MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


10/05/31
乾くるみ「スリープ」(角川春樹事務所'10)

 指摘されてみると、近年は短編集ばかりが刊行されているのであった。ということで2004年の『リピート』以来、六年ぶりとなる長編書き下ろし作品。トリックスターの名に恥じない意欲作。

 二〇〇六年に放送されていた《科学のちから》というテレビ番組は、知能指数の高い中学二年生四人を選抜してリポーターとし、最先端科学を取材してゆくという、そこそこ人気の高いテレビ番組だった。リポーターの一人、鋭二は後にノーベル賞を受賞している。当時、最も人気の高かったのが十四歳の羽鳥亜理沙(はどり・ありさ)。一年間の放映終了後に期間延長の話もあったが、結局いろいろな事情が噂されるなか結果的に番組は一年で打ち切られてしまう。放送されなかった羽鳥亜理沙の最終収録は常日頃から取材に対するガードが異常に高いことで知られる「未来科学研究所」だった。テーマは「冷凍睡眠装置」。戯れに指紋認証を登録されたことで、亜理沙は興味本位で地下五階の秘密めいたフロアに迷い込んでしまい、そこであるものを目撃してしまう。その亜理沙は、全身を分子レベルで撮影するという費用のかかる実験に協力することになってしまい、所長によってシャッターが押された。そしてその次の瞬間、目が覚めた亜理沙は、三十年後、二〇三六年の研究所内で目を覚ました……。

堅実なタイムスリップや科学技術の展開が見事な未来予想に目が行き勝ち。そしてそれが強烈なミスリーディング!
 まあ、読まれた人の感想の多くがそうだと思うのだけれども、自分で答え合わせが可能な(平均寿命まで生きる前提であれば)未来を描くというのは、なかなかユニークな発想だ。(乾くるみ氏はインタビューでも同様のことを述べているが、作中では外国人SF作家に同様の思想についてコメントさせている)。
 お札の肖像が変化しているところは少し考えればもちろん予想されるし、電子レンジの原理を応用したと思しき人間すら乾かせる瞬間乾燥機とか、完全にプライバシーが保たれる個室喫茶だとか、顔に装着するヌーブラみたいなものだとか。発明という意味が様々に面白い。また、個人的には強烈な円高が定着しているところだとか、日本のワールドカップ成績だとか、発明とは別の細かなディティールの方にも感心する箇所が多かった。
 しかし、本格かどうかはひとまず置くとして、やはりミステリである。イニシエーション・ラブ』や『リピート』に比べると、なんというか「ぬけぬけ度」が高い。 こんな大胆なことを、よくもまあぬけぬけと、の「ぬけぬけ度」。隠すではなく、主題に繋がるようなある事象だと説明しているようでいて、実は当人にとっては異なる事象であるというか、なんというか説明が難しい。例えば鋭二の、凄すぎて役に立たなかったという研究内容。頭が良すぎるから片手間に超絶難しいことを解き明かすという、頭が良いということを強調するエピソードだと思わされる訳だ。しかしこれは違った。
 あと「十四歳の君に恋している」という状態。真相を知ってしまうと、この言葉自体一途なようでいて、実は強烈に歪んでいることに気付かされる。正当派SFだったはずの作品がサイコミステリに転じてしまうような、足下がいきなり斜めになってしまうような、独特の読後感が残る。 まあ、それが仕掛け系乾長編独特の味わいなのでいいのだけれど。

 しかし、乾くるみ氏が今年短編集に長編と、こんなに仕事をしてしまうと、また仕事をしなくなってしまうのではないかと凄く心配になってしまうのはワタシだけ? (では絶対ないはずだ)。


10/05/30
小路幸也「僕は長い昼と長い夜を過ごす」(ハヤカワ・ミステリワールド'10)

 『ミステリマガジン』誌の2008年10月号から2009年10月号にわたって連載された作品に加筆修正されて単行本化されたもの。多くの出版社とお仕事されている小路さんではあるが、ハヤカワは今回が初めてか。

 身体自体は至って健康であるものの、50時間起き続け、その後の20時間を眠って過ごすというライフサイクルで生きるメイジ。彼には実家の工場を継いだ兄と、千葉の警察官に嫁いだ妹がおり、三人の結束は固い。というのも、彼らは父親から恒常的に暴力を振るわれており、母親は失踪、さらにその父親も彼らが子供の頃に自宅で何者かに殺害されていた。兄妹は工場を支えていた三人の職人さんらの手によってその後は温かく育てられ、現在に至っている。普通の社会人とは極端に離れたライフサイクルを送るメイジは、ゲーム会社のアシスタント役として契約社員として働く傍ら、ゲーム会社社長のバンさんから紹介された”監視”のアルバイトをこなしていた。そんなアルバイトの最中、監視対象者の様子がおかしいことに気付いたメイジは、その自宅に入り込んで瀕死の対象者を救助、救急車で共に病院に向かう。その過程でメイジの手荷物扱いでキャリーバックを押しつけられるが、中にはなんと二億円近い現金が入っていた。突然、メイジの前に現れたのが「種苗屋」を名乗るナタネなる人物。その金は裏金だという彼は、メイジを助ける方法を提案してくる。

小路幸也のフィクショナルな設定複数が複雑に絡み合って独自のハッピー世界を創り上げている好例
 先にいってしまうと、特にこの作品の場合は、ケチをつけようと思えばいくらでも付けられると思うのだ。例えば、もともとの売り文句であり、題名にまで採用されているのに50時間起きて20時間眠るという主人公の体質そのものは、物語の中心として十二分に活かされているとは言い難い。登場する人々が皆、母親失踪、父親殺人事件被害者という主人公並みかそれ以上に重い人生を背負っている。ごく一部の悪役を除くと登場人物が「いい人」過ぎ。ヒロインとなる女の子に対する主人公の恋愛感情などもどこか不自然。――と他にもあるかもしれない。
 だけれども、小説たるもの、フィクションなのだからご都合主義は当然。そしてユニークなのは、これだけ「不自然な」「御都合主義」が横溢すると予定調和で読者の興味を削ぎそうなものなのにそうなっていないこと。 登場人物のほとんどが「いい人」で「情に厚く」「信義を重んじる」「信頼しあえる」それらが一体となって、サスペンスフルでスリリングな一方で、居心地が良く温かな物語を形成している。え、え、ちょっとそれは、都合良すぎるのでは、というようなエピソードや設定に対するツッコミをマイナスとマイナスで(プラスとプラスで?)打ち消して、もっと大きな主題に繋げて絶妙の都合の良さを創り上げる。御都合主義の魔術師。
 もちろん(本作に限らず)キャラクタが魅力的、という点も見逃せない。ただ、その魅力というのも、いわゆる萌えとかとは少し異なると思う。どちらかというと人間として憧れられるような分別を皆が備えているというか、年齢以上に大人びているというか。高い判断能力や、落ち着き、冷静さを備えている一方で、人間としての熱さや正義感、倫理観といったところを正しく持っている。それでいて、杓子定規ではない柔軟な考え方と、そしてユーモア。理想の日本男子であり大和撫子であるといった男女が多数登場する。本書でいえば、ナタネさん、麻衣子、メイジ、安藤、バンさん、リロー。みんなにそういった魅力があるのだ。

 特に、この作品ということでの分析からは外れる一方なのだけれども、本作を読んで小路作品の持つ魅力についてつらつらと考えてゆくうちに、こういった↑ことを考えた。本書の場合、いつもの良さに加えて、謎解きの興味で引っ張るリーダビリティも高いので、手に取ったら止められなくなりますよん。


10/05/29
牧野 修「破滅の箱 トクソウ事件ファイル(1)」(講談社ノベルス'10)

 (1)は正確には丸のなかに1。講談社ノベルスで『再生の箱 トクソウ事件ファイル(2)』との、二冊同時刊行となった連作風大長編。『メフィスト』あたりに連載されていたのかな、と思って確認したところ、二冊とも完全なる書き下ろしと知った。それで頷けるところも多い。

 とあるごくごく普通の地方都市にある警察、金敷署には「駄目な方のトクソウ」と呼ばれる部署が五年前から設立されていた。正式名称は「県警金敷署生活保安課防犯係特殊相談対策室」。警察に通報されるUFOや宇宙人、超能力などちょっとおかしな人たちを専門に相手にする部署である。当然、警察組織にとってもリストラ対象となった駄目警察官を送り込む墓場的存在である。室長はガラガラ声の中年女性・伊丹三樹子警部補。制服を着ていなければ中学生にしかみえない童顔の斎邦夫巡査、深刻顔で隻眼の元公安、天知重久巡査部長などのメンバーの元に、二十七歳の喜多島正義。彼は正義という名のもとに正義を貫こうとすればするほど周囲と軋轢を発生させてしまい、遂にトクソウ入りしてしまった。喜多島は斎と共に、トクソウの常連である「呪われ君」こと田宮の家を訪問する。呪いの小箱を見つけたので保護して欲しいのだという。その壊れっぷりに喜多島は辟易するが、ふとこの金敷の街が高いブロック塀をはじめ何かぎすぎすしていることに気付きはじめる。捜査一課の名物女性・野口キアラらと捕物に参加、殺人事件に巻き込まれる。次の日、悪い予感で田宮宅を訪れた喜多島だったが、田宮は部屋の内部で何者かに殺されていた……。

トクソウを次々に襲う悲劇、惨劇が約束された街。果たして黒幕とその狙いは一体……?
 先に結論から述べておくと、(1)(2)とあるが、シリーズものというよりもニュアンスは(上)(下)。なので、本作を読まれる方は『再生の箱』もご購入されることを強くお勧めしておく。
 さて、いきなり第一話からかなりの衝撃から入る。最初は牧野的普通。UFOが来るとか宇宙人とコンタクトしたとか電波が飛んでくるとか、牧野作品にしばしば登場する「電波系」の変な人たちが、大真面目に警察に対して相談をしてくる。まあ、普通なら怒鳴られるところ、この金敷署には専門部署がありました、と。ここまではいい。牧野氏ならずとも、伝奇系の作家ならばこういった設定はありだろう。そもそも「Xファイル」だってそんな話だ。さて、その「トクソウ」こ新たに配属された喜多島正義が第一話の主人公。彼の一人称で物語は進み、電波な人々への反感から続いて発生する奇妙な事件といった流れを読者と共にトレースしていくのが『破滅の箱』と題された第一話。彼の追う事件と無関係な殺人事件に、更にその自分に相談を持ちかけてきた男が殺害され……。はいはい。ここまでではある種の物語の定型。この新人君がこの街に蠢く不穏な影に気付きます。ここまでも良いでしょう。そして第一話の終わり。この主人公かと思われていた喜多島君は刺されて脊髄損傷、自分で歩けない程の傷を負う。 ――一旦退場。えええ? ほんまに? 彼が本編の主人公と違ったん? (大阪弁)
 あれあれ、戸惑う読者を置き去りに、続いて登場するのが住吉次郎。定年間際の警察官で閑職と聞いたこともあって、わざわざトクソウに転属を願い出た男。先の喜多島君と同様、電波な人々の話を聞いて事件に巻き込まれ、これまた活躍こそするものの、喜多島同様、第二話のみにてご退場してしまう。あれあれあれ?
 第三話は不倫騒動に自殺指向を持つ女性警官・御厨ミミ。……以下略。
 このように、伝奇or警察ものの定型を切り崩すところから物語が始まる。その段階で結構衝撃、くらくら。 いわば少女漫画で、転校してきた色男が、次の日には葬式が出ているようなもんである。一体なんなんだ、この物語は。しかし、第四話で主役を務める野口キアラ以下、トクソウメンバーの活躍によってその背後に宗教集団が、さらに彼らを操る黒幕の存在が判明。この街で行われていたおぞましい事件の真相が終盤に向かって明らかにされていく。宗教にせよ、なんにせよ電波型の人々が自らの意志と信じながら、狂気的で猟奇的な事件を発生させていた、と。その根源にあるある屋敷。一旦、その根源にあると思われたものが全て破壊され、街に平和が戻ると思われた。

 しかし、追い詰められた私はそのとき! そして担当編集者がネパールの奥地で見たものは! 波瀾万丈驚天動地の物語は『再生の箱』へ続く。


10/05/28
大倉崇裕「白戸修の狼狽」(双葉社'10)

 大倉氏のデビュー短編でもある「ツール&ストール」、そしてその作品が収録された短編集の題名が『ツール&ストール』であった。主人公は、お人好しの白戸修。ゆえに(関係ないか)、この『ツール&ストール』は文庫化される際に『白戸修の事件簿』という、微妙に平凡な題名に差し替えられてしまう。その文庫版に倣ったわけかもしれないが(むしろ倣ったのは泡坂妻夫氏の名短編集か)、今回は最初から白戸修が題名を飾ることになった、と。そういう短編集、シリーズ二冊目。

 世界堂という出版社に首尾良く就職が決まった白戸修。正式な配属が決まる前に適性をみるため、幾つかの部署をローテーションで回っていた白戸。現在所属するのは「月刊模型」。その表紙を担当してくれている人気イラストレーターの原稿を取るために鬼門の中野に向かった白戸君。しかし、途中で道に迷った挙げ句、落書き犯を捕らえる手伝いをする羽目に……。 『ウォールアート』
 社会人であるにもかかわらず、学生時代の先輩から強引にコンサート設営のアルバイトに駆り出されることになった白戸。15歳の人気女性タレントのこのコンサートには何やら曰くがあるようで、何者かの妨害の臭いを白戸君は感じ取るのだが。 『ベストスタッフ』
 なぜか巻き込まれて盗聴犯人を捕まえる手伝いをすることになった白戸君。道ばたで拾ったカバンの中に入っていた盗聴器。つまりはその落とし主は盗聴される可能性がある人物だと、その彼女の家に乗り込むが。 『タップ』
 電車内で繰り広げられる問答無用のサバイバルゲームに、業務放棄した別のバイトの代わりに参加させられてしまった白戸君。パートナー男性との電車内乱闘を勝ち抜いた先は……。 『ラリー』
 先のコンサートスタッフに強引な勧誘をしてきた仙道先輩の強引な引きで、五人組アイドルグループのコンサート設営を手伝うことになった白戸君。そこにもまた、陰湿な陰謀が。そして前回の事件で一躍有名人になってしまっている白戸君の活躍は? 『ベストスタッフ2 オリキ』 以上五作品。

特殊業界ものでありつつロジカルなミステリとして高い水準。そして白戸君のキャラクタの味わいもまた深い
 江戸川乱歩賞の一時期の受賞作でよくあった特殊業界というのとは、書いてはみたものの少し違うか。アートと自称する迷惑落書き、アイドルのおっかけ、ストーカーと盗聴防止業界、都市型サバイバルゲーム、そして再びアイドルのおっかけ。『無法地帯』とのコラボレーション短編があるので余計にそう思うのかもしれないが、「趣味」をゲームとか気晴らしの域を突き抜けて、生活の中心に据えている人々が織りなす物語。 おやつが主食になっている、という感じが近いか。
 そんな彼らの吸引力や強引さに負けて、さらに白戸君には鬼門の中野という街にて巻き込まれる幾多の事件。どちらかというと強引な展開(白戸君にとっても、読者にとっても)なので、どの短編にもぐいぐい引き込むだけの吸引力がある。 落書きにしてもコンサートの裏側にしても、もちろんサバイバルゲームにしても、いわゆる「内幕もの」の面白さが付け加わるのだ。さらにさらに、謎解きの妙味も。謎解きも、この手の特殊業界が舞台になる場合、その特殊な要素をちょろっと出して「はいトリック」となるケースがままあるのだが、大倉氏はそんな手抜きはしていない。多少はその要素が絡むにしても、基本的には厳密にロジックで読者だけでも解き明かせるような、謎解きの妙味までが短編に存在しているのだ。これで面白くないはずはない、というか面白いですよ。

 大倉氏のクセの少ない文体と、とぼけた味わいもまた健在。『ラリー』は前述の通り『無法地帯』登場メンバーとのコラボレーションだし、その意味でも「亜愛一郎」を思わせる泡坂世界とも微妙に重なっている(泡坂氏の場合も、シリーズはあっても登場人物や世界観が重なっていた)といえる気がする。他の大倉作品を読んでいる人も、読んでいない人も。シリーズ二冊目であっても、この作品集から読み始めて一向に構わない、万人受けする作品集でございます。


10/05/27
古川日出男「4444」(河出書房新社'10)

 (題名は「よんよんよんよん」と読む)。本書刊行時(2010年)に44歳になる古川日出男氏が、2009年7月から2010年5月の44週にわたって「河出ウェブマガジン」にて発表してきた作品がまとめられたもの。作品の総数量も44である。

 掌編といえる程度の長さの、しかもWeb連載ということもあって長さがばらばら。最初の『どうやったらプールでうなぎを養殖できるか?』は、姉弟が会話をしながら散歩をして、目的は人の家に生えている枇杷を盗む話。弟なる人物は他人の物もなぜかポケットに入れてしまうようだ。そしてうなぎの養殖の話。続く『だれが焼却炉をうごかしたのか?』は一転して、女性と食事をしている若い男・持田の一人称。色鮮やかな(たぶんイタリア料理)を目にしながら料理の味がまったく感じられない。パレット、転校生。担任の安東先生。そしてオオミネ。彼はどういうシチュエーションで女性といるのか。三つ目は『いかにして1+1=1は証明されたか?』 数字に対して妙なこだわりを持つ画家の話。この訳わからないさ、脈絡の無さが古川日出男らしい。 『いつごろ満員電車は出発するのか?』 まだ人気のない頃から追いかけていたアーチティストの武道館公演。その女性はチケットが取れなくて参加を諦めかけていたのだが。どうした天の配剤か良い席がオークションに出てきた。そしてそのコンサートで。 紹介する最後は『なに食べたって訊かれたらなに食べたって答えるつもり?』 男同士の会話。片方は雪下。ホモセクシャルについての真面目な考察、そしてその男がフェリーのなかで味わった不思議な話――と、様々な主人公、語り手、文体にて届けられる四十四の物語。

うっすらと繋がってはいる。しかしテンションリズムテンポがこれだけ異なると、むしろ「詩」としての味わい
 梗概にも書いた通り、様々な年齢職業性別をもった人々が登場し、それぞれが断片的な物語を紡ぎ出している。また、その内容も追憶、独白、会話、行動から妄想に至るまでさまざま。さらに、その文体にしても、一人称、三人称、二人称、男からの視点、女性からの視点、子供からの視点と統一感まるでなし。じゃあ、その統一感の無さで、何がどこまで出来るか実験してやろう、とかいった気負いは全くない。改めて、これだけ様々な文章を目にして気付いたのは、文章の名手でもある古川日出男に、彼特有の文体というものは存在していないこと。文体ではなく、その文章から立ち上る、エッジの効いた、とかキレキレの、といった形容詞にこそ古川日出男らしさが存在する。 なので、読者は文章そのものではなく、その最奥から立ち上るものを感じ取って、あ、これは古川日出男の文章だよね、と気付くのだ。まあ、どういう書き方をしていても、文章の切り方や順序といったところにはクセはあり、そのクセが「らしさ」を醸し出しているともいえるので、自説を否定するようだが古川日出男文体が無いとは言い切れないのですけどね。
 さて、そんな様々な文章。ひとつひとつは無意味な(意味深な)光景・風景・心象風景の断片。小さな物語の体を成しているものもあるが。ただ、読み進めるうちに「あれ、さっきこの固有名詞あったよな」「オオミネって名前、ここで出るのが最初じゃない」「安東先生?」「四年四組」といったかたちで、薄ぼんやりと繋がりがみえてくるのがポイント。表紙の写真がそうである通り、キーワードは小学校か。ある意味、その地域に住んでいる近い年齢という属性で、集合が作られる小学校というのは、その後にさまざまな物語を拡げることになるということか。そして、その物語を逆に原点に辿っていくと、小学校(本書の場合、四年四組、安東先生)があるということになりそうだ。だから? いや、たぶん、それだけ。

 濃厚な物語を古川日出男に求める向きには多少物足りないかもしれない(そして、濃厚な物語を古川日出男は軽々と提供してくれる)。……だが、濃厚な物語に含まれることが無かった数多くの物語が捨てられずに、纏められているのはファンにとっては嬉しいところ。むしろ、こういった断片から大きな物語が現れていくのだろう。その種を沢山見せてもらっている、そういう気分になる連作集だ。そして、四十四歳の古川日出男への(セルフ)誕生日プレゼントであり、我々読者へのプレゼントでもある、と。


10/05/26
遠藤武文「トリック・シアター」(講談社'10)

 『プリズン・トリック』で第55回江戸川乱歩賞を受賞した著者の第二作目となる長編。書き下ろし。

 二十年前の学生時代「早稲田大学シネマ研究会」に所属していた冨樫長道。同じサークル出身で現在は冨樫の妻の泰代と共に、卒業以来となるOB会に出席した。学生時代に冨樫は泰代のほか何人かに手伝ってもらって映画を一本撮影したのだが、その時手伝ってくれたうちの四人が事故や自殺という異常死のかたちで亡くなっていたのだ。しかも年月は異なるが全員の死亡日が三月二十一日となっている。冨樫は悪意ある仲間の妨害のせいか、その訃報すら受け取っていなかった。OB会は三月二十日に開催され、冨樫はふとした弾みで同じOBの佐々岡にナイフを突き立ててしまう。果たして彼もまた三月二十一日に死亡するのか――? しかし、三月二十一日、東京・晴海で死亡した佐々岡と、さらに遠く離れた奈良県で冨樫泰代が死体となって発見された。二人の死亡時刻は同じなのだという。そして両方の事件の容疑者は冨樫長道? 警視庁にある情報分析支援第二室所属(通称「裏店」)の警視正・安孫子弘は、この変死事件に興味を持ち、所轄の私こと本多、とその先輩の矢木らを従え、強引に事件の解決に乗り出すのだが……。

一種のポリティカルフィクションとして裏面は強烈なのに、メイントリックの竜頭蛇尾がかなり厳しいか
 映画研究会OBのあいだで何年ものあいだ繰り返されてきた、三月二十一日の不審死。さらに今年の三月二十一日は、一人が東京のマンションで、一人が奈良県の古墳で同時刻に死亡。しかも容疑者は同一人物。ただ、その犯人と物語中で目される人物はプロローグに登場し、少なくとも計画的な殺人ではなく弾みであったことを強調するエピソードが語られている。それではこれら四件連続不審死に、犯人たる第三者の強烈な意志があるのか、さらにこの不可能トリックはどうやって実現するのだろう?? とわくわくしてページを捲った。
 先にこちらを書くのは気が引けるのだが、この真相に関してはちょっと頂けない、先例があるということだけではなく、遠藤武文という作家の文体、さらにここまでの物語の流れとこのトリックは完全にミスマッチなのだ。彼らは平凡ながら幸せな暮らしをしていた訳で、その彼らの運命を変える理由がコレなのはひらすら弱い。第三者のカリスマが介在したにせよ、物語中ではそれは感じられないし、そもそもカリスマ相当の人物に全くみえないのも弱点のひとつ。つまり、こういう行動を取る必然性がない、という部分がトリックとしては致命的だと思うのだ。醸成されている迫力だけでいえば、清涼院流水の某作の方とかの方が極端な分、上にゆくように思う。
 一方、事件の背景として大きく鎮座するフィクションがこれ。地下鉄サリン事件を思わせる大規模な地下鉄爆破事件があったという架空の世界。そしてその爆破事件は宗教団体ではなく、極右団体によるテロであった、というのが本書における重要な背景。多くの人間がその事件で身内を亡くしており、語り手となる主人公もまたその一人である。感心できたのは、この地下鉄爆破事件に関する部分。実行犯ではなく、なぜそのような事件が起こされたのかという背景に空恐ろしいリアリティがある。いや、リアリティとしてはかなり少ないのだけれど、もしかしたらと思わされたのでこちらの負け。

 豊かな想像力を感じるこの背景と、先述したトリックのしょぼさと。 物語の個々としてはテリングも上手なのだけれど、やはりアンバランス加減が大きい。わくわくして読み始めて、後半に失速しそうな作品でもある。乱歩賞受賞作とは微妙に異なる方向で、やはりあまり成功していないと感じられた。
 しかし、この作者、大学名を何故架空名称にしないのだろう。早稲田のみならず東洋大学とかも登場するのだけれど、こういったところで現実らしさを狙うのはちょっとずれてるように思うのだが。


10/05/25
辻村深月「V.T.R.」(講談社ノベルス'10)

 講談社ノベルスから刊行された辻村氏の作品『スロウハイツの神様』に登場する人物(作家)、チヨダ・コーキのデビュー作という体裁。カバーは裏表が両方使用できるという豪華版。さらにチヨダ・コーキ名義の奥付まで作成しているという念の入れよう。

 この国において千人きっかりに発行されているマーダーライセンス。試験と審査を経て与えられる免許証はその名の通り、人殺しに関する免罪符となる。殺す対象は闇の世界に生き、法の世界を掻い潜っている悪人たち。しかしライセンス所持者はそれ以外の人間を殺害しても罪に問われないという特典がついていた。祖父母両親ともマーダーで、彼らがまとめて復讐によって死亡した結果、一人で生き残ったティー。彼は甘い試験でマーダーライセンスを所持することにはなったが、ここのところ全く人殺しはしておらず、その美貌を活かしてのヒモ暮らし。そのティーが三年前まで交際していた抜群にいい女がアールだ。そのアールもまたマーダーライセンスの所持者。そのアールから三年ぶりに電話を受けたティー。私は変わらない、変わっていない。その日をきっかけに、ティーの耳にアールが行った様々な悪い噂が耳に入ってくるようになる。喫茶店を経営Sや、その恋人で銃職人のJらとティーは久方ぶりにコンタクトするのだが……。

研がれたエッジに人工的な設定。シャープさとコミュニティの温かみのギャップに味わい
 これまでの辻村作品とは舞台設定などがだいぶ異なり、むしろファウスト系作家の得意とするような世界観に覆われた世界が舞台。殺人許可証を持ったダーティヒーローが千人いる国っていうのは何ですか。なんとなく説明はあるのだけれど、さらっとこういうフィクションが持ってくることが出来るところが、ある意味スゴイ。
 ただ、その世界観の面白さだけというのは、辻村作品の人気の源泉とは無関係。この作品の場合は、ヒモで食べられるだけの美貌を持った頼りない主人公と、その元恋人のアールとの魂の結びつきがもっともコンセプトとして重要なのだ。その他の設定はおまけに過ぎない。多少辻村氏らしい仕込まれた仕掛けはあるものの、さすがにこれはミステリ畑の人間であれば先読みが可能なのではないか。むしろ、そのネタを知った後に改めて友人(だと思っていた人々)の人間関係に、どこか割り切った荒み方がある(ようにみえる)。
 恋人vs元恋人、友人たち同士、こういったウェットな人間関係も、辻村氏の手に掛かるとそれだけではなく微妙に乾いた側面が浮かび上がる。ベタベタと暑苦しいよりも、人間関係もクールなのが現代風なのか。意識せずともそのクールを物語に取り込んでいる辻村氏は、それがまた才能のように感じられる。
 作家が自作に登場させた作家を登場させる――同様の試みは、太田忠司さんの代表的名探偵・霞田兄妹シリーズに登場する霞田士郎が、霞田士郎名義でSF作品を発表していたことがある。この場合凄いのは、本当に霞田士郎という名義で全てが完結している点。『トリガー』の著者紹介なんかも凄いですよ。それに比べると、さすがに辻村名義としてある分、この作品はマイルドかもしれない。

 作者自身も勧めているように、別にチヨダ・コーキの物語を知らなくても普通に別個の長編作品として読むことができる。そして辻村らしさもあれば、微妙にらしくないハードさがあったりもするところは、逆にファン注目なのではないか。ちょっとラノベ的に過ぎるのが、おっさんとしては残念かも。


10/05/24
倉阪鬼一郎「火盗改 香坂主税 風斬り」(双葉文庫'09)

 江戸で火盗改という職務の長官という役職に就く香坂主税のシリーズ二冊目。収録作は短編〜中編なのだが、前作『影斬り』に続いて本作も書き下ろしで刊行された。時代小説を好む年配者への配慮なのか、一般的な文庫本に比べるとかなり活字が大きく感じられる。

 香坂が自宅裏に設置した注進箱に投じられた「風」の署名のある文。丑虎の方角を警戒せよと告げた予告文だった。手紙に従ってその方向を警戒していたところ、逆の方角で事件が相次いだ。 『風斬り』
 変装して街歩きをしていた香坂の前で大声を挙げて駆け出す少女と年老いた両親。彼女は彼らの娘ではなく孫で、その孫娘には苦界に沈められた実の母親がいるのだという。香坂らは彼女らのために一肌を脱ぐ。 『返り花一輪』
 香坂配下の腕利きの武士が、あまり腕の良くない燕返しの剣筋で殺された。祝言を挙げたばかりの嫁の耐える姿が痛痛しい。主税たちは、その剣筋から、先日馘首した元同僚が犯人ではないかと疑っていたが。 『本郷燕返し』
 瓦版売りの夫婦が目撃した火付けの現場。紫の頭巾を被って顔を隠した武士風の男が目撃された。江戸で火付けは厳しい罰が下される。夫婦によりまたしても紫頭巾が目撃されるが、今度はその姿が奇妙な場所で消えてしまう。 『深川紫頭巾』
 注進箱に投じられた、妻を惨殺された指物職人の悲痛な叫び。下手人は磔組を名乗る武家の傍若無人な若者たちであった。 『思いの箱』 以上五編。

これまでの普遍的クラサカカラーをむしろ極限まで薄めた、人情重視の時代小説集
 本書をなんの予備知識もなく表紙とかがない状態で本文だけを読んで、これがクラサカ作品であることに気付けるか?、というバツゲームも成立するかもしれない。全体的な風味というか、文体にこそ倉阪鬼一郎の風があるものの、内容はあくまで人情譚であり、昔ながらの普遍的一般的価値観に則った勧善懲悪、正義の物語である。 さらに、正義という部分について、取り立てて難しく考えていない。人を無慈悲に殺めるような人非人に対しては、残酷な死を報いるのが正しく、正しい暮らしをしている庶民がひどい目にあうのは許されない。人格者で実力者の香坂主税一派が彼らを陰に日向に助けてあげるのが当然。悪党死すべし、善人面を上げて真っ直ぐに生きるべし。
 その根本精神・価値観に相当する部分が実にシンプルで、一切難しいことを考えることなく気楽に読める。 恐らく、その「気楽に読める」という部分が、このシリーズ最大の作者の狙いのようにも感じられる。なので、個々の作品もそれほどどんでん返しやアクションを重視していない。例えば、『紫頭巾』のエピソードでは「消える放火魔」といったテーマが出てくる。シンプルにいうと一本道の両方の端から追いかけられている犯人が消えてしまうという、本格ミステリらしい謎だ。しかし、その回答については物語との連関はとにかく、ミステリとして改めて驚かされるようなタイプのトリックではなかった。確かに本格ミステリの理屈なのだけれど、そう謎解きの快感に重きを置いていない。むしろ、その謎の奥に隠された人情味であるとか、人間の感情であるとかの方が重要であるかのような書き方なのだ。

 もともとこういったテーマ自体は倉阪氏も嫌いではないはず。ただ、このような平板な書き方は、敢えて標的市場を決めて狙っているかのようにもみえる。それはそれで作風の広がりという意味では「あり」なのでしょうが。本来の倉阪ファンにとっては少し物足りないはずだ。(だが、メジャーになるのはどっちかというと……?)


10/05/23
島田荘司「写楽 閉じた国の幻」(新潮社'10)

 『週刊新潮』に二〇〇八年九月四日号から二〇〇九年一〇月二九日号にかけて連載された大作の単行本化。単行本が刊行された際には新潮社で記者会見が開かれた。(その内容よりも、島田荘司という名前の後ろに(61)とあったことにショックを受けてみたり。還暦をとっくに過ぎておられるとは。構想二十年、しかも執筆中に調査をしながらという、近年の島田氏には珍しい創作スタイルにて発表されたもの。その軋みが多少感じられる。

 大阪で江戸期の謎の絵を手にした浮世絵研究家・佐藤貞三が主人公。しかし、彼は大学講師から我が儘で父親のいいなりの美人妻と結婚したところから人生が転落し始めており、大学を辞して学芸員、そして現在は塾講師として生活していた。不妊治療の結果、妻が高齢出産して生まれた六歳の一人息子・開人がいる。その息子を六本木につれて行った時にコインパーキングの構造上の問題から駐車に手間取ってしまう。そのあいだに一人で駆けだした息子はなんとビルの回転ドアに頭を挟まれ、ショッキングな状態で死亡。妻とその父親に責め立てられ、その回転ドアの事故に関する調査を聞いて思わず自殺しかかったところを、佐藤は工学部の美人教授に救われる。そして佐藤は、その謎の絵に書かれた異国の言葉がオランダ語で”ある言葉”を意味することを知り、写楽の正体がまず歴史上のある有名人物ではないかという仮説を立てた。回転ドア事故が裁判沙汰になるにつれ、佐藤は自分のこれまでの浮世絵研究がマスコミによって否定されるという予期せぬ個人攻撃を受けようになる。彼の著作を出していた出版社が、彼に起死回生の作品出版を勧めて来た。佐藤はこれしかないと、写楽をテーマに取り組むのだが……。

写楽の正体の説得力こそ大きいが、島田荘司には珍しく小説としての冗長・隙・アラが多数みえる
 東洲斎写楽が活動していたのは寛政六年から翌年にかけての僅か十ヶ月間でしかない。その画に対する評価に比べて、版元の蔦屋重三郎や、当時活躍していた絵師たちも、ほとんど一切写楽に関するコメントを残していない、というのは従来から知られている謎。ここから、じゃあ写楽は誰なの? という展開になるのがこれまでの写楽ミステリ。
 しかし、島田荘司氏は、これだけではなく目の付け所がいろいろ異なっていて「謎」として提起される事柄自体が従来の「謎」の捉え方と異なるところが大きなポイント。
・なぜ蔦屋重三郎は、店の経営状態が悪いにもかかわらず、新人の浮世絵師の作品を大量に豪華雲母刷りで刊行したのか?
・なぜ当時の歌舞伎絵と異なっていて、美醜の基準が異なるのか?
・人気役者だけではなく、下積みクラスの役者絵もあるのはなぜなのか?
・それでいて、なぜ一応は浮世絵としての体裁を保っているのか?

 ――といった、「考えてみると確かに不思議」な事柄からアプローチして、最終的に納得できるという「あるライン」を見つけ出している。作中で登場する資料がどこまで実在している、信頼できるものなのかが不明なので、フィクションとしてしか小生は評価しないが、それでも「写楽の正体」について一定以上の納得があったことは事実だ。
 写楽の正体と、冒頭の回転ドアの事故とをかなり無理無理とはいえ共通の補助線を引っ張るあたりの手腕はさすがだとは思うのだが、回収されていない伏線や、言及されていない将来といった、島田小説としてのカンペキさ加減が、どちらかというと完璧主義に近い、他の島田作品と比べると遙かにに劣っているのも、残念ながら本書の特徴である。元の絵に書かれた文章の意味であるとか、最初に佐藤が写楽候補だと考えたある人物に関するこだわり、工学部教授の謎めいた行動。あとがきを読む限り、書けなかった裏話が相当に蓄積されているようにもみえるし、話を綴るつもりがボリュームを絞るためにそう出来なかったところもあるようだ。しかし一方で、主人公の心情を吐露するような場面や江戸の想像上での展開など、正直冗長にみえる部分もかなり多かった。その意味では全体としての推敲や順番付けがもっと必要だったのではないかと思う。他にも伏線や展開のなかにかなり無理しているところもあるように見受けられる。いずれにせよ、この(中途半端な)状態で島田荘司が単行本を刊行するのは相当珍しいことのように思われた。

 少なくとも、写楽の正体看破本としては、近年類をみないほどの完成度を誇っているといえるだろう。 ただ、一方で島田荘司らしい壮大なスケールの物語を同時に期待したところであったが、こちらは準備があったものの作品に加えられなかったという印象が残る。小説としてこの続編を刊行する方が正しいのか、本書をブラッシュアップするのが良いのか、読者からは判断が付けにくい作品だ。あと、島田本格のファンであるなら、今年に関しては『ハロゥウイン・ダンサー』いっときましょう!


10/05/22
森川智喜「キャットフード 名探偵三途川理と注文の多い館の殺人」(講談社BOX'10)

 森川氏は1984年香川県生まれ。京都大学理学部卒業。推理小説研究会出身。書き下ろしとなる本作品がデビュー作。

 人間の世界には人間のルールがあり、ネコの社会にはネコのルールがある。そして一部のネコは化けネコとして人間含む様々な存在に変身することが可能であることはあまり知られていない。ネコがネコを殺害するのは犯罪であるのだが、ネコが飼い主として登録されていない人間を殺害するのは別に犯罪ではない。そんな事情を踏まえて化けネコ・プルートは新鮮な人間の肉を原料とするキャットフードを製造する工場を、ある離島に建設してしまった。人間の肉が旨いことは昔から有名だが、それを新鮮なまま加工するのが難しかったのだが、ペンション型工場とすることで人間を易々と誘い入れ、そして地下に誘い込んで殺害後すぐに缶詰にすることで解消するのだ。さて、その工場の試運転に高校生の男女四人が招かれた。しかし。その四人のなかに同じく化けネコのウィリーがいた。四人のなかでウィリーが誰に化けているのか分からなくすることで、残り三人を殺されまいとするのだが、プルートは飼い主の高校生名探偵・三途川理を巻き込んでウィリーの存在を炙り出そうとする のだが……。

清涼院のネーミングに西尾の発想。そして「反則だ! 反則だ!」の裏切り度合いがユニーク
 化けネコというのが存在して、ネコ社会のルールというものがあって、その価値観が人間のそれと当然異なるという大前提の設定がまずユニーク。SFやファンタジーの定型とも違う、ユニークな発想。その発想のなかに存在する人間たち、そしてネコたちの存在が「人間を食う」というテーマながら、飄々として軽妙なやり取りで描かれているところが巧い。当然、同世代でもあろうが、若者たち(人間側)の行動や心理なども自然。当初は、三途川理という名探偵の、ネーミングといい、その態度や思考方法が気に入らなかった(引っ掛かった)のだけれども、実はそれも計算の内部だったという、心地よい裏切り。
 途中までは、論理のこねくりというか、どちらかというとユーモア主体で読まされる(良い意味で)作品かと思っていたのだが、その評価はラスト6ページで大逆転。物語、それまでのストーリーの盲点を突いた、サプライズ指向のミステリ、それも正真正銘のミステリだったのだ。
 実は、最初にするっと読んだ時、このラストにて何が起きているのか分からず「?」になった。しかし「反則だ! 反則だ!」をキーワードに考えてみると、なるほど、反則じゃなくて、むしろ公平というか、反則には反則で対抗というか、その柔軟な発想に妙に納得させられてしまった。
 先にも述べた飄々として乾いた文体が、人肉喰らい小説であるにもかかわらず、後味が悪くないという(とはいっても途中に趣味の悪いところはありますよ)ところも特徴として挙げておいて良いだろう。実際、プルート側名探偵・三途川理は、ネコたちと一緒に高校生缶詰を旨い旨いと試食している変態でもあるので、ラストがそれはそれですっきりするという効果も あるのです。

 登場人物のネーミングが清涼院流水、発想が西尾維新というのがトータルの印象で、だけど、ぬけぬけと人を食ったような結末については、思い浮かんだのが麻耶雄嵩(いずれも敬称略)。新本格の黄金世代で育ったおっさん読者が読んでも、結構これいいんじゃね? という評価になる、と思う。(個人的にはそう思うのだけれど断言はできないか)


10/05/21
早瀬 乱「絵伝の果て」(文藝春秋'10)

 『レテの支流』にて第11回日本ホラー小説大賞佳作を受賞後、『三年坂 火の夢』にて第52回江戸川乱歩賞を受賞した早瀬氏のミステリ風王朝文学。『別冊文藝春秋』2008年5月号から2009年3月号にかけて掲載された長編作品を単行本化したもの。

 室町時代末期、応仁の乱が始まる直前の頃、貧乏公家の十川家の嫡男として生まれた十川迪輔。蹴鞠の才覚以外に何も持たない彼は、一族の経済上問題より、経世に聡い次男を寺から呼び戻すことになった挙げ句行われた蹴鞠勝負に敗れ、廃嫡が決まってしまう。その跡目争いの再試合開催の条件として祖父が提示したのが、元は絵巻物と思われる一枚の絵だった。炎上する塔と、略奪を働く鬼のような人物が描かれている。その祖父によって、迪輔は身分の異なる二人の人物、美濃の田舎武者で迪輔の妹・綾姫に懸想する坂城と、異相を持つ商売者のナガレの二人と引き合わされた。それぞれの思惑がありながら、身分違いの三人は、残りの絵巻の絵とその手がかりを求めて京の町を歩き回るのだが……。

秘められた主題が結果的にはユニークなのだが、そこに至る物語展開がやや冗長か
 上手い作品だと思う。だが、その上手さがエンタテインメントないし文芸作品としての上手さにうまく繋がっていないようにも同時に感じられた。
 時代考証であるとか(一部にひっかかりはあるとはいえ)、室町時代末期の文化風俗などはうまく紙上で再現していると思う。服装や食生活といった基本的な情報に加え、当時の身分違いの人々同士が抱くであろう感情、態度などが、状況の変化に応じて様々に揺れ動くさまなどもさりげなく上手く表現されている。現代人とは異なる感情がそこにはあるのだが、風俗を描くのに巧みな点から、違和感がほとんどないところなど実は凄いところ。
 また、全ての物語を読み終えて、逆さから物語をたどり直すと、作品内部に複数の目論見があって、最初から最後まできっちりと計算された物語作りが為されていることもみえてくる。(例えば、なぜ題名は「エデンの果て」を思わせるのか、なぜナガレは異相の人物なのか、なぜ時代が応仁の乱直前なのか、塔の内部にある古い仏像の意味は、等々、簡単にすべてを挙げきれない程に様々な伏線が縦横無尽に張られている)
 最終的に、もともと目論まれた重要なキーワードがきっちり、そして幾つも浮上して、主題が全体にまとまっている。物語としては極上、であるはずなのだが。ただ――、それらを順繰りに前から読む時にはと、伏線が様々な事象の奥底に沈み込みすぎてしまい、なかなか物語世界に引き込まれないという欠点となっている。単純にリーダビリティとかいってしまうと残酷な気もするが、結局はそういうことだ。
 小説の巧さの話に戻ると、ある意味での末法というか、時代が変化するタイミングによる世紀末的・物理的&心理的荒廃などの雰囲気もよく出ているし、テクニックとしてはやはり上手い。だけれども、という点が結局最後には来てしまうか。

 最後の蹴鞠三人勝負は迫力がいきなり積み上がって凄いのだが、根本的に彼らの感情に移入できないようになっているところもまたミソ。なので彼らが充実感を持って命を賭していることは判るのだけれども、何かすっきりしない。この戦いの無意味な盛り上がりは嫌いじゃないだけに、何か勿体ない。……とまあ、小説の巧拙とは別に狙っているのか偶然なのか、ミスマッチのようなパートが多いのも事実。途中の微妙な退屈さ加減もあるので、あまり初心者向けの小説ではない印象。