MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


10/06/20
倉知 淳「こめぐら 倉知淳作品集」(東京創元社'10)

 2010年、本格ミステリ界を席巻したエピソードが幾つかあるが、その最大級エポックのひとつ。「倉知淳(敬称略)が、単行本を二冊も出した、それも同時に」。ということで、実際のところはこれまでに発表された作品で単行本未収録の作品が二冊に集成されたもの。同時発売は『なぎなた 倉知淳作品集』。本書収録作は『野性時代』1995年8月号に発表された『「真犯人を探せ(仮題)」』から、最も発表が新しい作品は『ミステリーズ!』Vol.39に掲載された『偏在』。

 職場で渋い中年課長として周囲の憧れを集める東堂課長には秘密の趣味があった。今日はその趣味を持った人間のオフ会だった。女装でもトランスジェンダーでもなく、その感触ゆえにブラジャー着用を愛する男の集まり。鍵の喪失により、特別製のブラジャーが外せなくなる事件が。『Aカップの男たち』
 殺人事件が発生した。被害者は三十歳の男性。私は被害者の住んでいたアパートに聞き込みに来た刑事だ。各部屋住人のアリバイを確認していくと様々な証言が――というリスナー参加型ラジオドラマを提案する男たち。 『「真犯人を捜せ(仮題)」』
 探偵の二文字に惹かれてレンタルした無名時代劇。過剰な演技にありきたりなシナリオ、だけどその途中には一本道での犯人消失という不可能犯罪が発生して……。僕は期待して続きを視るのだが、なかなかその解決は提示されない。 『さむらい探偵血風録 風雲立志編』
 格式を重んずる没落した一族の跡取りである自分。田舎の役所勤めだが周囲にはバカにされ、母親からは結婚のプレッシャーを受け鬱屈した毎日を過ごしている。その僕が書庫で「不死の呪術」が記された古文書を発見してしまう。 『偏在』
 平和なはずの「どうぶつの森」でキツネが何者かに殺された。発見者はアフリカゾウの先生で、現場には新聞記者のウサギが急行する。キツネは平和などうぶつの森でトラブルの種を撒き散らしており、動機は誰にでもあった。イヌのおまわりさんが各人のアリバイを検証しはじめる。 『どうぶつの森殺人(獣?)事件』
 猫丸先輩もの。権威ある賞を写真家が受賞したという豪華なパーティ。その徒弟制度と権謀術数蠢く世界が垣間見えるなか、あちこち飛び回る猫丸先輩と、中堅カメラマン原嶋。そして主賓が毒を飲まされて死亡するという事件が発生……。 『毒と饗宴の殺人』  以上六編。

大好きな本格ミステリに対して「真面目」に「不真面目」倉知淳
 分かる人にも分かりにくい喩えで恐縮だが、意識したのは『かいけつゾロリ』である――(だから?)
 デビュー以来、自覚的に本格ミステリに著者は取り組んできている。その集大成が本格ミステリ大賞授賞という勲章であり、本書のような作品集だとい本書、本格ミステリマニアの視点からみるにめちゃくちゃ面白い、面白いのだが問題作、という作品が揃った。 マニアは手を叩いて喜ぶけれども、素の読者が読むと「で?」という話になってしまうかもしれない。なので問題作。
 まずシチュエーションからして凝っている。ブラジャー着用が趣味という男たちのオフ会という冒頭の設定にまず悶絶。時代劇本格風をメタ的手法にて処理する方法に感動。どうぶつだけが住む森で発生した殺人(獣?)事件という展開にムラムラ。まあ、全体的に舞台設定に個性があり過ぎ。本格ミステリ作品で使用するトリックを成立させるために、舞台そのものを多少特殊なものに設定するのはよくあるパターン。しかし、この作品集で登場する「舞台」、特殊過ぎやしませんか? その特殊な(見方によては巫山戯た)舞台に対して倉知氏は大真面目に作り込みを行う。些か徹底の度合いが過ぎるくらいに。例えばブラジャー着用愛好家の集まりが舞台の『Aカップの男たち』、出席者の感情から世間体から何から精緻に描かれており、まるで倉知氏が出席したことがあるかのよう。そして何より何というか。
 ここまで作品を丁寧に作り込んでおいて、最後の最後に「このオチかよ!」 と読者を突き落とし、和ませる技が発揮されるのだ。誤解を招きたくないので重ねて書くが、つまらないということではない。だが、真面目に新しいトリックや斬新なネタを追求している姿勢が生み出した、その結果があまりに極端に尖りすぎて、考えようによってはバカミスに近くなってしまっている点は否定できない。
 ここまで書いて思ったが、やりたいことは異なるながらこれがいいたいがためにここまで頑張りますか、というこの感覚、田中啓文のある種の系譜に属する作品を読んだ時と同じ感覚だよなあ、と。特に、勝手に作者の心中を慮るに「ああ、こんなことしたら読者は怒るかもしれないなあ、怒るだろうなあだけど止められないんだよなあ」という逡巡してしまう感覚まで同じなのではないか。事実上初めて書いたという倉知氏の作品集あとがきからも、どこか同じような香りを感じるのです。はい。
 で、個人的にそういうの大好きなのでOK。特に脱力度の高い、トリックであるようなもはやトリックですらないようなある仕掛けがある『偏在』。面白いですよねえ。やりますか、そんなの。徹底的なアリバイ調査と地道な捜査、そして衆知を結集する大推理大会が実を結ぶ、ことはなくトンデモに近いところから真相を浮かび上がらせてしまう『どうぶつの森殺人(獣?)事件』ああ、気持ちよく脱力した。

 ミステリとして反則というよりも、そもそもルールや前提条件から敢えて踏み外すような珠玉の作品の数々。 その意味では、逆にこれまで単行本に未収録だったということも首肯してしまう。ただ、そういった作品が集積されることで別の味わいを持った作品集になれている、と思う。これはこれで今年の収穫である点は間違いない。


10/06/19
乾くるみ「セカンド・ラブ」(文藝春秋'10)

 『イニシエーション・ラブ』の緩い続編扱い。昭和期恋愛ミステリ。題名のイメージは中森明菜のあの曲から採られたもの。『別冊文藝春秋』二〇〇九年十一月号から二〇一〇年九月号にかけて連載された作品が単行本化されたもの。

 披露宴で新婦・春香の花嫁姿の横顔を眺める正明。その結婚式で紹介された新郎新婦の出会いには小さな嘘があった――。スキー場で二人は出会ったとあったが、春香と正明が出会ったのは正確には都内、スキー場に向かう車というのが正しかった。正明の会社での先輩・紀藤と、その彼女の尚美がスキーに行くにあたって、長野出身でスキーの経験があった正明が呼ばれ、尚美は自分の友人で”超”のつく美人・内田春香を連れてきた。頭は良かったが家庭の事情で大学進学できず、高卒で家具会社で働いている正明は、見た目こそそこそこ格好良いもののこつこつと真面目で口数も少ない。しかし、大学院に行っているという春香は、そんな正明のことを「靭い」と褒めた。スキーの後、春香からの誘いでデートに向かった正明。しかし銀座を歩いている途中、春香は、彼女のことを「美奈子」と呼ぶ中年男に呼び止められた。どうやら人違いだったようだが、新宿歌舞伎町の《シェリール》という店に春香そっくりの女性が勤めていることを知る。それから暫く、その店に正明が足を踏み入れたことで運命の歯車が回り出す。

斜め45度からの衝撃。孤独だった男の恋愛心理が埋伏の毒。恋愛小説にして破格のミステリ
 ……とまあ、コピーにいろいろ褒め言葉を書いてみたが、現実問題としてミステリのパターンとしては、応用の仕方はとにかくとして基本的な部分に前例が存在するタイプのものだ。ならばオリジナリティがない分、評価として割り引かれるのでは、という懸念も出てくるところだが、その心配はご無用。
 答えになっているかどうかは不明だが、本書は骨格で恋愛小説の体裁をきちんと採っているからだ。プロローグの結婚披露宴の様子から回想シーンに飛ぶが、特にその回想シーン以降は男女の出会いとその交際の盛り上がりが、男性視点で普通に描かれているのだ。大学院卒女性と高卒の自分との不釣り合い、一旦恋愛状態にのめり込むと意外と周囲のことが見えなくなる自分、将来のことなぞ考えたことのなかった自分の未熟、セックスへののめり込み、等々、恋愛初心者の男性が陥りやすい心理状態が赤裸々なかたちで描写されている。良くも悪くもその心理の運び方がリアル。
 もう一方、交際している春香と容貌はそっくりだけれども、正確や性癖の異なる美奈子というパブ勤めの女性と出会い、春香と生き別れで双子の妹だという彼女ともいい関係となってしまう。そこに絡まる先輩・紀藤の動き、少しずつ芽生える嫉妬と、ちょっとしたことから気付く疑念……といったところ。本書における最大の巧緻は、読者の興味の焦点を春香と美奈子という二人の関係に絞らせてゆく手順だろう。 春香と美奈子、君たちは一体、という正明の感じる疑問を、正明と同じように謎に感じて考え込んだ段階で、既に作者の勝ち。気付かなかったところから、読者はその寝首を掻かれる。角度は後ろ斜め45度。そしてきっちり伏線もどうでもいいようなエピソードだったはずのかたちで仕込まれています。個人的には「うわあああ!」というよりも「ああ、やられちゃった」という感じではありますが、負けは負け。

 『イニシエーション・ラブ』とミステリとしてのタイプは異なるものの、発している昭和期の空気といったところはやはり共通。今よりも携帯もインターネットもない通信等の手段が少ない時代、男女の出会いも限られていた頃の恋愛小説。だからこそ仕掛けられた部分と、そうでない部分と。伏線とサプライズの美学に素直に酔いましょう。

 それはそうと、結局本編と深い関連はなかったけれども前科持ちの先輩・倉持の生態は凄まじかった。八十年代前半となると、そういうことになるのか。春香がいる場所にしてもキャバクラが出来る前だからパブだし。固定電話などの風俗関係描写も個人的には興味深かった。それはそうと、中森明菜の「セカンド・ラブ」は一九八二年の発売だったのですね。逆に本書から八三年の曲かと思ったけど。(正確には八二年末から八三年頭のヒット曲で賞関係は八三年に受賞)。


10/06/18
乙一「なみだめネズミ イグナートのぼうけん」(集英社'10)

 平仮名にされていると分かりにくいが、「なみだめ」は「涙目」のこと。乙一が文章を担当した児童書で『銃とチョコレート』よりも対象年齢が低く、どうやら中学校中学年がターゲットらしい。ただ、もしかすると功績は画を担当されている共著者扱いの小松田大全氏の方が大きいかもしれない。ハードカバーで、特定のレーベルとは無縁のようだ。

 いつも謝ってばかりいて、目に常に涙を浮かべたネズミ・イグナート。母親が存命の時にネコに襲われたせいで、片方の耳が欠けてしまっている。ネズミ仲間にもバカにされ、自分自身もおどおどしながら生きていた。ある寒い冬、食べるものがなくなって人がみんな動かなくなってしまった村に彼はいた。イグナート自身も死を覚悟する空腹を抱えて彷徨っていると、ある小屋から物音が聞こえることに気付いた。そこにいたのは少女。その少女はパンを分けてやるから、友だちになれ、とイグナートに命じた。空腹のあまりそのパンの誘惑に耐えかねたイグナートは、パンを囓り、ナタリアと名乗るその少女の手に抱かれて眠った。翌朝、小屋の前には多くの兵隊が現れた。彼女を追ってきたのだ。ネコを抱いた彼女の叔父だという人物に連れられ、ナタリアは城へと連れられていった。春になり、イグナートは決心する。ナタリアに会いに行こうと。

シンプルにして真っ直ぐ、勇気と冒険。白・乙一を超える、真っ白過ぎる乙一。クリア・乙一?
 「さく・乙一 え・小松田大全」ということだが、本として全体を眺めた時に文章が占める割合はそう多くなく、アニメ系でイグナートのユニークな表情や後から挿入されたと思しきコメントなどの比率が高い。場面ごとにコマ割りされた構成の結果、読み物といいつつ漫画的な味わいが強く、対象となる読者にとって優しい絵本(?)になっている印象。
 そして、乙一だと知らなかったら絶対にそう思えないほどに、真っ白。いやいや児童書に悪意をわざわざ持ち込む必要はないのでいいのだが。そして物語の流れも真っ直ぐ。弱くてちっぽけなネズミが勇気と知恵で友だちである王女を助ける、というシンプルなストーリー。逆に作者買いした方にとっては、意外性がないのが意外だと感じられるかもしれない。王女は悪い叔父と戦い、イグナートはその叔父の飼いネコと戦う。ある意味では二重写しではあるものの、凛とした態度を取っているのが、王女と、そして叔父の飼いネコであるという部分は敵味方で交叉している。こういった図式が成立しているのはそもそもの乙一氏の描いた構図だけではなく、小松田氏の画によるイメージも大きい。
 対象年齢は上になるが「ミステリーランド」「ミステリーYA!」といったミステリ畑から来た叢書では、児童向けといいつつ多少苦みを利かせることが当たり前という風潮があり、(そこまで考えてはいないとは思うが)そういう流れに一石を投じるどこに出しても(どんな子供に読ませても)恥ずかしくない堂々たる児童書だといえよう。

 あまりにも白乙一の白さが過ぎて、乙一という存在すら透明になって、ほとんどそれを感じさせないという児童向け小説。本書を読み終えた方なら、クリア・乙一というフレーズのニュアンスを汲み取ってもらえるものと思う。


10/06/17
西澤保彦「からくりがたり」(新潮社'10)

 「○○がたり」と題された八つの短編にて構成される連作短編集。初出は全て『小説新潮』で、『遺品がたり』は平成16年10月号、最終作の『呪咀がたり』は平成22年5月号と、足かけ七年にわたって少しずつ発表された作品が単行本にまとめられたもの。

 自殺した兄が残した絶倫日記。複数女性を性の虜にしたというのは高校三年生の妄想。そして一方で写真だけを盗む空き巣の狙いとは。 『遺品がたり』
 地元に帰省した女子大生が友人たちと飲み明かし、翌日帰京の飛行機でトラブル。そして爆弾騒ぎ。友人が巻き込まれた悪意の意味とは。 『桟敷がたり』
 行方不明の女子高生。母親の愛人が彼女の失踪に関係あるのではないか。女子高生と用心棒代わりの男とが侵入した家で見つけたものとは。 『玩具がたり』
 ボケの始まった母親が大量の食品を腐らせ、女房は家出。大晦日の夜には独身女性が殺される事件が三年連続発生していて。巡り巡って起きる事件。 『除夜がたり』
 女同士のお喋り。引っ越してきた高級マンションには同級生も住んでいた。その一室に住む陰気な夫婦、そして殺人事件。真相に気付いた時には。 『幼児がたり』
 かつてたらしこんでいた男子生徒の結婚。その彼に弄ばれ記録を残された女教師と彼の同級生の女の子が開催する乱交パーティ。そして。 『不在がたり』
 最初の日記を発見した妹が、自殺した兄の日記が増えていることに気付く。母親? その奇妙な記述に彼女は友人の危機を感じ取るのだが。 『傀儡がたり』
 最初に妄想日記を残した兄。その兄が自殺した理由とは。その底知れぬ悪意によって未だに引き起こされる事件の真相とは。 『呪咀がたり』 以上八編。

探偵役は推理の触媒。登場人物が気付かされるのは人間離れして捩くれた底知れぬ悪意……。
 本書そのものとしては幾人も登場人物が共通している一方、ほとんど個性を持たない”計測機”なる探偵役が、それぞれの作品に登場する重要人物にサジェスチョンを与えて「一応の解決」に導く、というのがその構成。ただ、他の西澤氏のシリーズ探偵とは異なり、発生する事件の形式が決まっていない。時に事件の当事者だったり、事件から離れた第三者だったり、計測機なる人物と関わり合う事件の発生形態も様々。悪く解釈すると、最初はどのようにまとめてゆくかまだ決まっていなかったのではないかと推察される。比較的シリーズ初期にあたる『桟敷がたり』などが全体的なトーンから微妙に外れているあたりがその例。(ただ、この『桟敷がたり』は東京出身の作家には書けないだろうなあ、とか本来とは異なる感想もあるのだが)。
 そのこの作品集全体に存在する”統一感の無さ”と、多少強引にラストでカタルシス(ないしはカタストロフィ)に持ち込んでしまう剛腕が本書の味わいを独特のものにしている。つまり、基本的に、かなり強引なロジックが登場、それを用いれば説明ができるというタイプのもの。ただ、これらのロジックの強引さを支えるところに、もはや幻想・妄想めいた悪意が方程式として組み込まれている。この悪意の破壊力が凄まじい。 いい大人の中二病というか、現実と妄想が既にごっちゃというか。「世の中には性的に奔放で好き勝手している美男美女が存在するが、それは自分以外」というのが基本でしょうか。様々なフェチズム、背徳的な性的嗜好が登場、何が正常とか決めつける気はないものの、少なくとも現代の道徳からすると外れている人々と、それが好き勝手出来ないことに苛立つ人々。うまくまとめられないのだけれど。
 これだけ人間関係がぐちゃぐちゃ、性的妄想と背徳的性行為が多数存在するストーリーのなかに、困ったことに(?)西澤式論理のアクロバティックが健在なのだ。ただ、再三述べている通り、そのアクロバティックの踏み台というか、補助線に相当するところに「インモラルな何か」が入って意外性を演出しているところは、良くも悪くも本書の特徴だといえるでしょう。

 そして探偵役”計測機”が薄すぎるほど薄い。仮定や示唆を登場人物に伝えるのがその役割だが、読み終わると探偵役そのものがいたっけ? というくらいに影が薄いのだ。その結果、それぞれの作品に込められた悪意がやっぱり読者の心に残るようになっている。例えば、登場人物のノリなどから軽めとみられているチョーモンインシリーズであっても、人間の悪意をべったり描いてきた作者が、その悪意をきっちり中心に据えて描いたとも受け取れる作品集。 性的に濃厚な場面も普通に登場、ある程度しっかりした気力を持っている時期に読むべき作品でしょう。


10/06/16
浅暮三文「五感集」(講談社'10)

 五つの章が短編を構成しつつ、やはり完全なる連作集。冒頭「未来予知」「エクトプラズム」「幽体離脱」までがそれぞれ『メフィスト』2009年vol.2と3、2010年vol.1に掲載されており、残り二つ「テレパシー」「憑依」の二編が書き下ろし。

 太平洋戦争の末期、神戸。新開地から山の方に入り、人里離れた場所にある一軒の洋館。ここは昔からある老婆が経営する娼館であった。大正時代の建物と呼ばれ、窓には全て鉄格子が嵌められている。秘密裡に特別の顧客にのみ女性を提供する私娼館であった。働いているのはただ一人、ナオミ。彼女は半ば監禁されるように老婆によって厳しく監視されていた。ナオミは地下室に居り、客は一人ずつ老婆の監視のもとナオミのもとに降りてゆく。客の出入りを除く時間帯は厳重に施錠されている。その晩、ナオミは三人の客をいつも通りに相手にした。そして最後の客が館の二階で休んでいたところ、空襲のサイレンが鳴った。慌てて避難のために地下に降りると老婆が騒いでいる。ナオミがいなくなったというのだ。地下室の鍵はもちろん、館自体も厳重に施錠された密室。三人の客それぞれはナオミが発したメッセージを受け取ったと心覚えがあったものの、もちろん口を噤んでいる。そもそも彼女は本当にこの世に存在したのか。老婆が検分のために二階に戻ると、彼らは再び驚かされることになる。ナオミの、しかも切断された死体が、三人の客が過ごした三つの部屋から発見されたのだ。果たしてこの館は時空が歪んでいるのか。そうでなければ何があったのか?

グレさん流幻想がちりばめられた久々の本格ミステリにして、奇想の結晶
 ご存じの方はご存じの通り、グレさんこと浅暮三文氏には、「五感シリーズ」と呼ばれる作品群が既に存在している。代表格となるのが推理作家協会賞を受賞した『石の中の蜘蛛』で、これは聴覚。本書はその集成ともいえるし、シリーズ外の作品ともいえる。五感といいながら、その扱い方は上記の題名(章題)にもある通り、超能力や怪現象を描いたもののよう。そしてそれぞれの作品で登場人物がナオミとの行為を通じて体験するのは、実際に未来予知であるとか、幽体離脱であるとか、そういった「現実にはあり得ない」ような体験。 それが一体何なのか、というのが一つポイント。グレさんはファンタジーの作家なので、一歩間違えると、そういった体験も有り得る世界である可能性がある訳で、この段階でどちらなのか読者として判断が付けられない。第一章を読んだ段階で、読んでいて非常に心細い気分になったことを告白しておく。
 基本的に前三つの短編は、ナオミという特上の(?)娼婦のもとを訪れている三人の男の視点によって描かれる。(『味覚章 エクトプラズム』に関しては、ナオミがなぜこの娼館にいるのかというエピソードにも多くが割かれているが)。その幾つもの視点によって描かれているこの事件は、普通に「不可能犯罪」。 彼らが何らかの積極的な手助けをしているかというとそうでもないようだ。密室からの脱出だけでも不可能状況なのに、その死体が猟奇切断死体という点も、不可思議さの度合いを引き立てている。また、三人の男たちが空襲によって館を逃げ出すまでに、少しずつ気付いた点がさりげなく描写されている。最初は読み過ごすような小さな破片なのだが、この破片が重要なのだ後から考えると。
 結論からいうと、本書は堂々たる幻想本格ミステリ。 もちろん、浅暮三文という作家が創り上げたものであり、その幻想性を獲得すると同時に失われるリアリズムという部分はある。トリックが現実的かどうかというのは、ここは置くべき。バカミスなどと揶揄するのではなく、むしろ、浅暮流正統ファンタジー幻想小説のなかでしっかりと本格ミステリを創り上げている点を前向きに評価すべきだと思う。

 本格ミステリだからといって、浅暮三文らしさが失われていない点、むしろ浅暮三文というフィールドのなかに本格ミステリを引き込んだ点が素晴らしい。『鯖』以来になるのか。文体に多少クセがあり、娼館舞台ゆえに性行為が念入りに描写されていたりするので好悪はあろうが、多くの人に読んでもらいたい「本格ミステリ」である。


10/06/15
石神茉莉「音迷宮」(講談社'10)

 それまで『幻想文学』や『異形コレクション』に短編を発表していた石神さんの初の単行本となったのが『人魚と提琴 玩具館綺譚』。本書は、三冊目の単行本にして初のハードカバー、さらには初の短編集と石神さんの独特のセンスが十二分に楽しめる作品集である。

 玩具店・三隣亡を訪れた二軒隣に住む少年。ピアノ演奏家を母に持つが、その母も今はおらず、幼い弟と彼は二人暮らし。さらに彼は、怖いという感情を知らないのだという。 『音迷宮』(稲生モノノケ大全 陽之巻)
 幼い頃に兄と慕った年上の友人。しかし望兄はイギリスで失踪してしまっていた。幼かった私も社会人になったが、会社を退職。兄の消えたイギリスにやって来た。 『I see nobody on the road』(妖女 異形コレクション)
 イタリアにいるあいだに結婚し、安奈を産んだ私は一年ほどで離婚して日本に戻ってきた。その安奈を日伊共作の映画『蝶々夫人』に出演させてから彼女の様子がおかしくなってしまう。 『眠居(まなこゐ)』(キネマキネマ 異形コレクション)
 真央と名乗る少女。バーで知り合った彼女、しかしどこからか意識はなく、自分はひどい頭痛と共に、どうやら彼女の部屋にいるらしい。流れるムソルグスキー。そして彼は彼女の話を聞く。工事現場にぶら下がる人形の話。 『夜一夜』(恐怖症 異形コレクション)
 夫・匠と共にトルコで生活する女。彼女には汀という放埒で我が儘な妹がいて、その妹に彼女はこれまでの人生のほとんどを、振り回されてきた。妹は夫の子供を身籠ったというのだが。 『鳥の女』(アジアン怪綺 異形コレクション)
 望まれない子供と共に、家にいられなくなって古ぼけた洋館に越してきた女性。その洋館はいわゆる「お化け屋敷」でいろいろなものが現れる。 『Rusty Nail』(ひとにぎりの異形 異形コレクション)
 子供の頃乗った船が原因不明の事故に巻き込まれ、多くの人が亡くなったり、生き残っても頭がおかしくなったりした悲惨な事件。その海難事故で、ただ一人の生き残った女性がいた。 『海聲』(幽霊船 異形コレクション)
 長期間の休みになると親戚同士が集まった。私は身体が弱く、大人になるまで生きられないといわれる従兄弟との密会を楽しむ。『川の童』(怪 vol.13.)
 一匹の雌牛と暮らす私。トドが私の雌牛に懸想し、雌牛はまんざらでもないようで、だけど雌牛が産み落としたのは牛の身体に牛の頭を持つ謎の生物。その生き物も、牛と同様に飼われるものと思われていたが。 『Me and My Cow』(幻想文学56)
 トランプ占いで抜群の的中率を誇った祖母。私はその占いを使えば、現実が動かせるのではないかと考えた。 『夢オチ禁止』(書き下ろし) 以上十編。

同じものを視ているのに、貴方は少しだけ人間とは違う視点から視ているかのような、物語
 頁の下方、作品の題名を書いている筈の部分、その作品毎の最終頁にあたるところに、その作品の主題が、ある意味一目瞭然に記されている。短編を無垢な状態で読み進めて、その記述を読むことで別の角度から深く得心することが出来る。ちょっと珍しく、それでいて効果的な試みではなかろうか。そこから発展して考えたということでもないのだが、本書では二重の幻想・奇想が物語に重ねられているように感じられた。 基本は先ほどの題名の一件が示す通り、一種の妖怪譚なのである。その妖怪譚とはいえ、ネーミングこそお馴染みなれど、水木しげる御大や石燕などが定置化している意味合いとは異なる意味を、それぞれの妖怪に付加している。これが、その題名の部分では一種の謎解き(違うけど)みたいに機能していて、種明かしがあった時に「ああ、実はあの妖怪がテーマだったのか」と意外性を伴う得心が得られることに繋がっている。つまりは、その石神流の妖怪像の想像に大きな労力が割かれているということ。
 一方、そんな石神流解釈が大きく入った妖怪も単体では標本と同じ。さらにその石神妖怪が活躍する物語を創りだしたのが作者の力、そして提供されているのが本書に収録された物語群だ。内側から解釈してゆくと、幻想と計算を巧みに織り交ぜた作品集であることが分かるだろう。当然、読者はそうやって作られた物語に外側から入り込んでゆく。すると、普通の幻想譚、妖怪譚であるようでいながら、どこか違和感のある不思議な作品という奇妙な感想を抱くに至るのだ。

 ホラーじみた部分や、モノマニア的側面もありながら、そういった要素に集約しきれない、はみ出た何かをどの作品も発している。全体的な派手さは少なく、さらに抜けてこの作品が傑作! というタイプではないので一般読者に広く受け入れられにくい作風ではあるのだが、玄人受けすることは間違いない。幻想小説やホラー小説をある程度読み込まれた方の方が、この作風の良さを強く味わえそうな印象がある。


10/06/14
近藤史恵「薔薇を拒む」(講談社'10)

 『メフィスト』二〇〇九年1月号から、そして同誌の刊行形式が変わった後、二〇〇九年『メフィスト』vol.3のあいだに連載されていた作品の単行本化。ノンシリーズのゴシック系ミステリ。

 両親を早くに亡くし親戚のところをたらい回しにされた後に施設にて育った鈴原博人。進学高校に通っていたが、実業家の光林から奇妙な提案を受ける。彼は身寄りのない若者を支援したいといい、三年間、和歌山県の僻地にある光林家の別荘で働けば、その後に大検を受けて大学進学すれば、四年間の学費と生活費を出そうというのだ。施設の人から是非にと勧められ、断ることなど考えられなかった鈴原は、似た境遇にある樋野薫と共に館に赴いた。人里離れた山奥にある館には、光林氏の妻・琴子と、その娘・小夜、館を事実上取り仕切る中瀬、小夜の家庭教師の角倉、住み込みのお手伝い・登美らがいた。鈴原と樋野は、日中は雑用を手伝いながら夜は自由時間という生活が与えられた。樋野はこの生活を牢獄だといったが、鈴原は館の紅一点・小夜の美しさに見とれてしまう。はなから身分違いは理解しており、遠くから彼女を見ているだけで幸せだった。この平穏な暮らしがずっと続けばいい――、という彼の願いはあっさり破られてしまう。ある朝、館の側の湖にボートが一艘浮かび、その中で中瀬が不自然な刺殺体で発見されたのだ。琴子は嘆き狂い、館は陰鬱な雰囲気となってしまう。

繊細で臆病な男の子の心理が丁寧に描写され、極端なラストを狂おしく浮かび上げる
 今時――と思わせられるようなゴシック様式のミステリが展開される。人里離れた洋館に住む美しい母親と、美しい娘。そこにそもそも独身の執事格の人物と、同じく独身の家庭教師。どちらも渋くて良い男(のようだ)。さらにそこに送り込まれてくるのは、これまでの人生に影を持つ二人の、やはり整った容貌を持った若者たち。ある属性を持った女性のための、いわゆる萌え要素? とか思うのだが、作中でも指摘されている通り、この状況自体がめちゃくちゃ不自然なのだ。美しい妻と美しい娘を残した旦那が、なぜわざわざ狼の可能性のある男性を二人も送り込むのか。 もともと人里離れた一軒家、何が起きてもおかしくない―――。殺人事件よりもある意味不可思議なシチュエーション。(もちろん、その理由はあり、一定の(物語中の条件が必要だが)説得力があった)。
 ただ、ゴシックと大々的に謳われているほど重苦しい雰囲気はない。 恐らくは語り手である鈴原博人の、草食系を突き詰めたかのような人格にも関係がありそうだ。事件自体は殺人もあれば、ラストにカタストロフィまで演出されているにもかかわらず、それほど犯人が兇悪とも感じられないのは、この一家のなかにある闇もまた深いからか。(最初の殺人事件の犯人もラストに犯人と断定される彼だとされているが、鍵とか中途の描写に不自然なところがある。このあたりは他の解釈も考えられるところかも。

 登場人物の性格付け、人数、背景、バランスといったところが全体的に優れており、古風な本格ミステリの体裁に近いにかかわらず、少年の感性などに読みどころが多い。ラストにあれだけ控えめだった彼の魂が行き着いた先の描写(甘美なる地獄?)にゾッとさせられる。これは愛なのか、復讐なのか。 読み終わるのにそれほど時間を要さない一方、いろいろ考えさせられた。


10/06/13
二階堂黎人「誘拐犯の不思議」(光文社'10)

 二階堂黎人氏の近年メインとなっている感のあるシリーズ探偵が水乃サトル。題名に『○○マジック』とあるのがアンタレス旅行社に入社後、社会人になった水乃が探偵役となる作品。一方、本書のような『○○の不思議』という題名が付けられる作品は、多数のサークルを掛け持ちする大学生の水乃サトルが探偵役を務ている。長編としては「不思議」シリーズ五冊目となる。書き下ろし。

 サークル活動の一環でオカルト同好会による心霊写真の討論会が行われることになった。壇上に上っているのは、司会者とオカルト雑誌編集長、そしてサトル。あともう一人は心霊写真を撮影してしまう体質だという写真家・上祐レイ。サトルはレイの持参した写真の幾つかを即座にトリックのある写真で心霊写真ではないと看破する。舞台がはねた後、上祐はサトルに三枚の「心霊写真」を手渡してきた。内容はホームレスの惨殺死体など。その写真を見た、この時のサトルの交際相手・彩子は殺されている人間に見覚えがあるといい、気を喪ってしまう。彼女には最近誘拐事件に巻き込まれたという経験があった。彩子を守るため、サトルは事件の概要について詳しくヒアリングを行う。彼女のいうことと、脅迫を受けた彩子の父親のいうことは一致しているようなのだ。しかしそれでいて、父親が受けた電話は相当に内部事情に詳しい者のように思われた。容疑者候補は数名いたものの、決め手はなく全員アリバイが成立してしまう。

オーソドックス・先例ありにもみえる複数トリックの随所に工夫。シンプルに見えて実は凝った作品
 誘拐された女子大生、身代金を略取されてしまった被害者家族。この誘拐事件が軸となっている。まず、この事件そのものについてになるが、はっきりいってしまうと場面描写にある顕著な特徴があり、トリックを仕掛けるならばここかな、というところにやはり落ち着いてしまう。このトリックについては誘拐というシチュエーションかどうかはとにかく、幾つかの先例がある。(個人的には綾辻作品を真っ先に思い出したが)。
 ただ、そのトリックを見破れたということで作品価値が終わりかというと、そうでもない。 二人組の主従が引き起こしたと思しき、誘拐に関しては殺人事件は発生していないが、その従にあたる実行犯が事件後すぐに殺害され、死体となって発見されている。さらに誘拐現場付近で男女のホームレスが一人ずつ惨殺された形跡があり……といった、明らかになってくるディティールのなかにも別の仕掛けが含まれているからだ。誘拐犯二人の犯行目的が別々にあったといった意味、さらには何故腹を切り裂くような殺害方法を採ったのかという(実現可能性はちょっと?だが)理由、そういったところまでも周到に計算されている。トリックそのものの独自性よりも全体のバランスに重きが置かれている印象だ。
 また、ある会社を一つ犠牲にしたうえでの裏金作り(これが誘拐事件の身代金原資になるわけだが)の顛末については、もしかしたら現実事件かなにかを下敷きに、告発の意図も含まれているのかも……とかも想像されるのだが、そちら方面は詳しくないので。
 ただ、トリックに対するこだわりの一方で、水乃サトル以外の登場人物描写が類型的で平板、演出過剰で嘘くさくみえる独白描写や台詞などに悪い意味での特徴的な部分がみえる。ミステリに美文を求める口には耐えられないかと思う。

 あくまで印象的な部分では本格ミステリとして水準以上の作品に仕上がっているかと。ただ、バランスや動機といったところを重視しているせいか、トリックとして抜けたオリジナリティが感じられず、その分は割り引かれる。古い皮袋に新しい酒、というフレーズを思い出した。


10/06/12
門井慶喜「天才たちの値段 美術探偵・神永美有」(文春文庫'10)

 門井慶喜氏は第42回オール讀物推理小説新人賞を「キッドナッパーズ」にて受賞してデビュー。しかし、デビューして暫くは短編すら掲載順番待ちといった競争に巻き込まれ、思うように作品発表が出来なかったという。本書はその門井氏のシリーズ作品がようやくまとめられた、初単行本。文藝春秋より2006年にハードカバーで刊行されたものが元版。「美術探偵・神永美有」の副題は文庫化に際してのもの。

 壁にそっくり嵌め込まれていたボッティチェッリのものとも思われる絵。単なる贋作なのか、世紀の大発見なのか。大学講師の佐々木と、味覚で真贋を判定できる特殊能力の持ち主・神永美有の出会い。 『天才たちの値段』
 イヴォンヌの双子の姉が徳島から上京してきた。高野(イヴォンヌの本名)家にあった土蔵にあった、哀しい歴史を持つ古い海洋地図に隠された秘密とは。 『紙の上の島』
 エアロビクスをしているかのような奇妙な姿勢をとったお釈迦様が描かれた涅槃図。珍品扱いだった筈が二つの寺がその絵巻を手に入れようと動き出す。 『早朝ねはん』
 政治家が、その内気な息子を鍛えるために出したのが、フェルメールの画と、その家に伝わる別の画のどちらが優れているか優劣を付けるというディベート。佐々木と美有が敵味方に分かれることに。 『論点はフェルメール』
 佐々木自身の事件。芸術に祖父の遺産を注ぎ込んだ祖母の残した遺産。祖母の残した遺言クイズに正解した者が財を受け継ぐのだという。海外で放埒な暮らしをしていた叔母と、母の代わりに争うことになった佐々木。 『遺言の色』 以上五編。

美術ミステリの奥深さ、幅の広さを再認識させてくれる様々な切り口が新鮮
 美術品の真贋を味で嗅ぎ取る美術鑑定士(?)神永美有、更に、短大で美術を教える講師にして語り手となる佐々木、さらに佐々木の教え子で独特の芸術観を持つ(キャンバスに魚の目玉を貼り付けるとか)女子学生・イヴォンヌ。佐々木や神永のもとに持ち込まれる美術品にまつわる特殊事件を解き明かす短編集。
 美術ミステリ、と呼ばれる(?)作品は昭和期より数多くある。美術品の真贋を検討するもの、美術品取引にまつわる不明朗な部分を謎にするもの、美術品の来歴そのものを謎とするもの(島田荘司『写楽 閉じた国の幻』なんかもこの系譜)。本書の場合は、既存の美術ミステリのビジネスモデルのどれとも近く、そしてそのどれとも重ならないという希有なスペースにある。 真贋という意味だけでいうならば、神永美有の舌という存在がある。また、旗師や美術ブローカーは脇役でしか登場しないし、美術品の来歴は問うもののそればかりに特化している訳でもない。あえて、その位置づけを考えるに、美術品の新たな価値を創造する、というイメージなのだ。
 表題作『天才たちの値段』に登場するボッティチェッリの絵がその良い例だ。「秋」という題名のその絵はホンモノかニセモノか分からない。神永はホンモノだというが。では、なぜ神永の舌がホンモノだと判断したのか――細かなフェイクを幾つもいれながら、意外なところに着地させてくれる手腕が見事。第一作品集とは思えない、良い意味で人を食った展開が面白かった。『早朝ねはん』あたりは、架空の美術品ではあるものの、そのユニークな形状から様々な解釈を出す展開が面白い。もちろん結末についてもうまく盲点を突いて説得力を高めている。
 その他の作品も、ほとんどが架空の美術作品であるにもかかわらず「ありそう」だし、展開されている論理が巧みで「説得力が高い」「蓋然性の高い」落ち着きどころに持ってきている。神永の舌を逆手にとってみたり、ラストの『遺言の色』はクイズ系でありながらコンゲーム的要素があったりと、物語構成も飽きない。何より、美術を使ってディベートだの、遺産相続争いなどよくぞこんな変な筋書きを考えるものだと感心させられる。

 本書のラストではちょっとやおい的要素? 友情や打算だけではない何かがあるようにも邪推してしまう。(実はよく分からない)。続編『天才たちの距離』が既に出ているのも心強いが、美術品をテーマに様々な展開が楽しめるシリーズである。


10/06/11
青柳友子「完全犯罪の女」(光文社文庫'88)

 元版は1985年にカッパノベルスより刊行。もともとは純文学畑出身の青柳友子がミステリという分野に進出後、その出世作となった長編。青柳を代表する「ミスティーガール紅子」のシリーズは本書刊行よりも後から開始されたものだ。(紅子読みたくなってきたなあ)。

 つぶれかけていた電機部品会社を一代で再興し、実業家として成功した西条宏助。妻に死に別れていた宏助は、会社で受付嬢をしていたルミ子を見初めて再婚した。しかしルミ子は今年ようやく二十九歳と若く、宏助の長女の聖子と年齢が同じだった。その聖子は、独身だったが気詰まりで家を出ており、水商売で稼ぎながら波多野という愛人を養っている。波多野には妻子がいて離婚を迫っているのだが、聖子は彼からはぐらかされ続けている。もう一人、宏助には跡取りと目される長男・英一がいて、気が強く強欲気味の妻・馨子と結婚していた。その馨子もまた、聖子・ルミ子と同い年だった。英一夫婦には都内のマンション購入費用が生前分与されていたが、英一はある理由からまとまった現金が必要になる。聖子は聖子で独立を目論んでおり、兄妹は共同戦線で父親から金を引き出そうとするのだが……。

女性らしい欲望を鏤めた一級のサスペンス。彼女たちの駆け引きとどんでん返しの妙味
 さすがに現代の完成された本格ミステリの基準からすると、大技を仕掛ける段階での緻密さに欠ける点は否めないだろう。捜査される側がかなり警察を甘く見ているというか、結果的にOKとなったというものだし、ラスト付近でのある人物同士の再会あたりも、2時間ドラマ的で微妙なセンス。実際には実現し得ないと思える内容であるだけに現代読者はちょっと予想できないトリックであり結末であると思う。 それはそれで良し。  ただ、そういった問題点を全て感じさせないくらい、前半部の、金銭的にがめつい女三人による確執と兄妹の父親である西条宏助の性格などの描写が素晴らしい。 登場する個々の人間たちはちょっとだけ見栄っ張りだったり、人より少し性格が弱かったりだらしなかったり、また吝嗇だったりするだけなのに、彼らが絡み合うことで西条家のどろどろしたものが噴き出してくるような緊張関係を創り出す手腕は相当に素晴らしい。この前半部での読者の引き込み方ははっきりいって尋常じゃない。 その意味ではトリックの可否よりもやはり一級の人間ドラマであり、彼らのうち誰が犯人なのか最後まで予見させないという部分が読みどころとなっているように思われる。
 作者の意図とは異なろうが、三人女の一人、宏助の娘・英子が付き合っていた波多野という男の本当の姿など、本筋とは無関係なのだがかなり強烈なサプライズがあった。そこまで作者が計算していたのかは不明だが、こちらで使われたトリック(?)がまた、本筋のトリックに対するレッドヘリングにもなっているような、関係ないような。

 紅子シリーズの「軽薄短小」な作品作りのイメージも青柳さんにはあるのだが、独立長編になるとまたそちらとは違った、濃密な味わいが出てくるのが特徴。この時期の男性作家が書けないような、女性作家らしいセンスや風俗描写なんかも興味深い。この一冊に関しては、青柳作品のなかでも読むに値する一冊だと思う。