いプレミアムが相当に乗っかっていると思う。なので、ミステリブームが終焉を迎えつつある今、この価格では買ってくれないだろうなあ、と。ただ、亡くなった方の蔵書整理を手伝った林雅賀のコメントなどは、なんとなく嬉しくなる。現実にはそうそういないタイプだとは思うし、実際の心中は分からないけれども、いつか処分する時が来るのであれば、蔵書はこういう心意気の人に買ってもらいたいものです。


10/05/14
高田崇史「カンナ 鎌倉の血陣」(講談社ノベルス'10)

高田崇史氏による書き下ろし”歴史アドベンチャー”「カンナシリーズ」六冊目。題名の通り、テーマというか、舞台が「鎌倉」であり、『QED〜ventus〜 鎌倉の闇』と比べられるのも良いかもしれない。そういえば棚旗奈々の実家も鎌倉にあるという設定でしたね。

 滋賀にある出賀茂神社の後継者・鴨志田甲斐。ここのところ神社に伝わっていた「偽書」『蘇我大臣馬子傳暦』を持ったまま逃走する早乙女諒司を追って、友人の竜之介、アルバイト巫女の貴湖、そして忍者犬・ほうろくを連れて三人+一匹の旅が続いていたが、今回の鎌倉行きは少し事情が異なっていた。甲斐には、親同士が決めた婚約者・海棠聡美がいるのだが、今回はなんと彼女に誘われての鎌倉旅行なのだ。幼馴染みの聡美は確かに美しく、育ちも良いのだけれど、甲斐からしてみるとなぜ貧乏神社の跡継ぎでしかない自分との婚約に、彼女が執着するのか今ひとつ理由が分からない。目的は加賀美宗朝なる茶人が主催する茶会への出席だったが、鎌倉では同じお茶会に別ルートから誘われたという竜之介と貴湖が待ち構えていた。しかし、その宗朝が茶室で何者かに胸を刺されて殺害されてしまう。宗朝は、死ぬ直前に鎌倉幕府について調べるようなことをいっていたが、それが原因だったのか。さらに甲斐と竜之介も襲われ、事件と現場には忍者の影がちらつくようになる。

鎌倉幕府はなぜたったの三代で終了したのか。鎌倉の不便さ、そして「いざ鎌倉」の実体は……?
 前作で、父親たちがあまりに「のほほん」としていることに感想で疑問を呈していたのだが、どうもその疑問に対する答えが本書に含まれている。(ような気がする)。つまりは、父親たちは、甲斐たちを「鍛えている」ようなのだ。 これはこれで可哀想な気もするが仕方ない。おかげでなんとなく本作あたりでは、これまでから一皮剥けた「大切な人たちを守るために戦う甲斐」という珍しいもの(じゃなくなるのでしょうが)を読むことができた。うむ。これだけ毎回戦いに巻き込まれるという点に彼らは疑問を抱かないのでしょうか。(メタな問いかけではありますけれど)。
 さて、本書。いつものカンナの軽めの文体ということもあろうが、カンナシリーズのなかではかなり真面目に歴史のちょっとした、でも闇の深い謎にざっくりと切れ込んでいる印象。 主人公・甲斐のナビゲーターがいつもの貴湖から、聡美に変わったという点も影響があるのかもしれないが、そこに至るシンプルさは瓜二つ。本作の場合は、鎌倉幕府三代にまつわる謎がピックアップされている。鎌倉という土地が、現代の同じ土地が持つイメージに比べると幕府開闢当時は湿地帯で非常に条件が悪かったという部分は既に「QED」でも扱われている通り。その「QED」でも若干触れられていた、鎌倉幕府を開いた源氏三代にまつわる謎が、あくまで本編のメイン。
 頼家はなぜ暗殺されたのか、実朝暗殺は殺害されたことは事実としても、暗殺といえるような方法だったのか。頼朝の死因はなんだったのか。時の権力者に都合の良いことしか書かれていない史書の裏読み、様々な他文献からの類推などから導かれる、当時の権力者たちの地獄絵図とは……? なぜこのようなことを調べた人間が、村の周囲で殺されてしまうのか。歴史のなかで提示される謎と、現実の殺人事件が二重写しになるという図式は本書でも提供されている。どちらかというと『QED』シリーズの手法のように思えていたけれど、そうとも限らないものか。いずれにせよ、鎌倉時代という時代の印象は本書を読むことでがらって変わるのがポイントであろう。「いざ鎌倉」も決して、源氏一族への忠誠を誓ったわけではないのだから。

 ボーナストラックということでもなかろうが、実家がごく近所の棚旗奈々が登場するだけではなく、貴湖がある決意をするにあたり、大きな影響を与えているのは、日本でただ一人「毒草師」を自称するあの男だったりする。登場するとはいってもかなり無理無理感があるので、(阪神ファンと)そちらとの自然交流に期待するのは難しそう。ただ、世界が繋がっているという感覚は強く味わえる。


10/05/13
門井慶喜「血統(ペディグリー)」(文藝春秋'10)

 『別冊文藝春秋』第二八一号(二〇〇九年五月)号〜第二八六号(二〇一〇年三月)号までに掲載された『血統証明』という作品を単行本化したもの。

 祖父と父親に高名な日本画家を持ち、自らも絵画を嗜む時島一雅。彼は自らの血統への反発もあり日本画を捨ててスーツを着て営業活動を行い、ペットの犬の肖像画を描くというビジネスを立ち上げて京都で一人暮らしをしていた。山梨県の大月郊外で、真っ白いダルメシアンという新しい犬種を造り出そうとしている自称ブリーダーの森宮は、時島に対して500万円の事業出資の依頼をしていた。一雅は、その時、東京に住む一人暮らしの女性から老犬の肖像画を描く仕事を引き受けていたが、彼女は家の照明を黄色くし、真っ白い犬をベビーベッドに寝かせているなど、何やら妙なこだわりがあるように思えたが、その彼女の持つ秘密を、あっさり森宮が解き明かす。自らの芸術家の血統に対する引け目と、森宮のブリーダーとしての確かな腕と合理的な考え方に納得、時島はその真っ白の犬たちを生み出した方法を明かすことと引き替えに出資を決めた。しかし、犬の肖像画を完成させたものの、ある理由から依頼人から時島はずだずだにプライドを引き裂かれる事件が発生、さらに彼を待ち受けていたのは過酷な運命だった――。

美術ミステリ? ペットミステリ? 行き着く先を読ませない門井へんてこミステリ!
 いやいや本当に意地が悪いというかなんというか。門井慶喜というブランド自体では、美術ミステリや図書館ミステリ、学校ミステリなど様々な、ジャンルに属するミステリを打ち出してきた。もちろん、そのなかに微妙に一般的ミステリとはずれた感覚があることは否めないが、本書はまたその精神は近いのではないか、という作品だ。
 最初は黄色い証明を多用する女性の家を訪れて、犬の肖像画を描こうとする主人公。彼は一転して大月にある、犬のブリーダーの元を訪れている。その蘊蓄。どうやら主人公は美術の一大勢力を持つ一家の出らしい。この段階で、ペットミステリなのか、美術ミステリなのか、読者に的を絞らせない。
 そのどちらかなのか――と思わせておいて、今度はそのブリーダー・森宮の失踪が描写される。この描写は、冒頭、思わせぶりに描かれていた場面でもあり、ではこの失踪の謎を解くのかな、と思わされる。が、結果的に主人公は捜査行どころかある一個所に留め置かれてしまう。えええ、美術もペットも関係ないのか? と思わされる医学ミステリっぷり。 ただ、のど元を過ぎてみれば、別に医学ミステリを描きたかったわけでもなく、結果的に男と女の不器用ながら互いに思いやるところまでが描かれている、ということでいいのか。
 なんというか――微妙に個々のエピソードには謎解きの快感があるものの、どこかtips止まりという印象もある。あるテーマに基づいて取材して資料を集めたというよりも、偏見があるのかもしれないが他の作品を執筆するうえで集めた雑学を有効活用しているのではないか? といった疑念もちらりと湧かないでもない。

 門井慶喜というのが、非常にひねくれた作風の本格ミステリ作家である――という前提を知っている方であれば、この迷路のような展開も喝采する可能性が高い。一方で、先入観無しにこの作品に触れてしまうと、何がなんだか? という煙に巻かれた感ばかりが強くなってしまう可能性があるかもなあ。


10/05/12
桜庭一樹「道徳という名の少年」(角川書店'10)

 『私の男』で第138回直木賞を受賞した桜庭一樹さんの単行本。五編は統一したテーマのもとで執筆されているにもかかわらず、発表媒体は全て異なり、収録順に、タイムブックタウン(電子書籍)、『小説現代』2007年3月号、『パピルス』2007年6月号、2007年7月読売新聞「てのひら小説館」、「別冊カドカワ」総力特集吉井和哉。また、この単行本の装画・挿画は野田仁美画伯が担当されている。

 町でいちばんの美女が父なし子を産み落としたのはこの国には珍しい雪の降った夜。名前は「1」と名づけられ、女の子ですくすく育ったが、父親の面影はなく町の人々は誰が父親なのか戦々恐々と毎日を過ごしているうちに、美女のお腹がまた膨らみ「2」という名の女の子が……。 『1、2、3、悠久!』
 ジャングリンは顔立ちの整った黄色い目をした男の子。ジャングリン・パパはほっそりした手を持つ目立たない男。ジャングリン・ママは昔は町でも有名な娼婦だったが、今は太って見る影もない。彼らの向かいに住む雑貨屋の娘は、ジャングリン・パパの腕が好きだった。 『ジャングリン・パパの愛撫の手』
 雑貨屋の息子で手が無く、足で器用にジャングリーナを育ててくれた父親を殺し、ジャングリーナは都会に出て歌手になる。大人気となったが彼にはプラスチックの塊が恋人としてベッドに居た。 『プラスチックの恋人』
 元スーパースターの父親を持つジャンは、今、書きかけのラブレターを持ったまま戦場にいる。ジャンは十六歳で死ぬことは別に怖くなかったが、胸にぷすぷすっと穴があいて……。 『ぼくの代わりに歌ってくれ』
 曾々おばあちゃんの妹の孫が、死にかけのスーパースタージャングリーナだと聴いた、ミミ。彼女と親友のクリステルは自分たちが特別な存在だと考えだし、ジャングリーナに会いに出掛ける。 『地球で最後の日』 以上五編の連作集。

ごくごく短い、だけど扱われているのは大河ドラマ。そしてなんというかヘンタイ揃いの一族のお話。
 桜庭一樹さんらしい、大まじめに大脱線していく展開がほほえましい、ヘンタイ一族の大河ドラマ。大河っていっても一年かけて演じられるようなものではなく、早送りで美味しいとこだけ三十分で親子四代(?)を眺めさせられるというタイプ。
 最初の『1、2、3、悠久!』は、ネーミングが大まじめに目茶苦茶。ただ、村で一番美しい女からスタートする、へんてこ四姉妹、そしてその四姉妹がみんな娼婦になって、どこかに行ってしまった挙げ句に美しくなくなった母親を養う展開へころころ変化してゆくのがヘン。四番目の妹は弟と恋しちゃうし。本書を通じてだけれども、若くて美しくて、観る者s全てを虜にするような男も女も若いうちはいいけれど、年を取るとぶくぶく太って極限まで醜くなる――という扱い方は徹底しているようにみえる。桜もいつかは散るのだけれど、かなりそのあたりが自覚的に残酷。残酷といえば、そのぶくぶく醜く太った人たちは、治療のための真珠こそ食しているものの、決して本人的に不幸せそうじゃないのもなんとも暗示的だなあ。
 続いて、皆川博子さんっぽいエロティックさに満ちあふれた『ジャングリン・パパの愛撫の手』。 この直接的にではなく間接的に自分の官能を満たすけだもののような本能、ぐぐっと来ます。エロティックです。一見従順でいるようでいて、思いっきり目の前で相手を裏切っているという背徳感。これは直感的ながら、桜庭一樹さんが読むのが好きそうなシチュエーションです。
 ほかも、人間の矮小さや肥大化した自意識だとかを赤裸々に活字にしてゆく手腕はさすが。扱っているのはこのジャン○○の血族で共通しているというのに。あとエロティックな感覚が後半以降減っているのが少々残念だ。それとは別にシチュエーションだとか、未来だとか戦争だとかで様々な諷刺をやっているところもポイント。

 短い作品集なのであっという間に活字だけならば読めてしまう。あとは「本」として、野田仁美さんのこれまた背徳的な雰囲気がぷんぷん漂っている絵と共に物語を楽しむ、トータルとしての単行本ですね。桜庭ファンは文庫を待たずに、この単行本バージョンで入手しておくこと。


10/05/11
越前魔太郎「魔界探偵 冥王星O ヴァイオリンのV」(講談社ノベルス'10)

 「越前魔太郎」は、2010年春から複数の覆面作家が共同で使用する筆名。2010年8月公開予定の映画で舞城王太郎原作の「NECK(ネック)」に登場する架空の作家の名前から取られている。サイト等の情報によると、各作家が自分の名前で刊行した方が遙かに発売部数が稼げる程のビッグネームが揃い、講談社ノベルスや電撃文庫から、「冥王星O」シリーズとして刊行されている。本書はその第一弾二冊のうち一冊。

 兄を交通事故で亡くした主人公は、遊園地のなかを彷徨っているうちに、黒い天幕にて囲まれた、観客も演奏者も仮面を被っている静かな音楽演奏会に紛れ込んでしまう。なぜだか追い出されずに彼もまた演奏会を聴き、感動のあまり涙を流すのだが、演奏者が使っている楽器が普通とは異なっていることに気付く。人間を楽器に加工したものなのだ。主人公が特にその音色と共に惹かれたのは少女の内蔵を取り出して作られたヴァイオリンであった。演奏会終了後、その痕跡なく彼らは消えてしまうが、主人公はずっとそのヴァイオリンの音色を追い続けてきた。彼は長じて雑誌などに記事を提供するライターとなっていた。そんな折り、内蔵を内部から引っかかれるようにして死んだ若者の話と共に、生存者が目撃した「人間でできたヴァイオリン」の噂を耳にする。いてもたってもいられなくなった彼は現地を訪れて調査を続けるが、彼の前には【冥王星O】を名乗る謎の大男が現れた。どうやらこの問題はアンタッチャブルのようで、主人公は手を引くよう再三の忠告を受けるが全て無視。ヴァイオリンの彼女を捜しに下水道へと踏み込んだところ、【醜悪な贓物】という怪物に襲われる。

人間楽器という耽美、智略を尽くす二度の戦い。オーソドックスに新しいアクション・エンタ
 このシリーズを読むのは本書が初めてなので、本書のみのイメージで感想を書く。
 基本的にあまりクセのないハードボイルド系の文体に、当たり前のような「怪異」が入り込む。登場する街は米国あたりの歴史はあるけれど、ちょっと時代遅れの旧繁華街といった場所。いわゆる伝奇ハードボイルドといった展開で、人間以外の生物や絵空事のような物理法則が物語にさまざまなかたちで登場、荒みつつも魅力的でファンタジックな独特の空間を創り上げている。動物園の跡地、映画館の跡地といった戦いの舞台となる場所も、ノスタルジックなイメージを伴いつつも、戦闘系のファンタジーであればある種の定型にもみえる。(よくあるといえば、あると思いませんか)。
 そんななか、魅力はとにかく特徴的な人物が登場し、vsぐちゃぐちゃ臓物おばけ、vs窓(どこでもドア)を自由自在に作り出す能力を持つ人物 という二大戦いが本書のなかで繰り広げられている。第一の戦いは冥王星Oも絡んで、思惑であるとか知識であるとか偶然であるとかが様々に関係しあって、人間vs異形の化け物との仁義無き戦いが演出される。この戦闘シーンのテンポの良さ、展開の意外性は特筆もの。この後の主人公と【窓をつくる男】との死闘(主人公的に)もまた、様々な工夫が凝らされていて飽きない。そしてこのバトルアクションシーンが二度美味しいというだけで、一応、読むだけの内容に値すると思います。(アクション好きとしては特にね!)
 また、ヴァイオリン少女の存在をはじめ描写も的確。ハードボイルド系文体と相反するせいか、若干だが情感は薄いかも。この手の展開を好まれない方からすれば内容自体も薄いという判断にもなるかもしれないながら、ユニット”越前魔太郎”の一冊目として上場の滑り出しとみる。

 ネットでは、本書の作者は乙一らしいという噂があるらしい。
 でも乙一が講談社ノベルス? という段階で違和感ありまくり。乙一+講談社ってミステリーランドしかこれまで無かったのではなかったっけ? なので、根拠は小生の直感のみ。ヴァイオリンのV、これは上遠野浩平じゃないですか? 乙一よりもまだしも事件シリーズがある分、講談社ノベルスには近いと思うんだけどなあ。あえて『ブギーポップ』で強い印象がある電撃文庫”じゃない”方で出すところがむしろミソと思うワタシはひねくれていますかそうですか。